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2025-10-19

20251019 BS10[アタック25]2025年10月19日 新作グルメ好き大会 2025-10-19 結果

来週も再放送は土曜昼1時ちょうどから

 

内田雅章@東京

前川裕里恵@滋賀

松嵜圭介@京都

増田勝也@東京

 

BSジャパネクストリニューアルBS10無料放送側で日曜昼などに放送

見られなかったケーブルテレビ局でも見られるようになったので要確認

つながるジャパネットアプリ放送同期・スマートテレビ4月からtverを含め見逃し配信あり

 

-----

今日の答え(放送とは表現が異なる場合があります

・01 [隠し絵][ある郷土料理名前]から蓮根

・02シドニー・)オペラハウス

・03マンボウ

・04 [フランス語]スフレ

・05 べったら(漬け

・06 [3択]2 番

・07ネパール

・08 [すべて]北海道長野鹿児島茨城

・09聖飢魔II せいきまツー

10 [1番]ノーベル賞

11 [ドイツ語]ポルターガイスト

12フェルマー料理

・13 [ポチャッコ][今から見えてくる慣用句]花より団子

・14 8(人

・15宮城(県

・16 LABUBU ラブブ

17 [名物クイズ:立体文字:漢字]鮨

・18 [曲名頭文字]つきよ

・19坂口安吾 さかぐちあん

20 [3択]じゃがいも

・21宮内庁

・22 80(ページ

23 [AC]ルイス・フロイス

24 [3択]20(人

・25 人差し(指

・26金原ひとみ かねはらひとみ

・27クズ

28ブルガリア

・29e [2択]短い

-----

・xx [ある島の名前]角島つのしま

=====

(日曜本放送)このあと今週は14:15からは「BS10からのお知らせ」→「蛍原徹真剣ゴルフ部! ホトオープン #175」

17からは「TH仕事人~おとなの社会科見学~」おせち

(19日日曜日)

Permalink |記事への反応(1) | 14:13

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2025-08-15

私は長いこと自分が抱えているもの勘違いしていた。世間的にはそれを性欲と呼ぶのだろうが、私の性欲はなんというか、他人に触れたいとか、抱きたいとか、そういう欲望とは一切結びつかない、純粋自家発電的なやつだった。いや、そりゃあ夜中に一人でごそごそする程度にはエネルギーはあるのだが、それは誰かに向かって矢を放つような性質のものではなく、むしろ矢を放つ弦がどこにも掛かっていないような状態である。たとえるなら、宛先の書かれていないラブレターを大量に抱えて街をさまよっている感じだ。思春期同級生たちは誰それが可愛いだの、先輩がイケてるだのと青春会議を開いていたが、私はその場にいても心は涼しい顔をしており、頭の中ではまったく別のこと――たとえば近所のたぬきは今夜も元気だろうか、などと――を考えていた。

大学に入ったとき、私は少し変われるかもしれないと思っていた。都会のキャンパス、知らない人々、もしかしたら恋というもの唐突にやってきて、私の性欲もようやく人間社会正規ルートに合流するのではないかと。しか現実はというと、私の四畳半は六畳になっただけで、性欲は相変わらず無対象のまま健在だった。合コンに誘われても、友人たちは可愛い子の名前メモして帰るのに、私は料理唐揚げが妙にカリカリだったことばかり覚えている。たまに「お前はどんな子がタイプなんだ」と問われると困る。そういうときは「文学少女かな」と適当なことを言うのだが、内心では文学少女に対しても別に何も感じていない。むしろ本棚の整理の仕方がきれいだなと感心するくらいだ。

大学生活で最も熱中したのは恋愛ではなく、下宿近くの古本屋巡りだった。特に閉店間際の古本屋はよい。西日の差し込む埃っぽい店内で背表紙を眺めていると、自分の中のどこへも行かない性欲が、まるで古書匂いに溶けて静まっていくような気がする。友人が「昨日彼女と朝まで一緒にいてさ…」と語る頃、私は「昨日は坂口安吾全集初版本を見つけてさ…」と胸を張っていた。熱の方向が違うのだ。

やがて社会人になった。ここでまた、私の内なる性欲にとって試練の場が訪れる。職場というのは、妙に恋愛結婚話題が多い。昼休みには「○○さん、結婚するらしいよ」というニュースが飛び交い、飲み会では「彼女はいるの?」という質問が不意打ちのように飛んでくる。私にとってこれは「冷蔵庫マヨネーズある?」と聞かれるくらい唐突だ。性欲はある。しかし誰ともしたいわけではない。この仕様説明するのはあまりに長く、そして聞き手が求めている答えではない。だから私は笑って「いや、いません」とだけ言い、ジョッキの中身を一口飲む。

社会人になっても私の性欲は、ひとりで完結する道を歩き続けた。仕事終わりに帰宅して、コンビニで買った弁当レンジで温め、机に向かってぼんやりするとき、胸の奥にじんわりとした熱が灯る。それは一瞬、どこかへ向かいそうになるのだが、次の瞬間には元の場所に戻ってきてしまう。まるで、駅のホーム電車に乗ろうとした瞬間に、なぜか引き返してしま旅人のようだ。

そんな私にも、世間一般でいうところの“男の本能”に接近する機会がなかったわけではない。ある年、友人と旅先で酒を飲みすぎた夜のことだ。ほろ酔いというより、すでに体の半分は酒精でできているような状態で、友人が急に「せっかくだから行ってみようぜ」と言い出した。行き先はピンサロである。私は人生初のその類の店に連れて行かれ、心のどこかで「もしかすると、これで私の性欲も人並みに誰かへ向かうかもしれない」という妙な期待を抱いていた。

店内は狭く、暗く、タバコ芳香剤のにおいが混ざった不思議空気が漂っていた。私は半ば流されるままソファに腰を下ろし、出てきた女性を見て一瞬、脳内が真っ白になった。いや、正確には真っ白というよりも、モビルスーツの整備ハンガーのような光景が広がったのだ。そこに立っていたのは、まるで人型兵器のような迫力を備えた女性だった。身長、体格、そして全身から発せられる圧――私の頭の中では、ジムザクではなく、フルアーマーガンダムテーマ曲勝手に流れ出していた。

「どうする?」と問われても、こちらとしてはどうするも何も、立たないものは立たない。あらゆるボタンを押しても起動しないモビルスーツパイロットの気分である相手プロからといって、私のこの仕様を一瞬で書き換えられるわけではない。結果、私はただ笑ってうなずき、何もせず、いや何もできずに時間を過ごした。時計の針が指定された時刻を指したとき、私はきっちり三万円を支払い、店を後にした。外の夜風は妙に冷たく、私はその風に吹かれながら、自分という人間の性欲の形をあらためて痛感した。

普通ならば、こういう経験をすれば何かしらの感情や昂ぶりが残るのだろう。しかし私の場合、残ったのは「ガンダムってやっぱり強そうだな」というどうでもいい感想と、財布の中が軽くなった事実だけだった。旅先でのこの事件は、私にとっての“性欲の実地試験”だったが、結果は見事に不合格であった。

では恋愛はどうか。私は数回、恋をしたことがある。恋をすると、相手と会いたくなるし、話したくなる。手を繋ぎたいと思うこともある。しかしそこから先――いわゆる“したい”という欲望には、やはり変換されない。恋愛感情と性欲が別々の配線で動いていて、互いに干渉しないのだ。結果、恋人から「私のこと、そういう意味では好きじゃないの?」と問われることになる。正直に答えれば、「そういう意味では…たぶんそうじゃない」となる。もちろん相手は納得しない。私だって納得できない。だが事実事実で、私はどう足掻いても対象を伴った性欲を生成できない。

この性質は、付き合う人にとっては相当やっかいだろう。世間的には、性的欲望愛情重要表現の一つとされる。それが欠けていると、愛そのものを疑われる。私がどれほど相手大事に思っていても、その回路が繋がらないのだから説明は難しい。森の奥深くで、互いに違う言語を話す二匹の動物が途方に暮れているような光景が、私と相手の間に広がるのだ。

それでも、三十を過ぎたあたりでようやく思えるようになった。この仕様は欠落ではなく、ただの仕様だと。性欲があるのに対象がいない、それは異常でも病気でもない。ただ、ちょっと不思議な形をしているだけのことだ。世の中には、宛先不明ラブレターを抱えて生きている人間だっている。そう考えると、少しだけ気が楽になる。

今夜も私は四畳半(正確には六畳)の机に向かい、冷えかけたコーヒーを啜る。窓の外では、近所のたぬきゴミ捨て場を漁っているかもしれない。あのたぬきも、もしかすると私と同じく、行き場のないエネルギーを抱えて生きているのではないか。彼らは誰かと交わるためではなく、ただ今夜も腹を満たすために生きている。私の性欲も、それと同じようなものかもしれない。明日もまた、どこへも行かない熱が私の中でぽつぽつと燃え続ける。それはたぶん、悪くないことだ。

Permalink |記事への反応(0) | 02:05

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2025-07-23

anond:20250723212331

自分的には坂口安吾だな

Permalink |記事への反応(0) | 21:34

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2025-07-19

セックスの話。

絶望した気分だったので絶望した話でも書こうと思ったけれど、セックスの話を読みたい奴がいたので、それについて書く。選挙よりもセックス、ってのには同意する。

それに、絶望した人間の話よりもセックスの話の方が面白い。それにも同意する。

最後女の子を抱いたのは3か月前だ。7人目だった。綺麗な指の持ち主で、へその近くに小さな蝶の刺青が可愛らしく彫られていた。華奢な腕と足を持っていて、笑うと可愛らしいえくぼができる子だ。出会った由来はよく覚えていない。酒をずいぶんと飲んでいたし、嫌な気分だった。それこそ今日みたいに、絶望的だった。場所を考えてみるに、たぶん池袋のの飲み屋から出たときに、憂さ晴らしに話しかけたんだ。いわゆるナンパってやつだ。最低、俺はナンパする奴が嫌いだ。へらへらしてるやつが嫌いだ。メンヘラも、妄想も、嫌いだ。

たぶん選挙が嫌いな奴に似てる。いやに現実的妄想が嫌いなのだ妄想現実の間にきっちりとした線が引けない奴は、きっとどうしようもないバカに違いない、と僕は思う

自己嫌悪はともかくとして、彼女は恐ろしく人を怖がらなかった。抱かれている間も何もそれが不思議なことだとは思っていないみたいだった。おとぎ話お嬢様や、ライトノベルヒロインみたいな神秘性もない。ただ、僕(あるいは僕以外の誰でもいいのだろうが)に抱かれるのが普通みたいな顔を終始していた。

僕は、ベッドの中で、彼女の小ぶりなおっぱいを触ってみたり、乳首で遊んでみたりしながら、いろいろ質問をした。彼女はそれらの一つ一つに丁寧に答えてくれたけれど、どこまでが本当なのかはわからない。タバコが好き。28歳。彼氏に振られた直後。坂口安吾が好きで、父親右翼の怪しげな政治団体所属していた。自分そっくりで優しい母親は数年前に交通事故に遭って、コンクリートミキサー車に轢かれて以来、意識を取り戻していない。轢いた犯人正式裁判が始まる直前に拘置所から抜け出して、行方不明になった。その日、父親は不自然に上機嫌な感じで家に帰ってきて、開口一番、神棚に二礼二拍一礼をしていたのだという。

信心深いの。あたしが外で何をしているのかも、全部占いで分かるって言ってた」

「だから君がこうしていても、何も起きないのか」

「たぶんね。外れてばっかりだけど」彼女は言った。「いつも当たってることにしてるわ。あの人、娘には弱いのね。神様はいつもビクビクしてるくせに」

「本気で信じているんだな」

「ええ、本気で」

「でも、神様は君の母さんを目覚めさせたりはしないんだろう?」今思えば、僕はずいぶんとひどい質問をした。「よくそんな神様を信じれるね」

「そうよね」彼女はうなずいた。「でも、あたしには分かるの。あの人、本当は、自分がやったことを神様のおかげだと思い込みたいのよ」

「どういう意味?」

「きっと、殺したんだわ」彼女は言った。「パパはよく人を殺すの」

「どんなふうに?」

「知らないわ。でも確実に殺してる」

「偶然じゃないのか」

「あたしのまわりって、よく人が消えるのよ」彼女は言った。「例えば、あたしが嫌な男に絡まれたとする。あたしがそれをパパに言う。パパはうなずいて、それで終わりよ。1週間もしないうちに消えるわ。そのあと、パパは必ず神様にお祈りする」

「本当に、殺してるのかな」僕は言った。「だって考えてみろよ。もしかしたら本当に、神様が殺してるかもしれないぜ」

あんた、バカなの」彼女は言った。「そんなこと言ったの、あんたが初めて」

「僕も父親人殺し女の子に会うのは初めてだ」僕は起き上がって、タバコを吸いながらそう言った。煙が、どこにもいくことなくただ宙を舞っている。

「ねえ、神様っていると思う?」彼女は、それまでになく真剣そうに言った。僕はしばらく考えてからぶっきらぼうに答えた。

「いて欲しいとは思う。少なくともこんな露骨に嘘ばかりつく女の子を、嘘ばかりつく男に合わせる偶然を作り出す神様がいたら、面白いと思わないか

「変な人」

そこから先はよく覚えていない。僕は体を倒して、それから彼女騎乗位で激しいセックスをして、気が付いたら深く眠り込んでいた。次の瞬間には、僕は部屋に一人で、彼女の姿はどこにもなかった。それこそ、作り話だったのかもしれない。最初から最後まで。彼女存在や僕の経験も全部嘘だったのかもしれない。

Permalink |記事への反応(0) | 23:18

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2025-04-02

言葉の檻 ——ポリティカル・コレクトネスという名の牢獄

わたしは、言葉を失いつつある。いや、正確には奪われつつある。なんとも情けない話だ。作家のはしくれとして生きてきたわたしが、今や何を書いても、何を言っても、非難の嵐にさらされる時代に生きている。

ポリティカル・コレクトネス。なんと美しい響きだろうか。まるで天使の囁きのような言葉だ。しかし、その実態悪魔の鎖であるわたしのような取るに足らない人間でさえ、その重さに喘いでいる。

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昨日、編集者から電話があった。わたしの書いた小説の一節が「不適切」だというのだ。何が不適切なのか、と尋ねると、「現代感覚からすると問題がある」との返事。わたしは笑ってしまった。現代感覚とは何なのか。誰がそれを決めるのか。神か、仏か、それとも自称「正義の味方」たちか。

わたしは酒を飲み、煙草を吸い、そして考えた。この世界は、いつからこんなにも息苦しくなったのだろうか。

言葉狩りの時代。それがわたしたちの生きる現実だ。傷つく人がいるかもしれないという恐怖が、表現の自由を蝕んでいく。もちろん、人を傷つけることが良いとは思わない。わたしのような下らない人間でさえ、そのくらいの分別はある。しかし、あらゆる表現が誰かを傷つける可能性を持つ。そして、その可能性を恐れるあまりわたしたちは自らの首に鎖をかけている。

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カフェ若者たちの会話を聞いていた。彼らは言葉を選び、慎重に話す。時折、「これは言っていいのかな」と互いの顔色を窺う。なんと痛ましい光景か。若さとは本来、無謀で、無遠慮で、時に残酷ものではなかったか。その荒々しさこそが、新しい世界を創り出す原動力だったはずだ。

しかし今、彼らは自らの言葉に恐怖している。正しくあろうとするあまり魂の叫びを押し殺している。これもまた、ポリティカル・コレクトネスの名の下に行われる暴力ではないか

わたしは彼らに同情する。いや、羨ましくもある。少なくとも彼らには、正しくあろうとする意志がある。わたしのような腐りきった人間には、もはやそれさえも失われている。

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ある作家が言っていた。「現代は、言葉カロリー計算される時代だ」と。なんと的確な表現だろう。かつて言葉は、魂の叫びであり、情熱の発露であった。しかし今、それは栄養成分表示のついた加工食品のようなものになってしまった。

脂肪分(攻撃性)ゼロ、糖分(皮肉)控えめ、添加物偏見)不使用。そんな無味無臭言葉に、いったい何の価値があるのだろうか。

太宰治坂口安吾中原中也が今の時代に生きていたら、おそらく一行も書けなかっただろう。彼らの言葉は、時に毒を含み、時に差別的で、時に自己憐憫に満ちていた。しかし、その不純物こそが、彼らの文学人間臭いものにしていたのだ。

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わたしは先日、ある講演会に出席した。そこでは「包摂的な言語」について熱心に語られていた。確かに、その理念は美しい。誰も排除せず、誰もが尊重される世界わたしのような醜い人間でさえ、その理想に心を動かされる。

しかし、その方法には首を傾げざるを得なかった。言葉規制によって、心の自由を獲得できるのだろうか。表面的な言葉遣いを変えることで、本当の意味での尊重が生まれるのだろうか。

この問いに、わたしは答えを持ち合わせていない。ただ、言葉の海で溺れているような感覚がある。かつては自由に泳げた海が、今や無数の見えない境界線で区切られている。その境界を越えれば、即座に非難の嵐が吹き荒れる。

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自己検閲。それが現代人の宿命だ。書く前に、話す前に、考える前に、わたしたちは自らの内なる検閲官に従う。「これは言ってもいいだろうか」「これは書いてもいいだろうか」。この絶え間ない自問自答が、わたしたちの精神疲弊させる。

ポリティカル・コレクトネスの最大の罪は、この自己検閲内面化させたことだ。もはや外部から規制すら必要ない。わたしたちは自らの思考を縛り、自らの言葉を奪う。なんと効率的支配だろうか。

わたしは、自らの卑小さを嘆く。この時代抗うこともできず、かといって従うこともできず、ただ酒に溺れ、無力感に打ちひしがれる。情けない男だ。本当に情けない。

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しかし、時折思うのだ。言葉の真の力とは何か、と。

それは、決して「正しさ」ではない。むしろ、「間違いさえも包含する自由」ではないだろうか。太宰治も、芥川龍之介も、彼らは「正しく」なかった。時に差別的で、時に自己中心的で、時に残酷だった。しかし、その不完全さこそが、彼らの文学人間的なものにしていた。

完璧に正しい言葉など、この世に存在しない。あるのは、ただ真実を求める不完全な魂の叫びだけだ。

ポリティカル・コレクトネスという名の牢獄に閉じ込められた今、わたしはその壁を叩き続ける。微かな音だ。誰にも届かないかもしれない。しかし、それでも叩き続ける。

これが、わたしのような取るに足らない人間にできる、最後抵抗なのだから

Permalink |記事への反応(0) | 01:16

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2025-03-20

堕落しきった生活を受け入れるな、聞け

堕落しきった生活を良しとするな。

・そう思ったきっか

私のどうしようもない旦那の話。

彼は最近自身SNSで、SS程度の文字数の作文を皆に公開した。

内容を要約すると”僕は死が大好き。自死咎められるものではない。死の匂いを感じながら堕落しきるのは人間らしく美しい”みたいな。

彼は坂口安吾堕落論に感銘を受けたと言っていた。

正直に言わせてもらう。はぁ?

まず旦那がどんな奴かバックグラウンドを知ってもらう必要がある。

彼は20代前半で私と結構歳が離れている。

自傷癖があり、頻繁に自殺未遂を繰り返したり、酒癖が悪く私のことを殴り2回捕まったこともある。

今は働かず動画投稿サイトで女ファンチヤホヤされ、昼間から酒を呑み、家事もろくにせず私の金で酒やらタバコやらを買う生活だ。

なんらかの精神病を患っていると思われるが、本人は一切受診しないし、通ってもすぐ辞める。

曰く、心の闇は薬なんかじゃ消えないから、だそうだ。

の割に、自身精神状態が悪いことを盾にしてくる。

動画投稿撮影をするために外出したり配信する気力はあるが、皿洗いはしない。

独身のふりしてファンと繋がり裏でコソコソDMしたりする。

そんな人間だ。

それでも必死に支えてきた。

彼が前向きに頑張りたいと、自分を変えたいと言うから私は見捨てず傍で支えたつもりだ。

しかし私にも限界があるし、もう無理。

なのでつい先日離婚した。

そんなろくでなし男が、”堕落しきった生活は美しい”だの、”自殺咎めるべきでない”だの言う。

おかしいだろ。

いいよな、お前は好き勝手暴れて人に迷惑かけてきたくせに、自分ライフスタイルを愛せて、今もなお継続中なんて。

その時点でかなり強靭メンタルを持っている。

まず底辺生活でもお前が生きてこれたのは、私が働いて得た収入支援があるからだということを忘れるなと言いたい。

これから離れて暮らして一人の生活になった時、果たして同じように自身生活を愛せるのだろうか、彼は。

そんな甘ったれ男がZ世代の多感な女の子らに対して所謂メンヘラ”でいることを許容するような発言をしている。

無責任にも程があるだろw

そのまま何も頑張れない君でいい、死にたがってる君は美しいだの綺麗事を並べているのを見ると腹が立つ。

悩んでる人間がそんな言葉をかけられたら、そりゃ喜ぶだろう。

実際、何人もいるフォロワー女の子からは大絶賛を受けているそうな。

貴方のおかげで気が楽になりました”

という声が多いらしい。

でも言ってる当の本人を見ろ。

実家から援助を受けたり、私の人生搾取しながら好きな生き方をしたり、恵まれている環境であぐらをかきながら偉そうにそんなこと言ってるんだぞ。

どう思う?君はもっと酷い環境で辛い思いをしてるんじゃないか

とにかく許せない。

かに人生どん底まで落ちて、もがいた時に生きる意味を見つけることもあるからそういう意味では堕ちるのも悪くはない。

しかし、人はいつかそこから必ず這い上がる努力をしなくてはならない。

このままの生活享受してしまったらあとは糞製造機になる。

思考停止状態気持ちいいのは理解出来る。

そして彼は坂口安吾堕落論を参考に文章を作ったらしいが、どうも自分の都合がいいように捻じ曲げて解釈している気がする。

昨今の風潮として、メンヘラ可愛いだのエモいだの言われる場面が多々あるので、そういう話がウケるのも理解している。

しかし、言っている当の本人は君の人生に何も責任を持つつもりはないし、ただ自分正当化するために発信しているだけだ。

誰かを救おうという気持ちはもしかしたらあるかもしれないが、それは”貴方のおかげで救われました”という言葉がほしいだけだ。

もしくは、一時のヒーロー発言で本当に一人の人間を救えたと思っている馬鹿者だ。

いか、人には誰しも辛くて苦しくて死にたくなる時がくる。

そこから逃げたり、他の人や物に依存して紛らわしても何も得られない。

転び方を学んでおかないと、この先大怪我をするし誰も助けてはくれない。

うざいよな、こう言われると。

お前に何がわかるって言いたいんだろう。

答え:何も分からない、知らん。

けど、いつか起き上がれるように、ムカついた感情ごと頭の片隅にそっと置いててほしい。

他人に任せちゃだめなんだって、いつか思い出してほしい。

心が辛いなら赤の他人にすがるのでなく、まず通院してみよう。

他人は君のことを最後まで面倒は見てくれないぞ。

それか行政や適切なサポートを頼るのも良い。

重要なのは素人ではなくプロ意見を聞こうってところ。

繰り返すが、逃げてもいいんだよ、という言葉に惑わされるな。

君の人生自分で考えていくしかないんだ。

そこで葛藤して初めて強くなれる。

今死にたがってる人には伝わらないと思うが、生きていれば分かる日がくる。

自らを鼓舞して生きろ。

お前の人生を誰かの無責任発言に委ねちゃだめだ。

そしてこのデタラメ男みたいになるな。

簡単に逃げてもいいとか、死にたかったら死んでもいいとか悩んでる人に言うな。

言われた本人はそれを真に受けて、どんどん救えない人間になる。

その前に嫌われる覚悟で、耳が痛い言葉を言ってあげるのも一つの愛だよ。

それでその人が離れていくならそれまでだ。

私は結局彼を救えなかった。

昔の私は、耳障りのいい言葉を並べて彼の性格を受け入れてしまたからだ。

2回DVされても被害届を取り下げ、彼を受けいれた。

私もろくでなし女だった。

もう同じ失敗を誰にもしてほしくない。

昔の私のように、彼のような人間を産み出す人が増えないように、そして、二度と彼の言葉を信じて堕落しきる人間が増えないように書かせてもらった。

ここまで読んでくれてありがとう

Permalink |記事への反応(1) | 22:04

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2024-11-30

岡本太郎の『自分の中に毒を持て』を読み進めている。

共感できる部分が多々あり、座右の書として挙げる人が多いのも納得の内容に感じる。

坂口安吾氏、岡本太郎氏、太宰治氏といった、無頼自由孤独の人たちの話に興味が湧くようだ。

人は一人で生まれて一人で死ぬ、独生独死独去独来とはよく言うが、「二人で居ても片想い」というのは思い至らず、興味深い視点だった。

相手への思いが両者間の均衡を保つことはほとんどなく、どちらかが一方的に思いを深めることになり、それは片想いに他ならない。

自分と同じだけの思いを返してくれるとは限らないし、死別することもあり得る。

だが、それこそが恋愛だと覚悟し、敢えて孤独を受け入れるのが、かえって人生記憶に残る恋愛経験を育むことに繋がるのかもしれない。

Permalink |記事への反応(0) | 05:18

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2024-06-06

anond:20240606103333

双葉山呉清源がジコーサマに入門したという。

呉八段は入門して益々強く、日本の碁打はナデ切りのウキメを見せられている。

呉八段が最近しきりに読売新聞碁をうち、バクダイな料金を要求するのも、ジコーサマの兵タン資金を一手に引きうけているせいらしい。

僕も読売のキカクで呉清源と一局対局した。そのとき読売の曰く、呉清源の対局料がバカ高くて、それだけで文化部の金が大半食われる始末だから

安吾氏は対局料もベン当代も電車チンも全部タダにして下され、というわけで、つまり私も遠廻しにジコーサマへ献金した形になっているのである。南無テンニ照妙々々。

双葉や呉氏の心境は決して一般には通用しない。

然し、そこには、勝負世界の悲痛な性格が、にじみでゝもいるのだ。

文化高まるにしたがって、人間迷信的になるものだ、ということを皆さんは理解されるであろうか。

角力トリのある人々は目に一丁字もないかも知れぬが、彼らは、否、すぐれた力士は高度の文化である

なぜなら、角力技術通達し、技術によって時代に通じているからだ。

角力攻撃の速度も、仕掛けの速度や呼吸も、防禦の法も、時代文化に相応しているものであるから

角力技の深奥に通じる彼らは、時代の最も高度の技術専門家の一人であり、文化人でもあるのである

目に一丁字もないことは問題ではない。

高度の文化人、複雑な心理家は、きわめて迷信に通じ易い崖を歩いているものだ。

自力のあらゆる検討のあげく、限度と絶望を知っているから。

すぐれた魂ほど、大きく悩む。大きく、もだえる。

力士双葉山、大碁家呉八段、この独創的な二人の天才がジコーサマに入門したことには、むしろ悲痛な天才苦悶があったと私は思う。

ジコーサマの滑稽な性格によって、二人の天才の魂の苦悩を笑殺することは、大いなるマチガイである

太宰治情死考 坂口安吾

https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/43137_30135.html

Permalink |記事への反応(0) | 10:50

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2024-05-21

anond:20240521183650

もう電燈もガスも鉄道もある、道義人情仁愛もある、法律もあり統制された秩序もある、だから中世じゃない、こう考えて、そのカミシモを疑うことを知らなかった。

このカミシモが今日まで伝承完成するに千年ほども時間がかゝっているのだから、これはもうカラダの一部分だというぐらいに誰しも考えていたのであったが、

アニはからんや、戦争が二三年つゞくと、千年の時間がアッサリ消えてもとに戻り、我々はもうカミシモを身につけていないことに気がついたわけだ。

正しい思想というものは、オレと大衆の優劣感のあるところから生れたものではあり得ない。

大衆の代りにブルジョアがあってもならぬ。

まり、たゞ人間キリスト原罪とき孔子生活原理に仁を見た。

ともかく人間から出発しなければならぬ。

何千年逆転してもかまわぬ

モロモロの何千年の時間、カミシモはすべてムダであったと見なければならぬ。

人間性は万人に於て変りはない。

罪人に於ても聖人に於ても変りはない。

この自覚の行われざる社会に於て、いかなるカミシモをつくりだしても、折あれば中世の群盗精神へ逆転する、それだけのものにすぎないのである

現代詐術 坂口安吾

https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42811_26156.html

Permalink |記事への反応(1) | 22:23

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2024-05-19

[Webクリップ]

人間は、決して、親の子ではない。

キリストと同じように、みんな牛小屋便所の中かなんかに生れているのである

親がなくとも、子が育つ。ウソです。

親があっても、子が育つんだ。

親なんて、バカな奴が、人間づらして、親づらして、腹がふくれて、にわかに慌てゝ、親らしくなりやがった出来損いが、

動物とも人間もつかない変テコリン憐れみをかけて、陰にこもって子供を育てやがる。

親がなきゃ、子供は、もっと、立派に育つよ。

不良少年キリスト 坂口安吾

https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42840_24908.html

Permalink |記事への反応(0) | 18:55

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自然主義文学

国木田独歩氏の『源おじ』は、妻を二人目の出産で失い、残された子を水難で失い、一人で舟渡しを営みつつ老境に至るところを、ある乞食の子との縁があり、我が子と思うように世話するも、乞食からはさしたる恩も情も返されず、夢に出る内心では妻や実子に対する後ろめたさを抱えつつ、ついには乞食に去られ、舟も嵐で失い、生活にも仕事にも支えを失い、首を吊って死ぬという、救いのない話になっている。

だが、まさにこれこそ自然主義文学という感じもした。運命宿命からはみ出ようとする人間意志容赦なく飲み込む決定論世界観を感じさせる。

夏目漱石氏が言うところの「理想」を坂口安吾氏は「モラル」と呼んでいたが、それがないことに対する解釈の違いが興味深い。世間の潮流の移ろいに伴い、自然主義も興亡していったのであろう。

実はこれこれで、あなた金剛石を弁償するため、こんな無理をして、その無理が祟って、今でもこの通りだと、

逐一を述べ立てると先方の女は笑いながら、あの金剛石は練物ですよと云ったそうです。

それでおしまいです。

これは例のモーパッサン氏の作であります

最後の一句は大に振ったもので、定めてモーパッサン氏の大得意なところと思われます

軽薄な巴里社会真相はさもこうあるだろう穿ち得て妙だと手を拍ちたくなるかも知れません。

そこがこの作の理想のあるところで、そこがこの作の不愉快なところであります

よくせきの場合から細君が虚栄心を折って、田舎育ちの山出し女とまで成り下がって、何年の間か苦心の末、身に釣り合わぬ借金を奇麗に返したのは立派な心がけで立派な行動であるからして、

もしモーパッサン氏に一点の道義的同情があるならば、少くともこの細君の心行きを活かしてやらなければすまない訳でありましょう。

ところが奥さんのせっかくの丹精がいっこう活きておりません。

積極的にと云うと言い過ぎるかも知れぬけれども、暗に人から瞞されて、働かないでもすんだところを、無理に馬鹿気た働きをした事になっているから、

奥さんの実着な勤勉は、精神的にも、物質的にも何らの報酬モーパッサン氏もしくは読者から得る事ができないようになってしまます

同情を表してやりたくても馬鹿気ているから、表されないのです。

それと云うのは最後の一句があって、作者が妙に穿った軽薄な落ちを作ったからであります

この一句のために、モーパッサン氏は徳義心に富める天下の読者をして、適当なる目的物に同情を表する事ができないようにしてしまいました。

同情を表すべき善行をかきながら、同情を表してはならぬと禁じたのがこの作であります

いくら真相穿つにしても、善の理想をこう害しては、私には賛成できません。

文芸哲学的基礎 夏目漱石

https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/755_14963.html

愛くるしくて、心が優しくて、すべて美徳ばかりで悪さというものが何もない可憐少女が、

森のお婆さんの病気を見舞に行って、お婆さんに化けている狼にムシャムシャ食べられてしまう。

私達はいきなりそこで突き放されて、何か約束が違ったような感じで戸惑いしながら、

然し、思わず目を打たれて、プツンとちょん切られた空しい余白に、非常に静かな、しかも透明な、ひとつの切ない「ふるさと」を見ないでしょうか。

その余白の中にくりひろげられ、私の目に沁みる風景は、可憐少女がただ狼にムシャムシャ食べられているという残酷ないやらしいような風景ですが、

然し、それが私の心を打つ打ち方は、若干やりきれなくて切ないものではあるにしても、

決して、不潔とか、不透明というものではありません。

何か、氷を抱きしめたような、切ない悲しさ、美しさ、であります

文学のふるさと 坂口安吾

https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/44919_23669.html

そこで私はこう思わずはいられぬのです。

まりモラルがない、とか、突き放す、ということ、それは文学として成立たないように思われるけれども、

我々の生きる道にはどうしてもそのようでなければならぬ崖があって、

そこでは、モラルがない、ということ自体が、モラルなのだ、と。

文学のふるさと 坂口安吾

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Permalink |記事への反応(0) | 11:04

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2024-04-16

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私のやうに諦めよく、楽天的人間といふものは、凡そタノモシサといふもの微塵もないので、たよりないこと夥しく、

まり私は祖国と共にアッサリと亡びることを覚悟したが、死ぬまでは酒でも飲んで碁を打つてゐる考へなので、

祖国の急に馳せつけるなどゝいふ心掛けは全くなかつた。

その代り、共に亡びることも憎んでをらず、第一、てんで戦争を呪つてゐなかつた。

呪ふどころか、生れて以来始めての壮大な見世物のつもりで、まつたく見とれて、面白がつてゐたのであつた。

私が最も怖れてゐたのは兵隊にとられることであつたが、それは戦場へでるとか死ぬといふことではなくて、

物の道理を知らない小僧みたいな将校命令されたり、ブン殴られるといふことだけを大いに呪つてゐたのである

ぐうたら戦記 坂口安吾

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2024-04-14

anond:20240414123952

書く方には限度がないが、現実人間には限度があるから、そんなに書いたってもうだめという一線に至って悲劇が起る。

思うに彼の作品も限度に達した。

こうなって欲しいという願望の作風が頂点に達し或いは底をつき、現実とのギャップを支えることができなくなったから、

彼には芸術上の転機が必要となり、自らカラを突き破り、その作品の基底に於て現実と同じ地盤に立ち戻り立ち直ることが必要となった。

然しそれが難なく行い得るものならば芸術家に悲劇というものはないのである

オモチャ箱 坂口安吾

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Permalink |記事への反応(0) | 12:43

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2024-04-12

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自由というものは重荷なもので、お前の自由に存分の力作をたのむ、と言われると却って困却することが多い。

本当に書きたいもの、書かずにいられぬものはそう幾つもあるものではないからだ。

から通俗雑誌などから注文をつけられたり、こんなことを書いてくれと言われると、

却ってそれをキッカケに独自作家活動が起り易いもの、なぜなら、

作家自分一人であれこれ考えている時は自分の既成の限界に縛られそこから出にくいものであり、

から思いも寄らない糸口を与えられると、自分の既成の限界をはみだして予測し得ざる活動を起し新らたな自我発見し加えることができ易いからだ。

から、誰からもうるさいことを言われず、家庭のキズナを離れ、思う存分に傑作を書きたいなどとは空疎念仏にすぎず、

傑作は鼻唄まじりでも喧噪の巷に於ても書きうるもの

閑静な部屋でジックリ腰でもすえればそれで傑作が書けるというような考えは悲惨迷信だ。

オモチャ箱 坂口安吾

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2024-04-11

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まり匿名批評文士には職人根性が欠けているのですよ。

商品でなければならん。読み物でなければならん、という大事根性がなければ、

すでに職人ではないし、したがって本職ではない。

まり素人なんです。

いか文士であるあなた自身が強弁しても、あなた素人だ。

本職というものは、もっと仕事に忠実で、打ちこむものだし、手をぬくことを何よりもイサギヨシとせぬもので、

あなた方のような雑な仕事をしながら、本職の文章をアレコレ云うのはまちがっていますよ。

戦後文章論 坂口安吾

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Permalink |記事への反応(1) | 16:01

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新人というのは、職業人としての新人として意味があることで、職業人以外は余技にすぎず、

朝日新聞文化賞へ、アマチュアスポーツを加えているのは滑稽千万の話である

職業というもの尊いものだ。

なぜなら、そこにその人の一生が賭けられ、生活が賭けられているからだ。

金銭もかけられている。

から尊いので、金銭のかゝらないものは尊くない。

戦後新人論 坂口安吾

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Permalink |記事への反応(0) | 15:42

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2024-02-17

anond:20240217135027

「都ではお喋りができるから退屈しないよ。私は山は退屈で嫌いさ」

「お前はお喋りが退屈でないのか」

「あたりまえさ。誰だって喋っていれば退屈しないものだよ」

「俺は喋れば喋るほど退屈するのになあ」

「お前は喋らないから退屈なのさ」

「そんなことがあるものか。喋ると退屈するから喋らないのだ」

「でも喋ってごらんよ。きっと退屈を忘れるから

「何を」

「何でも喋りたいことをさ」

「喋りたいことなんかあるものか」

はいまいましがってアクビをしました。

桜の森の満開の下 坂口安吾

https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42618_21410.html

Permalink |記事への反応(0) | 13:53

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2024-01-17

anond:20240117104008

私は将棋は知らない。

けれども棋書や解説書や棋士言葉などから私流に判断して、日本には将棋はあったが、まだ本当の将棋勝負がなかったのじゃないかと思う。

勝負の鬼と云われた木村名人でも、実際はまだ将棋であって、勝負じゃない。

そして、はじめて本当の勝負というものをやりだしたのが升田八段と私は思う。

升田八段は型だの定跡を放念して、常にたゞ、相手が一手さす、その一手だけが相手で、その一手に対して自分が一手勝ちすればよい、それが彼の将棋原則なのだろうと私は思う。

坂口流の将棋観 坂口安吾

https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42829_26847.html

本当の勝負というものタイムではなくて、相手自分より一米出ているから、これを抜いてでる、これを力といい、レースという。

吉岡は百米を何十歩だかで走り、そのきまった歩数で走る時によいレコードがでるというようなことを言っていたが、

そのような独走的な、又、無抵抗ものは、単に机上の算数であって、力というものではない。

レース相手とせりあうことによって、相手をぬいて行く力を言うのである

世界新記録病 坂口安吾

https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/43181_21393.html

Permalink |記事への反応(0) | 10:45

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2024-01-06

anond:20240105145424

人が自らの利益のみを一方的に主張するには勇猛心がいる。

然し徒党をくんでこれを為す時には勇気はいらぬ。

隣組座、マーケット座、この組合的結合には、やっぱり善人的蒙昧がある。

他の立場に対する省察自我、我慾、罪への批判全般的情勢に就ての公平なる観察、それらのものは、もはや必要ではない。

それらのものが有るならば、人は勇気なくして我慾を主張しうるものではない。

即ち既に中世より、古代より、かゝる善人はたくさんいた。

善人尚もて往生を遂ぐ、即ち危く素懐をとげる、いわんや悪人をや。

わが罪を自覚する故に、悲愴に又勇猛心をもって悪へ踏みきる罪の子は、神前座席に於ては善人よりも愛せられるのである

現代詐術 坂口安吾

https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42811_26156.html

Permalink |記事への反応(0) | 09:15

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2023-12-11

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「女とちがって男にはそうカンタンに口がないよ」

「なんでもするつもりなら必ずあるよ。ないと思うのはお前さんが怠け者だからよ。そこに気がつかないようだから、お前さんはタタミの上に住める身分じゃないんだよ。ドブの中へ消えちまう方が身にあってるのさ」

「よっぽどミミズと思いてえらしいけど、実はオレはこう見えてもシンから人間なんだ。先祖代々人間だ」

「当り前じゃないか

「それを知ってたら戻ってもらいたい。ホレ、この通り手をついてたのむ。今後は亭主風は吹かせない。お前が毎晩帰ってくると熱い湯をわかしておいて背中や手足をふいてやって、夏のうちはお前がねるまでウチワであおいでやる」

「お前さんは自分が働こうという気持がまだ起きないのだね。私はウチワや蒸しタオルと同居したくて生れてきたワケじゃアないからね」

「分らねえ人だね。そのウチワを動かすのや蒸しタオルをしぼるのがオレという人間から、ここが人間の値打なんだ。一生ケンメイにそういう値打のあることをやるから戻ってくれとこういうワケだ。分ったろう」

人間の値打は働いて女房子供を安楽に養うことだよ。ミミズはさッさと戻んな。もう二度と来ないでおくれ」

人生案内 坂口安吾

https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/43246_23707.html

Permalink |記事への反応(1) | 15:26

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2023-12-09

なんでもYouTubeでいい

高層マンションの一室を買わなくても、都会の夜景ライブカメラテレビに映しながら晩御飯を食べればいい

新幹線に乗って旅にでなくても、東京博多間の車窓動画を見ながら酒を飲めばいい

一晩100万円のスイートルーム宿泊しなくても、HIKAKINスイートルーム宿泊動画を見ればいい

遊覧ヘリプライベートジェットエベレスト登頂も宇宙遊泳も全部動画でいい

既に誰かがやってくれている

一体、人々は、「空想」という文字を、「現実」に対立させて考えるのが間違いの元である

私達人間は、人生五十年として、そのうちの五年分くらいは空想に費しているものだ。

人間自身存在が「現実であるならば、現に其の人間によって生み出される空想が、単に、形が無いからと言って、なんで「現実」でないことがある。

実物を掴まなければ承知出来ないと言うのか。

掴むことが出来ないか空想空想として、これほども現実であるというのだ。

大体人間というものは、空想と実際との食い違いの中に気息奄々として(拙者なぞは白熱的に熱狂して――)暮すところの儚い生物にすぎないものだ。

この大いなる矛盾のおかげで、この箆棒な儚なさのおかげで、兎も角も豚でなく、蟻でなく、幸いにして人である、と言うようなものである人間というものは。

FARCE に就て 坂口安吾

https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/61138_77615.html

Permalink |記事への反応(1) | 20:14

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2023-12-05

anond:20231205102830

まず大体に於て、人間空想も、一九四五年八月六日のバクダン以前までは、科学とトコトンのところまで、行っていた。

我々の祖先無限空想力といえども、その魔法神通力忍術のすべてをあげて、八月六日のバクダンを夢みてはいないのである

夢みることができなかったのだ。

このバクダンに至って、そのエネルギーは、ついに空想ハミダシ、空想限界を超えてしまったのである

筑紫なる梅のオトドが雷となって落ちたところで、せいぜい千ポンドバクダンぐらいのことだろう。

筑紫一国、山の狸も、池のミミズに至るまで、ピカドンという一瞬に焼けてなくなるなどゝは、誰一人、夢想することも出来なかった。

空想限界を超えるに至っては、これはもはや人間のものではなく、まさしく悪魔の兇器である

それのもたらす被害は、当然利益よりも甚大であり、今日まで戦争がもたらした効能も、

この悪魔バクダン以後は、ついに被害を上廻ることは出来ないであろう。

戦争論 坂口安吾

https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/43143_31893.html

Permalink |記事への反応(0) | 11:18

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2023-12-04

街コン備忘録&今後の戦略について

先日街コンに初めて参加したのでレポと今後の戦略を考える

街コンレポ

25歳、女、身長150cm体重40kg、女版チー牛(一重アデノイド顔貌)

  • 料金

1000円でお釣りがきた

男性側は7500円位

ソファ席に1対1で着席

10分程度で席替えの案内があり、男性側が隣に移動。トータルで7,8人と会話できた

席替えの前に連絡先交換するようアナウンスがある

プロフィールカードがあるため、それを見ながら会話

20代もいたが年齢が高め(30~38)な方が多かった。真面目そうな方が多い印象

事前にレポなどを見ていて『オタク』『結婚できなそうな人』が来る場所だと思っていたが、

そんなことはなく楽しく会話できた人が多かった(プロフ趣味欄に婚活と書いてある化け物もいたが)

正直イケメン出会いたければマッチングアプリの方が良さそう

反省

プロフィールカード記載内容は事前に考えておくべき

ほとんどこれを見ながら会話するので

記載内容をみて話題を振りやすい or 同じ趣味の人がいれば盛り上がれるべきか、を考えて記載必要だった

これをしっかり書いていれば話題が切れることがない

項目ごとに反省点を書いていく

会社員』と書いたがアンケートではないので何をしているか細かく書くべきだった。

割と細かく書いたほうがわかりやすいと感じた

(『SEIT関連』ではなく『銀行システム開発』など)

何も考えず適当に書いてしまったが、『努力すれば誰にでも当てはまる』ことを書いた方がウケが良さそう

笑顔が素敵な人』『一緒にいて楽しい人』『趣味を共有できる人 』etc...

『優しい人』は漠然としすぎていて微妙かな

メジャー趣味2つと何しているのかはイメージが湧くが、あまり被らなそうなもの1つを書くのがバランス良さそう

多かったのは『旅行』『フェス』『スポーツ観戦』

この項目単体だと話題が広がらないので、趣味に繋がることを書いた方がいい

プリン』→純喫茶巡りが好きで、、

ラーメン』→全国の二郎系ラーメン巡りが旅行目的、とか

カレーと書いている人に「南インド北インドどちらが好きか」を聞いたらは?という顔をされて悲しかった

アホなので『家でのんびりする』と書いたが「インドアなんですね、、」と広げようがないのでやめた方がいい

好きな食べ物と同じく、趣味に繋がるものを書く

「本...?」となり坂口安吾と書いたが、他に作家を書いている人はいなかったので

有名で最近流行っている「好きなキャラなんですか?」と質問やす漫画を書くべき(呪術フリーレン、ちいかわなど)

映画も『ハリーポッター』を書いている人がいて、話題を広げやすかった

同性の芸能人 or漫才グループ orスポーツ選手の3択

イケメン俳優名前を書いたけど、話題として上げにくい

正直こちらも「有村架純」や「ガッキー」と書かれていても可愛いもんね、、以外の感想がなかった

  • 最近気になっていること

これも趣味の延長線上になり、デートに誘いやすそうなことを書く

ペンギン動画はまっている』→水族館いこう

ラグビー試合youtubeで見て面白いなと思った』→試合一緒に見にいく

誰が誰だったか連絡先を見ても思い出せない

ラインを交換した時点で名前の部分に年齢くらいは追記しといたほうがいいか

席移動の際や終わった後に、自分プロフィールや会話した内容を送ってくださる男性もいた

相手の目を見て、大きな声で、はっきりと話す

相手の目を見ていない、目が泳いでいるとかなり気になる

また、周りも話しているのでかなりガヤガヤしており

早口だと聞き取れず気まずくなるため会話の仕方は(苦手であれば)練習するのが無難

年齢がバラバラ

自分と同じような年齢の人と会いたかったので、20代限定など条件付きのところに参加した方がよかったか

年収などもプロフに書くわけではなく、自分から言うのも感じ悪いので強みが年収の人は『年収〇〇万円以上』の街コンに参加するべき

街コン終わってから

終わった後に予定を入れていたが「この後ご飯行きません?」と誘われたので予定を空けといた方がスムーズ

マッチングアプリに比べ街コンのよかった点


その他

男性から話を引き出そうとしてくれると好印象だった

隣の女性が褒め上手だなと思い、後で聞いたら過去キャバクラ勤務経験があったらしい

私は容姿が終わっているので、女性優位のマッチングアプリですらなかなかマッチできなかったが

今回の街コンの中では若いのと会話は普通にできるので、6人ライン交換をして4人にご飯誘われる感じだった

Permalink |記事への反応(1) | 20:03

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2023-12-03

anond:20231203133152

Vtuber雑談配信を聴きながら坂口安吾白痴を読むと濃いのが出るンゴねぇ

Permalink |記事への反応(0) | 18:43

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貧乏の子沢山というが、五反百姓に十八人も子供がいるような日本

天然資源的に見れば取り代えるオシメにも事欠く程度の素寒貧だし、

持てる五反の畑も人里はなれて山のテッペンに近いような、

もしくは湖水の中の小島のような不便なところに孤立して細々と貧乏ぐらしを立てている。

気のきいた泥棒も、気のきかない泥棒も、そんなところへ物を盗みに行くはずがないじゃないか

しかるにそこの貧乏オヤジ泥棒きたるべしとダンビラを買いこみ朝な夕なネタバをあわせ、

そのために十八人の子供のオマンマは益々半減し、豊富なのは天井クモの巣だけ、

そのクモの巣をすかして屋根の諸方の孔から東西南北の空が見えるという小屋の中でダンビラだけ光ってやがる。

ここのウチへ間抜け泥棒が忍びこむよりも、このオヤジ殺人強盗に転ずる率が多いのは分りきった話じゃないか

もう軍備はいらない 坂口安吾

https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/45748_24336.html

Permalink |記事への反応(0) | 11:27

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