
はてなキーワード:大家とは
多少盛るしかないのでは。コンクリートマイクとかコンタクトマイクで「騒音」を拾って、大家とか管理会社と聞けば一発解決するだろ。
「くっそー〇〇死ねやヴォケゴラァ」「あぁ~ん♡尊とすぎるぅ~ん」「ぶりんばんばんぼーん、おならぷぅー♪」「いぐっぅ」とか録音されてたら恥ずかしすぎて静かになるって。防音のそれなりにしっかりした建物だと隣とは限らないので注意。
あのさあ、家主っていうのは貸家の持ち主(大家)のことを指す言葉なの。そのマンションが賃貸なら家主じゃなくて借主って言うんだよ。一人暮らしデビューしたての学生さん?
ところで、騒音出てて自分なりの対策、たとえば耳栓もしないわけ?騒音出てるって主張してるのに頑なに耳栓を拒む人って、発達障害で感覚過敏(そして当然のように聴覚過敏)の人か、統合失調症で幻聴が聞こえてる人の二択のケースが多い印象。
つうか騒音に耐えられないなら増田が引っ越すか、集合住宅に向いてないみたいだからお金を貯めて一軒家を買うべき。
木造アパートなんかだと隣の人の屁やため息の音すら聞こえるけど想像できる?あんた自覚ないだろうけど実家の居心地の良さに慣れきった贅沢野郎なんだよ。東京じゃなくてあんたが○○べき。
東京で生まれ育った、東京が故郷だという人もいるってことすら想像つかないカス。東京に出てきたものの、自身の能力不足で適応できずストレスためてるだけの自業自得野郎が「東京が悪い!」「隣人が悪い!」って他責に走ってるだけ。能力不足なのに背伸びして東京に出てきて勝手に狂ってる一部のヤバい増田のようなやつが悪目立ちしすぎている。とっとと巣に帰れ。
だらだらとした長文の愚痴は病んでる人にしか見えないし、ガチで幻聴の可能性も考慮すべき。
まあこの手の人って病識ないから病院には行かないよね。東京が悪い、で思考停止しておしまい。あらゆる可能性を考慮できない。知能が低い人が多い(統失は発症するとIQが20くらい下がる)から仕方ない。
これだけのために登録したから作法とか分かってないかも。見た人ごめんなさい。
都内の比較的安い賃貸に年始頃契約→5月に大手不動産会社がオーナーに→一ヶ月くらいで日本人じゃない奴が社長の、webページも無い何やってるかわからん会社がオーナーになった。管理会社も同じ国のやつが社長。
そもそも大家が変わったの知った時絶対詐欺だと思ったくらい怪しかった。
家にいきなりきて「前入居者名さんのおたくですか?大家が変わったので振り込み方法の変更について…」みたいに言い出したら、帰れって追い返すだろ。
ちゃんと「それ前の入居者ですね」って言ったし、名前聞かれてその場で答えるわけない。
前入居者の宛名になってる紙っぺらポストに入れて帰るし。契約当事者の名前が違ってて良いはず無いだろ。
ちゃんとしたの送ってこいって電話しても対応しない。挙句もう対応終わりましたとかほざきやがる。
何もしてないくせに。
12000円値上げってなめてんのか?人件費の高騰により〜とか書いてるけどお前オーナーになって一ヶ月だろ。買う前に事業計画立てとけよ。
Twitterで見たやつだー!!!って思ってすぐ拒否の手紙出したよ。内容証明の出し方覚えるなんて思わなかった。そんなのとは無縁の人生でいたかった。
そんで一ヶ月後には建物から大量のアスベストが出たってさ。絶対嘘じゃん。検査結果見たよ。
みなし含有ってようはちゃんと調べてないけど面倒だからありにしとくよってことでしょ。厚労省のマニュアル読んだよ。読ませるなそんなもの。
アスベストあると不安だから引っ越しの補助出しますって言って条件がお前らのところで探せって?適当な仕事してるの見てるよ。
それが嫌なら住みつづけてもいいけど、絶対に訴えるなって?トレードオフになってねぇだろその条件。検査結果見てから返事するって言ったのに、その前に期日決めてくるのは何?時間を与えないことで判断鈍らせる詐欺のテクニック?
