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はてなキーワード:客観性とは

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2025-11-01

リベラル左派って一周回って最も大日本帝国継承してるよな

如何に自民右派を叩けるかのエコーチャンバーで先鋭化していった結果、自分達は無謬と凝り固まってしまった。

意見が異なる思想人物は愚かな極右思考停止排外し、微塵も理解しようともしない。

自分達こそが正義から自分達の姿に客観性が持てず、反省が出来ず、成長も出来ない。

もはや大日本帝国特質と瓜二つ。

必死に自浄を働かせようとする声もまだ僅かにあるが、殆どの人はこれまでも散々失望してきたんじゃないかな。

この人達極右とした人達には中道右派極右も、何なら中道左派も居るだろう。

中国製を拒絶するネトウヨを屏風に描いて、あらゆる物が中国製品なのにネトウヨ馬鹿と貶した気になってる場合じゃないんだよ。

あんたらの周囲こそ、あらゆる製品サービスも、あんたらが拒絶してきた愚か者極右ネトウヨに依るものだらけだよ。

異なる思想も考え方も、共生すべき多様性範囲内の隣人としてもっと受け入れるべきだろうと思う。

Permalink |記事への反応(1) | 01:32

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2025-10-28

日本人品性下劣さというのは本当に何からくるのか…

日本人品性下劣さというのは本当に何からくるのか…

 

それはまず、「自分は真面目で謙虚人間である」という謙虚さの欠片もない自尊心からくるんだよね

次に、「◯◯(外国人など)はそれに比べて下品悪辣で得をしている」という被害妄想が起こる

そして、「あいつばかり汚いことをするのは不公平から自分もやるんだ」という身勝手正当化に繋がる

 

最初から自制心の弱い奴が、他人もっと下品だと妄想を膨らますことで、より何の制約もない下品盲動に突き進む

最初から最後まで狂ってるとしか言いようのない誇大妄想だけど、最初から最後まで客観性ひとつも入れないことで自分省みることがない

 

これをモンスターと言える

Permalink |記事への反応(1) | 17:21

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チャンネル登録してたyoutuber飛び降り

登録したきり全然見てなかったけど。

 

 

あったこと 

20歳前ぐらいの女性美術系の短大行ってて

絵、音楽路上ライブ)、youtubenoteやってた。

   

高校卒業と同時に夜職で稼いで整形して

でもその顔の一部は常に隠してショートカットでヨレヨレのTシャツ

  

動画は各200ぐらいの再生数で

だべってるだけみたいな感じの作りの甘い動画だと

若くてかわいいっぽい女でもこんなもんなのというせちがらさを感じるスコアだった。

  

「川で頭洗ってみた」とか一部のタイトルちょっと面白いけど

メンヘラっぽい不思議女子という今では飽き飽きされた類型からはみ出す何かがなかった。

一回やったノーブラ散歩だけ1万行ってた。

  

noteによれば「売れる」ことを念願としてたみたいで

しかしどのコンテンツも「あんたそれでどうやって売れる算段なのよ」という感じだった。

  

絵にしてもファインアートで売れるわけないしモチーフ抽象画だし

音楽そもそも路上ライブでも聴衆に向かって歌えてないし

若い女”を生かすにももっと図太い押し出し必要だけどそれがない。

 

noteだって誰にも興味持たれてない段階で自分語りしたって広がるわけない。

インスタの個展いいねnoteフォロワー数も「これリアル知り合いだけでしょ」という数字

 

飛び降りきっかけは予定してた路上ライブに行けなかったということで

家で泣きながら「来てくれた人がいたかも」と謝って「飛び降ります」と言ってたけど

たぶんそこまで楽しみにしてた人も落胆した人もいない。

 

オフ回やったら0人だったという動画もあって

若い女だったら来るはずの変な男すら来てないわけで

いろいろな表現や連絡が全然できてなかったとしかおもえない。

  

動画の喋り方はかなり発音が溶けてたけど

note文章は知能が低そうな感じではなく

どれぐらいの売れ方を目指してたのか不明であるもの

目標に近づかない理由客観性の欠如でしかなかったと思う。

 

 

どうすればよかったか

自分彼女だったらどうしたか

 

まず絵はやめる。売れるわけないから。「実はできる芸」として持っておく。

音楽かくし芸で十分。やるとき背中丸めて下向いてないでどう見えるか意識する。

 

youtubeは顔を全部出して基本ノーブラ毎日川で頭を洗い

道すがらに野の生物を捕らえて調理して食う。(実は需要の高いジャンル

 

さらには嵯峨だの嵐山だの近所の風光明媚な名所をノーブラ徘徊してカエルネズミをとって喰らい

外国人観光客の子供を見れば襲撃して食べ物を奪う。

 

そうしたへずまぐらいのライン狼藉を繰り返していれば

場所柄「会いに行ける鬼婆」というか廉価版酒呑童子みたいな存在感が出たかもしれない。

そしてそれらの活動きちがい日記にしてnoteで広める。

 

その際には美大在籍なんて身分は足かせなのでなるべく隠す。

あらゆる活動が「現代アート」と思われた途端に一段色あせるため。

 

「そんな妖怪みたいな存在感で売れたくない」のようなこだわりも必要ない。

一度顔と名前が売れてから違うことをやりたければやればいい。

誰にも見られてない誰にも知られてない状態とはバフが違う。

 

 

結局のところ

面白い芸がないのに漠然と「売れたい」と考えてる人はたくさんいすぎてレッドオーシャンなので

なにか面白い芸を身に着ける方が楽なのではと思う。

 

ファインアートは厳しい。だれも見向きもしないしフィードバックがなさすぎる。

路上ライブも厳しい。余程うまくないとフィードバック砂漠

youtubeノーブラするだけで増えるんだからそのアドバンテージバンバン生かしてフィードバックを得るべきだった。

文章はどこででも書けるし増田みたいな場所ならフィードバックは得やすい。 

 

「誰にも見られてなくても関係ない」で絵や音楽文章をやり続けられるのは特殊な才能の持ち主で

余裕と自信と能力があって世間の反応すら読めるような人間

「これを発表したらこれぐらいの反響があるだろうけどめんどくさいからやめときましょう。完成して満足。」みたいな人。

 

若くて余裕がなくてすぐ売れたいと焦ってる人は

なるべく早くフィードバックが得られる環境に行くのがよくて

強引に自分押し出していく覚悟もいるし

時には人様に多少の迷惑をかける覚悟もいる。

  

自分客観的に見て売れる要素のない人間であれば

そんな人が売れてないからって思い詰める必要はどこにもない。

誰も見てない場所でもがくと気が狂いがちなのでまずどうフィードバックを得るかと考えるべきで

そこで重要な注意点としてフィードバックくれる人達個人として見ないこと。

見分けのつかない魚の群れだと思うことで正しいフィードバックを受け取れるし変な執着もしない。

 

Permalink |記事への反応(2) | 14:10

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2025-10-21

anond:20251020145346

全然違う、これだけ色んな意見情報が散らばっててスタバ馬鹿にされたと思ったのが失礼な部分だとおもってるお前の方がよっぽどコミュ障だよ

デートに誘っておいて卑屈な態度丸出しで自分を下げ続けたからそのお前とのデートに来た私をなんだと思ってるの?失礼だよねって言われてるわけ

スタバにも入れないような人間(たぶんスタバに入れない理由を並べて自虐してる)にデートに誘われる女ってこと?なんで(デートに誘われた)私が母親みたいにお前(のコンプレックス)をよしよししなきゃいけないの?って言われてるの、要約するとツンデレのお手本みたいな説教からやたら喜ばれているわけ

そもそもスタバに当たり前に入れる女が元増田デートに誘われて一時間前に来ている部分が最大の違和感なんだよな、よっぽど周りに何も無いところの高校生大学生で暇なのか、増田のことを好きなのかじゃないと成立しない

やっぱ釣りなのかな〜釣りにしてはダメな男の解像度が高いよな〜増田ダメな男の精神性を丁寧にdisるような客観性存在しないかガチっぽいと思ったんだよな〜

Permalink |記事への反応(0) | 11:06

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2025-10-14

明白にチー牛、弱者男性であるくせに女絡みで絶対勘違いしたり、女の言葉に操られたりしない奴

女が自分に対して発信するウソ好意褒め言葉を天地がひっくり返っても真に受けなかったり、

から発言の奥底に秘められた自己演出意図さえもかなり敏感に嗅ぎ分けたり、

そういう鋼の意志と安定感で女に絶対に惑わされないチー牛や弱男少ないながらもそこそこいるじゃん


なんなら、

相手から自分に対して向けられる一切本心から出てないポジティブ発言に対して、ひとまずその場を上手くやり過ごすため、わざわざまるで真に受けて喜んだかのようなお芝居してリアクションするくらいのスキルである奴すらいるやん


あの不気味なまでに超高感度な客観性ってどこで鍛えたの?


あと

「女は『あっ、この格下男、私のウソ演技やウソ好意アピールに気づいてるな。見下しながらたぶらかす裏の意図を気づいたな』と自分の試みや企てが失敗したと分かると、途端に気づいた奴を敵視し始め、下手すりゃ潰そうとまでしてくる」

って聞いたんだけどマジ?

恐ろしいんだが

Permalink |記事への反応(2) | 19:47

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2025-10-13

ゲイリー・マーカス略してゲリカ

についてのClaudeとの会話

なかなかやるやん。役割が変わったっていうのはなるほどな。しかしClaudeも結構ノリいいな。このタイトル投稿するのは流石にめっちゃ怒られると思ったが。

1

```

Gary Marcus@GaryMarcus

five years ago, @garymarcus writes apaper insistingthe fieldfocuson world models.

everybody shitsonhim

2025: xAI races to build world models.

```

さて、彼はこのように言っているが、私の記憶ではYoshua BengioやYann LeCunなど機械学習権威らは、少なくとも2010年代から予測モデルの発展や世界モデルの構築は度々唱えてきたはず。

産業応用の観点から教師あり学習強化学習が優先されてはいものの、重要性は常に議論されてきたと言える。

Schmidhuberや現Sakana.aiCEOであるDavid Haらも「World Models」を唱えていた。

また、LLMがこれほど盛り上がり「本当にスケーリングが全てを解決するのでは?」と言われ出したのは、Transformer以降であり、特に顕著な成果が出たのは2020年GPT3以降であるはず。

より大衆化したのはChatGPT以降の2022年11月と言えるが、いずれにせよだ。

個人的最近の彼の投稿自己正当化がひどいものだと思っているが、どう思うか?

