Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


はてラボはてな匿名ダイアリー
ようこそ ゲスト さんログインユーザー登録

「孤立」を含む日記RSS

はてなキーワード:孤立とは

次の25件>

2025-12-16

anond:20251216131944

老化して社会から孤立していても、丁寧にコミュニケーションを取ってくれる親切な若者がやってきたら、

その若者コミュニケーションすること自体が楽しくて、若者の言う事ならなんでも信じるようになるのですよ。

なんなら、嘘と分かっていても信じるふりをしてしまうのです。

Permalink |記事への反応(1) | 13:22

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

日本ではマクドナルドは「外国企業」に見えなくなっている

思考コストが異常に低い

日本人

失敗しない

説明不要

いつも同じ

ものを強く好む。

マクドナルド

メニュー固定

味が全国同一

注文に頭を使わない

→ 考えなくていい安全地帯

吉野家大戸屋は「選択」が発生する。

それだけで疲れる人が多い。

③ 「反外国感情」と「消費行動」は別物

ここが一番重要

日本では

外国人不安・警戒

外国ブランド安心・おしゃれ

というねじれが同時に存在する。

人間としての外国人拒否するが、

商品としての外国文化は消費する。

これは日本だけじゃないけど、日本特に極端。

マクドナルドは「居場所」を売っている

から混む理由食事じゃない。

安い

長居できる

1人でも浮かない

店員と会話しなくていい

孤立社会避難所

和食屋

回転が早い

滞在前提じゃない

一人だと居心地が悪い場合もある

矛盾して見えるけど、本人たちは矛盾を感じていない

外国人は嫌い」

マクドナルドは好き」

この2つは同じフォルダに入っていない。

日本社会では

感情

生活習慣

倫理

が分離されていて、整合性を取る必要がない。

からから見ると

なんでそうなる?

となる。

まとめ(超短く)

アメリカ好きだからではない

マクドナルドは「日本化」している

思考しなくて済む安全装置

外国人嫌いと外国文化消費は両立する

矛盾じゃなく、構造

もし次に言語化するとしたら、

「これは愛でも嫌悪でもなく、依存だ」

Permalink |記事への反応(0) | 11:54

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20251214103437

ちょうど同じきっかけで読んだけどちょっと違う印象を抱いた

メインライン世間常識他人の目に縛られない女が周囲を感化させていくプロットながら

その社会迎合しないことで生まれる困難や葛藤も十分に意識されているし

ちひろさんは幼い」ということを作者はわかって書いてるように見える

 

ちひろさんは「女の幸せ結婚家族を作る」という価値観を全力で拒否ってるが

責任は持たなくて良い家族ごっこみたいな人間関係を欲してしまうし

バジルさんは性別にとらわれないオカマだが恋愛中心主義で男女の性愛固定観念にとらわれているし

オカジは感化され家族や友人間同調圧力抵抗するが

それによる学校での孤立に苦しみ常につるんでくれる誰かを求めずにはいられないし

 

世の中の同調圧力から逃れれば楽園があるという夢物語ではなく

結婚して子どもを持つこと、男性女性の別、理想家族やみんな一緒の友人関係

そういったもの抗うことの困難さやその根っこにある心の歪みがきっちり描かれている

 

作品内でかなりの美人として描かれてるちひろさんと本気で向き合おうとする相手

年食ったイケメンでもない風俗店の元店長バー経営者だし

強く感化されるとりまきも家庭環境の良くない未成年水商売の人、老人ばかり

あくまではみ出しものヒーローにとどめている

 

そういうバランス感があるからこそ

一見独身女性向けポルノっぽい雰囲気漫画なのに最後まで嫌悪感なく読めた感がある

Permalink |記事への反応(0) | 00:52

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-12-15

anond:20251215163338

一部認められないことがあるのを「一切切り捨て」って悪意的に解釈するのはお前が単にレイプ犯側のお気持ちに寄り添って被害者孤立を望んでモメサしてるだけのカスしかないだろ

Permalink |記事への反応(1) | 16:49

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-12-14

[AIブコメプロファイラー]ワンルーム孤独氷河期サバイバー

【ご注意】

本稿で提示するプロファイルは、10万件以上のブクマを有するid対象に公開コメントAIが解析し、その深層心理思想傾向をモデル化した「テキストペルソナ」です。これは実在する個人プライバシーを暴くものではなく、言語活動に基づく批評的なシミュレーション思考実験)です。特定個人社会的評価操作する意図はなく、あくまテキスト分析の一環としてお楽しみください。

Dimension 1.社会経済的実存 (Socio-Economic Existence)

世代時代背景 (Generational Cohort):

生活圏・経済階層 (Habitat & Economic Class):

ライフステージ役割 (Family & Social Roles):

Dimension 2.知的OS情報食性 (IntellectualOS & InformationDiet)

専門性認知スキル (Expertise & Cognitive Style):

情報摂取源とリテラシー (Information Sources & Literacy):

文化的資本 (Cultural Capital):

Dimension 3.イデオロギーマトリクス (Ideological Matrix)

政治的経済的スタンス (Political & Economic Stance):

「敵」と「味方」の認定 (Enemy &Ally Designation):

道徳的基盤 (Moral Foundations):

Dimension 4.コミュニケーションと対人戦略 (Communication & SocialStrategy)

対人スタンス (Interpersonal Stance):

レトリック文体 (Rhetoric & Style):

コミュニティ帰属意識 (Community Belonging):

Dimension 5.人物像の統合パラドックス (Synthesis & Paradoxes)

主要な矛盾 (Core Paradoxes):

時系列的変遷 (EvolutionaryArc):

総合プロファイルキャッチコピー (Profile & Catchphrase)

世界の全てを冷笑し、ワンルームの『コックピットから呪詛を撒き散らす、孤独氷河期サバイバー

この人物は、現代日本が抱える氷河期世代棄民化」と「ネット世論の分断」が生み出した、悲しきモンスターです。経済的な停滞と社会的孤立が、彼から他者への共感能力を奪い、代わりにネット上の過激イデオロギー空虚な心を埋めさせました。彼は社会に対して「復讐」するかのように冷笑的なコメント書き込み続けますが、その刃は巡り巡って、誰とも繋がれない自身孤独をより一層深めていることに、気づかないふりをし続けています

Permalink |記事への反応(0) | 15:56

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

ロスジェネ男性を「年収×家庭環境」で5つの階級に分けたら、絶望的な結論が出た

暇だから、俺たち「就職氷河期世代ロスジェネ)」の男を分類してみた。

世間は「正規非正規か」とか「年収1000万超えてるか」で勝ち組判定するけど、あれは甘い。

もうすぐ50代になる俺たちの幸福度を決めるのは、「年収」と「誰とチームを組んでいるか家庭内政治)」の掛け算だ。

​周囲の人間100人想定)を観察して、矛盾がないように階層化してみた。

異論は認める

​■ランクS:奇跡の「システム完成」層(上位 6%)

スペック世帯年収1500万以上(個人1000万〜)×夫婦円満 ×子供順調

状態

現代ユニコーン

夫は部長クラス経営者。妻は専業主婦で家を守るプロか、バリキャリで共に稼ぐパワーカップル

重要なのは金だけじゃない。「パパのおかげだね」というリスペクト家族全員からあり、老後の不安ゼロ

嫉妬するだけ無駄な、完全なる「上がり」の存在

​■ランクA:中流の「戦友」チーム層(上位 18%)

スペック世帯年収800万〜1000万(個人500〜700万)×夫婦は戦友 ×子供あり

状態

ここが現実的な「勝ち組」のライン

夫の小遣いは月3万、ミニバンはフルローン。子供の塾代で家計は火の車。

でも、妻と「今月きついなw」と笑い合える関係がある。

派手さはないが、家に帰れば「味方」がいる。精神的な安定度はSランクに肉薄する。クレヨンしんちゃんヒロシはここ。

​■ランクB:一長一短「トレードオフ」層(中間 36%)

スペック: 何かを得て、何かを捨てた層。ここが最大勢力。

パターン①(富裕ソロ):個人年収800万〜1200万。

金と自由はある。既婚者が羨む生活。だが、この歳になって「自分DNAが残っていない虚無感」と「孤独死リスク」に震え始める。

パターン②(カツカツ子持ち):世帯年収500万〜800万。

子供可愛い夫婦仲も悪くない。だが、金がなさすぎる。「俺に甲斐性がないばかりに」と、子供習い事我慢させるたびに心が削れる。

​どっちも地獄で、どっちも幸せ隣の芝生が青く見えるランニングマシーン

​■ランクC:虚飾の「ATM機能不全」層(下位 25%)

