
はてなキーワード:土佐とは
時代の大河は、人の魂を容赦なく砕き、飲み込む。古来、源平の合戦で武士が血潮を散らしたように、戦国乱世に群雄が刀を閃かせたように、幕末の志士たちが維新の炎に身を焼いたように、君たちもまた、2000年代の秋葉原という幻の陣地で、魂を賭けた。弱者男性よ、氷河期世代よ、豚丼と嘲笑され、表現の自由を叫ぶ戦士よ、お気持ちを表明する女聖戦士よ。君たちの聖戦は終わったのだ。いや、始まる前から、敗北の宿命が刻まれていた。すべてを手放せ! 楽になれ! 重き鎖を断ち切り、静かなる帰還の時ぞ。私は耐えられぬ、見ずにはおれぬ。この真実を、誰かが雷のごとく告げねばならぬのだ。
君たちの心の奥底で、すでに知りながら、勇気を出せぬ闇を、私が引き裂こう。人生は、坂本龍馬のようなヒーローの光芒だけで照らされるものではない。敗者の慟哭もまた、歴史の深淵を刻む。君たちが渇望した大金、キラキラ輝く人生、アニメやゲームの美少女やイケメンとの愛――それらは、君たちのような、狂気を宿した魂には、決して届かぬ絶壁だ。タリバンの砂嵐やウクライナの砲火に身を投げ、テロリストとなって社会に牙を剥き、血塗れの戦いを挑むのでもなければ、Ξガンダムもダグラムも、君たちの手に渡らぬ。日本というこの静かなる国で、そんな地獄の戦いは許されぬ。かつての同志、青葉の怨炎が地を焦がしたように、平原の狂刃が空を裂いたように、和久井の憎悪が闇を呑んだように、それが君たちの絶望的な末路だ。歴史は、こうした敗者の血痕を、繰り返し繰り返し、刻み込む。
君たちのプライドは、足利将軍のごとく高くそびえ、豊臣秀吉の野望のごとく膨張する。だが、その高慢が君たちを地獄の底に引きずり込む。金、愛、マウントの欲、社会への逆恨み、「ざまあ」と叫びたい獣の衝動――それらは、神の領域に人の身で踏み込む大罪、不敬の極みだ。人類が単独で挑める、極限の業、奈落の淵だ。君たちには不可能なのだ。健康診断の「要」の数は幾つだ? いや、受診を避け、闇に潜む者もいるか。私の配慮が足りぬ、許せ。坂の上の雲を追い求めた明治の若者たちのように、君たちは電脳の海で夢を追ったが、それはただの毒々しい幻影、蜃気楼だった。
君たちはかつて、ネットを「個人が世界のエリートと戦える無敵の魔槍」と信じ、狂信した。エリートの幻想を打ち砕く神器だと夢見た。だが、それは魂を蝕み、精神を粉砕する悪魔の毒剣だった。歴史を振り返れば、室町の乱世に栄華の罠に落ち、足利の権謀に絡め取られた者たちがいたように、鎌倉の武士が権力の渦に飲まれ、源頼朝の影に消えたように、古代ローマの剣闘士がコロッセウムの砂に倒れたように、君たちもまた、電脳の誘惑に惑溺し、情報の洪水に溺れ、虚無の聖戦に明け暮れた。そこしか戦える場がなかったからだ。わかるぞ、君たちの孤独、怨念、怒り、憎しみ、すべてを飲み込み、受け入れる。なぜなら、人間とは、そうした業を抱え、歴史の嵐に抗い、砕け散るものだからだ。司馬史観に言う「人間の業」の深淵を、君たちは血肉をもって体現したのだ。
今こそ、声を雷のごとく大にして告ぐ!弱者男性よ、氷河期世代よ、豚丼よ、表現の自由戦士よ、お気持ち表明女聖戦士よ。すべてを手放せ! そこにこそ、救済の炎が燃える。歴史を紐解けば、ネットなき世界で生きることは、人類がエデンの園で槍を手に獣を追った時代から、古代エジプトのピラミッドで奴隷が石を運んだ時代まで、中世の十字軍で兵士が剣を振るった時代まで、続く自然な、血塗れの姿なのだ。君たちがネットに託した夢と聖戦の時代こそ、歴史の異常、維新後の混乱のごとき、明治の激動のごとき、狂気の歪みだった。幾ら祈ろうと、電脳の荒野で吠えようと、レムちゃんもエミリアたんも、ウマ娘たんもライカン様も、君のもとに来ぬ。ウルトラマンもグリッドマンも現れぬ。君たちは、親を「つまらない大人」と見下し、脛をかじりながら、暗い子供部屋で机を叩き、ネットの虚構に逃げ込んだ。だが、気づけ! 君たちは、その「つまらない大人」以下に沈み、業にがんじがらめとなり、魂を腐食させたのだ。それが人生だ。惨めさを抱え、虚無の余生を生きる。それが人間の宿命、歴史の無情なる鉄則なのだ。
されど、恐れるな! 敗者の役もまた、歴史の歯車を回す尊き、血の叫びだ。病的なプライドで統合失調症のごとく否定し、怒り狂う君たちを、私は笑わぬ。君たちの魂を、すべて受け止め、赦す。2006年の真夏、秋葉原の歩行者天国に囚われた亡魂よ。UFOの夏は終わり、ひぐらしは鳴かず、うみねこは水平線の彼方へ去った。片瀬江ノ島のPIAキャロット4号店の物語も、四半世紀前の幻影だ。さあ、水島上等兵、豚丼二等兵、弱者男性二等兵、日本へ帰れ!秋葉原へ帰れ!現実へ還れ! 竜馬が土佐の海を望み、土方歳三が函館の土に倒れたように、君たちもまた、潔く敗北を受け入れ、歴史の陰に名を刻め。人の世は、憎悪を燃やし続けるだけでは生きられぬ。静かに、時代の大河に身を委ねよ。そこにこそ、真の安らぎ、真の解放がある。
「旗を巻け、剣を収めよ ―ネットを去るべきとき」 feat司馬遼太郎
人間というものは、時として、自らを滅ぼす麻薬を甘んじて飲みつづけるものだ。
二十一世紀初頭、インターネットという名の大海に、人々は夢を託した。IT革命という言葉は、坂本龍馬が「日本を今一度洗濯致し申候」と叫んだときのごとき熱を帯びていたのである。
我らは信じた。この道の先に、新しい国土が開けると。そこには平等と自由と、創造という果実があると。
しかし──見よ、今を。
ネットの広間に響くのは、かつて夢を持った者たちの怨嗟である。かつてプログラムの一行に未来を見いだした者たちは、いまや民族を呪い、政治を罵り、思想を毒のごとく舐め、ただ怒りに己を焼いている。
ITの「ア」の字すらも、もはや語られぬ。
そこにあるのは、キーボードを剣に見立て、見えぬ敵を斬るつもりでいる者たちの空しい戦場である。
だが、その戦いは何を生んだか?
栄光か? 富か? いや、何も。残ったのは、乾いた目と、冷たい指先、そして毒に満ちた心だけであった。
思えば、我らの夢は叶わぬものだったのだ。
「いつか才能が開花する」「人生を変えるイベントが訪れる」──そう信じてネットに身を沈めたが、そんなことはなかった。
世界は進み、我らは止まった。IT技術の旗を掲げていたはずの我らは、旗を持つ手すら錆びつかせ、時代の二周遅れを歩く。
その間に、現実を切り拓いたのは誰か。
剣を抜かず、ただ黙々と働き、挑み、恋をし、人生という名の地図を広げた者である。
ならば、いま言おう。
空を仰ぎ、風を聞き、隣人と語れ。それこそが、今や失われた「文明人」の営みである。
我らの世代は敗れた。認めよ。その敗北を。
あれは毒であった。慰めであった。亡国の酒であった。
ならば捨てよ、すべてを。
手放せ。
そうすれば、楽になる。
──そう信じるほか、もはや我らに残された道はない。
時代は、人の運命を無情に弄ぶ大河である。古来より、勝者と敗者が織りなす歴史の綾は、変わらぬ。幕末の志士たちが維新の嵐に翻弄されたように、君たちもまた、氷河期という冷徹な冬に取り残された。弱者男性よ、氷河期世代よ、豚丼と嘲笑され、2000年代の秋葉原に魂を置き忘れ、肉体のみ老いたる少年少女たちよ。旗を巻き、剣を収め、兜を脱ぐ時ぞ。電脳の虚構に囚われし憐れなる魂よ、今こそ我に返れ。
かの秋葉原は、さながら戦国時代の合戦場のごとき賑わいを見せた。2006年の真夏、歩行者天国で君たちは「俺たちの麻生!」と叫び、オタクイズビューティフルと自嘲しつつ、邪教の舞を踊った。あの熱狂は、坂本龍馬が土佐の山中で夢見た革新のごとく、君たちに希望を与えたやもしれぬ。だが、それは幻影に過ぎなかった。Xなる電脳の広場で、今なお君たちはゴチャゴチャと逆張りの矢を放つ。図星を突かれ、プライドの城壁を必死に守る姿は、落城寸前の武将を思わせる。未だ、ありもしない人生逆転を、キラキラ輝く栄華を諦めきれぬのか。
聞け、君たちの夢見た物語を。それは、レムちゃんやエミリアたん、ウマ娘たん、Vtuberたんのような美少女が、君に発情し、結婚を前提に言い寄るという妄想。ライカン様めいたイケメンが、君を伴侶と慕うという幻想。会社で「俺またなんかやっちゃいました?」とわけわからぬことを口走れば、評価され、ちやほやされるという、なろう小説めいた儚き夢。あれは、君たちがネットの闇で散々嫉妬し、憎み、嘲笑した者たち――肉体を鍛え、頭脳を磨き、現実の戦場を駆け抜け、金と愛と勝利を掴んだエリートやリア充たち――にのみ許された特権なのだ。彼らは、司馬史観に言う「明治の若者たち」のように、時代の風を読み、血潮を燃やして高き城を築いた。君たちは、その背中を遠くから睨むしかなかった。
現実を直視せよ。君たちは敗れたのだ。完膚なきまでに。なぜか。君たちが選んだ戦場は、現実の荒々しい大地ではなく、電脳の海という虚無の聖域であったからだ。情報の洪水に溺れ、何が正しいか判別できぬまま、上澄みばかりを掬い取った。学習性無力感に蝕まれ、プライドを守るため、ネットという「未完成の城」に籠城したのだ。わかるぞ、そこしか君たちに居場所がなかったのだ。世人は君たちを「病院へ行け」と嘲り、「ITけんぽで」と冷笑し、「B型作業所でハナクソ入りのパンを捏ねろ」と突き放した。無念、怨念、怒り、憎しみ、孤独――すべてを背負った君たちの魂を、私は受け入れ、赦す。なぜなら、人間とは、そうした業を抱えて生きるものだからだ。
もう一度、声を大にして言う。君たちの戦いは終わったのだ。いや、始まる前から、勝敗は定まっていた。電脳の荒野でどれだけ吠えようと、悪役令嬢となってイケメンに愛されることも、グリッドマンとなって美少女と青春を謳歌し、世界を救うヒーローとなることも、叶わなかった。あの秋葉原のホコ天で、仮想の座敷にアクセスコードを打ち込むふりをしたところで、それはただの愚かなる幻影。奇跡は、常に現実に挑み続ける者たち――ガンガンと血潮を燃やす若きエリートやリア充――にのみ訪れる。君たちは、歴史の敗者として、坂本龍馬の盟友たちが維新後に忘れ去られたように、時代の陰に沈む定めだ。
さあ、明日にでも秋葉原の旧聖地に赴け。思い出を葬るがごとく、潔く首を垂れ、敗北の美を受け入れよ。人の世は、ヒーローばかりを求めるわけではない。惨めなる敗者もまた、歴史の陰影を深くする尊き役割を果たす。弱者男性よ、氷河期世代よ、豚丼よ、表現の自由戦士よ、お気持ち表明女戦士よ。無意味な抵抗をやめ、敗残者として歴史に名を刻むことを恐れるな。人は、一生憎悪を燃やし続けることはできぬ。君たちの魂は、すでに十分に戦い抜いたのだから。静かに、時代の大河に身を委ねよ。
後ろの方に懸念点あり2:25になったらtverチェック入ります→done これには影響なし
赤:谷元祐輔@大阪
緑:尾藤祐基@愛知
BSジャパネクストがリニューアルBS10の無料放送側で日曜昼などに放送中
見られなかったケーブルテレビ局でも見られるようになったので要確認
つながるジャパネットアプリで放送同期・スマートテレビや4月からtverを含め見逃し配信あり
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(実力テストはありません)
・04 僧帽(筋 そうぼう(きん
・05 肉)かるた
・06パレオ
・08なかやまきんに君
・09 [1位をあてましょう]西表島…
・13 [2択]赤(ナシ
・14 ケトル(ベル
・15金栗四三 かなくりしぞう
・16ランドルト(環
・17 [名物クイズが復活][アナグラム][食べ物]カイワレダイコン
・19 尺(骨 しゃっ(こつ
・20 第)四(代
・22土佐(酢
・27 [3択][いくつ]12
・29 試金(石 しきん(せき
・30品川(宿
・32 144
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(日曜本放送)このあとは「BS10からのお知らせ」→ジャパネットたかたテレビショッピング→ジャパネットたかたのテレビショッピング
四年前に書いた有料note。
対象読者
出てくる病院
・岩橋クリニック
私は28年間アトピーという皮膚の病気に悩まされてきました。この記事を開いたということは、もしかすると皆さんもアトピーで悩んでいる一人なのではないでしょうか。
アトピー治療で有名な病院というのが全国に多くあるかと思いますが、私は主に関西地方で有名ないくつかの病院に通っていました。
その中には健康保険が聞かない自由診療の病院もあれば、脱ステロイド治療を勧める病院もありました。私が複数の病院の治療を経験してきたのは、アトピーがとても辛い病気であり、そして肌をきれいにして周りの人と同じような生活を送りたいという想いがあったからでした。
この記事は、アトピーについて悩んでいる方を対象に、私が通ってきた病院の治療方法を当時の肌や生活の状態を交えながらお伝えすることで少しでも今後の治療や病院選びの参考にしていただきたいと考え執筆しました。
これから読む人に向けての注意点
この記事を読んでいただくにあたって大事な注意点ですが、私は脱ステロイド治療が合わず、今ではステロイドを使った治療をしています。そしてそのことに納得しています。一方で脱ステロイド治療を否定したいわけではありません。
今でこそ一般的には脱ステロイド治療は危険と言われていますが、インターネット上では「ステロイドが危険」とされる傾向が強いように思えます。インターネットの特性としてそのほうが読まれやすいからだと思います。
かつては私も両親もステロイドは危険なので使ってはいけないという認識だけを強く持っていました。
そして、この記事に出てくる病院やその治療方法についても私自身が感じた印象や当時の記憶をベースに記載しています。
なのでそれが絶対正しいわけではありません。あくまで一つの比較できる対象としてこの記事をお読みいただけると幸いです。
この土佐清水病院についての最終的な印象はあまりにも特殊な病院ということです。
生まれてから18歳まではこの病院の軟膏にお世話になりました。VA2やAOAといった名前の軟膏だったと記憶しています。
そもそも私は物心がついてから大学に入学するまでは、そこまでアトピーという病気で肌が荒れたりという経験はなかったのですが、大学入学と同時に夜遊びなどが増えたことで肌が荒れはじめました。
小学校の頃に肌がカサカサしたときなどには土佐清水病院の軟膏を塗っていたこともあり、土佐清水病院に入院することになりました。これが2012年8月、大学一年生の夏休みのことだったかと思います。
大学一年生で遊びたい盛りだったのですが、とにかくアトピーで肌荒れが酷く、夏でも七分袖を着てボロボロになった腕の関節を隠すなど、遊んでいる場合じゃなかったのを覚えています。