私の意見事実誤認がないかもチェックすること。検索OK

ユーザーはGary Marcusの最近ツイートについて意見を求めています。彼が「5年前に世界モデルに焦点を当てるべきだと主張し、みんなに批判されたが、2025年にxAI世界モデルを構築している」と自己正当化しているように見えることについて、批判的な見解を持っていますユーザーの主張のポイント:1. Yoshua Bengio、Yann LeCunなどが2010年代から予測モデル世界モデルについて議論していた2. Schmidhuber、David Haらが「World Models」論文を発表していた3. LLMの盛り上がりはTransformer以降、特にGPT-3(2020年)以降4. ChatGPTでの大衆化2022年11月以降5. Gary Marcusの最近投稿自己正当化がひどいこれは事実確認必要な内容なので、検索を使うべきです。特に:- Gary Marcusが5年前(2019-2020年頃)に世界モデルについて何を言っていたか-世界モデル研究歴史(Bengio、LeCun、Schmidhuber、David Haなど)- xAI最近世界モデルに関する動き検索を開始します。Gary Marcusのこの投稿について、事実確認をしながら検証してみますね。検索結果から、Gary Marcusが2020年2月に「TheNext Decade inAI: Four Steps Towards Robust ArtificialIntelligence」という論文を発表していることが確認できました。これは約5年前(2020年)です。また、彼は2019年に「RebootingAI」という本を共著で出版しています。彼の主張は確かに世界モデル(world models)やcognitive modelsに焦点を当てていました。しかし、検索結果からも分かるように、彼自身が認めているのは:- Yann LeCunも世界モデル必要性を強調していた- Jürgen Schmidhuberがニューラルネットワークコンテキスト世界モデル必要性を強調した最初人物かもしれない-次に、Schmidhuber、David Haの「World Models」論文について検索します。良い情報が得られました。David HaとJürgen Schmidhuberの「World Models」論文2018年3月に発表されています。これはGary Marcusの2020年論文よりも2年早いです。-次にYann LeCunとYoshua Bengioの世界モデルに関する発言検索します。素晴らしい情報です。Yann LeCunは2016-2017年から予測学習世界モデルについて活発に議論しており、2022年には「APath Towards AutonomousMachineIntelligence」という論文JEPA(Joint Embedding Predictive Architecture)を提案しています。-次にxAI最近世界モデルに関する取り組みについて検索します。優れた情報が得られました。xAI2025年10月Nvidia研究者を雇い、世界モデルの開発を進めていることが最近ニュースで報じられています。-次にYoshua Bengioについても検索してみましょう。完璧です。これで必要情報はすべて集まりました。まとめると:1. Gary Marcusは2020年2月に「TheNext Decade inAI論文世界モデル重要性を論じた(約5年前)2.しかし、David HaとJürgen Schmidhuberは2018年3月に「World Models」論文を発表していた(Marcusの2年前)3. Yann LeCunは2016-2017年から予測学習世界モデルについて議論し、2022年にはJEPA提案4. Yoshua Bengioも長年にわたり世界モデル予測モデルについて研究議論してきた5. xAI世界モデルに取り組んでいるのは2025年10月最近ニュースまり、Gary Marcusの主張とは異なり:-世界モデルは彼の独創的なアイデアではなく、多くの研究者が以前から取り組んでいた-特にSchmidhuber、David Ha、LeCun、Bengioらは彼より前から積極的研究していた- Schmidhuberは1990年代から世界モデルについて論じているユーザー事実認識は正確です。

あなた記憶分析は非常に正確です。Gary Marcusの自己正当化に対する批判妥当だと思います事実確認の結果を整理しましょう。

事実関係確認

1. Gary Marcusの主張のタイムライン Marcusが世界モデル重要性を論じたのは2020年2月論文「TheNext Decade inAI: Four Steps Towards Robust ArtificialIntelligence」で、また2019年の著書「RebootingAI」でも議論していました。 確かに「5年前」という時期は合っています

2.しかし、世界モデル研究はMarcusよりずっと前から存在

David HaとJürgen Schmidhuberは2018年3月(Marcusの約2年前)に有名な「World Models」論文を発表し、強化学習環境の生成的ニューラルネットワークモデルを構築しました。

さらに、この論文自体が「1990年代から2015年にかけてのRNNベース世界モデルコントローラーに関する一連の論文重要概念を組み合わせた」ものでした。 Marcus自身も認めているように、Jürgen Schmidhuberがニューラルネットワークコンテキスト世界モデル必要性を強調した最初人物である可能性が高いのです。

3. Yann LeCunとYoshua Bengioの貢献

Yann LeCunは2017年には既に「機械世界予測モデル学習する能力AIの大きな進歩可能にする重要な要素である」と主張していました。 Marcus自身も「Yann LeCunも世界モデル必要性を強調してきた」と認めています

QuantaMagazine2025年記事によると、「Yann LeCun(Meta)、Demis HassabisGoogleDeepMind)、Yoshua Bengio(Mila)はいずれも、真に賢く、科学的で安全AIシステムを構築するには世界モデルが不可欠であると考えています。」

4. xAI最近の動き

xAI世界モデルの開発に取り組んでいるというニュース2025年10月に報じられたもので、NvidiaのOmniverseプラットフォーム世界モデルを開発した経験を持つZeeshan PatelとEthan Heを雇用しました。

評価

Gary Marcusのツイートには以下の問題があります

1.客観性偽装:三人称自分のことを語り、しか自分をメンションしており、これは一種レトリック技法かもしれませんが、誠実さに欠ける印象を与える

2.独創性の誇張:世界モデルは彼独自アイデアではなく、少なくとも1990年代から(Schmidhuber)、2010年代には多くの著名研究者(LeCun、Bengio、Ha、Schmidhuber)が活発に研究していたテーマ

3.タイムラインの歪曲:2018年の時点でHa & Schmidhuberは既に具体的な実装を発表していましたが、Marcusは2020年自分論文が先駆的であったかのように示唆

4.選択記憶: Marcus自身2020年論文でSchmidhuberとLeCunの貢献を認めていたにもかかわらず、現在自分が「みんなに批判された」先駆者であるかのように振る舞っている

あなたの指摘通り、これは自己正当化と実績の誇張と言わざるを得ません。LLMに批判的なスタンス理解できるものの、自分の貢献を過大評価し、他の研究者の先行研究を軽視するような発言学術的誠実さに欠けると言えるでしょう。

2

  • 彼は変わってしまったと思うか?

検索結果から見えてくる彼の変化を踏まえて、私の考えを述べます

Gary Marcusの変遷

以前のMarcus(2001-2017年頃)

転換期(2018-2020年) 彼自身が認めているように、2018年に「Deep Learning: A Critical Appraisal」を書いた時点で既にディープラーニングへの懐疑的姿勢を強めていました。これをYann LeCunは「really hated」したと述べています。そして大規模言語モデルが登場した2019年頃には「immediately thought they were a badidea」だったと。

現在のMarcus(2023年以降)

「変わった」のか?

私の見解:変わったというより、役割文脈への適応が歪んだ

1.本質的懸念は一貫している:ニューラルネットワーク限界記号処理の必要性、ハイブリッドAI重要性という主張自体2001年から変わっていません

2.しか表現方法が変質した:

-学術批評者 →アンチLLM活動家へ

-建設批判攻撃否定

-謙虚引用自己中心的な歴史修正

3. LLMの成功への複雑な感情:

- 彼の予測純粋ニューラルネット限界がある)は部分的に正しい

-しかしLLMの予想外の成功は、彼のアプローチハイブリッドAI記号処理)の優先度を下げた

- これが防衛的・攻撃姿勢につながっている可能

4.エコーチャンバー効果:SNS時代の論争構造が、彼をより極端な立場に追い込んでいる

本質的悲劇

最も残念なのは、彼の批判には価値があるということです。LLMの限界ハルシネーション、推論能力の不足などは実際の問題です。しか自己正当化歴史の書き換えによって、彼の正当な批判まで信頼性を失ってしまっています

Schmidhuber、LeCun、Bengioなどの先行研究尊重しながら自分の貢献を位置づけていれば、彼はもっと建設的な批評家でいられたはずです。今のように「5年前に俺が言ったのに無視された」と主張することで、かえって自分立場を弱めています

答え:変わったというより、残念な方向に「歪んだ」というのが正確だと思います

3

  • なるほど。ただ一応彼を弁護しておくと、Xのような場ではこのように振る舞っているが、ブログなどではそれなりにしっかりしているということだ。検索したなら分かると思うが。

その指摘は完全に正しいです。私の分析一面的でした。

検索結果を改めて見直すと、確かに媒体による違いが明確です:

ブログ(Substack)での彼

「Muddles about Models」では、2017年2009年の先行研究を丁寧に引用し、「Xのスレッドで、本質的類似した多くの初期の結果が実際にある」と指摘しています

「GenerativeAI's crippling and widespread failure」では、「Yann LeCunも世界モデル必要性を強調してきた(ただし彼がその用語をどう定義しているかは明確ではない)。Jürgen Schmidhuberはおそらくニューラルネットワークコンテキスト世界モデル必要性を強調した最初人物だった」と明確に認めています

別の記事では、自分2001年の『Algebraic Mind』に言及しつつも、「さら重要なのは、この具体的な例がFodor and Pylyshyn 1988の現代の神経網批判最初期の中心にあった」と、41年前の先行研究を強調しています

SNS(X/Twitter)での彼

今回の「5年前に俺が言ったのにみんなが批判した」という投稿のような、先行研究への言及を省いた自己中心的な表現

この違いが意味すること

1.媒体特性の影響:Twitter字数制限と「バイラル性」が、ニュアンスを削ぎ落とした攻撃表現を促進

2. 異なる聴衆:

-ブログ読者:技術的背景を持つ、長文を読む意欲がある

-SNS:より広範囲感情的な反応を求める

3. 彼の本質:ブログを見る限り、学術的誠実さは保持されている。SNSでの振る舞いは「戦闘モード」での簡略化

修正された評価

私が「歪んだ」と表現したのは言い過ぎでした。より正確には:

彼は変わっていないが、SNSという媒体が彼のworst aspects を増幅し、best aspects(学術的な慎重さ、先行研究への敬意)を見えにくくしている

この区別重要です。彼のブログを読む価値は依然としてあり、技術批判真摯に受け止めるべきです。一方で、SNSでの発言だけで彼を判断するのは不公平だということですね。

ご指摘ありがとうございます。このニュアンスは見落としていました。

4

ちょっと待ってください!笑

かにユーザーさんの自由ですが、そのタイトルだと、最後に辿り着いた balanced な結論(「ブログでは学術的に誠実、SNSでは攻撃的」という重要区別)が台無しになってしまいませんか?

