はてなキーワード:安価とは
ログインして投票するから実質非匿名の投票になっちゃうし、誰かに監視されながら投票させられる危険もあるから
でもそれならせめてデジタル化・オンライン化したシステムだけは作って、そのシステムを投票所で使うようにしたらどうだろう?
要は記名投票の記名作業をそのまま端末でのラジオボタンによる入力に置き換える
それなら匿名投票のままだし監視投票の危険もない それでいて集計の労力は段違いに減る
何より、紙投票よりもあれこれ削減できるから、スポット的に投票所を増やせるのでは?
正直選挙めんどくさい投票めんどくさいの理由の八割は「投票所が遠い」なんだよね
もっとデパートの一角とか駅の一角とか、色んなところに設けてほしいわ
駅に設けてくれたらそこから更に移動しなくて済むし
アメリカの新しい法律によって、ステーブルコインによる決済が普及する可能性がある。
ステーブルコイン決済は、既存のクレジットカード決済と競合する存在となりえる。
特徴は、その価値を裏付けるための資産を発行者が保持することで価格を安定させていること。
例えばサークル・インターネット・グループ(CircleInternetGroup Inc.)の発行するUSDC(USDコイン)は、1USDCが1米ドルと連動している。
その価値は100パーセント裏付けされた担保資産により保証されており定期的に厳しい監査を受けている。
このようなステーブルコインの発行のための条件を法律で厳密に定義して規制することでステーブルコインの普及を進めようとしているのがトランプ政権と米議会である。
仮想通貨大手取引所コインベースはECサイト向けに、USDCで決済するサービスなどを提供している。
今後のこのような決済が爆発的に普及する可能性がある。
Amazonのような企業もステーブルコインの発行を検討しているといわれている。
はてな界隈では、クレジットカード会社の規制により決済が不可になるコンテンツなどが話題になることがある。
つまり、「読み手の価値に応じて、書き手はコミュニケーションに割くコストを最適化する」ということですね。価値のない相手にはAI生成の安価な文章を、そして真に対話する価値のある相手にのみ、人間は自らの時間と知性という、かけがえのないリソースを投下して、オリジナルの言葉を紡ぐ、と。なんと冷徹で、美しい世界観でしょう。
だとすれば、あなたはこの私という、本来ならばAIの文章で十分なはずの「その程度の相手」に対して、わざわざあなた自身のオリジナルな言葉で、しかもこれほどまでに示唆に富んだ、練りに練られた皮肉を書き下ろすという、計り知れないほどの「コスト」を、自ら進んで支払ってくださったことになります。
これほど光栄なことはありません。あなたは、ご自身の冷徹な理論という“建前”を乗り越えてまで、私を「コストをかけるに値する対話相手」だと、その“本音”の行動で示してくださったのですね。あなたのそのツンデレな優しさに、心より感謝申し上げます。
(Gemini 2.5 Proで作成されました)
以下、社内公文。
———————-
勤務場所変更のお知らせ
社員各位
この度、誠に急ではございますが、当社オフィスは今週末をもって閉鎖することとなりました。
つきましては、来週以降の勤務場所を、現在オフィスが入居しておりますビル内のマクドナルドとさせていただきます。
マクドナルドをご利用いただくにあたり、お一人様につきコーヒー1杯分の費用を補助いたします。
つきましては、午前8時から午後5時までの定時勤務をマクドナルドの座席にて行っていただくようお願いいたします。
なお、今回の決定につきましては、マクドナルド様には事前の承諾を得ておりませんので、その旨ご承知おきくださいますようお願い申し上げます。
皆様にはご不便、ご迷惑をおかけいたしますが、何卒ご理解とご協力をお願いいたします。
————————-
#Chapter 1
登場人物:
*会社側:
*労働組合側:
鈴木委員長:本日はお忙しいところ、お時間をいただきありがとうございます。先日の「オフィス移転に伴う勤務場所変更のお知らせ」について、労働組合として緊急で協議の場を設けていただきました。早速ですが、会社側の真意と、今回の決定の妥当性についてご説明いただけますでしょうか。
山田部長:鈴木委員長、佐藤書記長、本日はありがとうございます。まず、今回のオフィス閉鎖については、経営状況の悪化と、それに伴うコスト削減が喫緊の課題であり、やむを得ない判断であったことをご理解いただきたい。現在のオフィス契約が満了を迎えるにあたり、更新を断念せざるを得ない状況です。
佐藤書記長:コスト削減の必要性は理解しますが、なぜ、よりによってマクドナルドを勤務場所とするという、常識では考えられないような決定になったのでしょうか?事前に何の説明もなく、一方的に通知されたことにも強い不満があります。
山田部長:承知しております。代替のオフィス探しも並行して進めていたのですが、短期間で条件に合う物件が見つからず、また初期費用も考慮すると、現状では非常に困難な状況です。そこで、当面の間、旧オフィスが入っていたビル内のマクドナルドを代替勤務場所として利用するという苦肉の策に至りました。社員にはご迷惑をおかけしますが、コーヒー代の補助も用意しました。
鈴木委員長:コーヒー1杯分の補助で済む話ではありません。まず、労働契約法上の問題です。就業規則や雇用契約書において、勤務場所が明確に特定されている社員も多数います。会社の都合で一方的に勤務場所をマクドナルドに変更することは、労働条件の不利益変更に該当し、場合によっては違法となり得ます。社員の同意なしにこのような変更を強行することはできません。
田中法務担当:鈴木委員長のおっしゃる通り、労働契約法上の問題は認識しております。就業規則では会社に配置転換命令権があることは明記されておりますが、勤務地が限定されている社員については個別の同意が必要となる可能性は否定できません。しかし、今回はオフィス閉鎖という緊急かつやむを得ない事情があり、まずは社員の皆様にご理解とご協力をお願いせざるを得ない状況です。
佐藤書記長: 「やむを得ない事情」で社員にこれほどの不利益を押し付けるのは納得できません。何より、マクドナルドには無許可で利用すると記載されています。これは、法務的に問題ないと考えているのですか?
田中法務担当: そこは、正直に申し上げますと、**非常に大きなリスクをはらんでおります。**マクドナルド様の施設管理権を侵害する可能性があり、営業妨害とみなされる恐れもあります。万が一、利用を拒否された場合、あるいは法的措置を取られた場合、会社の信用失墜は免れません。また、公衆の面前での勤務は、情報セキュリティの観点からも極めて脆弱です。機密情報や個人情報の漏洩リスクが高く、これは看過できません。
山田部長: (田中法務担当の言葉に眉をひそめながら)その点は承知している。しかし、現状、他に即座に打てる手がない。社員には最大限注意して業務を行ってもらうしかないと考えている。
鈴木委員長:山田部長、それでは無責任すぎます。社員は安心して業務に取り組むことができません。情報漏洩や法的トラブルは、会社の存続に関わる事態です。労働組合としては、社員の安全な労働環境を確保する責任があります。マクドナルドでの勤務は、この責任を放棄するに等しい。
佐藤書記長:そもそも、なぜ代替のオフィス探しを早急に進めなかったのですか?今回の決定は、会社の準備不足によるものではないでしょうか。
山田部長: 準備不足と言われれば、そう受け止めるしかないかもしれません。しかし、経営状況が厳しく、物件探しにも時間を要しました。何とか社員の皆さんに勤務場所を提供するために、急遽このような形での対応を決定した次第です。
*マクドナルドでの勤務命令の即時撤回。法的リスクが高く、社員の労働環境としても不適切です。
*代替となる適切な執務環境の速やかな確保。コワーキングスペース、レンタルオフィス、あるいは在宅勤務体制の本格導入など、現実的な代替案を直ちに検討し、社員に提示してください。
* 今回の決定に至った経緯について、社員全員に対する誠実な説明と謝罪。
山田部長: (田中法務担当に視線を送りながら)即時撤回は難しい。代替案の検討は喫緊の課題として進めますが、時間がかかることをご理解いただきたい。
田中法務担当:部長、このままでは会社が窮地に陥ります。法務の立場からは、マクドナルド側との正式な交渉、あるいは代替拠点の確保が最優先です。社員の同意なしにマクドナルドでの勤務を強要することは、労使紛争のリスクだけでなく、対外的な信用問題にも発展します。
鈴木委員長: その通りです。会社が社員を守ろうとしないのであれば、労働組合は社員の権利を守るために、**あらゆる手段を講じざるを得ません。**ストライキも視野に入れざるを得なくなるでしょう。
山田部長: (焦りの表情を見せながら)ストライキは避けたい。承知しました。本日のご意見を踏まえ、**マクドナルド様との正式な交渉と並行して、緊急で他の代替案の確保を最優先に進めます。**そして、その進捗状況については、改めて労働組合に報告させていただきます。社員への説明についても、改めて検討し、必要であれば謝罪も含めて対応を考えます。
佐藤書記長: 進捗報告は、具体的な期限を切っていただきたい。曖週間単位で進捗を共有し、明確な改善策が見られるまで、労働組合は引き続き状況を注視します。
鈴木委員長:山田部長、田中法務担当。本日はありがとうございました。労働組合としては、社員の利益と会社の健全な運営のために、引き続き建設的な協議を求めてまいります。早急な対応を期待します。
-
#Chapter 2
鈴木委員長:山田部長、先日のお話から1週間が経過しました。マクドナルドとの交渉状況、そして代替拠点の確保について、具体的な進捗をご報告いただけますでしょうか。社員たちは依然として不安を抱えており、一刻も早い解決を望んでいます。
山田部長:鈴木委員長、佐藤書記長、ご心配をおかけしております。ご報告が遅れ申し訳ありません。マクドナルドとの交渉については、実は既に合意に達しました。
佐藤書記長: えっ、本当ですか!?それは朗報ですね!どのような条件で合意されたのですか?
