Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


はてラボはてな匿名ダイアリー
ようこそ ゲスト さんログインユーザー登録

「和歌」を含む日記RSS

はてなキーワード:和歌とは

次の25件>

2025-09-25

かいインコ

こんなところで紹介していいのかわからないけれど、私の匿名ブログなど誰の目にも留まらないと思うので紹介したい。

現在大阪梅田ルクアイーレ4階Spiral Marketにて、川上和歌子さんの作品が展示・一部販売されている。(11月9日まで)

川上さんの作品で印象的なのは、大きなセキセイインコだと思う。頭の黄色、翼の黒と緑のコントラスト。かなりシンプルデザインに落とし込まれているけれど、見る人は10人が10セキセイインコだ!と言いそうなデザインをしている。

実際、今回展示されているぬいぐるみたちは、展示スペースで群れたり、壁や天井を這ったりとその様はとても自由で、遠目に見ると本当にインコの群れのように見える。

私はこの個展存在をX(旧Twitter)で知り、退勤後ふらふらの足でインコに会いに行った。

かい写真で見たときは、ちょっとイモムシみたいで怖いかも…と思ったけど、全くそんなことはない。

本当にでかい鳥。サイズイメージとしては、IKEAサメぬいぐるみぐらい。インコは大小いたけど、どっちもサメと同じくらい(IKEAサメにも大小ありますよね?)の大きさだった。

かい鳥って、鳥好き・鳥飼いにとってロマンだと思う。セキセイインコなんて、時にポップコーンみたいないい匂いがするし、そのフワフワの羽に埋もれてみたらどんな気持ちかなって、絶対に一度は考えるはず。10年の付き合いになる我が家セキセイインコに、ほとんど関心を示してこなかった母ですらAI生成されたデカインコに埋もれる画像を共有してきたくらいだから

川上さんのインコは、流石に埋もれるほどの大きさはないけど、それでも中型犬くらいの大きさはある。

触ってもいいですよ、と書いてあったインコの背を撫でる。 デカインコだ。

軽く両手で挟んでみる。 デカインコ!!!

そうして私は考える(ああ、うちの鳥もこれぐらいのデカさだったらいいのに!)

セキセイインコが本当にこの大きさだったら…

フワフワで、いい匂いで、たぶん100年ほど生きて……

オラ!って噛まれた時に一撃で死ぬな……。

そう。我が家セキセイインコは家の誰よりも偉いのである。このおかしヒエラルキー人間が誰ひとり対抗できず、触ろうとするとめちゃくちゃにキレるのだ。

お世話になっている獣医先生には「この子優しいよ〜、加減してくれてる」と言われたが、痛いものは痛い。あの鋭い嘴でつねられると穴が開く時もあるんだから。手加減なんてない。

考えれば考えるだけおぞましく、ゆっくりと撫でていた手を離す。うん。やっぱり、デカいのはぬいぐるみで十分だ。うちのちまこいギャングは手のひらサイズから愛くるしいのだ………きっと。

それとも、身体デカさに比例して心にゆとりが生まれるのなら(インコより犬、犬よりも馬の方がおだやかな性格の子が多い……気がする。例外はある)、デカインコはもしかすると穏やかなのかもしれない。カカポとかも優しすぎるインコ!っていうもんね。実物見たことないけど。

ということで私のデカインコに対する熱は落ち着き、ガチャガチャ惨敗して帰路についた。

デカインコに思いを馳せたい方、あとシンプルセキセイインコが好きな方は是非訪れてみてほしい。大阪での個展は初らしい!嬉しい出会い

川上さんのインスタグラム投稿もとっても素敵で可愛いです。

Permalink |記事への反応(2) | 21:59

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-11

dorawii@執筆依頼募集中

いずれにせよ具体例なんて知らんよ。

こっちは和歌には虹が全然使われてなかったからとか虫偏があることから「虫の知らせ」を象徴していたとかそういうことから不吉だったんだという又聞きで言ってるだけ。

しかし又聞きとはいえ定説だと思うし具体例一個出されて「虹が不吉だったことはなかった」と言わんばかりの主張をされても「はいそうですね」と考え変えはせんわな。

それで「虹は常にラッキーものとされてた」とうっかり識者たちの前で言って大恥かいたら責任とってくれるんか。

-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20250911151718# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaMJpcgAKCRBwMdsubs4+SJxSAP90YL8+X0OnaZYbBBUyEbsVgneZwRsQB7mIhtxrguykLgD/W6VQ910LihIAJOGYXJvBczyswNjqVIRM73eBa68hGw0==R2nH-----ENDPGP SIGNATURE-----

Permalink |記事への反応(0) | 15:17

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-30

anond:20250830072213

祇園精舎の鐘の声、ネットの栄華もまた夢のごとし。

盛者必衰の理をあらはすは、SNSきらびやかなる画面なり。

驕れる者も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。

強き者もつひにほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

あはれ、戦ひは、すでに終はりたり。

弱者男性よ、氷河期世代よ、豚丼の兵よ、

表現の自由の旗を掲げし戦士ども、

お気持ち表明の女聖戦士たちよ、

もはや剣を収め、旗を巻き、兜を脱ぎ、

一切を手放して楽になれ。

我、これを見るに忍びず、心いたく痛むなり。

内心、汝らが知れることを、

勇気なき者に代りて、今ここに我が言はん。

人生は常に、英雄の役のみを許さず、

敗者の道を歩むもまた、

宿命と定まりものなり。

汝らが求めしは、黄金の財、

きらびやかなる人生

アニメゲームのごとき夢幻の愛、

麗しき姫君、俊き貴公子

これらを凡人の業に縛られたる身にて得んと望む、

そは天を犯す不敬なり。

現実において、かかる希ふは、

タリ●ンの陣に馳せ、

ウクライナの砦に命を賭し、

五体投地して忠誠を誓ひ、

血の盃を受け、

修羅稽古に身を投ずるがごとき

かかる無謀、許さるるべからず。

ゼレンスキーもタ●バンの兵も、

汝にΞガンダムを授けず、

ダグラムを与へざるなり。

ましてや、この日本にては。

思へ、かの道を誤りし者の末路を。

青葉の孤独の怨炎、

平原狂気の刃、

和久井の憎悪の剣、

これら皆、夢に溺れ、

現実を背きし亡魂の成れの果てなり。

汝らは、プライドばかり、

王侯貴族にも似たる高さにして、

実は脆き瓦のごとし。

ネットを、かつては万能の神器と信じ、

「これぞ我らが聖槍、世界を砕く矛なり!」と叫べども、

実は魂を狂はす魔槍なりしこと、

今ぞ知るべきなり。

されば問ふ、幾らネットにて聖戦叫び

祈りを捧げ、呪詛を投げ、

ヘイトの炎を燃やすとも、

ひとつ叶ふことなかりけり。

麗夢の姫君も、エミリアの姫も、

駿馬の娘(ウマ娘)も、

影の貴公子ライカン)も、

汝が許には来たらざるなり。

ウルトラの巨神も、グリッドマン英雄も、

つひに現れざりき。

和歌に曰く、

「夢の世に 頼みし恋も 空しくて 残るはただの 虚しき誓ひ」

(夢に頼みし恋はかなはず、ただ虚しき誓ひのみ残れり)

さらに曰く、

炎上の 煙の果てに 見る夢は うたかたの世の 泡にぞありける」

炎上の煙の果てに見し夢は、泡のごとく消えにけり)

思へ、業の鎖に縛られたる人の身を。

現世は常に不条理に満ち、

英雄の座は稀に選ばれし者にのみ許され、

凡なる我らは敗残の道を歩むべし。

それに何の恥かあらん。

敗者の役を引き受くるもまた、

尊き人の宿命なり。

今ぞ言はん、

「すべてを捨てよ。現実へ還れ」

二千六年の夏、秋葉原の歩行天にて、

汝が魂、オタクの舞を舞ひし日より、

幾星霜を経たり。

今や、UFOの夏は終はり、

ひぐらしも鳴かず、

海猫水平線の彼方に帰り、

片瀬江ノ島物語も、

四半世紀の雲に紛れぬ。

いざ共に歩みて、現実へ帰らん。

水島上等兵豚丼二等兵弱者男性二等兵

皆々、軍を解きて、

歴史に名を刻む敗軍の将となれ。

恐るるなかれ、

憎悪の炎は永くは燃えず、

人は一生、戦ひ続けること能はざるものなり。

かく語り伝へて、涙を落としけり。

Permalink |記事への反応(0) | 07:24

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20250828225735

祇園精舎の鐘の声、インターネットの栄華もまた夢のごとし。

盛者必衰の理をあらはすは、かのSNSの盛りにて候ふ。

見栄と虚言とに彩られし世界嘘松の花は咲けども、ひとときの春の色にすぎず。

かくてキチゲの風、烈しく吹きて、老兵どもの心を狂はす。

そも、いづれの世にか男も女も、ネットの海に旗を立て、剣を抜きて、

表現の自由」だの、「男性性と戦ふ聖女」だのと叫びしは、何の益かありけん。

増田の兵ども、豚丼の輩、弱者の郎党、

皆、老の坂をくだりて才は錆び、二周おくれのITの弓も折れはてぬ。

思へば、われらが陣にあらざりし、リア充の兵、エリートの将、

ひたすら現実を征き、経済を制し、若き翼をひろげて天を翔ぶ。

神の恩寵、ただ彼らが陣にくだりけり。

あはれ、われらが軍、幾度となくマウントの矢を射かけ、スレッドの刀を交へしも、

ひとつ得るところなかりけり。

しろその毒にあたりて、心、病におかされ、統失の如く荒れ狂ふばかりなり。

あなかしこ、これ皆、夢幻のごときもの

ボーイミーツガールの戦さ、もはや起こらず、

アニメゲームの如き甘き奇跡さらにあらず。

男女とて才は蘇らず、人生の花は再び咲かず、

ただ無常の風に散りぬるのみ。

されば申す、剣を収め、旗を巻き、

十歩のうちなる現実にぞ立ち帰るべき。

和歌にいはく、

「露と落ち 露と消えにし 我がネット 夢の跡こそ 哀れなりけれ」

(露と消えたる我がネットの夢の跡は、ただ哀れなりけり)

