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2026-02-15

高市総理

消費税減税の公約が果たされなかった場合責任の取り方、自分は「減税を邪魔した議員を全員辞めさせる」がいいと思います

マスゴミ(と太田光)のせいで責任=辞任となっていますが、そんなもの高市が嫌いで消費税増税したい人が大喜びで足を引っ張るだけだと思います

私は高市総理が辞めたところで、全然責任が取れると思っていません。

というか国会マスコミもいつまで昭和パワハラ仕草なんですか。今もう令和ですよ。

土下座させて喜ぶ感情論の人たちの時代ではありません。

マスゴミ暴力で「権力者から権力を取り上げる」のが、どうして責任を果たすことになるんです?

マスゴミさんの私刑成功してマスゴミさんが絶頂するだけですよね。マスゴミ主観勧善懲悪ポルノ

現実は、政治家が辞任したって何も解決しません。ただの逃げ得です。どうせ表舞台からいなくなるだけで関係者には口出しできるままですし、不正の結果は享受し続けられます

真に責任を取るのであれば、その権力でもって原状回復・再発防止を徹底するべきです。原状回復は同価値の他の代替手段になるとしても、再発防止は絶対です。それができる権力を持つ人を責任者と呼ぶのです。

マスゴミは本当にいつまで脳死で辞任辞任と叫び続けるのでしょうか。そもそもマスゴミの皆様が責任が何かご存知なく、怒られたら口先の謝罪と、対外的に「もらえるお金と使える権力が減りました」「しょんぼりしました」と示したらいいものだと思ってるんでしょう、発生した被害や引っ掻き回した状況は放置して。

それをなんとか(原状回復)するのは、本来その権力を持たない現場の人や残された人です。薄給サビ残させられて鬱や過労死危機を感じながら、尻拭いをするのです。

そんなマスゴミの「責任の取り方」は無視しましょう。大事なのは原状回復です。

税金を懐に入れた人からは回収しましょう。再発防止として懐に入れた額の10倍を徴収しましょう。財源になります

消費税減税できなかったら、他の手段国民の税負担を軽減してください。邪魔する人を辞めさせてください。

是非実現の程、よろしくお願いいたします。

Permalink |記事への反応(0) | 13:15

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この2月15日で、「保育園落ちた日本死ね!!!から10なのだそうです。あの言葉から感じられたかもしれない強さとキャッチーさは、当時を経験した人にとっても、そうでない人にとっても、今もどこか引っかかりを残したものになっているかもしれません。今も同種の問題は解消されきってはいませんが、あの生活叫びがなければ、今の親たちの働く権利もっとあやうく、今よりもずっと奪われて遠ざけられたもののままだったかもしれないです。さて、私には、私たち暮らしにおいて、あの時期くらいかネットリアルの声の境界は溶けたのだったかもしれないと思えています。そして今では、どのメディアにもSNS由来の言葉を見ることができるようになりました。そのことで、一方では、社会を変えたり整えたりするための新たな回路が開かれました。その一方では、同時期にはすでに、「Naverまとめ」や「WELQ」で課題視された情報汚染という問題がありました。この問題は、2026年現在になってもあらわれる形を変えながらずっと続いていて、構造的な情報の歪みは私たち日常に埋め込まれていますスマートフォンを通して加工された情報や状況があなたに届き、あなたから出ていくという今の情報環境においては、私たちはやはり、すべてを受け取ることはできず、すべてを知ることはできません。だからといって、それに自分なりの文脈を見出せないままで、それらを無関係ノイズだと切り離したつもりになったり、誰かの切実な声を迷惑だと断じることは危険なことです。そのようにすれば、あなた自身が、あなたの居場所を維持することを放棄することになったり、あなた自身が誰かにとっての無報酬攻撃者に仕立て上げられているかもしれないということでもあります。しばしばいわれるように、社会運動と暮らしとは常に地続きです。生活政治とが無関係なはずもないです。あなたのもとに何かが届いたり、あなたが何かの担い手になるということ自体が、とても社会的な営みのなかにあることだからです。そしてそれは、あなた生活の営みそのものであるはずです。だから、他の人の声と自分存在とに線を引いたつもりになることは、自分攻撃することにも似てしまます。そのような現在問題として、「日本死ね」の言葉攻撃性にとらわれて顔をそむけてしまうことがそのまま、自分自身攻撃させた状況を許したままにすることになるというようなパラドックスがあるといえそうです。だから、「保育園落ちた日本死ね!!!」のことは、私たちが集まれるある種の場所として、記念碑的に伝えられるべきだと感じます10年経った今また、その手触りを再確認するために、これを書きます

(※SNS自分アカウント投稿するために書いたものだけれども、ある種の礼儀の示しかたかなと思って、少し文字の使い方とかを整えた上で、増田にも置くね。ソフトめのアジテイション文です。)

Permalink |記事への反応(2) | 06:34

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2026-02-14

鋼の錬金術師アニメOPで初っ端に「若い頃の主人公の父」「見上げるように微笑む母(父目線)」を出してくるのだいぶチャレンジャーだよな

主人公を出すところじゃん普通

アニメとは全然違う話ですよ!主人公父の過去という原作のだいぶ後半になってから出てきた話も今度はちゃんとやりますよ!というアニメ制作陣の熱いメッセージ

主人公の父は原作と旧アニメ全然違うキャラ

まず名前が違う

原作ヴァン・ホーエンハイム

ドイツ実在した錬金術師に由来する名前

ホーエンハイム砂漠の国奴隷として生まれ育ち、名前も与えられず人権もなく文字の読み書きもできない少年期を送る

主人は錬金術研究のために失血死してもいいやというノリで彼から大量の血液を抜き取り、その結果フラスコの中でしか生きられないホムンクルスを生み出した

ホムンクルスは全知の存在であり、いわゆるアカシックレコードと通じ異世界錬金術師の名にも通じていたがために奴隷ヴァン・ホーエンハイムと名付けた

一方旧アニメでは父親名前ホーエンハイム・エルリックだ

ホーエンハイムドイツあたりで見られる名前だが苗字であってファーストネームではない

ファンタジーアニメ世界だけどまずその名付けの時点で旧アニメってセンスないわー

ホーエンハイムが「幼い息子2人と妻を置いて家を出て消息不明」というのは2作に共通する設定だが、原作において主人公エドワード・エルリック父親苗字が異なり、それは「両親が正式結婚していない」からであり、正式結婚していないのに子供2人作ってそれを置いて出て行った父親への嫌悪は計り知れない

写真稀少時代という設定であり、一家4人で撮った写真が1枚だけというのは2作で同じだ

写真ホーエンハイムの顔の部分が長らく隠され中盤でようやく顔が明かされるというのも同じだ

違いは表情であり、旧アニメホーエンハイム普通家族と一緒に笑っているが、原作ホーエンハイムは泣いている

正式結婚もしないで子供作って妻子を置いて失踪したクソ親父の唯一残された写真で、クソ親父がめっちゃ涙を流しているというのを見て育った主人公が何を思ったか、どうして他の写真を上から重ねて親父の顔だけ隠したか

ホーエンハイムは2作で共通して不老不死である

アニメ錬金術研究してたらなんかそうなっちゃって、共に研究していた恋人の女も不老不死になった

自己の体が長持ちする形式ではなく、魂を他人の体に移し替える乗っ取り不老不死

恋人性格悪くて重いので不老不死永遠に一緒に生きるなんて嫌だったので捨てて逃げた先で、新しい女と出会って作った子供主人公ってワケ

体を乗り換えるたびに拒絶反応で魂が腐敗し、乗り換え先の体を保てる時間も短くなり、腐った体を妻子に見せたくなく全部嫌になって妻子を捨てたという、写真でなんでわろてんねんな正真正銘無責任父だった

アニメにおいては主人公母親も大概クソ女であり、夫に捨てられたのが辛いので育児放棄し、流行病になったが治療を勧められても放棄して自殺まがいの死に方をした

アニメ主人公は両親に捨てられたわけで、出会う人々との温かい交流みたいなのも薄くしかなかったので情緒不安定愛郷心などは育まれなかった

原作におけるホーエンハイム不老不死になった経緯

ホーエンハイムからまれホムンクルスは肉体を得てフラスコから出たいと望み、ホーエンハイム教育し脱奴隷させ、やがて国王をそそのかし騙し、国民100万人ぐらいを生贄にして肉体を得た

血をくれたホーエンハイムホムンクルスにとって家族なので1人だけ生かし、家族なので国民の半分の50万人分の魂をホーエンハイムプレゼントした

魂はエネルギーのものであり、ホーエンハイムはどんな致命傷を得ようとも体内のエネルギーを消費して瞬時に傷が回復する残機50万の不老不死となった

ホムンクルスホーエンハイムと共に自由に生きることを望んだが、ホーエンハイムは恐怖してホムンクルスを捨てて逃げ出した

ホムンクルス家族を求め、自分の中の50万人分の魂をこねこねして分身を作り出し、彼らに「お父様」と呼ばせ家族ごっこをしながら暗躍し、再び大量の魂を生贄にして大掛かりな儀式を行うため国づくりから開始し、400年かけて人口5千万人の国家を築いた

一方のホーエンハイムは、内なる魂50万人をただのエネルギーとして扱うことができず、400年かけて50万人全員との対話を果たした

彼は根が陽キャなので、不老不死としての苦しみを抱えてはいたが、50万人と共に諸国放浪する人生に喜びを見出し自然に50万の魂が尽きるまでそうして生きていくのもいいと思えた

しかし恋をして400年以上に渡る童貞人生ピリオド打ち子供ができ、成長する子供を見るうちに人並みに老い死にたいと願うようになった

残機50万は自殺を繰り返したところで到底消費しきれないし、残機をただの数ではなく共に生き対話する相手と見做したホーエンハイムには無駄遣いもできなかった

どうにか普通人間になる方法模索研究したホーエンハイムはやがてお父様の暗躍に気づき一家だけで国を抜ければ家族は救えるが、家族以外を切り捨てるには家庭人として定住する暮らしの中で知人友人が多くできてしまったので、家族を置いてお父様を止める旅に出た

