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はてなキーワード:吉田家とは

2025-10-02

anond:20250924190655

遠野から国道107号、もしくは340号を南下するとたどり着くのが住田町。ここは東日本大震災の時に大船渡陸前高田バックアップする基地として活躍した。そもそも住田大船渡陸前高田の3地域は合わせて"気仙地域"として扱われていることも多い。

340号と107号は途中で合流する。合流したところにあるのが世田米(せたまい)地区で、ここから再び107号が分かれて行くのが大船渡、340号が行くのが陸前高田。行き先によってどちらに行くか分かれるキーとなる町ではある。住所的にはここと上有住(かみありす)を押さえておけば観光的にはなんとかなる。

上有住釜石線の駅名になっているが、上有住集落中心地はこの駅の周辺ではない。もし列車のなかから上有住駅の外を見てとんでもない僻地だと思った人がいたら、上有住はそこまでの場所じゃないよ、ということだけは覚えておいてほしい。しかしこの駅も観光には重要で、上有住、いや住田で最も重要観光名所がこの駅のそばにあるのだ。鍾乳洞である滝観洞龍泉洞の整備された順路とはうってかわったヘルメット必須(貸してくれる)の観光スポットだが、経路最奥にはその名の通り滝が見えて、これがけっこう壮観。入口横にあるレストランでは滝流しそば</b.という名物があって、これがいわゆる流しそうめんそばバージョンのような形で食べられるのでアトラクションとしても面白い。なおこのレストランには"滝流しカレー"もあるのだけれど、流石にカレーは流れてこない。岩に見立てご飯カレーを流すだけ。</p>

気仙地区には宮大工である気仙大工伝統があって、その成果を見られる寺が世田米にある。満蔵寺特にここの山門は必見。あと世田米には鶏の加工工場があって、ここが鶏の希少部位として"鶏ハラミ"を名物に仕立て上げている。若干悪意のある言い方をしたけれどもうまいのは確かで、世田米にある食堂を中心に何店かで鶏ハラミを使った料理を食べることが出来る。たぶん一番わかりやすい店は世田米は世田米でも国道397号(107号から途中で南に分かれて西に向かう)の町境にある"道の駅種山ヶ原"のレストランにあるラーメンだと思う。この他に豚肉特産品として売りに出されていて、世田米市街地に近い側にある産直イーガストすみただとこの辺がお土産で買って帰られる。ただこの店でもっと買うべきは上有住菓子お菓子工房eat+のシフォンケーキだけどね。


107号を東方向に行くと、大船渡にたどり着く。大船渡には岩手唯一の私鉄が今も走っているけれど、旅客運輸は随分昔に廃止されたので乗ることは出来ない。ただ貨物輸送は今でも1日10往復以上やっているらしいので、運が良ければ107号を走っている時に見られるかもしれない(ほぼ並走している)。市街地に入る前に長安という寺があって、ここの山門も気仙大工の手による。あまりに豪華なので伊達政宗が怒ったという逸話もある。大船渡市街地盛駅周辺(最近盛岡駅をこう略する人が増えて非常に紛らわしい)と大船渡駅周辺に分かれていて、古くから栄えてきたのは盛駅周辺。津波被害盛駅周辺はそれほどなかった。それもあって、最近再開発大船渡駅周辺を中心に行われている。駅の東側に"かもめの玉子"のさいとう製菓運営する"かもめテラス"では工場見学(要予約)他ここオリジナルお菓子が食べられたり作れたりするし、最近魚の駅という海産物に特化した施設も生まれた。じゃあ盛駅周辺に何もないかというと、少し北に行ったところにあるイタリア料理店ポルコ・ロッソと、そこから路地を奥に入ったところにあるハンバーガーThe BurgerHeartsの評判はいい。さらに南に行くと大船渡市場があり、ここのレストラン最近閉店してしまったのだけど、近くにある丸清食堂はよくテレビで紹介される。ここからさらに南に行ったところにある大船渡温泉311後の開業だが、日帰り入浴も出来るし宿泊にもいい。

大船渡市の東側平成の大合併までは三陸町という自治体だった。ここも昭和吉浜越喜来綾里という3つの町が合併して出来た町で、それぞれ特産海産物が違っていてそれぞれ有名という特色を持っている。特に有名なのは吉浜アワビか。まあこれらはどれも海中にあるので前述の施設のどこから料理もしくはお土産用に買うほうが身近だ。越喜来はいくつか見どころがあって、小石浜駅は少し前に恋し浜と駅名を変えて三陸鉄道が少し長めに停車するようになったし、甫嶺駅そばには岩手では珍しいダイビングツアーショップがあって三陸の海に潜れる貴重な体験が出来る(密漁を気にしてか陸中海岸では水中メガネシュノーケルのセットすら持ち歩くのに躊躇する風土なのだ)。ちなみに大船渡牡蠣が旨いが、その中でも赤崎の牡蠣デカくてうまい。ただこの辺一帯が春先の山火事で大被害を被ったのはけっこう痛い。

45号をさらに南に行くと、末崎半島に分かれる道がある。以前の大船渡観光地は宮古における浄土ヶ浜のようにこの末端に集中していて、大船渡が最も推していた碁石海岸はこの半島の端っこにある。それ以外にも大船渡が北限(いろいろ条件つけて)の椿を展示している世界の椿館とか、311以前の津波被害についても展示のある大船渡市立博物館とかもこの半島存在する。

そう言えば大船渡漁港として最も誇っているのがサンマの水揚げで、その影響もあって新しい御当地グルメとしてさんまラーメンがある。これの特色兼困ったところとして「サンマを使っていればその形態は問わない」というものがあって、まあ食べ歩いて比べる楽しみがある一方、さんまラーメンと言って一言で言えるものでは亡くなってしまっている。ただ、個人的には107号の長安付近にある黒船という店の秋刀魚出汁ラーメンが好き。


大船渡南側の峠を越えると陸前高田だ。おそらくテレビで何度も見たことがあると思うが、陸前高田市街地は完全に津波にのまれて一部の建物以外はなくなってしまった。さらに当時の市長は再建にあたって市街地全体を嵩上げすることにしたので、現在市街地は完全に311以降一から作り直された場所である。御当地歌手千昌夫が多額の出資をしたキャピタルホテル1000も当初の場所とは全く別の場所に建っている。ただ、国道45号が海沿いを走るあたりは嵩上げが行われておらず、ほぼ道沿いに震災遺構が数多く残っている。大船渡から順に、下宿定住促進住宅ピック45国道から少し離れるが米沢商会、そして奇跡の一本松気仙中学校。事前予約があればガイド付きで中に入れるところもまだあったはずだが、まあ入らなくてもどこまで津波が来たかはそれなりに見えると思う。なおそれが非常にわかやすかったタピック45前のガソリンスタンド看板移転撤去された。

奇跡の一本松陸前高田観光スポットはここ周辺に整備されている。現在道の駅はこの一本松を見るための駐車場として整備されたフシがあるし、そもそも道の駅の中に津波伝承が併設されていて、ここは正直奇跡の一本松以上に必見のスポット。なお一本松は元から一本松だったわけではなく、ここには松林があった。その松林復興させるために松の植え直しが行われたので、50年後にはそういう逸話込みでここが名所になるかもしれない。

復興された市街地はアバッセたかたというショッピングモール周辺。この東側市民ホールそばにある四海楼佐々木朗希ゆかりの店ということになっていてテレビでも何回も紹介されたが味はよく知らない。個人的には西隣にある熊谷担々麺に何度もお世話になっているし、一時盛岡移転した居酒屋俺っち陸前高田に復活して営業しているのはいいことだと思っている。

住田町から国道340号は陸前高田西端を通って45号につながる。そのつながる直前のところに発酵パークCAMOCYがあって、地元醤油屋さんが運営する食堂を始め、ほぼ全ての店が発酵テーマにした商品を扱っていてここは寄るべき。この裏に最近復活した吉田家住宅は気仙大工の技を津波を経て復活させた建物で、今のところは無料で見られるので是非見ておくべき。気仙大工の話を事ある毎にしてきたが、資料館のもの、というか伝承もあってこれは陸前高田東側にある。この伝承館の裏(もちろん車で行くべき)に展望があって、ここの眺めはたぶんこの近辺で一番いい。陸前高田東側には他にも陸前高田ソウルフードならぬソウルドリンク"マスカットサイダー"を作っていた神田葡萄園があるが、ここでのこのドリンク製造は2年ほど前に終わっている。ただこの商品のもの地元スーパーが引き継いだので今でも買うことが出来る。あとどうも孟宗竹の自生の北限がこの辺らしく、東側広田半島には岩手ではあんまり見られない竹林がけっこう頻繁に見られるんだが、まあこれは外から来た人には珍しくもないか

そう言えば陸前高田地酒酔仙という酒があって、ここが出している雪っ子というにごり酒10から出荷になる。これがうまいアルコール度数がけっこう高いので危ない酒でもある。なお陸前高田会社だが、酒蔵は大船渡移転になった。見学は要予約だが無料可能

Permalink |記事への反応(0) | 18:24

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2019-10-25

anond:20191025215320

俺の友達吉田君マジでレスバする時に血の涙を流すんだけど、一度どうしてそんな涙を流せるのが聞いたことがある。

詳しく聞くと吉田君キケロ末裔で、鉄砲伝来とともに日本先祖が入ってきたらしい。

兎に角いろんな弁舌を使い生計を立てて、徳川家の弁舌役として、様々な大名の間を取り持ってきたらしいんだ。

でも徳川家、もとい自分の家の生命が全て弁舌にかけられている分、教育も熾烈を極めていたらしい。

まず2歳で言葉を話し始めた時から、今まで吉田家がやってきた弁舌を全て頭に叩き込められる。

そして毎日16時間学習をする。そして6歳になるとある山奥の納屋に閉じ込められて、自問自答を繰り返し続けるんだ。

飲まず食わずでそれを7日間続けると、目の前にぼうっと、黒い顔をして血の涙を流す顔が浮かぶらしい。そして、そいつと弁舌バトルを繰り広げる事になる。

吉田君の兄は、その弁舌バトルに負け、今は精神病院でずっとうわごとを呟き続けているらしい。

でも吉田君は負けずに、ついに勝利したらしい。そして外に出てふと自分の頬を触ると、手に血がついている。実は問答していたのは鏡で、まさに自分自身と戦っていたわけだ。

その日から吉田君レスバをするとき、血の涙が浮かぶようになったらしい。でもそれは、吉田君努力の証で、実際吉田君レスバで負けたのは見たことはない。

僕はそんな吉田君尊敬している。

Permalink |記事への反応(2) | 22:07

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2016-06-14

ブログ名に「徒然なる・・」をつけてるブログ、内容ろくでもない説

卜部左兵衛佐兼好「同感だ。俺様経験から考えても、たいていは碌でもないことしか書いてない」2016/06/13 01:13

誰それ?

風巻景次郎は、尊卑分脈の系図の記載によって、吉田家傍流の兼顕の子で、後二条天皇の六位蔵人となり、ついで五位に叙され、左兵衛佐に任じたと推定し(『西行と兼好』角川選書角川書店 昭44。初出昭27)、これが通説となってきた。しかし、拙稿「卜部兼好批判―「兼好法師から吉田兼好」へ」(国語国文学研究熊本大学文学部〕49、平26・3)で考証した如く、この系譜と経歴は、戦国時代吉田家当主、兼倶(一四三五~一五一一)が捏造したものである兄弟とされてきた大僧正慈遍とも血縁はない。兼倶はなんらかの方法で兼好が一時卜部氏を称したことを知り、自らの家系に取りこんだらしい。吉田家号室町期に入って用いられたので「吉田兼好」の称が不適当であることは既に指摘されているが、兼倶以前に兼好が卜部氏であることに言及した者はいない。「兼好法師」の称を用いるべきであろう。

Permalink |記事への反応(0) | 00:57

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2016-03-12

中島みゆきファイト!」誕生秘話ペンネーム:「私だって高校行きたかった」に捧げる唄)

中島みゆきファイト!」誕生秘話ラジオについて10年位前の記事で、昔はてブ経由で見つけた時はブクマしていたのだけど、今見たら軒並み記事が削除されているみたいで、探したら削除された、中島みゆき女の子から手紙を読み上げるラジオ音源動画の紹介文のコピペらしきのがmixiに残ってたから、ここに記録しておく。

ファイト!ペンネーム:「私だって高校行きたかった」に捧げる唄

http://jp.youtube.com/watch?v=t_vFAeVb3E0

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~ プロローグ ~

ファイト誕生秘話

■「あたし中卒やからね.. 仕事を もらわれへんのや..」

と書いた女の子手紙の実物です■

みゆきさん こんばんは

毎日のしく聴いています

わたし中学をでて すぐに働いて2年になる17歳のおんなのこです。

この間、わたしの勤めている店で、

店の人がわたしのことを「あのこは中卒だから事務はまかせられない。」と言っていたの を聞いてしまいました。

わたしくやしかった。

くやしくて くやしくて泣きたかった。

中卒のどこが悪いと言いたかった。

わたしだって高校行きたかった。

だけど家のこと考えたら、私立に行くなんて言えなかったし、高校に入る自信もなかった 。

なのに こんなふうに言われるなんて ヒドイ。

ごめんなさい 愚痴を書いてしまって。

また お便りします。

ペンネームわたしだって高校行きたかった。」

※ 1982年5月4日 ラジオ放送

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http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2014517&id=21363973

探したら中島みゆきラジオでの返事も書き起こししてるブログがあったので貼っておく

中島みゆきオールナイトニッポン(1) :吉田家の一日

http://yoshida514.exblog.jp/9905243/



中島みゆきファイト!歌詞

http://j-lyric.net/artist/a000701/l000dd8.html

Permalink |記事への反応(2) | 14:20

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2009-05-28

http://anond.hatelabo.jp/20090528163303

私は育児経験ない女だから、ある意味アフタヌーン読んでる童貞さんたちと同じかもしれない。

実体験として赤さん生んだこともないし育てたこともないって部分で。

「ぢごぷり」連載開始時から読んでるけれど、育児ノイローゼ漫画って認識で良いのかな?

一生懸命やってるのに何で夜泣きするんだとかオムツおっぱいもあげたのに何で泣き止まないんだとか

父親不在の家庭で母親育児ノイローゼに陥り「地獄へ帰れ」と産まれてまもない赤さんに言ってしまったりする漫画

作者さんが男なのか女なのか良く知らないんだけれど、ものすごいリアル

リアルすぎて、連載開始時から読んでてあんまり……正直、楽しくはない。

赤さん産んだことがない身としては

「……出産育児ってこんな大変なことなの?」

「てかリアルすぎない、漫画としてリアルすぎない?えんたーていめんとってなに?」

「私にはきっと無理だ出産とか無理だー」

「……………母性本能幻想だってそりゃ当たり前だよね現代でも虐待はあるし昔は口減らしがあったんだし」

「とりあえず生かして育ててもらったってだけで親には感謝しないといけないのか……?」

と読んでいて鬱々とした気分になる漫画

で、アフタヌーンって一応「青年誌カテゴリだと思うんだけれど、この漫画を読んで男の人ってなに思うんだろう。

童貞とか童貞じゃないとか関係なしに。

読んでて楽しい漫画ではないし、なんでそんなに鬱々とした面ばかり強調して描くのかとは思うけれど。

これでもかと描写されている母親という女の育児ノイローゼ鬱屈に男の人はどんな感想を抱くのか。

そこのところに興味がある。







……………アフタヌーンって青年誌って認識で間違ってないよね?

読んでて面白い、好きって思う漫画もあるんだけれど面白さがよくわからん!て漫画もあるから、

「あーこれはきっと男の人向けに描かれてるからわかんないんだろうな」

認識で、きっとこの雑誌青年誌!て思ってたんだけれど。

おおきく振りかぶって」「臨死!!江古田ちゃん」「無限の住人」あたりが好きで、

ああっ女神さまっ」「吉田家のちすじ」「謎の彼女X」あたりの楽しみ方がいまいちわからない。

Permalink |記事への反応(3) | 18:56

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