
はてなキーワード:存在とは
女は基本セックスしたくないという話題があったけど、そこで人気の結論は「男は女の苦痛に配慮しろ」なんだよな。主語にする性別はいつも男。女が男に媚びるなとか、女は男にセックスは嫌だって正直に言えとか、安易に体を許すなとかは絶対言わない。本当は女が主語になっていることが一つあるのを隠してるんだよ。それはいつ男に体を許すかを決めること。男に奉仕のご褒美をあげるタイミングを決めること。これだけ。女は本当は意思決定ができるのに、出来ないふりして、バカのふりをして男にしなだれかかって、社会的ペナルティを回避するための言い訳作りに全力になれる。マンコのためなら男は何でもするって知ってるから、いかに男を操縦するかに女脳は全力なんだよ。男が女を馬鹿にしててそれは差別だ言うけども、バカの振りした女のほうが男受けが良いからわざとやってるんだよ。気付かないのは男だけだ。女は知ってるんだよ。本当の女はバカじゃないって。ずる賢い。フェミの人は精神的にあれな人が多くて人と付き合うの苦手そうだから分からんかも知れんけどさ。女の言葉を文字通り受け取っちゃうタイプの人かもしれないけどさ。女ってのは、男にいつセックスを許すか、すなわち男からの奉仕をどれだけ引っ張るか以外のことは全部男に責任を押し付ける恥知らずなんだよ。そうやって女が望んで意志を持つ存在にならないから給料が安いし、トップにはなれない。ガラスの天井作りの共犯は女だよ。 政治だって本当は、そんな面倒なのは全部男に任せて自分らはのほほんとしてたいって、差別問題なんて知らないよって、本音ではそう思ってるよ。
百合好きにウケても売れはしないという発言は残念ながら、これはかなり正しい。
であればどうすれば百合作品が売れるのか、作り手側・売り手側の視点から考えた。
ただ少なくとも百合自体を否定したいわけではなく、私としては百合の商業的価値を信じたいと思っている。
まず百合作品を世に出すという行為が、商業行為であるという認識を持たないといけない。
少なくとも商業作品である以上、「百合だから仕方ない」という言い訳が許されるフェーズはもう終わっている。
まず漫画や小説出版、アニメ化は全て商業的行為であり、資本主義的行為であると言える。
雑に言うと、出版も他の私企業と同じ、資本主義的な投資回収モデルで動いている。
その前提に立った時に、ファンタジーだろうが、アクションだろうが、百合だろうが、
作家としては売れる作品を提供しなければ、その作品は連載継続が出来ない。
では、消費者が支払った対価以上の価値があると思える作品を提供し続ければ売れるのかというと、決してそんなことはない。
仮にパイを取り切り、それでもなおROIが0を下回るような場合、その市場単体には投資価値がない。
それだったら、その分のリソースを他ジャンルに回したほうが合理的だ。
特に熱狂的な「百合だから」という理由だけで購入してくれる層はほぼ取り切り、
今後は微増傾向になるのではないかと思う。
yuriという単語自体が英単語としての意味を持つようになったという事実がある。
10年、20年前と比較して、ROIとしては一応プラスに転じるようになっただろう。
ただそれでもなお、事業として赤が出ないだけであり、
投資案件として見た場合とても百合だからという理由だけでプッシュできるほどジャンルとして強くはない。
パイの規模を維持したまま一人当たりの平均使用金額を一時的に上昇させることは可能だ。
外圧により継続的に分不相応な可処分所得を作成することが不可能である。
従って、この策は結果的に市場の縮小という結果を招くと言える。
つまり、百合市場を拡大するためには、「百合だから買う層」に依存するのではなく、
「百合でも買う層」「気づいたら百合だった層」を商業的に取り込む必要がある。
では、どうすれば「百合でも買う層」「気づいたら百合だった層」を取り込めるのか。
そのためには一旦百合を捨てよう。
わかる、百合作品を売るのに百合を捨てろとはどういうことだと。
文句を言いたくなるのは非常にわかるが、少し待ってほしい。あとで拾うから。
それでもって百合という要素がないと破綻するような作品を書けばいいわけだ。
同時に一部幼なじみによる恋愛的側面や、黒の組織との対決という純少年漫画的要素も持っている。
引きこもりの陰キャが一人で遊園地に行ったところ黒の組織に遭遇し、身体が縮んでしまったとしよう。
そんな彼が強く元の姿に戻ることを望むだろうか?
蘭がいるからコナンは工藤新一に戻る必要があり、戻る必要があるから黒の組織と対決する。
そして読者はそこに期待をし、読み始め、結果として推理パートも楽しんで読むのである。
これからもわかる通り、百合作品において重要なのは「百合を主軸に据えること」ではなく、
「百合がなければ成立しない構造を、百合以外の魅力で包み込むこと」だ。
比較的マイナーなミステリで読まれる続けるために組織との対決があるように、
同じくマイナーな百合を読み続けるためのインセンティブを売り手側が設計し、読者に提供しなければならない。
ではここで、どのような設計であれば売れるのかという問題が発生している。
というか出版社は物語を売るということに特化した企業なのだから、知っていたらすでに自社の利益のために使っている。
ただここまで話してきてそんなもの知りませんじゃ、ここまで読んでくれた方は納得しないだろう。
ここからは、百合作品を設計するうえでの具体的なリスク要因について触れる。
少なくとも純粋な恋愛を前面に出すのはリスクが大きいということだ。
果たして恋愛を出さない百合は百合なのかという指摘があるのは理解している。
「わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)」はどうなるのか?という反論もあるだろう。
まず一つずつ処理をしていこう。
「恋愛を出さない百合は百合なのか」:これに関しては百合の定義が厳密すぎないか?