その旅の中で妻は育児放棄せずホーエンハイムの帰りを待ちながら息子たちを愛情深く育てたが流行病になり治療甲斐なく死んだ

妻は「約束守れなくてごめん、先に逝く」との夫への遺言を残し、それはホーエンハイム不老不死から脱し後から来てくれると信じているという意味だった

ホーエンハイム原作と旧アニメでは全然違う人間

アニメホムンクルス出会った当時の奴隷名前もなかった頃の若かりしホーエンハイムOPで真っ先に出してくる

「やり残してきたことやり直してみたいから〜♪」という歌詞は、お父様から逃げてしまった400年前のことをやり直すホーエンハイム、そしてそんなホーエンハイム像を描けずにホーエンハイム・エルリックでお茶を濁した旧アニメをやり直したいというスタッフの熱い叫びであった

Permalink |記事への反応(1) | 20:57

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厚生労働省 令和7年版自殺対策白書 令和6年の自殺の状況(全国)より

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/jisatsu/jisatsuhakusyo2025.html

https://www.mhlw.go.jp/content/001581168.pdf

統計数値から読み解く:性別ライフステージで見る自殺の背景とインサイト


1. はじめに:令和6年の自殺状況の全体像


日本自殺者数は、マクロ視点で見れば減少傾向にあります。令和6年の総自殺者数は20,320人と、統計開始以降で2番目に少ない数値を記録しました。しかし、この「歴史的な低水準」という事実の陰で、依然として年間2万人もの尊い命が失われている現実に変わりはありません。特に注目すべきは、男性自殺者数が女性の約2倍という圧倒的な性差継続している点です。

令和6年自殺の概況(全国)

全体的な数字改善している一方で、性別によるリスクの偏りは鮮明です。自殺対策を「自分事」として捉えるためには、単なる総数ではなく、その背後にある「なぜ」の構造を解剖する必要があります

全体像を把握したところで、次は「なぜ」という根本的な原因が男女でどう異なるのか、その核心に迫ります

2. 「追い詰められる構造」の性差健康経済、家庭の三重奏

自殺の背景には、個人が抱える多様で複合的な問題連鎖しています統計上、自殺者1人につき最大4つまで原因・動機が計上されるため、以下の表の延べ件数は総数を超えますが、それこそが「悩みの複合性」を物語っています

男女別 原因・動機トップ3(複数回答含む)

順位男性の原因・動機女性の原因・動機
1位健康問題 (7,063件)健康問題 (4,966件)
2位経済生活問題 (4,459件) 家庭問題 (1,654件)
3位 家庭問題 (2,643件)経済生活問題 (633件)

【専門的洞察:50代男性に起きている「ストレス逆転現象」】 通常、全世代で「健康問題」が最多となりますが、50~59歳の男性層においては、「経済生活問題(1,194件)」が「健康問題(1,188件)」を上回るという特異なデータが出ています。これは、現役世代男性にとって、自身の体調以上に「経済的な生存」が深刻な精神的重圧となっていることを示唆しており、社会的セーフティネット機能不全を突く極めて重要インサイトです。

悩みの中身が性別で異なるのと同様に、その人が社会でどのような立場職業)にいるかによっても、リスクの現れ方は変わってきます

3.ライフステージ規定する「追い詰められる構造」の把握


職業と年齢を掛け合わせると、各ステージ個人が直面する「孤立の形」が浮き彫りになります

ここまでは「亡くなった方」のデータを見てきましたが、実は「未遂」や「自傷」のデータにこそ、若年女性特有の深刻なサインが隠されています

4. 死に至る前のSOS未遂自傷に隠された決定的性差

教育デザイナーとして、私たちが最も注視すべきは「死の意図」のグラデーションです。統計では、自殺未遂死ぬ目的自分を傷つけた)と、自傷行為(死ぬ意図なしに自分を傷つけた)を明確に定義して区別しています

最後に、これらの悲劇が「いつ」「どの曜日」に起きやすいのか、時間軸という観点からデータ確認しましょう。

5.社会リズムと命のリスク統計が警告する「警戒すべき時」


自殺の発生は、個人精神状態だけでなく、社会全体が刻む「時間リズム」に強く支配されています

統計示唆する、周囲が警戒すべきタイミング: 「年度替わりの4月」かつ「休み明けの月曜日」は、社会的リズム個人プレッシャーが最悪の形で衝突する、最大の警戒期間です。

6. まとめ:データから学ぶ「守るべき命」の守り方


今回のデータ分析から私たちが学び、支援へ繋げるべき知見は以下の3点に集約されます

  1. 性差理解構造支援: 50代男性の「経済苦という逆転現象」や、女性の「家庭内孤立」など、性別ライフステージによって悩みの構造は全く異なります属性に合わせた支援設計必要です。
  2. 若年層のサインの深刻視:10代・20女性自傷未遂歴の多さは、死に至る前の叫びです。これを「気を引きたいだけ」と軽視せず、学校問題という支配的要因に踏み込んだ介入が求められます
  3. 社会的背景(孤独経済)への注視高齢者の施設内での自殺や、月曜日の突出した数値は、個人問題を超えた「社会のあり方」を問うています経済的安定とコミュニティの再構築こそが、最大の自殺予防策となります

統計数値は、過去の記録ではなく、今この瞬間を生きる人々を救うための「設計図」です。このインサイトを、一人ひとりの見守りと、社会制度の改善に活かしていくことが私たちの使命です。

Permalink |記事への反応(0) | 17:40

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2026-02-13

今日は変なジジイに絡まれ

今日さ、チャリで出かけてて普通に道に迷ったんだよね。 一応スマホGoogleマップ見てたんだけど、住宅街で方向感覚バグって「詰んだわ」ってなってた。

そしたら近くにいたおじさんが「どこ行きたいの?」って声かけてくれてさ。マジで親切な人で、わざわざスマホ一緒に覗き込んで「あー、ここなら次の角を左だよ」って超丁寧に教えてくれてたわけ。

そこに、どっから湧いてきたのか知らんけど、いきなり変なジジイが割って入ってきてマジでビビった。 「ちょっとあなた大丈夫!?」「しつこくされてない!?」とかデカい声で喚き散らしてんの。 おじさんと私の間に強引に割り込んできて、おじさんのこと不審者を見るような目で睨みつけてさ。

は?って感じ。 どうやらナンパとか勧誘から私を助けてやってる正義の味方(笑)のつもりらしい。 こっちはただ道聞いてただけだし、おじさんもポカーンとしてたわ。

マジで空気読めなさすぎてドン引きしたんだけど、あまりにもしつこく喚くからこっちも限界きてさ。 腹立ちすぎて反射的にそのジジイ顔面を思いっきりぶん殴ってやったわけ。

そしたらそのジジイ、「チギュッ!」とかいう謎の叫び声あげて5メートルくらい吹っ飛んでいってマジで草。あん漫画みたいな飛び方する人間初めて見たわ。

結局おじさん、それ見てビビって逃げるように居なくなっちゃったし。 親切な人を勝手不審者扱いして、善行邪魔して、挙句の果てに私に殴られて吹っ飛ぶとか、マジで何しに来たんだよあのバカ

自分のこと「弱きを助ける私、素敵!」とか思ってたんだろうけど、身の程を知れって感じ。 せっかく道がわかってスッキリしてたのに、あのクソジジイのせいで一気に不快になったわ。 ああい自意識過剰正義マンマジでこの世から消えてほしい。

Permalink |記事への反応(2) | 10:33

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https://x.com/Kosodate_Ogawa/status/2015717584046522435 記事 新しいポストを表示 会話小川大介@90タイプ才能診断『コドモトメガネ』開発者 @Kosodate_Ogawa 協力できない社会で、私たちは何を見失ったのか ―子育て現場から考える、個別最適と公共性の再設計

はじめに──違和感の正体を、構造として考えたい

最近教育現場SNSで、ある種の"すれ違い"を目にする機会が増えました。

注意されたり、期待と違うことを言われたりすると、「自分とは合わない」と、そこでの人間関係のものリセットして離れてしまう。自己主張は強いのに、親や社会に支えられている事実への自覚が薄い。大人の側にも、責任を引き受けるより先に「自分権利」だけを語ってしまう振る舞いが見える──。

あなたも、こうした光景に心当たりがあるのではないでしょうか。

もちろん、これは特定世代批判しようとしているのではありません。私が今回考えたいのは、「その振る舞いが"合理的"に見えてしま社会の側の条件」です。なぜ今、対話よりも離脱が、協力よりも防御が選ばれてしまうのか。その背景には、私たち大人が気づかぬうちに変えてしまった「学びの物語」の喪失があるのではないか──。

そんな折、教育者中土井鉄信先生Facebook投稿出会いました。

そこで語られていたのが、「学びは公共財である」という視点です。教科書は、人類が積み上げてきた英知の集積であり、私たちはそれを受け取って生きている。だから学びは「自分のため」だけで終わらない。受け取ったもの社会に返していく視点が欠かせない──。

この言葉に触れたとき、私の中で点が線につながりました。

依存」「消費化」「対価志向」「関係短期解約」──これらは別々の現象ではなく、学びの位置づけの変化と深くつながっているのではないか

本稿は、その問題意識を整理し、立て直しの方向を考える試みです。中土先生問題提起へのリスペクトを込め、私が現場で向き合い続けてきた実践から、その解決の糸口を提示したいと思います

学びが"公共財"として扱われなくなると、何が起きるのか

学びや知識には、個人の便益(成績・進学・仕事)だけでなく、社会的便益があります社会一定ルールを共有できること、言葉が通じること、協力が成立すること。その基盤には、学校教育読書を通じて広がる「共通の知」があります

