はてなキーワード:合併とは
ワイ、隣の市に合併されたとある町の農村部に住んでるんだけど、農村部なので昔から保守系の地域である。
ジジババがこの地域では地域に利益を誘導する誰々に入れろとうるさかったりしていた。
町長選挙も町が二分されて怪文書が出回ったり、賄賂で町議会議員の半分ぐらい逮捕されたりして、ひどい有り様だった。
そんなジジババもいなくなり、農村部も道路ができて便利になってきて、いなくなった農家の敷地を何分割かして宅地にするなどして、新しい住民が入ってきた。
今回、そんな農村部の選挙ポスターの掲示板に、N党の選挙ポスターが貼られていた。
それならまだ普通なんだけど、同じ町の中の他の掲示板はN党の場所はまだ貼られていない。
何か所か掲示板を目にしたんだけど、N党が貼られているのはここだけ。
参政党も立候補してるんだけど、参政党は全部の掲示板にちゃんとポスター貼ってある。
でもN党が貼られているのはここだけ。
やばくない?
爆サイに書こうとしたけど地域が絞られてしまうのでここに書きました。察してください。
その1→https://anond.hatelabo.jp/20250625180545
最近と言っても数年前だが、アルトの現地製造開始というニュースを読んだことある人も多いかもしれない。という事で、スズキがやっぱり軽自動車を現地生産している。現政権が産業育成の為に中古車の関税を100%に上げたので現地生産化が進んでいるんだな。
軽トラ軽バンの現地生産はずっと昔からやっていて、パックスズキ・ラヴィって名前で売っている。ちょっとこの商品ページを見ておくれよ。
https://dnd.com.pk/suzuki-ravi-price/284487/
「テクノージア!」とか言いそうな格好の爽やかニキが荷物積んでるスズキキャリーだが、このデザインって日本では1972年から79年(昭和47~54)に作ってたヤツなのだ。どうやら、日本でモデルチャンジ→製造ラインをインドネシアに譲渡→パキスタンに譲渡、となったようなのだ。古すぎだろ。
日本では最初2スト360ccのエンジンを積んでいて途中から軽規格改正で550cc化したのだが、パキスタンモデルは4スト800ccを積んでいる。しかもそのエンジンは現地生産の最中にグレードアップしていて、今のはEFIと触媒マフラー装備なのだ。2スト360ccだった昭和4~50年モデルにEFI…。
お値段は1,768,000ルピー。日本円で90万円。いやこれ高すぎないか?日本のパワステエアコン装備の最低グレードが110万円程度だぜ?現地の人買えるのかなこれ。
まぁ何でも修理して車が永遠の命を持つ国(コンティニュー代は2000ルピーです)だから一生ものなんだろうけど。
あと、360~550cc時代の軽トラは衝突安全性がゼロで足切断とか死亡事故になり易いんで注意して乗って欲しいものである。
他社も沢山参入しているんだが軽自動車はやってるのかな?ちと分らん。
この辺で「スズキの存在感がヤバくない?」と気が付いた人もいるかもしれないが、そうなのだ。スズキは海外軽においての巨人で、あちこちでノックダウン、ライセンス、現地生産をやっているから、どこかの国で市場が興りそうとか、国が誘致している、という時に旧型車の製造ラインを移設できるし製造ノウハウ指導経験も盛ん。
だから他社に先駆けて参入して塁を固められるし現地の経済発展に無くてはならない会社と認識されるようになるんだ。日本でコカ・コーラやマクドナルドを外国企業と特別視する事ってないけど、ああいう感じ。
この辺は日本企業のナワバリからは遠い。代わりにアメ車メーカーがナワバリにしている。
そして思い出してほしい。韓国大宇とGMの合弁がスズキキャリーなど、韓国起亜がダイハツハイゼットのライセンス権をもっていることを。台湾フォードがキャリーなどのライセンス権を持っていることを。
という事で、これらの地域ではGMがダマス、KIAがタウンナー、フォードがプロントの名で売りまくっているわけだ。
