
はてなキーワード:実家とは
猫が死んだ。享年18歳にもなると、さすがにいよいよかという心持ちであったので、寂しくはあるが、辛くて見ていられない、という気持ちにはならなかった。
とはいえ、私の最初の猫であるモモちゃんがいなくなったのは途轍もなく悲しい。私の人生に一つ区切りがつけられたような気持ちだ。
私の最初の猫だった。人生で猫が登場したのはもっとずっと前、小学生の頃に兄が拾ってきた子猫がいたが、うちの猫にはならなかった。
我が家の猫だと、私の妹だと連れてこられたのは、モモちゃんが最初の子だった。
私の妹なので、私が名付けた。私の名前からちなんだ。私は名前に“千”の文字が入ってるので、その次の“百”と書いてモモちゃんだった。
ペットショップで母が見初めて連れてきた。余談だが、母は猫の面食いなので、母が連れてきた猫は全て美猫だ。
ちっちゃかった。手のひらの上に乗せて遊んだ。まだ生まれて2ヶ月も経ってないので引き渡せないと言われて、うちに来ると決まってからも数週間ほど待った。
大層ちっちゃな猫だった。耳が三角で、目がくりくりのエメラルドで、綺麗な茶色のアビシニアンだ。来た直後はたしか200gくらいしか無かった記憶がある。こんなちっちゃい生き物がその辺を歩いてて、踏みやしないかとヒヤヒヤしながら暮らしていた。ちなみに大人になっても最大時で2.5キロほどのちっちゃいネコちゃんのままだった。
私が出会った猫の中で、一番の別嬪さんだった。しかし、中身はとんでもなくお転婆のイタズラ猫だった。
アビシニアンがそもそも好奇心旺盛でヤンチャらしいが、子猫の頃は本当に大変だった。お医者さんもアビシニアンか〜と言っていた。
ブラインドをよじ登って折ってダメにしたり(しかも2個)、扉の隙間から音もなく外に出たり、キャビネットの上の物は落とし、花で遊んで花瓶を倒し、雛人形にちょっかいをかけ、家中ありとあらゆるものがモモちゃんの遊び場だった。私は外に出たモモちゃんを追いかけて捕まえる役目だったので、怒ったモモちゃんに手をズタズタにされたこともある。ちなみにその傷は今でも残っている。
その場で気付ければいいが、一度出て行ったことに気付かずにそのまま帰ってこない時があった。猫のくせに帰巣本能がなく、数日経っても帰ってこず、一週間ほど経って3キロほど離れたお家の庭に現れて、やっと回収された。見るからに血統書付きであることと、脱走癖があったので首輪に電話番号が書かれていたから帰ってこれた。うちの猫で電話番号まで書かれたのはモモちゃんだけだった。
これで懲りれば良いのに、その後もモモちゃんは外に出たがった。防止柵が家から取り払われたのは、もっとずっと後のことだった。
モモちゃんは猫界の中ではあまりうまく馴染めないようだった。モモちゃんは小さい頃はたった一匹だったからか、自分のことを人間だと思ってる節があった。モモちゃんの後にきた和猫二匹とはあまり仲良くやれなかった。多分血統書付きだから、日本語がわかんないのだろうと話してたが、もっと後にきたメインクーンのレオにも意地悪をされていた。そういうこともあって、人間のそばにいたがる猫だった。
父は猫を飼うことを反対してたが、母が押し切って迎えたモモちゃんが父の膝の上で寝るので、可愛くて許してしまった。父が晩酌している膝の上に来てテーブルの上のものをくすねる猫ではあったが。何を思い出しても、モモちゃんはえらい大変な猫であった。
これは良くない話だが、小さい頃にモモちゃんに人間の食べ物を分けてあげたせいで、人間が食べている時に邪魔をするようになり、そのせいでモモちゃんは食事中廊下に締め出されることになった。ヨーグルトが好きな猫だった。
なおとばっちりで他の猫も外に出されていた。
モモちゃんは幼い頃から腎臓が良くなくて、10歳頃には歯も抜けたが、特段大きな病気もなく生きてくれたのはありがたい。
私の二番目の猫は6年前、10歳で亡くなった。名前はスモモ。モモちゃんの下の子だからスモモ。
スモモは間質性肺炎で、最後はみるみる痩せ細って、呼吸も苦しそうで、とにかく辛そうで見ていられなくて、最期はお医者さんに眠らせてもらった。その頃には私はもう実家を出ていたので、母が決断した。損な役回りだが、これが生き物を飼う責任だと思うと、一人暮らししている今も私は猫を飼う勇気が出ない。
スモモの最期が本当に辛くて、可哀想で、こんな苦しんでいるのに人間のことが好きで寝床から出てこようとするのだから、どうしようもなく愛しかった。どうか猫は皆苦しまずに眠れますように、と祈らずにはいられなかった。
だから、モモちゃんが老いていくのを見ても、天命だと受け入れられたのかもしれない。
18歳だ。人間なら90近いおばあちゃんに、もっと頑張って生きて、って言うか?
