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「大隈重信」を含む日記RSS

はてなキーワード:大隈重信とは

次の25件>

2025-09-11

首相(及び経験者)へのテロまとめ

首相(経験者)の暗殺実行犯

 伊藤博文安重根大韓帝国民族運動家

 原敬/中岡良一(右翼との繋がりが疑われる。出所頭山満とも親交、満州渡り陸軍司令部に勤務。)

 濱口雄幸/佐郷屋留雄(右翼活動家

 犬養毅黒岩勇(海軍予備少尉国家社会主義?、五・一五事件

 高橋是清/(陸軍青年将校皇道派二・二六事件

 齋藤實/(陸軍青年将校皇道派二・二六事件

 安倍晋三山上徹也(統一教会二世

首相経験者)の襲撃と実行犯

 大隈重信来島恒喜(玄洋社右翼団体社員

 西園寺公望/「少年血盟団」を称する少年職工9人

 若槻禮次郎野口進(ライオン野口プロボクサー愛国社(右翼団体同人

 田中義一暴漢理由不明、経緯から陸軍寄りの人間による犯行可能性)

 岡田啓介/(陸軍青年将校皇道派二・二六事件

 平沼騏一郎右翼団体から狙撃されて重傷

 鈴木貫太郎/(陸軍青年将校皇道派二・二六事件

 吉田茂大日本愛国党員(極右団体)による官邸侵入大日本生産党員(右翼団体)による官邸侵入

 鳩山一郎暴漢右翼団体構成員

 岸信介暴漢右翼団体構成員

 池田勇人暴漢右翼青年

 三木武夫大日本愛国党員(悟空団体)に顔を殴られる

 大平正芳青年(元暴走族右翼青年

 宮澤喜一/(自称)ジャーナリスト営利目的?背景不明

 細川護熙男性右翼団体構成員から発砲される

 岸田文雄木村隆二(無職、3世議員への反感か?)

Permalink |記事への反応(0) | 11:01

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2025-07-09

dorawii

大隈重信🙁

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Permalink |記事への反応(0) | 17:30

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2025-02-12

日本最古の盆栽はどこにあります

日本最古の盆栽は、徳川家光が愛培した五葉松の盆栽だといわれています。この盆栽は樹齢600年にもなり、毎年新芽が生まれています

盆栽起源中国ですが、日本には平安時代に伝わり、独自の発展を遂げてきました。盆栽日本文化にまで発展し、徳川家光伊藤博文大隈重信など歴史に名を遺す名だたる偉人たちも盆栽を楽しんでいたようです。

現存する最古の盆栽徳川家光が愛培していた五葉松の盆栽だといわれていますが、正確な年代不明です。しかし、この盆栽は樹齢600年にもなり、毎年新芽が生まれていることから日本盆栽歴史を語る上で非常に貴重な存在であることは間違いありません。

日本には他にも樹齢の古い盆栽がいくつか存在します。例えば、埼玉県さいたま市にある大宮盆栽美術館には、樹齢100年を超える盆栽が数多く展示されています。また、香川県高松市にある高松盆栽の里では、樹齢200年を超える盆栽を見ることができます

これらの盆栽は、日本盆栽文化の奥深さを物語っています。ぜひ一度、これらの盆栽をご覧になって、日本盆栽歴史文化に触れてみてください。

Permalink |記事への反応(0) | 22:21

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2024-12-27

強そうな内閣といえば

第一大隈重信内閣ワイバーン内閣)以外に何かある?

Permalink |記事への反応(1) | 22:46

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2023-04-23

民主主義破壊者?

首相演説会場で爆発、男を逮捕 和歌山写真=共同) -日本経済新聞

world3 2023/04/15

明らかな山上模倣犯山上英雄視して映画まで作って持ち上げてた連中、お前らは民主主義破壊者だ。もう元には戻らんぞ。

この人は、あの爆弾男の事件民主主義破壊された、もう元に戻れないと深刻に受け止めてるらしい。

かに持ってた爆弾が爆発してたら自爆テロっぽくなってたが、「民主主義破壊された」って主張は素朴だなと思った。破壊された後はどうなるんだろう?権威主義全体主義が台頭すんのかな?

