
はてなキーワード:実験動物とは
「なんであんなことしたんだろう?」とか、自分の行動や気持ちをじっくり振り返ることが殆ど不可能。
自分の気分で意見がコロコロ変わる。動物が本能や条件反射で行動するように、あまり深く考えず、感情やその場の雰囲気で動くことと似ている。
こういう人間ばかりだとおそらく人類の発展は無かったと思えるから。動物と同じで実験動物みたいな活用方法や人間に調教され使役される以外に人類に貢献できない。(例えば盲導犬的な貢献なら動物的人間にも可能、という感じ)
他の人の気持ちや都合よりも、自分の欲求や感情を優先しやすい。
冷静に考えるより、すぐカッとなったり、感情的に決めつけたりする。
何か問題が起きても、自分の責任を認めるより、他人や周りの状況のせいにしがち。
しかし、その内容を聞くと 「本当に自分はダメで、もう自殺したい」などと言うだけで、具体的に何がおかしいか、どうすれば良いのか、という言葉は出てこない。
単に批判をかわす為の防御として言ってるだけで、本当に改善したいと考えているようにはとても見えない。
話し合いが難しい: 冷静な話し合いや、お互いを理解しようとする対話がなかなか成り立たないことが多い。
協力しにくい:自分中心だったり、感情的だったりするので、チームで何かをしたり、お互いに助け合ったりするのが難しい場面がある。
一緒にいると疲れちゃうかも: 周りの人は、気を使ったり、振り回されたりして、精神的に疲れてしまうことがあるかもしれないね。なかなか一緒に成長していくのも難しいかも。
「はいはい、私が全部悪かったですー(全然反省してない口調)。これでいいんでしょ?」
「それより、あっちの〇〇さんのミスの方がひどくないですか?そっちはいいんですか?」
「なんで私ばっかりこんなに言われなきゃいけないんですか!不公平です!」
「忙しかったんだから、しょうがないじゃないですか!人間だもの!」
「もういいです!あなたたちとは話になりません!時間の無駄!」
「結局、誰も私のことなんて理解してくれないんですね…もういいです…(悲劇のヒロイン風)」
「じゃあ、もう全部あなたがやればいいじゃないですか!私は知りませんからね!」
「わざとやったわけじゃないんだから、少しは大目に見てくれてもよくないですか?」
「はいはい、ごめんなさいねー(軽い感じで)。次から気をつけまーす(多分気をつける気なし)。」
「そんなことで怒るなんて、小さいですね。」
「は?なんで私がそんなこと答えなきゃいけないんですか?失礼ですね。」
「それって、私に聞く必要あります?あなたに関係なくないですか?」
(急に黙り込んで睨みつける、あるいは何も言わずにその場を立ち去る)
「またその話?しつこいなあ。もういい加減にしてくれません?」
「まるでAIみたいな言い方だね」(本質とは関係のない話に誘導する)
(自分だってしょっちゅう忘れるのに、子供が何か忘れると)「何度言ったらわかるの!なんでできないの!」
「私がやる時はね、それなりの理由があるの。でも、あなたができないのは、ただの怠慢か能力不足でしょ。」
「え?私が昔あなたに同じこと言ってたって?そんな昔のこと、いちいち覚えてないし、今の状況とは全く関係ないでしょ!人の揚げ足取るのやめてくれる?」
「なんでこんな簡単な計算も間違えるんだ!ありえない!小学生からやり直せ!」
「たった一度の入力ミスで、プロジェクト全体が大混乱だよ!君一人のせいで、どれだけ多くの人が迷惑してると思ってるんだ!」
「言い訳は一切聞きたくない!結果が全てだ!この程度のこともできないなら、もう君に仕事は任せられない!」
「また同じようなミスしてるじゃないか!君って本当に学習能力がないんだな。何度言っても無駄なんだから、もう期待するだけバカらしいよ。」
「この資料、誤字が3つもあるぞ!こんなものを平気で出してくるなんて、プロ意識が低すぎるんじゃないか?」
「(机を強く叩きながら)ふざけるのも大概にしろ!何度言ったら理解できるんだ、この役立たずが!」
「だからお前はいつまで経ってもダメなんだよ!何をやらせても中途半端で!見てるだけでイライラする!」
「黙れ!口答えするな!お前の意見なんて聞く価値もない!俺の言う通りにやってればいいんだ!」
「(書類を投げつけながら)こんなもの、報告書と呼べるか!小学生の落書きの方がマシだ!作り直せ!今すぐ!」
「もう我慢の限界だ!お前みたいなのがいるから、こっちの仕事が増えるんだよ!出て行け!」
動物的人間はスペクトラムである。自分が動物的人間にならないように気を付けましょう。
この文章は「中学生でもわかるようにまとめて」と指示した。でも、これでも読んで欲しい本人には読めないだろうなという絶望。
なお上記は「中学生レベル」なので簡単のために詳細な定義や考慮しなければならない点などに大きな問題がある。それらは別途大学や研究レベルの議論が必要になるであろう。
あくまでもこれは当の本人である「動物的人間」にも読んでもらえる為の文章である。
https://x.com/tabitora1013/status/1926411841665741127
タビトラという産婦人科医だという人物が、「これからお医者様になる有望で優秀な学生さまの進路選択の参考になれるんだから、ハラボテ女は黙ってマンコ晒し物にしろ」と言って燃えている。
やはり、他人の体を傷つけその生死を左右する権利があるという自負は、医者の自尊心をどこまでもどこまでもすくすく育ててくれるのだろう。
タビトラ氏には患者の妊婦など、蒙昧で怠惰な動物のくせにいっちょ前に人権を主張する意味の分からないケダモノに見えているに違いない。
数か月前に麻生泰という美容整形外科医が、自分ちの勤務医であるところの、グアムではしゃいで死体写真をSNSに投稿した黒田あいみという異常者の医者を擁護して
死者の尊厳よりお医者さまのお勉強が大事だろと本音を漏らして火だるまになった。
彼らのようなモンスター医者はもちろん昔から居たのだろうが、SNS時代には食い合わせが悪い。肥大しきった自分の特権意識を下民たちに向けて開陳したいという、露出狂の性欲にも似た
承認欲求をコントールできるほど彼らは実のところ頭が良くないからだ。
みんな、検体も臓器提供もしない方が良いし研修生の見学も受けない方が良い。お医者さまはみんな、俺たちのことを卑しい実験動物だと思ってるんだから何をされるか分からんよ。
その結果、医学の発展が滞る?人間の尊厳を犠牲にした医療にNOを突き付けて「長生きすりゃいいもんじゃねえだろ」って価値観にスライドしてくのが大事なんじゃない?
少し前に、日本の医師がグアムで解剖学実習を行ったのをSNSに上げたことが炎上した。
投稿自体はすぐに消されて、数日後に謝罪の記事を出していたけど、謝罪の内容となかなかひどかった。
炎上の内容はここではあえて詳しくは書かないけれど、この件を受けて「自分が死んだら献体することを考えていたけど、今回の件でやっぱりやめようと思う」という書き込みが散見されて、非常に悲しい。
大多数の真面目な医師、医学生の真剣な学びが、たった1件のネット上の書き込みに邪魔されるのは耐えられないので、この記事を書こうと思いたった。
ここでは、医学部の解剖学実習がどのように行われるのか、医学生がどのようにご献体に敬意を払っているのか、また払うように教えられるのかということを書いていこうと思う。
大前提として、献体というのは100%本人と遺族の意思によって行われる。だから、あなたが今回の件を受けて、あるいはその他の理由でも、献体に出すことを不安に感じたのならば、その意思は確かに尊重されるべきだと思う。だけど、「医者や医学生はみんなあんな感じで解剖実習に取り組んでいる」「あれが業界のスタンダード」と思われたくはない。
最初に私の話を少しさせてもらうと、私は、とある大学医学部に入学したのち、3年目で中退している。だから医学教育は途中までしか受けていないし、今は一般の会社で働いていて医師ではない。中退の理由はお察しの通り成績不振で、留年して2年生を2回しているので2年生で行われる解剖学実習も2回受けている。
だからここでは、とある私立医学部で成績が下の下だった元医学生から見た「解剖学実習」というものについて書いていきたい。
なお、解剖学実習室で起こったことには、医師であろうとなかろうと、医学生であろうとなかろうと、中退した元医学生にも、守秘義務というものが発生する。だからここでは、個別具体的に起こったエピソードというよりは、一般論として「医学部では大体こういう感じ」というものとして読んでいただきたい。
解剖学実習は2年生の後期に行われる。他の教科は前期にあらかたやってしまって、2年生後期はほぼ毎日、1日中解剖学実習室に篭ることになる。だけど何も知らない中でいきなりご遺体を切るわけにはいかないので、前期には実習の準備講座のような授業がある。そこでは、まだ見ぬ人体の構造について、まずは教科書を見ながら勉強していくというもの。特に「骨学」と言って、骨の形や名前を覚えることは必須だった。
