
はてなキーワード:実家とは
2年前に、別れた彼女が、夜職で働いてるらしい。
教えてくれたのは共通の友人だった。
心配そうな顔で、でも少し興味深そうな表情も混じえて話してくれた。
でも詳しく聞いてみると、どうやら本当らしい。
歌舞伎町のキャバクラで働いてる。源氏名は知らないが、確実に彼女だったと友人は言った。
頭が真っ白になった。
付き合ってたのは2年間。大学の同級生で、真面目で控えめな子だった。
将来は保育士になりたいと言ってて、子供が好きで、いつも笑顔で。
お互い疲れてて、感情的になって、気づいたら修復不可能になってた。
でも憎み合って別れたわけじゃない。
少なくとも俺はそう思ってた。
保育士の資格は取ったが、なかなかまともな就職先が見つからない。
実家は裕福じゃないから、奨学金の返済もある。一人暮らしの生活費もかかる。
だんだんお金に困るようになって、最初はコンビニでバイトしてた。
でも時給が安くて生活できない。
そのうち居酒屋に変えて、最終的にキャバクラに行き着いたらしい。
話を聞いてるうちに、胸が苦しくなった。
でも俺は真剣に聞いてなかった。なんとかなるよって軽く流してた。
もっと支えてあげればよかった。
俺と別れなければ、こんなことにならなかったかもしれない。
でも一方で、複雑な感情もある。
正直に言うと、嫉妬してる。
お酒を注いだり、隣に座ったり、場合によってはもっと親密な関係になったり。
そんなことを考えてる自分が嫌になる。
彼女は生活のために働いてるだけなのに、なんで俺が嫉妬なんかしてるんだ。
夜職が悪いとは思わない。
でも美咲らしくないとも思う。昔の彼女なら、絶対に選ばない道だった。
どれだけ追い詰められてたんだろう。
友人に、連絡取ってみたらどうかって言われた。でも躊躇してる。
なんて声をかければいいのか分からない。
心配してるとか、困ったことがあったら連絡してとか、そんな偽善的なことは言いたくない。
かといって、復縁を迫るつもりもない。今の状況で、そんな身勝手なことは言えない。
仕方なく働いてるのか、それとも意外と向いてて楽しくやってるのか。
客として通ってくる男性の中に、本気になってる人がいるかもしれない。
そう考えると、また胸が苦しくなる。
友人は、美咲が前より痩せたって言ってた。
化粧も濃くなって、昔とは雰囲気が変わったって。
でも笑顔は相変わらず綺麗だったらしい。
客に愛想よく話しかけてる姿を見て、あの頃と変わらない美咲だと思ったって。
それを聞いて、少しだけ安心した。
でも同時に、切なくもなった。
美咲は今でも頑張ってるんだ。
どんな状況でも、明るく振る舞って、人を笑顔にしようとしてる。
お前らなら、どうする。
別れた恋人が、予想もしなかった道を歩んでることを知ったとき、どう対処する。
連絡を取るべきか、そっとしておくべきか。
心配してることを伝えるべきか、余計なお世話だと思って黙ってるべきか。
もしくは、こんなことで悩んでる俺が間違ってるのか。
でも割り切れない。美咲のことを思うと、今でも胸が痛む。
幸せになってほしいと思う。でも俺がそれを願う資格があるのかも分からない。
答えが出ない。
ただ一つ確実に言えるのは、美咲にはもっと良い道があったはずだということ。
そして、それを阻んだ要因の一つに、俺がいるかもしれないということ。
今更後悔しても遅いけど、やっぱり後悔してる。
美咲、元気でやってるといいな。
でもできることなら、もう一度話がしたい。
あのさあ、家主っていうのは貸家の持ち主(大家)のことを指す言葉なの。そのマンションが賃貸なら家主じゃなくて借主って言うんだよ。一人暮らしデビューしたての学生さん?
ところで、騒音出てて自分なりの対策、たとえば耳栓もしないわけ?騒音出てるって主張してるのに頑なに耳栓を拒む人って、発達障害で感覚過敏(そして当然のように聴覚過敏)の人か、統合失調症で幻聴が聞こえてる人の二択のケースが多い印象。
つうか騒音に耐えられないなら増田が引っ越すか、集合住宅に向いてないみたいだからお金を貯めて一軒家を買うべき。
木造アパートなんかだと隣の人の屁やため息の音すら聞こえるけど想像できる?あんた自覚ないだろうけど実家の居心地の良さに慣れきった贅沢野郎なんだよ。東京じゃなくてあんたが○○べき。
東京で生まれ育った、東京が故郷だという人もいるってことすら想像つかないカス。東京に出てきたものの、自身の能力不足で適応できずストレスためてるだけの自業自得野郎が「東京が悪い!」「隣人が悪い!」って他責に走ってるだけ。能力不足なのに背伸びして東京に出てきて勝手に狂ってる一部のヤバい増田のようなやつが悪目立ちしすぎている。とっとと巣に帰れ。
だらだらとした長文の愚痴は病んでる人にしか見えないし、ガチで幻聴の可能性も考慮すべき。
まあこの手の人って病識ないから病院には行かないよね。東京が悪い、で思考停止しておしまい。あらゆる可能性を考慮できない。知能が低い人が多い(統失は発症するとIQが20くらい下がる)から仕方ない。
嫁は実家や買い物やらで気軽に出かけて気晴らしできたり逃げ場があるけど
旦那は家にいても行動監視されて家事やらその時にやること見極めて動かないといけないし、
SNSで全然違うことに対して毒吐いて発散しようものなら、自分ごとにされて悪く思われるし、
その上リモートだったのを週何度か会社出てくれと言われたこと言ったら嫌な顔されるし(浮気でもされるのかと思ってるよう)
なんでおれが やらなあかんねん
なんでおれが しなあかんねん
なにもかくことがない
僕が考えた最強の人生
なにもかくことがない
なにもかくことがない
指針がない
なにもかくことがない
なにもいうこともない
指針がない
なんでおれが
なにもかくことがない
なにもかくことがない
なんでおれがしないとだめやねん
なんでいきないとだ
めやねんn
いやいきるけどさ
対話 じゃあ生きなくていいよ
選択制にしてほしい
それがクソゲー
しらねえよ 興味ねえよ うるせえよ
めんどいわ
いまどんな格好してるの ムラムラしてきた 一回切るわ じゃあね
言語化したくない
明言したくない
整合性とりたくない
