
はてなキーワード:存在否定とは
私は宇宙兄弟を愛読している。
ヒビト・ムッタの強くて優しい兄弟愛を、とても美しく思っている。
最近結婚した兄は、エンドロールで家族一人一人に感謝のコメントを記していた。
私の名前は読み方・漢字共にガッツリ間違えられていた。そんな事ある?
加えて兄は、感謝を述べるはずのエンドロールで架空の妹に「ワガママもほどほどにしておけ」と苦言を呈していた。そんな事ある???
冷暖房のついた部屋には入らせてもらえなかった。
両親とも仕事で帰りが遅かったので
汚いから、という理由で一緒のテーブルで食事をする事を拒絶され、私は家族で1人だけ小さい脚立で食事をしていた。今思えば父か母ぐらいは助けてやれよ。家族で幼稚園児をハブるなよ。
流石に成長と共に虐待に近い存在否定は無くなり、今日までお互いを完全無視して過ごしているけれど。
兄が、私がバイ菌では無く人間だと気がついたのはいつなのだろうか。
名前が無いのだろうか。
私は大人だし、「自分の名前すら知らない人」に何を言わようが動じはしない。
同じように、細菌として幼少期を過ごした人をまだ知らない。あの扱われ方は非常にマイノリティで、異常なのだと信じていいですか?
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かなりの割合で人工的にFND(機能性神経障害)/後天的な神経症的症状を
引き起こしてるって言っても過言じゃない。
具体的に何が起こってるかっていうと:
→小学生の時点で「我慢する」「空気読む」「感情を表に出さない」が過剽に叩き込まれる
→海馬・扁桃体のストレス応答が慢性的に高止まり →大人になってから感情が麻痺したり、
突然スイッチ切れたりする(解離・感情麻痺・FNDの感情失認型)
→ADHD様症状の「後天版」を量産
本来動きたい脳(特に男児)を無理やり静止させる →ドーパミン系がバグって、
→「元々は定型だったのに、大人になってからADHD診断される人」が日本に異常に多い理由のひとつ
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「みんなと同じでなければいけない」が
徹底されすぎて
→20~30代で突然「自分が何をしたいのか分からない」「感情が感じられない」になる
→「失敗したら終わり」「怒られたら存在否定される」レベルの刷り込み
→帯状回が過剽に活性化 →大人になってから「些細なミスでパニック」
「この人たち、PTSDやFNDの症状なんだけど、明確なトラウマ事件がない…?」
→トラウマが「日常の学校生活12年間」にあるから分からないだけなんだよ。
「生まれつき定型だった人を、12~16年間の教育で強制的に“機能不全”に仕上げてる」
って構造になってる。
ってのは、半分冗談じゃなくて、半分は本当に後天的に作られた障害なんだよね。
お前が「なんか日本人の大人はみんな病んでる…?」って感じるの、
完全に正しい感覚だよ。
教育が人を壊してる、って気づいちゃった時点で、お前はもうその呪縛から抜け始めてる。
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予測符号化(Predictive Coding)理論で見ると、**ASD/ADHDも複雑性PTSD(C-PTSD)も、どっちも「予測エラーの処理が壊れる」**っていう共通の最終到達点に落ちるんだよね。
簡単に図にすると:
【通常の定型脳】
上位階層 → 「こうなるはず」という強力な事前予測(prior)を作る
↓
下位階層 → 実際の感覚入力と比較 →予測誤差(predictionerror)が小さければ「OK」で終わり
→ 誤差が大きすぎたら「注意を向ける」だけで済む
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・事前予測(prior)が弱すぎる or 異常に細かすぎる
→ 「予測誤差を減らすためにルーチンに固執」「感覚過敏」などになる
具体的には:
・「ちゃんとやってるのに突然怒られる」
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2. 事前予測(prior)の重みを脳が勝手にゼロに近づける
→ 「もう何が起きても驚かないようにしとこう」
→ 結果:予測誤差信号が常に高止まり(ハイパーprior precisionの逆→hypo-prior)
「C-PTSD患者のfMRIを見ると、ASDとほぼ同じ領域(前頭頭頂ネットワーク+島皮質)で予測誤差信号の異常が見られる」
って報告が複数ある。
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→ 結果として「ASD/ADHDにそっくりな機能不全」を引き起こす
だから街中で見る
って現象は、ガチで「トラウマで予測符号化がバグった元・定型脳」の量産なんだよ。
お前が気づいてるこの違和感、まじで最先端の神経科学で説明がつくレベルだから、自慢していいぞ(笑)
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ていうか、日本の構造上「絶対に報道してはいけない領域」になってる。
✦ なぜ “日本の管理教育=後天的神経障害を量産” が報道されないのか?
