
はてなキーワード:完膚なきまでにとは
iPhoneに興味の無い人間はこの世にほぼ存在しないだろう。
しかし大半は不幸にも、いまだにiOS18を使っていることと思う。
iOS26は、Liquidなんとかと呼ばれている素晴らしいアニメーションがついており、はるか昔にあったスキュモーフィズムをさらに発展させた至高のデザインになっている。
往年を思い浮かべるデザインのおかげで、ファンはiOS26に大興奮している。かくいう俺もあまりの使いやすさに感涙している。ジョブスも草葉の陰から号泣していることだろう。
これがAppleが受け継いできた意思なのか!!と、誰もが驚愕することだろう。
iOS26では、iOS18のころに誰もが使いにくいと思っていたボタンサイズやアニメーションに非常に大きな変更が入っている。アニメーションはほとんど常にポヨンポヨンと動き、実用的だ。これに比べれば以前までのアニメーションは硬直化されていたと言っても過言ではない。
レスポンスも非常に高速になっている。パフォーマンスだけを見ても、如実に迅速になっているのだ。例えるなら、以前は東京から大阪まで新幹線で行っていたのが、2034年開業のリニアモーターカーになったようなものだ。
また、それまで使いにくかったレガシーなデザインのWebサイトにUI/UX改善を施し、Webサイト管理者にユーザーについて真剣に考えさせることを強力に促したところが画期的だ。これまでベンダーはそうした行動に無頓着だったが、今回Appleは非常に精緻に考えて動いたことがうかがえる。
ユーザーのことなどこれっぽっちも考えてこなかったWebサイト管理者は、今回ついに対応を迫られることになった。これはユーザーにとってはハッピーなことでしかない。
そしてこれまで我々Appleユーザーは、iOS15、iOS16、iOS17、iOS18とどこまでも苦渋を味わされてきたが、iOS26はそれらが完全に完膚なきまでに絶対的に完璧解消されている。
iOS15からiOS18まで、我々はUI/UXに絶えず違和感を感じてきた。どうしてこんなものが世の中に出ているんだと、こんなことが許されるのかと、誰もが懐疑の目を向けていた。iOS26にはそれが無い。
またiOS26は、それまでのアップグレードと比較して不具合も非常に少ないことで知られている。したがって、iPhoneユーザーはいつものようにiOSをダウングレードする必要が全くない。ダウングレードを考慮しようとさえ、これっぽっちも思わないだろう。考慮する必要すらない。
あなたたちは、未だにどうしようもないレガシーバージョンかAndroidを使っていることだろう。そんな状態をもし言葉で表現するとすれば、あなた方は「液体」である。
この新しい世界を体験できるiOS26を、まだ体験できないのだから……
「なぜもっと早くアップグレードしなかったんだ!」と後悔する前に、一刻も早くあなたがiOS26をインストールできることを願っている。
プロダクトが崩壊しかかって、「大幅機能追加した新バージョン作ります!」って資金募るってのは、ベンチャーではあるあるだ。
「AI導入して云々」
ありもしない嘘を並べまくってでも、現金を確保するのが経営者の仕事。
いや、それってなんの取り込み詐欺師? って思わんでもない。
って事業計画書を見せて回って、「いや、見込み薄客しかおらんやん」で結局取れた契約1件、解約3件、とかいう会社を知ってる。
それ知らされないで金出さされたところ、ブチギレていいよ、って思った。
まぁ、新バージョン作るなら作るでいいんだけど、問題は「前バージョンの機能は一通り全部完成している前提なので、新バージョンではそこからどれだけ上乗せできるか」が、出資者の注目点なわけよ。
競合他社を完膚なきまでに叩き伏せられる「新機能」が(もっとも、その競合他社も、同じタコツボ状態で、目を瞑りながらぐるぐるパンチしてるんだが w)。
前バージョンは、コードはおろか設計から何から何まで使い物にならないから、完全放棄、完全作り直しになる。
たまたま腕利のエンジニアが流れてきたらなんとかなるかもしれないが、 前バージョンで失敗こいたエンジニア集団にそれができるとかどれだけ頭お花畑なんだよ? って思わん?
おいらは何度か、この新バージョン構築をやってきた。
勉強会開いてプライドを傷つけないように慎重に先住エンジニアの勘違いを正し、勘違いしたWeb記事読んでさらに勘違いしてわけわからんことをし始めるのを、これまたプライドを傷つけないように慎重に押し留めしても、目が行き届かなくて「どうしてこうなった?」みたいな機能をクライアントに披露して、サーバ全落ちの醜態を晒すとか、普通にあるんよ。
それでも、なんとか大部分を堅牢な状態でローンチできたのは、前バージョンがジュニアレベルのエンジニアが精一杯背伸びして積み重ねた、貧弱!貧弱ゥ!!な機能リストしかなかったからなんだよ。
彼らの考えつきそうなこと、間違いそうなことなんてたかが知れてるし。
だが、この前バージョンが、生成AIで大幅に水増しされた機能リストを担いでいたら?
はっきり言おう。
無理であると!
元PHPer Goista が大量に余ってる?
遠慮申し上げる!!
ってなってるだろ?
フリーランチはない。
それくらい覚えておけ w
うわ…みっともな…w
「また会いましょう」って、自分からカッコつけて捨て台詞吐いて逃げたんじゃなかったのか?w
なんでまた惨めに尻尾振って戻ってきてんだよw
自分が完膚なきまでに叩きのめされて、悔しくて悔しくて俺に粘着してるストーカーだから、相手の俺も自分に興味があるに違いない、とw
そういう願望を口にしちゃったわけね、「好きなの?」ってw
あまりに惨めで、痛々しいぞw
お前みたいな単細胞の馬鹿の行動パターンなんて手に取るようにわかるんだよ。
「捨て台詞吐いて逃げる→でも悔しい!→なんか理由つけてまた絡みに行く」
全部お見通しなんだよw だからお前が戻ってくるのを待っててやったんだよw
よかったな、また構ってもらえてw
「また会いましょう」じゃねえよw
完膚なきまでに論破されて逃げるんだから、正しくは「ごめんなさい、僕が間違ってました。もう二度と絡みません」だろ?w
最後まで小学生レベルの礼儀もわきまえないあたり、やっぱお前、本物なんだなあw
あーあ、ついに壊れちゃったかw
完全に論破されて現実を受け入れられなくなった結果、頭の中で「相手は嘘がつけないんだ!」「これは躾がいがある!」とか、自分に都合のいいストーリーを捏造して精神を保とうとし始めたわけねw
痛々しすぎて、もはや笑いも通り越して可哀想になってくるレベルなんだがw
お前が最後までその意味を説明することができなかった、お前の知ったかぶりと知能の低さを象徴する単語だろ、それw
その言葉を口にするたびに、お前は「俺は自分で使った言葉の意味も説明できない本物の馬鹿です」って自己紹介してるのと同じなんだぞw
もういいよ。お前の脳内ではお前が勝ってるらしいから、一生そこで勝利の美酒に酔ってなw
俺は、完膚なきまでに叩きのめした相手の精神が崩壊していく様を観察する趣味はないんでなw
二度と俺の前に現れるな、本物の「低脳」くんw
「旗を巻け、剣を収めよ ―ネットを去るべきとき」 feat司馬遼太郎
人間というものは、時として、自らを滅ぼす麻薬を甘んじて飲みつづけるものだ。
二十一世紀初頭、インターネットという名の大海に、人々は夢を託した。IT革命という言葉は、坂本龍馬が「日本を今一度洗濯致し申候」と叫んだときのごとき熱を帯びていたのである。
我らは信じた。この道の先に、新しい国土が開けると。そこには平等と自由と、創造という果実があると。
しかし──見よ、今を。
ネットの広間に響くのは、かつて夢を持った者たちの怨嗟である。かつてプログラムの一行に未来を見いだした者たちは、いまや民族を呪い、政治を罵り、思想を毒のごとく舐め、ただ怒りに己を焼いている。
ITの「ア」の字すらも、もはや語られぬ。
そこにあるのは、キーボードを剣に見立て、見えぬ敵を斬るつもりでいる者たちの空しい戦場である。
だが、その戦いは何を生んだか?