個人的には恋愛に限らず広義の女性同士の関係を百合として定義してしまっていいのではないかと思う。
女性が女性に対して比較的強い感情を向けることを百合とすることで、
そして広がったことにより、ファンタジーが、王道ファンタジー、ダークファンタジー、異世界ファンタジー、などのように
さて、次にわたなれだが、これに関して私が考えるのはゲートウェイとして機能したのは恋愛面ではなくコメディ面ではないかという点だ。
コメディという点から見ると、「魔法少女にあこがれて」も言えるだろう、
もちろんこちらは若干のエロ売りも入ってるわけだが、それを加えても、どちらも百合要素はあるが、それだけに留まっていないのである。
結局のところ百合作品を売るために必要なのは、百合を強調することではない。
百合でなければ成立しない感情構造を、百合以外の魅力で読者の前に差し出す設計なのだ。
そして、作者や出版社は百合以外の魅力を読者の前に差し出すことを恐れる必要はない。
文系は理系より平均年収が低い。https://www.rieti.go.jp/jp/publications/nts/11j020.html
ネットではコンサルや総合商社のような勝ち組文系が溢れているのに、これはなぜか?
「平均年収を引き下げている大多数の文系=弱者文系」層が存在するためである。
文系領域では、そこそこの年収だが専門性を武器にしたキャリアアップが起きにくい職が大量に存在し、勝ち組とそれ以外が隔絶している傾向にある。
理系は「専門性を活かして別業界や格上企業へ移る」ルートが見えやすいが、文系では難しいケースも多い。
結果、生活はできるがキャリアに閉塞感を抱える層が厚く形成される。
今日のコンサルや総合商社で働く勝ち組は投資・数字・意思決定に触れる機会が多いため、情報商材やネットワークビジネスの標的にはなりにくい。
一方「弱者文系」層はそれらの知識に触れる機会が少なく、キャリアや将来の閉塞感を抱えがちで、かつそこそこの収入があるため標的になりやすい。
ネットで「文系は本社勤務で高収入だが、理系は院卒でも工場勤務で低年収である」といった言説を見かけるが、ここで言う文系は文系の平均ではない。
このような言説は概ね客である「弱者文系」へのリップサービスで、閲覧数稼ぎ・アフィリエイト誘導・情報商材誘導と親和性が高い「弱者文系向けコンテンツ」と見るのが自然だろう。
ここまで読んで不快だった人がいるなら、多分以下のどれかを踏んでいる。
・文系の専門性が評価されにくく、キャリアジャンプが難しい職は大量にある。
・文系職のキャリア閉塞感を打開できる「銀の弾丸」はほぼ幻想である。
死刑は、まさにあらゆる刑罰のうちで最も冷嚴な刑罰であり、またまことにやむを得ざるに出ずる窮極の刑罰である。
それは言うまでもなく、尊嚴な人間存在の根元である生命そのものを永遠に奪い去るものだからである。
現代国家は一般に統治権の作用として刑罰権を行使するにあたり、
刑罰の種類として死刑を認めるかどうか、いかなる罪質に対して死刑を科するか、またいかなる方法手続をもって死刑を執行するかを法定している。
憲法第十三条においては、すべて国民は個人として尊重せられ、生命に対する国民の権利については、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする旨を規定している。
しかし、同時に同条においては、公共の福祉に反しない限りという厳格な枠をはめているから、
生命に対する国民の権利といえども立法上制限乃至剥奪されることを当然予想しているものといわねばならぬ。
そしてさらに、憲法第三十一条によれば、国民個人の生命の尊重といえども、法律の定める適理の手続によって、これを奪う刑罰を科せられることが、明かに定められている。
すなわち憲法は現代多数の文化国家におけると同様に、刑罰として死刑の存置を想定し、これを是認したものと解すべきである。
その執行の方法等がその時代と環境とにおいて人道上の見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合には、
将来若し死刑について火あぶり、はりつけ、さらし首、釜ゆでの刑のごとき残虐な執行方法を定める法律が制定されたとするならば、
その法律こそは、まさに憲法第三十六条に違反するものというべきである。
日本語の堪能なフィンランド人アカウントがポロっと言っていた。
(彼はこの問題で署名集めたりして母国の議員を批判している。)
釣り目擁護議員を擁護するフィンランド人たちの言い分を観察すると、
要するに「なんにでも過剰に反応するポリコレへの疲れ」みたいなものがあるのだ、という。
気持ちはわかる。
俺もポリコレが嫌いだし。
社会を改善するための取り組みってそれじゃねーだろと思ってるから。
浜田世代のハリウッドスターであるエディーマーフィーのコスプレだから。
エディや黒人を嘲笑してる内容が有ったら舐めてるがそれはない。
あれは黒人を舐めてる要素はないからセーフというのが俺の判定基準。