むかつくのがギリ違法じゃないかも?のラインせめてくるところ。
あくまであなたの意思を尊重しますよ〜って言ってるけど大袈裟な嘘で脅してんだろ。偽計業務妨害になんないのか?生活って業務?じゃねーよな辛い。
ほんま腹立つ。
さっき管理会社調べたらクソ担当者本人が客装ってGoogle口コミしてた。それを通報するくらいしかできてない。
どうにかしてちゃんと罰を受けてほしいのに、もうそういう元気も無い。
差別は良く無いってずっと思って生きて来たけどもう無理だ。
二三年前の夏、未だ見たことのない伊香保榛名を見物の目的で出掛けたことがある。ところが、上野驛の改札口を這入つてから、ふとチヨツキのかくしへ手をやると、旅費の全部を入れた革財布がなくなつてゐた。改札口の混雜に紛れて何處かの「街の紳士」の手すさみに拔取られたものらしい。もう二度と出直す勇氣がなくなつてそれつきりそのまゝになつてしまつた。財布を取つた方も内容が期待を裏切つて失望したであらうから、結局此の伊香保行の企ては二人の人間を失望させるだけの結果に終つた譯である。
此頃少し身體の工合が惡いので二三日保養のために何處か温泉にでも出掛けようといふ、その目的地に此の因縁つきの伊香保が選ばれることになつた。十月十四日土曜午前十一時上野發に乘つたが、今度は掏摸すりの厄介にはならなくて濟んだし、汽車の中は思ひの外に空いて居たし、それに天氣も珍らしい好晴であつたが、慾を云へば武藏野の秋を十二分に觀賞する爲には未だ少し時候が早過ぎて、稻田と桑畑との市松模樣の單調を破るやうな樹林の色彩が乏しかつた。
途中の淋しい小驛の何處にでも、同じやうな乘合自動車のアルミニウム・ペイントが輝いて居た。昔はかういふ驛には附きものであつたあのヨボ/\の老車夫の後姿にまつはる淡い感傷はもう今では味はゝれないものになつてしまつたのである。
或る小驛で停り合はせた荷物列車の一臺には生きた豚が滿載されて居た。車内が上下二段に仕切られたその上下に、生きてゐる肥つた白い豚がぎつしり詰まつてゐる。中には可愛い眼で此方を覗いてゐるのもある。宅の白猫の顏に少し似てゐるが、あの喇叭のやうな恰好をして、さうして禿頭のやうな色彩を帶びた鼻面はセンシユアルでシユワイニツシである。此等の豚どもはみんな殺されに行く途中なのであらう。
進行中の汽車道から三町位はなれた工場の高い煙突の煙が大體東へ靡いて居るのに、すぐ近くの工場の低い煙突の煙が南へ流れて居るのに氣がついた。汽車が突進して居る爲に其の周圍に逆行氣流が起る、その影響かと思つて見たがそれにしても少し腑に落ちない。此れから行先にまだいくらも同じやうな煙突の一對があるだらうからもう少し詳しく觀察してやらうと思つて注意してゐたが、たうとう見付からずに澁川へ着いてしまつた。いくらでも代はりのありさうなものが實は此の世の中には存外ないのである。さうして、ありさうもないものが時々あるのも此の世の中である。
澁川驛前にはバスと電車が伊香保行の客を待つてゐる。大多數の客はバスを選ぶやうである。電車の運轉手は、しきりにベルを踏み鳴らしながら、併しわり合にのんきさうな顏をしてバスに押し込む遊山客の群を眺めて居たのである。疾とうの昔から敗者の運命に超越してしまつたのであらう。自分も同行Sも結局矢張りバスのもつ近代味の誘惑に牽き付けられてバスを選んだ。存外すいて居る車に乘込んだが、すぐあとから小團體がやつて來て完全に車内の空間を充填してしまつた。酒の香がたゞよつて居た。
道傍の崖に輕石の層が見える。淺間山麓一面を埋めて居るとよく似た豌豆大の粒の集積したものである。淺間のが此邊迄も降つたとは思はれない。何萬年も昔に榛名火山自身の噴出したものかも知れない。それとも隣りの赤城山の噴出物のお裾分けかも知れない。
前日に伊香保通のM君に聞いたところでは宿屋はKKの別館が靜かでいゝだらうといふことであつた。でも、うつかりいきなり行つたのでは斷られはしないかと聞いたら、そんなことはないといふ話であつた。それで、バスを降りてから二人で一つづゝカバンを提げて、すぐそこの別館の戸口迄歩いて行つた。館内は森閑として玄關には人氣がない。しばらくして内から年取つた番頭らしいのが出て來たが、別に這入れとも云はず突立つたまゝで不思議さうに吾々二人を見下ろしてゐる。此れはいけないと思つたが、何處か部屋はありませうかと聞かない譯にも行かなかつた。すると、多分番頭と思はれる五十恰好のその人は、恰度例へば何處かの役所の極めて親切な門衞のやうな態度で「前からの御申込でなければとてもとても……」と云つて、突然に乘込んで來ることの迂闊さを吾々に教へて呉れるのであつた。向うの階段の下では手拭を冠つて尻端折つて箒を持つた女中が三人、姦の字の形に寄合つて吾々二人の顏を穴のあく程見据えてゐた。
カバンをぶら下げて、悄々しをしをともとのバスの待合所へ歸つて來たら、どういふものか急に東京へそのまゝ引き返したくなつた。此の坂だらけの町を、あるかないか當てにならない宿を求めて歩き※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はるのでは第一折角保養に來た本來の目的に合はない、それよりか寧ろ東京の宅の縁側で咲殘りのカンナでも眺めて欠伸をする方が遙かに有效であらうと思つたのである。併し、歸ることは歸るとしても兎も角も其處らを少し歩いてから歸つても遲くはないだらうとSがいふので、厄介な荷物を一時バスの待合所へ預けておいてぶら/\と坂道を上つて行つた。