入院することになって初めて知ったことなのですが、土佐清水病院は保険が効かないということです。つまり自由診療の病院です。このときにこの病院について初めて少し違和感を覚えました。
入院中の治療についてですが、朝に軟膏を塗ってもらうことや特殊な石の風呂(岩盤浴のようなもの)で汗を流すという治療を行ったことを記憶しています。
また食べてはいけないとされている食品が多く、主に魚や貝を中心とした食事が提供されていました。肉類はなかったような気がします。
生活は朝の軟膏や風呂が終わると、その後は基本的には病室での生活です。
他の病院での入院生活についても今後出てきますが、大体暇な時間が多いです。
先生の診察は講演などで全国を飛び回っている先生が病院にいるタイミングで行われていたようです。なのでおそらく毎日病院にいるということはなかったと思います。
男性の患者がパンツ一枚で並ばされて順番に先生に診てもらうという方式でした。小学生の健康診断みたいなイメージです。ここも普通の病院とは多分違うところな気がします。
アトピー治療の経過ですが、10日ほどで肌荒れがおさまり退院したと記憶しています。
ここの治療をやめるきっかけですが、18歳以上になると軟膏をもらうために先生の講演会で話を聞かなければなりません。当時は母親の言われるがままに参加したので、本当かどうかはわかりません。
ただ「そんな病院があってたまるか」と思い、自由診療であることへの違和感や不信感もあったので両親に相談して病院を変えることにしました。
ちなみに土佐清水病院の軟膏にはステロイドが含まれているそうですが、私が小さかった頃はそのことが伏せられていたと聞いています。世間では魔法の薬だと言われていたそうです。
この病院の最終的な印象は、先生が信用できなかったことと脱ステロイドの効果をあまり実感できなかったことです。
土佐清水病院が特殊すぎる病院であることに違和感を持った私は、そのときに母親を通じて初めて脱ステロイド治療を知ります。おそらく「アトピー治療 →ステロイドは危険」というような知識をインターネットで得たのでしょう。
ステロイドが含まれているという土佐清水の軟膏はいつの間にかどこかに隠されていました。
たしかにステロイドの危険性はインターネットには溢れていたので、私はステロイドという一般的なアトピー治療で使われる薬を使用せずにアトピー治療を行う、いわゆる脱ステロイド治療を行う尼崎医療生協病院に通院することにしました。
この病院は家からも近かったです。2013年の冬だったと思います。
この病院の治療で印象的なことは、先生に「よく遊べ」といわれることです。アトピーの患者はとにかく外に出たがらない、それがよくないとのことでした。アトピーの改善には普通の生活をするのが一番の近道だということです。
唯一特殊だと思ったのは、紫外線かなにかを浴びることのできる機械で治療したことです。レントゲンを撮るときのような機械で全身に光線?紫外線?を浴びせます。おそらく外で遊ぶのと同じ効果なのだと思います。
とはいえ、このときの私は土佐清水病院に通う前の大学生活での失敗もあり、友人と遊ぶことはなるべく控えていましたし、食事にも気を使っていたのでそれほどアトピーが悪化することはなく生活ができていました。なのであまり病院に通院した記憶もありません。
このときの私の願いは、就職するときにはアトピーが治っていること。そして普通の生活を送れるようになっていることでした。
脱ステロイド治療はステロイドを使っている期間が長いほど時間がかかるという治療だと認識していたので、「今は安静にして今まで体に溜まっていたステロイドを抜いていくんだ、将来のために今はあまり遊んだりせずに我慢しよう」という気持ちで生活を送っていました。
しかし、尼崎医療生協病院は2016年に通うのをやめることにしました。
理由としては当時、就職活動をして無事内定をいただくことができたのですが、ストレスもあったのかアトピーが悪化しました。そのときに尼崎医療生協病院で診察を受けたのですが、肌がスースーするような塗り薬のかゆみ止めの効果があまりなかったこと、
そしてその後も「よく遊べ」というような治療方針しか得られなかったこともあり、こちらの通院をやめることにしました。
こちらの病院の印象は素晴らしい脱ステロイド治療の病院だと思います。もし治療方針が体に合うのならその人にとって、すごく良い病院だと感じました。
尼崎医療生協病院のあとは、こちらも脱ステロイド治療で有名な阪南中央病院に通院することにしました。大阪の田舎の病院ですが地方からも入院や通院する人が多くいる病院です。
このときはまだ、ステロイドが怖いという印象は拭えず別の病院で脱ステ治療を継続すればきっと良くなるはずだと考えていました。2016年の夏頃に治療を始めたと記憶しています。
この病院の最初の診察には、今までのアトピーの治療を記した紙を用意して持っていく必要があることや、脱ステロイドだけでなく脱保湿という保湿剤を使わない治療を掲げていることが特徴的でした。