もうたくさん頑張った、あとはゆっくり、辛いこともなく、痛い思いをせず、好きなものを好きなだけ食べて過ごしてね、と言わないか?
頑張ったね、もう充分だよね、あとはモモちゃんの好きにしてね、辛くないように、痛い思いもしないでね、好きなところで寝なね、頑張ってくれてありがとね。
でも、寂しいよ。私はいま号泣しながらこれを書いてるよ。私の妹だったよ。18年も一緒にいた、私の最初の、かわいい可愛い猫だったよ。
私が高校生の時に来た猫。
私が受験で鬱のようになってた時、母がどうにかしようと連れてきた猫。
私の妹だった。受験なのに、モモちゃんにウェットフードをあげるために、学校と予備校の合間に家に帰ったりしたこともあった。
今まで出会ったどの猫よりもちっちゃくて、どの猫よりも美猫だった。
もうモモちゃんがいない歳よりいた歳の方が多くなってしまった。
18年も生きてくれてありがとう。猫に出会わせてくれてありがとう。私の妹、私のかわいいモモちゃん、最初の猫。
2026.2.14
ミドサー、都内外在住、Fラン卒、エンジニアで平均年収は超えてる、奨学金借りてた
マチアプで知り合ったいわゆるハイスペ女性みたいな人と初めてデートしたんだが、都会のハイスペ女性ってあんなに品があって、綺麗な人いるんだね。田舎者はびっくりしました。
あっちの方が倍くらい年収ありそうなんだけど、一応お食事奢りました。
相手「今度ロブション行くんだ」
私「ロブション?誰と?」
私「3回目のデート?」
相手「デート?うーん、まぁそうかなぁ?笑 いつも割り勘だけど。ロブションも私が予約取ったんだ」
私はロブション行ったことないし、一緒に行こうと言われても尻込みしてしまいそうな人間なんだけど、どうにか頑張りたい。
被差別部落出身ガチ這い上がりの橋下とか、小学校で実家破産アンド母死別のワタミ社長とか、父死別貧乏母子家庭の前原誠司とか
底辺連中にとったら、そういう苦労叩き上げ政治家の方がキツいんじゃないかなあ。
ってパターンもあるくね
今後の生活を考えたときに、一人暮らしをするかどうかが大きな問題になる。
そして最終的にいつも同じ結論になる。
結局お金で決めるのか?と。
実家にいるのも、お金が理由ではない。自分のやりたいことができる環境で、わりかし選択肢があるから。
ほどほどの距離に生活に必要な店は揃っているので、車がないと生きていけないということはない。
さりとて、都心のように商業施設が犇めいているというわけでもなく、駅前の店が固まっているエリアには歩いても行けなくはないが自転車があった方がやはり便利だ。
小さい頃に親から自転車の乗り方を習い、子供だけで出掛けられる年になってからは友達皆で自転車に乗って遊びに行き、駅から離れた住宅街に住んでいたので高校生になって電車通学になってからも駅までは自転車で通っていた。
だから子供の頃、俺は自転車に乗らない生活というモノがイメージできなかった。
高校で自転車に乗れないという言う女子に初めて会った時はカルチャーショックを受けた。率直に言えば、コイツは今までどうやって生きてきたんだと思った。
また、高校生になってインターネットに触れるようになって、どうも所謂ネット民的な層の間で自転車はバカにして良いモノ枠みたいになっていることを知って、衝撃を受けた。
そして俺は、コイツ等はおそらく都心の一等地に住んでいるハイパー金持ち……はネットの掃き溜めにはほぼいないハズなので、ド田舎者か、引きこもりなのだろうと考えるようになった。
流石に高校生くらいの歳になると、それまでの人生で、お出かけで都心に行ったり、家族旅行や学校行事で田舎の方に行ったりで、自転車では暮らし難い土地があるということは知識としては知っていた。
大人になって自分の知る世界が広がっていくと、むしろここまで自転車暮らしに特化していた自分の方がレアケースなのではないかということに気付くようになった。
まず、車がなくても生活で困らないのは都市部に限るということを知った。
また、駅チカに住んでいる人はそこまで高頻度で自転車に乗らないらしい。
俺自身、実家を出て、まだ自転車生活圏内だが、それでも実家に比べると都心寄り・駅チカに住むようになって、比例するように自転車に乗る頻度は減った。
一時期、メンタルを壊して、療養で1ヶ月くらい実家に帰っていた時があったのだが、その時は一人暮らしの家に自転車を置いてきていたので、実家に自転車がない状態だったが、それでも意外と生きていけることを知った。