宿屋が滿員の場合には入口に「滿員」の札でも出しておいたら便利であらう。又兎も角も折角其家を目指して遙々遠方から尋ねて來た客を、どうしても收容し切れない場合なら、せめて電話で温泉旅館組合の中の心當りを聞いてやる位の便宜をはかつてやつてはどうか。頼りにして來た客を、假令それがどんな人體であるにしても、尋ねてくるのが始めから間違つてゐるかのやうに取扱ふのは少し可哀相であらう。さうする位ならば「旅行案内」などの廣告にちやんと其旨を明記しておく方が親切であらう。
こんな敗者の繰言を少し貧血を起しかけた頭の中で繰返しながら狹い坂町を歩いてゐるうちに、思ひの外感じのいゝ新らしいM旅館別館の三階に、思ひもかけなかつた程に見晴らしの好い一室があいてゐるのを搜しあてゝ、それで漸く、暗くなりかゝつた機嫌を取直すことが出來たと同時に馴れぬ旅行に疲れた神經と肉體とをゆつくり休めることが出來たのは仕合せであつた。
此室の窓から眼下に見える同じ宿の本館には團體客が續々入込んでゐるやうである。其の本館から下方の山腹にはもう人家が少く、色々の樹林に蔽はれた山腹の斜面が午後の日に照らされて中々美しい。遠く裾野には稻田の黄色い斑の縞模樣が擴がり、其の遙かな向うには名を知らぬ山脈が盛上がつて、其の山腹に刻まれた褶襞の影日向が深い色調で鮮かに畫き出されて居る。反對側の、山の方へ向いた廊下へ出て見ると、此の山腹一面に築き上げ築き重ねた温泉旅館ばかりの集落は世にも不思議な標本的の光景である。昔、ローマ近くのアルバノ地方に遊んだ時に、「即興詩人」で名を知られたゲンツアノ湖畔を通つたことがある。其の湖の一方から見た同じ名の市街の眺めと、此處の眺めとは何處か似た所がある。併し、古い伊太利の彼の田舍町は油繪になり易いが此處のは版畫に適しさうである。數年前に此地に大火があつたさうであるが、成程火災の傳播には可也都合よく出來てゐる。餘程特別な防火設備が必要であらうと思はれる。
一と休みしてから湯元を見に出かけた。此の小市街の横町は水平であるが、本通りは急坂で、それが極めて不規則な階段のメロデイーの二重奏を奏してゐる。宿屋とお土産を賣る店の外には實に何もない町である。山腹温泉街の一つの標本として人文地理學者の研究に値ひするであらう。
階段の上ぼりつめに伊香保神社があつて、そこを右へ曲ると溪流に臨んだ崖道に出る。此の道路にも土産物を賣る店の連鎖が延長して溪流の眺めを杜絶してゐるのである。湯の流れに湯の花がつくやうに、かういふ處の人の流れの道筋にはきまつて此のやうな賣店の行列がきたなく付くのである。一寸珍らしいと思ふのは此道の兩側の色々の樹木に木札がぶら下げてあつて、それに樹の名前が書いてあることである。併し、流石にラテン語の學名は略してある。
崖崩れを石垣で喰ひ止める爲に、金のかゝつた工事がしてある。此れ位の細工で防がれる程度の崩れ方もあるであらうが、此の十倍百倍の大工事でも綺麗に押し流すやうな崩壞が明日にも起らないといふ保證は易者にも學者にも誰にも出來ない。さういふ未來の可能性を考へない間が現世の極樂である。自然の可能性に盲目な點では人間も蟻も大してちがはない。
此邊迄來ると紅葉がもうところ斑に色付いて居る。細い溪流の橋の兩側と云つたやうな處のが特に紅葉が早いらしい。夜中にかうした澤を吹下ろす寒風の影響であらうか。寫眞師がアルバムをひろげながらうるさく撮影をすゝめる。「心中ぢやないから」と云つて斷わる。
湯元迄行つた頃にはもう日が峯の彼方にかくれて、夕空の殘光に照らし出されて雜木林の色彩が實にこまやかに美しい諧調を見せて居た。樹木の幹の色彩がかういふ時には實に美しく見えるものであるが、どういふものか特に樹幹の色を讚美する人は少ないやうである。
此處の湯元から湧き出す湯の量は中々豐富らしい。澤山の旅館の浴槽を充たしてなほ餘りがあると見えて、惜氣もなく道端の小溝に溢れ流れ下つて溪流に注いで居る。或る他の國の或る小温泉では、僅かに一つの浴槽にやつと間に合ふ位の湯が生温るくて、それを熱くする爲に一生涯骨を折つて、やつと死ぬ一年前に成功した人がある。其人が此處を見たときにどんな氣がしたか。有る處にはあり餘つて無い處にはないといふのは、智慧や黄金に限らず、勝景や温泉に限らぬ自然の大法則であるらしい。生きてゐる自然界には平等は存在せず、平等は即ち宇宙の死を意味する。いくら革命を起して人間の首を切つても、金持と天才との種を絶やすことは六かしい。ましてや少しでも自己觸媒作用オートカタリテイツク・アクシヨンのある所には、ものの片寄るのが寧ろ普遍な現象だからである。さうして方則に順應するのは榮え、反逆するものは亡びるのも亦普遍の現象である。
宿へ歸つて見ると自分等の泊つてゐる新館にも二三の團體客が到着して賑やかである。○○銀行○○課の一團は物靜かでモーニングを着た官吏風の人が多い。○○百貨店○○支店の一行は和服が多く、此方は藝者を揚げて三絃の音を響かせて居るが、肝心の本職の藝者の歌謠の節※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はしが大分危なつかしく、寧ろ御客の中に一人いゝ聲を出すのが居て、それがやゝもすると外れかゝる調子を引戻して居るのは面白い。ずつと下の方の座敷には足踏み轟かして東京音頭を踊つて居るらしい一團がある。人數は少いが此組が壓倒的優勢を占めて居るやうである。
