
はてなキーワード:実写化とは
日本でのインタビュー記事が物議を醸しており、人気アニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」の脚本家が、原作の一部をノイズ」として削除したと主張しています。彼女はまた、キャラクターの性的搾取を避ける努力をしたとコメントし、自身のイデオロギ作品に組み込まれている示唆しました。本質的に、これはローカライザーが自身のイデオロギーを反映するために作品を改変するのと似ており、日本でも同じ問題が起きています。昨年、日本では、原に望ましくない変更が加えられたことにより、漫画家が悲しみのあまり自殺するという痛ましい事件起きました。この事件について原作者がどう感じているかは不明ですが、これらの作品のファンは、原作が忠実に再現されることを期待しており、他の意図の介入は「ノイズ」と見なされます。消費者として、私は原作者へのより大きな敬意が強調されることを願っています。
芦原妃名子の死をあなたの議論で持ち出すなんて、絶対に許さないわ。セクシー田中さんは、客体化と、社会における女性が男性主導の評価システムに基づいて判断され、価値付けられる様子についてのマンガよ。これはあなたが嫌って絶対に読まないような作品。あなたには関係ないの。遠慮して。
信じられない気持ちです。
どうして誰かが罪悪感を感じずにこんなことができるのでしょうか?
マンガにないファンサービスがアニメに含まれるたびに、この人たちが不平を言うのを見かけません。
なぜだろう。
芦原妃名子を持ち出すなんて厚かましい。彼女は、自身のマンガ「セクシー田中さん」の実写化が、マンガのテーマやメッセージ、つまり加齢する女性としての身体やセクシュアリティを扱う難しさを無視したり、矛盾したりしたことが原因で、一部自ら命を絶った。
ゼンコ・クリシタが尊敬され、真面目な中道左派の政治家から、ますます過激で妄想的な自身の利益のために女性の自殺を利用するような安っぽい扇動者に変わったのはいつからだろうか?
反動的な考えは、時には愚かさを装って主張する必要があるだけだと分かっていますが、それでも「このキャラクターのアニメのおっぱいが十分に大きくなかったら、漫画家が自殺してしまうかもしれない :( 」というのには驚かされます。
芦原妃名子は30年間、女性のために成長、友情、愛、喪失、精神的な健康、そして自分を大切にすることの重要性について書いてきました。彼女に起こったことは、未成年の少女が性的に扱われるのを見たいというあなたの欲求を正当化する例ではありません。
これまでくりしたの存在を知らなかった人たちにも知れ渡り、くりしたの顔写真を使った風刺画像も発生し、女作者と女脚本家が認め合って作った作品に、ファンでもない作品に言及したことのなかった外野の男が割り込んで暴力的態度を取っているとバカにされている
突然だが、現代のポリティカル・コレクトネスには程度がある。以下、制作者への縛りが強い順に並べてみたい。
「マイノリティを主役にした作品をマジョリティ(=当該マイノリティではない人)が作ってはいけない」「役を演じてはいけない」「翻訳してもいけない」
→仮に「強いポリコレ」を適用するなら、女性が書いてるBLはすべてアウト(女性という時点で男性同性愛の当事者ではないことが明白であるため)。
この場合、「女がBLを書くなんてけしからん」がポリコレ的な正解となるだろう。
「クィアベイティング(登場人物を性的マイノリティであるかのように匂わせて視聴者・読者を「釣る」こと)は搾取であるからやめるべき」「当事者からの監修を受けなければならない」
→仮に「中程度のポリコレ」を適用するなら、「BL営業」はクィアベイティングそのもので一発アウトだし、仲の良い男の子たちが親密に絡むけど決して恋愛感情とは明言しないようなタイプの作品も糾弾される必要がある。『SHERLOCK』レベルで駄目だということらしいので、日本でBLウケを狙った作品はたいていアウトということになるだろう。また、BL作品を出版する際にはゲイ団体の監修を受けること、のような話にもなりえる。
「偏見やステレオタイプを助長する描写をしてはならない」「不正確な描写をしてはならない」「人格が尊重されていなければいけない」「差別を透明化してはいけない」
ということになってしまい、イケメンばかりが出てきて「受け」「攻め」が普通に流通していたりカップリングの左右が固定されていたり差別のない世界でハッピーに恋愛する「優しい世界」を描いたりするのはポリコレ的には完全にアウトという結論になる。
この場合、「受け」「攻め」を禁止ワードにし、カップリングへの執着を消し去り、現実的な容姿の男キャラや彼らが差別に苦しむ展開を描写してようやくポリコレのスタートラインに立ったことになるだろう。
繰り返しておくが、これは今いわれているポリコレの中でもっとも「程度が軽い」「弱い」ものである。さて、あなたは「弱いポリコレ」に耐えられるだろうか?
ここまでポリコレについて説明してきたが、増田個人としてポリコレに対して思うことは
というものである。人間の創作はもっと自由であるべきだ。アメリカの場合、主戦場が製作にむっちゃ金のかかるハリウッド映画とかになるので、ひとつひとつの映画にコレクトネスを求めたくなるのかもしれないが、日本文化を支える漫画やラノベは製作コストが低く、その気になれば誰でも作品を発表できるし、運が良ければヒット作家になれる。日本では超大作が生まれにくいが、しかし超大作ばかり作ろうとするためにひとつひとつの作品の配役やら何やらでギスギスしなきゃいけないアメリカよりも、よっぽど創作の多様性が確保されている。だからひとつひとつの作品に気を配らなくても、いろいろな属性を持った人が参入できて、それぞれの視点を反映させた作品を発表することができて、結果的に多様な創作が生まれる。そのようなエコシステムこそが、しょせんは舶来思想であって日本の風土に合っていないポリコレなんかよりも、我々にとって真に大切なものなのだと思う。
(だいたい、『アサクリ』問題でわかったけど、現代ポリコレが黒人優先主義と化してて我々アジア人が恩恵に与れないことがわかったわけだから、マジで支持する理由ないんだよな……)
っていうか「当事者性」と「クィアベイティング」が日本の創作と相性悪すぎる。男性百合作者も女性BL作家も大勢いるし、『響け!ユーフォニアム』とか久美子が麗奈とゆりゆりしてると見せかけて最終的に男とくっつくんだから定義上クィアベイティングでしかないし、そんな創作であふれる国にこんな批判理論適用しようとしたらポピュラーカルチャーが全滅する。こんな概念はそもそも日本への侵入を阻止しないといけない。
ただ、それでも私は俺はポリコレを支持するんだ、という主張はあってよい。思想信条の自由というやつだ。その思想信条にしたがうと現代日本のBLは大半がお亡くなりになるだろうが、日本の女性たちが母語で築き上げてきた豊かなジャンルであるBLよりも舶来のポリコレの方が大事だというんなら仕方ない。ポリコレを抱いて溺死してもらうほかない。これは二者択一にしかならない。上で挙げたような事例を帰納すれば、ポリコレとBLが水と油であることはたちどころに理解できるのだから、「ポリコレを支持しつつBLを嗜む」なんていうのは無理なのだ。どっちかを選ぶしかない。
ミュートすりゃいいんだけど様々な人が話題にしてるから逃げられねえ。
まず私は版権も楽しむけど一次創作してるタイプ。とはいえ、一次創作っても大層なものではなくて、むしろ人に見せるのが苦手で身内だけにこそこそ見てもらって遊ぶタイプのオタク。なのでそんな偉そうなことは本来言えない立場。わかってるつもりだけど、ぼやきたくなってしまった。
まず万博の件についてはまぁどっちの言うこともわからんでもないなくらいの感じだった。たしかにミャクミャクとか以外は相応しくないと言われればそうだし、グリーティングみたいなこと勝手にしたら危ないのもわかる。
けどまぁボコボコにせんでも現場スタッフに怒られたとかでもないし、コスプレが隠れないで堂々としてることとか今更じゃない?って感想だった。
これはそもそも私がコスプレ全般苦手気味なのがあると思う。2次元は2次元だから素晴らしいと思っているから、わざわざ3次元にされるのはどんな美人やイケメンでも嫌で、声優の顔見るのもなんなら避けてたし2.5次元化とかも正直全然嬉しくないタイプだった。
実写化も許せなかったし、公式コスプレイヤーとかがイベントに出てくるとなんで公式にこんなことされなきゃいけないんだよって思ってた。
けどそんな私の思考に反して2.5次元は流行るし、声優とキャラを同一視することを促進するようなコンテンツは増えたし、公式コスプレイヤーはイベント出てくるし、テレビでもコスプレをテーマにした番組も始まってきている。結構3次元化って受け入れられてるんだなと思ってたから、なんならむしろこの件で「ちゃんと隠れてくれてるコスプレイヤーもいるんだ」とすら思ってしまったまである。(見るのを避けてたからね)
だから、ちゃんと隠れてコソコソやって、コスプレ趣味の人以外からは見えないようにしてくれているコスプレイヤーさんの存在やマナーを知って、そういう人たちに対して正直ありがたいなぁ、助かるなぁって思った。
どんだけリスペクトやクオリティがあっても、なんなら公式が認めていても私にとってコスプレは「見たくないもの」だったから。
先程一次創作をすると書いたが、身内にしか見せてないからありえないこととはいえ自分の作ったキャラのコスプレされた上でみんなに認知されようとしたり、このキャラみたらそのレイヤーさんのイメージしかないみたいに世間に思われたりされたら嫌すぎるし。
私のキャラや私の愛してるキャラは2次元で、2次元から出てこないんだって思ってるもん。
だから自分の感情としては、それだけで考えるならコスプレは趣味じゃない人の目に入らないように派の人を支持したいし、某鹿の人は言動含め気に入らない。
最初は普通にそっち派が勝つというか、マナーが広められて終わると思ってたんだけど、最近の流れを見てるとそうでもないっぽい。
これは勿論某鹿の人の言動が悪いのはあるんだけど、それにしてもなんというか叩きが過激化しすぎて、ここ叩いても仕方ないだろみたいなとこまで叩かれてるというか、ライン超えてる人も出てきてるというか。
どうせああいう人が負けを認めて謝罪するわけないんだから、放置したほうがいいだろって思ったけど、確かに取り下げてもらわないとずっとでかい顔されそうなのもわかる。
実際叩くの辞めたら自分が正しかったんだ!ほらやっぱり!って勝利宣言とか余計なことしそうな人だな、とは思った。
とはいえ容姿揶揄とかはマジでよくないと思った。私の目では普通に美人の部類であると思うし、なによりこれのせいで「叩いてる人は顔に嫉妬してる」勢が湧いてきちゃってるように思う。あと一人のブスとして容姿の叩き合い見てると勝手に心がしんどくなるからやめてほしい。
実際ほんとにあの人がブスだったら味方してなさそうな味方割といると思う。
鹿の人も容姿悪い人を実質どうこう言ってたのは知ってる。それもあって気に入らないし。
そんで、いわゆる「ツイフェミ」と呼ばれる人も叩きに参戦し始めたり、逆にきな臭い人たちや過激なアンフェ的な人たちが擁護に走りはじめたりして余計終わりを感じた。この先あの鹿の人を嫌いだと過激フェミ(厳密にはミサンドリー)だと思われるのめちゃくちゃ嫌なんだけど、そういう人いない? 私はほんとうにそう。
あと、イラストとかの二次創作はオッケーみたいな面してる人も気に入らなくはあるんだよな。これも個人のぼやきだけど。
そもそも私は二次創作でデカい顔してる人とか、公式グッズに高いとかダサいとか文句言って一切金出さないどころかそれ買うお金で同人誌買えるじゃんとか言うタイプのオタクもそっちはそっちですごく嫌いなので。
なんならコスプレでも同人でもできれば公式が全面禁止してくれ、って正直思ってる。公式の情報以外別に見たくないし、鍵垢同士の身内だけで見るくらいしか楽しくないから。
自分が原作者だったら見えない場でのみ許可して売り始める人居たら規制したくなるし。
けどなんなら便乗したり逆輸入したりする公式が多いしそういう公式が好まれる傾向にあるからもう仕方ないなと諦めても居る。
残念ながら嫌がる原作者さんより、喜んで下手したら逆輸入する原作者さんが多いっていうのが現実だと思う。だからこそあの人の擁護が湧くんだし。
私みたいな見たくない人たちのために配慮してくれるのはすごくありがたいしそういう人を応援したいけど、なんかもうそこから憎しみに発展した結果ダン飯公式があの人の味方してあの人が勝利宣言するところを見たくない。ついでに見たくなかった人を過激フェミと一緒くたにしてザマアとか言われたくない。
著作権侵害が親告罪である以上、原作者の代弁するのがおかしいってのはそれはそうかもしれないし。
何が言いたいかというともうあんなモンスターの対応はすればするほど騒ぎでかくなってむしろ公式の耳に届いたりこちら側を叩く余地を与えちゃうんだから、みんなもう静かに放置してほしいみたいなこと。
逆にこっちが黙ったのにあっちから殴ってきたらそのときに訴えるなりすればいいし。署名とか必要なら協力するしさ。
とはいえ、これは私が最悪二次創作全面禁止でもコスプレ全面禁止でも痛くも痒くもないから言えることなんだろうなと思って難しいなと思う。
なんというか、私みたいな人たちのために隠れてくれている人たちが、なんとか平穏に過ごせるようになってほしいと思っています。
個人的には、無視してあなたたちはイベント内で今まで通りマナー守ってやってれば全面禁止はされない……と思います。(作者によってはわからないけど)
隠れることなんてだれも頼んでないとかいう鹿擁護派に関しては、私が助かってると伝えたい。殴られたくないからこんな場で書く卑怯さをお許しください。
実際ダン飯というかマルシルのイメージは悪くなったよ、私の中で。坊主憎けりゃ袈裟までタイプの私が悪いと言えばそうだけど。
鬼滅のコスプレしてるなんとかで鬼滅のイメージは下がってないっていう人いるけど、その鬼滅のコスプレしてる人が持て囃されてなんども目に入るようにされたら多分イメージ下がるよ。
ガンダムの政治利用もガンダム知らんからアレだけど普通に嫌だし。
何もまとまってない文で申し訳ないです。
書き散らしのつもりでした。書いてここに書く時点で参戦かもしれないけど、少なくともXに参戦したくはなかったので。
どこの界隈でも声でかい人って嫌だなって思いました。
追記:一瞬優しいコメントくれてた人が見えたけど消えちゃってた。とりあえずその人にお礼だけ伝えたいのでありがとうございますと書いておきます。
あと、めちゃくちゃ感情論だし、お気持ち長文の指摘に関してはなんも言い返せないし言い返す気もないです……全て嫌い、で伝わりますされたらそれは、そうです。
昨日は土用の丑の日だったじゃないってことを私は忘れずにいた暦の上では8月目前と言うところで、
ダッシュ一番!
電話は二番!
前回鰻の肝の串の美味しさに味をしめて、
それこそ今日はよし!鰻の肝の串買い占めるぞ!って勢いだったの。
でも、
でもよ、
昨日は鰻の肝の串焼きなかったの。
ぴえん!
そりゃ気持ちはカムチャッカファイアーってレヴェルかも知れないけれど、
ここは私の肝に銘じて、
大人しく引き下がることにしたの。
私の鰻の肝の串焼きは終わったわ。
前回の味が美味しすぎて忘れられなくて
また求めようとしたのに。
売ってなくって残念だわ。
来年もあるといいなぁーって
ここは海産物というか水産物変わったものを売っていることをたまに見かけるので、
品揃え油断できないのよね。
以前は鮪の尻尾の輪切りがあって、
イメージ的にはギャートルズのマンモスの輪切り!をまさに実写化したような感じで、
それの魚版!鮪版!って感じなのよ。
お鍋に一杯直径重なるぐらいの大きさで、
私はなんとか調理したんだけど、
それも美味しかったわー。
こんな部位のもの滅多に出回らないから面白いから買っちゃったら美味しかったって感じなのよ。
そのなかなか珍しい出回らないシリーズ化決定したのか分からないけれど、
その鰻の肝の串焼きもたくさん売っていて私はわーい!って両手放しで自転車に乗っていたの。
だから
昨日の寄ってあったら絶対に買っていたと思わせる
夏の青春!
期待していたのになくってなくって。
ちょっと苦味が効いていて滋味滋養が付いて夏を乗り越えるパワーになり得るはずだったのよね。
平賀源内先生は鰻の売り上げが下がる夏の時期にセールストークで鰻いかーっすかー!って
鰻の日を制定したけれど、
その肝も食べましょう!って
打ち出して串打ちして炭焼きにして食べよう!ってキャンペーンもセットにすれば、
もっと鰻の肝ももっと普通に食べられるレアアイテムにはならなかったと思うのよね。
もちろん、
焼き加減はレアじゃなくてじっくりと焼き上げた香ばしいタレをまとっているのよ。
ああ!
らーらーらーららーら~
それで手に持っているのは鰻の肝の串焼きなの。
らーらーらーららーら、
そのぐらいな美味しさ!
そんで鰻の肝の串焼きをペンライトに見立ててその小田和正さんの歌に合わせてらーらーらって振るじゃない。
ここで気を付けたいのがタレが落ちないように
そろりそろりとゆっくり振るの。
急に振っちゃったらタレが落ちるからそこは慎重にね!
私の夏はまだ始まったとは思えないけれど
終わった感じがするわ。
この8月に入った途端。
でも逆に考えるの!
来年の楽しみができたじゃん!って
鰻の肝の串焼き美味しかったから次はたくさん買おう!って思えるじゃん!
涙じゃないけれど
タレの数だけ強くなれるの!
だから貴重な焼き上がったエキスを含んだ鰻の肝の串焼きのタレはアスファルトに落としたらもったいないの!
だから
らーらーらららーらー言葉にできない。
ってときにそっと慎重に串を持って振るの。
もし美味しいタレの雫が落ちてしまったら、
あーあー、
私が一番今所望したいものよ。
これを糧にしてこの夏をのりきるしかないわよね。
鰻の肝の串焼きまた食べたいなぁー。
ああ!
私の夏の思い出の1ページが前回の丑の日に続いて鰻の肝の串にまたなっちゃったわ。
そんでさ、
私は、
そういう意味ですっ!って堂々と言えると思うのよね。
だから、
もしちびっ子が今年の夏休みの絵日記に鰻の肝の串焼きが2回登場することがあったら
鰻の日が2回あったんだなって思い出して欲しいの。
それが夏の思い出よ。
あーあ、
鰻の肝の串焼き食べたいなぁ。
うふふ。
今日は朝は曇りがちだったので
昼間はどうなるか分かんないけどー。
1ケース届いて1ケースは行方不明になっているわ。
とりあえず、
1ケース来て冷やして飲んだレモン炭酸水はシュワッとキマって絶好超よ!
もうさ、
とにかく、
水分補給はしっかりとね!
ってしか言えないわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
原作読んでると、余計に思うんだけど
ワンクールアニメって、だいたい原作の「余分な間」を抜いて、「話の先取り」を加えて捏ねるのね
悪口でもなんでもなくて、漫画として描かれているタイミングや読んだときに良い「間」でも、アニメになると冗長になるし単純に尺も取るから、ワンクールに納めるために、必然的にそうなるわけよ
で、光が死んだ夏、のアニメはその使い方がというか、捏ね方が死ぬほど上手い
物語を理解する上で欲しい存在を一話で刻みながら出すとか、シーンとシーンをずらして重ねて尺に余裕持たせるとか
多分作り方が実写版寄りなんだと思う
ネタバレになってごめんけど、BL風味なのは話の骨(知りたければ日本の因習を勉強してから最新刊まで二回読んでくれ)との兼ね合いで女だとマジ薄くなるからって感じの、ほんのスパイスというか、あの話を深い意味で理解させるギミックにすぎないので、あれ以上も以下もない
実写化してほしい
アニメも引き続き楽しみだわ