日本語と英語、余裕のある人はラテン語でも覚えるように勧められた。ちなみに上記の骨は順にラテン語で、Radius, Ulna, Femur, Clavicula, Costa, Mandibulaだ。
左右がある骨は左右まで同定するよう覚えさせられた。手や足の指の骨や、手のひらや足の甲を構成する小さい骨に至るまで、見ただけでわかるようにしなければならなかった。さて、骨学の実習にはもちろん骨の標本を使うのだけど、この標本は全て本物のヒトの骨を使ったものだと最初に説明があったのを覚えている。おそらく今同じ標本をヒトの骨から作ることはできないだろう。どうやって作ったのかは知らない。「人の骨の標本」と言われて、よく理科室にある骨格標本を想像する人もいるかもしれないが、骨学で使う標本は木箱に入っているもので、骨格標本のように組み立てられた状態にはなっていない。小さい骨もあるので「絶対に無くすなよ」と念を押されたのを覚えている。
「皆さんは後期に実際の人の体を使った実習を行います。これも本物の人の骨を使った標本です。こうなる前には、皆さんと同じように生きていた人たちのもので、非常に貴重なものです。くれぐれも粗末に扱ったり、乱暴に扱うことのないように」
目の前の骨が本物と聞いて、ビビる学生たち。いよいよか…という緊張感が走ったのはよく覚えている。
骨学の試験は、テーブルに一つ一つ置かれた骨の名前を解答欄に記入していくというものだった。回答は日本語または英語、ラテン語も可とされていたけど、ラテン語で書いた人っていたのかな。
ちなみに解剖学の先生(おだやかなおじいちゃん先生だった)が学生の頃は解剖学はラテン語で習ってたらしい。前期の終わりの暑くなってきた時期に、汗かきながら無言で骨学の試験を受けたのはよく覚えてる。
実習前には骨学の他にも、実際に遺体を目にする前に図録や教科書で人体の構造を理解する。いきなり人の体を切る前に、その準備段階として予習はしっかりやっておかなければならない。
解剖学実習は後期からグループで行われる。大体1グループ4−6人くらい。基本的に気の合う者同士で組むことが多いけど、人によっては仲の良さよりも成績が近い人同士とか、もっと戦略的なことを考えて組んでる人もいた。
各グループが1体ずつご遺体を担当し、学期の終わりまで解剖していく。1学年が大体100人ぐらいなので、20体前後のご遺体を1学年で解剖することになる。ご遺体がどのような過程で集められるのかについては後述する。
「解剖学においては、いま皆さんの目の前に横たわっているご遺体こそが最大の教科書です。そしてこの人たちは医者になる皆さんの最初の患者さんになります。多くのことをこの「患者さん」から学んでください。それこそが、彼らが自らを献体したことに対して皆さんができる最大の恩返しです」
実習はほぼ毎日、朝から晩まで行われるが、毎日実習の最初と最後には黙祷を行うのが常だった。班の中で持ち回りで毎週誰かが花を買ってきて、枕元に活けていた。
ご遺体はホルマリンで防腐処理を施されているので、実習室は揮発性のにおいで充満している。このにおいが苦手な学生は特別に換気のいい小部屋を与えられるが、その部屋は銭湯の半露天風呂のような構造で冬はとっても寒いので、その部屋の人たちは大変だなあと思って見ていた。またご遺体は血液も抜いてあるので、切っても血は出ない。ここが手術などとは大きく違う点かもしれない。
解剖学実習では、体のいかなる小さな部分も捨てることは許されない。遺体の一部でも規定外のやり方で「廃棄」することは法的な問題がある(たぶん下手したら「死体遺棄」とかになる)だけでなく、もちろん倫理的な意味でも絶対にやってはいけないことだ。
だから切り取った皮膚や脂肪などの組織片は細かいものも含めて全て別の箱に入れて、実習の最後まで取っておかなければいけない。
別の学年が実習していた時には、その組織片が実習室内の洗い場に捨てられていたのを先生が発見し、激怒。学年全員を落第させるぞといって大騒ぎになったそうだ。
組織片の扱いについてはそれほど厳しく慎重に取り扱われる。
森本梢子『研修医なな子』という漫画で、「解剖学実習中のなな子が、髪に脂肪の破片をつけたまま気づかずにいる」という描写があるけれど、これは少なくとも私が受けた解剖学実習ではありえないことだ。ていうか実習室で何したら脂肪片が髪につくの…?
