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はてなキーワード:専制とは

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2025-10-20

anond:20251018115506

ほな最終的に1人にしたらええんちゃう選挙専制主義

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2025-09-06

anond:20250903004439

SAS教官のひとりから授かったという「ディフェンサ・ナイフ」を、彼は宝物のように抱き、短い映像に収めて私に見せてきた。

短い動画の中で彼は、その稚拙ながらも覚え込んだ技を披露してみせ、こちらに向かって「ベルくんみたいだろ」と言った。

その刃を振るう所作稚拙ではあったが、彼にとっては一つの儀式であり、そこには世代特有真剣夢想が宿っていた。

その言葉には、彼自身人生を重ねようとする無邪気さと、同時にどこか運命への挑発めいた響きがあった。

しか歴史は、その夢想を待たない。

ヘスティアナイフ」と呼び、女神加護胸の谷間象徴される豊饒を手に入れると信じたその刃は、ロシア軍の砲火の前に一片の鉄片にすぎなかった。

夢は夢のまま、戦場暴力のただ中で砕け散ったのである

彼はまた、自衛隊で鍛えた「ミニミ軽機関銃」を抱き、腹ばいになって構える姿を残している。

その姿は、自衛隊時代からの得意技の延長にすぎなかったが、本人にとっては己が未来を切り開く武器であったのだろう。

しかし、現実は彼の思い描いた冒険譚とは程遠く、待ち受けていたのは国家軍事機構が生み出す冷酷な暴力にほかならなかった。

その姿は誇らしげであったが、銃口の先にあったのは、彼が憧れたレムやウマ娘美少女たちが微笑む理想郷ではなく、なろう小説美少女でも、電光超人グリッドマンでもなく、ただ国家という巨大な装置が生む冷酷な暴力であった。

――ここに、文明の落差を見る。

西欧が二度の大戦を経てなお近代国家暴力を脱しきれぬことは、ロシアの侵攻において改めて露わになった。

一方、日本若者は、国家への不信と虚構世界への耽溺との間に漂い、その反動として「自らを物語主人公とみなす」ことで現実を切り拓こうとする。

だが歴史物語法則を受け入れない。

物語の中の英雄は、決して勝てぬ敵には出会わず甲斐性のない男であっても必ず美少女が寄り添い、死んでも蘇る。

しか戦場には「死に戻り」もなく、奪われた命はそのまま冷たい土に吸い込まれる。

鉄と火薬暴力は、一個人激情夢想を顧みることなく、無慈悲に呑み込む。

国家とはそのような暴力組織し、正当化する仕組みであった。

彼は防弾チョッキに身を包み、刃と銃を携え、「自分ゴブリンスレイヤーだ」と笑って言った。

ロシアゴブリンどもは皆殺しだ」と。

その言葉の軽やかさは同時に、彼自身激情の深さを証していた。

ウクライナ行きは、彼にとって、社会から嘲笑を跳ね返すための、そして己を英雄に仕立てるための、一世一代舞台であった。

だが現実戦争は、虚構法則を受け入れはしない。

――戦場の敵はゴブリンではない。

彼を呑み込んだのは、帝政ロシア以来の専制伝統を背負った巨大な国家機構であり、そこにこそ歴史必然があった。

近代以降の国家という存在は、個人意志物語を徹底的に無視し、ただ統計的に、数として人間を処理する。

彼はその数の一つにすぎなかったのである

結局、彼の敵は「ゴブリン」ではなく、鉄と火薬を扱う兵士であった。

国家という巨大な制度が生む暴力は、一個人夢想を顧みることなく、容赦なく押し潰していった。

振り返れば、彼の魂は烈しく、同時に滑稽ですらあった。

烈しさゆえに滑稽であり、滑稽さゆえに哀れであった。

だがその烈しさと滑稽さこそ、歴史の奔流に抗おうとする若者の証でもある。

坂本龍馬近代国家の創出に情熱を注いだ時代から百五十余年、国家はなお個人を呑み込み、浪費する構造を脱し得ていない。

人間の夢は、歴史の巨大な奔流の前では、いつもあまりに小さく、脆く、そして悲しい。

私はそのことを、ウクライナの土に消えた彼の姿を思い返すたび、痛切に噛みしめざるを得ないのである

Permalink |記事への反応(0) | 14:24

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2025-08-02

昔は通報って、警察とか消防にするものだった。

でも今は違う。

X(旧Twitter)やInstagramで、「この投稿不快」「デマっぽい」「思想的にアウト」と思ったら、ワンクリック通報

しかも、通報するだけで自分正義になれる。

おかしいと思わない?

いつから私たちは、「気に入らない投稿通報するのがマナー」になったのか。

間違ってると思うなら議論すればいい。

反論すればいい。

でも今は、「気に入らない=違反=消せ」がデフォ

その手段として通報濫用されてる。

しか

「たくさん通報されたから凍結される」

通報された時点で悪い人扱い」

という空気がある。

まり通報された方が証明しないといけない社会になってる。

これはもう、逆転してるよ。

無実を証明しなきゃいけない社会って、ディストピアでしょ。


そして最悪なのは

これが民間人同士で起きてるってこと。

国家権力でもない、法律でもない。

国民同士で監視して、裁いて、処罰してる。

「こいつキモい

「なんか政治的にヤバそう」

フェミ叩いてたから凍らせよ」

…そんな軽い理由で、アカウントが消される。

人格社会から一瞬で切り離される。

しかも、通報する側は絶対に傷つかない。

通報しました😊」ってポストして、イイネもらって、「よくやった!」ってリプついて、ヒーロー扱いされる。

でも、通報された側は何も言えない。

抗議しても「ほら、やっぱり危険人物じゃん」って言われて終わる。

問答無用即死ゲーム

今や通報ボタンは、「同調圧力の銃」だ。

「私はこれに賛成じゃない」という理由だけで、

人を撃ち、消し、沈黙させる。

そのくせ、「言論の自由は守られるべき」って言うんだよ。


通報本来、極端な差別暴力から人を守るためにあるべきものだった。

でも今は、「自分が嫌な気持ちにならない世界」を作るための武器にされてる。

違う意見を持つ人と、もう会話しようとしない。

通報して終わり」。

そんな社会が、この先まともに続くと思う。

もう「通報しました」って言葉が、「論破しました」より怖い時代になってるんだよ。


そして、そんな通報文化の中からまれたのが、

ネットヒトラーたちだ。

彼らは名もなき市民の顔をして現れる。

でも実態は、「個人の快・不快絶対正義に仕立てて、異物を狩る側の人間」だ。


ネットヒトラーの特徴はこうだ

通報しました😊」をポストして、いいねが来ると“社会正義”をやった気分になる

「この人やばいですよ」って、タグ付きで注意喚起ファンネル突撃

「私も以前から違和感ありました」っていう謎の後出しジャンケン

「私は過去に傷ついた経験があるのでこの発言は許せません」って主観絶対

被害者気持ちになってください」って言いながら、平然と誰かを断罪する。

まり言葉狩りに正義コスプレをさせてるだけ。

彼らにとっての人権は、自分好きな人だけに適用される限定パッケージだし、加害性は「相手追放するためのラベル」にすぎない。

なにが恐ろしいって、このネットヒトラーは見た目では絶対判別できないことだ。

アイコン可愛い猫だったり、学生だったり、育児アカだったり。

でも中身は「思想警察」や「不謹慎狩り」や「全人類への怒り」を抱えてる。

そして彼らがターゲットに牙を剥いたとき、周囲は「とりあえず距離を置こう」と言い始める。

結果、通報された側は社会的に孤立する。


今やSNSには、思想投稿する自由はあっても、炎上後に生き残る自由はない。

「違う意見」と「悪人」の境目が、曖昧になってきてる。

そしてその境目を、感情で決めてしま集団が、

今や誰よりも多くの「いいね」を持っている。

これはもう、いいねで選ばれた専制なんだと思う。

王様ひとりじゃない

みんながちょっとずつヒトラーになってる。SNSって情報自由市場じゃなかったの?

気に入らない意見ブロックすればよかっただけでしょ?

なのに今は、「見たくない=消えてほしい」になってる。

その削除ボタン快感に、人はハマる。

いつしか自分も、誰かの言葉を狩る側になる。

そして、それを「正義」と信じて疑わなくなる。

本当の恐怖は、ネットに現れた独裁者じゃない。

みんながちょっとずつ独裁者ごっこを始めてることなんだよ。

次に狩られるのは、

昨日まで一緒に「通報しました😊」って言ってたあなた自身かもしれない。

Permalink |記事への反応(0) | 23:38

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2025-07-27

劉仲敬訪談084(2020年4月16日

https://anond.hatelabo.jp/20250727144129

要約:劉仲敬訪談084(2020年4月16日

テーマ:宋儒の道統構築学と日本公武合体内閣の失敗理由について

儒学の建構と王朝史観類似性

儒学歴代王朝歴史観と同様に後代に作られた構築物であり、宋代以降に「道統」という連続した正統性学説として体系化された。

それ以前の漢唐では、先秦の儒学古代のものであっても直結した連続性は強調されていなかった。

宋儒は禅宗開祖継承体系を模倣しつつ、儒学連続性を強調して組織を強化しようとした。

口伝文字記録の役割の違い

古代部族宗教集団では、厳格に記憶され唱えられる口伝による伝承神聖視されていた。

文字記録は信頼できず、かえって官僚士大夫利益のために歴史法律改竄や争いを生んだ。

英国普通法も元は口伝習慣法で、文字化は利益対立からまれものであり、自由は元来古いが専制は新しい体制である

宋儒の道統構築の社会的背景

宋儒は当時の宗教集団部族に対抗するため、自らの儒学伝統(道統)を構築し、書院や宗族という組織を作った。

これらの組織は基層共同体争奪し、社会的権威を強化するためのものだった。

それまでは書院は主に仏教のものであり、儒者官僚貴族の子弟で組織化されていなかった。

唐代多民族貴族支配差別意識

唐代鮮卑系の征服者貴族支配し、家族集団がほぼ国家のような性質を持っていた。

南方の「矮民」(主に東南アジア系)には強い種族差別があり、黒く猿のような外見が貶められ、奴隷や貢物として扱われた。

こうした差別は宋明以降も続き、歴史叙述や文学にも影響を与えた。

宗教の普及と政治統治の違い

宗教仏教キリスト教)は政治支配より安価で広範な影響力を持ち、技術医療と結びつけて広まった。

しか宗教知識人には理論的な影響力があったが、庶民権力者は実際の効果信仰判断した。

歴史解釈の批判

現代知識人歴史解釈は階級利益偏見を反映し、実際の歴史真実とは乖離している場合が多い。

例えば、漢唐の官僚による残虐行為伝統的な道徳観ではなく、征服者支配体制の一環として理解すべきである

https://vocus.cc/article/5eab010afd897800019ca9f6

Permalink |記事への反応(0) | 15:02

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2025-07-13

第○○○代内閣総理大臣所信表明演説

国民の皆様、この度第○○○代首相就任しました、○○○○でございます

私(わたくし)がこの場に立たせていただけたのも、ひとえにこれまでの皆様のお力添えのおかげでございます

深く感謝申し上げます

さて、私がどのような考えを持って議員活動に取り組ませていただいているかにつきましては、これまでに何度かお話しする機会をいただきましたが、今回初めて私の話をお聞きになる方もおいでになるかと存じますので、ここで改めて私の政治思想というものをご紹介させていただくことで、所信表明演説とさせていただきます