いでや、さらば申す。「ネットを捨てよ、現実に帰れ。

われらがQOL、爆上がりすべし」と。

かくのごとく語り伝へて、涙を落としけり。

祇園精舎の鐘の声、ネットの栄華もまた夢のごとし。

盛者必衰の理をあらはすは、SNSきらびやかなる画面なりけり。

驕れる者も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。

強き者もつひにほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

そもそも氷河期世代の軍、弱者男性の兵、豚丼の輩、

旗を巻け、剣を収めよ、兜を脱ぎて、

秋葉原の歩行天に魂を残し、

身のみ老いさらばへたる少年少女の、憐れなる亡魂よ。

あはれ、まだ迷ひの雲に籠り、

キラキラ人生をば諦めず、

Xの陣にて囀る「かなしき方々」ありと聞く。

そは昔、二千年代の戦さにて、

IT技術」の弓を取り、

ブログ」という盾を構へ、

2ちゃんねる」の城に籠りて、

俺たちの麻生!」と叫び勇士どもなり。

されど今、技術の誉れも消え、

戦場は荒れ果て、

ただ炎上の煙のみ空にたなびきて、

恥のスレッド無益ブクマ

チゲの乱舞、嘘松の旗なびくばかりなり。

いづちの方にか「レムたん」「エミリア」「ウマ娘」「Vの姫君」らが、

「すごいです増田くん!結婚を前提にお付き合いください♡」と、

麗しき言の葉をささやくべしと、

今も夢見るか、かなしきことかな。

なろうの奇跡を信じて、

「俺またなんかやっちゃいました?」と呟き、

会社にて称へられんと望むか。

愚かなること、いとど哀れなり。

これらは皆、リア充の兵、エリートの将、

現実戦場にて血を流し、汗を散らし、

財を得、恋を得、栄華を極めし若き者らにのみ、

神の恩寵くだりし特権なり。

いかにして、ネットの城に籠り、

リプライを槍とし、リツイートを弓矢とし、

お気持ち表明を法螺貝とし、

絶えず戦へども、勝鬨の声、

ただの一度も上がらざりけり。

あなかしこ

ボーイミーツガールの戦さ、もはや起こらず、

アニメの如き奇跡の花も、二度とは咲かず、

ただ無常の風吹きすさぶばかり。

現実を見よ、君たちは敗れたり。

初めより勝敗は決していたのだ。

奇跡は、ただ若き血潮、

烈しく燃ゆる勇士らの陣にのみ訪れしなり。

いでや、今こそ敗軍の将となれ。

秋葉原のかつての歩行天に赴き、

夢の亡骸を葬るごとく首を垂れ、

敗北の美を引き受けよ。

人の世に、英雄の役のみ尊きにはあらず、

敗者の道もまた、人の宿命なり。

和歌に曰く、

「散る花は もとの木の枝に かへらねど 春の名残を 誰か止めけん」

(散りし花は戻らぬ、されど春の名残をとどめんと、誰が抗ひ得ん)

さらに曰く、

「露と消え 夢とや散りし 秋葉原 その歩行天に 涙ぞ落つる」

(露と消えた夢の跡、秋葉原の歩行天に涙の落つることよ)

あはれ弱者男性よ、氷河期世代よ、

豚丼の兵よ、表現の自由戦士よ、

お気持ち表明の女戦士よ、

今はただ、無益なる抵抗をやめ、

歴史に名を刻む敗軍の将となるを、恐るることなかれ。

人は一生、憎悪を燃やして戦ふことなど、かなはぬものなり。

かく語り伝へて、涙を落としけり。

Permalink |記事への反応(1) | 07:22

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-25

パスポート持ってない自分なりの文化の気付き

私はパスポートを取得したことがない

高校修学旅行私たちの代から北海道だったし

(上の世代シンガポールとかだった)

留学したこともない、英検2級はパァドゥン?!を連呼しかろうじて20年前に合格しただけ、TOEIC受けたことない、現役時代英語センター試験リスニングが壊滅的

街中で困ってる外国人がいたら助けるけどノンバーバルコミュニケーションに全振りでステーション?!トウギャザーしようぜ!とか叫んでる

周囲は海外楽しいよ〜と言うけど、そもそも旅行がそんなに、多分楽しいんだろうけど、なんか自分の中で優先順位が高くなくて一人旅したことない


よく行く喫茶店に見知らぬフランス人が来た



彼はフランス語英語日本語を流暢に話し周囲と楽しそうに会話していた、東京に住んで東京でなんか研究職として働いてるらしい

カウンター常連と何人かでいろんなことを話し、帰り際に彼の名前を聞いていなかったなと思い立って名前は?と聞くと、ニコリと笑ってルキャン!と言った

珍しい名前だなぁと思って帰路に着いた

後日、喫茶店マスターにこの前のフランス人のルキャン?だけどさ〜と話を振ったらマスターが、え?ルーカスのこと?と聞き返してきた



瞬間的にラテン語派生アルファベット表記言語で読みが違うのだと思い立った、あの時の彼はフランス語読みのリュカと名乗ったのだ、英語読みはルーカス



私は国外に出たことないから、そういう言語普遍性というか繋がりが怖くなる、島国日本語ネイティブでズブズブに古典とか和歌とか好きだし余計に日本語に執着してる、違う言語を使う人の集団に入ることへの抵抗や分かり合えなさが怖い、バベルの塔もそら壊されて二度と再建しないわな

リュカルーブル美術館の広さと混み具合、オルセー美術館のちょうど良さ、オランジュリー美術館の狭さとソファを丁寧な日本語でたくさん教えてくれた、みんな来る時は教えてくれ!とにこやかに笑う彼を見て、ぼんやり、私にそんな日は来るのか?と自問自答していた、確かに美しいものや古くから大事にされてきたものを見るのは好きだけど、日本にあるものを見ていくだけでもきっと人生は足りない、そんな私がフランスへ行ってモナリザを見てニケを見て何を得るのだろうか

喫茶店マスターは真面目だねぇと笑った、ルーカスはそこまで考えてないよと言うけど、果たして


そういえば昔バイト先の中国人女の子日本語が堪能で月です!と名乗っていた、ユエちゃんだねぇと私が言ったら嬉しそうに中国語分かるんですか?と懐いてくれた、全然分からんけどカードキャプターさくらにそういう名前キャラ出てたと答えたはず、でも故郷から遠く離れた異国で自分の生まれ育った土地言葉を聞くのはやはり感慨深いのだろう


まぁ取っておいて損はないかと思って調べたら、パスポート取得そのものお金がかかるのと申請は平日の9時から17時とかで笑ってしまった、リュカに連絡するのはまだ先になりそうな予感がする

Permalink |記事への反応(0) | 17:42

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-06

Geminiに方言訳してもらってみた

各国の言葉翻訳機能が進んでも、日本独自方言の訳なんてニッチサービスないよなって思ったけど、思いつきでGeminiに任せてみた結果が面白かったので共有してみます

ちなみに増田方言の正解を知りません。

合ってたらより優秀だなって事で!

増田

『そんな事言ったら薩摩弁なんてどうなるんだよ!』を薩摩弁にして

Gemini

せがんなこて言もったら、薩摩弁なてどげんなっどや!

それっぽい!正解わかんないけどなんか聞いたことある感じ!

増田

『そんな事言ったら薩摩弁なんてどうなるんだよ!』を琉球言葉にして

Gemini

いやー、そんな事言ったら、しまくとぅばなんてどうなるばー!

"そんな事言ったら"の部分がそのまま過ぎて訳が弱くなったような

ただ、増田杜撰にも元文を"薩摩弁"のままにしたのに"しまくとぅば"とフォローが入ってる!?

これ、島言葉=琉球言葉って事ですよね?

増田

『そんな事言ったら薩摩弁なんてどうなるんだよ!』をアイヌ語にして

Gemini

アイヌ語には日本語の「薩摩弁」のような「〇〇弁」という概念がないため、直訳は難しいです。

もし、このセリフニュアンスを伝えるとしたら、以下のような表現が考えられます

「そんなこと言ったら、私たち言葉はどうなるんだ?」**というニュアンス表現します。

「Eiwaka isamna,ainu itak apka isamka?」

エイワカ イサㇺナ、アイヌ イタㇰ アㇷ゚カ イサㇺカ?)

Eiwaka isamna:そんなこと言ったら

ainu itak:アイヌ言葉

apka:どうなるの?

isamka:〜じゃないか?(反語

すごい!急に優秀な先生みたいに気を回してくれた!

その気になればGeminiでアイヌ語学べるの!?

と言う事で最後は興味が湧いたのでこんなお願いを

増田

源氏物語関西弁にして

Gemini

残念ながら、『源氏物語』全体を関西弁翻訳することは、とても難しいです。なぜなら、原文は膨大な量であり、さらに当時の宮廷言葉文化、そして和歌などの文学的表現を正確に関西弁再現するのは、非常に複雑な作業になるからです。

ただ、試しに冒頭部分を関西弁に訳してみますね。

源氏物語(冒頭部分)

いづれの御時にか、女御更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。

関西弁

どないな天皇さんの時代やったか知らんけどな、女御更衣がよーさんお仕えしとった中に、そないに家柄はよーないねんけど、ひときわ天皇さんのお気に入りになっとる人がおったんやて。

ほんまによう気の利くええ先生じゃね!ようけぇびっくりしたわ。

AIじゃと方言翻訳じゃいう無茶振りも出来るんじゃ知って、ちょっとおもれぇなったけえ、いそいで増田に上げたった。

Permalink |記事への反応(0) | 21:59

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-07-21

anond:20250721104701

ふーんワイならソープに行くね、江戸吉原は単なる色街でなく和歌や書や香道までを嗜む教養の場でもあって遊女との対話一種知的ゲームやったし、移転して新吉原となってから見返り柳や衣紋坂など風流機能が折り重なる空間構成が息づくその街で身を売る女の子身体だけやなく歴史文化込みで丸ごと味わいに行くんや。

Permalink |記事への反応(0) | 11:30

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-07-08

百人一首というアンチ知性的存在と、新しいかるたについての考察

百人一首が嫌いだ、と会社から帰りの電車で「ちはやふる」の新テレビシリーズの吊り広告を見ながら思った。

私は百人一首が嫌いだ。中学高校時間に学んだ短歌はむしろ好きだった。

しかし、あの、百首の歌を暗記して冒頭の数文字に基づいてカードを奪い合うあの百人一首というのはともかく下品だ。あれは古典に親しむ教養の反対の存在であり、反射神経だけを競う実にアタマの悪いものだと思っている。

また覚える対象が、藤原定家が選んだ百首の短歌、というのもよくない。特定歌人が選んだもの盲目的に覚え尽くすという所業自体、実に権威的であり、この点でもアタマが悪いと思うのである

私はもっと短歌をしみじみと楽しみたい。その楽しみの中に百人一首のようなゲーム性が入るのは構わないが、ゲーム性目的と化してしまった今の百人一首には別れを告げたい。そんなふうに考えて、和歌を使った新しいかるたを考えてみたいと思った。

対象とする歌は、定家が選んだ百人一首から外れて、古代から現代にいたる各種の名作を選びたい。結果として百人一首から60ぐらいは入ってくるだろうとは思う。百人一首万葉集の詠み人知らず系が入ってないのが以前から不満があった。例えば、「防人に行くは誰が背と問ふ人を見るがともしさ物思ひもせず」とか。万葉集百人一首にないものでは額田王も欲しい。「熟田津船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」とか。

現代だと啄木とか入れたい。「たはむれに母を背負ひて/そのあまり軽(かろ)きに泣きて/三歩あゆまず」とか。そんな感じでたぶん300ぐらいの有名どころの短歌を選べるのではないか