実習では、本当にすべてを見る。
あらゆる臓器、あらゆる関節、あらゆる筋肉、あらゆる血管、あらゆる骨…。
場合によっては、色々な理由で普通とは違う構造をしたご遺体に当たることがある。手術で臓器を取っていたり、病気の痕跡があったり、先天的に他とは違う構造になっていたり。そんな時は他の班のご遺体を見せてもらったり、他の班からみんなが見にきたりする。
単純に腕が悪すぎて見ておくべき重要な神経や血管を見逃してしまい、他の班に見せてもらうこともある。「あの班はXX神経がすごく綺麗に出てるらしい」と話題になってみんなが見に言ったりもしていた。解剖学実習では、班ごとだけでなく学年みんなんで取り組む、みたいな意識が強かったように思える。
都市伝説的に、「遺体の耳を切り落として壁に当て『壁に耳あり』と言った学生がいた」「脳でサッカーをした」「大腿骨でチャンバラをした」といったエピソードが聞かれることがあるが、少なくとも私が参加していた解剖学実習では、みんな真面目に取り組んでいてそういう遊びをする空気ではなかった。別に空気がピリピリしている、というほどではなかったけど、ふざけたり大騒ぎするような人はいなかった。
上記の都市伝説について考えてみたのだけど、耳介(いわゆる外側に出てる『耳』の部分)は軟骨だから切るのはけっこう大変だし、解剖の過程で耳介を切り落とした覚えはないので、たぶん解剖学の普通の手順じゃないような気がする。耳介を切り落とす前にやることあるだろ普通に。ネットで検索した限りもしかしたら戦前とか、かなり昔の逸話のようだ。
ヒトの脳は蹴って遊べるほど硬くないのでこれは嘘だと思う。あと蹴って遊ぶ前にやることあるだろ普通に。
大腿骨チャンバラは現実に起こったとしたら骨学の実習中の話だと思うけど、行為の是非以前にまず授業中に何やってんだって話。
いずれにせよこんなことする学生は全員落第か退学になってると思う。なっていてほしい。
解剖学実習室では、時々遺族が見に来ることがある。もちろん実習室の中には入れないものの、壁一枚隔てたところにご遺族がいたりする。そういう日は朝にお知らせがあることもあるけど、何も言われないからって誰も来ていないとは限らない。だから言動には気をつけるようにいつも厳しく言われていた。
どこで誰が見ているか、聞いているか分からないので、実習室の外での会話にも気を付けるよう、注意もされていた。今回炎上した件で、「新鮮なご遺体」という表現に引っかかっていた人が多かったように、医師/医学生同士の会話で普通な言葉遣いでも、事情をよく知らない人が聞いたらビックリしてしまうことは往々にしてある。
「明日の実習でさ、ナントカ動脈の走行を確認したいからあそこ切ってここ開いて…」なんて話、一般の人に聞かせたらいけないよね。
同じように、解剖学の図表を公共の場所で開く時にも注意するように言われていた。私は『ネッター解剖学アトラス』という図表を使っていたけど、イラストなのに写真みたいに(何なら実物よりも)鮮やかに描かれているので、事情をよく知らない人が急に見たら確かにビックリすると思う。
今回炎上した件で問題になった写真撮影について、自分の時はどうだったかなと思い出してみたけど、当時はガラケーだったので少なくとも写真を撮る目的では携帯を実習室に持ち込むことはなかったはず。ロッカーに入れてたと思う。
実習室で遺体に触るときには手袋をするんだけど、途中で教科書を見たり他のことをするのに手袋を付けたり外したりを繰り返すので、そんな環境にわざわざ携帯を持ち込んでたとは思えない。
学年内で発表のために撮影が必要なときは、共有の小さなデジカメを使っていたと思う。もちろん、SDカード含めて外部への持ち出しは禁止で、実習室内の共有のパソコンでスライドを作って発表していたと思う。
スマホが普及した今では、当然スマホの持ち込みは禁止になっていると思う。
半年かけての解剖学実習が終わると、学生が自らの手で納棺を行う。
遺体と、遺体から切り取った組織片も、細かいものも含めて全て棺に収める。臓器などはできるだけ元の位置に置いておく。中には、遺族から預かった遺品を一緒に入れることもある。みんなで丁寧に納棺し、学生たちの手で釘を打つ。
遺族はこの納棺の時にも立ち会うことができないので、学生たちがご遺族の代わりに責任を持って納棺するのである。
学生の中には、ご遺体に手紙を書いて棺に納めていた者もいた。半年も一緒に過ごしたご遺体なので、親近感もあるし、感謝もある。文字通りの意味で「体の隅々まで見せてもらった」という点では、ある意味で家族よりも濃い関係を築いたものだと思うし、そういう自負が解剖を終えた学生にはある。
学生たちは、この段階で初めてご遺体のことを少しだけ聞くことができた。何歳で、どんな病気で亡くなった、とかぐらいだけど、それで「ああ、だからあんなに体格が良かったんだな」とか「あの臓器の状態はその病気のせいだったのか」などと少しだけ答え合わせをすることができる。
大抵の医学部附属病院では、年に1回解剖慰霊祭というものが行われる。解剖学実習のために献体した方や、医学部の研究施設で実験に使われた動物たちの慰霊祭である。解剖学実習をした学年(私のいた大学では2年生)の学生は全員参加で、あとは献体した方のご遺族、大学の研究者や関係者が参加する。もちろんスーツで来るよう求められるし、ここでも(なんたってご遺族が来ていることもあるし)ふざけた態度など取る人はいなかった。
一緒に実験動物の慰霊祭も行うんだけど、ネズミ何匹、ウサギ何羽…と当然ながら数が記録されていて、他にもあまり聞いたことない動物の名前も挙がっていたのが印象的だった。
献体とは、医学および歯学の発展のため、また、力量の高い医師・歯科医師を社会へ送りだすために、死後に自分の肉体(遺体)を解剖学の実習用教材となる事を約し、遺族が故人の意思に沿って大学の解剖学教室などに提供することである。(Wikipedia)
大学病院にはこの献体を生前に受け付ける事務局があり、あなたがもし自分の死後に献体をしたいと思ったら、まずは最寄りの大学病院や自分が献体したいと思っている大学病院の事務局を訪ねることになる。
そこで、幾度かの面談を経て献体に登録することになるが、献体には通常、家族の同意も必須となる。面談にも家族と来ることを求められるし、死後に家族の反対があれば献体自体ができなくなる場合もある。
事前に面談に参加していて理解が得られていても、「いざその時」になって気が変わった家族の反対で献体が中止になる例もザラにあるらしい。
献体に登録していた人が亡くなると、病院内で弔いをしてから防腐処理に入る。具体的にどのような処理をするかはここでは割愛するが、普通はホルマリンを使った防腐処置を施す。
問題になった医師が参加していた解剖実習のご遺体は、ホルマリンで防腐処理をしていないものらしい。ホルマリン処理をしていないご遺体の解剖は日本では難しいだろう。防腐処理をしていないということは、亡くなって間もないということだ。それで『新鮮なご遺体』と表現していたらしいけれど、SNSで一般の人も見る状態でその言葉は使うべきではなかったよね。
ちなみによく都市伝説で、「防腐処理した遺体をホルマリンのプールに沈めていて、遺体が上がってきたらそれをつついて沈める高額バイト」の話があるが、私の知る限り大学にそんなプールはないし、昔はともかく今は嘘だと思う。
ご遺体は、そこから1~2年は家族のところに戻ってくることはない。戻ってくるのは実習が終わって、学生が納めた棺を火葬して灰になった後だ。「故人の意思とはいえちゃんと葬式ができていないまま年単位の時間が過ぎる」というのは、想像以上に家族の負担が大きいんじゃないだろうか。家族の中には「本人が献体したいというから同意したけど、こんなに長い時間遺体が戻ってこないとは思わなかった」と後悔する方もいると聞く。
だからこそ、あなたがもし将来献体したいと思っているなら、そのことについては早いうちから家族とよく話し合っておくべきだ。
今回の件、医師界隈からもかなり批判されているようだけど、それもそのはず。普通の医者はあんなことしないし、あれと一緒にされてあれが普通のことだと思われたら、普通の医者が一番とばっちりを受けることになってしまう。
この件で献体を考えてた人がその意思を変えたり、臓器提供を辞めたりすると、困るのは今批判されている医者本人ではなく、将来の若い医学生や将来臓器提供を必要とする患者さんだ。もちろん、考えを変えることは止められないし、それ自体批判されるべきことでは全くないけれど、普通の医師、医学生が解剖や献体についてどのように考えているのかを少しでも知ってもらえたら幸いである。
医者になれず、担当したご遺体に対して先生が言うような「恩返し」ができなかった身としては、せめて自分の経験や考えを通じて、解剖や献体に対する誤解や偏見が少しでも解消されればと願っている。
人間が数百万年野生生物として進化する過程で獲得してきた個体間の優劣と、たかだか5000年程度しかない文明社会ゲームでの才能とが一緒なわけがない。
一緒だと思う。それは社会性だ。人間の脳の大きさは社会性をもたらす効果が大きかった。そしてコミュニティの長たるものはトップクラスの社会性を備えてるハズという考えは自然かと。
これは想像だけれど、人口再生産に関わる役のメスは遺伝的安定性を、オスは使い捨ての実験動物としていろんなタイプを試しに作っては淘汰される役なのでばらつきが高いようにできているのでは?
「普通ではない性質を発現した個体」のうち、たまたまゲームとかそれが有利な世界を見つけられた個体だけが目立って、それ以外が不可視化されているだけなんじゃないのか。
性別に役割があるという説はフェミニズムの使徒としては受け入れ難い。
むしろ社会が女性に人工再生産という役割を教えつけたからこそ、ファッションやメイクなど性選択に関する重荷を女性だけに負わせたため、時間と注意力が削がれてゲームなどの分野で女性が活躍できないのではないか。女性Vtuberの切り抜きを見たことがあるんだけど、女性ゲーマーは野良の男に凄まじい暴言やセクハラを浴びせられることがあり、それを甘受しなきゃやっていけないような状況らしい。ネットミームの「見抜きしてもいいですか?」も受け入れられてたけど、明らかに異常だよね。
男の子を育てていると、女の子の方が大人しいし落ち着いているし周りと調和も取れていて生物的に優れてない?社会に出ると偉い人の男性比率は高いし、本当になんで?
https://togetter.com/li/2448652
そんなもの、大人しくて落ち着いていて周りと調和も取れている男が「偉い人」になっているかどうか考えればわかりそうなもんだが。
そもそも「生物的に優れて」いれば出世するはず、って前提がおかしいんだ。
むしろ、そこまで出世するのは運が異常さかどっちかが振りきれた個体が多い。男女問わず。
生物としての優劣と資本主義社会の中での勝敗はまっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっったく別物だから。
人間が数百万年野生生物として進化する過程で獲得してきた個体間の優劣と、たかだか5000年程度しかない文明社会ゲームでの才能とが一緒なわけがない。
ここがわかってないから、優秀であれば社会で勝つはず、と間違った前提にして議論してしまうんだ。
ガラスの天井論やら弱者男性論の議論の相当部分はこのあたりの錯覚を切り分けられなくて引き起こされてると思う。
どいつもこいつも資本主義社会での勝ち負けを価値観にまで内面化しすぎ。
ずいぶん前に似たような会話したので、あくまで自分の考えではあるけれどコピペしておく。
https://anond.hatelabo.jp/20221127154518
『将棋でも囲碁でもチェスでもオセロでも、頭脳競技で女性が世界一ってジャンルあるのかな?』
に書き込んだこれ。
能力の平均はね。ばらつきは圧倒的に男の方が大きい。
それは俺も否定するようなことを言った覚えはないぞ。
ただ定型でない比率は男の方が高く、そのうち「たまたま」能力が有利に働く場所を見つけ出したほんの一握りの男だけが目立っているから(そして「男の方が機能が平均して高い」なんて言われた気に勝手になっているから)話がかみ合わんのでは?と言っているだけ。
ほとんどの非定型の男は屍晒しているよ。東大もゲームもごくごくわずかな「ハマった」例なだけで、脳の優秀さの例でも何でもない。
これは想像だけれど、人口再生産に関わる役のメスは遺伝的安定性を、オスは使い捨ての実験動物としていろんなタイプを試しに作っては淘汰される役なのでばらつきが高いようにできているのでは?
「普通ではない性質を発現した個体」のうち、たまたまゲームとかそれが有利な世界を見つけられた個体だけが目立って、それ以外が不可視化されているだけなんじゃないのか。
東大・北大両方でここ10年以内に教員をしていた増田による怪文書だ!
以下単に東大、北大と書いてある場合は東大農学部獣医学専修、北大獣医学部獣医学科を意味する。
やっぱり日本トップの大学である東大のネームバリューはすごい!
北大は旧帝大であることすら知られず一地方大学だと思われていることもある!
