
はてなキーワード:古本屋とは
おいらの所はいわゆる限界集落で、山奥過ぎて集落(平成の大合併の前の村の範囲)では既に人口400人を切って、高齢化率が8割を超えているような場所なんよ。
かつての街道筋で国道は通っているけど、二十数年前に高速道路が開通したもののインターは無し。交通量がガクンとへって一気に寂れたと言う。
例えば、ガソリンスタンドも苦労して維持している。タンクの交換期限が来て廃業すると言う話を、みんなでお金を出し合って出資して会社を作り、なんとか維持している。
病院も診療所が一応あるが医師は常駐して無くて、ドラッグストアどころか薬局もない。そんな場所だ。
そんな場所に唯一日常のものを売っている施設、それがファミリーマートなのだ。
元々ここにコンビニはなかった。ただ、道の駅がまだ純粋に長距離ドライブの休憩ポイントとしてバランス良く配置されることを指向していた時代に、道の駅が作られた。それに併設されている。
当時、色々な奇跡と偶然が重なって補助金もとれて、道の駅に既存の温泉宿を取り込んで日帰り温泉と小さな宿泊施設を作った。その一角に誘致して作られたのがサークルKだ。
サークルKのオーナーは周辺で何店舗もサークルKを運営し、他にも古本屋やレストランなどのフランチャイズをやっている会社さんで、お土産物も扱っている関係で手を上げてくれたという経緯がある。
ただ経営は厳しく。それでもつないでくれて、吸収合併を経てファミマとなった。
しかし無理になったのがコロナ禍だ。道の駅にも客は来ない。温泉施設は危険だという事になって業務停止。宿は形の上だけではやっていたが客はおらず。
それでも営業を続けてくれようとしていたが、従業員としてメインで働いていた皆さんは高齢者がほとんど。流行中の中にお店に立つことが難しくなっていて退職され、いくらお金をだしても店を開けられなくなった。
これで一度は閉鎖された。
ただ、オーナーさんはそれでもミニファミ号という移動店舗を派遣してくれていて、それでなんとかつなげていた部分がある。
本来はこの水準だと明らかな赤字になる、再開するにしてもそのままでは難しく新たに改装などが必要なこと、など色々な問題があるが、自治体と、道の駅とガススタの運営をしている合同会社が入って話し合いを進め、ファミマの本部側も例外的な処置を認めてくれて、基準に満たないけれども出典にGOサイン、朝6時から22時までの営業にするなどを認めてもらい、恐らく配送ルート的にも赤字なのにやってくれることになった。
オーナーさんも儲からないのに再び経営に乗り出してくれたし、道の駅とガススタの運営会社も人員面で協力すること。さらに改修費用は自治体が出すこととなって、再開にこぎ着けたのだった。
ファミマが復活したことや、近くにスマートインターができたこともあってコロナ前よりも道の駅の利用者は増えている。ファミマも店舗の収支としては赤字にはなってないよう。
普通のファミマよりも服や日用品、野菜や果物といった生鮮食料品なども扱ってくれるし、本当に助かっている。
(・)「・・・・・・電車のロングシートで出入口寄りの端に座ってたら白杖で探りながら入って来た人がこっちの膝にこすり付けるようにして隣に密着するぐらい近くへ座って来た」
(・)「・・・・・・降りる予定駅のひとつ手前を発車したから席を立って車両の出入口に移動して立ってたけど、駅に近づいたので減速し始めたら背後でさっきの隣人も離席したような気配がする」
(・)「・・・・・・停車する直前に背後へ立たれて両脚の間へ杖を押し込むようにして近寄って来た」
(・)「・・・・・・そして駅に止まったら押し退けるようにして降車して行った」
(・)「・・・・・・これらの出来事のあいだ、そのひと終始無言無表情無反応だったよ」
流石に少し離れてから小声で『あたまおかしいんちゃうか』って言っちゃったよ…😅
(・)「・・・・・・もう一人は、某巨大チェーン古本屋の100円マンガ棚で物色してたら、容貌から10〜15くらいは歳上でやっぱり近くで物色してたひとが、かかってきた電話にマンガ棚を物色しながら通話していて、」
(・)「・・・・・・『…おぅそんなん裏でも連れてってなレンガでしばいたったらええねんぞ』って聞き間違えかとおもってしまうような物騒なことを話し出してた」
(・)「・・・・・・みかけはいいひとだがとんだこはいひとだ、って改変コピペ作れちゃうくらい、ぜんぜんそんなことしそうにない、むしろ気弱そうな容貌服装だったので逆にこれは近くに居ないほうがいい人種なんじゃなかろうか、と急いで手元の戦利品をレジに持っていったよ」
…なんなの?!いったい世の六、七十代に何が起こってるの?!
