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2025-10-24

伊香保寺田寅彦

 二三年前の夏、未だ見たことのない伊香保榛名を見物の目的で出掛けたことがある。ところが、上野驛の改札口を這入つてから、ふとチヨツキのかくしへ手をやると、旅費の全部を入れた革財布がなくなつてゐた。改札口の混雜に紛れて何處かの「街の紳士」の手すさみに拔取られたものらしい。もう二度と出直す勇氣がなくなつてそれつきりそのまゝになつてしまつた。財布を取つた方も内容が期待を裏切つて失望したであらうから、結局此の伊香保行の企ては二人の人間失望させるだけの結果に終つた譯である

 此頃少し身體の工合が惡いので二三日保養のために何處か温泉にでも出掛けようといふ、その目的地に此の因縁つきの伊香保が選ばれることになつた。十月十四日土曜午前十一時上野發に乘つたが、今度は掏摸すりの厄介にはならなくて濟んだし、汽車の中は思ひの外に空いて居たし、それに天氣も珍らしい好晴であつたが、慾を云へば武藏野の秋を十二分に觀賞する爲には未だ少し時候が早過ぎて、稻田と桑畑との市松模樣の單調を破るやうな樹林の色彩が乏しかつた。

 途中の淋しい小驛の何處にでも、同じやうな乘合自動車アルミニウムペイントが輝いて居た。昔はかういふ驛には附きものであつたあのヨボ/\の老車夫の後姿にまつはる淡い感傷はもう今では味はゝれないものになつてしまつたのである

 或る小驛で停り合はせた荷物列車の一臺には生きた豚が滿載されて居た。車内が上下二段に仕切られたその上下に、生きてゐる肥つた白い豚がぎつしり詰まつてゐる。中には可愛い眼で此方を覗いてゐるのもある。宅の白猫の顏に少し似てゐるが、あの喇叭のやうな恰好をして、さうして禿頭のやうな色彩を帶びた鼻面はセンシユアルでシユワイニツシである。此等の豚どもはみんな殺されに行く途中なのであらう。

 進行中の汽車から三町位はなれた工場の高い煙突の煙が大體東へ靡いて居るのに、すぐ近くの工場の低い煙突の煙が南へ流れて居るのに氣がついた。汽車が突進して居る爲に其の周圍に逆行氣流が起る、その影響かと思つて見たがそれにしても少し腑に落ちない。此れから行先にまだいくらも同じやうな煙突の一對があるだらうからもう少し詳しく觀察してやらうと思つて注意してゐたが、たうとう見付からずに澁川へ着いてしまつた。いくらでも代はりのありさうなものが實は此の世の中には存外ないのである。さうして、ありさうもないものが時々あるのも此の世の中である

 澁川驛前にはバス電車伊香保行の客を待つてゐる。大多數の客はバスを選ぶやうである電車の運轉手は、しきりにベルを踏み鳴らしながら、併しわり合にのんきさうな顏をしてバスに押し込む遊山客の群を眺めて居たのである。疾とうの昔から敗者の運命に超越してしまつたのであらう。自分も同行Sも結局矢張りバスもつ近代味の誘惑に牽き付けられてバスを選んだ。存外すいて居る車に乘込んだが、すぐあとから小團體がやつて來て完全に車内の空間を充填してしまつた。酒の香がたゞよつて居た。

 道傍の崖に輕石の層が見える。淺間山麓一面を埋めて居るとよく似た豌豆大の粒の集積したものである。淺間のが此邊迄も降つたとは思はれない。何萬年も昔に榛名火山自身の噴出したものかも知れない。それとも隣りの赤城山の噴出物のお裾分けかも知れない。

 前日に伊香保通のM君に聞いたところでは宿屋はKKの別館が靜かでいゝだらうといふことであつた。でも、うつかりいきなり行つたのでは斷られはしないかと聞いたら、そんなことはないといふ話であつた。それで、バスを降りてから二人で一つづゝカバンを提げて、すぐそこの別館の戸口迄歩いて行つた。館内は森閑として玄關には人氣がない。しばらくして内から年取つた番頭らしいのが出て來たが、別に這入れとも云はず突立つたまゝで不思議さうに吾々二人を見下ろしてゐる。此れはいけないと思つたが、何處か部屋はありませうかと聞かない譯にも行かなかつた。すると、多分番頭と思はれる五十恰好のその人は、恰度例へば何處かの役所の極めて親切な門衞のやうな態度で「前からの御申込でなければとてもとても……」と云つて、突然に乘込んで來ることの迂闊さを吾々に教へて呉れるのであつた。向うの階段の下では手拭を冠つて尻端折つて箒を持つた女中が三人、姦の字の形に寄合つて吾々二人の顏を穴のあく程見据えてゐた。

 カバンをぶら下げて、悄々しをしをともとのバスの待合所へ歸つて來たら、どういふものか急に東京へそのまゝ引き返したくなつた。此の坂だらけの町を、あるかないか當てにならない宿を求めて歩き※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はるのでは第一折角保養に來た本來の目的に合はない、それよりか寧ろ東京の宅の縁側で咲殘りのカンナでも眺めて欠伸をする方が遙かに有效であらうと思つたのである。併し、歸ることは歸るとしても兎も角も其處らを少し歩いてから歸つても遲くはないだらうとSがいふので、厄介な荷物を一時バスの待合所へ預けておいてぶら/\と坂道を上つて行つた。

 宿屋が滿員の場合には入口に「滿員」の札でも出しておいたら便利であらう。又兎も角も折角其家を目指して遙々遠方から尋ねて來た客を、どうしても收容し切れない場合なら、せめて電話温泉旅館組合の中の心當りを聞いてやる位の便宜をはかつてやつてはどうか。頼りにして來た客を、假令それがどんな人體であるにしても、尋ねてくるのが始めから間違つてゐるかのやうに取扱ふのは少し可哀相であらう。さうする位ならば「旅行案内」などの廣告にちやんと其旨を明記しておく方が親切であらう。

 こんな敗者の繰言を少し貧血を起しかけた頭の中で繰返しながら狹い坂町を歩いてゐるうちに、思ひの外感じのいゝ新らしいM旅館別館の三階に、思ひもかけなかつた程に見晴らしの好い一室があいてゐるのを搜しあてゝ、それで漸く、暗くなりかゝつた機嫌を取直すことが出來たと同時に馴れぬ旅行疲れた神經と肉體とをゆつくり休めることが出來たのは仕合せであつた。

 此室の窓から眼下に見える同じ宿の本館には團體客が續々入込んでゐるやうである。其の本館から下方の山腹にはもう人家が少く、色々の樹林に蔽はれた山腹の斜面が午後の日に照らされて中々美しい。遠く裾野には稻田の黄色い斑の縞模樣が擴がり、其の遙かな向うには名を知らぬ山脈が盛上がつて、其の山腹に刻まれた褶襞の影日向が深い色調で鮮かに畫き出されて居る。反對側の、山の方へ向いた廊下へ出て見ると、此の山腹一面に築き上げ築き重ねた温泉旅館ばかりの集落は世にも不思議な標本的の光景である。昔、ローマ近くのアルバ地方遊んだ時に、「即興詩人」で名を知られたゲンツアノ湖畔を通つたことがある。其の湖の一方から見た同じ名の市街の眺めと、此處の眺めとは何處か似た所がある。併し、古い伊太利の彼の田舍町は油繪になり易いが此處のは版畫に適しさうである。數年前に此地に大火があつたさうであるが、成程火災の傳播には可也都合よく出來てゐる。餘程特別防火設備必要であらうと思はれる。

 一と休みしてから湯元を見に出かけた。此の小市街横町は水平であるが、本通りは急坂で、それが極めて不規則階段のメロデイーの二重奏を奏してゐる。宿屋お土産を賣る店の外には實に何もない町である。山腹温泉街の一つの標本として人文地理學者の研究に値ひするであらう。

 階段の上ぼりつめに伊香保神社があつて、そこを右へ曲ると溪流に臨んだ崖道に出る。此の道路にも土産物を賣る店の連鎖が延長して溪流の眺めを杜絶してゐるのである。湯の流れに湯の花がつくやうに、かういふ處の人の流れの道筋にはきまつて此のやうな賣店の行列がきたなく付くのである。一寸珍らしいと思ふのは此道の兩側の色々の樹木に木札がぶら下げてあつて、それに樹の名前が書いてあることである。併し、流石にラテン語の學名は略してある。

 崖崩れを石垣で喰ひ止める爲に、金のかゝつた工事がしてある。此れ位の細工で防がれる程度の崩れ方もあるであらうが、此の十倍百倍の大工事でも綺麗に押し流すやうな崩壞が明日にも起らないといふ保證は易者にも學者にも誰にも出來ない。さういふ未來の可能性を考へない間が現世の極樂である自然可能性に盲目な點では人間も蟻も大してちがはない。

 此邊迄來ると紅葉がもうところ斑に色付いて居る。細い溪流の橋の兩側と云つたやうな處のが特に紅葉が早いらしい。夜中にかうした澤を吹下ろす寒風の影響であらうか。寫眞師がアルバムをひろげながらうるさく撮影をすゝめる。「心中ぢやないから」と云つて斷わる。

 湯元迄行つた頃にはもう日が峯の彼方にかくれて、夕空の殘光に照らし出されて雜木林の色彩が實にこまやかに美しい諧調を見せて居た。樹木の幹の色彩がかういふ時には實に美しく見えるものであるが、どういふもの特に樹幹の色を讚美する人は少ないやうである

 此處の湯元から湧き出す湯の量は中々豐富らしい。澤山の旅館の浴槽を充たしてなほ餘りがあると見えて、惜氣もなく道端の小溝に溢れ流れ下つて溪流に注いで居る。或る他の國の或る小温泉では、僅かにつの浴槽にやつと間に合ふ位の湯が生温るくて、それを熱くする爲に一生涯骨を折つて、やつと死ぬ一年前に成功した人がある。其人が此處を見たときにどんな氣がしたか。有る處にはあり餘つて無い處にはないといふのは、智慧黄金に限らず、勝景や温泉に限らぬ自然の大法則であるらしい。生きてゐ自然界には平等存在せず、平等は即ち宇宙の死を意味する。いくら革命を起して人間の首を切つても、金持と天才との種を絶やすことは六かしい。ましてや少しでも自己觸媒作用オートカタリテイツク・アクシヨンのある所には、ものの片寄るのが寧ろ普遍現象からである。さうして方則に順應するのは榮え、反逆するものは亡びるのも亦普遍現象である

 宿へ歸つて見ると自分等の泊つてゐる新館にも二三の團體客が到着して賑やかである。○○銀行○○課の一團は物靜かでモーニングを着た官吏風の人が多い。○○百貨店○○支店の一行は和服が多く、此方は藝者を揚げて三絃の音を響かせて居るが、肝心の本職の藝者の歌謠の節※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はしが大分危なつかしく、寧ろ御客の中に一人いゝ聲を出すのが居て、それがやゝもすると外れかゝる調子を引戻して居るのは面白い。ずつと下の方の座敷には足踏み轟かして東京音頭を踊つて居るらしい一團がある。人數は少いが此組が壓倒的優勢を占めて居るやうである

 今度は自分などのやうに、うるさく騷がしい都を離れて、しばらく疲れた頭を休める爲にかういふ山中自然を索たづねて來るものゝある一方では又、東京では斷ち切れない色々の窮屈を束縛をふりちぎつて、一日だけ、はめを外づして暴れ※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はる爲にわざ/\かういふ土地を選んで來る人もあるのである。此れも人間界の現象である。此の二種類の人間相撲になれば明白に前者の敗である後者の方は、宿の中でも出來るだけ濃厚なる存在を強調する爲か、廊下を歩くにも必要以上に足音を高く轟かし、三尺はなれた仲間に話をするのでも、宿屋中に響くやうに大きな聲を出すのであるが、前者の部類の客はあてがはれた室の圍ひの中に小さくなつて、其の騷ぎを聞きつゝ眠られぬ臥床ふしどの上に輾轉するより外に途がないのである。床の間を見ると贋物の不折の軸が懸かつて居る、その五言の漢詩の結句が「枕を拂つて長夜に憐む」といふのであつたのは偶然である。やつと團體の靜まる頃には隣室へ子供づれの客が着いた。單調な東京音頭は嵐か波の音と思つて聽き流すことが出來ると假定しても、可愛い子供の片言は身につまされてどうにも耳朶の外側に走らせることの出來ぬものである。電燈の光が弱いから讀書で紛らすことも出來ない。

 やつと宿の物音があらかた靜まつた後は、門前のカフエーから蓄音機の奏する流行小唄の甘酸つぱい旋律が流れ出して居た。併し、かうした山腹の湯の町の夜の雰圍氣を通して響いて來る此の民衆音樂の調べには、何處か昔の按摩の笛や、辻占賣の聲などのもつて居た情調を想ひ出させるやうな或るものが無いとは云はれない。

 蓄音機と云へば、宿へ着いた時につい隣りの見晴らしの縁側に旅行蓄音機を据ゑて、色々な一粒選りの洋樂のレコードをかけてゐ家族連の客があつた。此れも存在の鮮明な點に於て前述の東京音頭の連中と同種類に屬する人達であらう。

 夜中に驟雨があつた。朝はもう降り止んではゐたが、空は低く曇つてゐた。兎も角も榛名湖畔迄上ぼつて見ようといふので、ケーブルカー停車場のある谷底下りて行つた。此の谷底停車場風景は一寸面白い。見ると、改札口へ登つて行く階段だか斜面だかには夥しい人の群が押しかてゐる。それがなんだか若芽についたあぶら蟲か、腫物につけた蛭の群のやうに、ぎつしり詰まつて身動きも出來さうにない。それだのにあとから/\此處を目指して町の方から坂を下りて來る人の群は段々に増すばかりである。此の有樣を見て居たら急に胃の工合が變になつて來て待合室の腰掛に一時の避難所を求めなければならなかつた。「おぢいさんが人癲癇を起こした」と云つてSが笑出したが、兎も角も榛名行は中止、その代りつい近所だと云ふ七重の瀧へ行つて見ることにした。此の道筋の林間の小徑は往來の人通りも稀れで、安價なる人癲癇は忽ち解消した。前夜の雨に洗はれた道の上には黄褐紫色樣々の厚朴の落葉などが美しくちらばつてゐた。

 七重の瀧の茶店で「燒饅頭」と貼札したものを試みに注文したら、丸いパンのやうなもの味噌※(「滔」の「さんずい」に代えて「しょくへん」、第4水準2-92-68)を塗つたものであつた。東京下町若旦那らしい一團が銘々にカメラを持つてゐて、思ひ思ひに三脚を立てゝ御誂向の瀧を撮影する。ピントを覗く爲に皆申合せたやうに羽織の裾をまくつて頭に冠ると、銘々の羽織の裏の鹽瀬の美しい模樣が茶店に休んでゐる女學生達の面前にずらりと陳列される趣向になつてゐた。

 溪を下りて行くと別莊だか茶店だかゞあつて其前の養魚池の岸にかはせみが一羽止まつて居たが、下の方から青年團の服を着た男が長い杖をふりまはして上がつて來たので其のフアシズムの前に氣の弱い小鳥は驚いて茂みに飛び込んでしまつた。

 大杉公園といふのはどんな處かと思つたら、とある神社杉並木のことであつた。併し杉並木は美しい。太古の苔の匂ひがする。ボロ洋服を着た小學生が三人、一匹の眞白な野羊を荒繩の手綱で曳いて驅け※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)つてゐたが、どう思つたか自分が寫眞をとつて居る傍へ來て帽子を取つてお辭儀をした。學校の先生と間違へたのかどうだか分らない。昔郷里の田舍を歩いて居て、よく知らぬ小學生に禮をされた事を想ひ出して、時代が急に明治に逆戻りするやうな氣がした。此邊では未だイデオロギー階級鬪爭意識が普及して居ないのであらう。社前の茶店葡萄棚がある。一つの棚は普通のぶだうだが、もう一つのは山葡萄紅葉てゐる。店の婆さんに聞くと、山葡萄は棚にしたら一向に實がならぬさうである。山葡萄は矢張り人家にはそぐはないと見える。

 茶店の周圍に花畑がある。花を切つて高崎へでも賣りに出すのかと聞くと、唯々お客さんに自由に進呈するためだといふ。此の山懷の一隅には非常時の嵐が未だ屆いて居ないのか、妙にのんびりした閑寂の別天地である。薄雲を透した日光が暫く此の靜かな村里を照らして、ダリアコスモスが光り輝くやうに見えた。

 宿へ歸つて晝飯を食つてゐる頃から、宿が又昨日に増して賑やかになつた。日本橋邊の或る金融機關の團體客百二十人が到着したのである。其爲に階上階下の部屋といふ部屋は一杯で廊下の籐椅子に迄もはみ出してゐる。吾々は、此處へ來たときから約束暫時帳場の横へ移轉することになつた。

 部屋に籠つて寐轉んで居ると、すぐ近くの階段廊下を往來する人々の足音が間斷なく聞こえ、それが丁度御會式の太鼓のやうに響き渡り、音ばかりでなく家屋全體が其の色々な固有振動の週期で連續的に振動して居る。さういふ状態が一時間時間[#「二時間」は底本では「二間時」]三時間と經過しても一向に變りがない。

 一體どうして、かういふ風に連續的に足音や地響きが持續するかといふ理由を考へて見た。百數十人の人間が二人三人づつ交る/″\階下の浴室へ出掛けて行き、又歸つて來る。その際に一人が五つの階段の一段々々を踏み鳴らす。其外に平坦な縁側や廊下をあるく音も加はる。假に、一人宛て百囘の音を寄與コントリビユートするとして、百五十で一萬五千囘、此れを假に午後二時から五時迄の三時間、即ち一萬八百秒に割當てると毎一秒間に平均一囘よりは少し多くなる勘定である。此外に浴室通ひ以外の室と室との交通、又女中下男の忙はしい反復往來をも考慮に加へると、一秒間に三囘や四囘に達するのは雜作もないことである。即ち丁度太鼓を相當急速に連打するのと似た程度のテンポになり、それが三時間位持續するのは何でもないことになるのである。唯々面白いのは、此の何萬囘の足音が一度にかたまつて發しないで、實にうまく一樣に時間的に配分されて、勿論多少の自然的偏倚は示しながらも統計的に一樣な毎秒平均足音數を示してゐることである。容器の中の瓦斯體の分子が、その熱擾動サーマルアヂテーシヨンのために器壁に反覆衝突するのが、いくらか此れに似た状況であらうと思はれた。かうなると人間も矢張り一つの分子」になつてしまふのである

 室に寐ころんだ切り、ぼんやり此んなことを考へてゐる内に四時になつた。すると階下の大廣間の演藝場と思はれる見當で東京音頭の大會が始まつた。さうして此れが約三十分續いた。それが終つても、未だその陶醉的歡喜の惰性を階上迄持込[#「持込」は底本では「持迄」]んで客室前の廊下を踏鳴らしながら濁聲高く唄ひ踊る小集團もあつた。

バス切符を御忘れにならないやうに」と大聲で何遍となく繰返して居るのが聞こえた。それからしばらくすると、急に家中がしんとして、大風の後のやうな靜穩が此の山腹全體を支配するやうに感ぜられた。一時間前の伊香保とは丸で別な伊香保が出現したやうに思はれた。三階の廊下から見上げた山腹の各旅館の、明るく灯のともつた室々の障子の列が上へ上へと暗い夜空の上に累積してゐ光景は、龍宮城のやうに、蜃氣樓のやうに、又ニユーヨークの摩天樓街のやうにも思はれた。晝間は出入の織るやうに忙がしかつた各旅館の玄關にも今は殆ど人氣が見えず、野良犬がそこらをうろ/\して居るのが見えた。

 團體の爲に一時小さな室に追ひやられた埋合せに、今度はがらあきになつた三階の一番廣く見晴らしのいゝ上等の室に移され、地面迄數へると五階の窓下を、淙々として流れる溪流の水音と、窓外の高杉の梢にしみ入る山雨の音を聞きながら此處へ來てはじめての安らかな眠りに落ちて行つた。

 翌日も雨は止んだが空は晴れさうもなかつた。霧が湧いたり消えたりして、山腹から山麓へかけての景色を取換へ取換へ迅速に樣々に變化させる。世にも美しい天工の紙芝居である。一寸青空が顏を出したと思ふと又降出す。

 とある宿屋の前の崖にコンクリート道路と同平面のテラスを造り其の下の空間を物置にして居るのがあるのは思ひ付きである。此の近代設備の脚下の道傍に古い石地藏が赤い涎掛けをして、さうして雨曝しになつて小さく鎭座して居るのが奇觀である。此處らに未だ家も何もなかつた昔から此の地藏尊は此の山腹の小道の傍に立つて居て、さうして次第に開ける此の町の發展を見守つて來たであらうが、物を云はぬから聞いて見る譯にも行かない。

 晝飯をすませて、そろ/\歸る支度にかゝる頃から空が次第に明るくなつて來て、やがて雲が破れ、東の谷間に虹の橋が懸つた。

 歸りのバスが澁川に近づく頃、同乘の兎も角も知識階級らしい四人連の紳士が「耳がガーンとした」とか「欠伸をしたらやつと直つた」とか云つたやうな話をして居る。山を下つて氣壓が變る爲に鼓膜の壓迫されたことを云つて居るらしい。唾を飮み込めば直るといふことを知らないと見える。小學校や中學校でこのやうな科學的常識を教はらなかつたものと思はれる。學校の教育でも時には要らぬ事を教へて要ることを教へるのを忘れて居る場合があるのかも知れない。尤も教へても教へ方が惡いか、教はる方の心掛けが惡ければ教へないのも同じになる譯ではある。

 上野へついて地下室の大阪料理で夕食を食つた。土瓶むしの土瓶のつるを持ち上げると土瓶が横に傾いて汁がこぼれた。土瓶の耳の幅が廣過ぎるのである。此處にも簡單な物理學が考慮の外に置かれてゐるのであつた。どうして、かう「科學」といふものが我が文化日本で嫌はれ敬遠されるかゞ不思議である

 雨の爲に榛名湖は見られなかつたが、併し雨のおかげでからだの休養が出來た。讀まず、書かず、電話が掛からず、手紙が來ず、人に會はずの三日間で頭の疲れが直り、從つて胃の苦情もいくらか減つたやうである。その上に、宿屋階段の連續的足音の奇現象を觀察することの出來たのは思はぬ拾ひものであつた。

 温泉には三度しかはひらなかつた。湯は黄色く濁つてゐて、それに少しぬるくて餘り氣持がよくなかつた。その上に階段を五つも下りて又上がらなければならなかつた。温泉場と階段はとかくつきものである温泉場へ來たからには義理にも度々温泉に浴しなければならないといふ譯もないが、すこしすまなかつたやうな氣がする。

 他の温泉でもさうであるが、浴槽に浸つて居ると、槽外の流しでからだを洗つて居る浴客がざあつと溜め桶の水を肩からあびる。そのしぶきが散つて此方の頭上に降りかゝるのはそれ程潔癖でないつもりの自分にも餘り愉快でない。此れも矢張り宿屋蓄音機を持ち込み、宿屋東京音頭を踊るPermalink |記事への反応(0) | 18:19

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2025-10-16

以下は、「ゲジゲジ」や「アシダカグモ」のように人に害を与えず、むしろ他の害虫を食べてくれる益虫(えきちゅう)の一覧表です。

それぞれの「益虫度(役立ち度)」を★5段階で評価しました。(★5が最も有益)。

名称 主な捕食対象 人への害 益虫度解説
ゲジゲジ(ゲジ)ゴキブリダニハエシロアリ なし ★★★★☆ゴキブリダニ類を食べる家庭の益虫。見た目が不快なだけで無害。
アシダカグモゴキブリハエ、蛾、蚊 なし ★★★★★ゴキブリハンター」とも呼ばれる。高い捕食力で家の害虫を一掃する。
ハチミツバチアシナガバチなど)イモムシアブラムシなど 一部刺す危険あり ★★★★☆花粉交配や害虫駆除に役立つ。人を刺激しなければ安全。​
クモジョロウグモなど) 蚊、ハエ、小型昆虫 なし ★★★★☆ 網を張って空中の害虫捕獲アシダカグモ以外も益虫に分類される。
テントウムシアブラムシ なし ★★★★★農業での天敵益虫の代表格。アブラムシを大量に食べる。​
カマキリハエ、蚊、ガ、ゴキブリなど なし ★★★★☆バランス調整に有用な捕食者。植物害虫をよく食べる。​
カゲロウトンボ 蚊の幼虫、小さな害虫 なし ★★★★☆ 幼虫・成虫ともに害虫を捕食し、水辺の衛生にも寄与。​
アブラムシを食べるハナアブアブラムシ なし ★★★☆☆テントウムシに次ぐ農業系益虫。​

アシダカグモとゲジはともに、「屋内での害虫特にゴキブリ)」を自力駆除してくれる数少ない存在です。アシダカグモは捕食力・活動範囲ともに非常に高いため、益虫度は★5と評価されます。一方で、ゲジゲジも同様に効率よく害虫を減らすため、見た目に反して非常に優良な益虫です。

🟢特に頼れる害虫ハンターTOP3

1.アシダカグモ(★5):ゴキブリ退治のプロ夜行性で静かに害虫を減らす。

2.ゲジゲジ(★5):見た目に反して無害で、家中害虫を広く捕食。

3.テントウムシ(★5):庭や畑のアブラムシ退治の王者

Permalink |記事への反応(0) | 20:18

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2025-10-08

anond:20251007020602

で、お前は寝る時に家中電気を消して回るんか?

Permalink |記事への反応(1) | 12:27

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2025-10-07

電気つけっぱなしのほうが安いっていうけどさあ

うちの会社に昔いた新人が1人で社宅に住んでたんだけど、エアコン電気何もかも全て家中24時間つけっぱなしにしてた

寝る時どうかは知らんけど、本人曰くとにかくつけっぱなしだったらしい

そしたら1人で電気代3万超えて、ワイ含め社宅に住んでる全員が呼び出されて

電気はきちんと消すように」

って指導されたことがあった

新人の方は個別で呼ばれてもっと厳重注意を受けたらしい

新人がまあ度を越してるのはそうだけど、つけっぱなしにはある程度限度あるよな

消す部屋・消さない部屋の線引きをどうするかって話をしたほうが良さそう

Permalink |記事への反応(3) | 13:07

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2025-10-03

低調に終わった秋刀魚フェアの増田素真のあぇ不満さタッわ鬼うょ値いて(回文

私も大谷翔平選手みたくなるんだ!って

秋刀魚ホームランシーズン新記録を目指すスポ根定食アニメAIに描いてもらったら成立するのかしら?ってそう思う今日この頃

おはようございます

うーん、

私の今シーズン秋刀魚ホームランは3本にとどまってしまってしまったわ!

大谷翔平選手みたくなるんだ!って

大谷翔平選手いったい何本打ったの?え?55本!?

そりゃ追いつかないわ。

私が秋刀魚フェア中全打席秋刀魚ホームラン打ったとて追いつかない記録。

私がマウンドにたって秋刀魚投げて大谷翔平選手バットで思いっ切りフルスイングのこんがり焼けた秋刀魚定食を打ち返してマウンドで私がその焼き上がった秋刀魚定食を食べて一塁送球のアウト!

これアニメ化したら!?

AIならいけっかも!

にしても、

にしてもよ!

ぜんぜん私の今シーズン秋刀魚ホームラン少な過ぎ!

私の年収少な過ぎお姉さんも口を押さえて言うレヴェルだわ。

今シーズン3本。

昨シーズン4本。

でも今シーズン公式戦含まずのオープン戦5本を記録していただけに

期待が持たれていたのよ。

期待されていた二年目のルーキーだったのに!

あいいわ。

私はもうすでに終わってしまった定食秋刀魚フェアの秋刀魚が昨日食べられなかったもんだから

代わりに打席に座ってもらったのは

定食

こんがり焼けた鯖は、

サンマに負けずとも劣らない脂ののったとても美味しい焼き上がりを私に見せてくれたの。

負けていたのは私の秋刀魚に対する気持ちだったのかも知れない。

今シーズン3本って。

自分でも情けないと思う。

だけれど、

家で秋刀魚をやいてグリルが無いかフライパンで焼いて家中サンマ臭でいっぱいになるのはもう勘弁!

自主練もできないのよ。

世知辛い世の中ね。

辛いのは秋刀魚定食に添えられている大根おろしだけで充分なのよ!

やる気の無い朝の魚定食に出てくる大根おろしは生臭くてとても食べられたものじゃないけれど、

それはもう熱々のお味噌汁に入れて混ぜ込んでしまえば匂いが消えて

美味しくいただけるって方法最適解を発見した秘策の魔球があったのに。

あったのに!

私の今シーズン秋刀魚フェアは終わってしまったわ。

記録にも記憶にも残らない私の今シーズンサンマは終了。

でも、

気分を切り替えて、

来シーズンまり今日から

秋刀魚フェアやってるからって遠慮して敬遠していた

カッツアンガス牛定食に心置きなく挑戦できるの!

秋刀魚日本シリーズだったら、

カッツアンガス牛定食大リーグ!?

アンガスって言ってるのに大リーグ

ちなアンガスってアメリカでもオーストラリアでもない場所名前だってことを衝撃の事実を知る今日も何か一つ役に立つ賢くなれるわ!

アンガスって結局どこ?

南アルプスの南らへん?

よく分からないけれど

地名に「南」を付けるとなんだか知る人ぞ知る通好みな感じになるじゃない?

イタリア!っていうより、

南イタリア!って言う方が精通している感じ。

巣鴨!っていうより、

巣鴨!って言う方がなんかイケてる!って感じと一緒なの。

私はだから

さっきの秋刀魚フェアの日本シリーズに加え、

カッツアンガス牛定食大リーグとすると、

するとよ!

日米通算成績を記録できるってワケなの!

まり秋刀魚定食を食べてもカッツアンガス牛定食を食べても記録されるってこと!

まだ今シーズン期待が膨らむわ!

カッツアンガス牛定食で満腹になって膨らむのはお腹だけにして欲しいわ!

なので正直言って、

秋刀魚の重圧から解放されて

つぎ心清らかにカッツアンガス牛定食に挑戦できるって訳なの!

でもさ、

私がさらに心躍る心がそれこそ本当にギューッてなる牛があって

希少部位カッツ牛ステーキ!ってのがあるの!

希少部位カッツ牛ステーキリーグ開幕よ!

でも希少部位カッツ牛ステーキだと写真栄えしないって世間の噂なので

そこはグリルチキンとセットのもの代打で立たせたらホームラン間違いなし!

写真映えだってするわよ!

ああ、

もうこうなったら日米通算成績を伸ばすしかないわ。

カッツアンガス牛定食リーグでも希少部位カッツ牛ステーキでも挑むのは牛骨バット!ってやかましーわーい!ってなるわよね。

カッツ牛を牛骨で挑む!ってロマン溢れない?

肉汁はもう溢れている想像しかできないわ。

秋刀魚フェアはシーズン低調だったけど

気持ちを切り替えて挑むしかないわね。

今シーズンももう終盤よ!

活躍期待しててね!

うふふ。


今日朝ご飯

タマサンドサンドイッチにしました。

今日も一日頑張るぞってションテンあげて乗り越えるわよ!

黄色い色は元気の源よ!

デトックスウォーター

コーン茶ウォーラー茶にしました。

さすがに朝晩寒くなって気温も下がってきたので、

キンキンに冷えたものは消費が捗らない気もするわ。

最盛期には1日2リットルはゆうに飲んでいたというのに。

から

しかしたらホッツコーン茶ウォーラー茶にしてみるのもいいかもね!

そういう時期だったり季節だったりするかも。

まあ考えてみるわ!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

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2025-09-28

独身アラフォーだけど愛された経験豊富

という増田をまったく見たことがないので書いてみる

https://anond.hatelabo.jp/20250927132801

スペック

売れないエロ寄りの漫画描き、最後定職についてたのは10年以上前現在月収14万

Xでバズった経験無し

ジャンル同人1000部売れたり壁になる程度の技術はあるけど一番になったことはない、良くて7番手くらい、だから蓮舫の例えは響かない

BMIは32のデブ

ADHD人間感情データベース的にしか理解できない(例:葬式の時は泣くのが普通、謝るとき申し訳ない顔をすると良いなど)、全体的に他人気持ちを察することができない、家を火事にするレベルの注意欠陥を頻繁に発揮する)

なんとなくホッテントリで嘆く人らとかぶるスペックじゃないかと思う

とにかく好かれる

警戒心の強い高スペックな人に特に好かれる

それは俺がコツを知ってたからだと思うんだけど、じゃあ具体的には何をした?を言語化する

苦労せず伴侶ができる人の二大共通点

まずどういう人間恋愛的な相手に困らないか、について。

これは母親母親の交友関係などを観察して、特に伴侶と離婚死別をしてる・50歳を超えていても、すぐ旅行するレベル友達彼女彼氏がまたできる人の共通点

愛嬌がある(ネットでは「いつもごきげん」とよく表現される)

・誰にでも親切(誰にでも親切の反対は、落としたい奴だけ特別扱いだ。モテないと嘆いてる多くの人間が多分これをしてると思う)

共通点でいえば本当にこれだけ。逆にいえば,他の要素はバラバラだった。

気が強めの三人の子母親もいたし、高官の愛人だったという人もいた、元自衛官男性もいたし、細い人も太い人もいた、ただなんか常にガハハ/うふふと笑ってるんだよね。

そして面倒見がいい。なんのメリットもなくても困ってる人がいたら、できることをする。

その時は、意中の相手普通放置してたけど、結果的に、その姿を見て信用を勝手に高めてるようだった。

当人になんで好きになったの?と聞いた答えが、同じ教室のおばあさんに献身的だったとか、自分の連れ子に親切だったとか、そんなの揃いだった)

誰にでも親切の部分について

俺は「友達大事にする」と解釈して取り組んだ。

アニメドラマでは見ず知らずの人を助けたところをヒロインが実は見てて尊敬を得るパターン

超低報酬スペシャル能力披露して尊敬を集めるヒーロー王道だけど

遠くの人間大事にするヒーローより、身近な人を大事にする凡夫のほうが、現実では存在価値があると思っている

異世界どっぷりのレムたんはあはあ系はそのへんの意識が薄いのかもなと思う、1話冒頭で突然超人になりがちだから

同僚や社会貢献に変換する人もいるかもしれない。

具体的には以下の通り

自分から声を掛ける

 みんな受け身でいたい。相手勝手勇気を出して断られるかもしれない不安を負って予定を差し出してイエス/ノーを言うところまで整えてもらうのが嫌いな人はほとんど存在しない。だからする。2回ノーをもらったら3回目はいかない。本当に会いたいなら相手申し訳無さから必ずセッティングする(そうじゃないなら合わないと思われてるということ)おじさん誘ってくる問題も二回でぱったり止めれ相手記憶から自然と消える。

簡単に見損なわない

 「こういうことを行ったら縁を切る」と誰にも条件化しなかった。クズでもクソでも友達友達という認識で付き合う。たとえそいつ殺人を犯しても面会にいき釈放後に迎えに行けるかどうかを日常的に自問自答する。だからこそそのレベルで愛せる人を友だちと呼ぶようにする。(何年もかけて付き合いが苦痛になって離れたことはもちろんある)

・良いところを残る形で伝える

 人はなんでこいつはこんなに良くしてくれるんだろう、という疑問をすぐ抱く。理由のない報酬というのは恐怖につながりやすいし不安定だ。ここが好きだから、一緒にいるだけで俺は幸せなんだと頭に浮かんだその時に伝える。タイミングをもったいぶってはいけない。言える時にさっさと言うのが良いと思う。

・弱みを見せる

 虚勢もプライド人間関係にはマイナスしかならない。自分はどんなにすごいかを伝えるより、どんなに至らないかを伝えるほうが、大抵の人間安心するし信用する。膿は先に吐き出すというべきか。相手からしても、弱音を言いやす対象にもなれる。しんどいときに頼れる先というのはかなり大事

・口の堅い人間だと行動で示す

 例え他から聞いてて知ってる情報でも、本人から聞くまでは知らないフリを徹底する。人の秘密を話のネタ提供したり、悪口で盛り上がるなどもってのほかあなただけには教えておくねなども厳禁。人はそういう時教えてくれてありがとうといいつつ「次は自分がやられるんだなこれ」としか思わない。

独占欲を出さない ※これは交際後反転/たった一人を定めあった自覚を持つ

 自分より仲のいい友達ができても嫉妬しない。なぜなら(質の良い)友達は多ければ多いほど人生が豊かになるからだ。相手人生の豊かさを邪魔しちゃいけない。大勢の一人でいられることを誇りに思うのが大事。なんなら気の合いそうな同士をよく紹介する。

・(おまけ)理由のないプレゼントをする ※これは交際後やや義務化/誕生日など

 これはあまり重要じゃないし、金が余ってないなら全くしなくてもいいが、例えば旅行先で相手を思い出すものがあれば買って次にあったときに渡す。今友達推してるメンカラの雑貨とか、誕生日近いなとか、Xでこれが無くて探してると言ってたなとか。誕生日は聞いた瞬間にグーグルカレンダーでその前日に登録してしまうのがいい。ぜったい覚えられないくせに何度も聞くのは「聞いたけど忘れたわ」とわざわざ言うも同然で失礼なので。

以上を、自分がうわ~こいつ好きだな~~と思った10前後相手に日々発揮できれば、

友だちがいのある人間という評価を得られるんじゃないかと推測して、実行して、無事結果を得られてる。

のでおすすめする。

結果、その後

あなたには何でも言いやすい」という評価連鎖で得られるようになった。

そしてその安心感は「一緒に生活しても、こちらが怒ってしまっても、不機嫌にならず、とりあえず聞いてくれそう」というイメージに繋がるようで

自分と一緒に住んでくれないか、と頼まれることが人生に3~4回、発生するようになった。

誰かの一番になったことも普通によくある。

結局人って、完璧な人や高収入な人を求めてるわけじゃない、ルックスあんまり関係ない。

ブサメン理由にしてるのは、それを理由にして諦めたいからだろうなと思う。

まとめると

人は一人では生きていけない。誰かと生きていきたい。

誰もが「衝突したときに、なるべく傷少なく解決し、また日々をやっていってくれそう」な人を探してると思うんだ。増田もそうじゃないか

そしてそれを日常生活で少しずつ想像させるのが、

愛嬌冗談を言う、笑顔が多い、根に持たない、不機嫌で支配しない)と「見返りを目当てにしてない親切」なんじゃないか

どっちも無理という人が、傷を癒やすのにブランドバックをぽんと買ってあげることはあるかもしれない、でもそれって絶対条件じゃないよ。

ブランドもの貰っても困るって人にはむしろ無意味ですらある。

実際俺はADHDであらゆる「~~忘れ」を行うものの、「仕方ない、一緒に気をつけよう」と言ってもらえて

俺のせいで家中手書き張り紙ばかりだけど、それも君だしねと笑って言って暮らしてもらえてる。

もしこれが、注意を受けるたびに拗ねてたらそんな根気はとても出してもらえなかったと思う。

最後独身理由シンプルゲイから

好きな人夫婦として一緒に生きていけるなら、養子をとれるなら、少子化納税額も、もっともっと張り切って働いて貢献できるんだけど、

何万とDVがおきようと、何万と養育費が未払になろうと、男女がつくる実子しかこの国はいらねーらしい。

別姓すらままならないし、生きてるうちは無理そう!ガハハ

俺の分まで既婚の称号ゲットして、幸せなれよ!

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2025-08-14

人間とは、暴力しかコントロールできない。

この場合暴力は、広義の意味として使う。

そのわかりやすい例として、なぜ我々は犯罪を犯さないのか?

を考えればわかる。

我々が犯罪を犯した場合にどうなるか?

ペナルティとして犯罪者として裁きを受けたり、

社会的立場を失う。

これは広義の意味では暴力である

他者が罪を犯したと仮定して、

それに対してのペナルティを課す。

ときには死刑という個人に対しての最大の暴力を振るう。

このような仕組みを作ることではじめて

人は犯罪を犯すことを控え始める。

まりは人は暴力しか制御できない。

ここから個人的な話だ。

何十年にもわたって家族が言うことを聞かなくて困っていた。

具体的には、非常識なほどの音量でテレビを見ることをやめさせることが出来なかった。

イヤフォン使用や、音を大きくあげなくてもよく聞こえるスピーカーなどの使用を求めてきた。

そのような機器も、その家族の求めに応じて高額な機器を買い与えてきた。

しかし、結局は使わなくなる。

耳が痛い、

音に迫力がない、

などと理由をつけては

フルボリュームに近い音でテレビを見る。

その家族の個室でやっていることなのだが、

家はそれほど大きくないし、

テレビの音が大きすぎるがゆえに、

苦痛は耐え難いものとなっていたが、

それをなお耐えてきた。

またその家族テレビを消すということが出来ない人間だった。

いついかなるときテレビはつけっぱなし、

そしてチャンネルは数十秒おきに変えるコロコロかえる

別室で見ているテレビであるので画面は見えない。

音がだけが聞こえてくる。

そしてコロコロチャンネルが変わる。

気が狂いそうになる。

天気予報が流れてくる。

今日の天気は、、、とアナウンサーが話し始めて

わず、聞いてしまうのだが、

その瞬間にテレビチャンネルは変更されて

くだらない芸能ニュースで止まる。

そのあとその家族自分の部屋から出てきて言う。

今日は雨降るのかなあ?

こういう馬鹿である

無視していると、

しつこく聞いてくる。

雨降るのかなあ?どっちだ?

無視する。

ある日、我慢限界がきた。

大事なお客さんが来ることになっていた。

何時から何時まではテレビの音をさせないで欲しい。

懇願した。

家族は渋々同意してイヤフォンをはめた。

が、我慢できなかったみたいだ。

隣室から突然爆音が炸裂して、私は頭を抱え、大事な客は心臓が止まりそうになっていた。

そしてその大事要件は、それが原因かどうかはわからないが破談した。

あるルールを決めた。

まずは私の中で。

テレビの音を注意しても無視するようなら

ブレーカーを落として

その家族の部屋の電化製品使用不能にした。

その家族は非常に馬鹿なので自分ブレーカーを復旧することが出来ない。

なんだかんだ抗議をしてきたが

「◯すぞ、ジジイ

と凄くむと、部屋に引っ込んでいった。

そのあと、もう一度出てきて、イヤフォンを使うので(ブレーカー)をなおしてください。

と言ってきた。

ああ、これだ。

とやっと理解できた。

人は、暴力によってしか制御できないのだ。

その後、何度か同じようなことを繰り返した。

しばらくの間はイヤフォンを使うが、3日もすればスピーカーから爆音流れる

仕方がないのでブレーカーを落とす。

しばらくは音が聞こえなくなるが1週間後には爆音

ブレーカーを落とす。

冬の極寒期だったが家中ブレーカーを落として、半日ほど家を開けた。

帰ってきたらジジイは布団にくるまってガチガチと震えていた。

それからは長持ちした。

たぶん3ヶ月ほどは爆音がしなくなった。

とまあ、こんなことの繰り返しだ。

それを根気よく繰り返した。

そうするうちにようやく、我が家ではテレビイヤフォンをつけてみるものというルール確立された。

それでも、いまだに極稀にテレビをの音が聞こえてくるが、まあ多少は大目に見ている。

何事も過ぎたるは及ばざるが如しだからな。

Permalink |記事への反応(0) | 08:20

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2025-07-10

また俺の家が水没するかもしれん

去年は浸水して家中がびちゃびちゃになってPCが死んだ

Permalink |記事への反応(4) | 18:11

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2025-07-08

anond:20250708050680

 玄関の横の少し薄暗い四畳半、それは一寸茶室のような感じの、畳からすぐに窓のとってあるような、陰気な部屋だった。女学校へ通う子供の時分から、いつとはなしに、私はその部屋を自分勉強部屋と決めて独占してしまったのである。私はその部屋で、誰にも邪魔されないで、自分の好きなものを、随分沢山書いた。書いて、書いて、ただ書いただけだった。何といっても、まるっきり子供のことではあり、それらをどうしようという気持は少しもなかった。投書というようなことも嫌いで一度もしたことはなかった。

 私は随分遊び好きな方だった。お友達を訪ねて行くなどということは、余りなかったけれども、決して温順おとなしい、陰気な子供ではなかった。したがって、じっと書斎に閉じ籠って、書いてばかりいたのだとは思えない。けれども、此の頃になって、その時分書いたものを見ると、いつの間にこんなに沢山書いたのだろうと、不思議な気がする位である。よく子供達が大ぜいで、きゃっきゃと騒いでいながら、途中にこっそり抜けだして、ちょっとの間に花の絵など描いてきて、また一緒になって遊んでいるのを見ることがある。たしか、ああいう、強いられることのない自由な感興が、子供らしいものを、絶えず書かしていたのに違いないと思う。そういう場合、あの自分だけの書斎は、私のために大変役立った。

 此の間引越しの時、古い原稿を取出して、読み返して見るのはかなり面白かった。

 その中に、「錦木」という題で、かなり長い未完のものがでてきたので、私はふっと、可愛らしい思い出を誘われた。それはこうである。私が源氏物語を読んだのは、与謝野さんの訳でではあったが、あの絢爛な王朝文学の、一種違った世界物語りや、優に艷めかしい插画などが、子供の頭に余程深く印象されたものらしい。そしてそれに動かされて書いたのがこの「錦木」だったのである。その「錦木」というのは奥州の方の話で、一人で美しい女むすめに思いを寄せた男は、必ず申込みの印に「錦木」という木の枝を、その女の門口にさしておくという風習があって、その枝が取入れられれば承知したことになり、若し女が承知しない時には、後からあとから、幾本かの錦木が立ち並んだままに捨てて置かれるという話を書いたもので、そのあたりの様子や、女の家の中の生活ことなど、非常に繊細な描写がしてあって、長々と書いてある具合からから、すっかり、源氏物語りに影響されて書いたことが判然している。

 これは、私が十五か六の時であったと思う。その外に、西洋史を習った時に、ローマ法王と、フランスの王との間に生じた政権上の争いから、ついにフランスの王が雪の中に三日三晩坐って、やっと法王から許されるといったような物語りを書いた戯曲などもでてきて、私を笑わせてしまった。

 十二三歳の時分、よく『文章世界』を読んだことを覚えている。その頃の『文章世界』には塚本享生、片岡鉄兵岡田三郎、塚原健次郎などという人達が始終投書していて、いつでも、特等というのか一等というのか、特に他の人達のより大きく別の欄へ掲載されるので、それで記憶に残っているような気がする。そんなに『文章世界』をよく読んでいたけれども、一人の人の見方や、考え方で、取捨の決まって行く投書というものが、私は嫌いで、遂に一度もしようと思ったことがなかった。

女子文壇』も私はちょいちょいみたような気がする。『女子文壇』は、母がとっていたのを、いつも私が読むのであった。その頃女流作家では、田村俊子水野仙子、素木しづ子、などという人達が盛んに書いていて、そのうちでも素木さんは、どっしりした大きなものを持った人ではなかったけれども、いかにも女らしい繊細な感情と、異常に鋭い神経との、独特の境地を持った作家であることを感じさせられた。何でも題は忘れたけれども、電燈の下で赤ちゃんに添乳していて、急に、この頭の上の電球が破裂して、子供怪我をさせはしないかと考え出して怯えることを書いた作品は好きで今でも覚えている作である。それで、私は、素木さんが亡くなった時、お葬式にはゆかなかったけれども、その代りに花を贈ったことがあった。

「貧しき人々の群」が書けた時、私は幾分子供らしい無邪気な得意さから、それを自分で両親に読んで聞かせたのであった。それから急に、親達が熱心になって、坪内先生のところへ連れて行ってくれたので、坪内先生にお目にかかったのは、その時が初めてであった。そして、あれが『中央公論』へ載ることになったのである。初めて自分の書いたもの活字になった時の嬉しさは、未だ子供でもあったし、一寸言葉に現せない程であった。それに、書いたものからお金が貰えることなどは少しも知らなかったので、今から思えば、ほんの一枚一円にも当らないような原稿料ではあったが、とにかく、生れて初めて自分にとったお金を持ったので、ひどく得意になって、家中人達に色々なものを買って上げたのであった。その時、父には大変上等な襟巻きを、母には手提げか何かで、後は兄弟達の一人一人から女中にまで振まって、おしまいに、自分の欲しいものを買おうと思った時には、お金がすっかり失くなっていたのだった。今でも時々、その時の子供らしい得意さを思い出すと、ひとりでにおかしくなる。

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anond:20250708050680

 玄関の横の少し薄暗い四畳半、それは一寸茶室のような感じの、畳からすぐに窓のとってあるような、陰気な部屋だった。女学校へ通う子供の時分から、いつとはなしに、私はその部屋を自分勉強部屋と決めて独占してしまったのである。私はその部屋で、誰にも邪魔されないで、自分の好きなものを、随分沢山書いた。書いて、書いて、ただ書いただけだった。何といっても、まるっきり子供のことではあり、それらをどうしようという気持は少しもなかった。投書というようなことも嫌いで一度もしたことはなかった。

 私は随分遊び好きな方だった。お友達を訪ねて行くなどということは、余りなかったけれども、決して温順おとなしい、陰気な子供ではなかった。したがって、じっと書斎に閉じ籠って、書いてばかりいたのだとは思えない。けれども、此の頃になって、その時分書いたものを見ると、いつの間にこんなに沢山書いたのだろうと、不思議な気がする位である。よく子供達が大ぜいで、きゃっきゃと騒いでいながら、途中にこっそり抜けだして、ちょっとの間に花の絵など描いてきて、また一緒になって遊んでいるのを見ることがある。たしか、ああいう、強いられることのない自由な感興が、子供らしいものを、絶えず書かしていたのに違いないと思う。そういう場合、あの自分だけの書斎は、私のために大変役立った。

 此の間引越しの時、古い原稿を取出して、読み返して見るのはかなり面白かった。

 その中に、「錦木」という題で、かなり長い未完のものがでてきたので、私はふっと、可愛らしい思い出を誘われた。それはこうである。私が源氏物語を読んだのは、与謝野さんの訳でではあったが、あの絢爛な王朝文学の、一種違った世界物語りや、優に艷めかしい插画などが、子供の頭に余程深く印象されたものらしい。そしてそれに動かされて書いたのがこの「錦木」だったのである。その「錦木」というのは奥州の方の話で、一人で美しい女むすめに思いを寄せた男は、必ず申込みの印に「錦木」という木の枝を、その女の門口にさしておくという風習があって、その枝が取入れられれば承知したことになり、若し女が承知しない時には、後からあとから、幾本かの錦木が立ち並んだままに捨てて置かれるという話を書いたもので、そのあたりの様子や、女の家の中の生活ことなど、非常に繊細な描写がしてあって、長々と書いてある具合からから、すっかり、源氏物語りに影響されて書いたことが判然している。

 これは、私が十五か六の時であったと思う。その外に、西洋史を習った時に、ローマ法王と、フランスの王との間に生じた政権上の争いから、ついにフランスの王が雪の中に三日三晩坐って、やっと法王から許されるといったような物語りを書いた戯曲などもでてきて、私を笑わせてしまった。

 十二三歳の時分、よく『文章世界』を読んだことを覚えている。その頃の『文章世界』には塚本享生、片岡鉄兵岡田三郎、塚原健次郎などという人達が始終投書していて、いつでも、特等というのか一等というのか、特に他の人達のより大きく別の欄へ掲載されるので、それで記憶に残っているような気がする。そんなに『文章世界』をよく読んでいたけれども、一人の人の見方や、考え方で、取捨の決まって行く投書というものが、私は嫌いで、遂に一度もしようと思ったことがなかった。

女子文壇』も私はちょいちょいみたような気がする。『女子文壇』は、母がとっていたのを、いつも私が読むのであった。その頃女流作家では、田村俊子水野仙子、素木しづ子、などという人達が盛んに書いていて、そのうちでも素木さんは、どっしりした大きなものを持った人ではなかったけれども、いかにも女らしい繊細な感情と、異常に鋭い神経との、独特の境地を持った作家であることを感じさせられた。何でも題は忘れたけれども、電燈の下で赤ちゃんに添乳していて、急に、この頭の上の電球が破裂して、子供怪我をさせはしないかと考え出して怯えることを書いた作品は好きで今でも覚えている作である。それで、私は、素木さんが亡くなった時、お葬式にはゆかなかったけれども、その代りに花を贈ったことがあった。

「貧しき人々の群」が書けた時、私は幾分子供らしい無邪気な得意さから、それを自分で両親に読んで聞かせたのであった。それから急に、親達が熱心になって、坪内先生のところへ連れて行ってくれたので、坪内先生にお目にかかったのは、その時が初めてであった。そして、あれが『中央公論』へ載ることになったのである。初めて自分の書いたもの活字になった時の嬉しさは、未だ子供でもあったし、一寸言葉に現せない程であった。それに、書いたものからお金が貰えることなどは少しも知らなかったので、今から思えば、ほんの一枚一円にも当らないような原稿料ではあったが、とにかく、生れて初めて自分にとったお金を持ったので、ひどく得意になって、家中人達に色々なものを買って上げたのであった。その時、父には大変上等な襟巻きを、母には手提げか何かで、後は兄弟達の一人一人から女中にまで振まって、おしまいに、自分の欲しいものを買おうと思った時には、お金がすっかり失くなっていたのだった。今でも時々、その時の子供らしい得意さを思い出すと、ひとりでにおかしくなる。

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 玄関の横の少し薄暗い四畳半、それは一寸茶室のような感じの、畳からすぐに窓のとってあるような、陰気な部屋だった。女学校へ通う子供の時分から、いつとはなしに、私はその部屋を自分勉強部屋と決めて独占してしまったのである。私はその部屋で、誰にも邪魔されないで、自分の好きなものを、随分沢山書いた。書いて、書いて、ただ書いただけだった。何といっても、まるっきり子供のことではあり、それらをどうしようという気持は少しもなかった。投書というようなことも嫌いで一度もしたことはなかった。

 私は随分遊び好きな方だった。お友達を訪ねて行くなどということは、余りなかったけれども、決して温順おとなしい、陰気な子供ではなかった。したがって、じっと書斎に閉じ籠って、書いてばかりいたのだとは思えない。けれども、此の頃になって、その時分書いたものを見ると、いつの間にこんなに沢山書いたのだろうと、不思議な気がする位である。よく子供達が大ぜいで、きゃっきゃと騒いでいながら、途中にこっそり抜けだして、ちょっとの間に花の絵など描いてきて、また一緒になって遊んでいるのを見ることがある。たしか、ああいう、強いられることのない自由な感興が、子供らしいものを、絶えず書かしていたのに違いないと思う。そういう場合、あの自分だけの書斎は、私のために大変役立った。

