
はてなキーワード:口紅とは
近所の男の子と毎朝いっしょに登園して、砂場で山をつくって濡れた手のひらを見せ合って笑った。スモックの袖口がいつも砂だらけで、帰り道に手をつなぐと体温がうつって、胸のあたりがふわっと軽くなった。あれを好きって呼ぶんだと、そのときの私は直感的に受け取っていた。
小学生になって、次はリレーのアンカーの男の子。運動会の午後。白線の粉の匂い。小太鼓の音。バトンを受け取ってからの加速。私は声が勝手に大きくなって、ゴールの瞬間、歓声にまぎれて「かっこいい」と口が勝手に動いた。誰にも聞かれていない告白。家に帰ってから名前をノートの隅に何度も書いたり消したりして、自分だけの秘密みたいに抱え込んだりしていた。
中学。ここから空気の密度が変わる。部活の先輩…女の人に、本気で恋をした。最初は憧れだとずっと思っていた。体育館の照明が木の床に反射して、バッシュがきしむ。タイムアウトでポニーテールを結び直す仕草、額の汗をタオルで押さえる動き。ホイッスルの音にふっと目を上げる横顔。休憩時間の給水機の前、首筋に貼りついた髪を耳にかける指先。スポーツドリンクの甘い匂いと、松ヤニの匂い。目が離せない。視界の中心が、先輩の輪郭に勝手に合焦してしまう。
部室の隅。先輩のシューズ袋に縫い付けられた名前の刺繍を、何度も目でなぞる。自分の指で触れてしまいたくなってばかみたいだなと何度も心で笑って、でもまた見てしまう。練習後の帰り道。駅のホーム。電光掲示板。19:04発。先輩は反対側のホームで電車を待つ。私は角柱の影から、見えないふりをしながら、ちらっとだけ見る。イヤホンを片耳だけ。何を聴いてるんだろう。電車が入ってきて、風が押し寄せて、視界がざわっと乱れる。発車してガラスに映った自分の顔が少し赤い。帰りの車内。LINEを開いては閉じる。文面を打っては消す。送信ボタンの上に親指を置いたまま、停車駅が過ぎる。送れない。送れない。ほんの数センチ上のうえから親指が動かない。動かせない。こわかった。ただそれだけ。
これって変なのかな。おかしいのかな。
教室で友だちが恋ばなをして、クラスの男子の名前が飛び交う。私はうなずきながら、別の方向を見ている自分に気づく。家に帰って検索窓に打ち込む。「女の先輩 好き 変」「女の子 好き 正常」。画面には“レズビアン”や“LGBT”の文字。救われた気も、同時に苦しくなる感じもした。あ、名前があるんだ、っていう安堵。けれど、その名前に手首をつかまれて、列に並ばされる感覚。(私は、列に並びたいんじゃない。ただ、先輩が好きなだけなんだ。)
放課後の公園。秋。ベンチのとなりでも友だちが「最近、誰か気になってる人いるの?」と聞いてきた。喉が熱くなる。言えない。「いないよ」と笑って答えた。嘘。帰ってからノートに書く。私はレズビアン?と書いて、すぐに消す。紙が毛羽立つ。私は、先輩が好きと書き直す。これだけは本当。
図書室。窓際の席。ページをめくる指が勝手に止まる。先輩が本を借りていく背中。カウンターの職員に返すとき、少し猫背になる癖。レジ袋の持ち手を指に引っかけて、肩にかけ直す動き。日常の切れ端がいちいち胸に刺さる。映画より鮮やかなワンカット。私はその画面の外側に立っている観客で、でも登場人物でもある。(追いかけたい。名前を呼びたい。何か言いたい。何も言えない。)
冬、期末が終わって、部室で小さな打ち上げ。紙コップのココア。先輩が笑う。紙コップに口紅が少しつく。私は笑って、うなずいて、たいしたことのない話をして、夜に帰る。駅のホームで冷たい空気を吸い込みながら思う。(私は、私が思っているよりも、ずっと深く先輩を好きなんだ。)
高校に入ると、少し距離が生まれた。部活も違う。校舎も違う。新しい生活。クラスには優しい男子もいて、映画をいっしょに観に行って、手をつなごうかどうかみたいな空気が一度だけ流れた。嫌ではなかった。むしろ、あのとき手をつないでいたら普通に付き合って、普通に卒業して、普通に別れて、普通に大人になっていたのかもしれない。そう思うくらいには自然だった。でもあの中学の先輩を見たときの、視界の焦点が合う感じ。呼吸が変わる感じ。世界の照明が一段変わる感じ。あれは起きなかった。
答えは出ない。
わからない。
レズビアンという言葉に救われた夜が確かにあった。検索結果の海で沈みそうになった私を浮かせてくれた浮き輪。けど浮き輪にしがみつき続けると、岸に上がるのが遅れることもある。ラベルは、入口だ。出口ではない。私は「レズビアン」という言葉を否定したいんじゃない。誰かを守るために掲げられた旗の力を、私は尊敬している。ただ、その旗の下にずっといなきゃいけないと決められることには静かに抵抗したい。
