
はてなキーワード:学業とは
牧師の息子で、自身も牧師となるために大学へ入ったが、学業は振るわず、卒業はできなかった。
しかしタイタスは学位を持っていると嘘をついて、ロンドン司教から説教免許を得て、父の下で副牧師を務めた。
また「学校教師が男色行為をしている」と虚偽告発し、教師の職を得ようとしたが、嘘がバレるとロンドンへ逃亡した。
1677年、タイタスはカトリックに改宗し、イエズス会の神学校に入った。
そこでもカトリック神学の博士号を取得していると嘘をついたが、ラテン語を使えなかったため虚偽は明らかだった。
神学校から追放されたタイタスはロンドンに戻り、「イエズス会の秘密を探るためにカトリックに改宗したふりをしていた」と主張した。
そしてタイタスは「イエズス会とカトリック教徒たちが国王を暗殺しようとしている」という告発を行った。
最初は信用されなかったが、いくつかの事件が陰謀と結びつけられたことで信憑性を得て、イギリス中が集団ヒステリーのようになった。
当時、王妃や王弟がカトリックを信仰していたことを国民は不安に思っており、タイタスはそこにつけこんだと言える。
数年にわたって、無実のカトリック教徒たちが裁判にかけられて死刑となり、タイタスは陰謀を暴いた英雄としての扱いを受けた。
しかし、やがて熱狂していた人々も鎮静化し、タイタスに疑いを持つようになった。
タイタスは偽証罪によって「終身刑」と「生涯にわたり毎年5日間ロンドンの街で鞭打たれる刑」を課された。
1689年に恩赦を受けて出所したが、世間からは忘れられた存在となっていた。
ただし、名誉革命によりプロテスタントが復権しており、タイタスには多額の年金が支払われた。
1705年に死去した。
https://x.com/sylve_math/status/1977679354231714291
正直学術探究とかに本気でハマってしまって文系で院行くタイプのガリ勉君も相当予後悪いよな
博士課程終わってポスドクになっても非常勤講師で食いつないで行く生活始まるし30代でジュース買うのに悩む生活送ることなるし
根は真面目だから学生時代から政治とかにもハマり出して周りから浮く奴も多いし
デカい声で騒ぐ、パーっと遊ぶとかも嫌いだから人気ストリーマーのゲームイベントで声援送ったりアニサマでブチ上がることもできないし
悲しいのがビンゴに「学術研究してた」「文系で院に行った」「学生の時政治論争してた」みたいな要素が上がってすら来ないんだよ
目を向けてすらもらえないんだよ
https://x.com/rnorno_v3/status/1978001196574195844
こっちの予後良ビンゴには勉強要素は「gpa2.0以上」しかない
gpa2.0って平均ぐらいの成績だ
学業優秀、研究者の素質が高かろうと別に平均的な能力しか求められてないよってこと
予後良とも思えない
「俺は予後悪の根暗陰キャオタクだから…」すらさせてもらえず社会からうっすら「はい、いらないよー。」扱いされる
こんな扱いは苦しすぎる
きっかけは、学生時代にちょっとしたレポートでテキストの単語出現頻度を数えようとしたとき、「あれ、そもそも日本語ってどうやって単語に分けんの?」って疑問が出たところからだ。
英語ならスペースで切れるけど、日本語はそうはいかない。で、いろいろ調べて「形態素解析」って言葉にたどり着いた。
その瞬間にちょっとハマったんだよね。
辞書をもとに文を機械的に切り刻んで、品詞をラベル付けして、統計を取って、構文を推定する。まるで人間の頭の中を数理的に覗いているようで。
そこからMeCabとかJumanとかKyTeaとか、いろんなツールを触った。
Pythonでテキスト処理のパイプラインを組んだり、mecab-ipadic-NEologdを突っ込んで新語に対応させたり。
「言葉を数理で扱える」って発見が、ちょっとした中毒になった。
その頃はMosesとかGIZA++とか、ああいう統計翻訳系のツールも触ってたね。
単語アラインメントの確率モデルをいじって、「確率的に対訳辞書を作る」みたいな遊びをしてた。
とにかく、NLPの世界には「人間の言葉を数学で再現できるかもしれない」という変な魅力があった。
深層学習がまだ主流じゃなかったから、n-gramやHMM、CRFなんかが主戦場で、論文読むたびに確率式の展開を手で追ってた。
最初はPoC(Proof of Concept)しかやらせてもらえなかった。
感情分析とか、Stance Detectionとか、「この文は文法的に典型か非典型か」を判別するための言語モデルの構築とか、エンティティリンキング、質問応答(Question Answering)。とにかくNLPの典型的なタスクを一通り。
学術的には面白かったけど、現場で求められてたのは「論文再現じゃなくて、実用的な精度と速度」だった。
PoCで終わって、実装には至らない案件が山のように積み上がっていった。
あの時期、NLP業界全体が「技術的にはすごいけどビジネスには落とし込めてない」って空気だった。
でもさ、LLM(大規模言語モデル)が出てきてから、世界がひっくり返った。
正直、最初は「Transformerの延長だろ」と思ってたけど、数ヶ月で実感が変わった。
それまでチマチマ特徴量を設計して、分類器を学習して、F値を0.02上げるために夜中までパラメータをいじってたのが、全部一瞬で過去になった。
ChatGPTが出て、蒸留やファインチューニングでほとんどのNLPタスクが置き換えられるようになったとき、「あれ、今までの俺の知識、ほとんど無駄だったんじゃね?」って一瞬マジで虚無になった。
でも、そこで終わらなかった。プロダクション環境を任せてもらえるようになって、推薦システムとかパーソナライゼーションの設計をやるようになって、ようやく「ユーザーベクトルを使う」という文脈でNLPが再接続した。
単なるテキスト処理から、「テキストを媒介にして人間の行動を理解する」方向に進んだ。
埋め込み表現をベースにユーザーの嗜好を推定して、レコメンドやメルマガのパーソナライズをやる。
自然言語はもう目的じゃなくて、インターフェイスになった。そうやって初めて、「NLPがビジネスに食い込む瞬間」ってのを肌で感じた。
PoCなんてやってても金にはならん。動くシステム、回る仕組み、再現性のある成果、それを出せないと、どんなに学問的に立派でも意味がない。
でも、PoCの積み重ねがなかったら、今の設計思想もなかったと思う。無駄に見える実験が、実は土台になってる。
自然言語処理って、そういう「積層的な知識と挫折の積み上げ」が一番の資産なんだよな。
Permalink |記事への反応(15) | 06:37
かつて公立高校の教師をしていた。何年も前に辞めて、今は別の教育業に従事している。その頃の思い出が脳裏によぎることが最近よくある。どこかで書いたら心の整理がつくのではと思った。
なお、この日記は身バレ防止のために、ChatGPTにお願いして文体を変えている。鼻に付く文章があれば申し訳ない。
これから書くのは、最後に赴任した高等学校でのことだ。実は普通の高校ではない。訳アリの子が通うための高校だった。
いわゆる、事情がある子というのがいて、全日制の高校に進学するとか、通い続けるのが難しい。そういう子が通うための学校である。仮にポジティブ学園としよう。
3部制を採用していて、午前・日中・夕方以降の3つの中から、自分にとって都合のいい時間帯を選んで履修できる。早い子だと、普通の高校生のように3年で卒業する。
制服か私服か、自由に選ぶことができる。アルバイトができるし、メイクもピアスも全て大丈夫。髪染めもOKで、ピンクや青髪で学校に通う子もいる。
ここに来る前、私は全日制の高校にいた。地元では人気のあるところだった。毎年冬にある推薦入試の倍率は20倍を超える。そういう学校である。人口だと約40万人が在住する地域だったが、その中でもトップに近いところだった。
真面目な生徒たちに囲まれてたと思う。彼らは偏差値の話もしていたけど、それ以外にも部活動とか友達との交流とか、文化祭・体育祭など、とにかく人としての「生きる力」というか。そういうのに溢れていた。
当時の私は、まだ30代のヒラ教師だった。それが高校生のあるべき姿だと思っていた。学業が一番で、余った時間で部活動その他の自己を高める活動に取り組むのだ。
だが、ポジティブ学園に赴任して、現実を思い知らされた。自分がこれまでに教えてきた生徒らは、いわゆる上澄みというやつだった。毎日学校に通学して、学業や部活動や趣味に打ち込むことができる時点で、高校生としては相当できる方である。
今でも思い出す。ポジティブ学園に通う生徒らは……教室の隅でうつむく子や、理由をつけては学校を休む子。授業など聞く気すらない子、授業中に堂々を飲み食いする子。なんというか、彼らには当時の県教委が教育の柱としていた理念のひとつ、「生きる力の醸成」が通用しなかった。
そうした生徒たちに、私は何もしてやれなかった。何をしたらいいのか分からなかった。ただ毎日、教科書に従って授業を進めるだけ。彼らに対して指示や指導をすることはあったけど、そもそも内容を理解できてるかも怪しい。
一応、入学試験はあるのだが、実質的に全員合格させるスタイルだった。普通の高校に行けない子――そういう子のための最後の受け皿としての役割を、ポジティブ学園は担っていた。
