
はてなキーワード:対抗言論とは
故竹内県議のご家族が立花孝志を刑事告訴した件で、石丸幸人弁護士と西脇亨輔弁護士がレスバしているので見て欲しい
石丸弁護士はN党の立花孝志の代理人を務めたことや参院選ではN党から出馬している、N党、立花孝志寄りの人物と考えていいかと
西脇弁護士は元テレビ朝日のアナウンサーで、現在もゴゴスマなどテレビ出演もされています
また、ほぼ毎朝のようにライブ配信をされていて、ここ半年くらいはほぼ兵庫県関連だけやっているくらい拘りがあるようです
https://www.youtube.com/watch?v=oHnsTXESfdU
この動画で石丸弁護士の起訴は難しいという解説をきっかけに、西脇弁護士が反論したのが下の動画
https://www.youtube.com/watch?v=kOEecCYJE-E&t=65s
上の動画をあわせて石丸弁護士は5本、西脇弁護士は4本の動画を上げてレスバをしている
石丸弁護士の今日の動画に対する西脇弁護士のアンサーがあるかわからないけど、あっても対抗言論に関してが最後なのかなって感じなので、動画を見ればレスバ全体は把握できると思います
レスバの上手さ、レスバらしさは西脇弁護士かなと思いますが、石丸弁護士の主張を覆せるほどではないかと私は捉えています
そもそもの論点は故竹内県議に対する名誉毀損で起訴される可能性ですが、起訴される可能性は高いとは言えず、不起訴にベットする方が合理的でしょう
西脇弁護士も起訴される可能性が高いとは言っていないんじゃないかと思います
(西脇弁護士は動画で自らの主張を述べることはあまりされないし、されても短いので見逃しているかもしれません)
西脇弁護士は起訴される可能性は別として起訴されるべきと考えられていると思いますが、それはレスバの論点からは大きく外れますし、そこには論をずらしてはいません
ただ、観衆の多くはそう考えていないのでしょう
立花孝志は起訴されるべきだと考えているであろうコメントが沢山残されています
どちらの動画にもコメントで勝ちだ負けだと書かれているのだけど、コメントはどちら側も口が汚いのが面白い
立花孝志を起訴することこそ正義だと考えるのなら、言葉を選び立花孝志の卑劣さを際立たせるべきでしょう
参政党としばき隊もそうですが、朱に交われば赤くなるのか、どうやら中に入ると言葉が汚くなるもののようです
はてなブックマーク創設期(2005年前後)には、ITリテラシーの高いユーザーが集まり始め、政治・社会系の記事にもコメントが付くようになりました。当初はユーザーコミュニティの規模が小さく、議論は活発でしたが、コメント内容には玉石混交の傾向もありました。例えば2007年頃には、ある有名ブロガーが「もしネット右翼のメッカが2ちゃんねるだとすれば、ネットイナゴ(烏合の衆)が集まるのははてなブックマークだ」と苦言を呈しています。
実際この時期、記事内容を論理的に批判するコメントは少なく、**「バカ」「○ねばいいのに」**といった過激な罵倒やスラングが人気コメント欄に並ぶこともあり、2ちゃんねる的な粗野さが指摘されました。
はてなブックマークのコメント欄は当初、必ずしも洗練された言論空間ではなく、極端な言葉遣いや叩きがスターボタンによって増幅されるケースも見られたのです。とはいえ、この黎明期には既にリベラル寄りの思想傾向が芽生えていました。長年自民党政権が続く中、ネット上では反権力・改革志向の声も強まり、はてなユーザーも例外ではありませんでした。たとえば当時「はてな左翼(はてサ)」と呼ばれる進歩的ブロガー/論客が台頭し始め、歴史認識や人権問題で保守派を批判する動きが散見されます。
実際、南京事件や憲法9条などの論戦では左派的スタンスのユーザーが詳しい知識で議論をリードし、右派的主張に反論・説教するといった場面も見られました。
極端な例では、ある著名ユーザーが「『自衛隊は人殺し』『日本人という存在自体が悪だ』」とまで発言し物議を醸したこともあります。
こうした過激な表現はさすがに例外ですが、総じて反権力・リベラル志向のコメントが共感を集めやすい土壌が形成されつつありました。2009年の政権交代(自民党から民主党へ)の際にも、はてなブックマーク上ではそれを歓迎・期待するリベラル派ユーザーのコメントが多く見られ、長年の保守政権に対する変革への期待感が読み取れます。もっとも、この時期のコメント欄はまだ手探り状態で、思想的スタンスよりもコメント文化自体の模索が続いていたとも言えます。スター(★)による評価システムも始まったばかりで、どのようなコメントが支持を集めやすいか(ユーモア、皮肉、批判精神など)コミュニティ全体で試行錯誤している段階でした。
2010年代前半になると、はてなブックマークの政治系コメント欄ではリベラル(左派)的な論調がいよいよ優勢となっていきました。民主党政権(2009〜2012年)の発足や2011年の東日本大震災・福島第一原発事故といった出来事を契機に、反原発・反権力の声がネット世論で高まり、はてなでも人気コメントとして多くの支持を集めました。たとえば震災後の原発政策を巡っては、政府や電力会社を批判するコメントがスターを集め、「脱原発」「政府の隠蔽体質批判」などリベラル色の強い意見が目立ちました(※当時、多くのはてなユーザーが原発推進派の政治家・官僚に厳しい目を向け、代替エネルギーや市民運動を支持する姿勢を示していました)。また、2012年に第二次安倍政権が発足すると、保守色の強い安倍政権の政策(憲法改正論議や国粋主義的発言など)に対し、はてな人気コメント欄では批判的な論調が一貫して支配的になります。「はてな左翼(はてサ)」**と総称された進歩的ユーザーコミュニティがこの頃確立し、彼らが多くのスターを集めるコメントを量産したのです。
