
はてなキーワード:定年退職とは
でもいまだに「それ検索したら自分で解決できるで」って質問を毎日毎日打ち返す日々を送る社内SEワイ氏。
AIが多少コードを書けるようになったところで、ワイ氏が定年退職するまでにワイ氏の立場が奪われるとはとても思えん。
AIがコード書いてくれるようになったからコーダーは絶滅する!とかいう危機感を持てる奴は、それだけで社会全体においては割合がかなり少ない上位層だということを自覚した方がいい。
まぁ、ちょっとコード書けるだけで年収800万みたいな世界ではなくなるかもしれんが。てかそれはもう違うだろうし。
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ガチFランこそ文学部哲学科や国文科、心理学科、理学部数学科や物理学科など、知的好奇心を刺激する学科に特化した方がいい。どうせまともな就職なんか無いんだから。
世のFランはナントカビジネス学部とかウンタラコミュニケーション学部みたいなのばかりだが、馬鹿こそビシッと履歴書映えする漢字一文字学部だろ。
あと大学名も、○○国際大学とか□□学院大学とかやめろ。もうFランの代名詞だってみんな分かってる。ほとんどが単科大学だろうから、地名+文科or理科大学にしろ。都留文科大学とか(一文字学部じゃないけど)高崎経済大学みたいなイメージを狙うべき。
どうしてもリベラルアーツを売りにしたければ、地名+教養or学術大学がギリギリ許せるラインだろうか。
別に教育内容なんて、リメディアルとカタログ的一般教養、かいつまんで面白そうな部分を抽出しただけの分かったような気にさせる専門科目で構わない。
特に文系博士なんか有り余ってるわけだから、そこそこの給料でも質の良い講義をしてくれる人は集まるはず。
ターゲットは、まずはディレッタントぶってる高校生。偏差値40以下の高校にも全くいないわけではない。
でもこれだけじゃ稼げないだろうから、定年退職したジジババをかき集めまくる。年食っても抵抗なく入れる大学だという評判が広まれば、けっこう集まるんじゃないかな。
少なくとも、よく分からない留学生だらけの消えそうなFラン大学よりは雰囲気は良くなるだろうし、教える方の精神衛生も向上するはず。
令和7年ではなく昭和100年を未だ彷徨う茶色いイメージの小さな会社に勤めている。
まだ元号が昭和のため、定年まで勤め上げた企業戦士には事務員が各社員から寄せ書きを集めて送別会で渡すと言う風習がある。
増田(アラサー女)は部署内の定年退職のおっちゃんのために寄せ書きを集める準備に取り掛かっていた。部署内の事務員が企業戦士の寄せ書きを集める風習があるためだ。いつも送別会の〆に渡すので、退職日でははくて送別会の前日までには完成させておかなくてはならない。
送別会いつかな〜とぼんやり考えていたら、去り行くおっちゃんと送別会の日どうしましょ?と日程相談をしていた先輩(ミドサー女、めちゃくちゃ可愛いし増田ごときにも優しくしてくれる女神なのだがコレが今回の不幸を生んだ)を発見した。
さっそくいそいそと送別会いつになりました〜?と軽く聞きに行った...のだが...
先輩がおっちゃんに日程の相談していたのは全社でおっちゃんを見送る送別会ではなくて、仲良しだけで見送る別の送別会の話だった。やべえ、どうしよう。
先輩は「そうなんだよ〜!みんなで改めて集まっておっちゃんさんとお話出来たらって思って〜!もちろん増田ちゃんも誘うつもりだったに決まってるじゃん!来て欲しいなっ😊」と言ってくれたが、増田は筋金入りの陰キャのためその仲良し送別会に増田がメンバーとして登録されていないことははなから分かっていた。
だって実際、「他どなたが来るんですか?」て聞いたら社内の人はもちろん、社外の人の名前もスラスラスラ〜!!!て!!!先輩!!!、ほら!!!!もうメンバー決まってんじゃん!!!社外の人すら参加決まってるのに社内の増田はスルーなのはもう絶対元々メンバーじゃないじゃん絶対!!!!
だのに!!!!だのに増田が寄せ書き〜、なんて呑気に聞いてしまったばかりに先輩もあせあせと増田を優しくその会に誘おうとしてくれている!!!せっかくの!!!仲良しだけで楽しむ予定だった送別会に!!!!
絶対に!!!!絶対に!!!!絶対に行きたくねええええええ!!!!!申し訳なさと肩身の狭さで死ぬわもう死んだ1回?3回くらい死んだ今
増田もそもそもメンバーじゃないという若干の惨めさを取り繕うため、というかその事実を覆い隠すためにノーミソがよく動かずあっありがとうございます!楽しみにしてます!とか言っちゃったけどこっちも向こうも地獄じゃんね
こっち死ぬほど肩身狭いし向こうの仲良しチームのみんなもなんでコイツいんの?呼んだの誰?てなるじゃん誰も幸せじゃ無いどうしてただ寄せ書きの完成期限聞きに行っただけなのにどうして.....もう本当にごめんなさい、ごめんなさい.....