警察の衣装として浜田だけビバリーヒルズコップなのが面白い、というボケ、笑い。
だから抗議を突っぱねたよね。正しいと思う。
過去にあった黒人を嘲笑するためのショーと表象が類似するからなんなの?と。
内容見ればそれとはちげーのがわかるんだから無理筋抗議するカス相手に引いてはいけない。
やましくない・主張できる筋があるなら軽々に謝ってはいけない。
「嫌な気分した人がいたんだから謝れよ」には反対。
一方で。
中国人が先に何かしたなら理解するけど、いきなりなんなん?てなるじゃん。
「頭痛で頭をもんだシーンだった」とか言ってて
そういう嘘ついて逃げるってことはやましいんじゃん。
主張できるような筋もないわけじゃん。
なら謝って終わりだろ。
ただ謝った後もあの女が職を奪われたりすんのは反対。
イメージ商売だから使いづらくなった辞めてくれは仕方ないかなとしぶしぶはく奪を認めるライン。
舐めてキレられて謝ったというだけの顛末に
移民やLGBTや黒人や女について何か言えば、それがどんな言い分でも謝罪に追い込まれたり解職されたりするあれがあるのだという。
それはよくない。
きちんと自分の筋を点検したうえで覚悟をもってある個人や集団に批判を向けることは舐めではないし、
自分達にとって都合悪い指摘や批判を受けた時に受け止めて反論するのでなく
「差別」の話に摩り替えて理外に反撃する人間は相手のこと舐めてる。
適当に批判するのは舐めてるし、批判をきちんと受け止めて反論しないのも舐めてる。
そういう相互の舐め行為を許容することで社会はどんどん歪んでいき誰のためにもならない。
で、そもそもポリコレが保護してるのって黒人や女性や移民やLGBTであって
アジア人はむしろ差別のラストリゾート的に保護から外されてるわけじゃん。
ポリコレが過剰だ、疲れた、と思うならポリコレ導師やポリコレが保護してきた層を殴ってラインを引き直すべきで
ポリコレ保護外のアジア人を殴ってポリコレ疲れを表現したりガス抜きにしたりするのは
筋が通ってない上にあまりにもだらしねえよな。
そういうだらしなさはフィンランド社会を良くしないと思う。右翼としても情けない。
あのポーズ自体に精神的ショックを受けるってことじゃないんだよ。
そのポリコレルールを徹底せずに特定集団だけ保護から外すとはどういうことだ
というのが今回のフィンランドへの驚き&ムカつきとしてあるんだよな。
アジア人にも押し付けたルールの保護対象からアジア人を外す、というのは著しい舐めがある。
「これは舐めとるな」という感覚がある。
あらゆる対象に対してこの程度の無礼はOKとするというのがあるよな。
黒人も移民も女もフィンランド人も同じラインでからかえるなら俺は許すよ。
社会の全員そういう扱いならば、社会の蛮性は上がるけど舐めはないから。
極論西部の荒野みたいに市民が路上で名誉の決闘する社会でも、そこに嘘やアンフェアやだらしなさがないなら舐めはないから。
「ジャップなんかポリコレで守られる側の存在なのにポリコレに服さないのは滑稽!」とかほざいてたよな。
大嘘じゃんな。現実のポリコレってこんなもんよ。人の手で作ったガラクタよ。
・平気で嘘をつき
という舐めの三重奏であって
お前等が憎悪されてるのは他人さまを舐めてるからだぞっていう。
今回も「海外の同胞が困っているのに出羽守呼ばわりで嘲笑してる日本人がいる!」とか言って憤慨してる海外在住日本人が複数いたけど
その手の奴に限って過去の発言見たら日本のこと適当にディスりまくり。
「整形女が多い」「オワコン衰退国」みたいな下品な侮辱までかましてて
これで困ったときだけ「同胞を助けて」って、まあ 舐めとる よな。
あとは この騒動自体に苦々しさを隠せてない様子のリベサヨ も沢山見る。
日本人は加害者としてしか差別の問題にかかわってほしくないと言わんばかりの。
開拓時代の西部だったらこうした不用意に人を舐め腐るくそどもなんぞはとっくに誰かに撃ち殺されてるのにな。
もしわかっている人がいたら教えてほしい。
前提:
・都市伝説解体センターという物語はオカルトなことは起こっていないと思っている(2話ラスト以外)
知りたいこと:
┗元カレにアリバイがあったって話が挟まればミスリードになるが、別に言及されることもなくフェードアウトしたな……
・美桜はジャスミンの監視を掻い潜ってどうやって家に戻ってペンキを撒いたのか。そもそもペンキはどこに隠していたのか。
・なぜ最後美桜が先回りできたのか
┗最初はオカルトだと思っていたので、美桜ちゃんの生き霊とかなのかと思ったけど本体っぽい?
2話
・(幽霊は人為的なのに)なぜきのこにだけ鏡像の幽霊が見えていなかったのか
・ジャスミンの後ろにいた幽霊とは屋敷サラでいいのか?それならば動きや存在が幽霊すぎないか?
・鏡が凶器なの気づかないのはなぜ?傷口の鑑定でわかりそうでは?
┗まあ無理心中と初動で決定づけて死体を司法解剖に回さなかった……が一番ありえるか。
3話
・やたら目立つ蛇の落書き、松田が持ってた紙に書かれた蛇、など蛇の描写は何を意味している?