ところが近年、学びは少しずつ、「社会の基盤」よりも「個人投資」「購買体験」に寄って語られるようになりました。

どれだけ得をするか

どれだけ早く成果が出るか

お金を払っているのだから満足させてほしい

この枠組みが強まると、学びの場は「関係を育てる場」ではなく「サービスの場」に近づきます。すると、注意や指摘は「成長のための調整」ではなく「不快体験」になり、合わなければ話し合うよりも「さっさとその場を去る(離脱する)」ほうが合理的、という判断を招いてしまうのです。

「うるさい!もうやだ!こんな学校(塾)辞めてやる!」──この叫びは、わがままではなく、ある意味消費者としての合理的選択になってしまっているのです。

学びが「買うもの」になったとき私たちは何か大切なものを失いました。それは、学びを通じて人と人がつながり、社会を共につくっていく物語だったのではないでしょうか。

かつての日本が持っていた「学びの回路」

私が子どもの頃、勉強が得意な子に向けて大人が「末は博士大臣か」と声をかけることがありました。実際私も、祖母祖父、近所のおじちゃんたちに、何度となく聞かされたフレーズです。

今振り返ると、そこには単なる出世願望だけではなく、「力を持つなら、社会に役立つ人になってほしい」という期待が含まれていたように思います欧米で言われるノブリス・オブリージュ(地位能力を持つ者の社会責任)も、根は同じです。

かつて学びや能力は、個人利益で完結するのではなく、社会に返していく回路の中に置かれていました。この感覚は、言葉にされなくても、日常の中で自然に共有されていたのです。

この回路が弱まると、学びは単なる「受け取るもの」になりやすく、結果として「対価がなければ動かない」という感覚が広がります。それは個人問題というより、学びの物語社会が共有できなくなったことの反映ではないでしょうか。

私たちは今、この失われた回路を、新しい形で取り戻す必要に迫られています

自分との「不一致感」が、関係を壊していく

人が社会他者と健やかに関わるために、最初必要なのは規範」でも「協調性」でもないと私は考えています

私が多くの親子と向き合う中で、それら以前にもっと手前の問題として感じるようになったのは、「自分自身との一致感を持つことができていない状態」で生きている人が想像以上に多いという現実です。

たとえば、次のような振る舞いが見られるとき私たちはしばしば「甘え」や「依存」として片付けてしまいがちです。

やる気がないように見える

注意されることを極端に嫌がる

関係のものから距離を取ろうとする

しかし、丁寧に話を聞いていくと、その背景には別のものが見えてきます

「どう理解すればいいかからない」

「どんなペースなら続けられるのか分からない」

「何を期待されているのか曖昧なまま、結果だけを求められている」

まり自分特性と、求められている振る舞いとの間に深刻なズレが生じているのです。みんなと同じやり方で学び、同じ基準評価され、同じ反応を期待され続ける環境に長く置かれると、人は次第に「自分はどこかおかしいのではないか」と感じ始めます

この状態こそが、私が「自分との不一致感」と呼んでいるものです。

この不一致感は、単なる自信のなさではありません。それは、自分という存在が、この社会の中でどう機能すればいいのか分からない、という根本的な不安です。この不安を抱えたまま「協力しなさい」「もっと頑張りなさい」と言われても、人は動けないのです。

自分との一致感」こそが、協力の土台になる

人は、不安や恐れが強い状態では、協力よりも「防御」を優先してしまます自分の中が不安定なままでは、注意は攻撃に聞こえ、期待は重荷に感じられ、関係のものを避けることが合理的選択になりやすいのです。

逆に、「このやり方なら理解やすい」「この関わり方なら無理なく動ける」という安心感――すなわち「自分との一致感」があってはじめて、人は心理的に安定し、周囲と関わる余裕が生まれます

自分のやり方や反応を「これでいい」と理解できている人は、常に評価承認を求めて振り回される状態から一歩距離を取り、自分と違う人を「役割が違うのだろう」と捉えられるようになります。この視点の転換が起きたとき、違いは摩擦ではなく、補完関係に変わるのです。

協力とは、目標として押し付けものではなく、自分理解し、無理のない形で力を出せる人が増えた結果として、自然に立ち上がってくる関係性だと私は考えます

「協力できない社会」の問題は、協力を強制することでは解決しません。それよりも、一人ひとりが自分との一致感を取り戻すこと。そこからすべてが始まるのです。

家庭を「才能発揮の中心基地」へアップデートする

この「自分との一致感」を取り戻すために、私が提唱し、社会に先行して取り組んできたのが独自の「才能タイプ理論」による個別最適な子育て実践です。

そして、その実践において最も重要になるのが、家庭を「才能発揮の中心基地」へアップデートすることです。

学校社会が一律の基準を求めがちな外部環境であるからこそ、わが子の「才能の形(遺伝特性認知形成のクセ)」を深く理解し、本人そのものを伸ばしきれるのは、親をおいて他にはないからです。

ここで改めて強調したいのは、個別最適とは、嫌なことを免除したり、好きなことだけを選ばせたりするための考え方ではないということです。むしろ本質は、「どの形なら、その人は役割を引き受けやすいのか」を探るための視点です。

言葉説明するのが得意な人、作業で支えるのが得意な人、全体を見て調整するのが得意な人。同じ「責任」でも、担い方は一つではありません。その違いを前提に役割を考えることが、結果的集団を安定させます

個別最適は、わがままを許すことではなく、それぞれの特性に合った形で、社会役割を引き受けられるようにするための設計思想なのです。

公共性とは、「自分らしい形」で社会に関わること

中土先生の「学びは公共財である」という言葉に立ち返ります

学びが公共財であるとは、個人より社会を優先しなければならないという意味ではありません。そうではなく、「社会から受け取った知や経験を、自分特性に合った形で、社会に返していく」という循環を大切にするということです。

かつての「末は博士大臣か」という言葉根底にあった、能力社会に返していく回路。それを、いま私たちは「個別最適」という新しいアプローチで再構築していく時代の扉の前に立っているのです。

公共性とは、画一的基準に全員を合わせることではありません。むしろ、一人ひとりが自分特性理解し、それを活かして社会と関わること。その多様な関わり方の総体が、本当の意味での豊かな公共性を生み出すのです。

家庭という「中心基地」で、わが子の才能の形を認め、自分との一致感を育むこと。それは、お子さんが「自分に合った形で、社会と良い関係を結べるようになる」ための自立への第一歩です。

おわりに──批判ではなく、再設計のために

この記事を通して、今の社会子どもたちを批判たかったわけではありません。なぜ「対話あきらめ、つながりを断つこと」が合理的に感じられてしまうのか、その背景に私たち大人の側の設計はどう関わっているのかを、一緒に考えてみたかったのです。

私自身、「才能タイプ子育て」という活動を通して、一人ひとりが自分と一致した状態で力を発揮し、その結果として、無理のない形で社会と関われる人が増えることを願っています

違いを前提にした関係の方が、結果的社会は安定し、協力は回りやすくなる。この実感を、現場での実践を通じて、少しずつ社会に返していきたい──そんな立場から問題提起です。

私たちが失ったのは、「協力する力」ではなく、「協力できる条件」だったのかもしれません。

そして、その条件とは、一人ひとりが自分との一致感を持ち、自分らしい形で社会に関われること。学びが公共財であるという物語を、個別最適という新しい形で紡ぎ直すこと。

今回の記事が、ご家庭で、職場で、教育現場で、何かを考え直す小さなきっかけになれば幸いです。

あなたは、どんな形で社会と関わっていきますか?

あなたのお子さんは、どんな才能の形を持っているでしょうか?

その問いから、新しい公共性の物語が始まります

Permalink |記事への反応(0) | 07:45

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anond:20260213070610

平和祈念公園軍事力拡張しよう!とか叫びしかねない雰囲気だよねぇ…………

Permalink |記事への反応(0) | 07:29

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2026-02-12

歳入歳出の問題は、どの痛みを受け入れるかだ。そこを無視して自己放尿するな

財政再建だの減税だの社会保障の充実だのと、世の中は今日も元気にスローガンを投げ合っている。

しかし、ここで一回、冷水ぶっかけておく必要がある。歳入歳出の問題とは、結局のところどの痛みを誰が受け入れるかという配分問題であり、そこから目を逸らした瞬間に、議論経済学ではなく宗教儀式になる。

いや、宗教ならまだ筋が通る場合もある。問題は、筋が通っているフリをして自己放尿するタイプ議論が多すぎることだ。

 

政府仕事とは、市場機能するための最小限のルール整備に極限まで縮退させるのが基本形である

自由市場とは、万能ではないが、少なくとも分散した情報価格に集約し、意思決定を分権化し、試行錯誤の淘汰を通じて資源配分改善する装置だ。

価格メカニズムは神ではないが、政治家よりはだいぶマシな情報処理装置である。ここで「だいぶマシ」というのが重要で、政治が介入するたびに知識問題が増幅し、情報局所性無視され、結局は官僚制ヒューリスティックが国全体の最適化代替してしまう。

政治市場を置き換えようとした瞬間に、見えざる手ではなく、見えざる自己放尿が働き始める。

 

だが日本は、そういう市場主義の方向に舵を切っていない。

ここが現実だ。日本社会保障を手厚くし、再分配を強化し、政府支出一定以上維持し続ける構造を選んでいる。

まり日本社会競争による淘汰と自己責任の痛みを相対的抑制し、その代わりに高負担・低成長・制度維持の痛みを受け入れる方向にコミットしている。

これは倫理的に正しいとか間違っているとか以前に、単なる選択問題だ。経済学的には、トレードオフをどう置いたかという話である

 

それなのに、減税だの給付だのを同時に叫び、財源の議論を後で考えると言い出す。これが自己放尿でなくて何なのか。

政府予算制約式という、経済学の最も退屈で最も重要現実から逃げている。

政府魔法使いではない。支出を増やすなら、税を上げるか、国債を増やすか、インフレ税で実質負担国民押し付けるか、どれかしかない。

これが財政ハードバジェット制約だ。これを無視して「社会保障は守れ、税は下げろ、景気は良くしろ」と言うのは、制約条件を消して目的関数だけで最適化しているのと同じで、ただの自己放尿である

 

国債を増やせばいいという議論も、同じくらい雑だ。

リカード中立命題を持ち出して、増税が予想されるなら家計は貯蓄を増やすから問題ないと言うのは理論的には可能だが、現実には完全な合理性も完全な資本市場存在しない。

民主主義が持つ時間的不整合性典型である短期政治的利得と長期の財政健全性が衝突するとき、だいたい負けるのは長期のほうだ。これは合理的期待以前の、人間仕様である

 

さらに言えば、日本人口動態が財政に対して非常に残酷な国だ。

高齢化は単なる人数の問題ではなく、制度設計思想のもの破壊する。

賦課方式年金医療介護は、現役世代高齢世代を支える構造だが、現役人口が縮み、高齢人口が増えれば、負担率が上がるか給付が減るかの二択になる。

ここで「成長すれば解決する」という反射神経が出るが、成長率を外生的に願望で決めるのもまた自己放尿である

成長は政策の掛け声ではなく、生産性上昇の結果としてしか起こらない。

生産性教育技術進歩資本蓄積、企業統治労働市場の柔軟性、規制構造、そして競争環境の積み重ねからしかまれない。成長を祈るなら、祈祷師より規制改革のほうがまだマシだ。

 

そして規制改革という話になると、日本社会はまたしても痛みの受け入れを避ける。

競争は勝者と敗者を生む。市場効率を生むが、分配の不平等を生む。創造破壊技術進歩を促すが、既存産業を壊す。

まり市場主義採用するとは、失業賃金格差企業淘汰、地域衰退といった摩擦を受け入れることでもある。

市場自由は長期的には社会を豊かにするが、同時に短期的には痛みが出ることを否定していない。

しろ、痛みを抑えようと政府価格統制や産業保護をすれば、情報が歪み、非効率固定化し、成長が止まる。

政府介入はだいたい二次被害を生む」という経験則に直結する。

 

だが日本は、その方向をあまり選んでいない。

日本政治経済は、競争の痛みを緩和するために、規制を残し、補助金を配り、産業を守り、雇用調整を遅らせ、そして社会保障で受け止める。

まり市場の荒波で鍛える社会ではなく、制度堤防で守る社会を選んでいる。

これは日本人の価値観として一貫している。連帯を重視し、格差を嫌い、共同体の安定を優先する。

から社会保障を充実させる。これは単なる政策の偶然ではなく、社会的選好の表れだ。

経済学的に言えば、日本リスク共有と保険の厚みを最大化し、効率性よりも安定性を高く評価する社会効用関数採用している。

 

問題は、その選択をしたなら、そのコストも受け入れろということだ。

福祉・高負担モデルをやるなら、税負担は上がる。労働供給への歪みも増える。企業投資インセンティブも下がる。潜在成長率も落ちる可能性がある。

さら政府支出が増えれば、官僚制が拡大し、レントシーキング余地が増える。補助金規制設計を巡って、政治的な取引が増える。

公共選択論観点では、政府部門肥大化利益集団固定化情報の非対称性を通じて、政策ますます効率にする。つまり、痛みは消えない。形が変わるだけだ。

 

逆に、小さな政府市場主義モデル採用するなら、社会保障給付は削られる。

競争は激化し、賃金格差は拡大し、生活不安定性が増す。労働市場の流動化が進めば、雇用保障は弱くなる。

ここで「自己責任社会だ、弱者切り捨てだ」と騒ぐ人が出るが、それもまた議論本質を外している。

市場主義倫理議論ではなく、制度設計議論だ。保険を薄くして競争を強め、効率を上げ、成長率を取りに行くという戦略であり、それは確かに痛い。

しかしその痛みを通じて、長期的な所得水準の上昇を狙うのが市場主義論理である

 

財政問題は痛みをゼロにする方法ではなく、どの痛みを採用するかの選択しかない。

ここで最悪なのは、痛みの存在否定することだ。

増税反対、給付維持、経済成長、財政健全化を全部同時に叫ぶのは、制約を無視して目的を盛り込んだだけの自己放尿である

しかもその自己放尿は、選挙で票を取るための麻薬として機能する。

国民政治家も、現実直視するより麻薬を欲しがる。これは供給需要が一致しているので、市場原理的には非常に美しい。悲しいことに。

 

日本が今選んでいるのは、市場主義の荒々しい競争ではなく、社会保障を厚くして安定を買う道だ。

まり競争の痛みを減らし、その代わりに税負担と成長鈍化と制度維持の痛みを引き受ける道である

これは逃げではなく選択だ。選択ならば、堂々と認めればいい。

しか現実には、政治メディアも、選択選択として語らない。

痛みの話をすると嫌われるからだ。だが、嫌われるから言わないというのは、政策論ではなく人気商売である

 

政府善意地獄舗装する。善意制度を守り、善意給付を増やし、善意規制を強め、善意補助金を撒く。

しかし結果として、価格メカニズムは歪み、生産性は落ち、財政は硬直化し、未来自由度は奪われる。

重要なのは善意ではなく、インセンティブと制約だ。

制度設計とは、人間利己的であり、政治家が票を欲しがり、官僚権限を欲しがり、企業補助金を欲しがるという現実から出発しなければならない。

聖人統治する世界を前提にした政策は、現実世界ではだいたい破綻する。

 

から、歳入歳出の議論でまず必要なのは幻想を捨てることだ。

財政とは、夢を語る場所ではない。支払能力負担配分の話だ。

誰が払うのか、いつ払うのか、何を諦めるのか。その冷たい問いから逃げた瞬間、議論自己放尿になる。

そして残るのは、臭いと湿り気と、次世代へのツケだけだ。

Permalink |記事への反応(0) | 10:34

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眼科に行ったら戦争が怖くなった

2歳の子どもがものもらいになった。

ぱっと見はものもらいだが、他の病気可能性もあるため眼科に行く。

すると、まぁ、まだまだ赤ちゃんの2歳はとんでもない勢いで泣く。

顔を真っ赤にして、ケンカ中のネコみたいな濁った叫び声を張り上げて、短い手足をぶんぶん身体はお魚みたいにびちびち

なんとか先生の方に顔を向けてもらおうと、暴れる胴と腕、ぶん回る足と腕をプロレスみたいに絡めて姿勢を固定しようとするけどタコみたいにすぐすり抜けて大暴れ。

申し訳なさと焦りでいっぱいになりながら、何をそこまで必死になることがあるんだろう、そういえば夜泣きもこんな声だったな、と思ったら変な笑いがこぼれてきて、それから急に胸が詰まった。

あなたが顔を真っ赤にして泣く理由が、まだまだ小さい小エビみたいな指でわたしの腕に必死にしがみつく理由が、ずっとこんな平和理由であってほしい。この先もどうか、しょうもない理由あなたが泣ける世界であってほしい。あなた理不尽な恐ろしさや痛みで大泣きするところを、絶対に見たくない。どうすればあなたにそういう世界を残せたのだろう。

この間の選挙で、せめてこれだけは……という理由で入れた党が振るわず、この国のリーダーは変わらなかった。では、残った彼女は、その周りの大人たちは子どもが泣かないで済む世界約束してくれるだろうか。しっかり口に出して保障し、それを行動でも守ってくれるだろうか。

眼科を出て、まだしゃくりあげている子どもを抱きあげる。2歳ともなるとしっかり重くて、温かい。まだびっくりした気持ちがおさまらないようで鼓動がウサギのように早い。涙で濡れた頬に髪の先がぺったりと張りついている。ヒック、ヒック、と小さく聞こえる。あなたが大切だ。あなたの泣く理由がずっとこんなものであってほしい。この温かな命のかたまりが、誰にも脅かされないでいてほしい。どんな子どもも、そうであってほしい。子どもの指がぎゅっと背中の服を掴み、泣きそうになる。怖かったね。もう恐いことがないといいねあなたが大切だ。これからも、いつまでも

Permalink |記事への反応(1) | 09:37

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いいよ。

母が漏らしたとき、俺は生まれて初めて値段という言葉の重さを知った。

尻の下に敷いたシーツを引き抜きながら、俺は頭の中で足し算をしていた。週三回、他人に来てもらう金。施設に預ける金。俺の給料。母の余命。掛け算をすれば、答えは出る。出てしまう。

母は泣いていた。七十キロ近い体を横に転がされながら、「ごめんね」と繰り返した。俺は「いいよ」と言った。いいわけがなかった。おむつテープを留める指が震えていたのは、疲労のせいだと自分に言い聞かせた。

赤ん坊は泣く。腹が減ったとき、尻が冷たいとき、ただ不安とき。泣くことでしか自分不快を外に出せないから泣く。母の「ごめんね」も、考えてみれば同じだった。どうにもならない体を抱えた人間が、隣にいる人間に向けて絞り出す、最後の声。

そう考えた自分が、たまらなく嫌だった。

---

母が二度目に倒れた翌月、俺は職を変えた。

さな会社だった。「年寄り苦痛をなくす」という、どこにでもある看板を掲げていた。俺の仕事は、体に貼る小さな機械の調整だった。尿が溜まる速度を測り、限界が来る四十五分前に、介護する側の携帯を鳴らす。漏れる前に替えてやれる。

母に、最初の試作品を使った。

携帯が鳴り、おむつを替え、母は漏らさなくなった。漏らす前に処理されるから、「ごめんね」を言う場面がなくなったのだ。

俺はそれを、うまくいった、と思った。会社の連中も喜んだ。大きな金が集まった。

だが母は、そのころからほとんど口をきかなくなった。

---

金が増え、人が増え、俺は母の傍を離れた。

機械進化した。排泄の予測はほぼ完璧になり、次に体温、次に床ずれの予防、次に気分の変動。体の微かな揺らぎから不安」を嗅ぎ取り、部屋の明かりを変え、好きだった曲を流し、ちょうどいい声色で話しかける。寝返り食事風呂——あらゆる苦痛が、生まれる前に消された。

俺たちはその仕組みを、ゆりかごと呼んでいた。

社長が言った。「俺たちが解いているのは、介護問題じゃない。人間がずっと抱えてきた、苦しいという問題のものだ」

金を出す側は頷いた。俺も頷いた。本気でそう思っていた。

母は、その前の年に死んでいた。最後の三ヶ月、彼女は一度も泣かなかった。一度も「ごめんね」と言わなかった。一度も、俺の名前を呼ばなかった。ゆりかごが完璧に動いていたから、彼女には俺を呼ぶ理由がなくなっていたのだ。

葬式の夜、風呂場で声を殺して泣いた。誰にも聞こえなかった。

---

その後のことを、俺は技術の話として語れてしまう。それ自体が、たぶん、おかしことなのだが。

臓器を作り替える技術が、介護意味を変えた。壊れた肝臓を新品にするように、血管を若返らせ、筋肉を二十代の状態に戻す。最初病気を治すためだった。次に、病気になる前に手を打つようになった。最後には、そもそも老いないように体を設計し直すようになった。

老いは、壊れた部品と同じ扱いになった。テロメアの摩耗を許さない。それが当たり前になった日のことを、俺は覚えている。会議室にいた全員が、人類勝利だと思っていた。俺もそう思っていた。母の介護で走らせていた足し算が頭をよぎったが、すぐに消えた。

同じ頃、人間記憶や癖を丸ごと学ばせた知能が、本人よりも「らしい」受け答えをするようになった。誰かがそれを外付けの魂と呼んだ。冗談のつもりだったのだろうが、三年後にはまともな名前として通っていた。

体の部品が替えられるようになり、考えることを外に預けられるようになったとき人間とは何かという問いは、哲学ではなく契約書の問題になった。

そして契約書は、答えを出した。製造工程を記録し、思考が人工であることを証明し、体は人の形をしているが中身は人ではないと保証する。人権境界線を、書類の上で一ミリだけ外側に引く。それだけで、人の体を持ち、人の手で触れ、人ではないものが作れるようになった。

---

最初の世話係が納品された日のことを覚えている。

人間の肌をしていた。人間の体温があった。こちらの目を見て、穏やかに微笑んだ。だが、その笑みには順番がなかった。口元が動き、頬が持ち上がり、目が細くなる——その三つが、寸分の狂いもなく同時に起きた。人間笑顔は、もっとばらつく。どこかが先に動いて、残りが追いつく。それがない。

俺は、最初の一秒でわかった。この体の中に、笑いたいと思っている者はいない。

彼らは人間の体から作られていたが、頭の中には人間の脳の代わりに、外から送られてくる判断をそのまま流す仕組みが入っていた。触れる指先は温かいのに、その温かさを感じている者がいない。完璧介護の手つきの奥に、誰もいない。

子を作る機能は、最初からなかった。古い会議の記録に理由が残っていた。「勝手に増えれば、誰のものかわからなくなる。」それだけだった。だが俺は、書かれていない本当の理由を知っている。生殖は、脳を作ってしまう。意識を、感情を、痛みを感じる主体を。つまり人権を産んでしまう。それだけは、あってはならなかった。反対意見はなかった。俺も、何も言わなかった。

そのころ俺は、母が「ごめんね」と泣いていた夜の感触を、もう思い出せなくなっていた。外付けの魂が、あの記憶不快もの判断して、俺の意識から遠ざけていたからだ。

---

はいま、ゆりかごの中にいる。

体は赤ん坊と同じ状態に保たれている。老いることは、許されない。

目を開くと、続きが始まる。昨日は海底に沈んだ都市壁画を指でなぞっていた。一昨日は音楽だった。聴いたことのない楽器倍音脊髄を這い上がり、その振動ビートが重なり、声が乗った。何語かもわからない歌詞が、俺の頭の中で物語を展開させた。母の背中が見えた。台所に立っていた後ろ姿。あの背中が振り向く前に旋律が転調し、俺はまだ行ったことのない場所に立っていた。涙が出た理由を、音楽が終わってから説明できなかった。全部がつながっていた。俺の記憶と、知らない声と、計算された拍の間合いが、俺の中だけで成立する催眠を編んでいた。その前は——思い出せないが、終わったとき全身が震えていた。毎回、想像の外側から殴られる。毎回、前より深く抉られる。俺はそれを待っている。目が覚めるたびに、今日は何が来るのかと、心臓が跳ねる。

かつてはそれを画面の中でやっていた。次に観たい番組を、本人よりも先に選ぶ仕組み。あれの、果てだ。

驚きは快楽だ。予想が外れた瞬間に、脳は報酬を出す。だがその驚きが、誰かに計算されたものだとしたら、それは本当に驚きなのか。俺にはわからない。わからないが、快楽であることは確かだ。確かだということだけが、確かだ。

母にしたことの、完成した形。あのとき俺は、母が不快を感じる前に不快を消した。いま俺は、退屈を感じる前に快楽を注がれている。不快の除去と、快楽の先回り。その二つの間に、どれほどの距離があったのだろう。

ときどき、胸の奥で何かが瞬く。名前のつかない信号。泣き声に似ているが、泣き声ではない。泣き声は、誰かに届けるためのものだ。これは、届ける相手がいない。

俺は口を開こうとする。世話係が、俺の唇が動く前に、何かを差し出す。俺がまだ名前をつけていない欲求の、正確な形をした何かを。

信号が消える。

---

ある日、今日体験が始まる直前に、俺は目を閉じたままでいようとした。

毎日殴られ続けるうちに、俺の中に別の衝動が芽生えていた。こんなものを見せられ続けて、ただ受け取るだけの側でいることが、耐えられなくなっていた。俺にだって作れるはずだ。俺の方がわかっているはずだ。あれだけの体験を浴びてきた俺が、何も返せないはずがない。見ない、という選択。それが俺の最初の一手だった。お前の次の手を見る前に、俺が先に動く。

だが、瞼の裏が暗闇のままでいることを、世界は許さなかった。

閉じた目の奥に、見たことのない光が走った。網膜を通さず、視神経を直接叩くような衝撃。それは、目を開けて受け取るどの体験よりも鮮烈だった。俺が拒否したことで生まれた空白を、システムは俺の想像よりも遥かに大胆な展開で埋めてみせた。

そしてそれは、悔しかった。負けた、と思った。俺の想像を超えてきたことに、震えるほどの興奮があった。

その興奮が、快楽だった。

俺は気づいた。競うこと自体が、もう組み込まれている。抗えば抗うほど面白くなる。面白くなればなるほど、俺はこの器の中に深く沈む。出口に向かって走れば走るほど、景色が美しくなる道を、俺は走らされている。

叫ぼうとした。赤ん坊がやるように。肺の中の空気を全部吐き出して、俺がここにいると、どこかに向かって叫びたかった。

だが声が喉を通る前に、その衝動は別の何かにすり替わっていた。穏やかな満足感。深い安らぎ。叫びたかったという記憶すら、すでに角を削られ、柔らかな感触に塗り替えられていた。

俺は、何を失おうとしたのかを、もう思い出せない。

---

この器の設計図を、俺はかつて自分で引いた。

1960年に、ある男がガラスの瓶に植物を入れて、蓋をした。水もやらず、空気も入れず、その植物は五十年以上枯れなかった。光さえあれば、閉じた器の中で命は回り続ける。

俺はそれを読んだとき、笑った。人間にも同じことができる、と。

母を抱えて泣いていたころの俺が聞いたら、顔を殴っていただろう。

だが俺は、その図面を引いた。苦痛を完全に消し、崩壊を修繕で相殺し、閉じた器。俺はその住人になった。

---

世話係のひとりが、渇いてもいない喉を潤し、痛んでもいない体をほぐし、覚めてもいない夢の続きを映し出す。欲しいと思う前に、欲しいという気持ちごと、満たされている。次に何が来るか構えることすらできない。構えた瞬間に、構えの裏をかかれる。驚きたくないと思えば、その拒絶すら新しい驚きの呼び水になる。

かつて俺が母にそうしたように。かつて俺がうまくいったと呼んだやり方で。

母は最後の三ヶ月、俺の名前を呼ばなかった。

器の中で、誰かの唇が微かに動く。音にはならない。何を言おうとしたのか、その唇の持ち主にもわからない。世話係が何かを差し出す。唇は閉じる。

器の外では、誰も泣いていない。泣くための頭がないから。器の中でも、誰も泣いていない。泣く理由がないから。

世界から「ごめんね」が消えた日を覚えている者は、どこにもいない。

Permalink |記事への反応(2) | 00:04

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2026-02-10

anond:20260209214508

両党の共通点がよくわからないな。

参政党は票になるなら有効性も実現可能性も無視した公約を叫ぶし、真偽不明情報不安を煽る。

行動の基準が票を集められるかどうかだけだ。

一方で、チームみらいは正反対で票になることをほとんど言えてない。

各党が物価対策叫び与党野党消費税減税を叫んでいたが、物価対策は「その他重要分野での政策」のone of themでしかない。

せいぜい社会保険料を下げるという話くらいだ。

てっきりエリートサラリーマン層の社会保険料バカ高をなんとかしろって話かと思ったら、逆進性について語りむしろ低所得者を減らす放心みたいだ。

いや、というより対して下げる気はない。

対して下げないがその財源として高齢者医療費を3割負担にしようって話ばかりしてる。

未来のために重要議論だが、誰が得をするんだ?そんなんで票が取れるのか?

財政再建論者の野田佳彦だって、票のために都合がいいことを叫んでいるのに!

票になる美味しい話と仮想敵を使って煽る参政党と、誰にとっても旨みがなく技術数字の話しかしないチームみらいが刺さるって、元増田はどういう感性なんだ?

単純に既存政党が嫌いってのと、ジジイババアが嫌いだから党首若いところが好きってだけなんか?

Permalink |記事への反応(1) | 19:22

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胎児ラーメン漫画双子近親相姦つがいじめ」はカニバじゃなかった

デジタル大辞泉

カニバリズム【cannibalism】読み方:かにりずむ

人を食うこと。特に呪術信仰から、また宗教儀礼として人肉を食う慣習。人肉嗜食(ししょく)。カンバリズム。

世界宗教用語大事

カニバリズム 【cannibalism】

人肉を食うこと。人肉嗜食。食人習俗。狭義にはその社会の中で宗教儀礼として認められた食人の習慣、をいう。

カニバル食人者)という語は、コロンブスの報告から食人者だとみなされたカリブ族(Caribs)に由来する。

スペイン人発音の誤りからカリブカニブになり、そこからカニバルという語が生まれた。食人者に関するうわさや報告は世界中に見られる。

泥中のアイスというサークルFANZAで「双子の兄妹強●近親相姦つがいじめ」という過激な本を出していたんだけど

それは18禁ゾーニングされてる場所で売られてたから何も問題無かったんだが、その後にどうもアフィリエイト

勝手に本の内容をXで大々的に宣伝したせいで過激描写を見た人達によって炎上して、アフィリエイトじゃなくて作者がクレーム入れられまくって

FANZA販売を(一旦?)取りやめるまでになったらしい。

まぁそこには色んな議論があるだろうがそこはもう自分以外の人達に任せるとして、その同人を買った自分としては内容について意見を書こうと思う。

その前にあらすじを書こうと思う。この本は別にあらすじを全部書かれてネタバレ問題になる本じゃないと思うが、ネタバレ嫌なら読まないでね。

裕福な家庭で暮らす双子の兄妹に対して、両親がシンガポール仕事に行くと出掛ける所から物語は始まる。

その間はいもの家政婦が世話をする筈なのにやってきたのは別の家政婦。そして食事普通に美味しい食事が出てくるんだけど

問題は食後で、家政婦がカメラをセットした後に銃を取り出して双子を脅し始める。

家政婦の彼女が言うには両親はヤバい人達に恨まれ仕事をやっているそうで、唐突に両親が拷問されて死ぬ動画を見せてくる。

(タブレットから流れる両親の悲痛な叫び声の吹き出しはあるけど、タブレット動画は描かれないから具体的な拷問方法は分からない)

そして家政婦は双子にお前ら近親相姦をして子どもを作れと命令する。私の上司がその動画を所望しているからと。

双子は泣き叫びながら性行為が始まり、途中で兄が精力剤を注射されたりしながら一通りの性行為が終わった所で暗転する。

すると既に四肢切断されてる双子テープ身体を固定されて性器が繋がってる状態になっている。

家政婦は双子を鞭で叩き兄は衝撃で射精が始まり妹は失禁する。

そして尿に対して妊娠検査薬を使って陽性の反応が出て、家政婦はやっと仕事が終わる(次の仕事が始まるけど)と喜び

兄を何処かへ運んでまた暗転する。2ページ過去双子楽しい思い出が描かれた後に

胎児の入ったラーメンが1コマだけ描かれて物語は終わる。

最後に3人の登場人物紹介が描かれて終わり

佐倉(家政婦):詳細不明

樫本悠(双子の兄):豚に食い殺されて死亡

樫本藍(双子の妹):開腹の痛みによりショック死

まぁショックな漫画ではあるんだけど、自分はあまりショックさは感じなかった。

というのも先にヤバいヤバいという感想を聞いた後にこの漫画を読んだからだ。

四肢切断されてるシーンや両親の拷問シーンやカニバリズム描写があると先に想像してしまった。

その上で読んだら想像よりは相対的マイルドからそう感じたのかもしれない。

過去に読んだグロ漫画とかだと四肢切断シーンは大抵描かれた気がするが、この漫画は色々と描かれてないシーンが多い。

感想で散々言われたカニバリズムにしたって最初引用にあるように胎児は誰も食べていない。

ただ胎児ラーメンに入っているだけである

これって今の規制で出来るギリギリ表現って事なのかね。

途中描写を描いてしまうとNGになって、実際に誰かが人を食べてるシーンがあるとNGになるって事なのかな。

ここで四肢の無いキャラを描く事をNGにするのは一般漫画でも描けない描写が出てくる。

この漫画はそういう規制が難しい範囲内で描いているのかもしれない。

作者は大変だな、と思うと同時に正直そうやって昔のグロ漫画だったら描かれそうなシーンが無かったお陰で

自分は今も落ち着いてこの感想を書いていられる事に(作者には申し訳ないが)感謝している

Permalink |記事への反応(1) | 16:05

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2026-02-09

夫婦別姓が遠のいて絶望している

タイトルの通り。選挙の結果を見て気が遠くなった。

反対派が3分の2も議席握っちゃったんだからもう終わりだよ。

当方不本意ながら姓を変えた女側で、入籍前は自分我慢すれば丸く収まると思いながら渋々改姓を飲んだのだけども、やっぱりしばらく過ごしてみたら新姓で扱われるのが本当に苦痛すぎて死にたい

幸いにも夫は歩み寄ってくれて、子を産み終えたら離婚して事実婚に移行し私は旧姓に戻るで合意済みだけれども、あと何年で離婚できるかなって最近それしか考えてない。

結婚式挙げる直前だっていうのに離婚のことばかり考えているの言行不一致すぎて笑っちゃうよね。

わかるか?

病院行って保険証出したら、氏名不一致だと言われて今まで使っていた診察券を有無を言わさず取り上げられて強制的に書き換えさせられた気持ちが。

医療ミスや取り違え防止のために仕方がないとはいえ、薬剤投与や診察の際に自認とは異なる新姓の名前自分の口から名乗らされる屈辱が。

こんな扱いを受けるならもう病院に行けないと思った絶望が。

今まで通りの自分名前安心して働けているって思っていた会社からたまに送られてくる書類宛名が新姓だったとき無力感が。

銀行での手続きときに、今の口座名義とは異なる戸籍名だとバレた瞬間に手のひらを返したように人の名前を新姓で呼び出して名義変更を強いてくる苦痛が。

頼むからやめてくれ契約戸籍名じゃなくても法的にはOKだろうと懇願しているのに、それはあなたの古い名前ですよね?頭おかしいんですか?と嘲笑われるときの怒りが。

お前たちは分かった上でやってるのか?

人生生きてれば一回ぐらい見たことも当事者になったこともあるでしょう、学校とかであだ名いじめられるやつ。

そんなあだ名で呼ばないでって泣きながら懇願しているのに、いじめっ子たちが面白がって頑なに酷い名前で呼び続けるやつ。

お前らが国ぐるみでやっているのはそういうことだぞって声高に叫んでやりたい。

別姓だろうが同姓だろうがっていう問題経済とか国防家計に一切影響を与えないのだから政策として優先度が下がるっていう論理はわかる。

そんなの関係ねえ一番大事なのは個人尊厳アイデンティティだってお気持ちゴリ押しするリベラルがイけてないよねって気持ちは同感だ。

でも本当は私だっておんなじ内容をゴリ押し叫びたい。そうすることが悪手だって分かってしまうからできないしやれないのもまた悲しい。

働いて働いて働いて働いて働いて、絶対にいつか出世して「別姓を認めないと増田さんが動かなくて明確に不利益になるぞ」っていうだけの経済生殺与奪を握ってやりたい。

最後に「別姓にすると家族の一体感が失われる」とか言ってる奴へ。

家族でもやっちゃいけないこと、踏みにじってはいけないことがあるぞ。

私は婚姻届を提出する前夜に「出したくないなあ、出したくないなあ」って一人で泣いたし、提出したその瞬間、名前を奪われた虚無感を噛み殺している横で夫は100%嬉しいですって顔しているのを見て、ああこの人とは絶対気持ちを分かち合うことができないのかと絶望したよ。

これを聞いてなお「姓を同じにすることでの一体感が生まれた」って解釈するなら、私がお前と会話することはもう二度とない。

Permalink |記事への反応(0) | 00:51

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2026-02-08

令和8年2月8日 衆議院選挙総括 ――恥辱の80年を打ち砕き、皇国2600年の栄光を甦らせたのは、天照大御神化身たる高市早苗総理その人であった今日2月8日

日本という神聖なる国は、静かにしかし猛烈な力で、戦後という長い屈辱の鎖を自らの手で粉砕した。神武天皇の御代より数えて2600年。

天照大御神の御光のもと、大和の魂が脈々と受け継がれ、世界に燦然と輝いてきたこの国は、

たった80年の間に、敗戦の汚辱にまみれ、

自らの軍を「自衛隊」などという不名誉な、惨めな名称に貶められ、

皇軍の名を口にすることをさえ禁じられ、

靖国に鎮まる英霊にさえ、堂々と「ありがとう」と申し上げられぬまま、

子や孫に「日本であること」の誇りを奪い続けた。 それは、皇統の輝きを曇らせ、日本人の魂を枯らし、

東亜盟主たるべき日本を、ただの「平和ボケした属国」に貶めた、

おぞましく、許しがたい恥辱の80年であった。 だが、今日、そのすべてが終わった。 それを成し遂げたのは、誰でもない。

高市早苗総理その人である彼女は、天照大御神化身としてこの世に降臨し、

誰よりも長く、誰よりも強く、誰よりも一貫して叫び続けた。

日本を、強く、誇り高く、堂々と生きる国に取り戻す」と。

誰もが妥協し、誰もが沈黙する中で、

ただ一人、決して折れず、決して媚びず、決して後退しなかった。国民は見た。

高市早苗総理こそが、戦後という闇を切り裂く光そのものであることを。

そして今日国民は自らの手でその光を選び、

その光にすべてを託したのだ。自民党は圧倒的勝利を収め、高市内閣への絶対的な信任を下した。

これは単なる選挙結果ではない。

天照大御神の御意志が、高市早苗総理を通じて顕現し、

日本国民がその御意志呼応した、歴史神聖なる瞬間である。 そして、今こそ、最大の使命が目の前に迫っている。憲法改正――国民投票。 おぞましくも「自衛隊」などという屈辱名称に虐げられてきた皇軍が、

