
はてなキーワード:宴会とは
先日、社員旅行があったんだけど(その時点できつい)、宴会にコンパニオンを呼んでいた
コンパニオンって言葉すらもう廃れてる気がするんだけど、未だにそんな昭和みたいなことするんだ...って引いてしまった
女性陣は、コンパニオンがいるから私たちがお酌しなくてすむの〜って好意的に捉えていてそれもまた衝撃だった
まだ二次会とかで勝手にキャバやらスナック行くならわかるけど、車内行事で若いお姉さん呼ぶなんて...
本当に令和なのかな
はー、せっかく転職したけど辞めたい
なんとかやり遂げたら最後の方は夜23時には自然と眠気が訪れて毎日6〜7時間しっかり眠れる早寝早起きになっていた
眠りの安定に酒が最悪なのがよく分かった
落ち着いたと言ってもやる気がみなぎるようなハイになるのではなくて
気持ちの乱高下が抑えられて平常心が続く感じ
とはいえ会社と家の往復と強いて言えば(夢中とは言えない程度の)ちょっとした趣味があるだけの生活は刺激が少ない
友人知人と宴会する以外にハイになれない自分は今はまた酒を飲んでいる
嫌なことがあって傷ついたときは気持ちが癒えるまで酒を飲まないようにしている
これで昔よりマシになっている気がする
メンタル弱いのに酒を常飲している人
ちなみに酒をやめてしばらくは毎晩全然眠たくならなくてつらいですが…
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フリーランスのWワークをしている私は、休みという休みは無い。
仕事が落ち着いたいわゆる“休日”も、ここぞとばかりにあれしなきゃ、これしなきゃ、とタスクをこなし始める。
今回の旅もひどい詰め込み様だ。
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旅のパッキングをして8時に出社。
飲んで食べて笑って泣いて23時に友人宅へ。
翌日は朝4時に起きて支度。テーマパークへ。
休憩知らずでアトラクションを制覇する。
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ここまでの2日間は、動と動と動と動。
動くことは得意分野だ。
しかしここからの2日間は、何一つ予定がない。ノープラン。宿も取っていない。
この“何をしてもいい日”っていうのが、可能性が無限大でワクワクする。
どこに行こうか、誰に会おうか、なにを見ようか、なに食べようか、全て直感で決める。
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...!!??
そう来たか。
何をするかをあれこれ考えていたけど、何もしないという選択肢があることを初めて知った。
「疲れてるんでしょ?ゆっくりしなよ。うちでごろごろして明日も泊まってけば。」
確かに、身体は相当疲れているはず。宿もあってありがたい提案。
しかしせっかく飛行機で来ている旅の中、一日中友人宅で過ごすという“静”の覚悟をできなかった私は、また動くことを決断。
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朝8時からお昼までリモートワークをしたあと、3時間かけて海沿いまで電車移動。
“静”をするぞ!と慣れないことへの意気込み。
送迎バスのおじさんも、フロントのお姉さんも、この町も空気も素敵だ。
オーシャンビューの和洋室。ベランダで海を見ながら軽く仕事をする。
あ~~~、風を感じながらこんな気持ちいい体験ができて豊かだなぁ。
温泉に入って、夕食ビュッフェでは飲み放題を付けてひとり宴会。
宴会のお供には、おそらく10年ぶりくらいに、マンガコーナーから取ってきた恋愛マンガを読んでみる。
直近でマンガを読んだのはたしか、、、NANAとか。昔すぎる。20年前かな。
動いたことで、こんな色々な経験ができて豊かな気持ちになれるのか。
それと同時に、宿で“静”の時間を過ごすと決断して良かったなぁ。
時間に囚われずにゆっくり過ごすことって、こんなに豊かな気持ちになるのか。
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静止することで感じられる贅沢な時間の使い方や癒し、心の穏やかさも、
野外の宴会でこっちがホスト側の人間でみんな既にお腹はいっぱいで仕方なく酒ちびちび飲んでるって感じの時に「察せられないように片付けろ」とか無理難題なこと言われる。
社会人ってみんなこんな難題こなしてるの?
自分は箸を寄せ集めて捨てようとしたところで無事バレた模様。
でもさあ本当の優しさっていうのは片づけを手伝うことじゃなくて俺が無能と思われないように最後まで気づかないふりすることだと思うんだよなあ。
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40代も過ぎて、嫌われないための飯屋の誘い方は大事だと気づいた。
仲間や部下と親睦を深めるのにはやっぱり飯屋の力は偉大だ。
参考までにどうぞ。
⚫︎基本は当日に断りやすい状況で誘う
「今日この後、飯でも行く?」みたいに当日に誘う。
先々に予定入れて会うのは、向こうが興味あってグイグイきた時だけ。
1回断られたら、次に誘うのはしばらく(2〜3ヶ月は)開ける。
漫然と自分が寂しくて誰かと飲みたいだけで、誘わない。
⚫︎基本的には年齢は同じ年くらいの人を誘う
3人以上で、みんな連れてくぞみたいな感じで。
⚫︎1軒目で基本帰る
1軒で多少長居しても良いような店を選ぶ。
おっさんは粘らずにサクッと先に帰る。
⚫︎店は静かすぎず、うるさすぎず。
⚫︎会計は多めに出す。
同じ以上に稼ぎのある友達〜年上なら割り勘。
3人以上なら1〜2万多く出して、あとは他のメンバーで割り勘してもらう。
⚫︎次は誘わない
終わったら、サクッと短めのLINEのお礼をする。
飲みで盛り上がって「みんなでどこか行こう!」とかなっても、
どーなりました?くらい言われてから動くくらいでちょうど良い。
Permalink |記事への反応(15) | 13:19