┗他の話でも蛇がやたら印象的に出てきて伏線かと思ったけど特に意味なかった
・小判って結局なんだったん?
┗謎解きのアイテムってのはわかってるが、それにしても限定品が一堂に会しすぎてないか?伏線かと思ったらそうでもなかった。
4話(ここが一番不可解)
・コトリバコは偽物だったのに、周りで何故虫が死んでるのか?
・不穏な村のジジイは何?
・蔵閉めたのは誰?
・蔵の壁のやつは何?
・蔵であざみーに巻き付いてた蛇は何?
・なんで最後に眉崎は吐血したの?特に理由もなくその後ピンピンしてるし
5話
・あざみーを見ていた影はなんだった?
・0枚目は何
┗ここらへんはまあ公式の出したやつで解決か……?と思うが、それをSNSで回収するなよ。本編で回収しろと思う。
6話
・ジャスミンはなぜセンターの中に入っていないのに監視から外したのか。
・ジャスミンはセンター長と電話をしたことがあるっぽいのに、あざみーと声が同じと気づかなかったのか
┗ジャスミンは有能っぽく描かれているのに実際の行動が無能すぎる。20代で警視正なんですよね?
・あざみー=センター長=歩であるのであれば、動画編集いつしてるの?
┗「歩は天才なので最初からこの展開を読んで先んじて動画にして予約投稿してました」なのだとしたら、逆にそれでいいのか?の気持ちになる。誰か1人でも予想外の動きを始めたら破綻しない?ギフテッドを人を操れる神様かなんかだと思ってる?
こうして書き連ねてみると、インパクト重視で特に意味のないミスリードが多い気がするか……?
あざみーが『信頼のできない語り手』であるということを前提としても、とくに理由がない描写が多いと感じてしまう。
ミステリというには説明が足りてないし、ホラーというにはあざみーやセンター長の能力含めて全て人為的であることが明かされている。チグハグさを感じてしまったので、
誰か上記で理由が説明できるのであればしてほしい。このモヤモヤを抱えたままは嫌だ。
絶対自分が考えつかないだけでちゃんとした理由があるはずなんだ。こんなにスッキリ解決するって言われてる話なんだから……俺の読解力がないだけなんだ……。
1000円の商品をテイクアウトすると600ポイント返ってくる。
かなりバグってる。
松屋というのはモバイルアプリで注文するとポイントが返ってくる。
下はブロンズ、上はダイヤモンド、さらにそのうえに隠れランクとしてブラックが存在する。
ちなみにブラックになるには2万円分を注文しないといけない。
自分は一度、シャレでブラックになるまで注文したのだが、それ一度きりで終わるつもりだった。
毎月、利用金額によって来月のランクが変わるので、毎月毎月松屋で2万円も食べてられないからだ。
今、松屋とかいたが松屋フーズの系列(松屋、松のや、すし松等々)だったらどこでもいいから注文できる商品にはかなり幅がある。
それでも毎月、2万も、、、とはならない、、、通常は。
それで抜け出せなくなる。
今だと、松弁という事前注文予約と頼むとポイントが2倍になる。
ブラックランクの松弁での通常のポイントが還元は20%だから2倍になる40%還元される。
さらにいまPayPayで支払うと最大200ポイントまでという制約があるが20%のポイントが還元される。
つまり、1000円の商品を頼むと合計で600ポイントが戻ってくるのだ。
実質400円で1000円のものが食べれるわけだ。
もうなんだ?これ?と頭がバグって抜け出せなくなる。
今月も順調に利用金額は増えていて来月もブラック間違いなしだ。
極端2万円の商品を2万ポイントで払っても来月はブラックになる。
これが、抜けられなくなる原因なんだ。
三島由紀夫の『仮面の告白』を読んだ。本来であれば、読了後の感動が冷めやらぬうちに書評を書くつもりだった。しかし、どうしても筆が進まない。この作品が鋭利な刃物のように「お前の仮面の下には何があるのか」と喉元に突きつけてくるからだ。安全圏から批評することなど許されない気がした。
だから僕は書評を諦め、代わりに僕自身の、あまりに個人的なある「恋愛」のようなものについて書く。
最初に断っておく。僕は同性愛者ではない。少なくとも一般的な意味において、男性の肉体を性的に欲することはない。 それでもかつて僕は、インターネットの海で出会ったある「彼」に、異常な偏愛を抱いてしまったことがある。 それは性愛というよりは、三島の小説の主人公が「聖セバスチャン」の殉教図に欲情したような、破壊と美が混在した倒錯的な眼差しだった。
当時、僕はTwitter(現X)という場所に漂う、独特の湿度が好きだった。自分の弱さや「メンヘラ感」をあえて露悪的に見せつけ、それを人質にして他者に寄りかかろうとする、あの「よわよわしい」文章たち。 彼は、その中でも一際異彩を放っていた。
どうしようもなく顔立ちの整った、かわいい男の子だった。 中上流家庭に生まれた育ちの良さを滲ませながら、現役で東大に落ちて、浪人生活を送っていた。 でも、彼から感じたのは受験生の悲壮感ではない。社会的な所属が宙ぶらりんになった真空地帯で、静かに窒息しかけているような危うさだ。
志望校を京大に変えたというのも、いかにも彼らしかった。 東の都の競争原理よりも、西の古都のほうが、彼の浮世離れした感性には似合っている。 結局、彼がその春に桜を見ることができたのか、僕はよく覚えていない。
ただ覚えているのは、彼がいつも何か別の世界を見ていたことだ。 彼のタイムラインは、彼の脳内みたいにノイジーだった。平沢進の壮大な音楽で救済を求めたかと思えば、lilbesh ramkoのような、脳髄をヤスリで削るようなグリッチ音を好んで聴いていた。
そして、何よりも僕の胸を締め付けたのは、彼がふと呟いた小学生の頃のエピソードだ。学校で「十年後の自分へ送るタイムカプセル」を作る授業があったとき、彼は未来の自分への手紙の隙間に、こっそりと「博麗霊夢」のイラストを描いて忍ばせたという。 なんとも、インターネット的な業と、無垢な少年性とが混ざり合っていて、僕はそのツイートを見て、どうしようもなく彼を愛してしまった。
そんな彼が、浪人が決まって一人暮らしを始めたときのことだ。親の金で借りたであろう小綺麗なアパートの一室。彼が上げた本棚の写真。
少年のような無垢さと、現代的な感傷と、アカデミズムへの真摯な野心。 その三つが奇妙なバランスで並んでいる写真に、僕はリプを送った。 「読んでる人を表してるみたいな本棚だね」
「ありがと、うれしい。でも半分ぐらい読んでない」
その正直さと、間の抜け方。それが彼だった。難解な哲学書に手を伸ばす一方で、『星の王子さま』を必要としている。そういう矛盾に、僕はつい心を奪われてしまった。
もっと単純で、動物的な理由もあった。 読者には見えない、消えてしまった140字の羅列。その隙間で、彼が僕に与えた「餌」の話をしなければならない。
当時の僕は、固定ツイートに**「五十六億七千万個まで質問答える。NGなし、期限なし」**という、弥勒菩薩気取りのふざけたタグを掲げていた。 彼がそれに反応し、「僕のこと好き?」と投げてきた。冗談混じりのやり取りのつもりだったのだろう。だが彼は引かず、何度も「好き」と繰り返した。 僕はそれをまともに受けてしまった。要するに、彼もまたズレた人間で、僕をある意味で好いてくれていた──それだけで十分だった。
その言葉は、当時の精神的に飢餓状態にあった僕にとって、劇薬だった。コンビニの駄菓子のような安っぽい言葉だったとしても、僕には高級な宝石のように思えた。 吞み込んだら、脳の奥がしびれた。
こんなにかわいく、あんなに残酷に、人の心に入り込める彼という存在そのものに、僕はどうしようもなく狂ってしまった。 そして、彼が「首絞め」を好んでいたという事実を知ったとき、僕は妙な納得感と同時に、どうしようもないエロさを感じた。
その瞬間を、僕の手で与えてあげたかった。 ウワバミに飲まれるのでもなく、毒蛇に噛まれるのでもなく、僕の手で。 彼が苦しげに喘ぎ、白目を剥き、よだれを垂らして「あちら側」へ行こうとする様を、特等席で眺めたかった。 彼を救ってあげたいという気持ちと、僕の手の中で彼が壊れていくのを見たいという嗜虐心は、僕の中で完全にイコールだった。
あんなにかわいくて、あんなに儚い男の子が、僕の手の中で痙攣している。 その想像だけで、僕はどうにかなりそうだった。 実際にその夜、彼を思いながら熱を吐き出したのかどうか、記憶は定かではない。ただ、ありふれた性の記憶ではなく、僕の脳裏に焼き付いているのは一つの光景だけだった。
――彼の首を絞めながら唇を重ねる、美しく結晶化されたイメージ。
しかし、そのイメージがあまりに完璧すぎて、僕は身動きが取れなくなっていた。 僕の思いを彼に伝えるのも怖かった。受け止めてくれるような気もしたけどね。
結局、僕は彼にやり方を聞いた。 「首絞めはきもちーよ」と無邪気に語る彼に、あくまで好奇心を装って。本当は彼にするはずだった行為を、自分の体で代替するために。
彼は何も知らないまま、「首吊りは危ないから、まずは気絶したらちゃんと空気が通るようなやり方にしたほうがいいよ」と親切にアドバイスをくれた。 僕はその言葉に従い、深夜、自分で自分の首を絞めた。 彼に向けられるはずだった愛と暴力を、独りよがりに自分の気道へと押し込んだ。
気道が塞がる。血流が止まる。視界の端からノイズが走り、意識が遠のく予感の中で、僕は愛の正体を捕まえたような気がした。
しかし、美しい魔法は唐突に解けた。生理的な拒絶反応に耐えかねて手を離した瞬間、僕はただ激しく咳き込んだ。 口の端から垂れたよだれが、冷たく顎を伝う。
熱に浮かされていた頭は急速に冷え、ゼーゼーと鳴る喉の音だけが部屋に響く。 布団の上で天井を見つめる僕の肌に、深夜の冷気がじっとりと張り付いた。ネット上では「窒息はコカインと同じくらい気持ちいい」などという言説もあったが、嘘っぱちだと思った。これならコカインをやったほうが簡単だろう。
ふとスマホを見ると、彼がツイートしていた。 「フォロワーに変なこと教えちゃった」 それを見て、僕は「かわいいなー」と他人事のように思った。
僕と彼の間に生まれた、共犯関係のようなむず痒い楽しさ。それを彼も少しは感じてくれていたのかもしれない。 そんな、三島由紀夫の描く血生臭いエロスとは程遠い、僕の「告白」である。
結局、この話にオチはない。 僕はおよそ一年間、彼のツイートを見てときめき、その文章を愛でていただけだ。会ったこともなければ、DMで深い話をしたわけでもない。 せいぜいリプと空リプで少し言葉を交わした程度。 彼はおそらく、僕のことなど覚えていないだろう。
鮮烈なエピソードもなければ、ドラマチックな結末もない。 僕がTwitterのアカウントを消したので、彼の消息は不明だ。 もちろん、彼ほどの人間がインターネットを辞められるとは思えない。おそらくTwitterの検索欄に彼の名前、あるいはかつての僕のアカウント名を打ち込んで、そこから逆にたどれば一時間もしないうちに再発見できるだろう。
しかし、僕はいまだに一度たりともそれを試みていない。 彼が変わってしまっているのが怖い。僕は臆病者だ。 もし、万が一彼を見つけて、彼が当時の「よわよわしさ」を克服し、精神的に自立し、強くたくましい大人になっていたとしたら?
