
はてなキーワード:宮野とは
・1話から3話と最終話は「スパイダーバースの流れ汲んで面白い画面作り」アニメだったがそれ以外は平成のアニメを思い出した
・戦闘シーンの「作画スゲエやろ」感にちょっと食傷したとこある そもそも作オタじゃない
・中国発企画の視点だからこそ描ける「信頼スコア」への日常的に圧迫される相互監視社会と無責任に「偶像・ヒーロー」をヨイショする「ファン」への感情×ザ・ボーイズ的な「ヒーロー業界の光と闇」的な感じかと思いきやラッキーシアンたそ辺りからひと二昔前のfateみたいな作画と「恐怖粒子」→モンスター(なんかモンスターのデザインが懐かしい)発生いうファンタジー味がでてきて「なんかこの作品から摂取したいと思ってるものと違うものがお出しされてきたな…」となっていったん視聴やめて最終話付近でまたスパイダーバースっぽくなったし宮野キャラと犬ヒーロー出てきたから見た
・「恐怖粒子」のくだりは他シリーズからの流れなんかな…ほな知らん自分が悪いな…
・ワイなら推しのキュルルン系動物と仲良し系ジャニ顔男性ヒーローが女性ヒーローの家にしょっちゅう行って入り浸ってたら速攻ファン辞めます…それなら最初から男性バレリーナみたくカプ売りしてくれや!可愛い系ジャニ顔で女遊びしてそうなのがいっちゃんエグいんや!!!もくさつさんも隠し子いるなら最初から言ってくれや!!オタク向けのキャラデザとファンタジー世界観の割にその辺妙にエグいのなんなんや!!
・可能性を生み出しただけでアウトなんだよ!!
・作品名でググると「広告代理店」が無理くり作品を「流行らせ」ようとするとこんな感じになるんだ感凄かった
・Twitterの日本語の凡百市井のオタクが腐も夢も「私、流行感度良いです」オタクも作品に触れてないがやたらWebライターの書いた記事とニュース記事がヒットしてなんか不自然だった 固定ファンがある程度付いてて安定して「いいね」4桁の絵師がファンアートを1枚だけアップしてるのが数件ヒットしててなんか不思議な感じがした
・最終回のランキング10位から駆け上がってく形式で群像劇が展開され、最終回に向けて点と点が結ばれてくのがドミノ演出なの、ベタだけど「いい…」ってなったけどなんか脚本がnot for meなとこあった
【私の理解】
・箔が付きそうで付かなかった作品って感じ
・作成スタッフがリーランドたそに萌え萌えなのはすごく伝わってきた
萌え方が平成の腐女子の感じだった 女装とか実は高貴な出とかなんか
・このオサレ世界観、もっとIQの高い話を繰り広げたかったんやろうに視聴者ワイの頭脳レベルに合わせてストーリーを展開してれてるんや…すまんな…と中盤までは思った
・ミッドサマーやん!ニチャア…(でも残念!ウィッカーマン!です!)させたいんやろなぁ…回
・宮野キャラの異常な身体能力の高さと殺し屋育成学校に何か関わりが…?!そうでなければ博士見つかってないのに今更新要素出してくるはずが無い…!え…?!無関係!?
・海を、島を観に行け!回よかった
・世界観もBGMもキャラデザもアイキャッチもみんなオサレやねんけどエポックメイキングはなかった もう色んな意味でレジェンド&レガシーすぎんねんな
・ストーリーにいちいち言うてたら不粋
でもタイトル回収されても「な、なるほど…!そういう意味が…!ジーン」とはならなかった
この間、ETV特集でやってた「ねちねちと、問う 」ってのを観たんだ。これがまた、いろいろ考えさせられる内容でさ。
メインは京大の宮野公樹先生。もともと金属の研究でバリバリやってたのに、いきなり「学問とは何か」とかいう学問論に転向しちゃったっていう、なかなかの変人。息子さん3人とも不登校にさせてるってのもすごい。アナーキストっぽいのに、超有名国立大学に籍を置いてる矛盾もまた味わい深い。先生曰く、社会的な価値のある金になる研究より、自分の好きなことを研究できたらいいのに、って。「社会のものさし」じゃなくて「自分のものさし」で幸せを測ろうぜ!って話。
まあ、言ってることはめちゃくちゃわかる。でもさ、これって結構理想論じゃね?って思うわけ。人間ってのはどうしたって他人と比べちゃう生き物じゃん。俺だって、街中でカップル見かけなきゃ、別に恋愛なんてしたいと思わないかもしれん。見ちゃうから、比べちゃうから、俺もパートナー欲しい、って躍起になる。理性では、どうでもいいこと、って分かってても、本能が競争に勝とうとしちゃうんだよな。となると、「社会のものさし」って一体なんなんだろうな。
番組にはもう二人、印象的な人が出てきた。
一人は半導体メーカーの部長、守屋周さん。典型的な仕事デキる人で、ガンガン仕事こなしてたんだけど、宮野先生のプログラムに参加して考え方が変わったらしい。上司に相談して仕事量を減らしてもらったってんだから、この会社もすごい。まさに「自分のものさし」を取り戻そうとしてる感じ。
もう一人は名城大学の武藤将道先生。昆虫の研究してるんだけど、テーマがニッチすぎて科研費がなかなか通らないのが悩み。宮野先生とは逆の境遇だね。でも、この先生、ゴキブリを手づかみで標本にするくらいのガチ勢。宮野先生のワークショップで一般の人に研究テーマを公開したら、意外にも興味を持つ人がいて励まされたり、大学では、先生の研究をやりたい、って学生が出てきたり。これって、「自分のものさし」で研究してたら、結果的に「社会のものさし」でも評価されて自己肯定感上がってるパターンじゃん? あれ? どっちだ?
ふと思ったんだけど、ちょっと前までスマホが普及してなかった発展途上国って、メディアがあんまり発達してないから比較対象がいなくて幸福度高かった、みたいな話あったよな。インターネットって、否応なしに他人のキラキラ生活とかを見せつけてくるから、「自分のものさし」をいとも簡単にへし折ってくる凶器でもあるよな。グローバル化ってのは、良くも悪くもこのインターネットとセットだ。そういや、トマス・モアのユートピアも、外界から隔離された島だったっけ。
結局のところ、「自分のものさし」を確立したぜ!って思っても、隣の芝生が青く見えたり、ネットでマウント取られたりしたら、一瞬でグラついちゃうのが人間なのかもしれんな。宮野先生、どうやったらその境地にたどり着けるんですか? ねちねちと問いたい。
脳内物質の分泌に問題を抱えた女の子たちの、衝動に任せた刹那的な生活の物語。
公共の場で暴力行為や罵り合い繰り返す彼女たちに対し、周りの大人は冷たい目を向けるだけで何もしようとしない。
社交性が欠落しやたらと攻撃的で、互いの事を何も説明しないせいですれ違っていく感じは、ある意味で実際のバンドマンらしさもある。
いまのところ話の進展はほぼないが、なぜか主人公たちのバンドは人気が高まりつつあるらしい。
その前に登場人物の誰かしらの預金残高が尽きる気がするのだが。
性格がピーキーな登場人物をキャットファイトさせることで、何か物語が進展しているように見せかける手際は、いかにも花田十輝らしい。
ただ、見せ場のために非現実的で衝動的な行動をキャラクターに取らせる悪癖が、このアニメにおいては奇跡的にマッチしている。
最新話で、雨の中、軽トラの前に飛び出す主人公や、メジャーアーティストがステージ衣装のまま楽屋裏から屋外に駆けてくるシーンは、
思わず「そうはならんやろ」とモニターにツッコミを入れてしまった。
1話で切った。1話はよくできていたが、オリジナルストーリーで再スタートを切れなかったのは致命的失敗だろう。
原作に詰め込まれた小ネタのキモになる部分を巧みに採用しつつ、映像化に際してテンポを落とさないようにチューニングされている。
カットされているセリフが聞きたかった、と思うことはしばしばあるが、大きな不満はまったく無い。