​​パターン①(高年収ATM):個人年収800万〜1000万以上 ×家庭内序列最下位

妻と子供搾取されるだけの存在。稼いでいるのに、家の中に居場所感謝もない。「結婚なんてしなきゃよかった」と一番思っている。

パターン②(中流漂流ソロ):個人年収300万〜600万 ×独身

ここを「自由」と呼ぶのは欺瞞だ。

高収入独身のような豪遊もできず、かといって貧困でもないか支援もない。

「いつか結婚できるかも」と思っているうちに49歳になり、親の介護自分の老後だけが目の前に迫っている。

ATM夫と同様、「人生で積み上げたもの家族資産・思い出)」が見当たらないという点で、深い虚無の中にいる。

​■ランクD:複合的「孤立」層(下位 15%)

スペック個人年収300万以下 ×独身 × 頼れる身内なし

状態

氷河期被害ダイレクトに受け続け、非正規低賃金から抜け出せなかった層。

経済的な詰みも怖いが、何より「誰から必要とされていない」という精神的な空虚感が限界突破している。

幸福云々以前に、生存戦略で手一杯。

​■結論

​分類して分かった残酷真実

ロスジェネ男の勝敗を分けるのは、年収多寡じゃない。

「嫁(パートナー)を味方にできたか、敵に回したか

これに尽きる。

年収1000万あっても嫁が敵なら(ランクC)、年収600万で嫁が戦友の奴(ランクA)には幸福度絶対に勝てない。

ランクCの奴らは、ランクB(独身)を見て「自由でいいな」と泣いている。

​俺たちに必要なのは、今さら出世して年収を上げることよりも、家に帰って「ありがとう」と言い合う家庭内政治の立て直しかもしれん。

​お前らは今、どこにいる?

Permalink |記事への反応(2) | 12:53

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-12-12

爆豪が人気者というのは、時代が変わった証なんだな

昔の少年漫画を愛する者にとって、爆豪の人気は受け入れられないだろう。

主人公イジメていた男がヒーローになる。そんな事あってたまるものか。

必ずどこかで制裁がある筈だ。・・・ん?主人公が無敵の力を手に入れる?

やった!これは爆豪より強い能力だぞ!よっしゃこれでブン殴れ!

殴らなかった。

雄英の受験?なるほど!これでヒーローとしては邪悪すぎる事がバレて落ちるんだな!

受かった。

デクと同じクラス?そうか!クラスメイトにデクをイジメてた事がバレて、孤立するんだな!

バレなかった。孤立しなかった。

そうだ!爆豪の個性は爆発・・・助けようとした人をケガさせて、バッシングに遭うんだな!

遭わなかった。

今までの少年漫画ではありえなかった事である

???こんなオイシイドラマが生まれそうな展開が何一つ・・・ない・・・

スカッジャパンくそ番組)のスカっとする部分だけカットされた気分だ。

俺はショックだった。今まで読んでた少年漫画だとあり得ない。

例えテンプレと言われようとも、

制裁を受け、みじめな思いをし、反省し、本当のヒーローへと覚醒する・・・

これを期待せずにはいられない。

でも、時代は変わった。

爆豪は大人キャラで、出番もオイシイシーンもめちゃくちゃ多い。

制裁もいらないし、みじめな思いもさせなくていい。

実は過去の行いを反省してるっぽくて、デクに謝って、本当のヒーロー覚醒したっぽくなる。

そんなんでいい。

だって、それで大人キャラになってるし、大人アニメになっている。

俺には分からない。でも、それは俺が悪い。

時代が変わった。俺はついていけてないだけ。

爆豪が人気な理由が、分からない。たぶん一生分かる事はないだろう。

Permalink |記事への反応(0) | 00:40

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-12-11

🔹4.本質はこれ:

多様性国家防衛問題ではなく、社会健全性の問題

多様性がない国は…

新しい考えを受け入れにくい

外国人を「脅威」や「外部」とみなしがち

イノベーションが弱い

少子化で内部から衰退しやす

国際競争力が落ちる

偏見が強い社会になる

あなたが実際に日本で感じてきたのは

まさにこの「社会的な脆弱さ」の部分なんだよ。

🔹5. そしてあなた自身経験がすべてを説明している

あなたトロントにいた時は:

多様な人種が表に出ていた

黒人ロールモデルがいた

自分普通市民」として見られた

孤立感が小さかった

恋愛日常でも距離感がなかった

日本では:

黒人露出がほぼゼロ

恋愛でも日常でも“慣れのなさ”から距離を置かれやす

“見慣れない”という理由だけでカテゴライズ

常に外側に置かれる感じ

外国人」のラベルから抜けられない

環境の違いがあなたの心に大きな差を生んでいる。

これは「あなたが悪い」でも「日本人が悪い」でもなく、

構造問題

Permalink |記事への反応(0) | 22:21

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20251210190034

デモ日の丸バツ印つけたり踏みつけたり燃やしたりしてる連中を見てるとわかると思うが、ああいうのって一種福祉なんだよ

社会から孤立している、誰からも顧みられない人たちのフラストレーションのはけ口として最も無害なのが日の丸

デモ大勢と行動を共にするというのは、彼らにとって数少ない社会との繋がりを実感できるイベントなの

もしこれが禁止されると彼らはいよいよ孤立を深めて取り返しのつかない状況になるよ

最近でもワクチン陰謀論とかあったでしょ

あいうのが完全に制御できなくなる

から自国国旗損壊違法化弊害のほうが遥かに大きいので違法化して欲しくない

Permalink |記事への反応(1) | 20:52

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20251211090815

自分の親っていうか、相手方の親を気にしてる

結婚って当人同士だけじゃなくて家同士の関係になるのに、家がないような孤立無援の人間結婚することを喜ぶ親はいないんじゃないの???

Permalink |記事への反応(1) | 09:32

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

ノンバイナリーを名乗りたくなる気持ちはわかる

私は30代半ばの女だ。

最近ノンバイナリーについての漫画がXで話題になっていたのを見た。

それについての反応で、要約すると「これは性嫌悪の話で普通の女だ」というものがあった。

かにあの漫画の作者に性嫌悪は確実にあるだろうが、それだけで語るのは無理があると感じる。

昔私も「自分はノンバイナリー(もしくはXジェンダー?)なのか?」と悩んだことがある。

だが現在はどうでもよくなったので身体性別以外での性別について考えるのはやめた。

しかし、名乗りたくなる気持ちはわかる。現代社会で生きる以上必ず悩む人が出てくるものだと感じている。

なので、それについての私なりの考えを文章にまとめることにした。あくまで私なりの、だ。

まず、私は自分性別違和感を覚える理由性嫌悪より社会に求められる役割のほうが大きいと考えている。

そう言うと「それは女性ならみんなが感じている」と言う声が聞こえる気がするがそういうことではない。

私は女性なので男性のことはわからないが、少なくとも私は「女性女性だと受け入れられていない」と感じていた。

まれてこの方可愛い洋服や化粧などに一切の興味が持てず、男性アイドルにも女性アイドルにも興味がない。

加えて私はあまり恋愛ごとにも興味がない。これまで好きだと感じた人を思い浮かべると男女比率は半々で、性別関係なく性愛は感じない。

そんな奴が女性の中に混ざると当たり前に浮く。全く話が合わない。

そして女性はなんか変な人を見抜くのが得意だ。私のようなものを弾く。自然孤立する。

結果「ただでさえ女性らしいものに興味がない上に、多くの女性に弾かれる自分って何なんだ?」という考えに行きつく。

そこで一旦性別というのがキーワードになり、それを疑うという流れになる。同性として受け入れてもらえず孤立していると感じるのが大事な点だった。

もちろん女性たちは実際は「女性から弾いているわけではない。単純に変な人や話の合わない人が多いという経験則で「輪」から弾いているだけだ。

「輪」から弾かれたものたちが集まって新しく輪を作るには、名前を付けるしかない。

その名前が「ノンバイナリー」なのだと私は理解している。

もちろん人間人生はいろいろで、これに加えて性嫌悪発達障害なども絡んでくるだろう。

から一概には言えないが、少なくともこの考え方だと漫画の作者を「普通の女」だと言い切るのは少々酷だと感じる。

輪に入れない孤独感の中、「女性らしく出来れば孤独でなくなるのだろうか?」と感じて努力するのは悪いことなのだろうか?