祖父母の姿を見てきた。
元気に動けるのは本当に60歳か65歳。運がいいと70歳までだ。奇跡が起きると80歳までいける。
寿命は長い。幸いにも80歳を超えても体は元気だ。脳みそは死んできてる。
もう、全く楽しそうじゃない。
でも、今は外に出れない。記憶力が低下して、それどころじゃない。
カラオケの個室まで行けば歌える。歌えるが、それ代わりに、付きっきりで世話する人の時間を食う。仕事してたら世話できない。金を払って誰かに付き添ってもらう?そんなことをすれば、働いた分の金が消えていくだけだ。
さらに言えば、食い物に関する文句も多い。味が分からないそうだ。甘味は分かるらしいが、他は全く。カップラーメンすら味が分からんみたいだ。
しかし、祖父母は死にたいとは言わない。生きたいとも言わないが。
長生きするのが当たり前という考え方なんだと思う。
俺は、70歳になる頃には死にたいと思ってる。
親が介護をしてるが、どう見ても忙しそうだ。平日は働き、休日は両親の様子を見に行く。
やっぱり、介護が大変なんだと思う。
これ以上は、どんどん内容がぐちゃぐちゃになりそうだからやめとく。
とにかく、俺は長生きしたくない。親にも長生きしてほしくない。
願わくば70歳で死にたい。それ以上は生きてても楽しくなさそう。
【追記】
ちなみに今の日本の健康寿命の平均は男72歳、女75歳らしいです。
医療が発展しても、生活習慣病のせいで平均が伸びない可能性はあると思うよ。
Permalink |記事への反応(15) | 19:23
かつて、衣食住に満ち足りた生活がどんなものなのかをほとんどの人が知らなかった。
かつて、海の向こうにはどんな世界が広がっているのか、ということをほとんどの人が知らなかった。
今、我々は衣食住に満ち足りた生活をしている。
今、我々は海の向こうにどんな世界が広がっているのかを知っている。
否、途方もない退屈だ。
朝起きる。
朝食をとる。
電車に乗る。
職場につく。
パソコンを立ち上げる。
窓口に人が来る。
審査会をする。
通知書を発行する。
帰宅する。
夕食を食べる。
YouTubeを見る。
寝る。
中学時代は数学が得意で、高校一年時の数学1Aもなんとかついていったのだが。
数学を担当していた教師は定年の年齢を過ぎた嘱託の教師だった。
彼の教育方針は、教科書、ノートを閉じさせ、とにかく黒板に集中させるというものだった。
聞き取れないくらいの大声で解説をしながら、汚くて読めない文字で黒板に数式や解説を書いた。
あまりにも量が多く、読み取るのも困難な小さい文字で問題がびっしり書いてあり、裏表100問。
それが1日あたり5枚。
課題を忘れたり、終わっていなかったり、授業中に黒板以外に一瞬でも目線を外した生徒が1人でもいた場合、授業はストップされ残りの授業時間は全て当該生徒への説教で終わる。
そして、分からないところを休み時間に聞こうものならば「俺の授業聞いてなかったのか?おめえはよ!!ああ⁈」と胸ぐらを掴んで恫喝を始める。
私は完全に数学へのやる気を失った。
そして、自分で予習復習しようにも、大量の課題に追われて手がつかない。
回答が合っているか合っていないかは関係なく、丸つけをすることもなかったので、とにかく翌日怒られないために「形だけ仕上げる」ことに放課後の時間が割かれた。
その教師は私たちの学年のみを二年間担当して完全に定年退職した。
私たちの学年は国立大学、理系大学進学率がガクッと下がり、地元駅弁でさえほとんど合格しなかった。
そして、当該教師が担当しなかった一個下の代から国立大学、理科学部、医学部への進学者数が復活した。
私たちは数学プリントが廃止された高校3年の夏休みから受験勉強に取り組むことができた。
私がSTEMに携われないことが決まった瞬間だった。
STEMは現代社会に唯一残された「未知の世界を探索することができる分野」である。
あの教師にさえ教わらなければ。
https://www.kyoiku.metro.tokyo.lg.jp/information/press/2025/05/2025053004
まだ実施前なので小学校でも2.2倍あるが、実際はここから取り下げや当日欠席、合格後に他の自治体や民間企業に就職するための辞退者が出る。
なので実際は1.5倍もいけば御の字だろう(多分1.2倍とかになると思うが)
この応募倍率からの最終合格者の数字がメディアに取り上げられ、1週間はその低倍率に大騒ぎするのだが、それも事態の深刻さを全く表していない。
現場の教員が何らかの理由で休職すると採用試験に落ちた人間や定年退職した人間、その他免許を持ってる人間に片っ端から電話をかけて臨時的任用や講師を探すことになるのだが、そういったルートで教壇に立つ人間まで含めるととうに教員採用試験は全入になっている
というか、代わりが見つからないので授業の展開を閉じたり、残った人間で変わるがわる授業を行うということも、ほぼどの学校でも起きている
教員は不祥事を起こすが、それは業種に関係なく誰かしらが絶えずどこかで不祥事を起こしている。それを過剰にメディアで叩きすぎたため、教師という職業はそれだけで見下して構わない存在になってしまった。
良い教育には良い人材が必要で、良い人材を雇うには採用試験の倍率を上げねばならない。採用試験の倍率を上げるには給料や労働環境などをよくしなければいけない。しかし、教師という職業自体が見下していいものになってしまったため、教師以下の給料で働くことがプライド的に許せない国民達ばかりになってしまった。
とりわけ都庁などの人間などは、格下の教師以下の給料で働くなら死んだ方がましだと思うだろう。
結果、待遇がよくならないので採用試験の倍率がどんどん下がり、ますます学力も人格面でも粗悪な人材ばかりが採用され、粗悪な人材が不祥事を起こす。というスパイラルに陥っている。
金を払えば私立でいい教育が買えると思ってるかもしれないが、私立教師も公立教師も同じ畑から採れる。狭き門のごく少数の待遇の良い私立に受かるためだけに教職一本でいく人間は少ないので、落ちて公立に行くリスクを考えたら、教職自体目指さないのが賢い生き方なのだから。(そもそも実際は私立の労働環境のほうがひどい場合が多い)
誰でも学校に嫌な思い出もあろうし、いやな教師に教わった経験もあろう。しかし、個人的な憂さ晴らしで教師を叩くことで損をするのは結果的に子供たちであり、子供たちが未来の日本をつくるのだ。
昨夜、たまたま癌で亡くなった大学生のXアカウントを見かけた。
今まで死を意識したことなんてなくのほほんと生活してたけど、自分が若くして病気や事故で死ぬ可能性は0じゃない。
そりゃ病気にならず、事故にも遭わず、結婚して子供も生まれて、仕事も順調で部長とか区長とか局長とか副市長になって、定年退職して外郭団体の役員とかやって、子供も全員自立して、自宅のベッドか病院のベッドで子供や孫に囲まれて心不全で寝るようにしぬならいいよ。
それが確約されてるなら全く死は怖くない。
でも、若くして死ぬのは怖い。
独身のまま死ぬのは怖い。親より先に死ぬのは怖い。子供を見る前に死ぬのは怖い。孫を見る前に死ぬのは怖い。
だから和了る前に死んでも後悔しないよう、自分の人生を死の間際で誇れるように、今のうちに何かを成し遂げたいと思った。
そんで色々と自分が成し遂げたいと思えることを考えたんだけどさ…
「これなら死んでも後悔しない!」と思える成し遂げたいことはこんな感じです。
・民間のロケット開発会社と電気自動車メーカーを作って億万長者になった!
・多体問題を取り入れたSF小説を書いてベストセラー作家になった!
などなど。
芸能人や歌手になりたいわけではないので、ただ単に「有名になりたい」というわけではない。
また、イーロン・マスク、ビル・ゲイツ、ロバート・ノイスには憧れるが、ウォーレン・バフェット、ジェフ・ベゾス、柳井正、三木谷なんかには憧れないし、前澤社長には嫌悪感すら持つので単に「金持ちになりたい」というわけではない。
文芸や芸術でも、「三体」の作者の劉慈欣には憧れるが、純文学作家や漫画家には憧れない。
SNSの海を漂っていたら、すごいアカウントを見つけてしまった。プロフィール欄には定年した元新聞記者の文字。へえ、どんな社会時評を書いてるんだろうと思って覗いてみたら、まあ見事なまでに参政党への愛と移民排斥の叫びで埋め尽くされていた。
もうね、ビックリした。驚きのあまり、スマホを持つ手が震えた。
何に驚いたかって、その主張の全てが「俺はこう思う」「こうに違いない」という感情論だけで構成されていること。元新聞記者なんだろ?あんたの商売道具だったはずの「データ」とか「事実」はどこに行ったんだよ。
日本の人口がどうなってて、労働力がどれだけ足りなくて、このままじゃ社会がどうにもならなくなる、みたいな話は、ちょっとググれば嫌というほど出てくる。でも、そういう「不都合なデータ」は一切見ない。ただひたすら、参政党が提供してくれる耳障りのいい「物語」を信じ、拡散している。
俺の勝手なイメージだけど、新聞記者って高学歴で、少なくとも産経系列以外は、自分の思想と目の前の事実を切り離して考える訓練を積んだプロ中のプロだと思ってた。でも、このじいさんを見てると「昔の新聞屋って、誰でもなれたの?」って素朴な疑問が湧いてくる。それとも、現役時代に酷使した「事実と意見を分離する能力」は、定年と同時に会社に返却しなきゃいけないルールでもあるわけ?
長年社会の木鐸を気取ってきて、たくさん情報に触れて、人より賢いはずの人間が、長生きした果てに出来上がるのが、シンプルな排斥主義を叫ぶじいさんとか、気の毒でしかない。
たぶん、社会との繋がりが切れて、孤独で、増え続ける不安のはけ口を探していたんだろうな。そこに「悪いのは全部あいつらだ!」って分かりやすく指差してくれたのが、唯一参政党だったんだろう。そう思うと、少しだけ、ほんの少しだけ、哀れな気持ちになった。