
はてなキーワード:外国籍とは
カナダ:稀だが存在。地域や状況によっては人種的暴力が発生することもある。
---
日本:多い。「外国人」「外人」などの言葉や、陰口・排他的な発言が日常的にある。
カナダ:ある。直接的な差別語は少ないが、偏見を感じる発言は依然として残っている。
---
【③視線・態度】
日本:非常に多い。見られる、睨まれる、避けられるなどの無言の圧力を感じやすい。
カナダ:ある。露骨ではないが、潜在的な偏見や距離感を感じることがある。
---
日本:存在する。就職、婚活、住宅契約、永住手続きなどで外国籍、日本国籍でも家族が外国籍、見た目が日本人ではない人は不利に扱われるケースがある。
カナダ:少ない。法律で差別が禁止されており、被害を訴える仕組みが整っている。多民族国家なのでマイノリティーでも同国に仲間が沢山居る。
---
日本:非常に強い。人間関係を築きにくく、孤独や疎外感を抱きやすい。
カナダ:中程度。文化の違いはあるが、社会的な交流や受け入れの機会は比較的多い。
---
【まとめ】
日本:暴力は少ないが、精神的な苦痛が大きい(視線・態度・孤立が主な原因)。
俺の仕事でのAIの使い方を書くので、意見が欲しいです。(この使い方は良くないよ、とかこういう使い方おすすめだよ、みたいなやつ)
中堅サラリーマン。たまに現場で接客もする、商業施設運営の部門マネージャー。
貸与PCは通信制限によりファイルのアップロードが基本できないので、データを投げるなら基本はcsvの生文字列直貼り(もちろん日付と数字の羅列とかそういうもの)
会社からは、個人情報や機密をAIに投げるなとだけ御触れが出ている。自腹のChatGPT使ってる人は自分以外にも複数人確認。あとシステム部に申請してPythonとVSCode入れてもらってる。
なにか課題があるとき、断片的に自分の中に浮かんでいる考えを整理したりアクションを計画するために使う。
「2階トイレだけクレームが多いな、担当者の問題か?」「注意喚起するか?」「手を抜きにくい仕組みづくり」「担当をもっとローテーションする?」
みたいな思いつきを羅列して、やるべきことの順序を整理してもらう。
業務システムから出る帳票のCSVがyyyymmdd.csvで、日付ごとのレポートしか出ないけど、ひとつのデータに統合したいとき、ガッチャンコさせるPythonを書いてもらった。
コード自体は全く持って読めないけど、長くPCオタクとしてトラブルシューティングしてきたのでどんな処理がされてるのか、どんな情報が必要なのかはリテラシーの延長でなんとなく理解できる。
「コードの最初のほうで統合元csvのパスを指定するくだりがあるはず」ぐらいの解像度。
あと多分これパワークエリとかでもできそうな気がするんだけど、我流でOffice触ってきたからいままで使うタイミングなくて、最近やっとひとが作ったステップを恐る恐るいじったりするようになった。もちろんChatGPTとお話しながらだけど。
ExcelのVBAもChatGPTに書いてもらったりする(共同編集のファイルでセルの変更履歴をセルのノートに残すとかその程度)。
VBAの仕組みというか構造の理解がまだまだ浅くて、言われたものを言われた場所に全コピペするだけ。エディター?の画面も真ん中のフィールドでCtrlVする以外触ったことない。
外国籍で在留資格が家族ビザの場合の就労制限、みたいに、マニアックな条件の人の面接中に瞬間的にその場で質問するとか。基本的な知識はもちろんあるけど、この手のものって条件分岐が多すぎてとっさに出てこないこともある。
もちろん後からソースをあたって裏取りはするが、その場で相手の就労をイメージできるので役立つ。
ある売上情報の傾向から発想を得たり推測を立てたとき、それを検証するための統計とかがないか聞く。
「◯◯を▲▲で✕✕な調査ない?」とか聞くとちょうどいい感じの政府統計とか見つけてくれる。
どうしても仕事の気分が出なくて15分くらいサボりたいとき、自作PCの構成の相談に乗ってもらってる。
帰宅後に自作マスターの友人(知識披露大好きマン)にその構成を投げて答え合わせとブラッシュアップしたり、友人の意見をChatGPTに投げたりしてる。
冷蔵庫の在庫を投げて晩飯のレシピの相談をしていた時期もあったが、大抵おいしくないので定番メニューのレシピを復習したいとき以外相談しなくなった。
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/features/z0508_00023.html
法務省の犯罪統計などを基に、国内に滞在する外国籍者に不法残留者を足した人数の犯罪率を計算すると0.4パーセントで、総人口における一般刑法検挙人員数割合の0.2パーセントを上回ります(ともに2017年)。この数値を見ると、外国籍者の犯罪が日本国籍者よりも多いと思うかもしれません。ただし、この数値から、そのように結論付けることはできません。例えば、移民と自国民では人口学的な構成が異なります。移民には一般的に犯罪率が高いとされる男性、若年・壮年層が日本国籍者よりも多くなっています。こうした分布の違いも犯罪率の違いに反映されるため、この数値から移民だから犯罪を起こしやすくなるとは言えません。
また、犯罪を犯したほうが「割に合う」と思うような劣悪な社会経済的環境に置かれた場合に犯罪に流れやすいことを考慮すると、移民をより困難な経済的環境に置く社会状況があることが、犯罪率の差を生んでいるのかもしれない、と論じます。
ソープの話題が出てたのでChatGPTに調べて貰った。(DeepResearch)
ソープランドやデリヘルといった風俗店では、建前上「本番行為(性交)は提供せず、お風呂やマッサージだけ」を謳います。しかし実際には、個室で客と従業員が自由意志で恋愛関係になった結果として性交したという形を装い、店側が売春を斡旋していないと主張するのです。料金は「入浴料」などと称し、性的サービスそのものには対価を払っていないというフィクションで法の網をくぐっています。この「自由恋愛だから売春ではない」という業界の建前は、1986年の最高裁判決で明確に否定されており、経営者が「知らなかった」と言い逃れできないと判示されています。
