
はてなキーワード:学級文庫とは
近頃、とにかく死にたい。
毎年10月から11月はこういう感じになるので、季節のせいであることは分かっている。12月になる頃にはだいたいなんかなんとかなってるから大丈夫。
でも年々ひどくなっている気もする。それに、毎年ウワーッとはなるにせよ、そもそもなんでこういう死にたい感情に襲われるかがよく分からなかったので、何か直接的な原因がないものか、人生についてちょっと考えてみた。
元々社会福祉とか一次産業とかインフラとか配送業とかに憧れがあった。誰かの生活を支える、縁の下の力持ちってかっこいい。でも増田は危機管理能力がない。忘れ物は多いし、ケアレスミスも死ぬほどするし、どんなに我慢しようとしたって余計な改善をしようとして結局改悪してしまう。保守運転とか一番苦手な分野だ。トラックどころか自分の体一つだって乗りこなせない。事故を起こさないため、誰かを殺さないため、そういう職業にはつかないほうがいいと思って生きている。
だから人から金を搾取することだけを考えているカスみたいなサービスの下請けで、自分一人を養えるだけの端金をもらって、犯罪を起こしてないからそれでいいのだと必死に言い聞かせている。上手く出来なくてもカスの弊社が困るだけだから、いくらミスしても罪悪感はない。
だがこれは直接死にたい原因ではない。やっとることはカスのサービス形態ではあるが、ある程度転職にも使えそうな汎用的な職能の成長は出来るし、上司や同僚は増田の手助けや活躍を褒めてくれるし、そういった点でやりがい的なものがないわけでもない。業務自体はそこそこ向いてると思えるし、人間関係は良好と言って良いだろう。金額面も、自分一人を養えるくらいの金額は稼げているし、それによって欲しいものを我慢したり、望んだ生活を手放さなければならないほどではない。元々欲は薄い方だ。少ないながら貯金もしているし、いざとなれば親や友人を頼れば金がなくても多少の間はなんとかなる。労働自体は憎むほど忌み嫌ってるわけではないから、生涯現役でも全然構わない。
金銭や将来の不安、職場の人間関係の悪化などがあって死にたいわけではない。
友人関係も悪いわけではない。
確かにたびたび「人間じゃない」とか「常識的な気遣いが足りない」とか「普通考えれば分かることがどうして出来ないのか」とか言われたりもするが、それでも根気強く付き合いを続けてくれる友人ばかりだ。何も言わずに去られるより全然マシなので、そういう耳に痛い言葉も言ってくれるだけでありがたい。一度も傷つけたことのない、あるいは傷つけられたことのない友人は確かにいないのだが、それでもみんな大事な友人だ。
そういう大事な友人にご迷惑をおかけすることで罪悪感で潰れそうになることはあるが、例えば無茶な振り回し方をしてきたり、金銭を貸せとやたらたかって返さなかったり、そういうガチのトラブルに発展するような友人諸兄ではないし、増田もそういうことをしないよう、礼節を忘れないように重々気をつけている。それでもたまにうっかり日々の会話で地雷を踏んで怒らせることはあるものの、友人同士が「それは言い過ぎ」とか「お互い様」とか仲裁してくれるので、増田自身の尊厳も守ってもらえていると思う。友人とボロカスの喧嘩をして死にたい夜もないことはないが、それは大抵一時的なものだし、直近はそういう感じで険悪になってる相手はいない。
父も母も理屈で話せば分かる人であるし、親戚一同もなんだかんだ元気に暮らしている。不謹慎なニュースを見て爆笑する叔父や、身の回りの世話を全部してあげないと心配で夜も眠れない叔母、とにかくプライドが高く他人を見下したり注目を集めたりしないと気がすまない従兄弟、信仰の押し付けはないものの新興宗教にどっぷり献金している祖父母など、アクが強くはあるが、こちらに実害はないので可愛い範囲で収まるものだ。肉親に怒鳴ったり、暴力を振るったり、金銭トラブルを持ち込んだり、結婚を強要したりする人はいない。
まあ、両親に恨みがないと言えば嘘になる。幼稚園の頃に甘えようとすり寄ったら「は?鬱陶しい、ひっつくな」と引き剥がされたり、小学生の頃いじめられていた時に増田の言い分を一切聞かず「あなたにも悪いところがなかったかよく考えてみよう?」と3時間近く諭してきたり、愛着の面では問題があったのは確かだ。しかしそれは増田に対して愛情がなかったというよりは、それが彼らの愛着の限界なのだ。飼っているウサギすら、部屋の中で凍死しかけていることに気づかなかった両親である。それを思えば、衣食住を保障してくれたのは事実だし、危険なことは叱ってくれた。大学まで学費も出してくれたし、両親の行きたいところにではあるが旅行にもそこそこ連れて行ってもらっていた。彼らにしてはだいぶ努力していたのだろうと今なら分かる。
だから半年に一度程度は顔を見せに帰省しているし、それがめちゃくちゃ苦痛というわけでもない。全ては過去のことであり、無、凪、平熱、そういった単語がふさわしい関係性だ。これもまた、直接の原因ではない。
増田はXジェンダー、リスロマンティック、アセクシャルと三拍子揃った人間だ。その上、それでもどうしても起こる性欲の発散方法は「対象年齢・性別を問わないリョナ創作」と来た。絶対に世に出してはいけない、リアルの人間に向けるなんて以ての外という嗜好をしている。
幸いなことに、告白されたことも、したいと思うほど惹かれた人も人生にいない。誰かを傷つけてしまうくらいならそれでいいと思っている。「恋愛を理解できないのは正常ではない」と思って恋愛小説や恋愛漫画を読んでは、イーッ!分からん!と一人で暴れていたこともあるが、それは「普通の人生を送ること」に固執していたからであって、もう普通じゃなくていいやと開き直った今は、一人で生きていく覚悟がとっくに出来ている。