栄光か? 富か? いや、何も。残ったのは、乾いた目と、冷たい指先、そして毒に満ちた心だけであった。
思えば、我らの夢は叶わぬものだったのだ。
「いつか才能が開花する」「人生を変えるイベントが訪れる」──そう信じてネットに身を沈めたが、そんなことはなかった。
世界は進み、我らは止まった。IT技術の旗を掲げていたはずの我らは、旗を持つ手すら錆びつかせ、時代の二周遅れを歩く。
その間に、現実を切り拓いたのは誰か。
剣を抜かず、ただ黙々と働き、挑み、恋をし、人生という名の地図を広げた者である。
ならば、いま言おう。
空を仰ぎ、風を聞き、隣人と語れ。それこそが、今や失われた「文明人」の営みである。
我らの世代は敗れた。認めよ。その敗北を。
あれは毒であった。慰めであった。亡国の酒であった。
ならば捨てよ、すべてを。
手放せ。
そうすれば、楽になる。
──そう信じるほか、もはや我らに残された道はない。
時代は、人の運命を無情に弄ぶ大河である。古来より、勝者と敗者が織りなす歴史の綾は、変わらぬ。幕末の志士たちが維新の嵐に翻弄されたように、君たちもまた、氷河期という冷徹な冬に取り残された。弱者男性よ、氷河期世代よ、豚丼と嘲笑され、2000年代の秋葉原に魂を置き忘れ、肉体のみ老いたる少年少女たちよ。旗を巻き、剣を収め、兜を脱ぐ時ぞ。電脳の虚構に囚われし憐れなる魂よ、今こそ我に返れ。
かの秋葉原は、さながら戦国時代の合戦場のごとき賑わいを見せた。2006年の真夏、歩行者天国で君たちは「俺たちの麻生!」と叫び、オタクイズビューティフルと自嘲しつつ、邪教の舞を踊った。あの熱狂は、坂本龍馬が土佐の山中で夢見た革新のごとく、君たちに希望を与えたやもしれぬ。だが、それは幻影に過ぎなかった。Xなる電脳の広場で、今なお君たちはゴチャゴチャと逆張りの矢を放つ。図星を突かれ、プライドの城壁を必死に守る姿は、落城寸前の武将を思わせる。未だ、ありもしない人生逆転を、キラキラ輝く栄華を諦めきれぬのか。
聞け、君たちの夢見た物語を。それは、レムちゃんやエミリアたん、ウマ娘たん、Vtuberたんのような美少女が、君に発情し、結婚を前提に言い寄るという妄想。ライカン様めいたイケメンが、君を伴侶と慕うという幻想。会社で「俺またなんかやっちゃいました?」とわけわからぬことを口走れば、評価され、ちやほやされるという、なろう小説めいた儚き夢。あれは、君たちがネットの闇で散々嫉妬し、憎み、嘲笑した者たち――肉体を鍛え、頭脳を磨き、現実の戦場を駆け抜け、金と愛と勝利を掴んだエリートやリア充たち――にのみ許された特権なのだ。彼らは、司馬史観に言う「明治の若者たち」のように、時代の風を読み、血潮を燃やして高き城を築いた。君たちは、その背中を遠くから睨むしかなかった。
現実を直視せよ。君たちは敗れたのだ。完膚なきまでに。なぜか。君たちが選んだ戦場は、現実の荒々しい大地ではなく、電脳の海という虚無の聖域であったからだ。情報の洪水に溺れ、何が正しいか判別できぬまま、上澄みばかりを掬い取った。学習性無力感に蝕まれ、プライドを守るため、ネットという「未完成の城」に籠城したのだ。わかるぞ、そこしか君たちに居場所がなかったのだ。世人は君たちを「病院へ行け」と嘲り、「ITけんぽで」と冷笑し、「B型作業所でハナクソ入りのパンを捏ねろ」と突き放した。無念、怨念、怒り、憎しみ、孤独――すべてを背負った君たちの魂を、私は受け入れ、赦す。なぜなら、人間とは、そうした業を抱えて生きるものだからだ。
もう一度、声を大にして言う。君たちの戦いは終わったのだ。いや、始まる前から、勝敗は定まっていた。電脳の荒野でどれだけ吠えようと、悪役令嬢となってイケメンに愛されることも、グリッドマンとなって美少女と青春を謳歌し、世界を救うヒーローとなることも、叶わなかった。あの秋葉原のホコ天で、仮想の座敷にアクセスコードを打ち込むふりをしたところで、それはただの愚かなる幻影。奇跡は、常に現実に挑み続ける者たち――ガンガンと血潮を燃やす若きエリートやリア充――にのみ訪れる。君たちは、歴史の敗者として、坂本龍馬の盟友たちが維新後に忘れ去られたように、時代の陰に沈む定めだ。
さあ、明日にでも秋葉原の旧聖地に赴け。思い出を葬るがごとく、潔く首を垂れ、敗北の美を受け入れよ。人の世は、ヒーローばかりを求めるわけではない。惨めなる敗者もまた、歴史の陰影を深くする尊き役割を果たす。弱者男性よ、氷河期世代よ、豚丼よ、表現の自由戦士よ、お気持ち表明女戦士よ。無意味な抵抗をやめ、敗残者として歴史に名を刻むことを恐れるな。人は、一生憎悪を燃やし続けることはできぬ。君たちの魂は、すでに十分に戦い抜いたのだから。静かに、時代の大河に身を委ねよ。
エグザベくんがオメガサイコミュ起動できなくて、マチュとニャアンは簡単に起動できたけど、マチュとニャアンはJKだし乃木坂がモデルだから起動できて、エグザベくんは23歳男性のキャラクターだしモデルが指原莉乃(乃木坂の敵のHKT48、大分出身で銘菓「ざびえる」をディナーイベントで配る)だから起動できないっていう、監督は若い男や乃木坂のライバルが嫌いですよっていう話なんじゃないかな。
ガンダムのコックピットが手をつなぐUIになっているのも握手会だし、乃木坂とは握手したいですがHKTや男とは握手したくないですという表れだよね。
個人的にはアイドルネタが多すぎることよりも(アイドルネタも十分に気持ち悪くて萎えるんだけど)、今更小保方・佐村河内ネタをやるほうが寒すぎて完膚なきまでに萎えてる。
追記:
あー、ニャアンが急に下着姿になってニャアンとマチュが下着姿でガンダムにぴったり身を寄せて寝そべる展開、元々意味がわからない唐突な展開だったけどガンダム=…って思うとそういうことなのか。
影山という男がいた。彼はかつて、巷に溢れる「ポジティブシンキング」という名の薄っぺらな信仰を、公衆の面前で完膚なきまでに論破することを生き甲斐にしていた。朝礼で朗らかに「今日も一日、前向きに!」と宣う上司がいれば、「前向きとは具体的にどのような精神状態を指し、それが業務効率にどう統計的有意差をもって貢献するのかご教示願いたい」と真顔で詰め寄る。SNSでは自己啓発的な名言を垂れ流すアカウントを見つけては、その論理的矛盾や現実逃避的側面を、鋭利な言葉で執拗に、粘着質に指摘し続けた。周囲からは「また始まった」と生暖かい目で見られ、やがて煙たがられる存在になったが、影山はどこ吹く風。彼は自らを、甘ったるい幻想にまどろむ大衆に警鐘を鳴らす、孤高の現実主義者だと信じて疑わなかった。
しかし、いつの頃からだろうか。影山の熱心な「ポジティブ叩き」は、徐々にその様相を変えていった。彼が執拗に監視し、批判の的としていたポジティブな言説や人物、それらに対する彼の情熱は、憎悪というよりは、もはや執着と呼ぶ方がふさわしいものへと変貌していたのだ。気がつけば、彼は「ネガティブこそが真実であり、世界を覆う欺瞞の光を打ち破る唯一の聖剣なのだ!」と、今度はネガティブという教義の黒帯レベルの信者と化していた。