最初に話したとおり、ここは「訳アリの子」が通う学校である。不登校経験者とか、昼間は家業を手伝う子とか、家計を支えるために夜働いている子。様々な事情を抱えて、全日制のレールから外れることになった生徒たちが、自分のペースで学び直す場所だ。
赴任の初日、当時の校長は私に言った。「ここは、生徒たちが『それでも学びたい、高校生をしたい』と選んでくれた場所です。先生の役目は、彼らの気持ちを全力で応援することです」ってさ。
さっきと矛盾するようだが、生徒たちはひたむきだった。普通の高校生と一緒で、やる気のある子はいるし、そうでない子もいる。昼間の授業中、うるさい教室の中でも真剣にノートをとる生徒とか。放課後になると、「じゃあ働いてくる~」といった感じでアルバイト先に向かう子もいた(ほぼ金髪の子だった)。
夜間部の教室だと、疲れ切った顔で教科書と向き合う生徒もいた。全日制の「普通」とは違うけれど、彼らには彼らの「普通」があった。
赴任してから次の年度、就職指導を担当することになった。人生初経験である。私は民間企業で被服の営業の仕事をしていた。泥臭い仕事を約十年やっていたということで、白羽の矢が立ったのだと思われる。
これまでの学校では就職する子や、専門学校に行く子は稀だった。仮にいたとして、実際なんの指導も必要なかった。受け入れ先の企業も「なんでこの学校の子が……」といった顔パスに近い扱いだった。
履歴書の書き方一つとってもそうだ。社会人でいうところの空白期間。不登校だったとか、全日制の高校を中途退学したとか、中学卒業してからフリーターだったとか、あるいは何もしてなかったとか。
そういう経歴を書く場面になると、彼ら彼女らは詰まってしまう。無理もない。これまで何度も、そのことで心を痛めてきたのだから。
私は履歴書を読み直す度に、「君の経験は無駄じゃない。乗り越えた証拠なんだ。学校、来てるじゃないか!」と声をかけた。最初は疑いの眼差しだった生徒たちも、次第に心を開いてくれるようになった。心を開いてくれない子もいたけど、それは致し方ないのだ。
私は教師だから、「いつかは通じるはず。別に今じゃなくても、数年後だっていい」と思って就職指導をした。
秋のある日。就職関係のイベントがあった。「○○圏域 企業と学校の交流会」みたいな名称だった。これは、企業と学校(大学、専門学校、高等学校、専修学校その他もろもろ)のそれぞれの担当者が各ブースで話し合いの場をもつというものだ。
企業からは採用担当者が、学校からは就職支援の担当者が出席する。参加団体は企業だけでも100社を超えていた。学校からは、その地域の学校という学校はほぼすべて出席していた。
ここに、私と校長の2人で出かけた。目的は、企業の方々にポジティブ学園を知ってもらうこと。うちの学校にはただでさえ偏見が多い。少しでも解きほぐす必要がある。
たくさんの企業ブースが立ち並ぶ中、それこそ時間が許す中、多くの企業ブースに足を運んだ。校長自らが話をしていた。約十分ごとに挨拶から始まって、学園の概要説明、どういう子がいるかや、これまでの就職実績など。
そして、いつも最後に、「わが校には、難しい状況にある子が通っています。それは事実です。そういう状況でも、彼らは自分の道を切り開く努力をしています。面接の際に見かけましたら、どうぞよろしくお願いします」と相手先企業に伝えるのだ。
企業の反応は……まあ、社交辞令みたいな感じだった。「わかりましたよ、でもうちの会社の採用対象かどうかはねぇ」という表情だった。
そういう反応になるのも無理はない。ポジティブ学園は、県道沿いの大きな平地にある。昔は地域の伝統校が鎮座していた。少子化で別の学校と合併になり、校舎が空いたところに県教委がポジティブ学園を創設した。
例えば、毎朝の登下校時、いや昼以降の登下校時でもそうなのだが……校舎前の県道には、ダボっとした私服で、髪を染色していて、ひと昔前の不良漫画(今時でいうと薫る花は凛と咲く)の雰囲気を漂わせた未成年が闊歩している。初めてその光景を見る人からすると、「そういう高校なんだ……」という感想になる。
だから、企業担当者がうちの学校に対してそういう態度になるのは、ある種の必然だと思っていた。偏見を持たれてもしょうがないって、当時30代半ばだった自分は感じ取っていた。
そうでない企業もあった。社交辞令とかじゃなくて、真剣にこちらの話を聞いてくれる。というか、むしろ聞きたいという恰好で話に臨んでくれる。
半導体装置を作っている会社がそうだった。その時も、校長は満面の笑みで相手方の採用担当者に熱心に話をしていた。
「○○さんは、福山を代表するハイテク企業でいらっしゃる。我が校にも理系の才能を持つ生徒がたくさんいるんです。どうか、偏見なく見てやってください」
そしたら採用担当者は、少し戸惑った表情になって、「私達を馬鹿にしないでください。もちろんですよ(^^)」と答えてくれた。
それから数年か後のこと。ポジティブ学園の進路実績だが、創立当初からずっと変化はなかった。大学進学者だと地元にある限りなくボーダーフリーに近いところか、地元の専門学校、地元の民間企業だった。そもそも、ここまでたどり着ける子自体が少ない。入学した子のうち1/3以上は中途退学してしまう。
その年のことはよく覚えている。3年生に1人の生徒がいた。名前は仮にケンタとする。プログラミングが好きな子だった。授業中も休み時間も、ずっとPCの画面とにらめっこしていた。授業中にも堂々と副業的なことをしていたが、単位は取っているので見逃していた。
ケンタは、数学や情報処理の成績が抜群だった。数学の問題でも、いつの間にか自分で勝手にアレンジして、勝手に問題を解くようなプログラムを組んだこともあった。
それを友人に共有しようとしたが、難しい様子だった。能力・興味的な部分もあるし、自分だけのノートPCを持ってる子が少ないのもある。
ケンタは中学校の時は不登校だったらしい。原因は、特定の誰かからいじめられたわけではなく、「教室という空間がなんか違うと思った」からだと言う。
大人だったら「息苦しい」ということになるのだろうか。全日制の高校には行きたくないと、自らこの学校を選んだ。
私は、彼の才能を埋もれさせてはいけないと思った。彼とは幾度となく話をしたけれども、ただ生きにくい性格であるだけで、才能はあるのだ。
私は就職戦線が始まる直前にケンタを呼んだ。「この会社を受けてみないか?」と誘ってみた。さっき上の方で話した半導体装置の会社である。半導体以外にも、ディスプレイや機械制御装置も手がけていた。
ケンタは驚いたような、呆れたような様子だった。「知らない会社ですけど、半導体には興味ありますけど、無理だと思います」と言ってた。
「お前はできる。この会社は理系の才能を求めてるし、才能を正当に評価してくれる」
と言うしかなかった。実際、私の出身地域では評判の高い企業だったし、2025年現在では全国的に知名度のある企業にまで成長している。
強引に進めるしかないと思った。何しろ、ケンタは卒業後の進路を決めてなかった。とりあえず先延ばしにしている印象だった。
そこで、ケンタをどうにか説得して、彼の履歴書を添削して、推薦状も書いた。履歴書には、不登校だった過去も、ポジティブ学園を選んだ理由も正直に書かせた。彼のプログラミングに対する情熱を備考欄にこれでもかというほど書き連ねるようにした。
面接練習のとき、ケンタは口ごもることが多かった。相手の目を見て話すことが苦手だった。コミュニケーションが苦手なタイプ。正直、公式な場での会話が難しい子だと思う。
けれど、たどたどしい感じになっても、自分の思いはちゃんと伝えてくる子だった。
「大丈夫だ。プログラミングの話になったら、お前はきっと大丈夫」
※AtCoderで最高位に近い色だった
私はそう言って、彼を送り出した。自分には確信があった。あの会社は、肩書きや学校名じゃなくて、実力で人を判断する会社だと。あのイベントの時、うちの校長の言葉に耳を傾けてくれたんだって。
約一か月後、職場に電話がかかってきた。あの会社の採用担当者からだった。胸がざわついた。
以下、話の内容である。言葉の感じも、当時の手帳を元に大体そのままにしてある。
「あの、ケンタ君の件で、社内で検討を重ねた結果、今回は採用を見送らせていただくことになりました」
「なぜですか?」
「プログラミングのスキルは、正直高いです。うちの主任技術者も高く評価しました。ただ……」
※この時私は、苛々とともにペンをカチカチしていた
「ただ、入社後のサポート体制を考えた際にですね。彼が当社の環境に馴染むことができるか、という点に懸念が残りました。不登校経験があるということも、正直に申しまして、入社後のメンタル面のリスクを拭い切れませんでした」
「それは、偏見ではないのですか?」
言ってしまった!と心の中で後悔した。先方の声が少しだけ硬くなった。
「そう言われても仕方ないかもしれません。しかし、会社の事情があります。我々もギリギリまで議論を重ねました。安易な気持ちで彼を採用して、もし彼が再び辛い思いをすることがあれば、それはお互いに不幸です。今回は本当に申し訳ありません」
電話が切れた後は、多分……しばらくボーっとして、職員室の椅子に座ったままだった。
あの時はこう思った。やっぱり、ポジティブ学園の子はそうなんだ。どんなに才能があっても、過去のレッテルから逃れられない。あの日イベントで抱いた期待を裏切られた気がした。
だが、その後の日々で、冷静になって考えてみた。
