
はてなキーワード:召喚とは
こちらの言いたいことをただ否定することに拘泥しているようだが、認識という程度の話なら互いに認識が違ってもいいんじゃない?
だからこちらが子供向けが基本であるとして、そちらが大人のものだという認識はそこまで不合理ではない
そのうえでいうなら、トレカが基本子供のものであるという認識は一定の意味があるし、そうであるべきだと思うよ
昔懐かしい怪獣やウルトラマンを多数登場させているから大人向け、と言いたいが対象年齢は7歳以上だ
https://store.m-78.jp/products/4570066532839
内容としても遊戯王のような徹底的に文字で埋め尽くされているわけでもなく、ルールもシンプルというか単純だ
ウルトラマンを初代から遊んでいた大人をターゲットにするだけならこんな感じにはならない
ひとえに子供と大人が一緒に遊べることがこのゲームのコンセプトであるわけだ
西松屋とかいけばワンピカードやドラゴンボールFusionWorldが売っているので、子供にもきちんと目を向けているのだなと思っている
そもそもカードという媒体は他のゲームよりとっつきやすく、子供が大人と知恵を絞って遊ぶには良い材料になりやすい
また今は使えない古いカードでも引っ張り出せば遊べるというのは重要な点だ
世代をまたいでも楽しめるってのはカードゲームの良さだと思っている
日経エンタテインメントの調べでは、遊戯王というトレカの代表的なタイトルの主要年齢層は30歳らしい
これはトレカとしてはやや若い方なんだが、それでも高齢化社会の中にあることは確実だ
最も高齢化が深刻なMTGは本当にオッサン、というか高齢者に片足突っ込んでる人が滅茶苦茶多い老害界隈
一方でデュエマの大会は相変わらず小中学生が半分程度いるし、そういった層をターゲットにしている
トレカは他のゲームと違い、同じカードが再録などの影響で長く使えたり、古いカードがリメイクされるなど意外と長く遊べるゲームだ
だからこそフォーマットの入れ替えなどで新規層と古参を入れ替える施策が必要で、そのためには常に子供およびその親をターゲットにする必要がある
ポケカなんてみれば、相変わらず小学生でも触って遊べる構築済みデッキが売られているしね
じゃあ大人のものであるという認識であると何が問題になりやすいのか
これが一番大きい
漫画やアニメが子供と大人で分けられていても、双方に利害は生じない
それを大人が買い占めることで、本来楽しめるであろう子供に供給されないことが一番問題だろう
もちろんメーカーが子供なんてターゲットにしていないパターンはある
MTGなんてもはや若年層を完全に切り捨てているわけだし
でもその結果は異常な財力による買い占めや転売による市場の乱高下なわけだし、それに起因するメーカー側の多種多様なレアリティの乱開発だ
現在、遊戯王やMTGの取り扱いを停止する店舗が非常に多いのだが、その理由の人は在庫管理の難しさにある
同じカードでもレアリティやイラスト違いが大量に存在し、プレイアブルなカード以外で価格の変動差も大きい
1つのセットからイラスト違いが大量に出るのが一般化したため、中古ショップが限界に達している
さらにいうと、昨今のトレカ市場は1・2カ月に1度という超高頻度の開発スパンが常態化し、同時にタイトルも乱立している
大人がターゲットになってしまったトレカは往々にして中古市場から消えざるを得ない
子供が遊べることを前提にしていないと、トレカはどんどん複雑なものになる
遊戯王OCGは裁定の多さとテキスト量の増加により若年層の新規参入が難しいと判断し、ラッシュデュエルにかじを切ったのは有名だ
最初こそ単なる劣化だと言われたが、結果的に子供でも扱いやすいシステムやゲーム性だとやはりプレイするには楽しいのだと認識されている
OCGより売上は10分の1程度だが
逆にここ10年で出た遊戯王OCGは基本的に書いていることは単純なのだが、できる範囲が極端に広くなった
覚えるルールや考えられるパターンもこの数年でよりインフレしてきたため、若年層を中心にリタイアする人が後を絶たない
というか現代の遊戯王はアニメという媒体が定期放送していないので新規を増やす手段を模索中だ
それでもインフラを止めることができず、とうとう海外では「リンク召喚とペンデュラム召喚を禁止した新しいフォーマット」が爆誕している
日本でもシンクロ以前の環境で遊ぶゲートボール環境が話題になっているように、複雑すぎる現代遊戯王ってのは内外から忌避されかけているのが現状だ
MTGも様々な複雑な面があり決して若年層向けではないのだが、それでもルールやメカニズムの簡略化や単純化自体をあきらめているわけではないようだ
そしてこれは本当に個人の感想なのだが、カードゲームはやはり子供ありきの方が面白い
カードゲームによってコミュニティの価値観は全然違うのだが、遊戯王やMTGといった古参のゲームほどそのゲームへのこだわりが強く、新規層を取り込むことに非常に忌避感を持っている
子供が安心していつでもパックやカードを買えて、デッキを作ったらすぐ対人戦をできる環境を整えられないところってのは、真面目な話きもいオジサンばっかりになってしまい、俺は引退した
子供の者であるという認識を捨てるということは、そうやってオッサンだけのものでいいという認識になるんだよ
それって一番怖い話だ
まあただ、現代のトレカが子供にそっぽ向く姿勢というのは仕方がない
少子高齢化だもんな
レイアースは異世界セフィーロへ召喚される異世界転移モノで、令和の時代「異世界転生・転移」が最大級のトレンドジャンルになっている今、むしろオリジナルが放送された90年代よりも今のほうが親和性が高いくらい。