だから恋愛ができなくて人生つまんなくて死にたいというわけでもない。
趣味はある。
増田は創作が好きだ。物語を書くのが好きだ。随筆も、批判も、絵も、彫刻も、歌も、踊りも、とにかく何かを表現することが好きだ。それは自分の中にある感情や思考を(作品に限らずこういった文章などでも)表し、発散することで一時的な沈静が見込めるからだ。だから誰かのために書いてるわけじゃなく、褒められるために書いているわけでもなく、ただひたすら自分の衝動を、犯罪ではない範囲で発散できることに喜びを感じている。
また、他人のそういう一面を見るのも好きだ。孤独ではない、と、他のどんな娯楽よりも、どんな脳内物質の分泌よりも、最も確かに感じられるし、癒されるからだ。みんな苦しくて孤独なのだと実感できるからだ。そしてそれらを十全に納得のいくまで突き詰めようと、他人の創作物をしゃぶりつくしたり、自分の表現を究めたりしようと思うと、百年に満たない短い人生を食いつぶすには、十分すぎるくらい時間がかかる。
これも死にたい原因ではない。むしろ趣味のことを考えれば、死んでいる場合ではないのだ。
これと言ったトラウマもない。
いや、ないことはない。小学校の頃は確かに治安が悪かったし、その中で最も低いカースト層にいたのは確かだ。靴箱に砂を詰め込まれたこともあったし、掃除の時はちりとりに集めたゴミを引き出しにそのまま流し込まれたこともあった。濡れた雑巾を頭に投げつけられたこともあった。ドッジボールで執拗にボールをぶつけられることもあった。体育の二人一組ではいつもハブられていたし、仕方なしに増田を組まざるを得なかったやつは、増田の触れたところを校庭の土でこすって払った。まるで土のほうが汚くないとでも言いたげに。
クラスメイト全員敵だからいるわけがないのに、脅迫的に好きな人を聞き出され、最もいじめてきた回数が少ない人の名前をあげたら、翌日からそいつがいじめられ始めて、他人を好いてはいけないと思い知ったこともあった。給食着やテーブルクロスを、本当は持ち回り当番なのに毎週持ち帰らされて、親に「じゃんけんで負けた」「牛乳こぼした責任で」と嘘をついた。もちろんああいう感じの親なので「あんたはどうしてそうなんだろうね」と気づかれもしなかった。
「視界に入るな」「半径2メートルに近づくな」「菌が伝染るから(学級文庫・机・プリント・日誌・配膳皿などに)触るな」あるいはもっと直球に「死ね」も全部日常的に言われていた。学級崩壊でまともに授業が受けられなくて教育機会を損失して、その頃に本来学ぶべきだった分野は今でもちょっと苦手意識がある。毎年劇をやるはずの発表会では制御不能と判断されて、ペットボトルでお米を育ててみましたといううっすい内容を、誰がどこを喋るかまで一言一句ガッチガチに固められて発表させられた。自主性なんて言葉は死んでいた。若い新卒の教師は毎日授業で泣いていて、その頃にはとっくに泣き疲れて感情に蓋をしていた増田は、その涙を「煽るだけなのに」と冷ややかな目で見ていた。
カースト中の下だった傍観者クラスメイトと大学で再会して、一緒に「小学校の思い出」とかいうクソみたいなグループワークの授業を受けざるを得なかった時、給食の班机で菌が伝染るからとやられていたみたいに1cmあけて机を組まれた瞬間、増田の心にヒビが入り、割れ目が出来て人格が四つに分かれしまい、今も元に戻らなかったりしている。そういう意味では、たしかにトラウマと呼んでもいいのかもしれない。
それでも直接的な殴る蹴るという暴力は振るわれなかったからマシな方だったと信じている。記憶があり、はっきりと思い出せて、これだけの内容を泣かずに書けるようになっただけかなり寛解してきている。それに、当時の自分だって箒で殴り返すなどそこそこやり返したり、いじめっ子と同質になって増田よりもっとカーストの低い支援学級の子に対して、自分にされたことをそのままやり返すみたいにしていじめたりだってしていた。当時飼っていたハムスターも憂さ晴らしに虐待していた。弱いものがさらに弱いものを叩き、ブルースは加速していた。そういう感じでなんだかんだ適応して元気にやっていた。
それらへの後悔に苦しみながら、同時にその延長で今も友人にライン超えの発言をしたり、逆に踏み越えてはいけないラインを踏み越えられてもその場では分からなかったり、自覚がないままキレ返してしまい制御不能に陥ったり、暴力や脅迫や支配を伴わない合意の上での性行為では興奮できなかったり、記憶は共有しているものの人格が割れてしまい解離性同一性障害まで秒読み状態だったりと、後遺症は色濃く残っている。
けれど、でも犯罪をしないで済むくらいの範囲で誤魔化しきれているし、それ以上を望んだりもしない。だからこれもまた、今の増田をむしばんでいる死にたさの原因ではない。その時期はとっくに乗り越えてあり、過去は過去、今は今として整理がついていて、そういう自分のあり方を受け入れている。
人生を構成するだいたい全部に、人並みの不満や後悔はあれど、満足していないわけでもない。人間関係にも金銭にも将来にも不安はない。上を見ればきりはないが、下を見てもきりがない。自分の人生は自分のものであり、それ以上でもそれ以下でもない。
私は私だ。
なのに何故こんなにも死にたいのか。
胸を打つこの衝動は何か。
線路に飛び込め、七階から落ちろ、溺れて死ね、とにかく死ね、そう囁き続ける声が内側に蔓延るのか。
思春期という言葉を藁のように握りしめて、この衝動的な嵐が、年齢を経れば終わってくれると、ただ若さ故なのだと、そう信じてしがみついてきたのに、どうしてアラサーになってもまだ衰える気配がないのか。
この衝動こそが死にたさの原因であり、結果だ。
この自己こそが死にたさの真の原因ではないのか。
本当はやりたい仕事を諦めて現状に甘んじている?
