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2025-08-03

8月2日放送ETV特集火垂るの墓高畑勲と7冊のノート」を観た。

https://www.ghibli.jp/info/013977/

番組では、これまで存在が知られていなかった7冊の創作ノートが紹介された。高畑映画火垂るの墓』において、原作に忠実でありながらも「F清太(ファントム幽霊)」という独自視点を加えたことが4冊目のノートで明かされる。原作と異なる重要な点は<思い出のなかの清太>と<幽霊としてのF清太>の二人がいるということだという。F清太は、最後に観客をじっと見つめ、現代私たちに問いかける存在として描かれている。言われてみれば確かに映画の冒頭と最後カメラ目線の瞬間がある。長年、心の奥底に染みついていただけだったが、改めて自分がF清太に見られていたことを強く意識させられると同時に、その意味が次第に言語化されてきた。そうか、過去自分を思い出す幽霊から始まっているのか。過去を思い出し、未来目線をむける、その行為に何か深みを感じた。

F清太は何を思い出していたのか

この映画は、多くの人が指摘していることだが、子どもの頃と大人になってからでは感じ方が変わる。清太は二人で生き抜けると信じて家を出たが、現実は甘くなく、妹を死なせてしまう。その未熟さは、みる大人には悔しさを呼び起こす。

そこに、F清太の俯瞰的視線意識してみると今度は、清太の個人物語を超え、より大きな歴史的文脈で当時の日本という国の姿と重なって見えてくる。清太は、叔母と決別したあと、東京の親戚の居場所を探そうともせず、叔母との和解を諭した農家医師言葉に耳を貸さなかった。和解するチャンスは何度もあったが、戻ろうとはしなかった。その判断は、満州事変以降ABCD包囲網に至るまで、外交解決放棄して戦争に突き進んだ当時の日本の姿と共鳴しあう。そして節子の死もまた、戦時中兵士の多くが飢えで亡くなった現実と重なり、戦争が長引き補給が途絶え、国家国民を守れなくなった姿を映している。空襲のたびに街へでて火事場泥棒を働き、痛快な笑顔で横穴に戻る清太。二人が暮らした水辺は、あたか戦地となったアジア太平洋すらも想起させる。

内なる他者=F清太は、自分自身過去の行動を死者の目線で見つめており、時には未来の観客の目をまっすぐに見返してくる。このカメラ視線意識すればするほど「なぜこんなことになってしまったのか」と、観ている私たち一人ひとりに問いかけているように感じられる。ここには、レヴィナスの<他者>を思わせるものがある。レヴィナスによれば、自己他者の顔に直面することによって、つまり一方的な応答責任に巻き込まれることによってこそ立ち上がるという(『全体性無限』)。F清太の視線が観客に向く、その瞬間、私たちは名指され、呼び出され、ただの観客ではなくなる。作品の外でメタ存在であるはずだった私たちは、他者まなざしを向けられることによって物語の中に引き込まれ、「問われている存在」として主体構成を迫られる。「自分ならどうしたか?」―作品の内と外を隔てる壁を破り、私たち自身判断責任を静かにいかけられる。

番組では、作家綿矢りさが「子どものころは清太のサバイバルをワクワクしながら観ていた」と語ったのも印象的だった。その感覚は、太平洋戦争開戦直後に「きっと勝てる」と信じていた日本人の空気に通じる。興味深いことに、高畑絵コンテには、防空壕での痛快なサバイバル生活もっと丹念に描かれていたが全体の尺の都合から削られたのだという。上映日が迫るなか、高畑本人は自ら切り捨てることを忍び得ず、鈴木敏夫に削除を一任した。番組で紹介された不採用絵コンテを見る限り、水辺ののどか生活風景のようだ。編集により、水辺で暮らし始め、父はきっと帰ってくると信じていた清太の胸に去来した観艦式の思い出や軍艦マーチ、そして火事場泥棒などのエピソードが残った。最初希望に満ちていても、ゆっくり悲劇が忍び寄る―そうした構造が、上映直前の編集によって鮮明に浮かび上がったように思えた。

物語の転機は、敗戦を知り、父の所属する連合艦隊の壊滅を知る場面だ。<連合艦隊>は単に日本軍というだけではない、海軍のなかでも特別位置づけをもった組織だ。通常の艦隊部隊は、海軍省等の指揮命令系統に組み込まれ、直接に天皇と結びつくことはないが、連合艦隊司令長官は「天皇直隷(直属)」という形をとっていた。そこに士官として所属していた清太の父はエリート中のエリートだ。

その連合艦隊所属する父は清太にとって「何とかしてくれる」存在であり戦争正義のものだったが、その希望が崩れ落ちる。その絶望は、敗北を直視できず精神論にすがった国民の姿と重なる。節子が死んだ夜の風雨は枕崎台風だ。この台風農作物は壊滅し、翌年にかけて1千万人の餓死者が出るのではとの大臣談話が出ていた。そして清太が最期を迎える三ノ宮駅は、父に再会できるかもしれないという一縷の望みにすがった象徴でもあった。見事な演出だ。

そしてF清太の目線は、丘の上からみおろす現代夜景へと転じ、物語最後に、いまを生きる私たちに向けられる。その物言わぬ視線はあたかも「清太の行動が未熟に見えたあなた。けれど、あなたが同じ状況に置かれたとき、別の選択が本当にできるといえますか?そうするほかなかった、と空気に流されるのではないですか」と問うているかのようだ。

もっとも、ここまで述べた感想はF清太に焦点を当てた深読みの試みにすぎない。『火垂るの墓』の99.9%を占めるのは、やはり胸を締めつけるような少年悔恨であり、戦時下のどうしようもない状況、飢餓といった普遍的テーマだ。その圧倒的な描写力に観るたび心を揺さぶられる。しかし、その感傷のただなかで、最後にF清太がふと視聴者に向けた視線だけは、別のすごみがある。全体の流れからすればわずか1秒足らずに過ぎないが、その一瞬にメタ視点からメッセージが宿り、感傷を突き抜けた先に観客をつれてゆく力を持っている。川島雄三的な手法だ。

