
はてなキーワード:善行とは
ユダヤの教えには、「親に対する敬意」というテーマが非常に重く、深く扱われています。トーラー(律法)にもはっきりと書かれています:
現代ではSNSなどで自分の感情を発信しやすくなっていますが、ユダヤの視点から見ると、親を公の場で批判したり恥をかかせたりすることは非常に慎むべき行為とされます。タルムードでは次のように教えています:
キドゥシン31a
「父や母に対して言葉で恥をかかせる者は、神の前でも罪を犯す。」
また、「ラション・ハラー(悪い言葉・他人を貶める言葉)」の禁止も関係します。
ハフェツ・ハイム(Chafetz Chaim)は、「たとえ真実であっても、他人の悪を公に語ることは神の意に反する」と説きました。親もその「他人」に含まれます。
ネット上に悪口を書くことは、まさに「公開の場で恥をかかせる」行為です。
もし親との関係が苦しく、傷ついている場合、感情を抑え込むのではなく、「安全な形で」「尊敬を保ちながら」助けやカウンセリングを求めることが勧められます。
トーラーが命じる「敬意」とは「盲目的な服従」ではなく、「人間としての尊厳を保ちながら関係を築こうとする努力」です。
詩篇 34:14
「悪を避け、善を行い、平和を求め、それを追い求めよ。」
1. 親を公に恥じ入らせないこと — 敬意の基本。
2. 怒りや苦しみを表すなら、建設的な形で — 信頼できる人・ラビ・カウンセラーに相談する。
3.言葉は現実を作る —ネットでの言葉も「ミツヴァ(善行)」にも「アヴェラ(罪)」にもなる。
ですから、もし親との関係で心が苦しいなら、ユダヤの教えは「沈黙しなさい」ではなく、「癒しと修復に向かう道を選びなさい」と呼びかけます。
「引き寄せの法則」や「思考が現実を作る」という考え方は、近代的なスピリチュアル思想でよく語られますが、根本的な違いも明確です。以下に整理して説明します。
ユダヤ教では、人間の思考や言葉には霊的な力があると考えます。
「死と生は舌の力にあり。」
ただし、それは「自分が宇宙を動かす」意味ではなく、人の思考や言葉を通じて、神が世界に影響を与えるという考え方です。
ユダヤ教では、「引き寄せる」というよりも、「祈る」という行為が中心です。
祈りの目的は「自分の思考で現実を変える」ことではなく、自分自身を神の意志に整えることです。
ラビ・シュネウル・ザルマン(ハバド思想の創始者)はタニヤでこう述べています:
という位置づけです。
「自分の思考で現実を創る」という考え方が強くなりすぎると、偶像崇拝(アヴォダ・ザラ)の一歩手前になってしまう恐れがあります。
なぜなら、それは「自分の意志=宇宙の中心」とする発想だからです。
つまり、成功や変化の根源は自分の思考や力ではなく、神の導きであるということです。
人が神に全き信頼を置くとき、神の祝福がその人を通して現れる。これも一種の「霊的な引き寄せ」です。
「主に信頼し、善を行え。…主を喜べ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。」
ここでいう「願いが叶う」とは、自分の欲望を叶えるというより、神との調和の中で自分の願いが浄化され、現実化されるという意味です。
| 観点 | 引き寄せの法則 | ユダヤ教の考え |
| 力の源 | 自分の思考 | 神 |
| 目的 | 現実を思い通りに変える | 自分を神の意志に整える |
| 方法 | イメージや自己暗示 | 祈り、信頼、トーラーの実践 |
| 結果 | 自己実現 | 神との関係の深化と祝福 |
もしあなたが「ユダヤ的な引き寄せ」を実践したいなら、それは「神を信頼し、良い思考と言葉を持ち、善行を積むこと」です。
それが最も強力な「霊的引き寄せ」の形といえるでしょう。
タルムード的な視点から見ると、「SNSをやるべきか」という問題は、言葉の力と責任に関わるテーマです。
アラキン 15bにはこう書かれています:
SNSはまさに「言葉を世界に放つ」場であり、その一言が思いもよらぬ影響を持つ可能性があります。
したがって、使う人がその力を理解していなければ、危険にもなりうるのです。
つまり、話すよりも黙ることの方が徳になる場面も多い。
SNSでは、すぐに反応したくなったり、自分の考えを共有したくなったりしますが、
タルムード的には「語る前に三度考えよ(Berakhot 33a)」という態度が勧められます。
一方で、タルムードは「良き目的のために世俗の道具を用いる」ことも肯定します。
もしあなたがSNSを通じて、善意・知恵・励まし・感謝などを広める意図を持つなら、それは「世界をよりよくする mitzvah(善行)」にもなりえます。
タルムード的に言えば:
SNSをすること自体は善でも悪でもない。しかし、その使い方に魂を込められるなら、それは善行になる。逆に、感情や虚栄に流されるなら、沈黙の方が徳である。
とても面白い主張ですね。ユダヤ教の視点からこれに応えると、ポイントは「人間の存在の目的」についての理解になります。
ユダヤ教では、人間は偶然に存在するのではなく、神によって意図的に創造された存在と考えます。
つまり人間は「神のかたち(ツェレム・エロヒーム)」を帯びた存在であり、そのために倫理的・霊的責任を担っています。
「生きる目的」は単なる種の保存や生物学的衝動だけではなく、神の意志を実現し、この世界をより聖なるものにしていくことにあります(ティクーン・オーラム=世界の修復)。
確かに、ユダヤ教では「生殖」も重要なミツワー(戒め)です。創世記1:28の
「生めよ、増えよ、地に満ちよ」
しかし同時に、それは唯一の目的ではないとも教えています。たとえば、タルムード(キドゥーシン 39b)は「人は律法を学び、善行を行うことによって世界に義を立てる」と語ります。つまり知的・霊的探求も神の望む道の一つです。
ご指摘の「抽象数学」「超弦理論」など、高度で抽象的な探求心は、ユダヤ教的に見ても尊いものです。ラビ・モーシェ・マイモニデス(ランバム)は『ミシュネー・トーラー』で、自然界・宇宙の仕組みを知ることは神を知る道であると書いています(ヒリホット・イェソーデー・ハトーラー 2:2)。
「性欲よりも知的・霊的探求を重んじる」という姿勢は決して否定されず、むしろ神の創造の理解につながるものとして価値づけられます。
このように、ユダヤ教は「俺の存在の整合性のために世界がある」という個人中心の哲学とは違い、「神の意志のために世界と人間がある」と考えますが、その上で知的・精神的探求心を重んじるという点では、あなたの価値観とも重なる部分があります。
まあタイトルをいきなり否定するが自分は世界にいてもいいんだって錯覚できないとみんな死にたくなるんですよ
それは防ぐためにはどうするかというと自分が社会or世界と繋がっているという感覚が必要。
まあここで改めて言うまでもなく、この2つは家庭を維持し、子供を育て世界に羽ばたかせるという使命感と自己肯定感を君に与えてくれる。
ただそれがない場合でも以下のようなもので自己肯定感を持つことが出来る。
最近は仕事を通しての自己実現ややりがいによる自己肯定感はバカにされたり冷笑的に語られることは多いが仕事を通じて自分を肯定している人はいまだにたくさんいる。
ただこれは在職中は良くても引退した後に燃え尽きて虚無になるという副作用があり事実そうなる人は多い。
これも最近は衰えており、古臭くて非合理的と言われることが良く多い。
ただ個人的な経験からすると「町内会」やマンションなどの「管理組合」に属して精力的に活動をしている人は文句や愚痴を言いながらもなんだかんだ元気そうな人が多い。
これも自己肯定感を得ることが出来る上に仕事を引退して時間が出来てからが本番みたいなところがあり、退職した高齢者が精力的に働くのをよく見る。
あえて繋がりと入れたが、当然これは他人との「繋がり」を持つ趣味・集団のことがまず該当され、なんであれ有機的な人間関係を構築できる趣味は人間関係に伴う煩わしさはあるもののその関係の一員であること自体が自分を肯定させてくれる。
また、人とのつながりを持たないおひとり様的なものでも歴史や文化または宗教的な神に対しての自分とのつながりを感じることで自分を肯定することが出来る場合がある。
ちなみに宗教を入れるのは違和感があるかもしれないが現代日本においては宗教は社会生活に必須ではなく趣味のような存在ともいえるのでここに盛り込んだ。
これは単純に人に対して善行をしたり、社会に貢献しているという自己意識を生むため自分を肯定させてくれる。
ボランティア活動にはあらゆる種類があるため概要的なものになってしまうが、これらの活動は人のためであると同時にじぶんのためでもあるのだ。
これは意外かもしれないが投資は自分の資産を防衛または増やす以外にも自分の社会との繋がりや自己肯定感を意識させてくれる行為でもある。ここはちょっと詳しく書いてみよう。
まあこんなところかな、自己肯定感というのは悪く言えば自分を許すための錯覚みたいなところはあると思う。
Permalink |記事への反応(10) | 07:53
https://x.com/zkurishi/status/1968120313650323665?t=HcbaPumOS87-L8hr0TA6tA&s=19
英語で海外にデマばら撒いてぼざろ攻撃させようと犬笛吹いたけど失敗したくりした善行とか、アニメで見たら面白いと言ってたの忘れて見てませんけどと言い出した暇空茜とか、脚本と原作がリスペクトしあってるぼざろにセクシー田中さんで自殺された漫画家の話持ってきて、自殺利用して叩いてる表現の自由戦士等が見えてるけど。
日本でのインタビュー記事が物議を醸しており、人気アニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」の脚本家が、原作の一部をノイズ」として削除したと主張しています。彼女はまた、キャラクターの性的搾取を避ける努力をしたとコメントし、自身のイデオロギ作品に組み込まれている示唆しました。本質的に、これはローカライザーが自身のイデオロギーを反映するために作品を改変するのと似ており、日本でも同じ問題が起きています。昨年、日本では、原に望ましくない変更が加えられたことにより、漫画家が悲しみのあまり自殺するという痛ましい事件起きました。この事件について原作者がどう感じているかは不明ですが、これらの作品のファンは、原作が忠実に再現されることを期待しており、他の意図の介入は「ノイズ」と見なされます。消費者として、私は原作者へのより大きな敬意が強調されることを願っています。
芦原妃名子の死をあなたの議論で持ち出すなんて、絶対に許さないわ。セクシー田中さんは、客体化と、社会における女性が男性主導の評価システムに基づいて判断され、価値付けられる様子についてのマンガよ。これはあなたが嫌って絶対に読まないような作品。あなたには関係ないの。遠慮して。
信じられない気持ちです。
どうして誰かが罪悪感を感じずにこんなことができるのでしょうか?
マンガにないファンサービスがアニメに含まれるたびに、この人たちが不平を言うのを見かけません。
なぜだろう。
芦原妃名子を持ち出すなんて厚かましい。彼女は、自身のマンガ「セクシー田中さん」の実写化が、マンガのテーマやメッセージ、つまり加齢する女性としての身体やセクシュアリティを扱う難しさを無視したり、矛盾したりしたことが原因で、一部自ら命を絶った。
ゼンコ・クリシタが尊敬され、真面目な中道左派の政治家から、ますます過激で妄想的な自身の利益のために女性の自殺を利用するような安っぽい扇動者に変わったのはいつからだろうか?