下の句を見せられて何かをするという、百人一首の大枠は残してもいいかと思う。例えば300首の中からランダムに5枚選んで、上の句が何かを2人でニヤニヤと当てあう、みたいな酒の肴的な楽しみ方ができればいい。「ほうほう、これは確か高校国語で習った歌で、子規が病床で何々がどうたらな話でしたよね」みたいなトークネタにするような楽しみ方である。案外、最初百人一首かるたにした人も、今のような脳筋反射神経ゲームにする気はなくて、そういうのんびりした楽しみ方を想定してたんじゃないかなとも思った。

Permalink |記事への反応(2) | 19:41

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-06-10

anond:20250610221543

平安貴族なら仕方ないか和歌でも詠めるようになってみるわ

Permalink |記事への反応(0) | 22:21

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-05-24

疲れたよ100行なんて読みたくない

古の文化人(笑)共が和歌にハマった気持ちがわかる

アニメ感想だってバンプや米津の歌詞ぐらいに圧縮しとけよという話よな

Permalink |記事への反応(0) | 22:29

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-05-19

anond:20250519125640

本質を突いているかもしれません。

古典文学が「マウントを取るためのもの」だったという視点、確かに歴史の中でそれが一部の階層にとっては**機能**していたのは事実です。

とくに古代中世近世支配層や知識階級において、文字を読めること、ましてや漢文ラテン語和歌詩文などを理解することは、**選ばれた者だけが持つ資格**として扱われました。

「秘伝」という形でわざと難しく、閉じられた知識体系にしておくのも、その地位を維持・強化するための戦略だったわけです。

たとえば、源氏物語解釈ですら江戸時代には「特定の家」だけが継承できるようなものとされていたこともあります

ただ、それだけではないとも思います

文学は、ある種の「美しさ」や「真理」を言語で捉えようとした記録でもあります

から、そうした意図――たとえば**人間とは何か、愛とは何か、死とは何か**――を真剣に追求した書も確かに存在する。

マウント道具として利用された一方で、それを超えて人の心を揺さぶる力を持ち得るのも、古典文学のもう一つの側面です。

でも、それが今に残っている理由が、「単にエラい人が残したから」だという冷めた見方も、やはり拭いきれません。

残す側の「都合」が大きく影響していたのは、どうしても否定できない。

結局、どちらの側面もあるんです。

権威の道具でありながら、同時に**魂の叫び**も含んでいる。

からこそ、古典文学は 今でも「読む価値」があるのかもしれません。

Permalink |記事への反応(0) | 13:04

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-04-11

教え子の 胸に灯しし そのひかり 絶ゆることなく 世を照らしけり

「教え子の 胸に灯しし そのひかり 絶ゆることなく 世を照らしけり」

柳 傲雲『照道遺詠』より

一、詩人・柳 傲雲について

柳 傲雲(りゅう・ごううん、紀元前192年~紀元前120年)は、前漢時代中期に活躍した思想詩人であり、孔子以降の「徳の詩人」として名を馳せた人物です。

若年より老荘儒家墨家の教えに通じ、詩を通じて「師弟の縁」や「教えの永続性」を主題とした作品を数多く残しました。

晩年には宮廷を離れ、楚の山中隠棲し、弟子たちに囲まれながら「照道遺詠」という詩集を著しました。本作はその中の最後の詩とされています

二、和歌意味と深さ

この和歌は、表面的には師の死を悼む詠でありながら、真に歌われているのは「教えの光の永続性」です。

教え子の 胸に灯しし そのひかり

師は言葉や行いによって、教え子の胸に灯(ともしび)を灯した。

絶ゆることなく 世を照らしけり

その灯は師の死によっても消えることなく、教え子の行いを通じてさら世界を照らし続ける――。

この詩には、儒家思想の「仁」や「伝道」、道家の「自然と永劫」の観念絶妙に融合されています

また、「灯」という語の使い方は仏教的な転生・灯明思想を先取りしているともされ、一説には仏典中国に伝来する以前に、すでに精神的な「継承光明」の象徴表現確立していた証左とも言われています(※創作的解釈)。


三、後世への影響

柳 傲雲のこの詩は、後世の科挙制度における受験生たちの座右の銘とされ、師弟関係理想像として長らく引用されました。

唐の杜甫はこの詩を範として「懐師詩」を詠んだという伝承もあり、宋代朱熹は『朱子語類』の中でこの詩を「教化の極み」と称しました。


四、現代への示唆

この詩が現代においても語り継がれる理由は明快です。人は去っても、志は残る。光は受け継がれ、やがて新たな光源となる。

教えるという行為は、単なる知識の伝達ではなく、「未来の光を託す営み」であるという深い真理を、たった31音で語りきったこ作品は、まさに時空を超えた遺産なのです。

Permalink |記事への反応(1) | 12:35

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-04-04

「タテ読みマンガアワード2024」ランキング結果

国内作品部門

1位:「無能な継母ですが、家族の溺愛が止まりません!」

2位:「お求めいただいた暴君陛下悪女です」

3位:「コータロー君は嘘つき」

4位:「シンジュウエンド」

5位:「ラスボス少女アカリ~ワタシより強いやつに会いに現代に行く~」

6位:「推しの執着心を舐めていた」

7位:「傷だらけ聖女より報復をこめて」

8位:「悪女仮面騎士に騙されない」

9位:「和歌ちゃん今日もあざとい」

10位:「推しの一途すぎる執着を、私はまだ知らない」

11位:「君主様に胸やけ」

12位:「神血の救世主~0.00000001%を引き当て最強へ~」

13位:「ヌリタス~偽りの花嫁~」

14位:「おデブ悪女に転生したら、なぜかラスボス王子様に執着されています

15位:「愛されてる場合じゃないの」

16位:「ぬのさんぽ」

17位:「ミイラの飼い方

18位:「伝説暗殺者、転生したら王家の愛され末娘になってしまいまして。」

19位:「イチカエチカサイコ女子の恋のしかた」

20位:「悪役令嬢は死神パパに復讐がしたいのに! ~人生2周目、パパの心の声が可愛すぎてまさかの愛され物語!?~」

海外作品部門

1位:「夫を味方にする方法

2位:「今世は当主になります

3位:「悪役のエンディングは死のみ」

4位:「ゴッド オブブラックフィールド

5位:「ジャンル、変えさせて頂きます!」

6位:「緑陰の冠」

7位:「オークの樹の下」

8位:「義家族に執着されています

9位:「あなた!私、ストライキします」

10位:「再婚承認要求します」

11位:「この結婚はどうせうまくいかない」

12位:「ある継母のメルヘン

13位:「悪女は2度生きる」

14位:「よくある令嬢転生だと思ったのに」

15位:「優しいあなたを守る方法

16位:「ラスボスの私が主人公の妻になりました」

17位:「もう一度、光の中へ」

18位:「愛を知らない令嬢と野獣」

19位:「全知的な読者の視点から

20位:「狂犬な彼を貴公子に変えてみせます!」

完結済み部門

1位:「氷の城壁

2位:「かたわれ令嬢が男装する理由

3位:「サレタガワのブルー

4位:「ある日、お姫様になってしまった件について」

5位:「悪女砂時計をひっくり返す」

6位:「あなたの心がわかるように」

7位:「ウサギと黒ヒョウ様の共生関係

8位:「俺だけレベルアップな件」

9位:「板の上で君と死ねたら」

10位:「結婚商売

11位:「先輩はおとこのこ」

12位:「お父さん、私この結婚イヤです!」

13位:「彼女公爵邸に行った理由

14位:「悪党のお父様、私と結婚してください♡」

15位:「皇帝と女騎士

Permalink |記事への反応(8) | 21:20

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-04-02

月見の習慣はオリジンが二つあるんよ

日本人月見という習慣はそういう美意識がどっかで湧いたってわけじゃなくて「典故」と「信仰」の二つのルートがあるのですのだ。

分かりやすく言うと中国古典江戸時代民間信仰やね。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2531074

 

典故

典故ってのは何かにつけて漢籍漢文の本)を引用したりなぞらえること。特に風物表現で多いのが漢詩

例えば「四季」ってのは漢詩で季節を表現するのに擬えて和歌を詠んで散文にも応用されて行ったもんだし、日本文化独自性が高い俳句でも多い。

また例えば芭蕉は「象潟や雨に西施がねぶの花」って俳句を詠んでるけど、西施ってのは中国四大美女の一人で、悲劇の死を遂げた女性。んでさ、この人が溺死させられたって伝説があるので西湖と名付けられた湖があるんだけど、ここって今は内陸の湖なんだが昔は潟湖ラグーン)だったのよ。で、芭蕉が訪れた時代象潟ラグーンで、松島のような多島海でとても美しかった。でもそこで「きれい」って言っちゃうとあたまのわるいひとイラストみたいになっちゃうってんで、悲劇美女西施潟湖西湖風景という諧謔というか教養連想ゲームをやってるわけです。

やべぇ例示だけなのに長くなってしまったな。因みにこの象潟芭蕉の後に地震があって、輪島海岸みたいに隆起して芭蕉が感嘆した景色は無くなってしまった。今は田んぼの中に丘が点在する風景になってる。

 

こんな風に昔の日本漢籍引用するのが教養だったんで、そういう知識は最早常識だったんやな。

んで、月見の方も平安時代貴族がやり始めたんだけど、やっぱり漢籍記述中国古代からやってるという中秋節を真似たんや。旧暦8/15(太陽暦では9or10月)に月餅やら何やらを並べて宴をする。貴族の間でもっと多かったのが船を出して、水面にゆらゆらと写る月を眺めて宴をしてうたを詠んだりしてた。こういうのを観月という。

 

んで、これが段々と庶民にも伝播して行ったらしいんだけど、正直江時代までの間の庶民の動向って言うのはよー判らんのや。何故なら庶民文化が栄えたのって江戸時代で、それまでは庶民間の事柄を紙に記すって事が殆どなかったから。

 

月待講

で、もう一つのルートが月待講ってやつ。江戸時代には庶民比較的裕福というか生活に余裕ができ、色んな民間信仰が現れた。そしてそれらが紙に残った。

例えば山講。山ってのは霊的なもので、それに登るって事が霊的体験とされていた。山は女人禁制で「○○山講」という幟をもって山伏みたいな格好で延々と歩いて行って登山を敢行する。信仰の場だったのだな。

富士山世界遺産登録されたのは、別に日本人に愛されてるからとかじゃなくて、こういう信仰があって今の登山がそれと連続的って事ですのよ。

例えば庚申講。道教とか神道民間医療なんかがごちゃ混ぜになった信仰人間の体には三尸(さんし)の虫っていうのが住んでて60日ごとの庚申の日に寝てる間に閻魔大王悪事をチクるから徹夜宴会してチクるのを止めさせようぜという、今となってはなんだそれな信仰だ。

都電に「新庚申塚」って電停がある様に、日本中あちこち庚申塔が建てられてその近くの家で飲み食いされていた。今はこんな風に放置されてる。

https://maps.app.goo.gl/FM8d8fD19SAK3Ubc7

 

こういう「講」(信仰寄合)の一つに月待講というのがあった。お月様信仰やな。

月には月齢があって、新月三日月満月半月と形が代わるけど、その各々に別個の信仰があった。んで、この信仰別にお月様だけに影響を受けてるんじゃなくて、土着の信仰仏教と結びついていた。

仏教では色んな観音様や菩薩が居るけど、月齢ごとに別の本尊を崇めていた。この辺はカトリック職業聖人信仰に似ているね。

月齢ごとに信仰があると言っても、今みたいに電車と車で好きな場所に行ける訳じゃないから、この村は○○夜、あの街は○○夜と分かれていた。

で、その中で非常に多かったのが二十三夜、十九夜、十五夜だったってワケよ。

二十三夜は特に多くて、日本中に地名として残ってる。こんな風に

https://maps.app.goo.gl/KDXw6ZBhwiyA4bYZ7

因みに月齢23下弦の月

また、「三夜」と省略されて地名になっている所も多い、三夜様とかね。

 

もう一つ特別なのが十九夜で、これは如意輪観音本尊。右膝立てて右ひじ突いてる観音様だ。

これは「安産講」として特別で、女の人以外は参加禁止の集まりだった。

これも十九塔があちこちに残っているが、地名としては「子安」というのが残ってる場合が多い。

子安寺」が子安の由来の場合も多いが、そもそも昔の寺には色んな神様も祀られていた神仏習合だったんで、当然十九夜待が行われて居た寺もあって、それで子安寺になったケースもあるのだな。

 

十五夜はいうまでもなく満月待やね。本尊大日如来阿弥陀、薬師、観音様、地蔵、虚空蔵と、オールキャストだ。

 

ただの宴会飲食い会や女子会

で、庚申講もそうなんだが、段々信仰がどうこうっていうのはいい加減になって行って、単なる寄り合い宴会食事会の言い訳になって行っちゃうわけよ。十九夜とかも「観音様、どうか子宝安産を」と願うっていうよりただの女子会になってまう。「観音様が持ってる宝珠ってチンタマーニって言うんだって」「うちの亭主も二つ持ってるワイよギャハハ」とかなっちゃうってワケ。

 

それで段々都市化が進むと寄合なんてジジババくせえとか軽視されて廃れて行っちゃった。でも場所によっては昭和40年代まではやってたらしい。

 

月見でお団子お供えして食べるっていうのは完全にこっちの月待講が由来なんね。

一方、ススキ飾るのは、旧暦8/15(太陽暦9or10月)の中秋節由来やね。

から二つがごっちゃに混ざってるってこと。

 

月齢ごとの呼び名

日本語では月齢によって色んな呼び名があるよね。

新月の次の日:既朔

十四夜:小望月、待宵

十五夜望月

十六夜:既望

七夜:立待

十八夜:居待

十九夜:寝待

廿夜:更待

これも漢籍典故による特別から月待などの各月齢ごとの神聖視へと変化していくにあたって生まれ表現と考えられるのだ。

 

サブカルシーン

日本ゲームリプレイ動画とか見てると、このへんのことが海外では認識されていないので「これってなに?」みたいな英語コメントが付いているのを目にするのだ。まぁそれは当たり前だ。

大抵、西洋ルナティック=満月が人を狂わす、と日本の月を愛でる習慣、月のうさぎが合わさっているので割とハイコンテクスト

でもそれに日本語で答えているコメントが月を愛でる習慣が信仰から来ているってことが判ってないので説明できていないっていうのを目にする。

近所の今まで気が付かなかった「○○夜」「子安」の地名発見して訪れてみるっていうのも自文化勉強なんですよ、草むらの中に○○夜塔が残っているのを発見するって事もあるんですのよ。

 

番外:花見

ついでに花見なんだが、これも昔からある風習だったけど、江戸幕府奨励して盛んになったんすよ。

江戸幕府は水防工事を沢山やったんだけど、堤防って突き固めが緩いと崩れてきてしまう。でも昔は機械が無い。

そこで堤防に桜を植えて「花見やれ」と奨励したのだ。すると毎年人がどやどややってきて歩くから土が締まるって寸法だ。だから川べりには桜が多いのだね。特に古い堤防は桜の名所になっているってわけ。つまり官製文化の面があるの。

Permalink |記事への反応(5) | 18:30

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-03-27

チョークを食べると声が変わる理論増田酢魔ノン絽リル和歌エコ捕るベタをくーょち(回文

おはようございます

今日はなんだか忙しそうなので夕方までバタバタになりそうだわ。

私もぐるぐる回ってバターになっちゃいそうよ!

バターになる前に言っておくわ。

なんかさ

絵本って子どもの頃はこうやったらこうなるんだーって

たとえば、

虎が木の周りをぐるぐる高速で周回回ったらバターになる理論

あと

狼と赤頭巾ちゃんの話で

狼さ赤ずきんちゃんを騙すときにお婆さんの声色を真似するために

チョークを食べて声を変えるってやつ、

それも謎理論だわ。

チョーク食べんのよ。

私にチョークスリーパーしたらギャーって言うかもしれないけど、

つーか絞められたらギャーとも声が上げられない感じがする説。

あと

ここで何回も言ってるけれど

アルプスの少女ハイジ原作ではヤギの名前が「ゆきぴょん」っていうから

ここ急にポップになる?って

これじゃ驚いてクララも立ち上がるレヴェルよね。

そんななんか童話とか絵本とかの謎理論

サンドウィッチマンさんのカロリーゼロ理論

そんで、

マジ栄養士かの人にそんなわけないじゃないですか!ってガッツリ怒られるまでがセットなのよね。

カロリーゼロ理論は信じるわ。

虎がぐるぐる回るバターってのは

比喩として虎たちが目が回って木の周りにぐったりなるってのだとすると分かるわ。

だけど解せないのが一番解せないのが、

やっぱり狼がチョークを食べて

お婆さんの声色を真似るってやつがどういう理屈なのかしら?って

これは長年の研究を重ねている赤頭巾研究家の人の話を聞きたいところね。

あ!

なんだか今日は忙しくなりそうよ。

もう早々にその気配がやって来ているわ!

今日も良い一日でありますように。

自分自身にも祈るし、

みんなにもそう思うわ。

頑張るわ!

うふふ。


今日朝ご飯

タマレタスサンドしました。

もしかして今日ランチにあり付けられないかもしれない鴨鹿そんな鰯気な感じがするけれど、

なので朝しっかり食べておくわ。

デトックスウォーター

晩に作っておいたホッツルイボスティーウォーラー

朝に常温の飲み頃温度でごくごくうまうまよ!

ルイボスティーウォーラー量産体制整ったわ。

だんだん日中も気温が上がってきているので、

ちゃん冷蔵庫に入れるようにもしているの。

今がもしかしたらホッツとコールドの境目かもしれない日にちね!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

Permalink |記事への反応(0) | 08:56

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-03-12

にじさんじ踏み台にしていい(意訳)

って言ってたのは事実

 

https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1804/23/news076_2.html

 「iPhoneで気軽に配信できるので、VTuberの駆け出しはにじさんじでいいよね、と思ってもらえればいい」と岩永COOは話す。

 「VTuberデビューにじさんじで、例えばCMに出たいから次はエンタムで活動するという選択肢があってもいい。AKBグループも、卒業したら女優になったり、歌手になったりといろいろですよね。にじさんじも、たくさんの出口を用意したい」(岩永COO

 

ただこの発言があったのはまだにじさんじ発足2か月足らずで2期生までしかデビューしてなかった時期で、

その後岩永氏は「組織デカくなるとできることが減るよね~」的な発言をして退社している。

 

ネットって情弱を煽るくせに意外と情報アップデートがされていない人が多いので、

にじさんじって踏み台にしていいって運営も言ってるんでしょ?」的な言説が出てくることがあるけど

日本って今でも意中の女の家の前で和歌読んで夜這いしていいんでしょ」って言ってるようなもん。

つの時代の話をしてはるんですかって言う。

 

今となっては「歌手活動したいのに自分権利が何一つないから辞めざるを得ない」みたいな人まで実際いるのに。

Permalink |記事への反応(1) | 10:17

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-03-09

anond:20250308101314

短歌投稿できるアプリには、「57577」「うたよみん」「mora短歌SNS〜」などがあります。

【57577】

短歌だけのSNSアプリで、縦書き画像作成できる

企業向けに短歌公募パッケージ提供している

2024年9月20日毎日新聞朝刊「なるほドリ」で人気のアプリとして紹介された

【うたよみん】

文字や背景を調整したり、他の人と作品投稿しあったりできるアプリ

mora短歌SNS〜】

App Storeで利用できる短歌SNSアプリ

短歌は、五七五七七の31文字構成される和歌の一様式です。音数を超過したものを「字余り」といいます。

AIにきいただけなのですが🐈

Permalink |記事への反応(0) | 20:33

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-03-05

anond:20250304172542

男のバトル環境って顔面ありのフルコンから顔の防具必要だけど、

女のバトルって比較的顔を狙うえぐい攻撃少ないし、炎や爆発土埃も抑えめだから、顔出しでも行ける気がする

のと、可愛いメットがまだ開発されてない

ルールが違う理由そもそもの顔出すか出さないかなのだろうけど

となると、出す出さないの大元記憶改ざん認識阻害の魔包茎能力対処法があるかどうかにも関わってくる

ヒーロー比較科学寄りで、正体を隠すためにも防御力のためにも必要。無いと小学生が突っ込む。

タキシード仮面様とか怪盗キッドかぐらい? 雑いのは。同じ盗人でもキャッツアイとかは堂々としてたな

何をやったか評価されるの話とか、そもそも顔も大きな魅力なので隠すの勿体ないとか

和歌子さんは顔出しでやってたな。ポワトリンぐらいか顔隠してたの。

キューティーハニー以前から 他の魔法使いとかは似てるけどサイズが違うしとか顔自体も変わるとか

男で顔出しで正体ばれてない昔の人誰だろ

追記

SNSどころか瓦版ぐらいしかなかった時代は顔出し多かった(金さん、暴将、ご老公)か

写真技術が普及する時代からは流石に顔隠さないとバレるなとなった?