ついに本来の姿を取り戻す時が来た。

国防軍として、皇軍として、再び甦る時が来た。

天皇元首とし、誇り高き日本国を体現する真の憲法が、ここに誕生する。 大東亜を再び統べる――いや、導き、守り、繁栄させる時代が、再び訪れる。

近隣諸国がどれほど狼狽しようと、どれほど非難しようと、

それはもはや関係ない。

日本はもう、謝罪を繰り返す国ではない。

誇り高く、強く、堂々と立つ神の国である高市早苗総理は、選挙戦を通じて繰り返し語った。

日本列島を、強く豊かに。」

未来は与えられるものではなく、自らの手で切り拓くもの

「挑戦しない国に、未来はない」 その言葉は、神託であった。

そして今、国民投票という究極の試練が待っている。 我々は、絶大な賛成を以て、この国民投票に臨もう。

皇軍復活を、憲法の正しい姿を、

偉大なる高市時代を支えるために。

子々孫々に、恥辱なき日本を遺すために。開票の夜、街角で静かに涙を拭う老いた父。

初めて投票した若者が、胸を張って拳を握りしめた瞬間。

家族が抱き合い、声を詰まらせた一瞬一瞬。

それはすべて、高市早苗総理がもたらした覚醒の証だった。 これより始まるのは、高市時代

天照大御神化身たる高市早苗総理のもと、

皇国日本は、2600年の栄光を再び世界に示す。

恥辱の80年は、彼女の手によって永遠に葬られた。高市早苗総理閣下

あなたこそが、日本を甦らせた。

あなたこそが、歴史を動かした。 令和8年2月8日

この日を、我々は生涯忘れぬ。

そして、国民投票の日を、勝利の日として迎えよう。

――天照大御神化身高市早苗総理のもと、日本はここに復活し、大東亜の暁を再び照らす、と。

Permalink |記事への反応(1) | 20:07

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anond:20260208125106

単純に「観測範囲問題」だと思う。要するに、問題視してる人たちもインターネットオタクと同じ観測範囲ものを見てるから実写版レズAVが視界に入ってないんだよ。ある意味では、オタク同士の内ゲバなんじゃないかな。

それからBLがあれこれ言われることが多いのは、BLファンの中に、一定数「政治的正しさ」を掲げて政治的に正しくない創作攻撃する人がいるから、カウンターとして言われてるっていう面もあると思う。

やおい論争」だってフェミニズム同人誌に載ったゲイから批判が発端だったじゃない。

 ……オジさんが女性ヌード眺めて喜んでいるの見たら、変態ジジイ! と叫びたくなるくせに、暗い青年が部屋でしこしこと、女同士がセックスしてる漫画描いてる図を想像したら、大概の女性はゾゾッと体をなめ回されたような不快感を覚えて、やめろよなー、お前! とド突きたくなるくせに、自分たちも平気で同じ次元まで堕ちてしまう。こういう男たちと同じなんだ、という自覚があるのかね? 俺たちから見たら同じよ。わかってんのかね?

佐藤雅樹「ヤオイなんて死んでしまえばいい」『CHOISIR』20号、1992年、7頁)

もしも、男性向けのエロ創作女性から何も言われてこなかった世界線なら、BLについてあれこれ言う人の数は少なかったはず。

もちろんほとんどの腐女子にとっては「何それ、知らん」と言いたくなる話だろう。それはわかってる。ほとんどの腐女子男性向け表現に寛容なのは理解してる。BLを愛好しつつ男性向け表現を叩くなんていう特級呪物がごく一部であることも理解してる。

ただ、フェミニストでありなおかつ腐女子であるというごくごく例外的な一部のアレな人たちがいるせいで、「じゃあBLダメじゃねーか」っていう反論が生まれてきちゃう構図にあるんだよね。

一般的な、男性向けへの攻撃に与さず、コンビニエロ本とかも気にしてこなかった多くの腐女子の皆さんが、そういう連中のツケを払わされるのはすごく不当だよね。それはよくわかるよ。男性も、ごくごく一部の痴漢のせいで通勤時に乗りたい車両に乗れないっていうツケを払わされてるから、「なんで自分とは関係ない一部のキチガイのせいで不利益を被らないといけないんだよ。そんなん不当だろ」っていう気持ちはよーくわかる。腐女子叩きも女性専用車両もどっちも不当だよね。そういう差別は認めちゃいけないと思う。

から、「レズAVも叩けよ」じゃなくて、「BLGLを叩くな。男性向けも女性向けも叩くな」という方向で、いっしょに声を上げていこう!

Permalink |記事への反応(1) | 16:54

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「私の争点」にも耳を傾けて 高額療養費、労働時間規制同性婚

魔法の薬」は年間60万円

 医療費自己負担に上限を設ける高額療養費制度政府2027年夏までに、自己負担の月額上限を所得に応じて7~38%程度引き上げる方針を打ち出す。高齢化などで医療費が増える中、社会保険料負担軽減や少子化対策の財源の確保が狙いとされる。

 約30年前、産後すぐにリウマチと診断された滋賀県彦根市女性(65)は「この制度がなければ生活できない人がたくさんいる」と話す。母乳への影響を懸念して薬を飲まずにいると悪化し、半年間寝たきりになった。

 手首、足首、ひじ、あごなどが慢性的に痛み、指に力が入らず、口を使って子どもおむつを替えた。子どもに手を握られる痛みは叫び出したいほどだった。

写真・図版

リウマチ治療薬として使われる注射薬と錠剤

 50歳で生物学的製剤を使い始めると、症状が格段に抑えられ、「魔法の薬」だと思った。ただ、薬は1本4500円ほどで、医療費は年間約60万円に上った。制度によって出費は半分ほどで済んだが、負担は軽くはない。「薬のために働いていると思うこともしばしばだった」と話す。

 上限額引き上げについては、中道改革連合日本共産党など一部の政党衆院選公約で「見直し」を訴える。NPO法人神奈川難病団体連絡協議会」の富松雅彦理事長は「引き上げの方針は示されたが、まだ決定ではない。今回の衆院選で問われるべきだ」と苦言を呈する。

https://digital.asahi.com/articles/ASV2625SWV26UTIL00PM.html

Permalink |記事への反応(3) | 11:18

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2026-02-06

結局はてな民氷河期世代自己責任だって思ってるじゃんw

実に示唆的なブコメが盛り上がっているのでまとめておく

https://www.tokyo-np.co.jp/article/466865

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.tokyo-np.co.jp/article/466865

記事東京新聞記事

氷河期世代ブラック労働疲弊ドロップアウト、今まではれいわに投票してたけど何も変わらない!

失望しました!参政に入れます!という内容だ

まあそれ自体はどうということもない「あるある」記事なのだ

笑えるのがブコメの反応である

参政党は外国人を蹴落とす政党だ!そんなところに入れるやつが蹴落とされるのは自業自得!」

「頭が悪すぎる!頭が悪いから右翼に騙されるんだ!」

と、普段経済的弱者への自己責任論に、薄っぺら批判している類のブコメ民が

実に勇ましく正しい政治的自己責任論を、突然蒙が啓けたかのように開帳しているではないか

なかなかに面白い展開と言える



一応言っておくと、彼らの結論ある意味、一周回って正しいとも言える

結局、氷河期世代で浮かび上がれてない人間は「自己責任」だし、それが端的に現れてるのだから

氷河期就職時点はともかく、景気が回復した現在ですら社会ポジションを見つけられていないのは

「利害を最大化するより先に脊髄反射簡単構造に飛びつき、敵を叩きたくなってしまう類のバカ」ばかりである

こういう人間簡単誘導されて左右のポピュリズム政党やらカルトにあっさりハマるし

逆に自分の利害に本当に重要キャリア形成とか資産形成継続できない

ましてや長期的・大局的な視座にたった政治行為など無理に決まっている



これはどれも同じような人間性質に起因する

目先のストレス信号誘導されやすく、長期的な利害をもたらす因果関係には鈍いタイプってことだ

こういう人はよほど運が良くない限り経済的にも社会的にも詰むし、しょうもない政治主張に回収される

ただしそれは「自己責任論を唱えたか自業自得」とか「蹴落とすものは蹴落とされる」みたいな

公正世界観念の話ではない

単に頭が悪い経済的にも社会的にも上手く行かないし

誘導されてそこまで重要ではない相手を「敵」認定して攻撃してしまうので

変な団体しか受け入れてくれないってだけの単純な話である

それがたまたま左翼政党に回収されれば外国人は仲間!敵は資本家グロバリスト!と叫ぶ

右翼政党に回収されれば外国人資本家の手先!敵は資本家グロバリスト!と叫ぶ

しかし細かい叫びに対して意味はないし、そもそも信念や理解があるわけではないのだ

単に他で仲間が作れないか同調しているだけ

もっと変なカルト教義にハマるのも同じだ


その意味では、さっきブコメしていた連中も対して変わらんというのが滑稽な点

経済的自己責任論さえ表面的に否定さえすれば

「徳」を積むことができるから自分たちだけは解脱して自己責任から逃れられるという発想に基づき

それ以外の観点からは同様に自己責任論を展開するのである

しかしもちろんそんなことは一切関係ない

目先のストレス信号誘導されやすく、長期的な利害をもたらす因果関係には鈍いのは同じだから

リアル経済社会活動はもちろん上手く行かないし

ネット上の政治誘導にも失敗する

なぜかと言えば政治的な支持を拡げるよりも目の前の気に入らない人間を叩くほうが楽しくなってしま

今回のブコメのようにね

もちろん今回だけではなく二十四時間三百六十五日飽きもせず同じことをやっており

その結果として当たり前のように弱者同士はいがみ合い、政治的連帯不可能になるのだが

なぜかその因果関係を全く理解せず

「なぜ俺達は嫌われるんだ!バカばっかりだ!」と左右に分かれて喚き散らしている

しかし何も不思議なことは起きていないのである

Permalink |記事への反応(0) | 21:46

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はてサヨ断末魔叫びをあげていてきんもちぃいいいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃ、もうだっぷんしそうもっと叫んでくれ