反動的な考えは、時には愚かさを装って主張する必要があるだけだと分かっていますが、それでも「このキャラクターのアニメのおっぱいが十分に大きくなかったら、漫画家が自殺してしまうかもしれない :( 」というのには驚かされます。
芦原妃名子は30年間、女性のために成長、友情、愛、喪失、精神的な健康、そして自分を大切にすることの重要性について書いてきました。彼女に起こったことは、未成年の少女が性的に扱われるのを見たいというあなたの欲求を正当化する例ではありません。
これまでくりしたの存在を知らなかった人たちにも知れ渡り、くりしたの顔写真を使った風刺画像も発生し、女作者と女脚本家が認め合って作った作品に、ファンでもない作品に言及したことのなかった外野の男が割り込んで暴力的態度を取っているとバカにされている
結論、私は竜宮城に行き、時を越える代償として未来に独り取り残された。
この話は、善意で助けた亀に導かれて異世界を訪れた私が時間の流れの違いに翻弄される運命を描いている。
私は現世に帰ってきたときすべてが変わっていた。
結論、きっかけは浜辺でいじめられていた亀を助けたことだった。
ある日、海辺を歩いていると子どもたちが1匹の亀をいじめていた。私は見かねて助け、子どもたちをたしなめ、亀を海へ返した。
翌日その亀が私のもとに現れ「お礼に竜宮城へご招待します」と言った。
私は驚きながらも誘いに応じ、背中に乗って海の底へと向かった。
そこでは乙姫様が私を歓迎してくれた。
毎日宴が続き、美味しい料理と鯛やひらめの踊りに囲まれ時を忘れて過ごした。まさに楽園だった。
私は帰りたいと申し出ると、乙姫様は寂しそうな顔をしながら「決して開けてはいけません」と言って玉手箱を持たせてくれた。
村に着くと、景色は一変していた。
誰も私を知らず、自分の家もなくなっていた。人々の服装も話し方もまるで違っていた。
すると白い煙が立ちのぼり、たちまち私は老人の姿になってしまった。時の重みが体に現れた瞬間だった。
結論、この物語は「時間」は決して巻き戻せないことを教えてくれる。
善行が導いた竜宮城というご褒美とそれによって失った現実の時間。
「カードキャプターさくら、ここでかなり顔が引き攣った」とツイートしただけで1.1万リポスト6462の引用がつく大炎上した人がいた。
なんかツイフェミと叩かれてらっしゃるが、フォロワーに勧められてさくら全巻買ってしまった普通のアカウントだ。
一巻時点でひっかかるなら、今後出てくる小学生の生徒とガチ恋してる教師を乗り越えられるか心配だ。
ただの感想に、馬鹿にして冷笑してるオタク男が大量に群がってるのが謎すぎる。
16と25は普通にびっくりする年齢差なのに。
「これで顔が引き攣るなら、
源氏物語なんか読んだら顔が引き千切れてしまうのではないだろうか?」とアンフェが引用してたが、源氏物語にツッコミ入れるのはめっちゃ普通にやることでは?
母親に似てるからと義母に托卵、天皇になった息子に父親を臣下にしてるからと親不孝の罰が当たる理不尽。
私は母親に似てるかもと26も年下の15歳を嫁にして、母親に似てないし子供っぽいから気に入らないとか言い出すのが一番イラッときた。
強姦未遂含めて手を出した女達を引き取って生活の世話を見たのは平安男子の中でもかなりの善行だろうが、その女達を引き取った六条院も嫉妬で苦しめ抜いて生霊から死霊にまでさせた六条御息所の館だし。
主人公が教会で犬死にする例のシーンだけ、何回も見せられてきた人生だが、やっと本編を鑑賞する機会を得た。
……まだ半分ぐらいまでしか見てないが、想像以上に胸クソ悪い物語だ。
とにかく底意地が悪いキャラクターが恣意的に配置され、ことあるごとに主人公を陥れようとしてくる。
制作者レベルで一丸となった「全方位からの理不尽いじめ」はフィクションであっても気分が悪い。
同種の感想を抱いた作品に、なろう系の『盾の勇者』があり途中で脱落してしまったのだが、こんな強烈な作品が昔に存在していたとは知らなかった。
コゼツ
ヒロイン(アロア)の父親。差別主義者。発生するトラブルは全て年端のいかないネロに結びつけ、証拠もなく犯罪者扱いしてくる。反面、ネロの善行はもれなく死角に入れてスルー。見る目のなさワールドクラスの権力者パワハラ系クズ。
ハンス
コゼツの使用人。不誠実とへつらいを錬金合成させて生まれた存在。立場の弱い相手にはとことん高飛車に出るが実のところヘタレ。職務に忠実ならまだ救いはあるが、仕事ぶりは抜け目が多く杜撰。卑劣漢無能クズ。
ハンスの息子(名前知らん)
父親譲りの責任逃れムーブは絶妙。主犯格でありながらぬけぬけと「ぼく知らないよ」「やったのはネロだよ」と素朴な邪悪ぶりで憎悪を煽ってくる。家系図レベルで保証された血統書付きクズ。風車に括り付けて死ぬまでおろすな。
ナチュラルに動物虐待をはたらき、意味不明な理屈と脅しで金を巻き上げていく対話不能の猛獣。おとなしく金を渡すネロの祖父も祖父だが。警察というよりはヒグマ対策室による駆除対象。
これら悪魔超人カルテットを中心にした盤石の試合運びで、ネロと犬をあらゆる手で地獄に追い込む。それが『フランダースの犬』という話だ。こんな作品がどうして名作の顔をしてのさばっているのか。
同年代のアニメ『アルプスの少女ハイジ』と比べてもキャラへの不快感は桁違いだ。デーテおばさんはハイジをあそこまで育てたと思えばむしろ苦労人キャラだし、ロッテンマイヤーも信条・手段はともかく職務への熱意は疑いない。
意外なのは、パトラッシュがあまり活躍しないこと。温厚な性格で寄り添い力は高いが、惜しいことに「ご主人を救う機転」のようなものはめったに発揮しない。所詮は犬と思えば、リアルっちゃリアルだが。
「底辺の環境に生まれてしまったら、クズとは全力で縁切りを目指し、一刻も早く逃げ出すこと」
いざ貯めた「ヴィーガンコイン」で他人の信用を買おうとしても、そのビットコインで取引に応じてくれる人あまりいない
といっても買えるのは近くのスーパーの野菜だし、他の野菜以外食材は買えないし、日用品も買えない
それなら現金の方が使い勝手がいいわけで、わざわざ「ヴィーガンコイン」に換金してまで買う必要はない
だからヴィーガンは、「ヴィーガンコイン」お金持ちは重い財布を持ってるだけの人になる
自分が生きている間に「ヴィーガンコイン」の価値を上げないといけないから、ところかまわず営業をして、取引に応じてくれない人に唾を吐く
「ヴィーガンコイン」はこれから一番流通するビットコインだよと、昔から変わらない売り文句ではやらせようとする
おそらく、とうのヴィーガンも現金が欲しいと思うことはあるだろう
だけど、捨てようにも「ヴィーガンコイン」は長年貯めた人は簡単に手放せない
数年前に別のヴィーガンに「ヴィーガンコイン」の価値は上がるといわれて、私財を投じてしまったのだから…
その数年を捨てるのは、どんな人間でもかなり難しい。
数十年前から同じだったビットコインのレートが、変動するのは期待できないのに買い足し続ける
いつか価値が変わる事を夢見て…
だから
一般人は、「取引しても自分たちが損をするから」と断るしかなく
ヴィーガンは、「取引しないと自分が損をするから」と強行するしかない
メリットを共感できないのだから市場原理を変えようなんて当然無理
木古おうみが臭い善人だのなんだの言って「お前がサークルでガイジポイントなんて言葉流行らせたからだろ」と反論している女性って
んだよね。でもそんなのみんな深堀りしてないでしょ?だってガイジポイントって言葉のがキャッチーだし。
それを踏まえて木古おうみの
顔やファッションに対しての言及は普通にそちらが通報されてしまうので消しておいてね。今ネットの誹謗中傷の取り締まりも強化されてますから
@kipplemaker
臭い善人ムーブの話、大学の同級生が「ガイジ」にキレた直後「将来言ってる奴らの子が障害児になればいい」と言っててボロ出るの音速すぎだろと笑ったのを思い出す
「何もせず親の金で遊びに行った資料館で"目覚めた"とかほざく暇があるなら駅前で赤い羽募金でもやれ」と言って相互ブロックになったよ
@kipplemaker
知り合いにもいたなぁ……特に社会に役立つ善行もしないのに障“がい”者って書けみたいなら言葉狩りは好きで、でも自分は「ゲイの友だちほしいー」みたいなこと言っちゃう、自分が人権に一過言持ってると思いたいだけの視野が狭いひと……
@kipplemaker
何年この人のこと気にしてるんだよ。
顔やファッション~って相手のSNSだけじゃなく現在の仕事内容チェックしてないと言えないよね?
講演のアーカイブ映像とか自作服の写真とか見た上でこれならブス、センスないって叩かれるでしょ~!!ってワクワクでファンネル飛ばしてるじゃん。お前のガイポ発言に寄ってきた野次馬たちはお前じゃないんだからそんなのどうでもいいよ。
相手の女性が木古おうみに対して思い出すような投稿を一つもしていないことを考えても感情の一方通行ぶりがすごい。
この人がハンセン病差別の歴史と向き合ったり趣味を楽しんでいたりした10年近く、木古おうみはあの女にこんなこと言われたなあ…ネット上で好き放題書いて復讐しなきゃなあ…と過去の記憶を反芻していたわけだ。
正義、善の側に立とうと光に向かって歩く女←←←その女から受けた注意を何年も引きずって露悪発言し続けるが視界にも入ってない暗がりの女じゃん。
なんなら3月29日の発言の「動機」すら女性への執着に見えて来たよ。百合だね。
ガイポ騒動、単なるホラー作家の差別心の発露ではなく深堀りしていくとこのような百合ミステリーが顔を出してくること、どうか知ってほしい。
Permalink |記事への反応(17) | 17:10
表現の自由戦士と生成I規制派の対立ポーズが激しく、その一環で栗下ageの山田赤松sageが盛んに行われている
先日から話題にのぼった「コレクティブ・シャウト」について栗下善行(立民)は海外で関連記事の憂き目にあった記者とのやりとりや、当該団体アカウントのスクリーンショットをXに掲載して問題の啓発をしている
それらを受けて付記したような発言が出てきたのだが、件の発言は議員・非議員の立場の違いを考慮せずになされている
栗下が発言する分には「政治活動はしているが国会議員の権限はないので発言の責任と力は一般人と同じ」なのに対して、国会議員が同じことやったら「議員の権限を背景にした圧力をかけられる」……という事を表現の自由戦士は松戸の交通安全キャンペーンに対する全国フェミ議連(現役議員)の公開質問状によってよく思い知らされた
なので「コレクティブ・シャウト」という具体的組織が発見されても、なんらかの手続きがないのであれば軽率に発言・発信が出来ない立場であり、たとえ当該団体による表現規制がかなり疑わしくとも事前の手続きもなくいきなりSNSで「ここが表現規制をしています!」と言ったら議員としての大きな責任問題が出る
先日支持者らが勝手に山田がやってくれたと勘違いして盛り上がったVISAの公取委処分についても、8月に関係者レクが控えているのに加えて上述の理由から「無関係宣言」も出せないのではなかろうか
https://x.com/r18rensyu/status/1948539599464399084https://archive.md/qfWNa
https://x.com/r18rensyu/status/1948540629761634486https://archive.md/S9J2e