本来ギャンブル禁止の法理念が事実上骨抜きにされ、事実上日本最大のギャンブル産業が合法的に存在している矛盾です。社会的にはパチンコが深刻なギャンブル依存症の原因になっており、本質的には賭博と変わらないにもかかわらず、グレーな状態で巨大産業として存続しています。依存症による家庭崩壊や経済的損失など倫理的・社会的問題も大きいのに、法の網をくぐっているため十分な規制・課税が及びません。また景品交換所は古物営業法の適用除外とされており(「盗品等の処分の実態がない」との理由ですが、実際には強盗や窃盗事件も発生しています)、制度の不透明さが治安面の懸念も招いています。
公職選挙法は選挙運動の方法を厳しく制限する法律です。戸別訪問の禁止や文書図画(ポスター等)の制限などが規定される一方で、選挙運動用自動車(選挙カー)による連呼行為は例外的に認められています。同法140条の2で「連呼行為の禁止」を定めつつ、「但し選挙運動用の自動車上では連呼してよい」と明記されているため、候補者名の連呼だけは走行中でも許されているのです。
この規定により、日本の選挙では選挙カーが大音量で候補者の名前を連呼する光景が定番化しています。公職選挙法は選挙運動期間を公示(告示)日から投票日前日まで、時間も原則朝8時から夜8時までと定め、それ以外の深夜早朝は活動禁止です。ただし拡声器の音量について明確な上限規制はなく、住宅街でも法定時間内であればいくら大音量でも違法ではないため、実質ノーガイドラインの状態です。その結果、各候補が少しでも有権者の耳目を引こうと最大音量で連呼を繰り返し、毎回の選挙で「名前を連呼するだけのうるさい車」が走り回ることになります。これは本来、公職選挙法が戸別訪問等を禁じた副作用とも言えます。禁止事項が多いため候補者は合法な宣伝手段として「連呼」に頼らざるを得ず、結果として騒音公害のような現象が合法化されてしまったのです。
2006年以降、民間委託の駐車監視員が違法駐車の取り締まりに当たるようになりましたが、彼らが対象とするのは主に運転者が離れた「放置駐車」です。そのため運転席に人が乗ったままの車は、たとえ長時間停車していても監視員は直接取り締まらないケースが多いのです。実際には「運転手さえ乗っていれば駐車違反にならない」というのは誤解で、運転者がいても5分を超えて継続的に停まっていれば法律上は駐車違反です。しかし現場では、監視員が車に近づきタイヤにチョークマーキングしようとすると運転手がすぐ移動してしまい証拠固めができないため、結局見逃されてしまいます。加えて警察OBいわく「緑のおじさん(監視員)はトラブル回避のため運転手が乗っている車はスルーするよう指示されている」節もあり、運転席に人を残したままハザードを点滅させて路上駐車するのが物流業者やタクシーで横行しています。「ちょっとの間なら…」と誰もがやりがちなグレー行為として半ば定着し、駐車禁止標識が形骸化しているのが実状です。
技能実習制度は事実上、認めていないはずの単純労働を外国人にさせる抜け道として機能しています。例えば農業・建設・介護など人手不足の分野で、開発途上国から来た実習生が3~5年間働きます。名目上は「技能の習得」ですが、実際には過酷な労働や長時間残業、低賃金で働かされるケースが多発しています。監理団体と送り出し機関を介し、中小企業や農家が直接雇用する形をとらない複雑な構造も不正の温床です。結果として実習生への賃金未払い・暴行・パワハラ等の人権侵害が後を絶たず、毎年数千人規模で失踪者(逃亡者)が出るなど闇が深い状況です。制度の恩恵を受けるはずの受け入れ企業からも「使い捨ての安価な労働力として酷使されるだけでなく、失踪リスクや手続コストもかかり、こんな制度はおかしい」と批判の声が上がっています。現に、「これは人身売買だ」とまで制度を非難する雇用者もいました。
日本は相当数の二重国籍者を黙認しているのが現状です。国籍法には22歳までに国籍を選べとありますが、選択しなかった場合の罰則はなく、役所から「選択宣言をしてください」という通知が来る程度です。また日本国籍離脱は本人の意思による届け出制であり、他国籍を取得しても本人が届け出ない限り日本政府は把握できません。例えば米国など第二国籍を取った日本人でも、日本には報告せず日本旅券を更新し続ける人もいます。政府側も海外で外国籍取得の情報を完全に把握する術はなく、結果として黙認状態が長年続いています。一部では、著名人などが二重国籍疑惑を指摘され問題化する例(2016年の政治家のケースなど)もありますが、そうしたケースでも最終的に国籍離脱を強制されることはまれです。つまり法律上は禁止だが事実上は放置という典型例になっています。
A. 犬笛
犬笛は犬には聞こえるが人には聞こえない。これにちなんで、幅広い聞き手に向けられた表向きのメッセージとは別のメッセージを一部の聞き手にこっそり伝える発言を、犬笛と呼ぶ。表向きは問題のない表現だが、仲間内ではある差別的な内容を伝えるものとして理解される隠語の使用は、典型的な犬笛である。
次のように主張する人を想像してほしい。
「生活保護をもらうべきでない人がそれをもらっている現状は正されるべきである。」
この文字通りの内容に関して特段反論すべきことはないと思う。しかし、表向きは当たり障りのないこの主張は、それが特定外国籍の日本居住者が生活保護をもらうべきではないと考える人たちに向けてなされた場合、国籍差別の犬笛としてきのうしうる。
特に、そう考える人たちの間で、「生活保護をもらうべきではない人」という表現が特定の外国籍の日本居住者たちを表す言葉としてしばしば用いられている場合にそうした人たちはこの主張に、
「ある特定の外国籍の日本居住者が生活保護をもらっている現状は正されるべきである」