具体的な傾向として、保守・ナショナリスト的な対象への批判や揶揄が盛んでした。たとえば2012年前後には、大阪市長・橋下徹氏(保守的・改革派の政治家)に批判的なコメントや、石原慎太郎都知事の過激発言を皮肉るコメントが多数支持を集めています。実際、あるユーザーは「坊主(橋下)が憎けりゃ袈裟まで憎い」という諺をもじり、橋下氏の行動全般を痛烈に批判してスターを集めました。
またヘイトスピーチなど社会問題化したテーマでは、右派的な差別扇動に対する強い糾弾が人気コメント欄を賑わせました。2013年頃から在日コリアンに対するヘイトデモが問題視され始めましたが、その際もはてなでは反レイシズムの立場から「表現の自由を履き違えた差別は許されない」といったコメントが支持を集めています(2016年のヘイトスピーチ解消法成立に至る世論形成にも、そうしたネット上の批判世論が背景にありました)。このように、2010年代前半のはてなブックマークはリベラル志向の論者が主導権を握り、保守的な主張や差別的言説には厳しい反応が集まる傾向が強かったのです。 同時に、ジェンダーやマイノリティの権利に関するトピックでもリベラル寄りのコメントが目立ちました。例えば女性やLGBTQの権利問題についての記事では、「多様性の尊重」や「男女平等」を訴えるコメントが人気化しやすく、ミソジニー(女性蔑視)的な発言や古い価値観への批判が数多く見られました。はてなコミュニティ内でもフェミニスト的観点を持つユーザーが増え、「はてな村」のフェミニズム論争が活発化します。これに対し一部では反発も生じ、2014年には匿名日記上で「はてブって女性のことになると、ネット右翼よりも全体主義の低能集団。集合知ではなく集合恥だな」という辛辣な批判も投稿されました。
この発言者は、はてなブックマーク上で女性擁護やフェミニズム的主張ばかりがスターを集める状況に苦言を呈したものです。「日本人だからすごい!女性だからすごい!──ネット右翼とはてフェミってどっちも変わらん」とも綴られており、愛国心を拗らせたネット右翼と同様に、はてなのリベラル・フェミニスト層も思考が偏っていると批判していました。このような反発意見自体が注目されるほど、当時の人気コメント欄はリベラル(時に急進的)一色になりがちだったと言えます。実際、2012年にはあるユーザーが右派系新聞記者(産経新聞の阿比留記者)への個人攻撃をたしなめたところ、「相手があの記者だから何を言ってもいいのか」と諫めた彼自身が「はてなサヨク」層から猛反発**を受けたというエピソードも伝えられています。
このように2010年代前半は、リベラル派ユーザーが結束してスターを投じ合い、彼らの価値観に合致しない意見には容赦なく批判が向けられる風潮が強まりました。 **まとめると、2010〜2014年のはてなブックマーク政治ジャンル人気コメントは「リベラル派が主導し、保守派・差別的言説への対抗言論が突出した時代」でした。民主党政権期のリベラルな改革期待、そして第二次安倍政権開始後の保守回帰への反動もあり、左派的なスタンスのコメントが常に上位を占める傾向が続きました。もっとも、コメント全体のトーンとしては皮肉や辛辣さも増し、しばしば断定口調で上から目線の批評がスターを集めるという独特の「はてな語り」**も醸成されていきました。
実際あるユーザーは2010年時点で「妙に上から目線で断定するコメントがスターを集めていて、いつの間にか自分まで嫌な人間になりかけた」と感じ、はてなブックマーク熱が冷めたと告白しています。
それでもなお、この時期は活発な左派言論によって他のネットコミュニティにはない独特の盛り上がりを見せていたと言えるでしょう。
2015年以降も、はてなブックマーク上の政治的コメントは基本的にリベラル(左派)優位の傾向が継続しました。 第二次安倍政権下で保守色の強い政策が次々と打ち出される中、人気コメント欄ではそれらを批判・揶揄する声が依然として主流でした。象徴的な出来事として、2015年の安全保障関連法案(いわゆる安保法制)強行採決があります。このときは国内で大規模な反対デモ(SEALDsなど若者中心の抗議運動)が起きましたが、はてなでも法案に批判的な意見が圧倒的多数を占めました。「憲法違反だ」「民主主義の危機」「戦争法反対」といったコメントが軒並みスターを集め、安倍政権の右傾化への強い警戒感がうかがえました。また2017年前後の森友・加計学園問題(政権スキャンダル)でも、真相解明を求める論調や「安倍晋三首相は責任を取れ」といった厳しい批判コメントが人気上位に並び、政権追及一色の様相でした。このように安倍長期政権に対する不信・批判がはてなでは一貫して根強く、人気コメントの思想的スタンスは反権力・リベラル路線が盤石だったといえます。 同時期、社会文化的な論争でもはてなの人気コメントはリベラル派に軍配が上がることがほとんどでした。例えば2018年には東京医科大学の入試差別問題(女子受験生の点数を一律減点)が発覚しましたが、このニュースに対しては「時代錯誤な男女差別だ」「女性の機会を奪う不公正」という糾弾コメントが大量に付き、スターを集めました。さらに2017年頃から世界的に#MeToo運動が広がり、日本でも伊藤詩織さんの性暴力被害告発が注目されましたが、はてなブックマークでも彼女を支持し日本の性暴力問題に警鐘を鳴らすコメントが多数賛同を得ました。逆に、杉田水脈議員による「LGBTは生産性がない」発言(2018年)など保守政治家の差別的な発言に対しては、「公人として許せない」「差別そのものだ」と厳しく非難するコメントが目立ちました(抗議デモの記事にも「まず謝罪を」「議員辞職すべき」といったユーザーの声が集まっています)。
このように、ジェンダー平等やマイノリティ人権の擁護など進歩的価値観を支持するコメントが引き続き優勢であり、はてなにおけるリベラル志向は揺るがないままでした。しかし、2010年代後半になると、そのリベラル優勢が「行き過ぎた内輪化」として指摘される場面も増えてきます。活発だったユーザー層が次第に高年齢化し、新規参入者や多様な意見が減ったことで、「同じメンバーによる同じような主張」が目立つようになったのです。実際2020年直前のある分析では、「最近のはてブは負のオーラがすごい。一般感覚とかけ離れた左寄りコメで埋め尽くされ、陰謀論じみた人気コメントがトップになることもある」と嘆く声がありました。