この件に関してsnsで言われてたのが原敬暗殺とその直前の安田善次郎刺殺事件で、原敬を刺した国鉄職員安田刺殺事件に影響されたと言われている。

100年前に似たような事件は起きていて、またかという感じだ。そういった政治家ターゲットにする頭のおかしな人は一定確率で出現してしまうわけだが、戦後以降の頻度は激減した印象がある。(安田実業家だけど)

爆弾で思い出したが、当時外相だった大隈重信爆弾を投げつけられて片足を失くしてる。

本当にこういった例を上げればたくさん出てくるわけだが、おそらく知らないんだろうなあ。近代史学校でやんないし。

Permalink |記事への反応(3) | 01:48

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2023-02-09

ガンガンいこうぜ2050年代の日本ガンガン時代が到来する

自由民主党の岸田翔太郎氏と岸信千世氏が交代で首相を務める岸岸同立時代、いわゆる「ガンガン時代」が到来すると予想する。

選挙結果を受け、自由民主党内部でリベラリズム路線保守主義路線が切り替わる擬似的な政権交代が行われる。

時に、一方が首相の時期にあえてもう一方も大臣として登用することで多様性担保する「ガンガン内閣(岸岸内閣)」も実現しよう。

かつて大隈重信板垣退助によってなされた「ワイバーン内閣(隈板内閣)」を彷彿とさせる。

これにはスクウェアエニックスファンも思わずニヤリである

Permalink |記事への反応(0) | 13:19

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2023-01-30

anond:20230129164524

原則として間に3つ元号をはさめばOKらしい(たとえば大正昭和平成を挟んだ明治時代は令和になって解禁)