今度は自分などのやうに、うるさく騷がしい都を離れて、しばらく疲れた頭を休める爲にかういふ山中の自然を索たづねて來るものゝある一方では又、東京では斷ち切れない色々の窮屈を束縛をふりちぎつて、一日だけ、はめを外づして暴れ※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はる爲にわざ/\かういふ土地を選んで來る人もあるのである。此れも人間界の現象である。此の二種類の人間の相撲になれば明白に前者の敗である。後者の方は、宿の中でも出來るだけ濃厚なる存在を強調する爲か、廊下を歩くにも必要以上に足音を高く轟かし、三尺はなれた仲間に話をするのでも、宿屋中に響くやうに大きな聲を出すのであるが、前者の部類の客はあてがはれた室の圍ひの中に小さくなつて、其の騷ぎを聞きつゝ眠られぬ臥床ふしどの上に輾轉するより外に途がないのである。床の間を見ると贋物の不折の軸が懸かつて居る、その五言の漢詩の結句が「枕を拂つて長夜に憐む」といふのであつたのは偶然である。やつと團體の靜まる頃には隣室へ子供づれの客が着いた。單調な東京音頭は嵐か波の音と思つて聽き流すことが出來ると假定しても、可愛い子供の片言は身につまされてどうにも耳朶の外側に走らせることの出來ぬものである。電燈の光が弱いから讀書で紛らすことも出來ない。
やつと宿の物音があらかた靜まつた後は、門前のカフエーから蓄音機の奏する流行小唄の甘酸つぱい旋律が流れ出して居た。併し、かうした山腹の湯の町の夜の雰圍氣を通して響いて來る此の民衆音樂の調べには、何處か昔の按摩の笛や、辻占賣の聲などのもつて居た情調を想ひ出させるやうな或るものが無いとは云はれない。
蓄音機と云へば、宿へ着いた時につい隣りの見晴らしの縁側に旅行用蓄音機を据ゑて、色々な一粒選りの洋樂のレコードをかけてゐる家族連の客があつた。此れも存在の鮮明な點に於て前述の東京音頭の連中と同種類に屬する人達であらう。
夜中に驟雨があつた。朝はもう降り止んではゐたが、空は低く曇つてゐた。兎も角も榛名湖畔迄上ぼつて見ようといふので、ケーブルカーの停車場のある谷底へ下りて行つた。此の谷底の停車場風景は一寸面白い。見ると、改札口へ登つて行く階段だか斜面だかには夥しい人の群が押しかけてゐる。それがなんだか若芽についたあぶら蟲か、腫物につけた蛭の群のやうに、ぎつしり詰まつて身動きも出來さうにない。それだのにあとから/\此處を目指して町の方から坂を下りて來る人の群は段々に増すばかりである。此の有樣を見て居たら急に胃の工合が變になつて來て待合室の腰掛に一時の避難所を求めなければならなかつた。「おぢいさんが人癲癇を起こした」と云つてSが笑出したが、兎も角も榛名行は中止、その代りつい近所だと云ふ七重の瀧へ行つて見ることにした。此の道筋の林間の小徑は往來の人通りも稀れで、安價なる人癲癇は忽ち解消した。前夜の雨に洗はれた道の上には黄褐紫色樣々の厚朴の落葉などが美しくちらばつてゐた。
七重の瀧の茶店で「燒饅頭」と貼札したものを試みに注文したら、丸いパンのやうなものに味噌※(「滔」の「さんずい」に代えて「しょくへん」、第4水準2-92-68)を塗つたものであつた。東京の下町の若旦那らしい一團が銘々にカメラを持つてゐて、思ひ思ひに三脚を立てゝ御誂向の瀧を撮影する。ピントを覗く爲に皆申合せたやうに羽織の裾をまくつて頭に冠ると、銘々の羽織の裏の鹽瀬の美しい模樣が茶店に休んでゐる女學生達の面前にずらりと陳列される趣向になつてゐた。
溪を下りて行くと別莊だか茶店だかゞあつて其前の養魚池の岸にかはせみが一羽止まつて居たが、下の方から青年團の服を着た男が長い杖をふりまはして上がつて來たので其のフアシズムの前に氣の弱い小鳥は驚いて茂みに飛び込んでしまつた。
大杉公園といふのはどんな處かと思つたら、とある神社の杉並木のことであつた。併し杉並木は美しい。太古の苔の匂ひがする。ボロ洋服を着た小學生が三人、一匹の眞白な野羊を荒繩の手綱で曳いて驅け※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)つてゐたが、どう思つたか自分が寫眞をとつて居る傍へ來て帽子を取つてお辭儀をした。學校の先生と間違へたのかどうだか分らない。昔郷里の田舍を歩いて居て、よく知らぬ小學生に禮をされた事を想ひ出して、時代が急に明治に逆戻りするやうな氣がした。此邊では未だイデオロギー的階級鬪爭意識が普及して居ないのであらう。社前の茶店に葡萄棚がある。一つの棚は普通のぶだうだが、もう一つのは山葡萄で紅葉してゐる。店の婆さんに聞くと、山葡萄は棚にしたら一向に實がならぬさうである。山葡萄は矢張り人家にはそぐはないと見える。
茶店の周圍に花畑がある。花を切つて高崎へでも賣りに出すのかと聞くと、唯々お客さんに自由に進呈するためだといふ。此の山懷の一隅には非常時の嵐が未だ屆いて居ないのか、妙にのんびりした閑寂の別天地である。薄雲を透した日光が暫く此の靜かな村里を照らして、ダリアやコスモスが光り輝くやうに見えた。
宿へ歸つて晝飯を食つてゐる頃から、宿が又昨日に増して賑やかになつた。日本橋邊の或る金融機關の團體客百二十人が到着したのである。其爲に階上階下の部屋といふ部屋は一杯で廊下の籐椅子に迄もはみ出してゐる。吾々は、此處へ來たときからの約束で暫時帳場の横へ移轉することになつた。
部屋に籠つて寐轉んで居ると、すぐ近くの階段や廊下を往來する人々の足音が間斷なく聞こえ、それが丁度御會式の太鼓のやうに響き渡り、音ばかりでなく家屋全體が其の色々な固有振動の週期で連續的に振動して居る。さういふ状態が一時間二時間[#「二時間」は底本では「二間時」]三時間と經過しても一向に變りがない。
