
はてなキーワード:報酬系とは
以下、説明。
一般セックス射精に対してアナニーが別次元の強烈な快楽をもたらすことは周知の事実。
ところがアブノーマルな手法であり、心理的抵抗感が高く、そもそもいきなり男のアナルをズコバコしても快楽は得られない。
しかしドライ到達すれば人生観が変わる。セックスの快楽など比較にならない。
ソープで快楽を得られなかった幸運なキミはアナニーの才能があるのだ。
説明を続ける、
ルーインドオーガズムという用語がある、射精直前に陰茎への物理刺激を止める、一切触れない、オナニーであれば握っていた手を離す。
そうするといわゆる甘出しとなりオーガズムが台無し(ルーインド)になる。気持ちよさが激減する。
つまりのところ射精快楽の機序は陰茎の物理刺激がトリガーになっている。
これはA10神経と刷り込み連携による報酬系快楽の発動なのだ。
動物の脳は子孫繁栄のため射精を繰り返すべく快楽という報酬を与えるメカニズムが備わっている。
精通初期にSM物のAVばかり見て射精をしていると脳はSMと性感がリンクされSMでなければ興奮しなくなる。
盗撮犯が何度捕まっても盗撮がやめられないのも同じ。刷り込み。
ソープで快楽を得られなかったってことは快楽トリガーがピュアな状態と推測される。
ドライ到達のネックは性的快楽のトリガーを一般的な射精からアナル及び前立腺刺激によるトリガーに切り替えること。
だが人間の脳はなかなか忘れてくれない。
女を口説いて脱がして乳をもんで挿入して射精し快楽の報酬を受け取る、この(正当な)プロットが刷り込みされてない人の方が「切り替え」のハードルが低い。
アナニーはめちゃくちゃ体力を使う。ドライで連続イキをしていると生命の危機を感じるほどだ。
アラサーであればまだまだ間に合う。
40をすぎると痔を患ったり、前立腺が肥大したり、性欲も減退する。そうなるともう遅い。
始めるなら今しかない
おまえはtiktokとかyoutube shortとかに触れてないんだろうなってのがわかる
誤解のないようにいっておくが、それは良いことだ
tiktokとかって、パチスロとかと同じ報酬系をハックした仕組みで作られてるから
「面白い動画にあたるかも」という気持ちで何時間も時間を吸い取るようになっている
ゴシップは社会的な「情報収集」として進化してきたという説がある。「誰が信頼できるか」「誰がルールを破ったか」といった情報は、集団生活を送る上で生存に直結していた。スキャンダルへの関心は、社会的な規範を学び、裏切り者を特定するための適応的な行動だった。
ゴシップを共有することで、「私たちは同じ価値観を持つ仲間だ」という結束が生まれる。他人のスキャンダルを批判することで、間接的に「自分はそうじゃない」という道徳的優位性を確認できる。
社会的比較理論では、人は他人と自分を比べることで自己評価を行う。特に「下方比較」(自分より不幸な人を見る)は自尊心を高める効果があり、スキャンダルはこの欲求を満たす。
普通の人「このリビングは家族の愛があるからみんながあつまる」
科学万能主義者系アメリカ人「両親がタバコを吸ってるからニコチン中毒で皆が集まるんだろ」
普通の人「僕の犬が僕のこと好きすぎでチューしてくる」
科学万能主義者系アメリカ人「犬の中の寄生虫が自己を拡散しようとしてるんだろ」
科学万能主義者系アメリカ人「それは受粉のために昆虫を誘引する進化的適応だ」
科学万能主義者系アメリカ人「孤立した個体は生存確率が下がるから、脳がドーパミンを出して群れを維持させてるんだ」
科学万能主義者系アメリカ人「音波のパターンが報酬系を刺激してるだけだ」
科学万能主義者系アメリカ人「塩分と脂質で報酬系が強制的に活性化してるだけだろ」
科学万能主義者系アメリカ人「それはストレスホルモンを排出する副作用だ」
科学万能主義者系アメリカ人「それは繁殖成功率を上げるための神経化学的錯覚にすぎない」
この記事の続き、なぜか保存はできるのに表示はできなかった。(文字数制限がDB側とビュー側で違うのかな)
今更だけど続きを入れておく。(色々反応もらえて嬉しいのもある)
https://anond.hatelabo.jp/20250604003003 の末尾の行から続ける。(当時書いたものをそのままコピペしただけです)
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遊び初期は女の子とデートするたびにPDCAサイクルが回って学びが多かったが、だんだん得られる学びが減っていった。
それに正直やりたいだけなら遊びは風俗と比べて金銭的なコスパも極めて悪い。
遊びは1件目→2件目→ホテルを奢ることを考えると優に1回あたり3万程度は消える。飲みももちろんだが、ラブホの宿泊もかなり高い。
性行為できるまでの時間的な意味でも、風俗と比べて比較にならないくらい時間を要する。
心の限界を感じた。
最後の1ヶ月は新規で人と会ってなかったので実質5ヶ月くらいヤリモク男をやっていた。
マッチが平均日に3~4人程度だったので月100人マッチしたことになる。5ヶ月トータルでは500人マッチくらい。
その中で電話まで行けたのが週4~5人程度。これも5ヶ月トータルで100人くらい。
さらにその中で会ったのは週1,2人。5ヶ月トータルで30人くらいな気がする。
世のマッチングアプリの男性会員の7割は一人とも会えずに終わると言われている。なんなら内閣府が発表しているデータで20代独身男性の「これまでにデートした経験が一人もいない」人は全体の40%を占める。
それを踏まえると世間的に見て5ヶ月で500人マッチ、30人とデートという数値だけ見れば相当良い数値らしい。定量的に見て20代のデート経験としては上位数%にあたる。
予定のドタキャンや途中のブロックは当たり前だし、仲良くなったあとでもいきなり連絡が途切れることが当たり前のようになる。
正直「遊び」という名目だったからこそドタキャンや人間性のない対応に耐えれていたが本気で恋愛をするときにこれだと耐えられないかもしれない。
そういった意味で事前に遊びであることを伝えるのは極めて重要である。相手にこの辛さを味合わせてはいけない。
まだ過去の感覚が残っているうちは良いが、これが壊れると本当に人格が終わるリスクがあった。
人をスペックと見た目で判断し、だめだったら次に行くという行為が当たり前になると、シャバでの人付き合いや付き合ったあとの関係性を大切にできなくなるリスクが大きい。
お持ち帰り用の会話と、同性や仕事での会話は根本的に異なるものである。
標準語で喋り続けると方言を忘れるのと同じで、ずっと遊びばかりやっていると仕事能力とか、同性とのコミュニケーションができなくなる怖さがあった。
よく言われる遊んでいるやつは仕事できるは間違いである。遊びと仕事で使うコミュ力は根本的に異なるためである。
仕事できるやつが比較的遊びもやりやすいというのはありうる。そういう意味では「遊びできる→仕事できる」は必要条件だが十分条件でない可能性が高い。遊びは得意だけど仕事が下手な人を知っているという、あくまで周囲を見た個人の統計だが。