友人として、それは心から祝福すべきことだ。彼には幸せになってほしい。本来なら地上では窒息してしまうはずの天使が、奇跡的に舞い降りたようなものだ。 けれど、それと同時に、僕の胸の奥で黒い感情が鎌首をもたげる。
彼が強くなること。それは僕が愛した「彼」の消失を意味する。 あの頃の、儚くて、今にも壊れそうで、だからこそ首を絞めて永遠に閉じ込めておきたかった「彼」は、もうどこにもいないことになる。
僕は彼に幸せになってほしい。 けれど、僕が愛せるのは「不幸で、弱くて、美しい彼」だけなのかもしれない。 だから僕は彼を探せない。
彼がどこかで笑っていることを祈りながら、その笑顔を見たくないというエゴを守るために、僕はもうまともにTwitterなんかできない。 たぶんもう一回始めたら、いつかは検索してしまうから。それで見つけられなかったら、それも怖いし。 彼は今にも死んじゃいそうだったから。
三島の『仮面の告白』のラストシーンで、主人公は日常という虚無の中で、乾いた心でダンスホールを眺める。 僕もまた、彼を探さないという「仮面」を被り続けることで、あの奇妙な二重性の中で、彼を生かし続けている。
そう、僕は彼を愛していた。 首を絞めながら、彼の唇を塞ぎたかった。 その暴力的な愛の感触が、今も僕の手のひらには残っている気がする。
今になって、こんな場所でこれを書いているのは、僕という異物を彼の喉に引っ掛けたくなったからだ。 探さないと言いながら彼に読まれることを期待している、矛盾した行いだけれど。
最後に、かつて彼が愛し、僕もまた愛した曲の話をして終わる。神聖かまってちゃんの『天使じゃ地上じゃちっそく死』。 彼はかつて、この曲を好んで聴いていた。
今の彼は、天使であることをやめて、平穏な地上でうまく呼吸ができているのだろうか。 それとも、今もどこかで、地上の空気に馴染めず、窒息しかけているのだろうか。
僕にはわからない。 だからこそ、この曲を聴くたびに、僕の脳裏にはやはり、あの頃の苦しげに喘ぐ彼の姿が浮かんでしまうのだ。
Xで炎上している育休のポスト、まーー正直気持ちはわからなくもない。
私は育休一年未満で仕事復帰したけれど、まだ0歳の息子にはやはり寂しい思いをさせているようで、保育園に通いはじめてから後追いが激しくなった。
家のローンもあるし、仕事自体はやり甲斐があって好きだし、子育てが落ち着いた後も同じ会社で正社員として働き続けたいから、私は少し早めに職場復帰をした。
未満時保育は月5万程度。高い。それでも職場にしがみつきたいから復帰をした。
しかし、それは私の勝手であり、息子の望んだことではない。ゆえに未満児の息子を保育園に預けて働きに出ることに罪悪感を覚えている。
だから育休を延長したいあの人の気持ちも、分からないわけじゃない。
それに、まだ子供も欲しい。
育休中に旦那や親族に二人目を作らないかと打診されたが断った。
復帰後せめて一年以上は働いてから二人目の産休に入りたいからだ。
しかし、子供を産むという行為には、残念だけどタイムリミットがある。子供を数人産み育てたい女性であれば、短いスパンで産休・育休と復職を繰り返すことになる。
さらに復帰後も時短勤務で同僚たちや管理職には迷惑をかける。心苦しい。
なので子育てが落ち着いてから本格的に職場に貢献するつもりで、働き続けようと思っている。
江戸川コナンは江戸川乱歩+コナンドイルから取られているのはコナンの世界でも事実である
だが初見の人間が「コナンってコナンドイルから貰ったの?ミステリー好きのご両親なんだね」と言っている例はなかったように思う
劇中ではこれらの作家が存在している事は確定していない?ので名前が小説家と似ていることに反応がないのかもしれない
毛利小五郎は明智小五郎と同名だが、江戸川少年の保護者の名前が小五郎というのはミステリ好きの悪ふざけにも見えるだろうな
アガサクリスティ由来の阿笠博士、ジュールメグレ由来の目暮警部も
現実の世界では勿論有名な名前だがコナンの世界には存在していないのかもしれない(ので誰も名前をイジらない)
工藤家の本棚にある小説のラインナップについて誰か調べてみてほしい
新一の父親の優作は松田優作(現実の俳優)、母親の有希子は二階堂有希子(現実の声優)なのでこれも劇中では反応できない
コナンの母親の文代については江戸川乱歩の小説に出てくる明智文代がいるので、そこに連想ゲームできる可能性はある
諸伏高明はコーメイと弄られているし蘭も詳しいので三国志が存在することは事実
転売目的ではなく積みプラを断捨離しようといろいろメルカリに出したけど、送料+手数料くらいの上乗せで出しても売れんし、+送料くらいでようやく売れるくらいだわ。