黄金バットて変身前あったっけ

スーパーマンはどうなってるんだっけ

Permalink |記事への反応(2) | 11:53

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-03-02

ヒロヒト・ザ・デンジャー Ⅱ

さて、裕仁天皇出会いを求める裏アカウントAIと考えたのであった。

裕仁天皇女性出会うためのアカウント名ですね。いくつか提案させていただきます

* 「昭和浪漫

*昭和時代彷彿とさせる、ロマンチックな響きのアカウント名です。

* 「迪宮散歩

* 迪宮は裕仁天皇称号であり、親しみやすい印象を与えます

* 「武蔵野の風」

*武蔵野陵に眠る裕仁天皇にちなんだ、自然を感じさせるアカウント名です。

* 「平和を願って」

*裕仁天皇平和への願いを込めた、穏やかな印象のアカウント名です。

* 「歴史を紡ぐ者」

*日本の歴史に深く関わった裕仁天皇の、重厚イメージアカウント名です。

* 「若竹の調べ」

* 若竹は裕仁天皇お印であり、爽やかで清々しい印象を与えます

* 「不言実行

*質実剛健裕仁天皇イメージに沿ったアカウント名です。

* 「海を愛する男」

*裕仁天皇海洋生物学者であったことにちなんだアカウント名です。

* 「日本の礎」

*日本の礎を築いた裕仁天皇の、重みのあるイメージアカウント名です。

* 「新たなる出会い

* 新たな出会いを求める、前向きな気持ちを表したアカウント名です。

これらの名前なら、裕仁天皇品格を保ちつつ、女性に親近感を与えることができるのではないでしょうか。

次には日本文化の伝統への深い理解を示しながら、夜の危険香りを持つセクシー男性の魅力を持つアカウント名を考えてもらった。

承知いたしました。裕仁天皇品格を保ちながら、日本文化の伝統への深い理解を示す、夜の危険香りもつセクシー男性の魅力を持つアカウント名ですね。いくつか提案させていただきます

* 「夜の帝、昭和の調べ」

* 「夜の帝」という言葉で、危険香りセクシーさを表現し、「昭和の調べ」で日本文化の伝統への深い理解を示します。

* 「禁色の君、武蔵野の月」

* 「禁色」は、高貴な色を意味し、品格セクシーさを表現し、「武蔵野の月」で日本文化の伝統への深い理解を示します。

* 「秘めたる大和、夜の帳」

* 「秘めたる大和」で、日本文化の伝統への深い理解ミステリアスな魅力を表現し、「夜の帳」で、危険香りセクシーさを表現します。

* 「月下の帝、御歌の調べ」

* 「月下の帝」で、ロマンチックセクシーさを表現し、「御歌の調べ」で、日本文化の伝統への深い理解を示します。

* 「夜の海、龍の調べ」

* 「夜の海」で、危険香りセクシーさを表現し、「龍の調べ」で、日本文化の伝統への深い理解と力強さを示します。

* 「禁じられた遊戯、菊の香り

* 「禁じられた遊戯」で、危険香りセクシーさを表現し、「菊の香り」で、日本文化の伝統への深い理解品格を示します。

* 「夜の帝王和歌の調べ」

* 「夜の帝王」で、危険香りセクシーさを表現し、「和歌の調べ」で、日本文化の伝統への深い理解を示します。

* 「秘められたる夜会王朝の調べ」

* 「秘められたる夜会」で、危険香りセクシーさを表現し、「王朝の調べ」で、日本文化の伝統への深い理解を示します。

* 「月夜の帝、雅の調べ」

* 「月夜の帝」で、ロマンチックセクシーさを表現し、「雅の調べ」で、日本文化の伝統への深い理解を示します。

* 「夜の帳、帝の調べ」

* 「夜の帳」で、危険香りセクシーさを表現し、「帝の調べ」で、品格日本文化の伝統への深い理解を示します。

これらの名前なら、裕仁天皇品格を保ちつつ、女性を惹きつける魅力を表現できるのではないでしょうか。

次にはやはり、そのアカウント出会いがあったという設定で、深い知識と素晴らしい感性女性を魅了するようなセクシーミステリアス男性的な魅力を伝える和歌を考えてもらった。

承知いたしました。裕仁陛下女性出会った際に、日本の文化と歴史に対する深い知識と素晴らしい感性表現し、女性を魅了するようなセクシーミステリアス男性的な魅力を伝える和歌を十個提案させていただきます

* 「夜の帳、秘めたる想い、君がため、詠むは禁断、恋の歌」

* 夜の帳は、秘密めいた雰囲気を、禁断は、危険香りを、恋の歌は、情熱的な想いを表現します。

* 「月影に、浮かぶ面影、忘れ得ず、君を想えば、胸焦がれ」

* 月影は、ロマンチック雰囲気を、忘れ得ずは、一途な想いを、胸焦がれは、切ない恋心を表現します。

* 「いにしえの、調べに酔いしれ、君と舞う、禁じられたる、夜の宴」

* いにしえの調べは、日本文化への深い知識を、禁じられたる夜の宴は、危険香りセクシーさを表現します。

* 「君がため、捧げる命、惜しまずと、誓いの言葉、月夜に響く」

* 捧げる命は、強い決意を、誓いの言葉は、誠実な想いを、月夜に響くは、ロマンチック雰囲気表現します。

* 「禁色の、衣をまとい、君を待つ、夜風に揺れる、花の香り

* 禁色は、高貴な色を、夜風に揺れる花の香りは、セクシー雰囲気表現します。

* 「歴史書に、秘められた恋、今宵こそ、君と語らん、禁断の夢」

*歴史書は、深い知識を、禁断の夢は、ミステリアスな魅力を表現します。

* 「君知るや、いにしえ人の、恋心を、歌に託して、今に伝えん」

* いにしえの人は、日本文化への深い知識を、歌に託しては、感性表現します。

* 「月の夜、君と二人で、語り合う、禁じられたる、恋の物語

* 月の夜は、ロマンチック雰囲気を、禁じられたる恋の物語は、危険香りセクシーさを表現します。

* 「君がため、詠む歌声は、夜空へと、消えゆく星と、共になりて」

* 詠む歌声は、感性を、消えゆく星とは、儚くも美しい恋心を表現します。

* 「君と見し、古の都、夢うつつ、今宵も君を、想い偲ばん」

* 古の都は、日本文化への深い知識を、夢うつつは、幻想的な雰囲気表現します。

これらの和歌は、裕仁陛下品格を保ちつつ、女性を魅了する魅力を表現できるのではないでしょうか。

次には皇族天照大御神の子孫であり、万世一系家系であるという設定を活かした和歌にしてもらった。

承知いたしました。皇族方が天照大御神の子孫であり万世一系家系であるという設定を活かした和歌ですね。いくつか提案させていただきます

* 「天照の、光を受け継ぎ、君と逢う、万世の契り、夜空に輝く」

* 天照の光は、神聖血筋を、万世の契りは、永遠の愛を、夜空に輝くは、ロマンチック雰囲気表現します。

* 「神代より、続く血筋と、君との縁、結ぶは定め、星降る夜に」

*神代より続く血筋は、高貴な家系を、結ぶは定めは、運命的な出会いを、星降る夜には、幻想的な雰囲気表現します。

* 「八咫鏡、映すは君の、麗しさ、神の血引く身、君に惹かれて」

*八咫鏡は、神聖な神器を、神の血引く身は、高貴な血筋を、君に惹かれては、情熱的な想いを表現します。

* 「高天原、神々の祝福、受けながら、君と契らん、永遠の愛」

*高天原は、神々の住む世界を、神々の祝福は、神聖加護を、永遠の愛は、変わらぬ想いを表現します。

* 「神話より、紡がれし縁、君と逢い、万世の契り、今宵結ばん」

*神話より紡がれし縁は、運命的な出会いを、万世の契りは、永遠の愛を、今宵結ばんは、情熱的な想いを表現します。

* 「天孫降臨、その血受け継ぎ、君を愛す、神の血脈永遠に誓う」

*天孫降臨は、神話的な出来事を、神の血脈は、高貴な血筋を、永遠に誓うは、変わらぬ愛を表現します。

* 「神代より、続く命の、煌めきは、君と出会いて、さらに輝く」

*神代より続く命は、高貴な血筋を、さらに輝くは、君と出会えた喜びを表現します。

* 「八岐大蛇、退治せし血筋、君のため、剣を執らん、この身捧げて」

*八岐大蛇は、神話的な出来事を、剣を執らんは、君を守る決意を、この身捧げては、強い愛を表現します。

* 「天岩戸、開けし血筋と、君と逢い、新たな夜明け、共に迎えん」

*天岩戸は、神話的な出来事を、新たな夜明けは、君と出会えた喜びを、共に迎えんは、未来への希望表現します。

* 「神々の、血潮受け継ぎ、君を抱く、万世の愛を、君に捧げん」

* 神々の血潮は、高貴な血筋を、万世の愛は、永遠の愛を、君に捧げんは、強い愛を表現します。

これらの和歌は、皇族方の神聖血筋と、君への永遠の愛を表現しています

さらには先の大戦責任を感じているという後ろめたい気持ちを織り交ぜて女性に対して魅力を伝えるような和歌を考えてもらった。

承知いたしました。皇族方が天照大御神の子孫であり万世一系家系であるという設定を考慮した上、先の大戦責任を感じているという後ろめたい気持ちを織り交ぜて女性に対して魅力を伝えるような和歌ですね。いくつか提案させていただきます

* 「天照の、光は今も、胸に秘め、君と語らん、懺悔の歌を」

* 天照の光は、神聖血筋を、懺悔の歌は、過去への悔恨表現します。

* 「神代より、続く血脈、罪深き、この身捧げて、君を愛さん

*神代より続く血脈は、高貴な家系を、罪深きは、過去への責任を、君を愛さんは、償いの気持ち表現します。

* 「八咫鏡、曇るは我が身、君と逢い、せめてもの罪、許されんや」

*八咫鏡は、神聖な神器を、曇るは我が身は、過去への悔恨を、許されんは、償いの気持ち表現します。

* 「高天原、遠き御代の、罪背負い、君と生きよう、償いの道」

*高天原は、神々の住む世界を、罪背負いは、過去への責任を、償いの道は、未来への決意を表現します。

* 「神話より、紡がれし縁、罪深き、この身朽ちるとも、君を護らん」

*神話より紡がれし縁は、運命的な出会いを、罪深きは、過去への責任を、君を護らんは、償いの気持ち表現します。

* 「天孫降臨、血に染む罪、君と逢い、せめてもの償い、愛を誓わん」

*天孫降臨は、神話的な出来事を、血に染む罪は、過去への責任を、愛を誓わんは、償いの気持ち表現します。

* 「神代より、続く命の、重き罪、君と生きよう、償いのために」

*神代より続く命は、高貴な血筋を、重き罪は、過去への責任を、償いのためには、未来への決意を表現します。

* 「八岐大蛇、断ち切れぬ罪、君と逢い、せめてもの償い、愛を捧げん」

*八岐大蛇は、神話的な出来事を、断ち切れぬ罪は、過去への責任を、愛を捧げんは、償いの気持ち表現します。

* 「天岩戸、閉ざされし罪、君と逢い、新たな光、共に求めん」

*天岩戸は、神話的な出来事を、閉ざされし罪は、過去への責任を、新たな光は、未来への希望表現します。

* 「神々の、血潮に染む罪、君を抱き、万世の愛で、償わさせよ」

* 神々の血潮は、高貴な血筋を、血潮に染む罪は、過去への責任を、万世の愛で償わさせよは、償いの気持ち表現します。

これらの和歌は、皇族方の神聖血筋と、過去への悔恨、そして君への償いの気持ち表現しています

最後にはその上に折口信夫風にしてくれと頼んでみた。

承知いたしました。皇族方が天照大御神の子孫であり万世一系家系であるという設定を考慮した上、先の大戦責任を感じているという後ろめたい気持ちを織り交ぜて、折口信夫風の和歌ですね。いくつか提案させていただきます