まずは、私が護憲派なのか改憲派なのか、国家安全保障についてどのように考えているのかについてお話しいたします。

憲法改正に対する私の立場は、「真(しん)の護憲派である、と申し上げております。真の護憲派とは、

「これまで日本国現行憲法を順守していないため、現行憲法がどの程度国家安全保障にとって有用なのかの判断不可能である。そのためまずは、現行憲法を遵守せよ。その後、将来的に機能不全が明らかになれば、改正することもありえる。しかし現時点では改正する必要はない。」

という立場になります

尚、ここで言う憲法の遵守とは、武力放棄せよ、という意味ではなく、憲法精神を守るべし、という意味でございます

では憲法精神とは何か、ということなのですが、日本国憲法には条文の前に前文が書かれており、そこでこの憲法がどのような意図をもって制定されたのかについて、憲法が定められた背景、あるいはその精神が書かれております。ここでいわゆる憲法三原則である国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」について述べられていますが、特に平和主義につきまして、現状どの部分が守られていないと私が考えているかについて、お話ししたいと思います

憲法前文には、武力放棄することによって自国を守る、とは書かれておりません。そうではなく、日本国民は、「人間相互関係支配する崇高な理想を深く自覚」し、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」「われらの安全生存を保持しようと決意した」とあります。これは平たく言えば、人間には善を受けると善を返そうという性質があるので、この性質を信頼することで自分たち安全生存を守ります、ということです。つまり日本国憲法は、日本人は善を為す高潔国民であるということを世界に知らしめることにより、自動的国防が達成されるようにする、と定めているのです。

もしも世界中の国の人々が「日本人私たちに本当に良くしてくれた。彼らは真に高潔な人々だ。私たち日本武力攻撃するようなことは決してないし、万が一日本がどこかの国から武力攻撃受けたなら、私たちは命がけで日本を守るために戦う」と思ってくれるなら、日本国防のための武力を保持する必要があるでしょうか?

これは実現不能理想論でしょうか。私はそうは思いません。しかし、現時点で達成されているとも考えていません。むしろこれまで日本は、憲法で定められた高潔さによる自動国防を実現するために、国家として何もしてこなかったために、理想から遠く離れた場所にいるように思います武力を持たない高潔な国は攻撃されないかもしれませんが、武力を持たない下劣な国は攻撃されてしまうでしょう。そのため今後は、当面の間は現行戦力も維持しつつ、高潔さによる国防も併せて進めてまいります

そのために、国家として平和貢献隊を組織します。この組織目的は、世界の国々に奉仕日本高潔さを知らしめ、それによる自動国防を達成することです。そのため予算防衛費から拠出することになります武力を増強することは、相手日本攻撃したくてもできない状況を作ることを目的とする消極的平和維持であり、世界に貢献することは、相手日本攻撃したいと思わなくなることを目指す積極的平和構築と言えるでしょう。今後は自衛隊による抑止力平和貢献隊による自動国防という、2つの側面から国防を担ってまいります

平和貢献隊の具体的活動内容としましては、まずは世界各国が抱えている様々な問題調査していきます。その中で、日本の強みを活かして効果的に解決に導いていける課題抽出し、その活動によって日本高潔さを知ってもらえる活動選択していきます

こうした活動は、国家としてではなく民間実践しておられる方々も居ますアフガニスタンで現地のために活動されていた医師中村哲さんのような方々です。

https://www.bbc.com/japanese/50657223

こうした活動恩恵を受けた人々は、例えばアフガニスタンが将来強力な武力を持ったとして、その武力日本に対して振るおうとするでしょうか?

こうした活動は、単に寄付金を送るなどではなく、実際に平和貢献隊の日本人が現地に赴き、日の丸を背負った制服を着て活動を行っていくことで、世界の人々に日本国家としての活動認識されていきます

民間人が行った活動であってもこれだけのことができるのですから国家として予算を使った国防活動として大きく行っていけば、どれだけの貢献を世界の国々に対して行えるでしょうか。

活動の成果の指標として、世界の主要な国々の国民に対するアンケート調査を行い、日本攻撃されたら日本のために戦うと回答するという人が80%以上となることを、当面の目標としていきます現在世界の多くの国において、様々な理由で人々が苦しんでいます。その内容を精査し、我々日本人ができることをよく考え、世界中の人々の幸福のため、ひいては世界の人々に日本国民の高潔さを知ってもらうために一番効果的な活動選択して実施することで、この目標達成に近づけていくのです。

日本国憲法前文では次のように言っています

いづれ国家も、自国のことのみに専念して他国無視してはならない」

この憲法を掲げているのですから日本国内にも様々な問題があるとしても、それを言い訳にして、世界の人々のための活動を停止してはならないのです。

現在日本中国との間では、領海を巡ったいざこざがあります。ですがもし、1954年の自衛隊発足と同時に平和貢献隊も発足していたならば、そして中国の人々が困っている時に平和貢献隊が協力できていたならば、現在とは異なる関係があったかもしれません。

例えば1960年ごろ、中国では飢饉によって数百万人が餓死していました。しかしそれまでに平和貢献隊がその活動を通して、その意義や実績を世界に認められていれば、中国も食料配給のための平和貢献隊派遣を受け入れてくれたかもしれません。そうなっていれば、大勢中国の人々を餓死から救えていたことでしょう。もしそのような歴史があったならば、その後の日中関係は、現在とは違ったものになっていたことでしょう。自分自分の両親が日本平和貢献隊の配給で餓死から救われたという人々は、日本に対する攻撃を認めるでしょうか。

これは仮定の一例ですが、日本はこれまで平和貢献隊を創設してこなかったために、70年間の世界への貢献の機会を失ってしまいました。日本提案してもその国が平和貢献隊の活動を受け入れないという場合もあったでしょうが、もし70年間活動できていたならば、現在どれほど多くの国の人々が、「日本攻撃するなどとんでもない、もし日本攻撃されたら日本を守るために戦いたい」と思ってくれていたでしょうか。どれほど日本平和が強固になっていたことでしょうか。

70年は失いましたが、私はまだ遅くないと考えます。今からでも平和貢献隊を創設し、積極的活動していけば、それだけ日本平和を守りやすくなっていくのです。武力増強だけではなく、高潔さによる自動国防も併せて進めなければいけません。

憲法前文にはこうあります

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互関係支配する崇高な理想を深く自覚する」

「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐ国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」

日本国民は、国家名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想目的を達成することを誓ふ。」

権利と義務という考えがあります義務を果たさない者は、権利を主張できないのです。ですから日本国憲法によって何らかの権利享受している日本国民は皆、「全力をあげてこの崇高な理想目的を達成する」義務を負っているのです。皆さんはこれまで、憲法の定める義務果たしてきましたか

現状、そうではない方が居たとしても、それは国民責任ではなく、そのための方法を示してこなかった政府の責任であると私は考えます理想目的を達成するために何をすればいいのかを国として国民に示さなければ、努力したくてもできないでしょう。

ですから私はこう話します。国民の皆さん、憲法精神を守り、平和貢献隊を創設し、世界に貢献していきましょう。そのためには皆さんの協力が不可欠です。平和貢献隊が、どの地域で、どの国に対して、どのような活動をすれば、一番効果的な働きができるのか一緒に考えてください。提案を広く募集します。また、平和貢献隊への入隊希望者も募集します。詳細は後程発表しますが、世界の人々の幸福日本平和のために、働いてはくれませんか。そしてまた、平和貢献隊をサポートしてくださる方も募集します。

そして何より、これらの活動を維持していくためには、私たち真の護憲派に対する皆さんの支持、投票が不可欠となります。「全力をあげてこの崇高な理想目的を達成する」ために何ができるのか、皆さん一人一人が良く考えていただき、その結果として真の護憲派に対する応援投票、参加が理想目的の達成に繋がると思われたならば、どうぞお力添えください。そして一緒に、「国際社会において、名誉ある地位を占める」日本国を創っていきましょう。

以上を持ちまして、私の所信表明演説とさせていただきます

ご清聴、ありがとうございました。

○○○○年○○月○○日、第○○○代内閣総理大臣 ○○○○

参考 日本国憲法前文

日本国憲法

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府行為によつて再び戦争惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威国民に由来し、その権力国民代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法法令及び詔勅排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互関係支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐ国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれ国家も、自国のことのみに専念して他国無視してはならないのであつて、政治道徳法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想目的を達成することを誓ふ。

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2025-07-02

anond:20250630154546

↑は、この匿名日記の2個前の匿名日記anond:20250628235025 に着想を得て、Gemini 2.5Flashと会話しながら作ったエッセイのようなものだったのだけど、これをさらチャットAIに読ませてみたら、各AIサービスごとに見事に差が出てビックリした。

それぞれでDeep Research をさせた結果を載せるね。

ぼくの主観的順位は、

  1. Gemini 2.5 Pro
  2. ChatGPT 4o
  3. ClaudOpus 4

第3位 ClaudOpus 4 でのディープリサーチによるファクトチェック

日本語エッセイ民主主義という『壮大な実験』」ファクトチェック報告書

8つの主要主張について、原典学術資料に基づく厳密な事実確認実施しました。古代ギリシャ政治哲学から現代アメリカ世論調査まで、幅広い分野の主張を検証した結果、大部分は正確である一方、重要不正確性も発見されました。

検証結果概要
正確な主張: 6件不正確な主張: 1件検証不能: 1件

古代政治哲学に関する主張は全て正確で、現代統計データも概ね正確でした。しかし、アメリカ独立宣言引用において重要な欠落が発見されました。

古代政治哲学の正確性が確認された記述
プラトンの『国家』における民主政批判

検証結果: 正確

プラトンは確実に民主政理想国家堕落過程における最終段階として位置づけ、僭主政への移行を警告しています。『国家』第8-9巻の原典から、「民主政自然僭主政を生み出し、最も極端な自由から最も極悪な形の僭主政が生まれる」との記述確認されました。

プラトン政体堕落論は、貴族政→名誉政→寡頭政→民主政僭主政の順序で展開され、民主政の「際限のない自由への欲求」が秩序を破壊し、デマゴーグを生み出すことで僭主政に至ると分析しています

アリストテレス政治学における民主政分析

検証結果: 正確

アリストテレスの『政治学』第5巻は、民主政不安定化と崩壊について詳細な分析提供しています原典では「民主政デマゴーグ支配されるとき最も転覆やすく、デマゴーグが富者に対する十字軍を率いるとき」との記述確認され、実際にアテネ等の具体例も挙げられています

ポリュビオス政体循環論

検証結果: 正確

ポリュビオスの『歴史』第6巻に記述されたアナキュクロシス政体循環論)は、主張通り王政僭主政→貴族政→寡頭政→民主政衆愚政の循環を提示しています。この理論は数百のギリシャ都市国家の観察に基づいており、後のアメリカ建国思想にも大きな影響を与えました。

歴史事実検証結果
古代ローマ共和制崩壊

検証結果: 正確

学術コンセンサスと一致する内容です。紀元前133年のティベリウスグラックス暗殺から27年のアウグストゥス即位までの危機過程における政治的暴力軍事的強者による内戦経済格差の拡大、制度破綻などの要因分析は、現代歴史学の標準的見解合致しています

重要不正確性:独立宣言引用

検証結果:不正

最も重要発見は、アメリカ独立宣言引用における重大な欠落です。

主張された引用文:

「全ての人間平等につくられ、創造主によって、生命自由幸福の追求という、ある種の不可侵権利を与えられている」

国立公文書館による正確な原文:

「我々は、これらの真理を自明のものとして受け入れる:すべての人間平等につくられており、創造主によって、生命自由幸福の追求を含む、ある種の不可侵権利を与えられている」

この欠落により、独立宣言哲学的基盤である自明の真理」という概念が失われ、文脈的意味が大きく変化しています

現代データ検証結果
CIA冷戦活動

検証結果: 正確

機密解除されたCIA文書と1975-76年の教会委員会報告書により、イラン1953年)、グアテマラ1954年)での政権転覆工作プロパガンダ活動心理作戦実施確認されていますモッキンバード作戦による報道機関への浸透、MKウルトラによる心理実験なども含まれます

ピュー・リサーチセンター調査

検証結果: 正確(軽微な数値差異

2022年4月実施調査(n=10,156)で、アメリカ成人の39%が「人類は終末の時代に生きている」と信じていることが確認されました。主張の「約4割」は統計的に正確です。調査は全国代表性を持つ手法実施され、宗教的人種的背景による大きな差異も記録されています

ブライヤー最高裁判事発言

検証結果:検証不能YouTubeアクセス制限

指定されたYouTube動画へのアクセスができないため、具体的な主張を検証できませんでした。ただし、2022年1月の退任発表では、アメリカを「進行中の実験」と表現し、民主主義制度への楽観的な信念を表明していることが複数の信頼できる報道確認されています

結論と推奨事項

このエッセイ古代政治哲学引用現代統計データにおいて高い正確性を示しています特にプラトンアリストテレスポリュビオス古典的政治理論記述は、原典学術コンセンサスに忠実です。

ただし、独立宣言引用における重要な欠落は修正必要です。この修正により、アメリカ建国思想哲学的基盤がより正確に伝わるでしょう。

推奨修正:

独立宣言引用部分に「我々は、これらの真理を自明のものとして受け入れる:」を追加し、思想文脈を完全に保持することを推奨します。

全体として、このエッセイ学術的に信頼性の高い内容を提供していますが、一次資料から引用については、より慎重な検証必要です。

第2位 ChatGPT 4o でのディープリサーチによるファクトチェック

承知しました。このエッセイ全体を対象に、歴史的・政治的主張や引用事実誤認がないか、またその解釈や論拠に不正確さや誤解を招く表現がないかを、批判視点から検証します。

確認が済み次第、主要ポイントごとに整理した上でご報告いたします。少々お待ちください。

1.エッセイ全体の事実検証

このエッセイに述べられている歴史的・社会的論点は、概ね史実資料に基づいており、大筋で正確です。古代ギリシア哲学者による民主政への批判プラトンアリストテレス)やポリュビオス政体循環論、ローマ共和政崩壊原因、アメリカ独立宣言理念冷戦期のCIA秘密工作現代アメリカの「ディープステート陰謀論福音派終末論世界観イスラエル支持、さら第二次大戦期のファシズム台頭の教訓など、多岐にわたる主張が展開されています。**これらの主張のそれぞれについて、史実との照合を行った結果、エッセイに明らかな虚偽は見当たりませんでした**。以下に、各ポイントごとに根拠となる事実関係検証します。

2. 論拠ごとの詳細な検証解釈

エッセイ説明はこのポリュビオス理論と一致しており、\*\*「民主政衆愚政へと堕落する過程」\*\*についての記述個人自由公共利益を損ない無秩序暴力に陥る)は、ポリュビオスが説いた民主政から無政府状態への移行と同じ現象を指摘しています。したがって、この点も史実に沿った主張です。

以上の歴史は、**どれほど堅固に見える政治体制でも、極端な経済格差権力闘争(安定した政権交代の仕組みがないこと)が内部矛盾となって崩壊しうる**ことを示していますエッセイ記述はこの歴史的経緯と一致しています

2025-06-30

anond:20250628235025

なるほど。以下ChatGPT`にお伺い立ててみた。はてな記法もある程度習得してるんだね。

近代民主主義崩壊歴史パターン

内戦ポピュリズムを中心に〜

目次

はじめに

選挙による独裁ポピュリズム

内戦による崩壊

軍事クーデター

制度形骸化

崩壊予兆と教訓

はじめに

民主主義崩壊は「外部から破壊」ではなく「内部から劣化」が主流

内戦ポピュリズム崩壊典型的パターン

フォーマル制度が維持されつつも、実質が失われる「偽装民主主義」も増加

パターン①:選挙による独裁ポピュリズム

キーワード多数派専制制度合法的破壊

国名 特徴

ドイツ(1933)ヒトラー合法的手続き独裁権掌握

ベネズエラポピュリズム制度破壊→一党支配

エリート言説と国民感情を煽るポピュリズム制度侵食

三権分立報道の自由・少数派の権利が徐々に奪われる

パターン②:内戦暴力による崩壊

キーワード:分断、暴力国家統治崩壊

国名 原因

スペイン 左右の分極化→内戦フランコ政権

レバノン宗派対立内戦機能停止

暴力対立司法選挙制度では吸収できなくなり、崩壊

外部勢力軍事介入や武装勢力の拡大も火種となる

パターン③:軍事クーデター

キーワード:軍の政治化、文民統制の失敗

国名 背景

チリ(1973)経済混乱→軍部の介入→ピノチェト政権

タイ政治混迷→複数回軍政

政治的混乱が長引くと「安定」や「秩序」の名の下で軍が介入

文民統制の失敗や司法議会の弱体化が要因

パターン④:制度形骸化

キーワード儀式化された選挙、形だけの民主主義

国名現象

ロシア選挙あり→実質的独裁

ハンガリーポーランド司法報道支配EUとの対立

民主制度は表面的に存在しているが、実質的権力分立市民参加が機能不全

与党に有利な制度改正言論統制が進む

崩壊予兆危険信号

危険信号説明

分極化意見の違いが「敵」と見なされる

政治暴力暴動テロヘイトクライム

メディア司法の弱体化 チェック機能崩壊

軍・警察政治暴力装置の私物化

選挙制度操作野党排除改憲による独裁

まとめと提言

民主主義崩壊「選挙」や「法」によって合法的に進むこともある

ポピュリズム、分断、制度疲労が三大リスク

対抗するには:

法の支配の徹底

市民教育メディアリテラシーの向上

包摂的な制度対話文化の育成

参考文献(例)

ティーヴン・レヴィツキーダニエルジブラット民主主義の死に方』

フェアバンクス『選挙による独裁

FreedomHouse 年次報告書

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2025-06-24

イラン国内高まる変革の機運――王政復古可能性と国際社会への影

イラン情勢は今、大きな転換点に差しかかっている。長年、イスラム法学者による統治体制を維持してきたイランだが、経済危機、若年層の不満、女性の権利をめぐる国際的批判、そして外交的孤立の中で、国内外において政権変革の可能性が現実味を帯びてきている。

特に注目されるのは、ハメネイ師に象徴される神権統治への不満が高まる中で、パフラヴィー朝復権を望む声が多くの市民の間で顕著になっているという点である。かつての王政期に対する再評価の動きが、都市部を中心に広がりつつある。

■ 神権体制への疲弊と「王政評価」の背景

現在イランの若年層は、1979年革命を直接経験しておらず、彼らの政治的関心は宗教的正統性よりも経済生活自由、そして国際社会との接続に向いている。特に近年は、王政時代の近代化政策西側との連携に対し「過去遺産」としての見直しが進んでいる。

皇太子レザー・パフラヴィー氏の発信もその流れを後押ししており、王政復権は一部の懐古的願望ではなく、現実的選択肢として支持を広げている。

2025年6月22日――核施設への攻撃が示した体制危機

特に注目されたのは、2025年6月22日米軍イラン中部のナタンズ、イスファハン、そして地下型のフォルドゥ核施設への軍事攻撃実施した事件である。いずれもウラン濃縮に関連する重要拠点であり、これらへの攻撃は、イランの核開発計画に対する国際社会の不信と、外交的対話の断絶がもたらした深刻な帰結だ。

この事案を受けて、イラン国内でも「なぜここまでエスカレートしたのか」という疑問と批判の声が高まりを見せている。特に重要なのは、核開発そのもの市民レベルで十分な説明や支持を得ていないことである国民の多くは、日々の生活の安定や国際的孤立からの脱却を求めており、軍事的誇示よりも経済再生を優先すべきだという意見が主流になりつつある。

王政復古と穏健外交がもたらす展望

仮にパフラヴィー家を中心とする穏健的な体制が再建され、西側諸国との協調路線採用するようになれば、これは中東地域全体におけるバランスの再構築に資する可能性がある。

イラン地政学的にイラクシリアアフガニスタンカスピ海ペルシャ湾と接しており、これまで多くの紛争代理戦争舞台となってきた。もし今後、現体制に代わって外交的対話協調を重視する政権が登場すれば、地域的緊張の緩和に繋がるという見方は、欧米諸国政策専門家の間でも広がっている。

特にアメリカにとっては、長年対立してきた強硬政権が転換され、国際秩序経済ネットワークに再統合されるパートナーが出現することは、戦略的にも経済的にも大きなメリットとなる。

経済連携と将来への希望

イラン人口規模、資源地理的条件において高い潜在力を秘めているが、それを十分に活かせていないのが現状だ。もし穏健かつ開かれた体制誕生し、対外的な信頼を回復すれば、日本EU米国など多国籍企業進出が進み、国内雇用インフラ教育など多方面において恩恵が期待される。

専門家の中には、イランが「かつての満洲国西ドイツのように、国際支援自主再建が両立するモデル」になる可能性もあると見る声もある。

象徴としての君主制国民統合

レザー・パフラヴィー氏が提唱するのは、専制的な王政ではなく、立憲君主制あるいは象徴君主制という形である欧州諸国におけるモデルのように、政治民意に基づく選挙で行われつつ、王室文化的歴史的象徴として国民統合を促すという提案は、イランの分断された社会において新たな一体感をもたらす可能性を秘めている。

未来を切り開く現実的選択肢としての王政復古

パフラヴィー王政の復活は、単なる過去への回帰ではなく、現実的改革と安定を求める民意の現れとして捉えられつつある。現体制の硬直性と対外的孤立に対し、開かれた統治と国際協調を目指す新しいビジョンが求められている。

6月22日の核施設への攻撃は、対立構造限界を迎えつつあることを示した。その先にある可能性として、より穏健で国際社会と歩調を合わせた新体制への移行は、今後のイラン中東全体の安定に大きく貢献しうる道筋として、静かに注目を集めている。

歴史的モデルとしての「満洲国」とパフラヴィー朝再建案

イランにおける政体転換の議論において、外交安保関係者の間で密かに参照されているのが、20世紀前半に東アジア形成された「満洲国モデルである。これは、当時の混乱した地域において、伝統権威清朝愛新覚羅溥儀)と近代国家システムさら外部支援国との戦略的連携を融合させた構造として一部で再評価されている。

このモデルの鍵は、「国家としての体裁正統性を維持しながら、安定と発展のために国際的枠組みに参加する」という柔軟なガバナンス設計にある。イランにおいても、パフラヴィー朝という王政歴史的正統性形式的に保持しつつ、現実的政策運営西側諸国、とりわけ米国同盟国との連携によって支える体制は、構造的に高い安定性を持ちうる。