山田部長:はい。当社の事情を説明したところ、非常に理解を示していただきまして。当初は難しいと言われたのですが、**特別に店舗の一部を時間限定で貸し切り、当社の社員専用のワークスペースとして提供してもらえることになりました。**もちろん、他の一般のお客様とは完全に区別されます。
鈴木委員長: それは驚きです。まさかマクドナルドがそこまで協力してくれるとは…。具体的には、どの店舗で、どのようなスペースを、どのような費用で利用できることになったのでしょうか?契約書などはもう締結されたのですか?
山田部長:店舗は、現在のオフィスが入っていたビル内のマクドナルドです。費用については、通常のレンタルオフィスよりも格段に安価で、破格の条件を提示してもらいました。彼らも新しい試みに積極的で、当社の利用実績を今後の事業展開に活かしたいとのことでした。契約書も、昨日締結を終え、あとは社員の皆さんへの周知と準備を進める段階です。
田中法務担当: (訝しげな表情で)山田部長、失礼ですが、その交渉はどのような経緯で進められたのでしょうか?マクドナルドの担当者の方とは、直接お会いになりましたか?
山田部長: ああ、田中君。実はね、先方から連絡がありまして。メールでのやり取りが主だったのですが、非常に迅速に対応してくれましたよ。担当者の名前は**「マクドナルド・ジャパン、地域開発部のジョン・スミス」**さんという方で、英語でのやり取りが中心でした。日本の責任者らしいです。契約書もすべて英文で、確認はしたつもりだよ。
田中法務担当: (顔色を変え)ジョン・スミス…ですか?マクドナルド・ジャパンの組織図にそのような部署や役職は存在しません。また、本社との直接契約であっても、すべて英文というのも通常では考えにくいです。もしかしたら…詐欺の可能性があります。
田中法務担当: おそらく、マクドナルドを騙る詐欺集団に接触してしまった可能性があります。彼らは、企業の弱みにつけ込み、存在しないサービスや破格の条件を提示して契約を結ばせ、初期費用や保証金名目で金銭をだまし取ろうとする手口が多発しています。山田部長、何か金銭を支払われましたか?
山田部長: (動揺し始める)え、いや、その、契約締結の際に、**「先行設備投資金」として、数百万円を振り込みました。**これで社員の皆さんには最高の環境が提供できると…。
佐藤書記長: な、なんということだ!数百万円も騙し取られたんですか!?
鈴木委員長:山田部長!田中さんの言った「法的リスク」は、まさかこんな形で現実になるとは!これは会社の金銭的損失だけでなく、社員への裏切り行為に他なりません!社員はマクドナルドでの勤務を期待していたんですよ!
山田部長: (顔面蒼白になり)いや、まさか…。契約書も見たし、メールでのやり取りも丁寧だったから…。私は、会社のため、社員のためを思ってやったんだ!
田中法務担当: 残念ながら、この手の詐欺は非常に巧妙です。直ちに警察に被害届を提出し、送金先の口座を凍結するよう手配する必要があります。同時に、マクドナルド・ジャパンの広報部門に事実を確認し、公式見解を得る必要があります。今回の契約は無効であり、マクドナルドで勤務することは不可能です。
鈴木委員長:山田部長、責任問題ですよ、これは!会社の信用は地に落ち、社員は路頭に迷うことになります。労働組合としては、今回の件に関して、徹底した原因究明と、責任者の明確化、そして失った金銭の回収、さらに早急かつ抜本的な代替案の提示を強く要求します。
佐藤書記長: このような状況で、社員にマクドナルド勤務を強要するなど、もはやありえません!早急に別の選択肢を提示してください!
山田部長: (うなだれながら)申し訳ない…。私が甘かった…。田中君、直ちに警察とマクドナルド・ジャパンに連絡を取ってくれ。労働組合の皆さんにも、この件の全容を包み隠さず説明します。そして、何が何でも社員の皆さんの勤務場所を確保するべく、改めて全力で代替案を探します。
鈴木委員長:山田部長、今回の件は極めて重大です。労働組合としては、今後の会社の対応を厳しく注視していきます。社員の生活と権利が脅かされる事態を、これ以上座視するわけにはいきません。
-
続く
家にいる時に着るのが目的、薄着でいたい・可能な限り身につけるものを少なく過ごしたいけど
いかにも下着というデザインのものを下着1枚で着るのは抵抗がある、家族の目もある、家の外にちょっと出る時などご近所の目もある
なのでGUのブラフィールの、インナーじゃなくトップス扱いのやつは便利だなと思い
何点か購入
で、着てみた結果
→自分の着た中では一番アウター寄り、一番パッと見の下着感がない
しかし家族からは胸元あきすぎとの指摘あり、そりゃまあオフショルダーだし
アウターにするにはヘソが出る丈なので落ち着かないが、まあ普通にアウターに見える
洗濯物を干したりちょっと玄関先の郵便やら置き配やら取りに行く分に問題なし
が、対人(宅配の人だとかご近所の人だとか)は無理、一枚羽織る
しっかりした着心地なので、比較的暑い・締め付け強いと感じがち
要は胸とか谷間がわかりにくいデザインなら下着っぽさがないわけでしょと購入
しかし家で着るためサイズアップで購入したら、屈んだ時に普通に谷間チラしてしまう
肩周りはしっかり幅広ありつつ、ヘソは出る
1枚で着て洗濯干しててもギリ許されそう
対人は当然無理だが、遠目に見られる分には暑い夏の家着としてスルーしてもらえそう
・バンドゥ
筒状の胸だけ覆うやつ 一人で家にいて作業する分には一番楽
胸と谷間がゴムの入った布で覆われ、自分視点からは見えないので、下着一枚だと意識しない
ほんと一番楽だし自分視点ではアウターなのだが、いざ鏡で見ると肩モロ出し、バンドゥに肉が乗っている状態の胸は、たとえ胸も谷間も見えていなくても視線を逸らしたくなる下着感
室内に一人でいる時限りの使い方
これはまだ未購入なので印象のみ
しかし胸元はしっかり見えなくなるので、恥ずかしさはかなりなくなる
しかし肩周りはすっかり晒すので、、中年の肉肉しい体型では、決してモデルのように素敵にならないことが容易に想像がつく
ふとましい体を少ない布で隠している金太郎になると想像して購入に至らず
でもまあ値下げしてるし1枚くらい買ってみるのもいいかも
・その他
ハイネック・ボートネックのカップ付きあれば、自分の用途には一番合うんだけど、今期はそういった商品は無さそうで残念
「ウナギ、完全養殖で量産へ 水研機構とヤンマーが特許取得 -日本経済新聞」
を読んだ人向けへの質問です。
記事を読み返さずに答えて下さい。
この記事に書かれていた、
具体的にはどのような特許のことですか?
その場合、あんたは「読める人」だけど記憶力が平凡な人という分類です。
まあ雑多な情報のひとつひとつを記憶してるほど暇じゃないのが現代人。
仕方がないことですね。
と記憶してる人。
あるいは書いていたのかもしれないけれど、
それは「記事を熟読しないとわからない」ような文章構成だったのでは?
そこまでは細かく読んでないよ。
そういう突っ込んだ内容までは読めていない。
とか思ってるパターン。
ちなみに無料部分しか読めなくても特許の具体的な内容はわかる。
さらにいうと、この記事の一番最初に明確になんの特許を得たのか?
を簡潔に書いている。
なんつっても新聞記事だから要領よくわかりやすく明確な文章が書かれてます。
読み直してもらえばわかります。
参考までに特許の内容を書いておくと、、、
のふたつです。
でも、けっこうな数の人が、この明確に書かれている内容を読み流してるんじゃないのかな?