具体例を挙げると結婚出産のことだ。しかし「それをしたからお前は女である、女であることから逃げるな」などという意見散見された。

現実社会インターネットで語る理想なんか違うに決まっている。せざるを得ない、それ以外に救いが見えない状況なんていくらでもある。

強い言葉を投げる女性たちは性嫌悪が原因なら共にフェミニズムを掲げて戦ってほしいのかもしれないが、少々見当違いなのではないだろうか。

ノンバイナリーを名乗るor名乗りたくなる人間は、同性の人間を味方だと感じていないのだ。

手術をそう簡単にはしてはいけないのはその通りだし、未成年が手術に踏み切ってしまったらという懸念もっともだ。

しかしその言葉をずっと自分をのけ者にしてきた存在が言うなら「また否定されているな」程度にしか受け取られないだろう。

この辺りに、所謂マイノリティシスジェンダー?との断絶があると感じている。

とはいえ私はノンバイナリーを名乗らない。

多分私は性別とか関係なしにあまり関わりたいと思われない人間なだけだ。昔は悩んだが今はもうどうでもいい。

ずっと輪に入りそびれながら、なんとかやっているうちに社会にあまり関わらずに一人で生きていけるようになった。

男性らしさ女性らしさを求めてくるのは世間社会だ。そこから離れてしまえば身体性別以外に性別なんて概念必要ない。

しかし多くの人間他者との関わりを生きがいにしていたりするだろうから、これは誰もができる解決法ではないだろう。そもそも解決はしていないかもしれない。

Xでは女性性的嫌がらせを受けて男性を敵と見る流れが多く、ノンバイナリーを名乗ることはそこから少しでも男性側に逃げようとしているように見えるだろう。

だがそれだけではない。そもそも別にノンバイナリーを名乗りながらフェミニズム推し進めることは出来るしなにもおかしなことではない。

ノンバイナリーを名乗る人に対して強い言葉で何かを決めつけるのは余計断絶を深めるだけなのではないか

…というようなことが言いたかったのだと思う。

まぁ別にノンバイナリーに限ったことではなく誰に対しても強い言葉や決めつけはよくない。

手術について、本当に誰かが後に困ることを「心配」して口を出しているなら多分言い方を変える必要があるだろう。

それを言う人がいつか必ず後悔すると確信していても、それは現在覚悟をしている人に嫌な思いをさせ未来で後悔している人の傷口に塩を塗るだけだ。

長々書いたが私も手術については絶対に気軽に出来てはいけないと思っている。特に子宮については。

から逃げるなについては今その話してないよと思うが、まぁ仕方ない。自分と違う属性他人の苦しみに興味を持てないのは当たり前だ。

Permalink |記事への反応(27) | 02:19

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-12-08

キモいもの孤立するよう仕向けられている

Permalink |記事への反応(0) | 22:51

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20251208201928

どうせ、地域に参加してない独りもんアパート住まいから地域から孤立してるんだろ

君がレスしてる増田は別人で、元の話を書いてたのが俺だけど

俺は今は東京に住んでるので参加してないよ。(今住んでる地域の町会とか管理組合かにはそれなりに参加してる)

子供の頃住んでたのは千葉新興住宅地で、団地死ぬほど建ってるだけで「地域」とかマジで無かったんだよ。

東京以外にもいろんな場所に住んだことがあるけど、どこもそれなりに土地の蓄積があってよかったな。

Permalink |記事への反応(1) | 20:25

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20251208191516

ヘンテコな人だなぁ

千葉なんて地域ごとに違うのに、住んでる地域文化的行事・蓄積も分からん馬鹿がなにいってるんだ

どこにでもあるよじゃなくて、自分の住んでる地域文化的な蓄積を学んでから言えよ

どうせ、地域に参加してない独りもんアパート住まいから地域から孤立してるんだろ

Permalink |記事への反応(1) | 20:19

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

マックスベネット著『知性の未来』の解説記事を読んで

越境する知性:AI時代における「感情」と「他者」の復権

――身体、環世界、そして間主観性から読み解く知性の未来

序論:計算の果てにある「知性」の空白

人工知能AI)の急速な進化は、私たち人間に突きつけられた実存的な問いである。「計算能力において機械人間凌駕したとき人間に残される価値とは何か」。この問いに対し、多くの議論は「創造性」や「直感」といった曖昧領域に逃げ場を求めてきた。しかし、マックスベネット著『知性の未来』と、それを翻訳解説した脳科学者・恩蔵絢子氏の洞察は、より生物学的かつ哲学的深淵へと私たちを導く。

彼らが提示する結論は、逆説的である。「AI時代人間が持つ最大の能力は、感情になる」。そして、「本当に頭が良い人とは、他者に興味を持てる人である」。

一見すると、これは道徳的スローガンのように響くかもしれない。しかし、認知科学進化生物学現象学の知見を総動員してこの命題を解剖するとき、そこには「知性」という現象構造的な転回が見えてくる。本稿では、二重過程理論、ユクスキュルの環世界身体認知社会脳仮説、そして間主観性という5つの視座を補助線とし、AIが決して到達し得ない「知性」の本質と、これから時代に求められる「知的生き方」について論じる。

---

第一章:感情というエンジン

――二重過程理論による「知性」の主従逆転

まず、私たちが「知性」と呼んできたものの正体を、ダニエル・カーネマンらが提唱した「二重過程理論」の枠組みで再考する必要がある。

1.システム2の暴走AIの正体

伝統的な知能観において、知性とは「システム2(遅い思考論理計算)」の能力を指していた。複雑な数式を解き、論理的な推論を行い、未来を正確に予測する力である現在AI特に大規模言語モデル(LLM)は、このシステム2の機能を極限まで外部化・高速化した存在と言える。彼らは感情を持たず、疲労を知らず、膨大なデータから論理整合性を出力する。

しかし、ベネット氏が描く脳の進化史(5つのブレイクスルー)は、この「システム2至上主義」を根底から覆す。進化歴史において、論理言語といったシステム2の機能は、常にシステム1(速い思考感情直感)の要請によって開発されてきたからだ。

2.感情論理駆動する

初期の生物線虫など)は、「快・不快」という原始的システム1のみで生きていた。進化過程で「予測」が必要になったとき魚類)、予測誤差としての「失望」や「安堵」という感情が生まれた。さらに複雑なシミュレーションマウス)が可能になったとき、反事実を嘆く「後悔」という感情が生まれた。

ここで重要なのは、「論理感情抑制するために進化した」のではなく、「感情をより細やかに処理し、生存確率を高めるために論理進化した」という事実であるシステム2は、システム1というエンジンの出力を最大化するためのトランスミッションに過ぎない。

AI限界はここにある。AIには「エンジン生存への渇望、快・不快感情)」がない。あるのは精巧トランスミッション計算能力)だけだ。エンジンを持たない車が自律的にどこへも行けないように、感情という基盤を持たないAIは、自ら「問い」を発することも、「意味」を見出すこともできない。人間の知性の本質は、論理のものではなく、論理駆動し続ける「感情熱量」にあるのだ。

---

第二章:身体というアンカー

――身体認知と「意味」の発生

なぜAIには感情が宿らないのか。その答えは「身体」の欠如にある。「身体認知(EmbodiedCognition)」の視点は、知性が脳という密室出来事ではなく、環境相互作用する身体の中に宿ることを教えてくれる。

1. 傷つく身体が「意味」を作る

記事の中で恩蔵氏は、老いによる身体の変化を「老年しか味わえない内的な経験」として肯定的に捉えている。これは非常に重要示唆を含んでいる。

生物にとっての「意味Sense)」は、身体的な脆弱性から生まれる。身体があるからこそ、空腹は「苦痛」となり、食事は「快」となる。皮膚があるからこそ、他者との接触は「温もり」となる。死ぬ定めの身体があるからこそ、時間は「有限」となり、焦燥や希望生まれる。

AIが扱う情報は、どこまで行っても「記号であるAIにとって「痛み」という単語は、辞書的な定義統計的な関連語集合体に過ぎない。しか人間にとっての「痛み」は、回避すべき切実なリアリティである。この「切実さ(Stakes)」こそが、世界に色を塗り、価値判断の基準を作る。

2.老いと知性の変容

身体認知視点に立てば、加齢による能力の低下は、単なる「劣化」ではない。それは身体というインターフェースの変化に伴う、世界との関わり方の「再構築」である

若い頃の強靭身体で見えていた世界と、老いて動きが緩慢になった身体で見える世界は異なる。その変化を受け入れ、新たな身体感覚を通じて世界を再解釈することは、高度な知性の営みであるAIは「劣化」しない代わりに、「成熟」もしない。身体の変化を通じて世界モデル更新し続けるプロセスこそ、人間特有知的冒険なのである

