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2025-09-16

「俺が死んだら俺の主観では世界消滅する」と考えると死ぬ前に好き放題やったほうが絶対得なんだよな

ファウストラストシーンみたいな「死ぬ寸前に神と対峙して「あんたはエライ!救っちゃっオッケー!」されたいんです」みたいな宗教観の持ち主だと違うんだろうな。

俺はそういう感覚で生きてないから「死ぬ前に悪い子としまくったら全ての罪を踏み倒せるからやり得じゃね?」と考えてしまう。

まあ、いざ死にそうになったら居るかも分からん神様との取引材料にするために善良な市民として振る舞うんだろうな。

1%でも確率があるならとりま祈っておけば期待値∞じゃねヤッバwwwという名言もあるしな。誰のか忘れたけど

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2025-09-07

anond:20250905054532

私の世界は、丁寧に、そう、まるで細胞の一つ一つにまで神経を行き届かせるようにして磨き上げられた、半径およそ十メートルほどのガラスの球体であり、その球体の中心には、世界のすべてであり、法であり、そして揺るがぬ神であるところの、生後六ヶ月の息子、光(ひかる)が、ただ健やかな呼吸を繰り返している。その完璧な球体を維持すること、それこそが水無月瑠璃(みなづき るり)、すなわち三十一歳の私に与えられた唯一にして絶対の使命であったから、私は今日もまた、タワーマンション二十八階、陽光白磁の床にまで染み渡るこのリビングダイニングで、目に見えぬ埃の粒子と、あるいは時間という名の緩慢な侵食者と、孤独な、そして終わりなき闘争を繰り広げているのであった。北欧から取り寄せたというアッシュ材のテーブルの上には、一輪挿しに活けられたベビーブレスの、その小さな白い花弁の影さえもが、計算され尽くした角度で落ちており、空気清浄機は森の朝露にも似た清浄さを、ほとんど聴こえないほどの羽音で吐き出し続け、湿度計のデジタル表示は、小児科医が推奨する理想の数値、六十パーセントを寸分違わず指し示しているのだから、およそこの空間に、瑕疵という概念の入り込む余地など、どこにもありはしなかった。かつて、外資系コンサルティング会社で、何億という数字が乱れ飛ぶ会議室の冷たい緊張感を、まるで上質なボルドーワインでも嗜むかのように愉しんでいた私自身の面影は、今やこの磨き上げられたガラス窓に映る、授乳のために少し緩んだコットンのワンピースを着た女の、そのどこか現実感を欠いた表情の奥に、陽炎のように揺らめいては消えるばかりであった。

思考は、そう、私の思考と呼んで差し支えるならば、それは常にマルチタスクで稼働する最新鋭のサーバーのように、光の生存に関わる無数のパラメータによって占有され続けている。次の授乳まであと一時間二十三分、その間に終わらせるべきは、オーガニックコットンでできた彼の肌着の煮沸消毒と、裏ごししたカボチャペーストを、一食分ずつ小分けにして冷凍する作業であり、それらが完了した暁には、寝室のベビーベッドのシーツに、もしかしたら付着しているかもしれない、私たち世界の外部から侵入した未知のウイルスを、九十九・九パーセント除菌するというスプレー浄化せねばならず、ああ、そういえば、昨夜翔太が帰宅時に持ち込んだコートに付着していたであろう、あの忌まわしい杉花粉の飛散経路を予測し、その残滓を、吸引力の変わらないただ一つの掃除機で完全に除去するというミッションも残っていた。これらすべては、愛という、あまり曖昧情緒的な言葉で語られるべきものではなく、むしろ生命維持という厳格なプロジェクト遂行するための、冷徹なまでのロジスティクスであり、私はそのプロジェクトの、唯一無二のマネージャーであり、同時に、最も忠実な実行部隊でもあった。誰がこの任務を私に課したのか、神か、あるいは生物としての本能か、はたまた「母親」という名の、社会発明した巧妙な呪縛か、そんな哲学的な問いを発する暇さえ、このシステムは私に与えてはくれなかった。

である翔太は、疑いようもなく、善良な市民であり、そして巷間(こうかん)で言うところの「理想の夫」という、ほとんど神話上の生き物に分類されるべき存在であった。彼は激務の合間を縫って定時に帰宅すると、疲れた顔も見せずに「ただいま、瑠璃。光は良い子にしてたかい?」と、その蜂蜜を溶かしたような優しい声で言い、ネクタイを緩めるその手で、しかし真っ先に光の小さな体を抱き上げ、その薔薇色の頬に、まるで聖遺物にでも触れるかのように、そっと己の頬を寄せるのだ。週末になれば、彼はキッチンで腕を振るい、トマトニンニク匂いを部屋中に漂わせながら、私や、まだ食べることもできぬ光のために、絶品のペペロンチーノカルボナーラを作り、その姿は、まるで育児雑誌グラビアから抜け出してきたかのように、完璧で、模範的で、そして、どこか非現実的ですらあった。誰もが羨むだろう、この絵に描いたような幸福風景を。友人たちは、私のSNS投稿される、翔太が光をあやす姿や、手作り離乳食が並んだテーブル写真に、「理想家族!」「素敵な旦那様!」という、判で押したような賞賛コメントを、まるで祈り言葉のように書き連ねていく。そう、すべては完璧なのだ完璧なはずなのだ。このガラスの球体の内部では、愛と平和と秩序が、まるで美しい三重奏を奏でているはずなのだ

――だというのに。

夜、ようやく光が天使のような寝息を立て始め、この世界のすべてが静寂という名の薄い膜に覆われた頃、ソファで隣に座った翔太が、労わるように、本当に、ただ純粋愛情と労いだけを込めて、私の肩にそっと手を置く、ただそれだけの、あまりにも些細で、そして無垢行為が、私の皮膚の表面から、まるで冷たい電流のようにして内側へと侵入し、脊髄を駆け上り、全身の毛穴という毛穴を、一斉に収縮させるのである。ぞわり、と。それは、神聖な祭壇に、土足で踏み込まれときのような、冒涜的な不快感であった。あるいは、無菌室で培養されている貴重な細胞のシャーレに、誰かが無頓着なため息を吹きかけたときのような、取り返しのつかない汚染への恐怖であった。彼の指が触れた肩の布地が、まるで硫酸でもかけられたかのように、じりじりと灼けるような錯覚さえ覚える。私は息を止め、この身体が、この「水無月瑠璃」という名の、光のための生命維持装置が、彼の接触を、システムに対する重大なエラー、あるいは外部からハッキング行為として認識し、全身全霊で拒絶反応を示しているのを、ただ呆然と、そして客観的に観察していた。

「疲れてるだろ。いつも、ありがとう

翔太の声は、変わらず優しい。その瞳の奥には、かつて私が愛してやまなかった、穏やかで、そして少しだけ湿り気を帯びた、雄としての光が揺らめいているのが見える。それは、私を妻として、女として求める光であり、かつては、その光に見つめられるだけで、私の身体の中心が、熟れた果実のようにじゅくりと熱を持ったものだった。だというのに、今の私には、その光が、聖域である保育器を、ぬらりとした舌なめずりをしながら覗き込む、下卑た欲望眼差ししか見えないのだ。許せない、という感情が、胃の腑のあたりからせり上がってくる。この、二十四時間三百六十五日、寸分の狂いもなく稼働し続けている精密機械に対して、子を産み、育て、守るという、この宇宙的な使命を帯びた聖母に対して、己の肉欲を、その獣のような本能を、無邪気に、そして無自覚にぶつけてくるこの男の、そのあまりの鈍感さが、許せないのである

ケダモノ

その言葉が、私の内で、教会の鐘のように、低く、重く、そして厳かに反響する。そうだ、この男はケダモノなのだ。私がこの清浄な球体の秩序を維持するために、どれほどの精神を、どれほどの時間を、どれほどの自己犠牲にしているのか、そのことを何一つ理解しようともせず、ただ己の種をばら撒きたいという原始の欲動に突き動かされているだけの、ただのケダモノなのだ

そんなはずはない、と、脳のどこか、まだかろうじて「かつての私」の残滓が残っている領域が、か細い声で反論を試みる。これは翔太だ、私が愛した男だ。雨の匂いが充満する安ホテルの、軋むベッドの上で、互いの名前を喘ぎ声で呼び合いながら、世界の終わりが来るかのように貪り合った、あの夜の彼なのだパリへの出張中、セーヌ川ほとりで、どちらからともなく互いの唇を求め、道行く人々の冷ややかな視線さえもが、私たちのためのスポットライトのように感じられた、あの瞬間の彼なのだ結婚記念日に、彼が予約してくれたレストランの、そのテーブルの下で、こっそりと私のスカートの中に忍び込んできた、あの悪戯っぽい指の持ち主なのだ。あの頃、私たちは互いの肉体という言語を、まるで母国語のように自在に操り、その対話の中に、世界のどんな哲学者も語り得ないほどの、深遠な真理と歓びを見出していたはずではなかったか。あの燃えるような記憶は、情熱の残骸は、一体どこへ消えてしまったというのだろう。それはまるで、昨夜見た夢の断片のように、あまりにも色鮮やかで、それでいて、掴もうとすると指の間から霧のように消えてしまう、遠い、遠い銀河の光なのである

瑠璃…?」

私の沈黙を訝しんだ翔太が、私の顔を覗き込む。私は、まるで能面のような無表情を顔面に貼り付けたまま、ゆっくりと彼の手を、自分の肩から、まるで汚物でも払いのけるかのように、そっと、しかし断固として取り除いた。そして、立ち上がる。

「ごめんなさい。少し、疲れたみたい。光の様子を見てくるわ」

それは、完璧な嘘であり、そして、完璧真実でもあった。私は疲れていた。だがそれは、育児という名の肉体労働に疲れているのではなかった。私という個人が、水無月瑠璃という一個の人格が、「母親」という名の巨大なシステムに呑み込まれ、その歯車の一つとして摩耗していく、その存在論的な疲弊に、もう耐えられなくなりつつあったのだ。これは、巷で囁かれる「産後クライシス」だとか、「ホルモンバランスの乱れ」だとか、そういった便利な言葉で容易に片付けられてしまうような、表層的な現象ではない。違う、断じて違う。これは、一個の人間が、その魂の主導権を、自らが産み落とした別の生命体に完全に明け渡し、「装置」へと、あるいは「白き機械」へと、静かに、そして不可逆的に変質していく過程で生じる、存在のものの軋みなのである

聖母、とはよく言ったものだ。人々は、母という存在を、無償の愛と自己犠牲象徴として、何の疑いもなく神格化する。だが、その実態はどうか。自己を失い、思考も、肉体も、感情さえもが、すべて「子」という絶対的な存在奉仕するためだけに再構築された、ただのシステムではないか。私は聖母などではない。私は、高性能な乳製造機であり、汚物処理機であり、そして最適な環境提供する空調設備が一体となった、ただの生命維持装置に過ぎないのだ。この気づきは、甘美な自己陶酔を許さない、あまりにも冷徹で、そして絶望的な真実であった。そして、この真実を共有できる人間は、この世界のどこにもいやしない。翔太のあの無垢な優しさでさえ、結局は、この優秀な装置が、明日も滞りなく稼働し続けるための、定期的なメンテナンス作業しか見えないのだから、その孤独は、宇宙空間にたった一人で放り出された飛行士のそれに似て、どこまでも深く、そして底なしであった。友人たちがSNS投稿する「#育児は大変だけど幸せ」という呪文めいたハッシュタグは、もはや、この巨大なシステムの異常性に気づいてしまった者たちを、再び安らかな眠りへと誘うための、集団的自己欺瞞儀式しか思えなかった。

寝室に入ると、ベビーベッドの中の光は、小さな胸を穏やかに上下させながら、深い眠りの海を漂っていた。その無防備な寝顔は、確かに、この世のどんな芸術品よりも美しく、尊い。この小さな生命を守るためならば、私は喜んで我が身を投げ出すだろう。だが、それは、この身が「私」のものであった頃の話だ。今の私にとって、この感情は、プログラムに組み込まれ命令遂行しているに過ぎないのではないか。愛でさえもが、システムを円滑に稼働させるための、潤滑油のような機能に成り下がってしまったのではないか。そんな疑念が、毒のように心を蝕んでいく。

私は、息子の傍らを離れ、再びリビングへと戻った。翔太は、ソファの上で、テレビの光をぼんやりと浴びながら、所在なげにスマートフォンをいじっている。その背中は、拒絶された雄の、どうしようもない寂しさを物語っていた。かつての私なら、きっと背後からそっと抱きしめ、「ごめんね」と囁いて、彼の寂しさを溶かしてやることができただろう。しかし、今の私には、もはやそのための機能が、インストールされていないのである

私は、彼に気づかれぬよう、書斎として使っている小さな部屋に滑り込んだ。そして、ノートパソコンの冷たい天板に触れる。ひやりとした感触が、指先から伝わり、かろうじて、私がまだ血の通った人間であることを思い出させてくれるようだった。スクリーンを開くと、真っ白な光が、闇に慣れた私の網膜を焼いた。カーソルが、無人荒野で、点滅を繰り返している。何を、書くというのか。誰に、伝えるというのか。この、言葉にもならぬ、システムの内部で発生したエラー報告を。この、機械の内部から聞こえてくる、魂の悲鳴を。

それでも、私は指を動かした。これは、誰かに読ませるためのものではない。これは、祈りでもなければ、懺悔でもない。これは、私という名の機械が、自らの異常を検知し、その原因を究明し、あるいは再生可能性を探るために、己の内部へとメスを入れる、冷徹自己解剖の記録なのだ

真っ白な画面に、私は、震える指で、最初言葉を打ち込んだ。

『これは、私という名の機械が、自己を観察し、分解し、あるいは再生を試みるための、極秘の設計図である

その一文を打ち終えた瞬間、私の内側で、何かが、硬い音を立てて、砕けたような気がした。それが希望の萌芽であったのか、それとも、完全なる崩壊への序曲であったのか、その時の私には、まだ知る由もなかったのである。ただ、窓の外で、東京夜景が、まるで巨大な電子回路のように、無機質で、そして美しい光を、果てしなく明滅させているのが見えた。私もまた、あの無数の光の一つに過ぎないのだと、そう、思った。

自己機械定義たからには、次なる工程は当然、その性能向上のための最適化、あるいは、旧弊OSから脱却するための、大胆にして静かなるアップデート作業へと移行せねばならぬのが、論理的な、そして必然的帰結であった。そう、これは革命なのだと、私は深夜の書斎で、青白いスクリーンの光に顔を照らされながら、ほとんど恍惚とさえいえる表情で、そう結論付けたのであった。かつてロベスピエールが、腐敗した王政ギロチン台へと送り、新しい共和制の礎を築かんとしたように、私もまた、この「母親という名の献身」や「夫婦の情愛」といった、あまりにも情緒的で、非効率で、そして実態としては女の無償労働を美化するだけの前時代的な概念を、一度完全に解体し、再構築する必要があったのだ。そのための武器は、かつて私が外資系コンサルティングファームで、幾千もの企業相手に振り回してきた、あの冷徹ロジックと、容赦なき客観性という名のメスに他ならない。愛という名の曖昧模糊とした霧を晴らし、我が家という名の王国を、データタスクリストに基づいた、明晰なる統治下に置くこと、それこそが、この「水無月瑠璃」という名の機械が、オーバーヒートによる機能停止を免れ、なおかつ、その内部に巣食う虚無という名のバグ駆除するための、唯一の処方箋であると、私は確信していたのである

かくして、週末の朝、光が心地よい午睡に落ちた、その奇跡のような静寂の瞬間に、私は翔太をダイニングテーブルへと厳かに召喚した。彼の前には、焼きたてのクロワッサンと、アラビカ種の豆を丁寧にハンドドリップで淹れたコーヒー、そして、私が昨夜、寝る間も惜しんで作成した、全十二ページに及ぶパワーポイント資料印刷したものが、三点セットで恭しく置かれている。資料の表紙には、ゴシック体の太字で、こう記されていた。『家庭内オペレーション最適化計画書 Ver. 1.0 〜共同経営責任者(Co-CEO体制への移行による、サステナブル家族経営の実現に向けて〜』。翔太は、そのあまりにも場違いタイトルを、まるで理解不能な古代文字でも解読するかのように、眉間に深い皺を刻んで見つめた後、恐る恐る、といった風情で私に視線を向けた。その瞳は、嵐の前の静けさにおびえる子犬のように、不安げに揺れている。まあ、無理もないことだろう。彼にしてみれば、愛する妻が、突如として冷酷な経営コンサルタントに豹変し、家庭という名の聖域に、KPIだのPDCAサイクルだのといった、無粋極まりないビジネス用語を持ち込もうとしているのだから

瑠璃、これは…一体…?」

説明するわ、翔太。よく聞いて。これは、私たち家族が、これから幸せに、そして機能的に存続していくための、新しい聖書バイブル)よ」

私は、そこから淀みなく、プレゼンテーションを開始した。現状分析As-Is)、あるべき姿(To-Be)、そのギャップを埋めるための具体的なアクションプラン家事という、これまで「名もなき家事」という名の混沌の海に漂っていた無数のタスクは、すべて洗い出され、「育児関連」「清掃関連」「食料調達調理関連」「その他(消耗品管理資産管理等)」といったカテゴリーに分類され、それぞれに担当者と所要時間、そして実行頻度が、美しいガントチャート形式可視化されている。例えば、「朝食後の食器洗浄」は、担当:翔太、所要時間:十五分、頻度:毎日、といった具合に。さらに、月に一度、近所のカフェで「夫婦経営会議」を開催し、月次の進捗確認と、翌月の計画策定を行うこと、日々の細かな情報共有は、専用のチャットアプリで行うこと、そして何よりも重要なのは、これまで私一人が暗黙のうちに担ってきた「家庭運営の全体を俯瞰し、次の一手を考える」という、いわば管理職としての役割を、これからは二人で分担する、すなわち、彼にもまた、単なる作業員(ワーカー)ではなく、主体的思考する共同経営責任者(Co-CEO)としての自覚と行動を求める、ということ。私の説明は、かつてクライアント企業役員たちを唸らせた時のように、理路整然としており、反論余地など微塵もなかった。翔太は、ただ呆然と、私の言葉の奔流に身を任せるしかなく、すべての説明が終わった時、彼はまるで催眠術にでもかかったかのように、こくり、と小さく頷いたのであった。

「…わかった。瑠璃が、そこまで追い詰められていたなんて、気づかなくて、ごめん。僕も、頑張るよ。君を、一人にはしない」

その言葉は、疑いようもなく誠実で、彼の優しさが滲み出ていた。私は、その瞬間、胸の奥に、ちくり、と小さな痛みを感じたのを覚えている。違う、そうじゃないの、翔太。私が求めているのは、あなたのその「頑張るよ」という、まるで部下が上司に忠誠を誓うような言葉ではない。私が欲しいのは、私がこの計画書を作る必要すらないほどに、あなたが私の脳と、私の視界と、私の不安を共有してくれるPermalink |記事への反応(0) | 05:15

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2025-09-01

女の安全意識算数ができなさすぎて逆に危ない件

Twitterで「エレベーターで女1男1の所にもう一人男が乗ってきたら、客観的安全性はむしろ上がる」っていうポストが流れてきたんだよ。

  

ロジックとしては当然じゃん?

見知らぬ男が犯罪者である確率は低い。日本だと0.22%らしい。

男が2人になった時、その2人ともが犯罪者である確率は0.05%弱くらいじゃん。

  

しろ、後から乗ってきた男が善良な市民である確率の方が圧倒的に高いわけで、そいつは万が一の時の抑止力目撃者になる。だから、女1男2の方が安全

小学生でも分かる確率論の話だよな。

  

でも、Twitterじゃポスト炎上してたし、危険が倍になるって意見賛同されてた。

  

これもう無理じゃん。

  

こっちはデータ確率っていう、客観的指標で「安全」の話をしてるんだ。

でも、彼女たちはそれを一切理解しようとしない。できないのかもしれない。

彼女たちの思考回路は、マジで「男が1人、はい危険。男がもう1人、はい危険が2倍!」という、ただの足し算なんだ。確率という概念存在しない。

  

まあそういう馬鹿がいるのはいいよ。仕方がないことだ。

度し難いのは、それに対して賛同が多いことなんだよな。

こっちがどれだけ具体的に言及しても、向こうは感情論ですべてを塗りつぶしてくる。

安全」より「安心」と言って自ら危険に突っ込んでいく。

で、なにか問題が起これば、無関係男性問題視して突っ込んでくる。

  

算数がと論理的思考できない人たちに「お前は危険だ」ってレッテルを貼られ続けるの、あまりにも理不尽すぎるだろ。

Permalink |記事への反応(1) | 14:13

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2025-08-25

身体1つで他国で成り上がろうとしてる奴に善良な市民を期待するのは無理でしょ

なろうでアニメ化しそう anond:20250825150012

Permalink |記事への反応(0) | 15:05

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2025-08-24

さっさと引っ越し

引っ越し先が治安悪すぎて今まで通報なんてした事無かったのに片っ端から通報してるけど、あーいつもの人ねみたいな対応になってる。

あのさあ、俺は今まで通報もした事無く慎ましく生きてる善良な市民よ?俺だって通報たか無いんだよ。俺をそうさせてるのは治安が悪くて、それを警備してるアンタらの原因じゃん。

なんなのこいつらマジで。良い所見つかったら引っ越すけどさ、なんかクソな地域管轄もクソなんだなってよく判った。

Permalink |記事への反応(0) | 06:22

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2025-08-08

anond:20250808152511

犯罪者は罪を犯したものです。

犯罪規定のない法律違反違法行為だけど犯罪者ではありません。

もうちょっと言えば、刑事罰対象となった人だけが犯罪者であり、

行政罰による罰金などは犯罪者ではありません。

横断歩道の一時不停止は罰金だけど犯罪者ではありません。

売買春罰金もないので一時不停止より軽いです。

それを考えると、立ちション路上喫煙極悪人ですね。

売買春をする者たちは善良な市民です。

Permalink |記事への反応(0) | 16:45

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2025-07-26

anond:20250726184953

こういう人が戦前朝鮮人虐殺を行いました

自分正義だと信じ込んだ自称善良な市民こそがこうやって人権意識もなければ民主主義手続きも知らず自分暴力欲求正当化しようとする

ベクトルの向きを任意の「安全に叩けそうなターゲット」に変えているだけ

Permalink |記事への反応(0) | 18:52

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2025-07-14

参政党の支持者への感想

参政党の支持者(いい歳したおじさん)がプロテストデモに、ベロをベロンベロンした変顔とか「俺にほんじーん!」みたいにちょけたり、「バカ!」とかシンプル暴力暴言を吐いているのを見て、なんか怒りよりも哀れさが勝ってしまった。

彼らにも生活の不満があるけれども、多分社会について構造をよく捉えて落ち着いて考える、とか、そういうのが多分余裕がないとか考えるのが難しいとか、多分普段からそんな感じだから自分自身の考えを深め(≠確信を深める)ながら、他者相互関係し合う会話」みたいなのをあんまり経験できなくて、なんかだからもう本当に自己に閉じるというか...。

そしてちょけることや暴言暴力を振るわなくても、「漠然とした不安」が漠然としたまま抱えることで精一杯で、余裕がない人たちがわかりやすい話に勢いよく飛びついてしまっている現状を、どう考えたらいいんだろう。

実際こういう暴力的な発露をするのは一部で、実際はもっと普通の人が現状をなんとかして変えたくて、支持しているのかなと思う。

これは明らかに政権までの積み重ねが引き起こした歪みで、いわゆる"エリート"たちだって、相当な理念がなければ日頃から議論対話ができない善良な市民一般」を相手に会話したいなんて思わないだろうし。

こういう人たちの相手(世の中には結構ボリュームでいる)が参政党になってしまっているというか。

どうすりゃいいんだろうね。これから

Permalink |記事への反応(0) | 11:49

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2025-06-27

今がチャンスだ二次元ロリコンども

怒れ怒れ

現実の子どもに手を出した変態クズ野郎言葉の限りを尽くして糾弾しろ

てめーらのせいで何もしてないこっちもで白い目で見られるんだぞ死ねクズとキレろ

自分二次元を愛好するだけの善良な者達と本物のゲス野郎は別の世界の生き物ですとアピールするんだ

「我々は良識があり二次元には実態が無いから愛でられるのであって現実には一切興味が無いしそっちに手を出すのは軽蔑します」と盛大に主張しろ

善良な市民アブノーマル趣味を持っているだけである事を証明するんだ

Permalink |記事への反応(1) | 13:22

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2025-06-25

経験柄、NHKの料金を払っている人は一般的善良な市民であることが多い。極端なことをしない。警察NHKの料金を払っていない人を重点警戒した方がいいです。

Permalink |記事への反応(0) | 19:43

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2025-06-15

まーた八王子市民は、裏金統一教会二刀流萩生田光一当選させちゃうわけ?

市民はみんな脱税でもしてるんか?

市民はみんな朝鮮カルト大好きなんか?

善良な市民もきっといるはずだから可哀想

Permalink |記事への反応(0) | 22:45

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2025-05-16

ブクマカ「娘を持つと犯罪を犯そうとするおじさんがわかる」

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2551580

娘を持っていると、明らかにおかしい目で見てくるおじさんと、たまたま見ちゃっただけのおじさんの違いはわかるよ。子供達だけで遊びに行ける世の中が続いて欲しいから助かる。

すげえ!うちは息子2人だから全然わからんわ。もちろん「ヤバそうな奴いるな」って思うことはあるし警戒もするけど、そいつがその後本当に問題を起こしたのかどうかなんかわからないし、ただの挙動不審な人だった可能性も全然あるわ。

でもそこまで自信を持ってるんだから自分が怪しいと思ったおっさんは当然後をつけて全員問題を起こしたこと確認してるし、たまたま見ただけのおっさん善良な市民だったことを確認したんだろうな。まさかその程度のこともせずに、見知らぬ他人犯罪者予備軍として断定できるわけないよな。

Permalink |記事への反応(1) | 21:14

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anond:20250516004140

やー普通だと思うよ

ごく普通善良な市民ですらない

ただの人だけど、あなたほどの割り切りは無理だな

Permalink |記事への反応(0) | 00:44

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2025-05-06

anond:20250506081618

あの事件はいろいろと不思議なのでXで流れている情報をdoomscrollingしたし、ニュースも見てしまった。

ニュースでは女のほうが被害届取り下げをしている話が出ていたが、個人的にはかなり引っかかった。

あと、警察署に友人たちと抗議したという画像徒党を組んで押し寄せた感じがしてちょっと怖いなって思った。

Xで読んだ話をうのみにする根拠はそろっているような気がしている。Xとかで見た話をつらつらと。

この人たちはいわゆる川崎ヤンキーで、被害者女性ヤンキーの子供。友人たちというのもいわゆるヤンキーで、警察署に抗議した時の映像もそれで説明がつく。

被害者女性写真が何度もメディアに上がってきたが、いわゆる茶髪強め化粧のヤンキーファッションなのもそれで説明がつく気がする。

被害者女性容疑者の男と何度もくっついたり離れたりを繰り返していて、離れると警察被害届を出し、くっつくと被害届を取り下げるというのを繰り返していたらしい。

...まあ、それをやられると人間心理としては痴話げんかに警察を巻き込まないでいてくれよってなるのは分かる。

からと言って窓ガラス割られていたり、ストーカーされたりしていたのを放置していい理由にはならないとは思うけれど、

いつものことだろみたいな油断があったんだろうなというのは想像に難くない。

善良な市民って感じがしないのもさら対応を遅らせたんだろうなとも思う。

もちろん、それを理由にしていいなら自己救済を容認するといういわば無政府状態を認めることになり、警察の敗北だと思うけどさ。

Permalink |記事への反応(1) | 08:40

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2025-05-02

anond:20250502202016

流れ弾で善良な市民被害がでたらどうするんだ!

保健所通報して引き取ってもらえるようにしよう

Permalink |記事への反応(0) | 20:22

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2025-04-06

疑わしきは罰せよ

俺もVPN入れたら不正アクセスですってヤフオク含むすべてのヤフーアカウントバンされたわ。

恐らくここは「疑わしきは罰せよ」なのだろう。変な奴がやらかし企業イメージが落ちる位なら善良な市民を切りまくる方がリスクが低いと判断したのだろう。

メインメールにしてたから移動するのが本当に大変だった。二度と使わない。 anond:20250406052202

Permalink |記事への反応(0) | 10:54

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2025-03-29

anond:20250329045958

ワイは善良な市民やけど

子供を守って得するのが

マナー違反の子持ち様である場合

 

子供を守りたいという美しい心を持った人が犠牲になるには相応しくないと思う

 

マナー違反の子持ち様と子供が生き残るか、真に子供を守りたいと願う人が生き残るかやったら

 

後者の方が生き残ってほしいし

生きていてほしい

 

「なんか死んだけどタダで庇ってくれてラッキー」みたいな子持ち様の犠牲にはなってほしくない

Permalink |記事への反応(0) | 05:04

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2025-03-17

anond:20250317104353

ないない

そんな馬鹿世間評価なんか気にせず数年経ったらまた詐欺やってるよ

何なら他の善良な市民は殺さずに犯罪者人殺し自分ブタ箱に入ってくれてサンキューである

Permalink |記事への反応(0) | 10:45

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2025-03-12

何故ボードゲーマーは増えないのか?

より正確には、何故2~3時間クラスの重量級ボードゲーム(重ゲー)のプレイヤー人口は増えないのか?

コロナ禍の巣籠需要や、プレイスペースの増加と、追い風にも関わらずプレイヤー人口が増えている気配がない…。

その理由ボードゲームコミュニティに居て「何となくこれが原因じゃないかな?」と思ったので書いてみる。

中級者が居ない

体感であるが、このコミュニティ人口比率二極化している。数少ない入門者と、熟練上級である

入門者のちょうどいいチュートリアル相手になりそうな技量の中級者というのが極端にいない。

彼ら中級者は何処へ行ったのか?おおよその末路は三つだ。ボコられて界隈を静かに去るか、クローズコミュニティに籠るか、猛者共と渡り合う修羅へと成り果てるかである

そのため、入門者はチュートリアルにも関わらずLv.50の熟練者と対峙する羽目になる。結果、負けイベを越した苦行に2~3時間付き合わされるというトホホな思い出だけが残されるのである

まるで衰退が叫ばれていた一時期の格ゲーや、末期のMMOのような有様である

往年の名作を遊ぶ機会がない

ボードゲームには名作と呼ばれるゲームが数多く存在する。

しかしそれらが遊ばれることは少ない。何故か?上級者は既に遊び尽くしてしまっているかである

それ故、入門者が興味を持って名作ボドゲを調べ、一人のこのこプレイスペースへやって来たところで卓が立つのはまずない。

仮に卓が立ったところで、先に述べたように熟練の猛者にかわいがられる地獄と化し、結果トホホな思い出だけが残るのである

一応初心者会などが開催されていることもある。だが、大抵は単発で終わる。面白さに気付いた初心者が中級者になるほどにプレイする機会に恵まれることは極めてまれである

プレイヤーへの要求値が高い

高い、高すぎるのだ。

まずボードゲームを始めたければルール理解せねばならない。しかしこれがもう既にハードルが高い。

ものは試しで30分以内で終わるようなパーティーゲームルール説明書を読んでみるとよい。何言ってんだこいつってなるから

所狭しと書かれた文章、たまに出てくる図解、それらを読み込み理解する。更に自分が誰かを誘った場合他人理解してもらえるように説明しなければならない。

そんなルール説明書が重量級ともなれば10~20ページである

そこで初めてスタートライン。そして…、本当の地獄が始まる。

各々が探り探り駒を動かし、資源を獲得し、カードをめくっていく。すると各々あることに気付き始める。

「あれ、ルール間違って理解してね?」

ただでさえルールが複雑なのだ。人によっては「そんなルール聞いてないよ」とブー垂れるであろう。また、ある人からしたら「こう思ってたけど違った」と自身の当初のプレイプランが崩れ一気に不機嫌になるだろう。

そして盤面は阿鼻叫喚溢れる2~3時間スペクタクル地獄絵図と化し、結果トホホな思い出だけが残るのである

ルールへの理解力と、説明できるコミュニケーション力、そして長時間プレイに耐えられる忍耐。いや~、酷い。

人知人を誘いづらい

ここまで読んでこんな疑問が湧かないだろうか?

「え?友達誘って遊べばいいじゃん。ぼっちか?」

なるほど。ベストアンサーである。素晴らしい。では誘ってみよう。

どんな人を誘えばいいだろうか?まずルール説明1時間ゲームプレイ2~3時間に付き合ってくれる人じゃないとだね。

あと、ゲーム前後コンポーネント(駒とかカードかのこと)準備と後片付け、それらに付き合ってくれる人だと自分が居なくても遊べるな。

うそう、ある程度複雑なルールちゃんと覚えていられる人でないとゲームにならないね

そんな友人。それを2、3人誘おう。

…どうだろうか?果たしてパッとそのような友人知人を思い描くことが出来ただろうか?また、実際に集めるところまでイメージが出来ただろうか?

既に述べたが、重量級のボードゲームは、その難易度が故にプレイヤーへの要求値も高くなりがちである。よほど熱意のあるようなきっかけがなければ「もうやらなくていいや」となるだけではないだろうか。

それならばオープンプレイスペースにそういうメンツ調達しに行くのが手っ取り早いのではなかろうか?

そして初心者は猛者にかわいがられるのである。その気になっていたお前の姿はお笑いだったぜ。

手加減という概念がない

熟練者は初心者に手加減しないのか?」という疑問が湧いた方もいるのではないだろうか?

初心者狩りばかりしやがって、ふてぇ野郎だ。」そう思われた方もいるだろう。

しかしながら、この認識は正しくはない。ボドゲ熟練者は、多少性格言動に難はあるだろうが、基本的には善良な市民である

では何故手加減をしないのか?巷では「手加減は相手に失礼であるから」などという武士のような信念がまことしやかに囁かれているが、これは正確ではないように思う。

彼らは手加減をしないのではない。重量級ゲームは、そのゲーム性が故、手加減をしている余裕がないのである

あらかじめ断っておくが、私は相手を直接叩くことが求められるウォーゲームのようなものはやらない。基本的にやるのは某農業をするようなタイプの苦行である。そのため、認識齟齬があると感じられるかもしれない。

その上でだが、重量級のボードゲームというのは非常にシビアである首位いから脱落するのは一瞬だが、コツコツ積み上げてきたプレイヤーの盤面が覆ることはほぼない。

それ故、上級者が初心者邪魔にならない堅実なプレイをすればするほど、初心者からすれば一方的に突き放されるような展開が続くのである

気が付けばダブルスコアが付いた状態で2~3時間付き合わされたというトホホな思い出が残るのである

実況プレイ動画のようなものが作りづらい

時代は大配信時代であるボードゲームの実況動画なんか出してみたら人も集まるんじゃないか!?

いいんじゃない?試しに出してみたらいいと思う。絶対に伸びないから。

重量級ボードゲームは傍から見ていると絵面が絶望的に地味である。各々が黙々と悩みながら勝っているのか負けているのかもよく分からない絵面が永遠と続く。

どこで戦局が変わったのかも分りづらいかカットも難しい。これが数時間。そんなもの、だれが見るというのだ。

信じられない、というのであれば重量級ボードゲームプレイ動画というのを見てみるとよい。大体悲惨なことになってる。

多少精通している自分が見てもつまらないと思うのだ。いわんや初心者をや、である



つらつらと適当なことを書いたが、おおよそこんなものも原因じゃないのだろうか。

最後

こんなタイトルにしておいてなんだが、自分は重量級ボードゲームプレイ人口が増えることはまず無いだろうと思っている。細々としながら今後も続いていくだろう。

というか、別に増やしたいと思ってない。寧ろ自分が若干嫌気がさして去ろうかと考えてもいる。

最近やったゲームに対しての感想が軒並み「こんなのに数時間も付き合わされたのか」だった。顔馴染みのよしみで卓を埋めるためのメンツとして参加し続けて疲れてしまった。

次の予定が近い、という相手配慮しながら早回しでプレイしていたにも関わらず、当の本人は手番のやり直しや長考を頻発し、散々雑談して遅延した挙句片付けもせずにいそいそと退出していく。そういうしょうもないことにイライラするようになってしまった。

卓に参加しながら「あー、これなら映画行ったり美術館行ったり服買い行ったりしたかったな」や、「この時間だと帰りにスーパー寄れないな」といった思考プレイするのにいい加減嫌になった。

上で書いた内容は自分が不満に思っている内容もいくらか含まれているため大分主観的な内容であるということは断っておく。改善もされないだろうと諦観もしている。

Permalink |記事への反応(4) | 23:29

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2025-03-05

日本戦争になったらって怯えてるやつってそんなに日本好きなの?まあ自分の国が好きになるぐらい今までいい思いしてきたんやったら、不安になる程度の罰はあってもいいよな。

 

日本善良な市民という奴は基本的には残忍で役に立たない奴は村八分で死に置いやってきたんだから

Permalink |記事への反応(0) | 07:51

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2025-02-09

anond:20250209104512

俺には正義燃える善良な市民の側面もあれば、法治国家としての側面もある

どちらも俺だ

Permalink |記事への反応(0) | 10:46

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2025-02-07

自分じゃそんなことをやる勇気なんてビタいち無いくせに、安全地帯から他人を煽るだけのやつがいるとして、

そういうやつのことを一般的になんて呼ぶかって言ったら…「卑怯者」だわな。

■俺はアフター氷河期世代だけど氷河期瀬田を憎んでるよ

結局ね、この世代の奴らがちゃんと世の中に対して抗議せんかったことで時代が失われるのが終わらなかったんだよね。

つまるところさ、「最底辺でいいから暮らせるならお仕事します〜〜靴墨ペロペロ〜〜」とかやった生き汚さが世界を滅びに向かわせたのよ。

金持ってる奴らに「あっ、なんや、凡人どもって死なない程度に金やれば勝手に働くんだ。しかも締め付けるほどラットレース現象で競い合うとかマジチョロ〜」って思われたか中流階級はみんな奴隷階級なっちゃった

菜種油みたいに絞られたら一揆を起こさないと駄目なのよね。

氷河期ってよく世代格差とか言うけど、その格差を広げたのは他ならぬお前らの根性のなさだよ。

世代レベルハンガーストライキしかけるでもなく命じられるままに椅子取りゲームに参加したお前らが悪い。

マジでさ、お前らって社会被害者ではあるけど、同時に加害者でもあるからね。

戦時中ゲンの親父を非国民呼ばわりしてた町内会長と同じような存在から

奴隷根性かましておくことで「無辜の良き市民」の立場を手に入れようとする態度を取り続けて楽してモラリストになろうって生き方が違うんだよ。

死ぬほど頭絞ってさ、本当に世の中を良くするには何をしなくちゃいけないか考え続けるべきだったの。

お前らは所詮「隣の家の本当のモラリスト非国民と呼び竹槍でしばいていた無責任自称善良な市民」」でしかねーんだよ。

卑怯者!

考えることから逃げるな!

ちゃんと生きろや!

anond:20250207203911

Permalink |記事への反応(0) | 21:02

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俺はアフター氷河期世代だけど氷河期瀬田を憎んでるよ

結局ね、この世代の奴らがちゃんと世の中に対して抗議せんかったことで時代が失われるのが終わらなかったんだよね。

つまるところさ、「最底辺でいいから暮らせるならお仕事します〜〜靴墨ペロペロ〜〜」とかやった生き汚さが世界を滅びに向かわせたのよ。

金持ってる奴らに「あっ、なんや、凡人どもって死なない程度に金やれば勝手に働くんだ。しかも締め付けるほどラットレース現象で競い合うとかマジチョロ〜」って思われたか中流階級はみんな奴隷階級なっちゃった

菜種油みたいに絞られたら一揆を起こさないと駄目なのよね。

氷河期ってよく世代格差とか言うけど、その格差を広げたのは他ならぬお前らの根性のなさだよ。

世代レベルハンガーストライキしかけるでもなく命じられるままに椅子取りゲームに参加したお前らが悪い。

マジでさ、お前らって社会被害者ではあるけど、同時に加害者でもあるからね。

戦時中ゲンの親父を非国民呼ばわりしてた町内会長と同じような存在から

奴隷根性かましておくことで「無辜の良き市民」の立場を手に入れようとする態度を取り続けて楽してモラリストになろうって生き方が違うんだよ。

死ぬほど頭絞ってさ、本当に世の中を良くするには何をしなくちゃいけないか考え続けるべきだったの。

お前らは所詮「隣の家の本当のモラリスト非国民と呼び竹槍でしばいていた無責任自称善良な市民」」でしかねーんだよ。

卑怯者!

考えることから逃げるな!

ちゃんと生きろや!

Permalink |記事への反応(2) | 20:39

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2025-01-12

anond:20250111131444

これは本当にそう。

何が当たり前になったり、普通になったり、ルールになったりするかって、社会の秩序を守るためもあるけど、「それが心地よい人がマジョリティから」ってだけなことも多い。

遅刻をしてはならない」とかね。社会カーストの上位にいて声の大きい人間がそうであるというだけ。グラムシのいうところのヘゲモニーに過ぎない。

マイノリティへの配慮」とか嘘っぱちだからね。最近やっとグレーゾーン概念一般膾炙してきたけど、肉体的な障害とか障害認定されたようなわかりやすもの以外は、配慮しなくていい「ルール」になってる。みんな空気を読んで「今の時代はこのラインまで配慮しないと冷ややかな目で見られるんだな」って狡猾判断してるだけだから。それも無意識でやってて、自分のことは善良な市民だと本気で思い込んでるからタチ悪いんだよね。

Permalink |記事への反応(0) | 01:55

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2025-01-01

善良な市民からは奪って良い


そういう事だよな結論言うと。あいつら警察には行くけど「民事なので。・。・・」って言われたら訴えないから実質やりたい放題できる。現に政府税金と称して奪いまくってるのに何も言わないしな

Permalink |記事への反応(0) | 13:22

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