大正時代(たとえば大隈重信とか原敬とか)が解禁されるのは令和が終わってから

例外は時々あるけどね

Permalink |記事への反応(0) | 23:42

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2022-09-28

国葬雑感

安倍晋三最後に読んでいた本が岡義武『山県有朋』だそうだが、

これが本当の話か、自分は疑っている。

64年前に出版された岩波文化人古典を、安倍はきちんと読むような政治家だったか

かに、山県と安倍は、時代代表する権力者であることも、

山口にゆかりがあることも、顔が長いことも同じだが、出来すぎた話である

同書は山県に概ね批判的だった。

もし本当に読んでいたとしたら、どういう感想を持ったかは興味深い。

しかし、一月前に死んだ大隈重信国民葬比較して、

山形国葬が「ガランドウの寂しさ」だったことは有名な話で、

これだけ論議を呼んだ国葬スピーチを、山県の話で締めくくる菅義偉も、

それを素直に感動する不勉強国民も、ちょっとどうかと思うよ。

岡義武は山県の死について、こう書いている。

一方の安倍が、同様に忘れ去られるかは、これからのことである

[山県有朋の]支配の基礎は、民衆にはなかったのである

民衆は、彼にとっては、支配の単なる客体にすぎず、

従って、彼の権力意思支配機構を掌握することへと集中されたのであった。

彼は終始民衆から遊離したところの存在であった。

から見捨てられていた民衆は、それ故、また彼を見捨てていた。

そして、彼の死に対しても冷かであり、無関心であったのである


10/5追記

驚くべし、流し読みかも知れないが、どうも読んでいたらしい。

しかし、さらに驚いたのは、同書を安部に勧めたのは、

山県を「信奉」していた右派経済人葛西敬之だということ。

普通に読んだら、嫌われ者山県有朋、という印象が残るはずの本を何ゆえ…、

と思ったけれども、官僚掌握術の参考になる、なんて吹き込んだのじゃなかろうか。

伊藤之雄山県有朋 愚直な権力者の生涯』はずっと山県に同情的だが、

葛西は気に入らなかったか、読んでいなかったかだろう。

で、安部感想は以下の通り。

2015年1月12日

今日官邸で開催された来年予算についての政府与党政策懇談会に出席しましたが、

週末三連休、一昨日はゴルフ、昨日はお墓参り河口湖山荘でゆっくと過ごしました。

その間、読みかけの「岡義武著・山縣有朋明治日本の象徴」 を読了しました。

知人から進められ手に取ったものです。明治元勲で彼ほど嫌われ、

同時に自身権力を集めた人物はいないでしょう。同じ長州人でありながら、

路線等の相違から権力闘争の敵対者となる伊藤博文とは対象的です。

伊藤の死によって山縣は権力を一手に握りますが、伊藤暗殺に際し山縣は、

「かたりあひて尽くしし人は先立ちぬ今より後の世をいかにせむ」と詠み

その死を悼みました。本心だった様に思います



あの本を読んで、ここをピックアップするか!?と思ったけれども、

安部最後まで赤城俊夫さんや山上徹也、社会歯車だったり、

社会に潰される吾々ゴマメのような人間気持ちをわからなかったように、

一般人総理大臣気持ちなんか、わかるわけがないのだ。

とすると、岡義武がさらりと書いた伊藤暗殺下りこそが、

100年後の権力者安部にとって最も心打たれたところだったというのも納得できる。

人間は、一般人学者総理大臣も、自分甲羅に似せて穴を掘る。

自分勝手に、都合よく物事解釈する。

岡義武は、「自著は権力者を自省させるに至らなかったか」と

あの世でガックリしたかもしれないが、山県有朋からすれば、

ついにわが「本心」を知る者あらわる、なんてところかもしれない。

だけれども、山県や安部のせいで、どれだけ人が死に、不幸になったのか、

ヘタクソな歌を書いて、それをわざわざ持ち上げやがって、というのが

ゴマメたる自分の率直な所感なので、「英雄英雄を知る」ではなく、

「同じ穴の狢」が山県と安部にふさわしい言葉だと思う。

Permalink |記事への反応(1) | 10:48

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2022-06-26

20220626[アタック25]2022年6月26日20代・30代大会 2022-06-26結果

BSジャパネクストで日曜昼などに放送

BS1からボタン2回とか

ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか

 

今日の答え(放送とは表現が異なる場合があります

・01 [ある野菜名前]おくら

・02ビタミンD

・03 さそり(座

・04 [雑誌]CanCamキャンキャン

・05 [ペア]3番と7番

・06 [アルファベット2]PL(法

・07 [すべて]オーストラリアオーストリアオランダオマーン

・08尾崎紀世彦 おざききよひこ

・09INAC神戸レオネッサ

10 [近似値]53.85(km

11アラスカ(州

12 はも

・13ナオト・インティライミ

・14メロン

・15大隈重信 おおくましげのぶ

・16 [3択]ツル

17 [ふるさと][3択]PEAK

・18King Gnuキングヌー

・19 14(世紀

20 [3択]3番

・21 [漢字]四

・22モノレール

23 [AC]『ハウルの動く城

24向井理かいおさむ

・25 午前)3(時ごろ

・26 竹脇まりな たけわきまり

・27 『怪談

28 [3択]ブーゲンビリア

・29e Tボーン(ステーキ

・xx [あるとしの名前]ベネチア

Permalink |記事への反応(0) | 13:56

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2022-05-21

anond:20220521110350

早稲田創設した大隈重信が思いっきりディスったやつだっけ?

Permalink |記事への反応(0) | 14:44

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2022-04-27

anond:20220427230513

大隈重信「」

Permalink |記事への反応(0) | 23:06

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2021-11-28

立憲って

名前、何の由来かと思ったら、大隈重信政党名、立憲改進党から取ったのか。違うか。

Permalink |記事への反応(0) | 22:23

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2021-11-10

anond:20211110015719

今年の大河ドラマ『晴天を衝け』もよろしくばい。(大隈重信

Permalink |記事への反応(0) | 06:06

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2021-08-26

anond:20210826211858

そうだよ、早稲田はすごい。なんと言っても、大隈重信福沢諭吉のような陰湿さが無いのが素晴らしい。塾生の「福沢諭吉以外は君付け、なぜなら先生諭吉だけ」というのは最高にキモい。そんなに大事なら、慶応出身者は一万円札を使えねーだろ。

Permalink |記事への反応(0) | 23:42

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2020-10-15

慶應早稲田

なのはさ、1万円札で諭吉先生が書いてあるからじゃね?大隈重信一万円札の顔になりゃ、逆転すんじゃね?