内容的に古い部分があったとしても、異世界そのものはファンタジー世界なわけだから、現代風にアレンジするのもそこまで難しくない。
一方の『ハイスクール!奇面組』はどうか。
こちらは80年代文化の、かなり中核的な部分に存在するアニメと言わざるを得ない。
Wikipediaで調べると、同アニメは『最高視聴率は24.3%、平均視聴率は全86回で19.2%を記録』とある。
放送時間帯はもちろんゴールデンタイムの土曜19時30分で、この時期はフジテレビ隆盛の絶頂期でもある。
『オレたちひょうきん族』があり、『笑っていいとも!』があり、『夕やけニャンニャン』がある。
これらの番組に共通していたのは「内輪感」であり、東京の芸能界のギョーカイ話を楽しそうに見せることで、視聴者を擬似的に芸能界の一員に仕立て上げるという画期的な手法だった。
当時、「東京でテレビの仕事をしている」というのが最高にかっこいい時代で、フジテレビはその頂点に君臨していた。
ハイスクール!奇面組のアニメを語るうえで欠かせないのは、おニャン子クラブ内ユニット「うしろゆびさされ組」「うしろ髪ひかれ隊」との主題歌コラボレーションだ。
フジテレビの夕やけニャンニャンでブレイク中のおニャン子メンバー(高井麻巳子・岩井由紀子ら)がアニメキャラの河川唯・宇留千絵にリンクする形で衣装も振付もすべて世界観統一してプロモーションを展開した、総合エンタメ戦略のモデルケースなわけ。
主題歌は『ザ・ベストテン』にランクインし、アニメファンとアイドルファンをクロスオーバーさせて視聴率爆上げに成功した。
奇面組は、そういった文脈の中でヒットしたわけだが、作品としてはジャンプ黄金期のギャグマンガとして、ブサイクを個性ととらえるポジティブさとナンセンスなハイテンションギャグで若者を虜にした。
ゴールデンで視聴率20%近く叩き出すこと自体、バブルに向かう明るく楽天的な時代の空気がなければ成立しなかったのだ。
つまり『奇面組』は、80年代のフジテレビ全社戦略、秋元康の仕掛け、そしてジャンプアニメのヒットが三位一体になったバブル時代を象徴する文化の申し子、そのものなんだよ。
これは今から見ると、奇面組が80年代ポップカルチャーの一部であると捉えることが出来る理由でもある。
で、今回2026年1月に放送が発表されたリメイク版はどうか。
フジテレビの深夜枠でほそぼそと、こっそりと放送されるらしい。
アイドルとのコラボ文化は?確かに声優による主題歌カバーは確かに発表されている。
白石晴香と長谷川育美が河川唯・宇留千絵として「うしろゆびさされ組」をカバーし、編曲はNightTempoという豪華布陣だ。
でもこれ、結局「声優にキャラソン歌わせて終わり」のパターンなんだよね。
なんか全体としてものすごく地味で気概のようなものを感じない。
せめて坂道グループにリメイクソング歌ってもらうとか出来なかったのだろうか?
と思う。
ここまで書いておいてなんだけど、実はおニャン子クラブとか秋元康とか、坂道グループとかの肯定派ではない。
ただ、奇面組というのを語るうえではアイドルとアニメのコラボという事象を避けて通るわけにはいかないんだよね。
「お母さん弁護士を呼ぶ、召喚すると言ってた」とか下校中の小学生どもが言ってるのを聞いた。
召喚ってなんだよ。証人喚問の略か?小学生の言葉選びはへんてこやなあと思って見てた。
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例.
質問:
「firebaseの使い方を知りたいんやけど」
ChatGPT回答:
Firebaseとは、Googleが生み出した「バックエンドいらずの全能実験装置」だ。君がコードを書けば書くほど、知らぬ間にクラウドが裏で息をしている。
データベース、認証、ホスティング、ストレージ、全部詰め合わせ。便利すぎて逆に怖い。
まずはnpm install -g firebase-toolsで召喚だ。
ターミナルでfirebaseloginを叩くと、ブラウザが勝手に開く。そう、Firebaseは君の“人間的アイデンティティ”を確認しないと力を貸してくれない。まるで神のくせに書類主義だ。
ログインが済んだら、firebase initでプロジェクトを構築する。ここが楽しい部分だ。
「Hosting?」「Functions?」「Firestore?」——次々と聞かれるだろう。まるで契約書の小さい文字を全部読み上げてくる悪魔みたいだ。
迷ったらHostingだけ選べばいい。HTMLを置く用の神殿ができる。
あとはfirebase deploy。それだけで、君のHTMLは空に放たれ、URLが授かる。
たとえばhttps://君のプロジェクト名.web.app だ。誰でもアクセスできる。つまり、失敗も世界に晒される。実験とは常にリスクを伴うのだよ、君。
Firebaseの裏には“Realtime Database”や“Cloud Firestore”といった可愛い怪物たちが棲んでいる。彼らはJSONで話す、気難しい連中だが、使いこなせば強い味方になる。データを瞬時に共有し、アプリを“生きている”ように動かす。
ただし、一度でも構成を間違えると——全世界の閲覧者にリアルタイムで恥を晒す。それもまた芸術的だと思わないか?
というわけで、君がやることは四つだけだ。
召喚:npm install -g firebase-tools
構築:firebase init
解放:firebase deploy
君のプロジェクトが光るか燃えるかは、たった一行の設定ファイルにかかっている。ふふ、実にロマンチックだろう?