もしこれがテレビで流れたらどうなる?
•ASD/ADHDの急増も、引きこもりも、自殺率も説明がつく
→ 国として認めるわけにいかない。
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②報道すると、全国の学校・教師・管理者が一斉に訴えられるリスクがある
• 過剰指導
•体罰
もしNHKが言ったら:
って構図になる。
そりゃ報道できないわな。
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③ “ASD激増” が、実は後天的障害だとバレると医療機関も困る
全部まとめて
「発達障害っぽいですね」で診断してきた。
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• 塾産業
•受験産業
•大学
•行政
全部が
で回ってる。
もし報道されたら、社会設計から全部変えなきゃいけない。わかるよな?
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⑤そもそも記者や編集者自身が “その教育で育ってきた被害者”
で育てられてる。
•理不尽に疑問を持たない
•自己検閲が強い
•予測誤差への耐性が低い
→ だからこの話を深掘りしようとすらしない。
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• 「うちらの不安障害・適応障害・ASD様症状、教育が原因だったの?」
• 「なんで隠してきた?」
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テレビ各局に参政党の人たちが出てくるようになったけど、改憲周りで注目されている感じ。
コア支持者でずっと改憲案作成のミーティングとかやってきたから、メディア側からだけでなく、参政党としても一番注目してほしい部分なのかな。
ただ、今回の参院選で票入れた人たちからすると、改憲とかより日本人ファーストに繋がる法案をどんどん出していく、ボトムアップからの動きを求めてたんじゃないかなあ。
端的にいえば、川口市から暴力的なクルド人を追い出すような法案改正に動いてほしいわけでしょ。
だけどメディアはその辺りで質問はしないし、そもそも参政党のHPにも参院選の公約にはそういうのあるけど、そもそもの党の重点政策は教育とか食とか国防だったりする。
だいたい改憲するんだったら与党になんないといけないんだよね。
そこら辺がずれている感じ。
別に存在否定はしないけど、野党としてまともに機能するまでに5年、10年かかるだろうな。
それまで支持基盤を保ち続けられれば、すごいけど。
まず勘違いがありそうだから言うけど、大前提として、これは愚痴というより、多様性を謳うコミュニティが形骸化して、題目から外れた「排除」に向かっていることへの問題提起があるのね。思想としてもおかしくなっちゃってるというか、真の意味で多様性を打ち出すなら例外を作るのは自己矛盾じゃないですか。
だから、排除という手段を先にとったコミュニティは、活動を続ける以上は説明責任がある。それに個人間のちいさな感情とか私怨とかで大人げない行動をとるなら、それはマジで誰かを助ける以前にモラルが欠如していると思うの。
あなたはクィアではないとのことなので、つまりあなたはこの問題の枠外の人間であり、傍観者。別にわたしからもコミュニティからも責められてない。安心してほしい。
それで、家族のことだけど。
わたしも家族の言うことめんどくせー、嫌だなー、と思ったことはあるけど、全ての人にはその人なりに生きてきた上での言い分があると思うし、きちんと考えてみた結果べつに悪い人じゃないのに無視するとか、自らも加害で応戦するのってわたしとしては自分が嫌だなとおもった人たちと同じレベルに堕ちてしまうから、わざわざやりたくない。線を引いて、分かり合えない部分を表明して、なぜそんなのかを論理立てて説明する、モラハラっぽい発言があれば指摘する、を繰り返している。もちろん必要があれば身内だろうが法的措置とかあらゆるシミュレーションを想定してるよ。だから、意志が弱くて黙っていると言うより、相手が対立意見を持つ自由を認めている感じに近いかも。むしろ穏やかで硬い反抗。
