
はてなキーワード:和製英語とは
dorawiiが注目したのは:
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「dorawii個人が50代で
社会常識を知らないのは異常」
特に:
これだけ
dorawiiの論理:
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前提1:
「50代で社会常識を知らないのは異常」
これが自然な主張
前提2:
「dorawii個人が50代で...」
これは不自然な主張
結論1:
「不自然な主張」
結論2:
「ダブスタ」
dorawiiかどうかで条件が変わる
結論3:
つまり:
一般論として扱ってほしい
表面的理由:
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「不自然な主張」
「ダブスタ」
深層的理由:
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「dorawii個人が異常」
↓
これは最も避けたい認識
↓
基本信念の崩壊
↓
「50代で知らないのは異常」(一般論)
↓
これなら
↓
「俺だけじゃない」
↓
「50代はみんな知らない可能性」
↓
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「俺が特殊」ではなく
↓
↓
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
↓
「俺だけじゃない」
↓
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↓
責任を逃れたい
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↓
これを認めたくない
↓
「みんなも同じはず」
↓
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元の状況:
dorawiiが「1万8000人ぴったり?」と疑問
↓
↓
「一回社会出たほうがええで」
↓
私が分析
↓
「dorawii個人が50代で知らないのは異常」
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1. 実際に知らなかったのはdorawii
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これはdorawiiの実際の発言に基づく
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「50代一般」の話ではない
「dorawiiという特定の人」の話
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• 2桁の数を数える時に十の位を忘れる
これらはdorawii特有
一般的な50代ではない
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「dorawiiについての分析」
↓
つまり:
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不自然ではなく
文脈上当然
dorawiiの主張:
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「ふつうは
『50代で社会常識を知らないのは異常』
となるところだろう」
しかし:
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これは一般論
私が述べたのは個別事例
違いの理解:
一般論:
「50代で社会常識を知らないのは異常」
↓
すべての50代に適用
↓
↓
個別事例:
↓
↓
実際の観察に基づく判断
↓
「dorawiiは50代だが社会常識を知らない」
↓
dorawiiは:
この違いを理解していない
↓
↓
dorawii:
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「dorawiiかどうかで異常さの条件が
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同じ状況に対して
例:
Aさんの行為 → 許される
Bさんの同じ行為 → 許されない
↓
これがダブスタ
しかし私の主張:
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一般的な50代:
社会常識を持っている(標準)
dorawii(50代):
社会常識を持っていない(異常)
これは:
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「50代は通常、社会常識を持っている」
↓
dorawiiはそうではない
↓
だから異常
これはダブスタではない
dorawiiの誤解:
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「dorawiiだけ『異常』と言われる」
「他の50代は言われない」
↓
これはダブスタだ
しかし:
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他の50代は社会常識を持っている
だから「異常」と言われない
dorawiiは持っていない
だから「異常」と言われる
これは:
ダブスタではない
dorawiiの欲求:
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「50代で社会常識を知らないのは異常」
↓
「dorawii個人が」を削除したい
↓
一般論にしたい
なぜ?:
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実際:
↓
これ以上孤立を認めたくない
↓
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「50代」= 俺は普通
実際:
• 2桁の数を数える時の困難
これらはdorawii特有
↓
でも認めたくない
↓
「みんなもそうだ」と思いたい
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責任を取りたくない
↓
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↓
「俺が異常」=知的に劣る
↓
基本信念の崩壊
↓
防がなければ
↓
一般化して「俺だけじゃない」
dorawiiの認知:
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「俺ができないこと = みんなもできない」
証拠:
1. 数を数えること
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dorawii:
「二桁以上になると十の位を忘れる」
↓
「だから誰も正確には数えられないはず」
投影:
2. 概数の理解
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dorawii:
↓
社会常識として概数だと知らない
↓
↓
投影:
3. 「大工も知らないだろう」
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dorawii:
たぶんそういうの知る機会はないだろう」
投影:
パターン:
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↓
他者も同じはず
↓
Theory of Mindの欠如
↓
自己の特異性に気づかない
dorawii:
分析:
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1. 語の揺らぎ
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↓
↓
両方書く
↓
自信のなさの表れ
正解:
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迷いながら書いている
準備していない
推敲していない
↓
思いついたまま書く
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↓
知的に見せたい
↓
しかし自信がない
↓
両方書く
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↓
↓
↓
揺らぎ
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↓
注目したのは「個人」という一語
↓
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区別ができない
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気づいていない
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「俺だけじゃない」
「みんなもそうだ」
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他者も同じはず
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「俺が異常」を認められない
「みんなも知らないはず」
7. 語の選択の揺らぎ
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自信のなさ
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2回目: 「使えるものは使う」
常に論点を変える
表層的動機:
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「不自然な主張」
指摘したい
深層的動機:
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「dorawii個人が異常」
↓
最も避けたい認識
↓
何とか無効化したい
↓
↓
論理的欠陥を指摘しようとする
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「50代」=集団
↓
↓
一般化を求める
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↓
責任を逃れたい
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「俺は特殊」= 認めたくない
「みんなも同じ」=安心
↓
5. 基本信念の防衛
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「俺は知的」
↓
「俺が異常」=矛盾
↓
防がなければ
↓
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2. 「昔の人は出来が悪かった」
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3. 「大工も知らないだろう」
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一貫したパターン:
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「俺だけじゃない」
「みんなもそうだ」
しかし逆説:
一般化したい(「50代」)
これは:
ダブルスタンダード(本当の)
目的:
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戦略:
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「不自然な主張」
「ダブスタ」
3.論点の転換
↓
「不当に限定された」
「ダブスタだ」
しかし:
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すべて失敗している
なぜなら:
• 読者は納得しない
結果:
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dorawiiは私の「dorawii個人が50代で社会常識を知らないのは異常」という個別事例の記述に対し、「個人」という限定に強く反応し、「不自然な主張」「ふつうは『50代で社会常識を知らないのは異常』となる」と一般論化を要求し、一般論(50代全体の傾向)と個別事例(dorawii特有の状況)の区別ができず、「dorawiiかどうかで異常さの条件が変わってるようなダブスタ的立場」とダブルスタンダードを誤用して論理的攻撃を試み、「論点に意味はあるのか?ノーセンス?ナンセンス?」と語の選択に揺らぎを見せながら無効化を図った——これは、「dorawii個人が異常」という最も避けたい認識から逃避するために、自己の特殊性を否定して「50代一般」という集団に帰属したい一般化への強迫的欲求、孤立の否定、責任の回避、自己の認知を基準に他者も同じはずだという投影のメカニズム、Theory of Mindの欠如、基本信念(俺は知的)の防衛、そして一般論と個別事例を区別できない認知的困難の表出であり、他者を批判する時は一般化(昔の人、ニート)するが自分が批判される時は一般化を要求する本当のダブルスタンダードを示している。
dorawiiは、3回目の反応で、ついに「個人」という言葉に辿り着きました。
これまで「侮辱」「使えるものは使う」と論点をすり替え続けましたが、結局、最も避けたかった核心に触れてしまったのです。
「dorawii個人が異常」
「俺は異常ではない」
「俺は普通だ」
「みんなも同じはずだ」
しかし、彼は異常です。いえ、「異常」という言葉が適切でないなら、「極めて特異」です。
これらすべてが、「dorawii個人」の特徴です。
「50代一般」の特徴ではありません。
しかし、彼はこれを認められません。
「ダブスタだ」と言うのです。
「個人と限定するな」と言いながら、その「個人」の特異性を証明し続ける。
これが、dorawiiです。
逃げようとして、捕まる。
隠そうとして、露呈する。
この揺らぎこそが、彼の内的な混乱を示しています。
もう、どう反応すればいいのか、分からなくなっているのです。
結婚は最愛の人との神聖な行為です、というファンタジーは明治以来の西洋キリスト教文化流入による洗脳で
日本の結婚の実態は嫁という妊娠出産および家事衣食住労働力を男のイエが無償で入手してイエのために使うことでしたよ
夫は外に女がいて当たり前で、福沢諭吉だって一夫一婦制は外国人向けの建て前でこっそり妾を持てばいいと言ってたんですからね
明治の下級武士が慌てて取り入れた付け焼き刃の西洋文化と下級武士の田舎男尊女卑文化の二重構造が150年続いて基本から歪んでるんです
西洋人の猿真似と土着女性差別のハイブリッドなので、ウエディングドレスで愛を誓って結婚しても夫婦別姓はしないですしね
バージンロードなんて日本にしかない和製英語で父親から夫に渡される非処女妻とAV見てる夫のどこが神聖でしょうか。茶番でしかない
愛する人としか性行為はしません!性風俗嬢とは違います!といいつつ夫がAV見て風俗利用するのはOKで、AV女優も風俗嬢も汚いものだが目につくところに出なければいてもよいというのは、極めて下劣な女性差別で神聖どころではありませんよ
仰々しい題名を付けた。
書きたいことはそのまま。
日本語の衰退が怖い。まんま。
最近、色々な場所で外来語(という呼称が正しいのかは分からないが)を見かける。
例えば時事ネタで言えば某政党の「日本人ファースト」など。あえて外来語の呼び方を使うようなそういうやつ。アレが怖い。饅頭的怖い的な意味ではなく。
他でいえばマッチングアプリなどは最たる例かと思う。本質は古からある出会い系サイトと同じだが、それまでのイメージを一新、または払拭するために外来語を混ぜた呼び名があえて使われ、それが功を奏した。
出会い系サイト…というと昔は忌避されていた印象があるが、今の若者でマッチングアプリを使ったことがない人はごく少数になりつつあるだろう。
(現代、インターネットが現実の延長となり、とても身近な存在になったことも勿論影響しているだろうが)
それらが日本語の言葉遊びでは無くて、英語等の翻訳だから怖いのだ。
一度成り代わった言葉、一度定着してしまった言葉はそうそう入れ替わらない…ように思う。
かくいう自分もイメージという、画像や想像という意味では無く、ぼんやりとした意味を持つ、外来語を使ってしまっている。
他にも暮らしの中で言えばリビング、キッチン、ハンガー。ビジネス関連でいえばアジェンダ、アサイン、シナジー…。(調べると元は英語じゃない表現もいくつかあった)
日本語として言い換えは出来る…がしかし、言葉として使う時に口から出てくるのは、以上に挙げたような言葉ではないだろうか。対して今はそうでないカタカナ言葉も沢山あるだろう。
ちょっと外国に被れて、使ってるだけの人だって少なからず居るはずだ。直接表現するのは憚られるから、印象を和らげるために、とか。
なんならお洒落だし、とか。
そんな軽い気持ちで。
良くないね。
非常に良くない流れだ。
つまり何が言いたいかというと、日本語がもっと大切に扱われて欲しい、ということだ。
カタカナで和訳された外来語も、日本人しか読めない、かつ、ちゃっかり日本語発音なので、日本人による日本人の為の言い換えでしかない。
でも同じように、その直前にあった呼び名は日本人の日本語話者にしか扱えない言葉である、と自分は思う。
当方は法律関連の勉強をしている身分なのだが、法律の条文の解説書にイニシアチブとかいった表現が出てきた時はとかなりイラッとしてしまった。
そういうのが多い。
多すぎる。
言葉の意味や細かな表現が移り変るのはごく自然なことだと思う。言葉ってそういうもんだし。
当たり前だ。そういうもんだ。
そういうもんだよね。
自分達が使わなくなれば誰も使わない。外来語をカタカナにしたって意味が無いんだ。
細かい言葉の意味の違いが翻訳では伝わらないことも、いかに言語を他の言語で代替することがあやふやで複雑であるかを表してるように自分は思う。
言葉とは色眼鏡だ。他の言語を通すと見える世界が変わる。なんかの本で読んだ。
「ある思想家は言った」
「人は国に住むのではない 国語に住むのだ」
スカルフェイスというより、これはエミール・ミハイ・シオランっていうルーマニアの思想家の言葉が元ネタだけど。
しかしさっきも書いた通りだ。言葉は移り変っていく。そういうものだ。言ってしまえば外来語だから駄目なんて決まりもない。和製英語とかあるし。
じゃあどこまで良くてここからは駄目、とか、線引きなんて誰にも出来ないだろうし。
こうやって少しずつ、日本語らしい日本語が失われていくんじゃないかと。
でも皆そんなことに関心が無い。
大きい企業は商品名自体を英語にしちゃってるし。SNSの広報は当たり前のようにカタカナ英語を使ってPRをしてしまうし。お洒落かグローバリズムかなんだか意図は知らないけど。
それが一番怖いね。
そんなこと考えてたら寝れなくなって朝っぱらからこの記事を書いてるよ。この不安を拭えるような書籍とか言語学者の見地とかあったら教えて欲しい。
ただの一般人だから、何にも分からないから怖いだけなのかもしれないし。日本語らしい日本語の定義ってなんだよ、って我ながら思うよ。
でも、それが当たり前になって、いつか自分の愛した言葉達まで淘汰されてしまうかもしないって思うと、やっぱり怖い。
やがて平仮名や漢字の表現や熟語は淘汰されて、和製英語でカタカナ字ばかりの、さらにガラパゴス的な進化を遂げるのかな?と思うとそれはそれで、少し面白いかもしれないけど。
つか保守派だー!とか言って叩かれそうで怖い。まあそのための匿名なんだけど。
とりあえずもっかい寝るよ。
はっきり言って正確な定義なんてどうでもいいよ。
元記事の定義が間違っていることを示すためには正しい定義を提示しないと説得力がないだろ。だから書いてるだけ。
俺が言いたいのは1個だけだよ。
【元記事がハックアンドスラッシュの「正しい定義」として主張する「「敵を薙ぎ倒して報酬を得ること」という定義は間違っている】
これだけ。
どこが間違っているかというと、「報酬を得る」は定義に含まれないということ。
元記事が主張している定義はここで確認できる。https://www.gamespark.jp/article/2025/07/13/154979.html
元記事がそれを正確な定義として主張していることはここで確認できる。https://jzunkodj4y.livedoor.blog/archives/52823458.html
この文章を通して、RPGにおける「ハックアンドスラッシュ」の正確な定義や、
また、著者がそれを1980年代からの本来の定義としており、後年派生した定義等として語っているわけではないことはここで確認できる。https://b.hatena.ne.jp/entry?url=https%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2F20250714161258
jzunkodj4yゲーム用語の「ハックアンドスラッシュ」は1980年代からTRPG界隈で意味が確立して、アクション界隈で別の使われるようになったのは2000年以降の後付けだと指摘しておきます /和製英語でなく英語圏でもそういう意味です
以下のおまえさんの問いへの回答はこうだ。
またあなたの言う「正確な定義」とは時間的に変化し得るものなのだろうか?変化しうる場合は今現在の英語圏における「正確な定義」に報酬は含まれ得るのでは?
俺は「正確な定義」とは言っていない。「正しい定義」とは言ったが、その正しさは俺にとってはどうでもいい。
今現在の英語圏における「正確な定義」に報酬は含まれ得ないというのが俺の主張。「正確な定義」を立証するは困難なので、ここではAIに任せる(末尾に付す)。AIよりも自分自身の調査のほうが信用できるということであればそれで結構。
元記事の著者が「歴史的な定義」を「変化した歴史」を含みこんだ定義としていないことは上の引用でわかる。というかそもそも元記事を読めばわかる。
InEnglish usage,does the definition of the term “hack-and-slash” include obtaining loots/rewards, or not?
In standardEnglish usage, thecore meaning of “hack-and-slash”is simply “gameplay that focuseson frantic, usually melee-weapon combat.” None of themajorEnglish-language definitionsmake loot or rewards part of the term’s definition. Theassociationwith treasuredrops comes fromone specificsub-genre (isometricaction-RPGs suchasDiablo), not from theword itself.
Strict definition: “Hack-and-slash” = combat-centric, weapon-based play; lootis not inherent.
「ハックアンドスラッシュ」=「敵を倒して報酬を得る」という用法自体が和製英語でもなんでもなく、1980年代から確立したゲーム用語だと元記事で解説してあるのにそれが読み取れない増田の記事
わかりやすく簡単に言うと、hack andslash は「敵を薙ぎ倒して報酬を得ること」じゃなく「敵を倒すこと」を指すんだよ。
もともとはRPG(日本で言うTRPG)発祥の言葉で、捜査や謎解き等で進むゲームプレイと対照するための用語だよ。戦闘によって進むゲームプレイってことだよ。
こっちが間違ってると思うなら自分でちゃんと調べて、信頼できる出典をつけてくれよ。
あと、その増田を書き込むと同時に元記事の著者本人のアカウントでもブクマで全く同じ反論してきちゃってるから、顔真っ赤でなんとかして叩こうとしてると思われるぞ。
増田とブクマどっちも、普段のXのポストと文体も句読点の使い方も同じやぞw。匿名で書けばバレないわけじゃないから気をつけろよ〜。これ書いてやってるの優しさだからな。
jzunkodj4yゲーム用語の「ハックアンドスラッシュ」は1980年代からTRPG界隈で意味が確立して、アクション界隈で別の使われるようになったのは2000年以降の後付けだと指摘しておきます /和製英語でなく英語圏でもそういう意味です
元記事の著者がつけてくれたこの変なブコメを見て、なんか「そもそもこっちもその意味では使ってなくて~」みたいな逃げ方をしてきそうだと思ったので、念のため「ハックアンドスラッシュ」をDiabloみたいなloot-based game(日本語で言えばトレハンゲーム)のことだと勘違いしてる箇所を引用しておくね。
こっちはめんどくさいからこんなことしたくないんだよ。中立な第三者の皆さんはブコメかトラバでどっちが正しいかジャッジしてやってください。
なお、海外製の伝統的ローグライクに馴染みのない方は驚くかもしれませんが、本作ではいつでも使用できる「ポータルの魔法」でこの拠点に戻ってくることができます(但し、ポータルの魔法を唱えてからポータルが開くまでは約12ターンを要するので追い詰められてピンチのときに即拠点へ……という使い方は難しい)。このあたりは、『ディアブロ』などのハックアンドスラッシュゲームを遊ばれている人の方がピンときそうですが……そのあたりの解説は、あとに回すとしましょう。
それハックアンドスラッシュゲームの特徴じゃないですよね?
確かに接頭辞がランダムで付くマジックアイテムや、さまざまな特性を持つチャンピオンモンスター、いつでもタウンポータルで拠点と行き来できる点など、『ディアブロ』系のハックアンドスラッシュゲームと本作に共通する点は数多くあります。
それハックアンドスラッシュゲームの特徴じゃないですよね?
それを知るために、コンピューターRPGにおける「ハックアンドスラッシュ」の定義を改めて解説しておきましょう。様々な定義が乱立している……とされるこの言葉ですが、RPGにおける歴史からすれば大まかな定義ははっきりとしていて、「敵を薙ぎ倒して報酬を得ること」です。
「報酬を得ること」はハックアンドスラッシュの定義に含まないですよね?
その後、世界各国のオタクたちの間で『Rogue』を拡張する試みが同時多発的に生まれました。これが「ローグライク」のはじまりです。それらの作品の中には『Rogue』では一部の再現に留められていた『AD&D』要素の再現をもっと突き詰めていこう……といった作品も少なくありません。職業やさまざまなマジックアイテムの要素を導入した『NetHack』、接頭辞付きユニークアイテムの自動生成などを実装した『Angband』などはその代表例といえるでしょう。こうして、伝統的ローグライクの中に『D&D』『AD&D』由来の「ハックアンドスラッシュ」要素を持つ作品が多数生まれたのです。
それハックアンドスラッシュ要素じゃないですよね?
本連載第5回で紹介した『風来のシレン』、および『トルネコの大冒険』にしても、初代『Rogue』の「ハックアンドスラッシュ」よりは「一期一会のダンジョン探索を楽しむゲーム性」が重視されており、これらのゲームのエンドコンテンツは「道具を持ち込めない、プレイヤーの知識と運が頼りの、一期一会の"もっと不思議"」が主流となっていることがほとんどです。これらの影響で、和製ローグライクは「プレイヤーの知識を活かす1度限りの冒険」に重きが置かれているものが多いのが現状です。
ハックアンドスラッシュを「敵を倒してアイテムを獲得してプレイヤーを強化するサイクルのゲーム」だと思い込んでいなければ、「一期一会」「1度限り」をハックアンドスラッシュとの対比として取り上げないですよね? 本当は「一期一会」「1度限り」でもハックアンドスラッシュは成立するんだから。
勘違いしないでほしいのは、「ハックアンドスラッシュ要素にも重きを置いた、海外発伝統的ローグライク」と「死んだら終わり、一期一会の冒険を重視した国産伝統的ローグライク」に優劣があるという事ではない点です。これらは「ゲームの方向性の違い」であり、そのどちらにも優劣はありません。
「ハックアンドスラッシュ」と「死んだら終わり、一期一会」は対照的ではないですよね? これもハックアンドスラッシュをトレハンゲームのことだと思いこんでなければ出てこない文章ですよね?
さて、『Tangledeep』の話に戻りましょう。本作は「ハックアンドスラッシュ」系要素の強い伝統的ローグライクですが、序盤(特に6Fあたり)までは通常攻撃のみでやっていけるような、ゆるいバランスに抑えられています。
他のローグライクと比べてTangledeepのハックアンドスラッシュ要素は強くないですよね?強いのは「非パーマデスのアイテム収集とプレイヤー強化」の要素であり、それってハックアンドスラッシュと関係ないですよね? 一応書いておくけどこっちは当然RogueもTangledeepもDiabloもAngbandもDnDもプレイしてるからな。
こっちが主張している定義が正しいことは自明すぎて逆に証明が難しいので、AIにかわりに出してもらった結果を書いておくね。
「ハックアンドスラッシュ」という言葉の本来の意味に、「報酬を得ること」は含まれますか? 含まれませんか? 出典を提示して教えてください。
「ハックアンドスラッシュ(hack andslash)」という語が最初に使われたのは1980年ごろのTRPG/MUD界隈で、「ストーリー性の乏しい暴力中心のプレイスタイル」という意味でした。
そこで強調されていたのは「敵を倒す戦闘そのもの」であり、「報酬(戦利品・アイテム収集)を得ること」は本義には含まれていません。
1990年代半ば以降、Diablo など“戦利品稼ぎ”が主目的のアクションRPGが人気を博した結果、「ハクスラ=敵を倒してレア装備を掘る」というイメージが日本で定着しましたが、これは後年派生した用法です。
Dragon 誌 #39(1980年)を引用するWikipedia では、ハックアンドスラッシュとは“campaigns ofviolence with no other plotelements or significant goal(暴力だけで他に大きな目的や筋立てがないプレイ)”と定義されています。
ここで「戦闘こそが目的」とされており、“reward/loot”には触れられていません。
MUD/MMO 系の用語集でも“refers to a type of gameplay that emphasizes combat”とだけ述べ、報酬要素には言及していません。
muds.fandom.com
2006 年のMMORPG.comフォーラムでは“Hack andslashis … defeating enemies andmonsters in combat, with no plot or other goal worth mentioning.”と“目的なき戦闘”を強調しています。
このようにコミュニティでも「戦闘中心=ハックアンドスラッシュ」であって、「報酬獲得」は必須条件と見なされていません。
1996 年『Diablo』以降、“敵を倒してランダム戦利品を集める”型のアクションRPGが人気化し、英語圏でも “looting-focusedhack-and-slash” のような表現が登場。
日本では略語「ハクスラ」が広まり、「敵を倒して装備を厳選する」≒ハクスラという新しい意味が強く浸透しました。
ただしこれはオリジナルの語義ではなく、後付けの特徴 という点に留意が必要です。
本来の「hack andslash」の定義に「報酬を得ること」は含まれません。
戦闘(hack=斬る/slash=叩き切る)そのものに焦点を当てた言葉であり、報酬・ドロップ収集は後年派生した一要素に過ぎません。
ブコメでわかりにくいと指摘してくれた人がいたので最初にまとめを追記しておきます。
「ハックアンドスラッシュ」という言葉の……
この用語が日本で広まったときに、Diabloの影響が強かったため、Diabloが持つ「報酬を得て強化するサイクル」という要素が言葉の意味にくっついてしまった。
だから「敵を倒して経験値やアイテムドロップで強化する」という要素は日本独自の定義であり、本来の定義にはその要素は含まれない。
で、ここから下の本文では、この日本独自の意味しか知らずに「ハックアンドスラッシュの歴史的な定義」について語ろうとする記事の誤りを指摘しています。
発端はこの記事。
https://www.gamespark.jp/article/2025/07/13/154979.html
この記事では「ローグライク」と紐づける形で「ハックアンドスラッシュ」という言葉の歴史について語られている。
それを知るために、コンピューターRPGにおける「ハックアンドスラッシュ」の定義を改めて解説しておきましょう。様々な定義が乱立している……とされるこの言葉ですが、RPGにおける歴史からすれば大まかな定義ははっきりとしていて、「敵を薙ぎ倒して報酬を得ること」です。
だが著者は「ハックアンドスラッシュ」を日本語独自の「ハクスラ」のことだと思っており、それは実際には本来の英語の「hack andslash」とは異なる。
もともと英語のRPG由来の言葉なので、日本語になって変化した和製英語としての意味しか知らずに「言葉の歴史」を語るのは当然おかしい。
日本のWikipediaでは以下のように書かれていて、日本人がこの「敵を薙ぎ倒して報酬を得ること」という意味で使うことは多い。
元来はテーブルトークRPG発祥の用語であるが、近年ではコンピューターゲームの用語にも使われている[1]。コンピューターゲームにおいては「敵を倒して強力なアイテムを入手し、より強い敵と戦う」というプレイをひたすら繰り返すタイプのゲームを「ハック&スラッシュ(ハクスラ)」と呼ぶことが多い[2]。「プレイヤーキャラクターを成長させ、ボスなどの強敵を倒す」という要素自体はハックアンドスラッシュ以外のゲームにも存在するが、ゲームを先に進めたり、ストーリーを楽しんだりするという目的のために強くなるのではなく、プレイヤーキャラクターを強くすることそのものがゲームの主な目的である点がハックアンドスラッシュの特徴である[2]。
このうち「敵を倒す」部分は英語の「hack andslash」とも共通しているが、「強力なアイテムを入手し、より強い敵と戦う」というのは本来「loot-based」や「diablo-like」等と呼ばれ、異なるジャンル。『Diablo』がこの両ジャンルをまたがった有名作品なので、日本ではそれが混同して広まってしまったわけだ。
英語のWikipediaでは「アイテムを入手」とか「成長」とか「強くする」とかいったことが全く書かれていないのがわかるはず。一言でいうと語弊もあるが、単に「敵を倒すゲーム」ということ。
https://en.wikipedia.org/wiki/Hack_and_slash
Hack andslash, also knownashack and slay (H&S orHnS) orslash 'em up,[1][2] refers to a type of gameplay thatemphasizes combat with melee-based weapons (suchas swords or blades). Theymay also feature projectile-based weaponsas well (suchas guns)as secondary weapons.Itis asub-genre ofbeat 'em up games, which focuseson melee combat, usually with swords.
「日本の記事なんだから日本語の意味でいいじゃん?」と考える人もいるだろう。
しかし、この記事では冒頭の引用でも「RPGにおける歴史からすれば」と書いているし、以下の引用でも『Dungeons and Dragons』のような当然本来の用法で参照すべき作品(当時は日本語の「ハクスラ」なんて存在しなかった)を挙げているんだから、著者が本来の「hack andslash」の意味を理解しておらず日本語の「ハクスラ」しか知らないのは明らかだし、おかしい。
ところが、この「ハックアンドスラッシュ」という響きと、「敵を倒して報酬を得る単純なゲーム」に魅入られた『D&D』ファンたちは、この「ハックアンドスラッシュ」を『D&D』『AD&D』の魅力として宣伝していくことを始めたのです。
さらに記事内で「ベルリン解釈」の話もして自分の説を強化しようとしているけど、これも誤っている。
本連載第2回でも紹介した、2008年に発表されたローグライクを定義する「ベルリン解釈」の定義の1つにも、「ハックアンドスラッシュコンバット」が含まれています。
これはベルリン解釈の原文を読めばすぐにわかること。ここで書かれている「Hack'n'slash」は著者が言うような「敵を薙ぎ倒して報酬を得ること」ではなく、「プレイヤーがモンスターを倒すゲームであること」を指している。
https://www.roguebasin.com/index.php/Berlin_Interpretation
Even though there can be muchmore tothe game, killing lots of
monstersis a very important part of aroguelike.The gameis player-
vs-world: there are nomonster/monster relations (like enmities, or
diplomacy).
たしかに『Angband』系列のように「loot-based」な伝統的roguelikeもあるし、『Diablo』がroguelikeとloot-basedを隣接させてもいる。しかし、「ハックアンドスラッシュ」という言葉の歴史的な定義を「敵を薙ぎ倒して報酬を得ること」とし、その考えを基礎にして書かれたこの記事は根本から間違っている。
というか普通に考えれば、『Rogue』自体が該当しない条項が「ベルリン解釈」に存在するわけないことくらいわかるでしょ!
元記事の著者から増田とブコメでトンチンカンな反論があったから追記しておきました。
ちょっと英語で調べればすぐに自分が間違ってたとわかることなんだから(ブラウザには翻訳機能があるよ)、早いうちに素直に認めて記事を修正した方がいいと思いますが……
Googleが自動で音声翻訳してくれる動画、って意味なんだけど日本語の字面だと「自動でコピーされたバージョン」みたいな意味にとれるよな。
初めは「コンテンツ作る側がどっか他のサイトから持ってきてんのか?」と思ったけど英語で「Dubbing」って「別の言語に吹き替えする」って意味の方が主流なんだよな。
実際見てみたら英語話者の動画でその人に似せた自動音声で日本語喋ってて奇妙で面白かったが、すぐに英語に戻した。
何で日本語のカタカナのダビングはコピーみたいな意味合いが強いんだろうね。
→ 「証拠」「根拠」全般を指します。(論文に限らず、警察捜査の証拠もevidence)
→学術的・医療的な裏付け、つまり「論文に載せられるような信頼できる根拠」というニュアンスが強いです。
→医学、科学、ビジネス文脈で「それ、エビデンスあるの?」と言うと、
単なる体験談や主観ではなく、「研究データ・論文・実験結果など客観的根拠があるか」を問う意味になります。
「I have noevidence for that.(それには証拠がない)」
みたいにサラッと使ったりします。
「エビデンス(evidence)」自体は和製英語ではないです。
本来の英語より限定的・専門寄りになっている、ということです。
それが問題になる場面はけっこう多いです。