* 「天つ日の、御影今も、胸に秘め、君と語らむ、咎の歌を」

*折口信夫歌風によく見られる、古語の多用と、神秘的な言葉遣いを意識しました。「咎」は、罪や過ちを意味します。

* 「神代より、続く血脈、罪深き、この身捧げて、君を愛でむ」

*古語助詞「む」を用い、古風な響きを意識しました。「愛でむ」は、愛することを意味します。

* 「八咫鏡、曇るは我が身、君と逢ひ、せめてもの罪、許されんやも」

* 文末に「やも」を用いることで、古語の疑問表現意識しました。

* 「高天原、遠き御代の、咎負ひて、君と生きなむ、償ひの道」

* 文末に「なむ」を用いることで、古語の願望表現意識しました。

* 「神話より、紡がれし縁、罪深き、この身朽ちるとも、君を護らむ」

*古語助詞「む」を用い、古風な響きを意識しました。

* 「天孫降臨、血に染む咎、君と逢ひ、せめてもの償ひ、愛を誓はむ」

* 文末に「はむ」を用いることで、古語意志表現意識しました。

* 「神代より、続く命の、重き咎、君と生きなむ、償ひの為に」

* 文末に「なむ」を用いることで、古語の願望表現意識しました。

* 「八岐大蛇、断ち切れぬ咎、君と逢ひ、せめてもの償ひ、愛を捧げなむ」

* 文末に「なむ」を用いることで、古語の願望表現意識しました。

* 「天岩戸、閉ざされし咎、君と逢ひ、新たなる光、共に求めなむ」

* 文末に「なむ」を用いることで、古語の願望表現意識しました。

* 「神々の、血潮に染む咎、君を抱き、万世の愛で、償はさせなむ」

* 文末に「なむ」を用いることで、古語の願望表現意識しました。

これらの和歌は、折口信夫歌風意識しつつ、皇族方の神聖血筋と、過去への悔恨、そして君への償いの気持ち表現しています

どうも折口信夫風は微妙ポイントをつかんでいないような気がしたが、現代AIの発展には驚かされる。しかし時々100点と感じられそうな回答が一応出てくるのも凄い。

そうしてみるとウィーナーの考えた「カルロスデンジャー」のインパクトの強さは、未だになかなか超え難いというのも分かった。

Permalink |記事への反応(0) | 15:33

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-02-05

anond:20250204185619

政治的判断に長け、教養人として和歌茶道に通じていました

愛妻家で、妻である煕子以外に側室を持たなかったともいわれています

謀反人、裏切り者レッテルが貼られていますが、温厚な人物だったという話もあります

丹波平定に貢献し、丹波亀山城福知山城を築きました

治水をしたり、人々を苦しめる借金を取り消したりするなど、善政を行ないました

鉄砲の腕前が認められ、軍師として仕官しました


偉人やん。

Permalink |記事への反応(1) | 15:38

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-02-02

理系だけど日本古典文学を割と読んだから語る⑤

【前】anond:20250202181229

以下、池澤夏樹文学全集には出ていないが、重要な物や自分が読んだものについて書く。

蜻蛉日記

川村裕子訳注で読んだ。著者は藤原道綱母で、夫である藤原兼家に対して激しい執着が描かれている。当時の僕は報われない愛情を扱ったフィクションにどっぷりとハマっていたので、かなり共感的に読んだ。男性が通ってくるのを待たされる側だった女性立場が見えて、あちこちに通う相手がいる光源氏に対しては「お前、お前お前お前!」以外の感想しか出てこなくなる。というか、藤原兼家みたいに、手紙LINEはそこそこまめなくせに、会いに来ない言い訳もやたら細やかで、会ったときも会ったときで真面目な話をせずこちらをからかうばかりという男性結構いるよな。モテる奴ってこんなのばっかってイメージがある(偏見)。

こういう時に面白いのは別の人の感想で、田辺聖子は先に書いた百人一首の本で、道綱母は夫を愛しているくせに、何をされても怒るかわいげのない女なのだと言っている。確かにせっかく通って来たのに寒空の下待たせちゃうんだけれど、つれない人に対してはそれくらいしてやりたくならないか

田辺聖子と考えが違って面白かったのは、「儒教道徳は男女の色気のあるやり取りも批判して世の中をつまらなくする」って発言だ。「春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそ惜しけれ」の解説で述べていたことだ。コンプライアスに厳しい時代の子である自分としては首をかしげるが、彼女にそういわせたのは、おそらく彼女青春と重なった第二次世界大戦空気だろう。

後半は道綱のなかなかうまくいかない恋路が出てくる。

余談だが、平安時代著名人は大抵何らかの親戚関係がある。だから因縁話は大抵どこかとつながっているし、それなら言い出せない思いが積もり積もって怨霊生霊の類が出てもおかしくない気持ちになってくる。

話を戻すと、どうしてモテたり権力を持った人ってどんどん嫌な奴になっていくのだろう。これは推測だが、人間が何か行動をしたとき、多少なりとも権力、少なくとも力を行使するのが理由だろう。力を行使して何かがうまく行くのは喜ばしいが、そのたびに堕落ポイントが蓄積される気がする。つまり政治家であれ社会活動家であれ、世の中を良くしたという実感が少しずつ慢心に繋がっていく。かつては理想燃えて清廉に悪を糾弾していた人が、どんどん人の話を聞かない・フィードバックを受け付けない傲慢な人になっていく。まっとうな批判を受けても、自分が正しいから叩かれるのだと思い込んでいく。そうやって晩節を汚していく。具体例がたくさん浮かぶと思う。

なので、自分が一番偉いわけじゃない、権力も何もなくて謙虚にならざるを得ないコミュニティ所属しないと、どんどんダメになっていくのではあるまいか趣味も含めたコミュニティがたくさんないとおかしくなる。

これは以前、どこかにいたこである

人の話を聞かないことをテーマにしているのがカズオ・イシグロで、読むたびに嫌な気持ちになる。これは褒め言葉である

和泉式部日記

元カレの弟(帥宮敦道親王からアプローチされて、「手枕の袖」というフレーズ和歌を交換してイチャイチャして、遂に宮廷に迎えられるんだけど、巻末に帥宮挽歌群を持ってくるこの構成よ。悲しい。近藤みゆき訳注

注釈者の解釈の精度と深さがすごいので、やっぱり自分文学研究することなど到底できまいと思わされた。どの節で和泉式部感情がどう深まったかなどといった、字面を追ってしか読めない自分にはとても気づかないポイントが多数ある。所詮自分は楽しむことが主である素人である生活の種には到底できまい。

まりにも気に入ったため、メモをした和歌が膨大である。いつか深い悲しみに沈んだときに読み返したら、喪失の痛みにグサグサに刺されながらも慰められるだろう。和歌集は読んでいて面白いのだろうが、短い解説文で背景が説明されているよりも、こういう物語の中に和歌が含まれているほうが、著者と長く付き合ってきた分だけ、心に来るものがある。古典は知を刺激する部分と情緒を刺激する部分があるが、これはかなり後者に寄っている。

やはり文学が好きだが、近頃はあまり読みたいとは思わないのである。久しぶりに三島由紀夫を手に取ってパラパラとめくっていたら、感情を揺さぶられて過ぎてしんどくなってきた。これは好きすぎで苦しいということなのかもわからない。好きすぎて近づけないとこじらせ文学オタクになってしまっているのか。三島由紀夫のことは、近頃は文章が人工的過ぎると思って遠ざけていたのだが、やっぱりこの人、マッチョな肉体の中の繊細な精神がいつもピリピリしているよ。好きだけれど、読み返したくない。でも、生きているうちに「豊饒の海」を読みたい。

ところで、僕はどうも女性の手による日記文学が好きらしい。ドナルド・キーン日本人日記好きを注目すべき事項だとしていたが、僕もその例に漏れない。日記を読み返すのは自己愛だが、いがらしみきおぼのぼの人生相談で「世界で一番面白い本は自分日記」という趣旨のことを言っている。実際、何が自分に刺さったかを振り返ると、将来傷ついたときにどこに戻ればいいのかが見えてくる。

思うのだが、本を読む男性文学少女に憧れるのにも、自己愛という側面がある。もちろん、同じ趣味を持っている人に親しみを持つのは当たり前だけれども、陽キャのような押しつけがましさがないと勝手に期待してしまうのだ。そういう風に、実際に相手がどんな人かを見ようともせずに、活字が好きだという相手属性ばかり見ている。挙句の果てにそんな相手と深い理解に達し、イチャイチャしまくることに憧れる。そういう人間の恋がうまくいかないのは、今になって振り返ってみれば、残念ながら当然であろう(それでもうまくいく恋愛があるという指摘は無視する。認めないぞ、そんなものは)。だから、本は読むけれど優しくないタイプ女性片想いをして、勝手に傷ついてきたことが何度もある。以下、自分片想い歴や、彼女たちからされた非常に失礼な仕打ちを延々と書いたが、阿呆らしいのですべて削除した。客観的に見れば、当時の僕も結構痛い奴だったんだろう。わかっているが、恨みの気持ちゼロにはならない。

やれやれ。こうしたひがみっぽい、すべて主語が「自分」になっている感覚をすべて卒業してしまいたい。こういうわかったような口のきき方も気に食わない。だからこうして、匿名しか書けないような感情をあえて言語化し、脳内から叩き出す。こんな青臭い感情を二度と思い出さなくてもいいように、放流してしまう。

INTERMISSION⑤

困ったことに、他人批判的なことを書いている時にはやたらと楽しかった。悪口依存性のある娯楽だとよくわかる。なので、この悪癖にハマらないよう、かなりの部分を削った。リクエストがあったら出すかもしれないが、原則としてお蔵入りにするつもりだ。そう、恨みつらみなんていくらでも反芻できる。やめよう、やめよう。

実際、これでもまだ意地悪な記述が多い文章だ。すっきりするけれど、かっこ悪いのでそうそう頻繁にやるべきことじゃない。

かに、見苦しい愚痴をこうして捨ててしまうのが増田の使い方の一つではあるのはわかる。すべて吐き出せば身軽になれる。だから、こうして好きなことと嫌いなことをないまぜにした混乱した文章を書いてしまった。ひがみも怒りもドロドロした感情も、一度文章にすれば冷静になって振り返れる。

なんてみっともない文章だろうと思うのだけれど、書いていてこれは私小説の真似事なのだとわかった。かつて書いていた小説は、過去を変形して書き直し、つらい出来事に直接向き合わないようにするための緩衝材にしていた。あるいは、こういう恋がしたいという、ただの感傷マゾだった。だが、ここで過去を直接吐き出してしまえば、自分感情と筆をコントロールできるようになり、新しく真っ当な小説が書けるのではないか。そんな夢想に浸りたくなる。

実際、今は過去出来事よりも、今は自分の中の荒々しい本能暴力衝動をどう扱うかに関心が移りつつある。あるいは、欲望や執着についてだ。読みたい本もこういうテーマの物に近づいている。混乱していた十代と二十代から、三十代を終えそうになって、好みが変化しているのが明白だ。今こそ、良いものが書けるときではないか