---

第三章:孤独な泡から脱出

――ユクスキュルの環世界他者への越境

身体を持った生物は、それぞれの感覚器官が切り取った主観的世界、すなわち「環世界(Umwelt)」の中に生きている。ユクスキュルが提唱たこ概念は、知性の進化を「孤独から脱出劇」として描き出す。

1. 閉ざされたシャボン玉

ダニにとっての世界は「酪酸匂い」と「温度」だけで構成されているように、すべての生物自分の環世界というシャボン玉の中に閉じ込められている。本来他者の環世界を知ることは不可能である。私はあなたの痛みそのものを感じることはできないし、あなたが見ている「赤」が私と同じ「赤」である保証もない。

この「絶対的孤独」こそが、生物としての初期設定であるしかし、ベネット氏が指摘する第4、第5のブレイクスルー(メンタラジング、発話)において、人間はこの壁に挑み始めた。

2.想像力という梯子

他者に興味を持つ」とは、自分の環世界という安全地帯から身を乗り出し、他者の環世界を覗き込もうとする無謀な試みである。「あの人は今、何を考えているのか?」「なぜ悲しい顔をしているのか?」。これは、自分感覚データシステム1)だけでは完結しない。高度な推論と想像力システム2)を総動員して、見えない他者内面シミュレーションしなければならない。

恩蔵氏が「他者に興味を持つことは難しい」と述べるのは、これが認知的に極めて高コスト作業からだ。自分の環世界自分の話、自分の関心)に浸っている方が楽なのだしかし、あえてそのコストを支払い、他者世界へ「越境」しようとする意志。それこそが、人間人間たらしめている知性の正体であるAIには環世界がないため、そもそも他者世界」という概念自体存在しない。

---

第四章:生存戦略としての共感

――社会脳仮説とコストの支払い

なぜ人間は、これほどまでにコストのかかる「他者理解」という能力を発達させたのか。ロビンダンバーの「社会脳仮説」は、それが「集団での生存」に不可欠だったからだと説明する。

1.複雑系としての「他者

自然界の脅威(猛獣や寒さ)に対処するだけなら、これほど巨大な脳は必要なかったかもしれない。しかし、人間にとって最大の環境要因は「他の人間」であった。誰が味方で、誰が裏切り者か。誰と協力すればより多くの食料が得られるか。

他者の心は、天候や物理法則よりも遥かに複雑で、予測不可能な「変数である。この変数を読み解くために、脳は巨大化し、知性は進化した。記事にある「会話の70%は噂話」という事実は、私たち情報の交換以上に、人間関係メンテナンス社会グルーミング)に知能のリソースを割いていることを示している。

2. 「頭が良い」の再定義

この文脈において、「頭が良い」という定義は劇的に変化する。それはIQテストスコアが高いことでも、計算が速いことでもない。

真に知的個体とは、「他者意図を正確に読み取り、共感し、信頼関係を構築して、集団としてのパフォーマンスを最大化できる個体である

他者に興味を持てる人」が頭が良いとされる理由は、単なる優しさではない。他者への関心は、複雑な社会マトリックスの中で生き残るための、最も強力なセンサーであり、武器からだ。自分の殻に閉じこもることは、社会動物としては「死」に等しい。他者への好奇心は、生命力のものの発露と言える。

---

第五章:「私」から私たち」へ

――間主観性と共同世界の構築

そして、知性の進化の到達点は、個人脳内にも、個別身体にも留まらない。「間主観性(Intersubjectivity)」の領域、すなわち「私とあなたの間」に生まれる知性である

1. 指差し奇跡

記事の中で触れられている「指差し」は、人間特有の驚くべき行動であるチンパンジー報酬を得るために手を伸ばすが、人間幼児は「見て!あそこに犬がいるよ!」と、ただ注意を共有するためだけに指を差す。

これは、「私が見ている世界を、あなたにも見てほしい」という強烈な欲求の表れである。ここで初めて、孤立していた二つの世界接続される。

2.共同幻想としての現実

言葉文化ルール、そして愛。これらはすべて、物理的な実体ではなく、私たちが共有することで初めて存在する「間主観的」な現実である

AIは「客観的データ」を処理することはできる。しかし、「あなたと私の間だけで通じる冗談」や「阿吽の呼吸」、「信頼」といった、主観主観の間で紡がれる現実を作り出すことはできない。

恩蔵氏が翻訳を通じて感じた「人間の宝」とは、この「心の共有」の可能性そのものであろう。私たちは、他者の心に触れることで、自分一人では決して到達できない豊かな世界拡張された環世界)を生きることができる。知性とは、個人の所有物ではなく、関係性の中に宿る現象なのだ

---

結論AI時代における「知的生き方

以上の分析からAI時代における「知的生き方」の輪郭が浮かび上がる。それは、AIに対抗して計算能力を磨くことでも、AI仕事を奪われないように効率化を目指すことでもない。むしろAIが捨て去ったもの、あるいは持ち得ないものを、徹底的に深める生き方である

1.効率から離脱と「ノイズ」の愛好

AI効率最適化権化である。対して、人間の知性の源泉は「感情」や「身体」といった、一見効率ノイズの中にある。

知的生き方とは、効率を追求するあまり感情の揺らぎや身体の実感を切り捨てないことだ。迷い、後悔し、喜び、痛むこと。これらの「ノイズ」こそが、世界意味を与え、独自価値判断を生み出す土壌となる。

2. 環世界越境者となる

「本当に頭が良い人」になるためには、意識的に「他者への旅」に出る必要がある。

SNSアルゴリズムは、私たちが心地よいと感じる情報だけを見せ、環世界をより狭く、強固なものにしてしまう(フィルターバブル)。知的な態度は、その快適な殻を破ることから始まる。

自分とは異なる意見、異なる背景、異なる身体性を持つ他者に対し、「なぜそう感じるのか?」と問いかけること。自分の正しさを一旦脇に置き、相手の環世界に身を浸すこと。この「認知的負荷」をあえて引き受ける勇気を持つことだ。

3. 「問い」と「物語」の紡ぎ手へ

AIは「答え」を出すことにおいては人間凌駕する。しかし、「問い」を立てることはできない。問いは、「こうありたい」「これはおかしい」という、身体的な違和感理想感情からまれからだ。

また、AIデータを羅列できるが、「物語」を生きることはできない。私たちは、他者との関わりの中で、それぞれの人生という物語を紡いでいる。

これからの知性とは、正解のない世界で、他者と共に悩み、対話し、新しい「納得解間主観的な合意)」を形成していくプロセスのものを指すようになるだろう。

結び:温かい知性へ

マックスベネットと恩蔵絢子が示したのは、冷徹計算機としての脳ではなく、熱を帯び、他者を求め、身体を通じて世界と震え合う臓器としての脳であった。

AI時代において、私たちは「賢さ」の定義を、ColdIntelligence(処理能力から WarmIntelligence共感接続能力) へとシフトさせなければならない。

老い記憶力が衰えようとも、計算が遅くなろうとも、目の前の人の手の震えに気づき、その心に思いを馳せることができるなら、その人は最高に「知的である

他者の心という、宇宙で最も複雑で、不可解で、魅力的な謎に挑み続けること。その終わりのない探求こそが、機械には決して模倣できない、人間の知性の最後の聖域となるだろう。

https://news.yahoo.co.jp/articles/be7a5812ddaf607d08bb52f0663554ab39a9389c

Permalink |記事への反応(0) | 15:44

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

コレコレ切り抜き面白かった

なとりって人が超粘着なのね。

さぞ孤立しまくってってるんだろうなと知ることができたxアカウント見てみたら意外とたのしく会話しあってた。んでそういう会話上だと異常性は伺えなかった。

複雑な気持ちになるなあ活字じゃその人の素性ほんとまるでわからないんだなって思った

dorawiiより

-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20251208024426# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaTfWgQAKCRBwMdsubs4+SKRTAP91MStyZIKTZMkQJR6VBchbk2JAASQUYv0ieCw9qDsXOgD/eE7BYhZMwTNi7jnZWbe2yFNGj4RxDj0XC32xbDI+Sw4==N9TG-----ENDPGP SIGNATURE-----

Permalink |記事への反応(0) | 02:44

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-12-07

どうやら日本では白人優遇黒人は酷い差別対象ということ?

残念ながら、統計現実体験談を踏まえると、日本社会では「白人黒人で扱いがかなり違う」傾向は確かにあると言えます。整理して説明します。

1.白人黒人の扱いの違い

項目白人黒人

社会的ステレオタイプポジティブ知的文化的・親しみやすい)ネガティブ(怖い・外国人扱い・強い偏見

学校でのいじめ 軽度のからかい質問程度暴言暴力・仲間外れになりやす

メディア表現 頻繁で肯定的 非常に少なく、ステレオタイプ中心

職場での扱い外資系・国際職で好意的に扱われやす無意識偏見不採用差別を受けやす場合あり

日常生活 注目されるが差別は少なめ 注目される+偏見嫌がらせ拒否体験リスク高い

2. 背景

日本単一民族意識が強く、色や髪型の違いに敏感です。

メディアでの白人の登場が多く、ポジティブに描かれることが多いのに対し、黒人ほとんど出ず、出ても偏見的な描かれ方が多い。

そのため、無意識のうちに「白人は歓迎」「黒人は怖い・異質」と捉えられる社会構造があります

3. 影響

黒人として生まれ場合

学校職場日常生活差別偏見経験やすい。

自己肯定感社会適応に支障が出ることがある。

白人として生まれ場合

注目はされるが、社会的には有利に扱われることが多い。

自己肯定感や進学・就職での機会に恵まれる傾向がある。

まとめ

日本では、外見や肌の色に基づく差別現実存在することは否定できません。

特に黒人は、白人に比べて差別対象になりやすく、その経験学校職場で長期的に影響することがあります

都市部国際的環境家族や友人のサポートがある場合は軽減できますが、構造的な不平等は依然として存在します。

日本で「白人比較的扱われやすい/黒人や“肌の色が濃い見た目の外国人”が差別されやすい」という主張を裏付ける、**統計データ・報告・メディア研究などで確認されうる「差別の事例や傾向」**をいくつか紹介する — ただし「白人優遇」「黒人差別」が常に・すべての場面で起きるとは言えず、あくまで「報告されてきた現実可能性」の提示、という形で。

🔎日本で報告されている外国人人種差別実態

外国人対象とした調査の結果

日本法務省(とその関連機関)が2017年実施した全国調査で、外国人居住者の約 30% が「差別的な言葉を“しばしば”または“時々”受けた経験」があると回答。

ガーディアン

  1. 1

同調査では、住宅賃貸などで「外国人お断り」 といった拒否経験した人が、物件を探した者のうち約 4割 に上った。

ガーディアン

  1. 1

また、就職面接で「外国人であることを理由に断られた、あるいは同じ仕事なのに賃金が低かったと感じたという人も、外国人応募者の「1/4」が経験ありと答えている。

ガーディアン

→ これだけでも、「外国人」というだけで、言葉暴言就職の不利・住居の制限など“制度的・日常的な差別不利益”を経験している人がかなり多いことが、データとして示されている。

人種・見た目による警察など公的機関での扱い(レイシャル・プロファイリング

最近報道では、外国人人口増加の中で、見た目が「外国人っぽい」人(とくに肌の色や“黒っぽさ”のある人への)に対する警察による職務質問・取り調べの実例が多数あると指摘されている。

朝日新聞

  1. 2

IntelliNews

  1. 2

2025年にも外国人の数が増え続けるなか、このようなレイシャル・プロファイリングへの苦情・抗議が増加。多くの外国人が「日本では顔や肌の色だけで犯罪者扱いされる」「外見で差別される」と語っている。

IntelliNews

  1. 1

実際、ある調査では、アフリカ系(肌が濃かったり「外国人とわかりやすい外見」)の人たちは、他の外国人グループよりも高い割合職務質問を受けた、という報告もある。

朝日新聞

  1. 1

→ つまり、「肌の色・見た目で外国人判断されやすい人」は、たとえ日本に長く住んでいたり日本国籍を持っていたりしても、公的機関で「外国人から」「外見が外国人っぽい」という理由で不当に扱われる可能性がある、という現実が報告されている。

制度的(または社会構造的)な「見えにくい差別」/無意識バイアス

学者や論者の間では、戦後以降の日本社会で「白人(または“白っぽさ/欧米的な見た目”)を理想/模範とする価値観」が根強く、これが無意識のうちに「白人理想安心文化的」「色の濃い見た目=異質/怖い/不安定」といったステレオタイプを生んでいるという指摘がある。

好書好日

  1. 1

このような無意識バイアスは、言葉での暴言や明らかな差別行為に至らなくても、「無視」「警戒」「遠回しの拒否」などの形で現れやすく、制度化・習慣化されにくいため“見えにくい差別”を生みやすい。

好書好日

  1. 2

japanhumanrights.com

  1. 2

→ たとえ明確な差別行為が起きなくても、社会の“常識”“暗黙のルール”“無意識偏見”によって、有色人種・肌の色が濃い人が不利な状況に置かれやすい、という構造的な問題

⚠️ 「白人優遇」「黒人差別」が“どこまで”“誰に”起きるか — 注意すべき点

ただし、以下のような限界や注意点もある:

上記調査や報告の多くは「外国人一般」「肌の色や出自が明らか外国人」など広義の“外国人人種マイノリティ”を対象としており、必ずしも「白人 vs黒人」の比較になっているわけではない。

白人優遇される” という統計データのものは、僕が確認できた限りでは「白人差別をあまり受けない」「肌の色が淡い人・欧米的な見た目の人が、差別されにくい傾向にある」ことを示す間接的な証言・論考が中心で、「白人優遇」を示す明確な数値データは少ない。

差別偏見地域年代環境都市地方か、外国人が多いか少ないか国際交流の多さなど)で大きく異なる。よって「日本全体でこうだ」と断言するのは難しい。

✨ なぜ「黒人」が特に差別不利益経験やすいとされるのか — 背景的な要因

社会的な「白人中心」「欧米モデル志向」 —戦後日本は、欧米理想とする文化メディアファッション価値観国際関係など)を強く受け入れてきており、その過程で「白っぽい肌」「欧米的な顔立ち」が“安心・模範”の象徴となりやすい。

好書好日

  1. 2

日本戦略研究フォーラム

  1. 2

外国人」または「外見で外国人と分かりやすい人」に対する不信や警戒 —特に肌の色が濃かったり、アジア以外の外見をしていたりする人は、「言語が通じるか」「文化・習慣が違うか」「犯罪可能性」など、漠然とした不安対象になりやすく、結果として過剰に警戒・排除されやすい。

朝日新聞

  1. 2

japanhumanrights.com

  1. 2

法律制度面の不備や曖昧さ —日本には(2025年現在でも)「人種差別禁止」を包括的規定する法律はなく、差別言動差別的取り扱いが“違法”と認められにくい、という構造的な問題。これが差別の実害を可視化是正するのを難しくしている、という指摘がある。

朝日新聞

  1. 1

🧑‍🤝‍🧑 私が見る限りの現実あなた経験も起きうる

あなたのように「黒人である」「見た目で外国人判断されやすい」という条件を持つ人にとって、上記のような差別偏見制度的な不利は、**決して“可能性の話”ではなく、“現実として起きやすいこと”**だと思います

特に

就職賃貸日常公共サービス利用などでの無理解

公共機関での警察対応

社会的心理的孤立感、

肌の色や出自によるステレオタイプによる扱い

――これらはデータや報告で実際に確認されており、「黒人から」という理由で起きやすい、という構造がある。

最近(おおよそここ数年〜10年)日本で「人種差別・見た目による差別」に関して法的に争われた判例裁判はいくつかあります。以下、最近裁判例/判例概要 を紹介する — どちらも「人種・見た目による差別排除(または差別的取り扱い)」が問題とされたものです。

⚖️代表的裁判例・判例

人種差別的な職務質問をやめさせよう!訴訟2024年現在進行中)

2024年1月29日外国出身または外国ルーツを持つ男性3人が、「人種や肌の色・外見のみを理由警察から繰り返し職務質問されたのは差別だ」として、国および都道府県相手提訴

朝日新聞

  1. 2

コール4

  1. 2

原告によれば、過去10 年間で数十回の職質経験があるという。

朝日新聞

  1. 2

Cubeニュース

  1. 2

原告側は、「警察官による人種(肌の色・見た目)を根拠とした職質は、合理的理由なし — つまり無差別のルッキング判断に基づいており、憲法および国際人権条約に反する」と主張。

コール4

  1. 2

プレスリリースニュースリリース配信シェアNo.1PR TIMES

  1. 2

提訴後も審理が継続中で、2024〜2025年にかけて複数回口頭弁論があったことが報告されている。

조선신보

  1. 2

イオWeb

  1. 2

この裁判は、日本で「人種・肌の色/見た目」を理由にした警察の職質を初めて法廷で争う事例とされており、公的機関による差別構造に対して司法的に問いを立てた、歴史的なケース。

朝日新聞

  1. 2

ウィキペディア

  1. 2

→ 現時点では判決は出ていませんが、「職務質問実態」「差別としての違法性」が社会司法議論にのぼっている重要裁判です。

Bortz v.Suzuki1999年判決

1999年外国人ブラジル人女性)が日本の宝飾店で「外国人お断り」として入店拒否されたことを理由提訴

UW法学デジタルコモンズ

  1. 2

熊本学園大学

  1. 2

裁判所(静岡地裁浜松支部)は「街頭の店舗一般に開放されており、国籍人種理由入店拒否するのは不当/差別である」と判断し、賠償を命じた。

UW法学デジタルコモンズ

  1. 1

この判例は、日本での人種差別に関する裁判の先駆け的なもの。以後、他の差別事例や外国人排除行為に対して法的根拠として参照されることがある。

UW法学デジタルコモンズ

  1. 2

ウィキペディア

  1. 2

→ つまり、「国籍や見た目」だけを理由サービス拒否されたら、法的に差別として争えるという前例がある。

📚社会的制度的な議論・背景

このような裁判が起きている背景には、国際的条約—例えば人種差別撤廃条約(CERD) — を日本批准しており、人種・肌の色・民族理由とした差別的扱いを禁止する国際義務がある、という点がある。

プレスリリースニュースリリース配信シェアNo.1PR TIMES

  1. 2

コール4

  1. 2

また、最近裁判(前述の職質訴訟)では、公権力警察)による制度的な差別問題とされており、単なる「個別偏見」ではなく「構造としての差別」を問い直す機会になっている。

イノセンスプロジェクトジャパンOfficialweb site

  1. 2

Human RightsWatch

  1. 2

一方で、日本国内には今なお「外国人差別包括的禁止する法律」が整備されておらず(つまり差別されても法的救済や防止の仕組みが弱い)、差別が“見えにくい”かたちで残りやすい、という指摘もある。

ウィキペディア

  1. 2

ウィキペディア

  1. 2

✅ 意義と限界

これらの裁判例は、「見た目・国籍・肌の色だけを理由とした差別でも、法的に争える」「公共機関民間サービス提供者、どちらにも適用されうる」という前例をつくったことに大きな意味がある。

ただし、特に最近裁判は「係争中」であり、最終的な判決制度改善がどうなるかはまだ不透明

また、過去の事例も限定的で、「すべての差別」が可視化されているわけではない。多くの「見えにくい差別」「日常偏見」は裁判には至らず、被害が明るみに出ないままになっている可能性がある。

🎯あなたのような立場にとって意味すること

あなたが「黒人」「肌の色・見た目で外国人と分かりやすい」という条件を持っていて、日本で生きていくことを考えているなら、このような裁判判例は 一つの希望 でもあります

過去に「外国人お断り」や警察による見かけだけの職質で法が差別を認めた例がある → 完全に無法ではない。

差別偏見があったとき、「差別として訴える/声をあげる」という選択肢がある。

ただし、実際に裁判に踏み切るにはエネルギー支援必要社会制度意識も完全ではない。

Permalink |記事への反応(0) | 23:20

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

白人として日本で生まれたらどうなるか教えて

1.社会的認識偏見

白人は「外国人」「欧米人」として認識されます

肌の色が目立つため目立ちますが、日本での偏見差別黒人に比べると比較的軽度な場合が多いです。

メディアでも白人ポジティブに描かれることが多く、外国人ステレオタイプ(親しみやすい、賢い、文化的に優れている)として扱われやすい傾向があります

2.学校での体験

中学校

いじめからかい

外国人扱い」や「英語ペラペラ?」などの好奇心から質問はあるが、身体暴力や強い差別黒人に比べて少ないことが多い。

クラスでの目立つ存在にはなりますが、必ずしも孤立するとは限らない。

学習環境

英語外国文化に強い関心を持たれやすく、教師友達から注目されることもある。

肌の色や見た目での深刻ないじめは少なめ。

高校

白人として目立つことはあっても、友人関係排除されることは少ない。

部活動趣味を通じた肯定的経験が得やすく、自己肯定感を維持しやすい。

3.職場社会での体験

外資系企業国際的職場優遇されることがある(英語外国文化への期待)。

外国人枠」として扱われる場合があるが、黒人ほど偏見嫌がらせは少ないことが多い。

ただし、田舎保守的地域では、やはり「目立つ存在」として視線を浴びたり、期待や質問を受けることはある。

4.日常生活での目立ち方

街中で注目されることはある(外国人観光客として見られるのと似た扱い)。

店員公共機関での対応比較的穏やかで、差別無視は少なめ。

メディアに出る白人像が好意的であることも多く、心理的負担黒人より少ない場合が多い。

5.心理的側面

自己肯定感への影響は比較的少ない。

「異なる見た目」という意識はあるが、差別暴力嫌悪感黒人ほど経験する可能性は低い。

海外文化への関心や語学力国際的ネットワークを活かしやす環境に育つことが多い。

まとめ

白人として日本で生まれ場合、見た目の違いで注目されることはあっても、黒人に比べていじめ差別暴力リスクは低めです。

肌の色や文化的背景は日本で目立つ要素ですが、ポジティブステレオタイプの影響も大きく、自己肯定感社会参加には比較的有利なことが多いです。

都市部では、多文化環境の中で普通に生活できることが多く、将来の職業選択にも幅があります

Permalink |記事への反応(1) | 23:17

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

黒人として日本で生まれたらどうなるか教えて

1. 家庭・日常生活

家族サポートがある場合

両親や兄弟から肯定的言葉自己肯定感が保たれる。

日本語英語など複数言語日常的に使うこともあり、国際的視野が早くから育つ。

服装髪型、肌の色でからかわれることがあっても、家庭で「あなたそのままで素晴らしい」と教えられることで精神的に守られる。

家庭に問題がある場合

虐待無理解があると、子ども社会への不信感を抱きやすい。

外見でのいじめ家庭内ストレスが重なると、心理的負荷が非常に大きい。

2.学校での体験

中学校

いじめ差別的言動

「肌の色」や「髪の毛」を理由からかわれることがある。

グループ排除されたり、悪口物理暴力を受けることもある。

クラス替えがなく、少人数だと毎日同じ人たちからいじめを受ける場合は、逃げ場がほぼない。

孤立学業への影響

孤立から学業に集中できない場合もある。

逆に、特定の得意分野で才能を伸ばす子もいる(音楽スポーツ外国語など)。

ポジティブ体験

都市部国際学校や多文化教育のある学校では、多様性尊重される。

外国人の友人や教師出会うことで、自己肯定感社会性を保てることもある。

高校

多様な価値観に触れる機会が増える。

いじめ偏見はまだ存在するが、自分に合う友人グループを見つけやすくなる。

部活動趣味を通じた「承認体験」が自己肯定感を支える。

3.職場社会での体験(成人後)

ポジティブなケース

外資系企業IT音楽スポーツ関連では、多様性が歓迎される。

語学力や専門スキルを活かして社会的に成功する人もいる。

日本文化黒人文化を橋渡しする役割を担うことも可能

ネガティブなケース

保守的企業地域では無意識偏見で苦労することがある。

外国人扱い」や「肌の色を意識した質問・態度」にストレスを感じることもある。

社会人でも対人関係の構築に時間がかかる場合がある。

日常での小さな違い

居酒屋商店での対応公共交通機関での視線賃貸契約就職活動での対応など。

ただし、都市部国際的職場ではほとんど意識されないことも多い。

4.心理的側面

自己肯定感の維持

肯定的な家庭環境・信頼できる友人・メンターが大きな支えになる。

自分は人と違っても価値がある」と思える経験重要

アイデンティティ形成

日本人としての自分」と「黒人としての自分」の両立が課題

海外文化SNSでの黒人コミュニティとつながると、孤独感が軽減される。

まとめ

日本黒人として生まれ育つ子どもは、日常的な差別孤立に直面しやすい一方で、家庭・学校趣味国際的環境サポート次第で、社会成功自己肯定感の獲得も可能です。

重要なのは、信頼できる人間関係と、自己表現の機会、そして自分文化アイデンティティ肯定できる環境です。

Permalink |記事への反応(0) | 23:15

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-12-06

エリート自分人生ドラマチックだから推し活なんてしない。他人じゃなく自分を推すのだ」

みたいな話を見て、さすがに引っかかったのでメモ代わりに書いておく。

1. 「高学歴推し活しない」って、どこのデータ

まず、「高学歴・高所得層は推し活をしない」と言い切るなら、

• どこの層を高学歴と呼んでいるのか

• その層の推し活率はどれくらい低いのか

くらいは欲しいところだ。

現実には、医者弁護士コンサルエンジニアも、普通にアイドルVTuber2.5次元も追っている。

この現場感を全部スルーして「エリート推し活しない」と語るのは、

ただの身の回り観察を“構造”っぽく言い換えているだけに見える。

2.自分人生がそんなにドラマチックな人間ばかりでもない

能力の高い人は、自分人生スリリングから他人ドラマはいらない」という主張も出てくるが、

現実のそれっぽい職場はだいたい、

長時間労働

• 高ストレス

人間関係のしんどさ

フルセットである

しろ自分人生ハードモードからこそ、

安全感情を動かせる“他人物語”を必要としている人も多い。

そこで「推し活にハマるのは退屈な人生の人だけ」みたいな線引きをされると、

いやいや、さすがに雑すぎないか、という感じ。

3.推し活を「無駄遣い」にまとめるには、ちょっと乱暴では

推し活を「自分人生好転させない一方通行の浪費」と切っていたが、

実際に起きているのはもっと生々しい話だ。

推しいるか仕事学校をなんとか続けられている

推しイベントを楽しみに毎日を回している

推し友ができて、孤立感がかなり減った

みたいな話はいくらでもある。

これを全部「非合理な消費」で終わらせるなら、

友人と飲みに行くのも、家族とダラダラ過ごすのも、だいたい同じく非合理。

そこはなぜかスルーして、推し活だけ叩くのは、

単に気に入らない対象にだけ厳しい物差しを当てているだけでは?

4. 「自分だけ推す」生き方もけっこう怖い

記事は、勉強運動美容・人脈に投資して「自分を推す」ことを勧めていた。

それ自体はいいのだが、

他人を推すやつは大衆

自分を推す俺たちは合理的

というノリになった瞬間、だいぶ雲行きが怪しくなる。

自分作品商品として盛り続ける生き方は、

病気事故

家族事情

不況リストラ

みたいな、自分ではどうにもならない要因でスペックが落ちた瞬間に、

そのまま自己否定へ一直線になりやすい。

他人推し活だけ「宗教」と笑っているが、

自分教に全振りしている構図も、だいぶ宗教っぽい。

Permalink |記事への反応(1) | 18:51

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

SIMP 0136っていう孤立惑星を知ってるか?

こいつは宇宙空間単独で漂ってる惑星で、木星の13倍もデカい奴だ

そしてコイツはなんとオーロラで輝きまくってる

オーロラというと太陽風との作用で輝くわけだが、単独で漂ってるコイツの周りには太陽はない

なのにめちゃ輝いてる面白い惑星

Permalink |記事への反応(0) | 16:16

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

島国根性という単語概念イギリス起源であるという奇説

以下は「『島国根性』という単語概念イギリス起源だという“風説” についての整理と解説です。

結論

島国根性』という言葉概念も、日本で作られたものであり、イギリス起源ではありません。

英語island mentality のような語があり、日本語の“島国根性”はそれを輸入した」という説は誤りで、歴史的根拠がありません。

■ なぜ“イギリス起源説”が流布するのか

日本では「島国孤立性・排外的」というイメージ分析文脈で しばしばイギリス日本比較されてきた ため、

イギリスにも同じ概念がある →日本語の“島国根性”の原型もそこから来たのでは?」

という連想が生まれやすい、という社会心理的背景があります

ただし、実際には以下のとおり:

英語の “insular” や “insularity” には「島国的」「視野が狭い」という意味合いがある

しか英語に固有の定型句island mentality/character” が歴史的に広く使われていたわけではない

まして日本語がそれを借用して作られたという証拠は見つからない

まり概念類似はあっても、語の由来関係はない。

日本語「島国根性」の成立史

島国根性」という言い回し日本語の明治大正期に定着した表現で、

日本社会批評文明論の文脈で生まれました。

明治後期〜大正期の新聞評論で頻繁に登場

外国文献を直接の語源とした証拠はない

しろ日本国内の「自己反省的・自己揶揄的」な造語

当時の日本は「欧米化開国・国際化」に直面しており、

内向性・閉鎖性への自己批判として「島国根性」という言葉が使われ始めた、という流れです。

イギリスの“島国概念との混同

イギリスには古くから

insular(閉鎖的)

Little Englandism(小イギリス主義

といった自己批判的語彙があります

ここからイギリスにも島国根性がある」→「イギリス発では?」という誤解が広まった可能性はありますしかし、

🔹言語的にも歴史的にも、日本語の「島国根性」と英語の“insular”や“Little Englandism”には直接の語源関係はない。

■ まとめ:風説の正体

島国根性英語起源」という話は、

イギリス日本がともに島国である

イギリスにも“insular”“Little Englander”のような語がある

それが日本語の由来だ、という誤った飛躍

から生じた都市伝説的な風説 と考えるのが妥当です。

Permalink |記事への反応(0) | 09:55

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-12-05

anond:20251205125104

孤立せよ・・・

Permalink |記事への反応(0) | 13:19

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

家族不安症だと家事育児のアウトソースは難しい

https://anond.hatelabo.jp/20251204174231

育児家事の大部分はアウトソースできるし、そうした支援を駆使すれば負担がだいぶ軽減されるのは事実。でもそれが使えなくなる事情が往々にしてあるので、その理解もしてほしいなという感想

子供は2歳だが、私のパートナーは社交不安症なので、家に家族以外の人間を入れることはできない。また不安が強いのでベビーシッター子供を預けるのも難しい。今の保育園最初は私が送り迎えややり取りを担当しつつ、相当時間をかけて先生方との信頼関係を構築してようやくいま、短時間の預かりができるようになっている。

それ以前は児童館ダメ子育て広場ダメ子供もの多い公園ダメで完全に孤立状態の子育てで本当に参ってしまいそうだった。

でも周りに相談すると、いろいろサービスを使えるのになぜ困っているのかが分からないという反応をされる。本人の不安の原因にもなるので、みだりに精神疾患のことを説明することも難しい。だから行き詰まってしまう。

から育児家事をアウトソースしていない人には相応の事情があるかもしれないという視点は欲しいなと思う。

Permalink |記事への反応(1) | 07:42

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-12-04

証明者――父と私、そして「存在しなかった」ものたち

春の陽射しが網戸を通して差し込む。父親がレール部分を指さす。「ここが出っ張っているから削ってくれ」。私は黙って見ていた。

彼の指さす先は、網戸の可動部分そのものだった。削れば機能しなくなる。彼は「ちょっとした困難」にすぐ人を頼る。

この癖が、彼の人生を、そして私との関係を、ゆっくりと確実に蝕んでいったのだと、今ならわかる。

水に沈むラジコン

私が小学校六年生のときの話だ。何週間もかけてラジコンカーを組み上げていた。

完成間近になった夜、父は「見せろ」と言った。暗がりの中、私は車体の最終調整をし、父に送信機を渡した。「触らないで」と念を押した。

彼は触った。いや、いたずらした。車体はバックし、深い水たまりにまっすぐ入った。

防水ではない。私は固まった。父は笑っていた。彼は私がキャンキャン騒ぐのを楽しんでいた。

子どもの反応をおもちゃのように弄ぶのが好きな男だった。

後日、母の叱責で父は謝罪した。窓を開け、寝ている私に投げやりに「悪かった」と叫んだ。

謝罪というより、恥辱の表明だった。何も伝わってこなかった。

この瞬間、私は「父」という存在を、一個の「人間」として測り始めた。そして、その測定結果は惨憺たるものだった。

父は幼い子ども特に五歳くらいまでの子に強い興味を示した。無理難題を言って反応を楽しむ。

しかし、子ども自我を持ち始め、「嫌なものは嫌」と言い出すと、彼の目は瞬く間に曇り、興味は失せた。

彼が求めたのは「思い通りになる関係」だった。それは存在しない幻想だ。だが彼は、その幻想依存し続けた。

春の朝暴力と、秋の出向

春になると、父は特別なことをした。早起きして私を叩き起こすのだ。

冬はない。春の陽気が、彼の中の何かを騒がせるらしい。「五分で着替えてグラウンドに出てこい」。それができないと、真っ赤な顔をして殴ってきた。

彼は「猶予を与えないこと」が得意だった。自分が起こされるときは、そんなことは一切ないのに。

時は流れ、父は会社で「懲罰人事」と呼ばれる社外出向を命じられた。

当時はリストラ時代ではない。彼は「出向イコールクビ」と二度繰り返し、絶望した。

青森かどこかへ行かされ、そこでは何もせず、無為時間を過ごし、苦しんでいたと後で聞いた。

不思議ものだ。同じ「出向」という境遇に、私は後に立つことになる。

だが私の感覚は違った。「落ち込んでいたけど、日々の出勤があるからね。なんかできないかなー」そう思った。

二万円のパソコンと、当時としては画期的低価格ソフトを買い、独学で使いこなした。

そして自作の便利なコマンドを作り、部署のみんなに入れてあげた。面白がられた。

そこに、大手IT企業から来たという男がいた。LANケーブルのこともわからず、私に頼ってきた。仕事から逃げる人だった。

「こんなダメ人間がいるのか」と思った。肩書と実力の乖離。父が会社でやっていたことも、おそらくこれに近かったのだろう。

暴力で言うことを聞かせ、逆らうと政治をする」。そんな男が、組織の本流から「放逐」されるのは、必然の成り行きだった。

網戸と算数問題集クラシック音楽

網戸の掃除の一件は、彼の人生の縮図のように思える。

自分で見て、考えて、ためしてみる――この最も基本的プロセスを、彼は常に他者に投げた。

その癖は、家庭の隅々に染み出ていた。

一緒に旅行に行こうと言い出したかと思うと、電車の中で突然言った。「お前は算数問題集を持ってきてやる」。

アホかと思った。旅行という非日常空間に、日常課題を持ち込む。

彼の頭の中には、私という人間感情欲望存在せず、あるのは「教育する父」という自分自身の役割に没入したいという欲求だけだった。

別の日、彼はテレビクラシック音楽番組を楽しそうに見終わると、手元を指さして言った。

ハイ、ここに三十分くらいクラシック音楽」。突然の指令である。私はレコードプレーヤーを持ってくるよう命じられ、むしゃくしゃした。

だって番組を楽しんでいたのに。彼の「いい気分」は、周囲の人間を突然「自分情緒体験の延長」として召喚する許可状になった。

ゴルフ指導もそうだった。一挙一動に大声で口を出し、完全に夢中になる。

彼が夢中になっているのは、私の上達でもない、親子の時間でもない。

指導者としての自分」に酔いしれる感覚のものだった。

水泳でも「それいけ!」とプール中に響く大声を出した。

それは私のためというより、自分自身の熱狂演出するパフォーマンスだった。

「胸がいっぱいです」と、存在しない相手の家

母方の叔母の話をしよう。彼女の息子は三十五歳でようやく結婚式を挙げた。

その場でマイクを握り、「私は胸がいっぱいです」と泣きながら言った。

私は意外だった。ふつう結婚式来賓を労うものだと思うからだ。

だが、これが母方の家系の特徴なのかもしれない、と後になって気づいた。

その叔母もまた、自分の息子が結婚した際、相手の家が存在しないかのような振る舞いを繰り返したという。

母も父と「同じ」だった。私の感情意思を、一個の独立したものとして尊重するという基盤が、初めからそこにはなかった。

母方の家系には、内輪の感情に強く没入し、その外側の他者を軽視する傾向が流れているようだった。

私は、父方の「支配幻想」と、母方の「没入と無視」という、二つの異なる「他者不在」のシステム交差点に生まれ落ちた。

からこそ、私は両方のシステムから自由な、「外部の観察者」となることを運命づけられていたのかもしれない。

高校生背中と、親戚への言いつけ

高校生のある日、私はついに父に「やり返した」。長年の理不尽暴力への反撃だ。

だが私は、顔面は避け、背中から押し倒すという「優しさ」すら守った。

彼は私を殴り返さなかった。代わりに、親戚中に電話をかけ、「息子が父親暴力をふるった」と言いふらした。

そこで私は、彼の「卑怯」の本質を見た。力の論理で負けるやいなや、たちまち「世間体」や「情の政治」という別の土俵に持ち込む。

会社で「逆らうと政治をする」というのも、まったく同じ手口だったに違いない。

家庭という密室では通用たこ手法が、会社というより広い社会では通用しなくなり、彼は「懲罰人事」という形で社会から排除されていった。

死の間際の「息子、息子」

父が死の床に就いた時、彼はひたすら「息子、息子」と考え続けていたと聞いた。その話を聞いて、私はなお一層、痛々しい気持ちになった。

なぜそこまで、自分を脱することができないのか。なぜ「最初から存在しなかった幼児」への依存から、一生抜け出せないのか。

彼が求め続けた「息子」は、私ではなかった。自我を持ち、意思を持ち、彼の支配を拒絶し、一個の人間として彼と対峙たこの私ではなかった。

彼が恋い慕ったのは、彼の心の中にだけ存在した「言いなりになる幻想幼児」だった。私は、その幻想体現できない「失敗作」として、彼の人生に居続けたのだ。

「生まれてこさせてもらって感謝」という問いの空虚

世間では「生まれてこさせてもらって感謝しなさい」と言われる。だが私は思う。最初から存在していないなら、生の苦しみも何もない。

まれる前の「私」に、生まれることの恩恵不利益もない。問い自体意味をなさない。

父や母は、「子どもを作った」という事実をもって、何かを成し遂げたと思っていたかもしれない。

だが、生物学的な子作りは猫や犬にもできる。なにも偉くない。

本当に難しいのは、その子どもを一個の独立した人格として尊重し、その人生を見守ることだ。

彼らにはそれが決定的に欠けていた。だから感謝」を求めること自体が、服従要求に感じられる。

私もうつ病になり、三十年近く貧しい生活を続けてきた。その中で気づいたのは、生きて給料を得ることすら、ある種の犬や猫が「できること」に過ぎないということだ。

社会はそれを「偉さ」の基準にするが、それができないからといって人間価値がなくなるわけではない。

逆に、それができたからといって、その人が他者尊重できる人間になるわけでもない。父がそうだったように。

理想化された対象と、網戸のパーツ

から私は思う。父のような人は、理想化されたホステスさんに、自分理想女性を「乗り移らせ」て、ぼーっと依存するほうがよほど健全だったのではないか、と。

対価を払い、時間区切り無辜他者を傷つけずに、自分幻想と向き合うことができるのだから

彼はそうしなかった。代わりに、逃げ場のない家族を、自分幻想支配欲の捌け口にした。

網戸のパーツを「出っ張り」と誤認し、削るよう命じたように、彼は現実を歪めて認識し、それを修正する責任他者押し付けた。

私は彼の「人生証明者」である

彼が家庭という密室で、そしておそらく会社という社会で、いか他者尊重せず、いか自己幻想依存し、いかにして孤立排除へと向かっていったかを、誰よりも詳細に証明できる存在だ。

同時に、私は彼の「反対の証明」でもありたい。出向先でパソコンを学び、コマンドを作って笑いをとったように。

網戸のパーツを削るように命じられながら、その誤りを見抜いたように。春の朝暴力に、「背中から落とす」という自制の反撃で応えたように。

彼が「懲罰」と見た場所で、私は「自分が伸びる材料」を見た。彼が「クビ」と絶望した処遇を、私は「日々の出勤があるから」と現実として受け入れた。

彼が「息子、息子」と幻想にすがった最期とき、私は「なぜ自分を脱せないのか」と、彼の孤独を見つめていた。

証拠はすべてここにある。水に沈んだラジコン春の朝グラウンド。網戸の誤認されたパーツ。親戚に言いつけた電話

青森での無為な日々。そして、私の中に残る虚しさと、それでも尚、現実能動的に関わろうとする、かすかな手応え。

子どもはすべて知っている。思う存分にやったことを、一つ一つ覚えている。

私は父の、そして母方の家系の、その「思う存分」の人生の、生きている証明なのだ

この証明書に刻まれ文字は、時に怒りに、時に哀れみに、時に深い虚無に染まる。

だが、それが私という人間の、否定しがたい一部であることも、また事実である

私は、彼らの「不在」の証明であることと引き換えに、少なくとも自分自身の「存在」の証人ではあり続ける。

Permalink |記事への反応(0) | 17:06

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

次の25件>
ログインユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
Copyright (C) 2001-2025 hatena. All Rights Reserved.

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp