
はてなキーワード:喜怒哀楽とは
俺が見本を見せてやる!
両性具有の中道二成(ちゅうどう・ふたなり)は生まれついての凡人だが、凡人すぎる自分を凡人なりに恥じた結果、父にして母たる遺伝的な繋がりのある両性具有の扶養者から貰ったギターを練習し、ネットで人気のギター・マスターとなる。
二成はある日、完全なる偶然によってとあるライブハウスを訪れ、そこで二人の両性具有に出会う。
一人はドラマー伊地知虹春夏秋冬、もう一人はベーシストの山田両。
諸般の事情によりやむなく欠席したギターの代理として登板した二成は、それなりの結果を出す。
三人でバンドを結成した後、事前に明確な打ち合わせを行ったうえでの契約の元に定められたノルマに基づいてチケットを売ることになった二成は、それなりにいる友人達にそれなりの誘い方をするがそれなりに断られる。
チケットノルマを達成できないことを恥じた二成は風呂上がり(風呂シーンはカット)に落ち着いて考えた末、自分が有名になった時にプレミア価格がつくと信じて自爆営業を決意するのであった。
その後、諸般の事情を説明してバンドに戻った喜怒哀楽多少池鱈郁と共に結束バンドはそれなりに活動。
アルコールと健康的で適度な付き合いをする飲河満腹スパイラルを自称するバンドパーソンとの出会いなどを通じてそれなりに活動してそれなりに平凡に過ごすのだった。
生成aiと対話して、あなたの感情を文章化してもらう。単にわめく・怒るではあなたの喜怒哀楽が動物的な伝わり方しかしないので、あなたがその喜怒哀楽の情を持って伝えたいことが伝わらない。犬猫の喜怒哀楽と同じになるのでもったいない。
生成aiの出力した文章を読んで、それがあなたの喜怒哀楽を表しているか、あなたの取りたいアクションや希望を織り込んでいるか、読み手に恐怖や法的・社会的なリスクがないかをチェックしてもらい、文章で提示してください。
相手は文章じゃなくて、言葉でいってと伝える労力・コストをあなたにぶん投げるタイプの人なら、コミュニケーションを取らないで離れた方が良い。
ここ数年、イライラが酷くて、子供や夫にあたってしまうことが多くなった。
もともと喜怒哀楽の「怒」が激しいタイプだけど、そうはいってもそんなことで?と自分でも後から思うような場面でキレ散らかしていた。
仕事中に紙がうまく捲れなかったとか、キーボードがうまく変換されなかったとか、そんなレベルでイラが襲ってきて、
一度発生するとどうやって解消しようとしてもイライラが抜けなくて、日常生活を送るのが困難になっていた。
でも、そうだ、受診しよう。と思い立ってもハードルが高いのが婦人科。
産婦人科は…妊娠出産が主なイメージだったしずっとかかりつけているわけでもなく行きづらかったので、
ネットで検索して婦人科専門、しかも更年期障害についてホームページで記載があるところに受診してみた。
街中で、美容系のメニューがたくさんある、夜のお仕事の方御用達っぽい婦人科。
職場から徒歩で行ける距離だったので、仕事帰りに予約ができてありがたかった。
初診での血液検査の結果、私はまだホルモン数値的には更年期ではないらしい。
でも尋常じゃないイライラを訴えたところ、漢方を処方してもらい服用することになった。
更年期症状への漢方は複数あるが、私が処方されたのは「抑肝散」
プラセボ効果もあるのかもしれないが、わたしにはテキメンに効果があった。
とは言っても元々の性格がアレなので、怒り指数MAXが10とすると4か5で収まる感じ。
あと世の中の出来事全てに対して必要以上に悪く捉えないようになった気がしてる。
「服用指示は毎食前だけどそこまで気にならなければ毎食でなくてもいいよ」と先生から言われたが、
上記のような効果を感じていたため忘れない限り毎日服用し続けた。
ちょうど受診のタイミングがずれてしまい二週間ほど薬を切らしてしまう計算になったので
服用を調整して毎食ではなくイライラが酷くなった時だけにしてみたのだけど、
私は毎食飲まないとダメなタイプなのか、半年間服用し続けたからもうなくてはならないものになってしまっているのか、
調整しだしてから自分の性格がとても悪くなっていることに気付いた。
なんでもないところでイラっとする、
ふと出てくる言葉が意地悪、、、
なんでこんななんだろうと後から反省するが、反省してもしても不意に出る言葉や人に対する態度が酷くて、とても落ち込むんだ。
もう私は抑肝散と共に生きていくことを決めたよ。
(でも欲を言うともうちょっとイライラが収まってくれる他の漢方があれば試したい)
(一度別の漢方も処方してもらったが激しくお腹を下してしまい継続困難だった)
Permalink |記事への反応(13) | 11:57
「自分が若くて輝いてた年頃に持っていた価値観をアップデートできないまま年取ってイキるおじさん」
はたくさんいるけど、世代によって差異がある様子を見て取れるから面白い。
たとえば
・50代なら
酒酔っ払ってるとか本気で怒った時とかに
ってブチ切れて決闘申し込むとか
・40代なら
バラエティ番組のタームでバラエティタレントっぽくチャラく、軽く、ヘラヘラと言葉を紡げるのが格好いい!
「ドMじゃんwww」とか「空気読めよ!!w」とか「あの人痛いわ~笑」とか、
そういう演者っぽい元気な発言を自分がたとえガチの薄毛になったり糞デブ化したりしても相変わらず嬉々として若い人に対しても使ったりしてる。
・30代は
バカにしたいターゲットをひとたび定めると、無表情のままなるべく喜怒哀楽を出さずに世間話の体で色んな質問を投げかける感じのインタビューを行って、
そこで飛び出した回答とかを後になってリア充仲間のところに持ち帰って陰でニヤニヤずーっとバカにして盛り上がって粘着する
みたいなことをやってるイメージ。
人よりも情緒の発達が遅れてる自覚がある、喜怒哀楽は流石に分かるけどそれが細分化されていくともう無理楽しい空気でも自分の発言で場が凍るとか、余計な一言で火に油を注ぐとか、そんなんばっかり 昔は場が凍っていることにすら気づけなかったから確実に成長はしてるんだけどさ、なんで場が凍ってるのかもいつか分かるようになるのかな
あとこういう悩みでよくあるアドバイスの「相手の立場に立って考える」、これマジで意味無い なぜなら情緒がより複雑な相手に自分を投影しても何も理解できないから 1000ピースのパズルで感情が完成するのにこっちの手持ちはせいぜい100ピース、全容すら理解できないんだよ
昔本気でASDとか持ってんのかなと思って知能検査受けたけど結果は健常者、いよいよなんの救いもなくなって苦しい 誰か助けてくれよ
私は酒が飲めない
酔っ払ったという口実で抑圧されてたやりたいことをやってるだけだろうと思っている
このあたりはわからなくもない
野次だ
シラフでもできるひとは確固たる意志を持ってやりたいからやっている頭の狂った人間なのでこの場合は一旦考えない
問題は普段はそういうことをしないひとが会社の飲み会の終わりの幹事の挨拶などで場の空気を悪くするレベルのひどい野次を飛ばす
それとも酔っ払った頭には野次を飛ばすことがベターだと思ったのか
生まれてからこのかた野次を飛ばしひとの言葉や試合やライブに無意味なノイズをかけたいと思ったことがない
ライブで一緒に歌うことや掛け声をかけることもも演者が求めていても躊躇があるので余計にそう思うのかもしれない
16年前のガンが再発し、再闘病8年目の今年2月、これ以上の治療は困難とのことで緩和ケアへ移行することになりました。
この時私は妊娠6ヶ月でした。念願の初孫だと喜んでくれていたので、この告知はとてもショックでした。
予定日は7月2日、母の余命は4ヶ月ほどだろうと言われました。主治医の先生には被るのではないかとまで言われたそうです。
去年は友達と九州へ旅行に行ったり、好きなアーティストのコンサートに行っていたのに、本当に急でした。
もちろん里帰り出産なんて出来ませんでした。さらに今後、私がお腹の子を育てていく際に母の支えが無いのだということに絶望しました。孫の手を引くお母さんを見ることは出来ないんだと、孫を甘やかすおばあちゃんがいないのだと。
しかし1番悲しいのは母自身です。私は期待を持たせて悲しさが大きくなるのが怖くて、孫に会わせたい、孫を抱いて欲しいという願いをグッと飲み込み、母は母の病気に向き合って、私は私の出産を頑張るからと伝えました。
遠出を避けなければならない妊娠後期ギリギリまで何度も帰省しては、母にたくさんお腹を撫でてもらいました。撫でてもらうたびに、お腹の子に会わせたいという淡い思いで胸がいっぱいになりました。
最後に会ったのはGWでした。またね、頑張るんだよと声を掛けてくれた姿は比較的元気そうでしたが、今思えば妊婦の私を気遣って無理をしていたのでしょう。
その後、母はみるみるうちにやつれていきました。ご飯が咀嚼出来なくなり、ゼリーなどの流動食ばかり食べていたようです。肺に水が溜まり、心臓が痛くなり、起き上がるのが苦しくなっていたのです。また薬の副作用や症状の悪化でせん妄が顕著に現れていました。テレビ通話やメッセージが支離滅裂になっていく母の姿を見るのは辛かったです。
しかし私のお腹の子はどんどん大きくなって来ます。とうとう正期産の日になりました。その当日の妊婦健診時の「いつ生まれて来てもいいからね」という先生の言葉を聞いたからなのか、はたまたこの後のことが分かっていたのか、その日の夜、子は予定より3週間も早く産まれてくれました。
小さく生まれたものの、2510gとギリギリ体重をクリア、増加率も問題なく、一緒に退院することが出来ました。
旦那が無事に出産したと実家にメッセージを送ると、混濁していた母の意識が急にはっきりして、母子の無事を泣いて喜んでくれたと聞きました。喜怒哀楽を娘にあまり見せない親だったので、大泣きする母の姿が想像できませんでした。
母がしっかりと会話できたのはこの日が最後でした。
介護をしている姉から送られてくる母の様子は、かなり厳しいものでした。言葉が出てこなくて癇癪を起こしてしまう、姉の顔を忘れてしまった、ベッドから起き上がれなくなった、トイレに行けなくなったとゆっくりと、しかし着実に一生を終える階段を登っているようでした。
ついに1週間前、母が入院になりました。最後の入院になるだろうとのことでした。医者の見立てというものはすごいです。2月の段階ではここまで進行するとは思えないほど元気だったのに。
私は姉に伝えました。1ヶ月健診が終わったら帰るから、それまで頑張るんだよと伝えて欲しいと。
子が早く生まれてくれたから、早くに外出できるようになったのです。母に抱かせられるかもしれない。諦めたはずの期待が溢れてしまいました。
無事に1ヶ月健診を終え、急いで実家に帰省しました。母を見舞う前日、姉から「ご飯が食べられなくなった。それに伴って持病の薬を全て中止した」と言われました。全身に転移したガンとは別に心臓の持病を抱える母にとってそれは、最期へのカウントダウンでした。
月曜日、特別に許可をもらい子を連れて病室に向かいました。母は息をしていました。意識はほぼなく、呼吸器をつけてやっとしていた息ですが、心臓を動かして待ってくれていました。痩せて骨と皮だけになった母の手を取り、子の手を触ってもらいました。発熱していたこともあり、温かい指先でした。目を少し動かし、私を、子を追っているように見えました。待っていてくれてありがとう、私もお母さん頑張るよと伝えて病室を後にしました。
その日の深夜、日付が変わる時に母は旅立ちました。主人に子を預け、最期に立ち会うことが出来ました。
息を引き取った母を見て、ああ本当に待ってくれたのだと思いました。また、子は母の命の時間を知っていて早くに生まれてくれたのだと思いました。
そうとしか思えないのです。
そう思ってもよいでしょうか。
母の病気が治らないと知った時、奇跡なんてものはなく、神もいないのだと悟りました。
でも抱かせることは叶わなかったけれど、無事出産できたことを知らせることができ、孫の写真を見せられて、直接孫の顔を見せることも、孫の手に触れさせてあげられたことも出来ました。
このタイミングが偶然のものだとしたら、出来すぎだなあと笑ってしまいます。
そして未明に母が帰宅し、授乳の合間を縫って仮眠を取り、やっとジワジワと母が逝ってしまったことを実感しています。
死に目に遭えたからとしても、やはり私のこの先の人生に母の姿がないことに変わりはありません。その事実がどうしようもなく辛く、悲しく、胸に重くのしかかってきています。寝不足のまま、微かに一階から流れくる線香の匂いを嗅ぎ、理由なく泣き続ける子をあやしながら、広くなって静かな家の廊下を歩いていると、今日がきっと人生で1番辛い日なのだと思います。
程度は変わるのでしょうが、一生この辛さは消えないのでしょう。ここに母がいたら、母だったら何を言ってくれただろう、と。道ゆくおばあちゃんと孫の姿を見かけるたびに、私は一呼吸置いて鼻の奥が痛くなるのを堪えるのでしょう。
それでも我が子を抱きながら、この子と母の奇跡のような巡り合わせを思い出して、痛みを少しだけ溶かしていくのだと思います。
義実家とは結婚の時に縁が切れています。そのため頼れる家族が、認知症を患う父と陸の孤島と呼ばれる県内の果ての地で教鞭をふるう姉しかいません。
まあ鬱の現実逃避がちゃらんぽらんに見えるのはあるあるだよなー増田は全く何も悪くないんだけど
鬱っていうと思い詰めて塞ぎ込むイメージかもしれんが、喜怒哀楽の全てが増幅されるような感じの場合もあるんだよね
すぐ不機嫌になるのも、ゲームでゲラゲラ笑ってるのも鬱の症状に見える
鬱の寛解って、笑えるようになるというよりは穏やかになるってイメージ
読んでる限り、正直3ヶ月で復帰は厳しそう。メンタルは長引くからなあ
夜泣きってことは乳児だろうか、本当にお疲れ様。どうにか増田の負担が軽くなればいいんだけど
夫、元気そうに見えるかもしれないけど病人なのは事実なので今は戦力外だと思ったほうが良い
共倒れにならないように、実家、行政、民間サービスとか頼れるとこ探そう
10年間パワハラ上司に毎日罵詈雑言を吐かれ続け、ちょうど1年前「あ、無理だわこれ」となり転職。
現在の職場はまあまあ大手ということもあり、みんな常識があり人格否定とか暴言とか吐かない。
けど1年働いてみて、「あれ、私こんな人間だっけ?」という静かな驚きがあった。
というのも、喜怒哀楽の振れ幅というか、感情が乏しくなっている。
パワハラを受けていた職場では、喜怒哀楽の「哀」がかなり強くて苦しかったのは事実だが、
その分他の感情もしっかりあった。なんならよく笑い、よく怒り、人の幸せも心から喜べるほうだった。
しかしパワハラ職場から去って職場を変えた今、喜怒哀楽全てが失われた感じがする。
人から褒められても、無。
おいしいもん食べても、無。
これってやっぱ10年脳にダメージ受けて心が変になってしまったんか?
生活してて起きられないとか涙が止まらないみたいな、いわゆる鬱とか適応障害っぽい症状はない。
だいたいみんな年齢的に、心ってこんな感じになってくもん?
教えてクレメンス
連休初日に起きた、自分でもうまく説明できない身体の現象を記録しておきます。これはあくまでも個人的な体験記録です。現象の背景にある人体の仕組みについての示唆は歓迎いたしますが、医療相談や診断を求める意図はありませんのでご了承ください。
---
連休初日の午前中、近所の図書館で本を選んでいたところ、意思とは無関係に奥歯をギリギリギリと噛み締めていることに気がついた。連休前は連日の残業で疲れていたが、行きつけの整体院で首の痛みを直してもらったばかりで、スッキリしたつもりでいた。それなのに、口が開かない。当然、物を噛むことも話すこともできない。午後になっても食い縛りは収まらず、奥歯をギリギリと噛み締める感覚が続く。しかも長時間になるとかなりしんどい。あくびをするとわずかに口が開くが、すぐに閉じてしまう。午後は前日のIT関係の展示会の見学レポート作成をしようとPCを立ち上げてはみたが、無理そうなのでやめた。
気分転換に暗くなる前に散歩に出かける。歩いているうちに、症状は食い縛りから歯軋りへと変化した。昨日まで痛みがあった首のあたりが歯軋りと連動してピクピクと動いている。二駅分歩いてスタバまで行った。今日は口が開けないので、注文はゆずシトラスティーを指差しで。ホットかアイスかと尋ねられたが、喉の奥で「ウッウ」としか言えなかった。それでも、空気を読んでくれたイケメン店員さんのおかげで無事に注文できた。
ノイズキャンセルイヤフォンで静かな音楽を聞きながら本を読む。症状は相変わらずで、歯軋りとともに、心許ないような不安もつきまとう。こめかみが疲れるので眼鏡を外したら本が読めなくなって、結局目を閉じて音楽を聴いていた。帰り道、無印に寄り、いちばん違和感のなかった「ひのきの香り」のエッセンシャルオイルとアロマストーンを購入。こんなオシャレアイテムは使ったことがないが、今夜眠る時に試してみることにした。
そのようなタイトルの本を、5年前から積読している。私の推測では、神経の奥に棲んでいた何かが、整体によって追い出されてきたのかもしれない。私は昔から感情表現が不得意だった。喜怒哀楽のうち「喜ぶ」「哀しい」「楽しい」は一人でなら感じられるが、人が多い場所では私自身の感情を感じることすら難しい。怒りはよほどのことがないと表に出さない。けれど、理不尽な出来事があった後は、表面上は無表情でも、内面では大きなダメージを受けている。
さて、夕食はどうしようか。温かい食べ物だと反射的に口が開くので、少しは食べられそうだ。ただ、すぐに口が閉じてしまうので不便だ。温かいものを口に運び、咀嚼して飲み込んだあと、歯がギューッと強く噛み締められる。あまりにも強く噛み締めるため、口の周りが腫れているような感覚がある。
刺激をなるべく避けるため、照明を落として入浴する。静かな音楽を防水イヤホンで聴きながら、湯船に浸かっていると、とても悲しくなり、涙が出て来た。連休初日、図書館と散歩に行っただけなのに、私は一体何がそんなに悲しいのだろうか。そのままでは理由も分からない悲しさが無限に溢れてしまいそうだったので、早めにお風呂を上がり、ベッドに入った。
---
---
小さな音でお気に入りの音楽をかけて1時間のタイマーをセット。いつもはスマートウォッチをつけて睡眠時間を記録しているが、今夜は外しておく。ひのきの香りのエッセンシャルオイルを3滴ほど使い、アイマスクをつけて眠ろうとした。しかし、悲しくないのに涙が止まらない。(私の場合、涙は悲しさだけでなく、喜び、哀しみ、楽しさ、あるいはそれらの組み合わせなど、漠然とした感情の表出と関係している)時々身体のいろいろな場所がビクッと動いた。
少しうとうとしたが、すぐに目が覚めてしまった。自分の意思とは関係なく背骨に電気が走ったようにベッドから跳ね上がってしまう。コロナワクチン注射で似たような症状が出て救急搬送されたことがあるが、今回は体の奥にある痛みの中に棲んでいた感情が、それを表出する回路が無い身体から出口を求めて暴れているような感じがする。そのような波が一通り暴れまわったあと、涙がブワっと出て、少し落ち着いた。いつの間にか歯ぎしりは収まって、歯が震えている。やったか...!?
やがてもうひとつ大きな波が来てまた身体が勝手に動く。最後に涙がブワッと出た。ふと、過去のことを思い出す。大好きだった祖父が亡くなったとき、涙が出なかった。優しかった祖母が亡くなった時は仕事でお葬式にも行けなかった。叔父のお葬式でも涙が出なかったけれど、孫が号泣しているのを見て、「悲しい気持ちを素直に表現できて羨ましいな」と思った。
少し汗をかいたので着替える。首に少しだけ痛みが戻っている。感情の一部は、身体の中に痛みとして留まることを選んだのかもしれない。お気に入りの音楽がタイマーで切れ、ひのきの香りももう薄れてきたので、もう一度補充する。
体が勝手に動き始めた。始めは、ビクッビクッと微かな予兆だった動きが、やがて振幅が大きくなり、最後には頭のてっぺんから足の先までがピンと張り詰めるような姿勢になった。30秒ほどその姿勢をキープして、いい加減息苦しくなった後で、やっと楽になった。感情の表出は全くなくて、不随意運動だけの波だった。
再び歯の食い縛りが始まった。まだ終わらないのだろうか?身体の動きは収まったのでキッチンで水筒にお湯をいれて持ってくる。お湯を飲んでも食い縛りはあまり変化ない。枕元の温度計は20℃でそれほど寒くないのに寒気を感じる。今度は冬用の厚手の服に着替えた。
ベッドに横たわりながらデッサン人形のような動きが始まった。初めは背骨にスイッチが入り、次に右半身、左半身、前後の動き、捻り、手、脚、舌と首、それぞれの連動。左右同じ動き、左右逆の動きなどありとあらゆる動きが延々と続き、一時間半ほど続いてやっと落ち着いた。この不随意運動が始まるとメモも出来ないので、一連の動作が終わって合間にメモをしている。
何かに耐えたり逃げたり叫んだりするときの姿勢の再現が20分ほど続いた。姿勢は防御や恐怖を表しているようだが、感情は全く連動していないため、ベッドの上であり得ない姿勢をしている自分を冷静に観察できる。動きが収まると、歯が震え始めた。
驚愕したり、何かを拒否しようとするような、首を激しく振るような姿勢の再現が30分ほど続いた。一連の姿勢の再現の間には束の間の休息がある。冷めたお湯を飲んでいると、鳥の声が聞こえた。もう夜明けだが、再び歯軋りが始まった。寒気がする。また何か来る。
胸を押さえて体を丸めて小さくなり震えるような姿勢の再現が10分ほど続いた。朝5時になって目覚ましが鳴ったが、一旦止め、もう少し身体の様子を見守ることにした。
目が覚める。恐怖の姿勢の後は眠っていたようだ。最後に、ものすごく悲しくなりブワーッと涙が流れたのを覚えている。夢の中での出来事だったような気がするが、スマホに時刻付きのメモが残っているので、夢ではなかったようだ。
3年程前にクトゥルフ神話TRPGを初めてプレイした。今まで経験したことのない、オンラインで通話を繋いで他者と会話をしながらゲームを進めるという形態が面白く、卓にのめり込んだ。
学生だったこともあり時間を作りやすく、月の半数以上が卓で埋まっていることも多くあるような、所謂「卓修羅」になった。(ほぼ1ヶ月丸々卓をやっているような人もいると思うが、一般的に見れば充分卓で遊びまくっている人、にはなるだろう)
セッションを通して仲良くなった人も多く、卓が無い日には絵を描きながら通話をしたりと、CoCによって出来上がったコミュニティの人との交流が、私の人間関係の大半を占めるようになった。
そのような日々が2年弱続き、リアル環境の変化などもあり、のめり込んでいた時期よりはセッションを行う回数や日程が減った時、ふと、我に返ってしまった。
もしかして、私が今やっていることは、何の糧にもならない"なりきりチャット"でしかないのではないか?
無駄なことをしていた、とまでは言わない。新たな人間関係を築くことも出来たし、セッション中に出てきた言葉によって知識が増えたこともある。卓で号泣したことも大笑いしたこともある、非常に充実した楽しい時間だったとその時は本気で思っていた。
しかし、毎日のように21-25時にインターネットで他人と通話し、キャラクターを創作してそこに自分の声をあてて、疑似的に恋愛や親愛、交友、喧嘩、離別死別…などを享受して、あたかも自分の人生に経験値が加えられたかのように充足感を味わえてしまうこの遊びは、とてもドラッグのようで危険なのではないか、と感じ始めてしまった。
この遊びをしていれば、例え日常生活でそのような部分が上手くいっていなくても、「自分はちゃんとやれている」という偽物の感覚が沸き起こってしまう。
先程、こんなツイートを見かけた。
https://x.com/kagoyama_sns/status/1909823765485371532?s=46&t=9UMOpY3fXfXhV8EumQE_Ig
「TRPGってなりチャで身内コミュニティに浸り続けてる人が多いから(中略)関わった人の鬱病・ASD/ADHD・遅刻魔率がこれまでいた界隈の中でもダントツ」
まさに、なのだ。一緒に遊んだ人達の休職率・鬱病や双極性障害、適応障害を患っている確率が、他のコミュニティ(学校、会社、別の趣味等)にいる人々よりも圧倒的に多い。
一方で上記のような状態でなく、社会人として一般的にそれなりに働いている人間は、毎日21-25時に通話して身体も脳も拘束されていては普通はやっていられないし、やっていられる人は睡眠時間を犠牲に、ひいては寿命と引き換えに遊んでいるのではないか、とさえ思う。
更に言ってしまえば、卓修羅、とまで呼ばれる人々は、リアルの人間関係や交際はどうしているのだろう?と度々考えた。どう考えても、そんなことをする時間が無い。もし卓修羅でありながら恋人が欲しい友達が少ないと宣っている人がいるのであれば、それは自業自得でしかない。
このまま私が卓をやり続けていては、自分の生活と人生を棒に振ってしまうと、強い危機感を覚えた。
ここまでつらつらと述べてきたものが私がCoCを辞めるべきか?と考えた一番の理由ではあるが、それ以外にもきっかけはいくつもある。
・同卓でよく遊ぶが価値観は実は合わないなこの人…という人がいた
・日常が充実すればするほど卓でまで感情や喜怒哀楽を使うほど余力がない(暇な日々を送っていた時はそんなことは感じなかった)
・最近のランキングやら諸々の学級会を経てシナリオより小説を読むべきだと思った
etc…
今楽しくTRPGを遊んでいる人に、TRPGはクソだと辞めるべきだの言うつもりは毛頭ない。
だが、もし惰性で遊び続けているけどなんとなく不安感がある、みたいな人がもし私の他にもいるのならば、この感覚が届いて欲しいなと思う。これだけ界隈が広ければ、1,2人ぐらいは共感してくれて、近いアクションを起こそうとしている人もいるんじゃないか?
CoCの人間関係に勝手に縛られて、辞めづらい、こんなに時間食われるのに……と思ってしまった私のような人が、辞めるにしろ続けるにしろ、ひとつ思考のキッカケとなれば幸いである。
最後に、あくまでこれは私が最近感じたことを思いのまま書きなぐったものであり、この文章が誰かを誹謗中傷したいものではないことは明記しておく。皆様は素敵なTRPGライフを。
アニメを見て何も感じなくなる時期ってある?
自分はアニメが本当に好きなんだけど、定期的にこの状態になって困ってる。
笑われるかもしれないが、カウンセリングとかでも相談したんだけど解決しない。
面白い展開やギャグシーンということを理解はできるだけど、本当に何も感じなくて楽しむことができない。
アニメに限らず漫画や小説でも調子が悪い時期は同様に楽しめなくなる。
作品が悪いんじゃないかと思われるかもしれないが、調子が良い時に見るとちゃんと楽しめるから本当に訳が分からない。
調子が悪い時に試しにルルーシュとかヒロアカとか見てみたんだけど、マジで何も感じなくてビックリした。つまらないとかじゃなくて、楽しめない。理解した内容に喜怒哀楽がついてこない。
もう少し症状について書くと、アニメを集中して見れてない感じがする。ずっと意識が半分上の空というか、そんな感じ。感覚の話だからうまく言語化できなくてもどかしい。
一応調べたんだけど、それっぽい病名?みたいなのはなかった。
ただ、似たような症状を訴えてるYahoo!知恵袋はあったので添付しとく。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11120729821
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14158505984
本当にアニメが好きなのに全く楽しめなかなるのが本当に辛い。同じ経験や心当たりがある人は教えて欲しい。質問も答える。解答お願いします。
結婚というのは、一方が一方に奉仕する関係ではなく、対等な関係だと考えている。なので結婚できない。
順序立てて書く。
付き合って1年になる彼女がいる。
まあ、やることはやってました。彼女のことが好きだったので。
んで、ある日「生理が来てなくて不安なの」という長めの電話を受けた。
違うんだよな。
だってお前それ、「不安という感情を解消するための相談」じゃん。って。まあ言ってるけどさ、不安だって。それがダメなのよ。
「責任は取る」って俺は何度も何度も言ってるし、
ご両親に挨拶もしているし、子供が出来たときのための積立もしてるわけよ。
相手もそれを知ってるのよ。
で、そのエクスキューズがあるんだから、「俺にどうしてほしいか」じゃなくて、「自分の感情を解消するための相談」を俺にしてきた、ということになる。
それは、不平等なんだよ。
その場では、俺にできることあったらなんでも言って。責任は取るよ、って何度も優しく言ったけど、正直心は冷めていた。
悲しい時、嬉しい時、不安な時、その感情を整理するために相談ってしたことないんだよ。
嫌な言い方を敢えてするけど、俺は喜怒哀楽の感情を整理するのに、家族を使用したことがないんだよ。
そんで、これからもするつもりはないわけよ。
それを家族に話すことで緩和しようとか、考えたこともないのよ。選択肢として存在しない。
会社で嫌なことがあるとか、転職する不安とか、そういうのを相談する気がないというか。だって言っても解決しないじゃん。
相手が解決方法や別の見地を示してくれそうなら相談するけどさ。
要は、立場が逆で、俺が生理こなかったとしても、お前に俺は報告はしても相談はしないわけよ。
金銭面や将来についての約束があるが、それはちゃんと履行するよな?という確認ならするけど、不安を
話すことで解消したいとは思わんわけよ。
今後もそういう感情の解消のための相談をされるなら、不平等になる。
「自分の感情をわかってもらうことで不安を解消したい」なんて人生で一度も思ったことないんだわ。
対等な関係が築けないよね。
なんでこんな話を書くのかというと、男女論でここ行き違ってること多いな、と思ったから情報共有ね。
他のカップルでも起きがちな行き違いだと思うから気をつけてね、ってやつ。
2006年9月24日、京都発のIT企業・はてなの実験場「はてラボ」からはてな匿名ダイアリーがひっそりと産声を上げた。
当初は単なる試みの一つに過ぎず、誰もが自由に匿名で日記を書ける――いわゆる「匿名ダイアリー」、通称「増田(ますだ)」がこうして誕生したのである。
ちなみに「増田」という呼称はanonymous diary(アノニマスダイアリー)を日本語読みした際に「アノニ“マスダ”イアリー」と聞こえるダジャレに由来する。
サービス開始直後、匿名性を守るための施策が次々講じられた。リリース翌日の9月25日には投稿者のプロフィールページ(マイハテナー)へのリンクが早くも削除され、9月29日には画像貼り付け機能も禁止となっている。
テキスト主体で完全匿名を貫く方針が、最初の一週間で明確に示された形だ。初期の増田にはユーザー有志による「匿名ダイアリーならではの遊び」がいくつも提案されたものの定着はせず、10月上旬には投稿数も落ち着いた過疎期に入った。
しかし10月下旬になると様相が一変する。匿名ダイアリー発のエントリが徐々にはてなブックマークの「注目エントリー」(ホッテントリ)に顔を出し始めたのだ。
たとえば「はてなブックマークで話題になるブログとならないブログの違い」といったメタ考察の記事が注目を集め、増田発の長文論考がちらほらと人気入りするようになった。
サービス開始初日に投稿された記念すべき最初の増田のタイトルが「はてなの名でやるような事でもない」だったことも象徴的だ。
冒頭からして手厳しい内部批評であり、いかにも「はてならしい」船出と言える。
しかし、この小さな匿名ブログが後に国会で言及されるほどネット世論を動かす存在になるとは、当時誰が予想しただろうか。
サービス開始から数年、はてな匿名ダイアリーは着実に投稿数を伸ばし、技術ネタから社会批評まで多種多様な記事が日々生まれてきた。
匿名ゆえに過激な表現や内部告発(怪文書)、果ては明らかな釣り投稿まで玉石混淆だが、その一方で思わず涙ぐむような人情話や腹筋がよじれるほどの笑い話まで幅広く揃っているのがこの文化の面白いところだ。
たとえば2006年の増田人気記事には「JASRAC伝説」のようなネット業界の笑い話や、「プログラミング用のフォントを探してたら一日が終わってた」といったオタク的自虐ネタがランクインしている。
一方で「就職できない学生」のように現実の社会問題を吐露するエントリも早くから登場し、匿名という気軽さを武器に時に鋭い社会批評が行われた。
2010年前後には、増田は既にはてなユーザーコミュニティ内で話題の火種として定着していた。
とはいえ爆発的に脚光を浴びる転機は2013年に訪れる。この年の4月、はてなブックマークのトップページ刷新によって匿名ダイアリーへの導線が強化され、多数の増田がホッテントリ入りする事態となったのである。
事実、2013年以降は匿名ダイアリー全体の月間ブックマーク獲得数が急増している。
アクセス増に伴い投稿も活発化し、増田は技術系・生活ハック系から時事ネタ・人生相談まであらゆるジャンルのネタが飛び交う一大プラットフォームへと進化していった。
2016年にはサービス開始10周年を迎え、それを記念して公式Twitterアカウント(@hatenaanond)が開設された。
投稿のHTTPS化やスマホからの投稿機能検討などもアナウンスされ、実際2017年には全ページ常時SSL対応が実現している。
また同2017年には「人気記事アーカイブ」機能が追加され、過去の名作エントリを月別・日別に人気順で振り返ることができるようになった。
蓄積された匿名ダイアリーの膨大な記事群は、もはや日本ネット文化のアーカイブとも言える存在感を帯び始めている。
匿名ダイアリー(増田)は、日本のネット言論史の中で匿名掲示板とブログ/SNSの中間的ポジションを占めるユニークな存在だ。
巨大匿名掲示板(2ちゃんねる/5ちゃんねる)では多数の名無し達が雑然と議論を交わすが、増田では一人の匿名ユーザーがブログ形式で思いの丈を綴る。
いわば2ちゃんねる的な「名無しさん」の文化を受け継ぎつつ、ブログ的な長文表現とパーソナルな語り口を可能にしている点が特徴である。
そのため「公式」と「名無しさん」の隙間とも言えるポジションに位置づけられ、「実名では波風が立つが、完全匿名の掲示板よりは自分の言葉として語りたい」――そんなときに選ばれる場所となっている。
実際、ある著名人(川上量生氏)がNHK番組での騒動について心中を吐露した際、自身のブログではなく増田に「最後の書き込み」を残したケースもある。
彼は立場上「公式」に発信すると面倒が大きいが、匿名ダイアリーなら「詠み人知らずだった」と言い張ることもできると判断したのだろう。
このように増田は内部告発や本音の告白をしたい人々にとって格好の受け皿となってきた。
増田発のエントリが2ちゃんねる住民に発見されスレッドで引用・議論されることもあれば、逆に「今現在2ちゃんねるで起こっていること」を増田がまとめてホッテントリ入りするような例もある。
また、増田の内容が面白いとまとめサイトやTogetterに転載・紹介され、そこからさらに拡散する二次的な波及も起こる。
匿名掲示板、まとめサイト、増田はそれぞれ文体や文化は異なるものの、互いにネタを供給し合い日本のネット言論空間を賑わせてきたと言える。
一方、Twitterとの関係も緊密だ。Twitter全盛期以降、ニュースやトレンドを見たユーザーが詳細な議論や感想を増田に書き、それをまたTwitterで共有するというサイクルが生まれている。
140字(現在は拡張)の制限があるTwitterでは語りきれない本音や体験談を増田に綴り、そのURLがTwitter上で拡散されるケースは少なくない。
象徴的なのが2016年に匿名ダイアリー上に投稿された「保育園落ちた日本死ね!!!!」という怒りの叫びである。
このエントリは瞬く間に数百件のブックマークを集めてホッテントリの頂点に躍り出ただけでなく、Twitterでも大拡散し、ついには国会で野党議員が引用するまでに至った。
増田発のフレーズ「日本死ね」は2016年の流行語大賞候補に選ばれるなど、ネット世論がリアル政治を動かした一例として語り草になっている。
Twitter上では当該エントリへの賛否や共感が渦巻き、「#日本死ね」のハッシュタグが飛び交った。
増田で火が点いた匿名の声がTwitterという拡声器を得て社会現象化した典型と言えるだろう。
このように増田のエントリははてなブックマークを起点に各所へ波及していく。
匿名ダイアリーに投稿された記事は誰が書いたか分からないぶんタイトルと内容のインパクト勝負になる。
面白い/有益/刺激的だと感じた読者がブックマークしてコメントを付けることで評価が可視化され、一定数のブックマークが集まればホッテントリとしてトップページに露出する。
結果、さらに多くの読者が押し寄せてブクマが雪だるま式に増える。
この明確な評価システムゆえに、増田投稿者の中には「如何にブクマを稼ぐか」を意識して釣り気味のネタや炎上覚悟の過激な持論を投稿する者も現れた。
実験的に一ヶ月間で13本もの釣りエントリを投下し、4本をホッテントリ入りさせた強者もいるという。
ブックマーク数という指標があることで、匿名とはいえ投稿者は観客の反応を強く意識するようになり、増田は単なる独白の場から「ウケる文章」の競演の場へと文化的に洗練されていった面もある。
では実際、Hatenaブックマークで多数の反応を集める増田とはどのようなものだろうか。その傾向をいくつか具体例とともに分析してみる。
自身の子どもが保育園に落選した母親(と推測される)が、日本の子育て環境への怒りをストレートにぶちまけたこの文章は、多くの親世代の共感と怒りに火を付けた。
ブックマークコメント欄は賛同や政府批判の声で溢れ、大量のブクマが付くだけでなくメディア報道にまで発展した。
そして何よりも、この匿名の叫びが国政レベルの議論を誘発した意義は大きい。
他にも「民主党支持者としての愚痴」(民主党政権への苦言)や「東京都心の求人状況がヤバイ。はよ移民入れろ…」といった景気や労働問題への提言など、タイムリーな社会問題を扱った増田はブックマークが伸びやすい傾向がある。
匿名ゆえに本音で社会批判ができる点が、読者の溜飲を下げ「よく言ってくれた!」という反応に繋がるのだ。
個人のユニークな体験談や、役立つアドバイス記事も人気を博す。
例えば2014年の年間ブックマーク数1位となった「部下がくれたアドバイス」は、ある上司が部下から教わった貴重な助言を紹介したエントリだ。
具体的な内容は伏せるが、職場での人間関係改善につながる示唆に富む話で、多くの社会人読者の心を打ち大量のブクマを集めた。
また「1人暮らしのための料理の豆知識50」のように実用性の高い生活ハックも人気だし、「メールで使える英語のつなぎ言葉」のようにすぐ役立つ知識の共有は安定してブックマークが付く。
恋愛や結婚、離婚といった人生の局面に関する赤裸々な語りも注目されやすい。「離婚序章からの帰還」というタイトルの連載風エントリが話題になったり、「本当に悲惨な独り身の最期」といったショッキングな孤独死レポートが議論を呼んだこともある。
この種の投稿は読者の感情を強く揺さぶり、同情や驚きのコメントとともに拡散していく。
増田発のネタの中にはネットならではのオタク文化やサブカル的話題も多い。
例えば「( ・3・)クラシック好きの上司がジャズを聴きたいと言いだして」という2015年の人気増田は、音楽趣味の異なる上司と部下のユーモラスなやり取りを描いたもので、多くの読者の笑いを誘った。
他にも「Yahoo!チャットって場所があったんだよ」のように懐かしのネットサービスを語るノスタルジー系や、「無課金で数年続けていたソシャゲをやめて分かったこと」のように現代ネット文化(ソーシャルゲーム)に関する内省などもバズりやすい。
こうした記事は特定クラスタには刺さりやすく、はてブのコメント欄でも「わかる」「懐かしい」「自分も経験した」と盛り上がる傾向がある。
増田は匿名ゆえに自由な創作の発表の場にもなっている。ショートショート風のフィクションや、一発ネタ的なジョーク文章が投稿されることもあり、出来が良ければしっかりブクマを稼ぐ。
「家事は、レベルを上げて物理で殴れ」は家事のコツをRPG風に比喩したユーモア記事で、多くのユーザーの爆笑を誘った。
また、一部では増田発の優れた文章を「増田文学」と称し、ファンが選ぶ賞を作る動きまである(増田文学大賞など)。
このようにエンターテインメント性の高い文体やオチの効いた話も増田ならではの楽しみであり、はてなブックマーク常連のネタ枠として機能している。
総じて、はてなブックマークで大きな反響を呼ぶ増田には「共感・有用・驚き」のいずれか、もしくは複数が備わっていると言えよう。
強い共感や感情を喚起するもの、実生活や知的好奇心に役立つ情報を提供するもの、あるいは純粋にネット民を驚かせ楽しませるものが、人々の目に留まりやすい。
そして匿名という特性上、その内容が事実かフィクションか判然としない場合もあるが、それすら含めて読者は一種の物語として増田を消費している節がある。
だからこそときに釣り記事に踊らされることもあるが、それもまた増田という遊び場の醍醐味であり、読者も「ネタかもしれないが面白いからヨシ!」と受け止めているのだ。
何にせよ、「増田」はネットの深層心理を映し出す鏡のような存在だ。
喜怒哀楽、嫉妬や独白、叫びと祈り――匿名の影に人間の本音が渦巻いている。
ネット言論の文化史において、はてな匿名ダイアリーは2ちゃんねる的匿名文化を継ぎつつブログ的表現力を与えた場としてユニークな地位を占めてきた。
そしてその魅力は今も色褪せていない。
これからも誰かが増田にそっと心情を綴り、それが思いがけず何万もの人々に届いて共感を呼ぶことだろう。
匿名という仮面を被った本音のドラマは、きっとこの先もインターネットという舞台で上演され続けるに違いない。