先日、高校時代に夢中になって読んだマンガを久しぶりに読み返したくなった。当時は毎週のように発売されるのを楽しみにしていた作品で、今でも鮮明に覚えているシーンがいくつもある。
でも、その作品を探してみると、電子書籍として販売されていないことが分かった。古本屋で探すか、オークションサイトで高額で落札するしかない状況だ。
唖然とした。
私の青春時代に読んだマンガや小説のほとんどが、実は電子化されていない。これは、私だけの問題ではないはずだ。同じ世代の人たちは、きっと同じような経験をしているだろう。
出版社の事情は分からないでもない。古い作品を電子化するには、スキャン作業や権利関係の整理、そして販売システムの構築など、様々なコストがかかる。売れない可能性もあるし、投資対効果を考えると躊躇してしまうのも無理はない。
私たちが青春時代に読んだ作品は、単なる商品ではない。その時代の空気感、若者たちの価値観、社会の変化を映し出す鏡のような存在だった。それらの作品が後世に伝わらないということは、その時代の文化そのものが失われることを意味する。
例えば、80年代や90年代のマンガには、その時代特有のテーマや表現があった。バブル期の浮ついた空気感、バブル崩壊後の不安定な社会、そしてインターネットが普及する前の世界観。これらは、その時代を生きていない人たちには理解できないものかもしれない。
でも、だからこそ、それらの作品を後世に残す必要がある。今の若者たちが、私たちの時代の作品を読むことで、過去の文化を理解し、現在との違いを感じ取ることができる。それは、文化の継承という意味で非常に重要なことだ。
出版社には、ぜひ頑張ってほしい。確かに利益は出ないかもしれない。でも、文化的な価値を考えれば、これは投資すべき事業だと思う。
電子化の技術は年々進歩している。スキャン技術も向上し、作業効率も上がっている。権利関係の整理も、一度システムを作ってしまえば、他の作品にも応用できる。
そして何より、需要は確実にある。私のように、昔の作品を読み返したいと思っている人は、きっとたくさんいるはずだ。特に、子育てが一段落した40代、50代の人たちは、自分の青春時代の作品に再び触れたいと思っているのではないだろうか。
もちろん、すべての作品を電子化する必要はない。でも、その時代を代表する作品、文化的に重要な作品は、ぜひ電子化してほしい。
私が思うに、出版社の使命は、単に利益を追求することだけではない。文化を守り、後世に伝えていくことでもあるはずだ。
今は利益が出なくても、将来的には文化的な資産として価値が認められるかもしれない。そして何より、私たちのような読者にとって、青春時代の作品に再び触れることができるということは、何物にも代えがたい喜びだ。
出版社の皆さん、どうか頑張ってください。私たちの青春時代の作品を、未来の世代に残してください。
それが、文化を愛する者としての願いです。
私は長いこと自分が抱えているものを勘違いしていた。世間的にはそれを性欲と呼ぶのだろうが、私の性欲はなんというか、他人に触れたいとか、抱きたいとか、そういう欲望とは一切結びつかない、純粋に自家発電的なやつだった。いや、そりゃあ夜中に一人でごそごそする程度にはエネルギーはあるのだが、それは誰かに向かって矢を放つような性質のものではなく、むしろ矢を放つ弦がどこにも掛かっていないような状態である。たとえるなら、宛先の書かれていないラブレターを大量に抱えて街をさまよっている感じだ。思春期、同級生たちは誰それが可愛いだの、先輩がイケてるだのと青春会議を開いていたが、私はその場にいても心は涼しい顔をしており、頭の中ではまったく別のこと――たとえば近所のたぬきは今夜も元気だろうか、などと――を考えていた。