ちなみに社会人で遊ぶのはスケジュール的に相当厳しい。仕事終わりに1時間単位でGoogleカレンダーで枠を取って3人と電話する日もあれば、週5日毎日女性と飲み会を入れる日もあった。
高度なタスク管理が必要である。上長のGoogleカレンダーが1on1スケジュールを隙間なく詰めっている状態に近い。
ごめんなさい。正直これが大きいです。
まとめると主体性になりそう。仕事では主体性を発揮できていたが、人間関係は受け身人間だった。
お持ち帰りを向こうから誘われることは何十人と会って一度もない。必然的に主体性を持つことになる。我が強くないと舞台にすら立てない。
正直、明確にお持ち帰りには再現性のあるコツが存在する。それだけでお持ち帰りできるわけではないが。
お持ち帰りのためには会話の流れ、会話比率の変化、ホテルまでの道筋、想定外が発生したときの対応を状況に応じて柔軟にコントロールする必要がある。
女性にどこ行きたい?何食べたい?と聞くのは優しさだと思っていた。でも実は必ずしもそうでない。
これはお持ち帰りで絶対してはいけない常套手段である。女の子のせいにするような行動はしてはいけない。
言ってしまえば女性にとって理由作りが必要である。(一方で嫌がることは不同意性交になるので見極める力と倫理観が大変に重要である)
いかに相手に責任を押し付けずに自分に責任を押し付けるがお持ち帰りに重要であり、そういった経験を増やすことで責任感をより持てるようになった。
理系科目と違って意図しないことが常に発生するし、再現性も論理性もないことが多々起きる。
そういったことに対応できないとホテルというゴールは絶対にない。
百合展開する美少女アニメが好きなオタクだったので、正直女性に幻想を抱いていた。
大学時代に恋人が出来てからそれは減ったが、それでも世の中には美少女アニメのような女の子がいると自分では気付かない深層心理レベルで思い込んでいたように思う。
女の子に純粋さとか潔白性を求めてたし、なんなら処女厨だった。
少なくとも自分が会った範囲で純粋無垢な存在なんていなかった。
誰だって後ろめたい過去は大なり小なりあるし、完璧なんて存在しない。
服装とか見た目で判断したり、過去の経歴で判断をしてはいけない。
実際深掘ってみると見た目や雰囲気と人格が違うことは多々ある。
偏見を持った状態でお持ち帰りはできないので、偏見を持つ量が必然的に減った。
というよりある程度話すまでその人の印象判断を保留することができるようになった。
圧倒的にコミュ力が磨かれた。
複数人の第三者評価として、遊ぶ前と比べてコミュ力が上がったことを言われたので、客観的にこのことは正しい。
遊ぶ前ぶりに会った人からはもれなく「なんか変わった?」や「xxくんだと気付かなかった」と言われるような状態だった。(これは見た目の変化も大きいが)
マッチングアプリでは雑談力が磨かれた。初対面の相手と何時間も話すことができるようになった。
クラブナンパは回数こそしてないが、クラブで知らない人に話しかけて仲良くなるという経験をした、という事実が男としての自信に繋がった。(名前を呼ぶときのちゃん付けもここでできるようになった)
仕事の会議で重要な論理的構造で話すとか多分は向上していない。そこはやるうえで重要じゃないしむしろ邪魔になるから。
もともと清潔感には気を使っていたが、遊びにおいては清潔感に気を使ってもマイナスがゼロになるだけでしかない。
遊びによって
を新たにするようになった。
服装や髪型に関しては美容系インフルエンサーを参考にし、流行りを取り入れるようになった。
なお等身大の関係性を求める恋人がほしいとかであればこれらは不要である。
大人になってから友達を作ることは難しい。それなりに大きい企業で新卒同期が3桁以上居るような場所であればある程度は回避できる。
でも新卒で上京したりとか、大学卒業してフリータだったりする立場にとって友達を作るのは難しい。
例えばTinderは貞操観念がゆるい遊び歩く女性だけがやるものだと思っていたが実際そうじゃない。
女の子が女の子の友達欲しくてやってるケースとか、性行為に興味なくTinderをしている人も居る。
なんならマチアプ自体がドラッグである。恋人ほしいとか致したい関係なくハマってしまうものである。
どこかの研究でマチアプのスワイプに報酬系が働き依存性があるというのを見たことがる。
一方でヤリチンという不純な立場が、明らかに相手にとって何でも打ち明けられるオアシスの場になっていた人もいた。
それくらい都会は友達作りとかと相性が悪いし、冷淡。
ここをうまく解消できたら世界はもっと良くなると思いつつも、例えば友達作り用のマッチングアプリを作れば解決するみたいな、そんな簡単なことはない。
女の子の家にお泊りなんて恋人を除いてありえない。だけどセフレという関係はそれを裏ルート的にたどり着けてしまう。
純粋に他者の家には興味があったし、住む場所とか家賃感とかレイアウトとか、すごく純粋な面白さがあった。
ちなみに誰かの家にお邪魔するときは絶対にお土産を持っていくこと。それは同性の友達でも大事。
本当に人が信頼できなくなった。
どれだけ好きと言われても、絶対この人明日にも裏切って俺を捨てるんだろうなとか普通に思ってしまう。実際経験しているから。
これはヤリチンをやめて本気で人を好きになったときに、とんでもない足枷となった。
ずっと不安になる。ありえないくらい自分自身がメンヘラになっていた。LINEが10分帰ってこないだけで、定番のブロックパータンかなと不安になる。
ヤリチンをやっていた時期はその不安を同時に複数のセフレがいることで
性行為前提で女性を知るようになってしまったせいで、性行為無しで付き合うのが怖くなった。
一方で付き合う前にそういうことしてしまう女性は無理という価値観も残っていて、デッドロック状態になった。
今付き合っている相手には全部このことを話して受け入れてもらっている。
私は嘘を貫き通せないので、全部言うしかない。
当たり前だがヤリチンをしていた過去は、人によっては嫌悪感を極めて抱くものである。
両思いで付き合えたあとに過去ヤリチンだったことが知られるだけで破局するリスクは十分にある。
男側から見たとき、過去に風俗で働いていた女性と付き合うことに抵抗があるみたいなのに近いかもしれない。
一度水に垂らした墨汁が取り除けないように、ヤリチンをした過去は絶対に取り除けない。それまでとこれからがどんなに真面目でも。
遊んでないやつはキモいだとか、結婚するなら遊び終わった男がいいとか、そんなものはヤリチン・ヤリマンの立場を捨てられない人間のまやかしが多分に含まれる。信じてはいけない。
貞操観念が壊れた女の子をお持ち帰りできることと、しっかりした女性と付き合うことは全く訳が違う。前者を100回できたら後者が手に入るほどこの世界は単純じゃない。
(一方で遊び側の価値観を知っておくことで浮気防止になる可能性は多分にあるが、浮気をしてしまうような状況を作らないことや浮気を安易にしないタイプを見極めて付き合うことでそれは回避できるので遊ぶ必要性はない)
ホストをやられている方には大変失礼なのは承知だが、ホストはずるいなと思った。
仕事であるという理由で色恋営業が許される。ヤリチンがやったら刺される。
書きながら気付いたが、なんで変わってないんだ???
多分女の子と遊べても、自分なんかと遊べる女の子は誰とでも遊んじゃうんだという気持ちが先行していた。
一方で紛れもなくコミュ力も上がっていることが客観的評価からわかる。
この矛盾を考えたときに考える仮説は、遊びで得た自己肯定感と、遊びで得た自己否定が釣り合っているのではないかと考える。
たしかに女の子と遊べたが、関係性を切られることもそれ以上にあったためである。
また一方で自己評価は遊び程度では変容しないとも考えた。
刹那的なやりとりでなく、長期的な関係性の構築で初めて手に入るのではないだろうか。
責任感や主体性は持てるようになったが、根の真面目さとかは変わっていない。
具体、といっても細かいことは書かない。相手のプライバシーもある。
再現性のない話である。正直人生2周目したらうまく遊びで自己効力感を見いだせず死んでいた可能性が高い。
そう言えるのは、マッチングアプリ初めて最初に出会った相手とホテルに行けたことが大きい。
マッチングアプリを始めた時点でクラブナンパや相席屋を試した後だったし、マッチングアプリの各種コツは知識として持っていた。
たまたまマッチングアプリでマッチし、トントン拍子で電話まで進み、翌日会うこととなった。マッチングアプリ初日の出来事である。
当日はおやつ時間に集合しカフェで時間を過ごしたり街を一緒に散策したりした。夜になって帰るときに実は遊びでやってるんだよねという話をした。
これができたのには理由がある。元カレとレスになって別れたという話を聞いていたことが大きい。
それ以外にも色々と付き合う前にしちゃうタイプの要素が垣間見れた部分もあり、そういう話をしても良いという暗黙知が形成できていた。
ホテル打診をし、結論としては「今日するつもりなかった」と言われつつホテルに行くことに。結局向こうがヤリモクだったが……
行為自体は微妙だった。というのも向こうが挿入以外にあまり興味がないタイプだった。
彼女としていたそれと、遊びのそれは根本的に別物なのだと思った。
しかし彼女とする性行為と遊びでの性行為は抜本的に異なる。好きな人とする性行為には絶対に幸福感や満足感で勝てない。雲泥の差である。
逆に言うと以後ヤリモクタイプには一度も出会っていない。ヤリモクが嫌で避けていたというのもあるが。
この偶然的な初回の成功体験が遊びに対する自己効力感を上げた。
その後はうまくいかないことが1ヶ月ほど続いた。本当にもう限界というタイミングで、またうまくいった機会があり、なんとか持ちこたえた。
以後もそのような希望と絶望が交互に続く。後半は以上に成功率が高くセフレが複数人いる状態だったが、最後には仇となった。
「好きな人ができたからごめんね」と伝えることにはかなり辛さがあった。
好きな人がいるのにセフレと関係を切るのが辛いは矛盾しているように見えるが。
いろいろな体験を通じせっかく仲良くなれたのに、みたいな部分も正直ある。
まだ解決してあげたい相手のコンプレックスとか課題が残っていたこともわだかまりの1つだった。
でも一番は、せっかく自分に期待してくれているのにそれを裏切るのが嫌だったということである。自分は弱い。
ヤリチンになることで、得たものは紛れもなくあったし、真面目な自分という根幹をぶち壊せたのは大きい。
社会に対する課題感もほんの少し分かったつもりになれたし、いろいろな職種のいろいろな事情を知れたことも大きい。
それにヤリチンが淘汰されない事情も極めてわかった。女性が必要としているケースが結構ある。
それに遊んだ経験量と恋人や結婚での幸せに相関はないように感じた。
人間の性行動を論じる際、多くは文化や社会の視点が導入されるが、本稿ではそれらを排し、進化心理学と進化生物学のみを用いて、「男性にとってのセックスとは何か」を考察する。
あらゆる動物と同様、人間の行動原理も、遺伝子の複製と継承である。
オス(男性)はメス(女性)と比べて生殖投資が少なく、一度の交尾で複数の子孫を残せる可能性がある。
そのため、進化的にはできるだけ多くの性交機会を得ることが選択圧となってきた。
この戦略はチンパンジーなどの霊長類にも見られ、オス同士は発情したメスへの交尾アクセスを巡って激しく競争する。
ヒトの男性もまた、性的に選ばれることを最も強く求めるよう設計されている。
この構造の下で、男性にとってセックスは単なる快楽ではなく、選ばれることの象徴である。
すなわち、性行為に至るという事実そのものが、自分には生殖価値があり、淘汰されないという確証として機能する。
逆に言えば、性行為への恒常的なアクセスを失うことは、進化的には淘汰の対象となったというメッセージとして認識される。
たとえばセックスレスは、女性にとっては忙しさや情緒の断絶の延長かもしれないが、男性にとっては「自分の存在価値の否定」として強く知覚されうる。
彼らはしばしば、自分が家族のためにリソースを提供し続けているにもかかわらず、生物的な承認を失っているという構造的苦痛に晒される。
特に40〜50代の中高年男性に自殺が多いのは、単なる仕事のストレスではなく、この性的価値の喪失による精神的打撃も関係している可能性がある。
経済力を失うことで配偶者からの承認も失われ、性的アクセスが閉ざされる。
そのことが、自分はもう遺伝子を残すに値しない存在なのだ、という進化的絶望につながる。
こうした文脈を踏まえると、男性のポルノや風俗、創作表現への依存も理解が進む。
それらは単なる快楽追求ではなく、性的に承認されているという錯覚を得るための代償行動であり、それが奪われれば、生存意欲そのものが削られる。
セックスとは、男性にとって「生きていていい」と確認するための最終報酬系である。
出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2015年8月)
ミハイ・チクセントミハイのフローモデルによるメンタルステート図。チャレンジレベルとスキルレベルの二軸で表される[1]。
フロー(英:flow)とは、人間がそのときしていることに、完全に浸り、精力的に集中している感覚に特徴づけられ、完全にのめり込んでいて、その過程が活発さにおいて成功しているような活動における、精神的な状態をいう。一般的には、フロー体験(Flow Experience)、フロー状態(FlowState)、フロー理論(FlowTheory)などという言葉で使用される。
日本では、スポーツの分野において一般的に「ゾーン」と呼ばれることが多いが、その他にも類語としては「ピークエクスペリエンス」「無我の境地」「忘我状態」とも呼ばれ、最適状態または最適心理状態(Optimal PsychologicalState)と呼ばれる研究分野のひとつである。心理学者のミハイ・チクセントミハイによって提唱され、その概念は、あらゆる分野に渡って広く論及されている。
ジェーン・ナカムラとチクセントミハイは、フロー体験の構成要素を6つ挙げている[2]。
専念と集中、注意力の限定された分野への高度な集中。(活動に従事する人が、それに深く集中し探求する機会を持つ)
活動に本質的な価値がある、だから活動が苦にならない。(報酬系)
さらに心理学作家のケンドラチェリーは、チクセントミハイがフロー経験の一部として挙げている3つの構成要素について言及している[3]
直接的で即座のフィードバック[3](活動の過程における成功と失敗が明確で、行動が必要に応じて調節される)
成功する可能性があると信じる(明確な目的, 予想と法則が認識できる)
フローを経験するためにこれら要素のすべてが必要というわけではない。
フローはチクセントミハイの1975年のインタビューにおいて、幾人かが彼らの「フロー」体験を、ずっと彼らを運んでいる流れという隠喩を使って描写したために名付けられた。「活動に没入する」という「フロー」の心理学的な概念は、「時代の流れに従う」という意味の「ゴー・ウィズ・ザ・フロー」という従来の慣用句とは無関係である。
チクセントミハイは、集団が全体として作用して、個々のメンバーがフローに達するようないくつかの道筋を示した。このような集団の特徴には、以下のものが含まれる。
創造的空間配置:椅子、コルクボード、図表。机は置かない。そうすれば立って動きながらの活動が主体となる。
活動の場のデザイン:情報を書き込む図表、流れ図、企画の概要、熱狂(ここでは熱狂も場所を占める)、安全な場所(ここでは他に何が考えられるかを誰でも言うことができる)、結果掲示板、オープントピック
観光分野への応用
近年、欧米では観光旅行中に発生する「楽しさ」や「感動」「ワクワク」「満足」などの言語化されたポジティブな感情の根源は、心理学上のフロー状態から発生しているのではないかという研究が多く行われている[4]。フロー状態は、チクセントミハイによって、その発生のプロセス(フローモデルによるメンタルステート図)がある程度提案されていることから、観光における満足を人為的、意図的に発生させることも可能ではないかとの考えられ、日本国内でもこれに言及する主張が増えている[5]。また「思い出に残る旅行体験(MTE:Memorable Tourism Experience)」の指標に関する研究では、フロー状態とMTEの関連性について言及するものもある[6]。
アウトドアレクリエーション、音楽活動、趣味、ゲームの楽しさとフロー
スキー、スノーボード、サーフィン、カヤック、乗馬、パラグライダーやダイビングなどのアウトドアレクリエーション、オーケストラや吹奏楽、合唱などの音楽活動、模型製作や生け花、洋裁などの趣味、テレビゲーム、スマホゲームにおける「楽しさ」や中毒性についても、フロー状態がその楽しさの根源ではないかという研究も数多く存在し、近年「楽しさ」の構造やその原理が明らかになってきている[7]。
隣接分野
この概念は西欧心理学の中ではチクセントミハイによってはじめて示したと言える。しかし、彼はこの心理現象に気づき、それに基づく技術を開発したのは、ほぼ間違いなく彼が最初ではないと、彼自身、躊躇なく認めている。
2500年以上前、仏教や道教といった東洋の精神的な伝統の実践者は、この訓練を彼らの精神開発の非常に中心的な部分として磨いた。日本の実践者は、そのような禅の技術を、彼らの選んだ、剣道から生け花までを含む、芸術の形式(芸道など)を習得するために学んだ。
あまりに使われすぎた慣用句「ビーイング・アット・ワン・ウィズ・シングス」(物と一体化する)も、この概念を説明するのに使われる。
教育にあっては、過剰学習の概念があり、これは、この技術に重要な要素となっているように思われる—少なくとも肉体的な技能を学んでいる場合には。それに加えて、多くの現代のスポーツ選手は、よくこの「ゾーンに入る」(何もかもがうまくいく)という現象を経験する。
基本的な発想が東洋と西洋とで同じであったり自然科学者、霊的指導者、スポーツ選手の間で共有されているということに価値があるわけではない。チクセントミハイは、他の者が精神的な発展や肉体的な熟達や他の自己改善の形式の発展性に集中している一方で、活動の場のデザインのような現代西洋文化要素の改良について、これから結論を描いただけであろう。実際、東洋の精神的な実践者は、現在の科学的な心理学者たちが用いようと試みてきた組織的な厳密さや制御とは異なる方法で試験し改善してきたにしても、この主題を中心にして、非常に徹底的で全人的な理論の集成を発展させてきた。
ソフトウエア開発者は邪魔されないフロー状態に入ることを、"wired in"、TheZone,[8][9]hack mode,[10]、softwaretimeに入る[11]などと呼んでいる。株式市場取引者は "in the pipe" という用語を、取引量の多い日や市場の修正時に取引する際のフロー状態を表すのによく使う。プロのカードプレイヤーは、集中力と戦略的認識が最高となったときを "playing the A-game" と呼んでいる。
フローはポジティブ心理学にとっても重要である。目の前のことに夢中になり、我を忘れることで、幸せや健康、長寿につながるのである[12]。
新世紀GPXサイバーフォーミュラ -近未来を舞台にしたカーレースアニメ(作中ではゼロの領域の名で登場する)
Dreams -マガジンSPECIAL連載中の野球漫画
flOw - thatgamecompany制作のビデオゲーム
ベイビーステップ -週刊少年マガジン連載中のテニス漫画(作中ではゾーンの名で登場する)
黒子のバスケ -週刊少年ジャンプ連載中のバスケットボール漫画(作中ではゾーンの名で登場する)
風が強く吹いている -新潮社出版の三浦しをんによる箱根駅伝をテーマにした小説(作中ではゾーンの名で登場する)
^ Csikszentmihalyi, M., FindingFlow, 1997.
^ Nakamura, J.; Csikszentmihályi, M. (20December2001). “FlowTheory and Research”. In C. R. Snyder Erik Wright, and Shane J. Lopez. Handbook of Positive Psychology. OxfordUniversity Press.pp. 195–206.ISBN 978-0-19-803094-22013年11月20日閲覧。
^ a b “WhatisFlow?”. AboutEducation.2015年3月30日閲覧。
^ “Flow Experience in TourismActivities”.20250317閲覧。エラー: 閲覧日が正しく記入されていません。(説明)
^ “フロー理論から考える観光やツアーの楽しさ・満足度の研究”.20250317閲覧。エラー: 閲覧日が正しく記入されていません。(説明)
^ “Once-in-a-lifetime leisureexperiences (OLLE): The role ofFlow, novelty, and interpersonalinteractionon tourists’satisfaction andmemories”.20250317閲覧。エラー: 閲覧日が正しく記入されていません。(説明)
^ “Flow Experience in TourismActivities”.20250317閲覧。エラー: 閲覧日が正しく記入されていません。(説明)
^ Michael Lopp (12June2007), “Chapter 25: ANerd in aCave”, Managing Humans: Biting and Humorous Tales of aSoftware Engineering Manager, Apress, p. 143,ISBN 978-1-59059-844-3, "[TheZone]is a deeplycreative space whereinspirationis built.Anything whichyou perceiveas beautiful, useful, orfun comes fromsomeone stumbling through TheZone."
^ Joel Spolsky (9August2000), The JoelTest:12 Steps to Better Code, "Weall know that knowledge workers work bestbygetting into 'flow', also knownasbeing 'in thezone' (...) Writers, programmers, scientists, and even basketballplayerswill tellyou aboutbeing in thezone."
^ “Hack Mode”.Jargon File.2013年11月閲覧。エラー: 閲覧日は年・月・日のすべてを記入してください。(説明)
^ Scott Rosenberg (2007), Dreaming in Code:Two Dozen Programmers, Three Years, 4,732 Bugs, andOne Quest for TranscendentSoftware, "When thingsgo well,you can lose track of passing hours in thestate psychologists call "flow." When thingsgo badly,youget stuck, frozenbetween dimensions, unable tomove or see a way forward. Either way,you've left the clock far behind.You'reonsoftwaretime."
^ “Positive Psychology: Harnessingthe power ofhappiness, mindfulness, and inner strength” (英語).Harvard Health.2022年11月15日閲覧。
参考文献
Csikszentmihalyi, Mihaly (1990).Flow: The Psychology of Optimal Experience.New York: Harper and Row.ISBN 0060920432
Csikszentmihalyi, Mihaly (1996). Creativity:Flow and the Psychology ofDiscovery and Invention.New York: Harper Perennial.ISBN 0060928204
Csikszentmihalyi, Mihaly (1998). FindingFlow: The Psychology ofEngagement With EverydayLife.Basic Books.ISBN 0465024114 (a popular exposition emphasizing technique)
Csikszentmihalyi, Mihaly (2003).Good Business: Leadership,Flow, and the Making of Meaning.New York: Penguin Books.ISBN 014200409X
Langer, Ellen J. (1989). Mindfulness. Reading, Mass: Addison Wesley.ISBN 0201523418
関連項目
サマーディ
外部リンク
ミハイ・チクセントミハイ:フローについての講演映像 -TEDカンファレンス、2004年2月、18分55秒。
### はじめに
現代の消費社会において、商品やサービスはもはや物質的な価値を売るものではなくなった。とくに、接客業、SNS上の推し活、キャバクラ、ホストクラブ、ライブ配信、アイドル産業といった分野では、ユーザーの心に“近づいたと錯覚させる”ことそのものが価値になっている。これは、従来の経済学やマーケティングでは捉えきれない、人間の内面距離を取引する新たな商慣習である。
この論考では、それを「心の距離ビジネス」と定義し、その本質と危険性、そして社会的な位置づけについて考察する。
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### 心の距離とは何か
心の距離とは、物理的距離でも時間的距離でもなく、「自分と相手がどれだけ親密であると感じているか」という、主観的な心理空間の尺度である。
重要なのは、これは**絶対的な距離ではなく、常に非対称である**という点だ。客は「自分のことをわかってくれている」と感じていても、キャストは「客の一人」としか思っていない、というズレが生じる。
このズレが、“心の距離ビジネス”の土台であり、利益の源泉でもある。
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人間は根源的に、誰かに理解されたい、承認されたいという欲望を持っている。
「あなたは特別です」「私だけはあなたをわかっています」と感じさせるのが、現代型の接客・エンタメ・SNSビジネスの中核である。
顧客は“疑似的な親密さ”にお金を払う。これは実体のない絆であり、**脳内報酬系(ドーパミン)を活性化させる点で麻薬的でもある**。
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ここに決定的な問題がある。
心の距離を近づけることで、お金を落とす――これはビジネスとして歓迎される。
だが、**同じ心の距離が、裏切られたと感じた瞬間、暴力やストーキング、殺害へと転じることがある**。
「やっぱり特別じゃなかった」と思ったときに絶望し、その痛みを攻撃性に変えることがある。
このとき、キャストの感じていた心の距離と、客の感じていた心の距離は、まったく違っていた。
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###対策はあるのか?
なぜなら、ビジネスとして成立させるためには、心の距離を近づける演出が不可欠だからだ。
・距離を近づけなければ売上にならない
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「加害者が100%悪い」という認識だけでは、問題の本質は見えてこない。
“距離を売る”なら、“その反動も織り込んで売れ”ということだ。
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### 終わりに
人と人の心の接点は、金銭と直結するようになった。
この構造を無視して「ただの異常者が暴れた」として片付け続ける限り、
同じ悲劇は繰り返される。
身分制度や職業差別が残っていた時代に、差別を和らげるために必要とされた思想ではないだろうか。
実情は賭博。脳内の報酬系が狂い依存者も発生。人間の脆弱な意思決定バイアスを突き消費を煽る商売。多くの人が賭博を好んだら国の衰退要因になる。
・性欲を煽る商売
性欲は「強く制御の難しい性質」「論理的判断を妨げる性質」「中毒性」「発散はエネルギーの消耗」「不快に感じる人がいる」などの観点で公共の場で共有することには向かない。『性欲は適切に扱われれば健全』だが、この欲望を不特定多数に煽るので性産業は不健全になりがちと見られる。『犯罪防止効果と促進効果両面がある』が、18禁である時点で法的にも他の職業とは同列ではない。
人間の承認欲求・孤独・不安・欲望を利用し増長させる煽りビジネス
キャッチコピーやデザイン、タイムラインや通知設計、炎上バズマーケティングなどは人のためではなく利益ために最適化される場合が多い。
かつて麻薬取引や賭博は規制されていない時期があり、実際にそれを職業としていた人々も存在したが、今は犯罪となりこの行いに貴賎がないという人はほぼいない。
『人の命に上下は無く、すべての人は尊重されるべき存在』『労働の権利は平等』であり『経済合理性を優先させた反社会的思想はどのような職業にも紛れ込んでいる』が、価値基準と行いには良し悪しのグラデーションがあり、社会に対する貢献・害悪の度合いが異なるという事実は存在している。
分別のない「職業に貴賎なし」という優しさは、社会にとっても個人にとっても毒になり、あなたの大事な人を蝕むことにはならないだろうか。
身体がエロいか顔がタイプであれば年齢は気にしないので、下は大学生、上は43歳のおばさんまで抱いている。
こんな生活を何年も続けているせいで、とうに脳の報酬系だの倫理観だのは壊れていて、女に対する信頼や人としての愛着はないが、セックスはやめられない。
世の中、パートナーや夫がいるのにゴムなしでヤらせる女、アプリで会って1時間しか経ってないのにヤレる女、婚活と並行して性欲処理に若い男漁ってる女、行為の動画を撮られたり、首を絞めながらされることに興奮するイカレ女、そんな女は少なくない(それどころか結構多い)。
一番エグいなと思った女はTin〇〇〇で会った32歳のバリキャリで、彼氏との婚約直前の旅行中に同じ宿に泊まって犯してほしいと頼まれたことなんかもあった。
セックス依存でありながら、欲求の解消に困ることがほとんどないので、男としてはある意味幸せな時間を過ごせていると思うのだが、やはりふと、虚しくなる瞬間が来る。
これから将来、誰かを愛せるのだろうが、普通の家庭を築けるのだろうか、セックスに興味がなくなったらどうするのだろう。
これから仮に「結婚したい」と思う女に出会うことがあっても、自分がしてきたようなことを自分以上の強者男性にされている女が頭をよぎり、その女を真っ直ぐに愛せないのだろうなあ。
本分析では、性行為への依存的な態度を示すブログ投稿について、性依存症、強迫的性行動症、および性的満足度に関する学術的知見に基づいて心理学的な考察を行う。筆者の心理的特徴、人格傾向、および背景にある心理的メカニズムを、既存の研究文献を参照しながら検討する。
筆者の記述は、WHO(世界保健機関)のICD-11における強迫的性行動症の診断基準と部分的に合致している。具体的には、「5日ぐらい旦那がセックスしてくれないと勝手に不安になってイライラし始める」という記述は、性行為への強迫的な渇望を示している。また、「一週間以上セックス無しだとさらに不安感が強まり、家事がおざなりになる」という状況は、性行動が生活の中心となり他の活動に支障をきたしている状態を表している。
性依存症の7つの特徴として、強迫的、衝動的、反復的、貪欲的、有害的、自我親和的、行動のエスカレーションが挙げられているが、筆者の記述はこのうち強迫的、反復的、自我親和的な側面を示している。「マリオのスター状態みたいな感じ」という表現は、性行為による多幸感や陶酔感への依存を示唆している。
筆者の「ご機嫌スター状態」という表現は、性行為による脳内のドーパミン分泌と密接に関連している。腹側被蓋野から側坐核への神経回路が活性化され、多幸感や陶酔感がもたらされることが知られている。この報酬系の活性化により、性行為への強迫的な渇望が生じる可能性がある。
「肌を密着させて汗だくになりながら」という記述は、身体的接触によるオキシトシン分泌を示している。オキシトシンは「愛のホルモン」と呼ばれ、性行為やスキンシップを通じて分泌され、信頼感や絆を強化する。また、性行為後の安定した気分は、セロトニンの分泌による心の安定やリラックス効果によるものと考えられる。
「挿入がないセックスではダメで」「ちゃんとおちんちんをハメてもらわないと、このご機嫌状態にならない」という記述は、性的満足が特定の条件に強く条件付けられていることを示している。この現象は、レスポンデント条件づけ(古典的条件づけ)の結果として説明できる。特定の性的刺激と快感の連合学習により、その条件なしでは満足が得られなくなっている可能性がある。
性的満足度は、快感と性的興奮、パートナーシップの質、自己受容感、個人の性的嗜好、健康状態、社会的要因によって決定される。筆者の場合、特定の性的嗜好(挿入行為)への強い依存が性的満足度を左右している。
「5日ぐらい旦那がセックスしてくれないと勝手に不安になって」という記述は、パートナーからの拒絶に対する強い不安を示している。性依存症者に共通する心理的特徴として、低い自己肯定感、見捨てられることへの不安、孤独感などが挙げられる。性行為を通じてパートナーからの承認や愛情を確認しようとする傾向が見られる。
性行為が感情調節の手段として機能している可能性がある。否定的な感情(不安、イライラ)を紛らわすために性行動を求める傾向は、強迫的性行動症のリスク要因として指摘されている。筆者にとって性行為は、心理的苦痛を和らげる自己治療的な機能を果たしている可能性がある。
研究によると、性関係の満足度が高いグループでは68%が幸せだと答えており、性関係の満足度が低いグループの48%と比較して20%高い数値を示している。筆者の場合、性的満足度がパートナーシップ全体の満足度と密接に関連していることが推察される。
性行為には、精神的な安定や幸福感、ストレス耐性の向上といった心理的メリットがある。定期的な性的活動は、免疫力向上やアンチエイジング効果も報告されている。筆者の「ご機嫌状態」は、これらの生理学的・心理学的効果の表れとも解釈できる。
筆者は以下の心理的特徴を示している:
筆者の行動は、性依存症の一部の特徴を示しているものの、パートナーとの合意に基づく関係内での行動であり、明確な社会的・職業的機能障害は記述されていない。ただし、性行為の欠如が日常生活(家事)に影響を与えている点は注意を要する。
筆者は、性行為への強い心理的依存を示しており、性的満足が自己の精神的安定や幸福感の主要な源泉となっている。この傾向は、性依存症や強迫的性行動症の一部の特徴と合致するが、現時点では病理的なレベルには達していない可能性がある。ただし、感情制御困難や承認欲求の強さ、特定の性的条件への固着など、注意深い観察が必要な心理的傾向を示している。健全なパートナーシップの維持と心理的な自立性の向上が、長期的な精神的健康のために重要であると考えられる。
本分析では、性行為への依存的な態度を示すブログ投稿について、性依存症、強迫的性行動症、および性的満足度に関する学術的知見に基づいて心理学的な考察を行う。筆者の心理的特徴、人格傾向、および背景にある心理的メカニズムを、既存の研究文献を参照しながら検討する。
筆者の記述は、WHO(世界保健機関)のICD-11における強迫的性行動症の診断基準と部分的に合致している。具体的には、「5日ぐらい旦那がセックスしてくれないと勝手に不安になってイライラし始める」という記述は、性行為への強迫的な渇望を示している。また、「一週間以上セックス無しだとさらに不安感が強まり、家事がおざなりになる」という状況は、性行動が生活の中心となり他の活動に支障をきたしている状態を表している。
性依存症の7つの特徴として、強迫的、衝動的、反復的、貪欲的、有害的、自我親和的、行動のエスカレーションが挙げられているが、筆者の記述はこのうち強迫的、反復的、自我親和的な側面を示している。「マリオのスター状態みたいな感じ」という表現は、性行為による多幸感や陶酔感への依存を示唆している。
筆者の「ご機嫌スター状態」という表現は、性行為による脳内のドーパミン分泌と密接に関連している。腹側被蓋野から側坐核への神経回路が活性化され、多幸感や陶酔感がもたらされることが知られている。この報酬系の活性化により、性行為への強迫的な渇望が生じる可能性がある。
「肌を密着させて汗だくになりながら」という記述は、身体的接触によるオキシトシン分泌を示している。オキシトシンは「愛のホルモン」と呼ばれ、性行為やスキンシップを通じて分泌され、信頼感や絆を強化する。また、性行為後の安定した気分は、セロトニンの分泌による心の安定やリラックス効果によるものと考えられる。
「挿入がないセックスではダメで」「ちゃんとおちんちんをハメてもらわないと、このご機嫌状態にならない」という記述は、性的満足が特定の条件に強く条件付けられていることを示している。この現象は、レスポンデント条件づけ(古典的条件づけ)の結果として説明できる。特定の性的刺激と快感の連合学習により、その条件なしでは満足が得られなくなっている可能性がある。
性的満足度は、快感と性的興奮、パートナーシップの質、自己受容感、個人の性的嗜好、健康状態、社会的要因によって決定される。筆者の場合、特定の性的嗜好(挿入行為)への強い依存が性的満足度を左右している。
「5日ぐらい旦那がセックスしてくれないと勝手に不安になって」という記述は、パートナーからの拒絶に対する強い不安を示している。性依存症者に共通する心理的特徴として、低い自己肯定感、見捨てられることへの不安、孤独感などが挙げられる。性行為を通じてパートナーからの承認や愛情を確認しようとする傾向が見られる。
性行為が感情調節の手段として機能している可能性がある。否定的な感情(不安、イライラ)を紛らわすために性行動を求める傾向は、強迫的性行動症のリスク要因として指摘されている。筆者にとって性行為は、心理的苦痛を和らげる自己治療的な機能を果たしている可能性がある。
研究によると、性関係の満足度が高いグループでは68%が幸せだと答えており、性関係の満足度が低いグループの48%と比較して20%高い数値を示している。筆者の場合、性的満足度がパートナーシップ全体の満足度と密接に関連していることが推察される。
性行為には、精神的な安定や幸福感、ストレス耐性の向上といった心理的メリットがある。定期的な性的活動は、免疫力向上やアンチエイジング効果も報告されている。筆者の「ご機嫌状態」は、これらの生理学的・心理学的効果の表れとも解釈できる。
筆者は以下の心理的特徴を示している:
筆者の行動は、性依存症の一部の特徴を示しているものの、パートナーとの合意に基づく関係内での行動であり、明確な社会的・職業的機能障害は記述されていない。ただし、性行為の欠如が日常生活(家事)に影響を与えている点は注意を要する。
筆者は、性行為への強い心理的依存を示しており、性的満足が自己の精神的安定や幸福感の主要な源泉となっている。この傾向は、性依存症や強迫的性行動症の一部の特徴と合致するが、現時点では病理的なレベルには達していない可能性がある。ただし、感情制御困難や承認欲求の強さ、特定の性的条件への固着など、注意深い観察が必要な心理的傾向を示している。健全なパートナーシップの維持と心理的な自立性の向上が、長期的な精神的健康のために重要であると考えられる。
昔数ページでああ無理だと挫折した専門書を見てみたら普通に読めそうになっていた。
俺が勉強する動機の一つに「わからないことが(勉強して分かるようになるに伴い)なぜわからなかったのかを知たい」というのがあるんだが、「いつの間にか分かるようになってた」ではしょうがない。
それじゃ結局なぜわかるようになったのかを明確に分析できないじゃないか。
わからないことがわからない理由はその文章が語っている分野に対する知識が不足していて、まず知らない専門用語があるから、その部分が黒塗りに修正されまくったような文章と同じになっているからというのがあるだろう。
でもただ言葉の意味を覚えていけば無条件に突然文章への見通しかぱっと明るくなるかということではないはずだ。
意味への理解の深さと、その意味を持つ概念が他にどんな議論で使われているかその実際の議論の読み込みを単純なものから積み重ねていくことによってはじめて、最終的に読みたい文章における対象の言葉について、意味以上に「立ち位置」が明確になっていくのだと思う。
その専門書をを初めて読んだときに既にあった知識に対して、何の本にあったどの文章の情報が、私が文章を認識するときの認識にどう相互作用することにより、私が理解できるように至らしめるようになったか、どの情報がということと相互作用自体を具体的に言語化できないうちには満足できない。
でも勉強しているといつのまにか「何がわからないのかわからない」から「なぜわからなかったのか、今までの自分の気持ち(そして現にわからない他人の気持ち)がわからない」へ一足飛びに段階が移行してしまうことが多いんだなと思った。
「なぜわからなかったのかがわかる」ってのが一番勉強のモチベとして強力というか報酬系の根源だとも思うので、それを自覚もできないし通り越してしまうっていうのは元も子もないように感じてしまうんだよな。
少なくとも俺にとっては「わからないことがなぜわからないのかわからない」ことと「わかることがなぜわかるのかわからない」のは同じこと。
なぜわからなかったのかがわかるという領域を拡張するために勉強してるのに「わかることがなぜわからないのかわからない」領域が拡張されていくだけなんじゃ、理解できる対象の絶対量を増えている事実があるだけで、それに対して感情としては、勉強してもしなくても同じじゃんって感じなんだよね。
単純な四則計算など「自分にとって当たり前すぎてわかるということに対してありがたみが持てない」だろうが、その自分にとって当たり前すぎて分かると言うことに対してありがたみが持てないことがいくら増えても、成長の実感が沸かないことは理解できるだろうか?
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どうして世の中は、ここまでまでにも低次元な話題で満たされているんだろう?
天気、芸能、噂話、表層的な政治のやりとり。知性の対流はどこに消えた?
人間は有限な脳リソースを持っているのに、その99%がどうでもいい入力で埋め尽くされてる現実は、もはや精神的な浪費だ。
例えば、なぜ誰も「グロタンディーク宇宙」を話題にしない?あれはもはや数学という言語を超えて、存在論そのものに接続するスキームだ。
集合論の上に成り立つ古典的な数学構造から自由になろうとした、その大胆さと深淵さは、まるで物理法則の背後にある数学的美の亡霊を追いかけるようなものだ。
それとも、「カルツァ=クライン理論」を掘り下げた上で、「コンパクト化の自由度」が我々の時空構造に与える哲学的意味について会話できる人間はもう絶滅したのか?
量子重力理論の融合問題、特にループ量子重力と超弦理論のアプローチの根本的差異を語れる人と飲みに行きたいんだよ、俺は。
物質が本質的に情報だという観点から、ブラックホール情報パラドックスが意味するのは「情報の保存則の破れ」なのか、それとも我々が持っている「情報とは何か」という定義の方が間違っているのか。
こういう問いこそが、文明の核心にあるべきだろう?
人間が文明を築いて以来、我々は「どこから来て、どこへ行くのか」を形式体系で問おうとしてきた。
自然数に対して加法と乗法を定義し、ペアノ公理系を構築し、それが完全でも無矛盾でもないことをゲーデルが証明した時点で、真理は証明可能性の外に存在することが明らかになった。
この衝撃から回復するどころか、世間はますます計算可能なもの、アルゴリズムで消費できるものにしか興味を持たなくなった。
何のために意識は進化したのか?それが単なる環境適応の副産物だと片付けるには、意識が認識する数学的対象の精緻さがあまりにも過剰だ。
なぜラマヌジャンは夢の中で未知の関数恒等式を発見できたのか?なぜヒルベルト空間のような抽象概念が、量子力学の基礎としてこれほど自然に振る舞うのか?
この「抽象と現実の接続」が偶然である可能性は、論理的にほとんどゼロに近い。
俺が求めているのは、「真に知的な対話」だ。知識をなめらかな面として持っているだけの人間ではなく、それを自己組織化的に再構築できるような構造的知性。
話題がトポス理論からエントロピー最大化原理に移行しても違和感なくついてこれるような、そんな会話。
少なくとも「その場のノリ」とか「空気を読む」なんていう神経消耗ゲームよりは、よほど脳が報酬系を刺激されるはずだ。
いつになったら、街角のカフェで「カテナリー曲線の最小作用原理が、実は一般相対論と繋がってるって知ってた?」なんて会話が自然に聞こえる社会になるんだろうな。
1.ドーパミン
🔹「快楽」や「やる気」に関与
✅目標を設定して達成する(小さな成功体験が大事)。ToDoリストを作ってチェックを入れる。新しいことにチャレンジする。音楽を聴く・作る。バランスの良い食事
2.セロトニン
🌿 不足すると鬱になりやすい
✅ 朝に日光を浴びる(15〜30分が目安)。リズム運動(ウォーキング、ジョギング、呼吸法など)。腸内環境を整える(発酵食品や食物繊維)。規則正しい生活習慣。感謝の気持ちを持つ習慣
3.エンドルフィン
🏃♀️ 笑う・泣く・感動することで分泌されることも
✅ 中〜高強度の運動(ランニング、筋トレなど)。大笑いする(コメディ観賞など)。好きな音楽や映画で感動する。スパイシーな食事(唐辛子など)。瞑想や深呼吸
4.オキシトシン
🤝「愛情」や「信頼感」に関与
✅家族や友人、恋人とハグやスキンシップ。ペットと触れ合う。信頼できる人と会話する。「ありがとう」「大好き」と言葉に出す。ボランティアや親切な行動
5.ノルアドレナリン
⚡ 注意力・記憶力の向上に働く
⚡ いわゆる「戦うか逃げるか」反応の一部
✅ 軽くストレスのかかる環境での挑戦(発表、試験など)。冷たいシャワーを浴びる。集中力のいる作業に取り組む。カフェインの摂取(適量)。短時間の昼寝
自分はドーパミン出にくい(もしくは受容体かトランスポーターがどうかなってる)タイプだけど、お酒を飲むことも出来ない
まあ、その他の特性からしても、もし自分がお酒飲めるタイプだったら確実にアル中になるけどな
父も同じタイプだけど飲めるから、年食ってもまだ飲んでるもの。ほぼアル中だと思う(まあ、飲まないと振戦出るとかじゃないけど)
(遺伝て面白いね。人としてポンコツなところは父に似て、下戸なところは母に似る。巧いこといってるのか?否、「かろうじて人間性を保っている」だけだ。それでもまだ「マシ」か)
年食っても飲酒している人間は、もはや何らかの脳に必要な物質をアルコールが代替してるだろうから(確かそういう研究があった筈)、断酒は無理だ
酒飲みも色々大変だ
でも、飲めないポンコツはどうやってドーパミンを出せばいいのだろうか。脳の報酬系が機能しない
まあ、パーキンソン病レベルで出ないわけじゃないからそれほど困らないけども
普通に生きにくいは生きにくいんよ