友人と上手く付き合うことが出来ない?
両親の愛着が足りなかった?
趣味が実質逃避になっている?
過去に嫌なことがあって未だに引きずっている?
全ては結果に過ぎない。
最初に存在しているこの「自己」こそが引き起こした、必然の結果に過ぎない。
死にたいのは、嫌なことがあったのが原因じゃない。
嫌なことを引き起こすような自分に全ての原因があるということから、いよいよ目を逸らせなくなってしまったからだ。
増田はずっと、衝動、癇癪、叫びのような化け物を心に飼って、共に生きてきた。
こいつを野放しにしたら、とてもじゃないが人間社会では生きていけない、というかまず肉体が耐えきれなくて崩壊するような、触れるもの全てを敵と認識する、爆発的なエネルギーだけがひたすら渦巻いている、自壊を厭わない衝動の化け物。
その化け物を飼い慣らすことだけが、増田の今の全てを形作っている。
仕事や友人の選び方、楽しめる趣味、思考、行動、言葉、その全部全部が、この化け物を静かに眠らせておくことだけに全力を注ぐように構成されている。
そしてそれが漏れ出てしまった瞬間、必ずトラブルが起こる。嫌なことは全てそうやって起きている。
そう、気がついてしまった。
両親、友人、そして過去の思い出は、一般的な社会に溶け込める人間たちが、その化け物を目の前にした時の、ごくありふれた正常な反応に過ぎない。
全ては結果なのだ。
思えば最初から、物心ついた時にはもう、そいつと一緒に生きていた。
その場の思いつきで突拍子もないことをして、危険を危険だと分かっていながら飛び込まずにはいられない、じっとしてはいられないという性質を、持て余していた。
両親が増田のことを「あんたのことはよく分からない」と困惑して言った日のことをよく覚えている。
友人が「増田は人間じゃなくて増田という生き物なんだね」としみじみ言った日のことも。
増田をいじめて泣かせたクラスメイトが「だってあの子が最初に嫌なことをしてきたんだもん」と言ったことも。
先生が「どうしてそんなことしたの?」と泣いている増田を問い詰めたことも。
「泣いていたら分かんないよ。先生悪くないよね?なんで先生のこと怒るの?」と寄り添いのかけらもない態度をとったことも。
そして増田はただ、嫌がらせをしようとすら思ってもいなくて、そうすることしか出来なかった、それ以外のやりようがあるなんて考えつきもしなかっただけなのだと、説明出来なかったことも。
よく覚えている。
それらは全部、増田がおかしかっただけで、みんなはただ、当たり前に困っていただけだ。
ただ、それだけだった。
よく分からないものは愛せない、未知は排斥する、ああ、そうだろうとも。それにしたって、みんなの方にだってもう少し上手くやりようがあるようにも感じるけれど、でも、人間は完璧じゃない。上手く出来ないことだってあるし、それを責めたってどうにもならなくて、仕方がない。
だからみんな、距離を取る。うん、まったくもって正しい。あなたが自分を守るために、増田に人生を破壊されないために、必要な距離だろうとも。
でも、増田だって、こんなのと一緒に生きていくのはもううんざりなんだ。
私は私と一緒に生きていくのが疲れた。
みんなみたいに、そっと距離を取ることができない。
ずっと近くにいる。
ずっと隣にいる。
剥がしようもなく側にいる。
趣味だって、ただそうすれば抱えた癇癪がマシになるからやっているに過ぎない。こいつから逃れられないから、仕方なく好きにさせてやってもいい場所を作っているに過ぎない。
本当は絵や文章なんか書かなくても気分が晴れるならそれが一番楽なはずだ。誰も傷つけずに、安心して一人で好きなだけ打ち込めるというだけの、苦しみから逃れるために必要なだけの、ただの麻酔だ。
「文章を書いたり、絵を描いたりで努力できるのはすごいね」と褒めてもらえることもあるけれど、違うんだよ。それをやらないとあなたに危害を加えてしまいそうだから仕方なくやっているだけなんだ。全然立派でも何ともない。犯罪者予備軍が犯罪をしないためにギャンブルや酒に溺れているのと一緒なんだ、これは。
厄介な人をあしらう術に長けた者たちだけが、周りに残っているのがその証左だ。
衝動性を逃がす以外のモチベーションはないから、創作で食っていこうとしてもクオリティにムラがあって仕事にならないのがその証左だ。
自分は化け物だ。
人間じゃない。
人間になんかなれっこない。
必死に身につけた人間性の全てが、衝動の化け物が眠る上に構築してあるというただ一点を理由に、崩れていく。
その眠る化け物が少し身じろぎするだけで、目覚めるまでもなく、増田の積み上げた全てを崩壊させる。
増田は自らの意思で人生を選択したのではなく、選択できる範囲の中で選ばされるしか出来なかった。
好きなもの一つ、「自分」の意志では決められない。化け物を起こさないようにごくごく慎重に、刺激しないものだけを選んでいる。
全部全部こいつのせいなんだよ。
化け物を一番殺したいのは増田なんだよ。
私の人生を全部めちゃくちゃにしてきて我慢ばっかりさせるような化け物を、一番憎んでいるのは私自身なんだよ。
両親を困らせたくなかった。
いじめられたくなかった。
恋愛が怖いと思いたくなかった。
友達を傷つけるようなことなんて、今だって一個も言いたくない。
なのに全部できない。
全部全部、壊すのは増田だ。
私なんだよ。
死にたい。
もう、こいつと一緒に生きていくことに疲れてしまった。