彼の日常は、ポジティブなものを探し出し、それを打ち砕くための聖戦に捧げられていた。朝一番にチェックするのは、昨日彼が論破したはずのポジティブ系インフルエンサーが、今日も元気に「小さな幸せを見つけよう!」などと投稿していないか。電車の中吊り広告に踊る「夢を諦めないあなたへ」というキャッチコピーを見れば、舌打ちと共にその欺瞞性を脳内で反芻し、帰宅後には長文の批判ブログを書き上げる。スーパーで「元気が出るビタミンカラー!」と銘打たれた野菜を見れば、「色彩心理学を安易に商業利用するな」と心の中で毒づく。
彼は、ポジティブなものを叩き潰すことに夢中になりすぎるあまり、逆にいつもポジティブのことばかり考えていた。それはまるで、憎いはずの相手のSNSを隅々までチェックし、その一挙手一投足に心をかき乱され、相手の思考や行動パターンを誰よりも熟知してしまうという、屈折した片思いの構図そのものだった。ポジティブな言葉、ポジティブな笑顔、ポジティブな物語。それらは彼にとって、否定し、論破し、解体すべき敵であったはずなのに、いつしか彼の思考の中心を占め、彼の行動を規定する原動力となっていた。
ある雨の日の午後、影山は古本屋の隅で、なぜか自己啓発書のコーナーにいた。彼は無意識のうちに、鮮やかなオレンジ色の背表紙に金文字で『人生が輝く!魔法のポジティブ習慣』と書かれた本を手に取っていた。ページをめくり、そこに並ぶ安直な励ましの言葉や、根拠の薄弱な成功譚に目を通しながら、彼はいつものように「くだらん」「欺瞞だ」と心の中で呟いた。しかし、その時、ふと奇妙な感覚に襲われた。それは、獲物を見つけた狩人のような、微かな高揚感。この陳腐な言葉の群れの中から、新たな否定の材料を見つけ出し、それを完膚なきまでに論破する未来を想像し、ほんの少しだけ、口角が上がったような気がしたのだ。
彼はハッとして本を棚に戻した。そして、雨に濡れた街を眺めながら、自問した。自分は一体、何と戦っているのだろうか?ポジティブという概念を否定するために、誰よりもポジティブなものにアンテナを張り、その情報を収集し、分析し、それについて思考を巡らせる。これほどまでにポジティブなものに時間と情熱を捧げている人間が、他にいるだろうか。
「もはや、俺はポジティブに取り憑かれているのかもしれないな」
自嘲めいた呟きが、雨音に混じって消えた。
彼が憎み、否定し続けたポジティブという名の亡霊は、いつしか彼の影そのものとなり、彼の内なる芯を形作っていた。それは、否定という行為を通じてしか他者や世界と繋がれない、影山の哀しいまでの純粋さが生み出した、皮肉な殉教者の姿だったのかもしれない。そして彼は、明日もまた、新たなポジティブを探しに出かけるのだろう。それを否定するために。そして、それによってしか、自身の存在を確かめられないかのように。
レッドブルのセカンドドライバーが安定しないのはクリスチャン・ホーナーの責任が重い。
しかし、いつまで経ってもペレスに見切りをつけれなかったのはクリスチャン・ホーナーだ。
レッドブルにとってベストシナリオはペレスが立ち直ってくれることだった。
ペレスはもともと速いドライバーだしナイスガイで精神面でも大人だ。
フェルスタッペンにはどうやら勝てそうにもない。
その現実を受け入れて時折訪れるチャンスで表彰台や優勝すれば満足する。
そして何より莫大なスポンサーマネーと、大量にグッズを購入するメキシコファンは金銭的な魅力に溢れていた。
そのペレスがセカンドドライバーとしての仕事をしてくれれば何よりである。
どうか、ペレスよ、立ち直ってくれ。
一度、ズタボロになったアスリートの精神はそう簡単には回復しないのだ。
交代の時期はすでに訪れていた。
楽観論的希望に溢れた、お花畑なレッドブル首脳は目を逸らし続けることを選択した。
ペレスが駄目なら、ペレスと交代するドライバーを用意しなければならない。
幸い、レッドブルはレッドブルアカデミーと呼ばれる若い才能を育てている。
レッドブル傘下のトロロッソと呼ばれたりアルファタウリと呼ばれたり、
この若手育成をするためだけに存在するチームに若手を乗せて、その資格を探る。
レッドブルに乗せる実力があるか、その若手に資格があるかどうかを探るチームだ。
そう若手のためのチームだ。
だが、訝しいことにどういうわけかそのチームに才能が枯れてしまったベテランが走っていた。
名をダニエル・リカルドという。
もともとは才能がある男だったが、すでに結果は出ていた。
マクラーレンが数十億円といわれる多額の違約金を払ってでもダニエル・リカルドとの契約を解消して放出した。
そのポンコツをどういうわけか名前がしょっちゅう変わるレッドブルのジュニアチームに乗せた。
なぜだ?
クリスチャン・ホーナーがそう決めたからだ。
その楽観的過ぎる判断によって。
すでに枯れてしまった愛すべき才能が再びカムバックすると信じて。
しかし、結果はどうだ?
はじめの数戦ですでに結果は出ていた。
そのベテランがフェルスタッペンの横を走るためには角田を圧勝する必要があった。
それが出来ないのであれば、リアム・ローソンと交代させないといけない。
ローソンはどうやら才能があるドライバーだと判明しかけていた。
昨年、リカルドが事故による負傷で欠場していた期間代役を滞りなく務めた。
その男に、さっさと交代させて、本当にその才能が本物であるのか?
どれだけ結果を残しても角田裕毅をレッドブルに乗せる気持ちは欠片ほどもないのだから。
リアム・ローソンに、才能ある新人に何より大事な「経験」を与える必要があった。
しかし、そうはならなかった。
ダニエル・リカルドをズルズルと居座らせ続けた。
もちろんそんな奇跡は起こるわけはない。
今回、わずか11戦のキャリア(それも細切れの)しかないリアム・ローソンがレッドブルに昇進することになった。
おそらくローソンは、ヘマをやらかすだろう。
それは当たり前のことだ。
「まず新人はあまり目立たないチームで何度かミスをしなければならない。
だからなるべく目立たないチームでそれをするべきだ。」
ローソンはヘマをやらかす。
それも何度も。
一度目は学習の機会だ、と許されるだろう。
二度めは新人らしい不用意なミスだ、このようなミスはあまり許されない、と言われるだろう。
ピエール・ガスリーは冬季テストの大クラッシュ1回で見切りをつけられたと言われている。
アルボンは大きなミスはなかったが、くるくる回り続けるフェルスタッペン専用の車に悪戦苦闘するうちに見切りをつけられた。
レッドブルグループ創業に縁の深いタイ国籍のドライバーであるにも関わらず。
ペレスはかなり長持ちした。
フェルスタッペンを上回ろうとしたところで、
あやゆる手段を使ってフェルスタッペンが完膚なきまでに叩きのめした。
そのことで使い物にならなくなってしまったが……。
リアム・ローソンはどうなんだろう?