「今期の覇権アニメ」といった刹那的なポジションではなく、耐用年数が長く何度も見返せる作品を意識しているのだろうか。
映像化に際してかなりの準備期間・制作期間をもって作られているらしいところがあるので、
3クール目がまだまだ先になるのでは無いかと懸念している。できれば、迫力のある絵で劇場でやってほしい。
制作会社が変わったせいか、どうも会話のテンポ感にハマりきらないところがある。
パッと見は作画が変わったくらいで、劇伴や声優はこれまでと変わらないだけに、この「ハマらなさ」がどこから来るのかがよく分からない。
たしかに、原作でもこのあたりの話は間延びしている感じはあったのだが、広角レンズを使った大コマの迫力があるぶんあまり気にならなかった。
アニメの場合、広角のシーンでもパンが振られていたり、キャラクターが動いているせいで逆に安っぽく見えるときがある。
視覚のすごみに欠けるせいで、見せ場となるシーンが単なる長回しになってしまい、テンポが悪く感じられるのかも。
予断だが、賛否両論あった映画のオリジナルストーリーは、個人的には大好きです。本編に影響がない未来の話だし、あれくらいやったほうがよい。
冬のオフィスに出社したときのひんやりとした空気感などがよく伝わってきたところが良かった。
3期は、キャラクターに「寒い」と言わせなければ寒さが伝わってこないような感じがある。いちゃもんっぽい批判ですが。
前回のアニメ化は1話しか見ていないので、話も含めて実質初見視聴。
概ね楽しく見ているが、街の風景や旅路、宿屋や酒場の描画が、全て同じに見える。リアリティが無いというか、生活感を感じられない点がちょっと気になる。
もっとも、この作品の面白さは何と言っても会話劇にあるから、背景の描き込みはほとんど気にならない。
主役の二人はもちろん、モブも交えた会話でも、小粋なセリフ回しで心地がよい。セリフそのものの魅力に、声優のバフがかかっている感じ。
この作品なら、動くアニメではなくて、朗読劇や舞台で見ても面白そう。
原作未読で、アニメで初見。さすが横手美智子とうなる軽妙な脚本。宮野の当て書きじゃねえか、とツッコミを入れたくなるくらい、宮野がハマっている。
記憶喪失の人物を通じて、野球という題材の汗臭さや泥臭さをメタにネタにしつつも、
当事者たちが取り込まれるある種の狂気も、野球未経験者にも分かりやすく伝わってくる。
うっとうしいくらいのギャグが脳に残ったところで、登場人物のシリアスな過去もばっちりと魅せてくる。
ダンジョン飯もそうだが、このアニメもキャラクターの作画上の演技が細かくて見入ってしまう。
アクションシーンが長いのではなく、さりげなく差し込まれる捕球のシーンなどの動きがよい。
グローブに球が収まるときの反動や、投げるときの重心移動の身体感覚が、視聴者に自然に伝わってくる。
増田は野球未経験だが、バッティングセンターに行ってみたくなる。打てるのかな。
吹奏楽部を題材にした学園サスペンスもの。ファムファタールに出てきそうな新キャラを交えて、陰湿さにもオーバードライブがかかっている。どう考えてもNHKの日曜夕方17時に放送していいアニメではない。なんとなくだが、売上の一部を不登校支援の寄付などに回したほうがいいと思う。
要するに、そのくらい心理描写が細かいアニメだと思う。破綻の無い作画もさることながら、表情やカメラワークが良い。黒沢ともよは化け物。アニメの黒沢ともよの演技が凄すぎるせいで、この作品は実写化できないんだと思う。
原作は未読だが、ねちっこい女性同士のからみにフォーカスして構成するあたりが花田十輝らしい。
それと、京アニのキャラクターの演技ってやたらとわざとらしいよね。顔の前で手を合わせたり、わざとらしく頭を掻いたり。変に心理描写が細かいから、そういうアニメっぽい仕草が浮いて見える。
アニメ化されたときには第一話から工藤新一の決め台詞として使われ始めたのだが
実は10巻の発売(1996/5/15)はアニメ(1996/1/8)よりも後なので
10巻を読んだときに「アニメから台詞を逆輸入したな!」と思った記憶がある
ただ、該当の話がサンデーに掲載されたのは、恐らく1996年の3〜4号で
これは恐らく1995年の12月頃には掲載されていたと思われるが
私は単行本派だったのでその辺の事情に詳しくなく知っている人がいれば補正してほしい
ただ時期間を考えるとアニメ制作時期に青山剛昌氏と打ち合わせをして台詞を決め、本誌にも掲載したのではないか、と思われる
ところが、ちょうどあの時期に「正義は勝つ」という織田裕二主演のドラマがフジテレビで放映されていた(1995/10/18〜1995/12/20)
このドラマの織田裕二演じる高岡淳平の決め台詞が「真実はいつも一つ」だった(微妙に違ったかも?)