このユーザーは「明らかにユーザーが高年齢化し、40代前半くらいのおっさんばかりになった」と指摘しています。つまり、ネット上で極端なイデオロギーを露わにする層は中高年男性が多く、はてなブックマークは左翼のおじさんの溜まり場になってしまったという自己分析です。この指摘の通り、2015〜19年頃の人気コメント欄では、同じ論調・メンバーがスターを付け合って盛り上がるエコーチェンバー化が進行した側面があります。「安倍政権=悪」「リベラルこそ正義」という大枠に沿うコメントは容易に支持を集める一方で、それに異を唱える意見は最初から敬遠・排斥されやすい空気が醸成されていました。もっとも、当のリベラル派ユーザーたちは自分たちの主張を**「正論」「市民感覚」だと信じていたため、そうした内輪化を自覚しにくかったようです。はてなブックマークを長年使ってきた一部のユーザーには閉塞感も広がり、2010年代後半には「最近のはてブはひどい」「昔はもっと面白い情報が拾えたのに」という懐古的な意見も増えました。例えばある匿名日記では、「2年以上前から“はてブは終わった”と言われているが、最近本格的に面白い情報が見つからなくなった気がする」と嘆かれています。この背景には、政治ジャンルに限らずホッテントリの固定化(いつも似たような記事・コメントが上位に上がる)や、新興メディア(NAVERまとめ、Togetter、Twitter等)への関心分散がありました。 総じて、2015〜2019年はリベラル優勢が定着する一方で、その強い傾向ゆえの弊害(画一化・内輪化)も指摘された時期と言えます。依然として人気コメントは「右派批判」「市民目線の政府批判」が主流でしたが、その論調はどこかマンネリ化し、新鮮味に欠けるとの声も出始めたのです。
ただ、この頃まではまだ保守的論調が人気上位に食い込むことは稀で、基本路線としては**「反自民・リベラル」**の牙城が守られていたと総括できます。
主張する人が本当に苦しんでる人と比べて相対的に苦しくないのは事実だけど(少なくとも主張する余裕があるわけだから)、主張することによって本当に苦しんでる人に光が当たることにもなるから、主張には意義がある
悪いのはそういった主張に対して「お前の苦しみは大したことない」みたいな決めつけで封殺をかける行為で、これは本当に良くない。ロジックは違うけど男女どっちにもある。男の苦しみは「でも力が強いんだから何とかなるだろ」のような頭の悪いロジックで軽視されがちだし、女の苦しみは「でも体を売れば何とかなるだろ」のような人間味のないロジックで否定されがち
実際の世の中では主張する人と対抗言論を封殺する人が同一人物であることも多くて一緒くたに非難されがちだけど、「主張は良い、封殺は悪い」と是々非々で判断しなきゃいけない
赤いきつねのCMが性的に見えるってことで、炎上してるおり、弱者男性が「エロくないし!エロくて何が悪いんだ!」と対抗言論として集団発狂しているというニュースを見た
映像を見たが口元を強調していたり、ことさら髪をかきあげる仕草があったりと映像表現学的に明らかに性的な描写を含んだ内容だった
性的な表現は、女性への性に基づく差別で女性の性を貶め、人格を傷つけ、女性への心理的な暴力の行使で男性の支配と女性の従属という社会的構造を構築するので倫理的によろしくないんだよね
性的な表現を擁護するのって選挙中にデマを流したり、ヘイトスピーチを行うのを表現の自由って擁護するようなもんなんだよ
擁護してる弱者男性って高卒とかで人文知を身に付けなかったのかなあ(高専は教養科目でやるよね)
人工知能学会誌の表紙をめぐる件で、表紙について最初に問題視したのは会員という話について
https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20241129/1732892378
人工知能学会誌の表紙について、懸念をつたえた情報源を提示したら問題視したことにはならないと主張されたり、質問に答えたら論点をずらされたり……
https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20241203/1733151600
なんていうかこう
多くの人にとって、例の件の炎上はスプツニ子!から着火してるんだよね
仮にそれより15時間ほど早い NIIYAMA 氏のポストが着火点だと主張しても
氏の指摘も性差別だから、あの炎上は「見た人が不快になる」とかそういう話じゃないんだよ
「人を不快にする可能性のある表現」と「差別表現」って全然違うでしょ?
オタクやチー牛が嘲笑される表現は彼らを不快にするかもしれないけれど、差別じゃない
これリベサの主張だよね
だから、「人を不快にさせてしまって申し訳ない」と「差別表現をしてしまい申し訳ない」の間には、超えられない壁があって同列に語れない
炎上の仕方も、日本の性差別、であったし、当時を知るものなら、あれが「人を不快にさせる表現」なんて燃え方をしてないと記憶しているだろう
というものなんよね
そういう意味で、今でも語られるわけよ、人工知能学会誌の表紙事件は
リベサが乗っかって日本の闇みたいに大騒ぎして
それをさ
みたいな話をそこにねじ込んで、学会員が最初に問題にした文脈の欠落がある
とか言い出してもさ
学会員が燃やして、学会員が新聞沙汰になるような社会現象化させて、学会員が謝罪を引き出してないのなら
人目にもついてないが最初に声を上げたのは学会員だった、なんて事は当時誰も気にしなかったし、何の価値もない情報だよ
なんで歪めてしまうんだろう?