何もかも破壊して、めちゃくちゃにして終わらせたいという衝動が、朝も昼も夜もずっとずっと苛む。
増田にできるのは、この化け物を思い通りにさせず、誰をも傷つけることなく、自らの死以外の罪をこの肉体に起こさせないことだけなのではないか、という気分になってくる。
それよりも、慰めてくれた誰かに牙を剥きたくない。
恩を仇で返したくない。
そんな気持ちのほうが、ずっとずっと大きく膨らんでいってしまう。
それは誰かを不幸にするから。
愛されないまま死んで忘れられることだけが、増田にできる唯一の社会貢献だ。
せめてそれだけはさせてほしい。
許してほしい。
ごめんなさい。
生まれてごめんなさい。
税金払わずに毎日図書館に来て冷房を浴びながら昼寝しているホームレスがいる。
何日風呂入ってないのかも分からないクッセーオッサンが一角を占拠している。
宿無し生活用の装備が詰まったリュックを近くにおいて椅子の上に横になって寝てる。
クッセー靴下の匂いが染み付いて汚染された椅子は、あとで職員がファブリーズかけまくってるんだろうなと想像がつく。
住民税払ってる人間が図書館に来て本を借りるのは全く恥ずかしいことじゃない。
皆でお金を出しあっているクソデカイ学級文庫が図書館なんだから。
絵本をすごい勢いでグルグル読んでいく生き急ぎ園児、ラノベを大量に借りているニキビの中高生、彼らはきっと親が税金払ってるから堂々と使って良い。
実験や論文用の資料を読み漁っている大学生、その日の分の新聞を3つぐらい掴んで読み終わったらまた次の新聞を3つぐらい掴んで戻ってくる新聞ジジイ、将来税金を沢山収めてくれたり、過去にたっぷり税金を払い終わった人間も堂々と使うべきだ。
だがホームレスはどうなんだろう。
ずっとずっと税金を払わず、本を借りるわけでもなくただ涼しい場所、暖かい場所を求めてやってきて、夜の怪しい仕事にでも備えているのか堂々と昼間から寝息を立てている。
3人がけの椅子に堂々と横たわり、場合によっちゃ隣の椅子に荷物をボンボン置いている。
1円の税金も収めること無く公共の施設を貸し切っているホームレス。
こんな存在が許されて良いんだろうか。
「ホームレスじゃなくてツーリストがちょっと休憩に来てるのかもよ?」←知らねーよこの街で住民税払ってね―奴が知識や娯楽を求めるでもなくただエアコン効いてる場所で寝るためだけに来てるのがおかしいっつってんだよ。
健康で文化的な最低限度の生活を誰もが送るために弱い人にも優しくしなきゃいけないってのは分かる。
俺がいつかホームレスに転がり落ちた時、同じようにどっかのデパートや空港の待合室で怒られるまで寝てるかも知れないから。
でも釈然としないんだよな。
ホームレスが単なるホームレスで居てくれているだけまだマシで、風雨を凌ぐ場所欲しさにどっかの家に押し入ってくるぐらいなら、公共施設で悪臭撒き散らしてくれてた方がまだマシだってのはある。
冬場は凍りつくから仕方ないにしても、夏場だったら公園の蛇口からぬるま湯が出てくるだろ。
どうしたらいいんだろうな。
ホームレスを集めて仕事を与えるホームレス労働施設がやっぱり必要なのかな。
財布から金を取る、学級文庫の借りパクや他人の持ち物を盗るなどなど
今はもうしてない。小学生のときに親にバレて、というか証拠は明確にないけど私がそうした小さな悪事を働いていると察して釘を差されたことがあって(親の500円貯金から盗んでたし、いつまでも返されない学校の本や買い与えてないのに気づくと増える新たな文具とかで察していたと思われる)、案外バレるな、と思って少しずつやめた。あと同じクラスで万引きしてた子が補導されるようなことがあったのも影響してるかな。
損得の感覚、天秤が変わったと言うか。もらってくか、で盗んでたものが、バレたらめんどくさいの方に傾くことが増えた。
思い返せばあの頃盗んでたのはストレスやコンプレックス(貧乏、兄弟より出来が悪いとか)から開放されるためだったのかなと思う。気分の上がるものやオシャレなもの(文具)を持って一時の快楽に酔うというか、そういうすてきなものが持てる自分になることで安心感を得ようとしていた。
増田とは少し違うかもしれないな。
列挙より深掘りしてくれ。
大して困ってなさそうなのになんで医者なんて面倒くさい所へ行ったんだろう。
自分が他人のカギ番号覚えないのは他人に関心がなくて他人の行動など見ちゃいないのと、盗むためにカギ番号覚えるという発想がないからだが、増田はあとで盗むためにわざわざ覚えるのか。衝動的に「そこにあるから、目についたから盗む」以上に、盗む準備が入念だ。面倒くさくない?服を買い取ってもらうとか、先輩のかわいい顔を知ってる人に売るのならどうやって持ちかけるのか、盗み売りバレをどうやって口止めするのか。写真つけて学校外に売るならその手間とか、学校外なら先輩のかわいい顔の写真だけ撮って盗むのは先輩以外からでも良さげだが律儀に先輩から盗んでたのか…マメだな。
学級文庫は誰も困ってなさそうだが、金や服は盗られて困っている被害者を目視したと思う。「でも気にならなかった」とも書かないのは、記憶に残らなかったのか創作が甘いのか。
友達から盗んだエピソードがない。友達は信用をなくすと困る人カテゴリなのか、友達がいないのか。信用をなくすと困る人から直接盗まなくても、盗みがバレたら信用なくすと思うんだが。信用なくすと困る人には病院行ったの隠してるの?秘密保持面倒くさくない?