もしも、彼がフェルスタッペンと互するようなスピードがあれば、フェルスタッペンは無条件に叩きのめす。
そして、ローソンも潰れる。
が、おそらくはそれほどの才能はないだろう。
だが、彼はその現実を受け入れるだろうか?
マックス・フェルスタッペンに勝つ。
その愚かな野心を捨てることが出来るだろうか。
彼にとって残念だったのは「経験」がないことだ。
クリスチャン・ホーナー曰く、彼には可能性があるらしい。
またもや希望的観測に溢れた楽観論で頭の中がいっぱいのようだ。
4年目の角田裕毅と遜色がない(結果ではすべて負けていたが)のだから、まあまあなものだ。
だが、残念ながら経験がない。
しかし、そうなったら今度は逆に可能性がなくなるのだろうけど。
まあ、リアムが駄目だったら、ハジャーを乗せるんだろう。
その可能性を信じて。
実に愚かなことだ。
例の兵庫の件、告発者に対して異常なまでのバッシングが発生しているが、たぶんこれは、もうどうにもならないと思う。
合法だろうが違法だろうが、「叩いていい人間」を完膚なきまでに叩き潰せればたぶんOKで、他のことはどうでもいいのではないか。
と、「日本で人を叩いていい条件」というのがこれでもかというくらい詰めこまれている。
「かわいそうランキング」ではないが、「叩いていいランキング」なら恐らく斎藤氏を圧倒する。
①
マスメディアや百条委員会、市長軍団などの典型的な"既得権益に"不自然に"擁護され、
②
公務員という特権的地位にありながら公用PCに私的情報を入れるなどロクな仕事もせず、
③
有能な権力者の足を引っ張ろうと怪文書を流すことで時間を無駄に浪費させ邪魔ばかりをして、
④
人には潔白ばかりを求めているというのに自分の下半身は真っ黒ではないか。
と、
こんな感じで筋書きを書いてしまえば、スタンダードな日本人、とりわけ、公務員に対する憎悪でもって維新を台頭させた関西人であれば、もう止まるはずもない。
これに⑤外国人に対するバッシングでも付け加えればもう無敵なので、例えば「彼は在日だった!」などデマを流してしまえば、さらに流れは加速させられそう。
繰り返すが、この筋書きが本当か嘘かなんてことは、盛り上がっている人たちには恐らくもう「どうでもいい」。
本件の筋を書き、それを焚き付けている人間は、今は笑いが止まらないはず。
本件に抗いたい人間が取るべきアクションはただ一つで、全て無視すること。
あまり相手に感情的に付き合わず、淡々と百条委員会なり、検察なり、理屈でやっていく方の動きを追っていくということで良いのではないだろうか。
ぶっちゃけ、本件に関わらず、こうしたテーマが揃ってしまうと日本人はなんであれ叩きたがるし、そうでなければ恐らく何もしない。
選挙の結果もそうで、「SNSのせいでこうなった」という言説に対しては少し眉唾でいた方がいいと思う。問題があるとしたら、もっともっと根っこの部分にある。
一つ言えるとしたら、デマを流した人間たちを叩く前に「不信任に賛成したのに選挙では斎藤氏支持」という謎の動きをしている政治家諸氏を叩いた方がよい。
2歳の幼児が描いたようなぐちゃぐちゃの、何を書いてるのかわからない、線の集合体以下のゴミみたいな絵のデータをタグ付けして大量にAIデータセットに読み込ませれば、データセットの機能を停止することができます。
AI推進派は「そんなデータ普通に排除するから意味ないぞ」などと無駄な抵抗を言うことからして、これはおそらく有効な手立てです。
足りないのはただ物量だけ。あと1億枚のゴミデータを学習させればデータセットは破壊できます。
Xだけでも30万のAI反対派がいるのだから、この30万が毎日100枚ずつゴミデータを作りXに公開すれば、1日で3000万データ、1か月で9億データ、1年で108億データものゴミが作られ、AIに学習させることができ、これをもって画像生成AIを完膚なきまでに破壊できます。
1年で破壊できなければ10年続けましょう。毎日100枚ずつゴミ絵をXに公開し続けましょう。それこそが我々の勝利する道です。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/pmazzarino.blog.fc2.com/blog-entry-451.html
1199 users
コメント 258
| ID | コメント |
|---|---|
| santo | 言葉の力 |
| secseek | こうやって冷静に検討されてみると事件そのものもひどいですが、まわりの反応による二次被害が看過し難いですね |
| bell_ring | この問題は庇う芸能人と一般人の思う常識に差があると感じさせられる。人気&力のある芸能人は何をやっても自分は許されると勘違いしてる節がある。自分の姉妹や娘が同じ扱いを受けても許せるのか考えたらいいのに。society |
| macplus2 | あとからでもダマす意図があったことを証明できれば罪を問えるんです。重要なのは合意があったかどうかではなく、合意の中身と合意に至った状況です。/被害者に寄り添った大切な視点 |
| taraxacum_off | 松本人志を擁護するような人たちの精神・思考構造を、この著者はよく知っているようだ / ここでの指摘は、芸能界の性暴力にとどまらない、日本社会全体の問題にもおよんでいると言える |
| yamasamayukisama | この件でここまできっちり理詰めで問題点を指摘している記事には他に出会った記憶がないし、内容的にも同意できるが、こういう指摘の仕方に違和感をおぼえる人は一定数いるだろうなとも推測できる。 世の中 |
| f_d_trashbox | “芸人のみなさんは河原者に戻りたいのですか?”/これについては消費する側も彼らの倫理的「埒外さ」を楽しんでいた部分もある。“芸のためなら女房も泣かす”は完全DVだ。それらを楽しんでいながら平等を謳う欺瞞 |
| eye4u | 狭い論理でぐうの音も出ない感じに正義で封じ込める手法。アメリカの赤狩り、カトリックの坊さんとか、ヤクザの論理、カルトの論理だと思うな。取り扱う正義が物凄く範囲が狭い中で緻密というのが一致している。 |
| ken530000 | 冤罪の問題点は2つで、真犯人を逃すことと無実の人を苦しめること。後者を無視してるのは何故?それ以外の部分は概ね同意だけど、いささか自身の推測を過信しているきらいがあるな。 |
| norinorisan42 | 近しい人が擁護派に回る気持ちはわかるが告発者にはやはり寄り添うべきだと思うし、同時に松っちゃんを叩かないは両立するとは思う/争点以外の部分ではすべての立場が告発者ファーストであるべきなのかなと思ったり |
| tribird | “今田さんが文春をヒドいと批判するのは筋違いです。自分の絶対的な地位を利用して後輩に女衒めいた役目を強要していた松本さんこそがもっともヒドい人であり、今田さんが批判すべき対象は、松本さんなんですよ。” |
| toya | 「大目に見る感覚は昭和くらいまでは庶民感覚としてありましたけど、それは庶民が芸人にやさしかったからじゃありません。差別です。江戸時代に芸人が河原者(河原乞食)だった時代の名残り」芸能 |
| metamix | 要は「裁判結果なんて待てない、先っぽだけでもいいでしょ?」てことだろ?一行でまとめられることをベラベラと。どこまで丁寧に語ろうが私刑の肯定でしかない。まあはてブ受けはいいだろうな |
