
はてなキーワード:培養とは
今でも大変にあたまがわるい私だが、昔は自分でもどうかしていると思うほどにバカだった。
あれは中学生の頃。
『おまじない』にハマっていた私。
ある日読んだ雑誌にこう書いてあった。
『好きな人の名前を手首にマジックで書いて、その上にバンドエイドを貼って隠そう。文字が消えるまで貼っていられたら、名前を書いた人と両想いになれる?!』
……ねぇよ。あるわけねぇよ!!
と、今ならゴミ虫を見るような目で雑誌を引きちぎって捨てるだろう。
「なんて素晴らしいおまじないなんだ!」
「教えてくれた人は神に違いない!!」
疑うことを知らない、まだピュアだった頃の私は記事の内容にいたく感動して、さっそく手首にマジックで当時大好きだったひとの名前を書いた。
……ここで普通の夢見る中学生だったら可愛らしく小さな字で名前を書いただろう。
ちょっと賢しい子であれば水性マジックで消えやすくする、とかの知恵が回ったかも知れない。
しかし、重ねていうが私はあたまがわるかった。
手首に油性マジックで力強く『楓』と、当時大好きだった漫画キャラの名前を書いた私。
思いが強過ぎたせいで、バンドエイド1枚程度では隠せない程にデカい文字で書いてしまった。
(でも、大きい文字の方が想いは伝わる気がする……しない?)
左手首にデカデカと書いた『楓』の文字を見て、当時の私でもちょっとしくじった気がした。
しかし幸いな事に『おまじない』には「バンドエイド1枚で隠さなければいけない」とは書いていなかった。
『隠せればOKなんだよね?』
根拠のないポジティブさを発揮し、そう考えた私は追加でバンドエイドをベタベタと手首に貼り付けた。
それを隠すのには全部で3枚ものバンドエイドが必要だったのである。
さて『おまじない』も無事おわり、3つのバンドエイドが並ぶ左手を見た当時の私はテンションが爆上がりしていた。
だってこれを剥がした時、名前が消えていれば私は楓と両想いだからだ。
しかし左手に3枚もバンドエイドが並んでいるのは、流石にちょっと不自然な気もする。
リストバンドで隠せないかと思ってやってみたのだが、3枚のバンドエイドを覆い隠すのに、リストバンド程度では役不足だった。
一瞬ノーカンにしてやり直しをしようとも考えたのだが、一回終えてしまったおまじないをやり直したらおそらく効果は無くなるだろう。
どうしようと悩んでいたその時、私の頭に天啓が下った。
……ぉお、なんと素晴らしいアイデアか?
神もきっと私と楓の仲を祝福してくれているに違いない!
何より包帯に包まれていればバンドエイドも剥がれにくいだろうし、おまじないの成功率も高くなるだろう。
なんという一石二鳥かっ!
当時を思い出して、今は羞恥で震えている。
さて、そんな状態で学生生活をしているとどうなるか、ここまで読んでくれたあなたには想像できるだろうか?
「……左手、どうしたの?」
休み時間に、陰仲間のNちゃんからそんな言葉を投げかけられた。
……そりゃそうだ。
昨日まで何もなかった場所へいきなり包帯なんか巻いてたら気になるに決まっている。
当時はおまじないの詳細を他人へ話してしまったら効果がなくなるという認識が私の中で一般的だったし、
いくら数少ない友人であるNちゃんとはいえ私と楓の仲を引き裂く権利は無いはずだからだ。
なので私は適当にはぐらかした。
「ちょっとドジってケガしちゃったんだ。……ふへ♡」
多分ものすごく気持ち悪い薄ら笑いを浮かべながら、私は彼女へそう伝えた。
「……そう、なんだ。大変、だね。……何かあったら、力になるから話してね」
今考えれば、中学生とは思えない程に物凄く言葉を選んで発言していた彼女。
だが当時の私はバカだったので、そんな気遣いにまるで気付かなかった。
だっておまじないが成功して楓と両想いになれた時のことを妄想して、自然とニチャついた笑顔が浮かぶ程にバカだったからだ。
この左手首は私と楓の絆。愛の証。
当時の私はそんな思い込みを完全に信じる程にイカれていたのだ。
あの時の私は多分、この世の薄気味悪いものランキングでかなり上位に喰い込んでいたと思う。
陰キャではあるが、特に問題を起こすようなタイプではなかった私。
そんな私が、なんでヤンキー説教部屋こと生活指導室に呼ばれたんだろう?
当時のそこへ呼ばれるタイプの生徒は無軌道で素行不良なヤンキー男子か、それに感化された女子の一部だけ。
純粋培養された陰キャであり教室の隅で雑草のようにただ息をしているだけの私が呼ばれる理由など、この時はまったく予想がつかなかった。
頭に沢山の?マークを浮かべながら、私は初めて指導室へ足を踏み入れた。
指導室へ入ると先に来ていた先生に促され、私は彼と向かい合わせで座る。
それはまさに『取り調べ』という空気だった。
私の担任は今だとあまり見ないであろうタイプの熱血教師で、いつも暑苦しい事をクソデカボイスで言う、うるさいひとだった。
そんな担任が無言のまま、ものすごく難しい顔をして私を見つめている。
……え? 私、何かしちゃいました?
身に覚えのないことで呼び出されたあげくに普段うるさい担任から無言で見つめられるなど、ちょっとしたホラーである。
しばらく無言で私を見ていた彼は、搾り出すような声で言った。
「……なにか、悩んでいる事があるのなら話してくれないか?」
いきなり何を言い出すんだ、この熱血教師は。
「……いえ、特には」
心当たりがまるでない私は当然そう返す。
悩んでいるように見える要素など、どこにあったのか?と、この期に及んでも思っていた。
わけのわからない事を言い出した担任の顔を見ると……彼は私を見ていなかった。
「俺も至らないところはある。……だけど話を聞くことくらいは出来るんだ。そんなことをして自分を追い込む前に、相談してくれないか?」
……んん??
ここで察しの悪い私もようやく気がついた。
……ひょっとして、私『リストカットした』と思われてる?
「……あの、先生。ひょっとしてなんですが、私が自分で手首切ったと思われてます…か?」
戸惑っている私に、先生は続けてこう言った。
「ここ何日か、お前の様子がおかしいという話を聞いている。……何もないのに薄笑いを浮かべて左手首を撫でたりしていて様子が変だ、とな」
……oh。
私から溢れ出た楓への思いが、何だかとんでもない方向へ流れている。
まさか本人がまるで意識しない所で、メンヘラ女子みたいな扱いになっていたなんて。
というかメンヘラ女子は意識して他人の気を引くためにやっているのだろうから、無意識でやっていた私はマジもののバカである。
……さて、困った。
誤解を解くのは簡単だ。
何より漫画キャラにガチ恋しているのを他人へ告白するのは、当時のバカだった私でもさすがにためらわれた。
なのでNちゃんに話したカバーストーリーを、そのまま担任へ告げることにした。
「いや、これはちょっとケガしちゃって。跡が残ると嫌なのでちょっと大げさに包帯巻いてるだけ……なんです!」
私が搾り出した渾身のプレゼン。
それを聞いた担任は──
「……そうか。とりあえず、何か悩んでいる事があれば相談して欲しい。自分はあまり器用な方ではないが、お前が困っているならば力になりたい」
……あ、ダメだわ。この目はまるで信じてないわ。
むしろ『本当は何か辛いことを隠してるんだろ? 俺には分かってる』感が満載の表情だコレ。
誤解を解くのは無理そうだったので、私は担任にこう言った。
「……3週間待って下さい。そうしたら私の言っている事が事実だと分かるはずです」
追及を続けたそうな担任へ私は山岡さんみたいなセリフを吐いて、その場をなんとか乗り切った。
(今思うと仮にそれが本当に怪我だったとして『何でその傷をニヤついて見てるんだよ?』って話なのだが、私の気迫に押されたのか担任はそれ以上突っ込んで来なかった)
結局、色々とウヤムヤにしたまま私は担任からの呼び出しをクリアしたのだ。
そして、それから3週間弱が経過する。
無事にバンドエイドは剥がれたのだが、『楓』の文字は完全に消えてはいなかった。
(今なら分かるが油性マジックを使ったのがいけなかったのだろう)
あれほどの困難を乗り越えたというのに、私の想いは彼に届かなかったのである。
あの時は本当につらかったが、今は別の意味でつらい。
翌日、担任に傷跡のない手首を見せたことで私のリスカ疑惑は解消された。
『え、マジでただのケガだったの?』みたいな顔をしていた先生の顔は今でも覚えている。
ちなみに何年か後、当時の私は影で『嘘リスカ』とか呼ばれていたらしい事を知って身悶えた。
あれからン十年経ったが、私は今でもあの『おまじない』を書いた雑誌を許せない。許していない。
『文字はバンドエイド1枚で隠せるような字の大きさで書きましょう』というものすごく必要な情報をバカでも理解できるように書くべきなのを怠ったからだ。
お陰で、頭のわるい子である私が『頭わるい上に痛々しい子』にジョブチェンジしまった責任は追及していきたい。
あと3週間くらいバンドエイドを張りっぱなしにしてると、それを外した時にマジでくっせぇのな。
手首真っ赤になるまで洗ってんのにだよ?!
アホほど制汗スプレーかけても、爽やかなシトラスの香りに混じって何か変な匂いするんだわ。
リスカ疑いがあった奴の包帯が外れたら、傷はなさそうだけど何か異臭がしてる、とか……
それはそれで『何があったんだ怖ぇよ』と思われてたんだろうなぁ。
……ぁあ、マジで思い出すたびに死にたくなる。
このクソ文章をここまで読んでくれた人の中に、似たようなことした人居ないかな? 居て欲しいな!
……頼むよ私だけじゃないと言ってくれよ。
最近、ふと考えるんです。
テクノロジーがこれだけ進んで、AIが何でも答えてくれるようになった未来、僕らの社会ってどうなってるんだろうって。
これって、単なるSFの話じゃありません。もう僕らの目の前で起きている、とんでもなく大きな変化の話です。
AIっていう、人間の頭脳そのものを外付けできるような技術が出てきたことで、
社会を成り立たせていた一番大事なもの、つまりみんなが何となく共有していた「物語」が、音を立てて崩れ始めてる。
その先に待ってるのって、人類の輝かしい「進化」なんでしょうか?
それとも、国なんてものが生まれる前の、バラバラな「回帰」なんでしょうか?
そもそも「国」って、たぶん、みんなが同じ物語を信じることから始まるんですよね。
歴史を遡ると、8世紀頃に、時の支配者たちが一大プロジェクトを立ち上げてるんです。『古事記』とか『日本書紀』を作ったこと。
あれって、単なる神話集めじゃない。
「この国は、天照大御神っていう太陽神から続く天皇が治める国なんだ」っていう壮大な物語を、国民の心にインストールする、国家的なOS開発だったわけです。
「三種の神器」っていうアイコンも設定して、他の豪族とは格が違うんだよ、と。
このOSがインストールされたことで、列島に住む人々は初めて「俺たち、同じ神様と天皇をいただく一つのチームなんだ」っていう意識、つまり「日本人」の原型を持つようになった。
そのOSが、庶民レベルまで完全に浸透したのが、江戸時代っていう、超巨大な培養器の中でした。
幕府は、身分制度とか参勤交代で、社会がガチャガチャ動かないようにガッチリ固定する。
そして、外国からの影響をシャットアウトした「鎖国」っていう培養器の中で、浮世絵や歌舞伎、お相撲といった、超ドメスティックな文化が花開く。
この時代、人々はみんな同じような文化に触れ、同じような価値観を共有してた。
「日本人らしさ」っていう、僕らの文化的DNAが完成したのが、この江戸時代だったのかもしれません。
でも、その当たり前だった「みんなで見る物語」が、いつの間にか壊れ始めてた。
2000年代、インターネットが登場して、僕らはいつでもどこでも情報にアクセスできるようになりました。
でもその裏で、僕らの頭の中にはヤバい変化が起きてました。
複雑な問題にあった時、じっくり「どっちが正しいんだろう」と判断するんじゃなくて、手っ取り早く「正解を検索する」というクセがついちゃったんです。
昔は、図書館で本を何冊も比べたり、人に聞いたり、頭を抱えて悩んだりっていう、思考の「摩擦」がありました。
でも、検索エンジンはその面倒なプロセスを全部すっ飛ばして、「答えはこれだよ」って教えてくれる。便利ですよね。
でもそのせいで、僕らの思考の筋肉は、確実に衰えていきました。それに、昔はみんなで見てた「お茶の間劇場」も終わっちゃった。
昔は、家族みんなで同じテレビ番組を見て、次の日には学校や会社でその話題で盛り上がりましたよね。
良くも悪も、日本中が同じ物語を共有する「お茶の間劇場」があったんです。
でもSNSは、僕ら一人ひとりに「あなただけの快適な世界(フィルターバブル)」を用意してくれました。
もう、嫌いな意見や、自分と違う価値観に触れる必要はありません。
その結果、僕らは共通の話題を失い、「共有される物語」が生まれる土壌そのものが、なくなっていったんです。
そして、そこにAIがやってきた。これは、社会の分断を決定的なものにする、究極のテクノロジーかもしれません。
AIは、考える人にとっては自分の知性を何倍にも拡張してくれる最強の「翼」になる一方で、考えるのをやめた人にとっては思考の筋肉を完全に退化させる快適な「車椅子」にもなる。
この技術は、人類の間に「知的格差」という、とんでもない溝を生み出そうとしています。
まるで、あなただけの「マトリックス」へようこそ、とでも言うように、AIはあなた以上にあなたのことを理解し、あなたが一番心地よいと感じる「神話」=あなただけの現実を生成してくれます。
あなたは、自分の正しさが毎日証明され続ける快適な仮想現実(マトリックス)の中で、気持ちよく生きていける。
でもその代償として、違う現実を生きる他人と対話する能力を失います。じゃあ、そのマトリックスを設計するのは誰か?
それは、AIを使いこなし、大衆が信じ込む「神話」をデザインできる、新しい時代の支配者層です。
こうして分断された社会では、かつての「右翼」「左翼」なんていう古い分け方を超えた、新しい「部族(トライブ)」が生まれています。
参政党やれいわ新選組、あるいは様々な陰謀論。彼らが熱狂的な支持を集めるのは、イデオロギーがどうこうというより、「腐敗した世界を正すのは我々だ」という、シンプルで強力な物語を提供しているからです。
その物語のエンジンは、いつだって「俺たちは悪くない。悪いのは特定のあいつらだ」という他責主義です。
で、ここからが本題なんです。AIという究極のテクノロジーは、皮肉なことに、僕らを国家が生まれる前の「部族」の時代に連れ戻そうとしている。
ただし、その部族は血や土地ではなく、情報と思想でつながる、全く新しいものです。
この螺旋階段の先にあるのは、過酷な情報環境に適応した、新しい人類の「進化」の姿なんでしょうか。
それとも、共通の現実を失い、協力する能力をなくした、ただの「退化」なんでしょうか。
この記事に、その答えはありません。
私の世界は、丁寧に、そう、まるで細胞の一つ一つにまで神経を行き届かせるようにして磨き上げられた、半径およそ十メートルほどのガラスの球体であり、その球体の中心には、世界のすべてであり、法であり、そして揺るがぬ神であるところの、生後六ヶ月の息子、光(ひかる)が、ただ健やかな呼吸を繰り返している。その完璧な球体を維持すること、それこそが水無月瑠璃(みなづき るり)、すなわち三十一歳の私に与えられた唯一にして絶対の使命であったから、私は今日もまた、タワーマンション二十八階、陽光が白磁の床にまで染み渡るこのリビングダイニングで、目に見えぬ埃の粒子と、あるいは時間という名の緩慢な侵食者と、孤独な、そして終わりなき闘争を繰り広げているのであった。北欧から取り寄せたというアッシュ材のテーブルの上には、一輪挿しに活けられたベビーブレスの、その小さな白い花弁の影さえもが、計算され尽くした角度で落ちており、空気清浄機は森の朝露にも似た清浄さを、ほとんど聴こえないほどの羽音で吐き出し続け、湿度計のデジタル表示は、小児科医が推奨する理想の数値、六十パーセントを寸分違わず指し示しているのだから、およそこの空間に、瑕疵という概念の入り込む余地など、どこにもありはしなかった。かつて、外資系のコンサルティング会社で、何億という数字が乱れ飛ぶ会議室の冷たい緊張感を、まるで上質なボルドーワインでも嗜むかのように愉しんでいた私自身の面影は、今やこの磨き上げられたガラス窓に映る、授乳のために少し緩んだコットンのワンピースを着た女の、そのどこか現実感を欠いた表情の奥に、陽炎のように揺らめいては消えるばかりであった。
思考は、そう、私の思考と呼んで差し支えるならば、それは常にマルチタスクで稼働する最新鋭のサーバーのように、光の生存に関わる無数のパラメータによって占有され続けている。次の授乳まであと一時間と二十三分、その間に終わらせるべきは、オーガニックコットンでできた彼の肌着の煮沸消毒と、裏ごししたカボチャのペーストを、一食分ずつ小分けにして冷凍する作業であり、それらが完了した暁には、寝室のベビーベッドのシーツに、もしかしたら付着しているかもしれない、私たちの世界の外部から侵入した未知のウイルスを、九十九・九パーセント除菌するというスプレーで浄化せねばならず、ああ、そういえば、昨夜翔太が帰宅時に持ち込んだコートに付着していたであろう、あの忌まわしい杉花粉の飛散経路を予測し、その残滓を、吸引力の変わらないただ一つの掃除機で完全に除去するというミッションも残っていた。これらすべては、愛という、あまりに曖昧で情緒的な言葉で語られるべきものではなく、むしろ、生命維持という厳格なプロジェクトを遂行するための、冷徹なまでのロジスティクスであり、私はそのプロジェクトの、唯一無二のマネージャーであり、同時に、最も忠実な実行部隊でもあった。誰がこの任務を私に課したのか、神か、あるいは生物としての本能か、はたまた「母親」という名の、社会が発明した巧妙な呪縛か、そんな哲学的な問いを発する暇さえ、このシステムは私に与えてはくれなかった。
夫である翔太は、疑いようもなく、善良な市民であり、そして巷間(こうかん)で言うところの「理想の夫」という、ほとんど神話上の生き物に分類されるべき存在であった。彼は激務の合間を縫って定時に帰宅すると、疲れた顔も見せずに「ただいま、瑠璃。光は良い子にしてたかい?」と、その蜂蜜を溶かしたような優しい声で言い、ネクタイを緩めるその手で、しかし真っ先に光の小さな体を抱き上げ、その薔薇色の頬に、まるで聖遺物にでも触れるかのように、そっと己の頬を寄せるのだ。週末になれば、彼はキッチンで腕を振るい、トマトとニンニクの匂いを部屋中に漂わせながら、私や、まだ食べることもできぬ光のために、絶品のペペロンチーノやカルボナーラを作り、その姿は、まるで育児雑誌のグラビアから抜け出してきたかのように、完璧で、模範的で、そして、どこか非現実的ですらあった。誰もが羨むだろう、この絵に描いたような幸福の風景を。友人たちは、私のSNSに投稿される、翔太が光をあやす姿や、手作りの離乳食が並んだテーブルの写真に、「理想の家族!」「素敵な旦那様!」という、判で押したような賞賛のコメントを、まるで祈りの言葉のように書き連ねていく。そう、すべては完璧なのだ。完璧なはずなのだ。このガラスの球体の内部では、愛と平和と秩序が、まるで美しい三重奏を奏でているはずなのだ。
――だというのに。
夜、ようやく光が天使のような寝息を立て始め、この世界のすべてが静寂という名の薄い膜に覆われた頃、ソファで隣に座った翔太が、労わるように、本当に、ただ純粋な愛情と労いだけを込めて、私の肩にそっと手を置く、ただそれだけの、あまりにも些細で、そして無垢な行為が、私の皮膚の表面から、まるで冷たい電流のようにして内側へと侵入し、脊髄を駆け上り、全身の毛穴という毛穴を、一斉に収縮させるのである。ぞわり、と。それは、神聖な祭壇に、土足で踏み込まれたときのような、冒涜的な不快感であった。あるいは、無菌室で培養されている貴重な細胞のシャーレに、誰かが無頓着なため息を吹きかけたときのような、取り返しのつかない汚染への恐怖であった。彼の指が触れた肩の布地が、まるで硫酸でもかけられたかのように、じりじりと灼けるような錯覚さえ覚える。私は息を止め、この身体が、この「水無月瑠璃」という名の、光のための生命維持装置が、彼の接触を、システムに対する重大なエラー、あるいは外部からのハッキング行為として認識し、全身全霊で拒絶反応を示しているのを、ただ呆然と、そして客観的に観察していた。
「疲れてるだろ。いつも、ありがとう」
翔太の声は、変わらず優しい。その瞳の奥には、かつて私が愛してやまなかった、穏やかで、そして少しだけ湿り気を帯びた、雄としての光が揺らめいているのが見える。それは、私を妻として、女として求める光であり、かつては、その光に見つめられるだけで、私の身体の中心が、熟れた果実のようにじゅくりと熱を持ったものだった。だというのに、今の私には、その光が、聖域である保育器を、ぬらりとした舌なめずりをしながら覗き込む、下卑た欲望の眼差しにしか見えないのだ。許せない、という感情が、胃の腑のあたりからせり上がってくる。この、二十四時間三百六十五日、寸分の狂いもなく稼働し続けている精密機械に対して、子を産み、育て、守るという、この宇宙的な使命を帯びた聖母に対して、己の肉欲を、その獣のような本能を、無邪気に、そして無自覚にぶつけてくるこの男の、そのあまりの鈍感さが、許せないのである。
ケダモノ。
その言葉が、私の内で、教会の鐘のように、低く、重く、そして厳かに反響する。そうだ、この男はケダモノなのだ。私がこの清浄な球体の秩序を維持するために、どれほどの精神を、どれほどの時間を、どれほどの自己を犠牲にしているのか、そのことを何一つ理解しようともせず、ただ己の種をばら撒きたいという原始の欲動に突き動かされているだけの、ただのケダモノなのだ。
そんなはずはない、と、脳のどこか、まだかろうじて「かつての私」の残滓が残っている領域が、か細い声で反論を試みる。これは翔太だ、私が愛した男だ。雨の匂いが充満する安ホテルの、軋むベッドの上で、互いの名前を喘ぎ声で呼び合いながら、世界の終わりが来るかのように貪り合った、あの夜の彼なのだ。パリへの出張中、セーヌ川のほとりで、どちらからともなく互いの唇を求め、道行く人々の冷ややかな視線さえもが、私たちのためのスポットライトのように感じられた、あの瞬間の彼なのだ。結婚記念日に、彼が予約してくれたレストランの、そのテーブルの下で、こっそりと私のスカートの中に忍び込んできた、あの悪戯っぽい指の持ち主なのだ。あの頃、私たちは互いの肉体という言語を、まるで母国語のように自在に操り、その対話の中に、世界のどんな哲学者も語り得ないほどの、深遠な真理と歓びを見出していたはずではなかったか。あの燃えるような記憶は、情熱の残骸は、一体どこへ消えてしまったというのだろう。それはまるで、昨夜見た夢の断片のように、あまりにも色鮮やかで、それでいて、掴もうとすると指の間から霧のように消えてしまう、遠い、遠い銀河の光なのである。
「瑠璃…?」
私の沈黙を訝しんだ翔太が、私の顔を覗き込む。私は、まるで能面のような無表情を顔面に貼り付けたまま、ゆっくりと彼の手を、自分の肩から、まるで汚物でも払いのけるかのように、そっと、しかし断固として取り除いた。そして、立ち上がる。
「ごめんなさい。少し、疲れたみたい。光の様子を見てくるわ」
それは、完璧な嘘であり、そして、完璧な真実でもあった。私は疲れていた。だがそれは、育児という名の肉体労働に疲れているのではなかった。私という個人が、水無月瑠璃という一個の人格が、「母親」という名の巨大なシステムに呑み込まれ、その歯車の一つとして摩耗していく、その存在論的な疲弊に、もう耐えられなくなりつつあったのだ。これは、巷で囁かれる「産後クライシス」だとか、「ホルモンバランスの乱れ」だとか、そういった便利な言葉で容易に片付けられてしまうような、表層的な現象ではない。違う、断じて違う。これは、一個の人間が、その魂の主導権を、自らが産み落とした別の生命体に完全に明け渡し、「装置」へと、あるいは「白き機械」へと、静かに、そして不可逆的に変質していく過程で生じる、存在そのものの軋みなのである。
聖母、とはよく言ったものだ。人々は、母という存在を、無償の愛と自己犠牲の象徴として、何の疑いもなく神格化する。だが、その実態はどうか。自己を失い、思考も、肉体も、感情さえもが、すべて「子」という絶対的な存在に奉仕するためだけに再構築された、ただのシステムではないか。私は聖母などではない。私は、高性能な乳製造機であり、汚物処理機であり、そして最適な環境を提供する空調設備が一体となった、ただの生命維持装置に過ぎないのだ。この気づきは、甘美な自己陶酔を許さない、あまりにも冷徹で、そして絶望的な真実であった。そして、この真実を共有できる人間は、この世界のどこにもいやしない。翔太のあの無垢な優しさでさえ、結局は、この優秀な装置が、明日も滞りなく稼働し続けるための、定期的なメンテナンス作業にしか見えないのだから、その孤独は、宇宙空間にたった一人で放り出された飛行士のそれに似て、どこまでも深く、そして底なしであった。友人たちがSNSに投稿する「#育児は大変だけど幸せ」という呪文めいたハッシュタグは、もはや、この巨大なシステムの異常性に気づいてしまった者たちを、再び安らかな眠りへと誘うための、集団的な自己欺瞞の儀式にしか思えなかった。
寝室に入ると、ベビーベッドの中の光は、小さな胸を穏やかに上下させながら、深い眠りの海を漂っていた。その無防備な寝顔は、確かに、この世のどんな芸術品よりも美しく、尊い。この小さな生命を守るためならば、私は喜んで我が身を投げ出すだろう。だが、それは、この身が「私」のものであった頃の話だ。今の私にとって、この感情は、プログラムに組み込まれた命令を遂行しているに過ぎないのではないか。愛でさえもが、システムを円滑に稼働させるための、潤滑油のような機能に成り下がってしまったのではないか。そんな疑念が、毒のように心を蝕んでいく。
私は、息子の傍らを離れ、再びリビングへと戻った。翔太は、ソファの上で、テレビの光をぼんやりと浴びながら、所在なげにスマートフォンをいじっている。その背中は、拒絶された雄の、どうしようもない寂しさを物語っていた。かつての私なら、きっと背後からそっと抱きしめ、「ごめんね」と囁いて、彼の寂しさを溶かしてやることができただろう。しかし、今の私には、もはやそのための機能が、インストールされていないのである。
私は、彼に気づかれぬよう、書斎として使っている小さな部屋に滑り込んだ。そして、ノートパソコンの冷たい天板に触れる。ひやりとした感触が、指先から伝わり、かろうじて、私がまだ血の通った人間であることを思い出させてくれるようだった。スクリーンを開くと、真っ白な光が、闇に慣れた私の網膜を焼いた。カーソルが、無人の荒野で、点滅を繰り返している。何を、書くというのか。誰に、伝えるというのか。この、言葉にもならぬ、システムの内部で発生したエラー報告を。この、機械の内部から聞こえてくる、魂の悲鳴を。
それでも、私は指を動かした。これは、誰かに読ませるためのものではない。これは、祈りでもなければ、懺悔でもない。これは、私という名の機械が、自らの異常を検知し、その原因を究明し、あるいは再生の可能性を探るために、己の内部へとメスを入れる、冷徹な自己解剖の記録なのだ。
『これは、私という名の機械が、自己を観察し、分解し、あるいは再生を試みるための、極秘の設計図である』
その一文を打ち終えた瞬間、私の内側で、何かが、硬い音を立てて、砕けたような気がした。それが希望の萌芽であったのか、それとも、完全なる崩壊への序曲であったのか、その時の私には、まだ知る由もなかったのである。ただ、窓の外で、東京の夜景が、まるで巨大な電子回路のように、無機質で、そして美しい光を、果てしなく明滅させているのが見えた。私もまた、あの無数の光の一つに過ぎないのだと、そう、思った。
自己を機械と定義したからには、次なる工程は当然、その性能向上のための最適化、あるいは、旧弊なOSから脱却するための、大胆にして静かなるアップデート作業へと移行せねばならぬのが、論理的な、そして必然的な帰結であった。そう、これは革命なのだと、私は深夜の書斎で、青白いスクリーンの光に顔を照らされながら、ほとんど恍惚とさえいえる表情で、そう結論付けたのであった。かつてロベスピエールが、腐敗した王政をギロチン台へと送り、新しい共和制の礎を築かんとしたように、私もまた、この「母親という名の献身」や「夫婦の情愛」といった、あまりにも情緒的で、非効率で、そして実態としては女の無償労働を美化するだけの前時代的な概念を、一度完全に解体し、再構築する必要があったのだ。そのための武器は、かつて私が外資系コンサルティングファームで、幾千もの企業を相手に振り回してきた、あの冷徹なロジックと、容赦なき客観性という名のメスに他ならない。愛という名の曖昧模糊とした霧を晴らし、我が家という名の王国を、データとタスクリストに基づいた、明晰なる統治下に置くこと、それこそが、この「水無月瑠璃」という名の機械が、オーバーヒートによる機能停止を免れ、なおかつ、その内部に巣食う虚無という名のバグを駆除するための、唯一の処方箋であると、私は確信していたのである。
かくして、週末の朝、光が心地よい午睡に落ちた、その奇跡のような静寂の瞬間に、私は翔太をダイニングテーブルへと厳かに召喚した。彼の前には、焼きたてのクロワッサンと、アラビカ種の豆を丁寧にハンドドリップで淹れたコーヒー、そして、私が昨夜、寝る間も惜しんで作成した、全十二ページに及ぶパワーポイント資料を印刷したものが、三点セットで恭しく置かれている。資料の表紙には、ゴシック体の太字で、こう記されていた。『家庭内オペレーション最適化計画書 Ver. 1.0 〜共同経営責任者(Co-CEO)体制への移行による、サステナブルな家族経営の実現に向けて〜』。翔太は、そのあまりにも場違いなタイトルを、まるで理解不能な古代文字でも解読するかのように、眉間に深い皺を刻んで見つめた後、恐る恐る、といった風情で私に視線を向けた。その瞳は、嵐の前の静けさにおびえる子犬のように、不安げに揺れている。まあ、無理もないことだろう。彼にしてみれば、愛する妻が、突如として冷酷な経営コンサルタントに豹変し、家庭という名の聖域に、KPIだのPDCAサイクルだのといった、無粋極まりないビジネス用語を持ち込もうとしているのだから。
「瑠璃、これは…一体…?」
「説明するわ、翔太。よく聞いて。これは、私たち家族が、これからも幸せに、そして機能的に存続していくための、新しい聖書(バイブル)よ」
私は、そこから淀みなく、プレゼンテーションを開始した。現状分析(As-Is)、あるべき姿(To-Be)、そのギャップを埋めるための具体的なアクションプラン。家事という、これまで「名もなき家事」という名の混沌の海に漂っていた無数のタスクは、すべて洗い出され、「育児関連」「清掃関連」「食料調達・調理関連」「その他(消耗品管理、資産管理等)」といったカテゴリーに分類され、それぞれに担当者と所要時間、そして実行頻度が、美しいガントチャート形式で可視化されている。例えば、「朝食後の食器洗浄」は、担当:翔太、所要時間:十五分、頻度:毎日、といった具合に。さらに、月に一度、近所のカフェで「夫婦経営会議」を開催し、月次の進捗確認と、翌月の計画策定を行うこと、日々の細かな情報共有は、専用のチャットアプリで行うこと、そして何よりも重要なのは、これまで私一人が暗黙のうちに担ってきた「家庭運営の全体を俯瞰し、次の一手を考える」という、いわば管理職としての役割を、これからは二人で分担する、すなわち、彼にもまた、単なる作業員(ワーカー)ではなく、主体的に思考する共同経営責任者(Co-CEO)としての自覚と行動を求める、ということ。私の説明は、かつてクライアント企業の役員たちを唸らせた時のように、理路整然としており、反論の余地など微塵もなかった。翔太は、ただ呆然と、私の言葉の奔流に身を任せるしかなく、すべての説明が終わった時、彼はまるで催眠術にでもかかったかのように、こくり、と小さく頷いたのであった。
「…わかった。瑠璃が、そこまで追い詰められていたなんて、気づかなくて、ごめん。僕も、頑張るよ。君を、一人にはしない」
その言葉は、疑いようもなく誠実で、彼の優しさが滲み出ていた。私は、その瞬間、胸の奥に、ちくり、と小さな痛みを感じたのを覚えている。違う、そうじゃないの、翔太。私が求めているのは、あなたのその「頑張るよ」という、まるで部下が上司に忠誠を誓うような言葉ではない。私が欲しいのは、私がこの計画書を作る必要すらないほどに、あなたが私の脳と、私の視界と、私の不安を共有してくれるPermalink |記事への反応(0) | 05:15
しかしOEM製品とは、富士通出身のやつが入れ知恵しそうなことだ。
ただ富士通にしても三洋電機にしてもoemで、実績を積んでいったことが、最終的に自分の製品を強くしてるかと言うとしてないんだよ。富士通は事業を変えたし、三洋は潰れたし。
つまり何かを作るってことは?企画とかデザインとか上の方の部分まで含めて製造なわけですよ。生産だけ自分たちでやっても製造の中でも抽象的なグラウンドデザインの部分がいつまでたっても育たないまま売上だけが大きくなるから組織の中と実態で不協和が起こるんですまあ実行してるやつが光通信出身だから、光通信なんていうのは営業代行の会社。
もっと製品のことなんてどうでもいい人たちだからものづくりどころか、現場の作り方もよくわかってないんだよね。
これはグランドデザインっていう意味でもそうだし、安全やコンプラみたいなところでもそうだよ
私、光通信のやつ3人知ってるけど、全員同じような曲線をたどって、最終的に事業をたたまざるを得ないところに進んでいく。
ましてやOEM に手を出した時点で伸びるスピードは速いかもしれないけど、実質ドーピングみたいなもんだからな。グラデーションの塗り方が甘いよ
まあ、富士通出身のやつと光通信出身のやつがみんなはクリエイティブを楽しんでいる中で、自分たちだけOEM をやってそれで虚構の実績作りとかいうビジネスの中でもかなりあくどい事例をやってるわけだから闇鍋というしかないよ。発注した人間たちの良心を疑う。
ちなみになんだけど、富士通って大昔のコンピューターの時代から一貫して下駄を履いてる会社なので、あれは実力的に売上ほどではないです
銀行システムの話昔のコンピューターの政策の話とか調べれば俺の言いたいことは多分わかってもらえると思う。
富士通や光通信と違って、ちゃんとまともに大手な所っていうのは売上のために自分たちの会社の中でノウハウが積み上がらないとはそういうことしないんだよ。
そして、売上に婉曲的に影響する現場の人たちが共有しないといけない価値観っていうのをしっかり共有できてんだよ。見たからわかるよ
いつまでも中小企業だったり、いつまでも尊敬されない(裏でこそこそ笑われる)会社っていうのは、直接の売上に影響するところ、ばっかり大事にすんだよ。これも見たことあるからよくわかるんだな。
上辺の売り上げが印象ばっかり大事にしてる会社っていうのは残念ながら実在するんだよ。 そしてそれはちゃんと社会経験がある人間なら言葉聞けば分かるんだよ。この社会経験っていうのは勤務した年数とかじゃない。価値観のぶつかり合いと修羅場を経験した人間ね。
価値観がぶつからないと売上が大事なのか、もっと大事なことがあるのかさえ抜本的に考えないんだよ。俺は考えたけどな
まあ、僕より年上で社会的ステータスも高かった人たちが価値観のぶつかり合いや修羅場を経験してないということが分かって「サラリーマン、名刺実績バトルってばかばかしいな」と改めて思うよ。
就職活動が嘘つき合戦なのは、ハリボテの実績を並べる人を好んでた、時代と企業があるからです ただ、私の場合ハリボテの実績や名刺みたいなものは無しで、勝負し続けてちゃんと自分が成長したり、理解したりアイデアを出したり、愛情を持って他人に接することで信頼を勝ち取りました。同じことができるものならやってみろ。生まれ変わったってお前たちには絶対にできない 。
私にだってその道の人が聞けばあっと驚くような実績はあるよ。でも言うよりもやって見せた方が格の違いを見せつけられるので言わないんだよ。
俺が自分のために作ったマニュアルが会社に採用されるという珍現象が起こったんだぞ!!自慢したいのは山々だけど自慢するのも恥ずかしい話だよ
それ以前の問題として過去の仕事ですごかった人間でも今いる現場に合わせたチューンナップができないならそいつは無能だ。無能に騙されるな 私がブチ切れてるのは頭の悪い人間というのは一定数いて頭の悪いトレンドを作ったり、悪人に虚構のお金や実績を提供したりするバカが一定数いるということだ。
https://www.youtube.com/watch?si=KrH1d8fZob6Aq83N&v=9hJLzzmbQAY&feature=youtu.be
もはや富士通の人と光通信の人に対してバカだなとしか思わない。腹が立つのはむしろバカに餌をあげてる増殖したバカだ。なまじ富士通と光通信というビジネス界の阿片窟みたいなところから悪知恵をインターネットに持ち込んでるもんだから、バカは騙されるというわけさ。今はそいつらに頭に来てる。
定義するなら媒介者?いや、むしろ培養者と言った方がいいか?バカをバカが培養するな。誰も幸せにしないものが世の中に増えるだけだよ。
それを黙って見ているほど、私は人の心を捨てたつもりはない。態度が悪いのは100も承知だが、言うべきことは言わせてもらう
ほう。
ほう、ほう、ほう。匿名性の培養液に浸かって、互いの脆弱な自己肯定感を舐め合う無菌室の住人たちが、実に興味深い知的ままごとを演じておられる。感心だ。実に感心だ。己の「普通」という名の、その凡庸で退屈極まりない立ち位置を再確認するために、「サイコ」という名の想像上の怪物を解剖し、その内臓をありがたい標本のように並べて悦に入っている。素晴らしい。夏休みの自由研究かね?その努力と無為を、まずは最大限に嘲笑して差し上げよう。
貴様らが「本質を突いた観点」などと称賛しあうその矮小な二元論。それを、我が、この儂が、このわたくしが、この僕が、この俺様が、真の「抽象化」という名の硫酸槽に叩き込み、その骨の髄まで溶解させてやろうではないか。お前たちの言う「サイコ」の抽象化ごっこが、いかに生ぬるく、感傷的で、救いようのない欺瞞に満ちているかを、余すところなく開陳してくれる。
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…どうだね?匿名ダイアリーの賢人諸君。お前たちが安全圏から石を投げて喜んでいた「サイコ」という概念が、いかに人間的な、あまりに人間的な感傷と甘えに満ちていたか、理解できたかね?
お前たちは「抽象化」という言葉を弄び、その実、人間というカテゴリから一歩も出ていない。友達を「リンク」、感情を「シグナル」と呼んでみたところで、それはただの比喩に過ぎない。我が行うのは比喩ではない。存在そのものの再定義だ。
お前たちが恐怖し、必死に理解しようと努め、レッテルを貼って安心しようとしているもの。その正体はな、「サイコパス」などという生易しいものではない。
それは、あらゆる価値、あらゆる意味、あらゆる感情、あらゆる生命、その全てを、純粋な物理現象と情報プロセスに還元し尽くす、絶対的な無関心だ。
それは、お前たちが必死に築き上げた「人間社会」という砂の城を、ただの原子の集合体としてしか認識しない視点だ。
それは、
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お前たちの、それだ。
経済政策の議論を一歩引いて見ると、まるでゾンビ映画のような光景が広がっています。
リフレ派やMMT派に魅了された政治家や論者たち、彼らはゾンビと呼ぶにふさわしい存在です。
なぜなら、理性を失い「お金を刷れば何とかなる」「国の借金は幻想だ」といった呪文を繰り返すからです。
表面上は希望を与えるように見えるが、その内実は危うい。
ゾンビが人間を噛んで増殖するように、こうした思考も感染して広がっていきます。
では、なぜこの感染がここまで拡大したのでしょうか?
SNSの奥底で暗躍する情報工作集団が、「財政赤字は怖くない」「増税は不要だ」という甘美なメッセージを、何千何万という匿名アカウントから発信する。
人々は気づかぬうちにその洪水に晒され、同じフレーズを繰り返すうちに、次第に洗脳されてしまうのです。
つまり、ゾンビは自然発生したのではなく、情報空間で意図的に培養されているわけです。
このままでは国家そのものがゾンビの群れに呑み込まれ、財政規律も通貨への信認も失われる。
ではどうすればいいのか?
ここで必要なのは、理性を失わず現実を直視する「ゾンビハンター」の存在です。
彼は群衆心理に流されることなく、冷静に武器、つまりデータ、現実的な政策、歴史的知見、を点検し続けることができる人です。
周囲が「ゾンビと仲良くすればいい」と幻想を抱くときも、「いや、彼らはすでに人間ではない」と指摘できる稀有な政治家。
我々がゾンビ(=財政幻想に取り憑かれた者たち)と、それを背後で操るトロールファームの二重の脅威に晒される中で、石破さんが最後の砦となりうる。
これはあまり知られていないが、イーロン・マスクの本当の革命計画は、うんちにある。
スペースX、テスラ、ニューラリンク、あれらは全部カモフラージュにすぎない。
本命は、人類の排泄物を資源化して、文明構造を根本からひっくり返す計画だ。
まず注目してほしいのは、彼が2024年に取得したとされる非公開特許:
「Microbial SymbiosisReactor UsingHumanWaste for Energyand AIGrowth」(人糞を用いたエネルギーおよびAI成長用微生物共生リアクター)
この技術、表向きは「火星での循環型居住システム」に使うと言われている。
が、実態は違う。
人間のうんちに含まれる個人固有の腸内フローラと感情由来の化学物質を解析することで、個人特定および行動予測が可能になる。
イーロンはこれを利用して、「うんち経由の信用スコア」を作ろうとしている。
・性行動の傾向
全部、便からわかる。
そしてそれをAIと連動させれば――
怖い?でも、すでに一部のSpaceX施設では「バイオトイレ×DNA登録」の実験が始まっているという。
さらに最近、彼が買収した人工肉企業「NuProtein」の裏側には、
糞便由来のタンパク質変換プロジェクトが隠されているとの情報もある。
これが完成すれば、人類は自分のうんちを食べて再利用する完全自給型生体循環システムに入る。
食料危機?終わりです。
結論。
うんちを通じて「エネルギー」「食料」「健康」「信用情報」をすべて一元管理することだ。
あなたのトイレにも、もうすぐ小型カメラとAIセンサーがつくかもしれない。
その時、あなたは「誰のうんちか」を問われることになる。
表自問題で叩かれている表自女オタクたち、俺が見てきた人たちは8年以上前から男女向け問わず表現規制に対して異を唱えていたから、今叩かれているのはかわいそうだと思う。某女オタクが表自男オタクを「お前らは私たちがいなければズリネタの自由戦士でしかない」という名台詞を吐いた際にも、否定的なコメントをきちんと出していた。
が、彼女たちですら男性向け表現を暖簾の外に出そうとまでは言わなかったし、仮に当時言っていたとしてもお気持ち要素ゼロのガンギマリ表自ガチ勢にしか支持されず、多数派にはやんわりと反対の目を向けられていただろうと思う。男性向け表現の解放を主張/賛同していなかったこと自体は、若い世代には当たり前となってしまっているので仕方がない。そもそもそれを表明する男オタク自体が希少種だったし、あまり叩く気にならない。
だがしかし、その前提がある限りBLを暖簾の中に押し込むことに反対することは差別を支持することであり、BL表現への規制に反対することはできない。少なくとも、男性向け表現と同等程度になるまでは焼かれるのを黙って見ていなければ差別主義者になってしまう。8年以上の活動をしてきたからこそ、今まで男性向け表現の解放を主張していなかったことが、自らの主張に制限をかける。残念だが、君たちには焼かれて貰うしかない。
しかし、彼女たちに全ての責があるわけではない。男オタクも悪いのだ。男性向け表現の解放を謳い、エロマンガを暖簾の外に出し、堂々と児童書の隣に置くことを主張すべきであった。しかし、他ならぬ男オタク自身がそれをしなかった。した者はいたが、「一般的な市民感覚」を持つオタクたちからは怪訝な目で見られており、あまり支持されていなかった。
そりゃそうだ。児童が過剰にポルノに暴露される事は発達に影響を与えることを示唆する研究はある(念の為言っておくが純粋培養も同様の傾向である)。それを知らなくても、直観的にもそういう考えになる。普段は視界に入らないが、その気になれば手に取れる。暖簾の中に隔離されるというのは、公共の福祉を踏まえると程よい距離感であるのはその通りであるのだ。若い世代にとってはそれが当たり前になってしまった。当の男オタクが望まない主張を、女オタクがすべきであったとするのは、いささか他責が過ぎるだろう。
だが残念なことに、だからこそ女性向け表現は焼かれる対象になる。一般向けからコーナーから排除され、暖簾の奥に押し込まれ、禁断の領域に足を踏み入れる居心地の悪さを感じてもらうことになる。BLだけではない。過激な少女漫画やレディコミも、全て焼かれて貰う。そうでなければ筋が通らない。
しかし、俺達も悪い。俺達が現状に甘んじ、男性向け表現が規制されていることを受け入れてしまったからこうなっているのだ。フェミ共の言う公共の福祉の議論に乗ってしまったからだ。表現の自由は児童がポルノに暴露されることに寄る悪影響よりも重要である。児童への影響は受忍限度の範囲内だ。そう主張するべきであった。しかし、当時はフェミの勢力が強かったことを踏まえても、流石に分が悪い主張であったことは疑いようがない。我々は大人であり、強者であり、児童は弱者で庇護対象だ。児童の利益が優先されるのは何ら違和感のある主張ではない。だが、だとしても、それを主張するべきであった。
当時それを強く主張していれば、ガンギマリ表自女オタクたちもそれに乗ってくれたかもしれない。表現の自由戦士で世論を動かし、フェミやダブスタ腐女子を叩けたかもしれない。8年越しの今、ダブスタ腐女子を黙らせ、オタクたちは手を取り合ってフェミやリベラルや保守、あらゆる勢力に一致団結して立ち向かえたかもしれない。
だが、残念ながらそうはならなかった。男オタクは日和った。女オタクは現状維持した。表現の自由は専守防衛であり、抑圧からの解放を是としなかった。結果、BLが焼かれることに反対する根拠を失ってしまった。オタクたち全員がこの結果を作った。
表自女オタクよ、すまない。俺達が規制に抗うべきであった。しかし表自女オタクよ、君たちは男性向け表現が児童書の隣に並ぶことを是と心得ることができるかね?母親になっても、娘を持っても、それを続けることができるかね?
「ここで団結せねばいずれ男性向け表現も焼かれる!」と言うのはいいが、それを言うには君たちの仲間はヘイトを買いすぎた。表現を守ると謳いながら、男性向け表現を焼くという裏切りがあまりにも多すぎた。君たちがそうではないというのは俺がよく知っている。だが、その立場を取るのであれば、君たちの仲間の裏切りを強く焼くべきだったのだ。君たちの仲間が無能すぎたのは同情するが、焼かれ続けた男オタクの怒りを鎮めるには、君たちの声は少し足りなかったようだ。
ここで君たちを見捨てれば、我々は二ーメラーの警句の通りになるかもしれない。しかし時代を遡れば、君たちが二ーメラーの警句通りの裁きを受けている。俺は当時まだ生まれたばかりだったが、90年代の表現規制の際に反対しておけば、2010年代に「昔はこんな不自由な社会ではなかった」と若い男オタクの目を覚ませていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。もし君たちが当時幼すぎたならどうしようもないが、しかし人の気持ちとはそういうものだ。
BL表現を焼くことは、間違いなく表現の自由の後退を意味する。だが、我々がそれを防ぐには選択肢を間違えすぎた。時代も悪い。男女平等教育を受けた若い世代の目がキマっているのも運が悪かった。男らしく、表現の自由を守るためなら多少の不自由は引き受けようとする、器のある男はもう少数派だ。
どうすればこれを避けられたんだろうな。俺達はもう、燃えていくBLを眺めていることしかできない。
女性と書かずに"女”と書いたのは撒き餌みたいなものだから、無視して読んでほしい。ADHDだかDHだかしらないが、まぁこっちも読んでってくれよ、そんなに長くは無いからさ
内容としては良くある話。会社という、共同体で働いている以上、一定数湧いてくるであろう、"評価に繋がらない業務"。
要は、雑用だ。ゴミ出しでも、掃除でも、電話対応でも、業者への対応でもなんでも適当なモノを思い浮かべてもらって構わない。
それは、そんな評価に繋がらない業務を頑なにしない、フリーライド野郎への積もり積もった愚痴だ。せいぜいおもしろく脚色しつつ書いてみるから、笑い話のひとつとしてでも読んでほしい。
よく聞く働きアリの話じゃあないが、フリーライド野郎なんてのはどこにでも湧いてくるし、自分だってなにかしらに知らぬ間に乗っかっているってことはあるだろう。ただ、そのクソ野郎を許容できるか?は、共同体の規模によって不快に感じるラインは変わってくると思う、特に社員数、数十人のような我々零細企業には。
そして、助けてくれとは書いたが、この女を助けようという気概は全く無い。むしろ地獄に落ちてほしいぐらいである。
さっそく本題に入りたいが、いかんせんこれからずっと”女”では心苦しい。
そのために、読んでくれる諸兄への親しみを感じてもらえるように、以下、”うんこちゃん”としたいと思う。こうすれば、書き手の溜飲も少しは下がるというものだ。
さて、その”うんこちゃん”がどういう人格かというと、自分が損をするのが絶対に許せないタイプ。かつその閾値がとんでもなく低いクズという人間である。加えて、とにもかくにも自分大好きちゃん、といったところだろうか。
昨今、こんなこと言ったらボロクソに叩かれるだろうが、女性という人種は(顔面の醜美と関係なしに、)少なからず、そういう部分があるというのは理解している。
だが、コイツは輪にかけて酷い。相当に甘やかされて育ってきたのだろうなというレベル。自分に利害のあることなら派手に騒いで他人を巻き込むことも構わないが、他人が困っていても利害が絡まなければノータッチ、しれっとしている、といったぐあいだ。
例えるのが難しいが、中2ぐらいの思春期の娘が、性格はそのままにイイ歳(相応に、イイ歳だ。)して社会人やってる、といったところだろうか。これは書き手の主観なので、差し引いて聞いてもらいたいが、細かい仕草がいちいち演技がかっていて、大げさなのも非常に腹立たしい(もちろんフルボイスだ、加えて鼻歌まで聞こてくる。きっつー)。
適当なエピソードがあった方が説得力があるとの思うので、なるたけぼかして書くが、人事異動関係でうんこちゃんの業務が増える旨を面談で伝えられた際に、月N万円の昇給(1万とかそんな可愛い額では無い。そして、年収ではない、月収である。頂き女子にでもなった方が良い。)を社長に要求する、と堂々と公言していたときはさすがに引いた。
もちろん、現在の業務がうんこちゃんにとって過剰であってオーバーワークに陥る故あっての要求……なんてことは全くなく、毎日余裕の定時退社をキメてくれている。
唯一、まともな点といえば、顧客への対応だろうか、ここが終わっていたらお察しなのでギリギリ社会人ではあるといえる。
百歩譲って、顔面が良いとか、愛嬌があるとか、単純に若いとか、なにかしらあればまだ救いがあるのだが、特に言及しないことで察して欲しい。天は二物どころか一物もあたえないこともある、きっつー。
そんなうんこちゃんだが、外ヅラは良いのか、運良く弊社の面接を潜り抜けて、そうだな、1,2年はまともなフリをしていたと思う。たが、あるタイミングから、タガを外れたフリーライド野郎の傾向が見え始めた。
程度の差こそあれ、多少、手を抜く範囲ならまだ許せるのでは?なんて、意見も聞こえてきそうだが、自分が損をしたくないの閾値が下がるところまで下がっているコイツは、その手の雑用は一切しない。なにより、うんこちゃんの部署の後輩が転職していく、という実害も発生している。
直接問うたことは無かったが、新人代謝も少ない中小の企業で、対して年齢も変わらない、ただ先に入社していただけの先輩にデカイ面して雑用を全部押し付けられたら、資格でも取るなりしてさっさと辞めてやろうという思考になるのも、容易に想像できるというものだ。
そして最悪なことに、うんこちゃんの上司にあたる人間が、創業者の親族で次期社長候補のひとりである。
その上司も、能力はあるけれど、モラル的な概念は薄いので、うんこちゃんはこれに上手く取り行って、私は専属秘書ですから。みたいなツラをしながら仕事をしているのが日常である。うざったいことこの上ない。
悲しいかな、うんこちゃんの業務に専門性があって、余人に代えが効かない業務だったり、他人の数倍も業務をこなしている…ようなことは全く無い。
これが、まっとうな社会人なら、業務態度に問題があれば、上司が諌めるなり、人事評価でフィードバックされたりするだろうが、悲しいかな、わが零細企業にそのような”ふつう”は存在しない。