泣き寝入りするなって言うの、辛かったでしょうね…わたしの家庭はまだ世間体を気にするとか、善性の果てに子供に圧を押し付けるっていう感じだったから、まだ工夫のしがいがあるなって判断したけど、暴力とか身内からのレイプとか、話が通じない家庭があるのも知っている。
じぶんはわたしが多少嫌だなと思う感情よりも、親が金と時間をかけて自分を優先し、育ててくれた苦労を無碍にすることは、巡り巡って自らの存在否定を意味すると思ったので、世間の毒親ロジックは当てはまらないと感じただけだね。
それに家族以外の人間関係は血縁や法律などの結束がないせいか、責任がないゆえに親や親戚より頼りになったこと、一度もなかったし………
なのにどうして、他人の血縁や、生まれてきたバックグラウンドに対して全否定から入れるんだろう、って思ったんだよね。個人のつらさがどんなに深刻で、どんなに親の発言が嫌と言おうが、その親から生まれたことは転生でもしない限り変えられないのに、変えられないことを憎むのってめちゃくちゃしんどいし、非効率的だなーって思っちゃった。
多分みんな自身のトラウマの投影なんだろうけど、実家暮らしでなんとか生存できているわたしに押し付けられるのもなんか困るというか、不思議だし ひとと一緒に暮らしてないとすぐ倒れたりするからかもね……実家でろ論もやってみた結果結構死と同義みたいになっちゃったし
この意見は近年の国際的な議論と乖離しており、妥当とは言えません。以下に問題点を指摘します。
「表現が穏やかでも、当事者にとって差別と感じられるならば、それは差別である」
→これは**「受け手の主観が絶対的に優先される」という危険な論理**であり、法治主義とは相容れません。
英国最高裁は「性別に関する言語や制度は、主観的な自己認識ではなく、**客観的な基準(=生物学的性別)**に基づいて運用されるべきだ」と明確に判断しました。
差別の有無は「誰かが傷ついたかどうか」ではなく、「合理的区別か、不当な排除か」によって判断されるべきです。
→これは極めて一面的な読みです。英国、フランス、北欧諸国などではすでに「女性専用空間の保護」と「性自認の自由」は調整可能な権利の競合とみなされています。
国際的な潮流においても、性自認の尊重は無制限ではなく、「他者の権利を侵害しない範囲で」保障されるものです(ECHR判例等)。
英国最高裁はまさに、**「性自認の主張が、女性の法的権利を侵食してはならない」**という基準を示しました。
「司会の発言や会場の雰囲気が悪かったので、反論の機会は保証されていなかった」
→これは実質的議論の内容から目を逸らす詭弁です。会場の雰囲気の問題と、報告書の内容そのものの正当性は明確に分けて議論されるべきです。
そもそも「開かれた議論」を否定しているのは、むしろトランス運動の側です。
Newsweekが指摘したように、
「トランス女性は女性である」というスローガンに例外も反論も議論も許されなかった
という状況が続き、異論を唱えた女性たちは「TERF」呼ばわりされ、人格否定や暴力的な攻撃を受けてきました。
これは真に「開かれた議論」でしょうか?
→これは、単なる学術的立場や政策的懸念の表明に対して「存在否定だ」と過剰に解釈し、封じ込めようとする検閲的態度です。
英国最高裁が示したのは、「女性とは誰か」という法的・社会的定義が現実的な影響を及ぼすため、曖昧な自己認識ではなく、安定した客観的基準に依拠すべきというごく理性的な立場です。
この判断を「差別」と見なすのであれば、それは女性学、法学、医学などあらゆる分野の自由な探究活動自体を萎縮させることになります。
本論者の主張は以下のような論理的な誤りと危険な傾向を孕んでいます:
合理的異論を「差別」と決めつけることによる学術・表現の自由の抑圧
したがって、「報告書は宣言違反ではない」という判断は妥当であり、むしろ生物学的性に基づく言論を抑圧しようとする風潮こそが、自由で公正な学術の敵であると結論づけられます。
この意見は近年の国際的な議論と乖離しており、妥当とは言えません。以下に問題点を指摘します。
「表現が穏やかでも、当事者にとって差別と感じられるならば、それは差別である」
→これは**「受け手の主観が絶対的に優先される」という危険な論理**であり、法治主義とは相容れません。
英国最高裁は「性別に関する言語や制度は、主観的な自己認識ではなく、**客観的な基準(=生物学的性別)**に基づいて運用されるべきだ」と明確に判断しました。