 此の間引越しの時、古い原稿を取出して、読み返して見るのはかなり面白かった。

 その中に、「錦木」という題で、かなり長い未完のものがでてきたので、私はふっと、可愛らしい思い出を誘われた。それはこうである。私が源氏物語を読んだのは、与謝野さんの訳でではあったが、あの絢爛な王朝文学の、一種違った世界物語りや、優に艷めかしい插画などが、子供の頭に余程深く印象されたものらしい。そしてそれに動かされて書いたのがこの「錦木」だったのである。その「錦木」というのは奥州の方の話で、一人で美しい女むすめに思いを寄せた男は、必ず申込みの印に「錦木」という木の枝を、その女の門口にさしておくという風習があって、その枝が取入れられれば承知したことになり、若し女が承知しない時には、後からあとから、幾本かの錦木が立ち並んだままに捨てて置かれるという話を書いたもので、そのあたりの様子や、女の家の中の生活ことなど、非常に繊細な描写がしてあって、長々と書いてある具合からから、すっかり、源氏物語りに影響されて書いたことが判然している。

 これは、私が十五か六の時であったと思う。その外に、西洋史を習った時に、ローマ法王と、フランスの王との間に生じた政権上の争いから、ついにフランスの王が雪の中に三日三晩坐って、やっと法王から許されるといったような物語りを書いた戯曲などもでてきて、私を笑わせてしまった。

 十二三歳の時分、よく『文章世界』を読んだことを覚えている。その頃の『文章世界』には塚本享生、片岡鉄兵岡田三郎、塚原健次郎などという人達が始終投書していて、いつでも、特等というのか一等というのか、特に他の人達のより大きく別の欄へ掲載されるので、それで記憶に残っているような気がする。そんなに『文章世界』をよく読んでいたけれども、一人の人の見方や、考え方で、取捨の決まって行く投書というものが、私は嫌いで、遂に一度もしようと思ったことがなかった。

女子文壇』も私はちょいちょいみたような気がする。『女子文壇』は、母がとっていたのを、いつも私が読むのであった。その頃女流作家では、田村俊子水野仙子、素木しづ子、などという人達が盛んに書いていて、そのうちでも素木さんは、どっしりした大きなものを持った人ではなかったけれども、いかにも女らしい繊細な感情と、異常に鋭い神経との、独特の境地を持った作家であることを感じさせられた。何でも題は忘れたけれども、電燈の下で赤ちゃんに添乳していて、急に、この頭の上の電球が破裂して、子供怪我をさせはしないかと考え出して怯えることを書いた作品は好きで今でも覚えている作である。それで、私は、素木さんが亡くなった時、お葬式にはゆかなかったけれども、その代りに花を贈ったことがあった。

「貧しき人々の群」が書けた時、私は幾分子供らしい無邪気な得意さから、それを自分で両親に読んで聞かせたのであった。それから急に、親達が熱心になって、坪内先生のところへ連れて行ってくれたので、坪内先生にお目にかかったのは、その時が初めてであった。そして、あれが『中央公論』へ載ることになったのである。初めて自分の書いたもの活字になった時の嬉しさは、未だ子供でもあったし、一寸言葉に現せない程であった。それに、書いたものからお金が貰えることなどは少しも知らなかったので、今から思えば、ほんの一枚一円にも当らないような原稿料ではあったが、とにかく、生れて初めて自分にとったお金を持ったので、ひどく得意になって、家中人達に色々なものを買って上げたのであった。その時、父には大変上等な襟巻きを、母には手提げか何かで、後は兄弟達の一人一人から女中にまで振まって、おしまいに、自分の欲しいものを買おうと思った時には、お金がすっかり失くなっていたのだった。今でも時々、その時の子供らしい得意さを思い出すと、ひとりでにおかしくなる。

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anond:20250708050680

 玄関の横の少し薄暗い四畳半、それは一寸茶室のような感じの、畳からすぐに窓のとってあるような、陰気な部屋だった。女学校へ通う子供の時分から、いつとはなしに、私はその部屋を自分勉強部屋と決めて独占してしまったのである。私はその部屋で、誰にも邪魔されないで、自分の好きなものを、随分沢山書いた。書いて、書いて、ただ書いただけだった。何といっても、まるっきり子供のことではあり、それらをどうしようという気持は少しもなかった。投書というようなことも嫌いで一度もしたことはなかった。

 私は随分遊び好きな方だった。お友達を訪ねて行くなどということは、余りなかったけれども、決して温順おとなしい、陰気な子供ではなかった。したがって、じっと書斎に閉じ籠って、書いてばかりいたのだとは思えない。けれども、此の頃になって、その時分書いたものを見ると、いつの間にこんなに沢山書いたのだろうと、不思議な気がする位である。よく子供達が大ぜいで、きゃっきゃと騒いでいながら、途中にこっそり抜けだして、ちょっとの間に花の絵など描いてきて、また一緒になって遊んでいるのを見ることがある。たしか、ああいう、強いられることのない自由な感興が、子供らしいものを、絶えず書かしていたのに違いないと思う。そういう場合、あの自分だけの書斎は、私のために大変役立った。

 此の間引越しの時、古い原稿を取出して、読み返して見るのはかなり面白かった。

 その中に、「錦木」という題で、かなり長い未完のものがでてきたので、私はふっと、可愛らしい思い出を誘われた。それはこうである。私が源氏物語を読んだのは、与謝野さんの訳でではあったが、あの絢爛な王朝文学の、一種違った世界物語りや、優に艷めかしい插画などが、子供の頭に余程深く印象されたものらしい。そしてそれに動かされて書いたのがこの「錦木」だったのである。その「錦木」というのは奥州の方の話で、一人で美しい女むすめに思いを寄せた男は、必ず申込みの印に「錦木」という木の枝を、その女の門口にさしておくという風習があって、その枝が取入れられれば承知したことになり、若し女が承知しない時には、後からあとから、幾本かの錦木が立ち並んだままに捨てて置かれるという話を書いたもので、そのあたりの様子や、女の家の中の生活ことなど、非常に繊細な描写がしてあって、長々と書いてある具合からから、すっかり、源氏物語りに影響されて書いたことが判然している。

 これは、私が十五か六の時であったと思う。その外に、西洋史を習った時に、ローマ法王と、フランスの王との間に生じた政権上の争いから、ついにフランスの王が雪の中に三日三晩坐って、やっと法王から許されるといったような物語りを書いた戯曲などもでてきて、私を笑わせてしまった。

 十二三歳の時分、よく『文章世界』を読んだことを覚えている。その頃の『文章世界』には塚本享生、片岡鉄兵岡田三郎、塚原健次郎などという人達が始終投書していて、いつでも、特等というのか一等というのか、特に他の人達のより大きく別の欄へ掲載されるので、それで記憶に残っているような気がする。そんなに『文章世界』をよく読んでいたけれども、一人の人の見方や、考え方で、取捨の決まって行く投書というものが、私は嫌いで、遂に一度もしようと思ったことがなかった。

女子文壇』も私はちょいちょいみたような気がする。『女子文壇』は、母がとっていたのを、いつも私が読むのであった。その頃女流作家では、田村俊子水野仙子、素木しづ子、などという人達が盛んに書いていて、そのうちでも素木さんは、どっしりした大きなものを持った人ではなかったけれども、いかにも女らしい繊細な感情と、異常に鋭い神経との、独特の境地を持った作家であることを感じさせられた。何でも題は忘れたけれども、電燈の下で赤ちゃんに添乳していて、急に、この頭の上の電球が破裂して、子供怪我をさせはしないかと考え出して怯えることを書いた作品は好きで今でも覚えている作である。それで、私は、素木さんが亡くなった時、お葬式にはゆかなかったけれども、その代りに花を贈ったことがあった。

「貧しき人々の群」が書けた時、私は幾分子供らしい無邪気な得意さから、それを自分で両親に読んで聞かせたのであった。それから急に、親達が熱心になって、坪内先生のところへ連れて行ってくれたので、坪内先生にお目にかかったのは、その時が初めてであった。そして、あれが『中央公論』へ載ることになったのである。初めて自分の書いたもの活字になった時の嬉しさは、未だ子供でもあったし、一寸言葉に現せない程であった。それに、書いたものからお金が貰えることなどは少しも知らなかったので、今から思えば、ほんの一枚一円にも当らないような原稿料ではあったが、とにかく、生れて初めて自分にとったお金を持ったので、ひどく得意になって、家中人達に色々なものを買って上げたのであった。その時、父には大変上等な襟巻きを、母には手提げか何かで、後は兄弟達の一人一人から女中にまで振まって、おしまいに、自分の欲しいものを買おうと思った時には、お金がすっかり失くなっていたのだった。今でも時々、その時の子供らしい得意さを思い出すと、ひとりでにおかしくなる。

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anond:20250708050680

 玄関の横の少し薄暗い四畳半、それは一寸茶室のような感じの、畳からすぐに窓のとってあるような、陰気な部屋だった。女学校へ通う子供の時分から、いつとはなしに、私はその部屋を自分勉強部屋と決めて独占してしまったのである。私はその部屋で、誰にも邪魔されないで、自分の好きなものを、随分沢山書いた。書いて、書いて、ただ書いただけだった。何といっても、まるっきり子供のことではあり、それらをどうしようという気持は少しもなかった。投書というようなことも嫌いで一度もしたことはなかった。

 私は随分遊び好きな方だった。お友達を訪ねて行くなどということは、余りなかったけれども、決して温順おとなしい、陰気な子供ではなかった。したがって、じっと書斎に閉じ籠って、書いてばかりいたのだとは思えない。けれども、此の頃になって、その時分書いたものを見ると、いつの間にこんなに沢山書いたのだろうと、不思議な気がする位である。よく子供達が大ぜいで、きゃっきゃと騒いでいながら、途中にこっそり抜けだして、ちょっとの間に花の絵など描いてきて、また一緒になって遊んでいるのを見ることがある。たしか、ああいう、強いられることのない自由な感興が、子供らしいものを、絶えず書かしていたのに違いないと思う。そういう場合、あの自分だけの書斎は、私のために大変役立った。

 此の間引越しの時、古い原稿を取出して、読み返して見るのはかなり面白かった。

 その中に、「錦木」という題で、かなり長い未完のものがでてきたので、私はふっと、可愛らしい思い出を誘われた。それはこうである。私が源氏物語を読んだのは、与謝野さんの訳でではあったが、あの絢爛な王朝文学の、一種違った世界物語りや、優に艷めかしい插画などが、子供の頭に余程深く印象されたものらしい。そしてそれに動かされて書いたのがこの「錦木」だったのである。その「錦木」というのは奥州の方の話で、一人で美しい女むすめに思いを寄せた男は、必ず申込みの印に「錦木」という木の枝を、その女の門口にさしておくという風習があって、その枝が取入れられれば承知したことになり、若し女が承知しない時には、後からあとから、幾本かの錦木が立ち並んだままに捨てて置かれるという話を書いたもので、そのあたりの様子や、女の家の中の生活ことなど、非常に繊細な描写がしてあって、長々と書いてある具合からから、すっかり、源氏物語りに影響されて書いたことが判然している。

 これは、私が十五か六の時であったと思う。その外に、西洋史を習った時に、ローマ法王と、フランスの王との間に生じた政権上の争いから、ついにフランスの王が雪の中に三日三晩坐って、やっと法王から許されるといったような物語りを書いた戯曲などもでてきて、私を笑わせてしまった。

 十二三歳の時分、よく『文章世界』を読んだことを覚えている。その頃の『文章世界』には塚本享生、片岡鉄兵岡田三郎、塚原健次郎などという人達が始終投書していて、いつでも、特等というのか一等というのか、特に他の人達のより大きく別の欄へ掲載されるので、それで記憶に残っているような気がする。そんなに『文章世界』をよく読んでいたけれども、一人の人の見方や、考え方で、取捨の決まって行く投書というものが、私は嫌いで、遂に一度もしようと思ったことがなかった。

女子文壇』も私はちょいちょいみたような気がする。『女子文壇』は、母がとっていたのを、いつも私が読むのであった。その頃女流作家では、田村俊子水野仙子、素木しづ子、などという人達が盛んに書いていて、そのうちでも素木さんは、どっしりした大きなものを持った人ではなかったけれども、いかにも女らしい繊細な感情と、異常に鋭い神経との、独特の境地を持った作家であることを感じさせられた。何でも題は忘れたけれども、電燈の下で赤ちゃんに添乳していて、急に、この頭の上の電球が破裂して、子供怪我をさせはしないかと考え出して怯えることを書いた作品は好きで今でも覚えている作である。それで、私は、素木さんが亡くなった時、お葬式にはゆかなかったけれども、その代りに花を贈ったことがあった。

「貧しき人々の群」が書けた時、私は幾分子供らしい無邪気な得意さから、それを自分で両親に読んで聞かせたのであった。それから急に、親達が熱心になって、坪内先生のところへ連れて行ってくれたので、坪内先生にお目にかかったのは、その時が初めてであった。そして、あれが『中央公論』へ載ることになったのである。初めて自分の書いたもの活字になった時の嬉しさは、未だ子供でもあったし、一寸言葉に現せない程であった。それに、書いたものからお金が貰えることなどは少しも知らなかったので、今から思えば、ほんの一枚一円にも当らないような原稿料ではあったが、とにかく、生れて初めて自分にとったお金を持ったので、ひどく得意になって、家中人達に色々なものを買って上げたのであった。その時、父には大変上等な襟巻きを、母には手提げか何かで、後は兄弟達の一人一人から女中にまで振まって、おしまいに、自分の欲しいものを買おうと思った時には、お金がすっかり失くなっていたのだった。今でも時々、その時の子供らしい得意さを思い出すと、ひとりでにおかしくなる。

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2025-06-30

観点 🌟武田信玄 🌿徳川家康
------------ ------------------- --------------------
**統率のスタイル**カリスマ的・情理を兼ねた統率 理詰め・忍耐・現実主義的な統率
**戦の魅力** 攻めの軍略・主導権を握る電光石火の作戦 守りを固め、熟慮と準備を尽くす安定感
**家中空気** 豪胆・親分肌で一体感が強い 粘り強い秩序と安定、堅実な空気
**公平性** 公平さと恩情を両立させた統治 徹底的に私情を排し、理と法で裁く
**領民・兵への姿勢**領民生活改善積極的、兵を労る 無理をさせず、慎重に兵の損耗を避ける
**決断性格** 機を見て即断攻撃に出る可能な限り遅らせ熟慮し、勝てる時だけ動く
**求心力の源泉** 強さと人情バランス安心と秩序、長期的な信用
**家臣の心情** 「この人となら天下を狙える」 「この人なら家を絶やさず守ってくれる」
**リスクの許容度**勝負に出る胆力が大きい 慎重に備えを積むのでリスクを最小化する
**理想人物像**理想戦国大名、攻守兼備覇者 安定政権を築く賢者
**家臣への人気の質** 豪胆さと温かみで自然と人が惹かれる 徹底した理性と公正で人が安心して従う

🌿一言でいうと?

信玄

「この人とならば攻めに攻めて天下を取れる」

👉攻撃カリスマ+公平な温情

家康

「この人についていけば必ず生き残れる」

👉冷静沈着+現実的安心

から

同じ「家臣にとって魅力的な主君」でも、

信玄=情と強さの融合した理想覇者

家康=理と安定を極めた堅実な賢者

という微妙な違いがあったのです。

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2025-06-24

なぜあなたは作り置きができないのか。私の週末作り置きシステムを伝える

私は料理が得意である

スズキパイ包み焼きソースショロンを作ることもできるし、江戸前鮨を握ることもできる。

しかし、私の一番の得意領域は、週末の料理の作り置きである

買い出しは含まずに、1h~2hで家中のタッパーを埋め尽くすほどの作り置き(5~6品)を用意することができるし、

それによって、朝食の用意や弁当の用意が劇的にラクになり、あわただしい平日の朝を、比較的ゆったりと過ごすことができている。

いっきり過言すれば、作り置きには料理人生のすべてが詰まっている。

家庭料理であるし、特別ものではないから敷居は低い一方で、品質・速度・品数の三つを高めていくことを意識しながら取り組めば劇的な料理スキル向上に加え、仕事全般に生かしうる思考スキルの向上が期待できる。何よりも楽しい

具体的には以下のスキルが、週末を重ねるたびに向上していくのを実感できるはずである

限定された時間品質高く食材を下ごしらえするスキル

・早く、かつ高品質な作り置きを複数品用意しながらも、後片付け工数を最小化するための段取り設計能力

・家にある食材や買ってきた食材をもとに、それっぽいレシピを考えるための思考の瞬発力

一方で、作り置きをしようとして挫折するものは後を絶たない。

私はその挫折あなたが乗り越えるためのノウハウを持っている。

私はそれを作り置きシステム、と呼んでいる

対象読者

・ある程度の自炊スキルを持っている読者を想定している

・具体的には包丁を扱うことができる、強火と弱火の違いが判る、直材は同じサイズに切り分けたほうが良いと知っている、家に調理器具フライパン電子レンジオーブントースターなど)が存在し、日常的に利用している、といった読者を想定している

・また四人家族程度までを想定している。それ以上の人数の場合も基本な考え方は変わらないと思われるが、単純に量が増えるので調理アプローチが変わる可能性はある

一般に共有されている作り置きにおける課題

作り置きを週末に用意したいと考えている人は多いものの、以下のようなハードルがあってなかなかできない、続かないことが多いのではないか

①そんなたくさん何を作るか決められない:

普通の人は4品も5品も料理することを考えるだけでうんざりする。

・そんなにレシピの引き出しないよー。クックパッド見てもなんか食材がたくさん書いてあるし、工程も複雑だし……。

②買い出し~後片付けまで段取りが大変:

レシピが決まっても、買い物リストを作るのも面倒、作る段取りをあれしてこれしてと考えるのも面倒、できてみたら鍋と皿の山がシンクに……。

・これならコンビニでいいや……

③いざ作っても、いつも同じ味、全部同じ味になって飽きちゃう

料理中級者以上にあるあるだが、何を作っても自分好みの味にはなるのだが、全部同じ味になってしまう……。

・結果、すぐ飽きる

上記課題の背景には何があるか

・まず、上記問題は、レシピ検討における基本的な考え方や、段取り設計にかかる基本的な考え方が備わっていないがゆえに起きていると考えている

・多くの人は、個別レシピを見る⇒おいしそう!つくってみよう!⇒また別のレシピをみる⇒つくってみよう!を繰り返していると理解している

・この場合包丁の扱いや火加減、味付けなどのハードスキル自体自然と向上していく一方で、個別レシピ抽象化したレシピ設計の考え方や調理工程設計調理~後片付けの考え方といったソフトスキルが身についていないものを思われる

ソフトスキルである個別レシピ抽象化した基本的な考え方”があれば、個別レシピを探さなくとも料理を低負荷高品質で用意することが可能になる

・そこで、本文章では私なりのソフトスキルに該当する”基本的な考え方”を共有する

作り置きを用意するうえでの基本的な考え方

レシピ検討フェーズ

料理材料×調理方法である

作り置きにおける材料調理方法基本的な考え方は以下の①と②である

この①と②だけ頭に叩き込んでおけば、買い出し前のレシピ検討ほとんど不要である

レシピ材料基本的構造:すべての料理は以下の構造で作るべし(油はダイエット中ならば減らしても可)

食材野菜、肉、魚など)+調味料さしすせそ等)+薬味ハーブわさびなど)+油

調理方法バリエーション:以下のロジックバリエーションをつけるべし

食材~油の選択×加熱方法(生、炒め、ロースト、蒸し、茹で等)×調味タイミング(加熱前 or 加熱中 or 加熱後)

そのうえで、まず、一料理につき、食材は一つにすることを強く推奨する

・具体的には、ナスピーマンのみそ炒めを作るのではなく、ナスのみそ炒めとピーマン塩こぶ和えを作るということである

・具体的な効用として、

食材単一にすることで、調理負荷は変えずに、品数を増やすことが容易になる

ナスピーマンをそれぞれ切って合わせて炒める手間も、ナスを切って炒め、ピーマンを切って塩こぶ和えを作る手間も変わらない

複数食材火入れ管理を同時にする必要がないので、料理品質の向上につながる

ナスピーマンの炒め物程度のものでも、ナスピーマン両方に適切に火が入っている状態にするのは難しい

③全部違う味になるので飽きが来ない

料理は色と似ている。あれこれ混ぜれば混ぜるだけ、よくわからない、全部同じ味になる

同様に調味料の種類も絞ることを推奨する。薬味と油も同様である

・これは一種類とは言わないが、六味(五味うまみ)のうち、一つの料理適用するのは2種類に抑えたほうがいい(塩味担当調味料+それ以外の味)

・これは複数の種類の作り置きを、それぞれ違う飽きない味にするためには、それぞれの品のエッジをある程度たたせたほうがいいかである

一品だけ食べるとちょっとものたりないな、と感じても、いろいろたべたら飽きずに満足、という世界観を目指している

【買い出しフェーズ

スーパーにいって、その時特売になっているもの、ピン!とき食材薬味調味料バンバンかごに入れていく。以上である

上記説明したレシピ検討原則にのっとっていればよいため、何を買ってもいい

・買った食材の数と品数は完全に一致するので、食材の組み合わせなども考えなくてよい

調理フェーズ

・買い物からの帰り道に調理段取り設計をする

調理段取り成功とは、つまるところ以下の二点に帰結する

①最短時間で最大の品数をつくること
調理中、調理後の洗い物ならびに拭き掃除を最小化すること

上記を実現するためには、

①最短時間で最大品数:複数食材を平行的に調理
②洗い物・拭き掃除の最小化:利用する鍋やバッドの数を減らす。調理中のまな板包丁の洗浄頻度を減らす

ことが肝要となる。

段取り設計するうえでの基本的な考え方を示す
・同時並行調理成功させるために、レシピは「切った後は放置でできる系のもの」「切ったのちも炒めたり味付けしたり手間かかるもの」の二種類に分けて考えること

イメージとしては6食材買ったら、、、

1つは漬物

2つはオーブントースター/オーブン

3つは炒め/茹で系

に配分するイメージ

具体的なプロセスとしては

放置系準備

放置系加熱(or漬け)開始

③手間系準備

④手間系加熱

⑤全品完成

を繰り返していくイメージである

・下ごしらえの順番、調理の順番を”洗い物の低減”に合わせて設計すること

加熱せずとも食えるもの⇒加熱必須もの、の順に下ごしらえする。

具体的には野菜⇒魚⇒肉の順に下ごしらえする

野菜も、汁のでないもの⇒汁の出るもの、の順に下ごしらえする

火入れ工程では水の出にくいもの根菜類や肉魚)⇒水の出やすものナスキャベツ)の順番に調理する

上記を通じてまな板や鍋を毎回洗う工数を減らす

具体的な実施イメージ

【買い物フェーズ
以下の6食材を購入。薬味系や調味料は家にあるものとする

ナス

きゅうり

ピーマン

かぼちゃ

いわし

鶏もも肉

帰宅しながら段取りフェーズ
・つけもの系:きゅうり
オーブン系:いわしかぼちゃ
・炒め/焼き系:ピーマンなす鶏もも肉

設計

調理フェーズ
一品につき食材一種調味料は二種、薬味一種
放置系⇒手間系へ、生食可⇒要加熱へ

原則を守って調理するだけ

放置系×生で食える】

きゅうりスライス、塩と酢(調味料は二つまでのルール)、練りからしと混ぜて放置砂糖は加えないこと!)

かぼちゃ適当な大きさに切る。塩、オリーブオイルニンニクのすりおろし調味料薬味、油が一種類ずつ)と混ぜてオーブンに広げ加熱開始(オーブントースターでもよい)

手間系×生で食える

ピーマンなすを好みのサイズに切る。ちぎったっていい

ピーマンは炒め、オイスターソースで調味、唐辛子を振る

なすに油と醤油をかけ、蓋して蒸し煮、わさびを加えてまぜる

放置系×要加熱

⑥そうこうするうちにかぼちゃローストが完成しているので、取り出す

イワシに塩を振ってオーブンに突っ込む

手間系×要加熱

ナスを取り出したら鶏肉を鍋に入れる

日本酒か水と味噌砂糖を入れて火にかける

⑩15分くらいして火が通ったらおろしショウガたっぷり入れる

⑪そうこうするうちにイワシが焼けたら、ほぐしてちぎった梅干し、刻み葱と和える

調理結果(1h程度)

きゅうり酢の物

ピーマンピリ辛中華炒め

なすの炒め煮わさび風味

かぼちゃイタリア風ロースト

いわしの梅和え

鶏肉味噌

Permalink |記事への反応(13) | 22:43

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なぜあなたは作り置きができないのか。私の週末作り置きシステムを伝

私は料理が得意である

スズキパイ包み焼きソースショロンを作ることもできるし、江戸前鮨を握ることもできる。

しかし、私の一番の得意領域は、週末の料理の作り置きである

買い出しは含まずに、1h~2hで家中のタッパーを埋め尽くすほどの作り置き(5~6品)を用意することができるし、

それによって、朝食の用意や弁当の用意が劇的にラクになり、あわただしい平日の朝を、比較的ゆったりと過ごすことができている。

いっきり過言すれば、作り置きには料理人生のすべてが詰まっている。

家庭料理であるし、特別ものではないから敷居は低い一方で、品質・速度・品数の三つを高めていくことを意識しながら取り組めば劇的な料理スキル向上に加え、仕事全般に生かしうる思考スキルの向上が期待できる。何よりも楽しい

具体的には以下のスキルが、週末を重ねるたびに向上していくのを実感できるはずである

限定された時間品質高く食材を下ごしらえするスキル

・早く、かつ高品質な作り置きを複数品用意しながらも、後片付け工数を最小化するための段取り設計能力

・家にある食材や買ってきた食材をもとに、それっぽいレシピを考えるための思考の瞬発力

一方で、作り置きをしようとして挫折するものは後を絶たない。

私はその挫折あなたが乗り越えるためのノウハウを持っている。

私はそれを作り置きシステム、と呼んでいる

対象読者

・ある程度の自炊スキルを持っている読者を想定している

・具体的には包丁を扱うことができる、強火と弱火の違いが判る、直材は同じサイズに切り分けたほうが良いと知っている、家に調理器具フライパン電子レンジオーブントースターなど)が存在し、日常的に利用している、といった読者を想定している

・また四人家族程度までを想定している。それ以上の人数の場合も基本な考え方は変わらないと思われるが、単純に量が増えるので調理アプローチが変わる可能性はある

一般に共有されている作り置きにおける課題

作り置きを週末に用意したいと考えている人は多いものの、以下のようなハードルがあってなかなかできない、続かないことが多いのではないか

①そんなたくさん何を作るか決められない:

普通の人は4品も5品も料理することを考えるだけでうんざりする。

・そんなにレシピの引き出しないよー。クックパッド見てもなんか食材がたくさん書いてあるし、工程も複雑だし……。

②買い出し~後片付けまで段取りが大変:

レシピが決まっても、買い物リストを作るのも面倒、作る段取りをあれしてこれしてと考えるのも面倒、できてみたら鍋と皿の山がシンクに……。

・これならコンビニでいいや……

③いざ作っても、いつも同じ味、全部同じ味になって飽きちゃう

料理中級者以上にあるあるだが、何を作っても自分好みの味にはなるのだが、全部同じ味になってしまう……。

・結果、すぐ飽きる

上記課題の背景には何があるか

・まず、上記問題は、レシピ検討における基本的な考え方や、段取り設計にかかる基本的な考え方が備わっていないがゆえに起きていると考えている

・多くの人は、個別レシピを見る⇒おいしそう!つくってみよう!⇒また別のレシピをみる⇒つくってみよう!を繰り返していると理解している

・この場合包丁の扱いや火加減、味付けなどのハードスキル自体自然と向上していく一方で、個別レシピ抽象化したレシピ設計の考え方や調理工程設計調理~後片付けの考え方といったソフトスキルが身についていないものを思われる

ソフトスキルである個別レシピ抽象化した基本的な考え方”があれば、個別レシピを探さなくとも料理を低負荷高品質で用意することが可能になる

・そこで、本文章では私なりのソフトスキルに該当する”基本的な考え方”を共有する

作り置きを用意するうえでの基本的な考え方

レシピ検討フェーズ

料理材料×調理方法である

作り置きにおける材料調理方法基本的な考え方は以下の①と②である

この①と②だけ頭に叩き込んでおけば、買い出し前のレシピ検討ほとんど不要である

レシピ材料基本的構造:すべての料理は以下の構造で作るべし(油はダイエット中ならば減らしても可)

食材野菜、肉、魚など)+調味料さしすせそ等)+薬味ハーブわさびなど)+油

調理方法バリエーション:以下のロジックバリエーションをつけるべし

食材~油の選択×加熱方法(生、炒め、ロースト、蒸し、茹で等)×調味タイミング(加熱前 or 加熱中 or 加熱後)

そのうえで、まず、一料理につき、食材は一つにすることを強く推奨する

・具体的には、ナスピーマンのみそ炒めを作るのではなく、ナスのみそ炒めとピーマン塩こぶ和えを作るということである

・具体的な効用として、

食材単一にすることで、調理負荷は変えずに、品数を増やすことが容易になる

ナスピーマンをそれぞれ切って合わせて炒める手間も、ナスを切って炒め、ピーマンを切って塩こぶ和えを作る手間も変わらない

複数食材火入れ管理を同時にする必要がないので、料理品質の向上につながる

ナスピーマンの炒め物程度のものでも、ナスピーマン両方に適切に火が入っている状態にするのは難しい

③全部違う味になるので飽きが来ない

料理は色と似ている。あれこれ混ぜれば混ぜるだけ、よくわからない、全部同じ味になる

同様に調味料の種類も絞ることを推奨する。薬味と油も同様である

・これは一種類とは言わないが、六味(五味うまみ)のうち、一つの料理適用するのは2種類に抑えたほうがいい(塩味担当調味料+それ以外の味)

・これは複数の種類の作り置きを、それぞれ違う飽きない味にするためには、それぞれの品のエッジをある程度たたせたほうがいいかである

一品だけ食べるとちょっとものたりないな、と感じても、いろいろたべたら飽きずに満足、という世界観を目指している

【買い出しフェーズ

スーパーにいって、その時特売になっているもの、ピン!とき食材薬味調味料バンバンかごに入れていく。以上である

上記説明したレシピ検討原則にのっとっていればよいため、何を買ってもいい

・買った食材の数と品数は完全に一致するので、食材の組み合わせなども考えなくてよい

調理フェーズ

・買い物からの帰り道に調理段取り設計をする

調理段取り成功とは、つまるところ以下の二点に帰結する

①最短時間で最大の品数をつくること
調理中、調理後の洗い物ならびに拭き掃除を最小化すること

上記を実現するためには、

①最短時間で最大品数:複数食材を平行的に調理
②洗い物・拭き掃除の最小化:利用する鍋やバッドの数を減らす。調理中のまな板包丁の洗浄頻度を減らす

ことが肝要となる。

段取り設計するうえでの基本的な考え方を示す
・同時並行調理成功させるために、レシピは「切った後は放置でできる系のもの」「切ったのちも炒めたり味付けしたり手間かかるもの」の二種類に分けて考えること

イメージとしては6食材買ったら、、、

1つは漬物

2つはオーブントースター/オーブン

3つは炒め/茹で系

に配分するイメージ

具体的なプロセスとしては

放置系準備

放置系加熱(or漬け)開始

③手間系準備

④手間系加熱

⑤全品完成

を繰り返していくイメージである

・下ごしらえの順番、調理の順番を”洗い物の低減”に合わせて設計すること

加熱せずとも食えるもの⇒加熱必須もの、の順に下ごしらえする。

具体的には野菜⇒魚⇒肉の順に下ごしらえする

野菜も、汁のでないもの⇒汁の出るもの、の順に下ごしらえする

火入れ工程では水の出にくいもの根菜類や肉魚)⇒水の出やすものナスキャベツ)の順番に調理する

上記を通じてまな板や鍋を毎回洗う工数を減らす

具体的な実施イメージ

【買い物フェーズ
以下の6食材を購入。薬味系や調味料は家にあるものとする

ナス

きゅうり

ピーマン

かぼちゃ

いわし

鶏もも肉

帰宅しながら段取りフェーズ
・つけもの系:きゅうり
オーブン系:いわしかぼちゃ
・炒め/焼き系:ピーマンなす鶏もも肉

設計

調理フェーズ
一品につき食材一種調味料は二種、薬味一種
放置系⇒手間系へ、生食可⇒要加熱へ

原則を守って調理するだけ

放置系×生で食える】

きゅうりスライス、塩と酢(調味料は二つまでのルール)、練りからしと混ぜて放置砂糖は加えないこと!)

かぼちゃ適当な大きさに切る。塩、オリーブオイルニンニクのすりおろし調味料薬味、油が一種類ずつ)と混ぜてオーブンに広げ加熱開始(オーブントースターでもよい)

手間系×生で食える

ピーマンなすを好みのサイズに切る。ちぎったっていい

ピーマンは炒め、オイスターソースで調味、唐辛子を振る

なすに油と醤油をかけ、蓋して蒸し煮、わさびを加えてまぜる

放置系×要加熱

⑥そうこうするうちにかぼちゃローストが完成しているので、取り出す

イワシに塩を振ってオーブンに突っ込む

手間系×要加熱

ナスを取り出したら鶏肉を鍋に入れる

日本酒か水と味噌砂糖を入れて火にかける

⑩15分くらいして火が通ったらおろしショウガたっぷり入れる

⑪そうこうするうちにイワシが焼けたら、ほぐしてちぎった梅干し、刻み葱と和える

調理結果(1h程度)

きゅうり酢の物

ピーマンピリ辛中華炒め

なすの炒め煮わさび風味

かぼちゃイタリア風ロースト

いわしの梅和え

鶏肉味噌

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2025-06-23

anond:20250623202234

 自分は、金持ちの家に生れたという事よりも、俗にいう「できる」事に依って、学校中の尊敬を得そうになりました。自分は、子供の頃から病弱で、よく一つき二つき、また一学年ちかくも寝込んで学校を休んだ事さえあったのですが、それでも、病み上りからだで人力車に乗って学校へ行き、学年末試験を受けてみると、クラスの誰よりも所謂「できて」いるようでした。からだ具合いのよい時でも、自分は、さっぱり勉強せず、学校へ行っても授業時間漫画などを書き、休憩時間にはそれをクラスの者たちに説明して聞かせて、笑わせてやりました。また、綴り方には、滑稽噺こっけいばなしばかり書き、先生から注意されても、しかし、自分は、やめませんでした。先生は、実はこっそり自分のその滑稽噺を楽しみにしている事を自分は、知っていたからでした。或る日、自分は、れいに依って、自分が母に連れられて上京の途中の汽車で、おしっこ客車通路にある痰壺たんつぼにしてしまった失敗談(しかし、その上京の時に、自分は痰壺と知らずにしたのではありませんでした。子供の無邪気をてらって、わざと、そうしたのでした)を、ことさらに悲しそうな筆致で書いて提出し、先生は、きっと笑うという自信がありましたので、職員室に引き揚げて行く先生のあとを、そっとつけて行きましたら、先生は、教室を出るとすぐ、自分のその綴り方を、他のクラスの者たちの綴り方の中から選び出し、廊下を歩きながら読みはじめて、クスクス笑い、やがて職員室にはいって読み終えたのか、顔を真赤にして大声を挙げて笑い、他の先生に、さっそくそれを読ませているのを見とどけ、自分は、たいへん満足でした。

 お茶目

 自分は、所謂お茶目に見られる事に成功しました。尊敬される事から、のがれる事に成功しました。通信簿は全学科とも十点でしたが、操行というものだけは、七点だったり、六点だったりして、それもまた家中の大笑いの種でした。

 けれども自分の本性は、そんなお茶目さんなどとは、凡およそ対蹠たいせき的なものでした。その頃、既に自分は、女中下男から、哀かなしい事を教えられ、犯されていました。幼少の者に対して、そのような事を行うのは、人間の行い得る犯罪の中で最も醜悪で下等で、残酷犯罪だと、自分はいまでは思っていますしかし、自分は、忍びました。これでまた一つ、人間特質を見たというような気持さえして、そうして、力無く笑っていました。もし自分に、本当の事を言う習慣がついていたなら、悪びれず、彼等の犯罪を父や母に訴える事が出来たのかも知れませんが、しかし、自分は、その父や母をも全部は理解する事が出来なかったのです。人間に訴える、自分は、その手段には少しも期待できませんでした。父に訴えても、母に訴えても、お巡まわりに訴えても、政府に訴えても、結局は世渡りに強い人の、世間に通りのいい言いぶんに言いまくられるだけの事では無いかしら。

 必ず片手落のあるのが、わかり切っている、所詮しょせん、人間に訴えるのは無駄である自分はやはり、本当の事は何も言わず、忍んで、そうしてお道化をつづけているより他、無い気持なのでした。

 なんだ、人間への不信を言っているのか? へえ? お前はいクリスチャンになったんだい、と嘲笑ちょうしょうする人も或いはあるかも知れませんが、しかし、人間への不信は、必ずしもすぐに宗教の道に通じているとは限らないと、自分には思われるのですけど。現にその嘲笑する人をも含めて、人間は、お互いの不信の中で、エホバも何も念頭に置かず、平気で生きているではありませんか。やはり、自分の幼少の頃の事でありましたが、父の属していた或る政党有名人が、この町に演説に来て、自分下男たちに連れられて劇場に聞きに行きました。満員で、そうして、この町の特に父と親しくしている人たちの顔は皆、見えて、大いに拍手などしていました。演説がすんで、聴衆は雪の夜道を三々五々かたまって家路に就き、クソミソに今夜の演説会の悪口を言っているのでした。中には、父と特に親しい人の声もまじっていました。父の開会の辞も下手、れい有名人演説も何が何やら、わけがからぬ、とその所謂父の「同志たち」が怒声に似た口調で言っているのです。そうしてそのひとたちは、自分の家に立ち寄って客間に上り込み、今夜の演説会は大成功だったと、しんから嬉しそうな顔をして父に言っていました。下男たちまで、今夜の演説会はどうだったと母に聞かれ、とても面白かった、と言ってけろりとしているのです。演説会ほど面白くないものはない、と帰る途々みちみち、下男たちが嘆き合っていたのです。

 しかし、こんなのは、ほんのささやかな一例に過ぎません。互いにあざむき合って、しかもいずれも不思議に何の傷もつかず、あざむき合っている事にさえ気がついていないみたいな、実にあざやかな、それこそ清く明るくほがらかな不信の例が、人間生活に充満しているように思われます。けれども、自分には、あざむき合っているという事には、さして特別の興味もありません。自分だって、お道化に依って、朝から晩まで人間をあざむいているのです。自分は、修身教科書的な正義とか何とかい道徳には、あまり関心を持てないのです。自分には、あざむき合っていながら、清く明るく朗らかに生きている、或いは生き得る自信を持っているみたいな人間難解なのです。人間は、ついに自分にその妙諦みょうていを教えてはくれませんでした。それさえわかったら、自分は、人間をこんなに恐怖し、また、必死のサーヴィスなどしなくて、すんだのでしょう。人間生活対立してしまって、夜々の地獄のこれほどの苦しみを嘗なめずにすんだのでしょう。つまり自分下男下女たちの憎むべきあの犯罪をさえ、誰にも訴えなかったのは、人間への不信からではなく、また勿論クリス主義のためでもなく、人間が、葉蔵という自分に対して信用の殻を固く閉じていたからだったと思います。父母でさえ、自分にとって難解なものを、時折、見せる事があったのですから

 そうして、その、誰にも訴えない、自分孤独匂いが、多くの女性に、本能に依って嗅かぎ当てられ、後年さまざま、自分がつけ込まれる誘因の一つになったような気もするのです。

 つまり自分は、女性にとって、恋の秘密を守れる男であったというわけなのでした。

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第二の手記

 海の、波打際、といってもいいくらいに海にちかい岸辺に、真黒い樹肌の山桜の、かなり大きいのが二十本以上も立ちならび、新学年がはじまると、山桜は、褐色のねばっこいような嫩葉わかばと共に、青い海を背景にして、その絢爛けんらんたる花をひらき、やがて、花吹雪の時には、花びらがおびただしく海に散り込み、海面を鏤ちりばめて漂い、波に乗せられ再び波打際に打ちかえされる、その桜の砂浜が、そのまま校庭として使用せられている東北の或る中学校に、自分受験勉強もろくにしなかったのに、どうやら無事に入学できました。そうして、その中学制帽の徽章きしょうにも、制服ボタンにも、桜の花が図案化せられて咲いていました。

 その中学校のすぐ近くに、自分の家と遠い親戚に当る者の家がありましたので、その理由もあって、父がその海と桜の中学校自分に選んでくれたのでした。自分は、その家にあずけられ、何せ学校のすぐ近くなので、朝礼の鐘の鳴るのを聞いてから、走って登校するというような、かなり怠惰中学生でしたが、それでも、れいのお道化に依って、日一日とクラスの人気を得ていました。

 生れてはじめて、謂わば他郷へ出たわけなのですが、自分には、その他郷のほうが、自分の生れ故郷よりも、ずっと気楽な場所のように思われました。それは、自分のお道化もその頃にはいよいよぴったり身について来て、人をあざむくのに以前ほどの苦労を必要としなくなっていたかである、と解説してもいいでしょうがしかし、それよりも、肉親と他人故郷と他郷、そこには抜くべからざる演技の難易の差が、どのような天才にとっても、たとい神の子イエスにとっても、存在しているものなのではないでしょうか。俳優にとって、最も演じにくい場所は、故郷劇場であって、しかも六親眷属けんぞく全部そろって坐っている一部屋の中に在っては、いかな名優も演技どころでは無くなるのではないでしょうか。けれども自分は演じて来ました。しかも、それが、かなりの成功を収めたのです。それほどの曲者くせものが、他郷に出て、万が一にも演じ損ねるなどという事は無いわけでした。

 自分人間恐怖は、それは以前にまさるとも劣らぬくらい烈しく胸の底で蠕動ぜんどうしていましたが、しかし、演技は実にのびのびとして来て、教室にあっては、いつもクラスの者たちを笑わせ、教師も、このクラス大庭さえいないと、とてもいいクラスなんだが、と言葉では嘆じながら、手で口を覆って笑っていました。自分は、あの雷の如き蛮声を張り上げる配属将校をさえ、実に容易に噴き出させる事が出来たのです。

 もはや、自分の正体を完全に隠蔽いんぺいし得たのではあるまいか、とほっとしかけた矢先に、自分は実に意外にも背後から突き刺されました。それは、背後から突き刺す男のごたぶんにもれず、クラスで最も貧弱な肉体をして、顔も青ぶくれで、そうしてたしか父兄のお古と思われる袖が聖徳太子の袖みたいに長すぎる上衣うわぎを着て、学課は少しも出来ず、教練や体操はいつも見学という白痴に似た生徒でした。自分もさすがに、その生徒にさえ警戒する必要は認めていなかったのでした。

 その日、体操時間に、その生徒(姓はい記憶していませんが、名は竹一といったかと覚えています)その竹一は、れいに依って見学自分たちは鉄棒練習をさせられていました。自分は、わざと出来るだけ厳粛な顔をして、鉄棒めがけて、えいっと叫んで飛び、そのまま幅飛びのように前方へ飛んでしまって、砂地にドスンと尻餅をつきました。すべて、計画的な失敗でした。果して皆の大笑いになり、自分も苦笑しながら起き上ってズボンの砂を払っていると、いつそこへ来ていたのか、竹一が自分背中をつつき、低い声でこう囁ささやきました。

「ワザ。ワザ」

 自分震撼しんかんしました。ワザと失敗したという事を、人もあろうに、竹一に見破られるとは全く思いも掛けない事でした。自分は、世界が一瞬にして地獄業火に包まれ燃え上るのを眼前に見るような心地がして、わあっ! と叫んで発狂しそうな気配を必死の力で抑えました。

 それからの日々の、自分不安と恐怖。

 表面は相変らず哀しいお道化を演じて皆を笑わせていましたが、ふっと思わず重苦しい溜息ためいきが出て、何をしたってすべて竹一に木っ葉みじんに見破られていて、そうしてあれは、そのうちにきっと誰かれとなく、それを言いふらして歩くに違いないのだ、と考えると、額にじっとり油汗がわいて来て、狂人みたいに妙な眼つきで、あたりをキョロキョロむなしく見廻したりしました。できる事なら、朝、昼、晩、四六時中、竹一の傍そばから離れず彼が秘密を口走らないように監視していたい気持でした。そうして、自分が、彼にまつわりついている間に、自分のお道化は、所謂「ワザ」では無くて、ほんものであったというよう思い込ませるようにあらゆる努力を払い、あわよくば、彼と無二の親友になってしまいたいものだ、もし、その事が皆、不可能なら、もはや、彼の死を祈るより他は無い、とさえ思いつめました。しかし、さすがに、彼を殺そうという気だけは起りませんでした。自分は、これまでの生涯に於おいて、人に殺されたいと願望した事は幾度となくありましたが、人を殺したいと思った事は、いちどもありませんでした。それは、おそるべき相手に、かえって幸福を与えるだけの事だと考えていたからです。

 自分は、彼を手なずけるため、まず、顔に偽クリスチャンのような「優しい」媚笑びしょうを湛たたえ、首を三十度くらい左に曲げて、彼の小さい肩を軽く抱き、そうして猫撫ねこなで声に似た甘ったるい声で、彼を自分の寄宿している家に遊びに来るようしばしば誘いましたが、彼は、いつも、ぼんやりした眼つきをして、黙っていました。しかし、自分は、或る日の放課後、たしか初夏の頃の事でした、夕立ちが白く降って、生徒たちは帰宅に困っていたようでしたが、自分は家がすぐ近くなので平気で外へ飛び出そうとして、ふと下駄箱のかげに、竹一がしょんぼり立っているのを見つけ、行こう、傘を貸してあげる、と言い、臆する竹一の手を引っぱって、一緒に夕立ちの中を走り、家に着いて、二人の上衣を小母さんに乾かしてもらうようにたのみ、竹一を二階の自分の部屋に誘い込むのに成功しました。

 その家には、五十すぎの小母さんと、三十くらいの、眼鏡をかけて、病身らしい背の高い姉娘(この娘は、いちどよそへお嫁に行って、それからまた、家へ帰っているひとでした。自分は、このひとを、ここの家のひとたちにならって、アネサと呼んでいました)それと、最近女学校卒業したばかりらしい、セッちゃんという姉に似ず背が低く丸顔の妹娘と、三人だけの家族で、下の店には、文房具やら運動用具を少々並べていましたが、主な収入は、なくなった主人が建てて残して行った五六棟の長屋家賃のようでした。

「耳が痛い」

 竹一は、立ったままでそう言いました。

「雨に濡れたら、痛くなったよ」

 自分が、見てみると、両方の耳が、ひどい耳だれでした。膿うみが、いまにも耳殻の外に流れ出ようとしていました。

「これは、いけない。痛いだろう」

 と自分大袈裟おおげさにおどろいて見せて、

「雨の中を、引っぱり出したりして、ごめんね」

 と女の言葉みたいな言葉を遣って「優しく」謝り、それから、下へ行って綿とアルコールをもらって来て、竹一を自分の膝ひざを枕にして寝かせ、念入りに耳の掃除をしてやりました。竹一も、さすがに、これが偽善の悪計であることには気附かなかったようで、

「お前は、きっと、女に惚ほれられるよ」

 と自分の膝枕で寝ながら、無智なお世辞を言ったくらいでした。

 しかしこれは、おそらく、あの竹一も意識しなかったほどの、おそろしい悪魔予言のようなものだったという事を、自分は後年に到って思い知りました。惚れると言い、惚れられると言い、その言葉はひどく下品で、ふざけて、いかにも、やにさがったものの感じで、どんなに所謂「厳粛」の場であっても、そこへこの言葉一言でもひょいと顔を出すと、みるみる憂鬱伽藍がらんが崩壊し、ただのっぺらぼうになってしまうような心地がするものですけれども、惚れられるつらさ、などという俗語でなく、愛せられる不安、とでもいう文学語を用いると、あながち憂鬱伽藍をぶちこわす事にはならないようですから、奇妙なものだと思います

 竹一が、自分に耳だれの膿の仕末をしてもらって、お前は惚れられるという馬鹿なお世辞を言い、自分はその時、ただ顔を赤らめて笑って、何も答えませんでしたけれども、しかし、実は、幽かすかに思い当るところもあったのでした。でも、「惚れられる」というような野卑な言葉に依って生じるやにさがった雰囲気ふんいきに対して、そう言われると、思い当るところもある、などと書くのは、ほとんど落語若旦那のせりふにさえならぬくらい、おろかしい感懐を示すようなもので、まさか自分は、そんなふざけた、やにさがった気持で、「思い当るところもあった」わけでは無いのです。

 自分には、人間女性のほうが、男性よりもさらに数倍難解でした。自分家族は、女性のほうが男性よりも数が多く、また親戚にも、女の子がたくさんあり、またれいの「犯罪」の女中などもいまして、自分は幼い時から、女とばかり遊んで育ったといっても過言ではないと思っていますが、それは、また、しかし、実に、薄氷を踏む思いで、その女のひとたちと附合って来たのです。ほとんど、まるで見当が、つかないのです。五里霧中で、そうして時たま、虎の尾を踏む失敗をして、ひどい痛手を負い、それがまた、男性から受ける笞むちとちがって、内出血みたいに極度に不快に内攻して、なかなか治癒ちゆし難い傷でした。

 女は引き寄せて、つっ放す、或いはまた、女は、人のいるところでは自分をさげすみ、邪慳じゃけんにし、誰もいなくなると、ひしと抱きしめる、女は死んだように深く眠る、女は眠るために生きているのではないかしら、その他、女に就いてのさまざまの観察を、すでに自分は、幼年時代から得ていたのですが、同じ人類のようでありながら、男とはまた、全く異った生きもののような感じで、そうしてまた、この不可解で油断のならぬ生きものは、奇妙に自分をかまうのでした。「惚れられる」なんていう言葉も、また「好かれる」という言葉も、自分場合にはちっとも、ふさわしくなく、「かまわれる」とでも言ったほうが、まだしも実状の説明に適しているかも知れません。

 女は、男よりも更に、道化には、くつろぐようでした。自分がお道化を演じ、男はさすがにいつまでもゲラゲラ笑ってもいませんし、それに自分も男のひとに対し、調子に乗ってあまり道化を演じすぎると失敗するという事を知っていましたので、必ず適当のところで切り上げるように心掛けていましたが、女は適度という事を知らず、いつまでもいつまでも自分にお道化要求し、自分はその限りないアンコールに応じて、へとへとになるのでした。実に、よく笑うのです。いったいに、女は、男よりも快楽をよけいに頬張る事が出来るようです。

 自分中学時代に世話になったその家の姉娘も、妹娘も、ひまさえあれば、二階の自分の部屋にやって来て、自分はその度毎に飛び上らんばかりにぎょっとして、そうして、ひたすらおびえ、

「御勉強?」

「いいえ」

 と微笑して本を閉じ、

「きょうね、学校でね、コンボウという地理先生がね」

 とするする口から流れ出るものは、心にも無い滑稽噺でした。

「葉ちゃん眼鏡をかけてごらん」

 或る晩、妹娘のセッちゃんが、アネサと一緒に自分の部屋へ遊びに来て、さんざん自分にお道化を演じさせた揚句の果に、そんな事を言い出しました。

「なぜ?」

「いいから、かけてごらん。アネサの眼鏡を借りなさい」

 いつでも、こんな乱暴命令口調で言うのでした。道化師は、素直にアネサの眼鏡をかけました。とたんに、二人の娘は、笑いころげました。

そっくりロイドに、そっくり

 当時、ハロルド・ロイドかい外国映画喜劇役者が、日本で人気がありました。

 自分は立って片手を挙げ、

諸君

 と言い、

「このたび、日本ファンの皆様がたに、……」

 と一場挨拶を試み、さらに大笑いさせて、それからロイド映画がそのまちの劇場に来るたび毎に見に行って、ひそかに彼の表情などを研究しました。

 また、或る秋の夜、自分が寝ながら本を読んでいると、アネサが鳥のように素早く部屋へはいって来て、いきなり自分の掛蒲団の上に倒れて泣き、

「葉ちゃんが、あたしを助けてくれるのだわね。そうだわね。こんな家、一緒に出てしまったほうがいいのだわ。助けてね。助けて」

 などと、はげしい事を口走っては、また泣くのでした。けれども、自分には、女から、こんな態度を見せつけられるのは、これが最初ではありませんでしたので、アネサの過激言葉にも、さして驚かず、かえってその陳腐、無内容に興が覚めた心地で、そっと蒲団から脱け出し、机の上の柿をむいて、その一きれをアネサに手渡してやりました。すると、アネサは、しゃくり上げながらその柿を食べ、

「何か面白い本が無い? 貸してよ」

 と言いました。

 自分漱石の「吾輩は猫である」という本を、本棚から選んであげました。

「ごちそうさま」

 アネサは、恥ずかしそうに笑って部屋から出て行きましたが、このアネサに限らず、いったい女は、どんな気持で生きているのかを考える事は、自分にとって、蚯蚓みみずの思いをさぐるよりも、ややこしく、わずらわしく、薄気味の悪いものに感ぜられていました。ただ、自分は、女があんなに急に泣き出したりした場合、何か甘いものを手渡してやると、それを食べて機嫌を直すという事だけは、幼い時から自分経験に依って知っていました。

 また、妹娘のセッちゃんは、その友だちまで自分の部屋に連れて来て、自分れいに依って公平に皆を笑わせ、友だちが帰ると、セッちゃんは、必ずその友だちの悪口を言うのでした。あのひとは不良少女から、気をつけるように、ときまって言うのでした。そんなら、わざわざ連れて来なければ、よいのに、おかげで自分の部屋の来客の、ほとんど全部が女、という事になってしまいました。

 しかし、それは、竹一のお世辞の「惚れられる」事の実現では未だ決して無かったのでした。つまり自分は、日本東北ハロルド・ロイドに過ぎなかったのです。竹一の無智なお世辞が、いまわしい予言として、なまなまと生きて来て、不吉な形貌を呈するようになったのは、更にそれから、数年経った後の事でありました。

 竹一は、また、自分にもう一つ、重大な贈り物をしていました。

お化けの絵だよ」

 いつか竹一が、自分の二階へ遊びに来た時、ご持参の、一枚の原色版の口絵を得意そうに自分に見せて、そう説明しました。

 おや? と思いました。その瞬間、自分の落ち行く道が決定せられたように、後年に到って、そんな気がしてなりません。自分は、知っていました。それは、ゴッホの例のPermalink |記事への反応(1) | 20:25

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人間失格

 私は、その男写真を三葉、見たことがある。

 一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹いとこたちかと想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞の袴はかまをはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、醜く笑っている写真である。醜く? けれども、鈍い人たち(つまり、美醜などに関心を持たぬ人たち)は、面白くも何とも無いような顔をして、

可愛い坊ちゃんですね」

 といい加減なお世辞を言っても、まんざら空からお世辞に聞えないくらいの、謂いわば通俗の「可愛らしさ」みたいな影もその子供の笑顔に無いわけではないのだが、しかし、いささかでも、美醜に就いての訓練を経て来たひとなら、ひとめ見てすぐ、

「なんて、いやな子供だ」

 と頗すこぶる不快そうに呟つぶやき、毛虫でも払いのける時のような手つきで、その写真をほうり投げるかも知れない。

 まったく、その子供の笑顔は、よく見れば見るほど、何とも知れず、イヤな薄気味悪いものが感ぜられて来る。どだい、それは、笑顔でない。この子は、少しも笑ってはいないのだ。その証拠には、この子は、両方のこぶしを固く握って立っている。人間は、こぶしを固く握りながら笑えるものでは無いのである。猿だ。猿の笑顔だ。ただ、顔に醜い皺しわを寄せているだけなのである。「皺くちゃ坊ちゃん」とでも言いたくなるくらいの、まことに奇妙な、そうして、どこかけがらわしく、へんにひとをムカムカさせる表情の写真であった。私はこれまで、こんな不思議な表情の子供を見た事が、いちども無かった。

 第二葉写真の顔は、これはまた、びっくりするくらいひどく変貌へんぼうしていた。学生の姿である高等学校時代写真か、大学時代写真か、はっきりしないけれども、とにかく、おそろしく美貌の学生であるしかし、これもまた、不思議にも、生きている人間の感じはしなかった。学生服を着て、胸のポケットから白いハンケチを覗のぞかせ、籐椅子とういすに腰かけて足を組み、そうして、やはり、笑っている。こんどの笑顔は、皺くちゃの猿の笑いでなく、かなり巧みな微笑になってはいるが、しかし、人間の笑いと、どこやら違う。血の重さ、とでも言おうか、生命いのちの渋さ、とでも言おうか、そのような充実感は少しも無く、それこそ、鳥のようではなく、羽毛のように軽く、ただ白紙一枚、そうして、笑っている。つまり、一から十まで造り物の感じなのである。キザと言っても足りない。軽薄と言っても足りない。ニヤケと言っても足りない。おしゃれと言っても、もちろん足りない。しかも、よく見ていると、やはりこの美貌の学生にも、どこか怪談じみた気味悪いものが感ぜられて来るのである。私はこれまで、こんな不思議な美貌の青年を見た事が、いちども無かった。

 もう一葉の写真は、最も奇怪なものである。まるでもう、としの頃がわからない。頭はいくぶん白髪のようである。それが、ひどく汚い部屋(部屋の壁が三箇所ほど崩れ落ちているのが、その写真にハッキリ写っている)の片隅で、小さい火鉢に両手をかざし、こんどは笑っていない。どんな表情も無い。謂わば、坐って火鉢に両手をかざしながら、自然に死んでいるような、まことにいまわしい、不吉なにおいのする写真であった。奇怪なのは、それだけでない。その写真には、わりに顔が大きく写っていたので、私は、つくづくその顔の構造を調べる事が出来たのであるが、額は平凡、額の皺も平凡、眉も平凡、眼も平凡、鼻も口も顎あごも、ああ、この顔には表情が無いばかりか、印象さえ無い。特徴が無いのだ。たとえば、私がこの写真を見て、眼をつぶる。既に私はこの顔を忘れている。部屋の壁や、小さい火鉢は思い出す事が出来るけれども、その部屋の主人公の顔の印象は、すっと霧消して、どうしても、何としても思い出せない。画にならない顔である漫画にも何もならない顔である。眼をひらく。あ、こんな顔だったのか、思い出した、というようなよろこびさえ無い。極端な言い方をすれば、眼をひらいてその写真を再び見ても、思い出せない。そうして、ただもう不愉快イライラして、つい眼をそむけたくなる。

 所謂いわゆる「死相」というものだってもっと何か表情なり印象なりがあるものだろうに、人間からだに駄馬の首でもくっつけたなら、こんな感じのものになるであろうか、とにかく、どこという事なく、見る者をして、ぞっとさせ、いやな気持にさせるのだ。私はこれまで、こんな不思議な男の顔を見た事が、やはり、いちども無かった。

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第一の手記

 恥の多い生涯を送って来ました。

 自分には、人間生活というものが、見当つかないのです。自分東北田舎に生れましたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした。自分停車場ブリッジを、上って、降りて、そうしてそれが線路をまたぎ越えるために造られたものだという事には全然気づかず、ただそれは停車場の構内を外国遊戯場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラにするためにのみ、設備せられてあるものだとばかり思っていました。しかも、かなり永い間そう思っていたのです。ブリッジの上ったり降りたりは、自分にはむしろ、ずいぶん垢抜あかぬけのし遊戯で、それは鉄道のサーヴィスの中でも、最も気のきいたサーヴィスの一つだと思っていたのですが、のちにそれはただ旅客線路をまたぎ越えるための頗る実利的な階段に過ぎないのを発見して、にわかに興が覚めました。

 また、自分子供の頃、絵本地下鉄道というものを見て、これもやはり、実利的な必要から案出せられたものではなく、地上の車に乗るよりは、地下の車に乗ったほうが風がわりで面白い遊びだから、とばかり思っていました。

 自分子供の頃から病弱で、よく寝込みましたが、寝ながら、敷布、枕のカヴァ、掛蒲団カヴァを、つくづく、つまらない装飾だと思い、それが案外に実用品だった事を、二十歳ちかくになってわかって、人間のつましさに暗然とし、悲しい思いをしました。

 また、自分は、空腹という事を知りませんでした。いや、それは、自分が衣食住に困らない家に育ったという意味ではなく、そんな馬鹿意味ではなく、自分には「空腹」という感覚はどんなものだか、さっぱりわからなかったのです。へんな言いかたですが、おなかが空いていても、自分でそれに気がつかないのです。小学校中学校自分学校から帰って来ると、周囲の人たちが、それ、おなかが空いたろう、自分たちにも覚えがある、学校から帰って来た時の空腹は全くひどいからな、甘納豆はどう? カステラも、パンもあるよ、などと言って騒ぎますので、自分は持ち前のおべっか精神を発揮して、おなかが空いた、と呟いて、甘納豆を十粒ばかり口にほうり込むのですが、空腹感とは、どんなものだか、ちっともわかっていやしなかったのです。

 自分だって、それは勿論もちろん、大いにものを食べますが、しかし、空腹感からものを食べた記憶は、ほとんどありません。めずらしいと思われたものを食べます。豪華と思われたものを食べます。また、よそへ行って出されたものも、無理をしてまで、たいてい食べます。そうして、子供の頃の自分にとって、最も苦痛な時刻は、実に、自分の家の食事時間でした。

 自分田舎の家では、十人くらいの家族全部、めいめいのお膳ぜんを二列に向い合せに並べて、末っ子自分は、もちろん一ばん下の座でしたが、その食事の部屋は薄暗く、昼ごはんの時など、十幾人の家族が、ただ黙々としてめしを食っている有様には、自分はいつも肌寒い思いをしました。それに田舎の昔気質かたぎの家でしたので、おかずも、たいていきまっていて、めずらしいもの、豪華なもの、そんなものは望むべくもなかったので、いよいよ自分食事の時刻を恐怖しました。自分はその薄暗い部屋の末席に、寒さにがたがた震える思いで口にごはんを少量ずつ運び、押し込み、人間は、どうして一日に三度々々ごはんを食べるのだろう、実にみな厳粛な顔をして食べている、これも一種儀式のようなもので、家族が日に三度々々、時刻をきめて薄暗い一部屋に集り、お膳を順序正しく並べ、食べたくなくても無言でごはんを噛かみながら、うつむき、家中うごめいている霊たちに祈るためのものかも知れない、とさえ考えた事があるくらいでした。

 めしを食べなければ死ぬ、という言葉は、自分の耳には、ただイヤなおどかしとしか聞えませんでした。その迷信は、(いまでも自分には、何だか迷信のように思われてならないのですが)しかし、いつも自分不安と恐怖を与えました。人間は、めしを食べなければ死ぬから、そのために働いて、めしを食べなければならぬ、という言葉ほど自分にとって難解で晦渋かいじゅうで、そうして脅迫めいた響きを感じさせる言葉は、無かったのです。

 つまり自分には、人間の営みというものが未いまだに何もわかっていない、という事になりそうです。自分幸福観念と、世のすべての人たちの幸福観念とが、まるで食いちがっているような不安自分はその不安のために夜々、転輾てんてんし、呻吟しんぎんし、発狂しかけた事さえあります自分は、いったい幸福なのでしょうか。自分は小さい時から、実にしばしば、仕合せ者だと人に言われて来ましたが、自分はいつも地獄の思いで、かえって、自分を仕合せ者だと言ったひとたちのほうが、比較にも何もならぬくらいずっとずっと安楽なように自分には見えるのです。

 自分には、禍わざわいのかたまりが十個あって、その中の一個でも、隣人が脊負せおったら、その一個だけでも充分に隣人の生命取りになるのではあるまいかと、思った事さえありました。

 つまり、わからないのです。隣人の苦しみの性質、程度が、まるで見当つかないのです。プラクテカルな苦しみ、ただ、めしを食えたらそれで解決できる苦しみ、しかし、それこそ最も強い痛苦で、自分の例の十個の禍いなど、吹っ飛んでしまう程の、凄惨せいさんな阿鼻地獄なのかも知れない、それは、わからない、しかし、それにしては、よく自殺もせず、発狂もせず、政党を論じ、絶望せず、屈せず生活のたたかいを続けて行ける、苦しくないんじゃないか? エゴイストになりきって、しかもそれを当然の事と確信し、いちども自分を疑った事が無いんじゃないか? それなら、楽だ、しかし、人間というものは、皆そんなもので、またそれで満点なのではないかしら、わからない、……夜はぐっすり眠り、朝は爽快そうかいなのかしら、どんな夢を見ているのだろう、道を歩きながら何を考えているのだろう、金? まさか、それだけでも無いだろう、人間は、めしを食うために生きているのだ、という説は聞いた事があるような気がするけれども、金のために生きている、という言葉は、耳にした事が無い、いや、しかし、ことに依ると、……いや、それもわからない、……考えれば考えるほど、自分には、わからなくなり、自分ひとり全く変っているような、不安と恐怖に襲われるばかりなのです。自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。何を、どう言ったらいいのか、わからないのです。

 そこで考え出したのは、道化でした。

 それは、自分の、人間に対する最後求愛でした。自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たのでした。おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、油汗流してのサーヴィスでした。

 自分子供の頃から自分家族の者たちに対してさえ、彼等がどんなに苦しく、またどんな事を考えて生きているのか、まるでちっとも見当つかず、ただおそろしく、その気まずさに堪える事が出来ず、既に道化の上手になっていました。つまり自分は、いつのまにやら、一言も本当の事を言わない子になっていたのです。

 その頃の、家族たちと一緒にうつした写真などを見ると、他の者たちは皆まじめな顔をしているのに、自分ひとり、必ず奇妙に顔をゆがめて笑っているのです。これもまた、自分の幼く悲しい道化一種でした。

 また自分は、肉親たちに何か言われて、口応くちごたえした事はいちども有りませんでした。そのわずかなおこごとは、自分には霹靂へきれきの如く強く感ぜられ、狂うみたいになり、口応えどころか、そのおこごとこそ、謂わば万世一系人間の「真理」とかいものに違いない、自分にはその真理を行う力が無いのだから、もはや人間と一緒に住めないのではないかしら、と思い込んでしまうのでした。だから自分には、言い争いも自己弁解も出来ないのでした。人から悪く言われると、いかにも、もっとも、自分がひどい思い違いをしているような気がして来て、いつもその攻撃を黙して受け、内心、狂うほどの恐怖を感じました。

 それは誰でも、人から非難せられたり、怒られたりしていい気持がするものでは無いかも知れませんが、自分は怒っている人間の顔に、獅子しよりも鰐わによりも竜よりも、もっとおそろしい動物の本性を見るのです。ふだんは、その本性をかくしているようですけれども、何かの機会に、たとえば、牛が草原でおっとりした形で寝ていて、突如、尻尾しっぽでピシッと腹の虻あぶを打ち殺すみたいに、不意に人間のおそろしい正体を、怒りに依って暴露する様子を見て、自分はいつも髪の逆立つほどの戦慄せんりつを覚え、この本性もまた人間の生きて行く資格の一つなのかも知れないと思えば、ほとんど自分絶望を感じるのでした。

 人間に対して、いつも恐怖に震いおののき、また、人間としての自分言動に、みじんも自信を持てず、そうして自分ひとりの懊悩おうのうは胸の中の小箱に秘め、その憂鬱、ナアヴァスネスを、ひたかくしに隠して、ひたすら無邪気の楽天性を装い、自分はお道化たお変人として、次第に完成されて行きました。

 何でもいいから、笑わせておればいいのだ、そうすると、人間たちは、自分が彼等の所謂生活」の外にいても、あまりそれを気にしないのではないかしら、とにかく、彼等人間たちの目障りになってはいけない、自分は無だ、風だ、空そらだ、というような思いばかりが募り、自分はお道化に依って家族を笑わせ、また、家族よりも、もっと不可解でおそろしい下男下女にまで、必死のお道化のサーヴィスをしたのです。

 自分は夏に、浴衣の下に赤い毛糸のセエターを着て廊下を歩き、家中の者を笑わせました。めったに笑わない長兄も、それを見て噴き出し、

「それあ、葉ちゃん、似合わない」

 と、可愛くてたまらないような口調で言いました。なに、自分だって真夏毛糸のセエターを着て歩くほど、いくら何でも、そんな、暑さ寒さを知らぬお変人ではありません。姉の脚絆レギンスを両腕にはめて、浴衣の袖口から覗かせ、以もってセエターを着ているように見せかけていたのです。

 自分の父は、東京用事の多いひとでしたので、上野桜木町に別荘を持っていて、月の大半は東京のその別荘で暮していました。そうして帰る時には家族の者たち、また親戚しんせきの者たちにまで、実におびただしくお土産を買って来るのが、まあ、父の趣味みたいなものでした。

 いつかの父の上京の前夜、父は子供たちを客間に集め、こんど帰る時には、どんなお土産がいいか、一人々々に笑いながら尋ね、それに対する子供たちの答をいちいち手帖てちょうに書きとめるのでした。父が、こんなに子供たちと親しくするのは、めずらしい事でした。

「葉蔵は?」

 と聞かれて、自分は、口ごもってしまいました。

 何が欲しいと聞かれると、とたんに、何も欲しくなくなるのでした。どうでもいい、どうせ自分を楽しくさせてくれるものなんか無いんだという思いが、ちらと動くのです。と、同時に、人から与えられるものを、どんなに自分の好みに合わなくても、それを拒む事も出来ませんでした。イヤな事を、イヤと言えず、また、好きな事も、おずおずと盗むように、極めてにがく味あじわい、そうして言い知れぬ恐怖感にもだえるのでした。つまり自分には、二者選一の力さえ無かったのです。これが、後年に到り、いよいよ自分所謂「恥の多い生涯」の、重大な原因ともなる性癖の一つだったように思われます

 自分が黙って、もじもじしているので、父はちょっと不機嫌な顔になり、

「やはり、本か。浅草の仲店にお正月獅子舞いのお獅子子供かぶって遊ぶのには手頃な大きさのが売っていたけど、欲しくないか

 欲しくないか、と言われると、もうダメなんです。お道化た返事も何も出来やしないんです。お道化役者は、完全に落第でした。

「本が、いいでしょう」

 長兄は、まじめな顔をして言いました。

「そうか」

 父は、興覚め顔に手帖に書きとめもせず、パチと手帖を閉じました。

 何という失敗、自分は父を怒らせた、父の復讐ふくしゅうは、きっと、おそるべきものに違いない、いまのうちに何とかして取りかえしのつかぬものか、とその夜、蒲団の中でがたがた震えながら考え、そっと起きて客間に行き、父が先刻、手帖をしまい込んだ筈の机の引き出しをあけて、手帖を取り上げ、パラパラめくって、お土産の注文記入の個所を見つけ、手帖の鉛筆をなめて、シシマイ、と書いて寝ました。自分はその獅子舞いのお獅子を、ちっとも欲しくは無かったのです。かえって、本のほうがいいくらいでした。けれども、自分は、父がそのお獅子自分に買って与えたいのだという事に気がつき、父のその意向迎合して、父の機嫌を直したいばかりに、深夜、客間に忍び込むという冒険を、敢えておかしたのでした。

 そうして、この自分の非常の手段は、果して思いどおりの大成功を以て報いられました。やがて、父は東京から帰って来て、母に大声で言っているのを、自分子供部屋で聞いていました。

「仲店のおもちゃ屋で、この手帖を開いてみたら、これ、ここに、シシマイ、と書いてある。これは、私の字ではない。はてな? と首をかしげて、思い当りました。これは、葉蔵のいたずらですよ。あいつは、私が聞いた時には、にやにやして黙っていたが、あとで、どうしてもお獅子が欲しくてたまらなくなったんだね。何せ、どうも、あれは、変った坊主ですからね。知らん振りして、ちゃんと書いている。そんなに欲しかったのなら、そう言えばよいのに。私は、おもちゃ屋の店先で笑いましたよ。葉蔵を早くここへ呼びなさい」

 また一方、自分は、下男下女たちを洋室に集めて、下男のひとりに滅茶苦茶めちゃくちゃにピアノのキイをたたかせ、(田舎ではありましたが、その家には、たいていのものが、そろっていました)自分はその出鱈目でたらめの曲に合せて、インデヤンの踊りを踊って見せて、皆を大笑いさせました。次兄は、フラッシュを焚たいて、自分のインデヤン踊りを撮影して、その写真が出来たのを見ると、自分の腰布(それは更紗さらさの風呂敷でした)の合せ目から、小さいおチンポが見えていたので、これがまた家中の大笑いでした。自分にとって、これまた意外の成功というべきものだったかも知れません。

 自分は毎月、新刊少年雑誌を十冊以上も、とっていて、またその他ほかにも、さまざまの本を東京から取り寄せて黙って読んでいましたので、メチャラクチャラ博士だの、また、ナンジャモンジャ博士などとは、たいへんな馴染なじみで、また、怪談講談落語江戸小咄こばなしなどの類にも、かなり通じていましたから、剽軽ひょうきんな事をまじめな顔をして言って、家の者たちを笑わせるのには事を欠きませんでした。

 しかし、嗚呼ああ、学校

 自分は、そこでは、尊敬されかけていたのです。尊敬されるという観念もまた、甚はなはだ自分を、おびえさせました。ほとんど完全に近く人をだまして、そうして、或るひとりの全知全能の者に見破られ、木っ葉みじんにやられて、死ぬる以上の赤恥をかかせられる、それが、「尊敬される」という状態自分定義でありました。人間をだまして、「尊敬され」ても、誰かひとりが知っている、そうして、人間たちも、やがて、そのひとりから教えられて、だまされた事に気づいた時、その時の人間たちの怒り、復讐は、いったい、まあ、どんなでしょうか。想像してさえ、身の毛がよだつ心地がするのです。

 自分は、金持ちの家に生れたという事よりも、俗にいう「できる」事に依って、学校中の尊敬を得そうになりました。自分は、子供の頃から病弱で、よく一つき二つき、また一学年ちかくも寝込んで学校を休んだ事さえあったのですが、それでも、病み上りからだで人力車に乗って学校へ行き、学年末試験を受けてみると、クラスの誰よりも所謂「できて」いるようでした。Permalink |記事への反応(1) | 20:22

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2025-06-17

anond:20250617143405

うんこ漏らしたら家中臭い蔓延するってこと?

Permalink |記事への反応(0) | 14:35

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2025-05-25

休日にする事がない

というか、楽しめない。

以前は掃除が大好きで休日はまず掃除してた。家中綺麗だった。出掛ける意欲もあったし、出掛けなくても家で映画みたりネットしたり退屈さえも充実感あった。一人で好きな時間自由に過ごしてた。

今は散らかってはないけど半年くらい掃除してない。面倒臭くて。

きょうはスーパー行っただけ。

きのうは洗濯ジム必要に迫られてやってるだけ。

本当に勿体ない休日を過ごしてる。後悔しそうで焦るけど楽しい休日の過ごし方を忘れてしまった。

Permalink |記事への反応(0) | 23:09

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2025-05-24

スマホ落としたら地獄だった件

この前スマホ落とした。

落としたあとが非常に手間だったので書いていく。

家中をどれだけ捜索してもスマホがなかったので落としたのだと思い至った。心当たりがあったのだ。

そしてスマホ落としたことに気付いて一番最初に思ったのが悪用2段階認証突破されかねないと思った。

その後悪用はまあパスワードかかってるし基本的には大丈夫だろうと思い直し、家のMacからFind myiphoneで紛失モードにした。電源が切れていたのでどこにあるかは不明だった。

それでも不安不安だった。

次にほとんどの連絡手段喪失して愕然としていた。

警察に連絡しようにもまず電話ができない。非常に困っていた。

Mac公衆電話場所を探し、最寄り駅にあったので公衆電話まで行く。

そしてここで痛恨のミス

警察署の番号を調べてくるのを忘れる。

スマホ電話番号を調べようと思い、スマホを取り出そうとしてスマホが無いことに気付き、家に帰ることに。

家に帰って、あ!そうだ!ネットから紛失届を出せばいいんだ!なんでこんなことに気づかなかったんだ!と思う。

しかし遺失物発見時の連絡先が電話番号になっていたので、意味ねえなと思いながら登録

スマホなくしたのに、スマホに「スマホ届いてましたよ」って電話されても困るわけで。

仕方ないので警察署の電話番号を調べて紙にメモし、公衆電話までまた行くことに。メモ帳とペンも忘れず持参した。

銀行なども2段階認証を入れていたので解除できないものがあり、キャッシュカードで利用していた口座の残高が2000円ほどしかなく本当に焦った。

公衆電話からダメもとで警察署に電話をかけ、スマホの特徴を言うとそれらしきものが届いているという話でかなり安堵した。

そこで自宅の最寄り駅から警察署に向かうことになったのだが、ここでまた、今度は警察署の場所がわからない。いや、警察署の大まかな場所はわかるが、どこをどう行けばわからず困った。

また家に帰ることに。

家に帰って警察署の場所メモ帳に大まかに書く。

ここで、Macから流れるようにAirDropGoogleMapキャプチャを送ろうとして「なんで俺のiPhone表示されないんだ?」と少し戸惑うなどしていた。

すぐに「スマホがねえんだよバカか俺は」と思い直し、メモ帳に手書きで書いていた。

目印はここ、ここを曲がるみたいな。

今思えばMac画像を保存してMacごと持っていけばよかったなと。焦りすぎていた。

駅につき改札を通ろうとする。

ここで俺は気付く。うわ切符買わないとだめじゃんと。

切符売り場の運賃表を見る。何年振りだろう。

これほどまでに紙の切符感謝したことはない。

そうか、紙の切符が本当はメインなんだ、ICカードあくまでサブなんだ……ということを思い知った。現金があるのに通れない改札なんてあってはいけないものなと。

電車に乗り、暇を潰す。みな当たり前のようにスマホを使っている。暇つぶし用に持ってきた本を読みながら警察付近の駅まで揺れる。

警察署の近くの駅につく。

だが駅から出れない。

何番出口から出ればいいのかメモするのを忘れた。どこから出ればいいんだ???と迷っていた。

駅員に聞こうと思ったが、適当に歩いたので改札がどこにあるかもわからパニックに。

めちゃくちゃに歩いてなんとか改札を発見し、警察署に行きたい旨を伝えると、「ここじゃないですね」と言われ別の改札を案内される。その後なんとか改札を出た。

たどたどしい筆致で描いた地図を見ながら警察署に向かう。

途中また迷うが、道路標示太陽の方角などを手がかりにしたり、途中たまたまあった交番警察署の場所を聞くなどした。

太陽がこうだからこっちが東か!みたいな感じで移動していた。

交番では相談員の人が親切に教えてくれて助かった。

警察署につくと、スマホ、これですかね?と見せられた。

これだ!!!!と確信したが、パスワードを教えてくれと言われた。

パスワードを教えると署内であけて中を見て本人かどうか確認してから渡すという話。

見られたくなかったので断ると、結構キレ気味にじゃあSIMカード製造コードを教えてくださいと言われた。それがないと渡せないと。そして窓口がもう閉まるから明日来てくれとも言われた。

そのまま何もできず家に帰り、家の中を片っ端から漁り、製造コードを見つけ、それをメモ帳に書いた。

翌日、警察署が開くタイミングで昨日と同じように切符を買い、メモ帳を持って警察署へ向かった。

製造コードを伝えると特に問題なくスマホを渡される。

やった!!!文明の利器だ!!!社会に戻れた!!!という気持ち

本当に1人だけ30年前にタイムスリップした感覚だった。

ちゃんモバイル充電器も持っていったので、刺して復活したあと連絡不能だった人々に連絡をしまくった。

そしてうおおおおICカード使える!と思って改札にかざしたが、動かず右往左往することに(1度紛失モードになるとロックがかかるらしく、運営会社に問い合わせして解除してもらわなければならなかった)

仕方ないので帰りも切符を買って帰った。

家に帰り即銀行振り込みを決行。いろいろな引き落としが間に合う。

スマホがないと何にもできないんだなと思った2日間だった。

Permalink |記事への反応(18) | 03:26

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2025-05-18

[無料娯楽週報2025]5月2週記録

週報(5月12日~5月18日)

ハウスリッパー2というゲームが週末無料だったのでやっていた。

家のリフォームをするゲームなんだが、まず最初にするのは家中に散らかったゴミの整理だ。食い物のカスDIYに失敗したあとを始末し、依頼人が既に購入していた家具開封や取り付けをやっていく。

プレイ中にトイレ食事で席を立ったとき自分の部屋も案外汚れていることに気づいた。ゲームの中で人の家を掃除してる場合じゃない。

そう気づいてゲームをアンイストール。部屋を掃除し始めたらすぐに疲れてしまったので、もうこりゃしょうがないなといつも通り漫画を読んで過ごすことにした。

語りたいもの

すごいよマサルさん(全話無料

とにかく最終話が凄かった。ググったら色々事情があるらしいが、この唐突意味不明さは相当アレがアレだぜ。直前までだと筆が乗ってきてこっから長期連載みたいなノリでやってたのがラスト数話であれよあれよと崩れていく様はゾッとする。ギャグマンガは頭がおかしくなるって奴かこれが。

主な無料娯楽

漫画

・すごいよマサルさん(全話無料

闇のイージス(全話無料

Permalink |記事への反応(0) | 17:42

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2025-05-08

一人暮らし備忘録

築30年超のマンションで、一人暮らしを始めた。

~1日目〜

到着。ポストに令和5年の国勢調査のチラシが入っているのを見つける。2年以上空いていたとな?

玄関を開ける。くさっっ!

封水切れ。水を流す流す。下水匂い半日で消えた。よかった。

でもまだ臭う。なんか臭う。くさい臭いとくさくない匂いが混ざってる。

到着したらすぐ掃除をしようと思っていたのに、引越し屋さんが前倒しでやってくる。

荷物を入れてから、お掃除開始。クイックルワイパードライシートで床掃除。なんと!真っ黒!!靴下の裏も真っ黒!!!

ウェットシートで拭き拭き。クイックルホームリセット雑巾でも拭き拭き。真っ黒け。さいなら〜。

床がこれなら、壁も天井も…?拭いてみる。雑巾真っ茶っ茶。わぁ〜。

排水口にポンと入れるやつを入れる。あと何したっけな?

シーリングをつける。カーテンをつける。あれ?遮像を買ったはずだが?スケスケ??

ガス開栓。ちゃんとお湯が出た。よかった。

ホームルーターが届く。すぐにネット接続。わぁーい!

ドラッグストアにお出かけ。指定ゴミ袋とトイレットペーパー消臭ZEROなどを買う。

帰宅。所持していたスティックパンを食べる。

小窓を開けたら閉められなくなって、ググってなんとか閉める。

実家から持ってきたはずの歯ブラシが見つからない。どこにやった??

疲れた寝床を用意。歯を磨かず、風呂にも入らず、寝袋で就寝、爆睡

〜2日目〜

起床。部屋が臭う。すぐに窓を開ける。

壁をクンクンちょっとだけ臭い。昨日と同じように拭き拭きする。

家中クンクン玄関と、トイレ洗面所臭い風呂大丈夫。防水パンまわりも臭い。水を流しておく。

洗面所の壁を拭き拭き。まだ臭い。耐えられず、空間香水を振る。くさっ。この香水嫌いなやつ。なんで持ってきた。捨てよう。

昨日ファブリーズを買わなかったことを後悔する。

今日の午前中は配送業者さんが来るから出られない。昨日のスティックパンの残りを食べる。

パソコンが届く。続いてベッドとマットレスデスクが届く。

電話が鳴る。電気屋さーん。はいはい。15時から設置で!お願いします。

電気屋さんが来る。優しい。冷蔵庫の上にレンジを載せてもらった。レンジくらい自分で持ち上げられるだけの筋力がほしい。

残っていたスティックパンを食べる。

頑張ってベッドを組み立てる。へとへと。歯を磨きたい。近くのスーパー歯ブラシを購入。ついでにちょっとだけ食料も買う。

野菜安い。パン高い。卵も高い。肉と魚は同じくらい。(地元スーパー基準

帰宅風呂に入る。シャワー使うか?もったいない。頭まで湯船に浸かってゴシゴシして終了。これで全身洗ったことにする。

ベッドで横になる。爆睡

〜3日目〜

起床。窓を開ける。

床と壁を拭き拭き。まだ臭う。

必要ものAmazonで注文。昨日届いたデスクを組み立てる。脚を内側につけちゃった。なんで気づかへんのや、アホ。

でも大変なのはベッドだけだった。ベッド以外の組み立て家具はたいしたことない。

早急に手桶が欲しい!ということで、30分歩いてお店がたくさんあるエリアへ行く。

手桶と椅子を買いたい。が、荷物になるので後回し。100円ショップに行って、必要な物を買う。ドラッグストア消臭ZERO(2個目)を買う。

エコバッグ2つに詰め込んで、最後に手桶と椅子を購入。どでかい袋に入れてもらい、30分歩いて帰宅バスはあるけど使わない。

帰ったら、また近所のスーパーへ行き、食料をちょっと買う。遠くの店と価格比較したいので、まだちょっとしか買わない。

風呂に入る。久しぶりのシャンプー。すっきりして、爆睡

〜4日目〜

起床。窓を開ける。だいぶ臭いが薄くなってきた。でもまだ臭う。

5のつく日なので楽天で買い物しなきゃ。その前にお出かけしたい。今日は家にいなくても大丈夫。朝から出かける。バスに乗る。

マグカップお茶碗がほしい。マグカップがないので今まで紙コップを使ってた。そろそろちゃんとしたカップで飲みたい。

あちこちブラブラ地図雑貨屋検索。気に入ったマグカップが見つからない。お茶碗も見つからない。

大きめの皿とフォークスプーン茶筒は見つけた。しかし茶は買ってない。

諦めて帰宅玄関臭いトイレ臭い。部屋は大丈夫そう。

トイレに行く。ハッと気づいた。タンクや!!そーっとタンクを開けてみる。くさっっ!!!黒っ!!!

ググってタンク用の洗浄剤があることを知る。初日に行ったのとは別のドラッグストアを目指す。ついでに商店街も覗いてみる。が、閉店ガラガラ時間帯。残念。

ドラッグストアには置いてなかった。洗剤や柔軟剤を買う。疲れたから入浴剤も買っちゃった。

帰宅Amazonタンク用の洗浄剤を注文。早く届け〜と願う。飯食って風呂入って爆睡

〜5日目〜

から大雨。風ビュービュー。トイレタンクを開けて、手の届く範囲掃除。くさっ!昨日買った洗浄剤早く届かないかな〜。

ニトリキッチンマットとロールスクリーンとその他もろもろを注文。お届けまで1週間?ふぅ〜ん。まぁいいや。

から着信。元気ですよー。実家の猫が元気ないみたい。私ロスとな。帰りたい、かもしれない。

そういえば、あれほど悩んでいた肌荒れがなくなった。猫アレルギーだった、かもしれない。

午後になって雨が止む。近所のスーパーは卵が高いので、別のスーパーを覗いてみようと思い立つ。

ついでに昨日行った商店街へ行く。そんなに安くないんだな〜。ちょっとがっかり。てくてく歩いてスーパーはしご。値段あまり変わらない。

白ワインビネガーが欲しい。置いてないので諦める。んー。やっぱりマグカップお茶碗がほしい!

地図で再度雑貨屋検索アフタヌーンティーが近くにある。ハッ!盲点だった。なぜ昨日行かなかったのか!!

めっちゃ気に入ったマグカップを購入する。お茶碗も別の店で買う。昨日買った大きめで深さもある皿は大変よろしい。一つあると便利。

ドンキへ行く。あまり食品を置いていない。(地元店舗比較)わざわざ行くほどではない。

歩いて帰ろうとしたけど坂がきつい。タイミングよくバスが来たので乗る。降りてスーパーで買い物。

帰宅玄関臭いトイレ臭いご飯をつくって食べて風呂入って爆睡

〜6日目〜

天気がいい。窓を開ける。部屋の臭いはだいぶ消えた。

連休明け。仕事前に役所へ。帰りに鳥の雛の死体を見て萎える。

今日トイレタンク洗浄剤が届く!シャワーヘッドその他もろもろも届く!

まぁ、いまさらなんだけど、酸素系の漂白剤でよかったっぽい。いまさらなんだけど。

届いたものを片付ける。浄水器蛇口に合わない。想定内。(なぜ買った)

棚が届く。棚を組み立て。簡単簡単。ベッドに比べれば。

ご飯を作る。実家より狭いキッチン。あまり凝ったものは作れそうにない。残念だけど、仕方ない。

風呂に入り、トイレタンク洗浄剤を入れて爆睡

〜7日目〜

起床。窓を開ける。壁を拭く。まだ黒い。

トイレを流してみる。水が真っ黒!!うわぁ……。ハッ!くさくない!!

あ〜よかった、よかった。これでひと安心ですわ〜。

段ボールに入っていた荷物を棚に入れる。ひょんなところから歯ブラシが出てくる。アホ。

〜まとめ〜

・すぐ使うものはひとまとめにしておけ。アホ。

トイレが臭かったらタンクを疑え。酸素系の漂白剤なら店に売ってる。

下水臭いはすぐに消えるけど、隠れた別の臭いがあるから気をつけろ。

・2年以内に引っ越そう。

Permalink |記事への反応(0) | 18:00

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2025-05-03

anond:20250503191814

プラモデルって作ったものを飾るスペースどうやって確保してるの?

一個二個ならいいけどそれだけ長くやってると家中プラモデルだらけにならん?

Permalink |記事への反応(1) | 19:31

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じいちゃん赤旗

実家にいた頃、じいちゃんが熱心なしんぶん赤旗読者だった。

いや、読者というか、生活の一部?ってくらい家中赤旗があった気がする。

テーブルの上、トイレの中(読み終わったやつ)、物置の隅には古紙回収待ちの赤旗タワー。

そして独特のインク匂い子供心に「じいちゃん匂い赤旗インク匂い」と刷り込まれしまった。

友達の家に行くと、読売とか朝日とか、違う新聞匂いがして「なんか違う!」ってなったのを覚えてる。

別に記事の内容を理解してたわけじゃない。ただただ、あの紙の質感と匂い「日常」だった。

一番の思い出は、じいちゃんが庭で取れた野菜赤旗でくるんで持たせてくれたこと。

大根とか白菜とか。

「これで包むと長持ちするんじゃ」とか言ってたけど、今思うとインクとか大丈夫だったんだろうか…?

まあ、お腹壊した記憶はないか大丈夫だったんだろう。

おかげで今でも新聞インク匂いを嗅ぐと、なぜか少しだけ背筋が伸びるような、社会不正を見つめなきゃならんような、そんな不思議気持ちになる。

別に共産党支持者になったわけじゃないんだけどね。

じいちゃんの、あのちょっと頑固だけど優しい笑顔と一緒に、赤旗匂い記憶にこびりついてる。

…という、どうでもいい思い出。

Permalink |記事への反応(0) | 16:35

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