獣医界隈だけなら東大・北大は並び立つツートップという印象が強いが、もし企業就職を狙うなら東大のネームバリューはやはり強い!
「獣医学教育モデル・コア・カリキュラム」ってのがある!獣医系大学はこの科目についてこれを教えなければいけないと細かく決められたガイドラインだ!獣医系大学は(おそらく)どこもこれに従ってる!つまりどの大学でも最低限学べることは同じ!
ただしコアカリは大学のカリキュラム3分の2で、残り3分の1は各大学自由に決めていい。
北大はEAEVE認証(欧州の団体による「この大学は一定の獣医学教育水準を満たしている」という認証)を受けている!他にも国内に数大学あるが東大は含まれていない。
あと設備のところで述べるが、東大は産業動物分野の実習が貧弱!ちなみに北大は産業動物分野も普通に扱うというだけで、べつに伴侶動物(ペット)分野が貧弱な訳ではない。
北大は学部に加えて人獣共通感染症国際共同研究所(実質的に北大大学院獣医学院の一部)に教員がいるので、教員数が東大より多い!
あと留学生は北大の方が多い!東大大学院生60人中12人が留学生、北大大学院生52人中22人が留学生。(参考:https://www.hokudai.ac.jp/pr/3.R5_zaisekishasu.pdf・https://www.hokudai.ac.jp/admission/shihi_admissionR06.pdf)
学生活動の活発さ・まとまりの強さで言えば北大が強い!北大はSaSSOHという小規模国際シンポジウムを毎年開催しているが、これは大学院生が主体として運営している。
学生への支援は体感同程度!東大はSPRING GXというプロジェクトが走ってる。北大はOne Healthフロンティア卓越大学院プログラムってのが走ってる。どっちも学生への支援はある。
どこでも同じ!!東大・北大・その他国公立私立どれも変わらん!
去年の合格率は東大が二番手に15%以上の大差をつけてぶっちぎり最下位だったが(他大学も合格率が例年に比べ低い)、去年以外はどの大学も大差ない。(参考:https://www.maff.go.jp/j/press/syouan/tikusui/attach/pdf/230314-3.pdf)
あえていえば東大は獣医師免許が必要ない職(国家公務員など)に就く学生が多いからか若干合格率が低め。
私大は国試対策が手厚めだが、卒業試験の成績が悪いと卒業試験の再々試と国家試験を同日に実施することで、成績の悪い学生の国試受験を防止して合格率を高くしているところもある(再々試までいくことはめったにないと聞くが)。
構内に農場がないしもちろん大動物用の動物実験施設もない!ウシを触るためにわざわざ茨城の附属牧場まで行かなきゃいけない!獣医学教育の場なのに産業動物に触れる機会が圧倒的に少ないのはどうなのか。
BSL3実験施設もない!つまり北大では扱えるが東大では扱えない病原体がある!
北大には当然農場もBSL3施設もあるし、AAALAC認証(アメリカのNPOによる動物福祉に配慮した実験動物施設であることの認証)を受けた動物実験施設もある。あと人獣共通感染症国際共同研究所。
北大は「日本の獣医系大学で唯一・最初に○○をする!」というアクティブさが強い。東大は「他大学の多くがやりはじめたらやる」。
北大が日本の獣医系大学で唯一・最初のものはいくつもある。東大にあって他の獣医系大学にないものは残念ながら思いつかん。
これは増田の印象だが、東大獣医は農学部の一部、北大獣医は学部なのが大きいと思う。東大は農学部の一部なので予算も農学部内の他の専修と奪い合いになる。獣医学専修が「○○したい」と思っても農学部の許可を得なきゃいけないし、さらに学部内での優先度に左右される。北大は獣医だけで一学部をなしているので、「○○したい」と獣医学科が思ったらすぐ実行できる。
ホームページを見ると内容の充実さにいかに差があるか分かるぞ!
東大:http://www.vm.a.u-tokyo.ac.jp/
北大:https://www.vetmed.hokudai.ac.jp/
東大の現教員数50名、学科定員30名、学生一人あたり教員数1.7名!(参考:http://www.vm.a.u-tokyo.ac.jp/service.html)
北大の現教員数59名、学科定員40名、学生一人あたり教員数1.5名!(参考:https://www.vetmed.hokudai.ac.jp/research/detail/)
ただ北大は大学院に人獣共通感染症国際共同研究所があり、こちらに独自の教員が+25名いる。(東大には大学院独自施設はない)
知らん!