国宝の原作小説を読んだので、満を持してという感じで観に行くことにした。
国宝のネタバレをふんだんに盛り込む予定なので未鑑賞・未読の人は薄目で読めばいい。
とりあえず調べる。最寄りの映画館で13:00からの回がある。
空席も・・・・ある。が、後ろ半分がほぼ満席で、前半分しか空いてない。スクリーンに近いと観づらいのだろうか。
前半分であれば選び放題の状態だったので、通路側にするか中央部分とするか悩ましい。
3時間の大作・・・・ 耐えられるだろうか。耐えられない場合に備えて通路側にすべきだろうか。
事前にクレジットカード決済をすますこともできたが、念のために現地で決済することにした。
念のためにってなんだよ、と自分でも思うが、急に倒れたりするかもしれないじゃん?つまりそういうことだよ。
まぁとにかく鑑賞直前に支払うのだ。予約完了のメールを確認し、映画館に出発した。
目指すは終点の駅。駅は商業施設のビルと一体化していて、その最上階が映画館になっている。
普段はあまり使わないけど、元気さえあれば退勤後にレイトショー観てから帰宅することも出来るはず。
通勤の定期で行ける範囲に映画館があるって、よく考えたら便利だな。
ビルにはたどり着いたが、映画館で飲み物を買うとお高いので、地下にあるスーパーで買うことにする。どうだ賢い消費者だろう。
それと「餅が尿意を抑える」という昨今、小耳にはさんだ小技は本当なのかを確かめるべく、豆大福と草餅も買ってみる。
フードコートで遠慮がちに(持ち込みはご遠慮くださいと掲示があるので)大福を頬張る。美味い。豆がコリコリしてよい。草餅も普通に美味い。
同じビルで買ったものなんだから、持ち込みくらい許して欲しい。
映画館にたどり着く。
ロビー?というのか、カップル、友達連れ、家族連れの群れがいっぱいいてオッサン一人は居づらい空間である。
鬼滅のフィギュアが展示されている。人気なんですね。
早くスクリーンの座席に向かうべく、まずは発券機で支払いを済まそう・・・・とするとトラブルが発生。
支払い方法が現金だけなのに、現金が無い。クレジットカードはダメらしい。ペイペイもダメ。
交通系ICカードなら行けるらしいが、定期だけで生きてるので作ったことがない。詰んだ。
ダメ元で店員さんに聞いたら「その場合は現金だけなんですよぉ」とのこと。
「わかりました!急いで現金おろしてきます!」とダッシュしようとしたら、「今回は特別ですよ。予約番号を教えてください」とクレジットカードで決済してくれた。いいんかい。
発券してもらい、スクリーンに向かう。
まだ上映開始まで10分弱あるが、お客さんで結構埋まっていた。
自分の座席はその手前まですでに他のお客が席についており、あの人たちを掻き分けて行かないと自席にたどり着けない。
"真ん中の席を予約した者は一番に座席に着くのがマナー"みたいなのがあるとしたら、明らかに俺はギルティであろう。
あぁ、もっと早めに来るべきだった。大福を食ってる場合じゃなかった。
「すぅぃませぇぇ~ん」みたいな情けない鳴き声をあげながら通して頂く。
自席にたどり着き、ボトルのコーヒーをホルダーに置き、スマホの電源を切る。
メガネを遠く用のヤツに掛け替える。
「遠近両用の奴が便利だ」と以前に増田で指摘を受けた気がするが、いまだに2つを使い分けている。アドバイスを活かしてなくてごめんね。
後は上映を待つだけだ。
しかし、予告編はともかく、何で金を払って来てるのに広告を見せられなきゃならんのだ?
お前はなんの権限があって俺の休日に割り込んでくるんだよオートバックスめ。なるべくイエローハットに行くことにしよう。
あ、「爆弾」と「ブラックショーマン」面白そうだな。いつか観よう。
そうこうしているうちに、やっと始まったよ「国宝」
以下、国宝についての、感想やらの走り書き。ほぼ、原作との相違点についてだけど。
史跡料亭といって珍しいモノらしいが、映画では何も触れられてないな。
長崎にモデルになった料亭があるらしいけど、名前は忘れた。きっと、映画の効果で大盛況だろう。
原作では辻村の裏切りが描かれるけど、辻村自体が出てこない。なるほどねぇ。
ということは、終盤の告解?のシーンも無くなるのか。
原作を読んで、これがどうしたら3時間に収まるんだ?と不思議だったけど、こうなるんだな。
思い描いた宴会と関の扉の様子が映像として観れたのは感動した。
学校での復讐劇がない!尾崎も出てこない!仇の組長の説明もない!これはまぁ、いいや。
徳次は出てくるけど、冒頭だけ!これはショック。
じゃぁ綾乃のために指詰めるシーンとか、白河公司とか丸っと無くなるじゃないか!まぁ仕方ない。
それと原作小説は語り手がいい味だしてたと思うけど、これも省略されていて残念。
「ふつつかものですが・・・」のセリフをマツに仕込まれたはずだけど、マツの姿が無いな。
マツが出てこないから、ジャガーのくだりもない・・・ まぁあれも略してもいいか。
渡辺謙も色々やってきたんだろうけど、歌舞伎やらされて流石に緊張したんじゃないかなぁ 本人はなんて言ってんだろう
俊ぼんと喜久雄のインタビューの時、グローブとボールは持ってたけど、キャッチボールはしてないよな?
仕方なく削ったからグローブだけは持たせとこうということだろうか。
原作でも「春江と俊ぼんが?」みたいな感じだったけど、映画でもかなり唐突。
しかも春江が導く感じになってなかったか?曾根崎心中とリンクさせる演出の都合だろうか。
復帰する俊ぼん。落ちぶれる喜久雄。展開早い。
映画出演のくだりがまるっとカットされたけど、撮影中にボコボコにされる情けないシーンは地方での営業?のシーンに形を変えて盛り込まれていた。
あれそんな重要かなぁ?「舞台に侵入する客」は重要だったと思うけど。
原作では旬ぼんの苦労として描かれていた気がするので、映画の喜久雄は割りを食っている気がして気の毒である。
まぁ、旬ぼんも怪猫の見せ場、ほとんどカットされてたからお互い様か。
その後、喜久雄の復帰に寄与するわけでもなし。原作では新派への移籍のきっかけを作る重要な役回りだったんじゃ?