未来の自分から盗むというか、リボ払いとか消費者金融で気軽に借りるとかはしなくていいのか。別にたった今の増田は困らんでしょ。すぐ金が手に入るのに、困るだろうと想像しないなら借金しない理由がない、簡単なのに。
自分のことなら多少困る想像はできるのかな。もし返済が10年後とかなら、今の自分とかけ離れてて想像が働かなくて限度いっぱい借りそうではある。
列挙するならダメな方の地雷発言とそのリカバリも列挙してくれ。盗癖と関係あるのかないのか何も書いてないのでわからない。
この中国人もう2年くらい同じこと書いてるよな
■倫理観が欲しい
倫理ってみんなどこで身に着けるの?
やっぱ幼少期のころに親からなのかな、両親は普通の人だったと思うんだけど。
ADHDとかを疑って病院もいくつか行ったけど医者は総じて”そういうのじゃないよ”って
まあつまり純粋に倫理観がない、性善説を信じてる人には申し訳ないけど。
論理として、今これを言ってはいけないとか、この行動は得策ではない、とかは分かる。
一生懸命考えて地雷を避けてるんだけど、発言した瞬間にこれダメな方だったわってなることも多い。
(瞬間的な回避とか挽回方法は鍛えられたから大事になることは滅多にないけど)
盗むこととか虐げることに快楽を感じてるわけではないと思う。
親になったら変わるのかな、生む予定ないんだけど。
普通に人のロッカーとか開けちゃう、暗証番号覚えたり、スマホのパスとかもチラ見で覚える。
めぼしいものがそこにあれば回収するし(金銭とか高価なものとかヤバい写メとか)
別に何もなければ何もしない、そこに復讐とか困らせたいとか優位に立ちたいとかいう欲は無い。
信用を失くすと困るなって相手にはしないようにしてる。別にどうでもいいなって人からはもらえるだけもらっておく。
しちゃいけないよって教わったから最低限守ってるだけで、いけないことだからルールを守らなきゃ!って能動的な気持ちはない。
罰を受けるのは割に合わないから罰を回避するためにしない、という気持ちはある。
小学校の時に学級文庫をたくさん持って帰った、だって誰も読まないから。私は読みたいから。バレても特に何もないから。
中学校の時に部活の先輩のユニフォームを売った、だってたくさん持ってるから。先輩は可愛くて需要があったから。
高校生の時に定期をキセルしてた、そもそも地元は無人駅だったから。月のお小遣いを節約してる感覚だったから。
大学生の時に教室に置いてあった知らない人の財布5人分くらいから、バイト先の派遣さんのリュックから、現金全部抜いた、だってそこにあったから。
アパレルの勤め先で在庫管理任されたから内引きした、だって余ってるから。時給の補填だと思ってたから。
水商売で裏引きしてお金もらってホテルに行って相手がシャワー浴びてる間にカバンの中の現金を回収して身分証明書と会社名と社外秘資料を控えて帰った。お金持ってる人だったから。
SNSでいいなと思った素人の自撮りやカフェ写真は保存して水商売の写メ日記や会わないマッチングアプリで流用してた、自分の引き出しにないものだから。
生きてくためというか生活をもう少し豊かにするためにたくさんあるところから持ち出して補填する感覚。
想像力がないんだと思う、私のせいで誰かが困っている実感が全くない。
まだ他にもたくさん余罪はあるけど覚えてない、バレてもないし。怒られても本質が理解できないから響かない、次はもっと工夫しようと思う。
他人からひどい人間だと指摘されるので、多分そうなんだなって認識があるだけ。
なるべく正しくよりよく生きたいと思うけど、いつの間にかズレているので軌道修正が欠かせない。
倫理ってみんなどこで身に着けるの?