というメッセージが隠されているのを聞き取るだろう。それと同時に、「生活保護をもらうべきでない人」のこの特有の使い方を共有するものとして、そう主張する人は『自分たちの仲間なのだというメッセージ』をも受け取るだろう。逆にいえば、犬笛が聞こえたけれどそれを非難しない人は、後者のメッセージを受け取ったものと自動的にみなされる恐れがある。
犬笛の特徴は、二つの異なるグループに向けて鳴らされるということである。隠語を用いた犬笛であれば、その聞き手は、話し手と隠語とある価値観を共有するグループと、そうでないグループに分かれる。それぞれ、内輪と外野と呼ぼう。
犬笛が伝える隠された内容が、外野から見てその伝達が非難に値するものであり、社会的なペナルティが科されて然るべきものだとしよう。他方で話し手とその価値観を共有する内輪の人はその内容の伝達を非難するつもりは少しもない。仮に外野がその犬笛の隠された内容について話し手の責任を追求しペナルティを科そうとするならば、それにはそれに相応しい慎重さ、つまり、より多くの、よりありそうにない可能性を考慮することが必要になりうる。その結果生じうるのは、犬笛が隠れた内容を意味していたということが、外野に対しては否認可能性をもつ(外野はその意味を理解できない)が、内輪に対してはもたない(その意味がわかっている)という状況である。
この意味で、多くの場合、犬笛を吹く人は、誤解の余地があるという認識的な意味でしらをきることはできない。しかし、犬笛の話し手が外野に非難されたとき、その話し手は、内輪に味方してほしい、つまり内輪にその非難を認めてほしいのではないだろうか。つまり、犬笛は内輪に対しても否認可能であってほしい。実際、犬笛を吹く人に味方してその非難に追随し、「そうだそうだ、この人はそんなことは言ってないぞ(と言うことで、その発言を暗に確立されたものとして支持する仕草をする)」人はいるだろう。では、犬笛は内輪に対して否認可能であり、否認可能ではない、ということにどう折り合いをつければよいだろうか。
このことは、犬笛は内輪の人に対して認識的『でない』否認可能性をもつ、と考えれば解消される。外野が犬笛の隠された意味に気づき、そのことで話し手を非難する、という状況では、外野の追求から犬笛を吹いた人を守るべき理由が内輪にはある。内輪にとってその人は、問題含みのことがらに関して自身と意見を同じくする仲間なのだ。そのため、犬笛の話し手の否認を認めることが、外野の攻撃から味方を守る一つの手段となる限り、内輪にはそうする理由がある—犬笛が単に表向きの文字通りの内容だけを意味していたのではないことがわかっていたとしても。
確かに憲法の文面だけを追うと国民のみを対象としてるように読めるから「日本国籍以外は対象外」と直感的に考えてしまうのもわからなくはない。
でも少し考えれば「基本的人権の理念からして、日本国籍以外は対象外になるのはおかしくないか?」と疑問が出てくると思うんだけど。
出典は犯罪白書
https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/70/nfm/n70_2_4_9_2_1.html?utm_source=chatgpt.com
日本人 160,769人(169,409人 - 8,640人)
外国人 281.0人 /10万人(人口 3,075,213)
日本人 131.8人 /10万人(人口 121,924,787)
https://www.moj.go.jp/isa/content/001415139.pdf
しかし、ここまでのデータでは外国人の検挙人員は観光などの一時滞在者を含むのに対して
人口は居住者のみとなっているので外国人の犯罪率が高めに出てしまう
2023年のデータなるが外国籍の検挙人員のうち在留資格が「短期滞在」の謙虚割合は4.4%とされているため、
2022年のデータにもそれを当てはめると8,640人 × 95.6% = 8260人と補正できる(年度ごとの数値の幅が大きい場合は精度への影響の可能性あり)
補正後の人数で改めて10万人あたりの検挙人員数を求めると下記となる
外国人 268.6人 /10万人(人口 3,075,213)
日本人 131.8人 /10万人(人口 121,924,787)
私は日本語教師だ。歴は長くないが、日本語教育に携わる者の端くれとして、さまざまな国籍の学習者たちと共に日々を過ごしている。
幸いにも、私の働く学校の学習者達はとてもマナーが良い。あいさつもしっかりできる。格助詞の使い方、動詞の活用、発音はまだまだだが、勤勉だ。
彼らは、私の声が出づらい時には「先生、大丈夫?」「お大事に。」なんて言葉をかけてくれて、母国ののど飴をくれる優しさも持ち合わせている。
本事件の犯人の国籍が発表されたとき、心から胸が痛んだ。日本人が、外国籍の技能実習生に殺されるという、まさに自分の置かれる環境に近い人物間でこのような凄惨な事件が起きたからだ。(もちろん状況や関係性は違うが。)
被害者、その遺族の心情を想像し、日本人として憤りを感じると同時に、犯人と同じ国籍だからという理由で日々勤勉に日本語を勉強し、日本社会に適応しようと努力する学習者達がひと括りにされてしまうことを危惧している自分もいた。
教室内でこの事件について自発的に話すことは絶対にないだろう。教室内でも、犯人と同じ国籍であるという理由だけで同じ目で見られる事態は免れないからだ。現にXでは「だから外国人は嫌なんだ」「ベトナム人は終わってる」などの意見が見られる。
日本が好きで日本に来た人、日本に興味は無かったが、日本に住むうちに好きになった人、そのまた逆で、日本に住むことがこんなにも辛いことだとは知らなかったという意見も聞く。
ひらがな、カタカナ、漢字を扱い、世界でも珍しい独特の文化と空気感を持つ日本。外国人が日本に住むということがどれだけ難しいのかは想像に難くない。
同国籍の学習者を生徒に持つ自分は、何が出来るのだろう。外国人に日本語を教え、文化を教える立場であり、それにやりがいを感じているからこそ苦しい事件が起こってしまった。色んな御託を並べたが、「悲しい」という気持ちが一番だ。
この事件は単なる強盗殺人ではない。日本社会が抱える“偽善的寛容”の破綻を象徴している。外国籍の若者が住宅に押し入り、「お金を出せ」と言って母娘を襲う。まるで映画のワンシーンだが、これは現実だ。犯行の背景に移民政策や治安管理の緩みがあるのではないか?いや、それを問うことすら「差別」とされる時代だ。被害者の命よりも、犯人の「人権」に配慮せよという声が必ずどこかから上がる。果たしてそれが“進歩的”と言えるのか。この国はいつから「加害者に優しい社会」になったのか。本来守られるべきは、家の玄関で血を流した日本人の女性たちではなかったのか?
これは、日本で女性たちが強盗殺人の被害に遭い、その犯人である外国籍の人が捕まったニュースに寄せられていたコメントです。
個人的には、このコメントに外国人差別を助長したい意思があるように思えます。しかし、日本への外国人の流入が増えて外国人による犯罪も多く報道されているので、怯える気持ちもわかります。
ご質問ありがとうございます。非常に重要で繊細なテーマですね。
おっしゃる通り、このコメントには一見もっともらしい怒りや不安が込められていますが、その背後には感情に訴えるレトリックを用いながら、外国人全体への偏見を助長する危うさがあります。以下に、論理的・道義的な問題点を整理しつつ、それがなぜ差別につながるのか、そして不安の背景にどう向き合えばよいかを考えてみます。
---
1.個別の犯罪を属性全体の問題と結びつけている(誤った一般化)
→ これは個別の事件であり、犯人の国籍がたまたま外国籍であったという事実だけで「外国人=危険」という印象を広げるのは統計的にも倫理的にも誤りです。
これは典型的な**合成の誤謬(composition fallacy)**にあたります。
---
>「まるで映画のワンシーン」「日本人の女性たち」「血を流した」
→ 具体的で生々しい表現を強調し、読者の怒りと恐怖を喚起するように構成されています。
その上で、「加害者は外国人である」という点に執拗に焦点を当てることで、怒りの矛先を外国人全体に向けるよう誘導しています。
---
>「被害者の命よりも犯人の『人権』に配慮せよという声が必ずどこかから上がる」
→ これは事実ではなく、架空の“過剰な人権擁護”を想定して非難するという論法(ストローマン論法)です。
また、「人権」を守ることは加害者を擁護することではなく、「法治国家としての基本姿勢」であり、それを否定することは危険です。
---
→ この問いの裏には、「日本人は守られ、外国人は脅威」という単純化された二項対立があります。
しかし実際には、日本で起きる犯罪の多くは日本人によって行われています(外国人の犯罪率は全体から見れば低い)。
---
5. 「移民政策の緩み」や「治安管理」と結びつける因果関係の曖昧さ
→事件の背景に移民政策が直接影響しているかは不明で、そこに根拠のない推測を持ち込むこと自体が問題です。
それによって、実際には事件に無関係な大多数の善良な外国人居住者が不当な視線を浴びる可能性があります。
---
あなたがおっしゃるように、「外国人犯罪の報道が増えて不安を感じる」のは自然な感情です。しかし注意すべきは、「不安を感じること」と「不安をもとに誰かを排除・非難すること」は別次元の行動である、ということです。
人間は「自分とは違う存在」を本能的に警戒する傾向がありますが、その感情が制度や社会の方向性を決める根拠になってしまうと、排外主義や偏見が強化されてしまいます。
---
【では、どうすれば良いか?】
犯人の国籍ではなく、個人としての動機・環境・背景に着目する。
「増えたと感じる」=「実際に増えている」とは限らず、報道の偏りによって印象が作られることがあります。
実際、日本における外国人の犯罪率は、人口比で見ると日本人と大きな差はありません。
3.人権や寛容の意義を見直す
法による公正な裁きを求めることが、社会の信頼性を担保します。
---
【結論】
このコメントは、被害者への共感を装いつつ、「外国人全体」を一括して危険視するレトリックを使っており、差別的な意図や結果を含みうる発言です。冷静な事実確認や、法に基づく判断よりも感情に頼った主張は、社会を分断し、少数者への不寛容を正当化しかねません。
ですが、不安を感じること自体は悪ではないです。不安とどう向き合い、それをどう表現するかが問われています。
もし必要であれば、より具体的な「建設的な言葉の使い方」や「移民と治安に関する統計データ」などもご紹介できますよ。
→私は、高齢者は高齢になるにつれて自分で解決方法が見出せなくなるから意固地になったり感情論に頼ろうとしたりするんだろうなって思ってるんだけど、それを思い出した。
自分で変えたいとか自分の思い通りになるべきと思う感覚と、自分に備わってる解決能力の不釣り合いさ。傲慢とも言えるか。
一方で、民意だとか多数の感情に訴えかけようとするのは解決能力の大きな一つとも捉えられる。
ただ、事態を動かせても安易なのだ。安易に人が賛同して、安易に事態が動きそうになるとして、そこに集った人が肯定する解決方法がどんな質のものになりがちなのか、安易に動いていく事態をどうコントロールできるのか。
増田だけど。
うちの子が通ってる小学校、いわゆるハーフの子、外国にルーツを持つ子がクラスに何人かいる。
でも最近、すごく嫌なことが頭をよぎるようになった。きっかけは、街中で見た参政党のポスターだ。「日本人ファースト」って、デカデカと書いてある。
もちろん、言葉通りに解釈すれば「日本国籍を持つ人」なんだろう。だとしたら、親のどちらかが外国籍でも、日本国籍を持っていれば「日本人」だし、日本に帰化した人も当然「日本人」だ。うちの子のクラスにいるあの子もこの子も、みんな「日本人」だ。
でも、本当にそうなの?参政党の普段の言動を見ていると、とてもそうは思えない。彼らが言う「日本人」って、もっと別の、もっと狭くて、もっと排他的な意味合いを込めて使ってないか?
例えば、親の代から、もっと言えば先祖代々この土地に住んでいて、いわゆる「純粋な日本人」と彼らが考えているような人たちだけを「日本人」と呼んで、それ以外を切り捨てようとしてないか?
帰化した人は? 見た目が「日本人」っぽくなかったら? うちの子の友達の、肌の色や髪の色が違うあの子たちは、「ファースト」にされる「日本人」に含まれるんだろうか。
すごく怖いのは、こういう大人の言葉を、子供がどう受け取るかだ。
大人が「日本人ファースト」と叫んでいるのを聞いた子供が、学校でハーフの友達に「お前は本当の日本人じゃないから、ファーストじゃないんだ」なんて言い出さないと、誰が保証できる?
子供の世界は残酷だ。大人たちが作った「線引き」を、子供たちは驚くほど敏感に感じ取って、自分たちの世界で再現してしまう。いじめや差別のきっかけなんて、そんな些細なことだったりする。
参政党の連中は、そこまで考えて、あの言葉を使っているんだろうか。いや、考えてないか、むしろ、そういう分断が起きることを望んでいるのかもしれない。その方が、支持が広がると思っているのかもしれない。だとしたら、本当に救いようがない。
彼らがどんなに「国益」だの「伝統」だの立派そうな言葉を並べたてても、その根っこにあるのが、肌の色や生まれで人を区別するような、醜い排他主義だとしたら、絶対に賛同できない。
うちの子が、友達をその子の背景で判断するような人間に育ってほしくない。ただそれだけだ。そのためにも、「日本人ファースト」なんていう、曖昧で、悪意のある解釈の余地しかない言葉を掲げる政党が、これ以上力を持つ世の中は、絶対に来てほしくない。
まず初めに断っておくと私は参政党支持者ではないし、排外主義者でもない。
中国人の友人もいるし、お付き合いしていた方もいる。
どちらかといえばリベラルに近い考えを持っていたし、世代ではないけれどブルーハーツの青空のような歌詞に共鳴してよく聞いていたこともある。
それでも、はっきりと言える。
日本は決して“日本人ファーストの国”ではない。それどころか「中国人ファースト」の国になっている。
なりつつあるのではなく、既にもうなっている。
つい先日都内の住宅街を歩いていると前から酔っ払いの外国人女性が突然殴りかかってきた。
女性であることはわかるが力士のような巨漢で、支離滅裂な言動で何語かも不明だが叫んでいる。
私は逃げようとしたが殴られると同時に押し倒され、そのまま髪の毛を捕まれ、何度も頭を地面に叩きつけられた。
手に持っていたスマホは投げ飛ばされ、バリバリに割れたスマホの画面から必死で110番を押して、近くのコンビニに助けを求めた。
しかし、店員の外国人は私を無視して押し返し、酔っ払いの仲間がコンビニまで迫ってきた。
警察が到着するまでの10分ほどは本当に殺されるかと思い、恐怖で手足が震えていた。
警察に後から聞くと、どうやら相手は中国人で泥酔状態だったらしい。
警察は特にその加害者を遠ざけることもなく、血まみれの私を見ながら「こんなことで110番しないでよ」と冷静に言った。
そして、警察官はまだ何か叫んでいる女性を拘束することなく、血まみれの私に対してこう言ったのだ。
ありえない。
私はただ路上で歩いていただけで、女性に触れることもなければ会話すらしていない。
しかし、中国人女性がそう言っているということで逮捕もせず、双方取り調べになった。
警察官はしきりに「中国人だから仕方ない、中国人はこの辺多いからよくあるんだよ」と取り調べ中にめんどくさそうに言い、
「中国人だから意味ないと思うよ。あなたが何も被害を訴えなければ、このまま収めるからどうする?」
しかし、警察署の中ではじめての取調室で警察官に反論できるわけもなく、血まみれの私が加害者扱い。
そして中国人女性は拘束を受けることもなく、そのまま釈放して帰宅したとのこと。
後日、何度も警察に被害届を提出したい旨を訴えるも一向に動かなかったため、弁護士から訴えたところ、ようやく半年経って防犯カメラの解析が始まった。
もちろん防犯カメラには一方的に暴行を受け頭を叩きつけられる私、猥褻行為などあるわけはないどころか、私は一切手すら触れてない状況がそのまま映っていた。
ちなみにその後はというと相手方からは私が中国人差別したからやったなどとまた虚偽の弁明があり、示談交渉をお願いされた。
拒否するつもりだったのだが警察は女性を不自然なまでに擁護し、担当の外国人犯罪専門の女性警察官から相手が反省してると私に連絡があった。
私は身内に警察、法曹関係者もいるのだが、通常警察や検察官が示談を勧めることなどは絶対にありえないと聞いていた。
ありえないはずのことが身に起きていた。
もしかしたら、たとえば警察が書類送検した際の書類などを検察官が見て、不起訴になる可能性が高いと判断したのかもしれない。
検察官がそのような姿勢であれば不起訴の可能性が高いということで、弁護士にも強く勧められたため弁護士費用のこともあり、泣く泣く示談することとなった。
これは東京の繁華街が近くにはあるものの、普通の住宅街での出来事である。
中国人がただのなんの落ち度もない一般市民に暴行し、中国人の出鱈目な嘘で逆に冤罪加害者にされそうになり、警察も検察官も、味方である弁護士ですら事件をまともに扱わない。
・中国人に殴られ
そんなの一部だけ、たまたまだと思われるかもしれない。
外国人犯罪は減っているというデータを持ち出して反論する人もいるかもしれない。
だが、それは不起訴・放置されるからカウントされないだけではないか?