大学に入ったとき、私は少し変われるかもしれないと思っていた。都会のキャンパス、知らない人々、もしかしたら恋というものが唐突にやってきて、私の性欲もようやく人間社会の正規ルートに合流するのではないかと。しかし現実はというと、私の四畳半は六畳になっただけで、性欲は相変わらず無対象のまま健在だった。合コンに誘われても、友人たちは可愛い子の名前をメモして帰るのに、私は料理の唐揚げが妙にカリカリだったことばかり覚えている。たまに「お前はどんな子がタイプなんだ」と問われると困る。そういうときは「文学少女かな」と適当なことを言うのだが、内心では文学少女に対しても別に何も感じていない。むしろ本棚の整理の仕方がきれいだなと感心するくらいだ。
大学生活で最も熱中したのは恋愛ではなく、下宿近くの古本屋巡りだった。特に閉店間際の古本屋はよい。西日の差し込む埃っぽい店内で背表紙を眺めていると、自分の中のどこへも行かない性欲が、まるで古書の匂いに溶けて静まっていくような気がする。友人が「昨日彼女と朝まで一緒にいてさ…」と語る頃、私は「昨日は坂口安吾全集の初版本を見つけてさ…」と胸を張っていた。熱の方向が違うのだ。
やがて社会人になった。ここでまた、私の内なる性欲にとって試練の場が訪れる。職場というのは、妙に恋愛や結婚の話題が多い。昼休みには「○○さん、結婚するらしいよ」というニュースが飛び交い、飲み会では「彼女はいるの?」という質問が不意打ちのように飛んでくる。私にとってこれは「冷蔵庫にマヨネーズある?」と聞かれるくらい唐突だ。性欲はある。しかし誰ともしたいわけではない。この仕様を説明するのはあまりに長く、そして聞き手が求めている答えではない。だから私は笑って「いや、いません」とだけ言い、ジョッキの中身を一口飲む。
社会人になっても私の性欲は、ひとりで完結する道を歩き続けた。仕事終わりに帰宅して、コンビニで買った弁当をレンジで温め、机に向かってぼんやりするとき、胸の奥にじんわりとした熱が灯る。それは一瞬、どこかへ向かいそうになるのだが、次の瞬間には元の場所に戻ってきてしまう。まるで、駅のホームで電車に乗ろうとした瞬間に、なぜか引き返してしまう旅人のようだ。
そんな私にも、世間一般でいうところの“男の本能”に接近する機会がなかったわけではない。ある年、友人と旅先で酒を飲みすぎた夜のことだ。ほろ酔いというより、すでに体の半分は酒精でできているような状態で、友人が急に「せっかくだから行ってみようぜ」と言い出した。行き先はピンサロである。私は人生初のその類の店に連れて行かれ、心のどこかで「もしかすると、これで私の性欲も人並みに誰かへ向かうかもしれない」という妙な期待を抱いていた。
店内は狭く、暗く、タバコと芳香剤のにおいが混ざった不思議な空気が漂っていた。私は半ば流されるままソファに腰を下ろし、出てきた女性を見て一瞬、脳内が真っ白になった。いや、正確には真っ白というよりも、モビルスーツの整備ハンガーのような光景が広がったのだ。そこに立っていたのは、まるで人型兵器のような迫力を備えた女性だった。身長、体格、そして全身から発せられる圧――私の頭の中では、ジムやザクではなく、フルアーマーガンダムのテーマ曲が勝手に流れ出していた。
「どうする?」と問われても、こちらとしてはどうするも何も、立たないものは立たない。あらゆるボタンを押しても起動しないモビルスーツのパイロットの気分である。相手はプロだからといって、私のこの仕様を一瞬で書き換えられるわけではない。結果、私はただ笑ってうなずき、何もせず、いや何もできずに時間を過ごした。時計の針が指定された時刻を指したとき、私はきっちり三万円を支払い、店を後にした。外の夜風は妙に冷たく、私はその風に吹かれながら、自分という人間の性欲の形をあらためて痛感した。
普通ならば、こういう経験をすれば何かしらの感情や昂ぶりが残るのだろう。しかし私の場合、残ったのは「ガンダムってやっぱり強そうだな」というどうでもいい感想と、財布の中が軽くなった事実だけだった。旅先でのこの事件は、私にとっての“性欲の実地試験”だったが、結果は見事に不合格であった。