過去反省とは何か~語られない戦争経験

清太が叔母の家を出たのは、彼の自立的選択だったのだろうか。清太の行動はむしろ、「しょうがない」の状況に流された形にみえる。東京の親戚を訪ねれば?との叔母の問いにも「だって場所知らない」というつぶやきも状況を受け入れているにすぎない。国家もまた、ABCD包囲網を前に「他に道はない」と繰り返しながら、実際には〈選択不能性〉を自己演出し、主体責任回避した。ここに丸山眞男が「無責任の体系」と呼んだ入れ子構造垣間見える。

しかし、その<仕方のなさ>の感覚は、まぎれもない当時の人々にとっての記憶だ。戦後戦争記憶を語らない人も多かった。「あのときは選びようがなかった」という感覚は、語れば外から価値観に塗り替えられてしまうという恐れを呼び起こす。占領下の日本GHQの統制下、180度価値観が転換されるといわれた時代戦争を生きた記憶は、勝者の正義空気の中で、語ればすぐに記憶が塗り替えられてしまう。語れば壊れてしま記憶を守るための沈黙はとてもよく理解できる。<反省>という行為進歩感覚がセットになると、胡散臭さが付きまとう。日本は生まれ変わるのだといわれてもなと。冒頭の三ノ宮駅での通りすがりの人の「もうすぐ米軍が来るというのに、恥やで、こんなんおったら」は象徴的だ。結果として人々は沈黙していたのではないだろうか。

終戦直後小林秀雄は「近代の超克」を自省する知識人たちを相手に、「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と言い放った。知識人たちの総括に対する小林の態度は考えさせられる。小林戦前から一貫して進歩主義に基づくマルクス主義史観には距離を置く発言をしてきた文化人だ。

また、反省という言葉を聞くたびに思い出すのは岸田秀だ。「ものぐさ精神分析」のエッセイ集のなかで、酒を飲んでやらかししまったとき自己嫌悪を例に挙げ、なぜ反省しているのに何度も同じことを繰り返すのか、そもそも自己嫌悪」とは何かを分析した。自己嫌悪に効果がなく同じことを繰り返してしまうのは、<倫理的覚醒した自分>が<コントロールを失って暴れた自分>を自省し、本来自分倫理的で、酔って暴れた自分本来自分ではなかったという卑怯立ち位置のもとで成り立っているからだと喝破した。これは「まだ本気を出していないだけ」の思考回路と同じだ。

同じことが、戦争記憶もいえるはずだ。特に戦中派(特攻世代)の一つ上の世代記憶

太平洋戦争末期を思春期青年期に過ごした戦中派と異なり、それ以前の世代戦争記憶は同じ戦時下といっても微妙に異なったものだっただろう。戦争が泥沼化するに伴い、決して人に言いたくない血塗られた戦闘に巻き込まれ世代だ。長期化する日中戦争に伴う厭戦気分と士気の低下が増大するにつれ、あとに続く若い世代忠義心がむしろ煽られるのを目の当たりにしていたし、強い責任感とともにお国のために尽くす自己犠牲の美学に傾倒するさまをみていたはずだ。この世代葛藤を描いだドラマ作品に、山田洋次原作少年寅次郎』(脚本岡田惠和)がある。戦地から戻った寅次郎の父が罪悪感からさくらの顔を直視できなくなる場面がある。彼は中国戦線で同じ年ごろの子どもを殺していたからだ。その罪の重みと、生きていかなければならない現実とのあいだで沈黙する姿が描かれる。アジア太平洋への侵略を後世の人間反省するとき被害者側や左派論理で都合よく記憶が加工されてしまうが、それは本当に反省といえるのか。歴史被害者記憶で塗りつぶせばいいわけではないはずだ。これが右派もしくは保守の大方の感覚だろう。そして保守もまた、お国のために尽くし自らの経験責任を美しく語れる世代と、戦地で自ら手を血に染めた禍々しい記憶を胸に沈黙する世代に断絶が生じ、結果として戦後記憶をより美しく語ったほうが、あたかも風化に耐えた岩盤のような面持ちで保守の本流になっていった。右派記憶の加工に加担しているのだ。語られぬ記憶による生存者バイアス、そして私たちが何を記憶としてすくい取るか、その流れ自体が、戦争記憶の複雑さを物語る。

しかし、そんな個人としての記憶のしまい方は、将来世代戦争を止める契機を奪う力学としても作用することに次第に気づかされる。「あの頃はどうしようもなかった」という思い出は、欺瞞的な反省への個人抵抗ではあっても、やはり将来世代には反省を承継しなければならない思いも強まる。小林秀雄は、歴史は上手に思い出すことだ、といった。しかし、後世の人はえてして都合のいいことしか思い出さない。記憶封印によって社会戦争忘却するくらいなら、という思いで晩年になって初めて戦争記憶を語り始める人もしばしばみられる。それは、自らの死の間際になると、社会忘却ダイナミズムが見え始めるからではないだろうか。

宮崎駿監督作品との対比

火垂るの墓に対して宮崎駿がどのように思っていたか番組では紹介されなかった。

同じ終戦前後少年内面を描いた宮崎作品として『君たちはどう生きるか』がある。もし高畑アプローチレヴィナス的な<他者>であったとすれば、宮崎のそれはヘーゲル的な<承認>の構造を想起させる。新しい母との関係を受け入れられない眞人にとって異世界への旅は必然であり、死者や過去存在出会い、その言葉に耳を傾けることが自らを見つめ直すきっかけとなった。それは、自己意識他者との対話を通じた承認によって成り立つというヘーゲルテーゼを思わせる。他の宮崎作品をみても、むしろ近代的な自我対話承認責任の引き受けといった構造の中で人間の成長を描こうとする傾向がみてとれる。「泣くときは一人で泣け(風立ちぬカプローニ伯爵)」や「じたばたするしかないよ(魔女の宅急便の森の絵かき)」、「今からお前の名前は千だ(湯婆婆)」など成長と自立を促すダイアローグ宮崎アニメに特徴的だ。