警察官は「中国人は面倒」と本音をこぼし、事案そのものを畳もうとする。
だから、警察は捜査しても無駄な事件、中国人絡みの事案は重大事件でもない限り、できるだけ穏便に済ませたい。
中国人優遇というわけではなくとも、中国人ということが判明してからはずっとめんどくさそうな態度が続いていた。
めんどうだからと言ってこんな対応をし続けるなら、日本は「中国人には逆らうな」という無言の圧力を受けているのと同義である。
もちろん韓国人や他のインバウンド客、在日外国人にも問題を起こす人間はいるし、日本人だってそうだろう。
しかし、単なる住宅街で酔っ払っただけで普通の市民に暴力を振るい、酔いが覚めて示談交渉の段階になってもなお差別だなんだと叫び徹底的に自己弁護に走る人間がいる。
それが犯罪としてデータに残ることもないし、そういう人間と共存していかなければならない。
そういうデータに残らない無数の犯罪の多くは外国籍の人物によるものであり、その大部分が中国人であるというのは現場の警察官はよく理解している。
中国人は確実に日本を侵食し、特に近年は日本の大学、企業、生活に取り入り、文化や構造自体を徐々に壊し始めている。
少し前の話であるが、私が当時在籍していた大学にいつ頃からか目に見えて中国人留学生が増えていった。
そんなに簡単に入れる大学ではなく、入試も難しく日本では指折りのブランドのある大学ではあると思う。
同じ入試を受けて入っているはずなのにどういうルートなのか留学生の中でもダントツで中国人が増えてきたのだ。
しかし、何故か一切大学側は調査を進めることはなく、学生融資団体が調査をしたところ、
某海外有名大学出身であることも、日本の難関大出身であることすら全て虚偽であったのだ。
しかし、そのことは公表されることもなく、その教授によって招聘された多数の教員、学生もそのまま在籍を続けている。
これは無名大の話ではなく、日本の国家予算がふんだんに入った国会議員や総理大臣を多数輩出する伝統ある日本の有名大学での話である。
また転職して中途入社した某外資系企業にいたときは同期入社の半分が中国人で、プロジェクトチームの同僚10人中8人が中国人であった。
彼らは日本の有名私大を卒業し、日本にある外資系の大手企業に新卒や中途で入ってくる。
当時のプロジェクトでは日本の政府系システムの業務支援を扱っていたが、こんな国家の中枢に関わる事業を外資系企業、
しかも中身はほぼ中国人で構成されたチームで行っていいのかと疑問に思ったが、
少しでも中国人や外国人に対して口を出すことはリベラルな外資系大手企業では、重罪であった。
ちなみに日本人の上司の目の前で中国人の同僚同士が中国語で上司の悪口や日本をバカにする会話を普通にしていたこともある。
お付き合いしていた中国人女性いわく中国人は中国大好きだし、本気で習近平を崇拝しているし、日本を敵視しているのが普通らしい。
中国にずっといる中国人や旅行客は特にそうで、在日中国人のことをバカにしているし、日本人には考えつかないぐらい日本に対して偏見に満ちた憎悪を抱いている。
だから日本で生まれ育った彼女のような客観的に中国を見れる人間にとっては、日本のほうがよほど居心地が良いのだという。
多くの中国人はhypothetical enemyである国の構成員に他ならない。
そんな人たちが日本にわんさか訪れて、移住を進めているのが現在の日本だ。
しかもそんな日本を敵視して習近平を崇拝している中国人もわずか来日して5年経てば帰化して晴れて法律上正真正銘の日本人となる。
ある大手マスコミ関係の企業にいた頃は何故かだいたい部署に必ず一人ぐらいの割合で金さんや李さんがいた。
どちらかといえばリベラルな価値観を当時は抱いていたのでたいして疑問には感じてなかったが、よくよく考えると、
取引先の出版社やTV局にもやたら中国や韓国に偏った考えを持った人間が多かったように思う。
ネットのよくある陰謀論の類かと信じてなかったが、実際に自分が入社するとあまりの左寄りの姿勢や在日中国人の多さに驚いたぐらいだ。
差別や偏見はよくないと教育され、グローバル化に迎合することが是とされる社会においては、
高学歴や大手企業に入るような恵まれた環境に属するようになればなるほどリベラルな考え方が多くなるように、大学でも会社でも外国人と共存し、リベラルな価値観に囲まれてきた。
特に知的でありたいとする人間やコミュニティであるほどに保守的な思想や価値観はダサいし危険というやんわりとしたレッテルを貼られ、口に出すことすら日常でタブー視される。
LGBTへの容認やグローバリズムに対する賛同などリベラルな思想はどんどん口に出すし、そのような姿勢に対する同調圧力も蔓延している。
固有名詞はあまり出したくないが東大や早慶のようなブランド大学になればなるほど、特に内部にいると中国人留学生に対して驚くほど寛容なシーン、
アファーマティブ・アクションという名の優遇を目にすることとなるし、現在一昔前に比べて異常なほどこれらの大学に中国人は多い。
大学でも企業でも今日本にいる中国人ははっきりいって逆差別と言えるぐらい優遇を受けている。
しかし、やはり日本人をバカにし、日本の文化を破壊し、日本人を見下し暴力を振るうような連中と共存なんてできるわけがないだろう。
まだ手遅れではないという政治家もいるが、私はもう手遅れではないかと思う。
もう日本にやってくる中国人は心底日本をバカにし、見下していている。
インバウンド景気などという政治家もいるが、実態として今来ている中国からの旅行客の大半は安いから来ているだけだ。
実際に高級ホテルには中国人客は皆無と言っていいほどおらず、ドンキやドラックストアに溜まり、安いビジネスホテルに大量に押し寄せている。
彼らの一人は日本人でいっぱいの満員電車を見て中国語で差別的な言葉でこう言っていた。
中には日本に対して友好的な考えを持っている一部の人間もいるが彼らがどれだけ日本人を嫌い、敵対しているか。
これは中国人と日頃から仕事やプライベートで接していればよくわかることだ。
上野や浅草には中国人専用のクラブや飲食店が多数あり、日本なのに日本人が入れない 禁足地が都内には激増している。
電車で中国人家族が叫び散らかそうとも、スーツケースを座席に山積みしようとも、めんどくさがって駅員も注意はしない。
日本の国家システムを扱う重要プロジェクトの多くが外資系企業に業務委託され、プロジェクトメンバーの大半が中国人であっても政府は気にも留めない。
日本の民法キー局や三大出版社に多数の中国人がいて重要なポジションについていても、誰も問題視はしない(既に数十年と続いた文化なので、本来注意する側も同族だったりする)
日本人が路上で暴力を振るわれても警察も検察もまともに扱わないし、不起訴になるので結果として外国人犯罪は激減している。(数字上)
リベラルがどうとかもはや関係なく、中国人に対する規制は必要だと思う。
けれど、もう手遅れだ。
日本人ファーストという普通のことを言っただけで、過剰なまでに叩かれる。(アメリカでもフランスでも海外で自国ファーストを唱える政党は与党であるし、極めて普通のことだ)
中国語を覚え、中国人とともに難関大学の受験を潜り抜け、中国人と共に学び、中国人と共に日本の国家機密を扱い、中国人と共に日本の悪口を言いながら仲良くなり、中国人とともに日本を貶めるために働き、
私はこれからも生きていくために同僚の中国人と日本人から金を搾取するゲームや日本の根幹に関わる国家システムを扱うだろう。
中国人差別なんて絶対に許さないという顔をして、たとえ路上で突然殴ら顔面を打ち付けられて殺されそうになっても、中国人店員に助けを求めて無視されても、にこやかに示談に応じるだろう。
『報道特集』でのアナウンサーのコメントを各論点に置き換えてみたよ。
どれだったら許せるのか考えてみてね。
「外国籍の人とまったくかかわらずに生活をする人はほとんどいないと思うんです。自分の1票が、ひょっとしたらそういった身近な人たちの暮らしを脅かすものになるかもしれない。これまで以上に想像力を持って投票しなければいけないなと感じています。」
「医療や介護をまったく利用せずに生活する人はほとんどいないと思うんです。自分の1票が、ひょっとしたらそういった身近な社会保障制度の未来を脅かすものになるかもしれない。これまで以上に想像力を持って投票しなければいけないなと感じています。」
「高齢者や子育て世代をまったく身近に感じないという人はほとんどいないと思います。自分の1票が、ひょっとしたらそういった世代の生活に大きな影響を与えるかもしれない。これまで以上に想像力を持って投票しなければいけないなと感じています。」
「日々の買い物をまったくせずに生活する人はほとんどいないと思います。自分の1票が、ひょっとしたらそういった身近な家計の状況を大きく左右するかもしれない。これまで以上に想像力を持って投票しなければいけないなと感じています。」
「自身の働き方や給与水準とまったく無関係に生活できる人はいないと思います。自分の1票が、ひょっとしたらそういった身近な経済状況を脅かすものになるかもしれない。これまで以上に想像力を持って投票しなければいけないなと感じています。」
「身近な自然環境や電力供給とまったく関わらずに生活する人はほとんどいないと思います。自分の1票が、ひょっとしたらそういった未来の生活環境を脅かすものになるかもしれない。これまで以上に想像力を持って投票しなければいけないなと感じています。」
「夏の暑さや冬の寒さをまったく感じずに生活する人はほとんどいないと思います。自分の1票が、ひょっとしたらそういった身近なエネルギー政策に影響を与えるかもしれない。これまで以上に想像力を持って投票しなければいけないなと感じています。」
「子どもたちの未来や教育のあり方とまったく無関係に生活できる人はいないと思います。自分の1票が、ひょっとしたらそういった身近な子どもたちの機会を脅かすものになるかもしれない。これまで以上に想像力を持って投票しなければいけないなと感じています。」
「生まれ育った環境が、子どもの可能性をまったく左右しないと考える人はほとんどいないと思います。自分の1票が、ひょっとしたらそういった身近な課題を解決する力になるかもしれない。これまで以上に想像力を持って投票しなければいけないなと感じています。