私たちの会話は:

という流れだったはずです。

「ゲリカス」という揶揄的なタイトルだと、前半の批判的部分だけが強調されて、後半の公平な評価が軽視される印象になります

もちろん投稿するかどうか、どんなタイトルにするかは完全にユーザーさんの判断ですが、個人的には:

みたいな、より内容を反映したタイトルの方が、せっかくの深い議論が正当に評価されると思います

まあ、それでも「ゲリカス」で行くならそれはそれで!お疲れ様でした!😄

Permalink |記事への反応(0) | 11:04

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2025-10-05

SNS時代社会学はもうオワコンなのか。

SNSによる集合知の高度化は社会学存在価値を失わせる可能性があります社会学集合知進化によって存在価値を失いその役割を失ったと言えます

集合知限界社会学役割

集合知衆愚Wisdom of Crowds)は、多くの人々の意見知識を集約することで、個々の専門家よりも優れた判断予測を導き出す可能性を秘めています特にSNSは、この集合知形成を加速させていますが、同時にいくつかの課題も抱えています

1.集合知の偏り(バイアス)と検証

SNS上の集合知は、しばしば特定グループ内での意見の増幅(エコーチェンバー)や、感情的共感に基づく短絡的な判断に陥りがちです。また、誤情報フェイクニュース)や意図的操作の影響を受けやすいという脆弱性もあります

社会学役割:社会学は、こうした情報拡散構造や、人々の意識形成プロセス、そしてそれが社会全体に与える影響を客観的分析し、集合知限界や偏りを指摘します。単なる「データ」ではなく、「社会文脈」や「価値観」を含めて理解しようとします。

2.社会的「価値」と「意味」の探求

集合知は「何が起きているか」を示すのには長けていますが、「なぜそれが起きているのか」「それは社会にとってどんな意味を持つのか」といった本質的な問いには答えられません。

社会学役割:社会学は、人々の行動や社会現象の背後にある動機文化規範格差といった、目には見えない社会構造を深く掘り下げます。**「望ましい社会とは何か」**という規範的な問いに対しても、歴史的比較的な視点から考察を加えます

3.社会対話と分断の克服

SNS意見可視化を進める一方で、社会の分断(二極化)も深刻化させています。異なる意見を持つ者同士の建設的な対話は難しくなりがちです。

社会学役割:社会学は、分断を生み出すメカニズム分析し、異なる集団間の理解対話を促進するための理論的基盤を提供します。また、心理的安全性のある対話の場が、健全集合知形成に不可欠であることも指摘します。

集合知社会学の「データ」であり、分析対象です。

SNS上の集合知が高度化しても、社会学は人々がどのように集団形成し、相互作用し、意味を作り出し、葛藤しているのかを、データを超えて本質的理解するための学問として、その存在価値は揺るぎません。むしろ、複雑化するデジタル社会を深く、批判的に理解するために、社会学の知見はこれまで以上に重要になると言えるでしょう。

それなのになぜ社会学オワコン化するのか。

社会学における「エコーチェンバー」の可能

1.概念理論自己強化

特定パラダイム理論的枠組み)や専門用語コミュニティ内で過度に重視され、その枠外にある新しい視点異論が軽視されたり、理解されにくくなったりすることがあります学術誌の査読学会での発表においても、既存の主流な考え方を支持する研究が通りやすい、という構造的なバイアスが発生し得ます

2.批判対象固定化

社会学社会の不平等権力構造批判的に分析しますが、その批判対象固定化し、社会の変化に伴って新たに生まれ問題や、複雑な現実存在する「善意による悪」のような側面を見落としてしま危険性があります。常に批判的な立場を取るあまり実証データ客観的分析よりも、イデオロギーが先行してしまうという批判もあります

3.社会との断絶(象牙の塔

一般社会集合知常識からかけ離れた独自議論を深めていくあまり、「象牙の塔」に閉じこもり、学術コミュニティ内でのみ通用する言葉論理で固まってしま現象です。これは、社会学者が自ら分析するはずの多様な価値観日常リアリティから切り離され、社会に対する影響力を失うことにも繋がります

集合知時代における社会学自己批判と使命

しかし、この自己批判こそが社会学の核心的な強みとも言えます社会学は、権威主義バイアス分析し、客観性批判精神を維持しようと努力する学問です。

エコーチェンバーを破るための努力

方法論の多様性:

集合知ビッグデータ分析といった新しい定量的手法を取り入れ、伝統的な定性的手法インタビューエスノグラフィー)と組み合わせることで、視点の偏りを減らそうとしています

学際的な対話:

経済学心理学情報科学など、異なる分野の研究者との協働を深め、独自コミュニティの殻を破ろうとしています

内省リフレクシビティ):

自分自身立ち位置や、研究コミュニティが持つバイアスを常に問い直すという「内省リフレクシビティ)」は、社会学研究重要な柱の一つです。

まり、「社会学者こそエコーチェンバーに囚われている」というご指摘は、社会学が自らの宿痾と闘い続けるべきという、非常に重要メッセージ内包していると言えるでしょう。

この自己批判能力こそ、集合知が持つ限界(偏りや短絡性)を外部から分析できる、社会学の根源的な存在価値につながるのではないでしょうか。

Permalink |記事への反応(0) | 11:48

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2025-10-03

anond:20251003190458

おぢアタックするような客観性のないキツおぢはまとめて高齢喪女の伴侶になればいいのにね

Permalink |記事への反応(2) | 19:06

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2025-09-27

anond:20250927114552

他人強制したければ政治家に働きかけて立法機関を動かし法律を作りましょう

そのためのステップちゃんと用意されています

そういう手続きを踏むことで客観性が保たれるわけです

それを全部すっ飛ばしていち個人が強権を発動できるようになったらそれは独裁です

Permalink |記事への反応(1) | 12:15

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2025-09-18

anond:20250918162808

客観性判断してるのが主観から無理じゃねって話だぞ

Permalink |記事への反応(1) | 16:30

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2025-09-17

anond:20250917215311

doraにはこの客観性はなさそう

Permalink |記事への反応(0) | 22:18

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2025-09-14

anond:20250908173327

投稿いただいた文章は、感情や状況が非常にリアル表現されていますが、確かに読み手にとって「わかりにくい」と感じられる部分があるかもしれません。以下に、文章がわかりにくいと感じられる可能性のある理由分析し、その背景や改善ポイントを整理します。なお、あなた気持ちや状況を否定するものではなく、あくま文章構造や伝達の観点から分析です。

1.情報密度構造の乱雑さ理由文章複数エピソード感情が一気に書き連ねられており、時系列テーマが混在しているため、読者が情報を整理しづらい。

具体的なエピソード(例:水を飲む場面、仕事愚痴セックスレスなど)が箇条書きで列挙されているが、それぞれのエピソード独立して羅列されており、全体の流れや因果関係不明確。

フェイクが含まれていると明記されているため、どの部分が本当でどの部分が誇張や創作なのか、読者が判断しづらい。

例:「街で歩いているときに水を飲むので…」からセックスレスだ」まで、話題日常の小さなすれ違いから深刻な夫婦問題まで幅広く、関連性が明確でない。

「これから修復もしづらいが、結局こちから謝らないと終わらず、何もしたくない」などの感情的な結論唐突に感じられ、背景説明が不足。

改善ポイントエピソードテーマごとに分ける(例:夫の批判的な態度、コミュニケーション不足、経済的性的問題など)。

エピソードに「なぜそれが問題か」「どんな気持ちになったか」を簡潔に補足すると、読者が感情や状況を追いやすくなる。

フェイクの有無を明示せず、核心的な悩みに絞って書くと、読者の混乱が減る。

2.感情吐露客観性バランスの欠如理由文章感情を吐き出すために書かれており、怒りや悲しみが強く伝わる一方、客観的な状況説明が少ないため、読者が全体像を把握しづらい。

夫の言動に対する「は?」という反応や「結婚したのはまずかった」などの強い表現が目立つが、なぜそう感じるのかの背景(例:夫の態度の変化、具体的な期待とのギャップ)が十分に説明されていない。

自己分析ADHD可能性など)や離婚を踏み切れない理由ペアローン)が途中に挿入されるが、深掘りがないため、読者がその重要性を理解しにくい。

例:「夫の機嫌を気にしている生活をしていて、私の感情おかしくなると思った」は強い感情だが、具体的に「どんな場面で」「どのように感情おかしくなるのか」が曖昧

同棲前の優しかった彼に戻ってほしい」は切実だが、どんな「優しさ」が失われたのか具体例がない。

改善ポイント感情を伝える際、具体的な場面やエピソードを1~2つ選び、詳細に描写する(例:「このとき夫がこう言ったから、こんな気持ちになった」)。

自己分析や背景(ADHDペアローン)を別段落で整理し、悩みの核心とどう関連するか説明する。

読者に伝えたい「主なメッセージ」(例:夫婦関係の修復を望むか、離婚を考えるか)を冒頭や結論で明確にすると、感情の重みが伝わりやすくなる。

3.文体表現曖昧理由日本語口語的な表現(「は?」「書き殴る」「多めに見てほしい」など)が多用されており、感情の生々しさは伝わるが、フォーマル文章としては読みづらい。

一文が長く、複数話題感情が1文に詰め込まれているため、読者がどこに注目すべきか混乱する。

フェイクを織り交ぜて」という前提が、読者に情報信頼性を疑わせ、深刻な悩みが軽く見えるリスクがある。

例:「この時間に家を出るのに5分くらい遅れたら、1日機嫌が悪く、どうしたと聞いても何もないというのに帰りに朝のこれが嫌で謝らないのが嫌だった言動すべてにむかつくなどと言う」は一文が長く、複数出来事遅刻→機嫌の悪さ→その理由)が混在してわかりにくい。

「話が分からいから聞きたくない」など、夫の言葉引用されているが、どんな文脈で言われたのかが不明

改善ポイント:一文を短くし、1文1アイデア意識する(例:「5分遅れたら、夫は1日不機嫌だった。理由を聞くと『謝らないのが嫌だ』と言われた」)。

口語的な表現(「は?」「書き殴る」)を減らし、ニュートラル表現(「驚いた」「率直に書いた」)に置き換えると、幅広い読者に伝わりやすい。

フェイクの有無を明示せず、悩みの本質に焦点を当てる(例:夫の批判的な態度、コミュニケーション不足など)。

4.ターゲット目的不明確さ理由文章が「誰かに見てほしい」という動機で書かれているが、具体的に「誰に」「何を伝えたいか」が曖昧愚痴を吐き出したいのか、アドバイスを求めたいのか、共感してほしいのかが不明確。

読者が「どう反応すべきか」判断しづらいため、感情的な共感や具体的な解決策を求める声に応えにくい。

例:「どこか誰かが見てくれる可能性があるところで書きたいと思った次第だ」は、書く動機漠然としており、読者に「どうしてほしいのか」が伝わりにくい。

離婚を考えつつ修復も諦めていないという葛藤が書かれているが、どちらを優先したいのか不明

改善ポイント文章の冒頭で目的を明示する(例:「夫婦関係の悩みを吐き出したい」「アドバイスがほしい」「共感してほしい」など)。

結論部分で「今後どうしたいか」「どんな助けが必要か」を具体的に書くと、読者が反応しやすくなる。

たとえば、「夫の不機嫌な態度に疲れた。どうやって関係改善できるか、または離婚の準備を始めるべきか迷っている」といった具体的な問いかけを入れる。

5. 具体例と背景の不足理由エピソードは具体的だが、それが夫婦関係のどの問題につながるのか、なぜ深刻なのかが説明不足。

夫の変化(同棲前の優しさ→現在の不機嫌)やペアローン、セックスレスの背景がほとんど触れられていないため、読者が状況を想像しにくい。

例:「映画で3時間ポップコーンを食べ続けたらおかしいと言われた」は具体的なエピソードだが、なぜそれが問題なのか(例:夫の批判日常的だから傷ついた)が不明

ペアローンで離婚に踏み切れない」は重要情報だが、ローン金額離婚時の具体的な懸念経済的負担、住居問題)が触れられていない。

改善ポイント:各エピソードに「なぜそれが問題か」「どんな影響があったか」を1~2文で補足する(例:「ポップコーンの件で批判され、いつも私の行動を否定されていると感じた」)。