生きるのつらい 死ぬのも怖い もうだめじゃん
私の下の子が最近元気がありません。どうしたらいいでしょうか?(しもねた)
明記せず のらりくらり生きていく
自己成長
このままでよくないですか
いまのままでよくないですか
実家でるとか昔強く思った気がするけど
寝る直前まで先延ばしにした挙句、嫌々入って、睡眠時間減った……とか思うタイプの面倒臭がり。
洗髪は二日に一回だし、外出してない休日は入らないし、入っても湯船に浸かるだけで体のどこも洗わないみたいな日もぼちぼちあった。
そういうやつが温泉に入って、「わ~気持ちい~」と思えるまで変化したので、記録として残しておく。
風呂入って全身洗ったらさっぱりする。まずそれを受け入れた。風呂入ったら睡眠時間減るけど、どう考えても夜中に入るせいでしかない。元々「風呂入って後悔した奴はいない」と自分に言い聞かせて重い腰を上げてシャワーを浴びる生活だったのでまあこれは早めにできた。
②加齢に気づいた。
明らかに若い頃より頭皮が臭う。気づかないふりをしていたが間違いない。一日頭を洗わないとなんか臭い。この気づきによって、「風呂入って後悔した奴はいない」という自分への言い聞かせが「おまえ風呂入らんと後悔するぞ」に変わった。あと温まった方がよく寝れる。
③人に相談した。
臭くなりたくない一心で風呂に入る生活はしんどい。風呂入ったらさっぱりするけど、さっぱりの前に一回は絶対気持ち悪くなるじゃん?とこぼしたら「お湯の温度高すぎるんじゃない?」と言われた。エウレカ。
④お湯の温度を下げた
風呂に入ったら絶対に吐き気がするが、それはお湯が熱すぎるからだと発覚。実家の風呂が常に45~43度だったのでこれがノーマル風呂だと思っていたが、一般的に熱すぎるらしい。41~38度あたりまで下げたところ、生まれて初めて湯船に浸かって「気持ちいい」という感覚を得た。
それでもまだ風呂が嫌だったので、なにが嫌か考えて全部やめた。
床と体がヌルヌルするのが嫌→コンディショナーが諸悪の根源。やらないことに決めて、風呂上がりに流さないトリートメントすることにした。
手と顔がヌルヌルするのも嫌→クレンジングオイルのせい。石鹸で落ちる化粧に変えた。
体が冷える→ムダ毛処理のために洗い場に長時間居るせい。やめた。すね毛と清潔なら清潔が優先。
⑥家で風呂に入れるようになった。
入浴は洗って浸かってさっぱりするだけの気持ちいい体験だと覚えたことで、毎日風呂に入れるようになった。自分は清潔な人間だとちょっと自己肯定感が湧いた。
かねてより温泉は意味わからん嫌な施設だと考えていたが、「洗う+浸かる=気持ちいい」の図式が分かったのでデカイお湯に浸かるのも一興と思い、挑戦した。
温泉の何が嫌か考えたところ、空気籠って暑い+なんも見えん(眼鏡の民なので)+他人が尻をつけた風呂場椅子に座る+他人がいる空間で体を洗う、だった。
なので旅館に泊まった折に、風の通る露天風呂+眼鏡+内風呂で全身洗ってから浸かりにだけ行く+洗ってから行くので大浴場の設備に座らなくていい、というのを試した。
すると気持ちよかった。
寝る直前まで先延ばしにした挙句、嫌々入って、睡眠時間減った……とか思うタイプの面倒臭がり。
洗髪は二日に一回だし、外出してない休日は入らないし、入っても湯船に浸かるだけで体のどこも洗わないみたいな日もぼちぼちあった。
そういうやつが温泉に入って、「わ~気持ちい~」と思えるまで変化したので、記録として残しておく。
風呂入って全身洗ったらさっぱりする。まずそれを受け入れた。風呂入ったら睡眠時間減るけど、どう考えても夜中に入るせいでしかない。元々「風呂入って後悔した奴はいない」と自分に言い聞かせて重い腰を上げてシャワーを浴びる生活だったのでまあこれは早めにできた。
②加齢に気づいた。
明らかに若い頃より頭皮が臭う。気づかないふりをしていたが間違いない。一日頭を洗わないとなんか臭い。この気づきによって、「風呂入って後悔した奴はいない」という自分への言い聞かせが「おまえ風呂入らんと後悔するぞ」に変わった。あと温まった方がよく寝れる。
③人に相談した。
臭くなりたくない一心で風呂に入る生活はしんどい。風呂入ったらさっぱりするけど、さっぱりの前に一回は絶対気持ち悪くなるじゃん?とこぼしたら「お湯の温度高すぎるんじゃない?」と言われた。エウレカ。
④お湯の温度を下げた
風呂に入ったら絶対に吐き気がするが、それはお湯が熱すぎるからだと発覚。実家の風呂が常に45~43度だったのでこれがノーマル風呂だと思っていたが、一般的に熱すぎるらしい。41~38度あたりまで下げたところ、生まれて初めて湯船に浸かって「気持ちいい」という感覚を得た。
それでもまだ風呂が嫌だったので、なにが嫌か考えて全部やめた。
床と体がヌルヌルするのが嫌→コンディショナーが諸悪の根源。やらないことに決めて、風呂上がりに流さないトリートメントすることにした。
手と顔がヌルヌルするのも嫌→クレンジングオイルのせい。石鹸で落ちる化粧に変えた。
体が冷える→ムダ毛処理のために洗い場に長時間居るせい。やめた。すね毛と清潔なら清潔が優先。
⑥家で風呂に入れるようになった。
入浴は洗って浸かってさっぱりするだけの気持ちいい体験だと覚えたことで、毎日風呂に入れるようになった。自分は清潔な人間だとちょっと自己肯定感が湧いた。
かねてより温泉は意味わからん嫌な施設だと考えていたが、「洗う+浸かる=気持ちいい」の図式が分かったのでデカイお湯に浸かるのも一興と思い、挑戦した。
温泉の何が嫌か考えたところ、空気籠って暑い+なんも見えん(眼鏡の民なので)+他人が尻をつけた風呂場椅子に座る+他人がいる空間で体を洗う、だった。
なので旅館に泊まった折に、風の通る露天風呂+眼鏡+内風呂で全身洗ってから浸かりにだけ行く+洗ってから行くので大浴場の設備に座らなくていい、というのを試した。
すると気持ちよかった。
それが誘い文句だった。砂丘には雪ないからスノボなんてできないでしょ、なんていちいち言ったりせず、黙ってYahooを開いてGoogle検索をかけた。『砂丘でスノボ』は、正確にはサンドボードというらしい。鳥取砂丘の砂は粒子が細かく雪のように滑れる、らしい。
「私スキー場で滑れなくてボード担いでお尻で滑って降りたことあるぐらい苦手だけど、それでもいい?」
即レスだった。私に運動神経が存在していないことを知っていても誘ってくれる心が広い友人に感謝しながら、私も「じゃあ行く」と即レスした。
それから4日後、私たちは鳥取に向かう電車に乗っていた。スーパーはくとという名前のそれはなんの配慮か電車の真正面の景色がモニターで見えるようになっていた。短いトンネルに入っては抜けて、暗い画面が白く眩くなっては暗くなる。そんな画面を見ながら、友人はわたし達ワープしてるみたいだ、と言った。私はローソンで買った昆布おにぎりを食べながら乗り物酔いしそうになっていた。
鳥取駅はなんだかこじんまりしていた。清潔で、スタバもコンビニもお土産屋もあって、けれど人は少なかった。曇り空の下にはシャッターが閉まった店が沢山あって、何故だか占いのお店が幅を利かせていた。とりあえずお昼を食べようと鳥取名物を調べたら、カレーと、海鮮と、ラッキョウと、砂丘関連の名物(プリンやら砂で蒸した卵やら)、あと梨だった。じゃあカレーでいいか、とカレーの有名な店を調べて向かった。メインの計画以外はその場で決めよう、何事にも縁ってものがあるからさ。というのが彼女の考えだった。だから、2泊3日の旅の内2日目のサンドボード以外は全くの無計画だったのだ。
カレーのお店は鳥取名物を謳っているから、という理由だけで決めたが、建物も新しくリーズナブルで美味しかった。彼女はブラックカレー、私はスープカレーを頼んだ。美味しかった。
店員さんにどうしてカレーは鳥取名物なんですかって言ったら、鳥取はカレーの消費量が全国一位なんです、という答えが返ってきた。答えになってないような気がした。沢山食べたら自分たちの物にできるんですか。チェンソーマンみたいですね。そう思ったけど言わなかった。彼女はチェンソーマンを知らない人だから。
カレー食べた後は彼女の希望で、海沿いを歩いて白兎神社に行った。縁結びが出来るんだって。でも因幡の白兎が元ネタらしくて、あれサメを騙して海を渡ろうとした兎がサメを怒らせて全身の毛をむしられた話だよね、どっから恋結びのご利益出てきたんだろうね?そう言ったら彼女はまぁねー、でも兎かわいいよ、と兎モチーフの石像をニコニコ眺めていた。答えになっていなかったけれど、彼女はそもそも神なんか信じていないのかもしれない。それとも彼女はもう結婚しているから、ご利益があってもなくてもどっちでもいいのかもしれない。私は、転職の成功と、ついでにいい感じの恋人ができますようにとお願いした。嘘ついて騙して、結局身ぐるみ剥がされた間抜けで最悪な兎じゃなくて、ウサギを助けた優しい神様の方に祈った。私の次の職場は完全未経験の、クラスに一人はいるなんでもできる陽キャだけ集めたような、そんな職場です。目一杯見栄を張って、使命感のある溌剌とした人間のフリをして面接に受かりました。本当の私はクラスに一人はいる、真面目でも不良でもない、何を考えているか分からない女です。なんとか、どうにか、上手くやっていきたいです。ついでに誰か、今好きな人とは別の他の誰かを好きになれるようにしてください。優しい神様、どうか助けてください。
2日目は本命のサンドボードだった。鳥取砂丘まではバスに揺られて一時間ほどだった。昨日の天気が嘘に思えるほどの晴天で、私は雨女だからあなたが晴れ女なんだね、あなたって運がいいもんね、と言ったら、わたし運はいいけど、天気なんて人一人の運でどうにかできるものじゃないでしょ、と穏やかに笑いながら言った。やっぱり彼女は、ほんとうは神様とか信じていないんだろうな、と思った。
サンドボードの参加者は私たち以外いなかった。早い時間の参加者は少ないんです、だそうだ。荷物を持って砂丘へ足を踏み入れると、泥の上でもないのに深く足が沈んで歩きにくかった。私は足にどうやって力を入れていいか分からなかったのだけれど、友達はスタスタ歩いていく。彼女は運もいいけれど運動神経も抜群にいいのだ。私はそれを追いかけるのに必死だった。その後どんどん丘陵地になっていき、荷物を抱えながら砂を蹴って丘を登った。ジグザグに歩きながら、息を切らしながら、ようやくてっぺんに辿り着き、インストラクターの説明を聞いた。ボードに足を固定して、滑る。そしてボードを抱えて登る。要約するとこれだけだった。また登る、と聞いた時、小さく最悪、と行ってしまったのだけど、彼女はそれを耳聡く聞きつけて、顔を顰めながらそういうこと言わないで、と私を軽く叱った。ごめん、と謝ったら、うん、と言って、まるで数秒前の記憶ごと消し去ったかのように表情を元通りにした。大人の嗜みとして不機嫌を表に出さないようにしている訳じゃない。彼女は昔から、心が広いのだ。
サンドボードで滑るのは楽しかった。とにかくバランスを取ることに必死になっているうちに丘の下に辿り着いていたが、それでもすぐに丘の上から砂を滑る爽快感が追いついて、楽しい、となる。体力が続く限り登って滑ってくださって結構ですよ、とインストラクターに言われたけど、滑る時より丘を登るのに体力を削られ、結局もう一度滑って体力が尽きてしまった。友達は体力が無地蔵なので滑っては登るを繰り返し、3回目からは丘をジグザグに登らず直線距離で駆け上ってきた。しんどくないの、疲れないの、と聞いたら、
「疲れるけど、その方が近いからさ」
って言って、そのまま4回目を滑り始めた。インストラクターが、すげーっすよあの子、歴代一位の体力ですよ、いくつぐらいですか?と、私に聞いてきたので、すごいですよね、すごいんですよ、とだけ相槌を打った。遠くの丘からパラシュートが飛んで行くのが見えた。パラシュートは風に乗って飛んでいき、私の友達を通り越して遠くに着地したのが見えた。こっちの方がワープみたいだな、と思った。友達とパラシュートの人の姿が、豆粒まではいかないけどずっと遠くに見えた。なんでかスピッツのロビンソンを思い出した。いいな。私もそっちにワープしたい。私とそこ代わってよ。お願い。
