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はてなキーワード:口述とは

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2025-08-15

anond:20250815215700

葉隠』は江戸時代初期、佐賀藩士・山本常朝(やまもと つねとも)の口述田代陣基がまとめた、武士道に関する思想書です。

11からなり、日常生活の心得から死生観政治観まで幅広く書かれていますが、特に有名なのは武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という一節です。

主な内容を大きく分けると以下の通りです。

---

1.武士死生観

2.主従関係忠義

3.日常の心得と人間観察

4. 修養と精神鍛錬

---

葉隠』は現代では「過激死生観」の部分だけが切り取られがちですが、全体を通して読むと、武士日常生活の実務的な知恵や人間関係術も多く含まれており、むしろ生き方教科書」としての側面も強いんです。

Permalink |記事への反応(1) | 22:13

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2025-06-26

司法試験予備試験に1年で合格した方法

司法試験予備試験に1年で合格した方法、と大層なタイトルをつけたものの、何か特別勉強法があるわけではない。むしろ、誰かの参考になるかもと思って書いておきたいというのが本音だ。自分勉強を始めたとき合格者のブログを読み漁っていたから、どこかで誰かがこの文章出会って、「あ、自分もやってみようかな」と思ってくれたら嬉しい。

予備試験存在を知ったのは大学4年の春。法学部ではなかったし、法律には全く触れてこなかった。ただ、就職活動がうまくいかなくて、自分に何かスキルをつけなければという焦りがあった。そんなときに、偶然ネットで見かけたのが「予備試験1年合格」の体験記。正直、最初眉唾だった。でも、色々と調べていくうちに「独学でもいけるかも」と思えてきて、5月連休明けから本格的に勉強を始めた。

使ったのは、市販テキストと論証集、過去問、それだけ。予備校通信講座はお金が足りなかったので取っていない。代わりにYouTubenoteはてなブログ情報を総動員した。最初の2ヶ月はとにかくインプット。条文を読む→基本書を読む→論証を写経する→LEC短答過去問集をひたすら解く、の繰り返しだった。知識が穴だらけで、民法刑法区別すら危うかったが、それでも毎日5時間以上は机に向かった。

8月くらいになると、短答の点数が少しずつ上がってきて、手応えが出てきた。そこから論文練習に本格的に移行した。答案を書くのは本当に苦手で、最初は模範答案を丸写しすることすらできなかった。でも、少しずつ自分言葉で書けるようになってくると、論文勉強は楽しくなった。何より、自分で考えて、自分で書いた答案が過去問と似ていたとき快感は今でも覚えている。

口述対策論文が終わってからで十分だった。論文合格が分かってからは、予備校が出している想定問答集を丸暗記しつつ、友達とロールプレイをした。緊張しやす性格なので、本番前は散歩して気を落ち着けた。試験官は意外と優しくて、拍子抜けするくらいだった。正直、口述努力した分だけ報われる試験だと思う。

こんな風に振り返ると、すごく順調だったように見えるかもしれないけれど、途中で何度も「向いてない」「やめたい」と思った。特に論文全然書けない時期はつらかったし、周りが就職していく中で一人黙々と勉強していることに虚しさを感じることもあった。それでも続けられたのは、「1年で受かれば、人生が変わるかもしれない」と思っていたからだ。

実際に合格してみると、もちろん劇的に何かが変わったわけではない。でも、「努力すれば報われることもある」と体感できたことは、自分にとって大きかった。予備試験は確かに難しい。でも、誰かが「1年で受かった」と言ってくれたおかげで、自分も挑戦できた。だから今度は、自分がその「誰か」になれたらいいなと思って、これを書いている。

これから挑戦する人へ。1年間、毎日机に向かえば、十分にチャンスはあります気合いと根気があれば、道は開けます応援しています

Permalink |記事への反応(1) | 20:28

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2025-04-28

長い文章キーボードで打つのはもう古い!

などという言説が最近AI文字起こし改善を背景に飛び交っている

だが、自分の発話がそのまま文字になることを気持ち悪く思わない層はそもそも長い文章を書くタイプ人間ではない

自分自身の声、発話に違和感を覚え、書き言葉安息を見出すタイプ人間がいるということは、AI書き起こし信者念頭には思い浮かばないのだ

とはいえ、長い文章を書くために書き起こしを切実に必要としている人々がいるのも確かだ

夫の口述筆記に頼り数々の大作を生み出した小説家三浦綾子はすごかった

Permalink |記事への反応(0) | 18:53

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2025-04-18

文章を書く道具について

自分メモ

ブログが廃れSNSが栄えた。なんでか?手軽だから。わかりきった話だが。

鶏/卵の関係になるが、出先で論理構造のある長文打てる道具はない。

構造がなくただ長い独白みたいなのは別話。

「大きさと位置自由マルチウィンドウ」は偉大な発明だ。

論理構造のある長文」を書くには資料メモエスキスを一覧できるように並べなくてはならない。

「いやそんなことしなくても書ける」

書けるが、脳のワーキングメモリはしっかり食われているのだ。

ちっちゃい画面いっこじゃ短文ポストしかできない。

「では紙とペン活用して実体でやれば、もとより何の制約もないだろう」

ないのだが、そこで学校教育の狭い机や大学ノート刷り込みが尾を引いていたりする。

狭いデスクも、最初から綴じられたノートも使ってはダメだ。紙っぺらにメモ書き散らして壁にピン留めして適宜並べ替えて…というスタイルのほうが「基本」であるべき。

からちっちゃいノートPCワープロみたいなガジェットが愛されつつ広まらないのは、小さなワンペインじゃ普通の人は書けないからだ。ポメラひとつガンガン書くのは口述筆記と同じ難しさである。目隠し将棋

ペイン必要。空中から言葉を紡ぎ出すのでなく何かへのリアクションで書く。

Permalink |記事への反応(0) | 15:53

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2025-03-14

小説家手書き原稿納品はいつまで可能

手書きしか作品を書かない、または書けない小説家がいる

そういう人の書いたもの商業誌に載ったり単行本化される前に、誰かが手書き原稿タイプアウトしていることになる

そういうことはいつまで続くのだろうか

その手書き小説家作品の売り上げが、タイプアウトの人件費を上回り続ける限り

いや待て、文芸書はそんなに儲かるのか

出版社は、手書き作家作品出版非営利文化事業でやっているのだろうか

そんなわけなかろう

もっともありそうなシナリオは、大作家でもない小説家手書き入稿はもう受け入れられなくなることだ

これだけ電子テキストを書く手段がたくさんあるのだから自分の作る商品の納入ぐらい、取引先が使いやすフォーマットでやってくださいね

それができない「小説家」はさようならというわけだ


そうやって切り捨てられた小説家はどうするのだろう

音声入力に活路を見出して、群書類従編纂した塙保己一のように口述筆記の鬼になるのだろうか

あるいは、キーボードタイピングはできなくとも、スマートフォンタブレットでの文字入力はできることに気づいてそちらに移行するのだろうか


なおこの文章iPhone SE 2016のフリック入力で書いた

Permalink |記事への反応(1) | 08:45

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2025-03-01

anond:20250228171948

口述筆記が捗る

Permalink |記事への反応(0) | 10:15

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2025-02-27

anond:20250226191615

はてな民は知らないかも。本当に物覚えが悪いニンゲンは居る。


 面接などで見分ける方法簡単。ある程度の長さの文章口述小話を、箇条書きで要約させること、あるいは口頭で要約説明させること。主語述語が無い、てにをはが変、最重要部分が抜けてる、要約出来てない、主観が入り込む、などで炙り出せる。どれも業務では重要能力だよね。