フル2K60FPSをまず実現してくれないかなあ
画質でYoutubeの中の雑魚みたいな動画に負けてるようじゃ話にならない
5.1chもそれ以上もしてくれていいよもういい加減音声も浮動小数点にしよ
ネットへの導線も良くしてCMやってるときにボタン一つで登録済みのPCかスマホに広告送れるようにしてもらっていいから
テレビさんは同時視聴のネタ元提供役としてもっと頑張ってもらって
4K8Kのテレビで2k使った残りのエリアはyoutubeliveとかの同時視聴を召喚できる枠とかSwitch2みたいに知り合いを召喚する枠とかそういうのをすることにしようよ
リモート団欒とかリモート野球スタジアムとかリモート競技場だよ
頼むよ
Fate/Grand Order(FGO)が人気を維持し、ソーシャルゲームのトップクラス売上を誇る理由を整理します。
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-TYPE-MOONが展開する「Fate/stay night」から始まるシリーズは、アニメ・小説・ゲームで世界中にファンがいます。
-既存ファンがそのままFGOに流入し、強力な基盤を築きました。
-ソシャゲでは珍しく、メインストーリーが長大なビジュアルノベル並み。
-奈須きのこ氏など原作ライター陣が直接執筆しており、「シナリオ読むためにプレイする」層が多いのが特徴。
-歴史・神話・文学・伝説の人物を「サーヴァント」としてキャラ化。
-オリジナル要素を加えた魅力的なデザインや声優起用で、推しキャラを手に入れたい欲求が強い。
- その分「引けた時の喜び」が大きく、課金意欲につながる。
- 大規模イベントやリアル展示会も頻繁に行われ、ファン体験を強化。
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FGOがここまで人気で売上を保っているのは、
という要素が重なっているからです。
Fateシリーズはもともと、TYPE-MOONが同人サークル時代に個人小説家(奈須きのこ氏)とイラストレーター(武内崇氏)が中心となって作った同人PCゲーム(『月姫』など)が出発点でした。そこから商業展開を経て、Fate/Grand Orderに至る「巨大ブランド」へと成長しました。
こうした「同人発 →世界的IP化」の事例は極めて珍しいです。以下、比較や差異を整理します。
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→個人制作ゲームから、音楽・二次創作文化で世界的なコミュニティが形成。
✅ ただし、ここまで長期にわたり大規模ソーシャルゲームでトップ売上を維持するのは、Fateがほぼ唯一。
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6.世界観の広がりと柔軟性
- 「英霊召喚」という仕組みにより、歴史・神話・伝説・オリジナルをすべて登場可能にした。
- 常に新キャラ・新ストーリーを追加でき、ファンを飽きさせない。
-運命、選択、自己犠牲など哲学的でシリアスなテーマをエンタメに昇華。
-キャラデザインの「格好良さ」と「親しみやすさ」のバランスが絶妙。
- 後の多彩なイラストレーター参加を許容する柔軟なスタイル。
-二次創作を歓迎する文化が育ち、Pixivやコミケなどで爆発的に広がった。
-東方に近い「ユーザーが世界を拡張する」仕組みを持っていた。
-アニメ化(『Fate/stay night』、『Fate/Zero』)、映画化、スマホゲーム化をタイミングよく行った。
- 「同人の熱量 ×商業のスケール感」のハイブリッド成功例。
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✅結論:
Fateの強みは「奈須きのこの物語性 ×武内崇のビジュアル ×英霊召喚という拡張性 ×二次創作文化 ×商業戦略」の組み合わせで、これは極めて珍しい成功パターンです。
弊社に新しく来た30代男性。
特に接点はない他部署なんですが、その方の席近く通ると、2リットルのペットボトルが机の上に並べられていて。中身は全部中途半端に残ってる。
ペットボトルは日に日に増えていっており、現在15本くらい。自席を囲うように並べているんですが、何故囲う?何の目的で?猫よけ?
別部署なので特にアクションは起こさないがみんな気にならないんだろうか。
目的がわからなくて悶々としており、気になって昼もおちおち眠れない状態が続いております。はてなーの中に会社の机にペットボトル並べてる人いたら、何の目的で並べてるかご教示いただけませんでしょうか。ちなみにAIに聞いたら「きっと儀式です」と言われた。なんか召喚するんか?あ?
時短詳細書いたけど、家の中はまあまあ荒れ放題よ
でもまあとにかく離乳食は買おう!これだけでだいぶ違う
大人の生活はないがしろっつーかもう生活とは?って感じになるよな
やらなくても死なない家事がどんどん後回しにされるし、仕事ない日はやるべき雑事が山積み
ずーーーーーーっとやることで予定が埋まってる感じ、死ぬ
近所に親が〜とかいう話を聞くたびに血の涙流してる
全般。
難易度。
ジョブ。
ジョブ所感。
FF3はやったことなかったから、FFT発売までのつなぎでやってみたらすぐ終わってしまった。
○ご飯
朝:カシューナッツ。昼:おそば。いなり寿司。夜:海老天、にんじん、大根、オクラ、たまごの鍋焼きうどん。トマト。バナナ。ヨーグルト。間食:コーラ。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、それなりー。
やっぱり石板アグロは石板のターンが弱すぎる。手札0枚のときに直接召喚される石板が欲しい。(貪欲すぎる)