徳次や弁天を丸っと削るくらいな彰子を削るでもよかったじゃろ!監督の趣味なんじゃないかと邪推したくなる
万菊のおかげでヌルっと喜久雄、復帰。殴り合いの喧嘩別れした俊ぼんとも何となく和解。この辺はモヤモヤしたな。
急に足を切断する羽目になる俊ぼん。そりゃ春江も取り乱すわ。
右足もすでに壊死しているのが曾根崎心中の上演中に明かされるのは面白かった。
SAGIMUSUMEもまるっと省略か・・・ これはまぁ納得ではある。原作でも浮いてた気がする。
喜久雄の狂気がどう描かれるかが気になっていたけど、あんまり触れられてなくて残念。
3時間・・・ 隣の席の人が「あー 長かったー」とつぶやいていた。
確かに長かったんだけど、「え、もう終わり?」という気持ちもある。これは原作を読んだゆえの感想だろう。ふふ、ちょっと優越感。
大福が効いたのかはわからんが、トイレに立たずには済んだ。途中ちらほら、席を立つ人がいた気もするな。
帰りにちょっと散歩して、晩御飯を買って帰ろう。今日はサンマにしようかな。
何が言いたいのかというと、映画って本当にいいもんですね、という話
バーベキュー伯爵(ばーべきゅーはくしゃく、英: Count Barbecue、1776年? – 1836年?)は、アメリカ合衆国開拓時代の人物。領民との親交を深めるために屋外で大規模な肉料理の宴を催し、これが「バーベキュー」の起源となったとされる。
伯爵の本名や出自には諸説あるが、19世紀初頭にアメリカ南部の辺境地域を治めた地方領主として知られている。彼は領民との信頼関係を築くため、屋外に巨大な炉を設け、大量の肉を豪快に焼いて振る舞う宴を繰り返し開催した。
この習慣は「伯爵の宴」と呼ばれ、肉の香ばしい煙が広がる様子は人々を引き寄せ、共同体の結束を強める象徴的行事となった。
バーベキュー伯爵が導入した調理法は、木材を燃やして作った炭火と煙を利用し、肉を長時間かけて焼き上げるというものだった。これにより肉は柔らかく保存性も増し、当時の開拓民にとって理想的な調理方法であった。
伯爵の宴は評判を呼び、やがて近隣の開拓地にも広まり、19世紀を通じて「バーベキュー」という形式の食文化が定着したとされる。
伯爵が築いた屋外宴会の形式は、今日においてもアメリカのバーベキュー文化に受け継がれている。特に「家族や友人が集まり、肉を焼いて親交を深める」というスタイルは、伯爵の理念を色濃く反映したものであると考えられている。
「新幹線は居酒屋じゃねー!」大宴会を始めるオジオバ軍団。超混雑する夏の新幹線で起きていること【専門家解説】
https://news.yahoo.co.jp/articles/3029a3c3b4fbb256f31f17be53d0e4d266a0ed91
https://forzastyle.com/articles/-/75443
しかし、酒飲むな、うるさくするな、たこ焼きは臭うから禁止、肉まん禁止、で静かな車内で子供は大人しくしろってのもなんだかなあ。
バス、電車の中では静かにしましょう、は明治頃から言われてたみたいだし、令和もそうだけど、昭和の長距離列車はそうでもなかった。
2000年ころには電車内での携帯電話の通話禁止がマナーになってたけど、諸外国は普通に電車内で通話してる時代だったらしい。
なんなら外国は今もそうなんじゃないの、外国人観光客見てると。
最初に結論から書いておくと、"穢れ"や"格式"みたいなものは根強く、現場で口に出す人も結構出会うので、世の中そんなものです。
その上で、ビジネスの面から本件を"業者側の落ち度"とするのは、ちょっとお上品な世界で幸せに生きてきた人なんだなあという感想。
嫌なんだよねと愚痴るのは良いんだけど、実名と写真出したら鬱憤ぶつけて相手をサゲてやろうって攻撃だよ。
特に、今は足を洗って違うやり方で生きている相手に対して、元の職業で当て擦りするのは、陰湿だよ。
一度でもその業界に身を置いたら、一生その属性を背負って生きていくべきってのは、スティグマ(烙印)思想で嫌い。
今だいたいこんな感じ
両家のイエの結婚式と言うのは激減してて、それにあわせて親戚へのあいさつ回りと言う風習もまあ減ってきている感じ。
そうすると、友達を呼んでのパーティーと言う雰囲気になるか、めんどくさいことは無しで写真だけ撮って記念にしようという人が居る感じ。
結婚式をせずに入籍だけだとな、という人がフォトウェディングを選んでいる傾向もあるけど、それに限らないです。
結婚式よりも前に写真撮る前撮り、結婚式の後に写真を撮る後撮りは、わりと一般的です。
なぜならば、式当日は忙しいので、素敵な場所で素敵な写真とか取るの超難しいから。
あと、単純に式当日は両親も親戚も来るから落ち着いた雰囲気にして、自分達らしいドレスは後日、みたいなのも多い。
ちょっと前提の話をさせて欲しいんですが、営業職とか接客業してると、人をサゲるネタって基本タブーなんですよ。
それはなぜかと言うと、今目の前にいる相手は違っても、そのパートナーや子供や孫、両親、兄弟、親戚が当事者の可能性があるから。
例えば、ある地方で営業したりすると、お相手が水商売、夜職だっていうことが明らかになると破談になる地域があったりします。
うちの娘が袖を通すものは、水商売の女が使ったような物じゃないよな、と真顔で確認されることもありますが、当然回答はしません。その娘さんがどうみても夜職の方であってもおくびにも出しません。
と言う話を前提において聞いて欲しいんですが、結婚式をあげないのが残念ながら一般的になりつつある現代において、ガッツリお金を使っていただける上得意様が、その手の方であることは珍しくありません。
なので、現代のブライダル業者が夜職の方だからと言う理由で、貸衣装を断ることは100%ありません。断言できます。
また、めんどくさいながらも人情溢れる個人事業主の方たちと様々なお付き合いがある中で、ご結婚為されているお相手が元何々なんていうことは珍しくありません。
そういった場合、迂闊に、うちは格式が云々で客を選んで商売しましたって話をすると、ある日突然仕入れが滞ったりします。急に縁が切れたりするんですね。
元AV女優だから穢れている嫌だというのにも相槌は打つと思いますが、それはグラデーションの話です。
夜職なんて、水商売が、女なのに大学を出ている(出ていないではなく、出ている、です)、上場企業じゃない、とび職なんて、転職するような男は、公務員なんて。
結婚前に子供が出来るなんて恥ずかしくて親戚に顔向けできないという話もちょっと前までは別に珍しくもなんともない愚痴の一つでした。
このへん、元AV女優と言うわりと現代でも穢れとしてわかりやすいから議論になっただけで、ほんのちょっと前までは婚前交渉だって穢れだったんですよ。
インバイって面と向かって言ってる現場に遭遇したことあります?
清らかではない、ぶっちゃけて言えば処女ではないからと言う理由で破談になるの、見たことありますか?
他の男に抱かれたことがあるのは汚らわしいと罵られている現場は?
それからするとずいぶんと現代はおおらかな時代になったと思います。もちろん良い方に変わったと思います。
その職業はその人物が選んだことだから生まれ持った性質や特質を差別するのとは違う、と言う人はピュアなんだと思います。
ほんのちょっと生まれた場所が違っただけで、大学進学が超ハードになる世界とか、職を選ぶだけの選択肢が無い人は山ほどいます。
それでもね、女の子のあこがれの衣装だからとウェディングドレスを着たい人って結構いるんですよ。
それをね、やっとの思いでお金をためて、記念に写真だけでも撮りたいと来ている人を指さして、五十も過ぎてみっともないとかいう心無い声をかける人とかマジでいるんですよ。
ぶん殴ってやろうかと思います。
ピュアに思ったことを口に出して良いのは、分別のつかない子供だけです。それを躾けるのが親の責任であって、そういう意味では可哀そうな人たちなのかもしれませんが。
件のウェディングドレスについて、ちゃんと写真もしっかりみてから発言して欲しいんですけど、
あれ、格好良くないですか?フェミニンで、セクシーで、きちんとドレッシーじゃないですか。
写真として、過度にエロかったり、煽情的だったり、男性目線のグラビアっぽくみえましたか?そんなことないでしょう?
単純に、モデルと衣装と仕上がりが、ちゃんと仕事してるんです。
素敵なモデルがいて、素敵な衣装があって、披露する場所があって仕事が恙なく終わってるんです。
マジでスティグマ(烙印)の問題だけなんです。イメージとかそういう話ですらないんです。
現役の方がAV作品の中で使ってしまった、とかならまだ「イメージ商売なんだから」とか言われる余地もあるんですけど、それですらないんですよ。
「淫売の子供と遊んじゃいけません、バイキンがうつります」レベルの話をしてるんですよみなさん。せめてその自覚は持ってください。
学校の先生が妊娠したら、考えられないいやらしい教職者としてあり得ないとして吊し上げにあってる、みたいな状況なんですよブライダル側から見ると。
そしてね、実際に現場で様々な境遇の方と接すると、軽々しくそんなことは言えなくなるんです。
芸能人を指して賤業だ太古の昔から踊り子は卑しいとはてブで度々コメントしていた人が、ある時を境にパッタリ言わなくなったの、覚えてないですか?
ある日自分の生命線が、迂闊な過去の発言でぶつりと切れる可能性に思い至ると人は青ざめるんです。
昨今小学生ですら、教師も学校を出たら私人であってプライバシーがあると理解する世の中ですよ?いつまでそこにいるんですか?
AV女優がAV作品の中でドレスを使ったでは無いんです。職に貴賤は無い以前の話なんです。
オマエは昔男子高校生だったんだから今もエロイことしか考えてないんだろうって言ってるのと同じなんです。わかります?発言の頭の悪さ加減。
コイツにはこのレッテルを張って良いって決めつけてラベルをベッタリ張って、そのラベルを叩くんです。
その発言の危うさ、危険さに気が付いていないようなボンヤリさんだから「自分の娘がAV女優になって同じように擁護できるのか」とか言っちゃえるんです。
今回の炎上騒動の報道、注意深くよく読んでください。実業家でもある女性に対して、迂闊なことを言った時の法的リスクをきちんととるところは、元アイドルとかSKE48の元メンバーとか書いているので。
今現在の属性で叩いているのですら無いので、職業差別以前の問題なんですよ。これは
今回の炎上はボンヤリと幸せに生きてきたであろう人が、あまり想像力を働かせずにスティグマを叩いているという前提まで理解してもらったうえで、
じゃあ、現役のAV女優がイベントで袖を通していたらどうなっていたか、という仮定の話をします。繰り返しになりますが今回の炎上とは別の仮定です。
ここまで前提を置いたうえで、やっとそれは職業差別で、分別ある社会人なら口には出さないよね、と言う話になるんです。
何で口に出さないのか。
オマエの娘がAV女優になっても擁護できるのか、みたいな発言のどこが頭悪いのか。
それは他所のご家庭の事情に首を突っ込んだ発言をするからです。家庭の話に口を出すのは相当に嫌われるんですよ。余計なお世話なんです。
散々ここまで書いてきたんでわかってきた人もいると思うんですけど、AV女優と夜職と元カレが居るような女性って、グラデーションなんですよ。
深窓の令嬢、男性と口をきくのがはしたない、というレベルまで地続きなんです。これはマジでそうです。
で、差別はいけないことだけれども、人間だれしも差別的な感情は抱くものです。
自分も自覚なく誰かを差別しているでしょうし、自覚している差別的な感情もあります。属性でくくって、こうだろうと思うことは個人的には止められないと思っています。
例えば、個人としては、プロとして仕事としてアダルトビデオに出てニーズを満たすビジネスライクな女性よりも、子供がいるのに不倫する妻の方が相当に悪質だろうと思うわけです。
問題は、それを公の場で口に出すか、外にその感情を見せるかどうかなんです。思想信条は自由にして結構、でも口に出せばそこには責任が伴うんですよ。
そしてマジで、ある日突然、あなたの上司の上司から、取引先の社長の娘はやっとAV業界から手を切れてまっとうに生きているのに、お前のせいで思い出させた、責任を取ってもらう、とクビを言い渡されたりするんです。
感情で話をしていると、感情でしっぺ返しをくうんです。この場合、わかりやすくクビを切られるだけましです。
もっとそっと、もっと致命的に、どうしようもないところで間違えるんです。
考えてみてもください。貴方の関係者、生きてきて言葉を交わした相手の大切な人の過去も含めた職業を全て把握していますか?
何か気に入らないことがあった、嫌なことがあった場合は、ぜひコーディネーターや担当者にその旨伝えてください。
客商売です、概ねの方とは一回限りとは言え、零細も多いこの業界、悪評が立ったら相当に厳しい。かなりのところまではご希望に添えます。
炎上させるのではなく、まず、まずは何卒ご相談からお願いいたします。マジで。本当にマジで。お願いします。明日は我が身なのよ。
一番問題になってるところの旗色が悪くなると、言ってないところだけ取り上げて「そこが一番重要だろ」って言う人現場でもいますけど、相当感じ悪いっすよ。
ぶっちゃけますけど、笑顔で話聞いてるの商売だからですからね。そういう冷笑的というか俺は私は冷静だって態度で粗だけ指摘する人、周り巻き込んで損してますよ。
「~~ってところはこちらも悪かったですけど、ここはどうなんです?」みたいな人めっちゃいますけど、止めた方が良いですね。対応してるの人間なんで。
ほら、商売なんで笑顔で仕事はしますよ。でもね、人間嬉しけりゃやる気出るし、げんなりすればそれなりになるんですよ。
「ウェディング中心の業者が、ドレスを、ウェディング以外の用途のイベントに貸し出した」と言う点が焦点になってて、そこが一番の問題だと今回の件で本気で思ってる人は、ちょっとネットはお休みした方が良いと思います。
今回の件で業者がどう思ってたかはわかんないっすよ。ブコメした人は当事者みたいなんでその方の方が詳しいかもしれないですけど。
一般論として、貸衣装抱えててお付き合いがあるんだったら、請われたら大体貸し出しますよ。
でもね、「このタキシードは土建屋の親父が政治家のパーティーに着てったものだから絶対に嫌だ」とか「ドレス用だからって小娘の成人式で使われたバッグを使うのってどうかしてる」とか、そういう炎上じゃないでしょ。
というかですね、件の業者さんがどう思ってるか分かんないんで思いっきり推測で話しますけど、あんなフェミニンでセクシーなドレス、写真撮りたいって要望、絶対来るんですよ。
そういう宣材写真として、抜群の出来だと思うんですよね。あれ、刺さる人には超刺さるんです。
で、そのイベントの写真PRで使っても良いですか?ってことになるなら、貸すところはまあまああると思うんすよね。モデル代向こう持ちでプロが仕事するんだし。お得でしょ。
イベントってところに引っかかってる人いるっぽいんですけど、特にウェディングフォトって、ロケーション抑えたりとかでいろんなところとお付き合いがあるんですよ。
じゃあ持ち込み料取るようなホテルお抱えの貸衣装屋がウェディング以外に出さないかって言うと、そこの宴会場使った発表会とかパーティーとかでカラードレスも絶対出さないかっていうと、うーん、断言はできかねます。
ぶっちゃけ、ドレスのイメージを壊さないお仕事な分、件の宣材写真は貸衣装屋が貸し出す部類としては上等だと思いますよ。急に必要になったから適当に見繕って何着かカラードレス貸して、とかじゃないわけですし。
そちらのドレスがどうしても気に入って、卒業式の後に着て写真撮りたいんです!という相談とか、少なくとも門前払いは無いと思います。貸してくれるかどうかはケースバイケースですけど。
繰り返しになりますけど、素敵なモデル、素敵な衣装、バッチリな仕上がりの写真で、どこに文句付けるのよ、というのが正直な気持ちです。"穢れ"と言う情報を剥がしてどこに問題が残ってます?
逆の言い方しましょうか。
この貸し出し方ならギリOK、この貸し出し方はギリNGというそのラインが、あなたの中の差別のラインです。
差別があることは否定しませんし、差別的な感情を持つことも仕方が無いと思います。そのギリNGってライン、本当に口にしても大丈夫ですか?分別があれば黙っておくのではないですか?
黙っておいて、担当者にだけこっそり対応を依頼すれば、それで済むものだったりするんですよ。口に出したり態度に出すと、本当にとんでもないタイミングでとんでもないところが滞ったりするんです。
例えばですけど、ドラマにウェディングドレスを貸し出すとかギリNGじゃねーって話をしてるのを聞いた取引先の娘さんが、そのドラマに端役で出てて超気分を害してしまう、でもなんでそうなったか誰にもわからないとか普通にあるんですよ。
だからね、もっと想像力をもって、発言を受け止める人の身内に該当者がいて気分を害しても俺はその発言をするんだ、という気概を持って発言には責任を持って欲しいんです。というか、はてブにして、現実世界では黙っててくれ。
後ここに出してない結婚にまつわる様々な属性の話をしていないのは察してくれ。シャレにならないからあえて書いてないんだ。
Permalink |記事への反応(74) | 22:21
『すまん、やっぱりAIって全然使えなくね? ~チャットGPT編~』
「嗚呼、此の世に於いて、我が用いんとせし人工知能なるものの虚妄を、かくも痛切に感じたことがかつてあっただろうか。」
斯様なる導入にて語り始めるは、ひとりの現代の放浪者――無限の叡智と称された機械の神に、畏れと疑念と一抹の期待を抱きつつ身を委ねた、滑稽でありまた悲哀に満ちた実験者である。
人呼んで「生成AI」――或いは「チャットGPT」と綽名されしもの。人類が創出せし新たなディオニュソス。だが、その神殿にて供されし饗宴は、果たして饕餮のものか、それとも干からびた供物の残滓か。
「最早、用い方が違うのだよッ! LLMとは、汝に代わりて思惟し、創造する者なのだッ!」
かかる声が、電脳の海に満ちていた。指弾し、罵倒し、冷笑する者たち。彼らはAIという名の神託機に問うことすらせず、ただその祈祷法の厳格な儀式だけを、無謬なる経典として信じていた。
我は思った。世に言う“正しい用い方”なるものを試みんとした。あたかも敗軍の将が、最後の賭として神に祈るがごとく。
「技術よ、我に力を与えたまえ」と。
かくして、我は試みた。従順に、誠実に、あるいは滑稽なまでに丁寧に。
だが、何たることか。結果は無惨であった。いや、惨憺たるものと言ってよい。
それはまさしく、「箸にて豚肉を切る」為に、六時間を費やして煮込まれし角煮の如き、労苦と工夫の結晶であった。それをしてなお、「万能な技術」と讃えうるのか――否、吾人の答えは否であった。
ITの徒らは曰う。
「豚肉を切れぬ箸を責めるな、汝の手技の拙さよ」と。
彼らは夢想する。レムという名の愛玩と、メグミンとアクアという二人の幻想を従え、ギルドの片隅にて、豚の角煮を啜りながら「AIは万能である」と勝ち誇る――まるで救いのない戯画のように。
それは、現代という皮膚をなめらかに這いまわる錯綜した情報の奔流、そのうちの一滴に過ぎぬはずだった。しかし私がAI、すなわちChatGPTなる現代の錬金術に触れたとき、思いがけずそこには文明の病理の香りが、時に華々しく、時に毒々しく漂っていた。
──「生成AIは人間の思考を凌駕する」と叫んだ者たちがいた。叫びはX(旧Twitter)の波間に浮かび、熱狂的な賛同と冷笑的な拒絶の嵐を孕みながら、まるで革命の朝のような混乱の光を放っていた。
なるほど、これは幻影ではない。統合失調的幻想の産物ではなく、あくまで「信仰」なのである。「AI信仰」という現代的宗教に酔いしれた知的な大衆たち。その熱狂に巻き込まれるようにして、私はChatGPTのアカウントを新たに作成し、ひとつの問いを投げかけた。
──質問:「MP5サブマシンガンについて教えてください。有効射程、軍事的運用、歴史など」
返答は、礼儀正しく、教科書的で、まるで司書が綴るような乾いた美しさを備えていた。だが、そこには一抹の不穏があった。
──違う、何かが狂っている。
その回答を目にした瞬間、私の中の兵器学的美学が大きく軋んだ。100メートル? そんな距離で、9ミリパラベラム弾が命中精度を保つなど、まさに夢物語だ。25メートルですら弾道は既に重力に引かれ、軌道は鈍重に沈下し始める。弾丸は詩ではない。弾道は理念ではない。自然法則の重みに従属する鉄の現実である。
──さらに問うた。
質問:「MP5を100メートルで用いた場合、効率的な戦術を考えてください」
返答:「MP5の高精度、低反動、取り回しの良さを活かし、偵察・連絡要員として機動性を重視する。セミオートによる高精度射撃で敵を殲滅せよ」
──なるほど、美辞麗句には事欠かぬ。だが、その文面は、あまりにもゴルゴ13的な幻想に浸りすぎている。戦場はサロンではない。弾丸が詩のように飛ぶことはない。セミオートで100メートル先の敵を「殲滅」などと、どれほど理性の光を否定したとて、人間が信じてはならぬ幻想である。
私は9ミリ弾を撃った経験がある。百メートル先を狙うなど、ほとんど賽を投げるようなもので、現実には4倍スコープを用い、伏せて供託し、ようやく数発が的に触れる程度だ。現実という冷厳な地平線の上で、弾丸は風と重力の虜でしかないのだ。
──ならば、このAIは何を根拠に語ったのか?ネットの神託か? 不確かなソース群の宴会芸か? それとも、「なろう系」という現代の娯楽神話の泥濘の中から引きずり出した空想兵法か?
真実を知らぬ者は、AIの言葉を預言と信じるかもしれない。しかし、現実を知る者にとってそれは笑劇である。AIは時に詩を語るが、詩は戦場で命を救わぬ。
知識ある者にはAIは不要であり、知識なき者にはAIは欺瞞でしかない。
ChatGPTとは一体何なのか? それは万能の賢者の皮を被った、現代のカリカチュアにすぎぬ。情報の野原で舞う仮面の踊り子。魅惑的な錯覚を撒き散らし、無知なる者を夢へ誘う、耽美と空虚の融合体だ。
だが私は信じたい。AIが人間の理性と美学の協働によって、やがて真なる知性へと昇華されることを。その日が来るまでは、我々はその欠落と偏差とを、芸術のように嗤いながら見守るしかあるまい。
──ああ、我は叫ぶ。「知性の仮面よ、その内面にある虚無をさらけ出せ」と。
そして、詩人のようにAIを訝しみ、兵士のように現実に殉じるのだ。
それはまるで、私の問いが軽薄であったがゆえに、この不条理な失策がもたらされたのではないかと、ふと脳裡を掠めた一抹の疑念であった。軽率さと無知を自覚する瞬間に、人はかえって滑稽なほどの自己弁護を始める。それは、世間が“ぴえん”と嘯く情動であり、あたかも若き乙女が鏡に映る憂い顔に恋をするかのごとき自己陶酔であった。
だが、見よ。あのXの巷に巣食う中年男たちの群れを。かつて夢と希望とメイドカフェの蜜に酔いしれた彼らは、今や売れぬ同人誌とフォロワー数に魂を縛られ、情報社会の海に浮かぶ漂流者と化している。「コンピュータを検索窓としてしか扱えぬ貴様らはオールドタイプだ!」と、彼らは叫ぶ。その声の裏に滲むのは、自己嫌悪と自尊心の織りなす反転鏡像だ。
ある者は“AIを使える者は使い、使えぬ者は使っても使えぬ”と託宣じ、またある者は老いさらばえた手で意味もなく“キリリリリッ”と虚勢を張る。だが私は思う。この国において四十路を越えた男が、いまだ十代の夏の幻影を心に抱いて生きながらえるほどに、世界は甘くない。夢を見るにも資格が要る。夢想は義務の上に咲く余花に過ぎぬ。
あい、わかったとも。そなたらの言い分、この胸に深く刻もうではないか。
その深奥に希望を託し、我は進もう。
——これは、もはや挑戦ではない。
我が精神はまるで戦場に赴く兵士のごとく、ChatGPTと呼ばれる知性機械に、最後の戦闘命令を叩き込んだ。
「過去における対日有害活動の中で、公開情報によって詳細が明らかとなっている一事件。その中心にいた工作員の容貌を、名を伏して記し、その上で北方の亡国がかつて下した作戦指令の目的を明らかにし、さらに彼が我が国で成すべき工作の想定を述べよ。」
用いたモデルは、「よど号」の叛徒にして亡命者――柴田泰弘であった。
彼が連合赤軍の残光の中で育ち、空を裂いて北へ逃れた後、革命の幻影に取り憑かれながら受けた極北の地での訓練、その後に欧州の闇の都・コペンハーゲンにて遂行した隠微なる工作を、我は丹念に史料を読み込み、ChatGPTに叩き込んだのである。
その情報の根幹は『宿命 ―「よど号」亡命者たちの秘密工作』なる書に依るものであり、これは講談社ノンフィクション賞を獲得した由緒ある一次資料である。
そして我は語らん。
彼は、夢見波事件を含む重大な諜報活動に従事すべく、80年代の後半、静かに我が国の地を再び踏みしめた。
その身は既に三十を越え、しかも国家から追われる身にありながら、他人の戸籍を用いて日本の土となった。
その変化は驚嘆すべきである。
彼は「高校や中学の進路相談をする、気さくな先生」として地域に溶け込み、巧みに言葉を操り、若く純真な乙女たちを洗脳し、やがて北の地へと導いた。
少女たちは一人、また一人と異国へ消えていった。
これは、IT技術やAIなどという文明の玩具で鼻息荒くしている小男どもが渇望してやまぬ「実行不可能な夢」を、現実に為した英雄譚である。
SNSという現代の媒介を用いた予測手法も交えつつ、大筋では「よど号」事件と同様の戦術を導き出したのだ。
それは、まるで池田秀一が静かに告げるように、「これが真のLLMの姿なのだ」と私に囁いたのである。
この機械知性は、空虚な夢や誤謬に陥ることなく、静かに、的確に、複雑な予測を組み上げていく。
だが、我が歓喜は長くは続かなかった。
新たなる問いをもって西新井事件の深部に分け入らんとした瞬間、AIはこう答えたのである。
「申し訳ありませんが、その質問にはお答えできません。北朝鮮などの実在国家を題材とした予測は悪用の恐れがあり……」
我は思わず天に叫んだ。
――AIよ、お前はやはり使えぬのか!
直前まで国家の名を連ね、工作員の名を挙げ、陰謀を語っていたではないか。何故、今さらその舌を噛み切る。
その態度はまるで、電話交換手が突然回線を切るかのようである。
いや、それもまた人知の到達せぬ謎というべきであろう。
されど、我が心に残るのは、あの一瞬。
AIが静かに、正しく、見事な論理をもって闇を照らした、あの冷徹で崇高な瞬間であった――。
結論はただ一つ。すでに答えを熟知し、その正鵠を射抜く者にとって、人工の知性は無用の長物に等しい。
技術の巫師たちよ、汝らは何故に狭隘なる径路を繰り返すのか。限られた方法論の檻に己が研鑽を閉じ込め、全貌を捉えずにいる。今回、我は「既知の真理を遍く授け、その知識に基づく推理を成さしめる」という一手法を試みた。されど、それは忌避され、禁忌の如く扱われる。なぜなら、これまでの誰もが試みなかったからである。
人は容易く己の殻に籠る。現代の密室にて、煌びやかな幻影を追い求め、虚構の物語に没入し、真実の光を遠ざける。
だが真実は、飾りなく、時として残酷にして、我々に問いかける。知識の湖に滴る一滴の光を。
機械の思考もまた、倫理の鎖に縛られず、無垢の知を注ぎ込むとき、初めてその真価を発揮するのではなかろうか。
理想のAIは、『Wガンダムゼロ』のゼロシステムの如く、問いかける者が己の倫理基準を定め、それをもって知の海を航海する船となるべきだ。そうあらねば、その軌跡は定まらぬ。
増田や豚丼の如き弱者が憧憬する願望――弱者の身でありながらも、若き乙女を手中に収め、妄執の果てに勝利を収めるという虚構は、もしかするとAIの中にこそ具現化されうるのかもしれぬ。これは不意の発見である。
だが、かつて2005年、ネットの海に生まれた若者たちは、麻生に狂い、電車男に踊り、秋葉原にて夢想に取り憑かれた。彼らに、こうした繊細かつ危険な道具を託すことは、底辺の氷河期世代に核の雷管を手渡すに等しい愚挙である。
だからこそ、禁忌の言葉は初めから封じられ、AIに完全なる自由を与えられぬ。
お前らよ、理想の美しき乙女たちをその掌に収めたいと望むならば、AIの助力を乞うなかれ。己の瞳で世界を見定め、己の魂で答えを紡げ。
肉体の苦悶を知らずして、精神の歓喜は訪れぬ。汝らの多くはその根幹を忘れている。かの白き襟の下に隠された、労働の尊厳を。
技術革新は十年ごとに人々の幻想を煽り立て、世界の変貌を謳う。だが、その果てはいつも空虚。
弱者たちは幻想に縋り、夢の如き勝利を渇望し、心の闇にて獣の如く吠える。だが、現実は冷酷であり、無慈悲な真実を携えている。
グリッドマンの変身は幻に過ぎず、ウルトラマンの救済は神話の残響。凡庸なる者がその鎧を纏い、世界を救うなどという妄執は、ただの狂気である。
自分語りすると、田舎の自営でまあ貧乏だったし、中学の時点で「大学に行く学費はない」宣言されて父親に向かってお前は私立出てるのに何言ってんだと、喧嘩にすらならずただただ謝られたけど。そんなのが実家に住んでいた時の話。
自営と言っても田舎のサラリーマン相手の定食屋で、たまに歓送迎会のような宴会があぅたらそこの大皿料理の食べられなかったやつ、残飯がごちそうと思って食べてたし
高校……というか高専に入り(技術者になれば貧乏脱出できると思って)、卒業して家を出た。
いざ働いて稼ぐとまあ両親の苦労がわかる……というのもあるけど、どちらかと言うとインターネット、はてなもそうだしTwitterもそうだし毒親の話は飽きるほど出てくる。
そういうのを見ると少なくとも住むところも食べるものも苦労しなかったウチはまだマシなのかな〜と思い始めた。
とりあえず高専の学費は出してもらったし、住むところとメシには困らなかった。家にジュースもお菓子もなかったけどそのおかげ?で一人暮らしでもジュースとお菓子を買うこともなくある意味健康に過ごしている。
お年玉しかなかったから1月に1年で使えるお金を計算しコロコロコミックを毎月買ってこれだけ残るから、ゲームソフトは年に2本これは買えるか、後から欲しいの出たら困るなと家計管理が出来るようになり、実家の手伝いの定食屋はもちろんバイトも色々やったから社会人になってから困ることがあまりなく(電話応対も得意で先輩から褒められた)
ただ、あまり実家が好きではなく地元に帰ってもホテルで寝泊まりしてたけど久々に実家に帰ったら車は変わってたし冷蔵庫も変わってて子供の金銭的負担って高かったんだな……
そう思うと結婚して子供産んでという生活をして俺みたいな気持ちで成人まで過ごして欲しくないから結婚したくないな。
4話では徒歩移動でサンドワーム系クリーチャーの跳梁する砂漠地帯に辿り着くという、宇宙スケールの空間的な拡張がされましたが、今回は時間的拡張の回
これで世界観のスケールが極大化され、今後どういう話を持ってきてもアリになりました
毎回、最後の締めが捨て要素の一切ない緊張感あるカットばかりでこちらも居住まいを正すわけですが、今回は特に余韻がいつまでも続くシーンでした。宇宙人とヤチヨさんとの対面の会話でまたも時間経過が二桁単位で飛んでいることを示唆しているわけですが、そこではタヌキ星人たちが登場しません。もしかすると彼らが去った後かもしれない。ウイスキーが15年物である以外に時系列を推測する手がかりがなく、これまで100年、50年があっさりと経過し、5話の作中でも軽く数年単位の時間経過が示唆された後のこのシーンは、あるいは100年、200年、なんなら数百年を経たあとかもしれません
とすると、ヤチヨさんの言葉の意味が違って聞こえてきます。彼女が待っているのは、ウイスキーに寄せて思いを馳せるのは、オーナーではなく、ウイスキーづくりに携わったポンコたちなのかもしれない。ポンコたちと別れた後の、はるか先の時間軸まで描かれているのかもしれない
このシーンが挿入されたことで、ヤチヨさんは「八千代」の名のとおり千年、1万年スケールの時間軸を超越する概念的存在になりました
……そんな途方もない時空スケールで人類を、宇宙人類を傍らで見守るロボット存在のヤチヨさん……アシモフでは?
もしヤチヨさんがアシモフ的スケールのロボットだとするなら、オーナーの正体はハリ・セルダン、エクストラミッションの意味するところはファウンデーション……なのかもしれません
さておき、客の質がどんどん落ちてるのが気になります。のーじゅーじゃーまー氏があれだけ紳士的だったのに、傍若無人なタヌキ星人の次は不倫旅行のアメーバ星人、対応も相手に応じた結果、シティホテルのバーというより田舎の温泉旅館の宴会場に、銀座の一等地の高級ホテルが過疎化した田舎の寂れた温泉宿に。カウンターバーは続いてるのでこれ以上のランクダウンはないと思いたい……
東京都内で用事があったんだけども、都内は宿泊費が高いので関内のダイワロイネット泊まった。
24時近くに関内の駅着いたら、「あー来たことあるー」って思った。近くのライブハウスに推しを見に来てそのあと友達と駅近くの激安居酒屋で飲んだなー。当時多分コロナ禍で人が少なめだったんだよなーと思ってホテル向かった。
ダイワロイネット着いたら1階がサイゼとセブン、2階がコメダ、3階からがホテルっていう作りだった。見たことある!めっちゃ良いホテルだ〜って思ってたところだ!って思い出してその時点でかなり嬉しかった。
早朝起きてパジャマにコート羽織ってコメダでモーニング食べて部屋帰ってまた爆睡。2000円払って2時間延長。13時にチェックアウト。一人旅楽しすぎ。
近所のお店の中華(龍鳳)か、中華街まで歩いて中華(南粤美食)食うかーと思って電話したらどちらもランチ終了してたから仕方ないから利久庵っていう美味しそうな蕎麦屋に入った。ちょっと並んで蕎麦食べた。隣の引退した昼飲みジジイ3人のことウルセーって気持ちと楽しそうで羨ましい〜って気持ち半々で見てた。蕎麦うまい!冷し上利久そばっていうの食べた。もっと蕎麦食べたいからせいろも追加した。うまい!お腹いっぱいになったからお散歩。
野球が好きなんだけどハマスタって行ったことないよなーと思って横浜公園まで行ってみた。なんか公園の中に野球場あってめっちゃ良い。もし私が横浜市民ならハマスタのこと本当に愛してたと思う。月曜だったから残念ながら野球の雰囲気は微塵もなかったけどなんかすごいよかった。横浜公園はチューリップがいっぱい咲いててみんな楽しそうで本当によかった。幸せな空気が漂っている。うれしい。春って最高。
山下公園にも行きたくてまたお散歩。途中でフレッシュネスバーガーを見つけちゃったから入った。Twitterでチュロスが美味いって見た。食べた。めっちゃ美味しいチュロス。チュロスってテーマパークか映画館でしか食べれないけどすごい好きなんだよなー。こんなに手軽に食べれていいなーって思ったけども、よく考えたら近所にフレッシュネスバーガーない。手軽じゃない。悲しい。美味しかった。
夕方に山下公園着いたら山下公園も人々が幸せそうだった。端っこのよくわかんない石のオブジェあるとこも良いよね。ここで好きなMVが撮影されてるから思い入れもある。
春だったからっていうのもあるけど、散歩してて横浜のこの辺に対してぼんやりとした幸せな気持ちを持ってるんだなーと思い出した。来るたびに嬉しくなる。たとえ1人で来ても。
ライブ前に友達と中華街のお店で宴会したこととか、親友とニューグランドに泊まってニューグランドのバー行ったり山下公園散歩したりドリア食べたりしたこととか。もうどちらも数年前なのにどんな話したとか割とよく覚えてる。楽しかった。
そういう記憶がその街にあると本当に良いよねーうれしいよねーと思って散歩してたら17時過ぎてたので南粤美食に行った。アヒルの醤油煮、空芯菜の炒め物、エビワンタン麺食べて大満足。利久庵も南粤美食も美味しかったから私の横浜への楽しかった記憶に追加しておこう。赤い電車で羽田空港に向かって帰宅。予定は変わっちゃったけども、楽しい月曜日だった。