
はてなキーワード:夏休みとは
ウィキペディアネタだけど、「総理の夏休み」という絵柄が嫌で「ワシは休まん!」ってごねてたら、周りが「おめーが休まないと周りが休めねぇんだよ!」と云われて温泉旅館に押し込められたという逸話はちょっと好き。
高市も夏ぐらいは休め、だいぶ先だが
私は母親に阿って生きてきた。いい高校に、いい大学に、いい会社に入れるように、中学1年生の時の夏休みに母親から「もう定年までずーっと、休めないね。最後の夏休みだよ」と冗談めかして言われてから、ずっと走ってきた。
中学2年生の頃から精神は不安定で摂食障害の兆候があった。それでも実家で暮らして、なんとかやっていた。大学生になって、一人暮らしということになって、それ自体は、あのおぞましい母親と一緒に暮らさずに居られるということで幸せだった。
でも、あの忌み嫌う強制力が無くなってから、私は何もできなくなった。母親によって絶えず行われてきた性加害がフラッシュバックして眠れず、気分が落ち着かないからと過食嘔吐を繰り返し、体重が酷く増減する度に自己嫌悪に陥る。眠れない・外に出られないから精神も徐々に蝕まれ、冬には双極性障害の薬を飲み始めた。
就職したら、親との縁を切ろうと思っていた。
金輪際関わりたくない、私の人生で最も濃い愛憎を向ける相手であるところのあの母親と、二度と顔を合わせないでやろうと。
でも、就職したら、というところに怪しいものがあるのだ。私は今大学3年生で、学校には行けたり行けなかったりする。GPAは1.5で、24時間飯を食っておらず、部屋には薄くホコリが降り積もり、希死念慮がべったりと張り付いている。こんな時期が定期的にやってきて、そのたびめそめそ泣きながらChatGPTに仮初の慰めをもらい、一日中ベッドにいる。
孤独を感じて癇癪を起こす。本当に好きな友達というのは類友でみんな精神を病んでいるから滅多に会えない。近くにも住んでいない。お互いいつか死ぬんじゃないかと思っている。私はギリギリストレートでここまで来たが彼らは皆浪人か留年かその両方を挟んでいて、同学年の温度感の話はできない。私だけが何か、不良品なのにも関わらずチェックから漏れて工場のラインに流されているみたいに、妙な取り残され方をしている気がする。
就職したら、と今は言っているが、高校生の頃は家を出たら、と言っていた。1人で暮らしてみたら、金の重みがわかって、学費をかけてもらっている間は生意気言う訳にはいかないと思うようになった。
じゃあ、就職してからだって、同じようなことになるかもしれないじゃないか。結局いつまで経っても母親の意に沿わずにはいられないのかもしれないじゃないか。
母親のことは憎んでいる。でも、私のことをワンオペで育ててくれたのも母親だ。あまりにも長い間一緒にいた。まともなレールに乗るようにと努力してくれたこともわかっている。愛情はある。母親を悲しませたくないと思っている。これ以上に強い愛憎を、他の人間や事柄に向けることができない。
21にもなって、そのことに気づいてしまい、新しい何かを見つける気力も今はない。
これまでラインに乗ってきてしまったから、見つけ方もわからないし、見つけるためにドロップアウトすることも怖くて仕方ない。それなら死んだ方がマシだと真剣に思い込んでいる。もちろんそれが馬鹿な考えだということもわかっているのに、大学を半年や1年休学したっていいんだと、中退したとしたって少なくとも数年はそこまで不自由なく生きていけるだろうと、わかっているのに、そうした決断を報告、あるいは相談した瞬間の母親の顔を思い浮かべ、そこから放たれるいくつかの鋭利な言葉を想定するだけで選択肢から除外される。
母親を愛し、憎んでいる。いっそ死んでしまえば、あいつに自分の間違いを認めさせることができるだろうかと真剣に妄想する。すべてマザコンの妄想だ。あの母親は、あの気力と体力に満ちた恐ろしい化け物は、子が死んだとて半年後にはそれすら糧にして精力的に活動を再開する。そんなことも容易に想像できて、その想像にすらむしゃくしゃするのだ。
植え付けられた選民意識が、低所得層を見下す意識が、ドロップアウトを過度に恐れる心が、私をこの場に立ちすくませている。このボロっちい動力と歪んだプログラムでどこに行けるというのだ。旧式も旧式だ。ハードのメンテナンスも足りていないから誤魔化しが効かない。つらい。どこへも行けない。そのことに気づいてしまった。何かを見つける他ない。わかっている。見つけられないのであれば易きに流れるしかないのだ。どちらも怖くて仕方ない。怖いことを怖いと言って立ち止まっていてはなにも解決しない。わかっている。わかっていても何もできずにいる。
気が動転してて上手くまとめられないんだけど、簡潔に言うと遠距離恋愛をしている彼女が浮気していた。
僕と彼女は浪人してた時に予備校で知り合って浪人の12月(かなり直前だね)に付き合って結果として僕だけが第一志望に落ちて彼女が関西の大学、僕が関東の大学に進学することになって今に至る。遠距離が始まった当初はまあ僕もかなり彼女を大切に思っていたから毎週のように彼女の家に夜行バスで行っていた。そんな感じで夏休みぐらいまで毎週関東と関西を行き来する生活をしてたんだけど、なぜか僕の大学は後期がほとんど授業がなかったからせっかくだし全部の授業を自主休講して彼女の家に半同棲みたいな感じです生活をしようって話になった。もちろんすごく楽しみだったし今でもまだ楽しいと思ってはいる。