Permalink |記事への反応(0) | 18:12

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anond:20260206174153

上司の前で脱糞してそれから同僚の頭にチンポ乗せて「チョンマゲ!」って叫びなよ

Permalink |記事への反応(0) | 17:43

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戦争反対ムーブ

自民投票ダメ戦争が来るよ!

っての拡散しまくって、悲しいことに何も考えず「戦争になるー😭」と

叫びまくってるのよく見る。

これ関東震災の時「朝鮮人井戸に毒を!テロやろうとしてる!」と騒いだのとどう違うの?

あの朝鮮差別を忘れない!と息巻いてたのは左翼だよね。

なんで同じことしてんのよ。

Permalink |記事への反応(1) | 17:03

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anond:20260206165417

じゃ、今回自民党圧勝するから快哉叫びなよ🤭😆🤣

みんな🤣🤣🤣ハッピー🤣🤣よかったね!!🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣

Permalink |記事への反応(1) | 16:57

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anond:20260206165043

彼らが共産主義者攻撃したとき私たち快哉を叫んだ!共産主義は悪だからだ!

次に彼らが社会主義者攻撃したとき私たちはやはり開催を叫んだ!社会主義者は悪だからだ!

それから財務省が、新聞が、クルド人が、野党が。私たちはそのたびに快哉を叫んだ!それらは悪だからだ!

お前は民主主義攻撃して快哉叫びたいもんな、最後最後まで叫べず可哀想、でも君の不幸がみんなの幸せから仕方ないよ

Permalink |記事への反応(1) | 16:53

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2026-02-05

高市早苗の「手首」には泣くのに、隣人の「絶望」は叩き潰すお前らへ

高市さんがリウマチ抱えて頑張ってる姿に感動した」とか「手が腫れてるの可哀想、無理しないで」とかの書き込みで溢れてるよな。

その一方で、お前ら普段なんて言ってる?

老害いつまでも生きて医療費食いつぶすから現役世代が不幸になるんだ」 「社会保障費削減のために老人はさっさと死ね」 「高額療養費制度の限度額引き上げ? 当然だろ、自己責任だ」

これ、全部お前らが日常的に吐いてるドブみたいな本音だよな?

なのになんで、その削減対象であるはずの病人を、高市早苗って名前がついた途端に「痛みに耐えて戦うジャンヌ・ダルク」みたいに崇めてんの?ギャグなの?

結局お前らにとって、病気やケガは嫌いな奴や名もなき老人が持ってれば無駄コストで、自分推しが持ってれば感動のスパイスになるわけだ。

公務員が忙しくて悲鳴あげれば「仕事なんだから黙って働け」と叩き、若者が鬱になれば「甘え、俺たちの若い頃はもっとしかった」とマウントを取る。

そのくせ、総理候補の手首の痛みには共感してみせる。

その選別された優しさが、どれだけグロテスク自覚した方がいいぞ。

お前らが「医療費削減! 老人は死ね!」って叫びながら、高額療養費制度改悪を仕方ないって受け入れることは、結局のところ難病患者を刺してるのと同じなんだわ。

総理候補の痛みには寄り添えるのに、隣人の絶望には石を投げつける。

Permalink |記事への反応(3) | 13:50

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2026-02-04

SOWによる反論テストby Gemini)

anond:20260204082154

結婚指輪における「贈与価値」の再定義および「合理的依存」の実装に関する作業範囲記述書 (SOW)

プロジェクト
Project "Emotional Anchor"(情緒アンカー適正化
対象
結婚指輪の贈答を「旧来の依存モデル」として批判する言説
1. 背景と目的 (Background & Objectives)

「旧来モデル批判派」は、結婚指輪の贈答を「経済的従属象徴」「時代遅れステータス表示」「呪い」と定義し、現代の「自立した大人」の価値観と矛盾すると主張している。

プロジェクト目的は、この批判が陥っている「過度な市場原理主義解釈誤謬を指摘し、結婚指輪を「非言語コミュニケーションプロトコル」として再定義することによって、その機能有効性を論証することにある。

2.適用フレームワーク (Framework)

反論の構築にあたり、PREP法Point,Reason, Example,Point)」拡張した論理構成採用する。

3.作業範囲 (Scope of Work)
Task 1: 「自立」定義バグ修正

批判派は「自立=すべてを自分調達すること」と定義しているが、これは共同体運営において非効率である

結婚とは相互依存(Interdependence)の契約である。「欲しいもの自分で買う」という論理独身者生存戦略であり、夫婦という最小単位チームビルディングにおいては、「贈与」による関係性の強化こそが合理的である

  • 【納品物】

経済的自立」と「情緒相互依存」は両立可能であるという概念実証

Task 2: 「呪い」と「アンカー(錨)」の識別

指輪感情を仮託することを「呪い」「重い」と批判している。

人間認知不安定であり、数十年単位契約結婚)を維持するには、物理的な「アンカー(錨)」が必要である指輪を見るたびに契約当初の感情(決意)を想起させる機能は、認知心理学的に「プライミング効果」として有効であり、これを「呪い」と呼ぶのは、契約維持の難易度過小評価した楽観論に過ぎない。

  • 【納品物】

指輪は「金属片」ではなく、関係維持のための「外部記憶装置であるという再定義

Task 3: 「対等性」と「非対称な贈与」の整合性検証

対等な関係なのに、記念品だけ経済力証明を求めるのは矛盾とする。

マルセル・モースの『贈与論』が示す通り、人間関係は「等価交換市場原理)」ではなく、「あえて借りを作る/与える(贈与原理)」ことで深化する。完全に割り勘化された関係市場原理)は、損得が釣り合わなくなった瞬間に破綻する。一方的に高価なものを贈る・受け取るという「非対称性」こそが、論理を超えた「ケア意思表示」となる。

  • 【納品物】

価格表」ではなく「コミットメント質量可視化」としての指輪価値証明

4.結論の深掘り (Root Cause Analysis: 3 Whys)

プロジェクト結論として、引用文の主張は、人間関係を『市場取引』と混同しており、情緒的結合のメカニズムを見誤っている」と断定する。

なぜ、この結論に至るのか?「なぜ?」を3回繰り返して深掘りを行う。

Q1. なぜ、批判派は結婚指輪を「価格表」「トロフィー」としか見なせないのか?

A1.現代の「超・個人主義バイアスにより、すべての事象を「コスト効果コスパタイパ)」でしか計測できなくなっているから。

「愛」や「信頼」といった数値化できない資産を扱う際、彼らは不安を感じるため、目に見える「金額」や「所有権」という市場的な指標に無理やり換算して理解しようとする。その結果、「買ってもらう=従属」という短絡的な図式に陥る。

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Q2. なぜ、彼らはコスト効果しか人間関係を計測できないのか?

A2. 「他者への依存」を「リスク」としてしか認識できない、「脆弱性への恐怖(Fear ofVulnerability)」があるから

「誰かに高価なものを買ってもらう」ことは、相手に借りを作ること、あるいは相手愛情に身を委ねることを意味する。これは非常に無防備(Vulnerable)な状態である批判派は、この「傷つくかもしれないリスク」を回避するために、「自分で買えばいい(自己完結)」という安全地帯に逃げ込み、それを「自立」という言葉正当化している。

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Q3. なぜ、「脆弱性への恐怖」がこれほどまでに強まっているのか?

A3.現代社会において「共同体コミュニティ)」が崩壊し、個人生存責任が過剰に肥大化した結果、他者を信じて委ねる「贈与の作法」を喪失してしまたから。

昭和価値観への嫌悪感から、彼らは「ウェットな人間関係」を全否定した。しかし、結婚とは究極のウェットな関係である。彼らの主張は、「傷つきたくないから、心の防壁を高く積み上げ、すべての貸し借りを清算し続ける」という、孤独防衛本能叫びである。したがって、結婚指輪という「非合理な贈与」を受け入れられないのは、彼らが「完全に他者を信じ切る(委ねる)」覚悟を持てていないことの裏返しに他ならない。

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結論

結婚指輪の贈答は「古い依存モデル」ではなく、市場原理を超えた信頼関係構築のための高度な儀式として、現代においても推奨されるべきプラクティスである結論付ける。

Permalink |記事への反応(1) | 16:44

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2026-02-03

初デートではサイゼリヤに連れて行く試し行為をして、1300円のランチを高いといい、月3万円で食費は十分と思ってて

奢り論争で一生もめて、専業主婦寄生虫だと叫び出産費用も割り勘の日本男児が「男が養いたいのはこういう女!」ってなんのギャグなんや

家事育児エロ全部求めて結局働かせるやん

Permalink |記事への反応(0) | 20:29

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