
はてなキーワード:国立国会図書館とは
NHK朝ドラ「ばけばけ」の放送も近づいて、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)への関心の高まりつつある昨今だが、この機会に言っておきたいことがある。それは、ハーンについての鶴見俊輔の以下のよく知られた言及は、素人の自分の調べた限りでは、非常に不正確でほとんどデタラメに近いということだ。
ラフカディオ・ハーンは、やがて日本に帰化し、日本人と結婚し、親類づきあいや近所づきあいの中にまきこまれ、日本に住む者として日本文化をまぢかに見るようになってからは、次のように書いた。 「私は、かつて日本人はみな天使であるかのように書いたことを思い出すと、気がくるいそうだ。」
https://x.com/shunsuke_bot/status/1019013776841039872
確かにハーンは鶴見の引用するような文章を書いたが、その前の「日本に帰化し…日本文化をまぢかに見るようになってから」という文脈は鶴見の勝手に付け足したものであり、実際の文脈は「以前住んでいた出雲の人たちはおだやかだったが、引っ越し先の九州の人たちは粗暴だ」といったものだった。今で言う「さす九」である。まあ確かに批判はしているのだが、日本全体を批判したわけではないし、また批判した内容も(鶴見のほのめかすような)日本人の陰湿さといったものではなく粗暴さである。それに130年近く前の話だ。九州や出雲の気風もかなり変わっているだろう。
またこの文章の出典は出版物ではなく、W.B.メイソンという人に宛てた1892年の私信である。つまり公然たる主張ではなく内輪の愚痴なのだ。それならその日の気分で筆の滑ることもあろうし、果たして重大に受け止めるべきものだったかのかどうか。
なお日本で刊行された小泉八雲の著作には、どうやらこの文章は収録されていないようだ。少なくとも国会図書館デジタルコレクションで小泉八雲の著作を「日本人天使」で全文検索しても見つからない。
しかしハーンの文章の英語原文をChatGPTに教えてもらい、その語句でググると出典が見つかる。これならおそらくアメリカの大学図書館では読むことができただろう。
"make memad to think that I wroteall theJapanese wereangels" -Google検索
Fulltext of "TheJapanese letters of Lafcadio Hearn"
https://archive.org/stream/japaneseletters00hearrich/japaneseletters00hearrich_djvu.txt
I can'tget much chance to studylife in Kuma-
moto. Idon'tlike the Kyushu people — the com
mon people. InIzumoallwassoft, gentle, old-
fashioned.Here the peasants and the lower classes
drink andfight andbeat their wives andmake me
mad to think that I wroteall theJapanese were
angels. . . .
(拙訳)
出雲では、すべてがやわらかく、優しく、古風だった。
また鶴見の文章の出典は、国会図書館デジタルコレクションで容易に見つかる。当該の記述は「生花の位置」という文章の一部で、初出は「華道1953年3月」だとのこと。率直に言って、私のような素人にもなかなか興味深く面白い文章である。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2466359/1/88
https://dl.ndl.go.jp/pid/6028304/1/5
鶴見は1942年までハーバード大学に留学していた。彼はおそらくそこで、日本ではあまり知られていなかったこのハーンの手紙を読んだのであろう。そしてその約10年後に、その内容を自分の文章に(意図的かうろ覚えか)不正確に引用して、日本文化を批判する自説の補強に使ったのであろう。しかしハーンの手紙の正確な原文は日本ではあまり知られないままだったので、鶴見の文章の面白さもあって、その引用が独り歩きしてしまったのではないだろうか。
なお鶴見には他にもしばしば、他者の作品を我田引水して自説をイタコのように語らせる悪癖があるようだ。例えば彼は日本のマンガ評論のさきがけでもあるのだが、長谷川町子『サザエさん』などの評論は全編そんな感じだった。これもおそらく執筆当時は、庶民の作品に潜む抵抗精神という本質を見抜いたなどと称賛されたのであろうが、今となっては私には鶴見が他人の作品をダシに自分の政治信条を主張しているだけにしか見えない。しかし、もし仮に『サザエさん』が鶴見の評論より先に廃れていたら、同様に評論だけが独り歩きしていたのではないだろうか。
NHK朝ドラ「ばけばけ」の放送も近づいて、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)への関心の高まりつつある昨今だが、この機会に言っておきたいことがある。それは、ハーンについての鶴見俊輔の以下のよく知られた言及は、素人の自分の調べた限りでは、非常に不正確でほとんどデタラメに近いということだ。
https://x.com/shunsuke_bot/status/1019013776841039872
ラフカディオ・ハーンは、やがて日本に帰化し、日本人と結婚し、親類づきあいや近所づきあいの中にまきこまれ、日本に住む者として日本文化をまぢかに見るようになってからは、次のように書いた。 「私は、かつて日本人はみな天使であるかのように書いたことを思い出すと、気がくるいそうだ。」
これを読んだ私は当初、きっとハーンは日本人の建前の裏の本音にうんざりして、日本女性と結婚して日本に帰化したことも後悔したのに違いない、とすら思った。しかし調べてみたら全然違ったのだ。
確かにハーンは鶴見の引用するような文章を書いた。しかしその前の
「以前住んでいた出雲の人たちはおだやかだったが、引っ越し先の九州の人たちは粗暴だ」
まあ確かに批判はしているのだが、日本全体を批判したわけではないし、また批判した内容も(鶴見のほのめかすような)日本人の陰湿さといったものではなく粗暴さである。それも130年以上前の話だ。今は九州も出雲も、当時より相当おだやかになっているはずである。
またこの文章の出典は出版物ではなく、W.B.メイソンという人に宛てた1892年の私信である。つまり公然たる主張ではなく内輪の愚痴なのだ。それならその日の気分で筆の滑ることもあろうし、果たしてそこまで深刻に受け止めるべきものだったかのかどうか。
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なお日本で刊行された小泉八雲の著作には、どうやらこの文章は収録されていないようだ。少なくとも国会図書館デジタルコレクションで小泉八雲の著作を「日本人天使」で全文検索しても見つからない。これは私の調査不足による誤りで、実際は普通に収録されていた。申し訳ない。この記事の終わりで詳述する。
しかしハーンの文章の英語原文をChatGPTに教えてもらい、その語句でググると出典が見つかる。これならおそらくアメリカの大学図書館では読むことができただろう。
"make memad to think that I wroteall theJapanese wereangels" -Google検索
Fulltext of "TheJapanese letters of Lafcadio Hearn"
https://archive.org/stream/japaneseletters00hearrich/japaneseletters00hearrich_djvu.txt
I can'tget much chance to studylife in Kuma-
moto. Idon'tlike the Kyushu people — the com
mon people. InIzumoallwassoft, gentle, old-
fashioned.Here the peasants and the lower classes
drink andfight andbeat their wives andmake me
mad to think that I wroteall theJapanese were
angels. . . .
(拙訳)
出雲では、すべてがやわらかく、優しく、古風だった。
また鶴見の文章の出典は、国会図書館デジタルコレクションで容易に見つかる。当該の記述は「生花の位置」という文章の一部で、初出は「華道1953年3月」だとのこと。率直に言って、私のような素人にもなかなか興味深く面白い文章である。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2466359/1/88
https://dl.ndl.go.jp/pid/6028304/1/5
鶴見は1942年までハーバード大学に留学していた。彼はおそらくそこで、日本ではあまり知られていなかったこのハーンの手紙を読んだのであろう。そしてその約10年後に、その内容を自分の文章に(意図的かうろ覚えか)不正確に引用して、日本文化を批判する自説の補強に使ったのであろう。しかしハーンの手紙の正確な原文は日本ではあまり知られないままだったので、鶴見の文章の面白さもあって、その引用が独り歩きしてしまったのではないだろうか。
なお鶴見には他にもしばしば、他人の作品を我田引水して自説をイタコのように語らせる悪癖があるようだ。例えば彼は日本のマンガ評論のさきがけでもあるのだが、長谷川町子『サザエさん』などの評論は全編そんな感じだった。これもおそらく執筆当時は、庶民の作品に潜む抵抗精神という本質を見抜いたなどと称賛されたのであろうが、今となっては私には鶴見が他人の作品をダシに自分の政治信条を主張しているだけにしか見えない。しかし、もし仮に『サザエさん』が鶴見の評論より先に廃れていたら、同様に評論だけが独り歩きしていたのではないだろうか。
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この記事を手早く書き上げて公開した後ほぼ失念していたが、「ばけばけ」の放送も始まったので思い出して読み返したところ、割と読みづらかったので文章に少々手を加えた。内容は変えていない。
この記事への反応は少なかったが、かなり肯定的な評価もいただけた。また「小泉八雲日本人天使」でググると検索結果の上位に出るようになったから、今後は鶴見のこの言及に興味を持った人の調べる手間が省けるだろう。
まあ省けると言っても、私は完全な門外漢の素人であり、調査はPCを数時間操作しただけである。たったそれだけで、もし鶴見の同時代人だったらハーンの専門家がアメリカの大学図書館に出向かないとわからなかったようなことが容易にわかってしまう。つくづくありがたい時代だと思う。
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申し訳ないが訂正。
先に書いた通り、ハーンの例の手紙が日本であまり知られていないという私の推測は間違いで、実際は広く知られていた。
つまり、ハーンの手紙が知られずに鶴見の言及が独り歩きしたという私の憶測は完全に間違いだった。改めて申し訳ない。
田部隆次 著『小泉八雲』,早稲田大学出版部,大正3.国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/950739/1/122?keyword=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%20%E5%A4%A9%E4%BD%BF