やっぱ幼少期のころに親からなのかな、両親は普通の人だったと思うんだけど。
ADHDとかを疑って病院もいくつか行ったけど医者は総じて”そういうのじゃないよ”って
まあつまり純粋に倫理観がない、性善説を信じてる人には申し訳ないけど。
論理として、今これを言ってはいけないとか、この行動は得策ではない、とかは分かる。
一生懸命考えて地雷を避けてるんだけど、発言した瞬間にこれダメな方だったわってなることも多い。
(瞬間的な回避とか挽回方法は鍛えられたから大事になることは滅多にないけど)
盗むこととか虐げることに快楽を感じてるわけではないと思う。
親になったら変わるのかな、生む予定ないんだけど。
普通に人のロッカーとか開けちゃう、暗証番号覚えたり、スマホのパスとかもチラ見で覚える。
めぼしいものがそこにあれば回収するし(金銭とか高価なものとかヤバい写メとか)
別に何もなければ何もしない、そこに復讐とか困らせたいとか優位に立ちたいとかいう欲は無い。
信用を失くすと困るなって相手にはしないようにしてる。別にどうでもいいなって人からはもらえるだけもらっておく。
しちゃいけないよって教わったから最低限守ってるだけで、いけないことだからルールを守らなきゃ!って能動的な気持ちはない。
罰を受けるのは割に合わないから罰を回避するためにしない、という気持ちはある。
小学校の時に学級文庫をたくさん持って帰った、だって誰も読まないから。私は読みたいから。バレても特に何もないから。
中学校の時に部活の先輩のユニフォームを売った、だってたくさん持ってるから。先輩は可愛くて需要があったから。
高校生の時に定期をキセルしてた、そもそも地元は無人駅だったから。月のお小遣いを節約してる感覚だったから。
大学生の時に教室に置いてあった知らない人の財布5人分くらいから、バイト先の派遣さんのリュックから、現金全部抜いた、だってそこにあったから。
アパレルの勤め先で在庫管理任されたから内引きした、だって余ってるから。時給の補填だと思ってたから。
水商売で裏引きしてお金もらってホテルに行って相手がシャワー浴びてる間にカバンの中の現金を回収して身分証明書と会社名と社外秘資料を控えて帰った。お金持ってる人だったから。
SNSでいいなと思った素人の自撮りやカフェ写真は保存して水商売の写メ日記や会わないマッチングアプリで流用してた、自分の引き出しにないものだから。
生きてくためというか生活をもう少し豊かにするためにたくさんあるところから持ち出して補填する感覚。
想像力がないんだと思う、私のせいで誰かが困っている実感が全くない。
まだ他にもたくさん余罪はあるけど覚えてない、バレてもないし。怒られても本質が理解できないから響かない、次はもっと工夫しようと思う。
他人からひどい人間だと指摘されるので、多分そうなんだなって認識があるだけ。
なるべく正しくよりよく生きたいと思うけど、いつの間にかズレているので軌道修正が欠かせない。
根本的なプリセットとしての倫理が欲しい、ドンキに売ってないかな。
Permalink |記事への反応(52) | 13:45
「〇〇菌」とか呼ばれたりしていて、今から思えば本当に可哀想なんだけど、
数日後に持ち主の元に物が返ってくるのが定石だったので別に濡れ衣とかではない。
しかも隠す物が体操服や紅白帽、リコーダーとか授業に必須のものばかりなので、実害も大きかった。
最初のうちは仲の良い子の物を隠すだけだったんだが、
友達がいなくなってくると少しでも自分に親切にしてくれた子の物を隠すようになり、
最終的には学年全体から嫌われていじめられるようになってしまった。
どうも彼女の中では
物を隠す→困っているところを見つけたふりをして返す→自分のことを相手は大好きになってくれる!
と思っていたらしい。
私は私物は隠されなかったが、学級文庫の本を読んでいたらその本が突然なくなり、
数日後に彼女から「あのなくなった本途中まで読んでたよね?私の家に同じ本があったから貸してあげる」と言われたことがある。
(彼女の本だと言って見せられた本はあきらかに学級文庫にあった本そのものだった。。)
以来、彼女に話しかけられても出来るだけ無視していたので、私もたぶん彼女をいじめていた1人なんだろうなと思う。
②彼女も苦しんでるんだから、みんなで盗癖も含めて彼女を受け入れるべきと言ってくる人
③彼女を担任の側にずっと置くことでクラスメイトとの関わりを極力減らそうとする人
など色々いたが、
②クラスメイトみんなで拒否して終了(正直なぜ物を隠されるのを我慢しないといけないのか意味がわからなかった)
③先生の物(授業で使う大きな三角定規とか)が隠され、先生がキレて終了
と、どれも功を奏さずで最後までいじめはなくならなかったし、彼女の物を隠す癖も無くならなかった。
いじめはダメ、絶対!だけど、「いじめる側が100%悪い」みたいなことを言われると彼女のことをどうしても思い出してしまう。
小学生のとき、林間学校でよその学校に行って、その学校の校庭でキャンプをするはずが、雨が降って来たため、教室で寝袋を敷いて寝ることになった。
自由時間、周り(いろんな学校から集まった生徒たち)と馴染めなかった私は、たまたま学級文庫にあった文庫を読みふけった。
小学校高学年の女子たちの夏休みをメインにしたお話で、初潮が来て戸惑ったり、女子同士の陰湿ないじめが発生するような、けっこうリアルな内容だった。
夏祭りに、大人っぽい女子がきれいな浴衣を着て、担任の若い男性教師と2人で仲良さそうにしていた。
次の日から、その女子は他の女子たちから「空気が腐る」と聞こえよがしに言われるようになる。
と、いうところまでは読めたのだけど、自由時間が終わってそこで本を戻してしまった。
せめてタイトルをメモしておけばよかったのだが、ときすでに遅し。
もう30年もあの続きが気になり続けている。
検索してもなかなか出てきてくれないんだよなあ。
先日、ここ十数年使っていなかったMIXIからメールが届いていることに気がついた
この同級生とは十年前に参加した同窓会にも参加していなかったため、40年以上没交渉
ならば宗教勧誘かなにかと思ったものの、一応中身を確認してみた
はて、何かあったかと思い出をひねり出してみるも何も出てこない
むしろ同級生の顔すらおぼろげで、そもそも同級生だったのかすら怪しい
同学年であったことは間違いないのだが
流石にこのご時世、得体のしれない相手と直接交渉する気にはなれないので、謝罪内容を書いて寄越すように返事をしてみた
何度か直接会って話すと拒否されたものの、没交渉が長かったこと、このご時世対面したくはないことを伝えると、
すると、私にとっては黒歴史と化していた事件の事実が書かれていた
数ヶ月前に自分の子供が冤罪をかけられクラスメイト、教師から疎まれて心を病んでしまったこと
ここで過去に自分が犯してしまった罪を思い出し、謝罪を思い立ったこと
そうだ、長らく忘れていたが、自分が人を信じなくなったのはこの当りだった
当時、学級文庫は係が貸し出しノートに記載し、返却の際には係に告げ、返却を確認することになっていた
当時人気の本を借りた私も読み終わって返却した
だが、その本がなくなったのだ
人気の本だったので、順番待ちしている生徒多く、ついには騒ぎになった
だが、所詮は子供、最後に借りた人間が犯人であると騒がれてしまったのだ
結局、担任教師も私の話なぞ聞かず、家に忘れてきたのだろうと責め立てられた
当然その教師から親に連絡が行き、家中探させられたのだがあるはずもなく
最終的に親が二冊学級文庫に寄贈するということで話が付いたことを覚えている
教師と親との間でどんな話が持たれたのかは一切知らない
私はこの事件を切っ掛けに借りた本を無くした悪いやつ
という悪のレッテルを張られたまま数年を過ごすこととなった
そして同級生のみならず、教師と親の信頼も信用も同時に失ったのだ
流石に中学校に上がってからは思い出話にも出てこないようなものではあったが、
それ以来と言っては大げさかもしれないが、物の貸し借り、出納には厳しくあたってきた
全てを記録したがる癖はこの時身についたのかもしれない
同級生の贖罪の気持ちはわかるが、これは自分が楽になりたいだけの謝罪であることは明白
子供が似たようなことに巻き込まれてようやく自分の犯した罪の重さに気が付き、
その重さに耐えきれなくなって没交渉の相手に連絡をとってきたのだろう
この同級生に直接謝罪の機会を設ける代わりに子供を同席させる、とか
誠意が見えないと暗喩してみる、とか
色々頭をめぐるものがあるが、そんなことをしてみたところで私の失った信頼と信用と人生は帰ってこない
だが、それを伝えれば、きっと、40年も昔のことを未だに恨んでいる器量の狭いやつと揶揄されるだろう
当時私を糾弾した人間全員に釈明してこいというのも一興かもしれない
結局、私は同級生に返事を書けずにいる
今更謝罪などされても、何も変わらず、私としては胸のモヤが深まるだけだ
同級生の禊を手伝う気にもなれない
子供のことと私のことは別の話であること明白だが、親の因果が子に報いが思い浮かぶ程度には気の毒には思っている
ただ、同級生には今後40年は苦しんで貰うほうがこちらとしても溜飲が下がる思いだ
私は40年目の真実を胸に前に進むことにする
例え残された人生があと僅かであったとしてもだ
少々ポエムチックになってしまったが、家族知人に話せる内容でもなく、
クラスメイトが個々に小さ~い練り消しを作ったり、うまく作れない子が綺麗に作れる子のを
盗ったとかで喧嘩していたので、
「私が大きい練り消しを作るから、皆は少しずつ消しカスを集めて!
大きい練り消しは、私は手間賃として大目にもらうけど、残りは皆に分配するよ!」
みたいな企画を立ち上げました。
学級文庫の棚の横に大きめの缶を置いて、皆がそこにせっせと消しカスを集めてくれました。
ちょっと違うかもだけど、小規模な投資家から広く出資を募って成果をリターンする
という意味では、クラウドファンディングだったんじゃないのかなあ。違ったらすみません。
なお結末ですが、よく伸びる練り消しが作れると聞いて水のりを投入したところ、
https://anond.hatelabo.jp/20180124221748 を読んで現場は大変なんだなと同時にそういうものを書き込んでくださった増田さんに感謝している。
大変そうだけれど、無理しすぎず、ほどほどのところで過ごして欲しい。
それだけじゃ何なので、掲題通りである。
一時期入り浸っていたことがあるので記憶のある限り書いてみる。
小学校は何回か転校していたため、正直各学校の独特の匂いとやけにじめっとした、あるいはやたら日当たりの良い図書室の壁に添って作られた本棚を思い出す。図書カードの置かれたあのカウンターだとか。おとなしそうな図書委員だとか。似たような雰囲気だなあと思っていた。
低学年の頃は授業時間に行く以外では寄り付かず、気が向けば学級文庫か自宅にある本を読んでいた。
その頃好きだったのは大判で、フルカラー写真が多く載っていたこまごましたものが特集されていた本だった。
ただ眺めているのが楽しかった。シリーズで何冊かあったが、色で分類されていたと思う。漢字で書かれていたテキストの部分も気が向けば適当に読んでいた。
不遜な子どもだったので、およそ感想文の類を提出したことがなかった。課題図書もふーんと眺め一度だけ気になったものを借りたか買ったかした程度だった。
自宅では主にオカルトに凝っていた時期だったと思う。魔女とか怪談とかそういうものを読み漁っていた。
なんとなく耳をすませばを思って、半年かけて図書室の本を全部読んでみた。伝統ある学校に比べたら冊数はそれほどでもないと思う。普通教室3部屋程度。読んでみたが読んだはずの本でもおぼえていない本が結構ある。
きっとその頃は読み切ることが目標だったのだろう。それでもいまだにその頃出会った作家で読み続けていたり、何冊も装丁違いで購入した本があることはひとつの宝物だと思っている。
あとすべり止めで受けた私立高校の入試で読んだことのある作品が題材だったのも愉快だった。
そこから高校までで多いときは一晩に文庫8冊。一番かかったのが篠田節子氏のハルモニアで2日だったと思う。
なんとなーく早く読めるようになったりもした。あの数年間は登下校時にも本を手放さなかった。
勉強はあんまりしなかったけれど、勉強せずに中学2年で漢字検定2級が受かる程度には知識も増えた。
当時は図書カードがあったので、誰がどの本を借りたのか分かるのも面白かった。天沢聖司にも月島雫にも出会えなかったけれど。
ここ数年で文庫化された書籍も当時はハードカバーで、月に10冊前後は購入されていた。それを片っ端から読みつつ、すでにあった蔵書も読んでいた。
多感なお年頃なので、性描写のあるものに出会うと成人指定の境界ってどこやねんと思ったりしながら読んだ。(し、本屋に行けば女性向けのBL小説は性描写があっても普通に買えた。謎だ。凝り性なものでそちらもだいぶ読んだがこちらは卒業したかもしれない)(コバルト文庫でも結構あると思う)(基準が謎だ)
野中柊氏のダリアとか、ドキドキしながら読んだ。今思えばかわいいものだ。
後宮小説なども読んで良いのかなと思いながら読んだ。
地元の公立高校で初めて、司書さんという存在を校内に認識した。いつも白衣をまとった女性で、図書館以外にもいるんだなと思った。その学校では希望があればCDなども購入していた。
アングラっぽい写真集や当時走りだったライトノベルを一式入れてくれたりもした。(その後、メディアミックスされた各作品の初版本が揃っていたため、数年後盗難にあったそうだ。嘆かわしいと同時に初版本に価値を見出す感覚がまだあるのだなと感じた)
同時に、遠野物語をはじめとする民俗学やら薔薇の名前やらを借りまくっていた。
学業に励む生徒にとっては、赤本がずらりと並んだ赤本専門の小部屋があるのも魅力だったかもしれない。
その頃は読んだなあというほどは読んでいないと個人的には思っている。
ただ、気になっていた本たちをするする入れてくださった司書さんには当時も今も感謝している。
森博嗣氏のシリーズもいくついれてもらっただろうか。講談社ノベルスがやたら充実していた。
お小遣いでは追いきれない本たちをあの時期に読めたことには感謝しかない。
ちらほらある小説もだいぶ前で時が止まっている。
大型書籍は比較的充実していたが、借りるには重いので閲覧のみとなる。
専門書も同じく時が止まっていた。
半地下で静かで独特の雰囲気が好きだったけれど、およそ学業のための空間ではなかった。
卒業後も利用できるということだったが、生憎地域の図書館の方が便利であった。
今につながる本の思い出。
急接近したり、離れたりしつつも、どんな格好であれ図書室・図書館は存在してくれればいいなと思う。
読む子は何をしても読むし、読まない子は読まない。
ひどいようだがそんなもんだよなと思う。
あるときブログで家族から勧められた本が という記事を見て、自分の家ではない習慣だなと思った。
家の中にある本は読みたいだけ読んだ。隔離されているような本も気になればこっそり読んだ。
教育機関にあったら驚かれるかもという本もリクエストして入れてもらえれば読んだ。
面白かった本を教えてと訊かれたら100冊くらい列挙できた(今はどうだろう?)
それだって、きっかけは耳をすませばだ。(個人的な気質はあるにせよ)
こういう本が読んでみたいなと思って書いたこともある。
作文はからきしだけど、幸か不幸かある程度蓄積があるので大学教員には高評価だったりもした。
もうちょっと器用だったら桜庭一樹氏のようにアウトプットにも使えたかもしれないが、そこに愛が足りなかった。
ルールのあるなか、大変苦しんでらっしゃる元増田さん越しに、学生時代、本を介してお世話になった司書さん司書教諭の先生方には感謝を伝えたい。
思えば、落ち込んで図書室にこもっていたような日もあったと思う。
期限通り返せなくてお手間を取らせたこともある。申し訳なかった。
それでも、「これです」とは挙げられないけれど、人生を形作る何かを図書室から得たと思っている。