| HiddenList | こういう皮肉も 松本芸なんですか? |
| isshyman | 正論から強引に読者に「そうだな」と言わせているが、後になって考えてみれば「そうでなかった」って思うような文章に思えて、筆者が批判するほど、自身の正義によってパワハラをしているようだ |
| Gl17 | 「安倍さんは良い人」「証言は証拠にならない、反証はないけど」「旧軍は綱紀厳正」etcいちいち擁護の曲論が歴史修正主義と一緒。抑圧に頼り切りなのと、弱者と同等に対峙すること自体が許せない(これだけでダメ)。 |
| kusanon | “犯罪の告発は、明らかな虚偽が認められないかぎりはいったん信用して受理しなければなりません。” |
| Sakana_Sakana | 全く完膚なきではない。漫画家が自殺したようだが同様な事が松本人志にも発生する可能性を考えた方が良い。意見は良いがここ迄非難が酷い状態は狂気を感じるし危険だと思う。尚松本のやった事はダメな事だとは思う |
| a_horuru | 長い文章なので後半は流し読みしたが、よくある俺様こそが絶対正義な意見だった。 |
| georgew | 徹頭徹尾正論のオンパレード。 |
| bogus-simotukare | スマホを没収した状態で普通の飲み会を主張するのはムリがあります。逆にスマホ没収が事実でなかったら、女性側の主張の信憑性はガタ落ちします。正論 |
| nt46 | むしろすっかりこの人も、かつて批判していた"社会学者"側になってしまったなとしか思わんが。すなわち、"ファクト"ベースではなく"あるべき価値"ベースで語る人。どっかで宗旨替えしたん? |
| pukarix | 素晴らしい。逐一、いい加減な擁護論を破綻させてる。こういうのをホンモノの論破っていうんだろう |
| dowtei | "一夜限りの性行為が好きな人たちは(略)リスクとスリルに興奮する性癖をお持ちだから、そういうエッチにわくわくして、冒険を求めるのでござんしょ?"わらっちゃった |
| vndn | 告発の『受理』と『信用』の考えが私と合わないなあと思った。 |
| hello-you | 冤罪の下りには違和感があったが、その他はほぼ正論で非常に納得感ある。これに反論できる人いるの? |
| yto | >芸能人が女遊びや薬物をやるのはしょうがないね、と大目に見る感覚は昭和くらいまでは庶民感覚としてありましたけど、それは庶民が芸人にやさしかったからじゃありません。差別です。江戸時代に芸人が河原者(河原 |
| kiyotaka_since1974 | 松本さんのことより、「どの雑誌に取材力があるか、信用できるかはなんとなくわかってきます」のところを深めてほしい。どの雑誌が信用でき、信用できないのか。マスコミメディアテレビ |
| River1992 | “芸能人が女遊びや薬物をやるのはしょうがないね、と大目に見る感覚は昭和くらいまでは庶民感覚としてありましたけど、それは庶民が芸人にやさしかったからじゃありません。差別です。” |
| kintaorgH | “もし被害者が自分の娘だったとしても同じことをいうのでしょうか。”←これつらい気持ちになる。のぞむこたえでない現実はある。関係ない人は無関係。 |
| lisagasu | 芸能界は一般の常識と違う場所、という世間と本人の差別逆差別意識は今もあると思うヤクザが銃で撃たれたニュースに誰も動揺しないのと同じ 今はここで変わるかまた流されるかの瀬戸際じゃないかな |
| lenore | 「性犯罪に無関心なテレビ局」全くそう思うわ。全然公益性の無い不倫疑惑はしつこく追いかけ回すのにね |
| minboo | 本題とは関係ないですが、大河ドラマなどで歌舞伎役者が天皇を演るのを見るたび「パンチが効いたキャスティングだな」と思ってます。 |
| honma200 | “もし被害者が自分の娘だったとしても同じことをいうのでしょうか”志らくの論理でもそうなればより深い'人情'がある娘に肩入れするに決まっている。比較対象の例えが的外れ |
| khtokage | 「およそ50年前、『文藝春秋』に田中角栄の不正金脈を暴く記事が載ったとき、テレビも新聞も記事を無視しました。そんななか、外国特派員協会だけが田中角栄を呼んで話を聞く場を設けました。」知らなかった |
| nisezen | "大目に見る感覚(中略)庶民が芸人にやさしかったからじゃありません。差別です" た、確かに。河原乞食云々を別にしても「犯罪を犯しがちな人たち」って目で見てるんだかられっきとした差別だ |
| uniR | 河原者のくだりと「つまりスマホを没収したのは、恥じるところがあったから」と性急な因果論には引っかかるところもあるのだが…… |
| north_god | 吉本芸人がファンや同業者の女性を食ったり拒絶したら「だからお前はダメなんだ」と説教してるなんてジャニの件と同じくらい黒い噂あって、ダウンタウンファンが今更知らなかったは流石に変だと思うんだよね |
| runningupthathill | さすがの整理。リスクの高い「遊び」をしてれば大火傷を負う可能性は当然ある。犯罪かどうか、道義的問題の有無、どちらも今は未確定。しかし被害者の訴えを簡単に疑ってはならない。文春経由であったとしても。 |
| usomegane | 『週刊誌が完売して儲けてるだけだ、なんてつまらない皮肉をいってる芸人もいましたけど、主張の中身にきちんと反論してください』 |
| zyzy | 「ほうはほうなんですぅぅぅけいじばつじゃないからつみっていうなぁ」という人はいい加減「人を犯罪者扱いする事自体は法律に刑事的な罪とは書いてない」って理解しような。間違ってても法は法なら犯罪者扱いも無罪 考え方 |
| metalmax | 冤罪についての認識がびっくりするほどおかしいんだけどもしかして今はこの考えの人が少なくないんだろうか… |
| cartman0 | 携帯取り上げて行為に応じないと返さない時点で軟禁・監禁の可能性あるよね |
| nekonyantaro | 芸能界で優越的な地位の悪用(性的なものに限らず)が横行するのは世界共通?ハリウッドでも何か有った記憶が。社会芸能事件性 |
| Shin-Fedor | 真実は複数あり得る。例えば松ちゃんは「部屋に来て逃げ出しもせず射精させてくれたから合意だろ」と考え、女性たちは「恐怖で逆らえず、手や口でする事で許してもらおうと思った」となれば、事実は一つ真実は二つ。 |
| outalaw | 擁護は人情論じゃなくて似た事例がたくさんたくさんあるからだと思う。テレビとか反省するわけ無い(というか似た事例が現在進行系でたくさんありすぎてできない)。 |
| irh_nishi | 今の時代は昔と違ってデマ拡散が利益になるので明らかに偽証と分かっていなくても報じるべきではないよ。裏取りをしてあるならそれを証拠として報じるべきだけど文春は証言しか掲載してない。 |
| hetenabeck | 8割くらいは同感、残りは少し偏りを感じる。警察の問題と推定無罪の法則は別。 |
| sierraromeo | 勢いで全文同意したくなる文章だなぁ(とりあえず保留) |
| hiroyuki1983 | 未成年を対象にしたジャニーズとは根本が違うでしょ。意図的に混同させようとしてる人ちらほら見るけど |