では恋愛はどうか。私は数回、恋をしたことがある。恋をすると、相手と会いたくなるし、話したくなる。手を繋ぎたいと思うこともある。しかしそこから先――いわゆる“したい”という欲望には、やはり変換されない。恋愛感情と性欲が別々の配線で動いていて、互いに干渉しないのだ。結果、恋人から「私のこと、そういう意味では好きじゃないの?」と問われることになる。正直に答えれば、「そういう意味では…たぶんそうじゃない」となる。もちろん相手は納得しない。私だって納得できない。だが事実は事実で、私はどう足掻いても対象を伴った性欲を生成できない。
この性質は、付き合う人にとっては相当やっかいだろう。世間的には、性的欲望は愛情の重要な表現の一つとされる。それが欠けていると、愛そのものを疑われる。私がどれほど相手を大事に思っていても、その回路が繋がらないのだから説明は難しい。森の奥深くで、互いに違う言語を話す二匹の動物が途方に暮れているような光景が、私と相手の間に広がるのだ。
それでも、三十を過ぎたあたりでようやく思えるようになった。この仕様は欠落ではなく、ただの仕様だと。性欲があるのに対象がいない、それは異常でも病気でもない。ただ、ちょっと不思議な形をしているだけのことだ。世の中には、宛先不明のラブレターを抱えて生きている人間だっている。そう考えると、少しだけ気が楽になる。
今夜も私は四畳半(正確には六畳)の机に向かい、冷えかけたコーヒーを啜る。窓の外では、近所のたぬきがゴミ捨て場を漁っているかもしれない。あのたぬきも、もしかすると私と同じく、行き場のないエネルギーを抱えて生きているのではないか。彼らは誰かと交わるためではなく、ただ今夜も腹を満たすために生きている。私の性欲も、それと同じようなものかもしれない。明日もまた、どこへも行かない熱が私の中でぽつぽつと燃え続ける。それはたぶん、悪くないことだ。
具体名は伏せるが、氏は以前出身校についてネットに書いていた 今も一応ソース残ってる
2025年現在偏差値35…というか昔から入学試験存在してなかった高校
多くの生徒がゲーセンで遊んでまともに通学しないというような悪評を別高校の教員から聞いた
…コナミやグッスマがワンフェス配信やってた頃の氏の言動から、なんでそこ選んだのかはおおよそ察せる
学校教育という枠で計れない、逆を言うと各科目平均値を出し続けられないタイプの天才なのだと思う
結果として大阪芸大に関わったり(主にお忙しいからという理由で辞退されている)、そもそも人格者だったり、
なにより売り上げという目に見える形で才能を発揮なさっている
ちなみに現在メガミデバイス等で活躍されている福元徳宝氏は公表どおり多摩美卒
当時の多摩美は芸術と学力両方兼ね揃えていないと入れない大学のはず
数字だけで言えば偏差値30以上差があることになるが、お二方とも第一線で活躍されている
どちらも成功者でありdisる意図はない ただ 「こうだったんだよ」という世間話として書きたくなった
進路の相談したら「大学?そんなの行っても意味ない」って鼻で笑われたし。
学校の成績は悪くなかったけど、「大学に行く」って発想がまずなかった。
職場の人が当たり前に話してる「〇〇大のゼミで〜」とか「交換留学してた頃〜」って話を聞くだけで、胃が重くなる。
そういう人たちって、知識も経験も自信もあるし、何より育ちが違う。
私には何もない。
「あ、この人は教養のある人じゃないな」って空気を感じる瞬間がたまにある。
言われなくてもわかる。
たまに「学歴は関係ないよ」「人間性の方が大事」って言ってくる人がいるけど、
それは学歴がある人の余裕だと思う。
学歴がある人は学歴のせいで選択肢が狭まるって経験をしたことがないんだから。
なんで私は、親に「受験勉強しろ」とも「将来を考えろ」とも言ってもらえなかったんだろう。
自分がどれだけ努力しても、スタートラインが違うって現実がずっと頭のどこかにある。