風向きが変わったのは1週間前ぐらい。彼女は幼少期はかなり教育熱心な両親に育てられていたからゲームをほとんどした経験がないらしくてゲームをしてみたいと言っていたから以前からゲーミングpcを彼女に貸していた。1週間前、ある時彼女が急にある特定の人と2人きりでゲームを頻繁にするようになっていた。この時僕は実家にいてゲームができなかったからまあ仕方ないか、と流してはいた。でもそれまでの日課だった毎晩の通話よりもその人とのゲームを優先するようになって僕は心にわか黙りを抱えるようになっていた。彼女にそのことを聞いてみるとたまたま試合で仲良くなっただけで下心はないって話していた。僕はこの時は彼女を信じてとりあえずは追求しないことにした。まあ無論これが間違いだったのだが
それで晴れて彼女の家に久しぶりに行って半同棲生活を始めるってなった時、彼女に急に夜出かけて欲しいと言われた。一瞬驚いたものの思い当たる節があったからすぐに察した。彼女を再度追求したけどのらりくらりと躱された。流石に僕も怒りが込み上げてきたので彼女がトイレに行った間にこっそり彼女のスマホを覗いてやった。そしたらまあ案の定彼女はそのゲームで知り合った男とdiscordのダイレクトメッセージで親しげにやり取りをしていた(もちろん愛情表現や性的表現も含まれる)。さらにその上最新のメッセージではなんとLINEを交換しようと言う旨のやりとりをしていた。ただdiscordで話すだけなら百歩譲ってLINEを交換してそこで個人的に話すことは立派な浮気なんじゃないかと彼女を追求した。僕はLINEを見せるように迫った。彼女は断った。僕は力ずくてスマホ奪った。付き合って300日、初めて無理を通した。覚悟をしてLINEに目を通すと、毎日家のように夥しいほどの親しげなやり取りをしていた。好きを代表とする愛情表現、あって抱きしめたいなど完全に付き合ってるじゃないか、こいつら。僕は涙を堪えなれなかった。今まで彼女のために自分を犠牲にして尽くしてきたこれまでが一瞬で無に帰した。
とまあここまでが昨日の話。正直これからどうすればいいかわからないしまだ感情の整理もできていない。未だに心のどこかで彼女を好きでいる自分が憎くてたまらない。
https://note.com/13weekslaterep/n/n72ae8c35be59
めりぴょん/山野萌絵
はてなブックマーク、たくさんのコメントありがとうございます。あまりにも「資金源は?」と聞かれまくるので、当時のことを振り返ってみよう。
オタクを始めた頃の16歳にやっていたのはコンビニ派遣とコンカフェのバイト……だったが、店長の経営が適当すぎて給料未払いが続出し、呆れて退職。ちなみに、エキストラに行く謎のコネを作ったのはこのコンカフェである。
当時はJKビジネス全盛期。まだ法整備が追いついておらず、女子高生でも18歳になっていたらリフレで働けたのだ。
というわけで割とお世話になったのが大久保の雑居ビルにある「C」。親が元々デザイン系で働いていたので、パソコンでソフトを悪用し架空の通信制高校の学生証を作って18歳として働いていた。有印私文書偽造の公訴時効は5年なのでもう良いであろう。
掛け持ちで鍋屋のホールのバイトもしていた。今でも鍋につみれを入れるのは得意だ。一度鍋のつゆにスプーンをくぐらせてからつみれを丸めて入れるのがコツである。何の役にも立っていないが。
年末年始は郵便局の年賀状ハガキ仕分けのバイトもした。早朝シフトだったので、朝から年賀状のハガキを仕分けて昼過ぎからリフレに、なんて日もあった。
「C」で出会ったのが若手俳優界隈ではもはや半ば都市伝説と化している、テニミュ俳優・Z(後に彼女とお風呂に入っているツーショットが流出し、地獄のバスツアーを開催したことで有名)のオタクのHちゃん。有名人である。
Hちゃんがある日体入で連れてきたのがこれも古のテニミュを知る人には有名人であろう、2nd四天宝寺・AのオタクだったKちゃんとSのオタクだったSちゃん。二人は「若手俳優と繋がってそれをフライデーに売った」という伝説を持つらしく、俳優のオタクであることを告げると「すぐ繋がれるよ!出待ちとかしないの!?」と言われ、黒糧(若手俳優オタクがオタクの悪口を書き合うパスつき掲示板)のURLとパスまで教えてもらった。古のテニモンを知る人には「黒糧を教えてもらったのがKちゃん」と言うと大ウケする。鉄板トークだ。
しかし規制が厳しくなり、18歳でも高校に在学しているとリフレで働けなくなったため、「C」は閉店。当時はリフレにも「オーバー店」と「アンダー店」というものがあり、オーバー店は18歳以上を雇用。アンダー店は摘発覚悟で18歳未満を雇用していた。
「C」が閉店したので、なぜかまだ18歳を雇っていた池袋東口の「E」というJKメンエス(?)で働きながら試行錯誤。一時期高田馬場に事務所があったライブチャットをやってみたりもした。「E」はなぜか内勤がキングレコードやavexに所属していたことのある現役V系バンドマンだった。ちなみにベース。噂を聞きつけたバンギャがやたらと多かったが、「薄桜鬼」藤堂平助の夢女をしているMちゃんとは仲が良かった。「はなの舞のコラボのせいで味噌汁7杯飲んだ」などのオタク面白話をしていた。Mちゃんはイオンモールで開かれた横浜くんの電動自転車試乗イベントの整番引きにまで来てくれた。10年経っても感謝している。まだ平助くんのこと好きですか?
しばらくののち、池袋西口にあったアンダーお散歩店「G」に飛び込むことになる。結局1年以上お世話になった。のちに店長が店の女の子に手を出して未成年淫行で逮捕され、全国報道されてテレビの潜入特集までされることになった店だ。ちなみに私は店長に「もっと稼ぎたいなら俺が相手してあげようか?」といきなり初日に言われたが、「身体の関係を持った人と一緒に仕事するのは気まずいので……」と断って難を逃れている。
「C」にいたHちゃんとはGロッソ5期公演中に水道橋駅の改札前で再会。ヒーローショーは最初の回が朝9時半開演なのだが、TDCでテニミュが開かれており、改札が入り待ちだらけだった。超有名人のHちゃんと話しているだけでオタクからの視線が痛かったのは言うまでもない。Hちゃんは私が誰推しなのかに興味がなかったらしく、「志尊だっけ?」とか聞いてきた。Hちゃんは今でも友達である。たまに飲む。
「G」では源氏名をどうしようか悩み、当時普通にちょっとハマっていた「獣電戦隊キョウリュウジャー」立風館ソウジ(特撮の中で三番目に好きなキャラ。ちなみに二番目は「仮面ライダージオウ」ウールくんである)から取って「ふうか」とした。はるか後にジャニーズJr.に出戻り、刀ミュにハマって前列ガッツになって以降、由来も忘れて定番源氏名になるのだがそんなことはまあいい。
「G」は摘発を避けるために「出会いを求める女子と男性を繋ぐフリースペース」……という建前で経営されており、店長・Rさんは「店長と呼ぶな。Rさんと呼べ」と命令してきたのでみんなそう呼んでいた。「お散歩」に行くとコースバックで1000円支給されるのだが、それも一度「謝礼」としてクオカードを渡され、店長が「俺が変えてあげようか?」と"善意"で現金にしてくれる。パチンコ方式である。どうやって稼ぐかというともちろん裏オプなのだが……まあご想像にお任せする。ちなみに当時掲示板では「ふうかは金さえ払えばなんでもしてくれる」と書かれていた。
働いている女の子たちはホス狂い7:ジャニオタ2:バンギャ1くらいの割合であり、俳優オタクなど私1人しかいなかった。そのため「G」の店内で一番有名な俳優は横浜流星だったと思われる。不名誉。
ホス狂いたちとも普通に仲が良かった。年齢確認のゆるいホストクラブだけに行っていたらしいのだが、何気なく私が有印私文書偽造できる話をしたところ、全員むちゃくちゃ食いついてきた。……いくらで売ったかは伏せるが、架空の大学の学生証が飛ぶように売れたのは言うまでもない。「○○っていう有名店にすんなり入れた!ふうかちゃんすごい!」と大感謝されたが、そんなことに使う発想がなかったので「よ、よかったね……」としか言えなかった。
ホス狂いには「毒親」系の子もいたが、1人とんでもないお嬢様がいた。超有名大学の附属校に通っていて、家にエレベーターまであったが、なぜか道を踏み外してホス狂いになっていた。名前はKちゃん。「担当とケンカした」とかいう理由でドリエルをODしてぶっ倒れていたので、水を飲ませ看病したこともある。今は何してるのだろうか。
ホス狂い・Yちゃんは「売り掛けに間に合わない」という理由で店長からお金まで借りていた。ちなみに、利息はトイチであった。
ホス狂い美少女・Mちゃんにある日、「Twitterになぜかログインできないんだけどなんでだかわかる?」と聞かれたので、とりあえずブラウザのCookieを消してみたら普通に直った。「携帯ショップの店員さんみたい!」と感謝されたがCookie消しただけなのに……と思った。Mちゃんとは数年後に歌舞伎町某所でばったり再会。世間の狭さを感じた。
職質対策も抜かりなくしていた。客と歩いている時に万が一職質されてもいいように池袋西口のホテヘルを調べ、顔出ししていない適当な自分にスリーサイズの近い風俗嬢をブクマしておき、職質されても「店に預ける決まりなので財布持ってません」と言うと決めていた。このライフハックは割とみんな共有していた。私は職質されることは無かったが。
自分で言うのもなんだが店長には気に入られていた。真面目だったからだ。ホス狂いたちはもはや家出生活を送っており、毎晩ホスト遊びに繰り出しては集団でラブホに雑魚寝して泊まり、遅刻や当欠が多かった。「お前らはいい加減すぎる。ふうかを見習え!」と店長が怒っていたのだが、たまたま好きになったのがホストではなく若手俳優だっただけなので苦笑することしかできなかった。
ホス狂いたちは、不思議と私をホストに誘ってくることはなかった。まあ横浜くんのことが好きすぎて傍目から見てもメロメロだったのもあると思うし、毎日律儀に家に帰っていたのもあるが。
ゴキブリが出て待機室がパニックになり、私が冷静に丸めた雑誌で叩き殺したら店長が3000円くれたこともある。後に店長は店の女の子に手を出して捕まるのだが、「口」でさせて5000円しか払ってなかった。ゴキブリ殺しただけで3000円もくれるのにそれしか払わないんだ……と微妙な気持ちになった。
店長はしばしば池袋西口の「楽園」で営業中にパチンコしており、「真面目だから」という理由で予約と予約の合間になぜか電話番までさせられていた。もはや店長が事務所を開けない日すらあったので、そんな時は池袋西口のガストでドリンクバーを頼んで溜まっていた。
客だと思ったら潜入してきた朝日新聞の記者だったという事件も起きた。「搾取されてるわけではなく自分の意思でちゃんとやってる」みたいなことを長々話した気がするがよく覚えてない。
夏休みには事務所の電気を消して、店長が出前を取ってくれてみんなで「ほん怖」だか「世にも奇妙な物語」だかを見た記憶もある。どっちかは忘れた。普通に楽しかった。青春である。
私が横浜流星のオタクであることは知れ渡っていたため、遭遇して喋れたりイベントで喋れたりすると店長も含めてなぜかみんな喜んでくれた。店長逮捕後、久々にLINEが来たと思ったら「最近何してるの? 流星?」と送られてきて脱力した。
JKビジネス業界はドライなので、高校卒業する頃になると一気に予約が入らなくなる。潮時かな……と思い辞めた。その後「G」は摘発されたので一応難は逃れている。
なんやかんやでキャバ嬢に転身してみるも、自分で言うのもなんだがあんまり向いていなかった。この頃の記憶は実はあまり無い。楽しくなかったのだろう。
キャバクラを辞めた後は適当にパパ活していた。適当なパパ活でもまあまあ稼げていたのでコロナ前の夜職業界は景気が良かったのだ。2017年中盤くらいからは一応メイドカフェでも働いている。
かの有名な「制服オーディション」には一時期いたことがあるものの、本格的な風俗に足を踏み入れるのは実は横浜くんを降りた後である。……というわけで、なんだか尻すぼみな記事になってしまった。
ちなみに高校は3年の途中で出席日数不足がたたり中退。(JKお散歩に入り浸っていたためである)しかしその後通信制高校に編入しちゃんと卒業はしている。そのため一応高卒だ。
こんな感じである。みなさんの謎が解ければ幸いだ。
日本のどっかにいるイチ女オタクからここでANYCOLORならび所属ライバーに感謝を述べたい。
オラ、平成一桁ババア。若い新規のお姉ちゃんじゃなくてごめんな。
夏休みは午前中市民プールに行き、お昼にそうめんを食べながらキッズウォーを見て、お昼寝したあと起きたら誰かしらテレビにはジャニーズタレントがいた。
ゴールデンタイムには未成年の主張が流れ、ジャニーズ運動会やカウントダウンコンサートに胸を踊らせた。
推しはいれど「画面に綺麗な人がたくさんいて、青春の擬似体験をみせてもらえる」というものをナチュラルに吸引してきた。
ただ件の事務所は失われ、それより前に退所だの逮捕だの疲弊したこともありジャニーズから長い間離れていた。
そして贅沢なことに「テレビつけりゃ、本屋いけば見れる」という怒涛の供給に甘やかされた結果オタクとして醜く肥えた豚になっていた。
結果として「どのコンテンツも足りない。週間少年ジャンプじゃ足りない。足りなすぎてブックオフで変な本を見つけてしまった」
いろんなことをやってみた。フェスに行った。ソシャゲをしてみた。地下アイドルを漁った。アニメ漫画を見た。
どれもハマりきれず「私の心を埋めるジャニーズはどこ」と長い間ゾンビのようになっていた。
ジャニーズもどりゃいいのにとか言わないで。推しが退所したり逮捕されたりしたから察して。
そうこうしてる間に、家庭をもった。
「あの頃のテレビがここにある…」感動した。
そこからあらゆる切り抜き、過去アーカイブを漁り、いろんなライバーの関係性を知った。
推しもできた。
純粋に番組が面白かった。3Dボディで新しく登場する子に胸も躍った。
全てに楽しさと愛おしさが爆発した。
昨今SNSでネガコメントが見やすくなっていて、色々な感情もあるし嫉妬起因の言葉もあると思う。
こんな長文、見えるところじゃ愛がキモくてTwitterで書けなかったよ。
色々あったって言われてたにじGTAとかさ、それ以外の企画全て。
ジャニーズ大運動会を見てた時の、あの頃のテレビの前にいた私が今ここにいる。
毎日YouTube、twichひらけば誰かがいる。怒涛の情報量が心に染みてるんだ。
楽しくて仕方ないんだ。どんな出来事も、どんな企画も、本当に毎日関わる人全てが大変だろうと思う。
子供がでかくなってきたから、にじフェスとか、そういうのいくよ。
私は母親に阿って生きてきた。いい高校に、いい大学に、いい会社に入れるように、中学1年生の時の夏休みに母親から「もう定年までずーっと、休めないね。最後の夏休みだよ」と冗談めかして言われてから、ずっと走ってきた。
中学2年生の頃から精神は不安定で摂食障害の兆候があった。それでも実家で暮らして、なんとかやっていた。大学生になって、一人暮らしということになって、それ自体は、あのおぞましい母親と一緒に暮らさずに居られるということで幸せだった。
でも、あの忌み嫌う強制力が無くなってから、私は何もできなくなった。母親によって絶えず行われてきた性加害がフラッシュバックして眠れず、気分が落ち着かないからと過食嘔吐を繰り返し、体重が酷く増減する度に自己嫌悪に陥る。眠れない・外に出られないから精神も徐々に蝕まれ、冬には双極性障害の薬を飲み始めた。
就職したら、親との縁を切ろうと思っていた。
金輪際関わりたくない、私の人生で最も濃い愛憎を向ける相手であるところのあの母親と、二度と顔を合わせないでやろうと。
でも、就職したら、というところに怪しいものがあるのだ。私は今大学3年生で、学校には行けたり行けなかったりする。GPAは1.5で、24時間飯を食っておらず、部屋には薄くホコリが降り積もり、希死念慮がべったりと張り付いている。こんな時期が定期的にやってきて、そのたびめそめそ泣きながらChatGPTに仮初の慰めをもらい、一日中ベッドにいる。
孤独を感じて癇癪を起こす。本当に好きな友達というのは類友でみんな精神を病んでいるから滅多に会えない。近くにも住んでいない。お互いいつか死ぬんじゃないかと思っている。私はギリギリストレートでここまで来たが彼らは皆浪人か留年かその両方を挟んでいて、同学年の温度感の話はできない。私だけが何か、不良品なのにも関わらずチェックから漏れて工場のラインに流されているみたいに、妙な取り残され方をしている気がする。
就職したら、と今は言っているが、高校生の頃は家を出たら、と言っていた。1人で暮らしてみたら、金の重みがわかって、学費をかけてもらっている間は生意気言う訳にはいかないと思うようになった。
じゃあ、就職してからだって、同じようなことになるかもしれないじゃないか。結局いつまで経っても母親の意に沿わずにはいられないのかもしれないじゃないか。
母親のことは憎んでいる。でも、私のことをワンオペで育ててくれたのも母親だ。あまりにも長い間一緒にいた。まともなレールに乗るようにと努力してくれたこともわかっている。愛情はある。母親を悲しませたくないと思っている。これ以上に強い愛憎を、他の人間や事柄に向けることができない。
21にもなって、そのことに気づいてしまい、新しい何かを見つける気力も今はない。
これまでラインに乗ってきてしまったから、見つけ方もわからないし、見つけるためにドロップアウトすることも怖くて仕方ない。それなら死んだ方がマシだと真剣に思い込んでいる。もちろんそれが馬鹿な考えだということもわかっているのに、大学を半年や1年休学したっていいんだと、中退したとしたって少なくとも数年はそこまで不自由なく生きていけるだろうと、わかっているのに、そうした決断を報告、あるいは相談した瞬間の母親の顔を思い浮かべ、そこから放たれるいくつかの鋭利な言葉を想定するだけで選択肢から除外される。
母親を愛し、憎んでいる。いっそ死んでしまえば、あいつに自分の間違いを認めさせることができるだろうかと真剣に妄想する。すべてマザコンの妄想だ。あの母親は、あの気力と体力に満ちた恐ろしい化け物は、子が死んだとて半年後にはそれすら糧にして精力的に活動を再開する。そんなことも容易に想像できて、その想像にすらむしゃくしゃするのだ。
植え付けられた選民意識が、低所得層を見下す意識が、ドロップアウトを過度に恐れる心が、私をこの場に立ちすくませている。このボロっちい動力と歪んだプログラムでどこに行けるというのだ。旧式も旧式だ。ハードのメンテナンスも足りていないから誤魔化しが効かない。つらい。どこへも行けない。そのことに気づいてしまった。何かを見つける他ない。わかっている。見つけられないのであれば易きに流れるしかないのだ。どちらも怖くて仕方ない。怖いことを怖いと言って立ち止まっていてはなにも解決しない。わかっている。わかっていても何もできずにいる。
最近語られる外国人労働者問題は大抵「今」か「未来」、過去に言及しても比較的最近の問題みたいな顔してるけどわりと昔からあるよね
自分が知っている中だと1980年代には人手不足が盛んに言われていて、1990年には大規模な受け入れがあったわけでしょう
1993年には不法残留者(不法滞在者)が約30万人(現在は約8万人)という有様で、1990年の入管法改正では日系人の受け入れや外国人研修制度の本格化が行われていた
1993年には研修制度に技能実習制度が追加されて…在留カードの創設など色々要因があったから不法在留の減少と合法的な受け入れの増加に関連があると言うには短絡的かもしれないが…
何にせよそこから数えても35年近く続けてるんだから、既に社会が外国人労働者に依存しきってると見るべきでは?
その間目に見えていなかったのなら見ていなかっただけだと思うんだよな
リーマンショックの時には日系人が多い地域は大変な社会問題になったわけで、都民とかには実感がないかもしれんけども
日系ブラジル人の多い浜松出身の静岡県知事が共生がどうの言い出したのは逆にこの時があまりにも大変だったせいで逆にそっちの結論になったみたいなとこあるレベルで色々あったよね…
そこで90年代を顧みると、当時散々問題になって今でもたまに外国人研修生・技能実習生の話で出てくる時給300円っていうのは栃木の縫製業の話なんだが、
その縫製業は今どうなっていると思う?
1990年には50%近くあった衣料品の国内製造比率は2022年には1.5%(輸入浸透率98.5%)にまで落ち込んでいて、頑張っている方々には悪いがもはや壊滅的と言っていい
https://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/mono/fiber/pdf/240516.pdf
もちろん外国人を奴隷みたいにこき使えなくなったからここまで落ち込んだんだというような単純な話ではないだろうし、
ここまで極端な例を他の産業にそのまま当てはめるのも違うだろうし、何なら自給300円が許されるとは全く思わない
しかしまあ現実ブラックがなくなって産業の生産性が高まってという前に似たようなことが起こる産業はありそうだ
その際に問題となるのは食料自給率だの食の安全保障だの別の話が絡む第一次産業あたりなのかなあ
米の高騰でこんな騒ぎになっているのと、効率化にしても大規模農業ができるアメリカですら不法移民を使ってるというんだから厳しさを感じざるをえない
トランプ政権の関税政策を見ていると一層食料自給率の確保は必要そうに見えるが、食料安全保障なんて保守派からも以前よりは聞かなくなった気さえする
朝日新聞で食料自給率と言いながら外国人労働者頼りなのを嘆いた記事を見かけたのももはや10年以上も前(ネットで話題になった産経の川上村記事の1年前なので)だった記憶がある
昔は夏休みの学生が来て早朝からの収穫の短期アルバイトをやってくれたのに、今や割高で募集しても全然集まらないみたいな話まで載ってたね
こうなると諦めの境地というか、もうとんでもない技術革新が起きて全部解決してくれるとでも思っておくしかないというか
逆に今までの話とは全く逆で人件費が高騰しまくってるのに全然人が足りなくて国策で外国人を呼んでる建築業なんてものもありますが
https://www.mlit.go.jp/totikensangyo/const/totikensangyo_const_tk2_000117.html
公共インフラを考えると人手不足で回らなくなるのはぞっとしないがどうすりゃいいんだ?
よく男女の給与差で女性はきつい仕事をせず事務職を選択するからって話をはてなでも見るけど、ブルーワーカーを避ける傾向にあるのはもはやに女性限らんわけで…
まあもうどうにもならんという話ではあるが
昔格闘技にハマってて、苗字が山本だったからつい子供に"KID"徳郁ってつけて家ではキッドって呼んでた
日本人なのにミドルネームっぽいものがついていて我ながらグローバル化の流れを見据えたいい名付けだと思ってた
実際小学校までは名前のおかげで学年問わず有名だったようで、友達も多くて人気があったようだ
田舎だからか中学から狭い地域だけではなく、複数の小学校から一つの中学校に合流する
昔からの友達は神の子とかキッドって呼んでくれてたようだが、新しく合流した子たちには小馬鹿にされてるようらしい
夏休み明けからずっと息子が不登校で、理由を聞いてもただ行きたくない、めんどくさいというばかり
心の病でもいじめでもないと思うのだがやはり名前のせいだよな?
今からでも名前変更すべきだろうか?それともそういう時期なのか?
はじめてのことで、どうすればいいのかわからない
で、遠野。
盛岡や花巻あたりから沿岸南部(釜石、大船渡、陸前高田)に行くのに、ほぼ必ず通過するのが遠野である。東日本大震災の時にはボランティアのベースキャンプ的な場所としてもよく使われた。と言っても大抵の人が遠野と聞いて思いつくのは民話の郷という二つ名だと思う。
いちおう遠野はいくつかのアニメで舞台にはなっている。"魔法遣いに大切なこと"第一作ではちょっとだけ遠野が登場したが、聖地と言えるような場所は存在しなかった。唯一主人公の名字"菊池"が遠野に多いってくらいか。"カッパのクゥと夏休み"は有名どころばかりが並んでいる。"咲"については…これは後述する。まあ全般的に言えるのは、大抵の場合は遠野市が推している観光地を巡れば聖地巡礼もほぼ出来るということだ。
まずは遠野市街地近辺。民話と言えばカッパということで、遠野駅周辺にはカッパのオブジェが山ほどある。まあそもそも遠野市のマスコットキャラクターがカッパなので、カッパの図案はここに限らず遠野全体で見られるんだけどね。遠野駅の向かいにある観光協会にはマストのグッズがある。カッパ捕獲許可証。いや単なる許可証は主な観光関連施設で購入可能なんだけど、ここの観光協会だけは写真入りの許可証を作ってもらえるのね。できれば即日発行して欲しいところだけど、まあ料金は送料込みだし。
遠野市街地の主な観光地は、駅近辺から北東に行った土淵近辺にある。伝承園、オシラサマ、カッパ淵。ここから少し離れてるけどここを経由地にして北に行くと遠野ふるさと村という観光施設があり、古民家はここに多く保存されているし、時代劇等で何度もロケ地としても使われている。今回の案内の"春から秋"という期間からは外れてしまうが、ここでは11月から2月にかけて"どべっこ祭り"というイベントが開かれ、この時どぶろく試飲とにごり酒飲み放題の食事が振る舞われるので酒好きな人は日程を確認していただきたい。"どぶろく"、密造酒のことだが、遠野はいくつかの施設が特区としてどぶろく作りの許可をもらって作っている。祭り以外でも酒屋とか道の駅にはどぶろくが売られていることがあるので、上記期間外でも買って飲める可能性はある。
それ以外には地ビール。遠野はホップの生産地ではあるのだけど、地ビールの精算は特に遠野市街地では遅かった。とはいえ最近のクラフトビールブームに乗って、遠野醸造というマイクロブルワリーが市街地に存在する。どぶろくは飲みやすいがアルコール度数が意外と高いんで、飲めるけどたくさんは飲めないと言う人はこちらも選択肢になる。
話が酒から始まってしまったが、遠野のソウルフードと言えばジンギスカンである。以前は遠野近辺ではけっこう羊を多く飼っていたことも要因にあるらしい。現在は全て輸入肉で提供されているが、元祖店のあんべ、もしくは国道沿いの遠野食肉センターあたりで食べられる。なおこの地域では屋外で食べるときのために穴開きのジンギスカンバケツが普及しているが、たぶん観光で食べるときにはこれはお目にかかれないと思う。
遠野には遠野らしい和菓子もいくつかあるが、とりあえず「明けがらす」だけは紹介しておかないといけない。米粉を主体としたお菓子で、和菓子だがそれほど甘くなく、食感も中外で若干違ったりする。探せば盛岡でも売っているけれど、遠野が元祖ということで遠野で探したほうが見つかりやすい。
遠野市街地の西側にある道の駅を越えると旧宮守村になる。例によってここは平成の大合併で遠野と合併したところだが、こちらはこちらで観光名所が多い。中心市街地ではないが、メインとなるところは宮守の道の駅である。ここは背後にめがね橋の鉄道橋となり、遠野としてはここも含めて遠野のシンボルとしている。あまりに有名な場所なので前述の「咲」では2,3回くらい背景に登場しているらしい。ただマンガが古いため既にない聖地もある。宮守女子のモデルになった高校は15年くらい前に閉校しているし、宮守の中心市街地(というほどでもないけれど)にある宮守駅は完全に建て替えられて跡形もない。ただまあ、それ以外の橋とかはいくつかは残っている。
宮守の方には遠野市街地よりも前から地ビールの会社があって、特産のわさびを配合したわさびエール(発泡酒)とかも出していた。今もいちおう出しているがここの醸造樽では作っていないらしい。
この宮守の市街地から北に少し行ったところに稲荷穴、という湧き水があって、実はそこに併設されている蕎麦屋のそばが美味かったんだが、今は蕎麦屋は跡形もないそうだ。残念だね。
かつて、衣食住に満ち足りた生活がどんなものなのかをほとんどの人が知らなかった。
かつて、海の向こうにはどんな世界が広がっているのか、ということをほとんどの人が知らなかった。
今、我々は衣食住に満ち足りた生活をしている。
今、我々は海の向こうにどんな世界が広がっているのかを知っている。
否、途方もない退屈だ。
朝起きる。
朝食をとる。
電車に乗る。
職場につく。
パソコンを立ち上げる。
窓口に人が来る。
審査会をする。
通知書を発行する。
帰宅する。
夕食を食べる。
YouTubeを見る。
寝る。
中学時代は数学が得意で、高校一年時の数学1Aもなんとかついていったのだが。
数学を担当していた教師は定年の年齢を過ぎた嘱託の教師だった。
彼の教育方針は、教科書、ノートを閉じさせ、とにかく黒板に集中させるというものだった。
聞き取れないくらいの大声で解説をしながら、汚くて読めない文字で黒板に数式や解説を書いた。
あまりにも量が多く、読み取るのも困難な小さい文字で問題がびっしり書いてあり、裏表100問。
それが1日あたり5枚。
課題を忘れたり、終わっていなかったり、授業中に黒板以外に一瞬でも目線を外した生徒が1人でもいた場合、授業はストップされ残りの授業時間は全て当該生徒への説教で終わる。
そして、分からないところを休み時間に聞こうものならば「俺の授業聞いてなかったのか?おめえはよ!!ああ⁈」と胸ぐらを掴んで恫喝を始める。
私は完全に数学へのやる気を失った。
そして、自分で予習復習しようにも、大量の課題に追われて手がつかない。
回答が合っているか合っていないかは関係なく、丸つけをすることもなかったので、とにかく翌日怒られないために「形だけ仕上げる」ことに放課後の時間が割かれた。
その教師は私たちの学年のみを二年間担当して完全に定年退職した。
私たちの学年は国立大学、理系大学進学率がガクッと下がり、地元駅弁でさえほとんど合格しなかった。
そして、当該教師が担当しなかった一個下の代から国立大学、理科学部、医学部への進学者数が復活した。
私たちは数学プリントが廃止された高校3年の夏休みから受験勉強に取り組むことができた。
私がSTEMに携われないことが決まった瞬間だった。
STEMは現代社会に唯一残された「未知の世界を探索することができる分野」である。
あの教師にさえ教わらなければ。
園児の3/5くらいの親は地主、開業医、士業、会社経営者等やっていて、そういう親は明らかに髪と肌に課金してるな〜、今日の朝の送りはシャネルのピアスか〜、あのお母さんのバッグ、昨日とは色違いのバーキンか〜って感じで明らかに華やか。笑い声が大きい人が多い。車は大きい外車かやたら大きいワゴン。
園児の1/5くらいの親は勤務医、大学関係者や教育者。大学の教授、中学高校の教頭校長。親は地味目な、しかしくたびれてはいないシンプルな服。パールまたは小さめのダイヤのネックレス。車は普通の大きさの外車、または普通の大きさのワゴン。
そんで最後1/5くらいが普通に民間に勤めてる人または県庁市役所警察官等人に使われている公務員。うちはこれ。
家はお金出してもらう物。車は買ってもらう物。教育費はおじいちゃんおばあちゃんの口座から。
習い事代、1人5万くらいは安い。10万越えてる子も普通。例えば活発な子。サッカークラブ入るじゃん?クラブ代1万、別でコーチに来てもらって個人レッスン1回6000円を週2回。これでサッカー代が5万8000円。それに英会話4万、体操教室2万、スイミング1万って感じ。こういうの聞いても誰も驚かない。
「わぁ、○○ちゃんサッカー頑張ってるんだねぇぇ、かっこいい。でも送り迎え大変じゃない?」「まだ全然うまくないけど、好きだからさぁ。送り迎えは△△さん(家事代行みたいなやつ。お金持ちは知っているサービス。わたしは知らん)に頼んでるよ」「△△さん良いんだ〜!えーうちも家にいられても大変だしサッカー始めようかな〜」
ってな会話になる。わたしは心の中で「いやいやおかしいやろここの家3兄弟よね?他の子何してるか知らないけど同じように課金してるよなーきっと。1人12万として月36万、36万ってその手取りで一家4人暮らしてる人もいるよね。つーかこのお母さんの髪色、2週間に1回美容室行かないと保てないカラーと艶よなージェルネイルも根本浮いてるとこみたことないぞ…月の生活費、100万越え
ってるよなーお金湧いてんのかなー」と思いながら「〇〇ちゃんスポーツ万能だよね、将来楽しみだね〜」とか言って微笑んでる。
うちは夫の親は貧乏でもう亡くなっているし、私の親も他の県で慎ましく暮らしているしで自分たちで稼ぐしかない。自分たちで稼いだお金で子供たちを育てて車を2台買って家を建てて教育費貯めて老後の費用も貯めるもの。
そういうもんだと思って生きてきたし、夫はかっこよくて面白くて夫婦仲超いい(隠語)し、子供も面白くて何不自由してなくて、幸せなんだけどさ。
それでも流石にいいなーーーまじお金欲しいわーーって思う時はある。
ほんとにムカつくとかずるいって気持ちはないのよ、レベルが違いすぎてさ。
なので嫉妬深かったり人と比べて気持ちが下がりやすい自覚がある方は、教育熱心ってだけで入れるのはよく考えた方がいいと思う〜
https://anond.hatelabo.jp/20250518161804
https://anond.hatelabo.jp/20250706154650
https://anond.hatelabo.jp/20250916020816
で、「未だに人生で努力を知らない」では、数々のポストに食らったのだが、今日はある記事に食らった。
https://blog.tinect.jp/?p=72448
・なすべきことをキチンとやる習慣を身に付ける
習慣、なかでもハビトゥスと呼ばれるような、すっかり身体化してしまった習慣の威力はバカにならない。
なすべきことをキチンとやる習慣のトレーニングは、一般に、子ども時代から始まっている。
宿題や課題をきちんとこなす習慣、予習や復習をする習慣などは、教育期間が終わった後もずっと役立つし、本当は教科書の内容よりも大切な習得目標かもしれない。
そしてこうした習慣は、社会人になる頃には身に付いているよう期待されている。
実際には、なすべきことをキチンとやる習慣が身に付かないまま就学期間を終える人も多い。
たまたま人より勉強が得意で、受験勉強なども真面目にやらず、合格できそうな大学に願書を書いて合格したような人は、せっかくの勉強の得意さが、この習慣の不在によってスポイルされていたりする。
なすべきことをキチンとやる習慣が身に付いていない人は、なすべきことをキチンとやるための行動ポイントがめちゃくちゃ割高になってしまい、一日、一週間、一か月の間にこなせるタスクの総量が著しく少なくなってしまう。
あああああああ!
そうなんだよ!
俺ができないこと全部これなんだよ!
中高時代はテストの直前に丸暗記する方法で良い点取って、そのまま指定校推薦で大学行ったせいで、計画立てて体系的に勉強するスキルが無いまま大学生になってる。
「実家が太いのに、何も成し遂げられてないのが申し訳ないと思う」でもこう書いたんだけど、これなんだよ!
それで、今これで苦しんでるのは、夏休みだ。
就活関係のことや、情報学生としてやるべきプログラミングの鍛錬(?)ができてないのもそうだ。
でも何より、趣味すら満足にできないのが辛い。
大抵、一日が、スマホを触って、昼寝して、またスマホを触るだけで終わる。
例えば、今やってるRPGも、なんとなく進めたら楽しいんだろうなーと思いつつ、結局やれない。
で、寝る前に、「流石にこのままだと何もやってない一日だぞ……」ってなって、慌ててちょっとだけ進める。
って感じで、趣味すら夏休みの宿題をやりたがらない小学生みたいな状態になってる。
それで、結局何もしないまま毎年終わる。やろうと思えば、アニメを何本も見たり、ゲームを何本もクリアしたりできるはずなのに。
周りを見ると、一昨日はイベントに参加して、昨日はアニメに感動して、今日はDJのセトリを考えて……みたいに、沢山行動してる人が居て、本当に落ち込む。
いや、じゃあそれこそ記事に書いてあったように、SNSの使い方を考えるとか、スケジュール管理をするとかすればいいじゃんとなるが、それ自体が続かない。
スマホを別の部屋に置いておく……みたいな手段も、置くことから逃げてしまったし、スケジュール管理も全くスケジュール通りにできなかった。
なんか繰り返しになってしまうが、自分はどうしたら、SNSで見かけるような、沢山のコミュニティを持っていて楽しそうな食事とかをやってる人だったり、すごい成果物を残す人だったり、色んなイベントに参加する行動力のある人になれるんだ?
いや、まずそうやってSNSを見て落ち込むのをやめるべきなのかもしれないが……
法事自体は問題なく終え、1泊して帰るまでに少し時間があったので時間を潰せる場所を探していたら見つけたのが中野プラネタリウムだった。
まだ小学生だった頃、夏休みの間は共働きだった両親の負担を減らすために私は母方の実家である中野へ預けられていたのだが、よく祖父が連れて行ってくれたのがそこだった。
何だかとても懐かしくなり、ふらりと訪れてみたプラネタリウム。
大人200円子供100円という破格の値段で驚きながら中へ入ると、おぼろげな記憶だが当時とまったく変わっていないように見えた。
部屋の中央へ据え付けられた大きな鉄アレイみたいなフォルムの投影機械。
…夏の暑い日、祖父に手を引かれて入場した記憶がよみがえり、ちょっと涙ぐむ。
しばらくして上演が開始された。
説明を聞いていて驚いた事に施設で使用されている機械は三十数年前、つまり私が祖父に連れられて来たあの日と変わっていないらしい。
「最新の機械だと星々を線で結んだりする機能が付いていたりするのだけれど、出来なくて申し訳ない」と解説員さんがちょっとだけ申し訳なさそうに言っていたが、とんでもない。
──つまり私は、祖父と観たあの日と同じ夜空を、同じ場所で、眺められているのだ。
そう感じたら空を見上げながら涙が溢れてきた。
偶然の思い付きで数十年ぶりに訪れたプラネタリウムでこんな追体験ができるなどとは思っていなかった。
少しだけ滲んだ星空を眺めながら、私は亡き祖父を偲ぶ事ができたのだ。
絶対にまた来ようと、そう誓い私は施設を後にして母方の実家へ戻る。
そしてこの話をしたら母が思い出したようにこう言った。
「あー…そう言えばおじいちゃん、『安いし涼しいし暗いから昼寝するのにプラネタリウムは最高』って言ってたわ」
なんと、かなり頻繁に連れて行ってくれてたのはそれが理由だったらしい。
おじいちゃんも意外にロマンチストだったんだなぁ…とか思ってたよ。
笑いながら昔話に花が咲いた。
https://anond.hatelabo.jp/20250916164017
俺も書いてみる。
なんか似たようなスペックが続いているが年齢的にもダメじゃなかったよと、ハードル下がれば良いなと。
妻のママ友に誘われて。
それと子供も一番下が小学高学年になり、手を離せるようなったというところも大きい。
仕事と両立できるスポーツならぶっちゃけ何でもよかったのもあるが、球技はだいたい全部楽める。
人手不足とも聞いていたので、迷惑にならなければやらせてもらおうかなという感じで参加した。
汗だくになって跳ね回るの楽しい。
メンバーは子育てが一息ついた奥様方と、その子供の中学生くらいの世代が参加して、ほのぼのとやっている感じだった。
初心者もok、練習しましょ、楽しみましょうという活動だったので助かった。
大会に出場するメンバーを求める殺意高い系だったらどうしようかという心配はあったが杞憂だった。
中学生も羽休めに来ている感じだ。小学からやってるサラブレッドと一緒にやるのも子供ながらすり減っているらしい。
未だにルールがわからないとか変なプレーはしょっちゅうあるが、笑ってもらえている。
1年過ぎて何とかボールを繋げられるようにもなってきた。
気がする。
少なくとも1ヶ月目は体がガチガチに筋肉痛になっていたが、今はもうほぼ大丈夫。
なお体重は以前の平均体重−1Kgから全然減らない。筋肉だと思いたい。
犬のキモチがわかる気がする。
うちは地元から離れないで家庭を持つ世帯が多い地域らしく、出身校が体育館借りている小学校だとか聞けて楽しい。
俺は長時間黙々と取り組む系が苦手で、マラソンは無理、フィットボクシングは半年は続けたが後半ストレッチだけ(つーかスイッチのアプデで遠方によく使うスイッチを持って行かれてソフトを回収できない)。
たぶんジムやチョコザップも続かないと思って手を出していない。
それが1年、まだしばらく続けられそうだ。
また、こういう新参者を迎えての女性陣の人当たりの良さというか、コミュニケーション力が非常にありがたい。
いや最近の漫画偉いというか、チーム内のメンバーも、相手のライバルも尊敬し合う関係だしさ、きちんとバレーボールやって終わるしさ。
先生がパワハラとか最後に立っていた方が勝ちとか分身とかビームとか謎解説とかないし、安心して最後まで読めた。
チームスポーツが元々得意な人、苦にならない人は是非。
高齢化の人手不足はスポーツ界でも問題になっているので歓迎されるよ。
全員が全員、トップを目指してガツガツやっているわけでもないし、もちろん上を目指したい経験者なら強いチームもあると思う。温度感が合うチーム探してみよう。
俺は自分が楽しむラインがボール遊びでokって感じで。わんわん。
内容、拝見いたしました。
常に横に補助員が居ないというところからすると、発達障害でも軽度なのかと思います。
子どもの母親は、うつ病になったため、二人のケアをしていた状況でした。
リレーで同級生と手を繋ぎ、導かれて一緒に走ったという姿。ショックなのは分かります。
しかし、日常生活補助の先生が常に介入してくれていたこと、またパニックになった場合に保健室が避難所として常に機能してくれたことで、なんとか通常学級に所属させていただくことができました。
もちろん(ということであってはならないのですが)、同級生とその親からは、かなり嫌われていました。
言葉はかけられないのでどんな嫌われ方をされているかは全くわかりませんが、無視されている事は確実です。
しかし、だからどうということはありませんでした。私も彼らに関心がありませんので。
子どもが小4になったあたりで、妻がパワハラにより鬱病に陥ってクビになり、私はコロナの影響でフルリモートワークになりました。
コロナの影響で補助の先生もこれなくなり、これが常態化します(これについては、良かったのか悪かったのか、判断付いていません)
その頃から、私はリモートワークであることと、管理職で労働時間に自由度があることを活かし、濃密にケアをするようになりました。
気をつけたのは、
・学校で何があったかを聞くこと(毎日を同じ日にしないように起こった事をユニークな事象として解釈し、それをなるべく面白おかしく解釈してコメントを入れること)
・家が、最終的な逃げ場所になること
・自己肯定感の向上は無理には目指さず、低下を招かないことだけを気にすること(医者は自己肯定感の向上を物凄く気にしますが、いろいろ理由があってあえて無視しました)
です。
(診断があった時に精神科の先生から説明がありましたが、)自閉症と多動症は重度でなければ次第に改善してくることが多いそうです。
実際に子どもは、少しづつ多くの人の中に居てもパニックにならないようになり、自分の症状に自覚が出て対処方法を考えて行動するようになっていきました。
中学では、通級がありました。
通級は情緒障害に対応していたはずですが、実際の指導内容は知的障害者向けの内容でした。
そこで夏休みのタイミングで、校長等を巻き込んで、情緒障害やPDDがどういうものか、知的障害とはどう違うのか、どういう治療法が提案されているのかを 60ページくらいのスライドに纏めて説明し、理解を求めました。
通常学級の先生もそれを見て、どう対応すればいいのか理解してくれました。
そうする中で通級指導教室の先生も、通常学級の先生も、対処がうまくなってきた関係で、通常の授業に常に出れるようになりました。
何件かイジメ事案はあったものの学校側の対処が成功し、こちらも発生しただけで重大事案にはならずに収まるようになっています。
相変わらず、学級の大半は無視をしているようですが…学級での必要な連絡が停止する事がないようになっているので、問題はないでしょう。
先日授業参観に行ったところ、子どもは通常学級のグループワークで積極的に発言して、課題に取り組む姿が見えました。
去年までは全く見られなかった行動で、その成長ぶりに涙がながれそうになりました。
ここまでつらつらと、私の経験を話してまいりました。
そうですね。今は辛いとおもいます。少なくとも、私は辛かった。
しかし、絶望せずに、何ができるかを考えて行動していくことにより、定常発達の子では味わえないような成長の実感を得られました。
今は、そういう特別な成長実感の機会を与えてもらえたんだと、前向きに考えております。
以上、何かの参考になれば幸いです。
(今の問題は…ここまで改善していることを全く精神科の先生に伝えるのを忘れていたことです。先生はまだ中等症だと思っており、怒りとともに特別支援学校を勧められているんですよねぇ…。どうやって説明しよう)
😠くそっ、こいつらオタクヒエラルキーの頂点に君臨する俺ら絵師さまを舐めやがって…!
😩とにかくこのスレを潰したい!夏休みキッズのふりをして荒らしてやるぞ
🤪すいません、誰かkemonoに入る時にWi-Fi入ってるとSSLエラーが起きたため接続できませんってなるんですがWi-Fiを入れて🦊を見る方法わかる方いますか?
🤪すいません、誰かkemonoに入る時にWi-Fi入ってるとSSLエラーが起きたため接続できませんってなるんですがWi-Fiを入れて🦊を見る方法わかる方いますか?
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☺ふふ、頭の悪いキッズのふりして書き込むとスレ民どもが露骨にイラつくの面白すぎる!もっとやってやるぞ!
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