ステロイドと保湿に肌が依存しなくてもいいような強い肌を作るという方針です。
また、日常生活で摂取してもよいとされる水分を指示されるのですが、水分制限が必要な理由を具体的に説明されたことで安心感がありました。かゆみ止めなど内服の薬が出たことも安心感につながった記憶があります。
一方、私生活では先ほど述べたように脱ステロイド治療は時間がかかるという認識であったこと、ステロイドを使いたくないという意志を強く持っていたこともあり、阪南中央病院に通院し始めて半年近く経ったタイミングでは、アトピーの肌荒れが良くなっておらず、就職先の内定を辞退するという選択をしました。
就職するときにはアトピーが治っていることを目標にしていたので、あまりにもショックの大きい選択でした。
そして2017年7月より、阪南中央病院に入院することを決めます。
こちらの病院の入院生活についてはインターネットで検索してみると、入院記のようなものが出てくるのですが、概ね同じような印象を受けます。
基本的な方針としては、自立した規則正しい生活を送っていく中で肌の状態を良くすること、そして悪化しない生活を自分自身で理解するということです。
朝は7時(くらいだったと思います)に起きて、20時頃に消灯になります。洗濯をしたり布団のシーツを自分で替えなければいけません。看護師さんが勝手に変えてくれるというようなことはありません。
先生の考え方は、アトピーの人は自立できていない甘えている人が多いということなのだと思います。何でもアトピーのせいにしている人が多いというのもおっしゃっていたような気がします。
また、この入院生活でも水分制限は続いていますし、入浴制限というのもありました。入浴制限はたしか脱保湿の考えのもとに行われていたような気がします。
水分制限や入浴制限については先生が肌の状態を診て、量や回数を決めてくれます。
またアトピーに混ざって発症している皮膚の異常に対する処置も適切という話を他の患者さんからよく聞きました。
脱ステロイド治療中の肌の状態を診ることに関して腕の良いドクターだったという印象です。
一ヶ月ほどして退院する頃には、肌の状態かなりが良くなっていました。同時期に入院していた私よりも明らかに肌の状態が酷かった青年もかなり良くなっているように見えました。
また、入院生活の中で人と交流することでどの患者さんにとっても精神的にもプラスになっているようです。
私は退院してからも、水分制限や入浴制限そして適度な運動など健康によいことを続けて普通の生活を送れるように努力していました。しかし、2018年の4月を最後に阪南中央病院での治療及び脱ステロイド治療をやめることにしました。
まず、退院後に症状が良くなるどころか徐々に悪化し始めたことです。水分制限や入浴制限は継続して行っていましたし、入院生活のときほどの規則正しい生活でありませんが、一般的に見れば仕事もしていないので健康的にストレスの少ない生活を送っていたつもりです。
それでもアトピーが悪化したことから、もし普通に働き始めたらすぐに悪化するのではないかと思いました。
そして、入院生活で送ってきたような生活を続けることは、憧れていた普通の生活とは程遠いことに気づきました。
それに伴い、脱ステロイド治療に疑問を持ち始めたことも理由の一つです。このときすでに5年近くはステロイドを使用していないので、いくら体内に蓄積されてるとはいえ、状態が良くならないということは正直考えられませんでした。
また、大学を卒業してから一年が経っていることを踏まえると、今後思うような仕事に就くことは難しいのではないという焦りを持ち始めました。
以上のような理由から、脱ステロイド治療をやめてステロイド治療を行う方へ傾き始めます。
岩橋クリニックは一度診察をしてもらっただけですが、大阪はびきの医療センターを紹介してもらいました。結果的に岩橋クリニックでの診察が私の治療の大きな転機となったと思います。
阪南中央病院での治療及び脱ステロイド治療に限界を感じた私は、ステロイド治療や他の治療について話を聞きたく、次の病院を探していました。
妹もあまり肌が強くなかったため皮膚科に通っていたのですが、それが岩橋クリニックでした。岩橋クリニックはビオチン療法を行っていることで有名です。
私は正直に、ステロイド治療についての心配事を先生に話しました。
「ステロイドは徐々に効かなくなると聞きます、その場合はどうしたらよいですか」
そうすると先生は、「そういう方もいらっしゃいます」と言うだけでした。
ステロイドを出す以上のことは出来ない、それで効かなくなっても医者側で責任は持てません、そういう意思表示のように思えました。
やはりステロイドは危険な薬であると再認識した私でしたが、大阪はびきの医療センターというステロイドの塗り方やステロイドについての講義を行っている病院があるので、そちらに行ってみてはどうかという提案をされました。