ただし、この方法は緊急時の一時しのぎであり、すべての種類の鍵に対応しているわけではありません。また、他人の家のドアを無断で開けることは犯罪行為となります。
柔軟性のある丈夫なカード:クレジットカードやキャッシュカード、ポイントカードなど(ただし、傷がついたり曲がったりする可能性があるので、できれば古いものや名刺アプリのNFCキーホルダーなどを使用してください)。
ドアとドア枠の間の隙間で、ドアノブ(ラッチがある位置)の高さにカードの角を差し込みます。
カードを斜めに傾け、ラッチの斜めになっている部分に押し当てます。
体をドアに少しもたせかけるようにして圧力をかけながら、カードをラッチに沿って前後に小刻みに動かします。これにより、ラッチがドア内に引っ込みます。
ラッチが完全に引っ込めば、ドアが開きます。
この方法は、ラッチが斜めになっていて、鍵がかかっていない(サムターンやデッドボルトがロックされていない)ドアでのみ有効です。デッドボルト錠(本締まり錠)など、完全にロックされた状態では開きません。
繰り返しになりますが、プラスチックカードは曲がったり傷ついたりする可能性があります。
逆に言えば、このような簡単な方法で開いてしまう鍵は防犯性が低いと言えます。心配な場合は、デッドボルト錠を設置するなどの防犯対策を検討してください。
中学の頃からジャンプ感想を言い合うオタクのグループにおり、「オイィイイイイ!」とツッコミを入れる新八腐をリアルタイムで経験してきました。
宮崎勤事件から時間が経っていたからかオタクへの差別は特に経験しておらず、一軍からの攻撃を受けることもなく男女混合の陰キャのグループでデュフデュフと生きてきました。
妻が「ソシャゲもあまりやらなかったし、もうVTuber界隈に全くついていけない。オタクとか女オタクと括られても、最近のオタクの女の子たちはもうよく分からない」と言っていたので、なんとなく自分の認識の範囲をまとめてみました。
技術基盤:個人での紙同人誌出版が唯一の発表手段。コミックマーケットは1975年12月21日に開始し、1980年代後半に『キャプテン翼』(1981~1988年連載)の二次創作がやおい/BL同人誌の隆盛を牽引。
文化的特徴:印刷・製本・搬入という高いハードルがあり、参入できるのは相応の熱量と資金を持つ層に限られた。このため「女性オタク≒腐女子(BL愛好者)」という等式がほぼ成立し、男女カップリングは相対的に影が薄い状態だった。
世代を象徴する代表的IP:キャプテン翼、聖闘士星矢、機動戦士ガンダム
技術基盤:インターネット普及により個人サイトでの創作発表が可能になった。夢小説は1995年頃からネット上で確認され、cookie/JavaScriptによる名前変換技術が読者参加型創作を加速させた。
文化的特徴:Web公開により印刷コストや遠征コストといった参入障壁が下がり、これまで存在感が薄かった男女カップリング愛好者と夢女子が可視化された。
世代を象徴する代表的IP:テニスの王子様、NARUTO、鋼の錬金術師
技術基盤:Twitter(2006年3月誕生)、pixiv(2007年9月開始)により、個人サイトを構築せずとも作品投稿・交流が可能に。
文化的特徴:投稿プラットフォームの整備で創作・交流の敷居がさらに低下し、BL・男女カプ・夢小説それぞれのコミュニティが並立。
ただしキャプテン翼の頃から変わらず「少年向け原作を女性が消費」の構図は継続し、竜崎桜乃(テニスの王子様)や井上織姫(BLEACH)など原作ヒロインへの批判的言説が続く。
世代を象徴する代表的IP:銀魂、家庭教師ヒットマンREBORN!、黒子のバスケ
技術基盤:スマートフォン普及とアプリストアの成熟により、ブラウザ/アプリゲームが日常的接触メディアになる。『刀剣乱舞ONLINE』(2015年1月)、『あんさんぶるスターズ!』(2015年4月28日)など女性向けイケメンIPが相次いで登場。さらに2018年頃にはVTuberが配信プラットフォーム側でカテゴリ化され、ドルオタ文化(ジャニーズ・K-POP)との融合が進む。
文化的特徴:最初から女性をターゲットに設計されたイケメンIPが充実し、「少年向け原作を女性が消費」をやらなくてもよくなった。そもそも作品に女性キャラが存在しないことにより、女性キャラ叩きが発生しなくなった。男性配信者・男性VTuberへのガチ恋やナマモノ(実在人物)二次創作など半生(半ナマ)領域が拡大し、ジャニオタ・K-POPオタといったドルオタ文化と女性向け二次元オタク文化の境界が曖昧に。多様な推し活スタイルが並立する状況となった。