その後砂丘前のお土産屋に行った。私は転職予定で現職を有休消化中の一人暮らしだったので、自分用のお土産に砂漠プリンを一つと、近々会う予定の友達用に梨ジュースを買った。私の買い物はそれでおしまいだったけれど、彼女は実家に、職場に、とじっくりとお土産を吟味して、結局バスの時間ギリギリまで迷っていた。一番時間をかけて選んだのは彼女の旦那さんのお土産だった。何あげても喜んでくれるけど、やっぱり一番喜んでくれるものをあげたかったから、3つぐらい買ったんだって。お土産あげた時の旦那さん、本当に可愛くて好きなんだって。彼女は心が広いから、きっと家事分担やら稼ぎやら、結婚生活で起こり得る何かしらに少しも不満を抱いたりしないだろうな。長く続くんだろうな。きっと死ぬまで。
3日目も当然予定を立ててなかったんだけど、2日目のメイン目的を達成したからもう帰っても別にいいよね、みたいな雰囲気があった。でももう少し引き伸ばしたくて、牛骨ラーメン食べに行こって言った。鳥取に牛肉のイメージなかったけど有名らしかったから。それで、Google マップで適当に検索して評価高いところに行った。チャーシュー多くてスープも上品な甘さがあって美味しかった。食べ終わった後、友達がわたしラーメン好きじゃないんだけどこれは美味しかったな、と言った。びっくりして、なんで言わなかったの、って言ったけど、いやでも美味しかったからよかったよー、としか言わなかった。ねぇ答えになってないんだけど。長い付き合いなのにそんなことすら全然知らなかったよ、心が広いの知ってるけど、でも、ちゃんと言ってくれたらいいのにさ。
ラーメンを食べた後、私たちはスーパーはくとに乗った。はくとのモニターには相変わらずトンネルと田園風景が交互に映っていた。友達は今度はワープみたいだとは言わなかったけれど、そういえばこの電車って白兎から文字ってるんだね〜、と言った。そうだね、と言って寝たふりをした。また、最悪、と言いそうになった。しばらくして目を覚ましたら、前を走行している電車で急病人が出たとかで何処かの駅で停車していた。
やっぱわたし運いい。と言って、彼女は窓から写真を撮っていた。私は寝たふりをしながら、このまま電車止まっててくれたらいいのにな、と思った。
Permalink |記事への反応(13) | 21:20
世界のIT企業ってすべてが研究室や金満ベンチャーから生まれた訳じゃない
実家のガレージの車を売って、そこで中古のコンピュータ使って事業を始めました、という有名エピソードのようなルーツを持つこともある
会計処理のために嫁が買ったパソコンでゲーム作り始めた人や、大学の中古機材を廃材置き場から持って行って立ち上げたこともる
リソースの余剰と人の暇が組み合わさると発展につながるのだ。帝国には辺境が必要、という国家論も同じことを言っている。
また生産者は義務的な供給のためだけに生産するようになり、イノベーションの発生が抑えられる
まさに資本主義社会であるのに社会主義のような閉塞を招くことになるのだ。
どんどん作り、どんどん余り、その余り物に付加価値をつけてより沢山作るようになる
減反は失われた30年を40年に引き伸ばすだろう
7年前、東京。地下かどこかの喫茶店で、デザイナーのHさんと打ち合わせをした。
自分が企画した仮設の公園シリーズのデザイン制作物を依頼する場だった。
まだ若くてバカだった当時の自分は、「A3サイズで世界を変えよう」と笑いながら真剣に言ったのを覚えている。鼻息でストローの袋を吹き飛ばした気がする。
その後に作ったA3のフライヤーは、原稿の渡し方もイメージの共有もめちゃくちゃで、散々迷惑をかけた気しかしない…。でもHさんは最高の納品物をつくってくれた。
それからあちこちでHさんのデザインを目にするたびに(先日も実家近くの本屋で見かけた)、あの狭い喫茶店で口にした言葉を思い出す。
Hさんはあれから、マジでA3サイズで世界を少しずつ変えてってると思う。
「どうして“哲学対話”という名前を使うんですか?難しそうだとか、参加に身構える人もいるかもしれないのに」と尋ねた。
Nさんはいろいろ考えた末に、「なんか…ムカつくんすよね」と言った。
哲学と、対話という言葉の意味を新しく上書きするために、あえてこの名前を使うんだって話してくれた。
今の自分は、どうだろう。
「ムカつく」という言葉を聞いて、久しくその感覚を忘れていたかもしれないと気付いた。
どうせ何も変わらないと思って、絶望してたんだと気付く。ぜつぼうって、Zから始まる強い響きの言葉だけど、耳がキンとするほど静かで、うっすら気付きながら置き去りにして、気付けばゆっくり死んでいるような絶望もある。
思い出すと自分も「A3で世界を変えよう」と言ったあの頃、世界に対してムカついてた。
少し前、自分は臨時職員だった。アートと教育に関わる仕事。給料は月13万円。
でも求められる仕事の内容は変わらない。自分が足りないから倍以上頑張るしかないんだ。
「アーティストやクリエイターとつながっておくのが大事だ」と教わりつつも、飲み会に行くのが怖かった。行ってもバカにされるだけ、雑にいじられて否定されて、3000円払っていやな思いをするだけだと思ったから。
それでも「今日は違うかもしれない、大丈夫かもしれない」と信じてみる。
先にコンビニでおにぎりとホットスナックと缶ビールを胃に詰め込み、遅れて飲み会に顔を出す。結果「やっぱりカタパンはダメだな〜」と何かのきっかけでバカにされ、ヘラヘラしながら5000円払わされ、真っ暗な帰り道で涙がつっとこぼれそうになる。今思えばもっと自己開示すべきだったのかなって思う。でもあの時の自分は、自分を守るのに必死だった。
同じ部署の臨時職員同士で競わせられ、蹴落とし合う日々。毎日どんどん嫌な自分になる。
それは素晴らしいことで、自分は今日も帰れない。自分は常に欠けていて、仕事ができないからしょうがないんだ。自分も子どもを育ててみたいという気持ちをこんな手取りじゃ絶対無理だとグッと押し殺し、上司に嫌な感情を向けてしまう心に嫌気がさす。
「カタパンの説明は下手すぎる」「カタパンは才能がない」「カタパンは惜しいんだよな」「タレ(当時付き合っていた彼女)と結婚してさっさと仕事やめたら?」「カタパンのタレはメンヘラだよな」「それ俺が考えたことにして。そっちのほうが絶対うまくいくから」「カタパンが考えることは全て、もうすでに俺が考え終わったことだよ」「カタパンは、ソーシャル・ネットワーク(映画)の、ザッカーバーグじゃない方なんだよ。自分が考えたことも上司がうまいところを持っていく。そういうのってこの業界じゃ当たり前だから。」「カタパンはエモいからな〜」「カタパンは伸びしろがない」「泣くのはプロじゃないよ」「カタパンもう◯歳でしょ?いい加減大人になってほしいよね」
大学1年生のころ、そのアートセンターでやっていたノイズミュージックのライブを初めて聞いて衝撃を受けた。
退屈してて何もないと思っていた、都市ってつけるのがおこがましいくらいの地方都市で、爆音の圧に内臓が揺れる。初めて音に殺されるって思った。
こんなこと公共施設がやっていいんだ。そのアートセンターで働くことに憧れた。
そこには市民の有償ボランティア制度、サポートスタッフがあった。入りたいと思った。
でも1年生でサポートスタッフになっても、きっと自分は他の人に埋もれてしまうと思い、いろんなアルバイトを経験した。
3年生になって、ようやく少し自信を持って、サポートスタッフに登録する。
“カタパン”は、サポートスタッフを始めた初日、教育普及の職員に付けられたあだ名。
理由は、肩パンしても大丈夫そうなキャラだから。嫌なあだ名だったけど、あだ名を付けてもらえたことに喜んで、自分は否定しなかった。
ようやく入った憧れの施設では、地元の人やサポートスタッフを蛮人と呼んでる人もいた。
もちろん冗談で。冗談なんだから否定するのは粋じゃない。自分は一緒に笑った。
自分も笑われているのに。
どんなに嫌なことがあってもそのアートセンターに憧れたあの時の気持ちは捨てられないし、どこかで全員尊敬できたし、すごく優しい人もいる。
周りの誰も憎めずに、自分を責め続けた。心配してくれた人の言葉を、自分は大丈夫ですよとヘラヘラ聞き流した。
周りを変えることよりも自分を責めることの方が楽で、でもずるくて、いざ失敗したら周りのせいにしてた自分もいる。この文章だってそうかもしれない。
自分は自分のそういうところがめっちゃ嫌い。だからこの文章をここに書き残しておく。
ダサいことも、痛いことも、全部置いておく。
今は常勤職員になってしばらく経ち、生活も少し安定するようになった。チームが変わり、すごくいい仲間に恵まれて、痛みを感じることを言われることも少なくなった。安心できる場所をつくることが出来た。年下の後輩も入ってきて、それまでリーダーをやってくれてた同僚が抜けることになった。
常勤職員から、副専門職員になる試験を受けたら、普通に面接で落ちた。
付き合いの長い上司から、あなたに専門性はないですって諦められたみたいで悲しかった。
たしかに自分はまたヘラヘラして、自分の言いたいことを伝えられなかった。
伝えることを諦めてしまった。そんな自分が悔しくて、その夜電気を全部消して泣いた。
今の自分は、どうだろう。
昨日『104歳、哲代さんのひとり暮らし』という映画の感想を語り合う場所を開いた。これは一昨年の暮れから、だいたい毎月4回くらいやっている。休憩がてら立ち寄った人たちとお茶やジュース(ミルクティーが人気)を飲みながら、映画の印象に残った場面を話すうちに、みんなそれぞれ自分の過去をぽつりぽつりと思い出して語り始めたりする。昨日も15人くらい来てくれた。
コロナ禍の入院で、本当は会いたかった人を病院の窓から見送った話。
離れて暮らす娘の早産を電話で励ますことしかできず、悔しかった話。
祖母が隔離病棟で亡くなる直前、看護師がつないでくれたLINEビデオで声をかけたけど、触れられなかった話。
「哲代さんは明るくてすごい。私は後悔ばかりだ」と84歳の参加者が漏らすと、別の人が「いまからでもイメチェンできる!84歳、あと20年ある!」と励まして笑い合う。
飲み物を継ぎに別のグループへ。「職員さんですか?」と聞かれたので簡単に自己紹介し、「楽しく働いています」と答えると、一人の女性が「…仕事はつらいですよ。人生はつらいですよ。」と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
彼女は三人の子どもを育てるために、大好きだった介護の仕事を諦めたそうだ。
「介護の仕事は給料が低くて、今はレジ打ちなんかをしています。でも、本当は働きたい」そう言うと、彼女の目から涙があふれた。
彼女にとっての“働く”は介護であり、レジ打ちはやらなきゃ立ち行かなくなる”仕事”。
彼女は泣きながら、どんな場面を、人を、思い出していたんだろう。
そのタオルがすごく大きくて「いっぱい泣けるね」とふざけて笑い合う。
尊敬する館長がしばらく前に亡くなった。
自分は、館長の本棚にあった「公共の役割とはなにか」という本をもらった。
館長から出された宿題みたいに、その問いのことをずっと考えている。
まだ宿題の途中だけど、今館長に聞かれたら、
公共文化施設とは、みんなで人間らしさを取り戻す場所って答えたいと思う。
人生は一人で抱えるには重すぎる。いつか自分の足で立つためには、みんなで少しずつ荷を下ろし、身軽になる必要もある。何かを得るだけでなく、重くなった気持ちも置いていける場所。そういう場所が、自分はあってほしい。
それは捨てていくんじゃなくて、きっと誰かが聞いている。
誰かが誰かを覚えていると信じられるから、新しい自分になっても安心して息が吸える。
小学生がうちの施設に社会見学に来たら「メディア・テクノロジーは人にものごとを伝えるワザ。コンピューターやインターネット、映像、照明、音響とかいろんなものがある。そう聞くと、電源が必要とか、新しくてシュッとしてるとか、固くて冷たいものを想像するかもしれないけど、いまみんなに話しているこの言葉だってメディア・テクノロジーのひとつ。僕らはつい最新のテクノロジーに注目しがちだけど、僕らが生まれるずっと前は、この”言葉”だって最新のテクノロジーで、思ってることを人に伝えられるのやべ〜!ってなってたはず。もし言葉が喋れなかったとしても指差しをしたり、狼煙を上げてここにマンモスがいるぞー!って伝えてた。でも当たり前に使えていると思ってるものも、使い方を間違えると怪我したりする。
このアートセンターでは、メディア・テクノロジーを改めて広く捉え直して、ありたい未来や可能性(こんな使い方出来たんだとか、こんなふうに伝えられるんだとか、こうなるとヤバそうとか)をみんなで考えて、みんなでつくっていくために、全員まだ答えを持ってない新しいアート作品をつくったり、紹介したり、それをみんなで見る場、話す場を開いてる」って伝えてる。ともにつくり、ともに学ぶ場なんだって。
例えば映画の上映に合わせておこなうお茶会みたいなイベントは、小さな場所の小さな営みで、”オリジナル”みたいに威張れることはしていない。たまたま映画を見に来た鑑賞者同士が、なんとなく休憩しに立ち寄って、お互いの話を聞きあえる場を開いているだけ。でも、そこに来る一人ひとりは、とても大きな人生を背負っている。
昨日立ち寄ってくれた年配の2人組。
少し背の低い女性が「耳がほとんど聞こえなくなった主人が、この映画は見たいって言ったんです。だから字幕がなくても今日は来ました」と穏やかな声で教えてくれた。
これを見たいと思うことと、一緒に見る人がいるのめっちゃいいですねと伝える。そしたら突然その人がパートナーの耳元に向かって、自分がさっき言ったことを大きな声で復唱してくれる。(この人、こんな大きな声が出るのか)と内心びっくりする。
男性は嬉しそうに「そうなんですよ」と言って笑った。言葉があってくれて、でっかい声で伝えようとしてくれて、ここに来てくれて、聞いてくれて、ほんとによかった。
その場を見ようともしない人ほど「効率が悪い」とか「KPI」とか「来てない人を納得させないと」とか「ソーシャルインパクトが大事」とか「経営的な戦略が必要」とかって、ティーチ(一方的に教える)よりラーニング(自分で学ぶ)が大事と言う同じ口で、一方的に教えてくれる。
いや、なんかそうなんかもしれんけど、うっせ〜〜〜。
簡単に人をモノのように扱える人ほど評価される世界は絶対間違ってる。
世界を変えるって、トランプみたいに自分勝手に世界を掻き回すことじゃ絶対にない。
世界を変えるって、ひとりひとりが自分の力を思い出して、取り戻すことじゃないんかい。
この前ポッドキャストの収録で話したひるねちゃんは「手元をみよう 手元をみよう」と、祈るみたいに2回言った。
「人の心に反射したその光こそが作品。作品が光ってるって言うより、あなたの心に反射したものが光ってるんだよ。エネルギーを飲み込まないで発散できる自分でいたいな」と言いながら、最後の語尾は震えてた。
心が諦めてしまうと簡単に、ブラックホールとかベンタブラック(99.9%の黒)みたいに、どんな光も吸収してしまう。
収録が終わってしばらく経ったある日ふと、本当に信じてることは信じてるなんて言わないのに、信じたいって思うことほど信じてるって口に出して言うのは不思議だなと思った。
言葉に日光を浴びせるように外気にさらすことで、いつかほんとに信じられるものに変わるかもしれないから、僕らは信じたいことを口に出すのかもしれない。
先週も大学を訪ねたら「アートは自分には縁がないもの」と学生が匿名チャットで教えてくれた。おい、誰がアートをその子に縁がないものにしてしまったんだ。関係ないものなんて、本当はなに一つないはずなのに。おい、誰がそんなふうにしてしまったんだ。
でも自分もアートに関わる仕事をしててそう感じさせたうちの一人でもあるかもしれないからそれはごめん!もう一度やり直したいからチャンスがほしい。そんな悲しいこと言わないでよ、寂しいじゃんって思う。
あームカつくな。ムカつくし、ムカつくという感情を思い出せたのが嬉しいな。
ムカつくの前には悲しいな、とか寂しいな、があるな。ムカつくのにも、悲しいなとか寂しいなを反射させる力が必要なんだな。
自分は小さな空間で、人が変わるまぶしい瞬間を何回も目にしてきた。
たしかに自分の文章はまだまだ分かりづらくて、曇った鏡みたいなものかもしれないけど、本当はもっともーーーーーっとすごい。まじ伝えきれね〜〜〜〜って思う。
それでも自分も、反射できる自分でいたいと思うからこの文章を書き残しておく。
昨日の朝、映画を見る前、教育学部の授業に自分が働くアートセンターの紹介をしに行った。
朝一の貴重な40分をもらって全力でプレゼンしたあと、先生がブラインドトークのワークショップに参加させてくれた。
10人が3チーム、絵を見て言葉で伝えるチームと、その説明を聞いて絵を書くチーム、そのやり取りを観察するチームに分かれる。
5分間で出来上がった絵は、答えに近い人もいれば、まあまあ遠い人もいる。
その後のフィードバックの時間は、こう説明すれば良かった、こう質問すれば良かったなどの意見を交わす。
右から1/3の位置に〇〇があるみたいに数字を入れて伝えるとか、全体の雰囲気やテイスト(イラストなのか写実的なのかなど)を伝えてから具体的な描写を伝えるとか、一番大事なこと(なにを伝えたい絵なのか)に絞って伝えるとか、いろんなアイデアが出た。
どれもすごい大切だって思ったと同時に、自分はなんかもう、最強だな〜〜〜って思った。
最強って、いまめっちゃ強いとか、いまめっちゃ説明が上手とかじゃなくて、変われるってことだと思った。伝えようとしてる人がいて、聞こうとしてる人がいる。もうそれで十分じゃん。言葉が足りなきゃ付け足したら良いし、分かんなかったら聞けば良い、言い直したらいい。
ほんとは完璧なコミュニケーションなんてなくて、伝えたいとか聞きたいとか、それを諦めずに関わろうとし続ける限り、うちらはもっと強くなれる。もしかしてそれを教育と呼ぶのでは?!みたいなことに気づいて驚きながら言った。
みんないい姿勢で、まっすぐ聞いてくれた。おい、まぶしいな。ありがとう。
先生にお礼のメールを送る。あの子達が4年生になるのが楽しみですねって伝えた。ここには書かないけど、嬉しい返信が返ってきた。また会いたいな。学生も先生も全員サポスタに登録して欲しい。
同僚のNさんとサポスタ募集の打ち合わせしたら「うちらがやってることは、誰に見せても恥ずかしくないから本当はターゲットなんてない。ターゲットは全人類、死んでるやつも、これから生まれてくるやつも。ひとまず50億人全員サポスタに登録してもらおう。」って話してて爆笑しながら超グッと来た。絶対そうなった方がいいしやっぱ最高だなこの人って思った。
トランプも、ゼレンスキーも、オバマも、プーチンも、ネタニヤフも、オードリー・タンも、石破茂も、議員会館の地下で迷子になってる秘書も、海を渡ってきた難民も、夜勤明けでレジを打つコンビニ店員も、介護の夜勤でウトウトしてる人も、野良猫を拾ったけどなかなか懐かなくてすこし懐いてくれて安心したら実は腎臓病が進行してて休日は暴れる猫を連れて動物病院に通う新入社員も、推しのVtuberにスパチャしすぎて家計簿が真っ赤な人も、好きな人と一緒になれなくて家で一人で泣いている遠距離恋愛のカップルも、育休取りたくても言い出せない課長も、同性婚を夢見るカップルも、初めてステージに立つ前に鼓動が早くなってるドラァグクイーンも、卒論提出3時間前の大学5年生も、家の外に出る勇気が湧かないひきこもりも、声を出すと噛んじゃう吃音持ちも、白杖を持った視覚障がいランナーも、手話でコントをやる芸人も、補聴器の電池を切らしたおばあちゃんも、手足のないスケボー少年も、車いすで山道を攻める登山家も、PTSDに苦しむ帰還兵も、大学の講義室で聞いてない学生に向けて伝えることを諦めようとしてる教授も、モテることとサボることと遊ぶことと就活で頭がグチャグチャだったあの頃の自分みたいな大学3年生も、収容所で自由を夢見る政治犯も、その看守も、裁判で涙を流す加害者も、被害者も、サウナで “ととのい” を追い求める会社役員も、離島で保育士を探す町長も、推し色ジャージでライブに並ぶ中学生も、バイト代を全部ガチャに突っ込んだのに天井までSSRが来ない高校生も、フィリピンのごみ山でタガログ語ラップを刻む子どもも、アマゾン流域で川と話すシャーマンも、北極で氷が割れる音を聴く魚も、火星着陸の夢を抱く在野の<
ちな台湾密いも。
なんこれ、うますぎ。最寄りの牧場アイスに引けをとらないミルク感あってうますぎた。
もう定年退職してる義父さんが現役の頃、実家の近所にミニストップがあってよく買って帰ってくれたらしい。
10年以上前からあるってこと?すげぇ。変わらんうまさ、懐かしいって言ってた。
これも200円引き。しかも1回きりかと思ったら、期限まで1アプリにつき10枚クーポンがあるっぽい。
ミニストップ、色々すげぇな。
自分も都内生まれ育ちでボンボンだの実家が太いだのからかわれる方だが、
こういうふうに見られているのかもしれないと反省した。
サークルや社内恋愛はあったけれど何となく婚期を逃してアラサーになって
たまに紹介を受けるけれども、ちょっと高尚過ぎてついていけないと紹介者づてに言われたことが何度かある。
紹介となると身構えるというか何となく格好つけてしまうというか、
さすがに赤信号くらいは渡るけれども一線は超えないような感じに振る舞ってしまう。
もう少し早い段階で素を出していくほうがいいのだと思った。
逆に、都会の女性は赤信号はじめ色々とに厳し過ぎてついていけない。
例えば、
社会人になりたての頃は、
そこから40代になった今は、一応一部上場の企業に勤め、年収は1,000万を超え、子宝には恵まれなかったが、妻と2人でささやかに暮らしている。
現在、弱者男性ではない理由は、他人に期待しなかったからだと思う。
まず近親者に問題が多かった。家族でもこれだから赤の他人や行政が親身になって自分を救ってくれるとは到底思えなかった。
みんな自分の事で精一杯なのに、なんで何も持たない俺を気にかける?他人にとって俺を助けるメリットはない。だから自分を助けるのは自分しかない。ずっとそう思ってた。
独学でスキルを学び資格を取り、体当たりで色んな場所に顔を出してコネを作ったり、落とされても何度も挑戦して転職もできた。
途中では、挫折もしたし、恥も沢山かいた。ぞんざいな扱いに傷ついたり、悔しい思いも数知れない。
社会人のスタートが遅かったから年下にこき使われることも頻繁にあった。情け無い気持ちになっても自分のプライドを抑えた。生い立ちとか学歴とか、未だにコンプレックスだらけだ。
運が良かっただけとか生存者バイアスとか言われるかも知れない。でも誰かの救いを待ってるだけでは現状は悪くなるばかり。自分は自分しか救えない。これは真実だ。
そして、これからの人生で何が起きて、また弱者男性になるかわからないが、そんな時でも他人には期待できない。困らないような準備を今からしておく。
みんな頑張れ。
頭の悪い男とばかり付き合ってきてさすがにそこそこ傷付いたので、アラサーなる前にしっかりした相手を探してみようと思って本気を出して、いわゆる良い男と付き合えそうだったので付き合ってみた。
高身長細マッチョ、そこそこイケメンで温厚。実家も太くて育ちが良い、そこそこ高収入な彼氏をほぼ棚ぼたみたいな感じで付き合っている。
けど、あんまり幸せになれてない気がする。自分はどうやら、育ちの悪い人の方が身の丈に合ってるのかもしれない。
育ちが良くて要領と頭がいいからか挫折を知らない。何か辛いことがあっても慰めてくれるけど真の共感がない。そりゃなんでもできるもんね。勉強の仕方を聞くと教科書覚えて問題集やれば良いとか平気で言う。
正義感が強くてなんかちょっとしたズルにも厳しい。ガーガー怒ったりはしないけど、そういうのどうかと思うとか、俺はやらないかな。みたいな態度を取られるのが悲しい。車が明らかにいないのに気分で青信号を待つような感じ。赤信号を渡って急ぐくらいなら早寝するために考えなよを素で言ってくる。
愚痴を全く言わない。達観している。同じく20代のはずなのに、1ミリも人に期待していなく、失望もしていない。人ってそういうものじゃん、が素地。悪口との距離感を武器にして生きてきた田舎娘には仙人に見えるよ、あんた。
努力するのがデフォ。努力の質と量が常人離れしすぎ。入ってくるお金の量が多いから質の良い出費ですぐ結果を出してくる。それでいて、別に趣味とか遊びとかで結果出すのが全てじゃないでしょ、人それぞれだよ。とか言ってくる。お前は人生何周目なんだよ。
すごくよくできた人間だなあ。っていう感想が出てきて、案外冷めた目で見てしまってる自分がいる。
いや、その優秀さとかかっこよさとかにしっかり惚れてしまう時の方が多いわけだけど、ふと自分との距離に愕然とする時がある。これって楽しめてるの?って我に返るみたいな。
精巧な人形を見つけて手に取りはするけど、いらないかなって置いて戻すような、そんな感覚になる。
贅沢な悩みって言われそうだけど、良いものは良いってわけじゃないかも。気分で怒ってきて、酒カスだけど、なだめてなだめ合ってしょうもない1日を過ごせるバカが、お似合いなのかもって思えてきてるって話。
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夜中に半分勢いで書いたことにこんなにコメントついててびっくり。
愛があったりなかったりするコメントたちから学ぶことも結構あったから、備忘も兼ねて自分の気持ちと現実を整理してみる。あと、何人か文章上手いとか頭良さそうとかって言ってくれた人がいたのに驚いた。ありがとう。あんまり頭は良くないからついつい考え込んでしまうよ。
まず、やっぱり無いものねだりだとは思う。贅沢な悩みだろうし、傷つけられてはいない。今彼に関してはこっちが勝手に傷ついているだけ。
共感も、全くないわけじゃない。愚痴や文句などのネガティブな事になると共感はないけど、趣味は合う。
合う趣味の中での共感は少なくない。だけど、いかんせん要領がいいから、一緒に始めた習い事とかはどんどんペースを離されちゃう感じはちょっと寂しい、そんな具合。
真の共感が頭の悪い男にはあるのかと言うと、あると思う。何気なく言い放っちゃう文句や愚痴にも、本人より怒ったり、マジである!ムカつくよな!なんて言ってくれたり、その勢いでご馳走までしてくれようとしたり、ある意味でアホな行きすぎてる暖かさが好きなのかもしれない。元々は自分だってそっち側だから。
面白半分なのかもしれないけど、肉体の相性は心から満足している。匂いが心地よい人と付き合うと生物学になんとやら、なんて言うけど本当にいい匂いがする。加齢臭となるとわからないが。
一緒にいて安心する・楽しい瞬間はもちろん当たり前にあるよ。やっぱり、当たり前に尊敬できる人と一緒にいると、心の底から安心できて、すごくありがたいと思ってる。
遠慮のないプラットフォームの声に背中を押されたので、もう少しだけ続けてみようかなと思う。それで釣り合うならよし、釣り合わないなら無理に続けても互いに不幸になるだろうし、その時また悩めばよし…ということにする。バカはバカらしく。
Permalink |記事への反応(39) | 02:21
って言われた時に「どうしたら解決できるだろうね」
といった時に不服そうにしたら、それは相手から甲斐性や金を求めてるかサイン。
「実家に住むか、女子寮とか、知り合い多いとこ行くかな」→まだまとも
https://b.hatena.ne.jp/entry/4777860688493028801/comment/yamatedolphin
アトピーがどういう病か知らない馬鹿なんでしょうけど、ほっとくと全身ガビガビになって浸出液と血塗れになります
掻くと痛いのは分かってても痒くて痒くて痒くて痒くて掻かずにはいられません
アレルギーなので生まれつきの体質で、根治療法は見つかっていません
小児アトピーは成長するに連れてほぼ治る人もいますが再発したり治らない人もいます
一生薬を塗り続けるか、薬で落ち着いたら保湿剤でできるだけ保たせる人生です
2~4週ごとに1万以上もする注射を打つデュピクセント治療というのもあるけど高額だし症状が酷い人しか受けられません
以上を踏まえてアトピー患者が薬なしだとどういう生活をすることになるか想像できますか?
できないでしょうね
顔も当然ガビガビなので保湿剤以外付けられないし、女性の場合化粧などできる筈もありません
あの時はまだ実家住みで25歳、初めてできた彼女が27歳の女性だった。
友達紹介で知り合ったが、社内でも憧れの人だったらしい
初めて付き合ったのがその女性だったので、ぞっこんになった。その時はまだ処女厨だったので
なにより年上だったのが嫌だった。
女性は老けるのが早い。夜になってそういう行為をすると、スカートで隠された腹(サックス中はめっちゃ体逸らして誤魔化す)
セックスが疲れると、ふとした顔が40歳のオバサンに見えた。その時はセックス中は女はみんなブスになるというのを知らなかったというのもあるが。
「この人と結婚するのかぁ、いやだなぁ」と思ってた矢先、振られた。
女々しい上に年下だったかららしい。
その後紆余曲折あって、6歳下の女性と付き合いもうすぐ結婚しようとしてる。
あばだもエクボというが、自分は逆らしい。あんなに好きだった顔も、今では欠点ばかり目につく。
それでも深く愛しているし、嫌だなぁと思うことはない。昔と変わらないが、いろんな女性を見たからこそその意味は大きく違う。
あの時別れてよかったと思いつつ、今ではこの子しかないと思っている。
これから先、仮にこの子と別れて他の子と知り合っても、同じように思うのかなぁと不安になる。
最近バズったこれとかさ、どう考えても弱者じゃない人間が弱者男性を名乗ってるよね?
「1年2カ月前まで、俺は最低の弱者男性だった」って書いてるけど、結婚でもするか~って思ったら1年2ヶ月でサクッと結婚。
弱者男性って、ワープアや生活保護受給者、親に虐待されてる、天涯孤独で友達もいない、社会的に孤立した人間なんかだと思ってたんだよ。
それを「女にモテないから俺は弱者男性」みたいなふざけたノリで話す人間が増えてないか?
この人が言ってるのも「俺はちょっと前まで口が悪かった」ってだけで弱者要素がどこにもない。
「昔はヤンチャしてた」ってだけだろ?
サックリ結婚してるから、おそらく収入もそこそこあって病気もないんでしょ?
「俺、弱者男性だからさ~」って言いながら、実は全然社会的弱者じゃない。
Permalink |記事への反応(19) | 19:24