採用担当者の言葉に嘘はなかった。彼らは、私が抱えていた不安を彼らなりの言葉で伝えてくれただけだ。
採用すれば良いというわけじゃない。無理に引き受けて、彼の心の傷をさらに深くしてしまうかもしれない。
そう考えたとき、彼らの不採用という決断は、ある意味、生徒のことを真剣に考えてくれた結果なんだと思った。
むしろ、偏見だと決めつけて、彼らに向き合わなかった私の方が……傲慢だった。
ケンタに不採用の知らせを伝えると、しばらく沈黙が続いたっけ。
「そうですよね~僕みたいなのが、あんな会社は無理ですよね」ってケンタが言うと、心にグサッときた。
「ごめん」としか言えなかった。生徒に謝る事態なんて、教師として三流以下だと思った。
ここまでがポジティブ学園での思い出である。それからケンタは、遠方にあるコンピューターの専門学校に進学した。私が様々な方向性を提案して、ケンタと話をした結果、彼が自ら考えて決断したのだ。
ケンタが高校を卒業して、何年もの月日が経った。最初のうちは、メールで年に何度か近況報告をもらうこともあった。プログラミングがやっぱり楽しくて、大会にも出場しているといったことだった。
やがて、やり取りをすることもなくなった。それは彼がナニカに集中するようになったからでは、と心の中で期待していた。やがて、ケンタのことを思い出すこともなくなった。
ある日、一通のメールが届いたのだ。ケンタから。内容は、就職先の内定のことだった。「報告があるのですが、○○(※あの半導体の会社)に内定をもらいました」という端的な文章だった。
「うわっ!」と、思わず声を上げてしまった。その端的な文章の下に、いろいろと書き連ねてあった。彼らしく、無駄が一切ない文面だった。
要約すると、専門学校で就職インターンシップに申し込む際、事前説明会があったとのこと。参加した時、人事の方に「ケンタ君だよね?ポジティブ学園の」と声をかけられたという。
「あの時の採用担当者の方が僕のことを覚えてました。『あの時よりも自信に満ち溢れている』って言われました。」
「専門学校で、僕はプログラミングのスキルだけじゃなくて、コミュニケーション能力も、人との関わり方も学びました。飲食店でアルバイトもしました。おかげで、あの時よりも、面接で自分の言葉でしっかり話すことができたんです。あの時、もし会社に受かっていたら、僕は挫折していたかもしれません。…(中略)…でも、先生が僕の可能性を信じてくれたから、僕を諦めなかったから、頑張ることができた。本当に、ありがとうございました」
キーボードを触りながら、返信しようと思いつつも、手が震えてうまくできなかった。
私はあの時、半導体の会社を偏見で判断した。ポジティブ学園の子だから、そういう目で見たんだろうって。そして、生徒の可能性を信じきれず、不採用という結果に囚われた。
でも、本当にケンタに向き合ってくれたのは、彼らの方だった。再認識させられた。成長したケンタを、あの人達は今度もまたちゃんと見て、採用という判断をしてくれた。それだけだ。
ここで結びにする。
あの学園にいた時は、生徒たちの「訳アリ」の部分に目がいってしまうことがあった。でも「訳アリ」なのは、過去の物語によって起きた結果にすぎない。彼らは皆、自分の人生を懸命に生きている。できる子がいたし、できない子もいたけど、未来に向かって進もうとしていた。
私はもう学校教諭ではない。けど、あの頃は就職指導の先生としてだけじゃなく、人として彼らの未来を信じて背中を押し続けたつもりだ。
自分は応援団のひとりに過ぎないと思っていた。でも、応援された生徒は、やがて自分で未来のことを考えて、切り開こうとチャレンジする。そういう人になってほしいと願っていた。
今は、別の形ではあるけど、若い人にものを教えている。学校と違って、純粋に実務上の知識や技術を教える仕事である。
これからも、誰かの未来を応援し続けようと思っている。それが、訳アリの子の就職指導をしてきた、自分にできる使命なんだと思ってる。
https://anond.hatelabo.jp/20250930160407
「そのために労働条件よくすればよくね?」
に丁寧に答える
女性は80〜88%くらい
https://www.jil.go.jp/kokunai/blt/backnumber/2025/03/c_01.html
育休を考えると、かなり限界に近い
専業主婦が居る現役世帯は566万世帯で、全体の23%にあたるが、独身を含めたら生産年齢の女性の15%くらいだ
https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r04/zentai/html/zuhyo/zuhyo02-15.html
一応、「無理やりひねり出したら女性の余力があと5%ある」と考えておこう
3300万人×0.05=165万人
現在、65〜69歳の就業率は2023年に53.5%で過去最高
今後、この層の就業率は上がっていくだろう(5年で4%くらい)
(740万人の4%は37万人)
70〜74歳も34.5%働いている
https://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2024/html/zenbun/s1_2_1.html
だいたい70%がアルバイトをしている
が、まあ捻り出してもう5%働いてもらうとしよう
>就業者数は6850万人。前年同月に比べ55万人の増加。36か月連続の増加
これは女性やシニアが増えているのが大きそう、インフレで働かないと暮らしていけなくなったのかも?
https://www.stat.go.jp/data/roudou/sokuhou/tsuki/index.html?utm_source=chatgpt.com
さて、めちゃくちゃ働いてる勤労日本人だが、まだ余力がいくらかあるね
次の15年でこのくらい追加で働いてもらうとしよう
合計 292万人/15年
ざっくり5年あたり100万人
2025年 7484万人
2035年 7076万人(▲408万人)
2040年 6727万人(▲757万人)
というわけで、めちゃくちゃ減るので「女性、学生、シニアの余力を総動員して」なんとかなるのがせいぜいあと5年ということがわかる
ちなみに、この生産年齢人口(20〜69歳)における、60代の割合はこうなる
2030年 21.8%
2040年 25.7%
このまま増えるとすると
5年で115万人
15年で345万人
20年で460万人
| 年 | 労働者数(万人) | +捻り出す余力 | 外国人 | 合計 |
| 2025 | 6850 | - | - | 6850 |
| 2030 | 6688 | 100 | 115 | 6903 |
| 2035 | 6477 | 200 | 230 | 6907 |
| 2040 | 6157 | 300 | 345 | 6802 |
| 2045 | 5697 | 400 | 460 | 6557 |
こう考えると国はようやっとる
今の外国人労働者数の増加数は、当面多くも少なくもない
まあまあ、気持ちは分かるが
たぶんAIとか全力で使ってトントンだと思うよ、今の雰囲気を見るに
なんか上手く行って労働者が余ったら、外国人・老人・学生・主婦が働かなくなるだけで調整できる、むしろそうなってほしい
(外国人や老人などが調整弁の役割になってるわけだね、そういう制度設計も必要になる)
女性や老人や学生を入れてなお足りないから、足りない分外国人を計画的に入れてる感じですね
でも長い歴史で見ると、ソッチのほうが主流なんだよね
___
345万人増えたら、東京でおそらく+70万人だから、徐々に問題が顕在化はしていきそう
生産年齢人口が▲1260万人、2040年から5年で500万人も減るんだよね、その時にもしイギリスやドイツみたいに「1年に100万人外国人受け入れる」となったら今のEUの悲惨な状況みたいになる
(ちなみに今の出生数が70万人くらいだから、20年後、このままでも「若者70万人に対して増える外国人が20万人」というエグい状態になる。というか例えばイギリスは20歳の人口が72万人のところに移民100万人くらいぶち込んだわけで、そりゃ荒れる)
経済をシュリンクしろとか省エネで頑張れとかAI使えとか、そういうのは国は一旦後回しにしてるんだと思うんだけど、10年以内にどうするか決めておかなきゃいけない
しかし、移民政策って今国会を通さないでこっそり決めてるらしいからそれが何より問題だと思う(たぶん俎上にあげると決まらないんだろうね、右翼っぽい政党も出てきたし)
ずっと議論ができない空気だったらこのままこっそり決める流れになりそう、そしていつか壊れる
ちなみに日本の移民=外国人定住者の実態はこの動画が一番詳しかった
h ttps://www.youtube.com/watch?v=DkctET5zi0w
___
人口が減るから労働者はそんなに要らないんじゃないか、という指摘は一部そうかもしれない
2040年は2025年に対して8.5%減るから、これがどう労働市場の需要に影響を与えるかわからない、ひょっとしたら要らないのかも?あるいは経済成長するには要るのかも?今って前提の戦略すら議論されてないからね
ただ産業毎の濃淡は確実に出る(建設や介護は不足する、ブルーカラーは全体で不足する)
___
一応これは「労働力足りないなら女性やシニアや学生でよくない?」に対する回答ならびに国の方針の予想であって