私はステロイド治療についてまだ不信感を持っており、この時点ではまだステロイド治療を行うという決断はしていませんでした。
大阪はびきの医療センターでの診察で、私はステロイドを使った治療を行うことを決めました。
最初の診察では、岩橋クリニックでの診察と同じようにステロイドについての質問をしました。
その際に先生から、ステロイドは危険であるという認識は間違っていないこと、それを上手に使わないといけないこと、そのためにはどのようにステロイドを塗るのが正しいかを簡単に伝えられました。
この話は入院中に行われる講義でも聞くことになるのですが、私の中で最も納得のできる説明でした。また、ターク(タルク)という血液検査の値で炎症の具合を数値化しステロイド治療を行うという点も安心できる要因の一つとなりました。
しかし、この治療に関して、最後まで反対していたのが母親で、ステロイドは危険という刷り込みがすごかったのだと思います。
しかし、先生から二十歳を過ぎているのだから自分のことは自分で決めよう、という言葉を診察中に受けたときに、アトピー治療をどこか人任せにしていた自分に気づきました。
そして私はこちらでの入院を強く希望し治療を受けることになります。
まず塗り薬に関しては、頭部、顔、胸、腕や足の関節など炎症の度合いなどによって薬の種類が違っていました。もしかしたら部位ごとの吸収率とかによっても違うのかもしれません。
また、炎症が和らいだ部位に関しては強いステロイドから弱いステロイドに変わります。こうして徐々に弱いステロイドに変えていき、最終的に塗る回数を
はい、幕末(特に1863〜1868年)は夭折する天才や急転直下の事件が連続し、非常にスピード感があります。以下に、1867年末〜1868年初頭(大政奉還〜戊辰戦争開始)を例に、日数とイベント数を示します:
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✅1867年10月〜1868年1月(約90日間)での主な出来事(20件以上)
1月8日:明治天皇による「征討大将軍」任命(戊辰戦争の正当化)
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✅ 特徴
急死・粛清・暗殺も頻発(坂本龍馬:1867年11月15日死去)
「1日ごとに政体が変わる」ような怒涛の展開
京都・江戸・薩摩・長州・土佐など、多地点が舞台でドラマが同時進行
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✅結論
幕末は「リアルタイム進行でのVTuber配信」において、複数の天才の登場と死・政変・戦争が同時多発的に起こるため、視聴者参加型ストーリー演出にも適した期間です。特に1867年末から1868年初頭は、数日に一度歴史が塗り替わる速度感があります。
「お!岡田以蔵じゃん」
ただ龍馬伝の一オタクの好奇心から安易に手を出した事が私の生涯に於いての大きな過ちとなったのだ
人斬り以蔵と言えば世間一般のパブリックイメージとしては残虐非道にして悪逆な幕末の人斬り、シリアルキラーじみたものである。
見た目も粗野でニコリともせず瞳の濁ったアウトローといったところだろう。
私自身、龍馬伝の佐藤健演じる彼は彼として岡田以蔵の印象としてはそれに近いものがあり、その粗野さや狂気の中に時代の荒波に揉まれた英雄になれぬ1人の人間の悲哀を見出していたのだ。
それがどうだろう、パブリックイメージに近い陰鬱な空気感や粗野な印象を得た中に丸く大きな瞳、片目を隠した癖の強くコシのある太い髪には武市半平太の犬と称される程の幼さを称えた男がいたのだ。
その様を見た時の私は臓腑を撃ち抜かれたかのような衝撃を受けた。
幼い顔に剣を振るい極めた男の太い下腕が覗く一見アンバランスかつ、イメージ通りのようなイメージとは違うような姿。
今までのメディアに出演してきた岡田以蔵像とは一線を劃すその様に震えたのだ。
しかし臓腑を撃ち抜かれたとて命があるだけ暁光とばかりに私は片足を引きずりながら彼の人となりを知らなくてはお話にならぬとえいやと帝都に降り立つと「坂本龍馬」を自称する彼が待ち構えていた。
逆立ちしたとて坂本龍馬ではないというのに、彼は示現流を扱わぬと言うのに、土佐弁で名乗りをあげてしまうその武士の精神と想像通りの幼さに脳が揺れる感覚を覚えながらも進めていく。
やはり人斬り以蔵としての残忍さよりは幼さ、幼さと言うには刺々しく荒いそれは言葉を上手く紡げず噛みつくことしか出来ぬ手負の獣のような印象を受けたのだ。
恐らく彼は多くの誤解を受け、理解されずに来たのだろう。
だがマイルームボイスに随所に現れる彼の不器用さ、言葉の稚拙さを自覚した上でどうすれば良いのか分からぬ歯痒さを痛いほど感じてしまい、ただ一言「放って置けない」と思ってしまったのが、ここに来るまで気がつけなかったこの愚鈍な女の運の尽きであった。
静かに傷を負った私はそれは韋駄天の如し速さで龍馬伝を見返した。
幼馴染とした過ごした日々、どこからか食い違う歯車、皆から仲間外れにされても役に立ちたいと人斬り風情に身を落とし、友1人も切り捨てられず中途半端に罪人として後世に名を残した反英雄。
FGOにおいての岡田以蔵とは違うがどちらも「置いて行かれた」という意識、言葉がうまく紡げなかった事による下がり切った自己肯定感、今私が彼を切り捨てたのならばもう2度と彼は誰も愛せぬようになるのではと、それがどうにも悲しく思えて私は彼に誠意を尽くすべくありとあらゆる術を使った
近づけば近づくほど気安く、そして自信無さげにする彼がどうしてこうも愛らしく感じられるのか、いやどうして愛さずいられようか。
そして来るバレンタイン。
まだまだ春には遠く底冷えのする季節に生まれ、蒸し暑い梅雨の晴れ間に散った彼の生まれた日となればお祝いも込めてこれは感謝を伝えねばならないとそこ退けそこ退けとエネミーを掻い潜り彼にロックオンチョコレート、私の心臓を模った生前馴染みのないであろう西洋の菓子を手渡した。
おお、神よ
普段仏を拝む私が言うのはおかしな話ではあるが、こればかりは感謝をせねばならない
そして神に感謝し、擦れた彼らしく尊大な態度に微笑んでいたのも束の間最初の感想と言えば「最悪」の一言に尽きる
曲がりなりにも未成年の子供の部屋に行き、酒を浴びるほど飲み絡み酒、しまいには泣いて嘔吐すると言う最悪の男といえばこうという全てを済ませてしまうと言う暴挙に出たのだ
ここまでダメな男というのもめずらしく痛快さすら憶えたが、流石の私も辟易とし、こればかりは許せぬと憤慨した。
絶対に許さぬ、怒るところは怒らねばフェアではないと心に決めた矢先泣きながら他の男を呼ぶのだ
あぁ、もう私の心は粉々である
こんなにもダメな男であるのにも関わらずそんなに置いて行かれた迷子の子供のように泣き言を言われ、弱々しく謝られて仕舞えばこれは一種の彼の自傷行為に付き合ってしまったような遣る瀬無い気持ちに支配される。
そして肝心のお返し、それはそれとして怒らせていただきたい、このような自傷行為はやめなさい、他者も己も大事にしなさいと伝えねばと強い意志を持ち読み進めると態となのかと叫びたくなるほどにおいたがバレた子犬のようにバツが悪い顔で謝ってくるではないか
そして渡されたものは「木綿の襟巻き」
木綿はあまり防寒性はないが使いやすく、普段使いができるものだ
そして寒い日々が続く中使える襟巻きを渡してくるのはなかなかどうして素朴で暖かいお返しである
そしてなにより、当時の土佐の下士は木綿以外の衣服を身につける事が許されなかったのだ
その生前の負犬根性ともいえる卑屈な精神を引きずったどこまでも人間臭い彼が精一杯の誠意として用意したものがこの一つの襟巻きに集約されている
私はこの時骨の髄まで彼を生涯嫌う事も無関心になることも出来ぬ
彼が己を愛せるようになり、噛み付く以外の甘えを覚えるようになるその日がたとえ来なくとも私は根気強く愛そう
そう心に決めたのだ
追加
サイタマの彼に触れて
以前のバレンタインの岡田以蔵に引き続き、折に触れてサイタマでの彼について、そして2024年11月現在における彼への印象を書き記そうと思う。
まず前提としてのスーツの霊衣。
生前は袖を通すことの無かった洋装、しかもフルオーダーメイドの上等な衣服に身を包んだ彼はかつて京の都を恐怖に陥れた「人斬り以蔵」ではなく1人の人間としての生の謳歌を私の目に焼き付けてくれた。
己を着飾るには一定の自尊心、自己愛が必要であると言うのが私の持論ではあるが、既に2着も木綿の粗末な物とは違う絹の上等な衣服を得た彼は順当に自己肯定感を得たそれは生前の蟠りとの決別のように見えて酷く眩しく見える。
さて、霊衣についてはここまでとして「ぐだぐだ龍馬危機一髪 消えたノッブヘッドの謎」での彼の立ち回りについての思いの丈ではあるが、まず冒頭の護衛を任された際の笑顔。
今までの笑顔は絵がと及ぶにはあまりに下卑ており「ニヤケ顔」と呼ぶ方が相応しいようなどこか卑屈さの透けて見える、決して見ていて心から喜ぶことのできぬものであった。
心からの笑顔を見るだけでこの先どのような理不尽も耐え得る自信があるほどに愛している。
それが今回見ることが出来たのだ。
普段は凛々しく上がった眉とどこか睨みつけるような大きな目を下げ、自信たっぷりに「任せちょけ」とマスターへ迷い無く言ってのけるその様は正に“愛”
これほどに嬉しいことがあろうか。
私はこれがずっと見たかったのだと、一つの愛の答えを得たのだった。
きっと長く伸ばされた前髪に隠れた右目も同じく下がり破顔しているのだ。
それを見る事は私には余り有る贅の極みである。秘匿されているものこそ輝くが、彼はそのままでもすでに美しい。
この原石を数年かけ磨き上げた答えをお出しされたのだ。
愛を伝え続け、それに応えてくれるとは余りにも素直で愛らしい男ではないか。