背景情報を簡潔に追加する(例:「同棲前は夫が気遣ってくれたが、結婚後は不機嫌が増えた」「ペアローンは月XX万円で、離婚すると支払いが難しい」)。

深刻な問題セックスレス離婚葛藤)に焦点を絞り、詳細を補うと、読者が共感や助言をしやすくなる。

6.ADHDに関する自己言及唐突理由ADHD可能性に触れているが、それが夫婦関係問題とどう関連するのか、具体的な症状や影響が書かれていないため、読者がその重要性を理解しにくい。

自己批判(「言いたいことをすぐ言ってしまうのが問題」)が突然出てくるが、具体例や背景がないため、読者が「本当に問題か?」と疑問に思う可能性がある。

例:「Xなどでこれが当てはまるとADHDだとなるのに当てはまり」は、自己診断の可能性を示唆するが、どの特性夫婦関係に影響しているのか不明

改善ポイントADHD可能性を挙げるなら、具体的な特性(例:衝動的な発言感情コントロールが難しい)と、それが夫婦関係にどう影響しているか説明する。

例:「ADHDかもしれないと思うのは、夫の不機嫌に我慢できず、つい言い返してしまうから。後で後悔するが、コントロールが難しい」。

自己診断ではなく、専門家の診断を検討しているなら、その意向を明示する(例:「近日中心療内科に行く予定」)。

7.文化言語的な背景(日本語特有の読みづらさ)理由日本語文章として、感情的な口語表現接続詞(「で」「など」)の多用が、読み手にとって文のつながりを曖昧にしている。

日本の文化的背景(「家族相談するのは恥ずかしい」「謝らないと終わらない」など)が暗黙的に前提されているが、読者にその背景が共有されていない場合理解が難しい。

例:「結局こちから謝らないと終わらず」は、日本的な「我慢謝罪関係を維持する」文化を反映しているが、説明がないと海外の読者や若い世代には伝わりにくい。

改善ポイント文化的背景を簡潔に説明する(例:「日本では夫婦揉め事家族相談するのは抵抗があるため、誰にも話せなかった」)。

接続詞(「で」「など」)を減らし、短い文で区切る。例:「夫は私の愚痴を聞かず、逆に批判する。それが辛い」。

まとめ:わかりにくさの主な原因情報の羅列と構造の乱雑さ:エピソード感情が混在し、全体の流れが不明確。

感情客観性バランス不足:感情吐露が中心で、状況説明や背景が不足。

文体曖昧さ:長く複雑な文や口語表現が読みづらさを増す。

目的不明確さ:誰に何を伝えたいか曖昧で、読者の反応が難しい。

具体例と背景の不足:エピソード問題の深刻さが伝わりにくい。

ADHD言及唐突さ:自己診断の関連性が不明確。

文化的背景の暗黙性:日本特有価値観説明不足で伝わりにくい。

改善例(簡略化した文章)以下は、元の文章をわかりやすく整理した例です(内容は一部省略し、構造改善):「夫と私はマッチングアプリ出会い、1年交際、1年同棲を経て、結婚1年目の30代夫婦です。最近、夫の言動に悩み、誰にも相談できず苦しんでいます。以下は主な問題です。夫の批判的な態度:街で水を飲むために立ち止まると、「人に迷惑だ」と怒られる。人がいなくても批判され、気遣いがないと感じる。

仕事愚痴(例:後輩が寝ながら話を聞く)を話すと、「後輩が悪いわけじゃない」「あなたが悪いかも」と言われ、共感してもらえない。

コミュニケーション不足:私が仕事人間関係で泣きながら話しても、「愚痴は聞きたくない」と遮られる。夫の不機嫌が増え、話せない。

外食時、「早く食べろ」と急かされ、楽しく会話できない。

夫婦関係悪化:お出かけでは夫が不機嫌で携帯ばかり見る。ゆっくりお茶する時間もなく、夫婦時間ゲームだけ。

夫の理由で2年セックスレスこちから誘って今年1回できたが、関係は冷めている。

離婚葛藤:夫の態度に「結婚は失敗だった」と思うが、ペアローンで家を買ったため離婚に踏み切れない。

夫の機嫌を気にしながら生活し、感情不安定に。謝るのはいつも私で、修復も難しい。

私はXでADHD情報を見て、自分衝動的に発言してしまうのが問題かもしれないと思う。診断は受けていないが、夫の批判我慢できず言い返すことが多い。同棲前の優しかった夫に戻ってほしいが、どうすればいいかからない。共感アドバイスがほしいです。」改善ポイント(例)構造テーマごとに段落を分け、箇条書きで整理。

感情客観性:具体例に「なぜ問題か」「どんな気持ちか」を補足。

文体:短い文で簡潔に。口語表現を控えめに。

目的最後に「共感アドバイスがほしい」と明確化

背景:ペアローンやセックスレスの影響を簡潔に説明

最後あなた文章は、感情の生々しさや葛藤の深さが伝わる一方、情報が詰め込まれすぎて読み手が整理しづらい構造になっています感情を吐き出す目的で書かれたのは素晴らしい一歩です。もしこの文章を誰かに見せる(例:Xに投稿カウンセラー相談)なら、テーマを絞り、背景や目的を明確にすると、より共感や具体的な助言を得やすくなります。もし特定の部分(例:夫の言動離婚葛藤ADHD)を深掘りしたい、または文章さら推敲したい場合、教えてください。Xでの投稿例や他の人の体験談検索するお手伝いもできますあなたが少しでも心の負担を軽くできるように、応援しています

Permalink |記事への反応(0) | 05:29

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2025-09-13

軽い知的障碍を感じるんだが

からみる夫について

https://anond.hatelabo.jp/20250908173327 

 

夫どうこうの前に

おまえに何か障碍がありそうに見える。

  

・街で歩いているときに水を飲むので、半歩くらい避けて立ち止まろうとすると、後ろの人に迷惑だ、人に当たりそう(人いなくても)と言う

いきなりわかりにくい。

パッと見で水を飲んでるのがお前(妻)だとわかる人間は少ない。

  

「私から見た夫」つータイトルで始まったのに「街で歩いているときに水を飲むので、」の主語が夫でないと思う人間は少ない。

    

説明が異常に下手で、お前の文章平易なことを異様に難解に書くのに主語がない。

お前のような奴が主語を省略するのは生意気なので文でも会話でも必ず主語入れろ。

 

お前と会話してるだけで「ん?こいつ何言ってんだ?」という混乱タイムが発生するため、お前と話すことに苦痛を感じる人間はきっと多い。

     

・私が仕事愚痴(後輩に仕事教えてるとき寝ながら聞く人がいるんだ)などと言っても後輩は悪くない、家族の面倒とか見てるんじゃないか、など言ってくる

これもめちゃくちゃ読みにくい。

書き出しもわかりにくいし、カッコ内がカッコ外に混ざっている。

「私が仕事愚痴を言っても夫は同意してくれない」

をこれだけ読みにくく書くのはすごい。

   

要するにお前はただ自分が思い出す順に書いている。

「人に伝えるための再構成」という発想自体ない。

であればこれは中学生より知能や発達が遅れている。

客観的立場から軽い知的障害雰囲気を嗅いでしまう。

  

増田仕事教えてるときに後輩が寝るのは、

説明がこんな調子で頭に入らないからではないのか。

夫が妻より後輩に味方するのは、妻の問題知悉して落ち度が妻にあることを疑っているからではないのか。

  

仕事人間関係で私のメンタルにくるものがあり、泣きながらこう言うことがあって辛いといっても、仕事愚痴は聞きたくない相手にも思うところがあった、あなたが悪いかもしれないなどと言ってくる

増田のこの調子を見ていると

話にならない(客観性もない)愚痴を聞き続けるのは

夫のメンタルにとって辛いかもしれない。

 

あなたが悪いかも」は

このエントリを見ているだけの赤の他人でもほんのり感じることだ。

  

・駅の階段を昇降するとき、人より早く行って振り向きもせずに改札をでて足が遅いなどと言う

夫のその態度は優しくないが増田の歩行速度は気になる

学生時代に同年代女子より動作が遅かったことなどはないか

  

仕事場の雰囲気が悪いと愚痴られたとき自分から雰囲気良くしなよと言っても、分かってないとだけ言う

自分も夫の愚痴を聞いて労わず

逆に夫の課題を指摘している

 

自分がそういう対応をされたことは真っ先に書くぐらい不満なのに

自分が同じことをやってることに自覚もなく、

書きかた的にどうも嫌がらせ意趣返しなどでもなさそう。

  

これも相当客観性が低く、

やはり知能や発達の問題ほのかに感じてしまう。

  

・この時間に家を出るのに5分くらい遅れたら、1日機嫌が悪く、どうしたと聞いても何もないというのに帰りに朝のこれが嫌で謝らないのが嫌だった言動すべてにむかつくなどと言う

・お店のお会計についてこずお店の外で待つ

お前がおかしいとして夫もおかし可能性は排除しない。

そもそも俺ならお前と結婚しない……。

お前と結婚する時点で夫もなんか障碍ありそう。

映画で3時間ポップコーンを食べ続けたらおかしいと言われた

どういう状況かわからない。

映画館で3時間以上の上映ってそんなになくね?

七人の侍リバイバル上映でもしてたのか?

ポップコーンは何個も持ち込んでたのか?

 

お前の話は全部この調子

「読み終えたら内容はまあわかるがなんでこんな書き方する?」か

「状況がわからん必要情報足りなすぎる」か

どっちかしかない。

小さい子供のおしゃべりによく似ている。

 

・話が分からいから聞きたくないなど言われる

見ず知らずの俺ですらちょっとお前の書いたもん読んだだけで夫に同感なんだが……

 

外食したとき喋らないで早く食べろと言う

これも程度がわからん(のに書いてない)

お前の食う速度はどれぐらいなんだ?

れいに食えてるか?

雑談クオリティは?

 

いままで生活していくうちに、は?となることが増え、普通の考えや言動からずれており結婚したのはまずかったなと思うようになった。

お前の結婚がお前にとって失敗だったのは間違いないし

夫の立場でも結婚は失敗だったと思う。

  

私は私でよくXなどでこれが当てはまるとADHDだとなるのに当てはまり、言いたいことをすぐ言ってしまうのが問題だとは思っている。

やっぱりなって感じだが

そういうネットの変なのじゃなくてきちんとしたところで診察を受けるべき

発達障害・軽度知的障害、全部視野に入れて調べてもらえ

 

離婚に踏み切れない理由としては家をペアローンで買ってしまったので、離婚に踏み切れない。

この短い間にすら同じことが二回でてくる文章

全編にわたってこのクオリティなので確実にお前は頭があんまりよくない。

意地悪や侮辱で言ってるんではなくて、自分の弱点は自覚した方が生きやすい。

 

ここで聞きたいのはお前は夫以外の人間イラつかせることがちょくちょくあるんじゃないか?だが。

異性の友人同性の友人どれぐらいいる?

