
はてなキーワード:品種改良とは
追・追記
あと収支はチャッピーに聞いた程度のものなので、もっと安く施工できるとか、もっと儲かってないとか色んな現場からのご意見ありがとうございます!
これだけかみ砕いてもまだ「ワシの考える農業改革、ワシの考えるJA改革は~!!」って言う人はJAの会長にでもなろう!十分な利回りだって言う人、ぜひ農業に参入したらいいと思います!
もしくは黙って田んぼに苗でも植えてろ!
朝起きたらブコメチラホラついてた。長くて複雑な話に付き合ってくれて感謝します。農家周りの方々の意見も面白い。ごくろうさまです、ありがとう。
一つ補足というか…チェリーピックしないでほしいし、ちゃんと読んでよと感じた反応があったので
yingze 進次郎主張の農政改革のキモは金融分離なのに、さらっと流されてるw セルフ突っ込み入ってるけど、ブランド作れないJAは要らんのよ。市場に作物流すだけの簡単なお仕事だと農家は離れるばかり。
サラッと流してない。言及しているのでちゃんと読んでほしいんだが、金融の分離をしたら最大のメリット「JAは最短・適切条件(馬鹿安でもなく高くもなく)での支払いが可能」が難しくなってくのではと思っている、金融分離は農業全体をぶっ潰す最短距離になりうるよ。まぁJAの金融事業の内訳を調べてないから分からないが、JAに近いところにいる事情通の人に聞いた話だと、非農業系の金融事業で稼いで農業事業に回しているような状況らしいので。本文で郵便事業の例を引いたけども金融分離化前の郵政はまさにこれで、郵便事業はもうちょっと立ち行かないかもねって感じになってる。相次ぐ値上げ、不正の増加は、貧した結果の倫理低下だろう。
あと、ブランドを作ろうとしてないJAなんてほぼ存在してない。それに、コメがない高いと言ってたこの半年でもブランド米は高いけど売ってたでしょ?ブランド化=価格の高止まりを目指しているわけで、ブランド作れねぇのかと嘲笑するからにはちゃんと付加価値が付いた高い作物をしっかり買ってくれるんだよね?って話になりますよ。 <h3>o- *********************************************************************************</h3>
以下本文
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nikkansports.com/entertainment/news/202506300000813.html
必要か、と語りかけてみたものの、国産の野菜やコメなんて非効率!金輪際要らんのや!という過激派にとっては農協は当然不要だし、亜米利加国のような大規模集約農業以外は認めへん!という類の過激派にとっても知らんがなという話になるだろう。ただこれらの派閥は机上の空論でしかないので。
取りあえず、農協は何で「今のところは」 「とりあえず」必要か、という話です。今後、何かが進化して新しい取引や流通方法が産み出され商業的に大変安価に使用できたりするようになれば変わるかもしんない。または何千億円もの税金をかけて田んぼを集約化できれば大規模農場は実現できてJA不要になる可能性もあるかも(なぜ農業の大規模化に多額の税金が必要かはのちに述べるかも。大規模集約化が机上の九龍城だよと言う説明として)。
勤め人ならご理解しやすいかと思うが、一般企業はあまり個人自営業や小規模事業者との直接取引(特に彼らからの購買)を好まないことが多い。取引数が多いとその分、経理をはじめとしたバックオフィスの業務量が増えるし、宜しくない事案(不当なキックバックを要求するけしからん社員が現れたり)が起きやすい。その他色んな理由(与信的なこととかね)がある。
一方で、JAは会員なら誰でも取引が可能で、各農協が決めた規格の範囲内の作物なら原則必ず買ってくれる。なので多くの農家にとっての作物の販売先として真っ先に上がることになる。
仕事で新規開拓営業したことある人は分かるかもしれないが(はてな民には少なそうな気もするな…)、「販路開拓」というのはなかなか簡単ではないので、規模の大きい農家でも、素晴らしい栽培技術があったとしても、簡単にいい値段で買ってくれる取引企業を見つけられるわけではない。支払い条件なんかも企業によって全然違う。その点JAはきっちり決まってる。JAがまるっと買ってくれるのは農家の文字通り「生命線」である。
一般企業と取引をしている農家ももちろん居る。例えば某ポテチ屋や某トマトジュース屋などは加工原料を契約農家からトマトやジャガイモを買っているし、ハンバーガー屋、デパ地下のサラダ屋、上げ底コンビニなんかも契約農家から直接仕入れてる。「地元の野菜をたくさん使った地産地消レストランです!」というようなところも直取引。これらは日本の農家の全体取引からしたら少数。
この企業直取引だが、ポテチやトマトジュースなどの)原料としての販売額金額はちょっと失笑するぐらい安い。彼らは定期的にJAなどを通じて契約農家になりませんかと営業をかけているらしいので、その程度には入れ替わる(儲からないからやめる)んだろうとも邪推できる。一方でもちろん、うまくやってて儲けられてる農家もいる。そしてポテチ屋やトマジュー屋も、JAから仕入れることも有る。パンクチュアルに出荷用の材料数を揃えなきゃいけないし、作物は思った通りに育たない時もあるから。
もう一つの主要な直取引先、中食や外食向けの野菜。これは場合によってはJAの買い取り価格よりも高く買ってくれることもある。半面、ジュースなどと違って原型が分かるわけで、規格(サイズなど)の制限がJAよりも厳しいことが多い。加工のために一定のサイズに収まってる必要があるから。これらと取引ができるのは選ばれた神農家、または資本力が高い施設栽培(かっこいいハウス栽培)農家などが多い。そして彼らも同様に足りなければJAからも買う。
ちなみに、ここでは便宜上、JAと言っているが実際にはその地域の中央卸売市場が実際の取引の場になる。JAが買った野菜は半分~8割ぐらいは卸売市場で取引される。そして卸売市場では上記のような一般企業、大手流通小売(スーパーマーケット)、仲卸などが買っていく。仲卸は飲食店とか小さいスーパーや八百屋などに卸したり。それで我々消費者が買って皆様のお宅の晩御飯になったりする。
更にちなみに、スーパーや八百屋などの野菜は、大半がJA・大卸を通した商品だそうです。
なぜならスーパーは消費者のニーズに応えるために少量・多品種が必要でかつ欠品も消費者から許されず、それなのに鮮度も求められるから。特定の農家と取引しているんじゃ棚に並べる商品を揃えられないからだそうで。複雑な卸構造になっているのは、消費者のニーズに適切に応えるため。コメはここまでではない(多種はそこまで求められてないだろう)が、鮮度はやはり求められるからねぇ…。
しかし、生鮮食料品の流通って難しいね。検索したらこの図https://d1obh0a64dzipo.cloudfront.net/images/7595.jpgが分かりやすいなと思ったら元は農水省の白書みたいだ。元記事はhttps://minorasu.basf.co.jp/80696 元記事も面白かったのでお時間ある人はどうぞ。
もっと更にちなみに、別にJAは農家に「一般企業に売るな」なんて圧かけたりなどはしておらず、むしろ逆で、一般企業からの「契約農家を探してほしいんですが」 とか「〇〇を育ててくれる農家さんいますかね?」というような相談の窓口になっていたりするので、しんじろうが言うてることはますます分からんのよね。JAというか農業界隈は「六次化(2次産業×3次産業からきたダジャレ合言葉)」を叫んでいたりもしていて、JAも、農家の一般企業との取引拡大を望んでるんだよね…。
むしろ地方は中央卸売市場のサステナビリティの危機という別の問題もあって、仲卸が跡継ぎ居ない、儲からず廃業などで市場が機能しなくなっていたり、建物が老朽化しても建て替える金がないとかの問題もあって、自治体もJAも中央卸も、企業ウェルカム!な状態なんすよ。でも農業も卸も対して儲からないから企業の方があまり組んでくれないんよ。
JAに作物を納入すると支払は、その地域のJAの決め事により異なるが月末〆、翌月10日とか20日になることが多いようである。これは一般企業の取引よりも支払い条件が良い。これはかなり大きいことで、特に出荷期間が長い野菜や果物の農家にとってはすごく大事な条件である。農家の金の周りが良くなるということなので。
これはJAが金融機能を持っているからこそ可能なわけで、金融機能を切り離したら支払条件も悪くなるんじゃないかなと思うんだよね…。郵便が郵便機能ぼろぼろになったのもゆうちょが儲けてた分がなくなっちゃったからなんじゃないかなーと思ったり。
またJAは金融機関なので、農業のための融資をしてくれる。これもなくなると農家はかなり困るんじゃないか。というか一般の金融機関で農業のための融資が継続できる気がしないぜ。
基本的に作物の品種改良は、その地域の農業試験場がやっている(たまには大学や研究機関もやっている)
新品種や新しい作物(例えばズッキーニとか今は当たり前に作られてるが一昔前は作付けは極小だった)は、これまでの品種と育て方が違うことも良くある。そのための農業指導などを行っているのがJAです。
新品種に切り替えるというのは既存の農家にとってはナーバスな事態である。下手したら半年~1年の売上が吹き飛ぶ可能性すらあるからだ。おまけに新品種は簡単には市場には受け入れられない(知名度とか値段とかで)ので、意気軒高に新品種に切り替えて張り切って栽培して成功しても、思ったよりは売り上がらなかった、なんてことだって起きうる。
JAという「ハコ」があることで、たくさんの農家を取りまとめて新しい品種の栽培指導したり、ブランド化のためのゆるキャラを作ったり、自治体と協力してキャンペーンしたり、いろんなことがしやすくなる。こういうのは「ハコ」がないと纏まらんよ。普通の会社だってそうでしょ?業界団体があるからこそロビイングもできるわけでさ。
ロビイングという言葉を出したのは、要するにJAは農家のための団体なので、究極的には我々消費者とは利益相反する。もちろん敵対関係ではないが、彼らはより高く売りたいし、我々消費者はより安く買いたいというごく原理的・究極的な部分な。なので消費者が「高えんだよ!」っていうのは当然ではあるし、一方で「何を当然なことわざわざ言うのだ、他のすべてのものが値上がりしてるのに」とも思う。
「ここにきて急に高くなったのはおかしい」というブコメもあったが、それは「もう耐えられないところにきている」という考え方もあると思う。原材料に近い商材ほど付加価値をつけにくいから価格の上昇は他の商材と比べて遅くなるのはごく一般的な傾向だとも思うしなぁ…。
エネルギー費用もバイトさんの人件費も、肥料代もすべてが値上がりしている。ハウス栽培が中心の農家はエネルギー代で利益が減ってると思うし、精米の機械だって倉庫の温度管理だって電気で動いてるわけですし。ナスを5個パック入りに商品化するための袋だって値上がりしてるでしょ。
「大規模集約化」というのはちょっと乱暴で、事業者が集約される(大農家が零細農家の休耕田・畑を使って農地を広げる)パターンと、農地の区画を物理的に大きくするというパターンに大別されると思う。そしてこのどちらも、進んでいる所はどんどん進んでいるし、進んでいない所は金がないから進まない。
実は農業地域の「良いけど所有者が細分化されてる農地」はどんどん、地域の大農家が集約している。新規就農者はたいていこういう大農家で「農家修行」として小作として働いてたりするし、技能実習生もたくさんいる。あちこちに分散している農地を、人海戦術で「作物が取れる農地」として維持している、というのが実情。
そして、一方で「あんまり良くない農地」は人気がないまま放置される。
都市に暮らす消費者がちょっと思いつくようなことなんて、とっくに農家はやっているし、やっても儲かれないことは、アホな消費者が何を言ったところで、やらない。
あんまり良くない農地というのは、山沿いだったり(太陽と風が良くない)、水利から少し距離があったり、四角いきれいな形じゃなかったり、小さかったり、道路が貧弱だったり(トラック通れないと収穫の手間がすごい)。そういうところは大農家も使わないので放置されたまま。
こういうところでもドカーンと区画整理をして、四角くしたり、用水路を作ったり、1tトラックくらいなら入れる細い舗装道路を作ったりすれば、ちゃんとした「集約化された農地」になる。でもそれにはすごく金がかかる。これは都心で行われている「再開発」と似たような手法で「区画整理事業」って言うんですが、土木作業のみとはいえお金がかかる。このお金は場合によっては億単位の金がかかるので農家が負担するのはとてもじゃないが難しい。
例えば
1ヘクタールの休耕田を「使える農地」に造成するための費用は、約9,000億円(造成費用1坪3万円で計算。今はもう少し高いと思う)※単位間違ってた!9,000万円です!ごめん!
1ヘクタールの田から取れるコメを約5,400kgとする(10a辺り反収538kgらしいので)
5,400kgのコメの卸価格(28,000円/60kgが最新の価格、かなり高い)は2,520万円、経費率を7割(ChatGPT調べ)とみると、利益は756万円弱。
ちなみに1haの農地って、全然「集約化された農地」なんかじゃない、むしろ中の小ぐらいです、サイズ的には。
見てもらった通り、これでは造成費の1億円返していくのけっこう大変。つーかかなり厳しい。したがって農地の区画整理は基本的には半分かそれ以上を税金で賄うのが慣例になっている。補助金です。田舎の土建屋が儲かる、都会の人が蛇蝎のごとく嫌うような補助金ですね。でもこれがないと「農地の集約化」は不可能ですね。
その程度には農業って「あんま儲からない」ものでもあり、そして「人間が生きていくには不可欠な仕事」でもあり、平地が少ない上に平地がどんどん都市化していく(田んぼよりアパートの方が儲かったりするので)日本では、わざわざ農地をお金かけて集約化を実現するんは、かなり難しいんだと理解いただけるとありがたいです。
Permalink |記事への反応(15) | 20:10
否定しかできないブコメは出来ないの連呼だろうが、収入はともかく収量を増やす余地はある。
ずっと減反を引きずっていて、品種改良も冷害対策や食味が優先されて収量は二の次だったからこそ、余地は大きくある。
コシヒカリは暑さに弱いし今の日本には不向きな品種になるつつあるけど慣習で作り続けている所が多くて、これが作況指数は悪くないのに製品になる量は減っているといわれる原因の一つ。
それを最近売り場でも見るようになった「にじのきらめき」や「あきだわら」という高温耐性に優れた多収品種に切り替えるだけでコシヒカリと比べて30%増になる。
平成の米騒動のときの冷害の影響が30%減だったことを考えればその影響の大きさがわかると思う。
歴史的に日本では寒冷地で米作りをする為の研究の優先順位が高かったけど、最近は温暖化に対応する、活かす方向での研究も増えている。
先の高温耐性に優れた品種の開発、そしてそういう品種を使った二期作も期待されている。
南国というわけでもない愛知でも昨年、100haの規模で再生二期作の実験をしたり可能性はあると判断して色々と行われている。
愛知の農試は不耕起V溝直播を開発したり先進的な取り組みを続けているところだから注目してる。
そんなこんなでやり方は色々あるけれど、一番の解決が難しい点は零細農家の殆どは稼ぐためにやっていないので、やり方を変える気がそもそもないこと。
やはり田んぼには水を張って昔ながらのやり方でコシヒカリを作り続けたい人が多い。
Permalink |記事への反応(13) | 17:19
とにかく何もしなかったら基本的に死ぬのが「環境」という生物が真に相対するべき存在で
どれだけ生物界にライバルの他生物がいたとしてもそいつに対して「環境が適さなくなった」時点で自動的に勝者が入れ替わる
「ネアンデルタール人」「ドードー」「モア」「マンモス」などそれっぽい理由を挙げることはできるが、大本となる環境の変化に適応できなかった故に子孫を減らし滅びた
「子孫が減り続ける」のは滅亡の警告音ではなく、既に「滅亡する環境に変わった」という前提の上で、結果として子孫が減り始めている
これは人為的な頭数制限でも何でもなく、既に人類にとって今の地球環境は生物種として適応したものではなくなったことを意味し、
このまま何もせずに自然に身を任せる限り、確実に過去に滅びた生物種たちと同じ絶滅をゴールとした路線で進み続ける
まずこれを理解した上で現状の「結果としての少子化」「滅亡の中盤としての少子化」と向き合わなければこの問題を解決することは不可能
この社会、この世界、この今を生きる構造そのものを変革しなければ、この流れは絶対に停めることは不可能
そもそもが、現在地上の覇者として君臨する現生人類であるホモサピエンスも過去に一度「トバ火山の大噴火」の環境変化のおかげで総数1,000〜1万人程度まで大幅に減少した
このおかげで遺伝子の多様性が大きく損なわれた結果、風邪やインフルエンザのような常駐する病原体への耐性が大きく下がったのではないかと言われている
逆説的にネアンデルタール人などの遺伝子を一部取り込むことで耐性を底上げしたり、逆に特定の病気に弱くなった
このとき人類は持ち前の知能のおかげで人間社会そのものを改変し、環境に適応した社会を再構築することで助け合い共生して乗り越えることができた
アフリカ大陸だけでなく新たな新天地を求めて拡散することで、異なる環境に適応した文化や人種が構築され絶滅へのリスク分散を行うことができた
ここで一番重要なのは「絶滅に対抗するために増えるための社会構造の変革を行った」という点だ
「少人数でもやっていける変化をした」ではなく「今の環境に適応して増えるために変化した」のであって
過去に絶滅から回復した生物、種族の中に少数を前提として変化して生き残ったものはいない
基本的に生物は増える力があるおかげで他生物との競争に負けずに生き残ることができる
少数を前提とした生存戦略などこの宇宙に存在しない、それはただの幻想である
このように7万年前にトバ・カタストロフ、そして日光の大規模減少により人類は1度絶滅しかけた
では一体、今の人類は何が原因になって絶滅のトリガーが引かれてしまったのだろうか?
本来、これだけ地球上に多種多様な文化があるのはそれぞれの土地でどのように人口を増加していくのか最適化するために淘汰されてきた結果のものである
何もない虚空に釈迦は立てないように、人は大地があり初めて生きている
多種多様な人種もそれぞれの土地、風土に最適化され品種改良された家畜同然、土地が生み出したものであり無から生まれしものでもない
それぞれの土地にとって最適な法を守ることで人類は頭数を増やしてきたし、そうでなければその地域の人間は減少して自然に絶滅している
お互いの文化は土地と距離と抗争という隔たりにより保護され、お互いが頭数を増やすことに専念することができた
「女性の人権を軽視する文化でなければ頭数を増加させれない国」には「女性の人権を認め、非常に高い学費を両親が負担して、一番の妊娠適齢期に大学生のキャンパスライフを送らせた上に新社会人として労働で酷使して気づいたときには結婚適齢期も過ぎている女性を生産する人道的に素晴らしい文化」が大量に入り込んでしまった
後者は「個人」として全くもって日の打ち所がない正解であり、これに対立しようものなら女性への人権侵害として「共同体である社会」から攻撃され排除される状態へと主に先進国を中心に世界を作り変えてしまった
こうなるとどれだけ個人の幸せを追求したところで人間の数を増やすのに必要な生産に必要な子宮の数を確保することは物理的に不可能だ
1人の女性に1人出産させるだけでも個人及び社会保障上、大変な負担なのにそれを2人や3人に簡単に増やせるわけもない
何よりも散々議論され尽くしているが尊重されるべき「個人」の人権を軸に考えると「子供を持つ」ということは経済的・健康的・時間的に負の要素しかない
元々が子供好きで子供が欲しいと願う個人でなければ合理的な理由がないくらいの存在と化してしまった
つまり「尊重されるべき個人」にとって「自分の子供」という人類を支えてきたコンテンツが大きく魅力が下がってしまったせいで、他のコンテンツに時間と金が奪われて負けてしまっている
その証拠に子育てすると〇〇ができなくなるという話をよく聞くだろうが、本来は成人にとっての大きな仕事は餌を取ってきて子どもを産み育てるものだったのが、
仕事、趣味、老後資金調達というコンテンツに完全に敗北した結果が現在の「子供の不人気」という結果である
これは社会が行き過ぎた個人主義やグローバリズム、新たな全体主義に抵抗しなかった結果であり、責任は今を生きる人、この時代を作った人すべてに責任がある
今から狂った個人主義を再評価するにはポリコレを先導する支配層のGAFAの影響力があまりにも強くなりすぎた点からも非常に厳しい戦いになるだろう
しかし人類がこの絶滅のコースから降りるためには、今一度、「全体主義と化した行き過ぎた個人主義」の見直しをしなければならず、
来るべき新たな時代を作るために、既に現実の「環境」にそぐわなくなった社会構造を変革する議論と実行が必要となる
もはや「個人の自由を守ればナウい」という思考・思想そのものが時代遅れの産物であり、可及的速やかに我々は絶滅への対策を実行しなければならない
その中で「古古(古古)米」なんてほとんど価値のない米であるという意見が農家を中心にある。
日本のお米は新米が美味しいとされるため、その意見は正しい面があると思う。
これは日本米が時間経過で資産価値が下がる食品であるということ。
そして、お米にもある。
バスマティライスはインディカ米の中でも高級なもので、香りが強くパラパラする(水分含有率が少ない)ものが良いとされるため、新米よりも古米の方が価値が高い食品だ。
備蓄米というのは緊急時に利用されるわけであり、基本的にはほとんどが一般の人に行き渡ることはないもののはずだ。(今回は色々意見はあれど、緊急時なのだろう)
しかし、備蓄米をバスマティライスにすれば新米時よりも価値が上がる。
安全に日本で管理された備蓄米が放出されたもの、ということがブランド価値になるわけだ。
ブランド米として店頭に並べることができるし、エスニック料理屋や食品メーカー等にも卸すことができる。
そうすることで、備蓄米の管理コストもペイできるどころか、国の収入になる可能性だってある。
そもそも今回の問題は食の多様化における米の需要減からの生産(減反含む)や流通のトラブルである。
食の多様化が進んだ今なら、インディカ米の美味しい食べ方を啓蒙することだって可能だろう。
資産価値の下がるものを管理するのではなく、一部でも資産価値が上がるものを管理して、それらを利益にしていくような方針も必要ではないだろうか。
バスマティライスを海外から仕入れる他、備蓄米向けに日本でバスマティライスを生産しても良いと思う。
香り高く、パラパラとしたことに価値のある日本米を作ればいいことだ。調理向けであれば需要はあるはず。
それらは、今までの日本米とは違う価値観なことをちゃんと啓蒙すれば、受け入れられる土壌は作れると思う。
どちらにしても、エスニック料理好きな私は一般スーパーにも美味しいバスマティライス(それに近いもの)が並ぶようになって欲しいと思う。
品種改良や増産が生態系を支えてきたという話には、一部の真実がある。
だが、それをもって「経済成長が植物を守る」などというのは、論理のすり替えだ。
経済成長の本質は消費の加速であり、品種改良や農業技術は経済成長によって進んだ技術ではなく、人類の生存圧によって開発された知識体系だ。両者を混同してはいけない。
実際には、経済成長の圧力が原因で農地が森林に置き換わり、単一作物の大規模栽培が土壌を枯渇させ、生態系を破壊してきた歴史のほうが長い。
経済が植物を救ったというより、経済活動が植物の多様性を破壊してきた。
遺伝的多様性の喪失、農薬や除草剤による土壌微生物の死滅、それらが植物系全体のレジリエンスを奪っている。
たしかに「一部の植物」は経済的利益によって救われているが、「全体の植物環境」は経済の都合によって崩されている。
次に、寿命が縮まらずに人類が滅ぶ具体例を問うなら、それは無数にある。
極端な気候変動によって作物が育たなくなる。海面上昇によって沿岸部の居住不可能地帯が爆発的に増える。パンデミックの頻発で社会システムが崩壊する。
これらは寿命が変化する前に、文明そのものが機能不全に陥るシナリオだ。
平均寿命が75年から65年に縮むなどという段階的な悪化を経るとは限らない。
「死ぬまで生きられる」社会が一気に崩壊することはありうるし、それは寿命という統計的指標には現れない。
寿命は「今すでに生きている人間の最期までの長さ」であり、未来の人間が生まれてこないことには反応しない。
だが絶滅とは、「未来の人間が生まれてこないこと」だ。統計に数字が出ないことを「問題が起きていない」と判断する態度そのものが、人類を滅亡に導く。
経済成長は問題そのものではない。だが、それを制御できないまま環境や生態系を代償にして突き進めば、最後に残るのは、技術で延命された少数の人間と、死んだ地球の上にあるガラスの温室だけだ。
寿命がどうこう言っているうちに、生きる意味すらなくなる。問題は何年生きられるかじゃない。生きているその時間に、どれだけ生きる価値のある環境を維持できるかだ。
どんな名のある、めちゃくちゃ賞金を稼いでる馬でも一発、脚を骨折したらお役御免で毒を打たれて殺される世界と聞く。
品種改良の末に生み出されたサラブレットという生き物の特性ゆえだという。怖すぎる。
「ギャンブルで楽しむために動物を改造して、その改造のせいで、怪我したら『長く苦しんでも可哀想だし治らないし~』」と言って殺すのが決まりになっている」
言葉にすると本当にヤバい。ディストピアSFに出てくるタイプの架空の競技じゃん。家畜人ヤプーじゃないんだからさ。なんで21世紀にこんな競技がまかり通ってるの?
マジで怖いのは、競馬をスポーツとかドラマみたいにポジティブに語れる奴がいることだよ。
友達にウマ娘から本物の競馬入って、競馬をウマ娘のアニメみたいな感覚で喋ってる奴がいるんだけどさ、本当に頭おかしいと思う。
そりゃもちろんさ、現代社会ではみんな、品種改良された動物の犠牲の上に心地よい生活を享受してるわけですよ。でも、たとえば効率的に肉付きよくするために強制給餌されて挙句殺されて捌かれる動物を見て「おいしいお肉になるために牛さんもがんばってるんだね!応援してます!」とか言いだす、ミノタウロスの皿的なサイコはいないじゃん。
競馬と馬を、あくまでギャンブルとして、「お金が増えるかも!」っていう興奮で脳汁出すための快楽装置として扱ってる人は良いよ。
俺がおいしいお肉を食べたいから松坂牛くんには無理やりビールを飲まされて腹パンパンになってもらう。浅草のウインズの前にいる歯のないおじさんが興奮するためにサラブレットくんが走らされる。まぁ同値ですよ。
人間は人間の快楽のために家畜を良いように扱える。それは生き物が生きてくためには他の生き物を害さなきゃならないっていう素朴な食物連鎖の一種だから。動物的行為としてね。
その動物的行為に無理くり「美談」を持ち込んで、己の加害性にほっかむりしようって奴に腹立つんだよな。「父が果たせなかった三冠の夢を!」みたいな人間が勝手に作った感動ドラマを真に受けて、馬を「応援」しちゃってる奴、本当に自分が関わっている産業とか競技の暴力性にあまりに鈍感すぎて怖いんだよ。有名な馬が殺されて初めて「可哀想……」じゃないんだよ。ずーっと前から可哀想なの競馬の馬は!!!!!