一體どうして、かういふ風に連續的に足音や地響きが持續するかといふ理由を考へて見た。百數十人の人間が二人三人づつ交る/″\階下の浴室へ出掛けて行き、又歸つて來る。その際に一人が五つの階段の一段々々を踏み鳴らす。其外に平坦な縁側や廊下をあるく音も加はる。假に、一人宛て百囘の音を寄與コントリビユートするとして、百五十で一萬五千囘、此れを假に午後二時から五時迄の三時間、即ち一萬八百秒に割當てると毎一秒間に平均一囘よりは少し多くなる勘定である。此外に浴室通ひ以外の室と室との交通、又女中や下男の忙はしい反復往來をも考慮に加へると、一秒間に三囘や四囘に達するのは雜作もないことである。即ち丁度太鼓を相當急速に連打するのと似た程度のテンポになり、それが三時間位持續するのは何でもないことになるのである。唯々面白いのは、此の何萬囘の足音が一度にかたまつて發しないで、實にうまく一樣に時間的に配分されて、勿論多少の自然的偏倚は示しながらも統計的に一樣な毎秒平均足音數を示してゐることである。容器の中の瓦斯體の分子が、その熱擾動サーマルアヂテーシヨンのために器壁に反覆衝突するのが、いくらか此れに似た状況であらうと思はれた。かうなると人間も矢張り一つの「分子」になつてしまふのである。
室に寐ころんだ切り、ぼんやり此んなことを考へてゐる内に四時になつた。すると階下の大廣間の演藝場と思はれる見當で東京音頭の大會が始まつた。さうして此れが約三十分續いた。それが終つても、未だその陶醉的歡喜の惰性を階上迄持込[#「持込」は底本では「持迄」]んで客室前の廊下を踏鳴らしながら濁聲高く唄ひ踊る小集團もあつた。
「バスの切符を御忘れにならないやうに」と大聲で何遍となく繰返して居るのが聞こえた。それからしばらくすると、急に家中がしんとして、大風の後のやうな靜穩が此の山腹全體を支配するやうに感ぜられた。一時間前の伊香保とは丸で別な伊香保が出現したやうに思はれた。三階の廊下から見上げた山腹の各旅館の、明るく灯のともつた室々の障子の列が上へ上へと暗い夜空の上に累積してゐる光景は、龍宮城のやうに、蜃氣樓のやうに、又ニユーヨークの摩天樓街のやうにも思はれた。晝間は出入の織るやうに忙がしかつた各旅館の玄關にも今は殆ど人氣が見えず、野良犬がそこらをうろ/\して居るのが見えた。
團體の爲に一時小さな室に追ひやられた埋合せに、今度はがらあきになつた三階の一番廣く見晴らしのいゝ上等の室に移され、地面迄數へると五階の窓下を、淙々として流れる溪流の水音と、窓外の高杉の梢にしみ入る山雨の音を聞きながら此處へ來てはじめての安らかな眠りに落ちて行つた。
翌日も雨は止んだが空は晴れさうもなかつた。霧が湧いたり消えたりして、山腹から山麓へかけての景色を取換へ取換へ迅速に樣々に變化させる。世にも美しい天工の紙芝居である。一寸青空が顏を出したと思ふと又降出す。
とある宿屋の前の崖にコンクリートで道路と同平面のテラスを造り其の下の空間を物置にして居るのがあるのは思ひ付きである。此の近代的設備の脚下の道傍に古い石地藏が赤い涎掛けをして、さうして雨曝しになつて小さく鎭座して居るのが奇觀である。此處らに未だ家も何もなかつた昔から此の地藏尊は此の山腹の小道の傍に立つて居て、さうして次第に開ける此の町の發展を見守つて來たであらうが、物を云はぬから聞いて見る譯にも行かない。
晝飯をすませて、そろ/\歸る支度にかゝる頃から空が次第に明るくなつて來て、やがて雲が破れ、東の谷間に虹の橋が懸つた。
歸りのバスが澁川に近づく頃、同乘の兎も角も知識階級らしい四人連の紳士が「耳がガーンとした」とか「欠伸をしたらやつと直つた」とか云つたやうな話をして居る。山を下つて氣壓が變る爲に鼓膜の壓迫されたことを云つて居るらしい。唾を飮み込めば直るといふことを知らないと見える。小學校や中學校でこのやうな科學的常識を教はらなかつたものと思はれる。學校の教育でも時には要らぬ事を教へて要ることを教へるのを忘れて居る場合があるのかも知れない。尤も教へても教へ方が惡いか、教はる方の心掛けが惡ければ教へないのも同じになる譯ではある。
上野へついて地下室の大阪料理で夕食を食つた。土瓶むしの土瓶のつるを持ち上げると土瓶が横に傾いて汁がこぼれた。土瓶の耳の幅が廣過ぎるのである。此處にも簡單な物理學が考慮の外に置かれてゐるのであつた。どうして、かう「科學」といふものが我が文化國日本で嫌はれ敬遠されるかゞ不思議である。
雨の爲に榛名湖は見られなかつたが、併し雨のおかげでからだの休養が出來た。讀まず、書かず、電話が掛からず、手紙が來ず、人に會はずの三日間で頭の疲れが直り、從つて胃の苦情もいくらか減つたやうである。その上に、宿屋の階段の連續的足音の奇現象を觀察することの出來たのは思はぬ拾ひものであつた。
温泉には三度しかはひらなかつた。湯は黄色く濁つてゐて、それに少しぬるくて餘り氣持がよくなかつた。その上に階段を五つも下りて又上がらなければならなかつた。温泉場と階段はとかくつきものである。温泉場へ來たからには義理にも度々温泉に浴しなければならないといふ譯もないが、すこしすまなかつたやうな氣がする。
他の温泉でもさうであるが、浴槽に浸つて居ると、槽外の流しでからだを洗つて居る浴客がざあつと溜め桶の水を肩からあびる。そのしぶきが散つて此方の頭上に降りかゝるのはそれ程潔癖でないつもりの自分にも餘り愉快でない。此れも矢張り宿屋へ蓄音機を持ち込み、宿屋で東京音頭を踊るPermalink |記事への反応(0) | 18:19