「移民をどの程度受け入れるべきか?」「そのためにどうするべきか?」「労働需要は維持されるのか?」みたいな議論は別途あると思います
そっちの方が重要だとは思うんですけどね
Permalink |記事への反応(46) | 01:44
新dorawii人おめでとう。今日、君はどんな服装をして、どんなレスバへ行ったのだろうか。たとえどんな増田についても、君がマスを掻いてくれることを希望する。冷やマスだってかまわない。君は今、空っぽの脳みそ君なんだ。空の頭蓋と言ってもいい。君の頭蓋は萎縮していく。学業優秀などというのは高が知れている。誰だってすぐに覚えられるほど社会の、世の中の、論破というものは簡単じゃない。要領など覚えなくていい。小器用にこなそうとしなくていい。それよりももっと、肝心なことがある。それは増田の珍棒に触れることだ。たとえどんな仕事であれ、その増田が存在する理由がある。珍宝主義というが、玉を儲けることがすべてのものは、増田なんかじゃない。増田の珍棒は、自分以外の誰かのためにあると、私は思う。その珍棒に触れ、熱を感じることが大切だ。増田の先走りは、その情熱が出させる。珍棒に、肝心に触れるには、いつもベストをつくして、自分が空っぽになってむかうことだ。それでも空っぽの脳みそ君、愚痴も出るし、斜めにもなりたくなる。でもそれは口にするな。そんな夕暮れは空っぽの増田に、レスバの雨を注げばいい。そこで嫌なことを皆吐き出し、また明日、空っぽにして増田ればいい。案外と増田は話を聞いてくれるものだ。
東大などのトップ大学における男性過多を「男性の方が変動幅が大きいから」と説明する論拠には、以下の重大な問題点がある。
ノルウェーの出生体重や大学試験成績など非常に特異な集団・環境を対象にした分析結果を、「世界中の学術・芸術分野すべてに当てはまる普遍的事実」として拡大解釈している。
これゆえ、特定の地域・時代の統計をもって「ヒト全体」に一般化するのは科学的に許されない。
論文は身体的特徴(体重、身長)、運動能力、試験成績などまったく異なる性質の指標をまとめて「ばらつきが大きい」としている。しかし、
ばらつきの「幅広さ」と「裾野の深さ」を混同し、さらに多様な特性を一つにまとめて性差の大きさを誇張している。
「XYヘテロ型のオス」でばらつきが大きくなるとする説明は、色覚異常や血友病のような遺伝性疾患には当てはまるが、
性染色体のヘテロ/ホモ構造だけで「極端な上振れも下振れも生じやすい」と断定する理論的根拠は脆弱で、遺伝学的・発生学的な検証が不十分である。
性別による役割期待や教育格差、職業選択のバイアスが、トップ層の男女比に大きな影響を与えている可能性が高い。
性差を「生理的メカニズム」の問題に還元することで、制度的・文化的な不平等の存在を隠蔽してしまう。
社会的・文化的要因の無視をさらに深掘りすると、以下のポイントが浮かび上がります。
まず、幼少期からの学習環境の違いが、後の「ばらつき」に決定的な影響を与えています。家庭内の期待や親の投資配分は、性別によって顕著に異なる場合が多い。たとえば理系分野で活躍を期待される男子は、高価な理科実験キットやプログラミング教材を与えられ、失敗しても挑戦を奨励される。一方で女子には「文系的教養」が勧められ、数学や物理に触れる機会が圧倒的に少ない。その結果、男子の中には極めて高いスキルを身につける者が現れる一方、まったく興味を示さずに学業でつまずく者も出る。この二極化が「ばらつきが大きい」というデータに結びついてしまうのです。
次に、学校・職場といった集団のダイナミクスも見逃せません。模試や入試といった競争場面で、男子は「勝たねばならない」と自らを駆り立てる文化的圧力を強く受けがちです。敗北をさらけ出すことが「男らしさの否定」とみなされるため、一度挫折すると周囲から隔離されやすく、それが学力面での極端な没落につながる。一方でトップ層へしがみつく者は、同級生からヒーロー扱いされることでさらに奮起し、驚異的な成果を生み出す。女子は競争表現を露骨に避ける傾向があり、平均的な成績で落ち着くケースが多い。これも「男性のほうが裾野が深く頂点も高い」という印象を社会が強化してしまう構造です。
さらに、キャリア段階におけるメンターシップの差も大きい。男性上司や教授は後進の男性を「自分の後継者」として積極的に引き上げ、研究資金やプロジェクトを配分する。一方で、女性研究者や技術者には「適性がないかもしれない」という先入観から重要なポジションが回ってこない例が後を絶たない。このような構造的な支援の偏りが、極端な成功例と極端な挫折例のどちらにも男性ばかりが現れる原因となりうるのです。
最後に、メディアとポピュラーカルチャーの影響です。天才プログラマーや偉大な物理学者として取り上げられるのはほとんど男性であり、その物語が「努力+才能」という二項対立のフレームで語られる。視聴者は「すごいのはやはり男」という刷り込みを受け、成功の頂点にいるのは当然男性というイメージを強化する。すると、女性自身がハイパフォーマーになる可能性を最初から切り捨て、失敗したときの言い訳を見つけやすくなる──これもまた、性別内のばらつき幅に見える現象を社会が生み出しているにすぎません。
つまり、「男性の方がばらつきが大きい」という統計的観察は、純粋な生理的メカニズムだけでなく、家庭・教育・職場・メディアという多層的な社会構造によって作り出された結果を映し出しているに過ぎません。このことを見落としてしまえば、性差の背後にある不平等な制度や文化を是正する機会を永遠に失ってしまうのです。
以上のように、ばらつき性差仮説はデータの一般化・指標の混同・単純化された遺伝メカニズム・社会文化的要因の無視といった致命的な欠陥を抱えており、「男性の方がばらつきが大きいからトップ層が男性だ」という論拠としては説得力に欠ける。
なんか嫌われてるっぽい、いや別にいいんだけど、嫌いなこと隠さないのも若くて素直で良いんだけど
自分が無視したいときは業務的な連絡、会話でも無視しまくりなのも徹底してんな~と感心する、でも自分が不愉快だと思ったらガンガン言ってくる、その心意気あっぱれである
しかし君はバイトで私は社員なわけで、業務内容も全然違うし任せられない業務もあるし、てか社会人15年やってるおばはんにマネジメントや売上数字や振る舞いについて冷笑まじりにアドバイスするのは狭量すぎてびっくり心配になるよおばはんは、自分の私服を笑われたときは古いギャルソンはダサいのだなと申し訳なく思ったが
彼女は私立大学で学費を稼ぐためにバイト戦士?らしいけど留年の危機?で職場の偉い人に、留年しても雇い続けてほしい的なこと涙目で言ったら、人員は足りてるし一旦学業に専念するためにも辞めたほうがいいよとやんわり断られて周りの大人がそうねえ…と納得する中、困る!余ってる人を辞めさせたらいいのに!と私を指さすから爆笑してしまった
幼くて経験も少ない中、彼女が業務も人間関係も学業も試行錯誤している姿は本当に微笑ましい、報われてほしいとも思う
私も10年以上前こんな時期があったのかなと思いを馳せたが、学生バイトを頑張った記憶はあれど30代のお姉さま方に敵意を隠すことなく余すとこなく向けたことはないなと思う
憐れんでしまう、私は未婚で子供もいないので幼い気持ちや思考回路が古い自身や妹らの記憶しか参照できない、彼女はどうしてそんな気持ちを抱えているのか
私を嫌うのは全然良いから、私より変な人もたくさんいるから、私を人生のステップアップにして嫌いな他人に対する受容の幅を広げてほしい、かわいそうなみみちゃん
公開当時、ティーンの間で社会現象的に語られた青春ラブストーリー。
舞台はごく普通の地方都市、ミセスグリーンアップルをガチ恋レベルで推している女子高生が、バ先のスタバでアルバイトを始めるところから物語は始まる。
彼女は推し活と学業を両立するつもりが、ノー勉で迎えるテストや、タコパに呼ばれる友人関係に翻弄されていく。そんな中、同じシフトに入る年上のスタッフに惹かれ、インスタのDMを開いては送れず消す日々を繰り返す。
痛バを抱えて出勤する姿をクラスメイトに見られたり、クソデカ感情を抱えながらも必死に隠そうとするが、次第に好きバレしていく。ワンチャン告白できるのではと思い詰める瞬間もあるが、恋は決して成就しない。
映像は淡々としていながらも、沼に落ちるような感覚を観客に与える。音楽にはミセスグリーンアップルの楽曲を思わせるオリジナルスコアが流れ、彼女の内面を切なく彩る。
恋が報われない痛みを瑞々しく描いたことで、同世代の共感を集め、公開後は「青春映画の新しい形」として長く語られることになった。
ぜんぜん苦労してない人生生きてきたからそういうのなんかよくわかんないです
社会的地位の高い両親のもとに生まれて、学業もスポーツもなんも苦労しないだけの才能に恵まれて、普通にそれなりの大学に進学して、普通に最高のパートナーと恋愛結婚して、やりがいも収入も十分だけど忙し過ぎない程度の仕事に就いて、かしこくてかわいい子どもを授かって、なにひとつがんばった経験も無いけどすごく幸せに生きてるんで
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.chunichi.co.jp/article/1118418
まあ記事の「寄せ集め」は「選りすぐり」の間違いだろうけど、それ以外のツッコミしてる皆さんは2分間憎悪かなにか?