「自然災害とまったく無縁に生活できる人はほとんどいないと思います。自分の1票が、ひょっとしたらそういった身近な地域の安全や防災対策に影響を与えるかもしれない。これまで以上に想像力を持って投票しなければいけないなと感じています。」
結局、いま批判している人たちは「外国人が気に食わない」もしくは、「外国人に寄り添うリベラルが気に食わない」んだと思うよ。
そこに無自覚だったんなら、考えてみた方がいいと思うよ。
立憲民主党と日本共産党が公約として掲げているとされる「多文化共生庁」は、多様な文化背景を持つ人々が日本社会で共に生活し、互いに尊重し合える共生社会の実現を目的とする専門機関と想定されます。20兆円という巨額な予算規模は、その役割が多岐にわたり、国家レベルでの包括的な取り組みを意図していることを示唆しています。
具体的な役割としては、まず、外国人住民の生活支援の包括的な提供が挙げられます。日本語教育の充実、医療・福祉サービスの多言語対応、雇用・住宅情報の提供、子どもの教育支援などが含まれるでしょう。これにより、来日した外国人、あるいは日本で生まれ育った外国籍・外国にルーツを持つ人々が、言語や文化の壁に直面することなく、安心して生活できる基盤を整備します。
次に、差別の解消と人権の擁護です。外国人に対する差別や偏見をなくすための啓発活動、相談窓口の設置、差別事案への対応などを通じて、多様な人々が尊厳を持って暮らせる社会を目指します。また、多文化理解を促進するための教育プログラムの開発や、地域コミュニティにおける交流機会の創出も重要な役割となります。
さらに、多様な文化の尊重と活性化も期待されます。外国の文化、習慣、宗教などが日本社会に溶け込み、新たな価値を生み出すための政策立案や、文化交流事業の推進も担うでしょう。これにより、日本社会全体の多様性を高め、国際的な魅力を向上させることも視野に入れていると考えられます。
これらの役割を通じて、多文化共生庁は、日本社会が内包する多様性を最大限に活かし、持続可能で開かれた社会を築くための司令塔としての機能を果たすことが期待されます。
https://migrants.jp/news/voice/20250708.html
「違法外国人」との用語は、「違法」と「外国人」を直結させ、外国人が「違法」との偏見を煽るものです。「不法滞在者」との用語も、1975年の国連総会決議は、全公文書において「非正規」等と表現するよう要請しています[2]。難民など様々事情があって書類がない人たちをひとくくりで「違法」「不法」として「ゼロ」すなわち問答無用で排斥する政策は排外主義そのものです。
ってあるんだけど、これが本当に良く分からない。
それとも、違法行為をしている人に対して、日本人か外国人かは関係ないから分けるなってこと?
それに関連するんだが、例えば最近のクルド人とかの問題行為の記事に対して、「クルド人かどうかは関係ない。ただ粛々と裁けばよい」的なブコメが絶対ついてるんだけど、これにも納得がいっていない。
これ自体は、言ってること自体はもちろん間違ってるわけじゃないとは思う。(自分も、日本人であってもクルド人であっても粛々と法律に則って対応してほしいと思う)
ただ「日本人と外国人を区別するな」って論調は、「日本人と外国人を区別できるようにするとヘイト」って意味と表裏一体だと思っている。
もちろんそうしたブコメを付けている人全員が、そういう意図で言っているとは全く思っていない。
ただ少なくとも、「"違法外国人"という言葉は排外主義」とまで言い切っている上記の声明には、その意図があると思う。
その結果どうなるかというと、逮捕報道時に国籍を報道することは無くなり、通名による報道以外は許されなくなる。だって、「外国籍だってことを報道することは、外国人と犯罪行為を結びつける排外主義」って彼ら自身が言ってるんだから。通名を使わないと外国籍だってことが分かってしまうから。
それによって外国人への罰は日本人の罰に比べてもちろん多少なりとも軽くなる訳で、共同声明で「デマだ」と言っている外国人優遇に他ならないと思うんだが、彼ら自身が言っていることに矛盾すると思うんだよね。
しかもそれで属性を覆い隠すことによって、正しいデータが取れなくなる可能性も懸念している。
実際に外国人の犯罪率が多いのか、それとも日本人と変わらないのか、っていうのを客観的に判断するためにもその区分けが必要だし、それも排外主義と言いだしたら分断は加速すると思うんだよね。
(仮にそういうデータがあっても、それを見ずに陰謀論を訴え続ける人は確実にいるけど、データがないよりマシだと思う)
大事なのは、属性も合わせて適正に把握・報道し、本当に特定の属性の犯罪率が高いということが起きてないかを常にトラッキングし続けることじゃないの?(比較のためにもちろん日本人のも)
そのためにも適切に区分けした用語はあった方が良い訳で、共同声明の主張は全く賛同できない。単に「その属性を使うな」という主張にしか見えない。
(共同声明を擁護しているブコメの中に、「これを叩いているやつはどうせ中を読んでない」とか言ってるけど、これに手放しで賛同している人こそ読んでるのかなと思う。「ヘイトは駄目」 ってことだけ見て賛同してない?)
ということを週末に考えてたんだが、反対意見が教えて欲しい。