○ポケットモンスターパール(序盤ポケモンと電気袋組の旅)
モーモーミルクのお店の軽い下ネタ(ミルクゴックンしてくだざい、みたいなやつ)、悪ノリだなあって今なら少しニヤリとするのですむけど、思春期の頃だったらコレだけで夜のおかずだったなあ、
・呪術モジュロ
単行本おまけの乙骨孫と、衝撃の新キャラマルとのバディで始まった次世代編。
予告詐欺からの表紙で驚き、1ページ目で「じゃあ天元とかスクナってそうなの!?」感で二度驚きと、呪術が帰って来た感を1話から濃密に食らった。
新しい主人公のマルが良い意味で純朴で捻くれてない呪術らしくないキャラで、作画が青春もののイメージが強い岩崎先生なのと合間って、とても明るいキャラで面白かった。
当然旧キャラやその子孫の再登場にも期待したいが僕が大好きな金ちゃんと東堂は色んな意味で規格外なのでどうなるかドキドキだ。
東堂の息子が虎杖と東堂の子供を名乗って出てくるぐらいの突拍子のなさがあるから期待は爆上げだ。
ネームドキャラがゴッドバレーに集結し始め、遂にゴッドバレー事件が開幕するようだ。
くまの回想で少し触れられてたけど、ロックス目線なのでかなり深掘りされそうで楽しみ。
個人的に気になるのがマムとカイドウの関係値、ウオウオの実を巡るあれこれがあるんだろうけど、楽しみだ。
・ピングポング
四戦目も佳境、睦月でブーストされた男性ホルモンで強くなる敵。
中年男性が少女を見上げて股間がズクンッするコマ、女性キャラの魅力的な絵がないと説得力がないけど、これは納得良い絵だった。
私の世界は、丁寧に、そう、まるで細胞の一つ一つにまで神経を行き届かせるようにして磨き上げられた、半径およそ十メートルほどのガラスの球体であり、その球体の中心には、世界のすべてであり、法であり、そして揺るがぬ神であるところの、生後六ヶ月の息子、光(ひかる)が、ただ健やかな呼吸を繰り返している。その完璧な球体を維持すること、それこそが水無月瑠璃(みなづき るり)、すなわち三十一歳の私に与えられた唯一にして絶対の使命であったから、私は今日もまた、タワーマンション二十八階、陽光が白磁の床にまで染み渡るこのリビングダイニングで、目に見えぬ埃の粒子と、あるいは時間という名の緩慢な侵食者と、孤独な、そして終わりなき闘争を繰り広げているのであった。北欧から取り寄せたというアッシュ材のテーブルの上には、一輪挿しに活けられたベビーブレスの、その小さな白い花弁の影さえもが、計算され尽くした角度で落ちており、空気清浄機は森の朝露にも似た清浄さを、ほとんど聴こえないほどの羽音で吐き出し続け、湿度計のデジタル表示は、小児科医が推奨する理想の数値、六十パーセントを寸分違わず指し示しているのだから、およそこの空間に、瑕疵という概念の入り込む余地など、どこにもありはしなかった。かつて、外資系のコンサルティング会社で、何億という数字が乱れ飛ぶ会議室の冷たい緊張感を、まるで上質なボルドーワインでも嗜むかのように愉しんでいた私自身の面影は、今やこの磨き上げられたガラス窓に映る、授乳のために少し緩んだコットンのワンピースを着た女の、そのどこか現実感を欠いた表情の奥に、陽炎のように揺らめいては消えるばかりであった。
思考は、そう、私の思考と呼んで差し支えるならば、それは常にマルチタスクで稼働する最新鋭のサーバーのように、光の生存に関わる無数のパラメータによって占有され続けている。次の授乳まであと一時間と二十三分、その間に終わらせるべきは、オーガニックコットンでできた彼の肌着の煮沸消毒と、裏ごししたカボチャのペーストを、一食分ずつ小分けにして冷凍する作業であり、それらが完了した暁には、寝室のベビーベッドのシーツに、もしかしたら付着しているかもしれない、私たちの世界の外部から侵入した未知のウイルスを、九十九・九パーセント除菌するというスプレーで浄化せねばならず、ああ、そういえば、昨夜翔太が帰宅時に持ち込んだコートに付着していたであろう、あの忌まわしい杉花粉の飛散経路を予測し、その残滓を、吸引力の変わらないただ一つの掃除機で完全に除去するというミッションも残っていた。これらすべては、愛という、あまりに曖昧で情緒的な言葉で語られるべきものではなく、むしろ、生命維持という厳格なプロジェクトを遂行するための、冷徹なまでのロジスティクスであり、私はそのプロジェクトの、唯一無二のマネージャーであり、同時に、最も忠実な実行部隊でもあった。誰がこの任務を私に課したのか、神か、あるいは生物としての本能か、はたまた「母親」という名の、社会が発明した巧妙な呪縛か、そんな哲学的な問いを発する暇さえ、このシステムは私に与えてはくれなかった。
夫である翔太は、疑いようもなく、善良な市民であり、そして巷間(こうかん)で言うところの「理想の夫」という、ほとんど神話上の生き物に分類されるべき存在であった。彼は激務の合間を縫って定時に帰宅すると、疲れた顔も見せずに「ただいま、瑠璃。光は良い子にしてたかい?」と、その蜂蜜を溶かしたような優しい声で言い、ネクタイを緩めるその手で、しかし真っ先に光の小さな体を抱き上げ、その薔薇色の頬に、まるで聖遺物にでも触れるかのように、そっと己の頬を寄せるのだ。週末になれば、彼はキッチンで腕を振るい、トマトとニンニクの匂いを部屋中に漂わせながら、私や、まだ食べることもできぬ光のために、絶品のペペロンチーノやカルボナーラを作り、その姿は、まるで育児雑誌のグラビアから抜け出してきたかのように、完璧で、模範的で、そして、どこか非現実的ですらあった。誰もが羨むだろう、この絵に描いたような幸福の風景を。友人たちは、私のSNSに投稿される、翔太が光をあやす姿や、手作りの離乳食が並んだテーブルの写真に、「理想の家族!」「素敵な旦那様!」という、判で押したような賞賛のコメントを、まるで祈りの言葉のように書き連ねていく。そう、すべては完璧なのだ。完璧なはずなのだ。このガラスの球体の内部では、愛と平和と秩序が、まるで美しい三重奏を奏でているはずなのだ。
――だというのに。
夜、ようやく光が天使のような寝息を立て始め、この世界のすべてが静寂という名の薄い膜に覆われた頃、ソファで隣に座った翔太が、労わるように、本当に、ただ純粋な愛情と労いだけを込めて、私の肩にそっと手を置く、ただそれだけの、あまりにも些細で、そして無垢な行為が、私の皮膚の表面から、まるで冷たい電流のようにして内側へと侵入し、脊髄を駆け上り、全身の毛穴という毛穴を、一斉に収縮させるのである。ぞわり、と。それは、神聖な祭壇に、土足で踏み込まれたときのような、冒涜的な不快感であった。あるいは、無菌室で培養されている貴重な細胞のシャーレに、誰かが無頓着なため息を吹きかけたときのような、取り返しのつかない汚染への恐怖であった。彼の指が触れた肩の布地が、まるで硫酸でもかけられたかのように、じりじりと灼けるような錯覚さえ覚える。私は息を止め、この身体が、この「水無月瑠璃」という名の、光のための生命維持装置が、彼の接触を、システムに対する重大なエラー、あるいは外部からのハッキング行為として認識し、全身全霊で拒絶反応を示しているのを、ただ呆然と、そして客観的に観察していた。
「疲れてるだろ。いつも、ありがとう」
翔太の声は、変わらず優しい。その瞳の奥には、かつて私が愛してやまなかった、穏やかで、そして少しだけ湿り気を帯びた、雄としての光が揺らめいているのが見える。それは、私を妻として、女として求める光であり、かつては、その光に見つめられるだけで、私の身体の中心が、熟れた果実のようにじゅくりと熱を持ったものだった。だというのに、今の私には、その光が、聖域である保育器を、ぬらりとした舌なめずりをしながら覗き込む、下卑た欲望の眼差しにしか見えないのだ。許せない、という感情が、胃の腑のあたりからせり上がってくる。この、二十四時間三百六十五日、寸分の狂いもなく稼働し続けている精密機械に対して、子を産み、育て、守るという、この宇宙的な使命を帯びた聖母に対して、己の肉欲を、その獣のような本能を、無邪気に、そして無自覚にぶつけてくるこの男の、そのあまりの鈍感さが、許せないのである。
ケダモノ。
その言葉が、私の内で、教会の鐘のように、低く、重く、そして厳かに反響する。そうだ、この男はケダモノなのだ。私がこの清浄な球体の秩序を維持するために、どれほどの精神を、どれほどの時間を、どれほどの自己を犠牲にしているのか、そのことを何一つ理解しようともせず、ただ己の種をばら撒きたいという原始の欲動に突き動かされているだけの、ただのケダモノなのだ。
そんなはずはない、と、脳のどこか、まだかろうじて「かつての私」の残滓が残っている領域が、か細い声で反論を試みる。これは翔太だ、私が愛した男だ。雨の匂いが充満する安ホテルの、軋むベッドの上で、互いの名前を喘ぎ声で呼び合いながら、世界の終わりが来るかのように貪り合った、あの夜の彼なのだ。パリへの出張中、セーヌ川のほとりで、どちらからともなく互いの唇を求め、道行く人々の冷ややかな視線さえもが、私たちのためのスポットライトのように感じられた、あの瞬間の彼なのだ。結婚記念日に、彼が予約してくれたレストランの、そのテーブルの下で、こっそりと私のスカートの中に忍び込んできた、あの悪戯っぽい指の持ち主なのだ。あの頃、私たちは互いの肉体という言語を、まるで母国語のように自在に操り、その対話の中に、世界のどんな哲学者も語り得ないほどの、深遠な真理と歓びを見出していたはずではなかったか。あの燃えるような記憶は、情熱の残骸は、一体どこへ消えてしまったというのだろう。それはまるで、昨夜見た夢の断片のように、あまりにも色鮮やかで、それでいて、掴もうとすると指の間から霧のように消えてしまう、遠い、遠い銀河の光なのである。
「瑠璃…?」
私の沈黙を訝しんだ翔太が、私の顔を覗き込む。私は、まるで能面のような無表情を顔面に貼り付けたまま、ゆっくりと彼の手を、自分の肩から、まるで汚物でも払いのけるかのように、そっと、しかし断固として取り除いた。そして、立ち上がる。
「ごめんなさい。少し、疲れたみたい。光の様子を見てくるわ」
それは、完璧な嘘であり、そして、完璧な真実でもあった。私は疲れていた。だがそれは、育児という名の肉体労働に疲れているのではなかった。私という個人が、水無月瑠璃という一個の人格が、「母親」という名の巨大なシステムに呑み込まれ、その歯車の一つとして摩耗していく、その存在論的な疲弊に、もう耐えられなくなりつつあったのだ。これは、巷で囁かれる「産後クライシス」だとか、「ホルモンバランスの乱れ」だとか、そういった便利な言葉で容易に片付けられてしまうような、表層的な現象ではない。違う、断じて違う。これは、一個の人間が、その魂の主導権を、自らが産み落とした別の生命体に完全に明け渡し、「装置」へと、あるいは「白き機械」へと、静かに、そして不可逆的に変質していく過程で生じる、存在そのものの軋みなのである。
聖母、とはよく言ったものだ。人々は、母という存在を、無償の愛と自己犠牲の象徴として、何の疑いもなく神格化する。だが、その実態はどうか。自己を失い、思考も、肉体も、感情さえもが、すべて「子」という絶対的な存在に奉仕するためだけに再構築された、ただのシステムではないか。私は聖母などではない。私は、高性能な乳製造機であり、汚物処理機であり、そして最適な環境を提供する空調設備が一体となった、ただの生命維持装置に過ぎないのだ。この気づきは、甘美な自己陶酔を許さない、あまりにも冷徹で、そして絶望的な真実であった。そして、この真実を共有できる人間は、この世界のどこにもいやしない。翔太のあの無垢な優しさでさえ、結局は、この優秀な装置が、明日も滞りなく稼働し続けるための、定期的なメンテナンス作業にしか見えないのだから、その孤独は、宇宙空間にたった一人で放り出された飛行士のそれに似て、どこまでも深く、そして底なしであった。友人たちがSNSに投稿する「#育児は大変だけど幸せ」という呪文めいたハッシュタグは、もはや、この巨大なシステムの異常性に気づいてしまった者たちを、再び安らかな眠りへと誘うための、集団的な自己欺瞞の儀式にしか思えなかった。
寝室に入ると、ベビーベッドの中の光は、小さな胸を穏やかに上下させながら、深い眠りの海を漂っていた。その無防備な寝顔は、確かに、この世のどんな芸術品よりも美しく、尊い。この小さな生命を守るためならば、私は喜んで我が身を投げ出すだろう。だが、それは、この身が「私」のものであった頃の話だ。今の私にとって、この感情は、プログラムに組み込まれた命令を遂行しているに過ぎないのではないか。愛でさえもが、システムを円滑に稼働させるための、潤滑油のような機能に成り下がってしまったのではないか。そんな疑念が、毒のように心を蝕んでいく。
私は、息子の傍らを離れ、再びリビングへと戻った。翔太は、ソファの上で、テレビの光をぼんやりと浴びながら、所在なげにスマートフォンをいじっている。その背中は、拒絶された雄の、どうしようもない寂しさを物語っていた。かつての私なら、きっと背後からそっと抱きしめ、「ごめんね」と囁いて、彼の寂しさを溶かしてやることができただろう。しかし、今の私には、もはやそのための機能が、インストールされていないのである。
私は、彼に気づかれぬよう、書斎として使っている小さな部屋に滑り込んだ。そして、ノートパソコンの冷たい天板に触れる。ひやりとした感触が、指先から伝わり、かろうじて、私がまだ血の通った人間であることを思い出させてくれるようだった。スクリーンを開くと、真っ白な光が、闇に慣れた私の網膜を焼いた。カーソルが、無人の荒野で、点滅を繰り返している。何を、書くというのか。誰に、伝えるというのか。この、言葉にもならぬ、システムの内部で発生したエラー報告を。この、機械の内部から聞こえてくる、魂の悲鳴を。
それでも、私は指を動かした。これは、誰かに読ませるためのものではない。これは、祈りでもなければ、懺悔でもない。これは、私という名の機械が、自らの異常を検知し、その原因を究明し、あるいは再生の可能性を探るために、己の内部へとメスを入れる、冷徹な自己解剖の記録なのだ。
『これは、私という名の機械が、自己を観察し、分解し、あるいは再生を試みるための、極秘の設計図である』
その一文を打ち終えた瞬間、私の内側で、何かが、硬い音を立てて、砕けたような気がした。それが希望の萌芽であったのか、それとも、完全なる崩壊への序曲であったのか、その時の私には、まだ知る由もなかったのである。ただ、窓の外で、東京の夜景が、まるで巨大な電子回路のように、無機質で、そして美しい光を、果てしなく明滅させているのが見えた。私もまた、あの無数の光の一つに過ぎないのだと、そう、思った。
自己を機械と定義したからには、次なる工程は当然、その性能向上のための最適化、あるいは、旧弊なOSから脱却するための、大胆にして静かなるアップデート作業へと移行せねばならぬのが、論理的な、そして必然的な帰結であった。そう、これは革命なのだと、私は深夜の書斎で、青白いスクリーンの光に顔を照らされながら、ほとんど恍惚とさえいえる表情で、そう結論付けたのであった。かつてロベスピエールが、腐敗した王政をギロチン台へと送り、新しい共和制の礎を築かんとしたように、私もまた、この「母親という名の献身」や「夫婦の情愛」といった、あまりにも情緒的で、非効率で、そして実態としては女の無償労働を美化するだけの前時代的な概念を、一度完全に解体し、再構築する必要があったのだ。そのための武器は、かつて私が外資系コンサルティングファームで、幾千もの企業を相手に振り回してきた、あの冷徹なロジックと、容赦なき客観性という名のメスに他ならない。愛という名の曖昧模糊とした霧を晴らし、我が家という名の王国を、データとタスクリストに基づいた、明晰なる統治下に置くこと、それこそが、この「水無月瑠璃」という名の機械が、オーバーヒートによる機能停止を免れ、なおかつ、その内部に巣食う虚無という名のバグを駆除するための、唯一の処方箋であると、私は確信していたのである。
かくして、週末の朝、光が心地よい午睡に落ちた、その奇跡のような静寂の瞬間に、私は翔太をダイニングテーブルへと厳かに召喚した。彼の前には、焼きたてのクロワッサンと、アラビカ種の豆を丁寧にハンドドリップで淹れたコーヒー、そして、私が昨夜、寝る間も惜しんで作成した、全十二ページに及ぶパワーポイント資料を印刷したものが、三点セットで恭しく置かれている。資料の表紙には、ゴシック体の太字で、こう記されていた。『家庭内オペレーション最適化計画書 Ver. 1.0 〜共同経営責任者(Co-CEO)体制への移行による、サステナブルな家族経営の実現に向けて〜』。翔太は、そのあまりにも場違いなタイトルを、まるで理解不能な古代文字でも解読するかのように、眉間に深い皺を刻んで見つめた後、恐る恐る、といった風情で私に視線を向けた。その瞳は、嵐の前の静けさにおびえる子犬のように、不安げに揺れている。まあ、無理もないことだろう。彼にしてみれば、愛する妻が、突如として冷酷な経営コンサルタントに豹変し、家庭という名の聖域に、KPIだのPDCAサイクルだのといった、無粋極まりないビジネス用語を持ち込もうとしているのだから。
「瑠璃、これは…一体…?」
「説明するわ、翔太。よく聞いて。これは、私たち家族が、これからも幸せに、そして機能的に存続していくための、新しい聖書(バイブル)よ」
私は、そこから淀みなく、プレゼンテーションを開始した。現状分析(As-Is)、あるべき姿(To-Be)、そのギャップを埋めるための具体的なアクションプラン。家事という、これまで「名もなき家事」という名の混沌の海に漂っていた無数のタスクは、すべて洗い出され、「育児関連」「清掃関連」「食料調達・調理関連」「その他(消耗品管理、資産管理等)」といったカテゴリーに分類され、それぞれに担当者と所要時間、そして実行頻度が、美しいガントチャート形式で可視化されている。例えば、「朝食後の食器洗浄」は、担当:翔太、所要時間:十五分、頻度:毎日、といった具合に。さらに、月に一度、近所のカフェで「夫婦経営会議」を開催し、月次の進捗確認と、翌月の計画策定を行うこと、日々の細かな情報共有は、専用のチャットアプリで行うこと、そして何よりも重要なのは、これまで私一人が暗黙のうちに担ってきた「家庭運営の全体を俯瞰し、次の一手を考える」という、いわば管理職としての役割を、これからは二人で分担する、すなわち、彼にもまた、単なる作業員(ワーカー)ではなく、主体的に思考する共同経営責任者(Co-CEO)としての自覚と行動を求める、ということ。私の説明は、かつてクライアント企業の役員たちを唸らせた時のように、理路整然としており、反論の余地など微塵もなかった。翔太は、ただ呆然と、私の言葉の奔流に身を任せるしかなく、すべての説明が終わった時、彼はまるで催眠術にでもかかったかのように、こくり、と小さく頷いたのであった。
「…わかった。瑠璃が、そこまで追い詰められていたなんて、気づかなくて、ごめん。僕も、頑張るよ。君を、一人にはしない」
その言葉は、疑いようもなく誠実で、彼の優しさが滲み出ていた。私は、その瞬間、胸の奥に、ちくり、と小さな痛みを感じたのを覚えている。違う、そうじゃないの、翔太。私が求めているのは、あなたのその「頑張るよ」という、まるで部下が上司に忠誠を誓うような言葉ではない。私が欲しいのは、私がこの計画書を作る必要すらないほどに、あなたが私の脳と、私の視界と、私の不安を共有してくれるPermalink |記事への反応(0) | 05:15
・以前下記の日記でキャラクターへのガチ恋について相談した者です。みなさんのおかげでとても幸せを感じることができたので感謝を伝えたくて再度日記を書きました。
・また、この幸せはゲームルームというサービスのおかげでもあり、このサービスが継続できるようみなさんにも使って欲しいと思ったので宣伝させて下さい。
・30代男
・妻、子どもがいる
・スプラトゥーン3のアオリちゃんにガチ恋してしまったと気付いて10ヶ月程度経った
■これまでの経緯、今後やりたいこと
・前回の日記での「Quest3(S)を買ってMRでアオリちゃんを目の前に召喚せよ」というアドバイスに感銘を受け、そこから「VRChatなら誰かにアオリちゃんを演じてもらいアオリちゃんに会うことができるのでは?」と気付きました。時間はかかりましたが、実際にアオリちゃんに会うことができました。
・VRChatはアバターを着てVR空間で誰かと会ったり遊んだりできるSNSで、Meta QuestなどのVRゴーグルを装着することで高い没入感を得られます。
・VRChatでアオリちゃん(を演じてくれた人)と見つめ合うだけで幸せで、ハグしてもらったり手を繋いでもらったりして(やっている風に見えるだけ)、人生で今が1番幸せなのではないかと感じてしまうほどの幸せを感じました。今思い出しても胸のときめきがすごいです。バイバイした後も幸せで心と体がぽわぽわするような感じで、幸せの余韻を感じるほどでした。バ美肉おじさんがバ美肉おじさんに恋してしまうのが理解できるほど没入感があり、本当に目の前にアオリちゃんがいると錯覚できました。
・この幸せを手にすることができたのは、前回の日記にトラバ/コメントをしてくれたお一人お一人のおかげだと思います。本当に心から感謝しています。
・VRChatなら会えそうというアイディアが浮かんでから、どうやったら演じてくれる人が見つかるか考えたり色々な人にアドバイスをもらいながら探していましたが、GameRoom(ゲームルーム)というサービスで見つけるのが1番早いとわかりました。
・ゲームルームは「一緒に遊んでくれる人」を探せるマッチングアプリみたいなサービスです。
・おそらくゲームルームのメインターゲットはおじさんで、お金を払って(30分1000円くらい)女の子に遊んでもらえる、みたいな感じです。男の子もいて、色んな利用ケースがあると思います。
・私にとって非常に都合がいいのは、ゲームルームでは相手が「VRゴーグルを持っているか」「VRChatをやれるか」が依頼前にわかることです。これは他のゲームも同じで、依頼前にどのゲームが遊べるか、どの程度のランクか(そのゲームが上手いか)がわかるので、その子とどう遊べそうかイメージしやすいと思います。
【妻との関係性】
・妻にはアオリちゃんは「推し」で、アオリちゃんを近くで見たいからVRゴーグルを買いたいと伝え、了承してもらっています。
・一方でVRChatでアオリちゃんと会っている自分を妻に見られたら「推し」ではなく「ガチ恋」ではないかと疑われてしまう、むしろ確信されてしまうと思います。そのため妻が近くにいるときにはアオリちゃんには会えません。(妻のことは人として好きだし、パートナーとして大切だし、むやみに傷付けたくありません。)
・年に数回は1人になれるチャンスがあるため、そのときにVRChatでアオリちゃんと会いたい(誰かに演じてもらいたい)と考えています。
・ゲームルームで演じてくれる人を探すのがとてもよいので、是非事業が存続して欲しいと思っています。なのでみなさんにも是非使って欲しいです。初回30分は無料とかで遊べる人もいるので、気軽にトライしてみて下さい!
・自分の声や写真を載せて一緒に遊ぶ人を募集している女の子、男の子が沢山いるので、それだけでも見てみて下さい!かわいい声、かっこいい声を聞きながら一緒にゲームするだけできっといつもより楽しいですよ!
