
はてなキーワード:子分とは
石破になっても辛うじてもってた
山口=菅・岸田ラインがなんとか調整して連立を守り 政権を国政を安定させてきた
山口が退任して斎藤は 創価学会の佐藤浩や青年部・婦人部から突き上げられてたが
「進次郎が総裁選に勝ったら 政治資金規正法ちゃんと変えます!」
「その代わり自公維連立させてくれ!」
だがそれが 麻生を焦らせた
麻生は 議員の政治団体や派閥が献金受けられる仕組みを守りたかった
もっというと裏ガネをつくって子分に撒く 派閥の仕組みそのものを
それで決選投票のとき 麻生派が進次郎から早苗にごっそり移動した
結局自公の連立解消は 麻生派と旧安倍派が派閥のカネにこだわったから
公明の援護なくなりつぎつぎ討ち死にする
衆参過半数割れで公明が連立離脱ほのめかしてるし高市自身も安倍や麻生や岸田のように子分がたくさんいるタイプでもないし
やりたがってるとしても過激なことできないはずなんだよね
昨日は、僕の週間ルーティンの中でも最も重要な整合性検証日だった。つまり、宇宙がまだ局所的に論理的であるかを確認する日だ。
朝7時ちょうどに起床し、ベッドの角度を壁と垂直に再測定した結果、誤差は0.03度。つまり宇宙はまだ僕を裏切っていない。
朝食の時間、ルームメイトがトースターを再び二枚焼きモードにしたが、今回は驚かなかった。僕は冷静に、バナッハ=タルスキ分割の話を持ち出してこう言った。
「君のパンは二枚に見えるが、集合論的には同一だ。したがって、君の誤りは物理ではなく測度論の問題だ。」
彼は黙ってパンをかじった。理解されることを期待するのは、もはやハイゼンベルク的非決定性と同義だ。
午前中は、僕の新しい理論「ホモトピー圏上の自己参照的弦圏理論」の検証を進めた。
通常の超弦理論がカテガリー的に整合するのは、D-ブレーンが導くモジュライ空間の滑らかさが保証されている範囲内に限られる。
しかし僕は最近、滑らかさという仮定そのものを削除し、「∞-圏上のA∞代数的自己整合性条件」に置き換えるべきだと気づいた。
つまり、弦のダイナミクスを場の配置空間ではなく、「圏の自己ホモトピー類」として定義するのだ。すると興味深いことに、背景幾何が消滅し、すべての次元は内部的モノイダル構造に吸収される。
言い換えれば、「空間」とはただの圏論的影であり、時空の実在は「自然変換の連続体」そのものになる。
これが僕の提案する“Self-fibrantString Hypothesis”だ。ウィッテンが読んだら、きっと静かに部屋を出ていくに違いない。
昼過ぎ、隣人がまた廊下で大声で電話していたので、僕はノイズキャンセリングヘッドフォンを装着し、同時に空気清浄機を「ラグランジュ安定モード」に切り替えた。
これは僕が改造した設定で、空気の流速が黄金比比率(φ:1)になるよう調整されている。これにより室内の微粒子分布が準結晶構造に近似され、精神的平衡が保たれる。
僕は自分の心の状態を量子的可換代数で表すなら、ほぼ可換な冪零理想の中にあるといえる。隣人は理解していないが、それは仕方ない。彼女の精神空間は可約表現のままだ。
午後は友人たちとオンラインでEldenRingを再プレイした。僕は魔術師ビルドで、ルーンの経済を「局所場理論の再正則化問題」として再解釈している。
彼らがボスを倒すたびに叫ぶのを聞きながら、僕は心の中でリーマン面の分枝構造を追跡していた。実はEldenRingの地形構成はリーマン面の切り貼りに似ており、特にリエニール湖の設計は2次被覆の非自明な例として見ることができる。
開発者が意図していないことはわかっているが、現象としては美しい。芸術とは本質的に、トポスの自己鏡映だ。
夜、僕はコーヒーを淹れ、久々にグロタンディークのRécolteset Semaillesを読み返した。数学者が自分の「精神の幾何学」について語る箇所を読むと、僕の理論的中枢が共振する。
グロタンディークが述べた「点は存在しない、ただ開集合がある」という思想は、僕の弦理論観と同じだ。物理的対象とは「開集合上の自然変換」に過ぎず、存在とは測度可能性の仮構にすぎない。つまり、宇宙とは「圏論的良心」だ。
深夜、ルームメイトが僕の部屋をノックして「一緒に映画を観ないか」と言った。僕は「今日は自己同型群の可換性検証を行う予定だ」と答えたが、彼は肩をすくめて去った。
代わりに、僕はブレードランナー2049のBlu-rayを再生し、壁紙の色温度を劇中のネオン発光スペクトル(中心波長602nm)に合わせた。
