
はてなキーワード:合成語とは
じゃあおまえに日本語を扱うのは無理だなw
合成語が合成前の語の意味の単純な足し算になってるとも限らないし
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今のコンピューターとかインターネットが扱う文字の体系って漢字の文化を破壊してない?
文化の発展や新しい概念の登場に従って絶えず新しい文字が生み出されてきた歴史があると思うんだが
文字コードを割り振って文字のセットに収録するっていう今のやり方だとそこに新しい字が入る余地なくない?
アルファベットの場合使える文字は固定されてても言葉の意味はその文字の並びで表すから事実上無限に語を生み出せるけど
事実上、既存の漢字の組み合わせで熟語や合成語を作るということしか許されてないというか、言い換えれば「アルファベット的なやりかたで語を生み出す」ことのみ許されてる状態。
そもそも文字コードに収録される文字自体が「文字コードを作った時点の文化」で使われてる文字なわけで、その時点で文化が固定されてる側面あるよな。
「まったく新しい一文字」を生み出す表現力が殺されてるというか。
今のような状況で新しい漢字を生み出しても、「今の文字コードの文字」がアルファベットのようなスタンダードになってしまってて新しい字を広める術が絶望的にない。
アルファベットの場合はそれが可能なんだよ。そこの圧倒的な非対称性を問題にしたい。
文字コードの仕組み自体がアルファベットフレンドリーというかラテン文字ファーストな考え方なんだよな。
今のトレンドで文字コードに絵文字が収録さていってるのが救いかな?って気もするけど、まああれは文字コードのコンソーシアム的なとこが認めた文字だけ載る感じでちょうど昔の王様が漢字を決めてたみたいな雰囲気があって文化が生み出す漢字ってのとは微妙に違うきがする。
たとえば部首とつくりを組み合わせられるようにするとか、既存の漢字を部首やつくりみたいに配置できるとか、そういうことをするだけで全く違ってくると思うんだわ。
ママだから話したこと。家の中だから出した表情。自由な振る舞い。
世界のどこにも逃げ場がないことを悟った日。
あの日から、私の人生なんて、中身が空っぽの操り人形だ。もしかしたら生まれた時から。生まれる前から。
「私の人生」だと、「私の思い出」だと、「私が受けた愛情」だと、信じて疑わなかったものは「コンテンツ」であり「演出」だったのだと、知った。
有体に言えば「金儲けの手段」。
それでここまで育つことができたのだとママは言う。こんなに贅沢な暮らしができているのは当然じゃないんだって。
知らないよ、そんなの。
要らなかったよ、そんなお金。
私の人生を、返して?
お金で買い戻せないものを、私本人の同意もなしに、勝手にお金に換えないで。
そうして、傷ついて、泣いて、訴えるほど、あの人はまた、新しいコンテンツを手にするんだ。あの人の手から、インターネットを通して、世界へ。
消えてしまいたい、決して消すことができない「私の情報」が刻み込まれたこの世界から。
だけど私が消えることそれ自体が、あの人にとって最上のコンテンツになってしまうから、それも安易に選べない。
買ったアナタも同罪だ。どういう考えでそうしたのかは知らないよ。ただただ、買わないで欲しかった。買えるほどの経済力を持った「大人」なら、買わずに止めて欲しかった。
今すぐにその頭を壁にぶつけてでも、私に関する全てを忘れて欲しい。難しいのは知ってるよ。だったらもう、私が消えるしかないというのも。会ったことすらないのに、執拗に追いかけてこないで。私の人生を、暇つぶしのコンテンツとして消費しないで。
本当は、愛したいよ、愛されたいよ。普通に生きていたい。
愛するママ…だったあの人が見ていたのは、私じゃなくて私を使った先にある「数字」だった。あの人が愛していたのは「数字」で、それを打ち出せる「あの人自身」だった。私はただの器に過ぎない。
空っぽの器に響いた、温かくて気の合う親友が、恋人が、勝手に垂れ流されてきた私生活、春を売るような親の仕事と収入を全部把握した上で近づいてきた人間だったと知って、発狂しない人間なんている?
[ソーシャルメディアに子どもの写真をシェアすることを「シェアレンティング」といいます。共有(シェア)と親(ペアレンツ)の合成語です。シェアレンティングは、子どもの同意なしに写真が流出し、深刻なプライバシー侵害を引きおこすといいます。]
https://note.com/shobunsha/n/n1e589365f4c3
[Plunkett氏は、自分の子どもが写っているコンテンツを軽い気持ちで共有している親と、利益を得る目的で共有している親を区別しており、そうした営利目的の親の活動を「商業的シェアレンティング」と呼んでいる。
「そうした親たちは、現在または将来何らかの経済的利益を得ることを期待して、自分の子ども、または、場合によっては家族全体のプライベートな瞬間や私的な瞬間を撮影し、デジタルで共有している」(同氏)]
[自分の実生活が公開されるというこの側面は、ソーシャルメディアで働く子どもたちと、プロのエンターテインメント業界で働く子どもたち(大抵、架空の登場人物を演じたりする)を区別する重要な要素だ。これから数十年かけて、ティーンエイジャーを経て大人になっていく多くのキッズインフルエンサーたちは、精神崩壊や屈辱、極めて個人的な場面など、自分が最も弱っている瞬間を親によってインターネット上で世界中の人々に公開されたという事実と向き合わなければならなくなる。]
2022年に、Yahoo!知恵袋に投稿されたこのような質問がある。
肉じゃがの"肉" というのは、豚肉や牛肉などの食肉のことですよね。
では、肉じゃがの"じゃが"っていうのは、じゃがいものことですよね。
となると、肉じゃがのじゃがっていうのは、肉のことになると思うのですが違いますか?
補足
皆様回答ありがとうございます!
すみません、豚肉・牛肉の地域性の違いはどちらでもよいですし、じゃがいもも当然含まれることは知っています。
聞きたいのは、じゃがいもも入っているので、肉じゃがのじゃがはじゃがいもの次は肉ですかと、という意味です。
わかりにくく申し訳ありません。
普通に考えるならば、この質問は全く破綻している。「肉じゃがの"肉" というのは、豚肉や牛肉などの食肉のことですよね」「では、肉じゃがの"じゃが"っていうのは、じゃがいものことですよね」という部分までは容易に文意を追うことができるものの、3行目の「となると、肉じゃがのじゃがっていうのは、肉のことになると思うのですが違いますか?」は理解不能である。肉じゃがの「じゃが」はじゃがいものことだからだ。当然、この質問に寄せられた回答の多くはそういう文意のものであった。しかし、この質問にはベストアンサーがついている。
多分それは、もともとは肉じゃがではなかったからだと思います。
(肉じゃがが逆だった)
これもまた意味がわからない。「肉じゃがが逆だった」とはどういう意味なのだろうか。去年の暮にはてな匿名ダイアリーにおいて若干耳目を集め、それに対する解説記事も話題となった。少し古めの話題ではあるが、先程某生まれたばかりの掲示板においてこの話題のスレが立っており、私も色々考えてみたかったためこのエントリを書いている。
第一に考える必要があるのは、「じゃがいも」の「じゃが」がクランベリー型形態素であることだ。「ブラックベリー」が明らかに黒いベリー、「長芋」が長い芋を意味することとは異なり、「クランベリー」の「クラン」、「じゃがいも」の「じゃが」は単体では意味を持たない。もちろん語源的にはクランベリーのクランは花が鶴(crane)に似ていることに由来していたり、じゃがいものじゃがはジャカルタの日本語における旧名であるジャガタラに由来していたりするわけだが、どちらにせよものすごく一般的な知識というわけではない。質問者は、おそらく「じゃがいも」の「じゃが」が単体で何らかの意味を持っていると考えている。もうひとつ考えたいのは、「肉じゃが」を「(牛/豚)肉」と「じゃが(いも)」の合成語と考える場合、両者の切り出し位置が異なるということだ。なぜ「肉じゃが」は「肉いも」ではないのだろうか。こう考えよう。質問者は肉じゃがが肉とじゃがいもから作られる料理であることを知っている。しかし、「じゃがいも」の「じゃが」が何を意味するのかは知らない。質問者は「肉じゃが」から、「じゃが」がじゃがいもを使った煮っころがしを意味する言葉であると異分析し、「じゃがいも」はじゃがに使う芋であるからそのように呼ぶのであると考えた。
肉じゃがの"肉" というのは、豚肉や牛肉などの食肉のことですよね。
肉じゃがというのは肉を使ったじゃが(じゃがいもと何らかの具材を煮込んだ料理)のことです。
肉じゃがの肉というのは食肉を表します。じゃがいもの煮込みなんだからじゃがと呼ぶんでしょう。
しかし、たとえば鶏肉のじゃがは鶏じゃが、豚肉のじゃがは豚じゃがであるのと同様、肉じゃがを「肉じゃが」たらしめているのは肉の要素です。
次にこの部分を考える。
「肉じゃが」は「じゃが」なわけだからじゃがいもが入っているのは当然です。しかし、「じゃが」を「肉じゃが」たらしめているもの、「肉じゃがのじゃが」=「肉じゃがというじゃが」において、じゃがいもの次に重要なのは、「肉」ではないですか?
では、なぜこの回答がベストアンサーになったのか考える。
多分それは、もともとは肉じゃがではなかったからだと思います。
(肉じゃがが逆だった)
私の理解によれば、質問者は「[じゃが] は [肉] だったと勘違い」しているわけではない。しかし、回答者は質問者が有していたと思われる、「肉じゃがを『(牛/豚)肉』と『じゃが(いも)』の合成語と考える場合、両者の切り出し位置が異なる」という疑問点には答えていた。おそらく、ベストアンサーの回答者は質問の文意を以下のように理解した。
肉じゃがの「肉」は「牛肉」や「豚肉」の略称である。また、「じゃが」は「じゃがいも」の略称である。「牛」や「豚」が「肉」を修飾しているのと同様に、「いも」が「じゃが」を修飾していると考えられるのではないか。
これに対して、ベストアンサーは以下のように回答した。
多分それは、もともとは肉じゃがではなかったからだと思います。
この解釈は補足部分(聞きたいのは、じゃがいもも入っているので、肉じゃがのじゃがはじゃがいもの次は肉ですかと、という意味です。)を適切に説明することができないためおそらくは誤りであるが、質問者は自らの疑問の骨子が部分的に解決したと考えたため、同人物にベストアンサーを与えたものと推察する。
ほかになんかある?
素晴らしい。こういうのがもっとほしい
超上流工程
このお題のために作ったオリジナル合成語かなと一瞬思ったけど、調べるとちゃんとあった。素晴らしい。
とてもいい感じではあるが、合成語になっていて前後の結びつきが少し弱く、全体で一単語とはみなしづらい気もする。
素晴らしい。
スーパーヒーローショー
あり。
合成して量産できる言葉は選外。成り立ちは合成語だがほぼ一単語として通用している単語はあり(※主観が入ります)。固有名詞だと文句なし。
じゃかましい、東京消防庁も東京モーターショーも固有名詞じゃ文句があるなら「山形消防庁」や「佐賀モーターショー」を連れてきやがれ
Permalink |記事への反応(12) | 17:22
出揃いましたねベスト16。
今回はヨーロッパ+南米の勝ち上がりチームが史上最少といわれる一方でアジアとアフリカの躍進が目立ちます。
しかし、国や地域といったくくりを越えた勢力が今回目覚ましい成績を残しているのにお気づきでしょうか?
そう、「サッカー」勢です。
例の競技を「サッカー」と呼ぶか「フットボール」と呼ぶかは、ざっくり「アメリカ合衆国影響圏」か「ヨーロッパ+(イギリスの)コモンウェルス影響圏」のどちらであるかでふりわけられます。
もちろん、独自の呼び方を採用している国もいくつかあります。イタリアの「カルチョ」がその代表例ですね。イタリアでは一方で「フットボール」も広く用いられていて、たとえばボローニャFCなんかのFCは「フットボール・クラブ」の略です。他にもバルカン半島諸国(ボスニア、クロアチア、スロヴェニア)の「ノゴメット(nogo =「脚」、met =「投げる」を足した合成語)、韓国の「チュック(漢字表記では蹴球。日本でも使いますね)などがあります。ヨーロッパ圏では「ボール+脚」を自国語で表現した呼び名が多いのに対して、アジア圏では「ボール+蹴る」のほうが多いのは興味深いですね。
増田のお気に入りはスワヒリ語の kandanda 。由来は……よくわかっていません。カンダンダって、ナンナンダ〜ってかんじですね。
サッカー圏であるかフットボール圏であるかの区別の基準となるのはまず、その国のサッカー協会の名称。
たとえば、アメリカ合衆国の協会はUnited States Soccer Federation。実は1913年の設立当時は U.S.Football Association だったのですが、1970年代に現在の表記に変わっています。これはいわゆるアメリカン・フットボールのほうのフットボールが、1960年代からテレビで広く放送されるようになり、国民的スポーツとなりつつあった時期と重なっています。1913年時点ではルールすらロクに整備されてなかったんですがね。こういうところに産業の興亡が垣間見えるのはおもしろいですね。
さて、他の主な「サッカー協会」としては、カナダ(こちらも最初はFootball Association でした)、アメリカ領ヴァージン諸島(北中米カリブ海サッカー連盟加盟国では唯一。露骨ですね)、
アメリカさんの圧が強そうな中米諸国はいずれも「フットボール協会」です。コスタリカも「サッカー協会」と名乗っていればドイツに勝てたのかもしれない。
プエルトリコはちょっと複雑で、協会は「フットボール」ですが、プロリーグは「サッカー」を採用しています。ここにもアメリカとの一筋縄ではいかない関係が反映されています。
オーストラリアのように公式には協会名を「フットボール協会」としていても、使われる頻度で言えば「サッカー」のほうが断然優勢であるという国もあるのです。
オーストラリアの場合は2005年に「サッカー協会」から「フットボール協会」へ名称を変更しました。これは「フットボール協会」圧倒的優勢な国際情勢を見ての判断でしたが、長年使われてきた「サッカー」呼びへの愛着は強く、国内ではいまだに普通に「サッカー」です。特にオーストラリア代表の愛称はサッカーとカンガルーをかけあわせた the Socceroos で通っていて、代表公式twitter もこの愛称がアカウント名になっています。
協会の英語での名称はJFAすなわちJapanFootball Association。なのに国内(公益財団法人として)の公式名称は「日本サッカー協会」。
すがすがしいまでの二枚舌です。メインストリームであるヨーロッパにはうちは「フットボール」派ですよ〜本気でやってますよ〜という身振りをしておいて、国民に向けてはガハハハどうやサッカー愉しいやろガキどもとアメリカン・ダッドなふるまいをしているのです!
しかし、この狡猾さこそが日本のサッカーにこれまで欠けていたといわれるマリーシア、すなわち良いずる賢さのヒントになったのではないでしょうか。
ドイツやスペインも「フットボールなら勝てる」という自信があったのでしょうが、日本が繰り出してきたのは「サッカー」だった。その罠にかかったのです。
他にも南アフリカ、ブルガリア、パプワニューギニア、マン島などが「サッカー」由来の名称で呼んでいます。
ここ二十年の「サッカー」勢の決勝トーナメント進出数は以下の通り
そう、「サッカー」勢が今最高に盛り上がっているのです!
ここに今回グループリーグで破れたカナダや地区予選敗退の南アフリカ、古豪ブルガリアなどが加われば、いずれ「サッカー」が「フットボール」に勝つ日が来る!!
3月に書いた記事以降も、たくさん新しい単語を覚えてしまったので、前回のものも含めて網羅するつもりで紹介します。
と思ったらトラバ(anond:20220530232733)で指摘してもらった。知らんかった。
片仮名のモラルはmoral 道徳morale は 士気