だから「自己責任論」って言葉を見るたびに、ムカつくし泣きたくなる。
努力したよ。足りなかったんじゃなくて、情報と環境がなかったんだよ。
最近「親ガチャ」って言葉が軽く扱われてるのを見ると、モヤモヤする。
当たり前に進学して、当たり前にサポートされてきた人は、
時は令和、空前の個性的スイーツブームが到来!映えまくりのスイーツも出尽くして、「次にくるスイーツは何!?」って、みんなが奇抜な組み合わせを求めてた20XX年。そんな中、下北沢の劇場街に、マジで浮世離れしたイケメン紳士が現れたんだって!フリルたっぷりのブラウスに、なんかこう、憂いを帯びた瞳と詩的なオーラをまとったお方。「え?演劇の人?インディーズバンド?」ってみんなが遠巻きにしながらも、その圧倒的な存在感に目を奪われてたらしい。
「わたくしは…ウィリアム・シェイクスピアと申します。」
え?マジで?あの『ハムレット』とか『ロミオとジュリエット』とか書いた、世界一有名な劇作家、シェイクスピア様!?ヤバすぎ!って文学好きのギャルたちがスマホで速攻ググり始めた瞬間、その超絶インテリなお方、もといシェイクスピア様は、あたりをキョロキョロしながら呟いた。「ここは…グローブ座ではない、か…?ずいぶんと奇妙で、しかし興味深い舞台になったものよのう。」って、マジで時代錯誤感ハンパない!「マジありえん!」ってみんな心の中でツッコミつつも、その深い眼差しに、何か強い物語を感じてたらしい。
そんなシェイクスピア様に、恐る恐る話しかけたのは、下北沢で古着屋巡りしてる、ちょっとサブカル系のギャル、レイナ。「あの…もしかして、お困りですか?」「…うむ、少々。見慣れぬ舞台装置ばかりで、いささか戸惑っております。」って、マジで演劇っぽい言葉遣い!レイナ、その独特の雰囲気にちょっとキュンとしつつ、「アタシ、レイナ!下北のことなら、何でも聞いて!アンタ、マジで文学的で面白いから、アタシがプロデュースしてあげてもいいよ!」って、キラキラ笑顔で声をかけたんだって。
次の日、レイナに連れられて、シェイクスピア様は初めて現代の日本を体験!ライブハウスとか、古本屋とか、マジで全てが新鮮!でもね、シェイクスピア様が一番興味を示したのは、テレビで偶然流れてた、ローカル番組の「ご当地グルメ対決」。「…この、ゼリーに閉じ込められた奇妙な生き物は、何というものでございますか?」って、マジ真剣な眼差し。レイナ、まさかのチョイスに驚きつつ、「あ~、これ、うなぎのゼリーですよ!静岡の一部地域の名物なんだけど、ちょっと…個性的な味で…」って、正直に教えてあげたんだって。
シェイクスピア様、一口食べてみたら…「な、なんなのだ、この矛盾に満ちた味わいは!?甘いゼリーの中に潜む、うなぎの蒲焼き…まるで、人生の悲劇と喜劇が織りなす、不可思議な舞台のようである!これこそ、余が求める、真の食材よ!」って、マジで詩人っぽい表現で感動してたらしいよ。
そこから、シェイクスピア様の鰻ゼリー愛がマジで爆発!毎日色んなご当地食材を調べまくって、「これぞ舞台にふさわしい食材!」って、鰻ゼリーに心を奪われまくってたんだって。「鰻の調理法、ゼリーの硬さ、甘さと塩味のバランス…研究しがいがありすぎる!」って、もはや鰻ゼリーパフェ研究家レベル!
でね、ある日、シェイクスピア様、マジで天下取りの野望を語り出したの。「我は、この鰻ゼリーをもって、世の退屈な甘味を打ち破り、人々の心に深く刻まれる、真のパフェを創造してみせようぞ!これこそ、悲劇と喜劇が融合した、『人生のパフェ』よ!」って!
え?鰻ゼリーパフェで天下統一?しかも人生とか悲劇とか!マジで壮大すぎる!でも、シェイクスピア様の「人間模様を描く」魂があれば、きっと何か成し遂げるに違いない!ってレイナも思ったらしいんだけど、シェイクスピア様の目はマジだったんだって。戯曲の創造主としての野望が、令和の鰻ゼリーパフェに新たな舞台を見出したのかもね!