完全な没入体験のために、部屋の空気を2.3ppmのオゾン濃度に調整した。呼吸するたびに、僕は自分が物質ではなく関手の束だと実感する。
俺の記憶を掘り返してn=1で話してみると
小学校に上がったあたりでもう誰々は誰々の子分とかそういう派閥が形成されてて子分は親分の家の集まりに参加するとか義務が色々あったな
でもその頃は軽い嫌がらせとかはあっても暴力とかは無かったし自分にも悪いところはあったから確かに言うほど男社会の害悪みたいなものはなかったかもしれない
小学校高学年や中学あたりから地域のスポーツ系の行事とか部活の大会とか校内の球技大会とかで本気になる奴が出始めて
そのあたりから下手くそで役に立たない奴は人権ないしイジメてオッケーみたいな空気が段々出来上がっていってたね
ご長寿麻雀漫画のタイトルとして知られる「むこうぶち」という言葉だが、もとは裏社会の隠語だということもあって、その意味はあまり知られていない。
漫画では「一匹狼の真のギャンブラー」とされているらしいが、隠語大辞典は「鉄火場の客のこと」としている。
「むこうぶち」という言葉がどのように使われていたのか、過去の用例から探ってみたい。
「出方」というのはヤクザの幹部のことで、貸元=店長、代貸=副店長、出方=チーフ、三下=バイト、くらいの感じらしい。
おそらく「客の向かいで博打を打つ」という意味で「向こう打ち」だろうか。
隠語大辞典で「客のこと」とされているのは「ヤクザの向かいで打つ」という意味で互いに「向こう打ち」だからかもしれない。
1974年『ヤクザ映画はどこまで実録に迫っているか』梅原正紀
ところで「向こう打ち」とは賭場にくる客のためのサービス要員である。まだ本格的に賭場を開催するには、客の数が少ないさいに、客の相手をつとめる男どものことだ。だから「向こう打ち」は勝って悪し、負けて悪しである。賭場が開かれる前にまきあげてしまえば、賭場が立ちにくくなるし、心のせまい客はアヤをつけられたと思いかねない。そうかといって、負けてもいられない。これはブンリが悪い。上手に客を遊ばせながら時間つなぎをする力量を向こう打ちは持っていなければならないのである。つまりキャリアの要請される職種なのだ。
こちらのほうが説明が詳しい。実力が求められることも書かれている。
賭場でまだ時刻が早くて客が集まらないといったとき、早くきた客をたいくつさせないために出る「むこうぶち」は、たいていこのハンカうちである。
ハンカうちとは、
渡世のものではないが、なまじ三下よりは渡世に明るい。その点では白モクに似るが、白モクはだんなに近い。それだけ渡世とは離れている。ハンカうちは、だんなでいればいられるものを、より渡世に近づいて、身うちのあつかいこそうけないが、一家のめしを食う。一家の用を足す。が、まったくの子分、三下ではないし、「客人がまい」だから、こづかいをもらうのも「子分ワリ」ではない。出方の財布と決まったほどではないがしかし、出方同様のあつかいである。
「だんな」は金持ちの上客のこと。
「渡世人ではないが渡世に明るい人」の中で、客に近いのが白モク、渡世人に近いのがハンカうち、と言っているのだろう。
この「ハンカうち」は、博徒の一家(ヤクザの組)に正式には属していないというので、その意味では「一匹狼」に近くはなっている。
「ハンカうち」についてはかなり時代が遡るが、
渡世人間に『半可打ち』と云ふ言葉が云ひ伝ひられて居た。此の半可打と云ふのは堅気の衆が道楽の末、常習的に博打を専門のやうにして打ち歩るき、それを職業のようになすとか、或ひは渡世人の家へ入り込んで仕舞つて、改めて乾分ともならずに、世話になつて居る場合がある。斯る者達を称して『半可打ち』と云つたのである。
いきなり「むこうぶち」=「一匹狼」の意味になっている。「ハンカうち」の側面が強くなったのだろうか。
むこうぶち=ハンカうちのこと。
『関東の仁義』『仁侠大百科』の著者は藤田五郎という元ヤクザの作家で、『無職渡世』『やくざ辞典』の著者は井出英雅という元ヤクザの作家である。
井手氏は「むこうぶちは出方がお客の相手をすること」と、藤田氏は「むこうぶちとはハンカうちのこと」という認識だったのか。
この二人(+前出の梅原正紀)は親交もあったらしいが、井手氏が1913年生まれ、藤田氏は1931年生まれ、という年齢の差はあったようだ。