91スター。
サッカーとかフィギュアスケートとか陸上とか、学校・クラブチーム・団体等に集めて選手を強化しているスポーツなんて高校野球以外にもいくらでもあるし、その事情で学校選ぶ事例なんていくらでもあるでしょ。スポーツ以外でも学業や芸術など特定分野に特化した学校だってある。高学歴エリートな多くのブクマカの皆様だって学業特化した学校にいったはず。なんで高校野球だけ叩くのか?
53スター。
学校が選手に金払ってるわけではないと思うけど、このブコメした人やスターをつけた53人は断定して大丈夫?このコメントは、「横浜高校は金で集めてる」って主張してるに等しいと思うんだけど本当にそんな主張して大丈夫?
この試合の審判の判定への過剰なバッシングを見て恐ろしさを感じた。大多数が無関係の人らだろうに、なぜそんな高校の一野球の試合でそこまで審判を罵倒することができるのか。スポーツ観戦の怖さだなぁと
16スター。
無関係の人たちだろうに、なぜこんな広陵の不祥事と無関係の記事でさえ高校野球を罵倒することができるのか。高校野球憎悪の怖さだなぁと
元々性欲が強く、10代の頃から自分の意思でエロ垢を運営しプチ援、サポみたいなことをしていた。
顔にコンプレックスがあり、大学進学を機に一人暮らしを始めてからは当時流行っていた韓国での整形をするためにお金を貯めるぞ!と学業の合間を縫っては出稼ぎに行ったり地元でも少し働いたりしていた。
整形にある程度満足した時期とコロナが重なり1〜2年は夜職と関わりがなかったが、就職で上京してからはまた風俗店で働き始めた。
体力にも自信があったし忙しい方が好きだったので、平日は9〜18時で働いて19〜2時まで出勤、たまにソープにも出ていた。
一応ちゃんと納税していて、そのせいで税金関連で色々バレるのが怖かったので、入籍時期から逆算して1年ぐらいは店に所属せずクリーンな時期を作った。性病うつすのが怖かったのもある。
元客からちょっとお金もらったりはしてたけど相続税にひっかからない程度。
現在産休で暇になり、正直バレないのであれば妊婦や母乳の専門店で働きたいという気持ちが芽生えてきた。
普通の仕事も楽しいけれど、なぜか性風俗で働きたいという気持ちがある。
こういうのって精神科に行けば治してもらえるんだろうか。性依存なのかな?
調べてみても利用側の依存に関する記載はあっても働く側のエピソードなどはほとんど出てこないから気になっている。
両親との関係は、よくはなかったけど流行りの毒親ってほどではない。子供の頃は過干渉すぎると怒っていたけど大人になったら親の気持ちもわかるな、と許せてきているし今は里帰りとかも考えるぐらい改善した。
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2025年、モータースポーツ界で最も注目される若手ドライバーの一人がオスカー・ピアストリだ。
現在F1世界選手権をリードする24歳のオーストラリア人は、単なる速いドライバー以上の魅力的な人物である。
冷静沈着でありながらユーモアに富み、
現代のグローバル社会を象徴する存在として多くの人々を魅了している。
氷の心臓を持つ男オスカー・ピアストリが他のスポーツ選手と最も異なる点は、
彼の落ち着きぶりは伝説的だ。
「初勝利...わお」
多くのドライバーが感極まって叫ぶ中、
と彼は語っている。
5つの国の血を引く国際人ピアストリの文化的背景は極めて多様だ。
母方からはスコットランドとアイルランド系の血統を受け継いでいる。
「曾々祖父が中国人だから、これで1/16中国系ってことになるかな?」
と追加するなど、
同社は時価総額350億ドル(約5兆円)の企業に成長している。
クリスはオスカーの幼少期から彼のカート時代のメカニックを務め、
息子の実力を信頼している。
彼女のウィットに富んだツイートはF1コミュニティで話題となり、
しばしばオスカー以上の注目を集める。
ピアストリの motorsport人生はラジコンカーから始まった。
6歳の時、父親がアメリカ出張で買ってきたラジコンカーに夢中になり、
9歳で全国チャンピオンになった。
注目すべきは、彼が20代や30代の大人たちを相手に勝利したことだ。
この経験が彼の手と目の協調性、そしてレーシング本能を育んだのである。
ピアストリのもう一つの特徴は、学業と競技の両立を図ったことだ。
この経験について彼は
「選択肢は2つあった。
寄宿学校を選んだのは振り返ってみて正解だった」
と語っている。
それが重要だった」
と彼は回想している。
彼のA-levelの科目は数学、物理学、コンピューターサイエンスで、
「ドライバーになっていなければエンジニアになっていただろう」
と語っている。
ピアストリは17歳の時から交際している恋人リリー・ズナイマーとの関係でも注目されている。
と説明している。
と質問された際、
「結婚を選ぶ。ガールフレンドが喜ぶと思うし、タトゥーを入れたら彼女がもっと怒るだろう。僕もタトゥーは欲しくない」
ピアストリにはハッティー、エディー、メイという3人の妹がいる。
特に母ニコルのSNSでの活動は彼のファンベースを広げる要因となっている。
また、2019年からは元F1ドライバーのマーク・ウェーバーが彼のマネージャーを務め、F1界でのメンター役を果たしている。
「マークと奥さんのアンが僕を支援してくれている。彼らの経験と知識は計り知れない」
と感謝を表している。
この mentor関係は、ピアストリの冷静さと戦略的思考を育む上で重要な役割を果たしている。
効率重視のミニマルライフピアストリの日常生活は効率性と簡素さが特徴的だ。
朝は「出発の10分前に起床する」という徹底ぶりで、
髪型についても「自然にこうなる。何もしない。朝は睡眠を優先したい」
と語っている。
飲み物の好みも独特で、コーヒーでも紅茶でもなくホットチョコレート派だ。
休日の過ごし方について
「午前11時か、それより遅くまで寝たい。ソファでくつろいで、シミュレーターをやったり、ビデオゲームをしたり。それだけかな」
「僕はあまり外出するタイプじゃない。適切な心持ちになれるように時間を取っている」
「日曜版の新聞が大好きだ。
日曜版の新聞や特定の雑誌は、しっかりとした調査に基づいている」
と説明している。
「つまらなくても最後まで読む。全部読まないと判断できないし、読み終えないと罪悪感を感じる」
と語っている。
この完璧主義的な側面は、彼のレーシングにも表れている特徴だ。
レース以外の時間も、ピアストリはiRacingというシミュレーションゲームで練習を続けている。
「普通はiRacingをやる。それが僕の好みのレーシングゲーム。
コール・オブ・デューティーもしばらくやってないけど、それが僕のもう一つのゲームかな。
新しいWRCゲームもダウンロードして、とても楽しくて反応力のトレーニングにもなっている」
と語っている。
自宅には本格的なシミュレーターがあり、
GT車から下位フォーミュラカーまで様々な車種を運転している。
「レースをしていない時は、おそらく家のシミュレーターにいる」
「会ってみたい人のトップ」だという。
Netflixのドキュメンタリーシリーズ『TheLast Dance』を見てジョーダンの献身性に感銘を受け、
「同じレベルまで努力する人はいない。完璧への飽くなき追求こそが、良いドライバーと伝説を分ける」と語っている。
5つの国の血を引く多文化的背景、ラジコンカーから始まった異色のキャリア、寄宿学校での人格形成、そして史上最も冷静とされる性格と独特なユーモアセンス—これらすべてが組み合わさって、ユニークな人物像を作り上げている。
彼の生き方や価値観、家族との関係、恋人との長期交際、そして文化的適応力は学ぶべき点が多い。
効率的でミニマルな日常生活、読書への愛情、テクノロジーとの適度な距離感、そして常に学び続ける姿勢は、現代社会を生きる多くの人々にとって参考になるだろう。
24歳にして既に世界の頂点を目指すピアストリの物語は、才能と努力、家族の支え、そして何より自分らしさを貫くことの大切さを教えてくれる。
彼の冷静さと温かさを兼ね備えた人柄は、高圧的な競争社会において新しいリーダーシップのモデルを示している。
F1の世界チャンピオンを目指しながらも、地に足の着いた人間として成長を続ける彼の姿は、多くの人々にインスピレーションを与え続けるだろう。
はてな匿名ダイアリーと同様、匿名のSNSでは大小便を漏らしそうになっている人の実況が見られる。中には電車の中で漏らしてしまった人もいる。気の毒なのでタイトルは秘す。
みんな匿名だとウンコ漏らし報告にためらいがない。誰かに聞いてほしいけれど、誰だかは絶対に知られたくない。人は匿名ゆえにウンコ漏らしが報告できる。
なお、大抵一人称は「我」なので、性別は増田以上にわからない。というか、偽中国語という特性上、文体から性別をはじめとした属性を特定することがほぼ不可能になっている。
【追記】
本日排便報告会というトピックが毎日のように立つ。結構書き込みが盛り上がっている。なぜ!?
大分定着してきた感じがある。
増田のパンティー改変・リプライに似ており、脈絡なく枝豆とだけ返信したり、枝豆を交えたコメントを残す。
最近よく見かける。過去の投稿によれば、一級建築士で自分で建築した木造のお宅にお住まいだそうだ。ただし、蝉という設定を踏襲しているとしたら、単に木に住んでいるってことを言っているだけなのかもしれない。
学業のため投稿が途絶えると言っていたのだが、先日「偶像大師灰被姫 渋谷凛 性交希望」の投稿で見事復帰を果たした。ただし、直近の投稿はこの一回だけである。それにしても、アイドルマスターのキャラクターを全員列挙したらどうするつもりなんだろう。
「性欲爆発!」と投稿する。
同一投稿は増田でもよく見かけるが、どういうわけか性的なものが多いようである。夏なので気持ちは理解できるが、投稿の際には「差別、暴力、猥褻表現投稿不可理解?」と聞かれているはずである。
本人曰く、もともとは同じく味噌菌を購入できたと投稿した人を探すための投稿だったが、いつの間にか自分の生存確認に使い始めたとのこと。かくて同一投稿兄貴が爆誕する。
ラブライブのモバイルゲームのキャラらしい。「宵崎奏 非常可愛」と違って、特に感想もない。
久し振りに見た。
古事記の原文らしいものをを延々と投稿している。現在黄泉の国からの帰還を扱っている。
以上である。
こうして定点観測していると、はてな匿名ダイアリーとの意外な共通点が浮かび上がってきて楽しい。
思い出のほとんどが、それに関してのみ。
約四半世紀前のことであるが、暇なのでいろいろ綴っていこうと思う。
「大人(っぽい)」 「制服」 「青春」 「怖い先輩がいる(いそう)」
「給食ではなくなる」 「定期テストがある」 「授業に英語が加わる」など。
非常に大きな、そして大切なステップのように感じていた。
私はその地域の8~9割の生徒がそうしていたように、
このS中学校へは「C小学校」と「H小学校」の2校から進学していた。
どのような経緯であったかはよく覚えていないが、私はソフトボール部に入部した。
小学生の頃に母親がママさんバレーのソフトボール版のようなことをしていたため、
他のスポーツに比べて少しだけ身近に感じていたところはあった。
別にスポーツに取り組みたかったわけではないし、他にも運動部はあったのに。
子供会の延長のような感じで、友人と、じゃあ…入る?みたいな、軽いノリだったと思う。
その友人の母親もママさんバレーのソフトボール版のようなことをしており、交流があった。
集まった同学年の女子の「C小学校出身者」と「H小学校出身者」の比率は半々くらい。
出身小学校に関わらず徐々に打ち解け、チームメイトとなっていく。
入部したのは10名くらいであったが(最終的には7名になった)、1名を除き、未経験者だったと思う。
その1名は、小学生の頃に女子でありながら地域の野球チームのようなものに加入しており、
私はグローブもバットも使ったことがなく、ルールやポジションも知らないド素人であったが、
顧問の先生や1学年上の先輩方に丁寧に指導してもらいながら基礎を身につけていった。
先輩方は当時8名であり、先輩方に同学年の経験者のチームメイトを加えた9名がレギュラーであった。
1学年上というだけでこのようにあまりにも違うのかというほど、皆、女子としても、プレイヤーとしてもかっこよかった。
5時頃:起床
6時頃:学校へ到着
6時半~8時頃:朝練
昼休み:昼連
はっきり言って現在の会社員としての就業よりも過酷な生活であった。
週末も練習や練習試合の連続であり、休日にゆっくり休んだ記憶がほとんどない。
中学生の途中で週休2日制が施行されたが、土日のどちらも遠征して練習試合だったこともある。
小学生の頃は太り気味であったが、みるみるうちに瘦せていき、生活習慣も体も運動部に馴染んでいった。
また当時は日焼けや紫外線の対策を碌にしておらず、本格的な夏が来る前には焼けていた。
元来の性格のためか、取り巻く環境が原因かは定かではないが、ものぐさであり、いつ頃からか内心嫌々取り組んでいた。
ただ時間まで何となくやり過ごす日々の繰り返しであり、自分の意志で部活を選択したのに、なんとも情けなかった。
特殊な環境かつ人数もさほど多くなかったため、チームメイト達とは距離が近く、関係性もおおむね良好であった。
数少ない余暇の時間も共に過ごし、よく愚痴をこぼしていたが、私とは違い、皆名プレーヤーだった。
皆と同じように教わっていたはずだが、基礎が身に付く以前からそもそも運動音痴でセンスがなかった。
一時期、伸びたと褒められた時期もあるにはあったが、全体的にパッとしなかった。
私は根性なしのうえスキルもない、だたのポンコツ部員だったのだ。
しかしチームメイトは除け者にせず、一部員として好意的に接してくれていたので感謝している。
顧問の先生(男性)は当時、現在の私と同じくらいの40前くらいだったと記憶している。
とにかく熱血で、良く言えば指導熱心、悪く言えばスポーツ○カのような人だった。
何代か上の世代は市だか県だかのそこそこ上位まで登り詰め、
『S中と言えばソフトボール部』などと言わわたとか言われていないとか。
指導者としてもプレイヤーとしても、その腕前はピカイチであり、
当時、抜群のプレーに皆が魅了されていた。
基本的に昼休み以外の練習に同行しており、非常に勤務時間が長かったと想像されるが、
なぜ顧問というだけで部活動にあれほど時間を割いて打ち込んでいたのか謎である。
やはり熱心だったのだろう。
しかし、そのような熱血顧問にありがち(!?)で、当時ビンタされる機会も少なくなかった。
その痛みは頬のみならず顔全体の感覚がなくなるほどであり、口の中を切ることもあった。
特段、感情的な人ではなかったと思うが、指導として叱責される機会が多く、基本的には畏怖の存在であった。
またどのようなトレーニングを積み重ねてスキルを習得したのか、
大人になった今、問うてみたい気もする。
●先輩方
先輩方のことは、女子としても、プレイヤーとしてもかっこよかったと表現したが、
部活外の時間に校舎内で顔を合わせた場合、後輩から「こんにちは」等の挨拶をするが、
ほとんどの場合にっこりと朗らかに「こんにちは」と返答されるため、こちらも非常に嬉しい気持ちになった。
同行していた別の部の友人からは「すごく優しそうな先輩だね」等と言われたものだ。
しかし部活の時間になればたいていピリピリしており、部活外の時間のような微笑みは基本的に皆無。
穏やかな時もあれば、感情的に振る舞うことも多く、鬱憤が溜まっていった。
うちの部は、私の2つ上の学年(3年生)が不在だった。
夏頃までは3年生が在籍しているのが一般的であるが、うちの部は2年生が天下。
その日の機嫌次第でぞんざいに扱われることもしばしばあった。
はっきりといじめやしごきのような、直接的に個人を攻撃することはなかったと記憶しているが、
端的に言うと「1年は使えない」と言った感じだ。
空気を読むことが苦手で気も効かない私は、適切な対応がわからず謝罪の連続であった。
表面上は敬うフリをしていたが、内心はうんざりしていた。
「先輩ってどんなことで怒るんですか?」とすっとぼけた質問をして、
「それは聞くことじゃないよ」と呆れられたこともある。
別の部の友人とコンサートに行く約束をしていたが、正直に理由を告げて練習を休みたい旨を伝えると、
先輩達は「コンサートってありえなくない?私も○○のコンサートに行きたかったのに」と陰になっていない陰口を言っていた。
(先輩は別のアーティストを指しており、私が行くコンサートに先輩が落選したためやっかんでいたというわけではない)
聞こえよがしの陰口を察した私は、「すみません…もうコンサートに行きません。練習に出ます。」と申告したが、
「いいよいいよ、行ってきなよ、楽しんできてね」とのたまった。
お言葉に甘えて(?)私は堂々とコンサートに行き全力で楽しんだ。今でもそのコンサートは思い出深い。
ポンコツでありながら無遠慮な図々しさと、聞こえよがしの文句を記憶している執念深さを持ち合わせているのだ。
中には親類の葬儀関連や帰省が理由であってもチクチク言われていたチームメイトもいる。
・先輩が荷物を持っていたら代わりに持つ
・キャッチボールは先輩のグローブを持って相手をしていただくようお願いする
・キャッチボール中に先輩がボール捕れなかったら走って捕りに行く(こちらの暴投が原因)
・先輩は体操着の袖を捲ってもよいが、後輩は不可
・各々の家を把握し、同じ方向の人と下校する
・年賀状を交換する
・部活中、校庭は歩かない
・校庭にボールが落ちていた場合(仕舞い忘れ)、ペナルティで1球につき校庭10周
・整髪剤、制汗剤の利用不可
・全校朝礼の設営準備や後片付け、撤去等を行う
・校舎内の部屋の引っ越しを手伝う
・校舎裏の泥やヘドロを取り除く
一般的な運動部として当然なルールもあったが、当時も今も「?」と感じることもある。
幼少期の他に、この部活で培った様々な経験も、人格形成に大きく影響を与えたと思う。良くも悪くも…
他の部の友人たちは、うちの部ほど過酷ではなかったと想像する。実際は不明だが、おそらく。
先輩と談笑したり遊びに行ってプリクラを撮ったりしている様子は信じらない、うちの部ではありえないと当時思っていた。
部活という特殊な環境で、人間関係を築く上で大切なことを学んだ。
他人に決して心を許してはならない、油断してはならない。
今でもたまに当時の部活の夢を見る。
東京都医学研の西田淳志博士らの研究グループは、「思春期にオンラインゲームを不適切に利用すると抑うつ・不安・精神症・幸福度低下につながることを確認」とするプレスリリースを行いました(プレスリリース全文はこちら)。前向きの一般集団コホートでN約3,000名を長期間にわたり追跡し、多様な交絡因子を調整したうえで二重ロバスト推定と因果媒介分析を組み合わせた点は、方法論的に評価できます。しかし、この研究の結果から科学的にそのような断定はできません。研究結果を実際以上に強く(しばしば因果的に)解釈させる報告手法はスピンと呼ばれ、科学への信頼を損なう可能性があります。関係者には表現の改善を求めます。
対象論文は、都内コホートで「12歳のADHD傾向 →14歳の不適切なオンラインゲーム利用(POG) → 16歳のメンタル不調」という時間順序に、二重ロバスト推定と因果媒介分析を適用した観察研究です。部分的な媒介が示唆され「modifiablemediator(介入で変え得る媒介)」に触れていますが、論文では残余交絡や測定の限界も明記しています。一方のプレスリリースは前提や限界、ゲームのポジティブ側面への言及が乏しく、断定的です。
対象となった元論文はこちら(Communications Psychology掲載)。
この研究は、東京都内の思春期を対象としたコホートデータを用いた観察研究です。分析では、12歳時点で測定されたADHD傾向、メンタルヘルス状態を出発点とし、14歳時点の不適切なオンラインゲーム利用(POG)を媒介変数、16歳時点のメンタルヘルス不調(抑うつ・不安・精神症状・幸福度低下など)を結果として位置づけています。統計解析には、交絡を減らすための二重ロバスト推定と、影響経路を直接効果と媒介効果に分解する因果媒介分析が用いられました。
論文の結果では、ADHD傾向からメンタル不調への影響の一部がPOGによって媒介される可能性が示唆され、「modifiablemediator(介入で変え得る媒介)」としてPOGを位置づけています。ただし、著者らは未測定交絡や自己記入式尺度の限界、そして分析対象が東京都の限られた集団であることから一般化可能性に制約があることなど、重要な制約条件を明記しています。したがって、この研究が提示しているのはあくまで特定の前提条件が成り立つ場合の「因果推定」であり、「因果の確証」ではないという立場が論文本文で繰り返し強調されています。
今回のプレスリリースは、研究結果について「因果関係を推定できる厳密なデータ解析を行い」、「思春期にオンラインゲームを不適切に利用するとメンタル不調につながることを確認」と断定的に表現しています。しかし、これは観察研究の性質上、あくまで因果推定にとどまるはずの結果を、あたかも因果が確証されたかのように受け取らせる可能性があります。論文本文では未測定交絡や自己記入式測定の限界などの制約が明記されているにもかかわらず、そうした重要な前提や制限事項はリリース文にはほとんど盛り込まれていません。さらに、オンラインゲームのポジティブな側面――例えばストレス対処や社会的つながり、達成感の獲得など――については一切触れられておらず、読者に「ゲーム=悪」という一面的な印象を与えかねない構成になっています。このようなバランスを欠いた発信は、親や教師などが短絡的に全面禁止といった極端な対応を取ることを助長し、かえって子どもの健全な発達や支援の機会を損なうおそれがあります。
二重ロバスト推定は、曝露の割付モデル(傾向スコア)と結果の統計モデルの二本立てでバイアスを抑える手法で、どちらか一方が正しければ推定の歪みが小さくなります。因果媒介分析は、全体の影響を直接効果と媒介効果に分け、介入余地の検討に役立ちます。ただし、これらは未測定交絡がない、測定誤差が小さい、媒介分析特有の識別仮定(曝露・媒介・転帰の各関係に残余交絡がない/曝露の影響で生じた因子が媒介–転帰の交絡になっていない など)が成り立つことに依存します。現実には家庭や学校のストレス、睡眠、他メディア使用、物質使用、さらには遺伝的素因などが両者に影響し得るため、因果の確証までは言えません。
まず念頭に置きたいのは、観察データで見える「14歳の不適切なオンラインゲーム利用(POG)↑ → 16歳のメンタル不調↑」という並びが、12歳時でのメンタルヘルス状態の測定などだけでは捉えきれなかった背後の共通原因に同時に押し上げられている可能性です。たとえば12歳時にも存在はしていたが測定はされなかった受験期の学業プレッシャー、内申点や部活のレギュラー争い、友人関係の摩擦やいじめ、先生との相性の悪さ、長い通学や塾通いによる慢性疲労など、こうした学校・部活・友人関係のストレスは、14歳頃に「気分転換としてのゲーム」を増やしやすくします。同時に、睡眠が削られ体内時計が乱れることなどで情動調整力は落ち、16歳時点の抑うつ・不安が上がりやすくなることも想定できます。家庭側でも、親の長時間労働や失職、経済的困難、両親の不和や別居、兄弟姉妹との確執、さらには軽度のネグレクト等の慢性的な家庭ストレス (12歳時に存在はしていたが測定できなかったもの)があると、逃避・自己安定化の手段としてオンラインゲームに傾きやすく、同じく将来のメンタル不調を押し上げます。これらはすべて、POGとメンタル不調の双方を上げる上流要因として振る舞い、データ上は「POGのせい」に見えても、実は共通原因の影響という説明が成り立つ場合もあると考えられます。
次に、遺伝的素因や生得的な気質です。たとえば「ストレス耐性が低い」「不安が高まりやすい」「報酬への感受性が高い」「衝動性が相対的に強い」「実行機能(計画・抑制)の未熟さが目立つ」といった特性は、どれもポピュラーで、病名に至らない連続的な個人差として普通に存在します。こうした特性は、12歳時の測定では必ずしも捉えられるとは限らず、報酬間隔が短く達成が明確なゲームに惹きつけられやすい一方、思春期のホルモン変化・睡眠相後退と相まって感情の波も大きくなるため、16歳時点の抑うつ・不安が高まりやすくなる要因となる。つまり、同じ遺伝・気質が「14歳のPOG↑」と「16歳の不調↑」を同時に押し上げる可能性もあるのです。親世代に気分の波や不安傾向が強い場合(親のメンタル不調歴)、家庭環境を通じても遺伝を通じても影響が重なり、共通原因としての力はさらに強まります。
「12歳では落ち着いていたのに、14歳ごろから不安や抑うつの芽が出てきた」―思春期ではよく起こる経過です。本人はうまく言語化できず、気分を和らげるためにゲーム時間が増え、結果としてPOG得点が上がる。このときデータ上は「14歳:POG↑ → 16歳:不調↑」と並びますが、実態は「12–14歳:不調(初期;測定限界以下) →14歳:対処としてPOG↑ → 16歳:不調が指標上に顕在化」です。12歳時点のベースラインで症状が低かったとしても、その後に立ち上がる初期症状までは完全には抑え込めません。これが逆因果です。観察研究では、ベースライン調整をしても時間とともに立ち上がる微細な症状変化を取り切れないため、「POGが原因に見えるが、実は不調の芽がPOGを増やしていた」という説明が、統計的には十分あり得ます。
現実には、上流のストレスや素因がPOG↑を引き起こし、POG↑が夜更かしや課題先延ばしを招き、成績低下や家庭内口論が増えてストレス↑――という悪循環が成立する場合もあるでしょう。こうなると「POG↑」は原因でも結果でもあり、途中で生じた新しい交絡(たとえば新しい交友関係や学級内の立場の変化)がさらに関係を複雑にします。観察研究では、この種の時間とともに変わる交絡を完全に取り除くのは難しく、慎重な解釈が欠かせません。
なぜこの結果だけで断定できないのか
以上のように、環境の共通原因(学校・友人・家庭・睡眠・デジタル環境など)と、遺伝・気質の共通原因(ストレス耐性や報酬感受性、実行機能の個人差など)、さらに逆因果が重なれば、14歳のPOG↑と16歳のメンタル不調↑という並びは、十分に別の説明で再現できます。これは「ゲームに負の側面がない」という意味ではなく、観察研究の結果をそのまま因果の確証として受け取るのは危うい、ということです。確証に近づくには、介入(例:睡眠改善・学業負荷の調整・親子コミュニケーション支援・ゲーム利用のルール介入など)によって原因側を操作し、結果がどう変わるかを見にいく研究が必要になります。
オンラインゲームには負の側面だけでなく、文脈次第でポジティブな効果も報告されています。因果関係の検証でより強力だと考えられる自然実験の研究から、日本のゲーム機抽選という外生的な「所有の急増」が、心理的苦痛の低下や生活満足の上昇に結びついた可能性が示されています(長時間化で逓減、年齢や機種で異質性あり)。Nature Human Behaviour 2024 また、実ログ(テレメトリ)とアンケートを結んだ大規模研究では、プレイ時間と主観的ウェルビーイングの間に小さいながら正の関連がみられました。Royal Society Open Science 2021 さらに、身体活動を伴うゲーム(エクサゲーム)を中心に、不安・抑うつ・ストレスの改善や幸福感の増加を示すレビューもあります。結局のところ、影響は「何を・どう・どれくらい・誰が」によって大きく変わります。上記のような逆因果のシナリオが存在する場合、ゲームのポジティブ面がネガティブ面をむしろ上回っているにもかかわらず、共通原因に相殺され見えなくなっているような可能性もあります。
スピンとは、研究結果を実際以上に強く(とくに因果的に)読ませる表現や見出しのことです。大学発プレスリリースを分析した研究では、リリースに誇張が含まれると、その後のニュース報道も同様に誇張されやすいことが示されています(BMJ 2014)。BMJ 2014 また、読者実験ではスピン付き記事を読むと効果を過大評価しやすくなることが確認されています(PLOS Medicine 2012/BMC Medicine 2019)。PLOS Medicine 2012 BMC Medicine 2019 さらに、誇張表現は露出増加につながらず、むしろ限界や前提を添えても可視性は落ちにくいという示唆もあります(PLOSONE 2016)。PLOS ONE 2016
日本心理学会のガイドラインは、研究成果の発信において「因果か相関かを誰にでも分かるように明記」し、効果量や信頼区間、研究の限界、利益相反などを適切に示すこと、そして誇張や不適切な拡大解釈を避けることを求めています。ガイドライン本文 今回のプレスリリースは、観察研究に基づく前提と限界の説明が薄いうえ、ポジティブ側面への言及がなく一面的な印象を与えます。ガイドラインの趣旨に十分合致しているとは言えません。
以下のような表現であれば、研究の示唆と限界の双方を保ちつつ、社会的影響にも配慮した発信になります。
「本研究は観察データに因果推定手法を適用し、「不適切なオンラインゲーム利用が後のメンタル不調を高め得る」という仮説に整合的な結果を得ました。
ただし未測定交絡や測定限界があり、因果の確証には介入研究が必須です。本研究の指標はPOG(操作的指標)であり、臨床診断を意味しないことにも注意が必要です。
また、ゲーム利用には対処行動や社会的つながりなどのポジティブな側面も報告されており、使い方や文脈に応じた理解が重要です。今後どのようなゲームの使い方がメンタル不調を助長してしまうのか、どのような場合だとポジティブに機能するのかなど条件を明らかにするような研究が行われることが期待されます。」
観察研究の結果は因果の「推定」として丁寧に紹介し、POGという操作的定義の限界と前提を明示することが不可欠です。ゲームの負と正の知見を併記して読者の短絡的な全面禁止を避け、ガイドラインに沿って限界も簡潔に共有しましょう。何より、子どもに困りごとが見えるときは、ゲームそのものだけを断罪するのではなく、学校・友人関係・家庭・睡眠・経済状況など背景要因にも目を向けて支援につなげることが、実践的で建設的でしょう。プレスリリース文の改訂を期待します。
将棋界のあれそれで思ったんだけど、
これを男女平等にする為、女性の採用条件・昇進条件を緩和しようって流れがいやだ。
私は女性なんだけど、なめられたように感じてなんか腹が立つ。
そもそも今の世の中、生理休産休育休で評価が傷つけられることなくない?
そりゃ休んだ分、同期男性と仕事面での差がついたけど、それをペナルティとは思えない。だって休んだ分、同期の方が経験積んでるのは事実だから。
その上で、生理休産休育休ってだいたい保障があるから、給与面では同期男性と差がついてない。
この保障だけで十分じゃない?
女性の社会進出が少ないのは、仕事より子ども大事にしたいって選ぶ人が多いからだよね。
もしもっと社会進出を増やしたいなら、子育て支援を手厚くする以外なくない?
例えば男女問わず、小学生まで育児部分休、受験期の子どもがいる社員には育児学業支援休をだすとか……。
昨今話題の女流棋士新制度問題なら、まずは女性棋士の子育て支援を充実させるとか(棋士は勝率で給料変わっちゃう世界だし、子どもが小さい時期は勉強できないから、育休だけじゃなく収入保障もするとか)
女性の採用条件・昇進条件を緩和って意味がないと思うし、何よりなめられてる気がする…。
男性並みの体力気力がないと社会進出できないのはおかしい!とか言ってる人見たけど、アスリートでもないのに、労働面で男女の体力差でることあるの?
気力に関しては、悪いけど何言ってるかわからないよって感じ。
これを言うと、名誉男性的すぎる!とか女性の敵は女だよなwとかいわれる…
そんなつもりないのに。かなしい世界。
年齢:20代後半
学生の頃は学業に加えて、習い事、部活、バイト等のマルチタスク管理が要求されるけど、社会人は仕事一本だけ。平日7.5時間働くだけ。残業無し。年間休日128日+年間有給付与日数25日。自由に有給取れる。
妻も子も可愛い。BIG LOVE。子供最高。赤ちゃんって、本当に可愛い。愛おしすぎてたまに涙出そうになる。
妻も、情緒安定していて性格良くて優しくて、結婚生活自体もマジ最高。
私は多趣味なのだが、妻も共通する趣味があってたまに一緒にやってくれるし、応援してくれる。
学生で実家暮らしの頃は家族みんな情緒不安定で理不尽で辛かったなぁ。学校も、いいこともあるけど基本的に嫌なことの方が多かったなぁ。学校って、みんな未成年で精神面が発達途上で、つまりは未熟なので、相互にコミュケーションがむずすぎる。常に「勉強しなきゃいけない」というプレッシャーも、今思うとかなりストレスだったんだな。この前会社指示でやや難しめの試験の勉強してたら勉強期間中だけストレス性の耳鳴りがした。
学生のみなさん。
社会人って大変そうだなって思うかもだけど、
佐伯ゆかは、いい子だった。
いや、笑っちゃうくらいいい子だった。ランドセルに教科書、ピアノの楽譜、母親の夢まで詰め込んで、言われたことは全部やる。母・園子は厳しかった。鍋の蓋を閉め忘れると三時間説教、ピアノは毎日三時間、歌の練習一時間、テストは満点以外許さない。
でも、そこには甘い卵焼きと手縫いの巾着袋があり、熱を出せば夜通し看病もしてくれる。呪縛と慈愛がごっちゃになった混合液体が、ゆかの体内を循環していた。
園子は専業主婦。社会経験が薄かった。外の世界を知らなかった。だから、外の世界を恐れていた。教師も、近所の主婦も、会社員も――すべてが**“信用ならない人々”**に見えた。
園子は、ゆかを囲い込んだ。
文字通り、どこまでも。
「ピアノが終わったらドリル」「テレビは一時間だけ」「友達の家には遊びに行かない」
そんなルールが無数に積み重なっていった。
父は最初こそ何度も口を挟んだ。
「もう少し自由にさせろ」
「勉強ばかりじゃだめだ」
けれど、そのたびに壁にぶつかった。園子とゆか、二人の間には見えない糸があって、そこに踏み込むことは許されなかった。父は家の中で幽霊になった。
それでも父は何度も介入しようとした。「俺だって親だ」と声を上げたが、声は響かなかった。園子は、ゆかを守る盾のようにして外界を拒絶し、父をも拒絶した。
そしてついには、父がぽつりとつぶやいた。
――「ゆかが二十歳になったら離婚しよう」
その言葉は宣告だった。
やがて父は本当に消えた。家にいても、いないも同然。
それが峰田肇だった。
「受験は戦争よ」と言われれば「うん、わたしやる!」と笑って答える。
母が好きだった。母を喜ばせたかった。
制服はブレザー、春の校門で風が吹く。友達と部活の話をし、笑い、教室の黒板には「佐伯ゆか、○○高校おめでとう!」と書かれていた。
でも、その胸の奥にもう一つ火があった。
――アイドルになりたい。
猛烈な願望。熱烈な妄想。
母は言った。「やるなら全力よ」
ゆかは――やった。やりまくった。やり込んだ。
夜10時、指が赤くなってもピアノをやめない。喉が痛くても発声練習を続ける。テスト前日は睡眠2時間。
やがて、ゆかは上京した。
母と抱き合って泣いた。いや、母は泣き笑いだった。
「頑張るのよ!」
「うん!」
母の呪縛? いや、まだそれは呪縛と気づかない愛情の鎖だった。
渋い俳優。父の年齢に近いのに、父よりも光っていた。
恋? いや、これは儀式だ。切り抜き、手紙、日記――脅迫的な恋愛感情。
父の空席を埋める愛。
「思い知らせてやる」
ゆかはガスとリストカットを決行した。
泣いた。
腕を抱えて、ただ泣いた。
ゆかは救出された。
あまりに惨めだった。
あまりに敗北だった。
それほどの事態が起こったにも関わらず、ゆかには休む暇もなかった。
その日――生放送に出た。
生放送だ! ニッコリだ!
だんだん冷静になってくる。自分のやったことをメタ理解しはじめる。
――あたし、何やってんだろ。
社長室に呼ばれ、テーブルの上のストロベリージュースに口をつける前に、
社長が戻ってきた。
叱責。
これはもう、魂を引き裂かれるほどの敗北だった。
――社長に会いたくなかった。
その瞬間、ゆかの天性の行動力が発動した。
一瞬で思いついた。
――屋上だ。
屋上へ逃げよう。
足が立ち上がり、ドアを開け、階段を駆け上がり、
誰も止められなかった。
屋上の風。
考える暇もない。
発想力と実行力の塊。
決めたことは、即実行。
スリッパを脱いで、きちんと揃えて、
――飛んだ。
母の愛と呪い。
峰田への狂気的な愛と恨み。
未遂、敗北、叱責。
その全部が混ざった一瞬のジャンプ。
風が体を持ち上げ、
世界は、一秒で小さくなった。