世代を象徴する代表的IP:刀剣乱舞、あんさんぶるスターズ!、ヒプノシスマイク、ディズニーツイステッドワンダーランド、にじさんじ
第一期と第二期の間がかなり飛んでますね。世代的に第一期の認識も曖昧で、よくわかっておらず。キャプテン翼のBL同人誌が編集者に怒られた件しか把握していなかったりします。
多分、30代についての認識が一番濃い。リアルタイムに女オタクから話を聞いていたので。あと普通の感想に割り込むようにして桜乃や織姫、その他の女キャラへの叩きが書き込まれていたのは自分自身の不快の記憶でもある。
第四期については、これまたかなり広い領域をひとまとめにしてしまっている。ソシャゲ期と配信期に分けても良かったかもしれない。
あと妻の話によると、自分たち世代は「架空ホモに興奮するキショキショオタクのウチら」という自虐ムーブが染みついているが、近年は腐女子ではなく「Shipper」を自称してポリコレ準拠の文化的趣味としてBLを嗜もうとする出羽守性を持ったBL好き勢力が結構な勢いで台頭しており、自虐ムーブはいにしえのオタクの振る舞いなので批判対象である、そうだ。この辺りもSNSで海外と繋がることにより文化面での影響があったということなのかもしれない。
(妖怪大戦争Gs)いい形で出会えた作品、という感 じですかね。水木しげる先生をはじ め、荒俣宏さん、宮部みゆきさん、京 極夏彦さんという、そうそうたる 方々が前作では原案・脚本づくりに かかわってくださって。妖怪という存在についてのレクチャーを受けた のは、すごく刺激的な経験でした。
娘が作業所に通い始めたのは、春のはじめだった。正直、期待より不安の方が大きかった。人と関わることが彼女の負担にならないか、失敗してまた自信を失わないか。けれど初日、帰宅した娘は、玄関で靴を揃えながら小さく「今日、できたよ」と言った。その声は、久しく聞いていなかった澄んだ調子だった。
通所は週に三日。決まった時間に起き、同じ道を歩き、同じ作業に取り組む。その繰り返しが、娘の中に静かな柱を立てたように見える。糊付けや箱折り、単純に見える作業でも、彼女は丁寧に向き合っているらしい。「ここを揃えると、きれいになるんだよ」と、指先で空をなぞりながら説明する姿に、私は何度も頷いた。
変化は派手ではない。笑い声が急に増えたわけでも、饒舌になったわけでもない。ただ、朝の顔が違う。鏡の前で深呼吸をしてから出かける後ろ姿に、以前の張り詰めた影がない。夜、布団に入る前に今日の出来事を一つだけ話す。その一つが、彼女の一日を支えているのだと思う。
自傷の衝動や抑鬱が消えたわけではないのだろう。それでも、波は穏やかになった。作業所の職員さんや仲間の存在が、彼女を現実につなぎ留めてくれている。評価されること、役に立つこと、約束を守ること。その当たり前が、彼女の自信を少しずつ育てている。
母として、先回りして守ることばかり考えていた私も、学び直している。娘は、自分のペースで歩ける場所を見つけた。私は隣で見守ればいい。夕飯の席で、今日の作業の話を聞きながら、胸の奥に温かな重みが広がる。見違えるように元気になった、という言葉は軽すぎるかもしれない。けれど確かに、娘は今、静かな自信と落ち着きを身にまとっているように見える。ちんぽ
世間とズレてるのを承知で、聲の形の主人公はいくら説明されても許す気になれない
ヒロインの補聴器をいたずらで何度も壊して、親はそのたびに新しいのを買って、コンビニで買えるようなものじゃないからお金以外にも手間がかかる
後でお金を返してもそれで当時の苦労が消える訳じゃない
近親相姦のタブー倫理は、動物である人間のもつ「なんかキモイ」感情に依拠していると思われ、厳密な定義とか考えだせばだすほど理屈が変になる。が、文化圏を超えておおむね全部の人類コミュニティに存在する。
ヒトってやつは、幼少期に長い時間を過ごした異性に、欲情しなくなるようにできているらしいのだ。
でもこれは「幼少期を長く過ごした」だけで発動する条件であり、別にDNAに反応したり家系図を読んだりしても発動しない。
母親と結婚した罪で有名な、ギリシャ神話のエディプスが、幼少期に親から引き離されてるのは、だいぶ実話感を感じるね。
フィクションでタブーのキモさがあまり発露しないのも、そういうわけ。
漫画のキャラは、別に幼少期に過ごしてない相手だから。母とか姉妹とか記号だけ読んでも、それは単なる親密性のコードとなる。
数ヶ月前「togetterの存在が私の人生をなにか向上させてくれたか」と考えた時に1つも思い当たることがなかったので、はてなブックマークアプリでミュートのURLに登録した
え!
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