他の分野はどうか知らん。
北大の方が獣医学部内のまとまりが強い!学科内パーティー・飲み会・イベント、学科内サークルなどが北大の方が活発。東大は農学部の建物内のあちこちに獣医学科の研究室が散っているが、北大は獣医学部内に研究室がまとまっているのも結束の強さの原因だろう。
ずいぶん東大下げになってしまったが、ぶっちゃけ東大は獣医教員の中にすら「東大獣医とか潰したらどう?」と言う人が複数いるくらいだ!(増田ではない)
よく知らん!
岡山理大における増田と同分野の研究室の教員も学生も、獣医学会でも同分野オンリーの小規模学会でも見かけたことがない。どこで学会発表してるんだ?
噂では教員が退官間際と若手の二極化していて中間層がいないのが問題になっているらしい。あくまで噂だが。
Permalink |記事への反応(11) | 23:45
幼少期から愛情を注がれて、不自由のない生活をさせられて、生まれてきて良かったと思い続けられるような子供はまだいい(それですらたまたま幸せになれたという結果論でしかないが)。
碌に育てる体制もないのに無責任に子供を作り出し、不幸に陥れる親のなんと罪深いことか。
今の日本ではあまりないが、労働力や介護要員として子供を産むなんてもはや論外だ。
ペットを無責任に飼育放棄するななどと話題になるが、犬や猫よりずっと頭が良い人間の場合、それどころではないくらい重大な問題なのではないか?
これは許されないことだ。
このまま人類が繁栄し続けたところで、苦痛を再生産しているだけなのではないか?
新型コロナウイルスの流行は、中国・武漢市の「華南海鮮卸売市場」が起源だとする研究結果を、米国の二つの研究チームがまとめた。ウイルスの遺伝情報の解析などから、市場で販売されていた動物から人への感染が2019年11月中旬頃に発生したと推定されたという。論文が科学誌サイエンスに掲載された。
【図表】一目でわかる…BA・5はこれまでの株の主な変異をすべて備えている
新型コロナの起源を巡っては、武漢市にあるウイルス研究所から流出したとの説もある。中国政府は、同年12月8日に発症した男性が最初の感染者だと発表しているが、感染経路や起源については不明としている。
研究チームは、同市場の動物用ケージの付着物や市場関係者の患者から検出されたウイルスの遺伝情報を解析した。その結果、生きた状態で売られていた動物から、2系統のウイルスが変異を経て、人に感染した可能性が高いとした。そのうち1系統が世界に拡大したという。動物の種類は特定していない。
また、患者のSNSの位置情報から感染の広がり方を推定。市場関係者と市場外の患者が生活圏を共有しており、「市場内で最初に動物から感染した後、市場外に広がった」とみている。
東京農工大の水谷哲也教授(ウイルス学)の話「推定の一つだが、起源特定に向けた一歩になる。どのような変異で動物から人に感染するようになったのかなどを調べることも、起源を探る手がかりとなる」
THE 1時間前
そう言うのであれば。
同時にウイルス研究所から消息不明になってしまった研究医たちの安否や失踪の件もキチンと説明してもらわないと
なぜ、研究医達が通告したら消えたのか。
研究所の実験した動物が、処分されず市場に出てきた可能性があると、テレビで見た記憶がある。
そんなものだろう。
動物からの感染というところ以外、発生時期や場所などの推論には100%賛同する。
自然界に生きる動物からの感染であったなら、その前にその動物や他の餌となる動物や鳥や昆虫のウイルス感染による大量死が観測される筈なのに、そういった予兆が全く報告されていない点が説明出来ないからだ。そういった大量死があれば必ず学者がサンプル調査するので、通常なら人間に感染したとされる2019年11月武漢より前に死骸からウイルスが検出された結果が発表されていないとおかしいのだ。当然大量死した死骸も大量にサンプルとして厳重に保管され起源が何処かなどという疑問を世界が抱く事もなかったということ。
可能性はウイルスを持っている誰かが、動物に付着させ市場に持込みパンデミックを演出しようとしたということ。香港人権法案、ウィグル人権法案が通った時期と発生時期が符合することから見ても、香港の大規模デモ対策で安易に撒いたが真相。
pan*****
中国が春節利用して他国にばらまき、テドロス氏がチャイナマネーに目がくらみ適当な発言で感染拡大させなければこんな事にならなかったのに
smk*****39分前
lvp*****1分前
https://news.yahoo.co.jp/articles/7c6b5043b5e9014aa33941aab322b5ff8fc2b67b