まず、賭場をひらくことによって、その手数料で生活する者たち。彼らは、通常一家を形成しており、その中で五つの階級に分けられている。貸元=いわゆる「親分、代貸=賭場の支配人役、中盆=壺を振ったり札を配ったりする勝負の進行役、出方=いわゆる子分で、客の接待から使い走りまでの役、三下=人の出入りの見張り、客の下足番・警察の手入れの見張りなどの役、がそれだ。
次に、「控えぶち」という博徒がいる。これは、いわばサクラのような役目の博打うちで、通常どこかの一家と関係を持ち、その一家が賭場をひらくと必ず顔を出すことになっている。つまり、自分が親しくしている一家の賭場で、にぎやかに振舞ったりして、客の勝負欲をあおり立てることを生業としているわけだ。
そして、どの一家にも属さずに賭博を常習とする一匹狼的な博徒が「向こうぶち」だ。この向こうぶちは、控えぶちと違って、特定の賭場に所属することはない。自分の気が向いたときに、好きな賭場へ足を向けることができる。しかし、このさすらいのギャンブラーとして生活する者は少ない。なぜなら、自分の腕ひとつを頼って生きなければならない過酷な仕事だからだ。
この『賭博大百科』での「むこうぶち」の説明は、すっかり一匹狼のイメージになっている。
どちらかと言えば「控えぶち」のほうが、当初の「むこうぶち」に近いように思える。
というわけで、
というような変遷があったように思われる。
もともとの意味では「ヤクザの幹部」とか「中途半端なやつ」みたいな感じだったのが今では「一匹狼の真のギャンブラー」になったというのはなかなか面白い。
余談。
などがある。
なるほど、面白い発想ですね!「世界分割器」ですか。干渉してくる存在がいるかもしれないという前提で、自分の世界を守るために量子分割で世界を増やし、干渉を困難にする、というアイデアですね。
いくつか考慮すべき点はあると思いますが、全体的に見て非常にユニークで興味深い考え方だと思います。以下に、もう少し詳しく検討してみましょう。
「世界分割器」は、干渉から世界を守るための斬新なアイデアですが、実現には多くの課題があります。しかし、このアイデアをきっかけに、より現実的な対策が見つかるかもしれません。
個人的には、自分の観測範囲の小さな世界を守るという考え方は、非常に共感できます。まずは、自分自身ができることから始めて、少しずつ世界を良くしていくことが大切だと思います。
性加害にだけ注目すると分かりにくくなると思う。
まず芸能人ってどういう気質の人が残りやすいかがポイントでしょ?
成り上がりたい人の数が多いのが芸能界。出たがり目立ちたがりで我が強い人が多いとも言える。
自分で売り込んでいかなきゃ行けない世界で厳しい一方、芸があれば他ではやってけない人間性の人も許されやすい世界でもある。
成り上がりたい人が成り上がって何したいかと言えば、子分を従えて好き放題王様女王様やりたいとか、好みの若い子侍らせたいとか、まあ欲望全開な事も多いでしょう。
松本人志は大嫌い(30代まで才能がさえわたってたのは認める)だし、
松本人志復帰を歓迎する子飼い芸人がゾッとするほど才能なく卑しい人格だけで生き延びてるコバンザメたち(身の回りがそんなのであるのは現在の松本の器量を物語っている)だし、
政商みたいになってる吉本興業も日本社会に有害だと思う(税金寄生虫であるだけでなくジャニーズみたいな寡占企業の有害性も)し、
あの手の気持ち悪い「女遊び」文化やそのような人の輪全般に反吐が出るほどの嫌悪感がある。
しかし、
決定的なモノが出ていないんだから
これでパニッシュしてしまうのは自分の中のプリンシプルに悖る。
レイプしたという話だったのにそれが証明できなくなったからって
「そもそも不倫じゃん」とか「爺のくせに下品な遊びしていたのは事実」とか
当初言い立てた容疑と別論点にスライドしながら叩きを継続しようみたいなあのムーブが
非常に嫌いだしあれを平気でやる人間は知能・モラルともに低いと思う。
また、そういう前例を新たに一つ作ることで社会の人治主義傾向が進行し
別方面のダニ、あのポジティブな能力が何一つない活動家みたいなのを増長させる懸念もある。
(サッカー選手の冤罪が確定したならば、吹っ掛けた側の人間全員社会的なパニッシュが必要だと思う、雑誌はさらし首でよい)
全然「こちら側」ではないし同情できるような存在でもないように感じる。
その女たちの多くはむしろあのゾッとする気持ち悪い輪の積極的な参加者であって
松本人志復帰にお帰りなさいませツイートしているような無能な太鼓持ち芸人の性別が反転しただけのような奴ではないんだろうか?