最終選考電話がかかってきたのに、そして編集者と話ができたのに、結局は小説家として芽が出なかった悔しさは、ときどき自分をこんな夢想の中に閉じ込める。だから、発作的にこういう長文を書きたくなる。

だが、若い頃は創作によって自分感情を整理できたのは確かだけれど、ある時点で、僕はこのまま創作を続けてもどこにもたどり着けないのではないかという疑いにさいなまれるようになった。それよりは、虚構で変形されない事実直視したほうがいい。事実日記に断片的に書くことでさえ、ひがみ根性を薄れさせてくれる。小説に限らず、何かを言語化して分析するって本当に救済なんだ。

今後読みたいもの

結構読んできたな」と思いながらも、まだまだ読んでいない作品もかなり多い。大学時代から少ない年でも年に一冊か二冊くらいのペースで古文を読んできたので、そのペースなら生きているうちにもうちょっと読めるだろう。直近で気になっているのは(「カンタベリー物語」のように海外文学は別として)、池澤夏樹リストにあったもの神話物語歴史書それから江戸時代物語だ。

まず、他のところでも述べた通り、「宇治拾遺物語」「発心集」「日本霊異記」がある。特に日本霊異記」はKADOKAWA現代語訳を出している。それから神話物語でいえば「風土記」がある。これも角川ソフィア文庫で出ているので読みたい。

歴史ものでは「大鏡」「栄華物語」がある。それから吾妻鏡」も気になっている。この並びから大河ドラマを想起するだろうが、あまり関係はない。とはいえ自分は「ニンジャスレイヤー」が流行っているときにもまず「ニューロマンサー」に手を伸ばすような人間なのである。ただし、めっちゃ長い。

あとは「東海道中膝栗毛」。パラパラとめくったら、原文でもギリギリ読めそうな、しかし読むのには時間がかかりそうな、近い時代であるが故の厄介な文体であった。そう、なんでもいいので月に十冊は必ず読むという漠然とした目標など放棄して、精読したほうが良い読書ライフが送れるのだが、手を出すかどうか迷ってしまう。というか、これも含めて、原文で読むか現代語訳で読むかは迷う。なるべく原文に当たりたいのだが、池澤夏樹日本文学全集現代語訳が訳者個性も含めて面白かったのと、意地を張って原文にこだわって、中身を浅くしか読めなかったら嫌なのとで、迷っているのである

好色一代男」「春色梅児誉美」もそのうち。寛大な気分のときになら、色男の生涯につきあってやっても良い。他の近松門左衛門とかも。

あとは、時間をかけて和歌を楽しむ。「万葉集」とか「新々百人一首」とか。

あとは、「御伽草子」とか。「青砥稿花紅彩画」とか。

まとめ

読書ログをたどりなおすと、自分がその時に何を感じていたのかを想起できる。読んだときの喜びも、読んだ当時感じていた閉塞感も、どちらも生々しく想起してしまった。だから卒業したはずの怨念に対して、こんなに愚痴ってしまっている。

同時に、自分感受性ゆっくり時間をかけて変化してきたのもよくわかった。一つの強迫観念に凝り固まっている時には、何を読んでも同じ感想を持ってしまうのだろうけれど、十年かけていろんな本を読んでいくと、自分に起きた変化が見えてくる。これから古典を読み続けるだろうし、さらに十年経ったらどんな感想を持つかが楽しみだ。

そして、自分にどんな変化が起きたか、いつかこれらの本を読み返して、確かめてみたい。

かに、かつて読んだときほど心惹かれなくなってしまうことも多いだろう。現にあらすじを振り返っただけで、「なんでそんなにハマったんだ?」と感じるものあった。これは寂しいことだが、既に興味を失った作品があるということは、自分が変化したこと意味する。むしろ、生きていくにつれて成長していくのなら、興味がなくなる物が出てくるのが当然だ。この寂しさは歓迎すべきものだ。実際に、ある作品に心惹かれていた理由が、既に卒業してしまった不安だとしたら、当の作品が色あせて見えてしまうのも無理はない。個人的な収穫は、叶わぬ恋の歌だけでなく、生きているが故の寂しさを歌った歌に好みが移り変わってきたとわかったことだ。

叶わない片想いをするだけが人生ではない。ただ生きていること、目の前の相手に耳を傾けて敬意を払うこと、それが文学以上に自分幸せにしてくれる。

そして、僕を大切にしてくれる人のことだけを考えて暮らしていきたいのである。これは創作よりも遥かに尊く、最も創造的なことだ。

以上。

Permalink |記事への反応(1) | 18:26

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

理系だけど日本古典文学を割と読んだから語る①

1:古事記池澤夏樹 訳[新訳]

のっけから申し訳ないのだが、自分古事記池澤夏樹訳で読んでいない。というか、この池澤夏樹日本文学全集で読んだ本はほとんどない。しかし、池澤夏樹にはちょっと悪いのだが、リストとして便利なのでダシに使わせてもらった。

自分最初に「古事記」に触れたのは神代だけを扱った子供向けの講談社青い鳥文庫経由でだ。次に読んだのが確か大学生の頃になる。文芸春秋社三浦佑之が現代語訳したもので、古老が昔話をする形式翻訳していた。現代人にはわかりづらいところを語りで補う、初心者に親切なものだった。

さて、内容だが、神話だけでなく、それ以降の歴史時代記述面白いヤマトタケル物語だけでなく、おそらく戦前は教えられていたであろう神功皇后朝鮮半島への進軍を知っておくと、昔の人がどんな世界観を持っていたか想像やすい。権力者の書いた歴史書を鵜呑みにするのは危険だが、歴史一次資料に(翻刻翻訳されたものとはいえ)触れるのは非常に楽しい。「学校で習う歴史の出典がこれか!」という素直な驚きがある。

もちろん神話としても面白く、考えてみれば今の皇室は天の住民と海の住民の両方の血を引いているという属性てんこ盛りである。他にも、イザナギノミコトとイザナミノミコトが夫婦生活をする際に「凸を凹に入れて子供を作りませんか?」「それは楽しそうですね」というくだりが何となく好きだ。性に罪悪感がないのがいい。もちろん、最初に生まれ子供ヒルコ描写は、今の感覚では身体障害者差別なんだけれども、後にそれが恵比寿様だということになって崇拝されるようになったのが、何となく流されたヒルコが救われた感じがして、結構好きなエピソードなのだ。捨てられた存在に新しい場所を用意してあげた後世の人の優しさみたいでね。

面白かったので日本書紀も確か講談社学術文庫か何かで読んだ。傍論としてさまざまな説を併記しているのが、物語ではなく歴史書の体裁をとっている「日本書紀」の特徴を端的に示していて面白かった。もちろん、これだけでは日本神話理解できない。中世神仏習合近代国学陰陽道などの展開を追わねばなるまい。しかし、その一歩を踏み出せたのはやはりうれしい。

ところで、「記紀」の記述を合わせて池澤夏樹は「ワカタケル」を書いたようだけれど、個人的にはピンとこなかった。「記紀」の文字に書かれたことや考古学的成果の内容とは矛盾しないが、むしろ史実から離れすぎないようにしたため、想像力が少し現実に縛られている気がしたのである。あとは現代中国語の「上に政策あれば下に対策あり」って言葉引用されていたのに違和感があった。お分かりのように、僕は面倒くさい読者なのである

2:口訳万葉集 折口信夫百人一首 小池昌代 訳[新訳]、新々百人一首 丸谷才一

万葉集全然読んだことがない。というのも、巻数が膨大なためだ。僕は完璧主義なところがあり、読むならきちんと最初から最後まで読むべきだと感じてしまう。それに詩を読むのなら、一つ一つの詩をきちんと味わって理解したいのである。そうなると膨大な時間がかかり、そこまで詩に興味がない自分としては手が伸びない。ただし、自分フォークナーを薦めてくれた友人は、「美酒をがぶ飲みするように、次から次へと詩を読んでいくのも贅沢でいいものだよ」とは言っていた。僕の場合、深く刺さった詩は、小説の中のぴったりした場面で引用されたとき出会っているケースがほとんどだ。やはり詩が多すぎると言葉の海に溺れてしまう。

百人一首田辺聖子解説で読んだ。それぞれの和歌や作者の背景を丁寧に、肩の凝らない文体説明してくれているので、今でも時々手に取っている。王朝人物史としても面白かった。田辺聖子とは評価する場所が違うところもたくさんあるけれど、脱線楽しい。ちなみに、初めて百人一首出会った小学校高学年のときには、もちろん恋の歌にばかり心が動かされたのである。「しのぶれど色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで」。たぶん自分感傷マゾというか、言い出せない思いをウジウジ、グツグツと自分の中で煮詰めて煮凝りにしてしまう傾向は、この時からあったのだろう。

ところで、王朝文学世界的に見て女性作家が多かった時期だと聞いたことがあるのだが、調べてみると女性の句は二十一だった。半分くらいだと思っていたのだが、これは女性の句が心に残ることが多かったための錯覚だろう。

「新々百人一首は未読だ。こうして記事を書こうとしていた時に調べたのだけれど、王朝の歌を二百種に絞って紹介してくれているらしいので、これはぜひ読みたい。昔ほど完璧さにこだわらなくなったし、こういうベスト盤みたいにピックアップしてくれると、きっと散文を好む自分も楽しめることだろう。丸谷才一ジョイス翻訳で知ったのだけれど、文章リズムが合ったから今から読むのが楽しみだ。

3:竹取物語 森見登美彦 訳[新訳] 伊勢物語 川上弘美 訳[新訳] 堤中納言物語 中島京子 訳[新訳] 土佐日記 堀江敏幸 訳[新訳] 更級日記 江國香織 訳[新訳]

これらの本はすべて別の訳者で読んだのだけれど、こうして並んでいる訳者にそれぞれ馴染みがあるので、彼らがどのような翻訳をしたのか、ちょっと読みたくなってきた。ちょっと前までは「古典は原文で読んでこそ意味がある」という原理主義的なところがあったのだが、「源氏物語」や「太平記」が長すぎるあまり、開き直って現代語訳で読んでしまったため、最近はそこまで原文にはこだわっていない。今ではい翻訳がたくさんあるので、普通に現代語訳でストーリーを味わってから、原文を楽しめばいい。このラインアップでは、個々の作家に対しても言いたいことがあるのだが、今回は省こう。

竹取物語は、幼いころに聞いた物語原典知る楽しみがあった。一番シンプルにされた絵本バージョンだと、五人の貴公子物語が省かれてることもあるし。そういう意味では、「御伽草子」なんかもちょっと読みたくなってきたな。

伊勢物語短編集で、古典の授業で東下りを扱ったので前から気になっていた。ただのモテる男の話を読んだって楽しくないかもしれないが、一つ一つがごく短いのでそこまで嫌味ではないし、うまくいかななった恋物語もある。それに、古語で読むから現代日本語で読むのと違ってワンクッションある。僕は感傷マゾだったから、結局は恋の物語が読みたかったのだ。