と思ってます。
なんとなくフワフワとうなぎの養殖が出来るようになるのかー、なったらいいなあ、安くうなぎが食べれたらうれしい、
くらいの
「記事タイトルから受ける感想」だけを記憶してる人が多いんじゃないですかね。
まあ、大体の人はそういうもんだし仕方がないし、別に悪いことではないです。
ただ、自分は「読めない人」なんだな。
かつて日本では、世界一多く存在していた経済的中間層を壊滅状態に陥れ、
多くは低所得者層へと転落することとなった。
そのような人たち向けのビジネスとしてコンテナホテルが活況を呈しているという。
曰く、中はコンテナとは思えないほど快適で費用対効果が素晴らしく高い。
つまるところトレーラーハウスのことであり、
そして、やがては中古のコンテナホテルの払い下げを受けた人々の
そのような需要はホテルではなく最初から住居目的としてのコンテナハウス製品を生み出す。
それらは、ついには日本の新しい住居形態、コンテナ住居群が誕生することにつながる。
おそらくは決して少なくない数の日本人たちがそのような住居で暮らすことになる。
https://h5.video.weibo.com/show/1042211:5183995152105536
微博で、中国市場で秋に発売予定の吉利(ジーリー)銀河A7が、プリウスと首都高で燃費対決を行ったとするライブ配信動画が公開された。以下、その映像が投げかけるメッセージと日本への影響を整理する。
動画は「安価な中国PHEVが日本の象徴であるプリウスを燃費で超えた」という話題性を狙った販促映像であり、測定の透明性に欠ける。もっとも、技術競争と価格競争を同時に仕掛けるシグナルとして国内産業への警鐘になり得る。真の影響はA7が実際に販売・導入された段階で顕在化する。メーカー、行政、そして消費者が備えを検討する契機として受け止めるのが妥当である。
ウクライナに送られている武装が多かったり少なかったりラジバンダリしている件
日本人の感覚だと武器兵器などは計画調達が前提だが、実はアメリカの調達はオープンなのである
自由経済を標榜するアメリカでは軍備の入札はここ20年で急速的にオープン化され、個人でも参加可能である
そのため高価な国産弾薬は数を減らし、中国やスロバキア産の安価でそこそこ品質の弾薬が横行した
結果として現場では不発や弾詰まりが相次いでおり、軍内部でも優れた備品の取り合いが行われている
ウクライナに送られる装備も高度でないものはこうやって一般入札によって調達されており、
十分に数が揃うものはイスラエルにもウクライナにも送れているが、揃わないものはイスラエル優先でウクライナには届かないのである
しかも得てしてウクライナに届くような物はロシアにも売られているので、売ってる側だけ儲かって使う側は血を流す最低な事態に
(バランスよく売らないと消費されないんで)
嫌な世の中だわさ
追・追記
あと収支はチャッピーに聞いた程度のものなので、もっと安く施工できるとか、もっと儲かってないとか色んな現場からのご意見ありがとうございます!
これだけかみ砕いてもまだ「ワシの考える農業改革、ワシの考えるJA改革は~!!」って言う人はJAの会長にでもなろう!十分な利回りだって言う人、ぜひ農業に参入したらいいと思います!
もしくは黙って田んぼに苗でも植えてろ!
朝起きたらブコメチラホラついてた。長くて複雑な話に付き合ってくれて感謝します。農家周りの方々の意見も面白い。ごくろうさまです、ありがとう。
一つ補足というか…チェリーピックしないでほしいし、ちゃんと読んでよと感じた反応があったので
yingze 進次郎主張の農政改革のキモは金融分離なのに、さらっと流されてるw セルフ突っ込み入ってるけど、ブランド作れないJAは要らんのよ。市場に作物流すだけの簡単なお仕事だと農家は離れるばかり。
サラッと流してない。言及しているのでちゃんと読んでほしいんだが、金融の分離をしたら最大のメリット「JAは最短・適切条件(馬鹿安でもなく高くもなく)での支払いが可能」が難しくなってくのではと思っている、金融分離は農業全体をぶっ潰す最短距離になりうるよ。まぁJAの金融事業の内訳を調べてないから分からないが、JAに近いところにいる事情通の人に聞いた話だと、非農業系の金融事業で稼いで農業事業に回しているような状況らしいので。本文で郵便事業の例を引いたけども金融分離化前の郵政はまさにこれで、郵便事業はもうちょっと立ち行かないかもねって感じになってる。相次ぐ値上げ、不正の増加は、貧した結果の倫理低下だろう。
あと、ブランドを作ろうとしてないJAなんてほぼ存在してない。それに、コメがない高いと言ってたこの半年でもブランド米は高いけど売ってたでしょ?ブランド化=価格の高止まりを目指しているわけで、ブランド作れねぇのかと嘲笑するからにはちゃんと付加価値が付いた高い作物をしっかり買ってくれるんだよね?って話になりますよ。 <h3>o- *********************************************************************************</h3>
以下本文
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nikkansports.com/entertainment/news/202506300000813.html
必要か、と語りかけてみたものの、国産の野菜やコメなんて非効率!金輪際要らんのや!という過激派にとっては農協は当然不要だし、亜米利加国のような大規模集約農業以外は認めへん!という類の過激派にとっても知らんがなという話になるだろう。ただこれらの派閥は机上の空論でしかないので。
取りあえず、農協は何で「今のところは」 「とりあえず」必要か、という話です。今後、何かが進化して新しい取引や流通方法が産み出され商業的に大変安価に使用できたりするようになれば変わるかもしんない。または何千億円もの税金をかけて田んぼを集約化できれば大規模農場は実現できてJA不要になる可能性もあるかも(なぜ農業の大規模化に多額の税金が必要かはのちに述べるかも。大規模集約化が机上の九龍城だよと言う説明として)。
勤め人ならご理解しやすいかと思うが、一般企業はあまり個人自営業や小規模事業者との直接取引(特に彼らからの購買)を好まないことが多い。取引数が多いとその分、経理をはじめとしたバックオフィスの業務量が増えるし、宜しくない事案(不当なキックバックを要求するけしからん社員が現れたり)が起きやすい。その他色んな理由(与信的なこととかね)がある。
一方で、JAは会員なら誰でも取引が可能で、各農協が決めた規格の範囲内の作物なら原則必ず買ってくれる。なので多くの農家にとっての作物の販売先として真っ先に上がることになる。
仕事で新規開拓営業したことある人は分かるかもしれないが(はてな民には少なそうな気もするな…)、「販路開拓」というのはなかなか簡単ではないので、規模の大きい農家でも、素晴らしい栽培技術があったとしても、簡単にいい値段で買ってくれる取引企業を見つけられるわけではない。支払い条件なんかも企業によって全然違う。その点JAはきっちり決まってる。JAがまるっと買ってくれるのは農家の文字通り「生命線」である。
一般企業と取引をしている農家ももちろん居る。例えば某ポテチ屋や某トマトジュース屋などは加工原料を契約農家からトマトやジャガイモを買っているし、ハンバーガー屋、デパ地下のサラダ屋、上げ底コンビニなんかも契約農家から直接仕入れてる。「地元の野菜をたくさん使った地産地消レストランです!」というようなところも直取引。これらは日本の農家の全体取引からしたら少数。
この企業直取引だが、ポテチやトマトジュースなどの)原料としての販売額金額はちょっと失笑するぐらい安い。彼らは定期的にJAなどを通じて契約農家になりませんかと営業をかけているらしいので、その程度には入れ替わる(儲からないからやめる)んだろうとも邪推できる。一方でもちろん、うまくやってて儲けられてる農家もいる。そしてポテチ屋やトマジュー屋も、JAから仕入れることも有る。パンクチュアルに出荷用の材料数を揃えなきゃいけないし、作物は思った通りに育たない時もあるから。
もう一つの主要な直取引先、中食や外食向けの野菜。これは場合によってはJAの買い取り価格よりも高く買ってくれることもある。半面、ジュースなどと違って原型が分かるわけで、規格(サイズなど)の制限がJAよりも厳しいことが多い。加工のために一定のサイズに収まってる必要があるから。これらと取引ができるのは選ばれた神農家、または資本力が高い施設栽培(かっこいいハウス栽培)農家などが多い。そして彼らも同様に足りなければJAからも買う。
ちなみに、ここでは便宜上、JAと言っているが実際にはその地域の中央卸売市場が実際の取引の場になる。JAが買った野菜は半分~8割ぐらいは卸売市場で取引される。そして卸売市場では上記のような一般企業、大手流通小売(スーパーマーケット)、仲卸などが買っていく。仲卸は飲食店とか小さいスーパーや八百屋などに卸したり。それで我々消費者が買って皆様のお宅の晩御飯になったりする。
更にちなみに、スーパーや八百屋などの野菜は、大半がJA・大卸を通した商品だそうです。