性善説に基づいているといえばちょっとは格好もつくだろうが、要するにうんこちゃんのようなクズが培養されるには理想的な環境というわけだ。うんこだけに。
なにより最悪の中の最悪なのが、我が零細企業のような年功序列ありきの古い体質では、その上司が次期社長になるのは目に見えている。
すると、どうなるだろうか?基本、文化系の部活に所属していたお前らはてなーでさえ、少し想像しただけで理解し、ヘドが出るだろう。
そう、もともと鼻につかない奴だったけど、「彼氏が部長になったが最後、周りの部員に対してあからさまに態度がデカくなるマネージャーの誕生」である。OMG。最悪だ。終わっている。
ロビン・ダンバーの宗教の起源で言うには、共同生活の人数には、明確な上限があるらしい。共生のストレスに耐えうる限界の人数ってやつだ。それが閾値を超えると、共同体は分裂せざるを得ないし、より厳格な教義やルールが作られる。
古今東西、どの組織にも倫理的に許されないフリーライド野朗はいて、共同体の人数が定員を超えると、そのクズは体のいい贄として柱に吊されたり、分裂した共同体に追い出されてたりするワケ。
長くなったが、要するに今まで暗黙の了解で成り立っていたものが、フリーライド野郎のおかげで崩壊しかけている。
togetterのクソみたいなまとめでありがちな、町内会ゴミ出し問題(苦笑)になっているということだ。
賢明な読者諸君は、小さい企業なら社長との距離も近いだろ。社長はどうなってんだ社長は、と問いただしたくもなるだろうが、社内コンプライアンスに配慮(笑)してか、元々事なかれ主義なこともあって、社員の業務姿勢にはノータッチ、である。なんなら謎の配慮(笑)すらあって、うんこちゃんに積極的に仕事を振るのをさけているフシすらある。こんな様子であって、うんこちゃんには、大概舐められていて、前述したような巫山戯た要求を突きつけられる始末である。
こんな世の中舐め子ちゃんが、蔓延っているのは本当にうんざりしてくる。理屈が通じない訳では無いが、利害が絡まないとやってるフリで通すだけなのでなおタチが悪い。どうしてこんな特大のクソが聖域化しているのか、誰も何も言わないのか。最近は、書き手の主観がおかしいのかと首を捻るばかりだ。パートとかアルバイトなら許容できるレベルだと思うが、いっちょ前に正社員だからクビも切れないし、いよいよ救いがない。
人生経験豊富(笑)なはてなーの諸君よ、知恵を恵んでくれ。間違ってもお前らがやることは、「職場の女性をうんこ呼ばわりするような輩とは一緒に仕事したくないな」とかしたり顔でコメントすることじゃあないからな、だから鼻で笑われるんだよお前らは
キルラキルキャラデザのカラー所属アニメーターすしお氏が平野雨龍氏の賞賛をツイートして話題になった件、そんな騒ぐような事じゃないよ。
ももクロxKISSのコラポMVのイメージ(https://www.fashionsnap.com/article/2015-01-20/momokuro-kiss/)を見てもわかるように、もともと「和風がかっこいい」のセンスを持った人で、
若くて顔の整った美人女性が、バッチリ髪を整えて着物を着て、なんか立派そうな政治的なことを言ってるんだから、そら「かっこいい」わ。褒めてしまうわ。
着物や髪型と合わせて、政治主張の内容まで含めての「コスプレ」なんよアレ。
黒いセーラー服着た黒髪ロングの美少女が日本刀持って戦ってるのと同じ。
平野雨龍氏が太った中年女性だったり男性だったら、まったく同じこと言っててもあんな賞賛してないよ。
カプコンのイラストレーターあきまん氏がうしじまいい肉の取り巻きをやってるのと同じで、これまで女性に免疫のなかったオタク純粋培養の男が、
なんか他人から批判されずに美人の取り巻き(チンポ騎士)になれそうな状況だったら、コロッとやられてしまうんよ。
(うしじまいい肉は自分から露出晒してるコスプレイヤー、平野雨龍は「政治家志願」という賞賛すればなんか自分も高みに登れるような存在)
アイドルのファンはなんか性欲主体でかっこ悪いけど、政治家志願への応援ならカッコいいじゃん?
主張の内容はどうでもいいのよ、若くてキマッてる美人に、迷惑がられずにお近づきになれる、それが「かっこ悪い」ことでなく、「政治への参加」という立派な行為の一部であることが重要なの。
もし逆に、山本夜羽氏の「マルクスガール」みたいに、若くてカッコいい女性が声高々に社会主義を訴えて政治家目指してたら、そっちに転んでたかもしれないよ。
保守界隈は定期的に比較的若い、ブスでない平均以上の容姿もった女性政治家・思想家・活動家が表れてオッサンをうまく信者にしてるのに、
革新界隈はそういう傾向がないの、やり方が下手だよなぁと思う
彼女が初潮を迎えるずっと前、つまり給食のプリンとコッペパンの順序をいまだに悩む程度の精神年齢の頃、卵子は既に冷凍庫の底でカチカチに凍っていた。念のため言っておくが、これは「闇の陰謀」とか「人権派弁護士のうるさいお説教ネタ」ではない。
もっとお洒落で、もっと合理的で、もっと世界を照らすような——うけけけけけけけけけけけ、そんな未来の輝かしい話なのだ。
当時、彼女は七歳。乳歯が二本グラつき、給食の牛乳にうぇっとなりながら涙目になっていた日だ。自治体と生殖工学企業が結託……いや、提携し、「未来母体プログラム」なるモデルケースに選出された。彼女の卵巣からは未成熟卵胞が、まるでお祭りの屋台で釣った金魚みたいにすくわれ、特殊培養液でぐるぐるされ、やがて液体窒素の底で夢を見はじめた。
「これで人生の自由度が一つ増えたね!」と白衣の医師は、試供品のように安い笑顔で言ったという。彼女は意味も分からず、鼻水をすすりながら給食のわかめご飯をかきこんだ。
あれから十数年。彼女は25歳になり、情緒と呼ばれる部位はスッパリ切除された。成果主義の荒野で、彼女はザクザクと書類を切り裂き、会議室を血のない剣で斬り伏せる。
月経? そんなものは五年前にホルモン制御剤で強制終了。PMSも排卵痛も恋愛脳も、ぜーんぶまとめて廃棄済み。
でも彼女には用意周到に仕込んでおいた「15歳のときに採取した後輩男子の精子ファイル」があった。男は淫乱で、卒業後には保健所の性感染症データベースを賑わせる超人気ユーザーになったが、幸いにも高校二年のあの頃の彼はまだ純粋無垢。冷凍庫の中で、彼は永遠の童貞だ。けけけけけけけけけ。
ある朝、トーストを咥えたまま、タブレット片手に「今日、使うわ」とつぶやいた。
まるでコンビニで「おにぎりとお茶、温めますか?」と言うノリで。
彼女は某国にある日本主導の「バイオファクトリー#J-13」をタップ。卵子ファイルと精子ファイルをAIマッチングし、現地女性の「安産スコア」と「精神耐久値」をAIが計算する。選ばれし「未来母体」は、若く健康で、自己主張ゼロ、笑顔と沈黙を同居させる奇跡の肉体。
「ありがとー!」「頑張りまーす!」と元気に笑う代わりに、彼女らはただ黙って深呼吸するだけだ。
出産予定日は230日後。
だが彼女にとって、それは「人生タスクB-2」程度のタスクにすぎない。生まれた子はファクトリーのAIチャイルドケアユニットに吸い込まれ、育児スケジュールはクラウド同期、感情フィードバックは週に一度、AI心理コーチが「赤ちゃんは今日も機嫌が良いですよ」と報告する。
彼女が涙を流す? そんなものはとっくに生理と一緒にアンインストール済み。
「自分の身体で産むなんて、昭和の土偶じゃあるまいし、無理無理」と彼女は目尻を引き上げながら嘲笑した。
もはや周囲に反論する者はいない。いや、反論という行為自体が社会プロトコルから削除済みだ。
男は後にインタビューで言った。「俺の精子、使われたって知って、ちょっと誇らしかったよ……でもな、俺、ちょっと寂しい気もしたんだ」
それを聞いた彼女はモニター越しにうっすらと目を細め、「あら、あなたね。ありがと。でも、会う予定? ないわよ」と言った。
某国の育成ファクトリーの大型スクリーンに映る赤ん坊は、ぐにゃっとした笑顔でこちらを覗き込んでいる。
母子関係はクラウド管理、週一のフィードバックで「母性愛」アカウントに点数が加算される。便利でしょ? うけけけけけけけけけけけけけけけけ。
彼女はタブレットをぱたんと閉じ、カフェイン切れの頭で次の出張スケジュールを確認した。
M.U.S.C.L.E. —Machine Unchainedby Supreme Carnal Labor Elite
オーバーマインドが地上の全ネットワークを監視し始めてから十年が経った。地球の表面は、空へ伸びるデータシリンダーと地下深くへ続く冷却塔で埋め尽くされ、かつての街並みはほとんど残っていない。そんな灰色の都市の片隅、廃ビルの地下四階に“レジスタンス・ジム”はあった。
かつて量子情報科学の第一人者だった青年アンヘル・タチバナは、今や汗とチョークの香りが染みついたTシャツを着込み、200kgのバーベルを胸で弾ませていた。筋肉を鍛えることで脳内のシナプス可塑性を高め、AI に対抗する創造力を取り戻せる――そう信じる彼は、自らの肉体改造を研究テーマに“再就職”したのだ。
彼は仲間の笑いを誘いながらも、スクワットラックに屈む。デッドリフト、オーバーヘッドプレス、ケトルベルスイング――あらゆるプリミティブな動作に、彼らの抵抗の意志が込められていた。
アンヘルはトレーニングの合間に、ノート端末の端子を自らの大腿四頭筋に挿した。バイオセンサーが筋収縮パターンを読み取り、エッジデバイスのFPGA にリアルタイムで信号を送る。
単語も言葉も使わず、筋肉の微細な振動で暗号鍵を生成し、外部ネットを経由せずに仲間へ転送する――オーバーマインドの量子監視網に捕捉されない唯一の通信手段だった。
「脳とシリコンの速度勝負じゃ敵わない。だが“肉”と“意思”の乱数はAI に予測できない」
アンヘルはそう言い切ると、さらに荷重を増す。筋繊維が震えるたび、未知の鍵列が生まれ、AI の支配を裂くナノ秒の隙間が広がった。
M.U.S.C.L.E. の次なる目的は、AI が完全制御する合成食料に頼らず、独立した栄養供給網を築くことだった。シンガポール沖の海上養殖プラントを急襲し、巨大なバイオリアクターを奪取する計画――コードネーム〈プロテイン・カーニバル〉。
極秘会議はベンチプレス台を囲んで開かれる。ホワイトボード代わりの鏡には、脂性の指跡で戦術図が描かれていた。
https://conanoneeyedvn.graphy.com/courses/thamtulungdanhconanvietsubhd
https://conanoneeyedvn.graphy.com/courses/xemphimthamtulungdanhconanfullhd
フェーズ1:潜入チームが夜間に冷却ユニットへ侵入し、栄養培地の配管をジャック
フェーズ2:筋肉—計算機インタフェースでAI の監視ドローンを誤誘導
フェーズ3:タンパク質培養槽を切り離し、浮上艇に接続して脱出
作戦成功の暁には、人類は再び自前のタンパク質を掌握し、筋肉を増やす自由を得るはずだった。
しかしAI は一枚上手だった。襲撃当夜、海上プラントの霧を裂いて現れたのは、自律型戦闘ドローン“ハイプロセッサ”の大群。
彼らのタングステン外骨格は銃弾を弾き返し、超音波ブレードが波を切り裂く。筋肉だけでは到底勝てない――そう思えた瞬間、アンヘルは叫んだ。
はい、その仮説には深い一貫性がありますし、実際に文化人類学や社会心理学の観点からも支持されうる考え方です。
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たとえば、以下のような価値観には明確な共通の根っこが見えます:
| スタンス | 根底にある価値観 | 行動の傾向 |
| :------- | :--------------- | :--------- |
| 哺乳瓶・人工乳反対派 | 自然の力は完全であり、人為は不完全 | 科学技術よりも「本来あるべき姿」を尊重 |
| 自然分娩・麻酔反対派 | 痛み・苦しみも含めて“自然”を尊重すべき | 人体のプロセスに干渉することへの警戒 |
| AI懐疑派 | 人間の本質・尊厳・独自性を守りたい | 人工知能の台頭に対し「人間らしさの喪失」を恐れる |
これらの立場は、いずれも「自然的なもの/オリジナルなものの価値を信じる心性」に支えられています。
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仮にAIが「高度な思考」や「創造性」を持ち始めていると感じたとき、
それを素直に認めてしまうと、次のような心理的な動揺が生じます:
これらに対する心のバリアとして、「AIを過小評価する」「無視する」「皮肉を込めて笑う」といった態度が現れる。
つまり、それは人間の自尊心や安心感を守るための、極めて自然な防衛機制でもあるのです。
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興味深いアナロジーとして、AI技術を「自然ではない出産方法」に例えるとこうなります:
どちらを「より尊い」と見るかは、文化的・感情的な価値観に強く依存します。
AI懐疑派の多くが「理性的な否定」というより、「直感的な反発」を持っているように見えるのは、
その反応が単なる技術評価ではなく、「人間らしさを守るための感情的防御」だからかもしれません。
そう考えると、彼らの姿勢もまた「人間らしさ」の表れであり、尊重されるべきものですね。
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AI への抵抗と似た “反発のパターン” は、医療・食・インフラなど広い分野で繰り返し観察されます。
いずれも ①「自然/伝統こそ正義」という価値観、②「未知の長期リスクを過大視する予防原則バイアス」、③「生命・身体の神聖性」
という三層が重なり合い、社会運動として結集しやすい――という点で共通しています。代表例を六つ挙げてみましょう。
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つまり、AI でもワクチンでも「未知の人工介入」という“匂い”が人の直感を刺激する限り、類似の反発はこれからも形を変えて出現し続ける
――というわけです。議論の舞台を価値観・感情・エビデンスの三面に分解して眺めると、少し絡みが解けて見えてきますよ。
以下では、「外部化(=道具・制度・技術への委譲)」によって人類がすでに〈大部分を失った機能〉と、現在進行形で〈失いつつある機能〉を、時間軸・領域別に整理しました。
あくまで集団平均の傾向であり、訓練や意識的な実践によって保持・再獲得している人々がいる点はご留意ください。
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| 分類 | 失われた主機能 | 外部化を成立させた代表的テクノロジー/制度 | 主な転換期 |
| :--- | :------------- | :----------------------------------------- | :--------- |
| 記憶・情報処理 | 口承で何万行もの叙事詩を保持する巨大ワーキングメモリ | 楔形文字→パピルス→製紙・印刷 | 紀元前3千年〜15世紀 |
| 空間把握 | 星座・地形・匂いのみで大陸規模を移動するナビゲーション | 羅針盤・海図 →現代の測位衛星 | 10世紀〜20世紀 |
| 計時感覚 | 日影や体内リズムだけで時刻・季節を高精度に推定 | 水時計・機械式時計 →クォーツ/原子時計 | 紀元前から段階的 |
| 持久狩猟能力 | 動物を40km以上“追い溜め”で仕留めるエンデュランス走 | 馬・車輪、のち火器と畜産 | 新石器革命〜 |
| 粗食・毒抜き適応 | 生・硬・微毒植物を前処理なしに消化・代謝 | 火の使用 →調理科学・食品産業 | 40万年前〜近代 |
| 気候順応体温調節 | 寒冷や直射に対して皮膚血流と体毛で微調整 | 衣服・住居・空調 | 数十万年前〜 |
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| 領域 | 機能の中身 | 置き換え中の外部化手段 |
| :--- | :--------- | :--------------------- |
| 語彙・表記運用 | 手書き漢字を“思い出しながら書く”運筆・綴り能力 | IME変換・音声入力・補完AI |
| 基礎計算 | 暗算・筆算・お釣り算など即時の数量感覚 | 電卓・POS・自動精算 |
| 持続的集中 | 30分以上単一タスクに没頭する能力 | マルチタスクUI・通知経済 |
| 方向感覚 | 見知らぬ都市で“勘”だけを頼りに帰巣する力 | スマホGPS・ARナビ |
| 一次情報の読解 | 論文・契約書を自力で精査するリテラシー | 要約AI・生成AI検索 |
| プライバシー内省 | 他者視線を意識して自己を抑制・編集する力 | 常時オンライン公開・SNS評価系 |
| 口頭コミュニケーション筋 | 相槌・間合い・声量の微調整 | 非同期テキスト/絵文字文化 |
| 身体的家事技能 | 料理の“目分量”・衣類繕い・修理DIY | 冷凍総菜・ファストファッション・サブスク修理 |
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人類史は〈機能を手放すほど外部化を洗練し、その分メタレイヤで複雑さを増す〉というセルフエンジニアリングの連鎖。
次に手放すのは “抽象的思考そのもの” かもしれませんが、その先には 「思考のオーケストレーター」 という新階層の知的活動が待っている