これに対して「火垂るの墓」では、他者との対話よりも、むしろ「思い出す」ことが大きな意味を持つ。叔母の家を離れた理由も、節子の死後に池へ戻らなかった理由も明示されない。ときには悔恨を滲ませる表情でF清太に思い出されるだけだ。西宮のおばさんが母の着物を米と交換するのを節子が泣いて嫌がるシーンで、耳をふさいで苦悩するF清太の表情は忘れがたい。

高畑作品のもう一つの特徴は、人々が主人公に過度に伴走しないことだ。叔母さんの描き方にそれは表れており、主人公を見放すひとには見放すひとなりの人生がある。だからこそ、視聴者とき西宮のおばさんに共感を寄せたりもする。これは<思い出す>ことを重視した高畑ならではの演出手法であり、主人公がどうであろうと、人にはその人なりの人生があり、決して主人公に語りかけるためにだけ登場するわけでも、寄り添っているわけでもない。これは、視聴者視点を固定し、常にだれかに見守られて成長するお姫様王子特性主人公を描いてきた宮崎駿作品とは対照的だ。

<思い出す主体>を用意する手法は『おもいでぽろぽろ(1991)』にも表れる。記憶の中の小学四年生自分という思い出を<内なる他者>として宿し、現在自分=タエ子27歳が過去を振り返り、沈黙していた感情や語られなかった出来事に光を当てるという手法である。そこでは、言葉にされなかった過去とともに今を生き続ける姿勢が描かれており、<思い出す主体であるタエ子27歳とF清太の視線は同じ構造を持つ。つまり高畑は「語られなさ」をただの欠落ではなく、むしろ思い出すことを通じて現在を形づくる力として示している。

高畑宮崎の両者が描いたのは、どちらも「戦争少年の魂」であった。両者はまったく異なるアプローチながら、しかし同じ戦後を見つめていた。宮崎は、自我他者との対話承認によって確立されるという弁証法的な構造物語組み込み言葉や応答を通じた関係性の中で成長を描こうとしたのに対し、高畑は「語られなさ」に宿る沈黙の力ー思い出すことで再生される倫理に重心を置いた。高畑勲は『火垂るの墓』を通じてどこまで人間真実に迫れるかを静かに証明してみせたのだと思う。

君たちはどう生きるか」に見られる過剰なまでの<対話>は、『火垂るの墓』に対話がなく沈黙に包まれていることとの見事な対比をなす高畑は、あえて沈黙した視線を通じて「別の選択」の可能性を観客の私たちに突きつけた。「そうするよりほかになかった」状況、それが水辺でのサバイバルであれ、太平洋戦争であれ、それを回避する主体的な<選択>の余地は本当になかったんですか?と。それを対話ではなく、沈黙視線表現した。それがラストシーンでふと一瞬、観客のほうに視線をむけるF清太なのだ

これは、<記憶を語らない>ことで選択拒否し、結果として空気に流されてしま私たち精神構造を映し出しつつ、同時に、後世の人が<思い出す行為>を通じて「いか主体的に選択しうるのか」を問いかける――その両義性を体現した見事な映像表現というほかない。比較すると、救いの構造が異なる二人の巨人のすごさがわかる。

高畑手法小林秀雄風にいうならば、歴史を上手に思い出せるんですか?という問いになろう。小林がいうように、人は不完全であり、過去をまっすぐ生きてきた人の手触りを感じることは難しい。上手に思い出すというのは実は難しいことだ。むしろ現在価値観民主主義人権)によって自分たちは成熟している、進歩しているという思い込み邪魔されてしまう。当時の人々の生を未来の人しか知らないフレームに当てはめてしまい、他人事としてしか理解できないというのは往々にしてあるのではなかろうか。ここまで言葉にしてきたやや穿ち過ぎな分析がまさに記憶台無しにする悪い見本だ、ということも含めて。

Permalink |記事への反応(0) | 20:57

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2025-07-07

誕生日なんか大嫌い

今日は素敵な誕生日

七夕誕生日

人に覚えてもらいやす誕生日

自分誕生日を覚えてくれてる人の誕生日を忘れてしまって気まずい思いをする。

から誕生日を祝い合うというのが苦手だ。祝ってもらったんだからこちらも祝わなくちゃ。そう義務感を感じることが嫌だ。「年賀状の嫌さ部分」にも通じるものがある。加えて、そう思う自分はなんて器の小さい人間なんだ、と感じることもセットで付いてくるから誕生日」が近づくとなんだかモヤモヤしてしまう。

できれば、なんとなく忘れられて誕生日を過ごしたい。なぜ自分はこんなにもひねくれているんだろう。もう人生も折り返しの年齢なので、自分性質については、しょうがねぇよなぁ、と割り切ってはいるが、記念日をまっすぐに喜べる人間を見ると、少し嫉妬してしまう。

いや、私も誕生日のものにワクワクする気持ちはあるのだ。たださっきも言ったような、誕生日にまつわることが不器用だったりする自分を受け止めきれていないかモヤモヤしてしまうんだと思う。

超絶身近な人、本当に気を使わない家族に祝われるのはすごく嬉しいし有り難いとまで思う。

もう一つ、文章にするのも勇気がいるが書いてみよう。毎年、微妙距離感の親戚に、お祝いメールをもらう。でも私からはお祝いメールしたことがない。毎年毎年でっかい罪悪感を持つ。お祝いメールをもらうごとに「不義理」を再確認させられくらってしまう。もうケチョンケチョンに。

すんませんすんません、ほんとに、こんな人間で、すんません…。ゆるしてーやー!!!!!

不義理って!!!

悪いことなんすか???