因みにGMのダマスのブランドはシボレーで売っている。だからそれらの地域ではこういう風にシボレーエンブレムを付けたハイゼットが走っているというわけ。 https://chevrolet.uz/damas
だから、中東や南米の人にとっては軽トラ、軽バンはアメ車なのだ。自国ではシボレーダマスが走っている。旅行で隣国に行くとフォードプロントが走ってる。ああ、アメ車って小型トラックや小型バンが強いんだな。そう思うだろう。しかもエンジンにはDaewooと書いてある。どこにも日本要素が無いんだな。当然左ハンドルだし。
これは軽じゃないので脱線なのだが、ライセンス生産の複雑さの果てに変り果てたフォード車がトラックになってイランで製造されてるという話。
1986年から90年代前半にマツダとフォードの共同開発でフェスティバという1.3L小型車が日本で製造されていた。2ドアハッチバックだけの設定だ。後のユーノスロードスターに乗るエンジンは実はこのフェスティバ用に開発されたものだった。
んで、これが韓国の起亜にライセンスされてキア・プライドという名前で製造されるようになる。この時キアは金型を新製して4ドアセダンと4ドア+ハッチバック、4ドアワゴンをラインナップに入れたのだった。まぁここまでは分かる。
次にこのキアプライドが旧式化した時に、今度はイランのサーイパー社にライセンスされた。すると同社はキア・プライド4ドアワゴンをベースにトラックを製造するようになったのだ。
これが、 フェスティバ https://www.fordfestiva.com/multimediaandfun/gallery/image14.htm
こう。 SAIPA 151https://www.flickr.com/photos/worldcars/44599502264
イランとアメリカは政治的に対立しているんだが、途中に韓国メーカーが挟まる事によって35年前のバッチバックがトラックになって未だに製造されているという不思議なことになっている。
ボクスホール社がラスカルという名前でキャリーを製造していた。これは、GMの工場でライセンス生産して、それを傘下のボクスホールが売るというモデル。
ベスパスクーターで有名なピアジオ社がアペブランドでハイゼットを販売。
ベスパはスズメバチの意で、ボディデザインが蜂のお尻に似ていてエンジンがブンブンうるさいので名付けられた。これが貨物輸送など実用で多く使われるようになったので三輪トラックを作る事にした。商用なので働きバチ→ミツバチ→伊語でape、アペと名付けたってわけだ。
このアペだが最初は150ccだったが、ベスパの方で50cc~125ccの小型版が派生するとアペの方も派生。50ccの超小型三輪トラックと、ガソリン200cc orディーゼル400ccの三輪トラックに分かれた。
因みにローマなどの歴史的都市は道が狭いので1980年頃に小型バイク以外全面進入禁止になった。でもそれだと住んでる人や商売している人が困ってしまうね。だからこの50ccアペだけは除外指定されたのだ。だからこれらの歴史都市に行くとちっこい三輪トラックがブンブンと走り回っている。45km/hしか出なくて実用性低いんだがこういう都市では無くてはならない。
で、大きいほうのアペはちょっと中途半端だ。800kgまで積めるがエンジンが12馬力くらいなんで歩くくらいの速度になってしまう。
そこでもうちょっとグレードアップしたアペを売りたい、という事で4輪版アペポーカーというのを作った。ディーゼル400cc単気筒17馬力で80km/h。
そしたら次はもっと実用的なのが欲しい。で目を付けたのが技術的にこなれまくっている日本の軽トラ。ダイハツハイゼットを製造して4輪版アペポーターとして売り出した。
ただ、1990年代前半当時の日本軽トラ軽バンは衝突安全性が低すぎてEUの規制に通らない。そこでフロント部分を頑丈にした特殊仕様フレームを制作して、エンジン以外の機械部品はダイハツが製造して輸入して組立るという方式にした。つまりノックダウンとライセンス生産の中間形態。