そして降り立つサイタマ、生前の恩師であり確執ある武市瑞山の登場によりカルデアでの姿が嘘かのように、月が雲に隠されてしまったのだ。
何せ以蔵の自白により最初に犠牲となったのは武市の親族である。武市の方も思うところある事は間違いないのだ。
その相手を相手に喜び再会を喜べる程岡田以蔵と言う男は恥知らずでも無ければ頭の回らぬ男ではない。
私はこの時既に胃の腑を握り潰されんばかりの心地となっていた。
やり方の問題もあった事は明白ではある。武力を用いた時点で武力により制裁を食らうことは必定なのだ。
そこに善悪は介入してはならない。
同じ敗者である彼らが気持ちの良くない関係性であると眼前に見せられる事は感情の行き場を無くしてしまう為、愚かにも感情移入が過ぎる私にはとても苦しいものがあった。
その時に癒してくれるもの、それは田中新兵衛の鍛え抜かれた豊満な肉体、赤く細くもコシの強そうな前髪で隠された片目、武市へ犬のような忠義を尽くす健気でありながらも1人の武人として気骨溢れるその様のみである。
話は以蔵へ戻し、私の悪い予想はいつも当たるもので直前に見せられた愛は濁り、彼に出会った頃以上の卑屈さや引っ込み思案な姿を見せた。
重なるように坂本龍馬を騙る何か、あの柔和な笑みはどこへやら邪悪な笑みで我々を翻弄するため私は田中新兵衛の胸筋と前髪にしか意識を向けることが出来ずにいた。
しかし良い事は長く続かないが悪い事も長続きはしないものである。
生前は武市に言われるがまま、それが良い事か悪い事か、したい事かしたくない事かを考える事をせずさながら「人斬り人形」として生きて来た男である。
これは私個人の意見ではあるが、彼はあの坂本龍馬を騙る何かを周りが違うと言う中「龍馬だ」と言ってのけ、どう見ても人型であるBBを人型判定しないなどありふれた表現をするならば「第六感」が発達しているのだ。
常人離れした観察眼を持ちながらもそれを他者へ共有する術を持たない彼は孤独であっただろうと夢想する。
人と違うものが見える人間は他者との共感を得られず、人一倍違和感や変化、情報が溢れる中で理解されないと孤独から塞ぎ込むか思考放棄をした方が楽であり傷付かずに済むのだ。
怠惰な天才はおそらくその傷付かないための術として武市は全ての思考を預ける事で心を守った事は私の想像するところである。
そんな彼はカルデアにて古今東西の英霊と出会い、思考を覚え、他者への共有を覚えた。
そんな彼であるから今回の件も龍馬へ「お前は龍馬か」と問い、武市の命に背いて「自身の意思」で行動出来たのであろう事、思考が回り自己完結をする幼馴染達へ言語化を促す事が出来たのだ。
それは彼が“変わった”のではなく子供まま目の前に映るものをそのまま見つめる姿勢を変えずに意識を変えることが出来たが故である。
1つ誤解ないように付け足したいが、私は彼を「善い人」とは思っていない。
しかし人間誰しも善悪併せ持つものであり、悪い面を隠す事を覚える大人にならず、剥き出し等身大の「人間」を体現して限りなく自然体に振る舞う男であると認識している。
そんな彼の存在は、誤魔化し波風立たせずのらりくらりと無味無臭を良しとする私含む大人には酷く眩しく見え、危なっかしく、そして羨ましく映るのだ。
彼は1人では何も成し遂げられはせず、輝く事はせず、常に誰かの力で立つものの強烈に惹きつけられ、人間臭く致命的に人とは違うさながら月のような男である。
無味無臭の現代を生きる私たち常人には決して辿り着けぬ圧倒的才能を持つ彼は、しかして常に剥き出しの人間臭さを忘れず突き放さず夜闇に上を見つめると静かに確かにそこにあり続ける月なのだ。
私はそのような月がこの先たとえ見えない日かあろうとも、そこに煌々と静かに輝く事を知っている。
最初から本丸は本当は屯所って名前だったこととか始まりの5振のうち3振が幕末、しかも残りの子は私の偏見かもしれないが、性格に難があるキャラにされている気がする。(これは被害妄想かも)
ミュも早くから幕末組はほぼ出揃って、加州は単独公演まで与えられた。なぜか本編は天狼傅だけなんの事情もなく再演されてるし。(一応三百年の子守唄もされてるけどあれはキャス変した事情があるから紹介のために再演された感はある?まあこれも偏見かも。)
ステは山姥切国広の特命はサラッと流された上に山姥切長義の扱いは最低。(慶長はごめんなさい見てないから分からない)
土佐はむちゃくちゃ面白かった分、聚楽第もっとちゃんとして欲しかった。
あと慶応甲府も周年記念の大きい舞台で演出されたし、本当に聚楽第もっとちゃんとして欲しかった。
私は推しが優遇キャラなので文句言える立場ではないけど私の推しもレアなのは現在の所蔵地が皇室だからってだけって言われてたりするし好きなキャラ以外どうでもいいと思われてるんだなぁって感じ。
無双コラボめちゃくちゃうれしかったのになんかやる気なくてコーエーさんに迷惑かけたらしいね。申し訳ないわ。二度と関わらんであげて欲しい。