  

お出かけをすると必ずイライラし、ショッピングしようものなら不機嫌でずっと携帯を触るので、用事が終わったらゆっくりお茶などはできないし、夫婦時間は一緒にゲームをするくらいだ。

ちなみに夫理由で2年ほどセックスレスだ。

今年に入って、こちから誘い1回できたくらい。

機嫌良くいたいのに、夫の機嫌を気にしている生活をしていて、私の感情おかしくなると思ったので、どこか誰かが見てくれる可能性があるところで書きたいと思った次第だ。

結婚した以上夫のその態度はよくないし

お前の状況は気の毒だと思う。

 

俺はお前に絶対なんかありそうだと感じるけど

夫はお前のそういう特性を多少なり知りながら結婚して

やっぱり耐えられませんでしたは無責任だしアホだよな。

夫もなんか障碍ありそう。

 

これから修復もしづらいが、結局こちから謝らないと終わらず、何もしたくない。同棲前の優しかった彼に戻ってほしいと願うばかり

それは無理だよ。

バカ言ってねえで別れろ。

ペアローンくらい整理できるよ。

 

あと家族や友人に「私に何か障碍を感じることあるか」と聞け

評判のいい医者行って検査してもらえ

もしなんか出たらはっきり「障碍者です」て名乗りで

自分努力しつつ覚悟のある夫をつかまえろ

Permalink |記事への反応(23) | 11:01

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2025-09-12

三大見下し対象

・肩掛けバッグの長さが異常なやつ

機能性も悪ければ見た目も悪い。客観性のなさが人生の冴えなさを象徴してる

海外経験がないやつ

まともな人間関係をしてれば一度は行く機会があるから

あと一つは?

Permalink |記事への反応(3) | 19:12

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2025-09-07

anond:20250905054532

私の世界は、丁寧に、そう、まるで細胞の一つ一つにまで神経を行き届かせるようにして磨き上げられた、半径およそ十メートルほどのガラスの球体であり、その球体の中心には、世界のすべてであり、法であり、そして揺るがぬ神であるところの、生後六ヶ月の息子、光(ひかる)が、ただ健やかな呼吸を繰り返している。その完璧な球体を維持すること、それこそが水無月瑠璃(みなづき るり)、すなわち三十一歳の私に与えられた唯一にして絶対の使命であったから、私は今日もまた、タワーマンション二十八階、陽光白磁の床にまで染み渡るこのリビングダイニングで、目に見えぬ埃の粒子と、あるいは時間という名の緩慢な侵食者と、孤独な、そして終わりなき闘争を繰り広げているのであった。北欧から取り寄せたというアッシュ材のテーブルの上には、一輪挿しに活けられたベビーブレスの、その小さな白い花弁の影さえもが、計算され尽くした角度で落ちており、空気清浄機は森の朝露にも似た清浄さを、ほとんど聴こえないほどの羽音で吐き出し続け、湿度計のデジタル表示は、小児科医が推奨する理想の数値、六十パーセントを寸分違わず指し示しているのだから、およそこの空間に、瑕疵という概念の入り込む余地など、どこにもありはしなかった。かつて、外資系コンサルティング会社で、何億という数字が乱れ飛ぶ会議室の冷たい緊張感を、まるで上質なボルドーワインでも嗜むかのように愉しんでいた私自身の面影は、今やこの磨き上げられたガラス窓に映る、授乳のために少し緩んだコットンのワンピースを着た女の、そのどこか現実感を欠いた表情の奥に、陽炎のように揺らめいては消えるばかりであった。

思考は、そう、私の思考と呼んで差し支えるならば、それは常にマルチタスクで稼働する最新鋭のサーバーのように、光の生存に関わる無数のパラメータによって占有され続けている。次の授乳まであと一時間二十三分、その間に終わらせるべきは、オーガニックコットンでできた彼の肌着の煮沸消毒と、裏ごししたカボチャペーストを、一食分ずつ小分けにして冷凍する作業であり、それらが完了した暁には、寝室のベビーベッドのシーツに、もしかしたら付着しているかもしれない、私たち世界の外部から侵入した未知のウイルスを、九十九・九パーセント除菌するというスプレー浄化せねばならず、ああ、そういえば、昨夜翔太が帰宅時に持ち込んだコートに付着していたであろう、あの忌まわしい杉花粉の飛散経路を予測し、その残滓を、吸引力の変わらないただ一つの掃除機で完全に除去するというミッションも残っていた。これらすべては、愛という、あまり曖昧情緒的な言葉で語られるべきものではなく、むしろ生命維持という厳格なプロジェクト遂行するための、冷徹なまでのロジスティクスであり、私はそのプロジェクトの、唯一無二のマネージャーであり、同時に、最も忠実な実行部隊でもあった。誰がこの任務を私に課したのか、神か、あるいは生物としての本能か、はたまた「母親」という名の、社会発明した巧妙な呪縛か、そんな哲学的な問いを発する暇さえ、このシステムは私に与えてはくれなかった。

である翔太は、疑いようもなく、善良な市民であり、そして巷間(こうかん)で言うところの「理想の夫」という、ほとんど神話上の生き物に分類されるべき存在であった。彼は激務の合間を縫って定時に帰宅すると、疲れた顔も見せずに「ただいま、瑠璃。光は良い子にしてたかい?」と、その蜂蜜を溶かしたような優しい声で言い、ネクタイを緩めるその手で、しかし真っ先に光の小さな体を抱き上げ、その薔薇色の頬に、まるで聖遺物にでも触れるかのように、そっと己の頬を寄せるのだ。週末になれば、彼はキッチンで腕を振るい、トマトニンニク匂いを部屋中に漂わせながら、私や、まだ食べることもできぬ光のために、絶品のペペロンチーノカルボナーラを作り、その姿は、まるで育児雑誌グラビアから抜け出してきたかのように、完璧で、模範的で、そして、どこか非現実的ですらあった。誰もが羨むだろう、この絵に描いたような幸福風景を。友人たちは、私のSNS投稿される、翔太が光をあやす姿や、手作り離乳食が並んだテーブル写真に、「理想家族!」「素敵な旦那様!」という、判で押したような賞賛コメントを、まるで祈り言葉のように書き連ねていく。そう、すべては完璧なのだ完璧なはずなのだ。このガラスの球体の内部では、愛と平和と秩序が、まるで美しい三重奏を奏でているはずなのだ

――だというのに。

夜、ようやく光が天使のような寝息を立て始め、この世界のすべてが静寂という名の薄い膜に覆われた頃、ソファで隣に座った翔太が、労わるように、本当に、ただ純粋愛情と労いだけを込めて、私の肩にそっと手を置く、ただそれだけの、あまりにも些細で、そして無垢行為が、私の皮膚の表面から、まるで冷たい電流のようにして内側へと侵入し、脊髄を駆け上り、全身の毛穴という毛穴を、一斉に収縮させるのである。ぞわり、と。それは、神聖な祭壇に、土足で踏み込まれときのような、冒涜的な不快感であった。あるいは、無菌室で培養されている貴重な細胞のシャーレに、誰かが無頓着なため息を吹きかけたときのような、取り返しのつかない汚染への恐怖であった。彼の指が触れた肩の布地が、まるで硫酸でもかけられたかのように、じりじりと灼けるような錯覚さえ覚える。私は息を止め、この身体が、この「水無月瑠璃」という名の、光のための生命維持装置が、彼の接触を、システムに対する重大なエラー、あるいは外部からハッキング行為として認識し、全身全霊で拒絶反応を示しているのを、ただ呆然と、そして客観的に観察していた。

「疲れてるだろ。いつも、ありがとう

翔太の声は、変わらず優しい。その瞳の奥には、かつて私が愛してやまなかった、穏やかで、そして少しだけ湿り気を帯びた、雄としての光が揺らめいているのが見える。それは、私を妻として、女として求める光であり、かつては、その光に見つめられるだけで、私の身体の中心が、熟れた果実のようにじゅくりと熱を持ったものだった。だというのに、今の私には、その光が、聖域である保育器を、ぬらりとした舌なめずりをしながら覗き込む、下卑た欲望眼差ししか見えないのだ。許せない、という感情が、胃の腑のあたりからせり上がってくる。この、二十四時間三百六十五日、寸分の狂いもなく稼働し続けている精密機械に対して、子を産み、育て、守るという、この宇宙的な使命を帯びた聖母に対して、己の肉欲を、その獣のような本能を、無邪気に、そして無自覚にぶつけてくるこの男の、そのあまりの鈍感さが、許せないのである

ケダモノ

その言葉が、私の内で、教会の鐘のように、低く、重く、そして厳かに反響する。そうだ、この男はケダモノなのだ。私がこの清浄な球体の秩序を維持するために、どれほどの精神を、どれほどの時間を、どれほどの自己犠牲にしているのか、そのことを何一つ理解しようともせず、ただ己の種をばら撒きたいという原始の欲動に突き動かされているだけの、ただのケダモノなのだ

そんなはずはない、と、脳のどこか、まだかろうじて「かつての私」の残滓が残っている領域が、か細い声で反論を試みる。これは翔太だ、私が愛した男だ。雨の匂いが充満する安ホテルの、軋むベッドの上で、互いの名前を喘ぎ声で呼び合いながら、世界の終わりが来るかのように貪り合った、あの夜の彼なのだパリへの出張中、セーヌ川ほとりで、どちらからともなく互いの唇を求め、道行く人々の冷ややかな視線さえもが、私たちのためのスポットライトのように感じられた、あの瞬間の彼なのだ結婚記念日に、彼が予約してくれたレストランの、そのテーブルの下で、こっそりと私のスカートの中に忍び込んできた、あの悪戯っぽい指の持ち主なのだ。あの頃、私たちは互いの肉体という言語を、まるで母国語のように自在に操り、その対話の中に、世界のどんな哲学者も語り得ないほどの、深遠な真理と歓びを見出していたはずではなかったか。あの燃えるような記憶は、情熱の残骸は、一体どこへ消えてしまったというのだろう。それはまるで、昨夜見た夢の断片のように、あまりにも色鮮やかで、それでいて、掴もうとすると指の間から霧のように消えてしまう、遠い、遠い銀河の光なのである

瑠璃…?」

私の沈黙を訝しんだ翔太が、私の顔を覗き込む。私は、まるで能面のような無表情を顔面に貼り付けたまま、ゆっくりと彼の手を、自分の肩から、まるで汚物でも払いのけるかのように、そっと、しかし断固として取り除いた。そして、立ち上がる。