どういう意図で行っているんだろう
ワタシ、気になります
『人工知能学会』の表紙をめぐる件と、警察が教育コンテンツにVTuberを起用した件が、年月をへて当時の文脈が忘れられているので反論をメモしておく
https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20241128/1732805949
なんかさ、これを読んで思ったんだよね
そもそもが引用主体で地の文が少なく、何が言いたいかも良く分からんのだけど
端的に言ってしまえば、「気に入らない表現を差別として燃やす」のが問題なんだよ
これをズラしてしまうと
みたいな頓珍漢な話が出てきちゃう
そもそも、ツマランとかで簡単に打ち切りという対応を取られちまうのに
変な話だけど、不快だって話なら人工知能学会誌を燃やして良いし、宇崎ちゃんを燃やして良いし、のうりんを燃やして良い
問題なのは、奴らはそれ(自身の不快)を「性差別」にズラしたことだ
差別さべつサベツSABETSU
反論者に、あなたは差別を擁護するの?この中世ジャップランドのオスどもは、とやったのが、一連の炎上騒ぎで
表現の快不快のステージで闘えないから、差別という違うステージに変えたんだよ
まさにアレが始まりで、今も昔も「同じ」燃やし方をしてる
何も変わってない
それを「違う」かのように言うのは全部的が外れてる
のうりんポスターの時は、峰不二子はオーケーとか言ってたんだぞ
不二子ちゃんは差別的じゃないって真面目に言ってるフェミニストが居たんだ
スカートめくりなんてことを肯定的に表現してる差別的なコンテンツって訳ヨ
ブコメも記事に引っ張られて歴史修正だのなんだのと流されてるが
乗るな、はてな―って感じ
初期から今に至るまで、あいつらの攻撃対象は徹頭徹尾「男が女性表象をモノ化する」事で
「男が女性表象をモノ化する」ことへの不快を差別に仮託して殴ってる構図は一個も変わってない
流されんな
Q.
「対抗言論法理」について、日本ではあまり用いられない考え方だと思います。
つまり、ある言論が名誉毀損罪や侮辱罪にあたるとして、「言論を罪に問うより対抗する言論を促すほうがよいから罪には問わない」というような判断はされないと思います。
合っていますか?
A.
おっしゃる通りです。「対抗言論法理」という考え方は、アメリカなどでよく見られる法理で、自由な言論を保護するために、ある言論が問題視された場合でも、政府が規制するのではなく、反対の言論を通じてその言論に対抗するのが最善であるとするものです。
一方、日本では、名誉毀損罪や侮辱罪に関して、刑事罰が適用されることが一般的です。言論の自由は日本国憲法第21条で保障されていますが、その自由は絶対的ではなく、他者の名誉や権利を侵害する場合には制限される可能性があります。
特に、日本の司法制度においては、名誉毀損や侮辱が発生した場合、刑事・民事の法的措置が取られることが多く、その際に「対抗言論」が法的手段として優先されることは少ないといえます。
※最後に追加あり
事例
…
2023年に表面化したジャニー喜多川による性加害問題も、2019年に死去したジャニー喜多川の過去の行いに対するキャンセル・カルチャーの一例として取り上げられる[59][60][61][48]。例えば、ジャーナリストのシェリーめぐみは、「1人の犯罪者のために皆が犠牲になるのはフェアではない」として「関ジャニ∞」や「ジャニーズWEST」「ジャニーズJr.」などのグループ名や屋号を変更することの必要性に疑問を呈している[48]。特に漫画家・評論家の小林よしのりは、本問題を「史上最大のキャンセルカルチャー」と評している[59]。
他ならぬジャニーズ事務所が問題を長年誤魔化し、表面化してからも散々ずさんな対応をした結果引き起こした契約解除や屋号変更が「キャンセルカルチャー」???
事例として不適切すぎる。
問題点
キャンセルカルチャーの問題点として以下が挙げられている[62][63]。
…
ジャニーズ性加害問題当事者の会は、ジャニーズ事務所(現SMILE-UP.)に対して「具体的な補償額についても法を越えた救済を図るよう求めます」と要望しており[64]、事務所側も消滅時効に関わらず法を超えた補償を行うと宣言した[65]。
被害者の求めに事務所が応じた補償対応が「法治主義からの逸脱」で「キャンセルカルチャーの問題点」???
は?
ていうかこの謎の論理、Xのジャニオタがしてる主張まんまなんだが……。
よく見たらその下もおかしかったので追加
対抗言論の困難さ
告発された者に対抗言論の機会が十分に与えられず、一方的かつ不可逆的に排除の手続きが進められることがある[62]。過去の行為に対する謝罪に効果がなく、長きに渡って多数の出演がキャンセルされたり、謝罪がさらなる反発にさらされたりするケースもある[66][67][68]。
例えば、前述の小山田圭吾・たぬかなは当該の行為を謝罪・弁明したものの批判の声が収まらず、解任・解雇された事例とされる[69][70][注釈 3]。ただし、小山田の場合は、法的処罰対象となる犯罪行為である[72][73]。小林賢太郎・石川界人・加藤純一の事例は違法行為をした訳ではないが、対抗言論の機会もなく即座に解任された[74][75][76][注釈 4]。ジャニー喜多川も、問題視されるようになった2023年時点ですでに死去しており、全く抗弁の余地はなかった。
ここも完全に「ジャニーさんは無実!」と主張してるジャニオタ史観じゃん……。
「俺を虐げるな」=「無条件で俺を世話して性処理をする女をあてがえ」
そもそも、誰かがそう主張すること自体は自由です。その主張を議論の俎上に載せて対話するのが民主主義です。もちろん、こんな主張を議論に乗せれば、それが通らないことは自明です(1人の人権を保障するために1人の人権を犠牲にするのでは社会にとって問題は何も解決しないからです。一般的に言って、無辜な何者かの生活を犠牲にすることによる解決は、少数意見を尊重する真っ当な民主主義においては認められる主張ではありません)が、それはそれとしてその「主張をすること」は自由であり権利です。逆に、その意見を封殺することは非民主的な行いです。
従って、
という態度は望ましくありません。意見が荒唐無稽だとしても、両者の意見のすりあわせと妥協点を探る(女性を奴隷にせずに、「俺」さんが「虐げられていない」と考える道は本当に無いのか?など)態度が民主主義です。このように、民主主義を標榜するなら「俺を虐げるな」などと言う人と対話しようとする姿勢が必要です。もちろん、相手がマサカリで武装しているなら、対抗言論上多少きつい言葉を使うことも許容されるべきでしょう。しかし、少なくとも人権と民主主義を尊重する近代人のふりがしたいなら、対話すべき相手を人間以前の生き物のようにレッテル貼りして言論を封殺しようとするべきではありません。そういう( 「弱者」男性に対する )マッチョな振る舞いが一部界隈では人気を博すのかもしれませんが、それは人権に名を借りたただの差別主義です。
差別主義とは何か。それは、社会に、本来は存在しない見えない線を区切ることです。そのような見えない分断は多くの人にとってはただ不都合でしかありませんし、特に、その区切りによって不利益を被る側には耐えがたいマイナスですが、その分断を強く主張し主導する人々にとってはそれが権力の源泉となります。たとえばエセマナー講師は、わかりやすいその一例です。奇妙なマナーを提唱して、社会を「"マナー"を知ってその通りに振る舞う人/"マナー"知らずで無礼な人」に区分けする、多くの人にとってはただ面倒が増えるだけですが、マナー講師にとってはその「社会全体の不利益」がそのまま「飯の種」になります。「流行・ファッション」などというのも、多くの場合これです。しかし、流行・ファッションを飯の種にする人は多くいて、そうなるともうこの「流行」なるものは実態のように振る舞い始め、被搾取者だけでなく受益者まで巻き込んで様々な悲喜劇を引き起こします。「文化・伝統」「宗教・信仰」もその類いであることは言うまでもありません(本来は信仰の守り手として受益者であるはずの行為の宗教家が、狂信者となることでどんな悲喜劇を引き起こすことか)。
ここで、しっかりと区別しておきたいことは、私はこのように振る舞うのが「好きだ」、私はこのような服装が「好きだ」、私はこのような文化が「好きだ」、私は神様を「信じている」……それは差別主義ではありません。しかし、人はこのように振る舞う「べきだ」、このような服装をする「べきだ」、このような文化を守る「べきだ」、誰もが私の神を信じる「べきだ」……となると、それはもう差別主義に足を踏み入れています。なぜならそれらは、そうする人としない人を区分けする考え方であり、しばしばまさに「区分けするため」になされる主張だからです。敵と味方にわけて闘うための思考が差別主義です。差別主義は戦いからこそ利益を得るのです。
同じく、私は人権を「大事だと思う」、人権は「大切だと思う」、はただの選好ですが、誰もが人権を「尊重するべきだ」、人権を守る「べきだ」、人権を信じる「べきだ」、人権に則って振る舞う「べきだ」……は、ここで言う差別主義に当たることになります。一見人権を大切にする結構な主張に似て見えますが、それらは社会に分断をもたらすことで結局は全体に不利益を与え、見えない壁を作り、そしてそう主張する者だけがそこから部分的な利益や権力を得る、そんな行いだからです。人権も民主主義も、この社会の構成員全てを等しく扱う考え方であり、「敵/味方」という思考法から最も遠いはずのものですから、「彼らは民主主義の敵だ」とか「我々は人権派だ(あいつらはそうではない)」といった主張は、本来存在するはずがないのです。
私たち一人一人は、弱く愚かです。間違いも犯す。だからこそ、いろいろと問題のある中で民主主義が選ばれ、尊重されているのです。たとえ自分が民主的で人権を尊重する人間であると自負していたとしても、私たちは不断に自らが本当にその名にふさわしい振る舞いをしているか、再確認する必要があるでしょう。人権や民主主義はありがたく飾っておけばすむ錦の御旗などではなく、常に実用の最前線にあり、限りない問いかけと異議申し立ての中で磨きぬかれてきた存在なのです。
私はトランスジェンダリズムには大反対だし、トランスジェンダリズム批判の書籍が抗議によって発売中止に至った事には怒りを覚えているけれど
だからといってそれに対して「キャンセルカルチャー」だの「キャンセルされた」だのと言う言葉を用いている一部フェミニストにも反対している。
だって「キャンセルカルチャー」って、#me tooへのバッシングに端を発した、ミソジニストの使うレッテル貼り用語だよ?
立場を利用して性犯罪を繰り返してきた者に対する正当な批判を「キャンセルカルチャー」なんて表現して
例の書籍に対する出版差止はまさに言論の内容それに自体に対する抑圧であるし、そもそもその言論内容がトランスジェンダリズムという女性差別に対する対抗言論なので何ら問題のないもの。
これまで「キャンセルカルチャー」なるレッテル貼りをされてきた事例とは全然違う。
結局作品を広めることではなくネット上の陣取り合戦に終始して、それを飯のタネにして稼ぐアフィサイトの影がチラついてどうにも建設的未来が見えてこないんだよな アメコミ雑語り対抗言論とその周辺は
あと妄信や迷信を批判しようとして宗教的な信仰そのものを全否定するようなエンタメ至上主義な態度が両陣営(という見方もネット上の対立煽りに毒されてるのかもだけど)ともに見受けられるから
もうアメコミにも日本漫画のファンダムにもこれ以上深入りしないようにしようと思った やっぱり真に徳のある子供達を育てようと思ったらエンタメ一本では限界がある、あくまで入門の為のキッカケに過ぎないってことを自覚すべき
もう既に自分は漫画を買う時より中村元先生の本を買ってる時の方が明らかに楽しくなってきてるんよ 仏教内部の対立や争いとそれを乗り越えようとする歴史の繰り返しの絶望と希望のジェットコースターから何かを学ぶことで
何故か私人間のトラブルに憲法上の権利を持ち出すアホが沢山いるけど、そもそも憲法が想定しているのは国家対個人の関係であって、個人対個人はメインでは無いんですよね(例外について下記で詳述する。)。
だから表現の自由を持ち出すとすれば、国や地方自治体が個人の表現を制約したという場面が基本。
あいつが自分の表現に文句を言った!これは憲法上認められている表現の自由の制約だ!というのは基本的に誤り。
これが対抗言論の法理。
それを繰り返せば最終的に真理に至るはずというのが思想の自由市場論。
国がその表現を辞めろ、辞めなければ逮捕すると言えば個人は対抗出来ない。
それを防ぐのが憲法だ。
例外的に私人間で憲法が問題になるのは、巨大企業と個人のような覆しようがない力を持った者と個人との争いの場面。
【追記】
間接適用説について触れている方はある程度の知識があると思います。
間接適用説というのは憲法を私法の一般規定(抽象的な規定)に読み込むことで、憲法を間接的に私人に適用するという説です。
ただ、近年は何でもかんでも間接適用をすべきでないと言われていて、これまで間接適用説についての判例だと言われていた物もそうでは無いのではと言われつつあります。
これに対して、間接適用説側からも過去の判例を再検討して、間接適用をするフェーズを限定的に解する説というのが有力になりつつあります。
そもそも裏技的な間接適用を広範囲に認めるのは良くないのでは?という発想ですね。
そのため現在の間接適用説はとどのつまり無適用説とあまり変わらないのでは無いかと言われています。
あと憲法が私人に直接適用するのを当初から想定した規定があるのは単純に書き忘れていました(奴隷拘束の禁止とか労働基本権とか。)。
お詫びして訂正いたします。
Permalink |記事への反応(17) | 17:41
女性が殺人を犯す割合は男性に比べてかなり低いが、フィクションの中で女性による殺人を描いた場合、これは女性に対する偏見を強化することになるのかね?
私はなると思う。
ただ私は表現の自由を優先させて、そのような偏見は対抗言論で相殺されるべきで、そのようなフィクションに公的な問題があるとは思わない。
別にバズってるからじゃなくて、ミソジニーによる女性への攻撃を看過できないからだよ。
この気持ちはよくわかる。
自分も対抗してなるべくミサンドリーの立場に立つようにしてる。
男性を攻撃して、女性と同じくらいつらい気持ちを男性に味わってもらうようにしてる。
これは俺か…?
別にバズってるからじゃなくて、ミソジニーによる女性への攻撃を看過できないからだよ。
そういうの注意せずに容認すると、無制限に蔑視的価値観が蔓延するおそれがある。みんなスルーしちまうけど…
まあ個人の対抗言論は焼け石に水かもしれないが、だからと言って何もしない理由にはならない。
少なくとも「味方がいる」ってことを示すのは暴言を吐かれた当の本人は救えるかもしれない。
俺は以前、同じように善意の増田に救ってもらったから、お返し的な意味合いもある。
個人間のフェアなケンカには口を出さん。助けがいらない殴り合いはイジメではない。
そーゆー「普通の増田のあり方」を皆んなに強いて、いつもいる連中が居心地のいい場所にするべきじゃない。
そんな場所には、弱音も、愚痴も、ちょっとズレた奴のお気持ち表明も… 受け入れられる懐の広さはなくないだろう。
ケンカあり、ぶっ壊れあり、日常があって、たまにネコがいる。匿名空間ならではの“文章のジャングル”。増田はそんな場所であってほしいと思う。
あーそーゆーことね。完全に理解した。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1580116
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/mitukikuji/status/1297079062817456128
世の中には学術書の出版に際して「この本を書いてるあいだずっと聞いててめっちゃ励まされた」として大塚愛氏への感謝を書き綴った剛の者もいるが、彼が大塚愛氏に許可を取ったとはとても思えないし、私も私の知らないところで「増田さんに細かい点直してもらってマジ感謝」のような謝辞を論文に書かれたことがある。一言の断りもなかったし、それは当然だ。一般論として謝辞に許可は要らない。自由に感謝すればいい。
「こんな素敵な作品を作ってくれた原作者様に感謝」みたいなのも謝辞の一種だが、当然許可は取ってないだろうし、これを「公式からの公認」と見なすことはどう考えても誤りだ。
では、まったく反対の立ち位置に属する人間の名前を当てつけとして謝辞に書くのはどうか?
マナーとか気持ちとかは措いておくと、許されてしかるべきなのでは、と思う。
山口敬之氏にめっちゃ怒って、その怒りのあまり性暴力に関する啓発本か何かを書いた人がいたとする。皮肉を込めて「山口敬之氏に感謝」と書くことは制限されるべきだろうか。
警察に自分の創作活動を取り締まられたことで発奮したアーティストの人が、「けいさつありがとう」と表明するのは制限されるべきだろうか。
もしどちらも許されるべきと考えるのであれば、「ラブドール規制を主張するフェミニストに腹が立ったのをきっかけに作ったロリエロ同人誌でフェミニストへの謝辞を書く」ことも許されてしかるべきだろう。
……と思うが、裁判所が名誉毀損と判断する可能性がゼロかと言われると、正直わからん。
剽窃とか盗用とかはともかく、謝辞で裁判沙汰になった話というのはあまり聞かない。個人的には、フェミニストの人が同人作家の人を民事で訴えると面白い裁判例が残ると思うので、裁判を受ける権利を行使していただけると野次馬としてはたいへん楽しい。
twitterIDは個人情報ではない。それを記載するのも「晒し」ではない。
これ3年前にpixiv論文問題でやったところでしょ! 思い出して!(anond:20170528113521)
#KuTooの人も一般人のtwitterIDを記載してtweetを引用しまくった本を出してたんだし、フェミニストの人からしてもtwitterIDの記載そのものは別に問題ではないわけだよね? 記載される文脈とかそういうのを問題にしてるんだよね?
名前を出された当人が怒る気持ちはわかるとして(加えて、火の粉が飛んできそうな艦これ同人界隈の人やラブドール愛好家の人が怒るのも理解するとして)、周りのついったらーとかはてなーとかが大騒ぎしてる理由がよくわかんない。
pixivに載せた小説を論文に引用するのは自由だよね、引用する権利はあるよね、って3年前にやったじゃないすか。だったら、twitterで社会運動やってる公開垢に謝辞で言及するのも自由だし、その権利はあるよね、って結論になるじゃん。
「幼児型ラブドールを規制せよ」という言論に対抗してロリエロ同人誌を描き「あなたのおかげで創作意欲が湧きました!」と謝辞に名前を出すの、私はそこまで問題とは思わない。
そりゃみっともない振る舞いだし褒められたもんじゃないとは思うけど、そこまで含めて対抗言論ってやつでしょ。気に食わないならフェミニストの人たちもなんか本作ってその絵師のID載せてあげればいいと思うよ。
そういう話なら同じ同人界の人が同人界のルールで殴るのは止めません。あれ、でも、フェミニストって同人界のウチだっけ? ソトだっけ?
同人界の村の掟と法律での引用とか言及の扱いって割と乖離してるから、村の掟で殴りたいのか法律で殴りたいのかはハッキリさせておいた方がいいと思います。老婆心ながら。
ハンドルネームを名誉毀損での個人情報あつかいしてもいいのでは、って学説もあるみたいだよ。アカウントの信用が毀損されればネット生活はやりにくくなるからって。
当たり前だけどHNに対しても名誉毀損は成立し得ます。論点はそこじゃない。謝辞で名前を挙げることが名誉毀損(あるいは何らかの不法行為)にあたるか? という話。ぶっちゃけ、前例がないと思う。もし法廷で争われることになるなら、名誉毀損とはどういう行為に対して成立するのか、みたいな法学論争が必要になるはずで、善悪理非を別にすればめちゃくちゃ面白い裁判になるはずだから個人的にはすげえ興味ある。
名前ならまだしも垢を載せるのは違う気がする
その垢を使ってネット上で発言してる相手に言及するんだから、垢を載せること自体は普通のことでしょ。#KuTooの人もやってたけど、垢や公開でなされた発言を引用したりするだけなら何の問題もない。問題はその使われる文脈やね。
褒め殺しもでも実際イメージダウンしたのなら名誉毀損は成立すると思うがエロ同人の奥付の謝辞程度なら実害の証明は難しいのでは?
事実の摘示も論評もしてないからねえ……エロ本の末尾でSpecialThanksに名前を挙げただけ。これで名誉毀損は無理があるでしょ。
法律論は雑だな。あと事実の摘示かどうかは関係ないよ?「問題とされる表現が,人の品性,徳行,名声,信用等の人格的価値について社会から受ける客観的評価を低下させるもの」かどうかが問われる。
「問題とされる表現が,人の品性,徳行,名声,信用等の人格的価値について社会から受ける客観的評価を低下させるものであれば,これが事実を摘示するものであるか,又は意見ないし論評を表明するものであるかを問わず,成立し得るものである」の後段を削るのずるくない? 私ちゃんと「事実の摘示も論評もしてない」って書いてるじゃん。「謝辞欄に名前を載せる」ことは事実の摘示とか論評にあたるの? っていうのが問題の核心でしょ。これについて判例はあるの? 私の乏しい知識では聞いたことがないから、もし知ってるなら教えてくれると助かるのだけれど。
謝辞に名前を載せることを冒用とは言わんでしょ……SpecialThanksと書いた時点で明確に他人であるとわかるようになっているわけで。
この本を国会図書館に納品したらかなりの嫌がらせになるだろうな。(特定の個人)を攻撃する為に国会図書館の納本基準を満たす本を作って流布する事を法律は想定していたのか
そんな雑にまとめられたら安倍晋三氏を当てこすった諷刺本とかも国会図書館に入れられなくなるやんけ……そんな気軽に言論の自由を危うくする主張をされても困るんだよなぁ。
似たような事は他でもやってるので違法にはならんけど行儀はよくないよね。(温暖化防止に非協力的な国を皮肉で表彰して晒し上げる行為をヨーロッパでやってるのを想起させる)
そうそう。他にも例を挙げるとするなら、ムルロア環礁での核実験の直後にジャック・シラク氏にイグ・ノーベル平和賞あげたみたいなやつだよね。
もちろん政府や国家元首に対する揶揄・当てこすりと一般市民に対するそれとでは名誉毀損に対するハードルも違うだろう。けど、こういう「批判目的での顕彰」そのものは言論活動の一部として認められるべきかなぁ、とも思う(あくまでも法律の上では)。相手はtwitterという公開の場で言論活動をされている方なわけだし、同人誌という公開の場で当てこすられるのくらいは仕方ない。
ここではフェミニズムの倫理とかではなくて法律の話をしているので……法廷での名誉毀損の基準は極右とフェミニストとを区別するものであるべきではないので……
書き方によっては名誉毀損で負けることもあるだろう。例えばなんの説明もなく名前だけ載せれば直接的にその本に関わったという誤解が生まれるし。
まあ仮に訴えるならそういう理屈にするしかないだろうけど、そういう誤解がどれだけ一般的かを示す必要があるだろうねえ。ちょっと前に『この世界の片隅に』実写版がSpecialThanks欄でアニメ映画版に言及して燃えてたけど、ああいうのが検討すべき事例ってことになるのかなぁ。
SpecialThanksって書いてた以上、名前を挙げられた人が発行に直接携わっている人ではないことは自明なので、文中で書くのも奥付で書くのも同じじゃね? って感じがする。もし意味合いが違うと主張するなら実際に同人誌での用例を調査する必要があるだろうなあ……裁判するのであれば原告にはその点の立証を頑張ってほしい。
作品内で名前を出された以上はその作品の構成部品として関わったと言えるわけで、差し止めを要求する権利は生じるのではないか。それが通るかどうかは別の話としても。普通に考えれば名誉毀損かなあ。
「執筆中、私をずっと支えてくれた配偶者に感謝」「音楽が私の励みになりました。Mr.Childrenには感謝しています」「プリキュアを見て執筆のための勇気を出しました。ありがとうプリキュア」のような謝辞を書いたら配偶者やMr.Childrenやプリキュアが作品の構成部品として関わったことになるの? なわけねーだろ。
20年前なら、たまにある悪趣味な同人誌の一つとしてひっそりと埋もれていたのだろうが、今は即座に当事者とその周辺まで伝わるから、話が大きくなりがちではある。
ぶっちゃけ一番あのSpecialThanksの拡散に寄与していたのは当事者やその周囲の垢でしょ、という……pixiv論文問題もそうだったけど、SNS時代では名誉を傷つけるような表現を一番拡散しているのが名誉を傷つけられた側、みたいな事例が容易に起こるからなぁ。こういうのって裁判の場だとどう判定されるんだろうね。
オタクの風上にもおけないクズ野郎だと思うし、実行委員会判断で即売会出入り禁止になれば良いと思う。トラブルメーカーによる対人トラブルは同人界隈でままあるし、同じ枠で対処で良いのでは。
そうそう。「同人ムラの掟」によってムラの内側で裁く分にはご自由に、なんだよね。逆に言えばムラの外側の法律とかでどうこうするのはすごい難しいんじゃないかなあ。
Pixiv論文は悪意こそなくても文化への理解がない態度だったと思ってるが、こっちはどうみても悪意ありきの行為だし比べられん。それを看過・容認するのは私も含めた同人屋でオタクの人らに良いことと思えんよ。
正直こういう反応すげえウンザリする。同人屋の人たちが同人村の掟で殴る分には好きにすればって何度も書いてるでしょ。法的に問題ないとしても同人の掟に背く、というなら村人の間で存分にケジメをつければよろしい。村の掟と国法をごっちゃにするなと言ってるだけ。
現状のラブドールは合法で子供でも何でも無いモノと法的に扱われる以上、裁判に持ち込んだらこっちの名誉毀損は成立しそうだよね。世論的にも一般的だとは言い難いでしょう。
論評の範疇やろ……こんなんいかなる意味でも名誉毀損として扱われるべきじゃないわ……
法的に問題ないなら何でもOKという暴論なら、
「オタクキモい」「オタクは犯罪者予備軍」も問題ない、OKだ、って事になるな。
そんな常識をドヤ顔で口に出されても……当たり前だけど「オタク」も「フェミニスト」も「ロリコン」もその他多くの属性も属性disをするだけなら法的に何の問題もないよ(ヘイトスピーチ規制法に罰則はないし。最近はヘイトスピーチに対して罰則を設ける条例が出てきているので常に合法とは言えないけど、でも基本的にはコリアン差別に対抗するための条例だから、趣味やセクシュアリティに基づく差別の煽動は禁止されていないはず)。
ただそれは社会の中では差別主義者と評価されたりしますよねっていうだけの話。私は法的に問題ない可能性は高い、と言っただけで、社会的にどう評価されるべきかというのはまた別問題なので……
やるなら自分と発行元が全責任を負える形態でやれとしか言えない。この行為を二次創作同人誌でやった結果、版権元、イベント主催等が被った被害は例の同人作家はきっちり精算してほしい。
その精算すべき被害ってなあに? 被害の存在をちゃんと法律的に立証できるの? というお話ですね。立証できる見込みがあるならぜひ裁判やってみてほしいわ。原告が勝つにせよ負けるにせよどういう判決が出るのかマジで興味があるので。
裁判すればいいじゃんではなく、その裁判をするとなるとロリレイプ虐待二次創作やロリセックスドール是非とかの繊細な案件が法廷に巻き込み事故で引きずり出される事が懸念されてるのでは?
最決R02.1.27
平成29年(あ)第242号
……同条3項にいう「児童ポルノ」とは,写真,電磁的記録に係る記録媒体その他の物であって……実在しない児童の姿態を描写したものは含まないものと解すべきである。
非実在青少年は児童ポルノ法で規制される児童ポルノにはあたりません。仮に巻き込まれても堂々と「持ってて何が悪いんですか」と言えば済む話。二次創作は……まあ、がんばって。
狼藉者を見かけた時「糾弾する前にまず理論武装を」というのは現代人が獲得した美徳なのだろうけど、武装に専門知識が必要というのは物理でも理論でも同じなので自力救済せず黙って通報が最もストレス少ない気はする
穴だらけのぼくがかんがえたさいきょうの法律理論を振り回すくらいなら「こいつムカつく! サイテー!」とお気持ちを表明する方がまだマシなんだよね……
まあ、嫌がらせ上等なクソヤクザみたいなのも含めて「オタク」なわけで。裁判になったら、山田太郎代議士とか含めて大同団結して擁護するんですかねえ?いやあ、見ものだ。
山田太郎氏は参院議員だから代議士じゃないよ! 代議士ってのは衆院議員のことだよ!
「これ違法だろ」「名誉毀損だろ」などと雑な棒を振り回して殴っていたネット民の皆様☆
Permalink |記事への反応(23) | 20:55
京太郎っつー人が、シーライオニングというのは修辞疑問文による悪質な攻撃のことであり、問題視するに値する、みたいなブログを書いて、それに対してブコメで賛否がよせられてる。
まあ七割くらいが否かな。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/tatsumi-kyotaro.hatenablog.com/entry/2020/07/18/231036
たださぁ、このブクマカから京太郎への批判が、なんかズレてんのが多いんだよな。
「ヘイトを口にしてる婦人が悪いだろ」とか、「『修辞疑問文は攻撃性があるからダメ』は、普段キミらが批判する、トーンポリシングによる対抗言論封殺だろ」とかが多いしスターも集めてるけど、そこじゃなくない?
記事を読めば、京太郎はこの辺の批判は既に想定済みだろうことがわかる。
以下の部分だ。
無論、シーライオニングをしたからと言って即座に倫理的に批判されるべきだというわけでもないのでここに関しては注意しなければならない。シーライオニングを行うことそれ自体は如何なる場合においても正当化できない行為というわけではない。
これは例えばシーライオニングを行う者が社会的マイノリティ、被差別者だった場合を考えれば十分だろう。あの漫画で描かれていたのがアシカではなく黒人だった場合、婦人の発言は単なる個人的趣味趣向の域から逸脱してしまう。
念のため、別の言葉でも言い換えよう。(言い換えが間違っていると京太郎氏に指摘されれば撤回する)
「婦人が強者でアシカが弱者である場合は、婦人の発言は同じでもヘイトや差別となるので、ヘイトへの弱者の抵抗として、アシカが修辞疑問文戦法をとることは正しい行いとなる」と書かれてるわけだ。
はい、こう言い換えれば、ポリコレに疑義を持つはてブァーのみなさんは猛烈に反論が浮かんだだろう。
とかが浮かんだだろう。
少なくとも京太郎は、状況や文脈によるという条件付きだが、婦人の発言がヘイトになることもあるとわかってるし、シーライオニングすんなって言うのはトーンポリシングによる弱者黙らせになることもあると、わかって書いているわけでね。