そっから、シェイクスピア様の鰻ゼリーパフェ天下統一計画がスタート!まずは、SNSで「#シェイクスピアの鰻劇」ってハッシュタグ作って、毎日自作の鰻ゼリーパフェの画像をアップし始めたんだって。その奇抜すぎる見た目と、シェイクスピア様の詩的なコメントが、一部のサブカル好きギャルや、個性派の人たちの間でじわじわバズり始めた!
SNSはシェイクスピア様の鰻ゼリー愛でじわじわ盛り上がり!しかも、シェイクスピア様、ただ作るだけじゃなくて、全国各地の珍しい郷土食材を探し求めたり、意外な組み合わせを試したり、マジで実験的!「天下の鰻ゼリーパフェ」を目指して、日々試行錯誤を繰り返してたんだって!
で、ついに!シェイクスピア様は、下北沢のど真ん中に、自分のプロデュースする鰻ゼリーパフェ専門店「THEGLOBE PARFAIT -人生劇場 - 」をオープンさせちゃったの!お店の内装も、グローブ座をイメージした、円形劇場のようなデザインで、シェイクスピア様の舞台への情熱を表現。店員さんも、ちょっと中世ヨーロッパ風のモダンなユニフォーム着てて、マジでアーティスティック!
オープン初日から、ゲテモノ好きギャルや、好奇心旺盛なインフルエンサー、そして演劇や文学に興味を持つ人々まで、行列を作って押し寄せた!「SNSで話題の鰻ゼリーパフェ、マジで挑戦してみたい!」「シェイクスピア様って、なんかカリスマ!」って、新しいファンが続々!でね、一口食べたら、みんなその奥深い味わいにハマっちゃうらしい。「うわっ、最初はビビったけど、甘じょっぱくて、なんか複雑で美味しい!」「鰻の臭みが全くない!」「シェイクスピア様、マジで神!」って、賛否両論ありつつも、リピーターが続出!口コミが広がりまくって、THEGLOBE PARFAIT -人生劇場 - はあっという間に人気店になっちゃったの!
しかもね、シェイクスピア様、ただお店やってるだけじゃないんだよ!定期的に店内で、自らパフェの「テーマ」について熱弁したり、お客さんの人生をテーマにした「即興パフェ」を創作したり、マジで独自のスタイルでエンタメ業界を盛り上げようと奮闘してるんだって!
テレビや雑誌の取材も殺到!「令和のシェイクスピア」「鰻ゼリーパフェの詩人」とか呼ばれて、マジで時の人!シェイクスピア様の強烈な個性と、鰻ゼリーパフェの斬新な組み合わせが、新たなブームを巻き起こしたんだね!
でさ、最終的にどうなったかって?もちろん!シェイクスピア様の鰻ゼリーパフェは、全国のスイーツ好きに愛される定番メニューになったんだって!お取り寄せスイーツとしても人気が出て、全国のコンビニやスーパーでも「シェイクスピア印の人生パフェ」が発売されるほどに!まさに、鰻ゼリーパフェでスイーツ界に新たな旋風を巻き起こし、天下を獲った!マジですごすぎ!
あの時、下北沢の街に静かに佇んでいた劇作家が、令和の時代に鰻ゼリーパフェで新たな道を切り開くなんて、マジで誰も想像してなかったよね!まさに、悲劇と喜劇が鰻のゼリーに踊り、新たな伝説を創り出した瞬間!
レイナも、「まさかシェイクスピア様が本当に鰻ゼリーパフェでこんなに有名になるなんて!アタシ、マジで震えたけど感動した!」って、ちょっと引きながらも感動してたらしいよ。
シェイクスピア様は今も、さらなる鰻ゼリーパフェの可能性を追求して、日本全国を旅しているらしい。「わが創作の道に、終わりはない!」って、マジでストイック!
こうして、ウィリアム・シェイクスピアは、令和の日本で、鰻ゼリーパフェという新たな武器を手に入れ、見事、スイーツ界で唯一無二の地位を築いた!天下統一…ではないかもしれないけど、その強烈な個性と哲学は、多くの人々の心に深く刻まれたはず!めでたしめでたし…ってことで、マジでゾクゾクする衝撃的な物語、完全燃焼したわ!鰻ゼリーパフェ、マジ卍!