内装や外装プラ部品は安っぽくて気に入らんので全部自社生産、エンジンはダイハツの海外向けエンジン、ロンバルディニ製(小型ディーゼルエンジン専業メーカー)、インドのマルチ製から選択して搭載。勿論左ハンだ。
https://nepiallestimenti.it/prodotti/ambulanze/ambulanza-porter/
ストレッチャーがギリギリ入るサイズの救急車だが、これもまた歴史地区とかの道路街区が狭苦しい地域での搬送の為だという。因みに日本の軽トラ軽バンの荷台は日本家屋の建材、1820mmが入るサイズを死守する寸法になっているので人間も横向きで入ると言えば入るのだがかなりキツそうである。因みにこの1820mmは六尺で、つまりは日本の旧尺貫法が世界中に影響を与えてるんだな。
英国では先述の通りにボクスホールがラスカル(キャリー)を製造販売していた。それはつまり軽トラ軽バン市場が出来てるってこと。
だったらそこにアペポーターをぶつけりゃ売れるじゃん?って事で英国に進出。だから英国ではハイゼットとキャリーが両方とも走っていたのである。
youtubeショートとかで「アメリカで軽トラ人気なのに州によっては登録却下される。これはビッグ3のロビーイングのせい」という動画見た事無いだろうか?どの動画もそのニュアンスだよな。でもこれは以下の点でデマじゃないかな?と思ってる。
実は軽トラは過去にもアメリカに結構な数が入っていたのだ。でもその時には型式登録した自動車じゃなくてATV(全地形車、4輪バギー)としての扱いだったのだ。どうせ大して売れないので農具や庭園作業車の需要を狙ったようだ。これならサポートも工具や遊具扱いのコストが掛からない方法で十分だ。
で、このATVだが、州によって扱いが全然違うのだ。どの州でも一緒なのは農機具としてなら登録も税金も必要ないということ。だが遊具(バギー)や他の作業車としてなら登録必須で税金も取るとか、登録自体が出来ないし道路を走るなという扱いだったり、道路走っても良いが州境を跨いで他に行くなよと定められてたりとゴッチャゴチャ。
で、果樹園の収獲車、国立公園のパトロールや空港のカート、スタジアムの巡回車などで使われていた。こん時に、バギーは開放型との規制がある州があって、そういう州ではドアを付けないで販売していた。(日本のトライクなども同じ規制がある)因みに当然左ハンだ。だって海外仕様があるんだからね。
で、最近になって25年ルールもあって軽トラがYoutubeで人気になる。25年ルールってのは、右ハンなどアメリカの安全基準に反する車両でも25年落ち以上なら輸入して登録できるよという制度。
だけど州によっては登録に待ったをかける州がある。かてえ事言うなよ、豆腐の国の車なんだぜhahahaって動画が出回る訳で、それを見た転載動画制作してるボケナスどもがこぞって「デカくて高いピックアップが売れなくなったら困るBIG3のロビイングによる嫌がらせ」説を採用するって寸法だ。
だが昔の見たらそりゃ無理筋な陰謀論だと分かるだろう。過去、軽トラは州によっては登録できない農機具、ATVとして輸入されてたのだ。それを25年ルールで解禁だと輸入されても、型式自体が登録されてねーし、当時は農機具、バギー扱いだったんだから無理だべって事になるのは当然だよな。しかもATBとしてもドアついてちゃダメって州もある。
こういうのってさ、アメでの軽トラ人気なんてニュースは面白コンテンツで消費すればいい情報じゃない。だけどその先で登録できないのはBIG3の陰謀、となると、軽い面白コンテンツに政治判断や社会の見方のマズイ類型が付いてきて気付かずに受容しちゃってるわけよ。軽い面白ニュースを消費してたはずがボケナス世界への入口に入っちゃってるってわけ。
中国が鄧小平の開放路線に切り替えて割とすぐに日本企業は進出して合弁を設立してまずはノックダウンから、経済力が上がるに従って現地生産率を上げていった。
…んだけど増田は中国市場に関しては全く不如意なのだ。なので説明出来ん。
こうしてみると、なんだがスズキの存在感がデカくない?と気付くはず。なんか世界中でスズキの小型車を製造してる。スズキ自体は一見、自動車製造者としては松竹梅の梅と見ている人が多いかと思う。だが海外製造では異常な存在感がある。鈴菌が世界中に広がって根を張り車両が増殖してるみたいな感じだ。
こうなったのは、スズキ自体の営業努力も当然あるが、GMと提携していたという点も大きい。GMの製造拠点は世界中にあり、南米、東欧、中東などスズキが独自拡販仕切れないところでもGMがライセンス生産をしてきた。その為鈴菌保菌者のシボレーが世界中で沢山作られてきたのだ。アメ車メーカーがデカい車作って輸出するってビジネスだけやってると思ってる人は目を覚ますべきだ。特にアンタだよ、アメリカ大統領。
ホンダなどは軽トラ製造から手を引いてしまってOEM供給に切り替えてしまった。国内だけ見るとホンダアクティは人気もあったし不思議な選択に見えるね。
でも世界規模で見ると、スズキの規模がちょっとトンでもない。モデルチェンジしても旧型の加工施設を他国に売れるし部品設計のコストが何十年にも渡って回収できるのだ。だってパキスタンのキャリーなんて50年同じの作っててガッツリ売れてるんだぜ?規模の経済も利く。
そうするとホンダは巨人ではあるが、スズキはなんか体の一部が鈴菌感染で筋肉が肥大した片足タイラントみたいな感じだ。うわ、こんなのと戦ってられるかよ、だったらOEMにしとこ、となったのではないか。
スズキには劣るがダイハツもあちこちでの販路、ライセンス製造拠点がある。するとその他の軽メーカーはとはちょっと差が開きすぎてる。
因みに軽トラ軽バン中心なので端折ってしまったが、実は軽トールバンの嚆矢、ワゴンRも世界中で作られるようになっている。売れに売れたワゴンR、その設備がまた世界のあちこちで稼働しまくっていて鈴菌をばら撒いているという状態だ。ワゴンRも軽トラ軽バンに続く世界的商材となっている。
すると、ステランシス会長が「EUも軽自動車規格定めろ」という発言は、日本市場を見て言ったのではないって事に気付くよね。ステ会長が見てるのは海外生産の軽の方だ。特にEUには旧共産国で発展が遅れている東欧が多く参加している。東欧市場は南米やアジア市場と似ているだろう。ならば軽だ、キャリーだワゴンRだ、という考えなんじゃないか?
ステランティスに合併したクライスラーはこの手の海外軽には絡んでこない。でも海外生産のプロみたいなメーカーが合併している。それは仏のルノーと伊のフィアットだ。特にフィアットはデタントになると東欧やソ連に進出してライセンス生産を多くしてきた。
だからフィアットのノウハウで東欧にて軽自動車を生産して、GMダマス(キャリー)やワゴンRと競争するみたいなイメージなんじゃないかと想像する。
最後が切れちゃったのでその3に続くぜ→https://anond.hatelabo.jp/20250625183754
三菱系企業は戦前から東大、一橋、慶應義塾が強いと言われてきましたが
三菱重工業では伝統的に三菱長崎造船所や下関造船所の関係で九大(九州帝國大學)工学部も強い(三菱重工業第10代社長は九大工卒の増田信行)ですし、京大(京都帝國大學)も三菱系には全般的に強いです。
三菱銀行や三菱信託や東京海上火災保険や明治生命保険の三菱系の金融会社では伝統的に東大と一橋と慶應義塾が強く特に三菱銀行では三菱合資會社社長の三菱財閥四代目の岩崎小弥太(岩崎弥之助の長男)に厚く信頼されていた加藤武男(吉田茂内閣経済最高顧問)の影響で慶應義塾が東大と並ぶ学閥が強いことで有名でした。
戦後の三菱銀行でも加藤武男(慶大理財)、千金良宗三郎(慶大理財)、宇佐美洵(慶大経済・佐藤栄作内閣で池田勇人内閣からの引き継ぎ人事として戦後初の民間銀行出身者として第21代日銀総裁に就任)の3名が慶大卒業生で小笠原光雄(東京帝大法)、中谷一雄(東京帝大法)、田実渉(東京帝大経済)、中村俊男(東京帝大法)、山田春(東京帝大法)、伊夫伎一雄(東京帝大経済)、若井恒雄(東京帝大法)の東大卒業生7名に次ぐ頭取を輩出しています。
三菱商事は伝統的に圧倒的に東大(東京帝國大學)が強く慶應出身の社長は水産畑の第5代社長の三村庸平(慶大経済)社長だけですし、一橋出身の社長は機械畑のブンチンこと第4代社長の田部文一郎社長(東商大)と戦後の混乱期の田中完三社長(東京高等商業卒業で三菱合資會社出身)の二人だけです。
戦後の東大出の三菱商事社長は服部一郎(東京帝大法)、高垣勝次郎(東京帝大法)、荘清彦(東京帝大経済)、藤野忠次郎(東京帝大法)、近藤健男(東大工)、小島順彦(東大工)、小林健(東大法)、中西勝也(東大教養)の8名となります。因みに高垣勝次郎氏のご子息の高垣佑氏は東大経済学部卒業後、東京銀行(戦前の横浜正金銀行)に入行し、上記の若井恒雄頭取の時代の三菱銀行と合併して東京三菱銀行の初代頭取に就任します。
三菱商事の社長には東大や一橋や慶大以外には三菱の岩崎小弥太と縁が深い旧制成蹊高等学校からハーヴァード大学政治学部を卒業した第8代社長の槇原稔や大漢和辞典編纂者の漢学者の諸橋轍次氏の御曹司である上智大学経済学部を卒業した第7代社長の諸橋晋六や早稲田大学理工学部を卒業した第9代社長の佐々木幹夫や京都大学経済学部を卒業した第12代社長の垣内威彦等もいてアメリカのハーヴァード大学やカソリックのイエズス会経営の上智大学卒業の社長もいる様に東大卒業者と慶大卒業者に昭和時代にはほぼ頭取の卒業大学が限定されていた三菱銀行に比べると結構、外国大学や早慶以外の私大等バラエティに富んでいます。
三井系は戦前の三井銀行は財界三田閥の慶應義塾出身者の中上川彦次郎(福澤諭吉の甥)や池田成彬(中上川彦次郎の女婿)の強い影響力でかなり強い慶應閥の銀行でした。
戦後の三井銀行(戦前には第一銀行と合併して帝國銀行)及び三井グループのドンと言われた佐藤喜一郎は戦前の三井銀行では慶應義塾大学に次ぐ学閥だった東京帝國大學経済学部卒業生でした。佐藤喜一郎は旧制横浜一中(現在の県立希望ヶ丘高校)、旧制一高、東京帝國大學経済学部卒業のエリートで当時の池田成彬と並ぶ三井銀行の実力者だった東京英和学校(後の青山学院)出の米山梅吉の紹介で三井銀行に入行します。
戦後の三井銀行でも慶大出身の社長(頭取)は柳満珠雄(慶大理財)や板倉譲治(慶大経済)や神谷健一(慶大経済)と東大出身の佐藤喜一郎(東京帝大経済)、田中久兵衛(東京帝大経済)、関正彦(東京帝大経済)、末松謙一(東大経済)の4名に次ぐ3名を輩出しています。
三井銀行では戦前は池田成彬と並ぶ実力者だった米山梅吉(後の三井信託社長)が青山学院の前身の東京英和学校の出身者であったので其の米山梅吉の強い引きで三井銀行に入行した青山学院高等科卒業の万代順四郎も慶應出や東大出との出世競争に打ち勝って三井銀行の頭取を戦前に務めています。※銀行では戦後は頭取と呼ばずに社長と呼称しています。
しかしながら三井財閥の持株會社だった三井合名會社と並ぶ中核企業だった三井物産は鈍翁・益田孝の三田閥偏重の学閥排除の目的から意識的に一橋の高等商業学校や東京高等商業学校や東京商科大学を三井物産の幹部社員候補として意識的に重点的に優先採用して来たので戦前から戦後のある時期までは三井物産は完全な一橋の如水会が最大の学閥となる総合商社でした。
戦後の三井物産でも名物社長と言われた三井物産再統合の立役者・新関八洲太郎や『ハヤブサの達』こと水上達三、『根アカ経営論』の八尋俊邦等は皆、一橋の東京高等商業学校や東京商科大学の卒業生です。
戦後の三井物産の東大出の社長は池田芳蔵(東京帝大経済)、江尻宏一郎(東京帝大法)、槍田松榮(東大工)、安永竜夫(東大工)の4名で京大出の社長は熊谷直彦(京大法)と上島重ニ(京大経済)の2名で慶應出の社長は今の堀健一(慶大経済)の1名だけです。
一橋(3)と東大(4)と京大(2)と慶大(1)以外の三井物産の社長の学歴は長崎高等商業学校(長崎大学経済学部)卒業の若杉末雪と東京外国語大学外国語学部ポルトガル語学科卒業の清水慎次郎と横浜国立大学経営学部卒業の飯島彰己となります。
住友系は戦前の財閥持株会社だった住友合資會社が戦前には今の東大の東京帝國大學や今の京大の京都帝國大學や今の一橋大の東京商科大学や今の神戸大の神戸商業大学の旧帝大と旧商大グループを意識的に幹部社員として優先採用してきたので今でも東大、京大や一橋大や神戸大が人脈的に強い傾向があります。
戦後の住友銀行頭取は野田哲造(東京帝大法)、鈴木剛(京都帝大経済)、堀田庄三(京都帝大経済)、浅井孝二(神戸高商)、伊部恭之助(東京帝大経済)、磯田一郎(京都帝大法)、小松康(東京帝大経済)、巽外夫(京都帝大法)、森川敏雄(東大法)、西川善文(阪大法)となります。
戦後の住友銀行の頭取の学歴は京大4名、東大4名、阪大1名、神戸大1 名となります。
三菱財閥や三井財閥の銀行や商社に多く見られた一橋や慶應義塾出身者は住友銀行頭取では皆無となります。
文系は戦後派の阪大も住友系には強く西川善文元三井住友銀行頭取(後にゆうちょ銀行社長)の様な個性的な人材を輩出しています。
そうだろうか?
キズナアイは日本の公的機関や日米芸能界、世界の有名YouTuberやアーティストには結構受け入れられていた感じがする。
NHKの特設サイト「まるわかりノーベル賞2018」に出たり、日本政府観光局ニューヨーク事務所の訪日促進アンバサダーになったり。
NHKのバーチャルのど自慢、バーチャル紅白、キー局各種の情報番組に出て、日テレで「のばん組」系の冠番組も持った。
ファンの7割が海外というデータもあり、映画『アリータ: バトル・エンジェル』のクリエイターズセッションでアカデミー助演男優賞を受賞したクリストフ・ヴァルツ、ローサ・サラザール、ロバート・ロドリゲス、ジョン・ランドーなどと共演したとか、PewDiePieと絡んだとか、2017年の時点でBBC、Tubefilter、The Vergeなどで特集され、2019年には、ニューズウィーク日本版4月30日・5月7日合併号にて「世界が尊敬する日本人100」に選ばれたとかってwikipediaには書いてある。
とはいえ、バーチャルキャラクターとして「75億人のみんなとつながる」なんて大掛かりで平和的なビジョンを大真面目に掲げて分野横断的に活動した人はキズナアイが最初で最後で、あとに出てきた、バーチャルYouTuberではなくVtuberを名乗る人たちは、バーチャルキャバクラと揶揄されても否定できないような狭いファン商売に終始するばかりの志の低いものだった。いわばバーチャル地下アイドル。箱に所属し配信者ノリでドル売りをする、ビジネス手段に成り果てた。せいぜいが自分の興味あるリアル分野とコラボするくらいで、キズナアイのようにあちこちの業界の偉い人に体当たりしていき、いずれ世界を股にかけて異なるクラスタにいる人類をつなげようとするかのような雰囲気を匂わす人は出てこなかった。バーチャルアバターが秘めていた人類のあらたな在り方と自己表現の夢は、金に目がくらんだ人たちが作り上げた現実的な構造を前に忘れ去られた。そうこうしているうちにコロナからの戦争と、世界は平和とは真逆の、憎悪と経済対立の方向へあれよあれよと傾いていった。そうしてキズナアイも休止の末アーティスト活動をするだけの無力で平凡な存在になってしまった。Binary Skinに掛けられた魔法を解いたのは誰だったんだろう? きっと、犯人はどこにでもいたんだろう。みんなが少しつづ解いてしまったんだ。
昭和の終わりが近づいていた。
そう嘯く局長がマスコミに出るたび、日経平均はまた数百円上がる。
「投資が花なら、開発は実だ」
彼らはそう信じていた。
彼らの下には、全国の都市銀行が控えていた。
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以降、都銀は地方に支店を送り込み、次々と融資の指令を出した。
目的地は、海辺の荒地、山間部の棚田、温泉もない無名の山間地――
にもかかわらず、そこに「リゾート開発」や「企業の研修所」が次々と企画された。
補助金がついた。
銀行は後押しした。
「これは国策だ」と耳打ちされた。
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祐介の勤める準大手ゼネコンにも、年間数千億の開発プロジェクトが舞い込んできた。
確かにそうだった。
帳簿には都市銀行からの巨大融資が並び、そこに“大蔵省了承済”というメモがついていた。
受注は順調。見かけ上の売上は増大し、社員も5千人を超えた。
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そして、まるで何事もなかったかのように、大蔵省が正反対の方針を打ち出す。
「過剰な投資に歯止めをかけろ」
テレビではエコノミストたちが、「ゼネコンの無駄」「地方開発の失敗」を声高に非難していた。
夜のワイドショーでは、構成作家の書いた台詞をもとに、出演者が一斉にゼネコンを叩いた。
だが、祐介にはわかっていた。
用地を買えと言われた。
建てろと言われた。
工事代金の支払いも、半分以下で打ち切られた。
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「これは大蔵省の失敗では?」
そんな疑問を投げた週刊誌は、翌号には消えていた。
だが、それでも祐介たちに支払われるはずだった金は戻らなかった。
「これは自己責任です」
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以前、自分が描いたリゾートホテルの設計図が、雑草の中で風化していた。
近くには、地方自治体が建てた「文化交流館」が、無人のまま佇んでいた。
「国が作らせて、国が壊した」
そして、その“後始末”を金に変えたのが、弁護士だった。
そこにいたのは、100億円の報酬を受け取る者と、仕事を求めて彷徨う新人弁護士たち。
法の名を掲げ、企業を切り捨て、土地を安く買い叩いた者が、真の勝者となった。
そして祐介たちのような建設労働者、技術者、設計者は、歴史の片隅に置き去りにされた。
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今、祐介は建設業界の人手不足のニュースをテレビで見るたびに、
「それは30年前のツケだ」と呟く。
人を棄て、技術を棄て、命を棄てた国が、
いまさら成長戦略などと唱えるたびに、祐介の胸には鈍い痛みが走る。
あのバブルは、俺たちが起こしたんじゃない。
起こさせられて、捨てられたんだ。
ホンダが日産を子会社化する提案を出したからです、日産は“対等な経営統合”しか望んでいなかった。
ではなぜホンダが到底飲めないであろう子会社化を提案したのかです、これには複数の理由がありますが、いちばん大きかったのは日産の意思決定が異常なほどに遅かったからでしょう。
日産ネクストという改善策を打ち出したのはいいけどそれが全然進まない、スリム化を打ち出しているのに工場閉鎖はしないなどちぐはぐなところも全く変わらない。
これにホンダが痺れを切らし“もうウチがやるから”って提案したら日産に逆ギレされたんでしょう、なかなか宿題をしない子に親が「手伝ってあげるから早くしなさい」って言ったら「今やろうとしていたのに!」って返されたのと同じことです。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10310507205
であればホンダに身売りしたほうがよかったのでは?
いや新作もちゃんとチェックしてるのよ
ダンジョンエンカウンターズとかハーヴェステラとか、最近のソシャゲだったらエンバーストーリアとか
ただ雰囲気がとっつきにくいのよ
デザインなのか特徴にあんまり尖りが無いのかシステムはふ~んって思っても
キャラクターと世界観がぼやけてたり平凡って感じがしてあんまおもろなさそやなあと思ってしまう
ガンガン作品(花子くんとかコミカライズだけど薬屋とか)は結構小中学生好きなのにゲーム部門ではどうして…って思ってしまう
一応漫画家とコラボしたりもするけどヒロくんとかで世代的にちょいズレてんなあと思ったり
作りたい作品を作るのはスクウェアやエニックスの頃の合併前から変わってないと思うのね
高解像度になったからこそイメージが不明瞭になってる上にその気質が重なって仇になってる感じ