
はてなキーワード:外国人店員とは
先日、パートナーと一緒に南アジアレストランに行ったときのことです。
そのお店には外国人の店員さんがいて、片言の日本語で接客してくれていました。
ところがパートナーは、その店員さんに対してまるで友達に話すような口調で
「ドリンクって付いてる?」
「辛さは何があるの?」
といった感じで、終始タメ口だったんです。
普段は特に言葉づかいが気になることはなかったのに、相手が外国人だからといって敬語を使わない姿を見て、正直ショックでした。
相手が日本人であれば敬語を使っているのに、どうして外国人だと態度が変わるのか…。一緒にいて恥ずかしくなってしまいました。
帰り道にやんわり指摘してみたのですが、「だってあっちもタメ口っぽいし、その方が通じそう」と軽く流されてしまいました。
もちろん悪意でやっているわけではないとは思います。けれども、私には相手を見下しているように映ってしまいモヤモヤが残っています。
私が気にしすぎなのでしょうか?
最近の日本、なんかおかしくない?と薄々感じていた今日この頃。
とにかく外人が多すぎる。
電車に乗っても、どこの駅で降りても、クソでかいキャリーを抱えた外人まみれ。
通勤時にあのクソデカキャリーに出会ってしまった日には朝からテンション爆下がり。
渋谷に遊びに行ったとき、外国人店員が外国人客の相手をしている光景を見た時は海外旅行にでも来たんかと思った。
というか、「郷に入っては郷に従え」ができない外国人アンチだ。
日本という国に来てもなお自国の価値観とマナーで行動する人々の気が知れず、理解する気もない頑固人間なのだ。
というのは前置きで、なんとなくこの「その地の文化をよく知りもせずに楽しそうだから、流行っているからという理由だけで踏み込んできて荒らしている」みたいな状況に既視感を覚えていた。
その既視感の正体がようやく判明した、という話。
そう、インターネットだ。
私は四捨五入すると30歳になるいわゆるアラサー。インターネットに参入したのは小学5年生の時。
まだ物心がついているかも怪しいガキの頃から掲示板や個人サイトに張り付き続けた結果、こんな偏屈な日記を匿名で書いてしまうようなバケモンになってしまった。
私が参入し始めたころのインターネットは、人に言えないような趣味のある人が匿名で集まって好きなものの話をコソコソしているような、教室の隅と言うにもおこがましいくらい陰鬱でじめじめとした場所だった。
ここで言う人に言えないような趣味というのは、例えば異常性癖があるとか、実は犯罪者だとかそういうことではなくて、ただ単に「二次元のキャラが好き」「日がな一日ゲームをやり続けている」みたいな、令和の今であれば誰しもがオープンにしているような趣味のことだ。当時は、それくらいオタクに対しての風当たりは厳しかったように思う。
でも、だからこそ、二次元のキャラに恋をしていたブスの私はそこに居場所を見つけたのだ。
それが今では、かわいい女がバカスカと自撮りを掲載し、フェミニストと男が日々戦いを繰り広げ、風俗嬢が人権を得ているような、そんな場所になってしまっている。
私が好きだったインターネット、もといオタク文化は今やどこにも存在しない。
同人イベントやコラボ云々、ライブなどのリアルイベントに参加しようものなら、異常におしゃれでかわいい女たちばかりでブスの私の居場所なんてどこにもなくなっている。
誰にも言えない好きなことを発信して、たまたまそれを見つけた同志と匿名のやり取りができる。そんな世界だったはずが、今や下手に発信しようものならなにもかもが炎上の可能性を孕んでいる。
エロ同人がクレジットカードで買えなくなっただとか、エロ同人に登場するランドセルにモザイクがかかっていたりだとか、そんな世界をだれが望んでいたのだろうか…
まあそれはそれとして、インターネットが誰でも気軽に触れられるオープンな場所になったことも、自分がオタクであることをひた隠しにする必要がなくなったことも、喜ばしいことだと思ってはいる。
ただ、先人がコソコソ築き上げてきた文化を踏み荒らされたことが気に入らない。
理解の余地も、住み分けの努力もしないまま、既にそこにあったものにいちゃもんを付けることの何が正義なのか。
さみしいし悔しい。たったそれだけの個人的な感情ではあるのだが、ここで話は冒頭に戻る。
インターネットという文化は、時代の移り変わりと共に全く違うものへと姿を変えた。
新しい層の参入により、在り方が丸っと変わったと思う。
今の日本に対して私が抱いている既視感が本当にそうなのであれば、私が愛する日本はこのまま全く別の何かに変わってしまうのではないかと杞憂しているのだ。
このまま相互理解と住み分けが為されないまま時間が過ぎていくのならば、また私は居場所を失くしてしまうかもしれない。
怖いよ~~(泣)(泣)(泣)
東京の東(隅田川と荒川の間)から西(環7周辺)に引っ越ししたものだけど、東は地方都市と東京のいいとこ取りみたいな感じで住みやすいところだよ。
まず、道路が良い。まあ戦災で焼け野原になったせいなんだけど。畦道をそのまま車道にしたような東京西部と違って、縦!横!四車線!みたいなのは東部のいいところだ。いやいや家の周りは毛細血管みたいな道路ばっかりだぞ、という人も居ようが、それでも車で5分も走れば大抵は4車線道路に出るだろう。西の方だと5分で4車線道路は相当厳しいぞ。
道路がいいせいもあり、ショッピングモールのような大規模商業施設もロードサイド店も豊富だ。なのでご飯に食べるのに困らないし、子育て用品やスポーツ用品が玄関を出て30分以内に手に入るという利便性が素晴らしい。西の方はおしゃれなお店が多い反面、集約された商業施設もロードサイドにありがちな店も少ない。こんなにカフェたくさんいらないんだよ。アカチャンホンポとスポーツオーソリティを寄越せ。
道路の良さはバスの利便性の高さにもつながる。速達性も定時性もなかなかのものだ。西の方は1.5車線の道路をバスが行き交うので、正直つらい。
地味に嬉しいのが、高低差がないことだ。本当に無い。全く無い。ちょっと高いところはホモサピエンスが土を積み上げたところだ。自転車買うと良い。路駐多いから車道走るの怖いけど。
地価は意外と西も東も変わらない感じがする。というのも、東は建ぺい率が高く(大体80%、防火地区に防火建築すると+10%ボーナスが付いて狂気の90%になる)、その分地価も高いのだ。少ない土地にみっちり建物を建てられるようになるからね。地盤工事にも若干コストがかかるし。
民度……といったら語弊があるが、まあ民度は若干低め。ノーリードで犬の散歩をする人が明らかに多い、というか西に来て全く見なくなってびっくりした。コンビニの外国人店員に怒鳴る中高年男性も見ない。わざと走行中の車に飛び出す酔っ払いもまだ見てない。大声で歌いながら爆走する自転車も。ここに路駐したら道路が完全に死ぬよな?みたいなのも東では日常茶飯事だが、今住んでるあたりでは見かけない。
外国人比率が東のほうが多い(東京都が出してる統計を参照のこと)。これはまぁ良し悪しで、子供たちが外国人に対する偏見的なのを全然持たずに育ったのは良いことであった。ただ、外国人家庭の子は「振れ」が大きく、めちゃめちゃ賢かったり運動できたりする子がいる一方、はちゃめちゃに問題を振りまく子もいたりした。なかなか難しいもんですな。名字のバリエーションが少ない東アジアルーツの子が多かったせいか、小学校はみな下の名前で呼び合う文化になっていたのが興味深かった。
場所によるが、おしゃれショップがすぐ滅ぶ。滅んだ跡地に居酒屋ができるのが定番。
どっちも特徴があって全然悪くないんだけど、独身ならより都心、子供が小さいときは利便性の高い東部、もうちょっと大きくなって自分も加齢してきたら落ち着いた西部、みたいなのが良いかもしれない。東部に住むなら車買おうな。アルファードで明治通り流しながらスカイツリー眺め、子供の泣き声を爆音EXILEでかき消そうぜ。
昔のことなので仔細を忘れたが、世界の屋台料理と称した野外イベントに、ピナッソスを出品している屋台があった。
日本語の拙い外国人店員に尋ねたところ、カレーに似たほうれん草の料理だという。
カレーなら大外れはなかろうと注文したところ、確かにほうれん草入りのカレーライスのような料理が出てきた。辛くはなく、むしろわずかに甘い。
屋台物なので食い出はなかったが、肉や野菜をもっとたくさん入れればもっと美味しいだろうなと思いつつ、ピナッソスを完食してその場を後にした。
家に帰りネットで検索したところ、なんと「ピナッソス」は1件もヒットしなかった。なんなのだこの料理は。
店員の誤記かもしれないと思いなおし、「アフリカ」「シチュー」等の単語で再度検索したところ、その料理はマフェと呼ばれる西アフリカ料理であり、ほうれん草のマフェはギニア風であるとつきとめた。マフェとピナッソスじゃ全然違うじゃん。
ところで、マフェの特徴はコクと風味付けのためにピーナッツバターを使う点にある。
ピナッソス…
ピナ…ソス…
嗚呼。ピナッソスとは「ピーナッツソース」のことであったのだ。
メニューを代筆した日本人が聞き間違いをした結果、ピーナッツソースがピナッソスになったと思われる。小説「人間の証明」並みのトリックであった。
「マフェ」でネット検索すれば料理写真やレシピは多数入手できる。美味しい料理なのでぜひお試しください。
ネットで検索をしても1件もヒットしなかった単語「ピナッソス」。この場を借りて「ピナッソス」をインターネットに記録したいと思う。
家電がぶっ壊れまくってて年末の休みにいろいろ買い替えに家電量販店へいった。
カウンターに数人こもって端末相手に何か一生懸命打ち込んでるだけで呼ばなきゃこない。
商品の説明を求めてもカタログに載ってる程度のこともロクに答えきれない。
態度も投げやりとまでは言わないけど、買ってほしいとも売ってやるとも何とも思ってない感じ。
メーカーからの派遣なのか、社名のロゴが入ったジャケット着てる店員が量販店員10人中1人くらいの割合でいた。
オレが商品眺め始めて5分くらいたったところで「これはですよ、良い商品ですよー」と近づいてきて、カタコトながらちゃんと何言ってるのかわかる外国人の店員だった。
商品のウリがどこでこういうところが気に入ってもらえる、みたいなことを熱心に説明してくれた。
熱心だけど「また質問あったら聞いてください。ゆっくり考えてです」と言って押し売りするでもなくすっと一旦いなくなる引きのよさ。
気分いいよね。
買うか、って気になれる。
買いますと伝えると「わぁありがとございます!」って本気で喜びながらレジまでご案内。
日本人店員に「こちらのお客様、〇〇お買い上げです商品準備してください」と指示。
セールスは外国人店員がして、日本人店員は商品準備やレジの事務仕事を指示されてやってた。
意欲・気迫・熱意全部負けてる。
いろいろ買ったけど思い返せばちゃんと接客してくれたの全部外国人店員だった。
しかもどこで用意してるのか、買ったらちょっとしたオマケまでくれるんだよ。
でも今は全くない。
親子丼が大好物なので9月10日に発売したときから毎日近所の松屋で食べてるけど、
アジア系外国人店員が調理したときだけ親子丼といえないようなやつ出てくるのがつらい。
卵を熱しすぎてスクランブルエッグみたいに固くなってて焦げ目までついてて、
汁気もぜんぶ飛んでしまったぼそぼそなやつがこれまで3度も出てきた。
混んでるときも混んでないときも同じような感じなので忙しくて鍋を放置したとかじゃないっぽい。
もしかしてその外国人の文化的に卵は十分火を通さないと食えないと思ったりする?
というか、なぜ同僚の店員は「それ熱しすぎだよ」とか注意しないんだろうか。
人がなにを作ったのか確認する余裕もないんだろうか。
テイクアウトでその外国人店員のワンオペだったときの絶望感がやばい。
これぜったい卵カチカチの汁なし親子丼もどきじゃん・・・と心の中で泣きぬれながら持ち帰ることになる。