「ごめんなさい。少し、疲れたみたい。光の様子を見てくるわ」

それは、完璧な嘘であり、そして、完璧真実でもあった。私は疲れていた。だがそれは、育児という名の肉体労働に疲れているのではなかった。私という個人が、水無月瑠璃という一個の人格が、「母親」という名の巨大なシステムに呑み込まれ、その歯車の一つとして摩耗していく、その存在論的な疲弊に、もう耐えられなくなりつつあったのだ。これは、巷で囁かれる「産後クライシス」だとか、「ホルモンバランスの乱れ」だとか、そういった便利な言葉で容易に片付けられてしまうような、表層的な現象ではない。違う、断じて違う。これは、一個の人間が、その魂の主導権を、自らが産み落とした別の生命体に完全に明け渡し、「装置」へと、あるいは「白き機械」へと、静かに、そして不可逆的に変質していく過程で生じる、存在のものの軋みなのである

聖母、とはよく言ったものだ。人々は、母という存在を、無償の愛と自己犠牲象徴として、何の疑いもなく神格化する。だが、その実態はどうか。自己を失い、思考も、肉体も、感情さえもが、すべて「子」という絶対的な存在奉仕するためだけに再構築された、ただのシステムではないか。私は聖母などではない。私は、高性能な乳製造機であり、汚物処理機であり、そして最適な環境提供する空調設備が一体となった、ただの生命維持装置に過ぎないのだ。この気づきは、甘美な自己陶酔を許さない、あまりにも冷徹で、そして絶望的な真実であった。そして、この真実を共有できる人間は、この世界のどこにもいやしない。翔太のあの無垢な優しさでさえ、結局は、この優秀な装置が、明日も滞りなく稼働し続けるための、定期的なメンテナンス作業しか見えないのだから、その孤独は、宇宙空間にたった一人で放り出された飛行士のそれに似て、どこまでも深く、そして底なしであった。友人たちがSNS投稿する「#育児は大変だけど幸せ」という呪文めいたハッシュタグは、もはや、この巨大なシステムの異常性に気づいてしまった者たちを、再び安らかな眠りへと誘うための、集団的自己欺瞞儀式しか思えなかった。

寝室に入ると、ベビーベッドの中の光は、小さな胸を穏やかに上下させながら、深い眠りの海を漂っていた。その無防備な寝顔は、確かに、この世のどんな芸術品よりも美しく、尊い。この小さな生命を守るためならば、私は喜んで我が身を投げ出すだろう。だが、それは、この身が「私」のものであった頃の話だ。今の私にとって、この感情は、プログラムに組み込まれ命令遂行しているに過ぎないのではないか。愛でさえもが、システムを円滑に稼働させるための、潤滑油のような機能に成り下がってしまったのではないか。そんな疑念が、毒のように心を蝕んでいく。

私は、息子の傍らを離れ、再びリビングへと戻った。翔太は、ソファの上で、テレビの光をぼんやりと浴びながら、所在なげにスマートフォンをいじっている。その背中は、拒絶された雄の、どうしようもない寂しさを物語っていた。かつての私なら、きっと背後からそっと抱きしめ、「ごめんね」と囁いて、彼の寂しさを溶かしてやることができただろう。しかし、今の私には、もはやそのための機能が、インストールされていないのである

私は、彼に気づかれぬよう、書斎として使っている小さな部屋に滑り込んだ。そして、ノートパソコンの冷たい天板に触れる。ひやりとした感触が、指先から伝わり、かろうじて、私がまだ血の通った人間であることを思い出させてくれるようだった。スクリーンを開くと、真っ白な光が、闇に慣れた私の網膜を焼いた。カーソルが、無人荒野で、点滅を繰り返している。何を、書くというのか。誰に、伝えるというのか。この、言葉にもならぬ、システムの内部で発生したエラー報告を。この、機械の内部から聞こえてくる、魂の悲鳴を。

それでも、私は指を動かした。これは、誰かに読ませるためのものではない。これは、祈りでもなければ、懺悔でもない。これは、私という名の機械が、自らの異常を検知し、その原因を究明し、あるいは再生可能性を探るために、己の内部へとメスを入れる、冷徹自己解剖の記録なのだ

真っ白な画面に、私は、震える指で、最初言葉を打ち込んだ。

『これは、私という名の機械が、自己を観察し、分解し、あるいは再生を試みるための、極秘の設計図である

その一文を打ち終えた瞬間、私の内側で、何かが、硬い音を立てて、砕けたような気がした。それが希望の萌芽であったのか、それとも、完全なる崩壊への序曲であったのか、その時の私には、まだ知る由もなかったのである。ただ、窓の外で、東京夜景が、まるで巨大な電子回路のように、無機質で、そして美しい光を、果てしなく明滅させているのが見えた。私もまた、あの無数の光の一つに過ぎないのだと、そう、思った。

自己機械定義たからには、次なる工程は当然、その性能向上のための最適化、あるいは、旧弊OSから脱却するための、大胆にして静かなるアップデート作業へと移行せねばならぬのが、論理的な、そして必然的帰結であった。そう、これは革命なのだと、私は深夜の書斎で、青白いスクリーンの光に顔を照らされながら、ほとんど恍惚とさえいえる表情で、そう結論付けたのであった。かつてロベスピエールが、腐敗した王政ギロチン台へと送り、新しい共和制の礎を築かんとしたように、私もまた、この「母親という名の献身」や「夫婦の情愛」といった、あまりにも情緒的で、非効率で、そして実態としては女の無償労働を美化するだけの前時代的な概念を、一度完全に解体し、再構築する必要があったのだ。そのための武器は、かつて私が外資系コンサルティングファームで、幾千もの企業相手に振り回してきた、あの冷徹ロジックと、容赦なき客観性という名のメスに他ならない。愛という名の曖昧模糊とした霧を晴らし、我が家という名の王国を、データタスクリストに基づいた、明晰なる統治下に置くこと、それこそが、この「水無月瑠璃」という名の機械が、オーバーヒートによる機能停止を免れ、なおかつ、その内部に巣食う虚無という名のバグ駆除するための、唯一の処方箋であると、私は確信していたのである

かくして、週末の朝、光が心地よい午睡に落ちた、その奇跡のような静寂の瞬間に、私は翔太をダイニングテーブルへと厳かに召喚した。彼の前には、焼きたてのクロワッサンと、アラビカ種の豆を丁寧にハンドドリップで淹れたコーヒー、そして、私が昨夜、寝る間も惜しんで作成した、全十二ページに及ぶパワーポイント資料印刷したものが、三点セットで恭しく置かれている。資料の表紙には、ゴシック体の太字で、こう記されていた。『家庭内オペレーション最適化計画書 Ver. 1.0 〜共同経営責任者(Co-CEO体制への移行による、サステナブル家族経営の実現に向けて〜』。翔太は、そのあまりにも場違いタイトルを、まるで理解不能な古代文字でも解読するかのように、眉間に深い皺を刻んで見つめた後、恐る恐る、といった風情で私に視線を向けた。その瞳は、嵐の前の静けさにおびえる子犬のように、不安げに揺れている。まあ、無理もないことだろう。彼にしてみれば、愛する妻が、突如として冷酷な経営コンサルタントに豹変し、家庭という名の聖域に、KPIだのPDCAサイクルだのといった、無粋極まりないビジネス用語を持ち込もうとしているのだから

瑠璃、これは…一体…?」

説明するわ、翔太。よく聞いて。これは、私たち家族が、これから幸せに、そして機能的に存続していくための、新しい聖書バイブル)よ」

私は、そこから淀みなく、プレゼンテーションを開始した。現状分析As-Is)、あるべき姿(To-Be)、そのギャップを埋めるための具体的なアクションプラン家事という、これまで「名もなき家事」という名の混沌の海に漂っていた無数のタスクは、すべて洗い出され、「育児関連」「清掃関連」「食料調達調理関連」「その他(消耗品管理資産管理等)」といったカテゴリーに分類され、それぞれに担当者と所要時間、そして実行頻度が、美しいガントチャート形式可視化されている。例えば、「朝食後の食器洗浄」は、担当:翔太、所要時間:十五分、頻度:毎日、といった具合に。さらに、月に一度、近所のカフェで「夫婦経営会議」を開催し、月次の進捗確認と、翌月の計画策定を行うこと、日々の細かな情報共有は、専用のチャットアプリで行うこと、そして何よりも重要なのは、これまで私一人が暗黙のうちに担ってきた「家庭運営の全体を俯瞰し、次の一手を考える」という、いわば管理職としての役割を、これからは二人で分担する、すなわち、彼にもまた、単なる作業員(ワーカー)ではなく、主体的思考する共同経営責任者(Co-CEO)としての自覚と行動を求める、ということ。私の説明は、かつてクライアント企業役員たちを唸らせた時のように、理路整然としており、反論余地など微塵もなかった。翔太は、ただ呆然と、私の言葉の奔流に身を任せるしかなく、すべての説明が終わった時、彼はまるで催眠術にでもかかったかのように、こくり、と小さく頷いたのであった。

「…わかった。瑠璃が、そこまで追い詰められていたなんて、気づかなくて、ごめん。僕も、頑張るよ。君を、一人にはしない」

その言葉は、疑いようもなく誠実で、彼の優しさが滲み出ていた。私は、その瞬間、胸の奥に、ちくり、と小さな痛みを感じたのを覚えている。違う、そうじゃないの、翔太。私が求めているのは、あなたのその「頑張るよ」という、まるで部下が上司に忠誠を誓うような言葉ではない。私が欲しいのは、私がこの計画書を作る必要すらないほどに、あなたが私の脳と、私の視界と、私の不安を共有してくれるPermalink |記事への反応(0) | 05:15

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2025-09-04

わたしのこれまでのTwitterでの経験をまとめたい

そろそろTwitterをやめてから1年経つ。

中学から大学まで続けたTwitterライフで何があったか忘れてしまう気がしたので、まとめてみたいと思う。



高校生の頃、私の思想Twitter形成された、と自負していた。

実際それは事実だったし、中高でフェミニズムアンチフェミニズムをはじめとしたTwitter上での論争に片足を突っ込んでいたから、世界論理でできており、わたしTwitterでそれを学んだ、と思っていた。

そういう意味で、Twitterインターネットの中でも特段素晴らしいものだとさえ感じていた。

今考えてみれば恥ずかしい限りだが、「考えることを始めた」という意味では無駄ではなかったんじゃないかと思う。

世界には正しい論理存在していて人間はそれを理解できるんだから、懇切丁寧に敵意なんかなしに相手説明すればたいていのことは分かってくれるものだと、あるいは私自身が間違っていたことに気が付いて考えを改めるものだと当時は考えていた。

(だって自分がこんなにも正しいと思えるんだから)

だんだんこれは違うぞ、と思い出したのは、実際に議論するためのアカウントを作っていろいろな人に"対話"(という名の反対意見引用リツイート)を吹っ掛け始めてからだった。