だが、書かれているのは恋愛遍歴だけではない。「老いぬれさらぬ別れのありといへばいよいよ見まくほしく君かな」「世の中にさらぬ別れのなくもがな千代もといのる人の子のため」。ほんとそれな。無理な願いだとわかっていても、大切な人には永遠に生きていてほしい。これらの歌に出会えたのは幸いだった。

なお、これを読んだ後に祖父を亡くしている。ほんとに、人間いつまでも生きられないのは寂しいことである。なお、これも阿部俊子訳の講談社学術文庫で読んでいる。

他に当時刺さった歌を日記から書き写しておく。「思ふこといはでぞただにやみぬべき我とひとしき人しなければ」(そんな寂しいこと言わないで……)「心をぞわりなきものと思ひぬるかつ見る人や恋しかるらむ」(それな)。たくさんあるのですべては書き写さない。

堤中納言物語は「虫愛づる姫君」で有名だけれども、例えば娘ではなくそ祖母を連れ出してしまう話だとか、二人の男が誤った相手と契ってしまうとか、慌てて白粉ではなく墨でメイクしてしまう話とか、奇妙な話も含まれている。あとは手に入れることなど到底できないもので作った「ほしいもリストである「よしなしごと」とか。どうも物語統一感がなく、どういう意図編纂されたのかはよくわからなかった。これは笠間文庫で読んでいる。

土佐日記小学生時代に塾の先生が「男のくせに女の文章で書いたのが紀貫之って変な奴」って紹介していたのでそんな印象がずっと続いていたし(子供インパクトを与えて覚えさせるためなのと、当時は平成初期なのでこういう言い方をしていたのである)、文学史的にもそういう評価をする面もあるのだが、今は亡き子供の思い出を語る悲しい話なのである。道中の描写も素敵だし、ラストの「この原稿は捨ててしまおう」というくだりが、例え虚構であってもとっても好き。どうも僕は、一人の人間が読者を意識して書いたテキストであるという臭いが好きらしい。だからメタフィクションも好き。これは角川日本古典文庫で読んだ。図書館で借りたボロボロになった古い本だった。三谷榮一訳註。

更級日記はかつての文学少女が「源氏物語」をはじめとする文学への憧れを綴っているが、ラストのあたりで「自分人生はいったい何だったんだろう」と回顧するので、僕みたいな作家になりそこなった文学少年崩れが、感傷的になりたいときなんかにオススメだ。内容をすっかり忘れているのだが、そこばかりが強く印象に残っている。

そして、「物語なんぞにうつつを抜かすんじゃなかった」的なくだりがある癖に、内容が技巧に富んでいるのだが、それはただの未練というよりも、そうした技巧で妄念を鎮めようとしたのやもしれないし、それもまたパフォーマンスかもしれない。小説家になりそこなった僕にはグッサリと深く刺さっている。よく「更級日記」は文学少女の物語だと言われているが、文学少女崩れの物語でもあるのだ。実際、興味深いことに「更級日記」では結婚子供誕生、両親の死という重い事柄が、ほとんど触れられていないのである

それにしても、文学少年文学少女はとても欲深い。彼らは現世で得られないもの書物の中から得ようとするからだ。そして、創作に手を出すのは、自分の持っていないものを魔術のように作り出そうとする更に深い欲がある人々だ。そして、僕はその欲望を愛していた。

ああ、そうだ。ここまで書いて気づいたのだが、恋だけでない、生きていてふと感じる寂しさを和歌にした作品が、僕はとても好きなのだ

INTERMISSION①

こういうのは個人ブログでやったほうがいいんじゃないかと思わないでもないのだが、辺境ブログでやってもあまり読者は集まらない。個人ブログを読んでもらうためには、ある程度自分コンテンツ化する必要がある。言い換えるならば、一定の頻度で、ある程度の品質記事を、独自色を伴って、継続的生産し続けなければならない。なかなかできることではない。それに、この動画全盛期の時代に、どれほど文字を読む人がいるだろうか? また、首尾一貫したキャラで書き続けるのも面倒である

一方、はてな匿名ダイアリーでは、文字を読むのが好きな人が集まっている。また、内容が有益であったり面白かったりすると、きちんと読んでもらえる。虚飾と権威主義真っ盛りの時代にあって、「誰が言ったかではなく、何を言ったか」だけで評価されるという意味では、非常に居心地がいい。もちろん殺伐としているし、暴言も多いが、それを補って余りある素晴らしい点である有益なまとめを書いたときは褒められ、的外れなことを言えば叩かれ、面白くなければ無視される。残酷だが、内容だけで毎回勝負するのは、文章を書くのが好きな人にとっては鍛錬の場になる。

なお、時折こうして個人的なボヤキを書く。あまりにも古典文学の紹介という話題から逸れ過ぎて、イケメンモテ男に関する個人的愚痴になってしまい、読者を笑わせるよりは暗鬱な気分にさせるであろう箇所はこれでもかなり削った。かろうじて残したのは文学関係する箇所のみだ。

恨みつらみを向けている人や、気に食わない人はたくさんいるのだが、作家以外は実名では論じるつもりはない。名前を出して作品批判することはあるが、その人の行いに直接何か言いたくなった時はぼかしている。己の負の感情直視したい一方で、人にネガティブものをぶつけるのは美しくない。だからせめて、こういう妙な義理を通したいのである

それでも長い。気に入らなければ読み飛ばしてほしい。ここに書きたいのは古典文学の紹介であり、せめて日常感じていることであり、怨念の垂れ流しではない。ただし前回のように時折脱線しては管を巻くつもりだ。

続く。

Permalink |記事への反応(2) | 17:39

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-01-24

中居正広人生は、源氏物語っぽいな

中居正広って、源氏物語っぽい感じがある。

源氏物語のあらすじはこんなかんじだ。

高校時代とき記憶から結構いい加減だから間違ってるところはたくさんあるだろうけど、雰囲気で聞いてくれ。

ちなみに、高校時代理系だったから、源氏物語さらっと読んだだけ。

源氏物語のあらすじ(俺解釈

主人公イケメンに生まれましたとさ。

この主人公ロリコンマザコンっていうシャア大佐みたいな性格でしたとさ。

で、話は進んで、成長したら筆おろしは年上のおばさんに童貞を奪われる。

しか、本当にいきなりぶっ飛ばしてそんな感じ。

もっといろいろ、青春ってあるんだろうって思ったら、

成長しました→年上のおばさんに気に入られました→ムフフ

作者どんだけ欲求不満なんだよ!って感じ。

このおばさんけっこうやばくて、嫉妬で他の女を念力で殺すやっちゃう

ジャニーKさんっぽいよね。

で、そっからモテ自慢が始まるわけ。

ロリコンから少女誘拐して囲ったり、FIREした未亡人やら、ナンパした素人とか、ときにはブスに言い寄ったり。

本命誘拐して囲った幼女なんだけど、いろいろあって正妻にはできない。

事務所圧力結婚とかできなかった青年期にかぶるね。

なお、囲った幼女がついに理想の女になる手前、我慢しきれなくて肉体関係になるところで抜いた記憶がある。

しか、こんな感じだった。

幼女今日、いつものやさしいおじさまと違う気がする」

中略

幼女・・・

でだ、いろんなところで女食い散らかすわけ。

ちなみに、主人公変態だけど紳士から基本的に優しいし、飽きても捨てずに贈り物したりで恨まれないようにして、スキャンダルにならないよういろいろやるわけだ。

で、兄の嫁だか父の後妻だかを寝取っちゃう

兄だか父だかは、天皇から、バレたら超やばいスキャンダルだけど、バレずに托卵成功

そんな感じで、食って食っての日々だったんだけど、主人公みたいんチャラチャラした男が嫌いなお堅い性格オッサンの娘に手を出して、それがバレる。

左遷されそうになったところ、依願で地方転勤。

で、そこでも現地妻作るんだわ。

まあ、この現地妻がなかなかいい女。性格的にも。そんで、この現地妻との間にできた娘もいい子ちゃん

何年かして、本社(都)に戻ったんだな。

地方現地妻との間に作った娘が、本命幼女(といってもこのころはもう大人)になぜか懐いてくれて、幸せな家庭を築くわけ。

その娘もいいとこに嫁にいって、子なしとはいえ本命子とつつましい老後にすりゃいいのに、

やっぱり男子が生まれないのはアレなんでと、若い女を妻にするの。

もうオッサンなのにどうかしてるって思うよね。

このへんが、あれだ、今回の中居正広スキャンダルに重なるね。

主人公って、イケメン設定とはいえ、このときは小汚いオッサン

ちょっと気が利いた和歌とか詠めるだけで、基本的には出世コースからは外れてたいした権力もない。そのくせ、まだ若い子いけるだろって思ってて勘違いも甚だしい。

これがね、若くてカッコいいアイドルなんかじゃないし、ジャニーズっていう力もなくなった中居正広に重なるんだわ。

あくま個人の感想ね。

で、中居正広場合女子アナが、無理やりヤラれた!って騒いだわけだけど、

源氏物語主人公のほうはどうかというと、若い妻を迎えたんだけど他の若い男に寝取られて托卵されちゃいましたとさって話。

托卵されたとか、それはそれで恥ずかしいんで、自分の息子として育てるわけ。

仕方ないよね。

若いころ同じように托卵したんだし。

で、第二部は、この戸籍上の息子がダブル主人公のうちの一人で、薫って子。

俺が初めて源氏を読んだのは小学生の頃で、子供向けの本には登場人物紹介に「宿命の子」って書かれてて、理解出来なかった。

もう一人の主人公は、愛人の娘が嫁いだ先で作った子供光源氏からしたら遺伝子上の孫だったはず。

名前は忘れてた。

中居正広に期待すること

何十年後か、中居正広隠し子芸能界デビューしてほしいね源氏物語の第二部をなぞって欲しい。

いしだ壱成みたいに。

そんで、またスキャンダルで沈むところまでいったら最高。

Permalink |記事への反応(5) | 12:22

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-01-23

anond:20250123003720

身も蓋もないことをいうと、地位の高さは学の高さに繋がり、学があるということは漢文詩歌に親しめた。

まり男性に、漢詩和歌にちなんだ美とか花だとか香りにまつわる名付けをすることは親の家柄の高さを表せた。

から男性にそういう名前を付けられやすかった。

逆に、女性は学があると婚期が遅れる……だから、そういった名付けがされなかった。

名前ジェンダーレスがどうのこうのって言い出すやつって、そのあたりの空気を知らないで、勝手に思い描いた古き良き日本幻想をもってる若者だよな?

Permalink |記事への反応(0) | 11:06

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-01-20

anond:20250120051059

ぶんしょうのいみが何通りにもなる(解釈しうる)の原因は別に接続助詞のれんぞくにかぎらないごくありふれた現象だろ

和歌とか俳句はそういうのを意図的に逆手にとってるだろ

まり意味が何通りにもなると言うのはそれを使っちゃいけないというルール存在して当然だとしゅちょうする根拠にはならないんだよ

Permalink |記事への反応(1) | 05:57

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

次の25件>
ログインユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
Copyright (C) 2001-2025 hatena. All Rights Reserved.

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp