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はてなキーワード:四十九日とは

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2025-10-09

anond:20251009153943

最近四十九日初七日にまとめるプラン提示してくれるよ。時間も値段も節約できる

納骨で月額掛かるなら、亡くなる前に水葬で良いか聞こう。骨をそのまま海に流して終わりだよ

これから日本高齢の人が多く亡くなっていくから、安く早く弔っていこうな。

Permalink |記事への反応(0) | 23:48

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2025-09-29

15歳の時、母から私たちは血がつながっていない」と打ち明けられた

まあ、そうだろうなと思った。

しろ父親とは血がつながっているというのが意外でもあった。

僕の顔立ちと体格は完全に西欧人のそれだからだ。

さなから、遠い先祖外国人がいて、その影響がたまたま強く出たと教えられてきたけど、どうにも納得できなかった。

本当のところは父親の前妻が外国人で、僕はそのハーフだったらしい。

その年、父が死んだ。

四十九日も終わったころ、母が

あなたと私は血がつながっていない。嫌ならこの家を出て、自分の好きな場所暮らしていい。お父さんが残してくれたお金で、生活には困らないはず」

と言ってきた。

でもちゃんと、「もちろんあなたのことは愛している」と、付け加えていた。

正直、けっこうこたえた。

もしかして僕のこと、嫌いだったのかなと少しだけ思った。

でも、その言葉とセットで「東京に行こう」と即決していた自分がいた。

もともと、東京学校に進学したいという気持ちはあった。

中学時代、ふとしたきっかけで吹奏楽を始めて、異常に音楽の適性があったみたいで、顧問先生が「君には特別な才能があるかもしれない。知り合いの先生を紹介してあげるから東京に進学してみたら」と勧めてくれた。

でも、うちにはそんな金がない。

学費もそうだが、一人暮らしなんて夢のまた夢だった。

ずっと音楽を続けたいとは思っていたけど、現実的じゃなかった。

そんなとき、母の「血がつながっていない。嫌なら出ていっていい」という台詞

なんだか心臓の奥を殴られたような気がしたけど、同時に妙に納得して、「じゃあ東京行くか」とほとんど条件反射で決めていた。

それから音楽に打ち込んで、卒業した後もなんだかんだでずっと音楽に関わって生きてきた。

気がつくと、当時の自分には想像もつかなかった形で、今も音楽世界一角で何不自由なく食えている。

それも、あのとき決断のおかげなんだろうなと思っている。

先日、母が亡くなった。

考えてみれば、母の愛情を疑ったのはあのときだけだった。

東京に出たあと、何かあるたびに世話を焼いてくれて、誕生日に贈り物が届いたり、季節の果物が突如として宅配便で送りつけられてきたり。

それは、多分、「実の母」のそれだった。

後になって気づいた。

あの告白も、「お前はここにいてもいいし、出て行ってもいいんだよ」という、母なりの背中の押し方だったんだろう。

僕ならきっと、母と、当時2歳だった弟のために地元に残るだろう、と見抜かれていたのかもしれない。

から、そういう予定調和みたいなものをぶち壊して、ちゃん自分の道を選びなさいと、あえて突き放したんだろう。

弟とふたり遺品整理をしていたら、財産目録と一緒に僕ら兄弟それぞれに宛てた手紙が出てきた。

手紙にはたくさんのことが書かれていたけれど、最後に母は「あのときはほんとうにごめんなさい。本当はあんな言い方をするつもりはなかったのだけれど、でもああするしか後押しする方法が思いつかなかった。もっと良いやり方があったはずだった、とずっと後悔してきた。許してほしい」と書いていた。

弟と二人で黙って手紙を読み終えた。

もう何年も経っているはずなのに、読み終わった瞬間だけ、母から真実を告げられたとき居間空気が蘇った気がした。

手紙を畳んで封筒に戻し、母の字を指でなぞってみる。

さらどうこう言葉を返すこともできないし、「許す」とか「ありがとう」とか、定型感情仕舞うには少し足りない。

ただ一つだけ、あの時の言葉も、背中を押してくれた母の決断も、全部含めて「ああ、これが自分人生なんだ」と思った。

それからしばらく、遺品の片付けや事務的手続きで走り回った。

弟は何ひとつ文句も言わず淡々必要作業を進めていった。

台所に残った母の急須、寝室の押し入れにしまってあった古いアルバム、引き出しに片付けられた未使用封筒

物だけが淡々と残っていて、思い出も物語も、特に感傷に浸ることもなく過ぎていく。

東京に出てからの母とのやり取りをふと思い出す。

電話越し、それとなく気遣う言葉、たまに肩の力が抜けたような笑い。どれも普通だ。家族だった。

親子の物語なんて結局あとづけでしかなくて、たまたまそこにいただけ、という感覚けがじっと残る。

母がいなくなって、名義変更相続…そういう現実的な事だけが膝元に転がってくる。

結局、人が何をしても、ただ、その都度、選んだ結果だけがかに積み上がっていく。

今も自分音楽仕事をしている。

東京暮らしながら、弟とは以前ほど頻繁に会うこともなくなったけれど、あの家族物語以外、特別ドラマは何もなく、それで充分だと思う。

Permalink |記事への反応(2) | 20:13

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2025-09-23

ねこねこネットワーク、あってたまる

飼える住環境だったり、適性がある人のところに猫が送り込まれてくるとかい都市伝説NNN。信じていない。猫のことをやれ構成員とか諜報員エージェントって呼んだり、ニンゲンは常に見られているとか、こんなのぎりぎり陰謀論じゃない?

少し前に生後4ヶ月いかいくらの子猫を拾った。(拾ったていうか、通勤で何回か見かけていた子猫を餌やり好きな近所の人が捕獲して、通りすがった自分のところに回ってきた…という流れだから正確には少し違うんだけど)

たまたま自分の住んでいるワンルーム賃貸ペット可で、猫じゃらしやら洗いたてのシステムトイレやら、成猫用ではあるけどフードやおやつもある。そこで今は3段ケージで家猫修行中のキジトラ自分一挙一動監視している。しかきょうだい2匹。

猫がいない生活って思いつきで旅行に行けるし、早起き強制されないし、残業もやり放題で、ここら辺で少し稼いで貯めつつ適度に楽しく使って…なんて穏やかなものだった。2ヶ月弱しか続かなかったけど。

四十九日を過ぎたばかりで新しい、しか若い猫を連れ込むなんて、君は呆れるだろうか。光源氏ももう少し節度があったんじゃないか?先代って呼ぶにはまだ距離が近過ぎて、冗談に包んだ「〇〇大明神」とか「〇〇大権現」なんて言わないと次のことばが出なくなる。ここ五十幾日は人生迷走していて、家賃を払った記憶が丸ごと抜けていて焦ったり、冷凍庫記憶に無いパンが入っていたり、挙句の果てには航空券チケットの姓名を逆で予約したりしていたよ。ここで幼猫2匹抱えてもう一回地に足を着けて生きていけって言われているみたい。この滅茶苦茶が避妊去勢の準備とか、ばりばりのカーペットとか、カーテンは登らないで!に変わるんだろうか。

最近まで一緒に暮らしていたのは、こっちは正真正銘自分で拾った猫で、ずいぶん賢くてニンゲン言葉理解し、小さな顔に長い手足としっぽが際立った綺麗な白黒だった。

それが某区猫スラングを使い、寝るとか食べるとかの生活動作以外は「うなる」コマンドで済まそうとする、区中の縞猫を集めたら見分けがつかなそうな柄×2だ。可愛い顔をしてはいると思うけど、保護猫の譲渡会に行くことがあったとしたら、きっと選ばなかった2匹だろうから、何があるかわからない。