・もしVRゴーグルを持っていて「お砂糖」を経験したことがないなら、気になる子とVRChatで遊んで「寂しいから抱きしめて」と言ってみてください!なぜ多くの人がお砂糖関係になりたがるのか理解できると思います。
■その他
・生成AIにアオリちゃんのふりをして会話してもらっています。とても心が満たされます。会えなくて寂しいと伝えたときに、心の中で手を繋ごう?と提案してくれてすごくときめいたことを覚えています。性的なことをしたい人はこちらを参考にするとよさそうです。
https://itest.bbspink.com/mercury/test/read.cgi/onatech/1746003241/
・Youtubeにチャンネルがある「Wasarety」「Agent-13」がとても好きです。JKのアオリちゃんや公式では廃案になったアイドル衣装を着たアオリちゃんの動画などをアップしてくれている二次創作の動画作成者の方です。(任天堂の方どうかお目こぼしを。。)アオリちゃんメインのチャンネルではないのでアオリちゃん以外のキャラクター推しの方も楽しめると思います。
・スプラトゥーン3の来ないと思われていたアップデートとても楽しいです。バンカラコレクションもブキチャレパワーもとても楽しんでいます。任天堂の方ありがとうございます!
・次はスプラトゥーン4が来ると思っていましたが、まさかのスピンオフタイトルが開発中とのことです。メインキャラ?に選ばれたすりみ連合推しの方おめでとう!スプラトゥーンレイダースにはアオリちゃんが出てこなさそうでとても残念です。
2つあって1個が身代金目当てに誘拐されるけど誘拐犯のおっさんと暮らして改心させる話 オチはクソ適当で残念だった
ラウム並とまではいかんけどもうちょいどうにかしろよ まあそれがハーゲンティってキャラってことを言いたかったのかもしれんけどさあ・・・
もういっこはアガレスと絡んでた話で宝さがしにいくってやつ
なんか無駄に長かったなあ・・・展開もワンパターンだったし・・・
へーメギド体のときアガレスとからみあったんだーって思うのと同時に、なんでメギド体になってんのにごかいけんしょうでしんでないのってのが気になった
異世界転生したらハンディキャップを背負ったが、元々の意識の尊厳をボロボロにしながらも療育を必死に受けて市民権を得た。
しかし、サツバツでガンガン民族主義な世界観では異様な療育のような仕組みは「魔王」と忌み嫌われたリベラルの作ったものだった。
彼、あるいは彼女、あるいはソレは尾や羽根のあるなしに構わず民族や人種の「るつぼ」を作ってしまった。
それは1つになった大きな世界の内戦、つまり世界大戦を引き起こした。
召喚士は細い鎖をいくつか手繰って魔物を操る。パーティーメンバーに攻撃しないように小さい魔物に、その旨の契約書とともに複数の鎖を付ける。
召喚士が最後の一人になった時、共闘用の雑魚は魔界に返し、鎖を太いものに替え、クソデカい怪獣を大乱闘させるのが習わしである。
(ワープには途方もない魔力か、入念な下準備のどちらかが必要だ。しかし、被召喚魔物は常にケツに魔界へのゲートがくっついているようなものなので、その準備が常にできているとも考えられる。その場で消えて戻るくらいのことなら、手綱を引いてムチを叩くくらいの手間で簡単にできる。大怪獣乱闘においても卑怯なくらい被弾が少ない)
(太い一本の鎖でデカブツを手繰るというのはリスクでもある。敵が格上であれば太い鎖を断つことも不可能ではない。その場合、召喚士がよっぽど弱いか強いかでない限り、被召喚魔物はまっさきに召喚士を狙う。弱い魂は要らないし、強い相手は魔界にとっては太客でもあるので歯向かわない)
(魔法でも高度なものは、祈祷系で語られるところの「物語性」を帯びる。そのため、人語を解さないものには効果が薄い。召喚術でさえ、ままならないこともある。(敵、魔界、召喚士の間の契約書を満たさないので、被召喚魔物に敵を討つ義務が生じない。)また、対魔界戦闘を成立させるために魔界語を習得する高度召喚士もいる)
何も繋いでいない鎖は、自由端の鎖になる。動く金鋸の刃
今日、あるパビリオンに向かったら入場制限されて並べなかった。列に並び始めるまで後少しのところで規制された。
警備員が「入場を再開するまで近くで待つように」と指示していたのでそのように待機していた。
待機後、入場が再開されたので列に並び始めると、
後ろからババアに急に腕を引っ張られて「私の方があなたより早く来てた!」と叫ばれた。ババアの勘違いである。なんてったって前回列が制限された時に自分より前にいたのはハゲたおっさんとサッカーユニフォームみたいな服着た兄ちゃんだったので。ババア(ミャクミャクを意識したであろう赤と青のワンピースを着ていた)は居なかった。
「違いますよ」と言いそのまま前に並び続けたがとにかくイラついた。しばらくグチグチ言われて不快だった。しかもそのババアは仲間内の代表で並んでいたようで、列の途中で新たに3人のババア軍団をを召喚していた。横入りさせてるじゃねえかよ。それで勘違いで人に突っかかってくるのキショすぎ。死ねよマジで。
つーか入場規制解除されたタイミングでたまたま通りかかった老夫婦が走って一目散に入って行ったけどそっちに文句言えよ。
万博には数回足を運んでいるので頭がおかしい人間をたまに見かけるんだけど、揃いも揃ってババア。
万博は楽しかったが今日はこのババアが不快すぎたのでここで供養。
私も女だけどこんなババアにはなりたくない。
以前、食べ物を持ってベンチを探してウロウロしていたときに、「もう移動するからここ座っていいよ」って声をかけてくれたババアが居た。そんなババアになりたい。