「もう一回もう一回🎶⁉️」金融機関のCM花火ミスチル🎶???なのか?なんて思い込まされていた〰️💣️💥w
この当時はこの程度で負けそうでした😅
恐らく私だけに聞こえる音
パトカーのサイレン、救急車消防車のサイレンも普通のあっちから向こうへではなく違和感のあるサイレン音、これはこのアパートになってから
色んなタイプの耳鳴りはジャズ風な物もある。太鼓音のような音は今昔共通、みしっ、家の中で鳴る音などで全く気にならない
肺を締め付けるような、肝臓も同じ
心臓はドキドキ、ブルブル、胃はなんとも言えない痛みと腹減り音、
そう言えばワンコのくうが音鳴らしていた時に医者へ連れていくと大腸炎だと言っていたが、大腸も攻撃してきているのか?酷い下痢が続いてるが食べてはいけない物を仕込んでるのは確実だろう👊😠‼️殺人だ😠
兎に角殺りにきているのは確かだ!これらは3ヶ月くらい前からだ。
身体の痛み、身体(心臓の怯えるような感情コントロール)の震えはハッキング操作で「警察が怖い」というブログタイトルを散々見せられて、態とらしく感情とは違う震えが起こり、
「ハッキングをしてるのはパンだ警察署か‼️そう言えば10年近く前東京神田の古本屋街で110番した時に繋がると同時にバイブ♒📱♒されて不振に思っていた」と少しスッキリしたのを覚えている。 その後何故か
パンダ近くのドラッグストアへ行くときにやたらと警察署へ向かうとドキドキバクバクと起きていた。
私が警官をびびることなどあり得ないが、感情とは違う震えやドキドキはテレビのニュースの警官が映るなどでやられたが完全に後追い誘導である〰️💣️💥てめえらが犯人の証拠だ‼️⁉️
隣人も公安だろう⁉️か
人殺しに何人も加担していたらとっくに世の中に伝わって大事になっているはずだ‼️‼️
殺りすぎ防犯パトロールは単なる嫌がらせ統合失調症目当て、カルトは自殺誘導的な参加者だろうが通用しねえから〰️💣️💥
創価も参加しているだろうし、自民党員も参加しているだろう⁉️それ以外にもいるだろう(; ̄Д ̄)?
下手くそすぎ〰️💣️💥
全く脳と連動しない⁉️〰️💣️💥
笑われてる事に気が付いてるよな
馬~💫鹿〰️💣️💥アホ根暗〰️💣️💥
数字はお前らの常套句らしいな馬鹿な低能は嫌がらせの手段が低次元だわ
テレビCMや報道や時報にナンバープレートや値段などにも工作させる...
しかし、あの動画は色んな意味で俺に見せたんだよな〰️💣️💥書かなくても分かるだろ〰️💣️💥PS電磁波〰️💣️💥赤○ぶ〰️💣️💥糞〰️💣️💥
〰️💣️💥馬~💫鹿最高に軽蔑する😁
タオルが歩いて俺の近くに来るか?
回数券と同じか?違う、
工作だろう。
眠ってる間に侵入までするのか?
ほぼネットに書いてある通りな事が起きるんだな〰️💣️💥アホ根暗〰️💣️💥
余程本を読ませたくないのだろう😠
ブログを沢山読んで拡散してると普段は眠くなるのに今回は本を読むと眠くなる睡魔〰️💣️💥読ませない工作😠
漫画って俺の中で読み返す率が異常に低い上に、1冊の情報量が小説と比べて少ないから
俺はオールドタイプの人間なので過去にはレンタルDVDというものを利用していた時期もあるし
サブスクじゃない一度きりのコンテンツに金を払うという行為に対して抵抗は薄い方だけど
映画を100円でレンタルして見ることよりも漫画を古本屋で100円で買う方がもったいなく感じるのは
(主に長期連載漫画で)1冊、100円当たりの満足度が低すぎることに所以している気がする
でも面白そうな漫画出てるしとりあえず5巻くらいまで買ってみるかとはならない
なんかもったいなく感じる
もしこれを読んで気を悪くする漫画家の人がいたらすまん
もろちん何度も読み返したくなる漫画もあるしそういう作品に金を払うのは無駄だと思わない
ただ小説や映画みたいに「ちょっと面白そうだから買って読んでみるか」に圧倒的にならない
みんな今でもそんな漫画に金払ってんの?