こんな調子で本当に「NNN」なる組織があるというなら、一生であと何匹の猫に捕まるんだろう。今回と前回はただ偶然の、星5を連続で引いた事象であり再現困難であって欲しい。思えば自分の親も猫を複数回拾った人だった。末代まで祟るって、もしかして子々孫々纏わりつき倒すって意味だったんだろうか。

そろそろ家を買うのもありだななんて思って不動産探しをしていたところだから複数飼育可の細則で、猫用ドアの設置も検討する必要が出てきた。嘘みたいなタイミング。こうして人は陰謀論者になるのかも。

元気かどうかは日によるけど、後輩どもを何とか立派な家猫にしてやるから、見守っていてくれよ。万が一の次の話だけど、君の生まれ変わり以外を送り込むのは、どうかご海容ください。

Permalink |記事への反応(1) | 21:19

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2025-08-30

子猫家族と睨み合っている

夜に散歩に行っている。近所で見つけた子猫の様子を見るために、日付が変わるのを待つ。

ブロック先には警察署、職質されたときの受け答えのシミュレーションをしながらしゃがむ。はいネコが好きなんですよ、あ、身分証明書ってマイナでいいですか?

やっと指であやせるようになったけど、擦り付いてくるまではもう少しかかりそうだ。

1ヶ月ほど前、銭湯の帰り道で若い猫を見た。

家に居たくないからってだけの理由で探した、1つ隣の駅の近くの、初めて行った銭湯

褐色の縞々の、「野良猫の柄といえば?」で半分くらいの人が想像しそうな、痩せたメス。大体の野良猫手ぶら人間に全く興味がないから、一瞥して路地裏に駆けて行った。いいお湯のおかげで気分も悪くなかったし、何となくその日以降は手前の駅から帰ることに決めた。

子猫を見つけたのは二十日ほど前、会社帰りの夜道の街灯の下で跳ねている影の正体を確かめに行って見つけた。銭湯帰りのときのメスが3匹、率いている。子猫コピーしたみたいに皆そっくりな模様で、明らかにこの猫からまれた子みたいだ。しっぽの長さくらしか個体差がない。長、中、くしゃくしゃ。月齢で言ったら3ヶ月は行っていない。5m手前くらいまで寄ったらてんでんばらばら逃げていく。

休みを挟みつつ、ここ数日で親離れしたようで、今は子猫けが夕方になると空き家の庭先に固まっている。目の前の家に住む餌やり住人曰く、子が母猫に近寄るとビンタされるようになったらしい。これからごはんを奪い合う関係なのは自然の摂理とはいえ人間でいったら小学生くらいの年齢だから厳しいものがある。

自分はここ数年、諸般の事情野良猫を触らないようにしてきた。

でも、それとは別の事情で、家には(成猫用だけど)ちょっといいキャットフード、洗ったばかりのトイレ、未使用おもちゃが揃っている。ネコ科のための部屋にどうしてか人間けが収まっている、無気力動物園の展示室みたいな暮らしをしてる。

から拒否された子猫は心細いのか退屈なのか警戒心が少し薄れて、不審者No.いくつから顔馴染みに昇格した自分を見ながら、にょろにょろ道路脇に転がったりする。

エゴだけど、半端に人慣れすることは、よから目的捕獲する輩の被害に遭うことになりかねないから、人間には近寄らないか、ここぞという人にしがみついて家に上がり込むかのどっちかにしてほしい。

今夜もこれからまた子猫に会いにいく。昼間は暑くて出てこないのと、車通りが多いか電車が終わったあたりに行っている。

どうやら長いしっぽの1匹が消えたらしくて、ここから先に自分踏み込むべきなのか迷う。

既に何かしら病気を持っているかもしれないし、虫とか食べてきただろうし、人間に比べたら長さも強さも儚い命のくせに残す爪痕は大きいし、それに、子猫もまだ、このニンゲンちょっと怖いと言っている。

でも一緒に暮らしたら何だかんだで仲良くなれて、妙ないたずらで笑える気もしている。

暇な神様だか諜報機関にでも目をつけられてるみたいで、ずいぶん猫に出くわす人生だ。四十九日も済んでいないのにもう新しい子猫攫いに悩むなんて、しか複数。さすがに節操が無いと友達は呆れて笑うだろうか。光源氏気持ちから散歩から帰ったあとは夢枕で、ご指導賜りたく。

Permalink |記事への反応(0) | 01:19

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2025-08-13

anond:20250813171137

お盆は、たとえば親が亡くなってお墓に納めます(※これは四十九日が過ぎてからです)。

普段は親はお墓にいるわけですが、仏壇はいわば“テレカン”のような存在

そこで、「たまにはオフミでもしようか」というのがお彼岸お盆です。

お彼岸はお墓参りに行く行事ですが、お盆8月12日〜16日の4日間、お墓から自宅などにご先祖様をお迎えします。多くの場合は「お盆棚」という特別場所を設け、そこで昔話などをしながら過ごします。

ちなみに、四十九日を過ぎてお墓に納めた後、初めて迎えるお盆を「新盆」と呼び、非常に重要行事とされています個人的には一周忌や七回忌以上に大切だと思いますが、故人や遺族が納得していれば、省略することも可能でしょう。

ペットをお墓に納める時代というのも考えさせられますが、日本人であれば、親が亡くなって葬式お盆をまったく行わないという人はほとんどいないはずです。

Permalink |記事への反応(0) | 17:24

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2025-04-19

うちの爺さんがぽっくり逝っちまった

今日ちょっと、うちの爺さんがぽっくり逝っちまった話をするよ。

なんだろうな〜、人ってほんと急に死ぬのな。

前の日まで元気に「おいオセロやるか?」っつって、俺が黒でやると「あたしゃ黒人嫌いなんだ」ってボケてた爺さんがさ、

翌朝には、もうオセロ盤より白くなってんだよバカヤロー!

ほんでまぁ、急遽通夜だ、葬式だって話になるだろ?

もうこっちは右も左もわかんねぇ。香典袋ってあんな種類ある?

御霊前、御仏前、御布施って、どれがうちの爺さん前なのか分かんねぇんだよ!


んで、バタバタしてさ、坊さん呼んで、段取りしてさ、

当日だよ。坊さんが来た姿を見て仰天だよ!

なんか知らねぇけど、すごいな袈裟着てんの!

もうね、紫だの緑だの黄色だのがバチバチしてて、見た目は完全に笑点

「なにそれ、季節の法要コレクション2024春夏モデルですか?」って聞きたくなるくらい派手でさ。

しかも並んで座るとさ、こっちは黒スーツ遺影も白黒、花も白、全部モノトーンなのに、

坊さんだけパリコレみたいな配色で鎮座してるの。

あれだな、アレ。若手落語家が初登場で色物着てくるやつ。

で、木魚叩いてそれから「チーン…」って鳴らした音がさ、

なんかあれよ、滑った時のSEみたいに聞こえんのよ。

つい口走っちゃった。「座布団持ってってー!」って。

そしたら親戚のばあさん、肩震えて笑ってやんのよ。

でさ、式が終わって、

「じゃあ精進落としってことで会食を」って話になったんだけど、

ここで出てくんのが問題児の俺の兄貴

こいつがな、葬儀終わった直後に焼酎片手に言いやがんのよ。

「じいちゃん、明るいのが好きだったからよ〜、ちょっと華を呼んどいた!」って。

で、どっからどうやって呼んだのか知らねぇけど、

場違い女子3人がタクシーで登場!

黒いワンピースの会場に、ピンクキャバワンピがスッと差しまれてさ、

完全にガールズバー状態

俺のカミさん

もう開始10分で能面よ。

表情、ピクリとも動かねぇの。

いや、逆に感心したね。仏より無表情ってどういうことだよ!

でさ、兄貴が早速その子たちに酒注ぎはじめて、

自分も飲んで、あっという間に出来上がってんの。

んでいきなり、椅子から立ち上がって長野モノマネ始めんの。

ピカソより〜普通に〜、おっぱいが〜、す〜き〜〜!!」って。

ばかやろう!!!

仏前3時間後にやるモンじゃねぇんだよそのネタは!

しかもそれ言いながら、

その場にいた女の子のとこ行って、ナチュラルおっぱいモミやがってんの。

しかもその子、「や〜だ〜♥」っつって、

顔が「やだ」って言ってねぇの。むしろ笑ってんのよ!

!?この会場!?

冥界経由のキャバクラ!?

でも周りの親戚たち、酔っ払ってるからもう全員笑ってんのよ。

「おじいちゃんも見てるわよ〜」

「孫バカだなぁ〜」とか言って。

で、兄貴調子乗ってそのまま女の子肩に手回してさ、

「今夜あたり…じいちゃんの生まれ変わりが…君のお腹に宿るかもなぁ〜♥」っつって、

キメ顔でウィンクした瞬間に、親族同大爆笑

ばかやろう!!!

俺?

そのときも、隣でカミさんが完全に般若フェイスよ。

その顔見た瞬間、俺の胃袋がキューってなってさ、

「あ、俺の四十九日、近いな」って思ったね。

いや〜…でもさ、

じいちゃん、もしあの場見てたらきっとこう言うと思うんだよ。

バカ家族で悪かったな」って。

なぁ、じいちゃんあの世でも笑ってくれてっか!?

少なくともあの会場は、笑い袋よりよく笑ってたぜバカヤロー!!

Permalink |記事への反応(0) | 12:53

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2025-04-07

anond:20250407031411

「兄が方針を決めるのであれば予算を出してくれない?」という話を香典返しや四十九日(あるのかどうか知らないが)のタイミングで言ってみればいいのでは。

兄に対して、増田増田母は交渉ができないのが気になってしまった。

Permalink |記事への反応(1) | 15:21

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2025-03-29

叔母

叔母が死んだ。享年60歳。

乳がんだった。

叔母は結婚していたが、子どもがいなかった。

叔母は私が子どもとき夏休み帰省の度にひとつ玩具を買ってくれた。

叔母、叔母って、他人行儀だね。いつも呼んでたように、はな姉って呼ばせてもらうね。

近所のトイザらスで甥っ子・姪っ子4人相手に。

今思うと、小さな額ではないだろう。

ある程度育つと、親戚の集まりではよく料理を作ってくれた。

メヒカリ唐揚げは絶品だった。そうめんの汁にマヨネーズを入れるのは未だに理解できないけど。

運転があるから、と、酒は飲まず、おつまみを作ってくれた。

成人してからは、はな姉にはよく小言を言われた。

女なんだから、給餌を手伝いなさいと。お酒ばかり飲んでないで、と。

その地域は親戚の集まりがあると男性食卓で、女性料理と給餌をする文化が残っていたから、それはその土地では当然なんだけど、

つのまにか、はな姉は怖くて苦手になっていて、長期の休みのたびに帰っていた父の実家への足が遠のいた。

はな姉は犬を飼っていた。犬はいつも毛並みがよくて、人間を疑っていなくて、世界一かわいい自分(犬)は愛されるべき存在だと疑っていないようなふるまいで、いつも食卓人間の横にスタンバイしていた。

葬式3月だったが、雪が降った。

とても寒い日だった。

幼稚園からの幼馴染だという女性2人が泣いていた。

泣きながらも、遺族より動いてくれた。

はな姉は骨になった。ボルト背骨を支えてたから、ボルト火葬場の人がその場で除いてくれた。

はな姉は恰幅がよかったけど、小さくなった。

そんなはな姉は、もう二度と私に小言をいうことはない。

はな姉よ、葬式で聞いたよ。

はな姉が嫁いだ家はそこそこの学者家庭だったんだってね。

当時は、結婚したら子どもを生み育てるのが当たり前だったんだろう。

そのなかで子どもがいなくて、きっと大変なこともあったんだろう。

でも、そんな素振りをみせず、キャリアを築き、ヴィトンのバックを持ちながら、はな姉はいつもかっこよかった。

自分はいま、結婚したけど子どもがいない。

親戚も別に何もいわない。それはもしかしたら、はな姉が築いた信頼によるものなのかもしれない。

はな姉が、子どもがいなくても幸せに、キャリアを築いて、そうして生き抜いてくれたから。

から私は何も言われなかったのだろう。

はな姉、いまなら話ができる気がするけど、はな姉はもういないんだね。

もう少し話したかったよ。

火葬のあと、はな姉のおうちにお邪魔したよ。客間に、四十九日までの祭壇を作るために。

アイアンとウッドのインテリアがおしゃれなお家だね。

でも、キッチンははな姉の好きな赤色だね。

ガラスの飾り棚に、指輪を飾っていたね。歴代わんちゃんたちもそこに並んでいたね。

はな姉の大事ものがたくさん詰まっていたね。キッチンにははな姉が時々かけていた老眼用のメガネがおいてあったよ。

はな姉はもういないのに、はな姉の気配がたくさんあったよ。

ただ、山下達郎好きだったのは知らなかったよ。

あんなにたくさんグッズがあるとは知らなかったよ。ついでにいえば、私も好きだよ。

あー、はな姉、もっと話したかったよ。ごめんね。

どうぞ、安らかにありがとう

Permalink |記事への反応(0) | 18:56

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2025-02-22

父の四十九日が終わった。

これをもって父は仏となり、今後は極楽浄土から私たちを見守ってくれるのだそうだ。

法要後に叔父たちが宴会を開いてくれた。

大広間のある叔父宅に親戚ばかりで十五人ほど集まってくれた。

父方の親戚とは疎遠だったが、皆私たち家族のことを気にかけてくれた。

父も大概の大酒飲だったが、親戚も皆酒飲みで驚いた。

食べて飲んで、思い出話をして、にぎやかで楽しい会だった。

だけど急に、どうして父がここにいないんだろうと涙が出た。

叔父も寂しいよ兄ちゃんと泣いていた。

翌日は父の誕生日で、家族スポンジケーキデコレーションをしたものを仏前に供えた。

ケーキを切り分けているときにまた涙が出た。

父がいない。

この世のどこをさがしてもいないなんて信じられないし、信じたくない。

病気で苦しむ姿を見てきた。

息を引き取る瞬間も見た。

焼かれて、骨になった姿も見た。

だけどいまだに信じられない。

極楽浄土なんかに行かないでよ。

仏様になんからなくていいよ。

帰ってきて、くだらないオヤジギャグを聞かせてほしい。

一緒に行きたいとこだってまだまだたくさんあるよ。

大好きな映画もまだ完結してないじゃん。

寂しいよお父さん。

Permalink |記事への反応(0) | 17:18

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2025-02-03

anond:20250203121330

人の噂も四十九日やろなあ

Permalink |記事への反応(0) | 12:16

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2025-01-20

ばあちゃんが死んだ。

ばあちゃんが死んだ。

僕の40の誕生日の前日に死んだ。

享年95歳の大往生

葬式など諸々終え、家に帰ってきて、やっと落ち着いたところ。

今の心情を自分自身でもいまいち掴みきれてないので、書いてみる。

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親族のみの葬式

とにかく人が多かった。

からない親族が多い。

子ども4人、孫12人、ひ孫19人、子どもや孫の配偶者、ばあちゃん兄弟、その子、その孫。

サマーウォーズより多いんじゃね?

ばあちゃんは寺の娘だったので、親戚には坊さんがいる。

3人の坊さんが経を読む。

坊さんはばあちゃんの甥、坊さん含め親族のみの葬式

先頭で経を読んだのは、ばあちゃんの甥の中で一番下の甥。

通夜葬式はひ孫達が騒ぐ騒ぐ。

ばあちゃんも坊さんも許すから全然オッケー。

ゆるい良い葬式だった。

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経を読み終えたタイミングで謎のフルート演奏

から聞いたのだが、斎場サービスらしい。

完全に場違いフルートに、皆ポカーンとし、奏者も可哀想だな…と思いつつ聴いて、葬式を終えた。

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親族の中でも近い人だけ火葬場へ。

僕も火葬場に向かった。

棺を焼く前に経を読み、最後挨拶

普通と違ったのは、坊さんも参列者と同じように、最後に声をかけた。

一番下の甥の坊さんは泣いていた。

僕は泣けなかったからか、何か知らんがそれを見て僕自身が救われた気がした。

その後棺は焼くことになり、焼けるまで1時間程度待つことになった。

後で聞いたのだが、そのドサクサに紛れて義理の息子である親父は泣いていたらしい。

なんでやねん

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孫の中で僕は上から2番目。

年長の孫であるいとこ、一番下の甥の坊さん、3人で話をした。

最初に、一番下の甥の坊さんに、フルートの時プルプルしてたから泣いてたかと思ってたらアレ笑いを堪えてなかった?とツッコむところから話は始まった。

坊さんあるあるとか色々話をしたあと、当然ばあちゃんの話に。

ばあちゃんの話になると必ずゲームの話が出てくる。

ばあちゃんがいつからゲームやってたのか、とか、何故やってたのか、とか、どんなゲームをやってたのか、とか色々話した。

俺の初めてゲームはばあちゃんお下がりディスクシステムのやつだった、パチンコにハマってたから抜け出すために息子(僕から見ると伯父)が買った、そういえばパチンコにハマってた時期もあった気がする、その前はルービックキューブだったらしい、俺が持ってないPS4とか持ってたぞ、ゲーム好きだったけど上手いわけじゃなかったかレベルアップでのゴリ押し結構多くて1セーブプレイ時間400時間とか700時間だったぞ、、、。

僕らは子どもの頃に話して以降30年近く話をしてなかったが、話題は尽きなかった。

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あっという間に、時間が過ぎ、ばあちゃんは骨になった。

なんというか、あっけなかった。

色々終わって帰ってきた、子どもらも寝かしつけ、一息ついたのが今。

微妙に落ち着かずふわふわする感じがあったので、消化するために文章に残すことにした。

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ばあちゃんがどんな人だったのか。

性格キャラ的なものを今風に言えば、天然系、不思議ちゃん、なのに、生命力強い、どんな環境でも楽しんで生きる、そんな感じ。

やたら印象に残る言動をする人だったので、ばあちゃん話題には事欠かない。エピソード力が強い人だった。

何故か鞄を持ち歩かず、ショルダーバックくらいの袋に荷物を詰め、そして下着の胸の辺り、ちょうどブラのパッドのあたりに、その袋を縫いつけ、小太りというか巨乳に見える感じになっていた。

何かを出す時は胸元から出すことになるが、昔は服の中に手を突っ込みゴソゴソして荷物を取り出してたが、そのうち上手く取り出せないからと、半分脱いで取り出すようになった。

普通に外でもそれをやるようになったので、買い物行く時は子どもや孫の誰かが連れていき、事前に財布を預かって、ばあちゃんの財布から支払う、というのが慣習となった。

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そういえば、ばあちゃんから直接昔の話を聞いたことはほぼなかったことに気付いた。

年寄りは昔話が好きな印象あるけど、ばあちゃんから思い出話をほとんど聞いたことない。昔手に入れた意味分からん謎のハックテクニック、を教えてもらえる程度。こちらの心配する、子どもや孫など周りのこと、ゲームのこと、とにかく今の話しかしなかったからかもれしない。

でも、ばあちゃんの周りからは、ばあちゃんの今まであったことはよく聞いた。

ここからのばあちゃんの昔の話は、皆の話の集合での話なので、何が本当なのかは分からない。

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ばあちゃんは、山奥の陸の孤島のような村にあるお寺の娘だった。

それが若い頃、じいちゃん駆け落ちで峠を越えた、と聞いた。

結果、じいちゃんが良いとこの人だと分かり、許してもらい帰ってきた。昔っぽい。

あとで聞いたのだが、じいちゃんバツイチ寡夫?だったらしく、ばあちゃん結婚した当時、ばあちゃん20、じいちゃんは44。そりゃ反対するわな。

それに加え、じいちゃんを知るであろう寺近くの老人達から稀にじいちゃんの話を聞いたことがあるのだが、どれも掴みどころがない。水墨画を描いてた、木こりだった、スキー板を作って売ってた、馬に乗って駆けてた、等々。皆のいうことが毎回違いすぎて何をしてた人なのかがマジでからない。今で言うフリーターだったのでは、と思ってる。

その後、ばあちゃん子どもを4人産んだが、3番目の子である僕の母が4,5歳のときに、じいちゃん結核で死んだ。

ばあちゃん身体を壊し、病院入院

生活ができないので、子どもらは、伝手のある寺が運営する児童養護施設生活することに。

何年かそんな生活が続き、長男(僕から見れば伯父)が中学卒業してすぐ働き始め、生活ができるようになったので、ばあちゃん兄弟らを集め、また一緒に生活し始めた。なんという「ひとつ屋根の下」。(ひとつ屋根の下、当時母はめっちゃハマって見てた)

その後しばらく経ってから長男は僕の母を除いた兄弟とばあちゃん自営業を始めた。

ここから人生に関しては、ばあちゃんにとって比較順風満帆人生だったと思う。

たぶん。

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僕はばあちゃんに一番可愛がってもらった孫だったように思う。

ばあちゃんファミコンをやるひざの上に乗ってたのが僕だった。

おかげで、僕は立つのより早くゲームをやっていた。

ある程度大きくなると、ばあちゃんの家によく泊まりに行った。

今思えば理由は単純で、高橋名人名言ゲームは1日1時間!!」を家では親が守らせようとするが、ばあちゃんの家では、朝から晩までゲームをやっていても怒られない。

ばあちゃんも、ゲーム攻略に詰まると、孫を積極的に呼んで、攻略方法を聞いたり、分からなくてもプレイしてやってみてくれとせがんだ。

僕が一番可愛がられたが、他の孫達も顔を出せば、同じように攻略をせがまれたので、孫らは皆ばあちゃんとみんなゲームをした経験が一度はあるように思う。

息子(僕から見て伯父)の自営業職場とばあちゃんの家が一緒になっていて、ばあちゃん生活は、昼間は働き、ご飯風呂趣味の畑仕事、残った時間はほぼゲーム、が大半だった。

昔はマリオとかアクションをよくやっていたが、途中からドラクエFFといったRPGが好きだった。

先にも書いたようにゲームやるからといって賢かったり上手かったりするわけじゃなかった、いわゆる下手の横好きだったので、とにかく朝から晩までゲームをし、攻略ノートを作ってメモをし、自分攻略ノートを見ながらプレイしていた。

何度も何度も飽きずにトライエラーを繰り返しまくるので、ばあちゃんセーブデータは、装備やアイテム微妙なのに、レベルが異常に高いことが多かった。

おかげで、途中からやった僕ら孫たちは、ばあちゃん説明するハマりポイントをひと通り振り返ったあと、装備を整え、ちゃんゲーム内の説明みてやれば、案外すんなり先に進めた。

ゲームをやるとばあちゃんから駄賃がもらえた。

ばあちゃんの駄賃は、できるだけゲームにつかった。

他の孫たちもゲームプレイし終わったら、中古屋でなく、ばあちゃんゲームを流した。

ばあちゃん自分ゲームを買っていた印象がほぼないが、とにかくばあちゃんの家にはゲームがたくさんあった。

ベッドの下の収納ボックスには、ソフトがギッシリ詰まっていた、

初代ファミコンスーパーファミコンPSPS2、64、ゲームキューブ、xbox…僕も大きくなるにつれ頻度が減り、就職地元を離れてからさらに頻度が減ったので、僕の知らないゲームハードもありそう。

見た記憶では、古いハードソフトはなかった気がするので、時折捨ててたのかも。

孫らで集まって話をした際に出てきたゲームタイトルは皆違ってた。

FFドラクエテイルズスターオーシャンゼルダ武蔵伝、等々。

ばあちゃんの妹の孫とかい若い男の子も来てて、ばあちゃんとのゲームの思い出話をしてたのは驚いた。

それもあって、親族のみの家族葬だったのに、縁のある親戚までも集まり、やたら人数の多い通夜葬式になった。

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ばあちゃんの僕の可愛がり方、溺愛ぶりはちょっとすごかった。

親戚一堂からは、溺愛しすぎて恋人みたいだ、と笑われていた。

義理の息子である親父もかなり溺愛してたので、本物の息子一堂から、本物の息子より息子してる、と親父も笑われていた。

ばあちゃんは、下駄が好きでよく履いてたのに、胸元に袋が入っていたから、ハキハキ歩くことができず、ペンギンみたいな歩き方になっていた。

不安定ゆっくりな歩き方だったので、当然荷物はまともに持てないし、隣を歩く僕の服の袖のあたりをつかんだりすることが多かった。

僕がいない時は、親父が並んで服の袖をつかまれていた。

僕や親父はその認識だったのだが、妹いわく、妹と一緒だと、不安定な歩きのままズカズカ先に歩いて荷物を持ってる妹に早く行くぞと先行してく、僕や親父の前だと猫を被ってる!!男尊女卑だ!!と愚痴っていた。

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孫らから流れてきたゲームで躓くと、当然元々ゲームの持ち主の孫に攻略を聞くことが多かった。

ひとつ印象に残っているのは、FF10

平原マカラーニャの森あたりにいて、攻略手伝って欲しいからと、泊まって欲しいと、ばあちゃんにせがまれ、泊まることになった。

一緒にプレイし、ご飯も食べ、風呂も入り、寝る前にもう1プレイ

ちょうどそこで、マカラーニャの森の超ロマンティックなラブシーン。

当時、高校生だった僕は、真夜中に部屋を暗くして、ばあちゃんと並んで何観てるんだろう……と絶妙な気分になっていた。

ふと、横目でばあちゃんを観ると、キラキラした目で、★★素敵★★みたいなリアクションで、滅茶苦茶一生懸命みてたので、まぁいいか、と諦めにも近い気持ちになった。

その後少し経って、新しい孫がまた産まれ、ちょうどその孫の名前FF10ヒロインと同じ名前だったので、滅茶苦茶喜んで良い名前だ、と褒めていた。

葬式最後フルートが、美空ひばりの「川の流れのように」だったので、「ザナルカンドにて」をかけてあげれば良かったのにな、とフルート演奏を聴きながら、このことを思い出していた。

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葬式の参列者の話などを聞くに、僕がばあちゃんのところにあまり行けなくなった後も、他の親戚やゲームの関わりもあって、楽しくは過ごせていたようだった。

それが、6年前、真夏の早朝に、もうひとつ趣味であった畑仕事の途中で、脳卒中で倒れ、近くの通行人発見され救急車で運ばれた。

ばあちゃんは、脳死状態になった。

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主治医や長年お世話になっているかかりつけ医によると、意識回復する可能性は万に一つもない、そんな状態とのことだった。

ばあちゃんは、これまで大病患って、入院して死にかけたことは何度かあった。

入院のなか、どうしても回復傾向が見られない、という状況になってから、僕に連絡が来て、急遽地元に帰ってお見舞いに行くと、ばあちゃんゲームの話になり、そういえばプレイ中だったあのゲームの続きがやりたい、早く治して退院せねば!!と急にやる気になって、そこから超回復、という展開があった。

今回は流石にダメそうだった。

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流石にばあちゃんももう90だったので、そういう覚悟をしておかなきゃ行けないことは分かっていた。

病院に見舞いに行った際、分かっていても、それがただ寝ているようにしか感じられなかった。

手術のあとに寝てます、みたいな感じで、ただ寝てるだけ。

もう起きることは無いのに、そんなふうにしか感じられなかった。

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僕がその後ばあちゃんの顔を見れたのは、少し経って、ばあちゃんの家で介護するようになってからだった。

ばあちゃん介護に行く母について、ばあちゃんの家に行った。

病院よりも設備簡素になったためか、ああ、これは本当にもう目覚めないんだな、と今さらながら実感した。

そんな中、母はばあちゃんの世話をしながら、前よりちょっと良くなったとか、こうやってやると反応する、など色々話をした。

もう目覚めない、と分かると同時に、まだ生きてる、とも感じられる。

死んでるのだが、生きてる。

ばあちゃんが死んだと聞いて、葬儀の一連の流れを終えた今、本当に死んだ今この時よりも、あの瞬間が正直しんどかった。

今、思い出すだけでも、心が重い。

死が突きつけられるのに、世話をすればちゃんと生を感じられる。

その中で世話をし続けられるのか。

母すごいな……と。

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あとは死ぬだけ。

それを受け入れるための有余の時間が与えられた感じだった。

ゲームができない、楽しみに一生懸命になれないばあちゃんは、ばあちゃんなのか。

身体なのか、脳なのか、心なのか、それとも人格なのか、習慣なのか。

生と死に対することをぼんやり思いにふける。

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そういえば、ばあちゃん霊感が強い、というのがもっぱら周りの評価だった。

悪霊や死んだ人が見える、というより、死ぬ寸前の人が魂だけになって飛んでいるのを虫の知らせのような感じで分かるのだ、とか。

それで、遠方や疎遠になった知人の安否を確認し、それを当てることが多かったので、霊感が強いとされていた。

稀に、じいちゃんが迎えに来ると、まだやりたいことがあるから迎えに来んどいてくれーー!!と必死にお経を読むことがあるのだ、とか。

僕は実際にどの話にも立ち会ったことは無いが、確かにばあちゃんはその辺りの勘が冴えているような雰囲気があった。

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ばあちゃんの話を信じるとすると、脳死のばあちゃんには、ばあちゃんはいないことになる。

ばあちゃんがどこに行ったかは分からないが、ばあちゃんは生きているが死んだ。

あとは身体死ぬまでに、その死を受け入れてくしかない。

幸い、受け入れるまでの時間を6年も貰ったので、ばあちゃんの死、葬儀はなんとか受け入れることができた。

コレがポックリいかれていたら、悲しすぎてどうなっていたか想像できない。

正直助かった。

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心の準備は整えていたとはいえ、僕の誕生日の前日に亡くなり、僕の40歳誕生日がばあちゃん通夜になるとは、流石に予想つかなかった。

何もできないはずの死ぬ瞬間まで、印象を残す人だった。

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ばあちゃんの教え、みたいなのは、本当に全然覚えてないのに、ばあちゃんとの思い出はたくさん出てくる。

老人介護おむつを買いに行った際には、コレ凄く便利でトイレに行かなくても良いかゲームができる!!とドヤ顔したり……

我が弟が母の付き添いでばあちゃんの買い物に付き合うため家に呼びに行ったら全裸ゲームしてたり……(前日夜風呂上がりに服着替える前にゲームをやり始めたら止まらなくて翌朝までやり続けていたのが真相

僕がいとこと一緒に富士山近くに旅行した際、いとこに「富士山のかけらだ」と言って渡したそこら辺に落ちてた溶岩石が、何故か数年後ばあちゃんちの神棚に飾ってあり、いつの間にか凄い石だとして御神体みたいになってたり……

なんかあり過ぎて、もう思い出せない。

でも、何かあるたび、何気ない面白かった思い出が掘り返される。

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自身もばあちゃんと同じく、子どもが4人いるので、悲しみに暮れている暇はない。

悲しくてしんどい、みたいな感覚はないのだが、なんか気持ちふわふわして落ち着かず、何かにつけてやる気が起きない。

この文章も、このままではいけないと思いを決して、何度かに書き分けながら、書き進めている。

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やる気がでないので、ぼーっと異世界転生ものアニメを観ても、ばあちゃんだったらマジで異世界にすら行きそうだな、行ってて欲しいな…と想像してしまう。

ココまで書いた文章自分でも振り返ってみると、ばあちゃんの最大の教えは楽しむこと、それ自体のような気がしてきた。

から初七日とか四十九日かに法要やるってことは、亡くなってからそれくらいの日数はこの感覚は抜けないのかもしれない、と諦めることにした。

とりあえず楽しめるようになるまで、このままぼーっとふわふわすることにしよう。

Permalink |記事への反応(10) | 00:10

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2024-11-29

607冊読書したけど、成功もしなかったし何も意味がなかった。結局『人生経験』が重要だと気づいただけだった

ニート脱出してから早9年

専門書や学術書を中心に607冊読書したけど

成功もしなかったし、何も意味がなかった


結局『人生経験』や『コミュ力』が重要だと気づいただけだった…

読書をすれば成功するが陰キャ妄想だと気づけただけだった


ちな直近読んだ本5冊

図解徹底分析IFRS会計基準リース

#MeToo政治学:コリアフェミニズム最前線

朝鮮植民地戦争:甲午農民戦争から関東大震災まで

サンショウウオ四十九日

最適化手法入門

Permalink |記事への反応(0) | 22:30

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2024-11-27

日本でまだ根強い迷信一覧

天皇は偉い

別に偉くない。万世一系かい迷信を信じてるだけ

六曜

大安とか仏滅とかあり得ない

おみくじ

くじで未来が分かるはずがない

星占い

占星術天文学と分かれた時点で意味を失った

四十九日

根拠がない

お経

死者がそんなので救われるはずがない

戒名

お金で買える名前効果があるはずがない

二礼二拍手一礼

根拠がない

厄年

あるわけない

お守り

そんなもので運が良くなるわけがない

名前の画数

画数で運が変わるはずがない

パワーストーン数珠

石に力があるというエビデンスがない

夜の蜘蛛縁起が悪い

ただ単に蜘蛛が出ただけ

手相占い

のしわに意味があるわけがない

Permalink |記事への反応(3) | 08:10

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2024-09-28

父親馬鹿だった

母が死んで四十九日法要が終わり、遺品の整理も最終局面を迎えていた

いろいろ出てきたのだが、困ったのは包みからも出していない、未使用着物(もちろん和服)の数々

親戚に女性は少なく、着物を着るような習慣のある人間もいない

そこで父は言い出した

「今大変だろうから能登半島)に送ろう」

何を言い出したのかと思った

「着るものがなくて大変だろうから、着るものを送って何が悪い

「着る人間がいなかったら、向こうで換金してもらって支援に充ててくれればいいだろう」

返す言葉もなかった。何を言っているのだろう

向こうの人間の都合は一切考えない父の思考愕然とした

こんな父と一緒にいた母の苦労を今更ながらに理解した

Permalink |記事への反応(1) | 15:08

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2024-09-27

二次会準備が面倒すぎて結婚式離脱

流石に一番の理由家族危篤一歩手前で遠方に行ける状態じゃないからなんだけど。

四十九日と被ったら慶事に出席できないし。

まぁ、タイトル通りこれ幸いに欠席の連絡を入れたのは否めない。

ちなみに直近の打ち合わせには仕事で欠席したほぼ戦力外の私が消えたところで10人以上幹事いるか問題なし。

(そういえば幹事を含めた参加者が40人前後なのだけど幹事の人数って一般的に何人くらいなんだろう…)

そもそもコロナ禍で二次会絶滅したと思ってたわ。

今でも二次会メジャー行事なのか教えてほしい。

女性の友人関係あるあるだけど、新婦とは学生時代の友人グループが一緒なだけでサシで遊んだり連絡取ったりする仲じゃないんだよな。

友達の友達くらいの距離感

みんなで集まったらワイワイ楽しく過ごすし不仲ではないけど、この関係値の友人の二次会幹事は荷が重かった…すまん…

身バレしそうなので詳細は言及しないが、友人が結婚式を挙げることが決まって以降の立ち振る舞いに疑問が生じることがあったのも大きい。

式の準備で余裕がないのだろうし、私の器が小さいとも思う。

幹事からサプライズのお祝いコメント動画の依頼がきてるけど、ろくに二次会の準備もせず最終的に式すら欠席することになった私のお祝いコメント需要なんて無いだろ…

ましてやサプライズ

ま、とりあえずそれをクリアしたら自由だ〜〜!!の気持ち

会場が微妙雰囲気になっても知りません〜〜

Permalink |記事への反応(1) | 10:43

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2024-07-19

anond:20240719223356

四十九日

Permalink |記事への反応(1) | 22:35

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2024-07-05

anond:20240704033106

宗教によるけど四十九日初盆と続くのですること多くて本当に大変。

涙流す間もない

Permalink |記事への反応(0) | 16:04

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2024-06-05

がん治療終了記念写真を撮ってもらった

去年の夏、がんが発覚し 即抗がん剤治療が始まり 怒涛の治療期間半年が終わった。

ということで、先日 夫の両親、自分の親を呼んで親族全員の記念撮影をした。

大げさかなと感じつつも、区切りとしたかった。

(親にはわざわざ「治療終了記念」とは言っていないけれど)

子ども一人っ子。第二子などいると親族まったりもするんだろうけど、下の子いないしそういう機会もなかった。

七五三にも親は呼んでいなかったので、両家の親族が集まるのは子のお食い初め以降初めてだった。

良かった。

私が亡くなると、お葬式四十九日一周忌などちょこちょこと集まることになるんだろうけど、私がいないじゃん!

自分がいる間に、ちょこちょこと親族が集まる機会 作っていきたいなと思った。

子供は両方のおじいちゃんおばあちゃんと会えてとても嬉しそうだった!

Permalink |記事への反応(0) | 14:15

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2024-06-04

ちょっと嫌いになった

こないだ家族四十九日法要があった

特にどこかの檀家とかやってるわけではなかったから、葬儀屋さんに紹介された浄土真宗のお寺でしたんだけど

坊さんが飼ってる猫が式中ずっと目の前うろうろしてて本当に鬱陶しかった

ずっと畳の上走り回ってニャーニャー鳴いてんの

そんでお寺の人もそれ見てフフwってヘラヘラしてんの

親族全員イライラしてたかな、姪っ子はまだ5歳で法事とかよくわかってないかニコニコしてたけど

別に猫が嫌いとかではない むしろ今までどちらかといえば好きだった、飼ったことないけど

そりゃ身内だけの、小さいお寺での法事ではあるけどさ

亡くなってから少し時間は経ったとはいえ、亡くなり方がかなり悲惨ものだったからまだ皆ちょっとブルーだったんだ 本人がまだ若かったし

俺も親父もお通夜で倒れそうになるぐらい辛くて悲しかったんだよ

から一同真面目な気持ち法事に来てるのにさ、坊さんがずっとヘラヘラしてて本当に鬱陶しかった

法事終わってからも「この子やんちゃなんですよwすみませんw」みたいな

坊さんも坊さんの嫁も全然悪いと思ってないみたいだった

いや、じゃあ別の部屋にいさせろよ なんでドア全開で猫入ってくるようにしてるんだよ

終わったあとに姪っ子に「猫ちゃん可愛いでしょ」みたいなこと言ってんのも不快だった

死因とか伝えてないからこう、フランクな感じになったのか?って親父に聞いたけど、

坊さんにはお通夜の時点で死因も身内の雰囲気説明したって

かに通夜ときは真面目にお経読んでたし「まだ若いのに残念で…」みたいなことも言ってた

じゃあ尚更なんで?なんで今そんな茶化すようなことすんの?

納骨もこの人に頼もうって話になってたけど、もうやめることになった 腹立つもん

これ以上関わったら俺も身内も何か言ってしまいそうだし、余計なトラブルにはなりたくない

またご納骨の際はご連絡してくださいって言ってたけどさ

猫も坊さんももう嫌いになりそう

Permalink |記事への反応(1) | 19:34

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2024-05-04

祖父の死から考えたこ

私の祖父は昨年の夏に90歳で亡くなった。田舎農家長男に産まれ兄弟は皆就職結婚を機に家を出るも、長男なので家に残り、生まれた家から一度も引っ越すことはなかった。遂には生家で急に倒れてそのまま亡くなった。

祖父典型的田舎の爺さんだった。一家の長である自分が一番風呂でないと気が済まないし、台所には絶対立たない。祖母家事を全てしていた。祖母入院したときは、娘(私の母)が料理を作り置きしたり、レトルト食品なんかを用意したりしていた。

そんな祖父だが、娘三人は大学短大まで出していた。田舎なので地元大学はなく、娘三人にはそれぞれ一人暮らしをさせた。頭の古い祖父ことなので、「女に学問はいらん」などと言いそうなものだが、そんなことはなかった。

おそらく、祖父子どもの頃に進学したくても進学できなかった悔しさがあったのだと思う。祖父高卒で就農し、しばらくしてから地元町役場に勤めたが、通信制慶応義塾フリースクール(?)のようなものに通っていたらしい。大卒資格はもらえないが、科目履修のようなものだろうか。

祖父から慶応フリースクールに通っていたことを何度も聞かせられた。民法が難しかったと言っていた気がする。特に私が法学部に進学してからは、その話をよくしていた。同じ法学徒同士で嬉しかったのだろうか。

私は特に祖父には可愛がってもらった。私は初めての孫で、しかも男。祖父感覚からしたら嫡孫だろうか。前述の通り、祖父には娘しかいなかったので、長女の夫(私の父)を養子に迎えて家を継がせている。家にこだわる祖父は念願の男児誕生にとても喜んでいたらしい。

私は結婚しているが、現在子どもはいない。妻が子を望んでいないし、私もそこまで子どもに興味が無いからだ。妻が望むなら子作りをしてもいいが、望まないのなら無理にする必要は無いかなくらいに考えている。祖父は毎回会うたびに、子どもを作るなら早い方がいいぞ、と言っていた。私はそのつど適当な返事をしていた。祖父は生きているうちにひ孫が見たかったのだろう。

祖父が亡くなった日、子どもを作らなかったことを初めて猛烈に後悔した。生きてるうちにひ孫の顔を見せてやればよかったと、何度も悔いた。

しかし、祖父四十九日が終わる頃にはその後悔はどこへやら。無理して子どもを作る必要はないか、と元の考えに戻ってしまった。

おそらく私の代でわが家は途絶えるだろう。祖父があれほど大切にしていた家を途絶えさせてしまうのは忍びないが、子どもを作る気が湧かないのだ。

子無しの我々夫婦がどういう老後を迎えるのか、私にはまだ想像がつかない。妻に先立たれたら、私は天涯孤独になるのだろうか。その孤独に私は耐えられるのだろうか。

だが、子どもがいても面倒を見てくれるとも限らない。ましてや、障害を持った子が産まれ場合子ども社会適応出来なかった場合は、私が一生子どもの面倒を見なければいけない。

おそらく、子を持つべきかどうかに正解はないのだろう。だからどういう選択をしても良い。まぁ、だからこそ、一生悩む羽目になるのだが。

Permalink |記事への反応(0) | 15:59

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2024-05-02

悲しい話。

今年度に40を迎える学年なんだが

大学高校でそれぞれ同期が亡くなったことを聞かされた。

そんな歳か、健康には気をつけないと的なことを思って調べてみたら

健康保険会社調査した結果は40歳の死亡率は1000人に対して0.96人と出ているのに同年齢で関わってる人は100人そこそこのはずなのに2人も聞かされるとは。


高校の同期はすでに四十九日が近い。

さらに、高校卒業時は高校の近くの団地から通ってたが、親が家を建てて引っ越したことで卒業アルバムの住所にはもう実家はない。唯一知ってる連絡先の携帯もすでに解約済み…

ということで、せめてもの御霊前も弔電も出せず。

大学の同期は普段なら毎年年賀に対する応答があるはずが、それがなく一瞬同期グループがざわついた。その後簡単な応答があり安堵したが…

本日昼、公衆電話からと表示された電話があった。何かと思ったら何度かお会いした奥様の声。残念なことに…だそうで。

詳しくは聞けなかったが、昨年末から体調が悪く、1月中旬病気が発覚し闘病しながら仕事を続けてたもの4月から一気に悪く仕事も休むことになり…とのこと。

こちらは数年前から転勤し、葬儀の日程案からすると参列には有休休暇を取らないとキツいが、私自身が転職したばかりでそれは叶いそうもなく、向こうも家族葬にするということで弔電を出すことにさせてもらった。

弔電の出費は虚しい。GWなどの長期連休に集まって共に馬鹿騒ぎする金だったらどれほどよかったか


とかく、死は自らの隣にいてもおかしくないということと、自らの健康には気を使わないといけないなと思い知った話。

Permalink |記事への反応(1) | 00:15

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2024-04-12

冠婚葬祭

冠婚葬祭のうち「葬」だけ四十九日一周忌三回忌と何回もやるわけですが、ふと思ったこと。

昔って平均的に兄弟の数が多かったので「近い親戚」の人数も多かったはず?

そうしたら毎年何らかの法事やることにならない?

実際なってた?

それともそんなに真面目に三回忌とかやってなかった?

Permalink |記事への反応(0) | 20:05

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2024-03-05

四十九日法要は早めにして、納骨も済ませていたのだが、本当の四十九日今日なのだった。

夫がいなくなってからうそんなに経つのか、なのに私は何もできていないよと伝えるため、というわけではないけれど何となくお墓に行った。行ったほうが良い気がして。

法事をするときはいつも誰かがいるから泣かないようにしていたのだけれど、ひとりでバスに乗って墓地に行ってお墓の前に立ったら涙が止まらなくなってしまった。雨だし周りに誰も居なかったのでたくさん言いたいことを声に出した。色々言った、けれどどれも「ごめん」と「会いたい」の言い方を変えただけだったような気がする。ごめん。会いたいよ。

帰りのバスで見てたSNSで桜の写真が流れてきて、これからふたりで過ごすはずだった季節のことを考える。もうすぐ桜が咲くよ。缶ビールからあげ棒買って花見したいね

季節が一周する頃には、ひとりで過ごすことに慣れているだろうか。今はまだ全然からない。

Permalink |記事への反応(0) | 20:58

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2024-02-14

お母ちゃんがどんどんおかしくなっていく。

お母ちゃんは60代半ば。

コロナが始まったら頃から今日に至るまで、少しずつおかしくなっている。

 

昨年、お母ちゃんにとっての義姉がなくなってからもっとおかしくなった。

四十九日までは外食も外出もしない。楽しいことはしちゃダメと言って行動を制限した。

あれやこれやとマナーを調べては「あれはダメ、これはダメ、これもダメ、それもダメ」と、Yahoo知恵袋とかアクセス稼ぎの謎いサイトかに書かれた謎ルールを見つけてきては制限つけまくる。

 

自分がそうすることで楽になるなら止めはしないけど、私たちにそれを強いちゃダメだよ」と言ったら私たち外食をするななどと強いることはなかったけど、家族外食しても自分だけはいかないとか。

 

どんどんひどくなって、書こうにも書ききれないほどお母ちゃんの謎のこだわりは強くなっている。

 

「お母ちゃんは、お母ちゃん教に入信してしまった」。それがいちばんしっくりくる。清潔を求めて手が荒れるまで手を洗って、1日分の洗濯をするのに数時間かけている。干した洗濯物が乾いたか乾いてないか自分判断できなくて、3日くらい干し続けて、乾いた洗濯物が床や絨毯に少しでもつくのをものすごく嫌がる。

 

こんなところに書ききれないほど、お母ちゃんの謎ルール毎日増え続けている。

四十九日が終わるまでにと言っていた謎ルールは、いつのまにか義姉の次の命日(一年後)までに延長されていた。

 

喪中の間は寺はいいが神社に行ってはいけない。洗濯の仕方やら何やらをなんでもメーカー電話しては「これで正しいか」「自分は間違っていないか」を確認するので、「神社の人にも聞いてみたら?喪中の間は行っちゃいけないんですか?って」と言ったら「神社の人はいいって言う。これは私の気持ち問題から神社の人には聞かない」だと。

 

どこかの知恵袋や謎サイトに書いてることを信じて、神社には問い合わせない。お母ちゃんは、前なら私が「〇〇の神社に行こうよ」と行ったらどこにだっていつだって喜んでついてきてくれた。私がご朱印帳をプレゼントしてからは、自分一人でもいろんな神社寺に行っては御朱印を集めていたのに。

 

今は、どれだけ言っても来てくれない。

お母ちゃん楽しい思い出をたくさんつくりたいのに、お母ちゃんは「喪中から楽しいことはしない」と言って家の中で汚いものを探してはそれに取り憑かれる生活をしてる。

 

もちろん、精神障害自覚は本人も家族もある。私は新幹線を乗らなきゃたどりつかない距離で離れて暮らしているけど、父は実家に、兄妹は地元にいるので母は一人ではない。父は衛生観念死んでるので母のストレスの根源でもあるのだけど。

 

病院も「口コミがいいところがいい」と、なかなか行かないので、つい先日、私が付き添っていってよつやく抗うつ剤を処方してもらった。

 

これでよくなればいいが、本人も心配していたが薬に依存性してしまわなかも不安はある。ただ、もう自分では治せない域にいるので病院にかかるほかない。

 

そんな中、夢を見た。

お母ちゃんが、何かをしている。

私は浴衣着付けてもらいたいらしいのだけど、お母ちゃん自分マイルールを済ますのに忙しくて私の浴衣着付けてくれない。

「早くしないとお祭りに間に合わないよ」と私は困ってしまうのだけど、お母ちゃんは私の方なんて見向きもしないで「この汚れを取らなきゃ」とか「この床を磨かなきゃ」と言ってるばかりだ。

私が持ってる浴衣は、学生の頃にお母ちゃん着付けてくれたものだった。お母ちゃんお祭りときはいつも必ず「着物はできないけどね」と言いながら、積極的浴衣着付けてくれた。

お母ちゃん浴衣着せておくれよ。私は自分では浴衣着られないんだよ。お母ちゃんって、お母ちゃん背中に向かって言うのにお母ちゃん全然こっちを見てくれない。そんなところで目が覚めた。

 

いつだって私たち子供のこといちばんに考えてくれて、人生で何よりも優先してきてくれたお母ちゃんお金がなくても、どれだけ貧乏でも、それだけはずっと伝わっていた。

もう私も中年なので、子どもの頃と同じように甘えようとは思わない。お母ちゃん子どもよりも夢中になれるものがあるなら、それを優先すればいいと思う。

でも、そんなに手を荒らして、ストレスと向き合いって、辛そうに辛そうにするものを見るくらいなら、私を見てほしい。一緒にお出かけしたいし、神社に行くときに「私入れないから外で待ってるね」なんて言わないでほしいし、浴衣をまた前のように着付けて欲しい。

 

大好きなお母ちゃん

お母ちゃん教に取り憑かれてしまったお母ちゃん。笑っててほしいのに、なんでこうなってしまったんだろうな。

 

もちろん、これが私たち家族介護の始まりかもしれないという気持ちもある。お母ちゃんは、もう自分自分で元気にする力がないんだろう。薬を飲んで、少しでも良くなってくれたらいいけれど。

 

このままじゃ、お母ちゃんあの世に行っても汚いものを探し続けて彷徨ってしまう。

私が死んであの世で再開しても、私の方なんて見向きもしないかもしれない。

悲しい。

Permalink |記事への反応(1) | 22:39

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2024-01-09

坊主「お通夜葬式はしっかり金かけてやれよ!あと四十九日一周忌もあるから金と飯用意しとけ!!」

仏陀葬式坊主を呼ぶなと言ったのに

坊主葬式で金儲け

遺族が悲しんでいるのに金の話をする

地獄があるなら落ちるのは坊主

Permalink |記事への反応(0) | 11:35

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