法廷バトルもののドラマで一部では人気だったが、当時のフジのドラマとしてはイマイチの扱いでそれほど有名になっていない
時系列を見ても分かるとおり、ちょうどこのドラマが終わった後にコナンのアニメが始まり
しかも第一話から「真実はいつも一つ」と原作にはない台詞を喋っていたのだ
当時のコナンのアニメはそれほど継続する気が無かっただろうと想像できて
原作を平気で改変するだけでなく誰が見ても重要な伏線となっている宮野明美(灰原の姉)の事件では死亡せずに生き残るという致命的やらかしを行っている
Q:エロ(暴力)表現がダメなら毎週殺人事件を全国放送アニメで垂れ流してる名探偵コナンになぜ表現規制派は何も言わないんだ?
A:アニメコナン開始当時(1996年)はフツーに新聞で「人殺しの番組」と叩かれまくっててPも監督も短期打ち切り覚悟だった。ただ『名探偵コナン』はアニメ化決定段階で、子供とテレビを見る母親に不快感を与えないようにショッキングなシーンを省く防衛策を事前に取っていた。
レイプシーンのアニメ規制するなら、コナンとか毎回、人が死んでるアニメとかどうなんねん
21:492023/11/06 195万回表示
そこで⼥性である、あるいは⺟親である⼈たちがイヤだと思うことを全て排除したんですね。
セクハラだとか、⼥性が意味もなく被害者になるとか、⼦供が被害者になることを全部、シナリオの段階で取ってしまったんですよ。
ーー2001年 小学館 『名探偵コナン 全映画パーフェクトガイド』
「俺たちは⼈殺しの番組を作ってるんじゃない、⼈殺しをしてはいけないっていう番組を作ってるんだ」
ーーアニメ『名探偵コナン』プロデューサー吉岡昌仁、諏訪道彦(敬称略)/吉岡氏ツイッターより引用
(【追記】「男が意味もなく被害者になるのはいいのかよ」という反応が来ているので注記を付けるが、「無差別犯罪(女だから/男だから/むしゃくしゃしたから殺す)」描写がNGなだけでコナンでは男女平等に殺人事件の被害者にも加害者にもなってる。クズが怨恨で殺される場合もあれば善人が悲しい誤解や口封じで殺されてしまうケースもあるし、そこに性差は無い)
今の深夜アニメや萌え漫画が定期的に炎上しているのと同じく、放送開始当時のコナンは新聞などで「人殺しアニメ」としつこくバッシングを受けていたがTMSのアニメプロデューサー吉岡昌仁氏や読売テレビプロデューサー諏訪道彦氏などのアニメスタッフが矢面に立って戦い国民的アニメの地位を獲得するに至った。
Xにて「コナン 規制」でユーザー名検索を行うと先頭に表示される黒塗り犯人アイコンのアカウントを筆頭に「エロい表現が規制されるならコナンも規制しなくていいのか」論法が使われることが多い表自(アンフェ)界隈にもわかりやすい乱暴な言い方をすれば、コナンはアニメ開始前から“フェミに屈しまくっていた”事で親子二代分の視聴率と市民権をゲットして生き残ってる。
もっと雑に言うと、『金田一少年の事件簿』は過去の婦女暴行が事件の動機になったり、(殺人事件の被害者が美女の場合)遺体がやたら全裸だったりする描写オッケーで「バイオレンス込みのサスペンスでドキドキしたい」ニーズに応えることでドラマやアニメ、現行漫画シリーズ「37歳の事件簿」まで続く長寿作品となったが、
『名探偵コナン』の犯行動機に婦女暴行が出現することは無く、(過去の児童殺傷事件が犯行動機になった原作初期「スキーロッジ殺人事件」などの極めて稀な例外を除き)児童が殺人事件の被害者になる描写もほぼ存在しないことで「親御さんが子供とお茶の間で見れる謎解き」のニーズに応えて長寿番組になっている。