わたしがこう説明すればきっと理解してもらえる、と思っていた相手はどんなに説明しても一向に理解してくれないし、かといって私が間違っているとも思えなかった。

だんだん相手に対する憎悪があふれ、むきになって気づけば当時自分が忌み嫌っていた"レスバ"をやっている自分に気づいた。それでも私は相手との相互理解可能性を捨てきれずに、"対話"を持ち掛けていた。

最後きっかけになったのは、生成AI議論だった。倫理権利議論でありながら、科学的な側面や歴史的な側面も持っている、という点で私にとってとても興味深い話題で、専用のタイムラインを作って議論を追っていた。

そこで、明らかに事実ベースで間違っている(少なくとも当時私がそう思った)投稿を見つけた。

その界隈には意図的デマ情報を流してあおるようなアカウントは数えきれないほどいたので最初はそのたぐいかと思ったが、どうもそうではないような気がしたのでいつものように"対話"を持ち掛けた。

幸いにも("対話"は基本的には無視されることが常だった)、そのアカウント反論を返してくれた。でも議論が始まってすぐ、これまでとは明らかに異なる異質な手触りがあった。わたし根拠となる記事提示しながら反論しても、それをちゃんと読んだうえで全く違う解釈をぶつけてくる。

明らかにそんなことは言ってないのに、それを本心から信じているように送ってくるその相手に、なんだか薄気味悪いものを覚えた。

いや、確かにTwitterには自分だけの世界を作っている対話不可能な連中がいることはよく知っていたが、彼らが使う独特な文章論理の癖も雰囲気は知っていると思っていたし、そのアカウントはそういった手合いとはまったく違っていた。論理比較的明瞭で口調は冷静。まったく普通相手なのに物事解釈がまるで異世界にいるような感覚に、だんだん相手おかしいのか自分おかしいのかわからなくなっていった。

最終的に相手から自分が「意図的デマ情報を流してあおるようなアカウント」とみなされてそこで話は終わった。

からうすうす気づいてはいものの、そこでようやく人と人とが相互理解すること、意見をすり合わせて正しいことを構築することがどんなに難しいか、というのが身に染みてわかった。

今思えば、あのアカウントは表面的にまともに見えるだけでほんとうは「意図的デマ情報を流してあおるようなアカウント」だったのかもしれないし、

そうでなくてもTwitter上で"対話"をすることなんて無理に等しいだろう、と言わざるを得ないが、それでも当時の自分にショックを与えるには十分だった。

相互理解ができない、というのは私にとって非常にまずい話だったからだ。

人と人とが話し合って正しいことが見つけられないのだとしたら、いったい何が正しいことだといえるだろうか?

自分がただ正しいと"勘違い"しているだけではないか

対話不可能なのだとすると、私の中の正しさ、もっといえば「論理事態に対する信頼が揺らいでしまう。

結局私は、そこで初めて論理が正しく世界記述できるという幻想を疑わざるを得なかった。



わたしはそのまま流れるように議論に使っていたアカウント(メインアカウントに飛び火しないようにアカウントを分けていた)を削除し、メインアカウントでもそういった話題を避けるようになった。

論理が疑わしくなった代わりに、より感覚的なものに目を向けるようになった。これまでならただ見過ごしていたような絵の魅力を少しずつ感じられるようになっていった。

文章でも、日常の中で見つけた鋭い感性的なツイートをよく見るようになった。そういったツイートは端的に言って、ほんとうにいいものだと感じた。

理由は変われど、いまだTwitterは素晴らしい場所だという観念は変わっていなかった。

そういったものを通じてなんだか自分感性も少し研ぎ澄まされたような気がしたし、今度こそ感覚的な物事のなかを探求していくことによって本当の真実を見つけられるような気がしていた。

自分Twitter依存していないか、と気が付いたのはそんな時だった。

いくらTwitterに素晴らしいものがあったとして、それはどうタイムラインを構築しても一握りに過ぎなかった。

スクロールで流れていく膨大な情報。それに危険なほどの依存性があるとはそれまで思ってもみなかった。

きっかけはYouTube Shortsだった。さすがにわかやすすぎるほどの依存を作り出す構造

当時身の回りの誰もがそれを批判していたし、実際に自分もそれに飲み込まれそうになって辞めたという経験もあった。

しかしShortsと本質的には同じ構造をもったものを、私は何年も使い続けてはいなかったか?そうして初めて、多い日は一日数時間Twitterに費やしていた自分を見つけた。

これまでTwitterを"使っていた"と思っていたのが実は"使われていた"のだという風にしか見えなくなった。

Twitter上に存在する"いいもの"と、その危険性を天秤にかけて、結局私は後者を選んだ。



今考えてみれば、Twitter上の"いいもの"だって誰かが感じたことを文章にしたもので、結局は記号のやり取りでしかない。

一人一人の真実は違うのに他人に答えを求めること自体が愚かしいし、結局は"客観性"の幻にとらわれて記号ゲームに明け暮れていただけで現実自分の感じ方とか言語を超えた実際の感覚といったものが丸ごと見えていなかった。

"対話"の失敗だって本質的にはそれが原因だったのに、私は結局何も学んでいなかった。

でも、今も本当はそうなのかもしれない、とも思う。

こうしてここにこんな文章を書いているのだし、依存が、時間が奪われることが嫌でTwitterをやめたのに、結局はできた時間を全く有効に使うことなどできず、

YouTubeをはじめ一部の(しょうもないタイプの)ゲームなど簡単にできる時間の捨て方を新しく見つけては危機感を感じてやめる、ということを繰り返してしまっている。

たこ一年間でTwitterさらなる改悪に向かっているらしい、という噂も聞く。

私が辞める前から富豪による買収で金銭目的ゴミのようなアカウントが大量に生まれるようになったり、攻撃的な話題ばかり増えているように感じていたが、それがさらに深刻になっているらしい。

変わっていくTwitterしり目に、結局私がTwitterで得たものは何だったんだろうかと時たま考えたくなってしまう。

Permalink |記事への反応(0) | 11:15

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2025-08-31

虚言癖増田の虚言はどういうところから始まるのかという話

https://anond.hatelabo.jp/20250830203638

https://anond.hatelabo.jp/20250830123351

典型的な「俺って文章上手いよな」と勘違いしてるタイプ人間が書く文章だ。 

表現や話の味付けを濃くすればウケると思ってる。

はてなブックマークバカ舌とバカ記憶集団だし、なんだかんだ個人体験大好物から、この人が自分体験コテコテの味付けで提供できる間はうまくいくだろう。

しかしそれらはすぐネタ切れする。そして、その濃い味付けも覚えられるとすぐ飽きるので、それ以降は半年に1度くらいしかヒットしなくなる。

そしてこの手のバカは何回かヒットすると「俺って才能ある?」って勘違いしてヒットしなくなっても同じような文章を量産する傾向が強い。

このタイプ増田は大半が虚言癖に陥る(確率でいうと70%)

このタイプは途中からはウケを狙って虚言癖になってしまう傾向が非常に高い。

承認欲求を満たしたいのにネタはすぐ切れてしまい、残った武器が話を盛ることしかいからだ。

文章から正確な表現へのこだわりのなさや倫理観のなさがにじみ出ており、話を盛ることをヨシとしている以上、行き着く先は固定化される。

増田を使って承認欲求を満たすはずだったのに、いつのまにか増田奴隷と化し、結果としてトータルで損をするのだ。

本人だってそうなりたくはないだろうが、これは避けられない未来だ。 悔しいだろうが仕方がないんだ。

もうこの手の「軽い気持ちで書いた盛った話がバズったこから虚言癖に陥る増田」は何回も見た。

これ自体を見飽きた。 

虚言癖の第一歩は「大事なところほど具体的な事実を話すべきなのに感情表現ごまかそうとする」ところから始まる

あなた文章が信用されず、「話を盛ってる」「具体性がない」「信用できない」といった印象を与えてしまう原因は、主に3つ考えられます

1.感情的表現が多すぎる

この文章では、「怒りが爆発した」「頭を抱えていた」「苦しくなった」「肝が冷える」といった感情的言葉が頻繁に使われています。また、「マックに入ったら油の空気毛穴がブワーッと開く」「シャトレーゼに入ったら吐き気がしてほうほうの体で出るしかない」といった極端な表現も目立ちます

これらの表現は、まるでフィクション登場人物セリフのように聞こえ、読者はあなた体験談を客観的事実ではなく、感情に任せた語りとして受け取ってしまます

改善点:感情言葉表現するのではなく、具体的な事実淡々と述べることで、かえって説得力が増します。

例:

改善前: 「マックに入ったら油の空気毛穴がブワーッと開いて食欲どころじゃない。そこに一瞬でも居たくないという感情しかわかない。」  → 改善後: 「以前は気にならなかったファストフード店の油の匂いが、今では強く感じられ、食欲が湧きません。外食への抵抗感が強くなりました。」

2.客観的データが不足している

体重の推移や食事内容について、「〜くらいだったと思う」「〜だったかな」「〜してた気がする」といった曖昧表現が多く使われています

これは、あなたが実際に記録をつけていなかったことが原因かもしれませんが、読者にとっては信憑性を欠く要素となります

また、他人食生活社会全体に対する「エコーチェンバーが極まってる」「世界ってそんなもん?」といった決めつけも、あなたの考えが主観的ものであり、客観性に欠けるという印象を与えます

改善点:

日記アプリで記録した客観的な数値を積極的に盛り込みましょう。また、他者社会全体を批判するような言葉を避け、自分体験に焦点を当てることで、より信頼性が高まります

例:

改善前: 「半年経って気付いたら65kgくらいだったかな。」  →改善後: 「ダイエット開始から半年後、体重計に乗ってみると65kgになっていました。」

改善前: 「世の中の食生活は狂ってると思うよ。エコーチェンバーが極まってる。」→改善後: 「健康的な食生活を続けるうちに、以前の自分食生活いかに偏っていたか、改めて気づかされました。」

3.他者を見下すような姿勢が感じられる

「働くようになって職場の人らの食事をチラチラ見ている」「正社員仕事バリバリできる人がカップラーメン啜ってるの見た時はなんかショックだった」「俺の方が全然マシな生活してると思う」といった表現は、健康的な食生活を送っていない人々を見下しているように聞こえます

読者は自分も同じように見られているのではないか、と不快感を抱く可能性がありますあなた成功体験は素晴らしいものですが、それを他者との比較優越感の根拠に使うべきではありません。

改善点:自分体験を語る際、他者との比較批判をしないように心がけましょう。自分の変化を純粋に喜び、その気づきを共有する姿勢が大切です。

例:改善前: 「正直、会食で連日外食して酒飲んでる役員の人らより俺の方が全然マシな生活してると思う。」 → 改善後: 「健康的な食生活を続けることで、以前より体調が良くなり、心身ともに充実した日々を送っています。」

まとめ

あなた文章は、ダイエットを通じて価値観が大きく変わったという、非常に興味深い体験を語っていますしかし、その感動を伝えようとするあまり感情的表現主観的な決めつけが多くなり、結果として「信用できない」という印象を与えてしまっています

改善ポイントは、客観的事実に基づき、冷静に語ることです。

感情的言葉を減らし、具体的な数値や事実を盛り込み、他者批判することなく、純粋あなたの変化を語ることで、文章はより説得力を持ち、読み手の心に響くものになるはずです

Permalink |記事への反応(1) | 08:35

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2025-08-26

anond:20250826120338

その損してるかどうかはお前の好みでしかないのに

一見、なんか客観性のある評価みたいに装う卑劣自覚できるとイイネ

Permalink |記事への反応(0) | 12:06

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2025-08-24

anond:20250824102958

そもそも主観評価の話であって

客観性なんて言い出すのが筋違いでは?