私の実家はもうないけれど、小学校低学年の頃までは実家の隣にアパートを持っていた。いわゆる大家さんをしていたわけだが、当時はよくあった共同トイレ式で炊事場はちっちゃなガスコンロ一つという一世帯あたり一部屋しかない6畳かそこらの居宅が、確か1・2階に分かれて20部屋くらいあったかと思う。家賃は覚えてないがそこそこ安かったのではないか。
私が生まれるずっと前には、革マルか中核か知らないけど、そのアパートの一室で爆弾製作する居住者がいたらしく、警察が踏み込んで大騒ぎになったこともあるんだとか。
実家は看板屋さんを父親が一人で営んでいて、実質的な大家さんは私の母がしていた。
母はとにかく話が好きな人で、近所の人と話し込んではなかなか帰ってこないことは普通で、父がしばしば「あいつはどこに行ったんだ?ったくいつもいつもなかなか帰ってこないから困る」と怒りながら愚痴るのが日常だった。
で、ある時ほんとに父がブチ切れてしまい、流石にしばらくはあまりなかなか帰ってこないことがなくなったことがあった。
では、家で誰ともしゃべらずににいたかというと全然そんなことはなかった。
例えば家賃を払いに来たアパートの住人らと玄関先で延々と話し込むのである。
とにかく、母は話を切り上げるということを知らない。話題があっちこっちに飛ぶし、相手のプライバシーなんてお構い無しに根掘り葉掘り聞きまくる。
母も自分の話が長いということをわかっているので、相手にお茶を出すことは当たり前で、ついでに出すお菓子もたくさん用意してあった。
とにかく、私は今まで生きてきて、私の母以上に話好きだった人を知らない。
そんな毎日ではあったが、そのアパートには外国人が暮らすことも時々あった。インド系の人もいたし、出身国は知らないけど黒人もいたし、アメリカかどっかの白人の人もいたと思う。
流石に日本語の喋れない人はいなかったけど、日本語が大丈夫ってことは、母はそんな外国人とも長時間話し込んでしまうのだ。
で、私の姉などはそのうちの一人と母を通じて仲良くなってしまい、その外国人の出身国までホームステイで旅行したりもしていたようだ。
私? 私はそのうちの外国人のうち、一人だけ仲良くなった人はいたよ。仲良くなったっつーか、一方的に好かれてしまった感じだけど、中国人の女性の人で、その女性が何をしていたのかは忘れたけど、プレゼントを度々もらったのは覚えている。
その中国人の女性は、もちろん母とすごく仲良くなって、一緒にあちこち出かけるくらいの仲だったし、唯一アパート住人の中で玄関先だけじゃなく家の中にまで上がってきた人ではあった。
一度だけ、その中国人女性の家族の人が来日して、こちらの家族ともどもに食事をしたこともある。
ただ、その中国人女性に半分プロポーズみたいに、中国に来ないかと誘われた時には流石に私はやんわりと断ったけど。
そんな過去が自分にはあったってだけの話だけど、最近の外国人問題の話を見たり聞いたりしていると、私などは単純に「仲良くすればいいのに」としか思わなかったりする。
肌の色や言葉、国が違っても、母のようにそんなの関係なく、誰とでも長時間喋ってしまえる才能っていうか、流石にそんな人は多くはないとは思うけど、仲良くすることくらいできると思う。
排外主義の人たちはそれすらできないのだろうか?
弱者男性という言葉が言われるようになって数年が経った。が、未だに人権教育では、弱者というのは女性やLGBTQや障害者や外国人、高齢者といった「マイノリティ」というカテゴリに当てはまるとされている人のことを弱者と呼ぶ。
弱者とされるマジョリティカテゴリの人々が声をあげても人権派はそれを無視するどころか「弱者への攻撃である」「差別である」と訴えてきた。
実際にその人がどれだけ苦しんでいるかは関係がなく、こっちにも支援がほしいと苦しみの声をあげれば
お前は強者属性なのに、差別をしている側なのに、日本人男性は下駄をはかされ優遇されてきたのにと「加害者は発言権が無い」とばかりに、社会学者やマスメディアという権威が率先して、見えない弱者の差別を推し進めてきた。
その結果生まれたのが、 弱くなった中間層=見えない弱者 VS 無自覚強者+属性弱者 という分断である。
米国ではトランプ政権という、日本では参政党という右派ポピュリズムが躍進した。なぜこれらポピュリズムが躍進したかといえば、彼らは「強いアメリカ」「昭和の日本」という、豊かな中間層を訴えたからである。
本来は労働者階級、弱者庶民の声を代表し、権威と戦う役割であるはずの、左派政党はそこには無い。
左派団体の中心は富裕層、高学歴などで構成されており、彼らが見ているのは定義された弱者であり、社会問題として訴えられる分かりやすい差別問題だ。
疲弊する中間層を救うには賃上げや物価対策、経済活性化という地道な努力が必要になるが、弱者を救えと叫ぶのは分かりやすく、既得権益との対立構造を作りやすい。マスコミ受けがよく、有権者にアピールしやすい。
この手の活動で最も分かりやすいのがいわゆる女性差別(女性が弱者とされる)問題で見過ごされる弱者男性問題だ。
暇空騒動でやり玉に上がった仁藤夢乃氏は、私立中高から私立大学、卒業後も、労働に飛び込まなくても即人生終了ではないご家庭だ。フェミニズムの大家である上野千鶴子氏は親が大学教授のお嬢様だ。
彼女らはしばしばパフォーマンスとして漫画を攻撃したり、男性は性加害をするので悪いと言ってみたりする。私から言わせれば、彼女らはそんな社会運動に身を投じて、それでもさして今後の心配をしなくてよいのだから、弱者どころかメチャクチャ社会的強者である。