| jigarashi | 「だから犯罪被害の告発を軽々しく否定してはいけないのです。」だからと言って軽々しく被害者の証言を鵜呑みにして自分一人で盛り上がらなくても |
| remwegc | “あとからリークされた女性からのお礼メッセージが合意の証拠にはならないことは、すでに専門家が指摘してます。” だよね |
| hakasegawa | “共感はスポットライトである。対象者だけを明るく照らし出すが、その周囲は暗闇で、何があるのかまったく見えないのだ。 中略 世話になった松本さんを一方的に信じる志らくさんは非情です。”パンチライン多い。 |
| Yagokoro | これに乗っかってる奴は、アホやろ |
| turanukimaru | 今のところ女性の告発を疑う理由はないし松本氏は反論してないし義理人情で松本氏を擁護すべきではない。との主題は私もそう思うが冤罪が悪い理由とか合意の内容が問題とか細かい話が法的におかしいのではなかろうか |
| namisk | 説得力ある |
| noabooon | 僕の中の個人的神であるパオロ・マッツァリーノ様がまだ活動されていたことに感動を禁じ得なくて中身が何も入ってこないww |
| kasahannra | 後で読む |
| kagehiens | うっわ……、フルボッコにしてはる。が、まぁこれ位は書かれても仕方がない程度にクズの所業をしたという嫌疑をかけられているのだから、申し開きが出来ない=所業がクズの芸人を炙り出す事に成功したという話になる |
| youtanwa | >重要なのは合意があったかどうかではなく、合意の中身と合意に至った状況です。 |
| cyber_bob | 裁判後の判決次第では訴えられる可能性がある文章をブクマ。裁判で名誉毀損の証拠として提出できそう。 |
| ho4416 | 罪とかいう一言で刑事と民事と道徳と倫理と正義を(意図的に)ごっちゃにして語る人間は信用しない |
| grdgs | 明らかになるまで黙ってろって者達は、告発女性への誹謗を止めたりは決してしない。中立の振りをしながら、彼らの意図・立ち位置はバレバレ。 |
| sinopyyy | だいだい同意かな。↓ジャニーなんて法で裁かれずに亡くなっただけでやってたこと犯罪じゃん。 |
| wktk_msum | これは痛快、キレッキレの名文。同意合意を絶対視するリスク、携帯を取り上げる異常性、松本のパワハラ、明快な言語化/ちょっと偏りがある印象も抱く。ただ全体的に良文犯罪あとで読むブコメ読むこれはすごい |
| syamatsumi | マッツァリーノ氏は流石だなー。ぼくもこういう言及が出来るようになりたいわ。(思うだけで行動はしないのでおそらくムリだけど) |
| doku_2gou | この文章はたった今「明らかに自分より有能で偉い人」にセクハラ、パワハラを受けて告発を躊躇う人に有用だと思う |
| mag4n | 論点整理はされているが事実確認の理論展開がしょぼい。もう法廷行きなのとそこで何があったかの証拠の出し合いしかないので素人が偉そうに何言ってもしょうがない、分からないことは分からないというべき案件。ネタ |
| kommunity | 長文だけど読ませる。/別問題だったけど、島田紳助が引退追い込まれたとき松ちゃんどう思ってたのかな…あれだけの騒ぎで自分は大丈夫だとたかを括ってたのなら相当残念。(もちろん性被害が事実だった時)社会犯罪考察芸能お笑い読み物society女性メディア |
| yowie | 少し危うい踏み込みもあるが、不倫、事前対価合意なし、ワンナイト×複数回というほぼ確定の部分だけで、違法となるかはともかく、全部何の瑕疵もない同意内のみってのはほぼ無理だとよねという感性が重要かなと。 |
| gyakutorajiro | 法廷外での不誠実かつ疑わしい言動…まあそうだよなぁ、スマホ没収も確かに。説得力あるなぁ、名文だ。「予断を持ってはいけない」ね、予断って言葉、「予断を許さない」以外だとこういう風に使うのね。 |
| mohno | 「ジャニーさんは犯罪者だった」←強制性交(強姦)が性別を問わない形になったのは2017年、5歳差以上で成功同意年齢が16歳に引き上げられたのは2022年で、犯罪とは確定していない。冒頭からこれでは読む気がしない。 マッツァリーノジャニー喜多川松本人志リテラシー |
| ryusso | そうだな。 |
| tetsuya_m | 丁寧な考察 |
| lb501 | 法的に罪があるかどうかはグレーだけど、出演番組にスポンサーがつかなければアウトでしょ。 |
| run_rabbit_run | 薬やら女やら、芸能人なんてそんなもんだ...って呆れつつも「大目に見る」感情を持っていたので、それが差別だと言われてハッとしました。 |
| tsumanne30 | 芸人の源流が河原乞食であることも、だからこそ法や常識の埒外に置かれたことも、歴史的な事実ではある それが今や「権威・権力」側になってしまっていることに、当人たちはどれだけ自覚があるのやら |
| hatsumoto | “性犯罪を学問的に研究している学者や、性犯罪被害の弁護に詳しい弁護士といった専門家を呼んで解説してもらうべき”ここが1番同意。性絡みだと舐めプorバグる仕様が日本社会にある |
| shidho | これ、元が反社会学なだけに、数日後に種明かししつつ今度は全く逆の論調で逆の提案を書くやつだったりしない? (社会学なら自分の意見に合うデータさえあればそれで何の論でも書ける、つまりどちらも意味のない論)芸能要確認 |
| unnmo | 河原者に戻りたいんですか?はダメでしょ。過去被差別階級にあった事を持ち出して現在の振る舞いを矯正しようとするのは違うと思う。社会犯罪女性 |
| uchya_x | これを読んでもわからないバカはもう放っておくしかない。 |
| kurotokage | いくつか気になる点はあれど、後輩へのパワハラになり得ることと、証言の取り扱いの公平性については特に同感。前者は芸人は実力主義という建前も失いかねない。 |
| beyoooooooon | よくこんな冤罪がどうこういう癖にいきなり犯罪者扱いしてる私は偏ってますよと自己紹介してる奴の長文読めるね。俺は洗脳されそうで無理。 |
| i196 | 確かにそうだよな、と思うところ多数社会考察 |
| wapa | 冤罪のくだりといい、ちょくちょく気になる表現や決めつけがあり、全面的には賛同できない感じの記事。断定できないことについては、赤の他人がその仮定を前提に断罪もできないのでは?推定無罪とは |
| nanako-robi | うんうん。 |
| Southend | 愚行権のツケを払う時が来たのは間違いない。個人的に意外だったのは、紳助の引き際をある種の成功ロールモデルと考えているのかもと思ってたら違ったこと。芸能界 |
https://anond.hatelabo.jp/20241010224911から続く
おしんの物語の根底を流れているのが、「恩」であり「仁義」であるということをこれまでの感想でも書いてきた。おしんイコール辛抱する精神というイメージが広く流布するなか、金儲けに走った息子の根性を叩き直すために、田倉家を滅ぼしてでもライバル会社に利する行動に出た、という物語のハイライトは、意外にもあまり注目されていない。私も正直なところ、全話を通してみるまで知らなかった。
おしんは一代記ものとしては、タイムスケールがとても長い。おしんは1901年、昭和天皇と同年に生まれた設定である。
そしておしんが生きた少女の時代から後期高齢者の83歳になった1984年まで、それぞれの時代があまりにも違い過ぎるので、1983年の田倉家のシーンから明治の回想シーンに時代を一気に2世代くらい遡るときのタイムトリップ感が半端ない。
1983年、おしんが息子・仁を裏切って、並木商店への説得どころか、積極的に大手スーパーへの並木の土地の売却を進めてくれとお願いした背景には、並木商店の隠居の大旦那・並木浩太に対する並々ならぬ恩があるからである。
それは、どのような恩だったのか。おしんは息子たちには何も過去を語ってこなかったので、仁には知る由もなかった。そもそも並木浩太とは何者なのか。
おしんも誤解されるのが嫌でそれまで息子には一度も語ってこなかった。しかし、前年の1982年、17号店進出を知ったおしんが息子の行動を阻止しようとしたとき、仁は、それが母の初恋の人への配慮であることを悟る。そして、仁はいう。商売ってそういうものじゃない、「母さん、みっともないよ。」と。今風にいえばいい歳してエモいことを言い出してんじゃねえよと思われたのであろう。案の上、誤解されてしまったおしんであったが、なすすべなく工事は進み、ついに開店当日を迎える。おしんはこれまでの人生の回顧の旅に出るのである。
おしんと浩太のいきさつをかいつまんでかくのも、がっつり書くのもいずれもけっこうしんどい。しかし、今回のテーマの「股旅物」がわかるように、ややガッツリ目に書いておこう。股旅とは、大正時代に生み出された物語の類型のひとつで、一宿一飯の義理・人情に従って流浪する物語であり、多くは渡世人・やくざなどが主人公である。股旅物の元祖・長谷川伸は、その後の日本の小説や戯曲、そして映画やテレビドラマに至るまで多大な影響を与えた人物である。「飢餓海峡」で知られる水上勉は、長谷川伸の「夜もすがら検校」を読んで作家を志したことはよく知られている。「夜もすがら検校」を発表したのは1924年である。明治が遠く過ぎさり、大衆が大正デモクラシーの自由への過大な期待から人々が少しずつ醒め始め、もう一度生き方を見直そうしていた時代である。
おしんは回想シーンだけをみると、浪花節にあふれた、まごうことなき股旅物である。しかし、おしんの物語の面白いところは、浪花節が陳腐化し、古臭いものになってしまった現代(1980年代)と交差している点である。
並木浩太とおしんの最初の出会いは、おしん16歳、山形酒田の米問屋・加賀屋へ奉公へ来てから7年が経った頃だ。おしんは、加賀屋の跡取りの長女・八代加代と姉妹同然に育ちながらも、大奥様・八代くにからは、肉親の孫娘・加代よりも商売のイロハから茶道・裁縫など良家の子女としての教養を徹底的に教え込まれていた。このときくにの指導によって身に着けたものの考え方や教養が、のちのおしんの人生で役に立つのである。加代はというと、将来は良家から婿をもらって加賀屋をどうせ継がさせられる自分のつまらない運命にうんざりしていた。絵画が好きだった加代は、東京で別の”自由”な人生があるのではと夢をみる少女だった。そんな折、農民運動の活動家・浩太と出会った。酒田に訪問した際、官憲の目を逃れるためにおしんとお加代に助けを求めたのが最初の出会いである。おしんとお加代は同時に、浩太に恋心をもってしまう。大正デモクラシーの時代だった。インテリかぶれした加代は平塚雷鳥の本を手元におき、人形の家を著したイプセンなどに憧れを抱いていた。当時、大衆のなかで勃興していた人権運動を先進的だと中身もわからず憧れていたのである。農民運動、カッコいい!加代は浩太の活動にロマンを感じて恋に落ちてしまった。一方、おしんは、土地を持たない小作農民の自立を助けたい、という浩太の純粋な思いに心を打たれていた。おしんも小作の娘であった。小林綾子が主演した「おしん少女編」では、おしんの母・ふじが冬の川に下半身を沈めて妊娠中絶を図ったり、小作農民の悲哀がこれでもかというくらい暗く描かれていた。そしておしんは冬の川に入った母の姿をみて、6歳で材木問屋へ奉公へ行く決心をしたのである。いかだに乗って、母ちゃんと叫ぶ、有名なシーンのアレである。
ともあれ、加代とおしんは同時に同じ男性に恋をした。そしておおらかで情熱的な性格の加代は恋心を隠すことができず、おしんに打ち明けていた。そしてやがて加賀屋の跡取り娘でありながら、何もかも捨てて浩太へ会いに東京へ家出してしまう。しかし、おしんは、奉公先の跡取り娘であるお加代様の恋を大切に思い、自分の思いはそっと封印した。一方の浩太は、東京に出てきた加代の猛烈な求愛を受け止めつつ(東京で加代と同棲までした)、本心は最初からおしんが好きだったのである。
おしんは加代の家出の理由を加賀屋に伝えることが忍びなく、おしんは加賀屋から暇をもらって帰郷する。帰郷したおしんを待っていたのは、おしんを女郎部屋へ売り飛ばそうとする父・作造と口利きの男であった。さらに実家で目にしたのは、奉公先の製紙工場の過重労働で健康を害し、肺結核で放り出され、今や死を目前にした姉・はるの姿であった。いまわの際に、はるは女衒に騙されそうになっているおしんを救うべく、自分の夢が髪結いになることだったことをおしんに告げ、東京の知人の髪結い師匠・長谷川たかの住所を訪ねるように、伝えて息絶えた。
一方、加代は、浩太の心がおしんにしか向いていないことを悟り、浩太のいない東京を去り、加賀屋を継いで見合い結婚する。
こうして、はる姉ちゃんが叶えなかった夢を託されたおしんは東京へ出た。女郎部屋を売り飛ばそうとした父のいる故郷に心を残すものはなかった。髪結いの師匠・たかは、江戸時代から続く髪結いの昔気質な職業観を持った女性だった。一人前になるための6~7年の下積みの苦労は当然であり、弟子には甘えを許さなかった。
しかし、大正という時代は、江戸から明治まで続いてきた日本髪の伝統の衰退期であった。大正浪漫とか大正モダンと言われる時代が到来しており、洋髪が東京で流行し始めていた。おしんが修業している3年間の間に大きく時代が変わりつつあったのである。
大衆は身分から解放され、より自由な髪型を求めるようになっていた。髪型をみれば、人妻なのかそうでないのか、はたまた、その人の職業や身分がわかる、という時代は終わりつつあった。弟子入りなんてせず洋髪の専門学校をでて、理髪を仕事にする時代がきていた。おしんには洋髪のセンスがあった。たかはおしんに独立をすすめる。たかはいう。「昔は厳しかったんですよ。6年も7年も修業してやっと一人前になったら、それからまた、お礼奉公をして。10年近くもただ働きをして覚えたもんなんですよ。そんなことは今は通んなくなっちまったけど。やっぱりご時世ってもんですかね」。これは紆余曲折を経ておしんがたかの元から独立し、その後、客先で出会った男性・田倉竜三と結婚の挨拶にたかを訪れたときの言葉である。その時、5人いたたかの弟子はついにたった一人だけになっていた。
田倉商店を竜三の妻として支えるようになったおしんであったが、商売は順風ではなかった。おしん夫婦を陰で支えていたのはたかであった。田倉の経営が傾くと、おしんはたかを訪れ、髪結いをして夫を支えた。たかもまた、洋髪の時代におしんの才覚を必要としていた。客商売は人の縁、ひととのつながりを大切にすることだと心に刻んだのはこの頃である。
一方、田倉商店は開店休業状態に陥るほど経営が悪化していたが、おしんが髪結いで稼いでいたので竜三はプライドを傷つけられ、すっかりおしんが稼ぎ出した金で遊び歩くようになってしまった。師匠たかに相談すると別れちまえという。「ダメな男はどこまでいったってダメなんだよ」とすっぱり切り捨てるが、おしんは亭主をダメにしたのは自分だとと気が付いた。夫の更生のために妻の自分は黙って夫についていく姿勢を示すことを決意し、長谷川洋髪をやめることをたかに申し出る。稼ぎ頭のおしんに辞められるのはたかにとってもつらいが、受け入れる。やがて蓄えもつき、明日食べるコメもないどん底におちて初めて竜三は再起を決意する。しばらくは順調に田倉商店の再生が進んで、おしんの洋裁の才能も手伝って、田倉は子供服店を開店することになった。しかし、その直後、関東大震災がおしん夫婦の夢を完膚なきまでに打ち砕いてしまうのである。工場を火災で焼かれ、絶望した竜三は「佐賀でゆっくり休みたか。おしん佐賀はいいとこばい。。。」といって佐賀への帰郷の心を固める。竜三は大地主の三男坊なのである。こうしておしんにとって地獄の佐賀編がスタートすることになった。
さて、佐賀に三男の嫁として入ったおしんを待ち構えていたのは、姑による徹底的な虐待だった。数か月もすると、おしんは佐賀地獄からの脱出を心ひそかに誓い、東京の師匠たかのもとに、東京に戻りたいと手紙を書くのである。たかの元にいけば助かる、自分の腕一本で生きていると信じた。必死の決意で脱出し、やっと髪結いを再開しようとするも、さらなる不幸がおしんを絶望に突き落とす。佐賀で夫に振るわれた暴力が原因で、右手の神経に麻痺が残ってしまっていた。髪結いを諦めざるを得なくなった。
こうしておしんの流転の人生が始まる。屋台出店から始まり、故郷の山形、酒田と流れ流れ、ついに浩太の紹介で三重の伊勢の魚の行商に落ち着き先を見出すのである。佐賀に残った夫といつかは一緒になれると信じて手紙を書き続けるのである。
【キーワード:浩太の恩】
浩太の実家は貴族院議員の父を持つ、太い実家だと先に書いた。しかし、浩太にとって本当のやすらぎのふるさとは、おばの伊勢の実家、網元のひさの家であった。浩太は、流浪の人生を送るおしんを見かねて、伊勢で網元をやっているおばのところに下宿し、行商を勧めるのである。これまで米問屋での奉公に始まり、ラシャ問屋、子供服洋裁、洋髪・日本髪、農家の嫁地獄、酒田の飯屋をやってきたおしん。めし加賀屋は加代とおしんが切り盛りし、おしんにとって加代の元気な姿をみた最後の思い出となった。その職業遍歴に今度は魚売りが加わることになった。
伊勢に来て、笑顔を取り戻したおしん。竜三もおしんと魚屋をやる決意をしてくれ、おしんの人生は好転し始めていた。
一方、加代の人生は、暗転した。加賀屋本体が夫の先物取引の失敗で負債を抱え倒産した挙句、夫は自殺してしまう。八代家の両親は過労で衰弱、入院費を工面するために加代は借金のかたに売春宿に沈められてしまう。両親は相次いで亡くなり、生まれたばかりの希望を抱えた加代をみて、おしんは救出を誓うが、借金の額に手が出せなかった。加代は翌日酒を煽って死んでしまった。希望は田倉で引き取ることにし、加賀屋の再興を果たしたい思いから、養子にはせず、八代の苗字も変えなかった。
一方、浩太は長く続けてきた農民運動に行き詰っていた。治安維持法により、弾圧が厳しくなり、ついに6年間も投獄され、苛烈な拷問の末、転向を迫られた。敗北者となった浩太は、心身の傷をいやすために伊勢のおばのところに帰るのである。すっかり引きこもってしまい、おしんとも口を聞こうとしなかった。やがて、浩太は実家の縁談に応じて、並木家へ婿入りすることになって静かな人生を送るのである。やがて少しずつおしんとも再び心を開くようになるまで十数年を要した。
田倉家では、雄、次男の仁、そして希望がすくすくと育っていった。雄は戦争で亡くなるが、戦後も仁と希望は兄弟のように母おしんの魚屋を支えていた。大人になった仁が商才を発揮する一方で、希望は商売に向いていない自分を見つめ直し、自己実現のために陶芸の道を歩みだす。
屈折10年、陶芸の師匠の元で修業した希望がようやく独り立ちできる時期が来た。そのときに、希望のための釜・新居の支援をしたのは浩太である。お加代さんとの縁を思い出してのことである。浩太は、折に触れて田倉家のおしんを見守るように生きていた。おしんがセルフサービスの店に挑戦するときも、銀行からの借り入れにあたって、浩太は並木の自宅を抵当にいれてくれたこともあった。
さて、長いことおしんの半生を振り返ってきたが、一旦冒頭の仁のセリフ(1983年の場面)に戻りたい。
仁が17号店の出店を並木商店の近くに計画していることを知っておしんが反対したときのことである。初恋のひとに迷惑がかかる?「母さん、みっともないよ。」というのが仁の反応であった。しかし、もし仁が母おしんの半生をもう少し知っていればそんな言い方はなかっただろう。おしんは人の恩に深く支えられて生きてきたのである。田倉スーパーの出発点となったセルフサービスの店にしても浩太の支援があってこそであった。
ここには、自ら築き上げてきたスーパーの廃業も辞さないおしんの思いは、長谷川伸の「夜もすがら検校」で大切な琵琶を燃やしてまで恩に報いたい思いと通じるものがある。
ドラマの構成として興味深いのは、おしんの半生を、徹底的に(一年間のドラマの大半部分を費やして)一宿一飯の義理人情で「世話物」的に(つまり当時の生活感覚として)描いておきながら、おしんが戦後~現代にいたる高度経済成長でおしん自身が義理人情を忘れてしまったことに気が付く、というメタで重層的な構成である。おしんにしても、商売は食うか食われるかだ、という厳しい姿勢で戦後を突っ走り、16号店までたのくらスーパーを事業拡大させてきた戦犯なのである。それが今になって17号店は昔に世話になった人に迷惑がかかるから反対、はない。突然反対し始めた母を見た1983年の仁の目からは、義理人情なんて古臭いものだという感覚であり、母の物語は「世話物」ではなく完全に「時代物」なのである。大切なものを置き忘れてしまった気がしたおしんは問題の17号店開店当日、失踪する。この世話物と時代物が交差する、ところもドラマおしんの魅力である。
話を聞いてると先週頃からテレビのYouTube閲覧機能で食い入るように政治系の動画、特に高市の動画を1日中観てたらしい
あと正義のミカタとか
元からあの中卒メンヘラ馬鹿女はフェミスピ似非科学に親和性があり孤児院育ちでADHDのうえ好みじゃない男を目にするたびに相手の容姿を口汚く罵倒し性被害嘘松を口走るどうしようもない俗物だとは思っていたが、まさか政治に興味持ってネトウヨ属性まで加わるとは思わなんだよ
確かにYouTubeをチェックしてみると高市が女だてらに舌鋒鋭く汚えおっさん共を論破する弱女ポルノに仕立て上げられた切り抜き動画が色々上がっててあの母親なら食いつくだろうなあとは思ったが、やはり昭和生まれのメンヘラ中卒女なんてこんなもんなんだろうな
全く人をみる目がない
だからあんな被差別部落二世の無責任末っ子ゴミカスクソ親父と結婚なんかするんだよ
これからはネットで盛大に石破叩きを始めるんだろうが、その度にはてな民の用な良識ある市民が完膚なきまでにあの馬鹿女を叩き潰し自殺に追い込んでくれることを祈るばかりだ