ツッコミは3点あると思う。気にしないでくれ。

夏目漱石はどうなるねん?

一橋はどうなんねん?

学歴ヲタ

Permalink |記事への反応(0) | 21:32

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2020-03-21

地歴の先生をやっているから、歴史ジョーク歴史絡めた面白い(と思う)嘘は絶対に言わないようにしている。みんな普通に信じちゃうからだ。

昔、修学旅行奈良東大寺に行った時に「大仏江戸時代の再建だけど、フラッシュ撮影すると塗装や螺髪っていうパンチパーマ部分がボロボロ取れる可能性があるから写真撮影は園内一律禁止されてるんだって」ってバスでみんなに嘘説明してみんなの思い出の一つを奪った経験があるから歴史を教える立場になった以上絶対冗談ダメだなと思う。

コツは、ちょっと本当のことを混ぜることだ。

この他に、板垣退助の弟は進助といい大隈重信のコックをやっていた話とか、今川義元の子息氏真が蹴鞠の名手だったため静岡県サッカー王国になった話だとか、政所の読みを考えながら北条政子の読みを考える話とか。

Permalink |記事への反応(1) | 15:58

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2019-09-14

anond:20190914191051

アホでも日本人ならともかく、留学生学者ポストにおける外国人が多すぎだし、

それは東大選抜が未だに暗記テストという古臭いやり方だからなので、東大よりマシな大学をおまえが立てろ

大隈重信くらいの感じでいけばたぶんできる

Permalink |記事への反応(2) | 19:17

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2019-09-05

なんとかイチローがゴロに使えそうな歴史上の有名人

616ごろ聖徳太子 (622聖徳太子逝去

716ごろ藤原不比等 (718養老律令

816ごろ空海 (816政権検非違使設置の様子)

916ごろ醍醐天皇 (927延喜格式(967施行))

1016ごろ藤原道長 (1016摂政1017太政大臣

1116ごろ白河上皇 (1098源義家昇殿許可

1216ごろ北条義時 (1221承久の乱

1316ごろ後醍醐天皇(1317文保の和談)

1416ごろ足利義持 (1619応永の外寇

1516ごろ大内義興 (1523寧波の乱)

1616ごろ徳川家康 (1615大坂夏の陣、1616家康没)

1716ごろ徳川吉宗 (1716~45享保の改革

1816ごろ杉田玄白 (1815『蘭学事始』)