中東全域への波及効果

このような形式政権は、国内外に対して「過激でもなく、弱体でもない穏健な秩序」を印象づけることが可能であり、実際にイスラエルサウジアラビアUAEなどとの関係再構築が期待される。また、シリアイラクの分断的状況に対しても、イランという地域大国が非宗教的・非イデオロギー路線を採ることは、域内バランスの再設計にとって極めて有益である

さらに、中央アジア南コーカサス不安定要素を抑止する役割も担える。つまり満洲国モデルに基づくパフラヴィー朝政権は、実質的に「中東の安定化装置」として機能し得るのである

米国戦略的利益との整合性

この種の構造アメリカ合衆国にとって有利であることは、軍事経済地政学のいずれの観点からも明らかだ。

軍事的には、イラン領内において極端な反米・反イスラエル拠点排除され、戦略上の不確実性が大幅に低下する。湾岸地域に展開する米軍兵站・展開計画にも柔軟性が生まれる。

経済的には、イラン石油天然ガス資源制裁を経ずに国際市場流通するようになれば、エネルギー価格の安定化に寄与するだけでなく、国際資本による開発プロジェクト特にアメリカ企業)への直接参入が可能となる。

政治的には、中東民主主義と安定の「模範国家」として、新しい価値観の枠組みを示す象徴存在となり、他の不安定国に対するソフトパワー投射にもなる。

加えて、王政という形式は、欧米共和制価値とは一見異質ながら、政治的流動性を低下させる「安全弁」として作用やすい。これは満洲国でも観察された事実であり、権威の安定と実務的運営の分離という政治的バランス設計思想として、再評価に値する。

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2025-06-23

石丸氏に見るチェックだけ地方議会

都議選議席0に終わった「再生の道」。その代表である安芸高田市長石丸伸二氏は「二元代表制たる地方議会政策提案力は不要で、チェック機能だけあればいい」と主張している。この発言に感化されている人も散見されるが、これはいささかチェック機能シンプルに考え過ぎているきらいがある。

政策立案執行首長行政役割議会はそれを監視するチェック機関に特化すればよい」というのは一見するとシンプルで分かりやす役割分担論に思える。実際、地方議会の現状として、条例提案の大半は首長から出され、議員発議の条例はごくわずかだ。行政主導型の実態は否めない。

しかし、それをもってチェック機関特化でいいとするには、前提の欠如がある。

そもそも「チェック」とは何か。その行為は必ず何らかの価値判断基準に基づいて行われる。

この予算案は適切か、この条例案は望ましいか審査判断する際に、どんな価値観理念に照らして適切とするのかを持っていなければ、意味のあるチェックはできないだろう。

価値判断なきチェックは、単なる形式確認に過ぎない。それならば、監査委員と似たような組織でいいという話にもなろう。

なお、その監査委員においても、3E監査経済性、効率性、有効性)で政策の成果や効果性の観点から政策改善提案することを行い始めている。では、地方議会には何が求められるのか。

今更書くまでもないが、日本地方自治体首長議会をそれぞれ住民が直接選ぶ二元代表制だ。この仕組みの目的は、住民の多様な価値観複数ルート行政に反映することにある。

仮に議会提案力も価値判断も持たず、行政形式的チェックだけを担う存在なら、住民が直接選ぶ意義は極端に薄まる。それこそ先述のように監査委員にその役割を任せれば事足りるのかもしれない。

地方議会の意義は、選挙により住民の多様な価値観を代弁し、価値観に基づいて政策判断を行い、審査し、あるいは提言することにある。

なお、面白いのは、石丸自身がその「議会のチェック機能」を尊重していないところにもある。彼が安芸高田市長時代に行った専決処分地方自治法179条)の乱発は知るところであろう。

本来専決処分災害などの緊急避難措置議会機能不全などの非常時などに限定されるもので、日常的に議会の反対を無視して首長権限で押し通す手段ではない。

議会はチェック機能だけでよいと言いながら、そのチェック結果を尊重せず、都合が悪ければ専決処分する。この姿勢は、形式的な議会すら軽視し、二元代表制の理念無視したある種専制的な発想ともいえよう。

提案力は不要、チェックだけでいい」という主張は一見合理的かもしれないが、実は政治価値判断という営みを抜き落としたナイーブ構造であると言わざるを得ない。何より、提唱する本人がそのチェックを軽んじていたのだから、なおさら空虚ものである

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2025-06-18

大韓民国」と「李氏朝鮮」は厳密には異なる国家体制理念を持つ、連続性の曖昧存在です。ゆえに、「現在大韓民国物語」として朝鮮王朝の遺産をどのように取り入れるかには、歴史的政治的な緊張と選択が常につきまといます

以下にその問題を整理してご説明します。

大韓民国李氏朝鮮国家としての「断絶」と「接続

◆【断絶の側面】

体制がまったく異なる:李氏朝鮮専制的な君主制大韓民国自由民主主義資本主義採用する共和国

法的継承性がない:大韓民国は、日韓併合日本統治を挟んで1948年に成立しており、李朝制度を直接継承していません。

建国理念が異なる:大韓民国1948年に「反共」「民主主義」「近代国家」などを掲げて建国された近代国家であり、儒教的身分制度もつ李朝価値体系とは根本的に相反します。

この点から言えば、「大韓民国国家物語」は、李氏朝鮮とは別個の近代国家としての物語で語られるべきという考え方には、筋が通っています

国家物語における「分離」か「包摂」か

大韓民国という国家の自立性を強調するならば、「王朝文化復元」に依存せず、建国後の民主化産業化・市民運動などを軸に物語構成すべきではないか

この問いは極めてまっとうです。そして実際、韓国国内でもそれに近い主張は存在します。とくに1980年代以降、民主化運動・光州事件経済発展などの近現代史を中心としたナショナルストーリーの強化がなされてきました。

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2025-05-18

anond:20250518122008

じゃけん民主制限界なのよ

これから専制貴族主義トレンド

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2025-05-08

ChatGPT、だいぶ信用できないな

油淋鶏について調べてたら論文が出てきたからそのPDFを食わせて要約を頼んだんだけど

https://www.jstage.jst.go.jp/article/kjoho/2/1/2_3/_pdf

 

その結果がこち

 

この文書は「第二部第三章 近代国家形成市民生活」に関する学習資料です。以下のようなポイントが中心です:

 

1.近代国家形成

主権国家の成立

近代国家は、絶対王政啓蒙専制などの支配体制を経て形成された。ルイ14世のような王権神授説による支配がその例。

 

国民国家の登場

フランス革命アメリカ独立革命を通じて、国民主権を持つ「国民国家」の考えが広まった。

憲法議会国民軍などの制度が整備された。

 

2.産業革命市民社会

イギリスから始まった産業革命

機械化・工場生産により都市化が進行し、資本家労働者という階級形成された。

 

市民革命市民階級

経済力を持った市民政治参加を求め、参政権拡大や社会改革を推進した。

一方、労働者は劣悪な労働条件貧困に直面し、労働運動社会主義思想が発展。

 

3.国民統合と教育軍事

義務教育徴兵制

国民統合の手段として義務教育徴兵制が導入され、国家意識を高めた。

読み書き・歴史教育により国民としての自覚を育成。

 

4.国家個人関係

国家干渉個人自由

自由主義思想に基づく国家への制限法の支配)が求められた。

しかし、戦争社会保障の必要から国家の介入も拡大。

 

この資料は、近代国家がどのようにして誕生し、社会市民生活がどう変わったかを学ぶためのものです。

 

は?

食わせたPDFにはイチミリもそんなこと書いてないよね?

油淋鶏の由来と謎しか書いてないよね?

 

その後、タイトルを復唱させてから再度要約させたらちゃんとした内容が出てきたんだけど

最初になんで食わせたファイルの内容と全く関係ない内容を出してきたのかマジでわからん

AIがそんなことをする意味分からんというか

まだ文書の要約の仕方が適切ではないとかならわかるけど、全く関係ない内容出す意味分からん

そもそもその内容はどこからとってきたんだよ

 

追記:本人に聞いてみた。

ユーザーPDFアップロード

→ 直後に「要約お願い!」という非常に一般的かつ短い指示。

 

PDFの中身を分析する前に、旧い“メタデータ予測”が働いた可能

ファイル名が 2_3.pdf だったため、これを

教科書の第2部第3章」=「近代国家形成市民生活」と誤って類推した可能性があります

これは、文脈なしで「2_3」という文字列を見たときありがちな学校教材パターン言語モデル勝手予測したものです。

 

③ 実際のPDFを読む前に、その予測ベースに回答してしまった

本来なら内容を読み込んだ後に要約すべきところ、初動で誤ったテンプレ回答を出してしまった。

ファイル名と指示から一般的にコレであろうという回答をとりあえずしちゃった。

みたいな感じらしい。

納得はできかねるけど「そういうこと」をやるようなもんなんだなってことが分かったのは収穫。

Permalink |記事への反応(1) | 10:10

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2025-04-24

anond:20250424114813

大体同意で、自分トランプ当選したあたりから民主主義限界を感じてきてた。かといって(日本では)専制主義でまともに回せるような政治家イメージがわかない。

圧倒的なリーダーを探すよりも、貴族制のような一部の支配層に正してもらう方がいいのかもしれない、となんとなく感じている。それを選出するための方法として元増田提唱する傾斜配分票案は同調できる。

当然、支配層による癒着が横行することで荒廃することも当然考えられるので、自分自身でもいい案が思いついているわけではない。

とはいえ、同じような考えを持っていた元増田意見を見られてよかった。

Permalink |記事への反応(1) | 19:01

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2025-04-15

anond:20250414112430

表現の自由歴史的背景は、国によって異なる。

そんな視点で以下、自分用のメモとして長文を残す。あえて言論自由の優位性といった憲法理論をガン無視するが、どんな規制が適切かといった考えから離れることで、表現の自由の失われた状況の風景みえることもある。

++

とくに「表現の自由による暴力(不法行為性)」をどこまで許容するかが重要視点だ。欧米日本では大きく違う。

フランスでは、あらゆる権利が「尊厳ある生」を守るための抵抗に原点を持つ。

その意味で、社会運動ストライキ争議権)と、表現の自由は同じ線上にある。たとえば、名画にペンキをかける環境団体抗議活動日本では即座に「環境テロ」として報道されるが、英仏では「レジスタンス抵抗運動)」という言葉がより広く使われていた様子だ。これは体制に対して暴力的に抗う行為意識しているからだ。

環境問題に限らず、農家などの過激な抗議行動(輸入品増加に抗議した放火破壊行為など)や、労働争議においても同様だ。フランスでは、国家や大組織による構造暴力に対するカウンターとしての「市民による尊厳を守るための抵抗」に心情的な理解が寄せられる。犯罪としての側面を否定しないまでも「レジスタンス」は革命以来の伝統という認識フランス社会は共有する。

その背景には、18世紀カトリック教会が「真理の解釈権限」を独占していた時代に、啓蒙思想が登場し、科学合理性武器公共空間を構築し、新たな政治制度模索した原体験がある。「神を冒涜する権利」は、黎明期政教分離文脈から分化した表現の自由の形であった。

一方、アメリカ表現の自由の出発点は、事情が少し違う。

制度の根幹に「科学合理性」や「絶対的真理」は置かれていない。むしろ、人それぞれ真理と信じる”信念”があり、誰も完全な真理に到達していない、という前提がある。この考えは巡礼始祖たちの宗教的多様性の中で育まれ、やがてプラグマティズムに吸収され、「思想の自由市場」(O.W.Holmes)という発想へとつながってゆく。

もっとアメリカでも、20世紀半ばまでは「有害言論の内容規制」が志向されたが、判事たちはそのたびに建国思想巡礼始祖の理念に立ち返り、「有害表現定義できない」という議論に収まった。1970年代には「社会不協和音こそが強さの証」とまで言い切る判決(1971)もあった。司法ヘイト規制消極的かつゾーニング規制シフトしてゆく歴史がそこにある。

トランプの出現などリベラル保守のあまりの違い、それでも国家として成り立つ社会。それを支えるのは、「一致しないままでも共存できる」という、個人主義を基盤とした社会の強さだ。

一方で日本は、「価値観の不一致」に不安を感じる社会だ。

会社でも地域や家庭でも、できるだけ摩擦を避けたい。コロナ禍での自粛違反者への度を越した非難などに表れているように、「他人迷惑をかけるのは不徳だ」という感情が深く根付いている。

この「迷惑感情」は、表現の自由制限する根拠として働きうる。憲法学では人権制限原理は「公共の福祉」として整理されるが、実態としてはその時々の「社会空気」に左右されがちだ。たとえば、受忍限度論という法理をとってみても、それ自体迷惑感情社会的「耐性」の程度を空気から測るものにすぎない。日本人の考える公共フランス人の考える公共とかなり異なる。

電車CM強制音声に対する訴訟「囚われの聴衆」事件1987年最高裁)では、そうした「空気」に抗う個人の主張が結局退けられた。受忍限度という大義名分の下で、「それくらい我慢しろ」と結論づけられたわけだ。迷惑感情による秩序そのもの否定するわけではないが、空気として内面化されすぎると、異論や異質さの排除へとつながりやすく、かつ世代間、階層間の認識ギャップという課題に直面する。

フランスとの比較でもう少し考えてみよう。

日本には、フランスのように「尊厳のための抵抗」を肯定する文化がない。絵画ペンキを投げれば即「テロ」として断罪される。暴力抵抗が「歴史ある社会の声」として認識されることはない。

水俣病初期の漁民暴動、60〜70年代国鉄病院のストを見ても、「迷惑感情」が前面に出て、GHQが持ち込んだ争議権は本当の意味では社会根付かなかった。正規雇用では労使協調路線非正規雇用は分断が続いているのが現状だ。ストライキがなお社会的に力をもつフランスとは対照的だ。

全農警職法事件国家公務員の争議権全否定1973年最高裁)、75年の国労スト権ストは、日本社会が「暴力的な表現や行動」との距離感を決定づけた分岐点となった。

暴れる新左翼へのストレスが頂点に達し、迷惑を嫌った大衆心理が、最終的に「暴力容認しがたいもの」と司法行政に決着を迫った形だ。

こうした着地は、人権市民一人一人の体験として自ら闘って獲得してこなかったという、日本社会構造限界を示しているのだろう。

日本社会における「市民による暴力抵抗」が断罪されやすい背景には、市民の行動が過激ものに映じるの対して、しばしば国家行政の抑圧や不作為は、暴力として認識されず、社会の中で可視化されにくい構造がある。水俣病における行政不作為反原発運動に対する過剰な監視、あるいは災害被害者の声の届きにくさなど、国家による制度暴力不作為の積み重ねに対して、市民が抗いの言葉を発するとき、その言葉とき過激さを帯びるのは当然の帰結でもある。だからこそ、表現暴力性だけを批判的に切り出すことは、構造非対称性再生産になりかねない。

構造的な非対称に加えて、もうひとつ重要なことがある。それは市民一人ひとりが権利意識再生産するための「思い出」や過去の教訓を忘却やす社会ということだ。

欧米でいう「人権」とは、突き詰めれば「こういう社会には戻りたくない」という歴史体験からまれる(米仏だけの例で暴論は承知の上)。その教訓を社会を生きる一人ひとりが繰り返し思い出すこと、それが人権ボトムアップ的な再生力だ。

しかし、日本では「権利」は「国家が授けるもの」として明治以来、教育されてきた。敗戦までその構図は変わらず、戦後アメリカが新しい憲法人権を与える側に回った。この付与される構造が、今日日本においてもなお、自由をめぐる議論憲法制度論に終始してしまう要因になっている。

だとすれば、今あらためて必要なのは自由の意義を自分たちの歴史体験として取り戻すことだ。

特に敗戦前後記憶――若者人間爆弾にし、それを大人が見送っていた時代。そして敗戦後、手のひらを返すように価値観を変えた、あの社会の激変こそ戦後日本原体験であり、空気に逆らう力を考える出発点であるべきだ。

++

ここからは、戦後日本映像表現の潮流に視点を移す。

戦後社会」と呼ばれる時期―おそらく平成初期まで―に見られた日本映像表現には、大きく三つの傾向があったように思う。

1. 既成の価値観への反抗

戦中派から戦後世代はかつての「正しさ」に対して疑いを抱き、積極的破壊しようとした。

映像作品での典型例として、岡本喜八を挙げたい。軍や国家権力風刺し、戦時空気を相対化する『肉弾』(1968年)は象徴的だ。

表現体制批判自己解放手段だった時代道徳国家価値観への反抗心がそれを後押ししていた。

「反抗」というテーマは、家族内の世代対立ないし嫁姑問題80年代の校内暴力管理教育という軸での「反抗」など形を変えて表現された。

2. 新しいアイデンティティ模索

高度経済成長のもと、戦後社会は猛烈な速度で変化し、かつて「当たり前」だった家族のあり方、地域風景は急速に姿を消した。

そのような変化の中で、新しい「自分らしさ」を探すような表現が生まれた。家族崩壊再生を描いた「岸辺のアルバム, 1977」は社会に衝撃を与えた。

3. 失われゆく価値観への郷愁

こうした変化に対する不安喪失感は、郷愁としても現れる。

山田洋次の『男はつらいよ』では、理想の家庭像を夢見るも決してそこには迎え入れられない寅さんという存在を描き続けた。

倉本聰の『北の国から』では、泥付きの一万円札をめぐる暴力沙汰などを通して、「義理人情」や「恩を忘れぬ人間関係」が描かれた。

スクール☆ウォーズ」に代表される大映ドラマにおいては、努力根性家族の絆といった「倫理」が過剰なまでに押し付けられる一方で、それは裏を返せば、かつては当然のように共有されていた義理人情倫理が、社会の中で揺らぎ始め、もはや社会がその正しさを自信をもって教えられなくなっていた時代の反映ともいえる。任侠映画の「落とし前をつけさせてもらいます」というカタルシスもまた、現代社会ではとうに失われた暴力的「自力救済」への郷愁でもあった。

この三つ――反抗、自分探し、郷愁――が、戦後日本表現の中心テーマであった。いずれの表現にもどこかに心情的共感を呼ぶやむにやまれぬ加害内包していた。そこに着目すべきだ。

「反抗」の終焉表現行為暴力性をめぐる葛藤

この三つのうち、「戦前価値観への反抗」は、戦前世代が退場するにつれ次第に衰えていった。最後の強烈な反抗例として、敗戦後に上官が行った部下の処刑告発した『ゆきゆきて、神軍』(原一男1987年)を挙げることができる。

奥崎謙三狂気。上官を告発し、天皇パチンコ玉を撃ち込むなど、常軌を逸したようにも見えるが、そこには彼なりの倫理がある。表現行為が、敗戦前後記憶を呼び覚まし、組織における人間関係―「上官と部下」「国家個人」―に対して強烈な問いを投げかけていた。

しかし今、このような強烈な表現は久しく見かけなくなった。反抗への共感はある特定世代記憶に留まり引き継がれない傾向が見て取れる。あたか社会全体にノイズ耐性が失われたかのようだ。

かにつけ「コンプラ違反」として簡単に切り捨ててしま社会。「こんなの今の時代にはムリ」と。例えば、中井貴一がある制作現場で呈した疑問は示唆的で、全体にバイオレンスドラマなくせに、コンプラ配慮たばこポイ捨てシーンだけがNGになったことがあった。それは思考停止ではないか

奥崎のような過激手法であっても、そこに社会権力構造に対する本質的な問いが込められているならば、無視できない重みがある。原一男ドキュメンタリーは、まさにそうした問いを突きつけるものだ。

ドキュメンタリーという暴力からみえもの

ドキュメンタリー手法に内在す加害性も多くの示唆を与える。

ゆきゆきて、神軍』のようなドキュメンタリーなどの手法には、つねに「出演者の許諾は取ったのか?」という問いがつきまとう。

伊藤詩織氏の『BlackBox Diaries』に対する映像や音声の使用をめぐる批判が良い例だ。「フェアユース正当化可能」とする声(中根若恵)もあれば、「権力犯罪を暴く表現であればOK」という立場原一男)もある。しかし、原自身も認めるように、たとえ告発目的であってもセルフドキュメンタリーには「現実自分に都合よく再構成する」危うさがある。無条件の承認はありえない。その語りが私的物語にとどまらず、社会的な意味を持つためには、他者に開かれた語りに昇華される必要がある。

では、表現行為に内在する「やむにやまれぬ加害」を評価するのは誰か?

最終的には司法だとしても、まず問われるべきは、共感を持って応える観客であり市民である

コンプラ違反を恐れて、表現物が公開前に修正されてしま社会――それが望ましいのか?

私は、暴力性を含んでいても、その中に真摯倫理があり共感可能性のある表現ならば、それは世間に問うてよいと思う。それを受け止める権利もまた市民にある。内部告発/公益通報もまた、不法行為公益性のはざまにあるという意味奥崎謙三の反抗と地続きだ。兵庫県職員告発とその後の県知事対応は耳目を集めたばかりだ。

空気にあらがえるかが試金石

今の日本社会において、「表現内包する暴力に対する寛容さ」はきわめて低い。

敗戦体験した世代がいなくなり、記憶として残っているのは「国鉄ストの迷惑」「新左翼暴力」「オウム事件の恐怖」など、暴力に対するアレルギーばかりだ。

一宿一飯の恩義といった価値観は薄れ、市民暴力的な自力救済抵抗運動共感しなくなっている。

コンプライアンスに敏感な時代からこそ、私たちはもう一度、「表現の自由とは何か」を原点に立ち返って考える必要がある。

かつてトクヴィルは、革命後のフランスに、公共の名のもとに行われる言論統制など専制洞察した。一方、アメリカ民主社会には、世論専制という別の危険をみた。制度的な保障はあっても、多数派少数意見排斥するような雰囲気社会が醸成すると実質的自由は奪われる、との黎明期アメリカ社会への洞察は、現代キャンセルカルチャーなどの課題を予見している。

――暴力性を含み得る表現に対して、我々はどのような態度を取るのか。その暴力倫理的な共感はあるのか。どんな社会私たちは避けたいと思っているのか――

憲法理論制度保障を語る上では有効であるしかし、表現規制論だけでは上記のより根源的で実存的な問いには答えられない。「制度いか自由を守るか」ではない議論必要だ。自由擁護する倫理共感の土壌がなければ、制度簡単形骸化する。「抵抗」とか「不協和音の強さ」とまでいわないまでも何か核が必要だ。

社会同調圧力空気に抗ってその問いを突きつける力、受け止める力が社会から失われたとすれば、それは表現の自由が失われた社会だと思う。

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2025-03-02

anond:20250302183107

要約

この投稿では、アメリカウクライナを見捨てることの影響について論じられている。

1.ブダペスト覚書の意義

 1994年ウクライナが核を放棄した代わりに、米英露が独立主権尊重すると約束したが、ロシア侵略アメリカ支援の不確実性によって、その信頼が揺らいでいる。

2.ウクライナ支援の削減がもたらす影響

 アメリカウクライナを見捨てると、

 -ロシア勝利プーチン領土拡大が加速し、東欧諸国が次の標的になる。

 - 核不拡散体制崩壊 → 核を手放したウクライナ侵略されたことで、北朝鮮イランなどが「核を持つべき」と確信する。

 -同盟国の信頼喪失NATO諸国台湾が「アメリカ約束を守らない」と疑い、自衛のために動く。

 -国際秩序崩壊専制主義の台頭、西側の弱体化、ドル基軸体制への不信が進む。

3.歴史の教訓

 チェコスロバキア1938年)、ベトナム1970年代)、アフガニスタン2021年)の例を挙げ、アメリカ撤退するたびに敵対勢力増長し、より大きな戦争が起こったと主張。

4.結論

 ウクライナを見捨てることは「短期的な平和」を得るが、「長期的な混乱と戦争」を招く。自由主義国際秩序終焉につながる可能性があり、独裁者に譲歩することはさらなる戦争を呼ぶ。


---

主張の妥当

筆者の主張は、論理的には一貫性があり、歴史的な事例とも整合する部分が多い。特に以下の点は妥当性が高い。

1.ブダペスト覚書と核不拡散関係

 ウクライナが核を放棄した結果、安全保障されなかったことは事実であり、今後、他国が「核を手放すと危険」と考える可能性は高い。特に北朝鮮イランのような国が「核こそが安全保障の鍵」と結論づけるのは現実的懸念だ。

2.ロシア領土的野心

 ロシアウクライナ勝利すれば、モルドババルト三国などに圧力を強める可能性は十分ある。プーチンは「ロシア帝国の復活」を掲げており、侵略正当化歴史的な前例クリミア併合など)を利用してきた。

3.アメリカ撤退同盟国の不安

 アフガニスタン撤退後、台湾日本でも「アメリカは本当に守ってくれるのか」という議論が起きた。NATO諸国も「アメリカ頼みでは危険」と考え、独自防衛力強化を進める可能性がある。

4.歴史の教訓

 1938年ミュンヘン会談ナチスへの譲歩)、1970年代ベトナム戦争終結共産圏の拡大)、2021年アフガニスタン撤退タリバン復権)は、確かに「譲歩によって敵が増長した」例として使える。筆者の指摘は歴史的な事実と一致している。


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主張の限界

ただし、以下の点については、やや過剰な懸念単純化が含まれている。

1.アメリカの「見捨てる」可能

 トランプ政権ウクライナ支援を削減する可能性はあるが、完全に見捨てるとは限らない。軍事支援を減らしても、外交経済支援継続する可能性もある。共和党内でも意見が分かれており、一部は「ロシアを利する行為」だと反発している。

2.ロシアの次の侵略可能

 ロシアバルト三国ポーランド軍事侵攻するリスクはあるが、NATO加盟国への攻撃は**NATO第5条(集団防衛)**を発動させ、米欧の軍事介入を招くため、リスクが高すぎる。ウクライナとは状況が異なる。

3.ドル基軸体制崩壊

 アメリカの影響力が低下する可能性はあるが、ドル基軸通貨短期間で崩壊する可能性は低い。中国ロシア代替システムを構築しようとしても、信頼性流動性の面でドルの優位性は依然として強い。


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総合評価

筆者の主張は概ね合理的であり、特に核不拡散ロシア拡張主義アメリカ同盟国への影響については妥当性が高い。しかし、アメリカが完全にウクライナを見捨てる可能性や、NATO諸国への即時的な侵攻、ドル基軸体制崩壊についてはやや誇張がある。

したがって、この投稿ウクライナ支援重要性を示す有力な議論ではあるが、過度に悲観的な側面も含んでいると評価できる。

Permalink |記事への反応(0) | 20:46

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ブダペスト覚書のパラドックス

アメリカウクライナを見捨てたらどうなるか?そんな考えすら恐ろしいが、トランプ政権姿勢を見ていると可能性はゼロじゃない。自国第一主義を掲げるトランプが「感謝しろ」と言うとき、その裏には「これ以上の支援はしない」という暗示がある。

この問題根底にあるのがブダペスト覚書だ。1994年に締結されたこの覚書は、ウクライナ世界第3位の核保有国としての地位放棄する代わりに、アメリカイギリスロシアウクライナの「独立主権既存国境尊重する」と約束したものだ。この覚書があったからこそ、ウクライナ安心して核兵器ロシアに引き渡した。

ブダペスト覚書は単なる外交文書ではない。それは核不拡散体制の根幹を支える信頼の証だった。「核を放棄すれば安全保障される」という約束がなければ、各国は競って核武装する道を選ぶだろう。

もしアメリカウクライナへの支援を大幅に削減したり、プーチンの条件で和平を強制したりするなら、その影響は単に一国だけの問題ではすまない。世界秩序全体を揺るがす連鎖反応が起きるだろう。

まず直接的には、ロシア勝利することでプーチンの野望が肯定される。「力こそ正義」という原始的国際関係観が21世紀に復活することになる。ロシア領土的野心はウクライナで止まらず、モルドババルト三国さらにはポーランドなどの旧ソ連圏・東欧諸国へと拡大する可能性がある。

次に核不拡散体制崩壊する。ウクライナの事例は「ブダペスト覚書のパラドックス」とも呼べるものだ。核を放棄して国際的約束を信じた国が、最終的に侵略され、約束した国々から十分な保護を受けられないという皮肉北朝鮮イランのような国々は「見ろ、核を手放せば滅びる」と確信するだろう。

ウクライナ外相のドミトロ・クレバFOXニュースで「当時もしアメリカが、ロシアとともにウクライナ核兵器を奪わなかったら、より賢明な決定を下すことができただろう」と述べたことは重い。核抑止力の現実を痛感する発言だ。

さら同盟国の信頼が崩壊する。NATO加盟国は「アメリカブダペスト覚書すら守れないなら、NATO第5条も守れるのか」と疑心暗鬼になるだろう。台湾も自らの立場不安視し、中国との関係を見直すかもしれない。結果として、アメリカ主導の同盟システム全体が機能不全に陥る危険性がある。

こうした信頼崩壊経済安全保障にも波及する。ドルを基軸とする国際金融システムから離脱模索する国が増え、ロシア中国が主導する国際秩序への移行が加速するだろう。

何より深刻なのは専制主義の台頭だ。プーチン勝利世界中の独裁者勇気づける。「民主主義は弱い」「西側は衰退している」というナラティブが強化され、権威主義体制国際的にも国内的にも正当化される。結果として民主主義諸国孤立し、弱体化する。

歴史は繰り返す1930年代チェコスロバキア放棄1970年代ベトナム撤退2021年アフガニスタン撤退、そして今、ウクライナ。その度にアメリカ威信は低下し、敵対勢力は大胆になってきた。

結局のところ、ウクライナを見捨てることは短期的な「平和」と引き換えに、長期的な混乱と戦争リスクを高めることになる。それは単なる地政学的な後退ではなく、第二次世界大戦後に築かれた自由主義国際秩序終焉意味するかもしれない。1938年ミュンヘン会談の教訓を忘れてはならない。独裁者に譲歩すれば、より大きな要求が続く。そして最終的には、避けられたはずの戦争がより大きな規模で起こることになるのだ。

ブダペスト覚書を守れなかった失敗は、もはや取り返しがつかないかもしれない。でも少なくとも、その教訓から学ぶことはできる。

Permalink |記事への反応(12) | 18:31

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2025-02-03

なぜ、昨今資本主義機能不全に陥ってるのか?

自由民主主義資本主義を信奉する自由主義陣営、いわゆる西側諸国の近年の凋落についての考察

眠れなくて思いついた文章をなぐり書き、供養。

資本主義とは何か?

そもそもなぜ資本主義発明されたのか?なんのためのものなのか?

それは民族集団間の生存競争で優位に立つこと。特に工業力で優位に立つこと。他の民族よりも優れた兵器交通手段通信手段を持つこと。

その最たるもの産業革命

19世紀列強は、日本を除くアジア中東アフリカの旧世界民族を、産業革命で得られた圧倒的な工業力で突き放し、隷属させ植民地化するのに成功

20世紀共産主義との戦い。今度は経済戦争を繰り広げ、これに西側自由主義陣営勝利

自由主義民主主義資本主義。これが最強の組み合わせ。自由主義イノベーションを促進し資本主義による苛烈競争技術革新を引き起こす。

まり資本主義社会自己鍛錬を促進して、成長を促す。共産主義競争が起こらないから腐敗、堕落して自己崩壊した。

社会システムの見事な勝利

21世紀はどうだ?

無敵に思われた自由主義陣営が、凋落しているように見える。

虚業(金転がし)に傾倒し、産業空洞化。泥臭いモノづくりなんて誰もやりたがらない。第三世界との技術力の格差は縮まるばかり。

事実を列挙すると、GDPではG7BRICS陣営に抜かれた。購買力平価ではロシア日本を抜いて4位に。貿易額の一位の相手国を示した世界地図で昔は青(アメリカ)一色だったのに今では赤(中国)で塗りつぶされてる。

そして、西側諸国産業空洞化顕在化したのはウクライナ紛争いくら金を注ぎ込んでも砲弾供給量はロシア一国の三分の一程度。戦争キーファクター中国が露宇両国提供しているドローン供給量にかかっているといありさま。

なんでだ?なんで負けてるんだ!中国みたいな専制主義では、猿真似パクリはできても真のイノベーションは成しえなかったのではないのか?

凋落の原因は何か?

今の資本主義凋落の原因は、「金融経済肥大化」と「グローバル化」にあるんじゃないかと思ってる。

そもそも資本主義が何のために生まれたのか。自分民族集団を他の民族集団より優位に立つこと。優れた技術工業力、生産力を成長させ、維持すること。

すなわち、大事なのは実体経済

しかし、資本主義教義は利潤(お金)を最大化すること。GDPしかお金本来実体経済指標に過ぎないものなのに、それが独り歩きし始めたこと。これが「金融経済肥大化」。

あとは「グローバル化」。民族の中で完結すべきもの地球全体のサプライチェーンに組み込まれた、または拡張された。

金融経済肥大化」と「グローバル化」が組み合わさると、泥臭くて儲けの薄い、実体経済の部分が海外にアウトソースされるようになってしまった。

本来自分民族集団が保持すべきもの原初資本主義目的だったものをアウトソースしてしまうようになってしまった!

金にならないからと初めは工場を、次に開発設計を、しまいには事業ごと海外に売却。

ここには何が残っている?株がある?知的財産がある?

これが全て日本国内のようにちゃん法治されていれば、株主資産家になって不労所得でウハウハなのかもしれない。しかし、国家同士の国際社会弱肉強食ある意味無法地帯。「庇を貸して母屋を取られる」ような状態になってるのが今ではないだろうか?

以下、寸劇。

日本企業「うーん、今年の成長率のノルマどう達成しようかなあ。粗方思いつくことはやったし、研究開発に投資するのもダルいなあ。」

日本企業「中国人件費は十分の一?!国内の工員全員クビにして中国工場移すだけでノルマ達成できるやんけ!」

日本企業「開発設計日本でやってるから実質made in japan みたいなもんやろ!」

日本企業「ほーん、こいつらなかなか器用やん。開発設計も丸投げでいいか最後ブランドシール貼ってとw」

日本企業「もう事業持ってる意味なくない?事業所やら人件費やら金かかるねん。株さえ押さえておけばチャリチャリンやで。不労所得ウマーw」

日本企業「ちょっ!なにリバースエンジニアリングして技術流用してるねん!はぁ?勝手に競合製品つくって第三国販売するな!輸出規制してる国に売るな!おれは株主なんだぞ!言うことを聞け!知的財産!訴えるぞ!経済制裁!!」

中国「はぁ?なんだこいつ。口だけの自分では何もできないカス。お前はこうだ。」

(ブチッ。)

Permalink |記事への反応(2) | 21:04

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2025-01-26

昭和天皇は大量殺戮である。崇拝、尊敬をしている日本人ヒトラーを崇拝しているネオナチと同レベルである

昭和天皇1945年以前までは主権者であった。

大日本帝国憲法をよめば自明でありこれを否定するものは無教養である

大日本帝国憲法では天皇大元帥、つまり日本軍総司令官である

当然開戦する権限ある。

当然戦争を開戦したのも天皇である

歴史学者山田朗氏もこう述べている。

 「違います。41年9月6日に開かれた御前会議の時点までは、確かに天皇は開戦を躊躇(ちゅうちょ)していました。しかし側近の日記や軍の記録などから見えてきたのは、そのあと天皇戦争への覚悟を決めていく姿でした」

 「10月には宣戦布告詔書の作り方を側近に相談しており、11月には軍の説く主戦論に説得されています。最終的には天皇は開戦を決断したのです」

https://digital.asahi.com/articles/ASS863DKVS86UPQJ00WM.html

ネトウヨゴミクズのような保守が「天皇戦争回避しようとしていたんだあああああああああああ」という戯言を述べるが主戦論に説得されて開戦したのは天皇である

故に開戦する権限があったのは天皇であり開戦したのも天皇でありその責任天皇である

この戦争により二千万人以上が犠牲になった。

日本は15日、ポツダム宣言受諾による70回目の終戦記念日を迎える。北京郊外、盧溝橋での中国軍との衝突に始まった戦火は最終的に東南アジア太平洋を席巻し、同地域全体では2000万人を超える軍民が犠牲となった。大日本帝国欧米植民地主義から解放戦争喧伝(けんでん)したが、「大東亜共栄圏」のためにアジア同胞からあらゆる点で収奪した。」

https://mainichi.jp/articles/20150814/mog/00m/040/006000c

当然この二千万人の犠牲は全て天皇責任である

また、各地での収奪レイプなども天皇責任である

千万人と言う数字ヒトラーを超える数字である

まさしく大量殺戮者であり極悪人ある。

昭和天皇を崇拝するネトウヨゴミクズ保守はまさしくネオナチでありクズである

バカネトウヨ

アメリカ中国虐殺したんだあああああああ」

というクソみたいな理屈を並べ立てる。

小学生レベル理屈である

他の国がしていたか虐殺をしていいと言う理屈などどこにもないのである

第一大日本帝国が行った戦争にはなんも正当性はないのである

なぜなら大日本帝国専制主義国家からである

民主主義人類普遍原理であり、専制主義は常に悪である

なぜなら、そもそも主権国民にあるものからである

自然権があり社会契約をするのは国民である

要するに主権(=憲法制定権力)を握るのは自然状態では国民なのである

それが他のものに渡っているということは「簒奪」以外の何者でもないのである

故に民主主義人類普遍原理であり、専制主義主権簒奪である

専制主義体制のものが不当な暴力体であり、「たとえ防衛戦争であっても」それを守ることは許されないのである

不当だからである

不当を守ることは不当だからである

我々日本国民合意により成立している日本憲法にも

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威国民に由来し、その権力国民代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。 これは人類普遍原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。 われらは、これに反する一切の憲法法令及び詔勅排除する。」

https://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/about/a002.htm

と書かれてるように、民主主義人類普遍原理とし、それに反する専制主義排除することが書かれている。

日本憲法国民合意により成立してる内容であるため、上記の内容は私だけでなく日本人のほとんどが賛成する内容である

不当な戦争を行い二千万人を殺し、各地で奴隷化を進め、強姦を各地で起こした大量殺戮昭和天皇は明確な人類である

彼を崇拝する日本人はクズである

Permalink |記事への反応(0) | 05:20

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2025-01-15

進撃の巨人」の感想(主にユミル

2024-25の年末年始は「進撃の巨人」のアニメを一気見したので感想(主にユミル)。

ユミルはフリッツ王家から巨人発注されたら「道」で水と砂をこねて巨人を作ってた。発注内容にもよるが基本的には元となる人間を模して作られていて、ユミルに造形の才能があったのなら、かなり早い段階でもともと人間だという考察が得られただろう。

つの巨人は「こういうのがほしい!」って発注されたやつで、最終的には九つだがサ終した巨人もいたのかもしれない。要件定義ちゃんとせなあかんオカピ巨人は「かわいいの!」って発注されてユミルお気に入りだったのかも。女型はユミル理想像で「いいのができた!」とドヤ顔してるユミルの顔が思い浮かぶ

発注作成→納品までの期間、現実世界は一瞬だがユミルは一体一体手ごねしていた。壁にする超大型巨人発注されたときはびびったに違いない。全部完成するまでに数千~数万年かかってるかもしれない。最初は大きくするとバランスが崩れて倒れてしまって、足を象みたいにすることで安定させたのだろう。倒れない超大型ができたときドヤ顔したはずだ。

からエレンから発注元のブラック企業コンプラ違反廃業するからもう作らんでええんやで」って言われて歯を食いしばって泣いたのだ。

ユミルはエルディア人を自由に操れるというが、おそらくユミルなりの理屈をもって操っているのだろう。ジークの「生殖能力を奪え」という命令は「どんな理屈?実は全員男性だったとか?うほw」とか妄想しながら座標に歩いていたためエレンも追いつけた。エレンの「巨人能力をなくす」は、初代フリッツ王をかばわずに死んだ未来採用することで、その後のエルディア人には巨人能力が引き継がれなかったという理屈にしたのだろう。ジーク要件定義目的手段を明確にせなあかん

ブタを逃がした罰でユミル集落から追放されるが、その際のフリッツ王の言葉が「お前は自由だ」なんだよね。そして地鳴らし中のエレン人類を踏みつぶしながら「自由だ」とも言っている。AIによると「「自由」の対義語には、「束縛」「専制」「統制」などがあります。」とのことで、本作での「自由」は本来的な意味で使われている。現在の「自由」って「束縛」や「統制」内の許容範囲的な意味で使われることが多いけど、本来集団から追放されたり、すべてを駆逐できる力をもつことでしか得られないんだね。

ユミルミカサを選んだ理由だけはいまいちピンとこなかった。自分にはない強さと自分と同じ一途な愛をもっていたからとか?最後口の中にエレン本体がいるのもユミルが教えたのかな?首ちょんぱからキスシーンは、奴隷時代ユミルの性の目覚めになったきっかけでいわゆる性癖。これにはユミルさんもニッコリということだろう。

あと光るムカデが死んだシーンはなかったよね。おそらくユミル巨人の力を消したリセットした時点でそれまでに蓄えた力がなくなって、最初の大きさに戻ったのかな?そこからエレンと繋がるという目的を維持したまま、エレンの首のある木に向かっていって最終場面に繋がると理解しました。

Permalink |記事への反応(0) | 00:32

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2024-11-15

anond:20241115171539

驚くことなんてないよ。アメリカ政府を信用せず、嫌っていた人たちによって建国された国だからね。建国の父たちも、専制的な政府から自分を守る権利について語ってたし。それがアメリカユニークさで、他の国にはない特徴だよね。

でも、残念ながらグロバリストや過激左派がその独特な文化をほぼ壊してしまった。今となっては、元のアメリカ価値観に戻るのは難しいんじゃないかな。

Permalink |記事への反応(0) | 17:31

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2024-11-09

憂国の手記(2024衆院選に寄せて)

2024年10月27日

兎に角、今回は左右両翼問わず波乱の衆院選だったであろう。

今日という日、日本インターネッツでは左右ともに国を憂う人々で溢れかえっている。

いや、これ自体最近よく言われる「フィルターバブル」だの「エコーチェンバー」だの、言わば「目に見える情報・見たい情報しか手元にない」ことによる認知の歪みかもしれない。YouTube Liveに目をやれば、大手事務所から転生したVTuberデビュー配信の同接が、その他あらゆる政治系その他の配信凌駕している点からしてもそんな感じがする(個人的事務所時代彼女推しの1人だったので複雑だが)。それに、そもそも「左右」の二元的視点政治を見ることへの危険だってある。

そういう話はともかくとしても、ここ最近選挙の度に国を憂う、正確に言えば「対立する政治思想の候補者・それを支持する者の罵倒」でネットの海は溢れかえる

でも、これも必然かもしれない。勝手分析記事を垂れ流している私のこのブログを含め、各個人がOwn Mediaを持つ現代国家による徹底した情報統制がない以上、極端な言葉ネットの海に散乱する状態であっても、ほとんど野放しになっている(侮辱権利侵害といった"規約違反"でしょっ引かれることはあってもそういった事例はほんの一握りにすぎない)。それがこの10数年のインターネッツの内実だと思う。とりわけ政治方面でいえば、日本でのSNS普及が例の民主党政権第2次安倍政権発足あたりと時を同じくしている点から、なんとなしに右派政権vs左派野党対立構造帰着している。

正直言って、現下の日本インターネッツ・それも政治方面においては、左右両翼とも一般庶民仮面を被りながら政治家ないしは外部勢力の息のかかったインフルエンサー複数存在すると私は確信している(そんなニュースあったよね)。何を言っても「拡散」される土壌があるなら倫理上どうであれ使わない手はないだろう。第一、「民主主義」と言えば聞こえはいいが、ネアリーイコール人気投票」のようなものだ。

それに、ここ最近迷惑YouTuberよろしく「見られたもん勝ち」と言わんばかりの過激政治主張が目につく。その市場追い風にしてか、陰謀暴力排外主義を堂々と主張する人達が現れ、そのまま政治家となった者がいる。今年の都知事選なんて特にそう。これまたXで拾った話だが、ある英字の投稿で「候補者ほとんどが民主主義嘲笑っている」と書かれる始末だ。まったく左右に関わらず酷い為体だ。

そんな中で迎えた衆院選。ハッキリ言って今回は過去イチ酷く映った。結果をわざわざここで書くつもりもないが、色んな意味で「あぁ、そんなもんなんだな」と思わされた。

(ここは筆者のプロフポジの紹介なので読み飛ばして頂いて結構28独身会社員。Z世代のハシリあたり。給料は低くはないが見渡せばもっと高給もいる。こんな書き方見りゃキャラの陽陰区別つくっしょ← よくつべに上がってる昔のテレビを見漁ったり。罵倒ばかりの言論界隈にウンザリ。よって裏金はどっちかといえば「そう喚くあなたは?」な立場。それと手取り安保観点で今回比例は国民に入れた)

これはもう風水言いがかりしかないが、バブル崩壊・阪神/東北震災コロナと、国全体が苦境に立たされた場面では必ず政治的混乱がセットにあったように思う。ホント台湾有事やら南海トラフやらどうすんだよ…。

特に台湾侵攻。あるウクライナジャーナリストが言っていたが、「民主主義陣営カンカンガクガクしているうちに専制主義陣営に行動を起こされてしまう」…これまさに、今のNATOロシアウクライナ。ならば台湾中国の傍でカンカンガクガク真っ最中日本、それにアメリカって…西側ブルーチームのいう「ならず者国家」の思う壺じゃないの?