車社会の田舎でも、駐輪場もろくにない都心でも生きていける気がしない。
念願の脱サラを成し遂げたわけだけど、鬱になった
漫画家として軌道に乗ってから仕事を辞め、部屋を引き払い、実家に帰って子供部屋おじさんとして実家で仕事していた
好きなペースで仕事して、好きな時に寝て、好きな時に出歩く
アシスタントはリモートで、自分の場合は担当通して仕事をお願いしていたので直接の会話はもちろん連絡すらしたことなかった
会社員時代に夢見てた生活をしていた訳だけど、仕事の調子が悪くなった時に一瞬で精神的に参ってしまった
先輩は今まで俺のような漫画家を山ほど見てきたようですぐにアドバイスをくれた
・生活習慣
好きな時に寝て好きな時に起きる(ほぼ昼夜逆転)→朝家族と一緒に起きて夜には寝る
・仕事場
好きな時に仕事して好きな時に起きる→仕事するのは平日の5日間、時間は朝9時から夕方5時半まででどんなに仕事が進まなくても夜9時には仕事を切り上げる
・人との交流
人との関わりは担当と家族だけ→他の先生たちやアシスタントと交流を持つ、編集部の紹介で漫画教室の講師も始めた、学生時代の友人や前職で仲良かった元同僚たちとの交流も再会
・運動
という感じ
自分の場合は通院とかせず、編集部の方のアドバイス通りに生活を見直してすぐに改善した
また、担当の先輩からは村上春樹のエッセイ「職業としての小説家」をもらった
村上春樹の小説は読んだことなかったが、彼の創作論や仕事への向き合い方は本当にタメになった
創作活動している人もしていない人もぜひ読んでみて欲しい
その中で村上春樹が言っていたのが、作家にとっては仕事のリズムが大切だ、ということ
作家は好きな時に好きなだけ仕事ができるし、サボることもできる
しかし、ずっと仕事をし続けるにはやはりリズムを大事にする必要があるとのこと
サラリーマンが40年間仕事を続けられるのは、朝起きて同じ場所に通勤し、決まった時間仕事して、大体同じような時間に帰宅するというリズムがあるからだと
これは本当にその通りだと思う
社会人になってしばらく経ち、結婚だ物件だと大きなプライベート案件の話が出てくると、いわゆる実家が太いとか、お育ちが雅でとか、そういう話が結構顔を覗かせるようになってきた。
自分は田舎のサラリーマン家庭で育った。THE中流階級だったと思う。小学校の頃は、自宅とは違う雰囲気の友達の家に遊びに行っても、いろいろあるなあくらいにしか感じていなかった。たくさんの習い事や歯列矯正をさせてもらっていたし、母から「パパもママもこどもにいちばんお金をかけたいの」と言い聞かせられていたので、自分は恵まれているなあとは思っていた。中学校はずっと学級崩壊しており、いじめと暴力と地方脱出のための勉強漬けでそれどころではなかった。高校は進学校だったので、医者の娘とか社長の息子とかがごろごろいた。私立医学科が選択肢にあるなんてやんごとねえな~くらいは思っていたが、自分の受験に必死でそれどころではなかった。オープンな校風の都内の大学に進学したので、お金がないやつもいれば世田谷の実家から通っているやつもいた。でも大体みんなバイト代でやりくりしていたし、大体みんなお金が無かった。大学生なんてそんなもんだった。
社会人なりたて程度では、会社の同期も大学の友人たちも、一部を除いてそれほど突飛な収入差はない。みんな概ね一直線。そのはずだったのに、5年10年経つとなんかおかしい話が出始めてくる。明らかに弊社の収入では賄えない頻度の海外旅行とか、明らかに弊社の収入では賄えないマンションとか。お金の使いどころや株では片づけられないハテナが頭に浮かぶ。で、そのうち飲み会とかで噂が回ってくるのだ。「おじいちゃま松涛らしい」「マチアプで出会った彼女の親が」「生前贈与で」。
そんなのありかよと思った。ずっと勉強頑張ってきて、田舎から脱出して、ようやく23区で同じ土俵に立てたと思ったのに、立ってるところ全然違うじゃねえかよ。なんだそれは。配偶者の実家が太いパターンはさらに腹が立った。一発逆転ってそんな転がってるもんなのか。