Permalink |記事への反応(0) | 19:10

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2024-01-17

anond:20240117193335

口述筆記云々は「口述から砕けた文体でわかりづらい」くらいの意味じゃね?

まず最初に女遊びしていたおっさん自分の娘だけ可愛がる話をして「ああいうのは嫌、オレだったら」って書いてんだからまあ仮定の話だろう。

もちろん無理やり自分の話だと読めないこともないよ?

でもエッセイ唐突犯罪告白するわけないと考えれば、その読み方は不自然だって分かるだろ。

Permalink |記事への反応(1) | 19:46

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anond:20240117192644

口述筆記だから誤解ってどう言う事?

どう読んでも自分のガキが回されてもしゃーないとしか書いてないが

Permalink |記事への反応(1) | 19:33

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2023-07-26

https://anond.hatelabo.jp/20230725121700

自分お気持ち感想を述べるのが非論理的だ、というのはちょっと間違っている。そもそも論理的というのは文章がつながっている状態を指していて、米国型の文章構造ピラミッドスラクチャーを持つ(ミントピラミッド原則)。これは科学技術論文で広く採用されている方法だ。ちなみに日本風フランス風論理は違うということが示されており、論理的とは単に慣れであり、文化依存する(*1)。構造さえできてれいば、その内容がお気持ちだろうが、料理の手順だろうが、交渉だろうが、論理的文章になる。

感想を述べるにしても論理構造を作ることができるし、それを通じて論理的文章を書くことができる。たとえばアメリカ教育で用いられている4square writingは、中央に例えば「おばあちゃんが大好き」と書いて、その理由となる事柄を3つのマス目に書く。「話が面白い」「お菓子をくれる」「においが好き」とか。そして最後のマス目に「だからおばあちゃんが好きです」と結論を書く。話題が一貫しており、列挙された情報に基づいて結論誘導されており、論理的となる。

これはハンバーガー構造や5段落エッセイとも呼ばれていて、主張、根拠1、根拠2、根拠3、言い換えた結論、という段落構成を学ぶことにステップアップしていく。高校生のころにはこの構造を極めて小論文エッセイ)を書くのが卒業要件だったりもする。イシューに対する議論だったり、ディベートを通じて強い根拠を上げる訓練をしたり、モノポリーで遊びながら交渉術を学ぶことになる。口述でも文章でも、5段落構造がしっかりと植え付けられる。

なので、大学に入った段階で構造的な文章を書く経験豊富である。そこで初めて感想感情から切り離して情報を伝えるテクニカルライティングによる訓練がはじまる。事実などの根拠提示一般常識や前提条件を論拠ととして組み合わせて新たな意見を述べる(トゥールミンモデルなど)、自己批判で主張のリミテーションを掛ける、といった論述の基礎も覚える。

なので感情から切り離すことや事実意見を分けるというのは、論理的文章のうち研ぎ澄まされた金字塔ではあるものの、最初から取り組むべき課題ではない。取り組むべきは、話題がつながって構造を作る文章を書くことにある。

最初話題読書感想文テンプレも、段落内では「なぜなら」でつながりを持たせてはいものの、全体をつなぐ構造がないことが問題だと思う。3つの段落情報バラバラのままである。そこが問題なのであって、感想文を書くこと自体問題があるわけではない。論理的構造を作る訓練になっていないことが心配である

私は卒論修論博論指導する立場の人だけど、増田の言う通り悲惨文章ばかりを目にして実質リライトすることになる。その問題お気持ち文章からではなく、論理的構造がないことに原因があると感じている。といつつ自分人一倍文章を書くのが苦手で、いまだに多くの本を読んで訓練を続けているし、これまでの指導者に苦労を掛けてきたと思うので、恩返しのつもりで学生さんたちに指導をしているよ。

*1渡辺雅子さんの文化比較研究

https://berd.benesse.jp/berd/center/open/berd/backnumber/2006_06/fea_watanabe_01.html

Permalink |記事への反応(1) | 07:23

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2023-03-29

anond:20230221101644

個人的には○とか□とかの図形を登場人物として扱うのがベストだと思ってる。

○とか□とかの図形は高齢者ヘイトにつながる危険性を無視できないから、アウトだと思う。

人に何かの物語を伝えるときは、そもそも視覚表現に頼らず口述して伝えると無難だと思う。

音声で表現すれば視覚障害者の方にも伝えられるし。

Permalink |記事への反応(0) | 20:41

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2023-02-09

スペクターサウンドを256倍楽しむ方法

 日本では'76年に、フィレス・レーベル作品がまとめて再発売されたことがありましたが、ボックス形式としては本邦初で、しかCDボックスとしては今回が世界初ということになります。また同時に、<ヒーズ・ア・レベル>という、関係者インタビューを中心にした本が白夜書房から発売されます。それを読みながらこのBOXを聞きますと512倍楽しく聞けることを保証します。

 では、時代を追って解説していきます

テディー・ベアーズ

 1958年17才にして彼は”スター”でした。この後ポップス歴史を彩ることになるクリスタルズロネッツキャロル・キングバリーマンビーチ・ボーイズビートルズの誰よりも先に<NO.1ヒット>を持っていた!、このことが良くも悪くもスペクターのその後の人生を決定づけたと思いますポップス史上、#1ヒットを星の数ほど作り続けたリーバー&ストラーや、ジョージマーチンも、自らの#1ヒットはなく、このことが彼を単に<プロデューサー>の範疇では捉えられない最大の理由です。<彼を知ることは、彼を愛することだ>というデビュー曲の<彼>は、もちろんスペクター本人の意味で、そこには強引さ、傲慢さも感じられますが、実はそれが力強くもあり、<スターの要素>そのものだともいえます。彼の仕事ぶりを評して、全てを自分一色に染めてしまう、という批判をよく聞きますが、これはことの本質理解してい居ない人の発言です。かれは<裏方>ではなく<スター>なのです!それを、アーティストの持ち味を引き出すのがプロデューサー仕事だ、という常識的意味で彼を捉えようとするから批判的になるのです。彼こそが<スター>で、誰が歌おうか演奏しようが、他の人は全て脇役なのです。単に映画監督と言う視点ヒッチコックを捉えるとおもしろ解釈は生まれない、というのにも似ています。(誰が主演でもヒッチの映画になります黒沢さんもそうですね。)

 デビューアルバムTEDDY BEARS SING」のB-1「IDON'TNEEDYOU ANYMORE」の<ステレオバージョン>はナントリードボーカル女の子の声が左で、真ん中がフィルコーラスしかも、ところどころリードボーカルの3倍くらいの大きさでコーラスが<邪魔をする>といってもいいほどの前代未聞のバランス!です。

 デビューからしてこうなのですから自己主張とかワガママなどという、なまやさしいことではないのです。

SCHOOLもの

 のちにブラックミュージックにのめり込んでいった彼ですが、スタートは白人ポップスでした。まずは自らのヴォーカリストギターリスト、および作曲家としての才能を試すところからはじめた、というところでしょうか。'50年代後半は、まだ黒人音楽一般的ではありませんでしたが、若者の間では熱狂的な指示を得ていました。スペクターもいろいろな黒人アーティストを聞いていたようですが、こと自分デビューに関しては、世間的に穏便な方法をとったところなど<奇[...]

 また'50年代中期には「暴力教室」をはじめ「HIGHSCHOOL CONFIDENTIAL」など<怒れる若者>をテーマにした映画が続々と作られ、その代表としてJ・ディーンが登場し、代表作が「理由なき反抗」-REBEL WITHOUT A CAUSE -でした。このように、当時の若者キーワードの一つは<REBEL>であり、「乱暴者」のマーロン・ブランドのような皮ジャン、サングラスバイクというスタイル流行しました。

 彼のでデビューソングはたしかに<学園もの>でしたが、それまでの、例えばドリス・デイの「先生お気に入り」調のホンワカしたものではなく、女の子自分の想いを直接的、また積極的に<ナゼわかってくれないの?>と切々と歌い上げるというのは冬至若者フィーリングにピッタシきたようです。実はこの手法スペクター特有の<ソフィスティケーションの中の直接性>というもので、彼を理会する上で大事ことなのです。

ガレージサウンド

 ある程度、あるいはそれ以上の音楽素養がなければミュージシャン作曲家になれなかったジャズと違って、ギター1本あればだれでもロックンローラーになれる、というのがロック時代でした。子供技術を会得して成長し、大人の仲間入りをするのがジャズだとすると、ロックは、子供子供のままで音楽ができるというのが特徴でした。ヒョットしたらオレにもなれるかもしれないと、多くのシロウトがわれもわれもと参加したことが、音楽単純化拍車をかけました。ジャズ豊満でふくよか、とすると、R&Rは骨と皮だけといえましょう。ジャズ大人音楽で、背景はナイトクラブ女性お酒が似合いましたが、子供音楽として誕生したR&Rの背景に一番ピッタリだったのはナント、<ガレージ>でした。

 麻雀同様4人(あるいは3人)いればすぐにできたのがR&Rの特徴でしたが、ニュー・ヨークのようにせまいところで大声を上げれば、お母さんに怒鳴られるだけですからストリートへ出るわけです。50'sのDooWapブームの背景は街角ストリート・コーナーが似合ったわけです。

 それにくらべて土地の広大な中西部西海岸は車がなければ不便なので、当選、どこの家にもガレージがあり、ここが若者の格好の練習場所となりました(蛇足ですが、今の日本ロックサウンドの背景は<貸しスタジオ>--密室--ではないでしょうか?)。さて、楽器感覚でどうにか弾けますが、作曲というのは簡単そうでもやはり多少の音楽素養必要です。しかし、若者の、なんでもいいからR&Rをやりたい!という想いはこんなことではくじけません。骨と皮だけのロックを、さらに皮も捨てて骨だけにしたのです。それが<ギターインストゥルメンタル>でした。これは、楽器感覚的にかき鳴らすだけですから、とりあえずだれにでもできました。ジャズ単純化ロックとすれば、これはさらに、ロック単純化で、その極致であったわけです。

 これが<ガレージサウンド>の正体でしたが、この時代呼応するかのように、新しく生まれ現象がありました。それは、録音機が少しずつ普及し始め、ガレージ居間などでの<ホームレコーディング>が行われるようになったことです。そして、デモテープのような、ある意味では乱暴

チャートに登場するようになり、まさに音楽大衆化が、内容だけではなく、音質までにも及んだのです(エルビスバディ・ホリーデビュー曲地方の、オヤジさんが社長、オカミさん専務、というような町工場風のスタジオで録音したものです)。

 それまでの録音は、演奏者と録音技師ガラスを隔てて別々の仕事場でした。技師演奏者にマイクの使い方を指導することはあっても、演奏者の方が技師に注文をつけるというケースはめったにありませんでした。しかし、ホームレコーディング特有の、機械いじりの好きな少年の思い付きや、また機材不足からひねりだした斬新な工夫は、新しいサウンド母体となるのです。

 スペクターは、テディー・ベアーズの録音の時からスタジオ内と調整室を行ったり来たりして、録音技師を困らせていたようですから、コダワリの姿勢最初からのようです(口述しますが、後年よくいわれるワグナー好きやソウルミュージックの追求というのは、スターありがちな<後付け>である、と私は考えています)。

 このホームレコーディングが、実は<スペクターサウンド>の根幹なのです!<BACK TOMONO>の意味もこのことなので、一つのかたまり大人数、熱気、乱雑の中の整理、複雑の単純化、そして<ホーム>、これが彼の求めたものでした。かたまりは<MONO>、大人数はミュージシャンの数、熱は<ハルブレインドラム>、整理は<J・ニッチェアレンジ>、単純化は<L・レビンミックス>、そしてホームは<西海岸>、これがスペクターサウンドの中味の分析ですが、詳しくはこれも後述します。

インストマニア

 この当時のロックンロール少年と同じく、スペクターギター少年でした。本名フィル・ハーヴェイとしてインストレコードも発表しています。また'58、'59年はインストロックの当たり年で、チャンプ栖の「TEQUILA!」が#1になったり、B・ホリーのインスト版ともいえるファイヤーボールズ、リンクレイ、そしてジョニーハリケーンズサント&ジョニーサンディー・ネルソン(「TO KNOWHIM~」のドラムデビュー前の彼です)、そして極め付きはギターインスト王者、デュアン・エディーの登場でした。

 日本ではなぜか、ほとんど評価されませんでしたが、ギターリストとして一番の人気とヒットのあった人で、そのサウンドユニークさとポップ・シーンへの影響は大きいものがありました。またイギリスでの人気は特に異常で、'60年の人気投票では1位でした(すごい!)。近年リバイバル・ヒットした「PETERGUN」などは後の<007シリーズ>や<バットマン>のもとになったともいえますし、日本では未公開の映画「BECAUSE THEY'REYOUNG」のテーマは、彼の"トワンギー・ギター"と流麗なストリングスとのコンビネーションは、すぐアル・カイオラが取り入れて「荒野の7人」となって登場、西部劇インストテーマの基本形となりました。また「ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」のジョージマーチン楽団の「リンゴテーマ」も、まさにD・エディーのマネジャープロデューサーレスター・シルで、テディー・ベアーズの録音の際、隣のスタジオ仕事をしていて知り合ったといわれ、この人と出会ってなければ<スペクターサウンド>はこの世に存在しなかったといえるほど重大な出会いでした。

 シルはこの時すでにスペクタープロデューサー向きであることを見抜き、早速契約を結び、最初に買った曲のタイトルナント「BE MYGIRL!」。

 スペクターについては、まわりにいた人に才能があったので、本人にそう才能があったわけではない、という人もいますが、これは間違いです。確かにまわりにいた人々は有能でした。しかし、彼はプロデューサーとして一番重要な要素である<何をやりたいのか>ということが明確にありました。それは前にも述べましたがいろいろな意味での<直接性>というテーマを持っていたことです。これはもちろんR&Rのイディオム佐野元春調)ですが、荒々しいサウンドの中の直接性より、スペクターポップスに折り込んだ直接性の方がより<暴力的>ですらありました。

 例えば、R&Rの時代になって<BE>という動詞で始まるビッグ・ヒットは「BE MY BABY」が第1号です(BE CAREFUL~などの慣用句を除く)。簡単なようですが、作る側にまわってみると、これが簡単に言い切れるものではないのです。まさにこれをスパッと言い切れるのが<スター>なのです。「TO KNOWHIM~」の断定と「BE」の命令。このシェイクスピア調の、時代がかったともいえる口調が、逆に新味を呼んだのではないでしょうか。この大時代的で、且つ直接的な手法は「I WANT TO HOLDYOUR HAND」(ユーモアの点ではJ&Pの方が数段上ですネ!)に共通したものを感じます

 シルと契約直後、スペクターはD・エディのセッション見学しています。さっそく実地訓練をさせようというシルの計らいで、時は'59年の4月の後半でした。この年のエディーの最大のヒットは6月に発売された「FORTY MILES OF BADROAD」(9位)で、この曲はナントベースドラムだけをイントロでフィーチャーした、ポップス史上初のヒット曲>なのです。さて、ベースドラムイントロといえば「BE MY BABY」ですが、この2曲の因果関係についての疑問を、10年ほど前の<ニュー・ミュージック・マガジン>で発表したことがありましたが、時期的にはこの推論が成り立つようです。が、モチロン、その因果については全く憶測の域は出ておりません。

 エディーのスタジオは1トラックテープレコーダーが1台しかないという粗末な設備ながら、そのエコーを駆使してのサウンド作りは、特に録音にはうるさかった若き日のスペクターには刺激的な体験だったと思われます。トワンギー・サウンド秘密であった水道管やドラム缶をエコー使用するという一風変わった手法は(そのためシルは何10個もドラム缶を買い、しかも一番響きのいい缶を探したといいますスペクターが興味を持たなかったはずはありません。

 そのような多彩な録音技術を駆使していた人は、D・エディー・サウンド製作者<リー・ヘイズルウッド>でした(エンジニアはエディー・ブラケット)。ヘイズルウッドといえばナンシー・シナトラとのデュエットアストロノーツの「太陽の彼方に」の作者として日本ではおなじみですが、エディーのプロデューサーとして最初評価された人なのです。

中したスペクターは、一瞬たりともヘイズルウッドの背後から離れなかった>と発言しています

憧れのリーバー&ストラー

 その後シルは、スペクタープロデューサーにすべく、今度はニュー・ヨークリーバー&ストラーのもとへ送り込みました。’60年代代表的なコンビレノンマッカートニーとすれば、’50年代リーバー&ストラー時代で、ロックビジネスを目指す人々にとっての目標でした。スペクター学校の先輩でもあった彼らのデビューに一役買っていたのが、これまたレスター・シルでした。シルがマネージャーをしていたコースターズをきっかけに、ドリフターズ、そしてエルビスへの曲提供プロデュースを行い、初のR&Rにおける独立プロデューサーとしての地位確立したのがこの二人なのです。

 スペクターにとって、このニュー・ヨークでの修行時代の最大の収穫はベン・E・キングヒット曲「SPANISHHARLEM」をJ・リーバーと共作できたことでしょう。これはR&Rビジネスへの切符を手に入れた、つまり、お墨付をもらったということ......って、最大の自信となったことは疑う余地はあり.....

 ま.... ドリフターズの「THERE GOES MY BABY」...にストリングスをフィーチャーする手法を....ことも<スペクターサウンド>への引金になったと、私は思います。その手法プロデュースしたジーン・ピットニーの「EVERYBREATH ITAKE」は、全くドリフターズ調でしたが、すでに<スペクターサウンド>は出来上がっていた、ともいえる、本家を凌ぐ作品でした。<ゴフィン&キング>との最初作品でしたが、この日のセッションにはリーバー&ストラーをはじめ、B・バカラック、B・マン&C・ウェイル、アルド出版社代表のD・カーシュナーら、そうそうたる顔ぶれが集まったといいます。そしてこの作品が、ここに集まった全ての人にスペクターの印象を強く与えることとなり、一緒の仕事が始まるわけです。特にこの曲で印象深いのはドラムフレーズですが、G・ゴフィンの証言によれば、フィルドラマーゲイリーチェスターに指示をして、それが実に的確だった、ということです。

 この修行時代にすでに、J・ニッチェやH・ブレインがいなくても、これだけのものを作っていたことは見落とせません。スペクターサウンドを作ったのはやはり彼なのです。

 この曲は残念ながら大ヒットにはなりませんでしたが、来たるべき<スペクター時代>の幕開けを飾るにふさわしい素晴らしい曲でした。

 また、この頃、レスター・シルとリー・ヘイズルウッドは共同活動を解消、スペクターは新たなパートナー、いわば後釜としてシルと関係を結び、それが二人の頭文字を合わせた<PHIL+LES>の誕生となりました(シルとヘイズルウッドのレーベル名は二人の息子の頭文字から<GREG+MARK>というものでした)。

ガールグループ

 '60年代初めにシュレルズがキャロル・キングの名作<WILLYOUSTILLLOVE METOMORROW

....きっかけに、ガールPermalink |記事への反応(0) | 09:24

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2023-01-25

おやガチャ

親のパラメータリテラシーが子に影響するという仮説。

例えばITリテラシー場合は、ITリテラシーの低い親が子に与える情報コントロールをすることができない。よって全面的禁止するか野放しのどちらかになる。

同時に、倫理リテラシー教育リテラシーも無いと何を制限して何を放念していいか分別がつかない。また情操リテラシーが低い親は「全てコントロールすれば解決」というブス親ムーブに行き着く。

言語リテラシー

国語能力が低い親(片方だけ低いなんてことはだいたいなくて、親同士の知能レベルは大体一緒になっているもの。これも仮説だが。)は、その人達の会話が論理的情報交換で成り立っているのではなくて、感情表現応酬で成り立っている可能性がたかい。

あくま可能性といっているのは、理解度を外から解釈しづいから。論理的表現が双方でなされている場合第三者から観察可能だが、そこから外れていくと観察不可能になっていく。客観的に判定できない非言語コミュニケーションによっていくのだから当然である

そのコミュニケーションを正とみなして、その両親の子は育つ。最も身近な手本が両親なのだから当然である

手本をもとに、手本より良い結果を出すことは難しい。学校での国語の成績はどうだろうか。母親感情表現のみでコミュニケーションしていないだろうか。論理的コミュニケーションを見せているだろうか。

論理的に通じる国語表現がなされた口述で、コミュニケーションがなされているのであれば、子もそれに沿った表現がなされるものである

ある親子がいた。母親、娘(5)、息子 (4) という構成で娘は言葉が達者だった。息子もしゃべれはするがいくら問題があるように思えた。

というのも、息子は「ん〜!!」とか唸り声と怒りの表情でコミュニケーションをしていたからだ。

そして母親は察しがよくやってほしいことを汲み取り、行動してフィードバックを与えていた。

当然のように息子は誰に対しても「ん〜!!」という唸り声で他人に迫り、動いてくれない相手が大半なのだからより一層鬱陶しい行動である「泣く」に進化させる。だいたいの大人は息子を疎ましい印象を持つ。

親のコミュニケーション能力が子のコミュニケーション能力を最低限に止めた良い事例だと思う。

例 2

ある家族がいた。父親田舎出身言語能力が低く表現稚拙なうえ、暴言が多い。母親東京出身だが事なかれ主義でわかってないことでも「はいはいわかったわかった」と話を終わらせがち。

この二人は端から見ていると会話が成立していない。が日々の営みにコミュニケーション必要としない。共働き経済的には独立しているし、兼業農家なので食料の備蓄や買い出しも雑で構わない。ミスコミュニケーションが起こっても問題顕在化しにくく、修正もなされないためずっとその調子なのである

この家庭で育った3人は当然のようにコミュニケーション能力が低かったが、進学先や受験勉強常人並のコミュニケーション能力を獲得するに至った。

チャレンジ

世界はやさしい。世界絶望にあふれている。

どちらの視点の方が楽しいだろうか。どちらの視点のほうがよりチャレンジするだろうか。

怒られてばかりいる子は当然チャレンジしなくなる。怒られて終わったイベントは二度とそのイベントを行いたくなくなる。学習とはそういうもので、どういう「結末」だったか記憶は締められる。

良い結末ばかりで構成された世界はやさしく映るだろう。嫌な結末ばかりの世界絶望にあふれるだろう。

ある親子が居た。母親が娘に対してよく叱っているシーンに出くわす。黙って涙をながし立ちつくす。感情的母親は怒りがおさまるまで立たせておき、そして無視する。

母親は謝ってくるのを待っているのである。娘が「察する」まで何もフィードバックしない。

原因は、料理のお手伝いをすべく生卵ボールでわろうとしが、手を滑らせて生卵ラグの上に落とし、黄身でシミを作ってしまたことだった。4歳の子なのだから手を滑らせることくらいするだろう。子育て環境でシミを作らないほうが無茶だ。子育て帰還中は可能な限り洗濯して良い製品で揃えておくものだ。

そうでないなら、ただのエゴだ。ノーヘル自転車に乗せるようなもの。10cmヒールを履いて子を抱えるようなものエゴを満たすだけのリターンを天秤にかけてリスクを取りに行ってるのだから覚悟して然るべきである

話を戻す。娘にとっては生卵を割って叱られて終わったイベントだ。この調子で様々なイベントが怒られて終わっていく。かんたんなことさえビクビクしてやりたがらない、何でも避ける子の出来上がりだ。

例2

生卵を落とし泣いてる娘に声をかけ、何が起こったかを聞いている。生卵を落として怒られたと言っている。これではまずいともう一度卵を割らせる。失敗して卵の殻の大半をボールに入れてしまう。

殻が入ってしまたことでグズりだすが、殻を除けば良いことを教える。

さらにもう一個の卵を割らせる。今度は小さな殻だけが入った程度だ。上手くいったねと伝える。

よくできたね、成功だねと伝える。

これについては成功エンドに寄せて終わらせることができたが、彼女にとってのイベントは大半失敗エンドだろう。この積み重ねで世界はどう見えるのか。

いうて

もっと色々あったけどなんか長文書いてスッキリたかったんです。読んでくれてありがとう

言うて俺の親は低スペックでかなりしんどい思いしてきたし、心肺機能系の一部に問題あるし大腸がん緑内障家系だけど、まぁ五体満足だしいいかなって思っている。子供の当時はクズだって思ってたし当時は恨んでたし、今でもそう思うところあるけど、おとなになって触れたもっとやばい家や親に比べたらまだマシだったなって。

ちなみに娘(5)息子(4)は俺の子じゃなくてある時期に観察していた子たちです。最初から最後までかわいそうだったな。

Permalink |記事への反応(0) | 18:11

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2022-11-13

[今日知った言葉]ディクテーション

口述される文章を筆記すること。つまり誰かがしゃべっている間に、それを聞きながら何を言っているかを書きとること。言葉によっては音だけではなく意味がわかっていないと正しい綴りがわからないし、文法知識もいる。フランス語には同音異義語が多いし、日本語だってそうだ。

文学倫理についてついでに教えることもあったようで、最近読んだ本にはナボコフが幼い頃この訓練を受けたことが書かれていた。

自分英語の授業で、初めて聞いた洋楽歌詞を聞き取れた単語だけでいいので書いてみろと言われたことがある。

Permalink |記事への反応(0) | 19:59

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2022-08-23

光速の○パーセント」という表記の仕方を見るたびに興味深いと思う

真空中の光の速さという絶対的基準値かつ最大値がまずあり、それと比べてどのくらい遅いか表現する記法

おそらく相対論かなにかで速度を求める方程式を解いた結果、v=0.98cみたいに算出されたのを口述しようとすると「光速の98パーセントの速さ」のように表記したくなったのだろう

他に類を見ない

なんらかの物理定数と比べてどのくらい小さい、この小さいという比べ方が希少

Permalink |記事への反応(0) | 10:51

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2022-04-18

上司よ、月曜日から俺に説教じみたことを言っていいのか?

俺は土日に自作増田を人気エントリ入りさせたんだぜ?

それどころか、かつては500User超の大作増田を仕上げたこともあるんだぜ?

そんな俺に、説教じみたことを言っていいのかい

俺は仕事ミスをしたが、あんたの説教話なんてパリコレ増田なら二行で終わらせてるよ。

それをクソ長いお気持ち長文にして口述するなんて、ここが増田だったらブクマトラバも0件間違いなしだ。

パンティー」や「クンニ」を付ける価値すらないクソ増田だぜ、あんたの説教は。

まったく、増田を知らずにぬくぬく育ったお坊ちゃまはこれだから困るぜ。

Permalink |記事への反応(0) | 21:02

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2022-04-15

教育担当者になったプログラマー諸氏へ

なんか新人研修新人の書くソースコード読むと正気度が減ってこない?

SAN値ピンチというかそういう。

一時的狂気になって逃げだしたくなるというかなんというか。

できない子は1行も進まなくて写経口述筆記させることになるし、

普通の子カッターナイフの替え刃でジャグリングみたいなもの書いてくるし、

できる子にいたっては読んでて宇宙猫になる。

Permalink |記事への反応(0) | 13:22

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2022-03-12

anond:20220312154339

「言ってた内容」ならセーフの場合、言ってた内容を本にしてもセーフになりそうだけど

(つまり先生講義口述筆記的に写すのではなく、学生なりにまとめる場合)

そこは長さが違うとかになるのだろうか

とはいえ共同著作にもなりそうで良くはわからん

Permalink |記事への反応(1) | 15:47

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anond:20220312121115

うーん講義って職務著作なのかどうなのか…(教員講義のためにノートを作ったならそれが著作物であり、講義はその口述ということか)

一般的大学教員の書いた論文教科書は、あくま職務派生にすぎないし個人名義での発表なので、職務著作にはならないとされるけども。

講義もやっぱり「〇〇大学」という大学名でなく、「〇〇教授」という個人名義で発表されるものから著作権は先生本人のものになるんじゃないか講義をすることそのもの自体指揮命令によるものであっても。

ゼミのような会話が飛び交う授業となると、もうどう考えていいか分からんなあ。

Permalink |記事への反応(1) | 15:10

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anond:20220312112815

「全く関係のないやつ」がノートを元に構成した、ってのがまずもっと話をややこしくするような気がする。

1人のノートをそのまま書籍化?したならともかく、たぶんこれその10人かなんかを見比べながら再現するって作業を行ってそうだと思った。

完全な口述筆記ともまたちがう感が。

Permalink |記事への反応(0) | 12:07

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anond:20220312095445

日本法律で悪いが

他人口述した内容を速記や録音をしておいて、それを文章に起こす場合口述内容をそのまま文章化しただけならば、その文章著作権口述を行った者自身が持つと考えられます文章化を行った者の行為は、機械的作業であって、著作物の「創作」には当たらないからです。しかし、他人口述内容に基づきながらも、文章構成表現などに取材者が自分なりの創意工夫を加えながら、取材対象者とともに文章を練り上げていった場合には、両者が創作的な寄与を行ったと考えられますから、共同著作物として両者が著作権を共有することになります。( ttps://www.koubo.co.jp/chosakuken/200811.html より)

創作的な寄与」がなければ著作権がない以上学生だけで出版は無理だし、「創作的な寄与」があったとしても、共有著作権は共有者全員の合意によらなければ行使することができない(著作権法65条2項)から、やっぱり学生だけでの出版は無理ということになるね。口述者の死後は、相続人がその持分を相続民法896条)することになるから相続人との話し合いが必要になる。

Permalink |記事への反応(1) | 11:04

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2022-02-27

結局youtubeでの読み聞かせ配信合法でしょうか?

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20220227/k10013503111000.html

個人攻撃じゃなくて単純に、この下記のコメントが気になっただけなので、ID晒すの勘弁してほしいです。

ChieOsanai

著作物の上演は、対価を取らず、メンバー限定せず、公然と上演するなら合法です。作者の許可も要りません(著作権法 38 条)。万引きとか言ってる人の方が無知

って言ってたのでマジかよ~脊髄反射犯罪認定したわ〜って焦って調べたんだけど、自分が調べた限りだとやっぱり違法っぽい。

上映や演奏はたしか合法だけど(でなきゃ学校での読み聞かせや上映が違法になる)、自分が調べた限りだと『複製や公衆送信などは非営利でも認められていません。』とのこと。

なにか見落としてて、過去読み聞かせYoutube配信することが合法であるとか、そういった判例とかをご存知でしたら教えてもらえると助かります


って!って!ここまで書いて、ねんのために条文も目を通しておくことにした。

そしたら、なんと!次のとおりです。

https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=345AC0000000048

2 放送される著作物は、営利目的とせず、かつ、聴衆又は観衆から料金を受けない場合には、有線放送し、又は専ら当該放送に係る放送対象地域において受信されることを目的として自動公衆送信送信可能化のうち、公衆の用に供されている電気通信回線接続している自動公衆送信装置情報入力することによるものを含む。)を行うことができる。

3 放送され、又は有線放送される著作物放送される著作物自動公衆送信される場合の当該著作物を含む。)は、営利目的とせず、かつ、聴衆又は観衆から料金を受けない場合には、受信装置を用いて公に伝達することができる。通常の家庭用受信装置を用いてする場合も、同様とする。

って書いてて、確かにこの文を読むと、非営利目的口述する人が利益を受け取っていない場合は、動画作成して放送配信してもOKに思える。

いかがでしたか?結局良くわかりませんでした。

誰か詳しい人が解説してくれると思うので、待ちます

Permalink |記事への反応(1) | 21:42

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2021-12-31

問題職員の正しい辞めさせ方 7/10

第二章 更生が期待できる問題職員について

できれば2人紹介したかったが、1人に留める。

ここまでの6人は問題ない。何かあっても私が責任を取ろう。が、この2人は今でもK市で働いている。うち1人は男性で、接触当時は入庁4年目だった。

協調性がないとの評判であり、人事評価では直属の上司から免職を促すことが相当である」とのコメントが入っていた。しかし、実際に本人と面談してみると……といったパターンの子だ。本質が見えていないのは上司の方だった。

残り1人は女性で、接触当時は入庁1年目。先に挙げたGさんと同じく直向きな職員だった。地元新聞記事にも「期待の新人職員!」という記事が載るほどに期待されていたのだが、残念なことに、頑張りすぎてうつ病になってしまった。その後のじりじりとしたリハビリと、復活後の活躍には目を見張るものがあった。よって、この子を取り上げようと思っていた。

迷ったが、男性の方を選んだ。理由は私と同性で、気質も似ているところがあったので心の内部を覗きやすいと感じたからだ。登場人物の男女比の関係もある。仮に、E太さんとする。

福祉関係部署のE太さん

私が特定任期付き職員として採用されて3年目のことだった。E太さんと話したのは。彼は入庁4年目だった。ある意味で先輩にあたる。

当時は20代後半で、福祉部署で働いていた。といっても、ケースワーカー自立支援福祉事業者審査といった類ではなく、裏方の仕事だった。直接福祉仕事に携わることはなかったが、それでも部署全体を支えるポジションだったのは間違いない。

梅雨時のある日、彼について人事面談をしてほしいと福祉課長から依頼があった。このE太さんというのは、いわゆる問題職員という扱いだった。私は、彼のいったい何が問題だったのか、その時は理解していなかった。が、K市の問題職員リストにE太さんが名を連ねていたのは事実だ。

福祉課長によると、彼には以下のような問題点があり、人事で指導してほしいという。

ミスをしても謝らない。それどころか相手を逆なでする。

・内部会議で一切しゃべらない。発言を求められても二言三言。

・みんなと協調的な行動を取ることができない。自己中心的である

今回は3点目で引っかかったようだ。

いろいろと調べていったが、やはり机上のデータでは見えてこない。他の福祉課の職員から聞き取った情報総合すると、先週あった課全体の飲み会でひと悶着あったらしい。

うす暗い飲み屋の片隅に座っていたE太さんが、近くにいた福祉課長やその他先輩がいた席まで呼ばれた。「この間のことで話がある。ちょっとこっちに座れ」と言われたE太さんは、ダイレクトに断った。「行きません」と突っぱねたとのこと。それで先輩職員らと口論になって、そのうち優しめの先輩職員が彼の席に移ってきて、まあ飲みなよとお酒を注ごうとしたところ、これもまた「帰りがバイクなので」(※真偽はわからない。E太さんの嘘かもしれない)と断った。

そんな態度に憤ったほかの上司や先輩が、E太さんに詰め寄り、お酒を吞ませようとした。それでも断固とした態度のE太さんに、先輩は次第に声を荒げ、ついに係長級の職員がE太さんの首根っこを掴んだところで、「やめてください!」と彼が拒否して……市役所職員の宴席から大声が響いたものから、近くに座っていた別のお客のグループ店員に静かにさせるよう苦情を入れるも、店側も注意ができず……翌日になって、その居酒屋で飲んでいた人が市役所に直接クレームを入れたというのが顛末になる。

どっちもどっちだ、と感じた。双方とも行動に問題がある。

福祉課長の言うことは明らかに自分寄りである。ここまでのハラスメント行為があったとは聞いていない。私がほかの係員に聞き取りをしなかったら、あやうくE太さんだけを悪者にするところだった。

彼にしても、飲み会に参加したなら、もっと仲間意識を持つ必要があった。飲み会は、「供食」の場だ。供食は仲間同士でしかしない。古今東西自分達の敵と一緒に食事を取るなんて文化はない。一緒に食事を取るということが仲間であることの証なのだ。昔の人間というのは、そんな儀式神聖視せざるを得ないほどには、人間組織の生き死にが間近にある生活をしていた。

ある日の午前、窓ガラスに雨粒が叩きつける中、面談室に入ってきたE太さんはソファの前で立ち止まった。「座ってください」と私が言うと、彼はゆっくり腰かけた。

初めに言ってしまうと、私はE太さんがそこまで悪い人間ではないとわかっていた(後述)。それで、リラックスしながら、今日は何を話すんだっけ? とバインダーに挟んだ聞取票を手に取った私は、簡単挨拶の後、E太さんとのやり取りを始めた。

朝ご飯は食べた?」

はい。食べました」

「どんなものを?」

コンビニおにぎりカップ麺を」

「どんなカップ麺が好き?」

特に好みはないです」

「そうか。私も毎日そんな感じだ。おにぎりカップ麺は合うよね」

「そうですね」

「E太さんは、バイクだっけ?」

「私は……バイクではありません」

バイクじゃないの?」

自転車です」

「E太さんって自転車だったの!? 人間じゃなくて?」

「そういう意味じゃありません」

※重ねて言うが、これまで私が記してきた会話の記録には不自然さが否めない。方言言葉の癖など、個人情報に関わる内容を編集していることによる。

指導目的とした人事面談というと厳しいイメージが漂うだろうが、相手が筋金入りの問題職員でなければ概ねこんなスタートを切ることが多い。信頼関係を築くためだ。

雑談が続いた後、いよいよ問題の核心のフチに触れる問いかけをしてみる。

「それで、福祉課長から聞いた件なんだけど。今回の面談きっかけ」

「……はい

「周りの職員のこと、どう思ってる? この人は好きとか、嫌な人とかいる?」

特にいません」

「E太さんの態度や行動が、同じ課の職員を傷つけることがあるみたいだ。私も調べてみたけど、そう思ってる人も確かにいる。どうしてこの結果になってしまうのか、考えていることを教えてほしい」

普通にやっていると、こうなります

普通に、とは」

「正しいと思うことを言ったりやったりして、でもほかの職員からするとそうでないみたいです。嫌われるのはわかっても、でも自分がやるべきだと思うのでやっています

思ったより早く本音を出してくれている。チャンスだ。私は、聞取票が挟んであるバインダーを机の端に裏返しに置いた。ここからのやり取りはうろ覚えだ。

「E太さん。せっかくの機会だから腹を割って話そう公文書には残さないから、もうこのバインダーはいらない。一対一でE太さんと話したいと思ってる。ところで、私のことは知ってるよね。ここのプロパー職員じゃないって」

「知っています。2年前にK新聞(※地元情報誌)で読みました。〇〇社の出身で、人事領域プロだと書いてありました」

「知ってるんだね。ありがとう。でも、プロと言えるほど経験は積んでない。社会人20年以上やっているけど、人事は6年くらいしか経験がない。ほとんど営業だった。大人の事情というやつで、プロにはほど遠くてもプロなんだと――そうアピールしないといけないことがあるんだ(ここで両者の笑い声があった)。で、話を戻すけど、E太さんはどうして今の状態を保ってるのかな。変えてみたいとは思わない?」

キツイと感じることはありますが、これでいいと思っています

「どういう理由で、キツくてもいいと思ってる?」

自分のやりたいことがあります社会人として、こういう生き方がいいって。それで、その目的から逆算して考えると、今は人間関係よりも実力がほしいんです」

申し訳ないがここまでだ。これ以上は、私の記憶からE太さんの口述を曝け出すことはしない。

簡潔に言うと、彼は仕事が一番ではないタイプだった。E太さんの人生優先順位の中で、仕事は3番目ということだった。だから民間から公務員転職しようと思ったし、だから、どれだけみんなに嫌われようがどこ吹く風でやってこれたのだ。

肝心なことを述べていなかった。E太さんの仕事ぶりだ。毎年、人事課に提出される査定表で、彼は3年連続で5段階中の2を取っていた。もちろん低い数字だ。実務能力は平均3.5だったが、礼儀マナー人格職務遂行姿勢などで大幅に減点を受けていた。

私が再調査したところだと、彼の査定は控えめに見ても3はあったように思える。福祉課で彼と同じくらい「人柄が悪い」と評価を受けている人間も、その多くが3を取っていた。それに彼は、年は若い福祉課の裏方として3年以上も職場を支えてきた実績がある。

ちなみに調査方法だが、①人事権限で福祉課の共有フォルダに入ってE太さんの成果物確認する、②E太さんの同僚を面談室に呼んで印象に残った行為や実績を聞き出す、③過去のE太さん関係始末書を読み解く――という3通りの方法で行った。確認できた事実は以下のとおりだ。

オフィスソフトの腕前は一流であるパワポExcelAccessも使いこなせる。文も読みやすい。

プレゼンテーション能力が高い。普段は物静かだが、かつて大都市商工会議所で行われた各市町合同での新人職員研修会の折、K市の未来について数分間のスピーチを行い、拍手喝采をもらったとのこと。

事業計画立案。E太さんは広告会社出身だった。その経験を活かし、福祉課の裏方としてケースワーカーなど福祉職を支えるための各種設備インフラを整えるための計画書を作り、それがそのまま課の予算要求に使われていた → ということは、彼の上司はその仕事振りだけは認めていたということだ。

福祉課の職員からの苦情はあるが、市民取引業者とのトラブルの記録はない。

・年下の職員には人気があるらしい。例えば、彼が選挙スタッフとして従事した際、開票作業の前に事務吏員の腕章をみんな装着するらしいのだが、「安全ピンが刺さりそうなので、私の腕に腕章をつけてください」という体で、何人かの女子職員がE太さんの前に並んでいたという。尾ひれが付いているとは思うが、そういうこともあったのだろう。

私が退職するまでの数年間で、E太さんと呑みに行くことが何度かあった。まさしく意気投合であり、今回ここまで赤裸々に彼のことを書いてきたのも、彼なら笑って許してくれるだろうという甘えから来ている。

私は、彼が悪い奴ではないとわかっていた。上の面談の1年前のことだ。かなり広めの川べりで行われたK市の音楽イベントに、私と彼もスタッフとして動員されていた。ステージ発表が始まると、スタッフはみな暇そうに周辺警備をしていた。

さて。一級河川にかかる橋の袂だった。カートを押している高齢のおばあさんがE太さんに声を掛けた。私は、高いところから偶然それを眺めていた。

E太さんは、話しかけてきた老婆としばらくにこやかに話をしていた。その老婆は、さっきはE太さんの上司や、ほかの若手職員にも声をかけていた。誰もが皆、迷惑そうに会話を切り上げてどこかに去ったというのに、彼だけは、その老婆の話し相手をしていた――貴重な体験だった。こういうところに人格が滲み出るのだ。

とはいえ、このままではE太さんの株は落ち続ける一方だ。それに、職員を傷つけるような冷たい態度もよくない。社会人には、絶えず相手不快にさせないよう振る舞う義務がある。会話をしたくなくても、そうした態度をおくびにも出さず、明るく振る舞わねばならないことだってある。わかっているのといないのとでは、社会生活に大きな差が出てしまう。

E太さんに何度も伝えた。「こんなのはもったいないもっと仕事に打ち込んで、本気をアピールして、みんなの信頼を集めてみたら?」と伝えてみたが、なしのつぶてだった。こちらとしても、今の状態でE太さんを問題職員リストから外すことはできない。どこかの部署で重大な人間関係トラブルを起こす可能性があるからだ。私はE太さんのことが好きだけれども、それとこれとは別問題だ。

結局、私が辞める時まで、E太さんを理解する人は少なかった。孤高で、人とは交わらない。でも仕事ができて、市民業者からの受けがいい。いろいろと惜しい職員だった。今でも彼を思い出すことがある。今度K市に遊びに行った時は、また彼を呑みに誘うつもりだ。

この章の最後に。なぜ、私は彼を好きになったのか。

渇き』を感じたからだ。E太さんは人生に飢えている。自分がやりたいこと、どんな人間になりたいのかはっきりしているのに、叶えられずにいる。叶えられる保障もない。

でも、足掻き続けている。まるで昔の私自身を思い出すようであり、懐かしい感じが脳内からビンビンと込み上げてくる――ビールは、渇いているからおいしいのだ。いつかE太さんが大成して、そんな美味を楽しめる未来があることを祈っている。

https://anond.hatelabo.jp/20211231220522

Permalink |記事への反応(2) | 22:05

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2021-11-02

anond:20211102110237

え?増田朗読口述筆記を?

Permalink |記事への反応(0) | 11:03

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2021-07-21

わたしの好きなパロディ

1.筒井康隆ジーザスクライストトリックスター

数年後、父親蒐集映画とかNHK特番とかダビングするのが凄く好きおじさん)の中から

ジーザスクライスト・スーパースター」を見つけて

『あ、これが元ネタなんか!!!

つって見たら超傑作でサントラ買っちゃったぃ

作品間接的に教えてくれてあーりがとー!

2.ボボボーボ・ボーボボ

人気投票パロディと、カードゲームパロディは本当天才的だと思う

3.山田風太郎風来忍法帖」の系譜

風来忍法帖」→「ガダラの豚」→「縫製人間ヌイグルマー」

ガダラの豚、充分面白いと思ったけど、

もっかいリベンジとばかりに書いた「空のオルゴール」は

多分口述筆記してた時期だったんだろうけど本当駄作だったんだけど

やっぱ読ませる部分もあったりで惜しい作品であった

Permalink |記事への反応(0) | 13:05

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