まぁ、「にわとり-たまご」的な話で、そういう混乱に至る史実があったからこそ政治も混乱せざるを得ない状態だったと言われるかもしれないが、とにかく「今の政治体制なら困難を乗り切れる」と思えた試しがない。それに…待てよ、振り返ってみると「政治への"信頼を善しとせず"」みたいな風潮が続いているのかもしれない。「常に疑え」と言わんばかりに。そうでしょマスコミの皆様方。

今はもうネットに限らず、既存大手メディアさえ信じる/信じないの篩のかけ方がものをいう時代。冒頭の話に戻るが、Own Mediaの氾濫する今、「何を信じる/信じない」がその人の社会世間に対する認識を半ば不可逆的に決めてしまう。かくいう私だってそうかもしれない説明が難しいが、あらゆるものに対する漠然とした不信感の中で「これなら信じられる」と思ったものに傾倒してしまう。これ、昔はオウム真理教、今はインターネッツの左右急先鋒による陰謀安倍暗殺をはじめフィジカルに訴える連中、はたまた「闇バイト」と、日本のあらゆる社会問題根本にある気がする。そのうえ、世界を見渡せば目下宗教を巡る戦禍が中東継続中だったり。コミュニティを作ることで生き残ってきた人間生物的・本能的弱みで、昔から何度も言われてきた事だろうが、時折その脆さを嫌と言うほど思い知らされる。

そう、「何を信じる」の話で言えば、現役世代の我々がよく言われる/私自身も自己暗示的に復唱してしま言葉がある。

社会環境がどうであれ、いま自分が出来ることに集中しよう」

会社員である私を含め、一定組織の括りで動いている者にとって、こういう発想は少なくとも間違いではないと思う。そりゃ「仕事邁進する」に文句のつけようもあるまい。が、時折こんな事も思う。

「それを言い訳に、もっと目を向けなければいけない重要問題から逃げてないか?」と。

政治に関心を持たない人達、はたまた選挙投票しない人達理由の1つに「それより私が今抱えている仕事(タスク)をやるのに精一杯」なんて文句がある。ああ、国として今何をしなければならないか、そういう事を考える余裕は「ニュースを見る時間のある」人にしかないのだろうか。はたまた、そのニュース記事を作っている人達も、ひょっとして「もっと伝えたい事があるのに、仕事としてやらなきゃいけないから…」なんて思っていたりしてないかしら?

恐らく少子化も「こんなしんどいのに結婚子育てなんて出来ない、それよりも今の自分がやるべきことを」の積み重ねから来る話だと思うし、とりわけ筆者はこういう目線安全保障の話を積極的にしなければならないと思う。ノーベル平和賞取った被団協の方々には土下座ものだが、リアルに核の恐喝が罷り通ってる今、9条信奉のようなユートピアニズムは文字通りの「無力」だ。特に政権を担う政治家にはリアリストであって欲しいと私は強く願う。

地震戦争、片方は人の手で起きるとはいえ、今やどっちも「いつ起こるかわからない/いつ起きてもおかしくない」と思いさえする。「自分1人で何も出来ないくせに考えすぎだ」と人に言われるが、少なくとも国の意思決定を左右する政治家の先生方にはこの手の話をしっかり真面目に考えて頂きたい。

そしてこの際もう1つ、過去歴史や目下の国内外の情勢を見渡していて、文明社会ゆっくりと衰退させているもの何となく分かった気がしたので、ここで書き留めておく。

被害者意識」。

無論、現にいじめ差別その他ハラスメント、あるいは災害を被っている人々に対して、その心痛を突っぱねる意図はないし、適切な保護をするべきだと思う。が、現代はその「被害者」たることを訴える主張が拡声器のように周囲の音響支配し、それを基準社会が目まぐるしく動かされている気がする。で、そうして変わった社会全体最適となるような良い結果をもたらすか…と言われるとクエスチョンが残る事もある。

例えば「働き方改革」。やり甲斐の有無にかかわらず身柄を拘束され、なりふり構わぬ檄を喰らう辛さは、自分だって現役世代、大いに同情する。が、それに対応した結果起きたのが「物流2024年問題」であり、運送コスト上昇は今の物価高の一因となっている。それに、逆にハラスメントを訴えられるリスク待遇の不釣り合いを嫌ってか管理職志望の社員が減り、少子化も相まって人手不足倒産が増加中とか(環境変化に適応できなかった会社が悪いという見方もある)。

もう1つは「ダイバーシティ」。差別偏見をなくし、多種多様な人々の「違い」を受け入れる…理屈結構な話。だが、それで今揉めているのが「移民問題。一度異文化を受容したはいいけど、かえってその痛みを訴える人は地域職種を問わず跡を絶たない。ヨーロッパなんて極右が台頭する始末だから

だがこの「被害者意識」、一言でいえば「かなり根深い」。

まり、「しんどい」「つらい」という主張ゆえ、先述の通りむやみに突っぱねる事は出来ない(それどころか、理解を示さなければ当人がより破滅的な行動を起こすことだってある)。同時に、その被害者意識と醸成に至るまでの背景には本人なりの因果関係論理があるし、訴えを一読すれば、同情する/しないは別としても少なくとも一定のつながりを見出すことができる。が、我々は得てしてその時の感情につられて「加害者とされた側」の論理を見落としてしまう。決してこれは危害を加えている人を擁護する目的で言っている事ではないが、要は「論理は1つだけではない」ことを机上の理屈としては理解したつもりでも、感情では「真理」を追い求め、「悪者」を特定・はたまた無理矢理にでも作りにかかってしまう。ここに怖さがある。

これが、現代言論空間跋扈する陰謀論、あるいは紛争当事国で現に起きている。戦争なんて酷いものだよ。どっちも「自衛のため」っていうんだから

まぁ「被害者意識」と仰々しく言っているが、噛み砕いていえば、「こんなにしんどい思いをしているのに報われないのはおかしい!/こんな仕打ちをしてくるなんてひどい!」、さらに端折っていえば「私の苦しみを理解してくれ!」といった、悲鳴慟哭・喚きの一種である。これまたコミュニティを作ることでしか生存できない人間の「動物本能」の一部なのかもしれない。それゆえ、今後も色んな場面で目にすると思うが、それにどう反応し、対処していくかは、高等動物として会得した知識と理性にしたがって冷静に判断したいところ。

・・・と、ここまで選挙を機に自分なりに考えた今の社会世界の歪みをつらつらと綴ってきた。「自由選挙」が出来る民主主義は恵まれているようで、分断やレッテルの張り合い、そして今はノイジーマイノリティといった弱点が露呈している。だけど、野田さんがいう「不完全」な状態でありながらも、こう徒然なるままに憂国の情を書けることは、やっぱり恵まれた国なのかもしれない。でも、そんな国を取り巻く環境はやっぱり厳しいし、向いてる方向は違ってもそこは日本人みな理解してるんじゃないかな。

もう1回言う。私も有権者の1人として政治に参加させてもらいましたので、政治家の先生方は他人の足を引っ張ったり悪者を作ったりしてないで、真剣に国について議論してください。

最後に、ここまで書いた私の文章も、究極的には一個人稚拙な雑感に過ぎず、共感する/しないは個々人の価値観次第であることを付け加えておきます。というか、こう書くことさえ「主語を大きくしておきながら"個人の感想です"とか言って責任から逃げやがって」とか「善人ぶるな」という自己批判が出来てしまうな…やはりインターネッツはもとよりメディアに毒されすぎたか

まぁ、仮にも「自由民主主義の国」の一員として生をうけた者として、そこは(節度をもって)大いに論議してください。気の済むまで。

・・・私は脱稿して少しは気が済みましたっ!笑

Permalink |記事への反応(0) | 17:41

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2024-10-26

10月27日衆議院選挙投票日です。

みなさん、

日本維新の会代表される新自由主義勢力の息の根を止めることが、我々氷河期世代にできる最大の復讐です。

そして新自由主義勢力の根源はセクシーのパパが総裁だった自民党です。それに自民党裏金統一教会日本会議汚染されています絶対に信用してはいけません。

具体的な政策を何一つ語らず、与党への誹謗中傷しか行わない立憲民主党投票して悪夢民主党政権を復活させてはなりません。

社民党共産党投票すると、日本ロシア北朝鮮のような専制国家になります絶対に許してはなりません。

能登東北被災地差別し続けるれい新撰組絶対に許してはなりません。

ワクチン陰謀論支配された参政党にも議席を与えてはなりません。

社会保険負担軽減を名目に、終末期医療見直しを目論む人殺し政党である国民民主党にも絶対に許してはなりません。

それでも明日投票日には必ず投票してください!

Permalink |記事への反応(0) | 21:27

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2024-10-19

anond:20241019163420

専制国家との対抗上自由民主主義のタテマエは維持しつつ、いか馬鹿意思決定の場から排除するかがこれから西側先進国課題、割とマジで

Permalink |記事への反応(1) | 17:19

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2024-09-28

石破氏のような人が所属し続けられる政党健全

ずっと党首や党執行部に批判をし続け、さらには一度離党して出戻って来たにも関わらず党員投票党首になれるような党って独裁専制みたいな恐怖政治とは縁遠い健全な党だよな

色々批判もあるけどこの点だけは国内政党の中で一番健全だと思うわ

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2024-09-14

日本の将来を考えると暗澹たる気分になります

少子化内需だけでは早晩経済は立ち行かなくなるのに、技術力は東南アジアと既に大差はなく、

自動車産業でも負ければ、経済を牽引するようなめぼしい産業もない

冷戦ブロック経済の勝因となった、経済的、技術的優位性が今の西側にあるのか?

干上がる未来しか思い浮かびません。

そもそも西側既得権益配慮するあまり統一した政策を打ち出す事ができないのではと思います

政策というのはオルタナティブで得する人もがいれば必ず損する人が出てきます

昨今のそれに対するバッシングを見てみれば、とても思い切った政策など通らないのではと思います

その点、中露は専制的なので統一的な政策が打ちやすく、リソースを集中させることで社会変革、技術革新を起こせる点が有利です。

別に中露の専制的な社会の方が住みやすいと言ってるわけではないです。国家政策の陰で個人権利蹂躙されるような社会に住みたくはないです。

だだ、国家競争となるとそれが現実なんだろうと。

それでもこれから先、諸々の問題をなあなあに先送りして、緩やかに衰退していくのでしょうか?

いつかとんでもないよりもどしが来る気がします。

社会崩壊する寸前まで行って、その反動でとんでもない全体主義的な体制によりもどるのではないかと恐れています

願わくば、できるだけ暴発を先送りして、自分が生きてるうちはなんとか穏便に済ませてほしいと思います

Permalink |記事への反応(1) | 15:43

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