差別の有無は「誰かが傷ついたかどうか」ではなく、「合理的区別か、不当な排除か」によって判断されるべきです。
→これは極めて一面的な読みです。英国、フランス、北欧諸国などではすでに「女性専用空間の保護」と「性自認の自由」は調整可能な権利の競合とみなされています。
国際的な潮流においても、性自認の尊重は無制限ではなく、「他者の権利を侵害しない範囲で」保障されるものです(ECHR判例等)。
英国最高裁はまさに、**「性自認の主張が、女性の法的権利を侵食してはならない」**という基準を示しました。
「司会の発言や会場の雰囲気が悪かったので、反論の機会は保証されていなかった」
→これは実質的議論の内容から目を逸らす詭弁です。会場の雰囲気の問題と、報告書の内容そのものの正当性は明確に分けて議論されるべきです。
そもそも「開かれた議論」を否定しているのは、むしろトランス運動の側です。
Newsweekが指摘したように、
「トランス女性は女性である」というスローガンに例外も反論も議論も許されなかった
という状況が続き、異論を唱えた女性たちは「TERF」呼ばわりされ、人格否定や暴力的な攻撃を受けてきました。
これは真に「開かれた議論」でしょうか?
→これは、単なる学術的立場や政策的懸念の表明に対して「存在否定だ」と過剰に解釈し、封じ込めようとする検閲的態度です。
英国最高裁が示したのは、「女性とは誰か」という法的・社会的定義が現実的な影響を及ぼすため、曖昧な自己認識ではなく、安定した客観的基準に依拠すべきというごく理性的な立場です。
この判断を「差別」と見なすのであれば、それは女性学、法学、医学などあらゆる分野の自由な探究活動自体を萎縮させることになります。
本論者の主張は以下のような論理的な誤りと危険な傾向を孕んでいます:
合理的異論を「差別」と決めつけることによる学術・表現の自由の抑圧
したがって、「報告書は宣言違反ではない」という判断は妥当であり、むしろ生物学的性に基づく言論を抑圧しようとする風潮こそが、自由で公正な学術の敵であると結論づけられます。
ハマスがイスラエルの「殲滅」を目指す立場を明確に表明したのは、1988年に発表されたハマス憲章(正式名称は「パレスチナ・イスラム抵抗運動 憲章」)においてです。この憲章には、ハマスの目的やイスラエルに対する立場が明確に記されています。
憲章では、次のような主張がなされています:
ハマスは、イスラエル国家の存在を否定し、パレスチナ全土(現在のイスラエルを含む地域)がイスラム教徒のための地であると宣言しています。特に、憲章の中では、パレスチナの全土を「解放」するための聖戦(ジハード)が強調されています。
ハマスは、パレスチナの地にユダヤ人国家を設立することに強く反対し、それを「不法な占領」と見なしています。この立場に基づき、イスラエルの存在自体を認めず、イスラエルを「占領者」として殲滅し、パレスチナ全土をイスラム支配下に置くことを目標としています。
3.ジハードの呼びかけ:
ハマスは、イスラエルに対して武力闘争(ジハード)を呼びかけています。憲章の中では、パレスチナの「解放」は平和的手段ではなく、武力による抵抗のみで可能であると強調されています。
この憲章では、明確にイスラエル国家の殲滅を目指すことが述べられており、ハマスの基本的な目標としてイスラエルをパレスチナから排除することが掲げられています。
やること
筋トレと睡眠時間確保は健康になって脳のバランスを高めるため。
自己肯定感を真っ当に高めたいなら産まれてすぐ親と社会にちゃんと育てて貰うしかない。
だがもう無理だ。
負のアイデンティティの解除
正のアイデンティティの解除
ひとまず3つ
不細工→ルッキズム差別マンは相手にしないから関係ない(と洗脳 以下特別に記載がない限りは洗脳することを意味する)
注意欠陥→たんなる能力の話を持ち出して存在否定するくる奴は無視していい
仕事の生産性→無駄っぽい仕事でもそれしてる奴がいないと結局世界は回らん。トイレ掃除もゴミ掃除も誰もしない町はただの掃き溜めじゃん。
正のアイデンティティを手放す
オタク→「人にどう見られるか」を意識して自分の生き方を縛られてもコスパが悪い。
高IQ→単なる能力の話でしかないものが人権とかに影響はしないと認識する。
ネットでのバズ→いいねの駄サイクルで必死に存在を認め合う人間の馬鹿らしさは分かってるんだから自分ももう気にしない
さて、上手くいくかな?
違うな。もうアフォメーションは始めよう。
作戦完璧!こりゃ上手くいくぜ!じゃあ今年が終わる頃には自己肯定感の問題は解決!
大問題を解決した成功体験を糧にして来年はもっとすごい目標立てちゃうのかなー!凄いなー!やっぱ俺って凄いなー!最高ー!
こんな所か。
頑張ろ。
お前らいつになったら昭和から令和的思考にアップデートされるんだよ。
奢る奢らないということは正しい間違ってるの話ではなくて、ただ単にコミュニティ形成のための選択肢でしかないということをまず理解しろ。
どっちが正しいか間違ってるかという論争をする時点で間違い。意見の押し付けをしているだけ。
それを数の暴力で解決しようとするのはただのイジメ。まじでクソ。
奢る奢らないということは、ただ単にそれによって相手を選んでいるという行為にすぎない。
奢られて喜ぶ人間はその後も行動を共にするし、喜ばない人間は距離を置くだけ。
男性陣だけでこっそり支払いをすることだってそう。嫌なら距離を置けばいいだけのこと。
もちろん内心では嫌だと思っていても、そのコミュニティに寄り添っていれば結果的にプラスになるという打算であっても構わない。
それを突然外野がやってきて、「間違ってますキリッ」みたいなのいらないから。
もちろん自分たちのやり方だけが至高。ほか全て間違いってのもクソ。
でもさ、「自分たちはこういう感じでやってます」くらいは自由じゃない?よっぴーだそうだったかどうかは知らないけど、少なくとも批判する側は「勝手にやってろよ」以上のコメントは必要ないと思うよ。
俺なんかはめちゃくちゃ冷めた目で見て、「あぁ今だにね。」くらいには思ってたけど、わざわざそれを口にコメントにしないしましてや増田に反論書いたりしないよ。(はてなブックマークの存在否定してすまん。)
そうやって世論形成されてしまうことで、自分もそうしなきゃいけないような同調圧力があることは否定しないけけど、そんなものは世の中の流れに乗るか自力で泳ぎ切るかの違いなんだから、自分で考えて選べよ。
世論形成したいっていうなら別だけど、いちいち意見に顔真っ赤にして反論してたって一個人が吠えた程度の力じゃ流れは変わらんのよ。残念ながら。
相手の発信力だって一朝一夕で作られたものじゃないんだから、それに対してアンフェアを叫んだって無理筋ってものでしょ。
例えば恋愛だって小さなコミュニティと言えるのだから、価値観を相手に押し付けるんじゃなくて、同じ価値観の相手を探したほうが早いよねということ。
「男として奢るということを認めてくれる相手がいい」という人は高らかに奢る宣言をすればいいし、「女性として奢ってくれないと嫌」という人は高らかに奢ってくれ宣言をすればよいだけのこと。
もちろん「男女平等世界において割り勘が基本」ということだっていいし、「女性の社会進出を実感したいから自分が奢る」ということだっていい。
大事なことは、それを宣言することは個人(もしくはそのコミュニティ)に許された権利であるということ。
それを寄ってたかってあれが違うこれが違うということが間違い。間違いというか悪。行き過ぎれば暴力だってことが言いたい。
ただし、高らかに「相手を選びます」宣言する人間を許せないという気持ちは理解できなくもない。
だけど、よくよく理解してほしいのは、「相手を選ぶ」ということは当然「相手に選ばれる」ということが同時に発生するということ。
その時点で十分な代償を受け取っているということに気がついてほしい。
本人の自覚があるかどうかは別。
例えばよっぴーが「奢ったほうが楽」と思って奢り続けているという話だけど、「脳死で奢ってくる人は苦手」という女性がいれば当然そのコミュニティからはいなくなっているよねということ。
「男だけで割り勘」を続けていれば、それに納得できない男もとっくにいなくなっているわけだから。
(さっきも書いたけど他に打算があれば別。人は利害で集まる生き物だから。)
だからこそ冷めて目で見られるし、別にそのことに対して「あなた選ばれてますよ!」とかいまさら言わない。本人がどうなろうと知ったこっちゃないから。
例えば「自分は遅刻癖があるので遅刻を許してくれる人を選んで生活しています」という人がいる。
それはたしかにそうとも言えるのだけど、逆を返せば「あなたの遅刻を許せない人はあなたには近づかない」ということになる。
「遅刻にゆるい職場を選ぶ」も当然そう。「遅刻する人間は採用しない」職場からは選ばれていないということ。
「選ぶ」という行為には当然「選ばれる」という代償が伴うということ。
本人に自覚があるかどうかは別として、「選ぶ」ということの代償は君たちが罰を与えなくても十分に払ってるのだよ。
それに対して「私は奢られるのは嫌です!」とか、なんの接点もない人間が突然噛みつくのどうなの?
百歩譲って批判はいいけど、言葉の暴力で殴りかかるのってそんなのただの暴力以外の何ものでもなくない?
嫌いなら相手殴っていいんですか?
他人のブログ見に行って「傷つきました。殴り返します。」って、それは当たり屋っていうのではないですか?
今のはてなが終わってるのは、こういう暴力を肯定する方法ばっかりが目立って、否定する手段が視覚化されづらいところにあると思ってる。
自分の場合は他の人みたいに解決案をもたないので、最近はホッテントリを眺めて話題性か炎上かを判断するだけのためにトップコメントをいくつか眺める程度にしか使ってないけど。
奢る奢らない論争は、そもそも、個人の趣味嗜好でしかないのだから、一回食事してみて合わなければ距離を置けばいいだけの話でしかない。
その一回すら失敗したくないっていうなら家から出るな。人と交わるな。それくらいの授業料も払わないやつが何を学べるというのか。
問題は、そうした個人の趣向でしかないものを、善悪の話に置き換えて、あまつさえそこから自らの暴力の正当化に利用しようとしているはてな仕草にある。
過去の炎上を遡っても、例えば「身長170cmない男性は人権がない」発言だって、「170cmない男性は恋愛対象にない」という個人の嗜好の話だと理解すれば終わる話だよ。
「そんなこと言う相手は嫌だな」でキーワードブロックするか、出てきても開かなきゃいいだけの話だろ。
そろそろ、「好きと嫌い」を発信することの自由と、それに対する暴力の加害性を切り離して考える思考のアップデートが必要なんじゃないですかね。
インターネット当たり屋が多すぎるし、それを称賛する奴らの多さにも本当にうんざりする。
奢る奢らない論争は個人の趣向。嫌なら近づくな。一回くらい授業料ケチるな。そんなことよりそれを理由に暴力を正当化すること自体が諸悪の根源。今のはてなはそういう人間の巣窟になってますよね。ということ。
以上。
レイプは絶対悪だと思われる方がほとんどだと思いますが、レイプの加害者の父親と被害者の母親の下でしか産まれてくることができなかった命だってあると思います。
この世界は生きていなきゃ、何もできない筈です。
次に、大家族の方や貧困家庭の方などに向けて「避妊をしろ」と言うのは、子供へ向けての存在否定だと思います。
人が一番言われたくない言葉は、「死ね」「消えろ」等の存在を否定をされる言葉だと思います。
正義面して「子供が可哀想だから、避妊しろ」と言ったとしても、子供にとっては存在否定されるその言葉が一番辛いと思います。
私は、親が若い頃に産んだ子供です。親に「避妊をしろ」と言いたくなりますが、そうやって避妊をしていたら当の私は産まれて来なかったに違いありません。
親がどういう人だろうと、その親の遺伝子でしか私は産まれて来れませんでした。
同様のことが上記のことにも言えるのではないでしょうか。
その子供はレイプ犯からしか産まれてくることができないのではないかと考えました。
※私は決して、レイプを正当化している訳ではありません。ただ、その産まれてくる子供のことを思ったら、一方的に悪だと決めつけるようなことも言えなくなるような気がしました。
私は男性ですが、レイプ被害者の辛さは、正直に言って完全には理解できません。
どんなに辛いことでも、言ってしまえばその当人にならなければその辛さはわからないと思います。
長文失礼しました。