逆ギレである

私が車寅次郎なら許されるんだろうか?などと飛躍する。

あー、とりあえず、誕生日当日を無事にやり過ごそう。

まだあと半日ある。

ケーキは買おうかなと思っている。

Permalink |記事への反応(1) | 12:12

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2025-06-21

この記事はけっこう刺さってしまったなあ。このおじいさん2010年当時95歳か。この世代戦争体験生の声で聞ける時代は、もう終ってしまったのだなあ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/2b0b23e248c99cadd393ab67a11a0a5ce4a6662d

「許してくれ、許してくれ」とガマで泣き崩れた 沖縄戦母子を撃った90代の元日本兵が謝罪

6/19(木) 6:04配信

沖縄タイムス

兵士の照屋さん(仮名)が住民あやめしまったと告白した時に巡った壕。入り口に生える草は光がさす方に背を伸ばしていた=3月6日沖縄本島(竹花徹朗撮影

 

 「私は銃の引き金を引いてしまった。今でも何度も夢に見る。苦しくて、苦しくて。このにおいは間違いなくあの親子のいた場所です」

 2010年のある日、沖縄本島内のガマで、照屋さん(仮名)は泣き崩れた。90代半ばの元日本兵。言葉にならないような震えた声で「許してくれ、許してくれ」と何度も謝った。

 臨床心理士吉川麻衣子さん(49)=那覇市=が沖縄戦体験者でつくるグループ「語り合いの場」を立ち上げて5年目だった。

 参加の意思があるか、ないか体験者に繰り返し確認するのが吉川さんの手法だ。

 事前面談が21回に及んだ照屋さんは、吉川さんにだけ、自身過去を打ち明けていた。「みんなの前では語らないけれど、場には参加したい」との相談に、吉川さんは「無理しないで、自分のペースとタイミングを大切にしましょう」と伝えた。

 体験者は照屋さんを含め9人。グループは月1回、それぞれの戦争体験で関わりのある場所を巡ったり、公民館で集ったりした。

 「私は兵士でした」。照屋さんはそう自己紹介した以外、ほとんど口を開かず、表情も変えずに部屋の隅でじっと座っていた。記憶が残る戦地をどう巡るか意見を出し合った時も、「私にはそういった所はないので、みんなに任せます」と仏頂面だった。

 それでも、会を重ねるごとに表情は和らいでいった。吉川さんと出会って6年が過ぎた頃、「話がある」と切り出した。「いまさら申し訳ない。皆さんがいい、って言ってくれたら、あのガマで手を合わせたい」。吉川さんは「ようやく照屋さんのタイミングが来たのだな」と受け止めた。

 慰霊の日を終えた後の夏の日だった。照屋さんは仲間たちとあのガマを訪れた。

 意を決したように入り口に近寄るが、すぐに立ち止まる。しばらくして再び歩を進めると、また止まった。

 そんな動作を何度か繰り返すと、仲間の男性が照屋さんの手を取り、中へ入った。

 「間違いない」。照屋さんはそうつぶやくと、ごつごつとした岩場に膝をつき、嗚咽(おえつ)を漏らした。

■元兵士 65年後の告白 妻子は原爆で命落とす

 90代半ばの元日本兵、照屋さん(仮名)は一通り泣いた後、語り出した。

 所属部隊のガマが米軍に見つかったこと。住民避難していたガマを部隊が使うと決めたこと。ガマには住民がぎゅうぎゅう詰めで、上官が「ここは今から我々が使うから、一人残らず出て行け」と命じたこと。痩せ細って泣く赤ん坊を抱いた母親が照屋さんの足にすがり「お願いです。この子だけは生かして」と叫んだこと。そして照屋さんがその親子を銃で撃ったこと-。

 告白の後、参加者全員で線香をたいて手を合わせた。メンバーの一人に「話してくれてありがとう」と声をかけられると、今度は声を上げ、子どものように涙を流した。

 帰り際「一人では二度とあの場所に近づけないと思っていたが、みんなが背中を押してくれた」と頭を下げた。「戦争の時にしてしまたことは消えないけれど、供養になれば…」と言葉を継いだ。

 照屋さんは1915年沖縄本島中部で生まれた。厳しい父と優しい母に育てられ、かけっこが得意だった。25歳の時、五つ年下の女性結婚。生まれた娘には豊かな子に育ってほしいという願いを込め、「トミ」と名付けた。

 太平洋戦争東南アジア戦地出兵。「家族を守るため自分の命をささげる」との決意だった。戦争が激しくなった44年、沖縄に配属された。日本軍と県は住民の県外疎開を促していた。照屋さんと入れ替わるように妻と子は船に乗った。

 45年8月15日日本敗戦を伝える玉音放送収容所で聞いてうなだれた。ようやく戦争が終わったと実感したが、県外に渡った妻子とは連絡が取れなかった。行き先は聞いていなかった。

 2人が長崎疎開し、原爆で命を落としたことを知ったのは数年後のこと。自分が殺してしまった親子への罪悪感と、心の拠(よ)り所だった家族を失い「生きている価値がない」との絶望から沖縄を離れたが、仕事関係で間もなく戻らざるを得なくなった。

 それでも故郷集落には足が向かなかった。手元に1枚だけ残った妻と子の写真は肌身離さず持ち歩き、なるべく人と接しないよう、ひっそり暮らした。

 戦時体験を明かすまで65年。照屋さんと対話を重ねてきた臨床心理士吉川麻衣子さん(49)は「話したからといって、罪悪感を払拭したいという思いがあったわけでも、自分行為正当化たかったわけでもないと思う」と胸の内を推察する。

 「照屋さんにとってこの場なら大丈夫安心して、自分で話せるようになるのに、それだけの時間必要だった。私はただ待って、機が熟したと本人が感じた時にそっと背中を押すという距離感を保ってきた」と振り返った。(戦後80年取材班吉田伸)

この記事、読んでいて本当につらかった。

なにより衝撃だったのは、泣き叫ぶ子どもだけでなく、その母親まで撃ったということ。あまりに酷すぎて、もし自分家族だったら、このおじいさんを絶対に許せないと思った。久米島守備隊の住民虐殺事件など、日本軍の行動を思い出しても、本当にひどい。

きっと、当時の兵士にとって、住民は守るべき存在ではなく、戦闘の妨げになる「障害」と見なされていたのだろう。でも、もしそうだとしたら、一体何のために戦っていたのか?普通に考えれば疑問に思うはずだ。だが、その「普通に考える」という倫理観は、命の危機さらされた極限状態では働かなくなってしまものなのだろう。

一方で、彼は自分の妻子を県外に避難させようとした。冷静な倫理観を失っていなかったともいえる。しかし、妻子は長崎原爆により命を落とすという皮肉な結果を迎える。「因果応報」という言葉が浮かぶが、亡くなった家族にとってはあまり残酷すぎる結末だ。


このおじいさんは1915年まれ。つまり、戦中派(特攻世代)より一回り上の世代にあたる。戦後80年、この世代体験談を聞ける機会はもはや残されていない。「普通に考えればわかるはずの倫理」が破綻した時代を生きた世代だ。象徴的な人物としては大岡昇平奥崎謙三俳優では池辺良。池辺のエッセイには、部下に恨まれ将校が海に放り込まれエピソードなどがさらっと描かれており、ユーモアを交えて将校時代下克上が語られている。奥崎は、部下の処刑をめぐって上官を追及したドキュメンタリーで知られる。


戦争体験世代は、大きく三つに分けられる。

第一に、1910年代以前の生まれの「戦争指導した大人世代」。上官や責任ある立場戦争に関与し、戦後沈黙を保って生き延びた人々。戦場人間性喪失し、それでも帰ってきた。

第二に、大正末期から昭和一桁生まれの「特攻・戦中派世代」。三島由紀夫鶴田浩二吉田満らが代表で、国のためひとのために尽くし、「美しく死ぬこと」に倫理見出し、ある種過剰に倫理的だった。岡本喜八映画作品にみられるこうした倫理へのアンチテーゼもまた戦中派の主題となった。

第三に、終戦時に少年期だった「焼け跡世代」。彼ら子供に目には、戦争から帰って沈黙した親たちの世代国家報恩を信じて裏切られた兄たちの世代ギャップみえていたはずだ。


このうち、戦後戦争体験を最も語ったのは特攻世代だった。戦前派は血塗られた過去沈黙を貫き、焼け跡派は語れるほどの戦地体験を持たなかった。

特攻世代の特徴は「死の意味」を内面化しようとしたこと。彼らにとっては、「美しく死ぬ」ことで自分運命を受け入れるしかなかった。その純粋さが戦後道徳観につながり、吉田満に代表される感性現代保守層理想視されてもいる。

しかしその倫理観には、自己満足欺瞞が含まれている可能性もある。過去自分の非を、倫理的になった「現在自分」が糾弾するかたちには、どこか自己満足偽善が入り込んでいる。ご都合主義というやつだ。

そして、その倫理観被害者に対しても危うい。「恨まれて当然のことをした」という構図を強化してしまいかねない。戦場での行為は謝って済む話ではないことがほとんどだ。怨恨抽象化され、「慰安婦」や「ホロコースト」のように象徴的な言葉として拡散され、世代を超えて敵意の燃料となっていく。

脚本家橋田壽賀子も戦中派世代。「おしん」に出てくる夫・竜三は、隣組組長として若者たち戦場に送り出した責任をとって自決する。そこには戦中派の「死によってけじめをつける」という倫理観が濃く反映されている。

死によって責任を取るという倫理のあり方は、戦争中は自分戦意を煽っておきながら戦後になると民主主義的な道徳を語り始めた知識人自己批判にも似て、実は同根なのかもしれない。終戦直後、小林秀雄は「近代の超克」を自省する知識人たちを相手に、「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と言い放った。

知識人たちのある種の自己嫌悪に対する小林の態度は考えさせられる。

岸田秀は「ものぐさ精神分析」のなかで、酒を飲んでやらかししまった失態を例に挙げ、なぜ反省しているのに何度も同じことを繰り返すのか、そもそも自己嫌悪」とは何かを分析した。倫理的に覚醒した自分コントロールを失って暴れた自分を自省し、本来自分倫理的で、酔って暴れた自分本来自分ではなかったという卑怯ポジショニングのもとで成り立っているからだと喝破した。

戦争記憶も同じことがいえるはずだ。

現代SNS社会では、こうした加害者欺瞞的な贖罪被害者がつけ込む形で、この構造さらに先鋭化する。加害者には「反省し続ける姿勢」が求められ、被害者には「傷ついたままであること」が期待されてしまう。

ときに「病みアピ」とも呼ばれる行動は、関心を集めるための戦略になりがちだ。弱ったときは周囲が心配してくれ、攻撃されれば誰かが擁護してくれる──そんな「おいしい被害者」のポジション依存してしまい、自分でも気づかぬうちに抜け出せなくなってしまう。


でも本当に必要なのは、「赦し」なのだと思う。贖罪再生きっかけにすぎない。

この記事に描かれた世代は、「死を美化する」戦中派とは違い、倫理的な生き方などできなかった。理不尽で泥臭い体験を抱え、時にはそれを笑いに変えてでも、ぶざまに生きてきた人たちだ。過去行為を忘れたい、でも忘れられない──その葛藤とともに、不器用に、ぶざまに、しかし確かに生きてきた。

この世代葛藤を描いだ作品に、山田洋次原作少年寅次郎』(脚本岡田惠和)がある。戦地から戻った父が罪悪感から娘の顔を直視できなくなる場面がある。彼は中国戦線で同じ年ごろの子どもを殺していたからだ。その罪の重みと、生きていかなければならない現実とのあいだで沈黙する姿が描かれる。魂が抜けたように無口な毎日を過ごす夫に対して、いつものちゃらんぽらん性格にもどってほしい、とつぶやく妻のセリフは印象的だ。ひとたび戦場倫理破綻してしまった人間に対するまなざしとはそういうものだったのだろう。

これに対して戦中派の苦悩を描いだ作品として、山田太一ドラマ男たちの旅路』も思い出す。特攻記憶を引きずる鶴田浩二と、彼に恋する部下を演じた桃井かおり上司役の池辺良の三者が見せたのは、世代間の倫理観の激突だった。上司役の池辺良が放った「筋を通すな」という一言は、戦中派の倫理観に対する戦前からの強烈なカウンターだった。山田太一の、戦前派と戦中派の葛藤に対する繊細なまなざしがここに凝縮されている。

記事のおじいさんはまさに沈黙してきた世代だ。生きるために沖縄に戻らざるを得なかったこと、その土地暮らしたこと、そして65年の沈黙。たった一度の涙より、その沈黙の重さにこそリアリティがある。

贖罪でも正当化でもない」と吉川さんは言った。語らなかった時間のほうが、語られた言葉よりも重いのだと思う。

私たちは「贖罪の涙」や「被害者トラウマ」ばかりに注目しがちだが、本当に大事なのは、「赦し」へ向かうゆっくりとしたプロセスだ。

「話してくれてありがとう」と言ってくれるグループ存在。「自分のペースとタイミング」で見守る吉川さんのような人の存在。そのほうがよほど重い。

被害者の側も、いつまでも被害者であり続ける」ことはできない。

辺見庸の『もの食う人々』では、フィリピン住民が「日本兵に家族ブタ丸焼きのように食べられた。でももう恨んでいない」と淡々と語った。その表情に、辺見は「悲しんでいる余裕もなく生きてきた強さ」を見たという。

人生って、つらい経験ほど上書き保存楽しい記憶名前をつけて保存──本来そうあるべきなのに、振り返ると逆になっていることが多い。

贖罪より、赦しの方がずっと尊く、強い。

人間、図太く生きていたいものだ。戦前派の多くはそうして沈黙を貫いてきた。自分もそうありたいし、あのおじいさんも赦されてほしい。

65年経って懺悔されても──という思いもあるが、戦争人間性を狂わせるということは、後世の私たちが覚えておけばいい。

山田太一で思い出した「太一」つながりで、昨日は国分太一番組降板話題になっていた。あれがどんな問題だったかは知らないが、この記事のおじいさんのことを思えば、本当に取るに足らない騒ぎに思えてしまう。

もちろん、軽々しく比較するべきではないけれど、それでも、そう感じてしま自分がいる。

れいに生きられなくてもいい。社会も、彼のことをそっと忘れてあげればいい。そう観念して、生きていくしかない。

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2025-06-06

anond:20250606100059

寅次郎 大化け小化け

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ポンポコはつらいよ

寅次郎 化けの皮

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2025-05-06

anond:20250506134431

坊ちゃんの車寅次郎みたいなノリもすごいけど、三四郎童貞臭がすごい。

電車の向かいの席が美人ドギマギして弁当を窓から捨てるっていう謎行動が完全に俺で、共感しかない。

お札にもなった思慮深そうなヒゲ親父がこんなの書いてると思うとビビるわ。

Permalink |記事への反応(0) | 14:00

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2023-12-31

2023年観た映画

公開年・鑑賞方法わずとりあえず記録しはじめた。

今年観たのは以下のとおり。いちおう感想っぽいものも書き留めているけど、大した感想も浮かんでこないやつも多い。

雑な感想しか書いていなくてあれだけどとりあえず。

1/1『メイン・テーマ

森田芳光監督

知っている風景ちょっと映っていた。時代を感じるけどそれがいい。

1/2 『ちょっと思い出しただけ』

松居大悟監督

良かった。

1/8 『アルファヴィル

ジャン・リュックゴダール作品、初。

なんども寝落ちしてそのたびに巻き戻しながら観た。でも面白かったと思う。

ウルトラセブンの「第四惑星悪夢」のネタ元になっているのもよくわかった。たまに観返したい。

1/8 『RRR』

かに面白かったけど3時間は長い。

1/21 『ゾッキ

蒲郡舞台映画

2/4 『卓球温泉

結構良かった。

98年の映画なせいか、あまりノスタルジック雰囲気を感じなかった。

2/11ブラックパンサー / ワカンダ・フォーエバー』

まらなかった。

チャドウィック・ボーズマンの抜けた穴が大きすぎる。

2/12 『暴太郎戦隊ドンブラザーズ THE MOVIE 新・初恋ヒーロー

30分なのでいつものドンブラって感じ。というより、いつもよりつまらない。

2/17 『彼のオートバイ彼女の島』

大林宣彦監督作品80年代臭のするコテコテ大林映画だった。

2/25 『天国にいちばん近い島

大林宣彦監督作品。まだ10代と思われる主人公口説き出す峰岸徹が辛かった。

終盤ずっと無口だった原田知世20歳くらい上の人に恋愛説教をしだすのも辛かった。

3/17 『シン・仮面ライダー

金曜18時の最速上映で観てきた。

シン・シリーズのなかで一番いい出来じゃないかと思った。けど、感想を見てみると賛否両論みたい。

4/1 『続・男はつらいよ

1作目より面白かった。くすっとくるシーンが多かった気がするし、寅次郎イラッとする箇所もあまりなかった。

4/2『マイ・ブロークン・マリコ


4/9『未来の想い出Last Christmas

森田芳光監督作品

90年代香りのする映画だった。まぁそれを堪能したくて観たのだけども。

4/16『ブレット・トレイン

伊坂幸太郎原作らしい。

良かった。また観てもいいかな。

4/16 『グリッドマンユニバース

https://ssss-movie.net/

超超良かった!

5/1 『シュシュシュの娘』

期待しすぎた気がする。

5/20 『その日、カレーができるまで』

画面が暗いのとセリフ聞き取りづらすぎた。

カレーは美味しそうだった。

5/20 『NOPE』

一回目は前半寝落ちしたのでよく分からなかった。

解説読んで再度みたらなんだかんだ面白かった気がする。

5/24ケイコ、目を澄ませて』

静かで良い映画だった。

5/28 『MONDAYS / このタイムループ上司に気づかせないと終わらない』

Prime Videoで視聴。

途中までは面白かったけど漫画描き始めたあたりからまらなくなった。

6/15 『ちひろさん』

Netflixで視聴。

今泉力哉監督だけどいまいち面白そうじゃないなと直感しつつ観た。けどやっぱりあまりおもしろくなかった。

『窓辺にて』が早く観たい。

6/16 『男はつらいよフーテンの寅』

面白かった。

7/16 『きさらぎ駅

途中まで見ていた続きを。

あんまりホラーではなかった。CGがしょぼい。

7/17かがみの孤城

なんか泣けてしまった。

想像以上に話が重かったけどいい作品なのではと。

7/18 『君たちはどう生きるか

TOHOシネマズにて鑑賞。

前半なかなり眠かったけど良かった気がする。

8/13 『ミッションインポッシブル:フォールアウト』

デッドレコニングの予習としてPrimeVideoで観た。

思った以上に楽しめた。

8/14 『アナザーラウンド』

マッツ・ミケルセンだけで画が保っていた。

けっこう良かった。

9/18 『バーバー吉野

プライムビデオで鑑賞。

もたいまさこが主演でノリが似ていたのであれ?と思ったら「めがね」かもめ食堂」と同じ監督だった。納得。

パーマネント野ばら」とごっちゃになる。

9/22 『ベイビーわるきゅーれ』

Netflixでなんとなく観始めたけどめちゃくちゃおしろかった。

2021年公開らしいけど、2021年イチかなと思う。最後の格闘シーンがすごすぎて、あそこまで飽きずに観れたのは久々。

9/23 『ある用務員』

ベイビーわるきゅーれに続いて、同じ監督作品

ベイビーわるきゅーれの2人が似たような役で出ている。アサシン集合シーンが最高すぎた。

テンポ感が「鮫肌男と事桃尻女」を想起させた。

10/7「暴太郎戦隊ドンブラザーズVSゼンカイジャー」

それぞれのパートは良かったけど最後パートは対して面白くなかった。お互いのいいところを殺しているというか、

それぞれで面白ものを混ぜても別に面白くはならないんだなと思った。

10/21 『エヴリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス

Netflixで視聴。シリアスさとくだらない下ネタバランスが適度で面白かった。

マルチバースまたいだ親子三世代の和解話でもある。ただ2時間オーバーと長いので一回で十分かな。

11/3 『ゴジラ -1.0』

TOHOシネマズで鑑賞。

まぁまぁ良かった。ゴジラの登場シーンは良い。ストーリーパートはなんかゴジラあんまり関係のない話していて乗り切れなかった。

11/12 『半世界

プライムビデオで鑑賞。

良かった。主人公たち3人が39歳設定はちょっときついなと思った(自分と同い年だ)

稲垣吾郎田舎の旧体質めいた父親役だったけどやはり無理があった。

12/2 『すずめの戸締まり

プライムビデオで鑑賞。

なんかよくわからなかったけど良かった気がする。

12/9 『イコライザー2』

Netflixで視聴。結構面白かった。

12/23チケット・トゥ・パラダイス

プライムビデオで視聴。

ジョージ・クルーニージュリア・ロバーツということで、どことなオーシャンズ11ぽい鑑賞体験を期待して観た。

実際カラッと終わってよかったけど、最後最後そうするかぁ?!と思った。

12/31 『ザ・スーパーマリオブラザーズムービー

まぁまぁ面白かった。

12/31 『新・男はつらいよ

Netflixで視聴。

Permalink |記事への反応(1) | 17:46

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2023-08-02

anond:20230801144109

知り合いの話だけど、長男龍太郎とつけて次男が生まれた。

龍虎はセットだから

虎次郎となる予定だったのがさすがになんかダメだろうとなって

ただの次郎となった。

そのあと福武書店がBenesseとなり進研ゼミちゃれんじとかで「しましまとらのとらじろう」をつくったのでギリギリ回避

というかフーテン寅さん本名寅次郎なんだよね…回避できてよかった

Permalink |記事への反応(0) | 17:49

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2022-08-27

[増田朝礼] そのよんひゃくに

ユウヤケヒメーッス

 

本日男はつらいよ映画シリーズ第一作が公開された日に因んで、『男はつらいよ』の日となっております

この男はつらいよってタイトルも、車寅次郎のいろんな何かしらがあってだから男はつらいよってタイトルなんだ〜ってことじゃなくて

元々は『愚兄賢妹』って仮タイトルだったところを、堅苦しいからということで北島三郎の『意地のすじがね』の“つらいもんだぜ 男とは”って歌詞の一部を引用して『男はつらいよ』になったらしいです。

歌詞の内容も

悪い奴が居たらなんで殴ってでも物言わねえんだ、色っぽい話も欲に塗れた話もあるけどその中に人情もあるよな、惚れた女に惚れたって言えねえぜ、おとこはつれえぜ

みたいな内容でした。

なんだかわかるような、わかんねえようなって感じですね。

 

ということで本日は【意思の疎通よいか】でいきたいと思います

意思の疎通よいか意思の疎通ヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

Permalink |記事への反応(0) | 17:17

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2022-08-21

20220821[アタック25]2022年8月21日 50代大会 2022-08-21結果

BSジャパネクストで日曜昼などに放送

8月からは1時「半」から

BS1からボタン2回とか

ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか

地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報確認

 

今日の答え(放送とは表現が異なる場合があります

・01 [あるスポーツの日]ボウリング

・02ホノルル

・03パエリア

・04立石寺 りっしゃくじ

・05 サギ(ソウ

・06綾小路きみまろあやのこうじきみまろ

・07 [すべて]北海道新潟県滋賀県沖縄県

・08脳下垂体 のうかすいたい

・09みかん花咲く丘

10ペット(じいさん

11 [3択]滑走路の)方角

12 507(ミリメートル

・13滝廉太郎 たきれんたろう

・14ゲルマニウム

・15坊っちゃん(スタジアム

・16かこさとし

17 やげん(軟骨

・18 [ふるさと][諫早市]バス停

・19野口五郎 のぐちごろう

20 6(か月以内

・21 車寅次郎くるまとらじろう

・22コートジボワール

23 [3択]帽子

24 [アルファ3]BIS

・25野口聡一 のぐちそういち

・26 [3択]インド

・27トロンボーン

28チワワ(州

・29ルーメン

・30 『東京ラブストーリー

・31eダリア

・xx [ある人物名前]堀江謙一 ほりえけんいち

Permalink |記事への反応(0) | 14:27

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2021-11-15

anond:20211115130713

カードキャプターさくらタイトルにあるさくらとは客寄せに使うサクラのことではなく、主人公木之本桜のことである男はつらいよに登場する車寅次郎の異母妹である諏訪さくらひらがな表記は似ているが彼女のことではない。)