熊本では人の世を研究する機会にあまり数多く接する事は出来ない。
出雲では誰も彼もが柔和で、優しくて、古風だ。
また、ハーンの手紙を踏まえて書かれた最近(2025/08/18)のブログ記事もあった。
朝ドラ『ばけばけ』の主人公の夫のモデル小泉八雲はどんな人だったんだろう?① | よどの流れ者のブログ
https://ameblo.jp/s21y24/entry-12923911589.html
出雲では万事柔和で古風であった。
しかしそうなると、この鶴見の言及が、なぜ1953年から今(2025年)に至るまで間違いを指摘されてこなかったのかはわからなくなってしまった。
単純に、小泉八雲の専門家の目に触れる機会がなかったからだろうか。
それとも鶴見の権威を恐れて間違いを指摘する者が現れなかったのか。
今の私は見当がつかない。
そもそも貧乏人は本を読むの禁止、なんて主張が通っている社会ではないでしょ日本は。
罰則は無いけど、国立国会図書館に納本するのは名目上は義務になっているし、図書館の価値を推したいのなら、むしろ最新刊よりも絶版で読めない本が読めます、と広める方が余程有意義では。
自分も、神さまはつらい、とか、英国公使夫人の見た明治日本、とか、編曲の本、とか、もう中古でも簡単に買えないような本を図書館でお世話になったよ。
図書館に通って知的レヴェルを上げるのはわかるけど、それこそ本を読んでたらわかるけど、最新刊よりも何十年とか下手したら何百年前なのに今でも有効な情報の方が価値があるのでは。最新刊の情報価値なんて下手したら1年も持たない事がザラだよ。
知的好奇心を示している割に、酷く俗っぽい下賎な価値観じゃないかしら。
作家に図書館で読んだと伝える事が、どう図書館を推進する事になるのか全く不明。
私たちが 居間の古いテーブルを囲んで座っていると突然 奇妙な足音が聞こえてきた。窓から外をうかがうと ふらふらと歩く痩せ細った人々の列だった。丸刈りの頭に 青白い顔。しま模様の上着とズボンが 体のまわりにだらりと垂れさがっている。
彼らは かぼそい脚で 木製の靴を引きずるようにして歩いていた。肩から自動小銃を下げた親衛隊の監視たちが その横を歩いている。
その1人が玄関をたたいた。自分たちはヴィーゼングルント収容所から来た作業班で麦わらと豆を運びに来たのだと言う。
前日の雨で 地面は ぬかるんでどろどろになっていた。麦わらの俵は かなり重い。積み上げられた俵を降ろそうとよじのぼった囚人たちは足を滑らせ 俵もろとも転がり落ちてしまった。
母は薪まきで火をたき大鍋でジャガイモをゆでていた。
『あの人たちは飢えている。とにかく 何か食べさせなければ』。
そう言って 母は 鍋のふたを開けみんなに ジャガイモがゆで上がったことを知らせた。
囚人たちが殺到し 大鍋がひっくり返ってしまった。ゆでたてのイモが地面に転げ落ちる。
彼らは やけどするほど熱々のイモを奪い合い泥だらけのまま がつがつとかぶりつき始めた。
両手で 口の中に 目いっぱい詰め込んでもっと つかもうとしてぬかるんだ地面に はいつくばる。
1つでも多くのイモを手に入れようと必死になって奪い合っている。
『この人たち 一体 何なの?』。恐れおののく母に『ユダヤ人だよ!』と監視が答えた。『ご覧のとおり 人間以下だよ』。
その時 突然 背後からつぶやく声がした。流暢なドイツ語で 静かな怒りがこもっていた。
『あんたらが 僕らを獣に変えたんじゃないか。この仕打ちは いずれ自分自身に返ってくるだろう』。
振り返ると 青白く やつれた顔が目に入った。大きな灰色の瞳は不気味な光を放っている。
それは 年若い囚人だった。彼だけは ジャガイモに飛びつかなかった。離れた場所に立ち 拳を握りしめてイモをめぐる争いを見つめていた。
回想録「谷間を覆う闇」ヴェンデルガルト・フォン・シュターゲン著
NHK Eテレ ドキュランドへようこそ「独・うちの敷地には強制収容所があった」
アングル:物資求めるガザ住民に「死の罠」、配給所付近でイスラエル軍が銃撃 |ロイター
https://jp.reuters.com/economy/DLCNLT63JVIIBAKE6FAAS3QK3M-2025-06-11/
物資配給所では、開門前から長蛇の列ができていた。その先には砂の壁で囲まれた場所があり、テーブルや地面に物資の箱が置かれていた。
開門と同時に数千人が殺到した様子を、サラマさんは「死の罠」と説明した。
「生き残るのは強者だ。体力があって人より早く到着し、人を押しのけて箱を手に入れられる者だ。自分の肋骨同士がぶつかり合っているのを感じた。胸が内側に押し込まれるような感覚だった。呼吸が、できなかった。人々は叫んでいた。まったく呼吸できなかった」
配給現場との往復途中、頭上を弾丸が飛び交い、はいずり回ったり身を隠したりした
援助を受けるのは困難だと分かっていたが、5人の子どもには食料が必要だったと話す。子どもらはこの数カ月間、レンズ豆やパスタしか食べておらず、1日1食の日も多いという。
「米国企業(GHF)の援助拠点に行くのはまったく嫌だった。どれだけ屈辱的なことかを聞き、知っていたからだ。だが、何が何でも家族を食べさせる必要があり、やむを得なかった」
ガザの保健当局は9日、新しい配給システムが導入されてからの2週間、ほぼ毎日銃撃があり、物資を受け取ろうとしたパレスチナ人127人が死亡したと発表した。
ガザ配給所攻撃で死者300人 イスラエル軍の銃撃相次ぐ:中日新聞Web
https://www.chunichi.co.jp/article/1082863
米国とイスラエル主導で設立した「ガザ人道財団」の物資配給拠点周辺での攻撃による死者が300人に上ったと発表した。負傷者は2600人以上。財団の拠点付近では殺到する住民へのイスラエル軍の銃撃が相次いでいる。
邦訳本
谷間の強制収容所 :ナチス時代のある青春 -国立国会図書館デジタルコレクション
で検索すると、「やっかいどう米」という表現はあまり使われていないように思える。
で
...-北海道の場合-ヤッカイドウ米昭和四五年度から、いよいよ"米減らし政策"に...
とある。
その後、とんで87年に
...さらには「ヤッカイドウ米」などと悪評の高かった道産米が、...
と出て、その後は91年に3件、94年に1件と、00年以前には6件にしか使われていない表現であった。
そして00年から今までをあわせても10件しかなく、北海道や農業関係外から言及されているわけでもないので、面白い語呂合わせだとは思うが、あまり当時の人々はそれほどこの言葉を(文章に残すほど)印象的に使っていたわけではないのかもしれない。
追加情報。
出力結果:
以下に、刑務所収容コストと生活保護費に関する信頼できる公的資料のURLをまとめました。いずれも一次情報に基づいており、投稿内容のファクトチェックや再検証にご活用いただけます。
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- 被収容者1人あたりの年間コストや収容人員数など、矯正施設の運営に関する詳細な情報が記載されています。
-刑務所の年間コストに関する過去のデータや参考文献が紹介されています。
-URL: ([レファレンス協同データベース][2])
-法務省のデータを基に、刑務所の被収容者1人あたりの生活費や総経費について解説されています。
-URL: ([ダイヤモンド・オンライン][3])([ダイヤモンド・オンライン][3])
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1.厚生労働省「生活保護制度の現状について」資料(2022年)
-生活保護費の国庫負担額や被保護者数など、制度の概要がまとめられています。
2.厚生労働省「第4生活保護制度について」資料(2020年)
-生活保護費の国庫負担率や制度の詳細について解説されています。
3.関西広域連合「生活保護関係経費に対する財源措置の現状」資料(2013年)
-生活保護費の財源措置や地方自治体の負担割合について説明されています。
-URL: ([近畿地方公共団体情報サイト][6])([近畿地方公共団体情報サイト][6])
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これらの資料を基に、刑務所収容コストと生活保護費の比較を行うことで、投稿内容の正確性を検証できます。特に、最新のデータや公的機関の資料を参照することで、より正確な情報を得ることが可能です。必要に応じて、これらの資料を活用して詳細な分析を行ってください。
[1]:https://www.moj.go.jp/content/001215280.pdf?utm_source=chatgpt.com "[PDF] 【法務省】矯正業務"
[2]:https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000150029&page=ref_view&utm_source=chatgpt.com "刑務所に収容されている人ひとり当たりの年間経費がわかる資料は ..."
[3]:https://diamond.jp/articles/-/328811?page=4&utm_source=chatgpt.com "「犯罪者にこんなに手厚くていいのか」刑務官も苦悩…刑務所“介護 ..."
[4]:https://www.mhlw.go.jp/content/12002000/000977977.pdf?utm_source=chatgpt.com "[PDF]生活保護制度の現状について -厚生労働省"
[5]:https://www.mhlw.go.jp/topics/2020/01/dl/9_shakaiengo-03.pdf?utm_source=chatgpt.com "[PDF] 第4生活保護制度について -厚生労働省"
[6]:https://www.kouiki-kansai.jp/material/files/group/3/1378455451.pdf?utm_source=chatgpt.com "[PDF]生活保護関係経費に対する財源措置の現状(イメージ)"
ChatGTPを根拠にするならDeepResearchか、せめてo3+Web検索くらいは使って欲しい。
今回はo3+Web検索なので出典URLは最小限に留められたが、DeepResearchであればURL付きで出典リストまで示してくれる。
Prompt:以下の投稿のファクトチェックをお願い。根拠となる資料のリンクを必ず含めて。出典が示されていないWebページの記述は無視すること。■[元増田コピペ]
以下では 「刑務所の年間コストはいくらか」「生活保護の年間コストはいくらか」 を、公開されている一次資料・公的統計に基づいて検証し、投稿内の数値( 「刑務所 300〜400 万円」「生活保護100〜150 万円」 )と照合します。結論を先にまとめると――
最新の国の支出規模を用いて試算すると、
▸刑務所(矯正施設)… 1人あたり約 4.7 〜 5.0 百万円/年
▸生活保護(国庫分のみ)… 1人あたり約 1.8 百万円/年
▸生活保護(国+自治体)… 1人あたり約 2.4 百万円/年
したがって、投稿の「刑務所 300〜400 万円」「生活保護100〜150 万円」という値は どちらも過少 であり、「刑務所の方が高い」という方向性は正しいものの、差額は投稿が示すより小さい ことが分かります。
---
| 項目 | 最新データ | 出典 |
| -------------------- | ----------------------------- | ------------- |
| 刑事施設関係予算(2022年度) | 1,977 億円 | 法務省矯正局パンフレット |
| 年末受刑者人員(2022年末) | 35,843 人(受刑者)/41,541 人(被収容者計) | 『令和5年版犯罪白書』 |
### 年間コストの試算
1,977 億円 ÷ 41,541 人 ≒ 4.76 百万円/人・年
(受刑者だけで割ると 5.52 百万円/人・年)
* 参考までに、法務省資料には “生活費分” として 1人 1日 2,179 円 という数値(年換算 約 80 万円)も併記されているが、これは食費などの「直接費」だけで、職員人件費等は別。
*研究・講演資料では「年間 300〜320 万円」という引用もしばしば見られるが、それらは上記の直接費部分だけを抜き出して概算した値であることが、国会図書館レファレンス や日立財団講演資料 ([hitachi-zaidan.org][1]) でも確認できる。
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| 項目 | 最新データ | 出典 |
| ---------------------------- | ----------------- | -------------- |
| 生活保護費国庫負担金(2022・令和4年度当初) | 約 3.7 兆円(国が3/4負担) | 厚生労働省資料 |
| 被保護実人員(2022年度月平均) | 2,024,586 人 | 厚生労働省「被保護者調査」 |
### 年間コストの試算
国負担分 3.7 兆円 ÷2.02 百万人 ≒ 1.83 百万円/人・年
国が3/4、自治体が1/4を負担するため、総事業費ベース では
3.7 兆円 ÷0.75 ≒ 4.93 兆円 → 2.44 百万円/人・年
- 県資料でも「1世帯あたり年間2,063 千円(月額17.2 万円)」という実績値が報告されている 。
- 単身高齢者の現金給付部分(生活扶助+住宅扶助)は概ね月7〜9万円(年80〜110万円)だが、医療扶助が平均でほぼ同額上乗せされるため、現金給付額だけで全体コストを論じるのは不完全。具体的な扶助基準例は厚労省Q\&A や各労働局資料 で確認できる。
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| 区分 | 投稿値 | 公的データによる試算 |
| ------- | ---------- | ---------------------------------- |
| 刑務所コスト | 300〜400 万円 | 約 470〜550 万円(全額) |
| 生活保護コスト | 100〜150 万円 | 約 180 万円(国負担のみ)〜 240 万円(国+自治体) |
規模感 : 最新の統計を用いると、刑務所 :生活保護=約2 : 1。投稿の「約3 : 1〜4 : 1」は過大。
原因 :刑務所側は人件費・施設費が大きく、生活保護側は医療扶助がコストの約半分を占める。直接給付だけを比較すると差が開き過ぎるので注意が必要。
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## 4. 信頼できる情報の探し方
1.刑務所コストは法務省矯正局の予算資料・犯罪白書に集約されている。
2.生活保護コストは厚生労働省「生活保護費負担金(予算)」と「被保護者調査(実績)」を組み合わせると1人あたり金額を計算できる。
3.二次情報(個人ブログ等)は、公的統計のどの部分を引用しているか必ず確認する。出典の無い記述はエビデンスとして用いない。
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5.日立財団シンポジウム資料 ([hitachi-zaidan.org][1])
6.厚生労働省『生活保護制度の現状について』(3.7 兆円)
8.沖縄県資料「生活保護費の実態」(世帯年額 2,063 千円)
10.鹿児島労働局資料「最低賃金と生活保護費比較」(扶助基準)
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### まとめ
[1]:https://www.hitachi-zaidan.org/mirai/01/symposium/presentation02-03.html "高齢者の犯罪における加害と被害 -日立財団"
捨て仮名というのは「っ」とか「ょ」みたいな小さい仮名のこと。どうも、捨て仮名を行頭に配置しないというのが組版の絶対的なルールだと思っている人がいるみたいだ。
「拗音を行頭に配置しない」というのは長い組版の歴史を通じて成り立ったルールで、人々もそれに慣れ親しんでいる。その常識を真っ向から覆すにしてはかなり安っぽい決断に思える。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4767174559451651009/comment/dkn97bw
これに猛烈な違和感、フックを感じる辺りが、日本語印刷の大きなルールが認識され共有されていることの現れかなと思う。これが蔓延してルールが破壊されるのはちょいと困るけれども、まぁ狙ってやってるなら。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4767174559451651009/comment/Mu_KuP
うーん。でも、やっぱり変だと思うし気持ち悪いかも。判断した人、小説とか読まなそうだなーってなる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4767174559451651009/comment/qq3
しかし、そんなことはない。手持ちの本や雑誌をぺらぺらめくれば、行頭に配置されている捨て仮名がすぐに見つかるはずだ。
探すのが面倒という人のために、国立国会図書館のデジタルコレクションから例を見つけてやったぞ。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2436467/1/48
左のページの下の段の2行目、行頭に「ゃ」が来てるよな?
明治天皇・今上天皇実業御奨励御事蹟 -国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/946331/1/26?keyword=%E5%A5%B3%E5%AD%90%E3%81%AF%E8%B5%A4
https://dl.ndl.go.jp/pid/1582957/1/8?keyword=%E5%A5%B3%E5%AD%90%E3%81%AF%E8%B5%A4
越前屋のエチゼンヤの五文字を表す電燈看板は赤色の着色電球を使用して居るが此赤色は女が好む色であるから呉服屋用の看板には心理學上から見て最適である。米國コロンビア大學のウ井スラー敎授が男女約三百人に就て各色の嗜好を試験した際に、男子が最も好んた色は藍色が多く女子は赤色を最も多く好んだ由である。
自閉という訳語を誰が思いついたのかについて辿っている記事めちゃくちゃありがたい
本田秀夫(2018)「自閉という言葉の由来と概念の変遷」『信州医誌』66(5): 305-6.https://t.co/jQclAD3K0u— 篠宮紗和子/Sawako Shinomiya (@SawakoShinomiya)November 5, 2024
秋元先生より一代前の教授の内村祐之先生が書かれた「わが歩みし精神医学の道」(みすず書房,1968年)という本であった。その中に,「……精神医学―従来の精神病学に代えて―や自閉症などの訳語は,この時(註:上記の統一用語試案の作成時)に私が提唱したものであった」と書かれていたのである。
とあるが、これを補強する記述が、内村祐之が1933年『神経学雑誌』に寄稿した「精神病学用語ノ邦訳ニ就イテ」に書かれている。
神経学雑誌 = Neurologia 36(7) - 国立国会図書館デジタルコレクション
次に近時精神病学的用語として導入せられ、日常臨床的に甚だ便利且つ重要であるに係らず、或は種々に翻訳せられ、或は適当なる訳語を得ないために、一般に十分に理解されるに至らない二三の術語を取り上げて見よう。その代表的のものはAutismusである。最初に今村教授[註:今村新吉]は之を自家籠城と訳され(神経学雑誌二十七巻昭和二年)、吉益氏[註:吉益脩夫]は之に似て自己籠居症と訳された(中外医事新報一一八八号昭和七年)。高良博士[註:高良武久]は自生活主義を訳語とされ(同氏性格学昭和六年)、杉田教授[註:杉田直樹]は自己内生活と訳されて居る(同教授著小精神病学八版昭和八年)。その何れも、原語の内容を十分に表現して居る訳語であると敬服に堪えない。然し私の忌憚のない感想を述べることを許されるならば、その訳語が一症候の訳語としては稍や長く、或は用辞が物々し過ぎる嫌いがある。今少し簡潔な訳字が欲しい。又Autismusが元々一つの病的症状として記載されたものであるから、訳語の語尾も従来の慣例に従って症とする様な言葉が望ましい。私案としては今村教授と吉益氏の訳語を縮めてAutismusを自籠症、autistischを自籠的と訳するのは如何であろうか。或は語呂の連想が悪いとあらば自閉症及び自閉的でもよいと思う。
選挙権を得て初の選挙が衆議院選挙という、いきなり大きな選挙になってしまったという気持ちを持ちつつ、投票先を選定している。
の3人。
正直なところ、いずれの候補者も何を主張している(前職の場合は何をしていたのかも)のかよく知らないというところ。(国会の議事録を漁ったらいいのかしら?国立国会図書館の検索システムがずいぶん便利で驚いた。)
国民民主党から候補者が出たら注視しようと思っていたけど、出なかったので早速方向を見失った。試しに各種ボートマッチングのサイトをやってみると、国民民主党、自民党、維新が上位で、共産党は下位という具合だった。
スキャンダルはよほどの事(有罪判決を受けたとか、何かの現行犯で捕まったとか)がない限りあまり(あまり)気にしない方針で考る。
大岡(自民)は、今まで4期務めていて安定感がある。駅でチラシをもらったが、基本的には良いと思うことが書いてあった。まあ、こういうのには都合の良いことを書くものである。
旧二階派に所属していたそうで(派閥解散のニュースでちょっと映っていた)、自民党の総裁選挙では野田聖子の推薦人になったが擁立できず、石破氏に投票したらしい。高市早苗は少しうーんだったので、おっとはなる。
斉藤(維新)は、当選1回でかなり若い。前原誠司の秘書から政界入りしたそうで、一連の国民民主党からの分裂・維新への合流も前原についていったというところか。言えば「前原派」?
比例で当選した任期中に他の政党に行ったというのは感心しない。任期が終わってからにするべきだった。主張している政策は正直なところあまり知らない。教育の無償化を主張しているというのはNHKのニュースで見た。
黄野瀬(共産)は、新人で今まで何をしていたのかほとんどわからない(新人は皆そう)。Twitterアカウントがあるので見てみると、基本的には日本共産党の主張そのままという具合に見えた(それはそう)。2児の母であることから、子育て環境への課題について造詣が深いのではないか。
しかし、共産党は外交とか安全保障がてんで合わないのと、京都での除名騒動や、京都での除名手続きには不備があるのではと指摘したら除籍されたという福岡の騒動などから共産党への印象があまりよろしくない。個人を見るのは重要だが、結局は組織の人間なのでそれも見なければいけない。
AFEE(エンターテイメント表現の自由の会)の表現の自由に関するアンケート(https://shuinsen2024.afee.jp/)、の「実在しない児童(キャラクター)を描写した、過激な性的・暴力等の表現を含むマンガ・アニメ・ゲーム等について、成人が所持・提供・製造すること等を法令で規制するべきと考えますか?」という設問に対して、大岡は「法令で規制するべきではない」、斉藤は「法令で規制するべき」と回答した。黄野瀬の回答は掲載されていなかった。
他の設問への回答も見ると大岡の回答は自分の答えに近く、評価できる。一方斉藤は若干うーんという感じ。
以上を勘案すると、順番で言えば大岡、斉藤、黄野瀬という順番か。正直自民党に入れるのも少しうーん(比例だとちょっと厳しい)なんだけど、今の所一番よいと思える。
これは弥助問題の元ネタ論文でも何でもない可能性が高いので,論文をちゃんと読んでください。
っていうか,こういったテーマについては,藤田みどり『アフリカ「発見」――日本におけるアフリカ像の変遷』(岩波書店,2005年)っていう研究書がちゃんと出ているので,ネット上でかしましい皆様におかれてはまずはそういった文献もあたってみてください(ちなみに,この研究書のもとになった博士論文は国立国会図書館デジタルコレクションで読めます)。
注をよく見てみましょう。おや? 日本語の文献が引用されていませんね。日本語の文献を引用せずに日本史研究ができるんでしょうか? これは問題ではないのですか?
はい,問題ありません。なぜならこれは,タイトル「アジア人と黒人のあいだでの人種と人種観の利用――日系・アフリカ系アメリカ人の場合」からも分かるように,日本史の論文ではなくアフリカ系アメリカ人を主題にした論文だからです。
これはどう読んでも,アメリカの黒人の日本人観および日系人との関わりについてカリフォルニアを中心に調査した論文,つまりはアメリカ黒人の歴史に関する論文であって,ロックリー氏や岡氏がこれを読んでいないと断言することはできませんが(誰しも専門分野外の本や論文を読むことだってあるでしょう),わざわざこれを「元ネタ」にするなどということはとうていあり得そうもないことです。彼らがこの論文を参考にして立論しているのでは? などというのは,馬の心肺機能に関する研究が『ウマ娘 プリティーダービー』を参考にしているのでは? と言っているようなものです。ジャンル違いすぎるわ! あとドリームジャーニー引けなくて凹むわ! っていうか今回のLoHは千直だから荒れそうって言ったの誰だよ! ふつうに安定して英雄譚取れたから拍子抜けしたわ!
こういうときは注を見て,どんな文献に基づいてこの話をしてるのか? っていうのをチェックするんですよ。弥助が出てくる部分の出典は,第一にMichael Cooper,comp.They Came toJapan: An Anthology of European ReportsonJapan, 1543-1640 (Berkeley: University of California Press, 1965)っていう本の66ページで,これはまあ当時のヨーロッパ人が日本について書いたものをまとめて英訳した,っていうやつですから,多分日本語でも同じコンセプトの本はあると思うのでそれを探せばいいでしょう。第二は,Gary P. Leupp, Images of Black People in Late Mediaeval and Early ModernJapan, 1543-1900,Japan Forum 7,no.1 (1995)っていう論文で,ペイウォールの向こうに行ければ読めます(https://doi.org/10.1080/09555809508721524)。要するに,著者のデイヴィド・ライス氏(カリフォルニア大学バークレー校所属)は日本語読めないので,英訳された史料や英語で書かれた論文を典拠にして,本題に入る前のマクラとして弥助についてちょろっと書いたということでしょう。
仮に彼が日本史の研究者なら日本語を読めないのは問題外ですが,論文の内容から察するにあくまでアメリカ黒人史の研究者なので,それならまあ日本語の論文読んでないのも仕方ないかなという感じ。なんだろう,アーサー王伝説そのものについて研究するなら,古い時代の英語とかウェールズ語とかの史料が読めないといけないけど,「日本人がどんなふうにアーサー王伝説を受容したか」という研究なら,『Fate/stay night』が読めれば十分で,アーサー王については日本語の本を参考にしてても構わないじゃないですか。この論文もそんな感じです。
なので,ふつうの日本中世史研究者が,この論文を典拠として用いることはまずないです。だって普通に考えて,こんなの典拠にならないっしょ? 中世ヨーロッパ史の研究者が論拠として『Fate』を参考にするなんてあり得ると思います? そりゃ絶対あり得ないとは言えないけど,そういう蓋然性が薄い推測をわざわざするならもっと直接的な証拠(本の中でこの論文を引用してるとか)を持ってきてもらわないと……
(もちろん,最近は中世ヨーロッパ史の研究者が日本におけるヨーロッパ表象の研究に手を出していたりするので,そういう研究で『Fate』を史料として用いるのは全然あり得るっていうかもうやってる人はいたはずなんですが。そのへんの研究動向は,たとえばhttps://doi.org/10.34382/00003197とかhttps://doi.org/10.34382/00003198とかの論文を読んでもろて……あ,話がズレた)
この論文,表象の研究としてはまあ手堅いので,弥助論争に巻き込まれて変な受け止められ方をするのは気の毒だと思いました。ただそれはそれとして,日系サイドの話もアフリカ系の新聞に基づいて書かれているきらいがあるので,論文のタイトルから「アジア人」「日系」を外して黒人についての論文だと明確化するか,あるいは日系人についてもちゃんと彼らの出してた新聞を読み込んで「日系から見たアフリカ系」を調査しないとダメなんじゃないかなぁ,とは思います。まあ,当時の日系人が出してた新聞って日本語で書かれたやつがいっぱいあるので,単純に読めないのかもしれませんが,だったらなおさら「これは2つのマイノリティについての話です(キリッ」と謳うんじゃなくて,「これはあくまで黒人史の話でっせ」という断りを入れた方がよいような。日系人の歴史は黒人史の添え物とちゃうねんで。
ちゃんと読むっていうのは,この論文のテーマは何で,どういう史料を使っていて,という,基本的なことを確かめながら読むことです。そうすれば,どれが話のマクラに過ぎず,どれが本題なのか,っていうのがわかって,「アメリカ黒人史の論文が日本中世史研究者の元ネタだったんだよ!」なんていうアホな主張をすることもなかったはずなので。
thirty206 ゆるっと使えて便利やからね、仕方ないね。/女性器が緩い、という用法では少なくとも1953年までは遡れる。https://x.gd/5Y24u
mobile_neko淫夢ネタにはほとんど触れずにインターネットしてきたのでよくわからんが、元々「ガバガバ」という言葉の用法にあったからビデオ内で使われて視聴者も理解できたのでは?
mutinomuti 40年前にお下がり着てる子どもにガバガバだね、詰めようかっていってたよ@関西
WinterMute "淫夢由来の言葉" 違います。お前の認識ガバガバだな
ignio青空文庫はこういうときに便利。大倉燁子の「恐怖の幻兵団員」(昭和25年)に「孔のまわりの羽目板はがばがばにゆるんでいる」という文がある。
red_kawa5373id:ignio国立国会図書館サイトも良い。昭和28(1953)年の最高裁判例に「ガバガバのゴム長靴を履いて」な記述があるので、ガバガバの「しまりがない」の意味は淫夢由来ってのは違うと思う。https://dl.ndl.go.jp/pid/1349044/1/52
officesitter昭和の筒井康隆の短篇で、女性に対する罵倒語として使われていたのを見て覚えた。自分の口から発したことはない言葉。なんとなく関西弁っぽい気がする。
ni_ls ウン十年前の高校(男子校)生時代、ガバガバアナルの略で「ガバナル」って呼ばれてた先輩がいたよ
redundancy 老が使ってる時点で元ネタそこじゃないって気づくだろうから書き手の判断力がガバガバっていうネタでは
otihateten3510普通に使う言葉を淫夢用語だと思う方が何倍も恥ずかしいけどなあ
star_123最初しか呼んでないけど前世紀からそういう意味で使われてたような…
marilyn-yasu淫夢以前から穴の精度が悪くてガバガバ、計画が穴だらけでガバガバなんて使ってたから何言ってんだコイツとしか思えない。
ht_s 老人が(も)淫夢由来でガバガバって言葉を使っているあるいは淫夢以前は使っていなかったと思えるの、ちょっとかわいいな。バカほどかわいいってこれか。