
はてなキーワード:古典力学とは
流石にそれはねーわ…😟
大学→大学院→なぜか芸能会関連→ソ〇ーの重役面接通過したのにバカな俺は断ってしまって→某ゲーム機ゲーム開発→某企業研究所→精神疾患でここから完全に人生が迷走
だったし、この10年で一貫して公私ともに取り組んでいたのはリアルタイム3DCG関連、OpenGL、Direct3D、ゲームやCAD、流体シミュレーションなど周辺技術なので、
結婚するにしても、まず収入ないと駄目だろ、そのためには何か専門分野を持たないと、と流石にバカな俺でも思うわけで…😟
あと、
いやいやいやいや…😟
いや、俺、伸び悩んでるなあ、みたいなことは何度もあったけど、受験勉強はスポーツと同じ、努力で突破口が開きやすい
でも、恋愛や結婚は努力が実ることはほぼない、ないと思った方がいい、理不尽極まりないのが人間のコミュニケーション
俺は正しい通信プロトコルを心掛けてるのに、相手が正常に応答してくれない、なぜなんだぜ???
見合いがどうとかは置いておくとして、基本、運の要素が強いもの、例えばギャンブルやパチンコもそうだけど、
理系人間は、努力が成立しなそう、予測が完全に不可能、観測し続けたデータから予測できな過ぎて全てが無駄に思えてしまう、
みたいな、all ornothing思考に陥りやすい、というか、理系というより俺が陥りやすい、だから努力を継続できない
ウシジマくんのニートくんがパチンコをやりながら、俺は小出しに、人生を賭けている、とか言ってた気がするんだけど、
まあ、パチンコとか一般的なギャンブルの勝率にそもそも問題があるものの、確率的なことで勝利するには賭け続けないといけない、当たり前だよね
だけど、受験も運の要素があるけど、例えば、出題傾向がある、そこから来年の問題を予想できる、努力するほど回答速度が速くなる、
受験はスポーツと同じだと思ってるんで、じゃあ、スポーツと恋愛が同じか?ってことだよね、俺は同じだとは思わないよ…😟
短い期間、自分にも彼女がいたことが何度かあったけど、ほとんどは女性の方から勝手に告白されて、受け身で付き合い始めて、
女性の方から、なんか勘違いだったわ…、みたいなことを遠回しに言われて、なんかこっちもちょっとムカッとして、じゃあもういいです、みたいな感じで終わる…😟
絵も音楽もやればやるほど上達を実感できる、
身体がまともだった頃は、水泳、スキー、自転車、ボクシング、色々やってたけど、どれも努力が実るんだよ…😟
でも、恋愛は無理、
恋愛成就を目指して、朝から素振りの告白100回!とかありえないから…😟
追記:
理系人間というか、俺が、高校で言うところの確率統計が苦手、嫌い、なのと関係がある気がしてきた
線形代数、微積、話がズレるけど物理、特に古典力学、有機化学は好きだった
英語が駄目なんだけど、これはできないと社会に出てから仕事にならんだろ、と中高から思ってたし、
実際、社会に出てプログラムを書くようになれば、ドキュメントは英語、3DCGは線形代数、微積、古典力学が完全に活きる、
というか、高校レベルでは足りないので、学部、院での追加の知識、
個人的にゲームセンターで稼働しているゲームを後ろから観察してアルゴリズムを考える、
それを家に戻って実装してみて、また考えるとか、そういう経験が活きてくる
あー、だから俺はデータサイエンスよりのことが苦手なんだろう…😟
もっとも、データサイエンティストという職業が持ち上げられるようになり、自分も重い腰を上げて勉強するようになり、
それなりの成果を収めたりもした、けど、まあ、苦手意識は変わらないなあ…😟
PythonのJupyter Notebookみたいなの、今は色々な種類があるじゃないですか
例えば、Pythonでループ書いて、例えば、粒子が重力と風の影響を受けます、みたいなコードを書きがちというか、
そもそも、メガデモみたいなのとか、ああいうのが好きなんだよね…😟
恋愛は理系的には確率、統計なんじゃないの?という意見なら、正解だと思う
だから、恋愛、結婚は理系的じゃない、という言い方は間違ってるな、と自分でも思った
あー、単に俺の苦手教科だったから、じゃねーの、なんなのこれ…😟
それこそ儒教勃興の頃からあった言葉というか、むしろああいうのから出される当時難解とされてた本を意識して作られた言葉なんだろうが、自分からすればこれらの言葉が出来た頃程度の本にそこまで費やさなきゃ理解できない本なんてないと思えるんだよな。
ようするに昔の人は出来が悪かったんじゃ?って思う。
ハーツホーンとか指数定理とかのレベルの本格的な数学書ならそんだけ読まないと理解できなくてもなにもおかしくないがなあ。
所詮は古典哲学(古典力学とかとの対応で)とでも呼ぶべきものをそんだけ読まないと理解できないって言ってるようなもので。
そういう哲学とか文学関係の本なら百周すればフィネガンズウェイクも重力の虹も理解できるだろ。
フィネガンズウェイクが読めないって言ってるやつも100回は読んでないだろう。あの手の分野の人に数学者ほど根気がある人はいないと見える。
dorawiiより
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「科学もまた信仰である」という言説は、「科学的な知識も絶対的な真理を保証するものではなく、一定の信念や仮定に基づくものだ」とする批判的視点から生まれたものです。しかし、科学的手法と信仰には重要な違いがあり、「科学=信仰」と見なすのは適切ではありません。以下に、科学と信仰の違いを説明します。
1.方法論の違い
•科学的手法は観察、仮説の構築、実験、検証を通じて知識を構築するプロセスです。この方法により、科学は経験に基づく「反証可能性」や「再現可能性」を強調します。カール・ポパーの「反証主義」によれば、科学理論は反証される可能性があるため、常に修正や更新が可能です 。
•信仰や宗教的手法は、しばしば絶対的・普遍的な真理を前提とし、その真理が神聖であり不変であると見なすことが多いです。宗教は超自然的な存在や教義に対する信念を中心とし、その信念の正当性は経験や反証可能性に依存しません 。
•科学のもう一つの特徴は再現性であり、どこで誰が行っても同じ条件下で同様の結果が得られることを重視します。また、結果が反証されることを受け入れ、実証が積み重なることでその知識の信頼性が高まります。
•宗教的信仰は、個人の内面的な体験や霊的な啓示を重視し、再現性は必須ではありません。むしろ、絶対的な教義や超越的な存在に対する信頼が重要視され、反証されることを前提にしません 。
•科学は自己修正的であり、新しい発見や技術の進歩に応じて絶えず知識を更新します。例えば、ニュートンの古典力学はアインシュタインの相対性理論によって一部修正されましたが、それにより科学が進化しました。
•宗教における信仰や教義は、一般に歴史的に固定され、変化しないことがその信仰の価値とされます。特定の教えが絶対であるとされるため、科学のように容易に進化することはありません。
4.結論
「科学もまた信仰である」という見解は、科学の限界や仮定を指摘し、人間の知識が絶対ではないことを強調しています。しかし、科学は常に新しいデータや反証に基づいて進化し続けるという点で、宗教や信仰とは本質的に異なります。信仰が個人の確信や不変の教義に基づくものであるのに対し、科学は実証と論理を重視する柔軟なプロセスです。そのため、科学を信仰と同じ枠組みで論じることには、誤解を生むリスクがあります。
: Popper, K. “TheLogic of ScientificDiscovery.”
: Eliade, M. “The Sacred and the Profane.”
: Kuhn, T. “TheStructure of Scientific Revolutions.”
あれが押し付けに見えた?
マジか…こっちはあくまで
「より良いプログラマになりたいならこうするといいと思うよ」
こっちがUNIXとコマンドラインを必要なスキルに含めた一方で、古典力学や電磁気学を含めなかったのも、突き詰めれば個人的経験に基づくものという程度でしかないことは、読んでてわかるだろ?と思っていたのだが。
いちいち
「※個人の感想です」
みたく書いたり強調しなきゃいけないのかよ。
めんどくせーけど今度からそうするわ。
ともかく、そういうわけであの内容に乗るか乗らないかだって完全に自由だし、同意してくれる人が一人でもいれば、こっちとしては書いた甲斐があったんだよ。
これだけ途方もない反発が来るとか予想外だし、同意できないならスルーしてくれてよかったんだが。
それから、現場できれいなコードの重要性を説いて回れというけど、俺はそいつの親でも先生でもない。
そこで相手に
「お前は俺の先生か?」
と反発されずに言うことを聞いてもらうことがどれだけ大変か、考えたことがあるか?
そういう意見を聞いて実行してもらう以前に、そういう話ができる関係を一人ひとりと構築するところから始まり…お前がその立場だったらできるのか?
他の人より多少きれいなコードが書けるというだけで、なんで自分がそのコストを負わなきゃいけないんだ?なんでそれが自分の仕事になるんだ?とも思うしな。
そういう、言い出しっぺが損するみたいな構図そのものにも嫌気が差すんだわ。
工学って
「基礎科学である数学・化学・物理学などを工業生産に応用する学問」
ということでしょ?
ソフトウェアの開発・管理・維持、ぶっちゃけプログラムを書いたり直したりで数学・化学・物理学の知識なんて不要じゃん。
てか、アルゴリズムやデータ構造の何がどう、基礎科学の専門知識に関係するのか全くわからん。
少なくともメカ(古典力学)やエレキ(電磁気学)ほどには基礎科学のナレッジは要らんでしょ。
実際高校までの「情報」の授業、あれって「理科」や「数学」に含まれるんだっけ?
よく
「エンジニアは多岐にわたるんだからITについての話なら『エンジニア』ではなく『ITエンジニア』と書け」
と言いたいんだが。
みたいな混乱もあるかもしれない
「フーリエ変換なんて役に立たない」 だったらあらゆる分野の人が声を上げるところだけれども三角関数。
普通はexp使いそうじゃないですか、微積簡単だし。あえて三角関数に限るとゲーム制作とかweb要素回転させるとか測量するとかまぁ、かなり特定の分野になってしまいそう。
確かにおっしゃる通り高校数学は役に立たない。役に立たないから大学1回生で基礎数学を無理やり詰め込むわけです。
高校で役に立つ数学を教えろというならば、高校数学をやめて物理数学を教える、という話になりそうですね。(数学科の人怒らないでね)
これらがあれば現状骨抜きになっている高校物理がまともに教えることができるようになります
量子力学があれば化学もきちんと教えることができるようになりますね。
(量子力学を教えていないのに電子軌道や遷移エネルギーの話をするのはどうなのでしょう?)
役に立たないと言われ続けていた英語教育。今日では小学校1年生から英語を学びます。
以前、後付けで理論を修正するのは科学的ではない、って言ってた人がいる。でも科学全体としてみると、ニュートンの古典力学をアインシュタインが上書きしたように、科学はいつだって、理論から漏れる細かい例外をアドホックに修正していく過程にある。Google なり科学的権威が氏のような、毎日ブコメに予測を盛り込んで頻繁に新しい予測を発表していくエネルギーを持たないのは、単一の理論としての科学的適合性にこだわるあまり、状況に合わせて柔軟に対応できる余白を持たないから。だけどそれじゃ足りないんだよ。
「次回の歯医者の予約は、いつにしよう?」の答え。人々が本当に必要としているのそれでしょう?
外れそうならキャンセルするしかないが、それでも予約自体はしなければならない。自分で決めなくてはならない。自分の山勘に従った判断は——実質的に、占いだ。そして個人で個別に独自の占いをするよりは、誰かが統計に基づいて “機械学習” で予測してくれた方が嬉しい。結果へのフィードバックも集中するから社会的な効率性も高い。でも人々の期待と鬱憤の交錯する中に飛び込むのは、間違いなく口で言うほど、簡単じゃない。
過去をほじってくるような連中に対してもサービスを提供しようとする勇気と、それを継続できる根気、対抗言説を突き放して進む情熱。俺は個人的に、拍手を送りたいと思う。
しかも高校で習うような力学はほとんどが物の大きさを無視した「質点」の力学であって
これも物体の粘性や弾性、ひずみや変形を無視するため現実に即してはおらず
さらに現実の物体は様々な他の物体と相互作用を及ぼし合いながら運動しているが
理論力学においては質点が3つ相互作用するとともうまともに計算できなくなるという問題も抱えており
究極的にはそれを原子や分子に適用しようと考えると到底考えられる領域ではないため
その辺は流体力学やら熱力学やらでなんとか捉えようとしているがあくまで近似に過ぎないのも確か
結局力学というのは中心に人間の解明できないもしくは原理はわかっていても計算しきれない「真実の力学」があって
それを人間の理解できるように枠取られた様々な典型的な領域に落とし込んで関係ない部分を無視した近似を
古典力学、量子力学、相対論力学、連続体力学、流体力学、熱力学としてなんとかやってきたのだ
https://anond.hatelabo.jp/20070905170808
情報科学における情報という概念を情報を包括するようなさらに高次な概念の近似としてとらえることが可能か。
ただし、ここで書いているのは量子情報のことではなくて、情報そのものの高次な概念があるのではないか。
いただいたコメントまとめ:
同様に、情報理論は近似であって、実はなんらかの極限状況だと、エントロピーの性質とかがおかしくなるとか。
シュレーディンガーの波動方程式というものがある。原子の周りを電子が飛び回ってる単純なモデルがあって、それを特定するのは確率でしかないみたいな。
でも、時間をとめることができればそれがどこにあるかは特定できる。この場合は「時間で切り取っている」というケース。
久保亮五先生の『統計力学』の最初のところにはお金を分配するだけの簡単な金融経済のモデルが出てくる。
気体の「体積」「1分子あたりの熱エネルギー」「モル数」はそれぞれ違う次元の数。
ディスク上の情報構造物の「占有領域」「最低/平均ブロックサイズ」「圧縮した場合のバイト数を表現するのに必要なレジスタ幅」はまったく意味が違うのに、いずれもバイト数で表される。
これは情報科学の根底にあるトラブルの原因ですが、いまは統計力学と情報理論の間に安易な橋渡しができないことだけを意識するように。
ただ、気体でも極端に自由度の低い系(絶対零度近くとか、強い磁場の下にあるとか)では体積は圧力にも温度にも比例しない。
それと似たような話として、自由度の低い情報構造物は情報理論の適用外。
個々のビットの間の関係は恣意的であって、あまり統計的扱いに向かない。
問.古典力学の前提で、粒子間の引力も斥力も無視するとボルツマン統計、量子力学ならボーズ統計やフェルミ統計に従うという話があるが、
すべてのアプリケーションが書き出すビット列にそういう統計を考えることは可能か。
アプリケーションの各論を展開できるほど柔軟で包括的な数学を使えば、情報構造物のミクロの理論は好き勝手に展開できる。ただし、それはアルゴリズムの単なる記述ではないのか。
当方が二十代の頃になんとなく発した問いにリアクションいただいたこととを、大変ありがたく思います。
未だにこの辺の答えは出ていません。 あまりこういう問い立てや考えることをしなくなってきたのもあります。