Permalink |記事への反応(0) | 13:16

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2021-10-01

anond:20211001094552

あれは「人呼んでフーテン寅次郎と発します」て口上なのであって、人からそう呼ばれたからそう言ってるだけやで。

人の言うこと鵜呑みにして自分意見のように言う、そんじょそこらネット民と同じタイプなんやねw

Permalink |記事への反応(0) | 11:06

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寅次郎現代社会では爪弾きされる存在

あれは昭和時代から、許される存在であって現代では単なるクレーマーDV厄介者、身内の恥にしかならないわけだよ。

人情がどうたらこうたらと言うけど、それは最後最後にちょろっと出てくるだけで作中の殆ど勝手にしゃしゃり出てきて、厄介事を起こして

勝手ヒロインに恋心を持って自分に酔った挙げ句に振られるかカッコよく去ったフリするだけで、実際はあれほど迷惑はいない。

から迷惑は止めてねと指摘されても、あれだこれだと言い訳をし屁理屈をべらべら並べ、おじさんおばさんにも癇癪を起こして迷惑をかける。

出てこないで良い時に勝手に出てきて面倒事を混ぜていく姿は、昭和ゆとりがなけりゃ認められないよ。

昭和時代の人ですら認められない人もいたのに。

あのくらいの人がいても良いじゃんって言う人もいるかもしれないけど、あれが身内にいてごらんよ。

こっちが悩んでる事を大事にされて、余計に拗れて大変なことになるとか想像できる?大変なことになる。

寅次郎はやっぱり現代社会では絶対通用しない存在

Permalink |記事への反応(2) | 09:20

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2021-07-21

anond:20210721211400

と、寅次郎さん❓

Permalink |記事への反応(0) | 21:15

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2021-07-13

anond:20210713114653

姓は車、名は寅次郎

Permalink |記事への反応(0) | 20:15

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anond:20210713112124

寅次郎忘れな草を観てから言ってくれよ

Permalink |記事への反応(0) | 11:23

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2020-08-19

anond:20200819201759

増田吉田で夫が寅次郎だったの?

Permalink |記事への反応(0) | 20:26

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2020-08-01

男はつらいよは、なぜ人気が出たのか

男はつらいよという作品は車寅次郎人情あふれるストーリーが売りだったが、内容を見てみると人情というよりか…

寅次郎がどれだけワガママ理不尽な行動をして周囲に迷惑を振りまいていたか映像にしただけにしか思えなかった。

女性問題では、ヒロインに対しいい顔をしているだけでそれによって生じた周囲への迷惑は「オレが悪いのか?!」と怒鳴り声をあげて、世話になっている叔父さんや叔母さんの心の負担を与え続け、妹のさくらとその旦那に対しても迷惑行為によって振り回していく。

これがなぜ人気が出ていたのかが不思議と感じる。

フーテンの寅と自称するが、単に無職おっさんである露天商をやっているが適当に拾い集めたのを売っているようなものホームレスが少し行動的になった程度だ。

やっぱりなぜ人気が出たのかが分からない。

行く場所行く場所で騒ぎを起こし、時には無銭飲食で妹を無理やり遠出させ迎えにこさせているにも関わらず、寅次郎は人に迷惑をかけても知らん顔で温泉に入っていい気分である

妹に説教されても逆ギレを起こすか、ふてくされた顔。叔父さんの家に戻って説教されれば怒鳴り声で逆ギレ挙げ句旦那が勤めている工場社長と大喧嘩

身銭も何も持っていないのに人様の金は平気で使い、何が悪いのか?と理解してない歩く迷惑行為者。

人情のシーンは全体の数分しかない。毎回いつもの音楽で締めくくって終わるだけで、殆ど自分勝手生き様ヒロインを振り回す、勝手に惚れて勝手勘違いして勝手に振られるという流れ。

こうダメな所を並べると、やはり人気が出たのが理解できない。

良いところもあるんだよという人もいるが、ほんの少しの良いところのために、大部分の自分勝手な行動を相殺できるわけはないのだけど、その少しの良いところを評価する人も居る。

でも理解できない。

あれはなぜ…そんなに人気が出たのだろうか。

Permalink |記事への反応(0) | 19:46

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2020-04-10

男はつらいよ寅次郎コロナ狂想曲

寅次郎帰宅したらおいちゃんとおばちゃんが国からマスク開封していて取り合いになるのは読めた。

タコ社長がそれだったら俺のをやるよと言ったら、そんな使い古しのツバの付いたものいらねーやで喧嘩になる。

寅次郎フリーランスか団子屋は休業か。

Permalink |記事への反応(0) | 20:32

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2019-05-22

anond:20190522192109

トラトラ虎の寅次郎

えびえび海老エビデンス

Permalink |記事への反応(0) | 21:36

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2019-03-04

anond:20190301192838

胡椒はツライよ」(車寅次郎

Permalink |記事への反応(0) | 12:46

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2019-03-02

anond:20180410174801

「呼んだかい?」(車寅次郎

Permalink |記事への反応(0) | 13:13

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2019-02-19

寅次郎ちゃれんじトイレトレーニング

Permalink |記事への反応(0) | 20:44

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2019-01-28

anond:20190126210030

>ちなみに寅次郎を演じた渥美清は好きだ。あの人の金田一耕助面白かった。とても印象のある俳優だ。

俺も好き

Permalink |記事への反応(0) | 16:10

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anond:20190128000438

下の方の増田で車寅次郎が受け付けないってエントリがあったが

俺はナディアが受けてたというのがいまだに信じられない。

本当にクソやぞアイツ。

Permalink |記事への反応(1) | 00:06

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