はてなキーワード:台所とは
この点で「いろんな意味で終わってる」と思う元増田の感想はまあその通りだねと認める。
皿を洗う手間が惜しいのではない。皿を洗う気力がないのだ。
生活自体やめられるものならやめたいが、気力がなくても生きなくてはならない。
台所にカビや藻の浮かんだ半年間洗ってない食器を放置するのと使い捨て食器を使うの、どちらがマシかは考えるまでもないだろう。
使い捨て食器を使うような人間は大抵インスタントコーヒーを使う。電気ケトルで沸かした熱湯を入れてハイ出来上がり。つまり熱々のコーヒーと親和性が高いわけだ。
「ぬるいコーヒー」を飲む人間というのは、コーヒーに最適な湯温である90度前後にわざわざ調節してるこだわり派か、コーヒーメーカーで作り置いて保温したコーヒーを飲んでるような人間だ。つまりレギュラーコーヒー派である。彼らは丁寧な生活寄りの人間である。全然終わってない。
ところで、誰もが疲れてるし余裕もないというのなら、手を抜くところは抜いて、自分がエネルギーを注ぎ込みたいところには手を抜かないといったメリハリも必要ではないか?
食器洗いが苦手で他の人よりエネルギーを消費してしまう人だっているだろう。そのような人にとっては使い捨て食器を使うことは合理的といえる。
「使い捨ての方が時短になるし衛生的じゃん」みたいな言い訳を真顔で言うやつがたまにいる。そういうやつに限ってゴミの分別すらできてない
お前はたまにいる「そういうやつ」のゴミ袋をわざわざ漁って中身を見たのか? 少なくとも私は分別はきちんとしている。
お前はたまにいる「そういうやつ」と生活環境をともにしているのか? いったいどういう状況なんだ? お前の家族の話なのか。そうすると「たまにいる」という記述との整合性が取れなくなるが。
おしゃれにデザインされた「ちょっと高い使い捨てカトラリー」なんてのが売ってて本当に地獄だと思った。意識だけ高い風を装いながら中身は何もない。結局「捨てられる」ことに快感を覚えてるだけだろ。責任を取らなくていい安心感。汚れたものを洗わずに済む安堵感。そういうのを積み重ねて、自分の生活の重みを全部削ぎ落としていった先に何があるのか。もうペラッペラの人生しか残らない。
そのオシャレなちょっと高い使い捨てカトラリーって、友人らを集めてパーティーやらバーベキューやらピクニックするときに使うやつだろ……。頭大丈夫か? 2級の精神障害者に心配されるってよっぽどだぞ。
ここに書かれた文章からは、なぜ脱プラが必要なのかを理解してるようには思えない。環境問題の話のはずが自堕落さや人間性や道徳の話にすり替わっているからだ。
問題は、そういう自堕落さに無自覚でいること。便利に身を任せてるうちにいつのまにか自分自身も「消費される側」になる。そうやって気づかずに摩耗していく生き方ほど空虚なものはない。
なぜ自分は理解しているつもりでいて、相手は無自覚であると決めつけるのか。あまりに傲慢では?
それに社会で生きている以上、消費される側にならない人間なんていない。それっぽいことを書いているようでいながら急に論理が飛躍するところは確かにAIが書いた文章っぽい。
仮にAIでない場合──今までの経験上、こういう物の見方をする人は大体メンタルの疾患があった。元増田もなにか持病があるのではと疑いたくなる。
便利の裏にはどこかしら腐臭が漂ってる。それをごまかして「楽でいいよね〜」とか言ってるのを見るたび、ああもう戻れないんだろうなと思う。使い捨ててるのは物じゃなくて、たぶん自分の生活そのものだ。
タイトル通り。
特に毒親とかではないと思う素晴らしい両親と同居して都心から遠い以外は問題なかったが、父がコロナにかかって衛生観念が違いすぎることをきっかけに一人暮らしを検討し始めた。
思ったより物件探しって大変なんだね
以下条件
①食にこだわりがある
②聴覚過敏
③人の気配が怖い
渋谷まで急行で40分、ド郊外目の前公園THE閑静な住宅地の戸建だったのでマンションの上下左右に人がいる状態が怖い。滞在したウィークリーマンションだと足音・くしゃみ・廊下の音・窓の外の音に驚いた。浜松町近辺に住む友達のちょっといいメゾネットマンションにお邪魔した時も電車の音が四六時中聞こえてびっくりした。一言で言えば慣れだろうけどうっすら人間が全体的に気持ち悪いので不安
④東京23区が好き
これが条件として本当にきつい。でもそうなのだから仕方ない。中高で遊んだ街なので愛着がある。
なに甘えとるんじゃ現実見ろ!我慢せえ!もっと稼げ!予算に応じて場所変えろ!なんだろうけどいまの障害者雇用は都内外国系で人間関係もよく理解があるありがたすぎる職場&自分の専門性を活かせてるので転職して手取りを増やすのはすぐできるかというと難しい。
しかし同時に23区、特に真ん中ゾーンで10万未満の部屋を望む方がもちろん気が狂っている。ただ郊外住み→都内私立中高と大学に通学し続けた歴史を持っており、移動時間が長すぎなことが半分「恨み」に変わってきてるから都内一人暮らしで成仏させたい。
⑤日当たり
というより蛍光灯・シーリングライトが苦手。感覚過敏の一種だと思うが目、というより身体中が痛くなる感じに近い。できれば日中は電気をつけたくない
確かに自分は握力が10kgいかないので、何かあったら終わり。
⑦洗濯
汚い話で申し訳ないが究極に汚れるまで着て洗濯の仕方がわからなくて捨てたことが何度もある。
洗い終わったのに干すの忘れちゃって腐らせたこともある。オキシ漬け?も1週間放置した前科がある
多分乾燥機?つきのを買わないといけないんだけど予算的に難しいのでは?
⑧ゴミ捨て
これもよくわかっていない
24時間が絶対いいらしいというのは知ってるが、そもそも分別の基準がよくわからない
缶は洗うのか?ビンカンと書いてあるが明らかに違う物質を同じ袋に入れていいのか?この辺は学習できると思うけど、うっかり不注意が多く、怒られる未来しか見えなくてもう怖い(うっかりって気づかないし未然にチェックなどは膨大なエネルギーがかかるからまじ怖い)
⑨完全遮光
アイマスクすればいいと最近気づいたけど感触に慣れないからどうなんだろうね?
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以上なんとなく寝れなくてだらだらまとめただけだから読みにくくてごめん(ここまで読んでくれた人いるのかもわからんが)
キモい感覚持ちに生まれたらそれ満足させるためにお金要る→しかしキモい感覚持ちなのでお金稼ぎにくい のハメ技やめて欲しいよ〜〜😭
こんな感じで探せたら奇跡よな、多分妥協していくんだろうけど(ゆうて最上階・南向き・駅近・光ファイバーなどは初期の段階で捨ててこれ)
まあASDとか耳目を集める属性タイトルにした(卑しいね)けど、みんな大なり小なり家探しは大変だよねー こんな条件で見つかるのかな?笑って感じだけどやってみるわ
いい家みつかればいいなー進捗あったらまた書くね
寝れない夜の駄文でした
Permalink |記事への反応(29) | 03:18
スーパーで食パン買って、帰宅して台所に置いておいたら台所がすごくパンの匂いなので変だな、と思ってパンをよく見たら袋に穴が空いていた。いかにも「パンの袋を閉じるクリップみたいなやつが引っかかって空いた穴です」みたいな見た目だけど、誰がいつ開けた穴かわかんないし、虫とか入ってたらやだし、食べずに捨てたほうがいいんだろうな。200円もったいない…
ストレスが溜まる度にブルダックボックルミョン(カルボ味)を食べていた。
近くのスーパーには置いてなくて、近くのスギ薬局にしか置いてなかったのでストレス値が満タンになる度毎回買いに行っていた。
パワハラ上司に死ね死ね殺すと叫ばれ続けストレスフルだった時期は週に二、三回ペースで食べていたし、死人のような顔で店に入ってきては迷いなくインスタントコーナーに向かい毎回プルダックポックルミョンだけ買って行く姿が異様だったからか、ひっそりと店でのあだ名がプルダックさんになっていたりした。
最近はパワハラ上司が左遷されてストレスフリーになったためかスギ薬局に行く頻度も2週間に3回程度、それもプルダックポックルミョンではなくゴミ袋とかモッツラレラチーズとか関係ないものばかり買うようになっていた。プルダックポックルミョンは1ヶ月に2回買うかどうかぐらいだった。
春先、しばらく出張に行くことになった。会社の手配が間に合わず富山でのホテル暮らしが続き、さらには出張先には弊社パワハラランキング堂々の第1位の上司がおり、合わない環境と魔王上司にストレスフルになりつつなんとか耐えて、ようやくこっちに戻ってきた。物理的に距離を取ったことで解けていくストレスを感じつつ、早速プルダックを買いに行こうとスギ薬局に向かい、入った瞬間ふと違和感を覚えた。
配置が違う。
嫌な予感がした。今までは入り口入ってすぐにスギセレクトの化粧品やら洗剤やらがまとめられているはずなのに冷感スプレーの山になっているし、すぐ隣にあったプロテイン・ビタミン剤コーナーが化粧品コーナーになっていた。
ただの配置換えだろう。冷感スプレーなんて特に季節商品だから前に出したとかだろう。そう思えばいいと頭では分かっていた。
だけど、何故か─────説明できない嫌な予感が私を満たしていた。
(『インスタント食品』の案内板は?)
斜め上を見上げなから店内をうろうろと歩く。前なら6列目の店奥のコーナーに陳列スペースがあったはずだった。でも、何度探しても、インスタント食品の棚の前を3往復しても、あのおかっぱ頭のニワトリのイラストがどこにも見当たらなかった。
「あの」
「はい」
「ここにあったプルダックポックルミョンってどこに行きました?」
「はい?」
「プルダックポックルミョンです。あの、辛いカップ麺なんですけど、あの、前まではあって」
「あ───────…………」
店員さんは小首を傾げながらインスタント麺コーナーの棚を見まわし、一番下の段を指差した。
「コレですか?」
指差した先にあったのは日清のポックンミョンの袋麺だった。牙もプライドも失ったアホそうなアフロのライオンのイラストが描いてあった。
「あの、違うんです、変なおかっぱ頭の変なニワトリの絵が描いてあるやつです、あの、ないなら大丈夫です、すみません」
あからさまにテンションが下がった私に店員さんはインカムで何やら誰かとやり取りをして、そしてハッとしたようにこちらを見た。
「あのお客様、すみません、あのプルダック、ってやつ、本社指示で無くなっちゃったみたいなんですけど、Janコードが分かれば発注もかけられますよ!」
店員さんは心から、よかったね!というような微笑みを浮かべていた。コレだけで分かる、この人はきっと優しい人だ。
けれど、違うのだ。
注文をしてしまったら絶対に取りに来ないといけないではないか。
私は“ストレスが溜まった時に”“手に入れたいと思ったら手に入る”、その環境が失われてしまったのが辛いのだ。
私は曖昧に笑いながら先ほどのライオンが描かれた麺を鷲掴んでいた。
「…………あの、本当にありがとうございます。でもとりあえず今日は大丈夫です。申し訳ないので。すみませんでした」
力になってくれた店員さんにペコペコと何度も頭を下げて、茫然自失のままモッツラレラチーズと共に会計を済ませた。
家に帰って、ポックンミョンの封を開けて乾麺を取り出すとフライパンで冷水からそのまま煮始める。ボコボコと膨れ出した水面を眺めながら、
麺が茹で上がった頃、付属の味付け粉末を振りかけて雑に混ぜて啜ってみる。どこかぼやけたパッとしない味が口の中に広がった。麺も伸び伸びで美味しくない。ストレスが燃えていく気配もない。
緩慢に咀嚼しながら、私はプルダックポックルミョンのことを思い出していた。
今思えば、味が特別美味しいというわけでもなかった。
しかも食べた翌日に絶対にお腹を壊すし、翌日のオナラは劇物と化す。
文字にすると碌でもないが、それでも、私が欲しいのは、こんな日に食べたいのはプルダックポックルミョンだった。
とりあえず美味くもない目の前のこれを片付けなければ。そのストレスが薄ら降り注いでくるのを感じながら、台所のあと4食分残ってしまったポックンミョンの存在を思い出して、少しだけ途方に暮れた。
ある日の夕食。
仕事帰りにすき家でテイクアウトしたチーズ牛丼を、食卓に置いた瞬間だった。
中学生の息子が、その容器に向かってこう言った。
「……おかえり、ママ」
俺は思わず固まった。
その声は、優しく、切なげで、まるで本物の母親と会話してるようだった。
だけど、そこにあるのは発泡スチロールの容器に入った、ただの牛丼だ。
「冗談はやめろ」
俺は低い声でそう言った。
けれど息子は、こちらを見ようともしなかった。
「冗談なんかじゃないよ」
それを見つめるまなざしは、まるで愛おしいものを見るようだった。
「だって、パパがママのこと殴った日、ママこのチーズ牛丼みたいな匂いしてたじゃん」
息が止まりそうになった。
そんな記憶、もうとっくに忘れたと思っていたのに。
「ママ、あの時ずっと泣いてたよ。台所で、ずっと……牛丼、冷めてたのに」
俺は椅子に崩れ落ちた。
息子の声が、容赦なく刺さる。
「だから、これがママなんだ。これだけが、今もママの味がするんだ」
その瞬間、俺は初めて知った。
湯気すら出てないその塊に、息子は心を繋ぎとめていた。
俺は……何を壊したんだ。
息子は微笑んだ。
そして、そっと牛丼を抱きしめた。
俺は、もう声をかけることができなかった。
十月の風が窓を叩く音がした。いや、違う。それは祖父の酒瓶が割れる音だった。
午前二時四十三分。台所は琥珀色の月光に満ちていた。床に散らばるはずのガラス片は、かわりに空中で静止し、それぞれが小さな太陽のように発光していた。破片は星座を描いた。オリオン座。祖父が最後に見上げた、あの冬の夜の配置そのままに。
わたしは素足で台所に立っていた。リノリウムの床は10月なのに真夏の砂浜のように熱く、同時に真冬の湖のように冷たかった。時間が二重に流れている。過去と現在が、ガラスの破片のように重なり合って。
「酒ってのは液体の時計なんだ」
声は骨の中から響いた。祖父の声。でも同時に、わたし自身の声でもあった。振り返ると、食器棚の影に七歳のわたしがいた。将棋盤を挟んで祖父と向かい合う、あの日曜日の午後のわたしが。
浮遊する破片の一つが、ゆっくりと回転しながらわたしに近づいてきた。手を伸ばす。ガラスは指に触れた瞬間、温かい蜜のように溶けて、皮膚に染み込んだ。そして見えた——
1943年、フィリピン。若い祖父が震える手で水筒の蓋を開ける。中身は水ではなく、故郷から持参した最後の酒。彼は一滴も飲まない。ただ匂いを嗅ぐ。故郷の、母の、まだ生まれていない娘の匂いを。
記憶が血管を逆流する。わたしの指先から肘へ、肘から肩へ、そして心臓へ。脈拍が二つになる。わたしのものと、祖父のものと。
「時間は肝臓で濾過される」祖父はよくそう言った。「だから俺は毎晩飲む。過去を消化するために」
でも嘘だった。祖父の肝臓は時間を濾過などしていなかった。蓄積していたのだ。層を成して、地層のように。そして死後七年目の今夜、ついに器が耐えきれなくなった。
空中の破片たちが、ゆっくりと渦を巻き始めた。台所の時計は相変わらず二時四十三分を指している。でも朝日が窓から差し込み始めた。いや、それは朝日ではない。破片たちが放つ琥珀色の光だ。
母が階段を降りてくる足音。でも振り返ると、そこにいたのは二十三歳の母だった。祖父がまだ生きていた頃の。いや、祖父がまだ若かった頃の。
「お父さん?」母が言う。でもその声は、現在の母の声と重なって聞こえる。
酒瓶の首だけが、床に残っていた。ラベルには製造年が書かれている。1943年。いや、違う。見るたびに数字が変わる。1952年。1967年。1985年。2010年。2024年。そして——
「2031年」
まだ来ていない年。わたしは理解した。この酒瓶は、祖父が込めた未来の記憶も含んでいるのだと。彼が見ることのなかった、わたしたちの未来も。
破片の渦が速度を増す。台所の壁が透明になり始めた。隣の部屋が見える。でもそれは現在の隣の部屋ではない。1952年の、母が生まれた日の部屋だ。そしてその向こうに、1943年のフィリピンの密林が見える。さらにその向こうに、2031年の——
突然、すべてが止まった。
破片たちが、一斉に床に落ちた。普通のガラスの破片として。月光は消え、台所の蛍光灯だけが瞬いている。時計は午前六時十五分を指していた。
「あら、お父さんの酒瓶が」母は破片を見つめた。その瞳に、一瞬、琥珀色の光が宿った。「夢を見ていたの。お父さんが若い頃の夢を」
わたしは箒を取りに行った。でも知っている。破片を掃除しても、それは終わりではないことを。
なぜなら、わたしの血管の中で、祖父の1943年がまだ脈打っているから。そしてどこかで、2031年のわたしが、新しい酒瓶に記憶を注いでいるから。
時間は直線ではない。それは発酵し、蒸留され、瓶詰めされる。そしていつか、誰かの台所で、再び割れる。
ガラスの破片を集めながら、わたしは気づいた。その一つ一つに、異なる月が映っていることに。過去の月、現在の月、そしてまだ昇っていない未来の月が。
片方がセックスを望んでいるケースのセックスレス夫婦、地獄だよ。
というわけで、もし産後レスに悩んでいる男性が居たら、女性視点からのアドバイスをしたい。
まず最低条件として、産後の一ヶ月健診が終わるまで絶対にセックスには誘うな。
会陰切開の傷が癒えていない。頻回授乳でヘロヘロだし、ホルモン乱高下でグラグラ。
セックスに誘うのは、最低でも出産から一ヶ月以上はあけること。
赤ちゃんみたいな大きい物を出したのに、今更ちんこくらいの大きさの物で痛がるの?→普通に痛がる。なんなら処女喪失の時より痛い場合もある。
奥さんがあまり痛がるようなら無理強いせず、挿入は諦めてまた後日に挑戦すること。
絶対厳禁→妊娠前と変化した奥さんの体について言及すること(ex:太ったね、乳首黒いね等)
下手すると一生レスる。
とにかく妻の体調を気遣い、積極的に育児を覚え、家事を手伝うのが一番のセックスへの近道。
朝早起きして洗濯を洗って干し、夕食後の食器は速やかに片付けて洗うこと。
※飲み終わったペットボトルを台所に放置するな。洗ってラベルと蓋を取っておけ。もっというならペットボトル用のゴミ袋に入れろ。
洗剤やシャンプー、ボディソープ、等の容器がカラになったら補充しろ。「入れてもらう」のを待つな。
トイレットペーパーの残りが少なくなったら新しい物を出しておけ。
育児については、とにかくおむつ替えは俺の仕事だぜ?くらい率先してやるとよい。
完ミの場合、在宅中は夜間以外の授乳は俺がやる!という熱意があると嬉しい。
また休日の前夜は、妻に夜間授乳を代わると自ら申し出ると好感度UP。
なぜなら、新生児〜生後1ヶ月くらいの赤ちゃんは3時間毎に授乳が必要で、しかも授乳のたび20〜30分時間が取られる。そのため多くの母親は細切れ睡眠でずっと頭がぼんやりしている。
夜間授乳を代わってもらえる=長時間睡眠が取れる!なのでとてもありがたいことなのだ。
ただし、夜間赤ちゃんの泣き声で目覚めないと妻からの好感度な大幅ダウンするため注意されたし。
これは普段から家事ポイントを貯めておけば「仕事で疲れてるのね」「男の人は赤ちゃんの泣き声で起きないって本当なのね」程度のかすり傷で済む。
これらを全てこなして、それでも妻がセックスに応じてくれない時は、ちょっと妻の方の性格に難があるかもしれない。
正直愛があるなら「頑張ってくれてるし、一生レスになりたいわけじゃないし、付き合うか」くらいの気持ちにはなる。
というか産後の性欲はセックスチャレンジしないとずっと0のままなので、夫婦レスになりたいわけでなければ早めに再開した方が良い。乗り気じゃなくても。
産後のセックスは痛みを伴うことが多いため、スムーズに挿入出来るようになるまでは何回か数をこなさないとならないかもしれない。
痛み続くようなら婦人科へ。
Permalink |記事への反応(34) | 19:38
これは、“神のような存在”と暮らす男の祈りと解釈の記録である。
【1】
神は、朝に機嫌が悪い。
僕が目を覚まし、台所へ行くと、神はすでに湯気の立つマグカップを手にしていた。
「おはよう」と声をかける。返事はない。僕は、今日もまた“神の沈黙”に祈るように頭を下げる。
僕はコーヒーを入れる。その背中に神の視線は感じない。神はもう僕など見ていないかのようだ。
でも僕は思う。
この神を選んだのは、僕自身だ。僕はこの神を愛している。
【2】
結婚して15年。
ある朝、僕が震える声で言ったのだ。
「いってらっしゃいの時だけ、笑ってくれたら嬉しいな」
それは、天啓だった。
僕はあの一瞬の微笑みを、今でも何百回も思い出すことができる。
けれどそれは再現されなかった。
僕はうなずき、悔しさと悲しさを胸にしまった。
僕はいつも通りに言った
「行ってきます」
【3】
「なぜ僕に冷たいのか」と問えば、神は黙る。
「理由を教えてほしい」と言えば、「もうこの話はしたくない」と言う。
それでも僕は、神の言葉を待つ。
「神のご機嫌こそが世界の均衡だ」
【4】
この家には、祭壇はない。
それは愛という名の神事だ。
その日がまた訪れるように、僕は生きる。
僕は神の妻と暮らす凡夫。
それでも、たまに神が手を差し出すことを、僕は知っている。
【終わりに】
僕は、すべてを差し出す。
神が喜ぶなら、僕は空気でいい。
でも願わくば、
いつか神が微笑むその時、
その光が、少しだけ僕にも当たりますように。
この愚か者めが!テフロン加工のフライパンを使い捨てるだと?聞くもおぞましい!
貴様らのような、味覚も、料理に対する敬意も、そして何より物を大切にする心も持ち合わせていない輩が、よくも平然と台所に立つものだ。テフロン加工のフライパンごとき、と侮るなかれ。あれとて、使いようによっては立派な調理器具たり得るのだ。それを、少々焦げ付いた、少々傷ついたとて、すぐに放り捨てる。その神経が、私には理解できん!
一体いつから、お前たちの台所は、使い捨てのゴミ捨て場と化したのだ?便利さのみを追い求め、本来あるべき料理の道を疎かにする。それが現代の主婦、とでも嘯くつもりか?笑わせるな!
本物の料理人、いや、真に食を愛する者は、道具を慈しみ、その特性を最大限に引き出す努力を惜しまない。使い古した道具にこそ、歴史があり、魂が宿る。それを貴様らは、ほんの数カ月、いや、ひょっとしたら数週間でゴミ箱に叩き込むのだろう。その行為は、料理に対する冒涜に他ならん!
テフロン加工のフライパンが、なぜ焦げ付くのか、なぜ傷つくのか。それを考えたことがあるか?無造作に金属製のターナーを使い、高すぎる火力で食材を焼く。手入れもろくにせず、汚れを放置する。その結果、寿命を縮めているのは他ならぬ貴様自身の無知と怠惰ではないか!
本当に恐ろしいのは、その思考停止だ。テレビのコマーシャルに踊らされ、新製品が出れば飛びつき、使い古したものは価値がないと決めつける。その貧しい精神性こそ、糾弾されるべきだ。料理は、道具との対話であり、食材への敬意の表れだ。それを理解せずして、一体何が「美味しい料理」だと語れるのか!
貴様らの作る料理は、さぞかし薄っぺらく、何の深みもないものだろう。道具を使い捨てにする心が、そのまま料理に反映されているのだ。味蕾が退化し、本来の味を見失った者たちが、見かけだけの料理を量産する。その悲劇を、貴様らは知る由もない。
聞け、愚か者どもよ!テフロン加工のフライパンは、あくまで補助的な道具に過ぎん。本当に料理の腕を上げたいのならば、鉄のフライパンを使いこなしてみろ!油を馴染ませ、火加減を操り、食材と一体となる感覚を掴むのだ。それこそが、料理の真髄だ。
使い捨ての文明に毒され、心まで使い捨てにする貴様らのような輩が、日本の食文化を堕落させていると言っても過言ではない。猛省しろ!そして、二度と私の目の前で、安易な使い捨てなど口にするな!貴様らの作る料理など、口にする価値もないわ!
たぶんもう試していると思うから、以下は蛇足。例の画像の作り方。
https://chatgpt.com/s/m_684b83c552ec81918c1dd3ca8d896092
元画像はこれ。
これに対して、「この女性のイラストをポーズ変更して、さらに修正を加えたイラストを作成します。詳しい指示はこれから行います。」と同時に指示を行う。
「彼女を台所のシンクで直立させます。この服装は基本的にはそのままですが、靴は脱ぎ靴下の下に踵のない茶色のスリッパを履かせます。さらに、彼女の肩から前面にエプロンを着せます。エプロンの色は薄いベージュとします。画面は台所のシンクを正面に捉え、彼女はそこに立ちますがこちらに向かって振り向いていてエプロンの前面が見えます。振り向かせるさいに脚をクロスさせてもかまいません。描画したオブジェクト以外の背景は透過とします。」
と指示する。
※実際には最初はもう少し短い文章で指示していたが、思ってたのと違う絵が出たのでそのたびにプロンプトを修正して再指示して最後がこれ。
男子学生は、これで女子学生の絵(アップしたやつ)が出来た後に、その絵に対して、
「このシチュエーションとポーズのまま、性別を変更します。女子学生を男子学生にしてください。身長はこれよりも10cmほど高くします。詰め襟で黒の学生服を着、黒のスラックスを履かせてください。髪は現在より短く黒。眼鏡は同じものをかけさせてください。」
と指示した。女子学生のポーズ変更でどこがひっかかるポイントかはなんとなくわかったのでこちらは一発生成で、あれに。
私は関西在住の無職ひきこもりなので、はてなのサービスを利用する人に多いと思われる関東在住のIT職についている男性とは、見える風景が色々違うことを考慮してほしい。
そのうえで書くけど、林原めぐみさんがブログに書いたことはお昼や夕方にやってる関西のワイドショーではよく流れていることです。
政治的な立場を明確にしようとせず(立憲のことが嫌いだということは分かるw)、あやふやな主張で、ほんのり排外主義的。
関西のワイドショーには高齢者のお笑い芸人がコメンテーターとして並ぶんだけど、なんの知識もないからニュースを見て危機感、焦燥感を煽るコメントしか言えない。「大変なことになりますよ」「どうなってしまうんですか」「なんとかしなきゃいけない」みたいな感じです。
新聞の歴史をたどると、世論を形成するために生まれたことがわかります。テレビに求められていることも同じように世論を形成することだと思うんだけど、超少子高齢化に伴う社会の閉塞感と、スポンサーの減少による番組制作費の減少でその力はもう残っていないと思いました。
世代的な問題で文字の読み書きができないうちの父はそんなワイドショーをみて、同じ事を真似して言います。うちの父の口癖は「このままじゃ、日本沈没してしまいますよ!」でした。これを居酒屋の店主にも言う、辛い!!
だから、関西では視聴者からコメンテーターまで広く受け入れられている言論が、関東在住の有名な声優さんがブログに書くと炎上すると知って個人的にびっくりしました。
ちなみに、父のことを心配した僕は独断でNetflixに加入して、アマゾンのKindleをテレビに装着して音声入力で検索する方法を教えてあげたら半年もたたずに言動が治ったので、やっぱNetflixって神だわ、と思いました……。
林原めぐみさんもテレビ番組なんか見ず、Netflixをみて過ごすと良いと思うよ。
※ちなみに、最近は母の言動のほうがやばいです。狭い家なので母の居場所が台所にしかなく、立ちながらではNetflixのドラマや映画を見るのが厳しいみたいで、ユーチューブでゆっくりが解説する動画ばかり見ています。最近は世間体を気にしなくなり、外を歩くときはゆっくり解説動画を垂れ流し、誰かと会話するときはゆっくり解説動画の取り上げた話題ばかりになっています。
テレビのワイドショーでは、コメンテーターのコメントを通じて排外主義的、人種差別的なコメントが垂れ流しになっています。政治的な立場を明確にせずにテレビ番組で「普通の人」として振る舞っている芸能人のコメンテーターたちによって、「普通の人の主張」として流通しているんです。視聴者がそれを一般的な意見として受け止めてもしょうがないでしょう。
西郷隆盛の好物として、特に有名なのは豚肉料理、中でも「豚骨(とんこつ)」です。鹿児島名産の黒豚を使った骨付き肉を醤油や砂糖で甘辛く煮込んだ郷土料理で、西郷自身も台所に立って作っていたという逸話も残っています。
その他、ウナギやウサギ料理も好んで食べていたとされています。また、甘党であったとも言われ、かるかんまんじゅうなどの甘いものも好きだったようです。
さつま揚げも鹿児島の郷土料理であり、西郷隆盛が生きた時代にも存在していました。しかし、彼が特に「さつま揚げが好きだった」という明確な記述は、豚骨やウナギほど多くは見られません。もちろん、郷土料理として食べていた可能性は十分にありますが、一番の好物として挙げられるのは豚肉料理のようです。
https://anond.hatelabo.jp/20241228143500
暑かったり肌ざむかったりしながらもやっぱり暑くなってきて、部屋を掃除してもすぐ床がねこの毛だらけになることで夏がきて夏毛になるのだなあと感じる中、増田といっしょに住んでいる三毛ねこが3歳になりました。町の動物保護センターのこねこ部屋では、はつらつとかわいいさまをアピールしているこねこたちが入っている「譲渡相談中」と札が下がってたケージのとなりで、知らない人が怖くて怖くて小部屋の奥に張り付くように震えながらまるまっていた増田のねこですが、今では堂々とまるまるとしてよく遊びよく食べ、ずっと増田に寄り添ってくれるりっぱなねこになりました。それはもう四六時中寄り添ってくれるので自宅にいるときはいつもねこの視線を感じますし、居間、寝室、台所、クローゼットと移動するたびに全力で先回りしてくれます。先回りしたところで床に転がってお腹を見せる以外に何かするわけではないのですが、歯を磨こうとするときに洗面台の中に飛び込んで横たわられると水が流せないのでちょっと困ります。
先日のこと、在宅で仕事をしている時にいつものようにひざに飛び乗ってきたので、両腕で抱き抱えつついつものように親指で頬をぐるぐると撫でつつ中指と薬指で耳の後ろを掻くと、目を閉じて喉を鳴らしつつ、右のまえあしと左のまえあしをゆっくりと交互に開いたり閉じたりしていました。これまで増田はねこがふみふみする様子を見たことがなかった(先代のねこも一切やらなかった)ので、都市伝説に近いものかと思っていましたが実際に存在する現象なのですね。時間が止まったように感じる中でねこの手のひらだけ動いている、欲しかったものが全て腕の中にあるという、なかなかに不思議な体験でした。enjoy the silence.
最近は出勤することが多くなっているので、その分ねこに日中の留守番をお願いすることも増えてきました。以前は増田がそわそわと朝出かける準備をするさまを不思議そうに見ていたりしていましたが、このごろは慣れてきたようで雰囲気を察してソファの裏とかクローゼットの奥とかに移動するようになりました。留守番中の昼下がりは窓際の箱の中とかスツールの上とかで寝ているのだろうなあと、お腹の白い毛がたっぷりついたクッションに掃除機をかけながら想像したりしています。こちらからは以上です。
プロは「食味」を一番に重視するし、舌が肥えているお客さん(消費者)もそうでしょうが、「そういうお米しかない」となれば、それに対応するようにレシピを考えるのが、お米の高さに困り果てている現場(お台所)ではないかと。「炊き立てのおいしい白飯」は、普段の食べ物ではなくなり、白飯の味を消す方向の風味が強いふりかけが重宝され、チャーハンやピラフ、炊き込みご飯など、白飯としての食味が関係なくなるメニューが食卓に上がる回数が増える。むしろそのほうが献立が楽になるかも。肉・魚のような食材を使った炊き込みご飯のレシピがクックバッドなどで人気になり、テレビの情報番組でも特集される、ということになるのでは。
既に、「備蓄米のおいしい炊き方」はあちこちで特集されていますし。
午前5時、台所で朝飯(**朝からカップラーメン**というのもワイ的スタイルでいいのよね)中に母親が乱入してきて、まぁそれはいいとして、米買いに行っとくれと。「はい、お安い御用で!」とまでは、よかったんだけど、母親が「**小泉さんのおかげで米が安く買えるようになった。ありがたや」**とかいう妄言を吐き出したんですね。いや、コレ、相当な妄言ですぜ、これ。『N家母の妄言集』に掲載決定モノですよ。はい。**N家の恥**なんでオフレコでおねげーしやす。
いや、**小泉のおかげ**って……、あんなの**タダのボンボン**やないですか。前任者の「失言」がきっかけである失脚により、農水省大臣に就任した小泉進次郎(要領の良さだけは一丁前だね!)ですが、彼の今は**亡き父親は確かに首相経験者**であり、進次郎氏は「**世襲議員**」であるわけで。主観的な表現で申し訳ありませんが、はっきり言って「**親の七光り**」を受けた「**ボンボン**」に過ぎないんですよね。
もっとも、進次郎クンにもそれなりに実力というのはあるのかもしれませんね。でも彼の今は亡き父親のバックボーンなしには、たぶん今の地位に上り詰めることはなかったと思います。日本の人口を1億人として、そのうち国政議員は衆参合わせて1000人もいない。要は国政議員なんて10万人に1人のオーダーなんですよ。進次郎クンは本当に**政治家として「10万人に1人」の逸材か**、と言われると疑問が残るんですよね。「世襲」という、未だに世にはびこる**「バイアス」**は二十一世紀の今後に向けて断絶していかなければならないと私は感じています。
それにしても**猛言メーカーの我が母**。松本サリン事件のとき発生源の家主の方であるKさん(化学実験などを趣味としていましたよね。結局麻原彰晃率いる「オウム真理教」が犯人だったんですけど)が疑われたとなんぞ**「李下に冠正さず」**とか言いはったのは、30年前の今でも覚えとるで(笑)。当時ワイは小学校6年か中学1年ぐらいでさ、そんな難しい言い回しを知ってしまった。いや、Kさんもある意味というか立派な被害者なのによ(Kさん一家も事件の被害者。Kさんの妻には今でも後遺症が残っているとか)。しかし、**妄想メーカーの子が子ならば、妄言メーカーの親も親**ってか?