
はてなキーワード:囚人のジレンマとは
今のAIは頓珍漢だったり、知ったかぶりしたり、ウソをよく言うけど、
超AIが助言することはすべて正解なんだよ、もう有無を言わさない論理的裏付けで説明されちゃって、誰も逆らえなくなるの…😟
超AIが超最適化された社会を考えたら、みんながそれ通りに動く、そうすると凄い社会が効率化されて便利になるの
みんながAIの言う通りに行動することで、みんながそれなりに満足できる社会が実現されちゃうの
で、ある日超AIは、ゲーム理論とか囚人のジレンマみたいな話で、人間同士が殺し合った方が最適な社会になる、みたいな最終解を出して、
労働時間規制(例:労働基準法の週40時間制限や残業時間上限など)がなぜ国家によって設けられているのかは、単に「労働者を守る」という話以上に、経済構造・政治哲学・社会政策が複雑に絡み合っています。以下で整理します👇
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•長時間労働は労災・過労死・生産性低下に直結するため、国家が介入して制限してきました。
•日本では「過労死」という言葉が国際的に知られているように、健康被害との因果関係は強く、WHO/ILOの合同報告でも週55時間以上の労働は脳卒中・心疾患リスクを著しく高めるとされています【WHO/ILO, 2021】。
•労働市場は、各企業がコスト削減を競う中で労働時間を伸ばすことで賃金を抑える方向に向かいやすい構造があります。
•労働者1人1人が個別に「働きすぎない」という交渉力を持つことは難しく、囚人のジレンマが起きる。
• 「自分だけ早く帰る」と収入や評価が落ちる →結果的に全員が長時間労働せざるを得ない。
• こうした市場メカニズムの失敗を是正するのが、労働時間規制の重要な役割です。
•労働時間を短縮することで、一人当たりの雇用を分け合う効果もあります。
• これは特に戦後ヨーロッパで強調され、「労働時間短縮=雇用創出」として政策的に用いられました(例:ドイツの週35時間制)。
•国家は経済成長だけでなく、出生率維持・地域コミュニティの再生などの社会目的も持っています。
•労働時間が過剰だと、子育て・介護・市民活動に時間を回せず、社会基盤が弱体化するため、あえて経済合理性以外の時間の使い方を保障する方向に政策が向きます。
• 例:北欧諸国では「ワーク・ライフ・バランス」を福祉国家の柱と位置付けています。
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一見、「市場原理に任せれば、労働者は過剰労働を嫌がって自らバランスを取る」ように思えるかもしれません。しかし、現実には次の構造的問題があります👇
企業は交渉力が強く、労働者は雇用依存度が高い自由な選択が機能しない
「他人が働いてるなら自分も残る」全体最適ではなく過労の均衡点に
多くの企業で成果より「労働時間」が評価される文化的要因自発的に短く働きにくい
日本などでは世帯単位での生活費を賄うため「残業前提」結果的に長時間労働の均衡が固定化
→つまり、市場は労働時間の「ちょうどいい」均衡を自動的には作れない構造的な特徴があります。
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• 🇪🇺EU:EU労働時間指令により、週48時間を上限とする(オプトアウトあり)。休暇・余暇も制度として保障。
• 🇯🇵日本:労働基準法で週40時間+残業上限規制。実態としては「36協定」により緩和されてきたが、2019年から罰則付き上限規制が導入。
• 🇺🇸米国:時間規制は比較的緩いが、残業は割増賃金(オーバータイムペイ)で企業コストが上がる仕組み。
👉つまり、「労働時間をどう制御するか」は各国の経済政策×社会政策の価値観に深く依存しています。
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🧭 4. まとめと含意
•健康被害の防止
が重なっています。
•市場任せでは構造的に「過剰労働」が起きやすいため、国家が介入して「適正水準」を社会的に決める必要があります。
本研究は、霊長類における協力的な社会的交流中に、**相手の行動を神経学的に予測する能力**に焦点を当てたものです [1, 2]。具体的には、サルが反復囚人のジレンマ(iPD)ゲームに参加する際の背側前帯状皮質(dACC)の神経活動を調査し、他者の未知の意図を予測する特定のニューロンの存在、およびこれらの信号が協力行動にどのように影響するかを探りました [2-4]。
成功する社会交流の基盤は、互いの意図や行動を予測する能力にあります [2, 5]。このような内的予測は建設的な社会行動に不可欠ですが、その単一ニューロンの基盤や因果関係はこれまで不明でした [2]。先行研究では、他者の既知の観察可能な行動(ミラーニューロンなど)や観察された報酬の受領を符号化するニューロンが示されていますが、**根本的に観察不可能で未知である他者の差し迫った意思決定や意図を表現する細胞の存在は、これまで証明されていませんでした** [6]。また、自己と他者の決定に関連する神経信号が、相互目標の達成にどのように影響するのか、特に相互に利益のある相互作用における単一ニューロンの基盤は探索されていませんでした [7]。
本研究は、これらの未解決の疑問に対処するため、iPDゲームを形式的な枠組みとして用いました [3]。このゲームは、結果が両個体の相互同時決定に依存し、いずれの決定も個体の結果を保証しないという2つの重要な特性を含んでいます [3]。したがって、ゲームで成功するための鍵は、**相手の同時的かつ未知の意図を予測する能力**にあります [3]。
研究チームは、前頭葉および側頭頭頂葉領域との広範な結合が対話行動に関与していること、および機能的イメージングや切除研究に基づき社会的関心や行動における役割が示唆されていることから、dACCに焦点を当てました [4]。
本研究では、4組のオスのアカゲザル(*Macaca mulatta*)が繰り返し囚人のジレンマ(iPD)ゲームを行いました [8, 9]。
*サルは向かい合って座り、画面に表示される2つの選択肢(協力:オレンジの六角形、裏切り:青い三角形)のいずれかをジョイスティックで選択しました [9,10]。
* それぞれのサルの選択の結果は、図1Bのペイオフ行列に従って、両者の同時選択に依存しました [8-10]。
* **相互協力は最高の相互報酬**をもたらし、**一方的な裏切りは最高の個人的報酬**をもたらしました [8, 9]。しかし、両者が裏切ると、両者が協力した場合よりも低い報酬を受け取ることになります [8, 9]。
*サルは他者の選択を、自分自身の選択が終わってさらに画面が空白になる遅延期間が経過するまで知ることはできませんでした [11]。
*潜在的な聴覚的キューを排除するため、サルが選択する順序は各試行でランダムに交互に行われました [11,12]。
* 「協力」と「裏切り」の用語は、相互利益または損失の可能性を示すために操作的に定義されました [8, 9]。
* 2匹のサルからdACCの**363個のニューロンが記録**されました [13]。
* 電極アレイは、頭蓋切開術によりdACCに外科的に埋め込まれました [14]。
* 神経信号は増幅、バンドパスフィルタリングされ、単一ユニットとして分離されました [15]。
* **電気刺激プロトコル**:dACCへの電気刺激は、3,026回のランダムに選択された試行の半分で、ブロック形式で実施されました [16,17]。刺激パラメータは100 µA、200 Hzの二相パルスで、1,000ms持続し、選択前の期間を含みました [17]。
* **コンピューター相手との対戦**:サルとコンピューター相手との対戦を行い、社会的文脈が選択に与える影響を評価しました [18]。
* **別室での対戦**:サルを別々の部屋に配置し、視覚や聴覚のキューを排除した状態でタスクを行わせました [19]。
* **相手の選択が既知の条件**:サルが応答する前に相手の選択を見ることができた追加の統制バージョンも実施されました [20]。
*ニューロン活動を異なるタスクパラメータがどのように変調させるかを決定するために、ステップワイズ線形回帰分析が主要な手法として用いられました [13, 21, 22]。
* この分析を補完するために、選択確率(CP)指標分析、赤池情報量基準(AIC)分析、および混合線形回帰モデルの非教師あり集団分析も実施されました [23]。
### 主要な研究結果
本研究は、行動観察、単一ニューロン記録、集団レベルの予測、および神経回路の摂動を通じて、霊長類における社会的意思決定の神経基盤に関する重要な知見を提供しました。
*コンピューター相手との対戦や別室での対戦では、全体の協力の可能性が大幅に低下し、相互協力後の協力の増加は観察されませんでした [18, 19]。これは、サルが他のサルと対戦している場合にのみ、相互利益のある相互作用が増加したことを示しています [19]。
*相手の選択が既知の条件では、サルは報酬を最大化するために裏切りを選択する傾向がありました [20]。
#### 7. dACCの破壊が相互利益のある相互作用に選択的に影響
###考察と意義
本研究は、神経科学における長年の目標であった「他者の隠された意図や『心の状態』を反映するニューロン」を発見しました [40]。これらの「**他者予測ニューロン**」は、dACCのタスク応答性集団の3分の1以上を占め、自己の現在の選択を符号化する細胞よりも優位に存在していました [40]。注目すべきは、これらのニューロンが**社会的文脈に強く敏感であり、自己決定や期待報酬によって変調されない**ことです [40]。
この予測信号は、既知の観察可能な行動(ミラーニューロン)や観察された報酬を反映する既存の報告とは根本的に異なります [41]。本研究で報告された予測ニューロンは、**本質的に観察不可能で未知である他者の差し迫った決定や意図を表現します** [41]。iPDゲームを用いることで、自己と他者の決定に関する神経信号を報酬結果から分離し、相互に利益のある相互作用に特に関連する計算を調べることが可能になりました [42]。
生理学的所見と一致して、dACCの活動を混乱させる刺激は、サルの協力の可能性を減少させ、特に相手が以前に協力した場合に顕著でした [39]。これは、dACCが**相互作用の最近の履歴に基づいた相互利益のある決定を特異的に仲介する**ことを示しています [39]。
本研究の知見は、dACCが環境の動的モデルを符号化するという既存の役割を支持しつつ、**他者の未知の行動の明示的な表現を必要とする相互作用にまで拡張する**ものです [43]。dACCに見られる自己を符号化するニューロンと他者を予測するニューロンの2つの異なるグループは、デルタ学習やアクター・クリティックの枠組みに類似した方法で、相手の実際の決定と行動中のサルの既知の決定に基づいて、共同決定の内部モデルを更新するのに適している可能性があります [43]。
dACCは、社会的に誘導された相互作用の側面を符号化する領域との広範な解剖学的結合を持つ「社会脳」の一部であると考えられます [43]。その活動の破壊が協力行動を著しく低下させたことは、dACCの活動が個体間の建設的な相互作用や社会学習に必要である可能性を示唆しています [43]。この発見は、**他者の意図や心の状態を予測し、それを自身の行動に組み込むことが著しく影響を受ける自閉症スペクトラム障害や反社会的行動を持つ個人の治療への道を開くかもしれません** [43]。
タイトルで大学の馬術部が終わっていると書いたが、正確な表現ではない。
大学によって状況は千差万別だろうが、基本的に馬術部は馬術部の馬を所有している。
自前で厩舎を持っているところ、乗馬クラブに預託しているところ、いろいろあると思うが、共通しているのは「部の馬の飼養に必要な金を学生が払っている」ということだ。まあある程度は大学から予算を下ろしてもらっているだろうが、それでまかない切れるような額はもらえていないだろう。
足りない分は部費として部員からかき集めて払うことになる。が、大学生がそんな大金を持っているはずもない。よっぽどの大所帯でもない限り、日々のバイトで生計を立てている学生から毟るにはあまりにも酷な額を請求することになってしまう。
ではどうやってその足りない資金を調達するのか。その答えが、「使役バイト」であり、これこそが終わっている環境の象徴でもある。
馬の世界の人は「使役」だけで呼ぶのでこの日記でも以後は使役とだけ書かせていただくが、使役というのは部単位で受けるバイトのことである。
クラブ使役と大会使役の2種類に大別されるが、私はクラブ使役には行ったことがないのでとりあえず大会使役の話をする。
しばらく使役のカスさを語るフェーズに入るが、どうかお付き合いいただきたい。
障害馬術なら障害を組み立てたり、組み替えたり、撤去したり、競技中に馬が落とした横木(障害馬術で検索して出てくる障害物のバー)を掛け直したり、馬が入退場する門を開け閉めしたり、出番が近づいた選手を呼び出したりする。
馬場馬術なら審判が付けた点数と短評を書き留めるセクレタリーという仕事をしたり、これまた入退場門を開け閉めしたりする。
大体土日の2日日程か金土日の3日日程。朝の7時くらいに始まって、夕方の4時5時くらいに終わる。それなりの確率でまとまった休み時間が存在せず、短い時で実働7時間、長ければ10時間オーバーで労働基準法的にはバリバリアウトなのだが、学生は立場が弱いので何かアクションを起こしたりはできない。あと馬術部に残ってるような奴は過重労働に慣れているのでこなしてしまう。ある意味これが悲劇でもある。
そうしてもらえる日当が1人1日8000円~10000円くらいである。最低賃金1163円/hの東京でもそう。余裕で最低賃金を割り込んでいる。
そして交通費が出ないこともザラである。これが個人的に使役のカスポイントの最たる例であると思う。
世田谷の馬事公苑みたいな例外を除いて馬術競技場は公共交通機関が死んでいるため、基本車で来る必要がある。たまに部車を持っているところもあるが、私のところは持っていないので毎回レンタカーを借りている。場所次第だが、2日間のレンタカー代とガソリン代を合わせると2万近くかかる。これは全部学生持ちである。大会側が来てくれと頼んでいるのにである。
はっきり言って普通の社会では到底許容されない薄給労働と言えるだろう。
ちなみに基本使役で貰った日当は全て飼養費に充てられるため、学生の懐は一切温まらない。学生個人で見れば給料ゼロの長時間労働だ。これに慣れてしまうと、自分のバイトをしている時間、自分のために使える金を生み出している事実に嬉しくなってしまう。私がそうだ。これは人間として絶対に間違っている姿だと思う。
ここまで読んだ方はこう思ったのではないだろうか。「そんなにクソなら行かなきゃいいじゃん」と。これがそうもいかないのである。
理由は主に2つ。
1つは、1度使役を断ると次の依頼が来なくなるから。まず基本クソ条件しかないので、まともな条件だけ選べばほとんどの使役依頼は消え去る。使役がなくなれば餌代を払うこともままならず、結局自分が困ることになる。環境改善を求めようと思ったら全国の馬術部が一致団結してストライキでも起こすしかないが、囚人のジレンマがバリバリに働いて実現不可能である。
もう1つが深刻な問題で、大会運営が身内だったりするからである。学馬連という組織があり、そこには様々な大学の馬術部が所属するとともに、馬術界の偉い人が役員に就いているので、学馬連と絡みがある人が大会運営にいたりすればもう断ったりできないのだ。馬術業界は超をいくつ付けたらいいか全く分からないくらいのコネの世界。馬を手に入れるにも、技術を身に付けるにも、何につけコネがなければできないことが溢れている。関係性の悪化は常に自分の死を早めるのだ。部として存続するためには使役を受け続けなければならない。
馬術部員である以上使役からは逃れられない。使役はクソ。なので馬術部員である以上クソから逃れることはできないのである。
ちなみにここまで使役をクソクソ言ってきたが、普段の活動が使役よりキツい場所もある。私のところがそうだ。金を出さないだけで金を取って行きはしない使役よりも、金を払って仕事をしている普段の方がある意味凶悪とすら言える。
なお、こんなことをしていてちゃんと継続する部員がそうそういるはずもなく、入部した1年生が3年生になる頃には良くて半分、悪けりゃ1人も残らない。
使役で一緒になるどこの大学と話しても大体似たような状況だ。継続不可能になって廃部になったところも知っている。
まあ大学の部活なんて物好きがやればいいと言われればそれまでだが、物好きすら継続が難しいような状態をずっと放置し続けている時点で学生馬術の未来は暗い。
馬に乗りたいなら乗馬クラブに月謝を払って乗った方がずっといい体験ができるだろう。少なくとも、金を払って働くことはないのだから。
そこにキラキラした青春は待ってなどいない。青春に感じるかもしれないが、それはキラキラと輝いてはおらず、強烈な汗の臭いと馬糞と馬尿と埃とオガ屑に塗れたシロモノである。唯一輝いているのは馬の瞳だけ。それだけを励みにこの世のものとは思えないカスみたいな労働環境に身を置く覚悟がある奴だけが、馬術部に入るべきだと思う。
そして、改善される日が来るとも思わないから、やっぱり馬術部はおすすめしない。
Permalink |記事への反応(29) | 02:54
外国人を優遇する制度がなければ外国人の特権がないとか、そういうことじゃないんだよ。
もちろん基盤と言っても、帰れば地元のエリート一族で豪邸に住んでるというのから、言葉や習慣に不自由しないだけというものまでピンキリだけど、確実にある。
例えば、上級国民は、一般市民なら逮捕されるようなことをしても、議員を辞めるなり大臣を辞めるなりで「責任を取った」ことになり、社会的に処罰を受けているとして不起訴になったりする。
日本国民が犯罪を犯せば、犯罪者という烙印はずっとついて回るが、外国人は、国に帰ることで簡単にそれをリセットできる。場合によっては金持ちの成功者になれる。
法ですらそうだからマナーに至っては社会的制裁がないので守らないデメリットはない。
外国人にとっては、囚人のジレンマを今回限りにするのも繰り返すのも選択肢がある。「善意で」マナーを守っていても、いつでも裏切りカードを出し、ゲームを打ち切って国に帰ることができる。
これは外国人という社会的地位に付随するものだから、相手が誰でも変わらない。
日本人も、海外に出れば当然に外国人であり、タガが外れて平気で児童買春などをするようになる。
外国人が日本国内で日本人と同等の処遇ということは、それはよっぽどの特権階級ということ。
2世問題が難しいのも、アイデンティティーの危機なんて言うふわふわしたものじゃなくて、親が持っていた特権がなくなるという話だから。
そこんとこよろしく。
感想で済むならラクだが、震災で他者の死を嘲笑する行為は倫理基準という客観的土俵でアウトだ。
「自己放尿」つまり公共空間に劣悪な排泄物を垂れ流す比喩は、倫理違反を指す明確なラベルだ。
中二病と呼ぼうが呼ぶまいが、中身(悪臭)が消えるわけではない。
嘲笑で自己分析を回避しても、お前の動機「他者を踏みつけて優越感を得たい欠如」は残る。
ここで孤独 を持ち出したのは心理ドラマではなく、行動経済学の「利得‐損失補填モデル」そのまま。
他人の不幸に拍手する行動は、自尊心の赤字を埋める典型的な補填行為だ。データ的に説明可能なので精神科医ごっこではない。
感情成分は「お前も変われる」と伝えるためのスパイスでしかない。
次はお前の番だ。
「被災者嘲笑」が自身と社会にとって優位解となる数理モデルを提示せよ。
できなければ自己放尿で床を濡らしたまま滑って転ぶ未来しか残らない。
まだ遅くない。嘲笑エネルギーを、「被災地への寄付」でも「減災テックの学習」でもいい、現実を良くする実装に振り替えろ。
それが嫌いな国を変える、唯一かつ最短の方法だ。
正直「自分の一票なんて全然意味ないんじゃない?」って感じるのも普通だし、時間や交通費もかかるから面倒に感じる気持ちもよくわかるよ。
数字で冷静に考えてみよう。
まず、投票に行くのにかかるコストを考えると、交通費や移動時間、待ち時間などを合わせてだいたい2000円くらいになると仮定しよう。
次に、自分にとって有利な政策が選挙で実現した場合、税金の負担が軽くなったり公共サービスの質が上がったりして、年間で30万円くらい得すると考えてみる。
30万円ってのは実際にはもっと大きいかもしれないし、逆にもう少し低いこともあるけど、まあ妥当だろう。
問題は、自分の一票が選挙の結果を左右する確率がめちゃくちゃ低いってことだ。
かなり甘く見積もっても0.01%(つまり1万分の1)くらいの確率しかない。実際はもっと低いだろうな。
0.01% × 30万円=30円になる。
30円のために2000円かけるって、考えただけでも割に合わなすぎて普通は「投票なんて行かなくていい」と思うのも無理ない。
利己的に自分の利益だけを考えれば、投票に行かない方が得だって結論になる。
法律が守られて経済が安定し、医療や福祉などの公共サービスが受けられているのは、みんなが選挙で意思表示をしているからこそ。
こういった社会全体の恩恵は、一人あたり年間10万円くらいの価値があると考えられている。
だから直接的な30万円と合わせると、年間で40万円の利益を得ているわけだ。
0.01% × 40万円=40円になる。
40円って数字は正直ショボいけど、これだけ数字だけで判断するのは早計だよ。
この状況は「社会的ジレンマ」って呼ばれている。
結局全員が損することになる問題だ。
例えば、「俺だけ投票に行かなくても他の人が行くだろう」と考える人が増えすぎると、
そうなると、みんなが期待していた以上に損をすることになるんだよ。
だからこそ、面倒だったり時間がかかったりしても、投票に行くことが結果的には自分や社会を守る一番の方法になる。わかるよな?
これをやらずに文句だけ言うのは筋違いだし、逆にちゃんと投票に行って自分の声を届けることが大切だ。
わかったな。
自分、比例と小選挙区のどっちかは立憲民主党とか国民民主党辺りにして、もう片方は安野たかひろ関連に投票しようと思ったんよ。
特に、この米高騰問題についてのポストはかなり鋭いこと言ってると思ってて、米に限らずこういうブラックボックス化してるものをテクノロジーの力で明確にするのって大事よねって思った。
https://x.com/takahiroanno/status/1928766663945761111?t=mn2eGML8BaL-frP_X9Gy7Q&s=19
でも、今日、CDBって人が「あれは「ネオリベ向けの参政党」」って言ったんよ。「自分の不摂生で透析になった患者は見捨てろ」と本質的には同じことをスマートな提言みたいに出してきたと。
そんで、一次ソースを確認しに言ったんだが、意外と過激な匂いはしなくて、薬の種類とかなんかで割と論理的なことを言ってるように見えた。
そもそもこれが参政党レベルで変なことと言うのが事実だとしても、このワンミスだけで判断して良いのか?
うーん、選挙行くのって難しすぎへんか。
囚人のジレンマじゃないけど、「自分一人が行っても価値がないが、大勢で行けば価値がある」ってもので、とは言っても、文字通り「行く」だけでなく考えなければ価値にならない。
で、自分はそんなに頭の良い方でないが、ある程度選挙について考えてる。しかして他の大勢が考えなきゃ意味がない。そんなことを考えると、結局選挙について自分も考えないで、もっと仕事とかのことを考えるのが戦略としては最強になってしまうのではないか?
戦略という言葉が、仰る通りデザインパターンとゲーム理論の両方で使われる用語であることは事実です。
しかし、それぞれの分野における「戦略」の使われ方には、明確な違いと、ある種の共通点があります。
デザインパターンにおける「戦略(Strategy)」は、振る舞いに関するデザインパターンの一つです。
目的:複数のアルゴリズムや振る舞いをカプセル化し、クライアントから独立して交換可能にする。つまり、同じ問題を解決するための異なる方法を、実行時に切り替えられるようにする。
特徴:共通のインターフェース(戦略インターフェース)を定義し、具体的な戦略クラスがそれを実装します。コンテキスト(ストラテジーを利用するクラス)は、このインターフェースを通じて具体的な戦略クラスとやり取りします。クライアントは、実行時に使用する戦略をコンテキストに設定することで、振る舞いを変更できます。
例:税金の計算方法が複数ある場合(標準税率、軽減税率など)、支払い方法が複数ある場合(クレジットカード、銀行振込、電子マネーなど)など。
ゲーム理論における「戦略」は、プレイヤーがゲームにおいて取る行動の計画を指します。
目的:自身の利得を最大化するため、他のプレイヤーの行動を考慮に入れながら、どのような行動を取るかを決定する。
特徴:純粋戦略 (PureStrategy): ある状況で特定の行動を一つだけ選ぶ計画。混合戦略 (MixedStrategy): ある状況で複数の行動を確率的に選ぶ計画。プレイヤーは、他のプレイヤーの戦略や可能な結果を予測し、自身の戦略を決定します。ナッシュ均衡など、安定した戦略の組み合わせが分析されます。
選択肢の中から最適なものを選択する:** どちらの分野の「戦略」も、複数の選択肢の中から、ある目的を達成するために最適な行動や方法を選択するという点で共通しています。
柔軟性:デザインパターンでは、異なるアルゴリズムを柔軟に切り替えることを可能にし、ゲーム理論では、状況に応じて最適な行動を柔軟に選択することを可能にします。
目的が異なる:デザインパターン:主にソフトウェアの設計と実装において、変更容易性、拡張性、再利用性といった非機能要件を向上させることを目的とします。ゲーム理論: 主に意思決定の分析において、複数の合理的なアクターが相互作用する状況で、各アクターがどのような行動を取るべきかを予測・分析することを目的とします。
主体が異なる:デザインパターン:開発者が、ソフトウェアの振る舞いを構造化するために使用します。ゲーム理論:プレイヤー(意思決定者)が、自身の利得を最大化するために採用する行動計画であり、また分析者がプレイヤーの行動を分析するために使用します。
相互作用の有無:デザインパターン:基本的に、戦略パターンを利用するコンテキストと戦略クラスの間には直接的な競争や駆け引きはありません。単に振る舞いを切り替えるだけです。ゲーム理論:複数のプレイヤーが存在し、各プレイヤーの利得が他のプレイヤーの行動に依存するという、相互作用と駆け引きが本質です。
例えば日本の電化製品は「他社が安くしたら必ずそれより安くします!」とか言ってるだろ?
トリガー戦略をコミットメントしていれば価格下げ戦争が起きない
ネットのオタクというのは漫画で得た知識を聞き齧りで喋っているだけなので、専門的に見ると術語の間違った解釈・使用が非常に多い。
ここ10年ほどのSNS社会がエコーチェンバーによりそれをさらに悪化させている。
なお悪いのは、日本の一般社会もこれを軽蔑するほどの定見を持たず、底辺向けのテレビ番組はもとよりポピュリズム政治家までが、このレベルの歪んだ知識で科学や社会を平気で語る悪弊まで出始めている点である。
個人的に研究経験のある領域でいうと、ゲーム理論における「囚人のジレンマ」という言葉などは、今や中学生でも知っていそうだが、それをどう扱うのかという観点において大いに歪んだものが支配的である。
ゲーム理論による社会分析において、囚人のジレンマは「解消」方法を研究するものである。
例えば「繰り返し囚人のジレンマ」という反復状況において、どのような戦略を取ると本当に得な、win-winの結果が得られるかなどと考えるものである。
なのに日本の一般社会では、このジレンマを「仕方ないから受け入れるべきもの」と捉えるような低次元の解釈が横行している。
「どうせ囚人のジレンマなんだから、奪い合え」という馬鹿みたいな刹那主義を良い大人が共有して、生きにくい社会を作って苦しんでいる。
海外ではこのような歪んだ術語の解釈は、少なくとも中流階級のメディアでは浸透しない。
専門的な概念には専門家の意見を取り上げて、何処の馬の骨が書いたかもわからないネットの匿名投稿などは最初から参照しないからだ。
結果として、海外では囚人のジレンマの解消にもっとも大切な「コミュニケーション」を重視して、互いにちゃんと得になるパレート最適点を社会全体のゴールとして設定している。
いわゆる「持続可能な開発目標」などはこういう社会合意の元にバランスよく目指されるものになっている。
政治が誠実なコミュニケーションに依拠せず、互いに被害妄想のようなやっかみ合いで足を引っ張り合う状態を『分断』という。
それ自体は大なり小なり世界中で起こっている問題ではあるが、日本ほど世代や属性で分断されることが常態化し、それに疑問も持たなくなっている社会はそうはない。
自分を中庸あるいは先進的とすら思っている一般市民が、平気で年齢とか性別で区切った特定層を死なせろだの罰しろだのと公言して、それをとんでもない暴言だとすら思っていない日本で、トランプを異常視する道理なんかない。
https://anond.hatelabo.jp/20250107174603 でコメントを頂いたので追記。
【年間いくら払ってるの?】
年会費とお守りみたいなもので一人当たり年2万前後。我が家の宗教団体への出費はこれだけ。
壺だの魔除けのアクセサリーだの意味の分からない値段設定の物は置いてなさそう。
普段の説法を聞くだけなら無料の配布物で参加できるし、より熱心に学ぶなら図書を買ってねというスタンスだが、これも職員が販促しないので本当に積極的な信者向け。
正直もっと金が掛かるものかと思っていたが、真っ当かつ良心的で拍子抜けした。
【教えを守らないとどんな罰があるの?】
豚肉食うなとか鳥居くぐるなとか行動を制限するものは一切無い。
天罰が下る系も無い。あるとすれば、ちゃんとしてないと報道で見るような悪事を働く不届き者になっちゃうぞーって感じ。
だいぶ緩い。
【@daydollarbotch家族を大切にしろという教義のわりに、家族になろうとする者の宗教的自由は尊重してもらえないのか。信者視点では、正しい教えに導くことこそが家族のため、なのかもしれないが。】
スター付きまくってたのでそのまま引用させてもらいました。この指摘はもっともです。
はじめは私も全く同じことを感じた。
ただ、少なくとも配偶者や配偶者家族は一度入信を薦めただけで、こちらの決断を急かすことなく待ち続けてくれたし、信者籍を置く前から施設職員と何度も話をしたが、入信を薦めるような発言は一切無かった。
つまり組織の方針として、一個人の宗教的自由は十分に配慮するように努めているように感じられた。
この観点で言うと可哀そうだと感じたのは、「家族と共に学ぶことが理想」という趣旨が先行して、無理に家族を入信させようとしてそれが悩みの種となっている信者が存在することだ。
かたや説法では「無理強いするな。相手がその気になるまで待て。」とも言ってくれているのだが、思いの強さが仇となるのは本末転倒で居た堪れない。
【子供はいるの?作らない方がいい。こどもがかわいそう、虐待だ。】
生まれながらに思想バイアスが掛かるのは避けようがない、すまん。
ただ二世の配偶者はそんなにバイアス掛かってるように見えないんだよな。神の存在が疑わしいと思う時があると自白されたときは正直ひっくり返った。
私が親として出来ることは、こんな親の子に生まれたくなかったと思われないように全力を尽くすことくらいだ。
【"人が品行方正で他人に迷惑をかけないで生きることは、神を信じる信じない以前の当たり前の話"ではない。】
これも異口同音に言われ、自分がいかに高慢な姿勢だったか思い知らされました。
私がこのように考えに至れたのは、ひとえに生まれた環境であり親の教育の賜物でした。
神を持ち出さずとも合理的に考えれば協調した方がみんな得する(いわゆる囚人のジレンマ)という後知恵臭い考え方も良くなかったかもしれません。
理屈だけでは回らないのがこの世ですもんね。勉強になりました。
何が言いたかったかというと、宗教の是非や捉え方は人それぞれだし、自身の周りの人間が幸せなら私も幸せ、それでいいじゃないかという事でした。
結局私は内心を侵されずに済んでいるし、作法をこなせば界隈にも馴染むしみんな幸せ。
この部分を見事に掬い取って指摘してくれたブコメもいくつかありましたね。ちゃんと伝わってて嬉しい。
反応が2、3件付けばいいなーと思って投稿したらこんなにも反応を頂けて恐縮です。
増田が居てくれて本当に良かった。(2回目)