1916ごろ大隈重信 (1915対華二十一か条要求

2016ごろイチロー (2016MLB3000本安打

Permalink |記事への反応(0) | 12:08

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2019-05-07

anond:20190410101720

大隈重信与謝野晶子森鴎外

Permalink |記事への反応(0) | 00:01

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2018-08-05

anond:20180805172834

検証のためあえてマヂレス

明治元年1868年

高杉晋作長州藩):1867年

坂本龍馬土佐藩):1867年

中岡慎太郎土佐藩):1867年

大村益次郎長州藩):1869年

木戸孝允長州藩):1877年

西郷隆盛薩摩藩):1877年

大久保利通薩摩藩):1878年

岩倉具視公家):1883年

三条実美公家):1891年

後藤象二郎土佐藩):1897年

黒田清隆薩摩藩):1900年

明治天皇皇族):1912年

井上馨長州藩):1915年

板垣退助土佐藩):1919年

大隈重信肥前藩):1922年

山縣有朋長州藩):1922年

……明治元年から10前後で死んだ奴の方が少ない。「全員」は誇張が過ぎる

Permalink |記事への反応(1) | 23:15

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2018-07-04

anond:20180704153308

大隈重信に凸したやつはあれはあれで立派だよな

Permalink |記事への反応(1) | 15:38

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2018-01-26

新聞記事不正問題

共同通信社による匿名記事不正問題

https://togetter.com/li/1193209

http://archive.is/b3zXy

https://this.kiji.is/329123813377803361

論文ねつ造を報じる、執筆者名前すらない記事

取り下げとも訂正ろも書かずに、しれっと差し替えって、

きちんと執筆者責任で出していて、査読があって、不正があったら取り下げも処分もある、

研究不正よりもよっぽど悪質な不正ではないか・・・

新聞記事だとこんなことがまかり通るとは驚きました。

それに山中さん所長とはいえ共著でないなら直接関係ないし。小保方のねつ造大隈重信責任をとれというレベル面白い

Permalink |記事への反応(0) | 01:12

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2018-01-21

佐賀の七賢人

大隈重信

佐野常民

江藤新平

鍋島直正

副島種臣

島義勇

大木喬任


佐賀県民には常識

Permalink |記事への反応(1) | 09:57

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2017-05-19

葉隠』(はがくれ)は、江戸時代中期(1716年ごろ)に書かれた書物肥前国佐賀鍋島藩士・山本常朝が武士としての心得を口述し、それを同藩士田代陣基(つらもと)が筆録しまとめた。全11巻。葉可久礼とも。『葉隠聞書』ともいう。

目次 [非表示]

1概要

1.1 「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」

1.2 書名の由来

2脚注

3 刊本

4 参考文献

5 関連項目

6 外部リンク

概要[編集]

「朝毎に懈怠なく死して置くべし(聞書11)」とするなど、常に己の生死にかかわらず、正しい決断をせよと説いた。後述の「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」の文言は有名である。同時代に著された大道寺友山『武道初心集』とも共通するところが多い。

文中、鍋島藩である鍋島直茂武士理想像として提示しているとされている。また、「隆信様、日峯(直茂[1])様」など、随所に龍造寺氏と鍋島氏併記しており、鍋島氏龍造寺氏の正統な後継者であることを強調している。

当時、主流であった山鹿素行などが提唱していた儒学武士道を「上方風のつけあがりたる武士道」と批判しており、忠義山鹿の説くように「これは忠である」と分析できるようなものではなく、行動の中に忠義が含まれているべきで、行動しているときには「死ぐるい(無我夢中)」であるべきだと説いている。赤穂事件についても、主君浅野長矩切腹後、すぐに仇討ちしなかったこと[2]と、浪士達が吉良義央を討ったあと、すぐに切腹しなかったことを落ち度と批判している。何故なら、すぐに行動を起こさなければ、吉良義央病死してしまい、仇を討つ機会が無くなる恐れがあるからである。その上で、「上方衆は知恵はあるため、人から褒められるやり方は上手だけれど、長崎喧嘩のように無分別相手に突っかかることはできないのである」と評している。

この考え方は主流の武士道とは大きく離れたものであったので、藩内でも禁書の扱いをうけたが、徐々に藩士に対する教育の柱として重要視されるようになり、「鍋島論語」とも呼ばれた。それ故に、佐賀藩朱子学者・古賀穀堂は、佐賀藩士の学問の不熱心ぶりを「葉隠一巻にて今日のこと随分事たるよう」と批判し、同じく佐賀藩出身大隈重信も古い世を代表する考え方だと批判している。

明治中期以降アメリカ合衆国出版された英語の書『武士道』が逆輸入紹介され、評価されたが、新渡戸の説く武士道とも大幅に異なっているという菅野覚明の指摘がある。

また「葉隠」は巻頭に、この全11巻は火中にすべしと述べていることもあり、江戸期にあっては長く密伝の扱いで、覚えれば火に投じて燃やしてしま気概覚悟が慣用とされていたといわれる。そのため原本はすでになく、現在はその写本(孝白本、小山本、中野本、五常本など)により読むことが可能になったものである。これは、山本常朝が6、7年の年月を経て座談したものを、田代陣基が綴って完成したものといわれ、あくまでも口伝による秘伝であったため、覚えたら火中にくべて燃やすよう記されていたことによる。2人の初対面は宝永7(1710年)、常朝52歳、陣基33歳のことという。

浮世から何里あらうか山桜    常朝

白雲やただ今花に尋ね合ひ    陣基

武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」[編集]

葉隠記述の中で特に有名な一節であるが、葉隠の全体を理解せず、この部分だけ取り出して武士道精神と単純に解釈されてしまっている事が多い。実際、太平洋戦争中の特攻玉砕自決時にこの言葉が使われた事実もあり、現在もこのような解釈をされるケースが多い。

しか山本常朝自身「我人、生くる事が好きなり(私も人である。生きる事が好きである)」と後述している様に、葉隠は死を美化したり自決を推奨する書物と一括りにすることは出来ない。葉隠記述は、嫌な上司からの酒の誘いを丁寧に断る方法や、部下の失敗を上手くフォローする方法、人前であくびをしないようにする方法等、現代でいうビジネスマナー指南書や礼法マニュアルに近い記述ほとんどである。また衆道男色)の行い方を説明した記述等、一般近代人の想像するところの『武士道』とはかけ離れた内容もある。

戦後軍国主義書物という誤解から一時は禁書扱いもされたが、近年では地方武士生活に根ざした書物として再評価されている。先述したように『葉隠』には処世術マニュアル本としての一面もあり、『葉隠』に取材したビジネス書出版されている。

戦後も、葉隠を愛好した戦中派文学者で、純文学三島由紀夫は『葉隠入門』を、大衆文学隆慶一郎は『死ぬことと見つけたり』を出している。両作品は、いずれも葉隠入門書として知られ、各新潮文庫で再刊された。

書名の由来[編集]

本来葉隠」とは葉蔭、あるいは葉蔭となって見えなくなることを意味する言葉であるために、蔭の奉公大義とするという説。さらに、西行山家集葉隠和歌に由来するとするもの、また一説には常長の庵前に「はがくし」と言う柿の木があったからとする説などがある。

Permalink |記事への反応(0) | 12:50

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枝吉神陽

枝吉 神陽(えだよし しんよう、文政5年5月24日(1822年7月12日) -文久2年8月14日(1862年9月8日))は、江戸時代後期の幕末活躍した佐賀藩思想家教育者国学者藩校弘道館教諭外務卿内務大臣を務めた副島種臣実弟本名は経種。贈従四位佐賀の尊皇派の中心的存在

目次 [非表示]

1 経歴

2 影響

3 同時代評価

4 関連項目

5 参考資料

経歴[編集]

佐賀藩藩校弘道館教授であった枝吉南濠種彰の長男として生まれる。幼児期より神童と賞され、20歳の時には江戸の昌平黌に学んでいるが、ほどなく舎長に推されている。また、漢学に偏重した内容に異議を唱え、国学を学ぶことを認めさせた。

早くから儒教朱子学の教えに疑問を抱いており、佐賀藩哲学である葉隠』をも否定したといわれる。

26歳で帰郷してから弘道館教諭や什物方などを務める傍ら、父南濠の唱えた「日本一君論」を受け継ぎ勤王運動を行った。1850年には「義祭同盟」を結成。天皇を中心とした政治体制である律令制などの知識を伝授するなど、藩論を尊王倒幕に向かわせようとしたが藩主鍋島直正を動かすことは出来ず失敗している。なお、この義祭同盟から実弟副島種臣のほか、大隈重信江藤新平大木喬任島義勇明治維新に大きな影響を与えた人材を多数輩出しており、「佐賀吉田松陰」とも言える人物である。また、水戸藤田東湖と「東西の二傑」と並び称された。

1863年、コレラに罹った妻を看病するうち自身罹患し、死去。享年41。墓所佐賀市本庄町の高伝寺。

影響[編集]

神陽は律令制を学ぶことを奨励したが、彼の教えを受けた江藤新平(初代司法卿)や大木喬任(2代司法卿)は法整備活躍した。また、明治政府が当初導入した太政官制副島種臣が起草したものであるが、ここにも神陽の影響がみられている。

Permalink |記事への反応(0) | 12:47

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