なぜならスーパーは消費者のニーズに応えるために少量・多品種が必要でかつ欠品も消費者から許されず、それなのに鮮度も求められるから。特定の農家と取引しているんじゃ棚に並べる商品を揃えられないからだそうで。複雑な卸構造になっているのは、消費者のニーズに適切に応えるため。コメはここまでではない(多種はそこまで求められてないだろう)が、鮮度はやはり求められるからねぇ…。
しかし、生鮮食料品の流通って難しいね。検索したらこの図https://d1obh0a64dzipo.cloudfront.net/images/7595.jpgが分かりやすいなと思ったら元は農水省の白書みたいだ。元記事はhttps://minorasu.basf.co.jp/80696 元記事も面白かったのでお時間ある人はどうぞ。
もっと更にちなみに、別にJAは農家に「一般企業に売るな」なんて圧かけたりなどはしておらず、むしろ逆で、一般企業からの「契約農家を探してほしいんですが」 とか「〇〇を育ててくれる農家さんいますかね?」というような相談の窓口になっていたりするので、しんじろうが言うてることはますます分からんのよね。JAというか農業界隈は「六次化(2次産業×3次産業からきたダジャレ合言葉)」を叫んでいたりもしていて、JAも、農家の一般企業との取引拡大を望んでるんだよね…。
むしろ地方は中央卸売市場のサステナビリティの危機という別の問題もあって、仲卸が跡継ぎ居ない、儲からず廃業などで市場が機能しなくなっていたり、建物が老朽化しても建て替える金がないとかの問題もあって、自治体もJAも中央卸も、企業ウェルカム!な状態なんすよ。でも農業も卸も対して儲からないから企業の方があまり組んでくれないんよ。
JAに作物を納入すると支払は、その地域のJAの決め事により異なるが月末〆、翌月10日とか20日になることが多いようである。これは一般企業の取引よりも支払い条件が良い。これはかなり大きいことで、特に出荷期間が長い野菜や果物の農家にとってはすごく大事な条件である。農家の金の周りが良くなるということなので。
これはJAが金融機能を持っているからこそ可能なわけで、金融機能を切り離したら支払条件も悪くなるんじゃないかなと思うんだよね…。郵便が郵便機能ぼろぼろになったのもゆうちょが儲けてた分がなくなっちゃったからなんじゃないかなーと思ったり。
またJAは金融機関なので、農業のための融資をしてくれる。これもなくなると農家はかなり困るんじゃないか。というか一般の金融機関で農業のための融資が継続できる気がしないぜ。
基本的に作物の品種改良は、その地域の農業試験場がやっている(たまには大学や研究機関もやっている)
新品種や新しい作物(例えばズッキーニとか今は当たり前に作られてるが一昔前は作付けは極小だった)は、これまでの品種と育て方が違うことも良くある。そのための農業指導などを行っているのがJAです。
新品種に切り替えるというのは既存の農家にとってはナーバスな事態である。下手したら半年~1年の売上が吹き飛ぶ可能性すらあるからだ。おまけに新品種は簡単には市場には受け入れられない(知名度とか値段とかで)ので、意気軒高に新品種に切り替えて張り切って栽培して成功しても、思ったよりは売り上がらなかった、なんてことだって起きうる。
JAという「ハコ」があることで、たくさんの農家を取りまとめて新しい品種の栽培指導したり、ブランド化のためのゆるキャラを作ったり、自治体と協力してキャンペーンしたり、いろんなことがしやすくなる。こういうのは「ハコ」がないと纏まらんよ。普通の会社だってそうでしょ?業界団体があるからこそロビイングもできるわけでさ。
ロビイングという言葉を出したのは、要するにJAは農家のための団体なので、究極的には我々消費者とは利益相反する。もちろん敵対関係ではないが、彼らはより高く売りたいし、我々消費者はより安く買いたいというごく原理的・究極的な部分な。なので消費者が「高えんだよ!」っていうのは当然ではあるし、一方で「何を当然なことわざわざ言うのだ、他のすべてのものが値上がりしてるのに」とも思う。
「ここにきて急に高くなったのはおかしい」というブコメもあったが、それは「もう耐えられないところにきている」という考え方もあると思う。原材料に近い商材ほど付加価値をつけにくいから価格の上昇は他の商材と比べて遅くなるのはごく一般的な傾向だとも思うしなぁ…。
エネルギー費用もバイトさんの人件費も、肥料代もすべてが値上がりしている。ハウス栽培が中心の農家はエネルギー代で利益が減ってると思うし、精米の機械だって倉庫の温度管理だって電気で動いてるわけですし。ナスを5個パック入りに商品化するための袋だって値上がりしてるでしょ。
「大規模集約化」というのはちょっと乱暴で、事業者が集約される(大農家が零細農家の休耕田・畑を使って農地を広げる)パターンと、農地の区画を物理的に大きくするというパターンに大別されると思う。そしてこのどちらも、進んでいる所はどんどん進んでいるし、進んでいない所は金がないから進まない。
実は農業地域の「良いけど所有者が細分化されてる農地」はどんどん、地域の大農家が集約している。新規就農者はたいていこういう大農家で「農家修行」として小作として働いてたりするし、技能実習生もたくさんいる。あちこちに分散している農地を、人海戦術で「作物が取れる農地」として維持している、というのが実情。
そして、一方で「あんまり良くない農地」は人気がないまま放置される。
都市に暮らす消費者がちょっと思いつくようなことなんて、とっくに農家はやっているし、やっても儲かれないことは、アホな消費者が何を言ったところで、やらない。
あんまり良くない農地というのは、山沿いだったり(太陽と風が良くない)、水利から少し距離があったり、四角いきれいな形じゃなかったり、小さかったり、道路が貧弱だったり(トラック通れないと収穫の手間がすごい)。そういうところは大農家も使わないので放置されたまま。
こういうところでもドカーンと区画整理をして、四角くしたり、用水路を作ったり、1tトラックくらいなら入れる細い舗装道路を作ったりすれば、ちゃんとした「集約化された農地」になる。でもそれにはすごく金がかかる。これは都心で行われている「再開発」と似たような手法で「区画整理事業」って言うんですが、土木作業のみとはいえお金がかかる。このお金は場合によっては億単位の金がかかるので農家が負担するのはとてもじゃないが難しい。
例えば
1ヘクタールの休耕田を「使える農地」に造成するための費用は、約9,000億円(造成費用1坪3万円で計算。今はもう少し高いと思う)※単位間違ってた!9,000万円です!ごめん!
1ヘクタールの田から取れるコメを約5,400kgとする(10a辺り反収538kgらしいので)
5,400kgのコメの卸価格(28,000円/60kgが最新の価格、かなり高い)は2,520万円、経費率を7割(ChatGPT調べ)とみると、利益は756万円弱。
ちなみに1haの農地って、全然「集約化された農地」なんかじゃない、むしろ中の小ぐらいです、サイズ的には。
見てもらった通り、これでは造成費の1億円返していくのけっこう大変。つーかかなり厳しい。したがって農地の区画整理は基本的には半分かそれ以上を税金で賄うのが慣例になっている。補助金です。田舎の土建屋が儲かる、都会の人が蛇蝎のごとく嫌うような補助金ですね。でもこれがないと「農地の集約化」は不可能ですね。
その程度には農業って「あんま儲からない」ものでもあり、そして「人間が生きていくには不可欠な仕事」でもあり、平地が少ない上に平地がどんどん都市化していく(田んぼよりアパートの方が儲かったりするので)日本では、わざわざ農地をお金かけて集約化を実現するんは、かなり難しいんだと理解いただけるとありがたいです。
Permalink |記事への反応(14) | 20:10
claude codemaxに対抗するプランをgeminiが出してきたら、そっちの方が安価だったら普通にシェア取れそうよね。月数万は普通に節約考えたくなる価格だし
2025年、私たちはソフトウェア開発の歴史的な転換点に立っている。大規模言語モデル(LLM)の進化は、GitHub Copilotのようなコード補完ツールに始まり、今や「何を作りたいか」を自然言語で伝えるだけで、アプリケーションの雛形が数分で生成される時代を現実のものとしつつある。この光景を目の当たりにした多くのプログラマが、漠然とした、しかし確かな不安を抱いているだろう。「私たちの仕事は、いずれAIに奪われるのではないか」と。
この問いに対する私の答えは、半分はYesであり、もう半分はNoだ。より正確に言えば、プログラマの仕事の本質が、歴史上かつてないレベルで抽象化され、その役割が再定義されるのだ。私たちは、コードを「書く」作業から解放される一方で、これまで以上に高度な思考を要求されることになる。
本稿では、プログラミングの歴史を「How(いかに作るか)」から「What(何を作るか)」への移行として捉え直し、LLMがこの流れをいかに加速させるかを論じる。そして、その先にある、AIには決して代替できない、人間ならではの競争優位性、すなわち「Why(なぜ作るのか)」を定義し、記述する能力の重要性について深く考察していく。これは、単なる未来予測ではない。今を生きるすべてのソフトウェアエンジニアにとっての、生存戦略の提示である。
LLMの登場を特異点として捉える前に、我々が立っている場所を正確に知る必要がある。ソフトウェア開発の歴史は、常に「抽象化」との戦いであった。そしてその歴史は、プログラマの関心が「How」から「What」へと徐々に移り変わっていくプロセスとして描くことができる。
コンピュータの黎明期、プログラミングとは、計算機が理解できる命令(How)を、一行一行、丹念に記述する作業そのものであった。アセンブリ言語や初期のFORTRAN、COBOLといった言語は、ハードウェアの制約を強く受けており、プログラマはメモリ管理やプロセッサの動作といった、極めて物理層に近いレベルでの「How」を意識する必要があった。
この時代のテストもまた、「How」に強く束縛されていた。書かれた手続きが、意図した通りに順番に実行されるか、特定の入力に対して期待された計算結果を返すか。テストの関心事は、あくまで「手続きの正しさ」の検証にあった。ビジネスロジックと実装の詳細が密結合し、コードは特定の処理手順を記述した、硬直的な塊となっていた。
風向きが変わり始めたのは、ソフトウェアの規模が拡大し、その複雑性が人間の認知能力を超え始めた頃だ。1990年代後半から2000年代にかけて提唱されたエクストリーム・プログラミング(XP)の中で、テスト駆動開発(TDD)という考え方が登場する。
TDDの本質は、単なるテスト手法の改善ではない。それは、プログラミングのパラダイムを根底から覆す思想だった。TDDは、「まずテストを書く」ことを強制することで、プログラマの意識を「これから実装するコード(How)」から「そのコードが満たすべき振る舞い(What)」へと強制的に転換させたのだ。
テストはもはや、書かれたコードの後追いで正しさを検証する作業ではない。それは、これから作られるべきソフトウェアの「仕様書」であり、「振る舞いの宣言」となった。例えば、「ユーザーがログインボタンをクリックしたら、ダッシュボード画面に遷移する」というテストコードは、具体的な実装方法(`onClick`イベントハンドラの中で`window.location.href`を書き換える、など)には一切言及しない。それはただ、達成されるべき「What」を記述しているだけだ。
この思想は、ビヘイビア駆動開発(BDD)へと発展し、`Given-When-Then`といった、より自然言語に近い形式でソフトウェアの振る舞いを記述するスタイルを生み出した。プログラマだけでなく、プロダクトマネージャーやビジネスアナリストといった非技術者をも巻き込み、「What」を共通言語として定義する試みが本格化したのである。
TDD/BDDによってプログラマの意識が「What」に向かい始めると、コードそのものもまた、宣言的なスタイルへと進化していく。この変化を劇的に加速させたのが、モダンなフレームワークの存在だ。
Reactを例に考えてみよう。Reactが登場する前、フロントエンド開発はjQueryに代表されるように、DOMを直接操作する命令的なコード(How)の連続だった。「このボタンがクリックされたら、この要素のテキストを書き換え、あちらの要素を非表示にする」といった具合だ。
しかし、Reactは「UIとは、ある状態(state)に対する純粋な写像である」という宣言的なモデルを提示した。プログラマがやるべきことは、UIの状態(`state`)と、その状態がどのように見えるか(JSXによるコンポーネント)を宣言することだけだ。状態が変更された際に、DOMをどのように効率的に更新するかという面倒な「How」の部分は、Reactの仮想DOMと差分検出アルゴリズムがすべて隠蔽してくれる。プログラマは「What(UIのあるべき姿)」を記述するだけでよくなったのだ。
この「WhatからHowへの変換」は、様々な領域で見られる。
これらのフレームワークやツールは、いわば「特定の制約下における、WhatからHowへの高性能な変換器」として機能してきた。プログラマは、フレームワークが課す「お作法」や「制約」を受け入れることで、退屈で間違いの多い「How」の記述から解放され、より本質的な「What」の定義に集中できるようになった。我々が「生産性が高い」と感じる開発体験は、この優れた変換器の恩恵に他ならない。
現状は、この歴史的変遷の延長線上にある。プログラマの仕事は、手続きを記述する職人から、振る舞いを定義し、それを実現するための最適な「変換器(フレームワーク)」を選択・設定するアーキテクトへと、その重心を移してきたのだ。
フレームワークがもたらした「WhatからHowへ」の潮流は、LLMの登場によって、未曾有のスケールで加速されようとしている。フレームワークが「特定の領域に特化した変換器」であったのに対し、LLMは「あらゆる領域に対応可能な、究極の汎用変換器」としてのポテンシャルを秘めているからだ。
前章で述べたように、ReactやTerraformといったフレームワークは、その恩恵と引き換えに、私たちに特定の「制約」を課してきた。Reactを使うならコンポーネントベースで思考し、状態管理の作法に従う必要がある。Terraformを使うなら、そのエコシステムとHCLの流儀を受け入れなければならない。これらの制約は、WhatからHowへの変換を自動化するための「レール」であり、私たちはそのレールの上を走ることで効率を得てきた。
しかし、LLMはこの前提を覆す。LLMは、特定のフレームワークや言語の知識を事前に学習しているが、その利用において絶対的な制約を課すわけではない。私たちは、より自由な形式で「What」を伝えることができる。
例えば、こうだ。
ユーザー認証機能付きのシンプルなブログアプリを作ってほしい。フロントエンドはReactとTypeScript、UIコンポーネントはMUIを使う。バックエンドはNode.jsとExpressで、データベースはPostgreSQL。ユーザーはGoogleアカウントでログインでき、新しい記事を作成、編集、削除できる。記事にはマークダウン記法が使えて、画像もアップロードできるようにしてほしい。
この要求(What)は、特定のフレームワークの流儀に則ったものではない。複数の技術スタックを横断し、機能要求を自然言語で並べただけのものである。しかし、現在のLLM、特にGPT-4oやそれに類するモデルは、このレベルの要求から、ディレクトリ構造、設定ファイル、APIエンドポイント、フロントエンドコンポーネントに至るまで、驚くほど具体的なコード(How)を生成することができる。
これは、フレームワークが担ってきた「WhatからHowへの変換」が、特定のレールから解き放たれ、より広範で柔軟な領域へと拡張されたことを意味する。これまで自動化が難しかった、あるいは特定のフレームワークが存在しなかったニッチな領域や、複数の技術を組み合わせる複雑なシステム構築においても、AIによる宣言的プログラミングの恩恵を受けられる時代が始まろうとしているのだ。
LLMという汎用変換器の登場により、プログラマの生産性は、「いかに質の高いWhatをLLMに伝えられるか」に直結するようになる。これは、俗に「プロンプトエンジニアリング」と呼ばれるスキルだが、その本質は、ソフトウェア開発における「要求定義」そのものである。
質の高い「What」とは何か。それは、曖昧性がなく、網羅的で、矛盾のない要求である。
これらは、優秀なソフトウェアエンジニアが、プロダクトマネージャーやデザイナーとの対話を通じて、日常的に行ってきた思考プロセスそのものではないだろうか。LLMの登場は、この思考プロセスを、より明確に、よりテキストベースで「記述」する能力を求める。私たちの頭の中にあった暗黙的な仕様が、LLMへの入力(プロンプト)という形で、明示的に言語化されることを要求するのだ。
やがて、ほとんどのプログラミング作業は、この「Whatの記述」に収束していくだろう。TDDがテストコードという形式で「What」を記述したように、私たちは自然言語や、より構造化された要求記述言語を用いて、AIに対して「What」を宣言することになる。コード(How)は、その宣言から自動生成される中間生成物に過ぎなくなる。まさに、コードが蒸発していく未来である。
「What」を伝えれば「How」が手に入る。この魔法のような世界の到来を前に、私たちは一つの重大な問いに直面する。それは、「そのWhatからHowへの変換は、本当に一意に決まるのか?」という問いだ。
答えは、明確にNoである。
ある「What(要求)」を実現するための「How(実装)」は、無数に存在する。そして、どの「How」を選択すべきかを決定するためには、単純な機能要求(What)だけでは情報が全く足りない。そこには、必ず「Why(なぜそう作るのか)」という、背景、文脈、そしてトレードオフの考慮が必要不可欠となる。
簡単な例を考えてみよう。「1億件のユーザーデータを格納し、ユーザーIDで高速に検索できるシステム」という「What」をLLMに与えたとする。LLMは、どのような「How」を提案するだろうか。
これらの選択肢は、どれも「What」を満たしている。しかし、その特性は全く異なる。案Aは多くのエンジニアにとって馴染み深く開発が容易だが、10億、100億件へのスケールは難しいかもしれない。案Bはスケール性に優れるが、厳密なトランザクション管理は苦手だ。案Cは高速だが、運用コストとシステムの複雑性が増す。案Dは安価だが、検索速度は他に劣る。
LLMは、これらの選択肢をリストアップすることはできるだろう。しかし、このプロジェクトにとって最適な選択肢はどれかを、自信を持って決定することはできない。なぜなら、その決定には、LLMが与えられていない「Why」の情報が必要だからだ。
これらの「Why」こそが、無数に存在する「How」の中から、ただ一つの「正解」を選び出すための羅針盤なのである。そしてこの「Why」は、ビジネスの目標、組織の文化、ユーザーの期待、技術的な制約といった、極めて人間的で、文脈依存的な情報の中にしか存在しない。
ここで重要なのは、これまでもエンジニアは、この「Why」に基づく意思決定を、意識的あるいは無意識的に行ってきたという事実だ。
私たちが技術選定を行うとき、単に「流行っているから」という理由だけでReactを選ぶわけではない。「SPA(Single PageApplication)にすることでユーザー体験を向上させたい(Why)」、「コンポーネント指向の開発によって長期的な保守性を確保したい(Why)」、「Reactエンジニアの採用市場が活発だから(Why)」といった、様々な「Permalink |記事への反応(0) | 17:09
2025年、私たちはソフトウェア開発の歴史的な転換点に立っている。大規模言語モデル(LLM)の進化は、GitHub Copilotのようなコード補完ツールに始まり、今や「何を作りたいか」を自然言語で伝えるだけで、アプリケーションの雛形が数分で生成される時代を現実のものとしつつある。この光景を目の当たりにした多くのプログラマが、漠然とした、しかし確かな不安を抱いているだろう。「私たちの仕事は、いずれAIに奪われるのではないか」と。
この問いに対する私の答えは、半分はYesであり、もう半分はNoだ。より正確に言えば、プログラマの仕事の本質が、歴史上かつてないレベルで抽象化され、その役割が再定義されるのだ。私たちは、コードを「書く」作業から解放される一方で、これまで以上に高度な思考を要求されることになる。
本稿では、プログラミングの歴史を「How(いかに作るか)」から「What(何を作るか)」への移行として捉え直し、LLMがこの流れをいかに加速させるかを論じる。そして、その先にある、AIには決して代替できない、人間ならではの競争優位性、すなわち「Why(なぜ作るのか)」を定義し、記述する能力の重要性について深く考察していく。これは、単なる未来予測ではない。今を生きるすべてのソフトウェアエンジニアにとっての、生存戦略の提示である。
LLMの登場を特異点として捉える前に、我々が立っている場所を正確に知る必要がある。ソフトウェア開発の歴史は、常に「抽象化」との戦いであった。そしてその歴史は、プログラマの関心が「How」から「What」へと徐々に移り変わっていくプロセスとして描くことができる。
コンピュータの黎明期、プログラミングとは、計算機が理解できる命令(How)を、一行一行、丹念に記述する作業そのものであった。アセンブリ言語や初期のFORTRAN、COBOLといった言語は、ハードウェアの制約を強く受けており、プログラマはメモリ管理やプロセッサの動作といった、極めて物理層に近いレベルでの「How」を意識する必要があった。
この時代のテストもまた、「How」に強く束縛されていた。書かれた手続きが、意図した通りに順番に実行されるか、特定の入力に対して期待された計算結果を返すか。テストの関心事は、あくまで「手続きの正しさ」の検証にあった。ビジネスロジックと実装の詳細が密結合し、コードは特定の処理手順を記述した、硬直的な塊となっていた。
風向きが変わり始めたのは、ソフトウェアの規模が拡大し、その複雑性が人間の認知能力を超え始めた頃だ。1990年代後半から2000年代にかけて提唱されたエクストリーム・プログラミング(XP)の中で、テスト駆動開発(TDD)という考え方が登場する。
TDDの本質は、単なるテスト手法の改善ではない。それは、プログラミングのパラダイムを根底から覆す思想だった。TDDは、「まずテストを書く」ことを強制することで、プログラマの意識を「これから実装するコード(How)」から「そのコードが満たすべき振る舞い(What)」へと強制的に転換させたのだ。
テストはもはや、書かれたコードの後追いで正しさを検証する作業ではない。それは、これから作られるべきソフトウェアの「仕様書」であり、「振る舞いの宣言」となった。例えば、「ユーザーがログインボタンをクリックしたら、ダッシュボード画面に遷移する」というテストコードは、具体的な実装方法(`onClick`イベントハンドラの中で`window.location.href`を書き換える、など)には一切言及しない。それはただ、達成されるべき「What」を記述しているだけだ。
この思想は、ビヘイビア駆動開発(BDD)へと発展し、`Given-When-Then`といった、より自然言語に近い形式でソフトウェアの振る舞いを記述するスタイルを生み出した。プログラマだけでなく、プロダクトマネージャーやビジネスアナリストといった非技術者をも巻き込み、「What」を共通言語として定義する試みが本格化したのである。
TDD/BDDによってプログラマの意識が「What」に向かい始めると、コードそのものもまた、宣言的なスタイルへと進化していく。この変化を劇的に加速させたのが、モダンなフレームワークの存在だ。
Reactを例に考えてみよう。Reactが登場する前、フロントエンド開発はjQueryに代表されるように、DOMを直接操作する命令的なコード(How)の連続だった。「このボタンがクリックされたら、この要素のテキストを書き換え、あちらの要素を非表示にする」といった具合だ。
しかし、Reactは「UIとは、ある状態(state)に対する純粋な写像である」という宣言的なモデルを提示した。プログラマがやるべきことは、UIの状態(`state`)と、その状態がどのように見えるか(JSXによるコンポーネント)を宣言することだけだ。状態が変更された際に、DOMをどのように効率的に更新するかという面倒な「How」の部分は、Reactの仮想DOMと差分検出アルゴリズムがすべて隠蔽してくれる。プログラマは「What(UIのあるべき姿)」を記述するだけでよくなったのだ。
この「WhatからHowへの変換」は、様々な領域で見られる。
これらのフレームワークやツールは、いわば「特定の制約下における、WhatからHowへの高性能な変換器」として機能してきた。プログラマは、フレームワークが課す「お作法」や「制約」を受け入れることで、退屈で間違いの多い「How」の記述から解放され、より本質的な「What」の定義に集中できるようになった。我々が「生産性が高い」と感じる開発体験は、この優れた変換器の恩恵に他ならない。
現状は、この歴史的変遷の延長線上にある。プログラマの仕事は、手続きを記述する職人から、振る舞いを定義し、それを実現するための最適な「変換器(フレームワーク)」を選択・設定するアーキテクトへと、その重心を移してきたのだ。
フレームワークがもたらした「WhatからHowへ」の潮流は、LLMの登場によって、未曾有のスケールで加速されようとしている。フレームワークが「特定の領域に特化した変換器」であったのに対し、LLMは「あらゆる領域に対応可能な、究極の汎用変換器」としてのポテンシャルを秘めているからだ。
前章で述べたように、ReactやTerraformといったフレームワークは、その恩恵と引き換えに、私たちに特定の「制約」を課してきた。Reactを使うならコンポーネントベースで思考し、状態管理の作法に従う必要がある。Terraformを使うなら、そのエコシステムとHCLの流儀を受け入れなければならない。これらの制約は、WhatからHowへの変換を自動化するための「レール」であり、私たちはそのレールの上を走ることで効率を得てきた。
しかし、LLMはこの前提を覆す。LLMは、特定のフレームワークや言語の知識を事前に学習しているが、その利用において絶対的な制約を課すわけではない。私たちは、より自由な形式で「What」を伝えることができる。
例えば、こうだ。
ユーザー認証機能付きのシンプルなブログアプリを作ってほしい。フロントエンドはReactとTypeScript、UIコンポーネントはMUIを使う。バックエンドはNode.jsとExpressで、データベースはPostgreSQL。ユーザーはGoogleアカウントでログインでき、新しい記事を作成、編集、削除できる。記事にはマークダウン記法が使えて、画像もアップロードできるようにしてほしい。
この要求(What)は、特定のフレームワークの流儀に則ったものではない。複数の技術スタックを横断し、機能要求を自然言語で並べただけのものである。しかし、現在のLLM、特にGPT-4oやそれに類するモデルは、このレベルの要求から、ディレクトリ構造、設定ファイル、APIエンドポイント、フロントエンドコンポーネントに至るまで、驚くほど具体的なコード(How)を生成することができる。
これは、フレームワークが担ってきた「WhatからHowへの変換」が、特定のレールから解き放たれ、より広範で柔軟な領域へと拡張されたことを意味する。これまで自動化が難しかった、あるいは特定のフレームワークが存在しなかったニッチな領域や、複数の技術を組み合わせる複雑なシステム構築においても、AIによる宣言的プログラミングの恩恵を受けられる時代が始まろうとしているのだ。
LLMという汎用変換器の登場により、プログラマの生産性は、「いかに質の高いWhatをLLMに伝えられるか」に直結するようになる。これは、俗に「プロンプトエンジニアリング」と呼ばれるスキルだが、その本質は、ソフトウェア開発における「要求定義」そのものである。
質の高い「What」とは何か。それは、曖昧性がなく、網羅的で、矛盾のない要求である。
これらは、優秀なソフトウェアエンジニアが、プロダクトマネージャーやデザイナーとの対話を通じて、日常的に行ってきた思考プロセスそのものではないだろうか。LLMの登場は、この思考プロセスを、より明確に、よりテキストベースで「記述」する能力を求める。私たちの頭の中にあった暗黙的な仕様が、LLMへの入力(プロンプト)という形で、明示的に言語化されることを要求するのだ。
やがて、ほとんどのプログラミング作業は、この「Whatの記述」に収束していくだろう。TDDがテストコードという形式で「What」を記述したように、私たちは自然言語や、より構造化された要求記述言語を用いて、AIに対して「What」を宣言することになる。コード(How)は、その宣言から自動生成される中間生成物に過ぎなくなる。まさに、コードが蒸発していく未来である。
「What」を伝えれば「How」が手に入る。この魔法のような世界の到来を前に、私たちは一つの重大な問いに直面する。それは、「そのWhatからHowへの変換は、本当に一意に決まるのか?」という問いだ。
答えは、明確にNoである。
ある「What(要求)」を実現するための「How(実装)」は、無数に存在する。そして、どの「How」を選択すべきかを決定するためには、単純な機能要求(What)だけでは情報が全く足りない。そこには、必ず「Why(なぜそう作るのか)」という、背景、文脈、そしてトレードオフの考慮が必要不可欠となる。
簡単な例を考えてみよう。「1億件のユーザーデータを格納し、ユーザーIDで高速に検索できるシステム」という「What」をLLMに与えたとする。LLMは、どのような「How」を提案するだろうか。
これらの選択肢は、どれも「What」を満たしている。しかし、その特性は全く異なる。案Aは多くのエンジニアにとって馴染み深く開発が容易だが、10億、100億件へのスケールは難しいかもしれない。案Bはスケール性に優れるが、厳密なトランザクション管理は苦手だ。案Cは高速だが、運用コストとシステムの複雑性が増す。案Dは安価だが、検索速度は他に劣る。
LLMは、これらの選択肢をリストアップすることはできるだろう。しかし、このプロジェクトにとって最適な選択肢はどれかを、自信を持って決定することはできない。なぜなら、その決定には、LLMが与えられていない「Why」の情報が必要だからだ。
これらの「Why」こそが、無数に存在する「How」の中から、ただ一つの「正解」を選び出すための羅針盤なのである。そしてこの「Why」は、ビジネスの目標、組織の文化、ユーザーの期待、技術的な制約といった、極めて人間的で、文脈依存的な情報の中にしか存在しない。
ここで重要なのは、これまでもエンジニアは、この「Why」に基づく意思決定を、意識的あるいは無意識的に行ってきたという事実だ。
私たちが技術選定を行うとき、単に「流行っているから」という理由だけでReactを選ぶわけではない。「SPA(Single PageApplication)にすることでユーザー体験を向上させたい(Why)」、「コンポーネント指向の開発によって長期的な保守性を確保したい(Why)」、「Reactエンジニアの採用市場が活発だから(Why)」といった、様々な「Permalink |記事への反応(0) | 17:09
身銭を切ってでも今の生成AIブームに食らいつくべき、という話も聞くが、個人的には懐疑的だ。もっとより良いものがもっと安価に使えるようになると思う。
https://anond.hatelabo.jp/20250627100609
自分は、まだ素朴なニューラルネットワークで光学文字認識(OCR)で精度を出していた頃からこの界隈と付き合いがあるが、現状のAI界隈は少しハイテンションすぎる。
現在の熱狂的なブームは、チャットベースの大規模言語モデルのデモンストレーションが知的に"見える"ことからくる誤解であって、これは誤解させる方が悪い。
誤解させる方が悪く、上記の感想は正しいものだ。そして、使い物になるかならないかで言えば、既に使い物になる。
まず全然使えない例について反論したくなる人もいると思う。2つだけ例題に付き合って欲しい。
1.
カーナビに対して以下の入力をしたが、まったく使い物にならない。
【フランク・キャンパーという元ベトナム退役兵が1980年代に傭兵学校を設立しました、並木書房から日本人の参加ルポが出ていたと思いますがその詳細を教えてください】
2.
2例は、元記事から採ったものだが、これらが上手く動かないのは直観的に理解できると思う。
目的地への経路を案内するという限られたタスクを行う狭義のAIであるカーナビに対して、ルポ(文脈上は書籍)を探してくれと依頼しても答えは返ってこないだろうし、
入力文を別の言語へと翻訳するという限られたタスクを行う狭義のAIであるGoogle翻訳に対して、MP5サブマシンガンについての知識を問うても返ってこないのは明らかだ。
問題は、ChatGPTをはじめとする現在の生成AIツールが、あたかもそれらを行うことができるように"見せている"点にある。
つまり悪いのはツール提供側であって、誤解した利用者側を責めるのは筋違いである。
カーナビゲーションシステムは、それ以外ができるように見えてはいけないし、翻訳ツールは、翻訳以外が出来るように見えてはいけない。
大規模言語モデルは、本質的には「続く文章を確率的に返す(答える)」というものから一歩も外へ出ていない。
(いくつか異なる手法で同様の結果が得られるものも出てきているが)言語モデルを大規模にした結果、かなり正確な「続く文章」が生成されるようになった、というだけだ。
そのため、幻視(ハルシネーション)という用語は、文学的な意味合いが強く、本来は「たまたま正答する出力が増えている」状態だと定義づけるべきだ。
そのため、「全然使い物にならない」という感想は非常に正しい。
質問して正しい答えが得られているのは偶然だ。
そして仕組み上、正しい答えだけを返すことはできない。
また、「知識を与えたうえで、ロジックを与えて、答えを出させる」ことも出来ない。
つまり"推論はしていない"。少なくとも現時点では出来ないとAppleが論文を出しているし追試結果も正しそうだ。
(正確に言えば、できないと考えられている。言語モデルの改良でこれだけの出力が得られると、少なくとも自分は思っていなかったので、単純にモデルを巨大化するだけで上記の問題も解決できる可能性がある)
ただ、いみじくも元増田が書いているように「自分が知っている、正誤判定できる内容しか、できない」だけで十分に使い物になる分野はそれなりに多い。
仕組み上、大規模言語モデルの出力が正しいか誤っているかは、確率的なものだ。
そして、強固に信じられている内容から、先ほどまで存在すらしなかった内容まで、等しく文章として作り出される。
よく、要約に強い、文脈理解や推論に強いと言われることもあるが、それらも誤解に基づくものであり、正しくない。
確率的に正しい答えを返しがちな内容が、それらのタスクに偏っている、と言う理解の方がまだ近い。
「こういう入力が来た時に、こう返すと、ユーザーが喜ぶと学習した」出力結果を受け取っている状況なので、簡易な理解としては笑点の大喜利だと考えてもらって構わない。
大喜利に対して、そこから正確な答えを得ようとする人はいないだろう。そんな期待をしていないからだ。
逆に言えば、大喜利で問題ないタスクであれば、現状はすこぶる使い勝手が良い。
3.
ChatGPTに対して、以下の入力をすると使い物になる。
【取引先の面倒くさい担当者から飲み会に誘われました。私は行きたくありません。角を立てずに断るメールを考えてもらえませんか?】
この例題には、抜粋すると以下のように予定があるので断るというメール文面が出力される。
「このたびは飲み会にお誘いいただき、誠にありがとうございます。(筆者中略)あいにくその日は以前より予定が入っており、今回は参加を見送らせていただければと存じます。」
これ対して、さらに以下のように追加することもできる。
「既に何度か予定があるとして断っているので、他の断る方法はありませんか。また、飲み会へは今後も参加しないとやんわりと伝える方法は無いでしょうか?」
それらしい回答が出力されるはずだ。読んでいただいた方の手元でも再現できると思う。
4.
ChatGPTに対して、以下の入力をすると使い物になる。
【以下の内容を、簡潔に整理してください。(マイク入力で文字起こしした、漢字かな間違いや重複、欠落、フィラーを含む不明瞭な文章)】
この例題でも、それらしい回答が出力されると思う。
ただし、文章全体が会議体のような文章を多く含むと、おおむね存在しない議題を含んだ議事録が生成される。その方が"打率が高い"からだ。
ただ、まったく使い物にならないものになる可能性が比較的低く、大幅に作業の手間を減らせる。
端的に言えば「人間は、誠意や意識を判断材料にするので、利用を隠しがち」という点に尽きる。
悩みを聞いてくれた相手がAIだと知ると、聞いてもらえていたという感じ方が減る、という研究がある。(AI can help peoplefeel heard, but anAI label diminishes thisimpact (PNAS, 2024))
これは人間よりもAIの方が悩みを良く聞いてもらえたという優れた結果を出しながらも、相手がAIだと知るとそれが失われるということが示されており、おおむね信頼できる結果と言える。
(論文掲載プロセスなどから、どの程度の信頼を置いて良いかと言う指標において、PNASはScienceやNatureに次ぐジャーナル)
これは、直観的にも理解できるし、そうだろうな、と感じると思う。すると、先ほどのようにお断り文面メールをAIにやらせる、という事例は、公言するようなことではなくなる。
大っぴらにAIを使っていますと言える事例がプログラミング言語に偏るのも、まあそうだろうな、と思う。
また、以前から使っている人はコード補完など使っていたのに、何故ここにきてフィーバーが押し寄せているかと言えば、基本的にプログラマーは怠惰だからだ。
課金したChatGPTにコードを書かせて、実行した結果のエラーをChatGPTに貼って、さらに修正して、という作業をしたことがある人もいるだろう。
いま来ているXXXCLIの熱狂は、基本的にはこのコピペ単純作業が自動化されたからであり、いままで人間側が苦労していたバッドノウハウが不要になるから、だ。
今まで怠惰に利用していた人が、さらに怠惰になるために課金して元が取れると思うなら、課金した方が良い。
私は月に5~10万円程度は元が取れていると感じているのでいくつかのサービスに課金しているが、取れないと思うなら課金することは無い。
身銭を切ってでも今の生成AIブームに食らいつくべき、という話も聞くが、個人的には懐疑的だ。もっとより良いものがもっと安価に使えるようになると思う。
「こうやって工夫すれば良い結果が」というのは、例えば創造的にゲームを遊びつくす、という意味では良いと思うが、単にその時点のバッドノウハウの塊になると思う。
今の生成AIブームは、返答結果が知的に"見える"ことから生じている誤解であって、正確な知識を教えてくれることも、推論することも、意識を持つこともない。
ただし、途中に引いた論文のように、既に人間よりも優れた結果を出している領域もあり、(カーナビに経路案内をお願いするように)限定されたタスクでは十分に成果が出ている。
そのため、例えばイライラする上司へのメールを書くのに脳のリソースを使いたくないな、と思うのであれば、不満を全て叩きつけるような文面を入力して、適切なビジネスメールに変換してもらえば良い。
炎上しそうなことを、炎上しますか?と聞くのはお勧めしない。現状の生成AIの学習は、同意や共感、協調に重きを置いており、あなたの意に沿う返答が返ってくる可能性が高い。(その方がユーザーの満足度が高いから)
大丈夫、炎上しませんよという答えが得たいときには入力文にその意図が混入する可能性は高く、その場合は意に沿った返答が得られ、そしてたいてい中身は間違っている。
信頼せよ、しかし確かめよ(Doveryai, no proveryai)と言えるほどの信頼度には、生成AIは未だ到達していない。
信頼するな、必ず確かめよ。すぐに確かめられるものには利用して良い。
サービス提供側が出したくない情報を"脱獄"して抜き出そうとする行為は、推奨しない。
自分で学習データを集めてやるべきことであって、サービス提供側に法的リスクを負わせて遊ぶのは感心しない。
自らの責任において、検閲されるような内容を自分のサイトで公開するのは(その責任を自ら負うと言う意味で)自覚的だと思うが、それに準ずると特に日本の司法に判断されると相当面倒なことになる。
そういうのはリスクを承知で黙ってやるか、やらないか、いずれにせよ公言するようなものでは無い。
Permalink |記事への反応(21) | 12:28
京都大学ら、リチウムイオン電池の倍の容量の全固体電池材料を開発。主成分は鉄、カルシウム、酸素 -2025年6月23日
https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/2024969.html
ナトリウムイオン電池とは何か、中国CATLがEVで実用化、トヨタら日本企業が有利のワケ
https://www.sbbit.jp/article/st/125364
リチウムは希少なので、ナトリウムに置き換えることで大きなメリットがある。らしい。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC2096B0Q4A221C2000000/
全樹脂電池開発のAPB、4月末までの休業を発表 ~経営権を巡り対立 ~
https://news.yahoo.co.jp/articles/e95740892de5d05fe6378f5a6dcd7e95be0537c1
明暗分かれすぎだろ…
ちょっと思うところがあったので突っ込みを入れてみようと思います。
そもそもの「「スタン落ちのない遊戯王は最高」にも反論したほうがよくないですか?
ローテーションって金はかかるけど結構楽しいですよ。ポケカだったらFレギュのイカれカードが消えてからデッキ考えるの楽しくなかったですか?おじはかなり楽しかったです。
メタが大きく変化するので、意外なカードが脚光を浴びたりして。競技カードゲームとして考えるならこれほど楽しいイベントもないです。
分かんない?みんな禁止改定の発表とか見るの大好きでしょ?あれが年一で大規模に起こると思ったら、楽しくなってきません?なってきませんか・・・。
まあ、ネガティブなイメージが大きいイベントなのはわかります。ただ環境で暴れまわってるクソカードも寿命は3年になるので、あるデッキタイプを中心にメタが回る。
みたいな環境もやや許容できるようになるなど、メタの回り方自体も少し変わるし、悪い面ばかりでもないですよ。
で、残りの部分への回答なのですが。
これは別のツッコミにも書いたのですが、「TACTICALTRY DECK」の施策が新規呼び込みのための素晴らしい施策となっています。
クソ安い実戦級構築済みを安価でばら撒くってのは「スーパーデッキ」でデュエマが開拓した手法ですが、
遊戯王はパーツ取りにも使えるようなデッキを安価で大量に市場に供給していつでも買えるようにして、
新しい拡張パックで、TACTICALTRY DECKのテーマ新規を定期的に刷ってサポートしてるのが新しいですね。
Tier2-3のデッキできちんと現代遊戯王の動きができるので、復帰勢とかMD勢がこの商品で現代遊戯王を理解して、
販促見てTACTICALTRY DECK買う→パックを購入する、という流れを想定していると思われます。
コラボが正解ではないが、カードゲームとしての他のIPを取り込める柔軟性やゲーム性を維持できる堅牢性のアピールでもあるんだよ
別にアピールとかではないです。たぶんここは「証左でもある」って言いたいんでしょうか。
コラボができるかどうかってのはゲーム性とかそういうのはあんま関係なく、権利関係ちゃんと処理できるかとか、アート/フレイバーのディレクションの観点からどうかみたいなやつです。
例えばポケカなんかはコラボは基本無理です。グッズですら殆どないんじゃないかな。ポケモンってIPが世界最強なので、そもそもコラボする必要がないとも言えます。
デュエマのコラボに関しては、アートディレクションがかなり緩いのと、小学館経由で様々なコラボができたことが大きいと思います。
MTGはアート/フレイバーのディレクションがガチガチでとてもコラボなんて、って感じでしたが、secret lairで地ならししたことで割と受け入れやすい土壌はできてたっぽいですね。
一方でKONAMIなんですが、遊戯王というめちゃくちゃ知名度のあるIPでまだまだ商品力あるので、他とコラボする必要がそもそもないって感じですね。ポケカと同じ状況です。
一応、パワプロなどのコラボカードはありますし、全然できないというわけではないです。システム面ではいくらでもできますけど、その必要がないというだけの状況かと思います。
ここは立て直しの最中なのでまあ。OCGストーリー押しなのも、いろいろな意向があってのことでしょうね。おそらく権利回りで。
そんな感じです。
横からなんだけど、
OCGがMDに頼りきりでどう考えても市場で目立つ製品を売り出せていないの事実だぞ/コアなユーザーではなく新規層にも届くような施策なんてあったのか?
これは前年からやってる構築済みでTier2~3ぐらいのテーマデッキを販売し、その後にリリースするパックで1年程度新規を定期的に刷ってサポート・デジタル版で販促という
クソ安い実戦級構築済みを安価でばら撒くってのは「スーパーデッキ」でDMが開拓した手法だけど、遊戯王はその後の拡張パックでテーマ新規を定期的に刷ることでサポートするのが新しい。
あと、TACTICALTRY DECKは販売当時ではかなり内容が良くて、本来なら即売り切れレベルの内容の構築済みなんだけど、通年できちんと売ってるし、誰でも買えるように潤沢に在庫が供給されてるのもえらい。
加えて、これらの構築済みデッキの販促をMDでもやることで、紙と同じカードが使えてかつデジタル版の環境が半年前の紙環境+良調整となっているMDの良さも十分に生かしている。
紙とカード自体が違うせいで販促としての立ち位置が微妙なプレイスではこんな施策できない。
結果、復帰勢とか新規の連中がMDやる→現代遊戯王を理解して、販促見てTACTICALTRY DECK買う→パックを購入するというきれいなサイクルができていて、これはマジでうまいなとおもった。
MTGでやってた「キッチンテーブルからLGSへ」施策をブラッシュアップした素晴らしい取り組みだと思う。
って、マジレスしたんだけど、返答返ってこねえんだろうな。