どちらが良い悪いじゃなくニーズと客層が違うだけ。
『名探偵コナン』を万年3〜4番手の弱小週刊少年誌・少年サンデーの「そこそこ売れてた漫画」から「国民的エンタメ作品」へ昇華するバランサーの役割をしていたのは実際のところ原作者の青山剛昌先生ご本人よりも、
『名探偵コナン』をゴールデンタイム全国放送アニメに抜擢した讀賣テレビ放送の諏訪道彦プロデューサーや東京ムービー新社(現トムス・エンタテインメント)吉岡昌仁プロデューサー、こだま兼嗣監督をはじめとしたアニメスタッフの功績である部分が大きいように思う。
以下は名探偵コナン初期を支えたアニメ監督・こだま兼嗣氏の発言だ。
あとは、僕たち、映像を作るからには、より多くの⼈に観てもらいたいと思っていますので、じゃあお⺟さんにも観てもらう時にどうするか。
そこで⼥性である、あるいは⺟親である⼈たちがイヤだと思うことを全て排除したんですね。
セクハラだとか、⼥性が意味もなく被害者になるとか、⼦供が被害者になることを全部、シナリオの段階で取ってしまったんですよ。
小学館 『名探偵コナン 全映画パーフェクトガイド』(2001年5 月発行)こだま兼嗣インタビュー
名探偵コナンはTV局のプロデューサーとアニメ監督が「女性視聴者が嫌がりそうな要素( =夕飯時に子供と一緒にアニメを見ている母親にチャンネルを変えられそうな要素)」を排除する防衛策を取った結果お茶の間に受け入れられ高視聴率を叩き出し、そのまま20年以上にわたって長寿番組の座を獲得してる。
悪い言い方をすれば1996年のアニメ放送準備段階で、もう既に「(表自界隈が言うところの)フェミに屈した」生存戦略への舵切りが済んでいたことで、子供とその保護者両方の支持獲得に成功した作品が『名探偵コナン』なわけだ。
2013 年にトムス側のプロデューサー・吉岡昌仁さんもこだま監督と同様の発言を行なっているが、
吉岡さんの証言に基づくと、青山先生とアニメスタッフが『名探偵コナン』のアニメ化に際して取り決めたルールは「コナンは泣かない」「偶然はNG」「共犯は無し」「トリックは絶対に可能なこと」 「セクハラはしない」「不快なシーンは作らない。人の欠点や差別の話とか」 という内容だ。
コナンテレビ裏話#24
コナンをスタートさせたとき⻘⼭さんとルールを作った。「コナンは泣かない」窮地に⽴たされてもヒーローは泣いちゃいけない。
「偶然はNG」突然⾬が降ってきて⾜跡か⾒えるとか必然でなくてはいけない。「共犯は無し」何でもできちゃうから
コナンテレビ裏話#25
つづき
「セクハラはしない」不快なシーンは作らない。⼈の⽋点や差別の話とかね。「トリックは絶対に可能なこと」密室の鍵のトリックなどは全て出来る。(薬を使ったり危険なものもあるので絶対に真似しないで下さい)時間の有るとき過去の作品を観てみて。ホントだから
吉岡昌仁 @yoshioka_masa2013-03-29 13:19:10
https://togetter.com/li/388239
https://twitter.com/yoshioka_masa/status/317491095951011840
2019 年公開のこだま兼嗣監督によるアニメ映画『シティーハンター新宿プライベートアイズ』インタビューでも「女性視聴者が嫌がるような表現をしない」という同様の発言があることから、これは原作者青山剛昌氏ではなく、こだま監督およびアニメスタッフ側が主導になった提案と推測できる。
インタビュアー:劇場版コナン、今回で2作⽬となるわけですが、いかがですか?
⻘⼭ いやぁ、原作を書きはじめた頃はこんなに続くとは思ってなかったですし、正直、アニメ化の話があった時も成功しないんじゃないかと思ってましたからね。
こだま それは私も感じてました。きっと俗悪番組になって、半年続いたらいいほうかなって(笑)。だって、1話⽬で⼈の⾸が⾶んじゃうんですから。
⻘⼭1話⽬で⾸を⾶ばしたのは、⼀番強烈なシーンを1番⽬に持ってきて、これで⽂句がいっぱいくるようだったらやめようと思ってたからなんですよ。
1998年4月発行 『14 番目の標的』パンフレット
12-13 ページ青山剛昌・こだま兼嗣対談
初期の『名探偵コナン』原作漫画は、週刊少年マガジン『金田一少年の事件簿』のヒットの後を追う形で連載が始まったこともあり、ジェットコースター上で被害者の首が吹っ飛ぶ「ジェットコースター殺人事件」、バラバラ死体をトリックに使う「包帯男山荘殺人事件」、串刺し死体の「闇の男爵殺人事件」「美術館殺人事件」をはじめとして、視覚表現重視の過激な描写も多かった。
コナン原作単行本2巻を裏返すと、鍵穴に描かれたヒロインの毛利蘭がショーツ一枚のあられもない姿に脱がされているのも一昔前の少年漫画らしい「読者サービス」の名残だろう。
子供と一緒にテレビを見ている母親がチャンネルを変えかねない、それらのショッキングな表現をコナンワールドからオミットしたのがテレビアニメシリーズ『名探偵コナン』を立ち上げたスタッフ達だ。
血の彩色に赤を使わず、凶行時の直接的な描写をカットし、死者の遺体に敬意を払った。
テレビコナン裏話#14
コナンのスタートの頃は新聞によく、ある団体やある団体のコナンバッシングの記事が載った。
スワッチと理論武装(あの頃はこの⾔葉よく使ったなぁ)しようって⾔って「俺たちは⼈殺しの番組を作ってるんじゃない、⼈殺しをしてはいけないっていう番組を作ってるんだ」って戦った
吉岡昌仁 @yoshioka_masa2013-01-0310:04:45
https://twitter.com/yoshioka_masa/status/287726363870380032
初期のコナンアニメは、複数の”ある団体”からのバッシングに狙われていたという。
最初期のアニメ内で描かれる被害者の遺体は原作と同じく目を見開いていたが、それら”ある団体”の外圧から作品を守る理論武装も関係してか、次第に瞼を閉じさせて描かれるようになっている。
こだま兼嗣監督が述べた「ゴールデンタイムでの探偵漫画のアニメ化にあたり、子供とテレビを見る母親に不快感を与えないようにショッキングなシーンをまず省いた」という配慮だが、
これについては諏訪道彦プロデューサーもTBS発行『新調査情報passingtime』2001年7・8月号」にて、同様の発言を行なっている。
原作ではタイトルを「△△殺⼈事件」としたり「死体」という⾔葉を使ったりしているが、テレビでは視聴者を不快にさせないようキメ細やかな配慮をしている。
例えば、⼆年ほど前から「マンション殺⼈事件」は「マンション転落事件」と改題するようにした。「死体」は「遺体」という表現に。
⾚い⾎にしても、⿊い⾊にするなど、表現を⼯夫しているという。
また、社会情勢に合わせて、表現を考慮することも。例えば、「毒ガス」といったトリックは採⽤していない。
中略
被害者が刺殺された現場のシーンでは、凶⾏時のアクションは映像で⾒せることはしません。
しかし、捜査員が⽬暮警部に『刃渡り△センチの包丁で腹部や⾸を刺され、出⾎多量で……』と詳細に報告させるような展開にしています。
また、ロープで⾸を絞められた場合、縄⽬がヒントになって事件が解決していくこともあるので映さざるを得ないのですが、どう⾒せるかスタッフ同⼠議論することあります。
不快感を与えないという⼀⽅で、『ホンモノの捜査』には⼿抜きがあってはいけませんので、その間の判断が難しいところです」(諏訪⽒)
シナリオ、絵コンテ、アフレコ、最終試写の各段階で、プロデューサーだけではなく、監督や編集マンなども含め、チェックが続けられている。
新調査情報passingtime2001年7・8月号 14-18 ページ
『名探偵コナン』諏訪道彦読売テレビプロデューサーインタビュー
事件モノだけに、⼈が死ぬシーンはどうしても出てきます。
ボクたちが陥り易いのは、話に詰まると『誰かに死んでもらおうか』という安易な発想です。だからコナンでは出来るだけ、⼈が死なないで話を作ってもらう事をまず考えます。『死なずにうまく⾒せる⽅法はない?』と提案してみると、それなりに結構アイディアが出てくるもんなんですよ。それに、すごく頭を使う。それは、頭の訓練にもいいんです(笑)。
それでも、どうしようもない時は誰かに死んでもらわなければならなくなるけど…(笑)。
トムス・エンタテインメント公式サイト こだま監督インタビュー
https://web.archive.org/web/20020403043852/http://www.tms-e.com/on_air/conan/special/0201index_b.html
(早期打ち切りの可能性と隣り合わせだった当時の大人の事情もあれど、)原作『10億円強奪事件』の最後に殺害されるはずだった宮野明美を「なるべく人を殺したくない」という理由でアニメでは生存させる事にしたのも、アニメスタッフによる判断だ。
コナンテレビ裏話#9
灰原のおねえさんが出てきた頃はなるべく⼈を殺したくないってことでラスト助かった話にした。暫くして⻘⼭さんが「吉岡さん怒るかなぁ原作で灰原を出しちゃった」。おねえさんが⽣きてると灰原は出られない。だから新たにおねえさんが死ぬ話を作ってSPで灰原が登場したんだ
吉岡昌仁 @yoshioka_masa2013-01-03 16:42:18
https://twitter.com/yoshioka_masa/status/286739248219045888
とまあ、マンガ・アニメの過激シーンやエロシーンが槍玉に上がるたびに引き合いに出されがちな「それなら毎週殺人事件を全国放送アニメで垂れ流してる名探偵コナンはどうなんだ」論法について、
名探偵コナン側のアニメスタッフがどのような配慮を取りながらゴールデンタイムの全国放送に漕ぎ着け、マスメディアのバッシング記事を乗り越え、アニメ打ち切りを回避しつつ20年以上国民的アニメの地位をキープし続けていられたのかの覚書を書きつけておく。
黎明期のコナンアニメを支え 「子供と一緒にTVを見ている母親がチャンネルを変えそうな描写NG」ルールの制定に寄与したこだま監督や吉岡プロデューサーがコナンの現場を去って久しい現在、コナンもコナンで佐藤刑事と高木刑事の「夜の激しい運動」セリフなどで定期的に物議を醸していたりするが、それはさておき。
なのは完売の人が原作やってるという点以外はなにも引きがないのに
なぜかそこそこヒットした。
今配役見てみたら声優陣がめちゃくちゃ豪華で草。
ケモ耳中途半端ロリが支配する王国同士の外交問題の解決手段として
フィールドアスレチックが取り入れられているというトンデモ設定。
砲台や剣や斧といった明らかな殺傷兵器も登場するが殺傷能力はゼロ。
食らうとふにゃ~となる、なんじゃこりゃ。
しかし、この外交問題の解決手段をフィールドアスレチックとしたことで
異世界より身体能力の高い人間を選別し召喚して外交要員(傭兵)として起用するというロジックは
「世界の救世主として異世界の一般人を召喚するのなぁぜなぁぜ?」
という異世界召喚モノの原罪に対する一種のアンサーとなっている。
とにかくケモ耳中途半端ロリがかわいかった以外、何一つ覚えていないが
ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービーを見てきたので感想を残しとく。
[視聴環境]
[事前情報]
世界興収がスゴイらしい。評論家からの評価は悪いらしい。吹き替えはマリオが宮野守でルイージが畠中とかいう奴らしい。予告チラ見した感じ、声が微妙だったので字幕でみることにした。
[どんな話か(うっすらネタバレ)]
現代のニューヨーク在住の冴えないイタリア人配管工の兄弟が、ひょんなことから異世界(マリオワールド)に飛ばされ、キノピオ、ピーチ、ドンキーコングとともに悪者クッパを倒そうとするお話。
[総評]
普通に面白かった。良くも悪くもファンムービー。映像的な革新性、脚本の秀逸さ、思わず吹き出してしまう小気味よいジョーク、心動かす感動的なシーン、胸が熱くなる激アツ展開、などはない。
かといって出来が酷いわけではなく、一応どれも及第点は取れてる、と思う。(脚本はかなり雑で突っ込もうと思えばいくらでも突っ込めるけど、子供向け映画にマジになっても仕方ないよね)
[おすすめ度]
劇場で何度も見たくなるタイプの映画ではないけど、人生でマリオのゲームに触れたことある人なら一回は見といた方がいい映画だと思う。
[誰向け?]