現在疲弊する中間層は、明日のメシに困るわけではない。しかし物価高で貯金は溜まらず、将来より素晴らしい未来が待っている確信も持てない。
そして、政治に目を向ければ「差別してきた側」と名指しされ、クーラーの効いた涼しい部屋で、小綺麗に身なりを整え、あくせく労働するわけでもない人たちから「お前たちは加害者として弱者を救う義務がある」と言われ、ささやかな楽しみである娯楽まで「架空の存在だろうが女性をモノ化しているから加害である」などと言われるわけだ。
LGBTQも同様で、単に肉体的分類として「男性」「女性」というカテゴリを使うだけで差別だ差別だと騒がれ、業務が増え疲弊する。
外国人差別も同様だろう。なぜ苦しい我々より、出稼ぎにきた人々を救おうと叫ぶのか。彼らは祖国に帰ればいいじゃないか。そんなことは思っていても言えばたちまち大問題になる。だからネットでしか吐き出せない。
ここでは、日々不安を持ちながら、差別主義者だと否定されながら、日々労働する本当の弱者は透明化されている。
本当の弱者は、大学教授や社会活動家のような発信力を持たず、日々で疲弊して政治活動をやるような暇はなく、弱者カテゴリを貰えないがゆえ発言力や経済力で追いやられても下駄を履かされた人々と言われ透明化されている。そんな彼らが、ポピュリズムを支持し、日本社会の分断は確実に深まっている。
ここまで書くと「なんと情けない」「アップデートしろ」「お前の努力不足だろう」という声が飛ぶことだろう。ちなみに私もカテゴリでいえば弱者とは言えない。昼から思想の強い増田を書くような人間は余裕がある人間である。そして、外国人排斥論や女性差別不存在論などには反対する立場である。
だからこそ、人権派を自認するマスコミや社会学者や文化人や良識派を自称する権威の人々へ、お前は恵まれた強者であり、弱者カテゴリとされた人にしか目を向けない偽善者であり、その独善性が分断の大きな要因であると自覚しろと言いたいのだ。
差別を無くす為に活動してきたはずが見えない弱者を足蹴にして、別の差別を生み、それが最終的にポピュリズムの暴走というカタストロフに至るのであれば、責任は疲弊する中間層を無視した側にも大いにある。
が、未だに人権教育では、弱者というのは女性やLGBTQや障害者や外国人、高齢者といった
「マイノリティ」というカテゴリに当てはまるとされている人のことを弱者と呼ぶ。
人権派はそれを無視するどころか「弱者への攻撃である」「差別である」と訴えてきた。
こっちにも支援がほしいと苦しみの声をあげれば
お前は強者属性なのに、差別をしている側なのに、日本人男性は下駄をはかされ優遇されてきたのに
と「加害者は発言権が無い」とばかりに、社会学者やマスメディアという権威が率先して、見えない弱者の差別を推し進めてきた。
その結果生まれたのが、 弱くなった中間層=見えない弱者 VS 無自覚強者+属性弱者 という分断である。
米国ではトランプ政権という、日本では参政党という右派ポピュリズムが躍進した。
なぜこれらポピュリズムが躍進したかといえば、彼らは「強いアメリカ」「昭和の日本」という、豊かな中間層を訴えたからである。
本来は労働者階級、弱者庶民の声を代表し、権威と戦う役割であるはずの、左派政党はそこには無い。
左派団体の中心は富裕層、高学歴などで構成されており、彼らが見ているのは定義された弱者であり
疲弊する中間層を救うには賃上げや物価対策、経済活性化という地道な努力が必要になるが
弱者を救えと叫ぶのは分かりやすく、既得権益との対立構造を作りやすい。マスコミ受けがよく、有権者にアピールしやすい。
この手の活動で最も分かりやすいのがいわゆる女性差別(女性が弱者とされる)問題で見過ごされる弱者男性問題だ。
私立中高から私立大学、卒業後も、労働に飛び込まなくても即人生終了ではないご家庭だ。
フェミニズムの大家である上野千鶴子氏は親が大学教授のお嬢様だ。
彼女らはしばしばパフォーマンスとして漫画を攻撃したり、男性は性加害をするので悪いと言ってみたりする。
それでもさして今後の心配をしなくてよいのだから、弱者どころかメチャクチャ社会的強者である。
しかし物価高で貯金は溜まらず、将来より素晴らしい未来が待っている確信も持てない。
クーラーの効いた涼しい部屋で、小綺麗に身なりを整え、あくせく労働するわけでもない人たちから
「お前たちは加害者として弱者を救う義務がある」と言われ、ささやかな楽しみである娯楽まで
「架空の存在だろうが女性をモノ化しているから加害である」などと言われるわけだ。
LGBTQも同様で、単に肉体的分類として「男性」「女性」というカテゴリを使うだけで
外国人差別も同様だろう。なぜ苦しい我々より、出稼ぎにきた人々を救おうと叫ぶのか。彼らは祖国に帰ればいいじゃないか。
そんなことは思っていても言えばたちまち大問題になる。だからネットでしか吐き出せない。
ここでは、日々不安を持ちながら、差別主義者だと否定されながら、日々労働する本当の弱者は透明化されている。
本当の弱者は、大学教授や社会活動家のような発信力を持たず、日々で疲弊して政治活動をやるような暇はなく
弱者カテゴリを貰えないがゆえ発言力や経済力で追いやられても下駄を履かされた人々と言われ透明化されている。
そんな彼らが、ポピュリズムに投票し、日本社会の分断は確実に深まっている
ここまで書くと「なんと情けない」「アップデートしろ」「お前の努力不足だろう」という声が飛ぶことだろう。
ちなみに私もカテゴリでいえば弱者とは言えない。昼から思想の強い増田を書くような人間は余裕がある人間である。
そして、外国人排斥論や女性差別不存在論などには反対する立場である。
だからこそ、人権派を自認するマスコミや社会学者や文化人や良識派を自称する権威の人々へ
お前は恵まれた強者であり、弱者カテゴリとされた人にしか目を向けない偽善者であり
その独善性が分断の大きな要因であると自覚しろと言いたいのだ。
差別を無くす為に活動してきたはずが見えない弱者を足蹴にして、別の差別を生み
自分でやって安い、会社にやってもらうと高いってSNSで暴れるバカは大体人件費とかが抜け落ちてるアホだからなあ
原材料費だけで原価とか言ってみたり
まともに働いたことがない、働いた経験があったとしても平社員で予算とか発注の金が絡む領域に関わったことがないとしか思えない人ほど騒ぐ
プロが解説します。材料費1.2万、洗浄1人工3万、下塗1人工中塗1人工上塗1人工で9万(養生込み)、諸経費30%で4万。合計17.2万がミニマムかと。そして、これはいわゆる防水材ではなく塗料かと思うので、防水材でやる場合は材料費がもっとかかるので20万ならボッタクリどころか良心的です。https://t.co/igwbSGKtkl— ターモリ・ジョンナム・敵認定ルン@大規模修繕のプロ大家 (@ta_morleydx)September 26, 2025
賃貸派がよく言うのは、気軽に引っ越せるし身軽でいいというやつ。
でも冷静に考えると一生家賃を払い続けることになって、
持ち家派が強調するのは、ローンを返したら自分のものになって安心できるという点。
けど実際はローンを組む時点で30年以上銀行に縛られるし、固定資産税は死ぬまでかかるし、
立地が微妙なら資産価値はすぐ下がって、結局売るに売れなくなる。
持ち家はローンと維持費の沼に沈む地獄。
どっちも勝ち組のライフスタイルを装っているように見えるけど、実態は地獄の種類が違うだけ。
じゃあどうするのが正解なのかと考えても、たぶん正解なんて存在しないんだと思う。
当方同性パートナーがいる女性なんだけど、同棲を考えていて不動産屋に行ったら管理会社の意向で入居を断られた物件が多かった。
2人とも正社員だし年収に対して無茶な物件は選んでないのに、同性カップルであることが理由で断られた。いやそもそも、同性カップルだと伝えただけで断られたから通常の審査フェーズにすら乗れなかったんだけどさ…
中にはパートナーシップの宣誓書があれば検討可能と回答した管理会社もあったけど、男女のカップルは自己申告で入居出来るのに自分たちは関係を証明するものが無ければ同じ土俵に立てないのかよーとがっかりした。
なんかもう、そういうの初めから書いといてくれ。管理会社とか大家のリスクヘッジや個人的な思想として同性カップル入居不可としてるなら、初めから物件の募集ページに書いといてくれ。
私は勝手に候補から弾くし、アライからはそういう管理会社(大家)なんだーと思われるけどその方がお互い手間かからなくない?よろしくご検討ください。
昔々あるところにお爺さんとおばちゃんが住んでいました
おばちゃんは気さくなのでパート仲間と一緒に花月にお笑いを見に行きました
お爺ちゃんはバイクが好きなのでハーレーで都会まで買い出しに行きました
二人は気ままな生活を過ごしていました
二人は狭いIRのワンルームマンションに住んでいたので、喜んでそこに住むことにしました。
しかしおならマンションに住み始めて3日後に、お爺さんは少しだけ「ぶっ」とおならをしてしまいました
それを聞いた大家さん(盗聴器でおならを聞いた)は怒って部屋に入ってきました
おばちゃんは「違うの大家さん!さっきのはおならじゃないの。そう、おならじゃないの…」
おばちゃんの機転が効いてよかったですね
(おしまい)
とメールで返したんだが、言わないほうがよかったんだろうか?
言わなければ、仲介手数料5万円はいるけど、今後の仕事に差しさわりが出てくる。
前に外国人OKの大家に外国人を紹介したんだが、「地域猫にたいしてアパート内で餌を上げるのは無断での飼育だ。さっさと出ていくか猫を何とかしろ」みたいなことを管理会社に言われ、この管理会社は二度と外国人に部屋を貸してくれなくなった。
ちなみにこの猫は仲介目線だと飼育ではないんだが、大家に逆らうことはできないんで、仲介で引き取って里親を探さざる負えなかった。
ある棋士が地域猫への餌付け負けてしまった以上仕方ないんだが、この大家と管理会社の差別ぐせマジ何とかしてくれ。
仲介が差別しなくても、大家と管理会社が差別すると、仲介まで差別しているように思われるんだよ。
普通に高校、大学などを出て、実家をはなれて給与所得者になった人で受信料を任意には払いたくないがテレビは持ってるよ、という状況で、被告となるシナリオを考えてみる
(訪問員に嘘をつくのは詐欺罪のリスクがちょっとあるから、そもそも会話をはじめない、はじまってしまっても「すまんが会話を続けたくない」でシャットダウン、必要に応じ不退去罪の規定の活用、がいいかな)
(通報は恨みをかってたらそれなりに可能性があるかな。ミスのシナリオはNHK側として狙うにはコスパが悪すぎるかな)
・SNSなどでテレビの存在を開示しちゃって、あるいは窓などから見えてNHK側にバレる
(セルフ開示はNHK側として狙うにはコスパが悪すぎるかな。窓などのほうのリスクは馬鹿にはできない、建物周辺から容易に見える階なら特に。)
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