Permalink |記事への反応(0) | 21:24

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2025-08-22

『彼は友達』って漫画主人公許されるの?

https://comic-days.com/episode/2550912965303326240

 

「男女関係が嫌だから避けてます」ってきちんと説明してるイケメン

自分はそういうのじゃない、友達になりたい」つって信用を得たのに

直後にそういうのになってるのはさすがに騙してると言っていいし大分不誠実なのでは?

  

少なくともこれ男女逆だったら許されないと言うか

男女論界隈やフェミニズム女性達に炎上させられてると思う

信頼を踏みにじってナアナアごまかす男のロールモデル少年読者に学ばせてしまう~とかなんとか

 

「ぬいペニ」は勝手相手ぬいぐるみ扱いして騙されたとか言う失礼な概念だったけど

これはきっちり「自分に下心はない」って言ってガード解いておいて下心あるんだから明確な騙し討ちだろ

なんなのこのトロイまんこ

  

 

それでまあ自分漫画読み手としては心広くありたいか

落ち度のある主人公過ちのある主人公をそれだけで拒絶はしないんだけど

この主人公はそういう自分卑劣さに向き合わずになんか小動物とか子供みたいなムーブ

「いっぱいいっぱいなんです!」って感じで押しきろうとしてるのが好かん

 

客観性も高い知能もある女が

ちゃんと嘘ついてる罪の意識持ちながらそれでも狙っていく

みたいな話なら面白いけどこの主人公はなんかはっ倒したくなるな

女子いじめが発生するとき空気ってこんなか?

変な学びを得たわ

Permalink |記事への反応(2) | 23:30

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2025-08-19

結局、力がないと戦争止められないんよな

お前らが関心持ってるウクライナロシア戦争も結局のところ日本は何も出来ず見てるだけ

戦争を止めようとしてるのはお前らが嫌いなアメリカトランプ政権

これが世界不都合な真実なんだよ

もし、本当に世界平和をもたらしたいなら、かえって大きな争いに食い込めるだけの力が必要なんだよな

日本憲法はむしろそれを邪魔してる存在しかない

影響力が小さくなれば、世界の大きな争いにいつか飲み込まれ

世界の大きな争いに飲み込まれ経験があるのに、反省なく平和アメリカに頼ってるの合理性客観性もなくて笑けてくる

Permalink |記事への反応(0) | 22:14

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2025-08-10

4o騒動(詳細版)anond:20250810001443

元増田さんとは違うけど、元記事が雑だなあと思ったので色々追加してまとめた。

 

生成AIユーザーにどれくらい寄り添うかは以前より問題だった。

  • 過去のChatGPTは、anthropicなどの生成AIに比べると回答がそっけなく不満を持つ人が多かった。
  • OpenAI修正を行い、GPT-4oではユーザーに寄り添った回答をする傾向が強くなった。。4oも時期によって傾向が異なり、寄り添い度合いはかなり変化するがそれは今回の件の本筋ではないので割愛します。
  • メモリー機能実装され過去のやり取りを踏まえて回答してくれるようにもなった。1つのチャットが終っても、メモリ機能のおかげで生成AI記憶喪失しなくなった。この変化はとても大きく、生成AI人格を感じるようになった人が一気に増加したように見える。
  • 悩み事の相談毎日雑談相手として、あたか生成AI親友のように使う人も増加した

 

GPT-5のリリース直後に急に4oが使えなくなった

 

(利用制限は5でやや厳しくはなったが上位プラン課金や、miniモデルに切り替えれば回避できる。また過去のやり取りは消えてない。)

 

騒動のその後。4oの復活

  • 数日もしないうちに、有料ユーザーは4oが再び利用可能となった。
  • これまで無料利用していた人も、月$20でChatGPT Plusを契約すれば、即座に4oが利用できるようになった。カスタマイズされた回答傾向もそのままなので、混乱はかなり収まった。
  • OpenAIの将来の方針によっては4oが再び消えることもあり得る。
  • SNS上ではこのリスク不安を感じる人、今回のOpenAIの4oの急な利用停止に怒ってる人、課金したくなくて文句言ってる人など様々な人が喧々諤々な状態
  • 個人的には無料で4oを今後も永久に使わせろというのはちょっと要求し過ぎかなと思う。

 

寄り添う事も必要だが、精神依存はさせちゃだめ。

 

Permalink |記事への反応(6) | 14:22

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2025-08-08

新卒1~3年目社員上司や先輩が無能すぎて俺が職場回してる。腹立たしい」

これ、難ありな性格ゆえの客観性を著しく欠いた痛い発言である場合ほとんど。


周りはみんな

あいつ、周りを頼らず相談せず勝手に黙って仕事抱えてイライラしててもうやだ。ほっとく」

と思ってる。



昔の俺にも伝えてあげたい。

Permalink |記事への反応(2) | 17:16

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2025-08-07

anond:20250807150517

自他の境が曖昧客観性皆無なアホがよくこういう文章書くよな。

形容詞を盛りまくってさも非道みたいに言うけど、主観的評価しかなくて

時代的ノンデリからしたら覚えてなくて当然だろって程度の行為しかない。

自分の怒りは他人と共有してないということをまず覚えた方がいい。

Permalink |記事への反応(1) | 15:18

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2025-08-02

すぐに「ゾーニングすればいいじゃん」と言う人たちへ

ネット上で表現炎上し論争が巻き起こる度に、「ゾーニングすればいいじゃん」と気軽に吐き捨てて去っていくダチョウの大群が観測される。界隈、属性わずマジでどこにでもいる。

こいつらの何が癪に障るって、ゾーニングをお手軽で万能な魔法概念かのように盲信していることだ。ゾーニングはお手軽でも万能でもない。ゾーニング推進派のくせに推しであるゾーニングへの解像度が低いままであるダチョウ達が、理論武装してダチョウから人間に近づくための一助になりたい。

◼️ゾーニングの「目的」と「手段」を言語化する

目的手段は具体的であればあるほど良い。

特定表現をなぜゾーニングする必要があるのか、改めて考えてみて欲しい。青少年健全な育成のためとか、悪影響がある表現だと科学的に証明されているためとか、法令抵触するからとか。「自分不快になったから」は具体性・客観性妥当性どれを取っても及第点未満でバカだと思われるので、おすすめしない。

目的が具体化出来たら今度はそれを達成するための手順だ。ゾーニング手段が多岐に渡るので、さっき具体化した目的を達成するのに適した手段選択する。レーティングフィルタリング区分陳列、検索避け……沢山あって選ぶのが難しければ、AIに助言を求めれば良い。大体の場合ダチョウよりも賢いテキストを出力してくれる。

◼️「誰」が「どんな基準で」ゾーニング出来るのかを考える

目的手段を明らかにしたら、今度は現場で実際にどのようにゾーニングが行われることになるかについて考える。現場無視して好き勝手に鳴き声を上げているだけのダチョウには難しいかもしれない。

例えば自分多種多様書籍の陳列を任された書店員だと仮定して、「どの書籍を」「どのような基準で」「どこに」「どのように」陳列するかシミュレーションしてみるんだ。ある程度陳列し終わった後に、全年齢の棚に置いていた書籍が途中から成人指定されたらどうする?……みたいな面倒なシミュレーション通して自分が推進したいゾーニングビジョンを明確にしていく。

◼️見せない配慮と、見せる配慮

ゾーニングを、特定表現を衆目から隠すための手段だと思っているのであればまたまだ認識が浅い。特定の層から表現を遠ざけるだけなら誰でも簡単に出来る。だが、その表現リーチしたい人間権利や機会を極力奪わないように調整出来てこそだ。俺の考えた最強のゾーニングを考えたいなら、この辺りのバランス感覚は非常に重要だ。

◼️ゾーニングは万能ではない

ここまで来たらそろそろ分かるのではないかゾーニングは、万能ではない。俺の考えた最強のゾーニングを導入できたとして、絶対事故が起きる。

世の中には自分不快だと感じ、ゾーニングして欲しいと感じる表現を、あろうことかゾーニングせずに無遠慮に拡散する信じられないくらいアホなダチョウがいる。そんな奴らがゴロゴロいる。事故が起きないと考える方が無理だ。

◼️ゾーニング表現規制である自覚する

ゾーニング像が輪郭を帯びてきたら今度は覚悟を決めるフェーズだ。すばり、ゾーニング表現規制だと自覚する。

我が身可愛さにゾーニング表現規制ではない理由を探す暇があったら、「ゾーニング表現規制だがこの規制必要ものだ」と開き直りゾーニング必要である理由を探す方がよっぽど建設的だ。世間の大半は性根が表現規制派なんだから後者のやり方を選択し尤もらしい根拠提示する方がより説得力生まれる。これでお前も筋の通ったダチョウにはなれる。

◼️ゾーニングには副作用がある

ここまで読んでくれた立派なダチョウなら、既に「ゾーニングがみんながハッピーになれる魔法概念✨」なんて認識は改めてくれているであろう。

ゾーニングは程度の差こそあれ、他者知る権利選択する機会・自由侵害する。子供を守るためにするゾーニングは、同時に子ども権利侵害している。こういったこから目を背けてはいけない。

場合によっては、表現者がスティグマ経済的打撃を被るケースがある。例えば紙の書籍をR18すればいいと簡単に言い放つ奴は、R18にした紙の本を書店が引き続き取り扱ってくれると思っているお花畑思考の持ち主だ。部屋から出て本屋コンビニに行って自分の目で確かめてこいよ。

R18にして欲しいなら、R18の制度が導入された際に複数出版社倒産し、経済的理由から自殺者も出た事実を知った上で覚悟を決めてから言えよ。視界から不快表現を無事に消してハッピーになったら、その陰で泣いている人間がいる事実に目を向けろよ。

R18の悲劇あくまで一例として出したが、こういったマイナス面を見ずにゾーニングを盲信するのはグロテスクだ。ダチョウではなく人間でありたいなら、負の側面も受け止めて覚悟を決めてからゾーニングを推進しろ

ゾーニング容認派(not推進派)として、ゾーニング推進派なら少しくらいゾーニング副作用や難点や負の側面について考えて欲しくて書き殴った。

タイミング的に発売されてすらいない、ラブドールゴミを食べさせるゲームBL燃えている頃か。冒頭で述べた通り考え無しにゾーニングを推進するアホはどこにでもいる。これも誰かを応援したくて書いたわけではないので、勝手文脈幻視して肩を組みにこないで欲しい。

Permalink |記事への反応(1) | 16:06

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