万人向け。マリオのゲームをやったことある人なら、小さい子連れのファミリーから、デートムービー、友達グループ、独り身の暇つぶしまであらゆる層に対応してる。
[グロ度]
なし。ただしギャグ演出として暴力的なシーンが多用されている。痛々しい演出は多め。(例:手をピアノで挟む)
<良い点>
・キャラクターのモーションやSE、BGMが原作を忠実に再現していて楽しい
<悪い点>
それに加えて各シーンの演出や各エピソードの繋がりがとてもご都合主義的。
どのような「ご都合」かというと、「原作のこの絵を再現したい!」→「じゃあこういう展開でこういう演出にしましょう!」というのが明け透けに見えている。
たとえば、「ベビーマリオを出したい!」→「ルイージに幼少期を回想させよう!(何の脈絡もないけど)」みたいなのが盛りだくさんとなっている。
原作再現が最優先なため、伏線を先に引いて、後で回収する・・・というのがほぼない。
ピーチ姫がSWのレイみたいになってたり、キノピオが陽気な友人キャラみたいになってたり。どれもハリウッド映画に出てくるお決まりのキャラではあるけども。
<まとめると>
どのシーンにも「物語上の必然性」がない。かわりに「原作再現上の必然性」がある。
だからマリオを知らない人が見たら「なんでそうなる???」「唐突・・・」「最初からそうしとけばいいのに・・・」「無理矢理だなあ」「この人たち出てくる意味あった?」「え?なんでみんな普通に受け入れてハッピーエンドみたいになってるの?なんか説明合った?」「こいつは一体なんなんだよ」と突っ込みどころ満載かもしれない。
が、それもこれも原作再現を楽しみにしてるファンを思ってのことだと思うので悪く言うつもりはない。
やはり良くも悪くもファンムービー的。細かいことを気にしてはダメ。
サンデー連載中の話が映画を受けてってことも、灰原の今後について重大な事実が明かされたことも知らないわけで、絶賛すんなら原作見ろやってしょっちゅう思う
まあその辺は「103巻もあるからな」「読むと映画が不自然なことに気付くから知らないほうが幸せかな」で飲み込んでいるのだが
まずアニオリが多いので確実に全話見れないうちに死ぬ
こいつの知ってる名探偵コナンは知らないうちに組織の名前が明らかになってるし宮野明美は二度死ぬ
平成後期時点でも原作回ですらアニオリが酷く、話も繋がらず時々青山がお灸を据えてたりする
まあそれも変なやつだなって思うくらいで
桜蘭高校ホスト部を見た。
感想を羅列
・15年くらい前に流行っていた記憶がある。同級生の女子が見ていた。アニメは2006年らしい。
・なるほど、男装逆ハーレムものなのね。はいはい。ケータイサイトの頃とか、逆ハーもの流行っていたよね。
・白泉社っぽさをすごく感じる。ここでいう白泉社っぽさとは、ラブコメのくせにラブコメ成分は比較的薄くドタバタが主流であり、どんどんキャラの濃い登場人物が増えて大きなコミュニティを築くこところ。
・私が読んだことのある白泉社のマンガは、『オトメン』『会長はメイド様!』『コレットは死ぬことにした』あたりのみだが、いずれも上の特徴は満たしていると思う。
・『ときめきメモリアルガールズサイド2ndkiss』ともシンパシーを感じた。特にお父さんと娘ごっこをするところなんて一緒じゃないか。
・ちょっとBL推しがしつこいな。あとBLにはまる女子像が古い。15年前。
・内容としてはドタバタラブコメで非常に面白かったです。登場人物のキャラが非常に濃いので、その濃さにびっくりしているうちに終わりました。
・個人的に頭がいい男子が好きなので私が推すならメガネ男だが、ああいうタイプは絶対正ヒロインにはなれないのよねぇ。
・正ヒロインがあからさまに初期から固まっているタイプの少女漫画が私は好きだよ。CV宮野守の金髪男は(名前は憶えていない)、演技がうまくて、いいやつで、あと企画力推進力があるので、正ヒロインの器があると思います。女はコミュニティのトップの男に惚れるものですからね。
・女ってああいう男のホモソーシャル好きだよね。関係性萌えというやつだね。そういうYoutuberが女に人気という増田があったよね。
・クイズノックの関係性と桜蘭高校ホスト部の関係性は似ていると感じた。そりゃ女に人気出ますね。
次は何を見ようかなぁ。
そのブコメも勘違いしてるようだが男性アイドルにリアコしてる女オタクの酷さは男オタクと大差ないぞ
1(中)完全にキレた事務所に抗議してくる 今の私は阿修羅をも凌駕する存在だ
2(二)ねえ嘘って言ってお願い神様お願いします もし嘘ならなんでもいたしますから なんでも差し上げます
3(三)これ、うちらが訴えたら宮野終わりだよ。勝つ要素が宮野には1つも無いもん
7(左)どうせ相手の女、円kかなんかだろ。きっと性〇持ちだよ。とっとと〇ね
8(捕)相手の女、一生恨んでやる。でも真守のファンであり続けていくよ