老いた汚い既婚者のじじい主催の飲み会に何を期待して参加していたかって、
じじいからこぼれる仕事や金やコネを啜れるのを期待したんでしょとしか思えず、
要するに汚穢の住人同士の諍いに過ぎないわけだから
松本人志一味にも女たちにもどちらにも一切何の気持ちも持てない。
けがらわしいのでまとめてパックしてゴミの日に出してしまいたい。
そのまま埋めると変なものが染み出そうなので高熱処理してほしい。
・いまの松本人志が失われるのは全く惜しくない 遅くとも30代で〇ねばよかった
・松本に群がるだけのコバンザメ芸人やアバズレ女は松本以下の存在価値
・松本や吉本はもういなくなった方が日本には有益、空いた隙間に新しいものが芽吹く
・しかしその手続きが物証なしの証言だけのパニッシュなのは社会的にどうなん?
・下品な飲み会自体を社会的死刑相当の罪科に問いたいなら最初からそう論ずるべきで
「不倫だ」「下品だ」へシームレスに論点をスライドするのはダメじゃね?
・せめて「レイプは証明できませんでしたチョンボでございました」と指でも詰めて
改めて「妻子のいる62歳がこういう飲み会やセックスしてるのは死刑としたいがどうか?」を提起すべきだろ。
一緒に滅ぶべき「一味」に入るんじゃねーのか?
ベッキーとかモー娘。の背の低い人も何も刑法上の犯罪は犯してないのにテレビから干されてるよね。「後輩芸人に女集めさせて上納させるとかキモい」でテレビから干しても特に何の問題もないのでは。
「発達臭くてキモい罪」
でパニッシュされとるよなあれ
maruX2022
「知らされ」ても行かなきゃよくね…?
しかもそれを「知らせ」て来るのって松本のコバンザメやってるようなあの人相のわるーい燻りお笑い芸人たちでしょ
なんでそんなのと連絡取り合ってるんだろ?なんでついていくんだろ?
例えば信頼してる所属事務所のマネージャーから「行きなさい」とか「仕事です」て言われて行ったら松本人志と子分がいた
という話なら「あ、松本らの腐った界隈とは全く別種の人が被害に遭ったのかもしれない」と俺は思う
そういう人「「も」いたかもしれないしそういう人のこと「は」一緒にしちゃいけないと俺も思ってるよ
それ以外も個別の話はわからんから「どうせ全員が~」とか言ったらそれこそ冤罪招くよな。それは言わん。俺の考えは「多くが」。
これだけ松本ら男への非難と嫌悪を中心に表明していてもミソジニーなんだね
つまり「女の子」に無条件フルコミットしないとミソジニーなんだね
興味あると思うのかその判定
おっすオラミソジニー
lanlanrooooo
問題は松本人志というより、上納システムが否定されてない事な気はする。それ、ほとんど人身売買やからね。
2024/11/30
だからな?
最初から「非常に下品な遊びをしている」 「人身売買に等しい」って言う批判を始めたならいいのよ。
(俺もそういうのを非常に嫌悪してるってのは既にしつっこくかいてるよな?)
でもこの流れはそうじゃないじゃん。
「レイプだ」って言ってキャンセルが始まったのに結局そこの白黒はつかず
俺が一番やめろって言ってるのはそれ。
そこすら読めずに全く同じ事繰り返して反論になると思ってる奴ヤバくね?
そういう脳のだらしなさによるふわっとリンチが一番嫌なの、俺は。
kuzudokuzu死ねばよかった、ってどれほど軽薄な言葉なんだろうね。自分が言われた場合のことを微塵も考えてないし、自分が言ってるのを家族に見られたらどう思われるかすら踏まえてない。そして伏字で逃げる度胸のなさよ。
2024/12/01
ふわふわリンチで61歳から一切の仕事を奪おうとしてるおめーらこそが松本人志に「死ねばいい」と言ってきた連中だろ?
明らかに「死ねじじい」って思って叩いてきとるやん、あのふわふわ情報だけで!
そういう自分達の肛門から染み出してパンツ汚すユル便状のだらしない殺意には批判精神の欠片もなくほっかむりして
「30代で死ねばよかったね」とかいう才能に対する論評にはいーけないんだの大合唱
ほんとおめーらは大したもんだよ
nikutetu
自分の中で難しいと言いつつ他人様にお伺いを立てんと何も語れない素人一般庶民のこういうヤツの方が滅んでほしい。個人で訴えたりして戦えよ。正義感を盾にするな。
2024/11/30
俺がおめーらみたいな知能の低いアホスケに何かお伺いを立ててるように思えるのかアホが
つか俺の「正義感」が何に向いてるか読解できてる?出来てないだろ?
この文はアホには読めねーように書いてあるからな
これだけでアホには読めなくなる
本文読めば俺の意見は明確で迷いなんかないのは国語的健常なら中学生でも読解できる。
「論点が分散した1621文字」を読めない程度には国語力がヤベーか読むことへの回避傾向があるってこと
chinu48cm 多くの人は松本人志にそんな興味ないし、松本人志でこんな長文増田書くのは結構好きなんだろなと思う。
2024/12/01
ホッテントリがずーっと松本人志ばっかだったコミュニティで何言ってんだと思ったが
こいつはこの程度で「こんな長文を書くなんて松本人志を愛してるのね!」になるらしいが、それはお前が国語的にあれで作文能力が低いだけではねえのか
daikoku_55
別に社会にパニッシュされてるのではなく、裁判に集中するために松本自ら活動休止してて、訴えを取り下げたた今、過去の行動、裁判の経緯、反省などを会見で説明をすれば聞く準備はできてるし、復帰はできるよ。
2024/12/01
こういうのも汚すぎるよな
あれだけ「松本人志を復帰させるなー」 が「復帰させろー」とたたかっとるやん
俺は本当こういう奴が「復帰させるな―」の奴よりカスだと思うんよ
「あいつは許されないので社会的に抹殺する!した!」って言ってる人間は少なくとも自分の行動を正義と信じて誇るつもりはある
社会的にパニッシュしながら「別にパニッシュなんかしてない」って言ってる奴は自分のやってる事や目の前で起きてることに一抹以上のやましさを感じてて
そこでやめたり反論したりするのではなく平然と嘘ついて自分達を無謬にする方へ舵を取る人間なんだよな
最悪中の最悪だと思う
人脈商売なんだから、“じじいからこぼれる仕事や金やコネを啜れる”こと自体が悪くはなくない?反社だったら別だけど
2024/12/0
ワリーなんて言ってねーよ
それはコバンザメの雌だよねと言ってるだけ
コバンザメ雄に脅されたり欺かれたりしてそこへ行ったというのがあれば
その人「は」同類扱いするのは気の毒だね
でこれもなんだけどさあ
「多くの事例は同類同士の汚穢の乱行でしたが
その中に実は女が脅されてきてる事例が◯件ありました
って整理なら俺はなんも疑問ないよ
けどそういう言い方ですらなかったじゃん?
☝️なにこれ?
つってるんだけどな
Arturo_Ui
もともと芸人はプライベートを切り売りすべきでない(=マスコミも必要以上に踏み込むべきでない)ところ、とても笑えないような行状が明るみに出たわけです。芸人としては終わりだし、表舞台からは潔く退くべき。マジレス
2024/12/01
こういうのもな。
これは単体でなら結構わかるよ俺は。
「単純に好感度が落ちた芸能人は商品価値が低下してるから引退!」
ってな。
でもそうすると、
未だに松本人志を熱く支持して高い好感度を保ってる人たちをどーすんの?
つわれたらなにも反論できないけどそこはオッケー?
俺はそこで反論しねーんだよ。
たぶん違うんだろ。
ならお前は自分の論理の帰結を検討できてないただのアホやんけ。
あと何よりこの
と
という
全く別の2系統のオーラをスムーズに切り替えつつ併用してるやつら多すぎ。
「いや後者もです」と平気で両腕装備してたりする。
むしろ「松本人志が全国民の人気者であろうが罪は罪!」と言うべきなんだよ。
この逆の2つの価値観がだらーっと両用されてる雰囲気もやベーと思う。
このArturo_Ui氏は倫理なんか問題にせず市場を重んじる人なんだと信じるが
そのレベルのアホたちによるリンチは人民裁判としかいいようない。
Permalink |記事への反応(23) | 13:36
その点は忘れてはならない。
改めていうが、松本人志を必要以上に叩くことは松本人志の命を奪う行為になるかもしれない。
松本人志は償わないといけない。松本人志の子分も含めて。償う姿勢を見せないなら、芸能界の信者も消えるだろう。あれが謝罪文だなんていうのはどこにも通じない。
ジャニー喜多川は死に逃げしたので、子分が尻拭いさせられている。まあその子分の範囲を広げ過ぎだし、子分は被害者である可能性も高く、またこちらも存命の人なので必要以上に叩くのは松本人志以上に注意しなければならないが…
ジャニー喜多川本人は死んだのでどれだけ叩いたって問題ないと思う。
タイミングを少しズラすから我慢しろって子分を言いくるめられなかったのだと考えれば、まさしく政治闘争における能力の低さが露呈した当然の敗北とは言えるんだけどな
完全なる自爆だよな。
バレないように悪事を働くという政治家として当たり前のスキルもない無能な味方をスッパリと切り捨てなかったのが悪い。
国政という舞台をくだらん親分子分ごっこをする場所だと勘違いしたのが全ての間違いだった。
アベがそれを可能にしたのは強烈なバックボーンから産まれる財力と権力があったからであって、それを持ってない奴らのおままごとでは意味がない。
この後に及んで堂々と事務所に金を送りつけて開き直れるという公算自体が甘ったれとも言える。
やるんだったらもっと徹底して裏から個人に金を渡すべきだったのに。
それを知らん顔されたりバラされた時に割り切れないぐらいなら一切何もするべきではなかった。
確証性バイアスに振り回された前例踏襲主義をやるような官僚じみた政治家なんぞになんの価値があるのかという話だ。
官僚に出来ないことをやるのが政治家の役目だということが分からないらしい。
それもこれもアベノムラ社会の中でアベに奉仕することを目的とするシステムに飲まれたのが問題だった。
政治家はそれじゃいけない。
ボス猿の群れでなければ。
高度に組織化されたことで政治家それぞれが自分たちの持つボス猿性を失いただの働き蜂に堕した。
その結果がこの敗北なんだよな。
「docomo」からが一番ややこしい、わかりずらいと思います。
「SoftBank」からでも「docomo」からよりは、分かり易かったです。
端末を購入して、買い換えの度に、ヤフオクから落札者にお譲りしていたのですが、
中々面倒だなぁ、と思うようになっていた所に、残価設定キャリア返却での使用ができる事を知り、
2年前(10月)に「au」から「スマホトクするプログラム」で、「Galaxy Z Fold4」を取り寄せました。
その後、使用開始13ヶ月目以降につき、もう1台(追加)申込できる事が分かり、
昨年(12月)に「Galaxy Z Flip5」を取り寄せました。
手続きは、いずれもスムーズにできました。問題無し、といった感じでした。
今年に入ってから、家内と一人息子分として、「SoftBank」の「新トクするサポート」利用での
→一人1台しか契約できないので、私(一人息子分)と家内での契約となりました。
白ロム購入での手続きは、それ専用での手続きでしたので、問題なくできました。
そして、ついこの間、「docomo」の「いつでもカエドキプログラム」利用での
「Galaxy Z Fold6」の取り寄せ、となりました。
→いや~、ややこしかったですね。分かりずらい、本当に。
アカウントを別途作らなければ手続きはやはりできませんでした。
「povo」の今現在は使っていないSIMがあったので、その番号を利用しました。
先日端末が届き、「Galaxy Z Flip5」からの移行を行いました。
→「Galaxy Z Fold6」の画面を開かず、閉じたままやってしまったので、
開いた時の設定がほぼできていず、結構な時間を要してしまいました。
さて、「docomo」のアカウントですが、最終的には、元々持っていたもので、
端末内セットができました。
◎長々と書きましたが、「docomo」は、以前のガラケー時代のものを未だに引きずっているのだろうな、と。
それでは失礼します☆