自分は大好きで尊敬できる、似たような収入で似たような出自のパートナーとさっさと結婚していた。これに関してはなんの後悔もしていない。でもなんかもう空しくて仕方がなくて、パートナーにぼやいたところ、ライフプランシミュレーションのエクセルを見せられた。そこにはざっくりとした人生の進みとそれに応じた資金計画が書かれていて、ちゃんと働いてちゃんと資産形成していけば、20年後30年後には結構いい感じになってますというものだった。なんだ意外といけるもんかと安心し、しっかり者の相手に改めて感動したが、なによりも、自分の足でゆとりある生活を安心して送っていけるだけの学歴をつけてくれた両親への尊敬の念が湧いた。ようやく本当の意味で感謝できた気がする。
親の年収をしっかりとは知らないけれど、自分の方が学歴も収入レンジも高い。生活は細かく節約していたことが都会で適当に暮らしているとわかるし、こども2人が大学生だったときはなかなかギリギリだったと後になってこぼしていたのは少しだけ聞いたことがある。「地元に帰ってきてね」=「帰ってきて自分たちの面倒を見てね」が基本の田舎から、何も心配するな行けるとこまで行ってくれ、と背中を押してくれたのか。教育費をかけまくった見返りを期待することもなく。鳶が鷹をなどとは言いたくないし思ってもいないが、自分の代より子の代をずっと豊かにすることってできるのか。お生まれガチャや配偶者ガチャよりも尊いガチャを引き当てたのかもしれん。
親から良くしてもらったから、当然自分も自分の子にはお金も時間もかけてあげたいとは思っていたが、身が引き締まる思いがした。月並みな結論だけれど、しっかり親孝行も、子育てもしていきたい。保育園に迎えに行ってきます。
友達がカレーの皿をそのまま食洗機に突っ込んでいてびっくりした。
実家が結構綺麗に予洗いしてから食洗機に突っ込む(仕上げと乾燥をしてもらうくらいの)タイプだったから、自分も結構綺麗に洗ってしまう。
友達の使用例を見てからは、コーヒーを飲んだ後のカップくらいはサラッと水洗い程度で食洗機に入れるようになった。
子供のいる女性は強者で、子供のいない女性は弱者。なんでこんな単純な事実を無視して、#ママを庶民の声の代表者かのように扱うのだろうか。
何百年も前から子供を産めない女性は石女として虐げられてきたじゃん
ましてや就職氷河期以降は、そもそも結婚したくても出来なかった女性が増えている
女性の生涯未婚率は2024年の時点で既に20%を超えており、今後も上昇が予想される。
https://seikatsusyukanbyo.com/statistics/2024/010769.php
また、未婚率は貧困層ほど高い傾向にあり、本来ならば野党に票を投じたかった層にも多いだろう。
#ママ戦争タグの発案者である清繭子さんは過去に、よりによって市川沙央さんにインタビューしている。
https://book.asahi.com/article/14917541
市川沙央さんは『ハンチバック』で芥川賞を受賞し、好奇の目を恐れず自らの障碍を敢えて前面に出して情報発信している人だ。
この記事によれば市川さんは実家で両親と暮らし、一般的な就職もしていないという。
それに対し清繭子さんは早稲田大学という高偏差値エリート大学を卒業し、新卒で出版社に入社にして結婚、出産という順風満帆そのものの人生を歩んでいる。
清繭子さんは1982年生まれ、市川沙央さんは1979年生まれ。3歳違いだ。年の近い女性にも様々な状況に置かれた人がいる事を知ってなお、「ママ」を前面に出して反戦を訴える軽薄さに呆れる。
https://www.bbc.com/news/articles/cwyk917xy8no
イギリス人の女性がテキサスの実家に帰省中、アル中のトランプ支持父親とトランプについて口論になる。
娘が父親に「もし自分があのような状況にいて性的暴行を受けたらどう感じるか」と言うと、父親が「一緒に暮らす他の二人の娘がいるので、それほど動揺することはないだろう」と答え、娘は動揺して2階に駆け上がる。
その日遅く、空港に出発する30分前に父親が娘の手を引っ張り寝室に連れ込み、15秒後に大きな音が聞こえ、娘はバスルームで父親に射殺されて倒れていた。
「家族に「安心感」を与えたかったため、数年前に銃を購入した」
「彼女が去っていくことに感情的になり、一時的に飲酒に陥った」
「彼女に見せようと銃を持ち上げた瞬間、突然大きな音が聞こえた。何が起こったのか分からなかった。ルーシーはすぐに倒れた。」
「この喪失の重みを感じない日はない。この重みはこれから一生背負っていくことになるだろう」
https://www.bbc.com/news/articles/cvg6pm70r1lo
療養して回復したら大学受験しようと思っていたが、さっぱり良くならないまま何年も経ち、受験は諦めた。
通信制大学に入ってみても、基礎学力不足とメンタル不安定のせいで、休んだり自習の繰り返しで、なかなか卒業できそうにない。
自覚なかったけど実家の環境がヤバかったらしく、20代半ばでいわゆる「理解のある彼くん」と結婚してから、ゆっくりではあるけど心身の回復が進み、ここ数年は「専業主婦」と呼べるくらい家事はできるようになってきた。
しかし妊娠出産育児に耐えられると思えるほどには回復しないままアラフォーになってしまったため、子どもはいない。
心身の状態が良くなるにつれて、いつか働きたいと思うようになってきたが、自分の経歴に絶望している。
高校中退、職歴ゼロ、アラフォー主婦なのに育児していたわけでもない。
精神障害者として作業所通いでもするのが妥当なのだろうが、現状、週3以上外出するのもきついから厳しいし、できたところで大して稼げやしない。
大学で専攻したかったことに近い分野のボランティア活動には参加してて、一緒にやってた人の中には独自性を出したりクオリティを上げて稼げるようになった人もいるから、その道を目指すのが手っ取り早そうだとは考えてる。
でも、今後もし働けるくらい調子が良くなったとしても、何も無い経歴が足を引っ張って、仕事なんかさせてもらえないんじゃないか。
この何も無い経歴を覆そうと思ったら、そこらの健常者より圧倒的に有能にならないと駄目なんじゃないか。
どうしたらこの社会に価値を認めてもらえる人間になれるんだろうか?
「理解あるの彼くんに養ってもらえてるならいいだろ」って言う奴もいると思うけど、配偶者以外の誰にも、社会的にも金銭的にも価値を認められずに生きているのが、苦しくてどうにもならない。
「婚約指輪は要らないよね」と言う男🆚「高額の指輪が欲しい」と言う女|結婚物語。仲人T
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/nakoudo_t/n/nea5aeea3e4ac
俺は単純に金もったいないから婚約指輪いらんだろ派だったけど、この記事とはてブコメみて理解できた。
「この男は自分のために身銭を切る覚悟があるか、一生養うか、犠牲になるか」的な。
これ男女反転したらなんだろうって考えたら多分改姓だな。だいぶ古い感じになるけど改姓も要するに「俺の家に入って元実家よりうちの実家を優先するか」的な話なんでしょ。
言われてみたらだいたいの人って
自分はされたくないけど、実は他人には試し行為したいってことなんだろうなあ。
なるほどなあ。
Permalink |記事への反応(18) | 14:50
専業主婦の風当たりが強い。
今の女性って働いてるのが当たり前で、その上で子供を作るのが当たり前なんだよな。
当の働いてる女性の評価が、「ママありがとう」じゃなくて「ママなんで働いてなかったの?」なんだよな。
料理なんて母親じゃなくてyoutubeで見た方が「仕事で」料理作ってる人のレシピが見られるから。
専業主婦が評価されるのなんて「専業主婦」になるのが当たり前だった時代の流れで
なんか浮気して好き勝手してた「家に居なかった父親」が何故か再評価されてるよな、というか当の女性がブラック残業して浮気して擦れてる感じする。
のほほんと育っちまったもんで、お金に対する意識が鈍い自覚がある。経済ニュース見ててもフーン?って感じ。浪費する趣味はないので貯金はあるが。
配偶者は自分と違ってYouTubeのリベ大とか金融系のチャンネルを熱心に見て資産運用している。
私の給料を現金で貯蓄して生活費に使い、配偶者の給料は住宅ローン(月7万くらい)の支払いと投資に回している。
長期で運用する想定なのか派手に動かしたりはしないようだが、先日、お金の管理アプリを見せてもらったら億を超えていた。なお住宅ローンが残りどれだけあったかは忘れた。当初2500万くらい借りたかなぁ。
一般サラリーマン家庭の専業主婦)で、夫婦で会いに行くと実子である私抜きで金融トークで盛り上がっている。
実家の家族は、母以外、金に無頓着(私と同じ。人並みに稼ぐけど増やすことに興味がない)なので、私も父も配偶者がしっかり者でよかったなあと感謝しきり。
万が一配偶者が投資に失敗したとしても、いまの私の給料と預金だけでも暮らせるので、心配はしていない。
増えたら増えただけありがたい。
※追記