だって私の恋は、いつも固有名詞から始まる。幼稚園の彼、小学校の彼、中学の先輩。順番じゃない、確率でもない。パターン化した私の性向より、先に立ち上がる人の匂い。声。歩幅。恋はまず、あの人、から始まる。性別はない。カテゴリーはあとから。余白に鉛筆で書き添えるメモにすぎない。
中学の先輩に揺さぶられていたあの頃の私は「私はレズビアンなのか」という問いに追い立てられながら、同時にこうも思っていた。(私は、先輩が好き。以上。)これが真実の最短距離だった。レズビアンという言葉に私はときどき救われ、ときどき窮屈になった。救われたのは、同じ経験を語る声に出会えたから。窮屈になったのは、言葉が私を“こうであるべき姿”の型に押し返してくるから。(君は女子を好きでいるべき。男子を好きになったら矛盾だよ。)
そんなことはない。私は、好きになった相手を好きになる。それだけだ。
もし過去の私に伝えられるなら体育館のベンチでタオルを握りしめていた自分にそっと耳打ちしたい。「焦らなくていい。は急いで選ばなくていい。あなたは今、たしかに恋をしている。それがすべて」と。
肩書きが盾になる日もある。
けれど、その盾で自分を殴らないで。
価値観のラベリングはあなたを守るために使って、あなたを狭くするためには使わないで。
私はレズビアンではない、と言いたいのではない。私は「レズビアンでしかない」わけではない、と言いたい。
あの体育館の照明。夏の汗。紙コップのココア。ホームの電光掲示板。未送信のメッセージ。全てが愛おしく、全てが切なく、そのときの感情の機微全てが私だった。あの瞬間瞬間全てが、私の恋だった。
近所の男の子と毎朝いっしょに登園して、砂場で山をつくって濡れた手のひらを見せ合って笑った。スモックの袖口がいつも砂だらけで、帰り道に手をつなぐと体温がうつって、胸のあたりがふわっと軽くなった。あれを好きって呼ぶんだと、そのときの私は直感的に受け取っていた。
小学生になって、次はリレーのアンカーの男の子。運動会の午後。白線の粉の匂い。小太鼓の音。バトンを受け取ってからの加速。私は声が勝手に大きくなって、ゴールの瞬間、歓声にまぎれて「かっこいい」と口が勝手に動いた。誰にも聞かれていない告白。家に帰ってから名前をノートの隅に何度も書いたり消したりして、自分だけの秘密みたいに抱え込んだりしていた。
中学。ここから空気の密度が変わる。部活の先輩…女の人に、本気で恋をした。最初は憧れだとずっと思っていた。体育館の照明が木の床に反射して、バッシュがきしむ。タイムアウトでポニーテールを結び直す仕草、額の汗をタオルで押さえる動き。ホイッスルの音にふっと目を上げる横顔。休憩時間の給水機の前、首筋に貼りついた髪を耳にかける指先。スポーツドリンクの甘い匂いと、松ヤニの匂い。目が離せない。視界の中心が、先輩の輪郭に勝手に合焦してしまう。
部室の隅。先輩のシューズ袋に縫い付けられた名前の刺繍を、何度も目でなぞる。自分の指で触れてしまいたくなってばかみたいだなと何度も心で笑って、でもまた見てしまう。練習後の帰り道。駅のホーム。電光掲示板。19:04発。先輩は反対側のホームで電車を待つ。私は角柱の影から、見えないふりをしながら、ちらっとだけ見る。イヤホンを片耳だけ。何を聴いてるんだろう。電車が入ってきて、風が押し寄せて、視界がざわっと乱れる。発車してガラスに映った自分の顔が少し赤い。帰りの車内。LINEを開いては閉じる。文面を打っては消す。送信ボタンの上に親指を置いたまま、停車駅が過ぎる。送れない。送れない。ほんの数センチ上のうえから親指が動かない。動かせない。こわかった。ただそれだけ。
これって変なのかな。おかしいのかな。
教室で友だちが恋ばなをして、クラスの男子の名前が飛び交う。私はうなずきながら、別の方向を見ている自分に気づく。家に帰って検索窓に打ち込む。「女の先輩 好き 変」「女の子 好き 正常」。画面には“レズビアン”や“LGBT”の文字。救われた気も、同時に苦しくなる感じもした。あ、名前があるんだ、っていう安堵。けれど、その名前に手首をつかまれて、列に並ばされる感覚。(私は、列に並びたいんじゃない。ただ、先輩が好きなだけなんだ。)
放課後の公園。秋。ベンチのとなりでも友だちが「最近、誰か気になってる人いるの?」と聞いてきた。喉が熱くなる。言えない。「いないよ」と笑って答えた。嘘。帰ってからノートに書く。私はレズビアン?と書いて、すぐに消す。紙が毛羽立つ。私は、先輩が好きと書き直す。これだけは本当。
図書室。窓際の席。ページをめくる指が勝手に止まる。先輩が本を借りていく背中。カウンターの職員に返すとき、少し猫背になる癖。レジ袋の持ち手を指に引っかけて、肩にかけ直す動き。日常の切れ端がいちいち胸に刺さる。映画より鮮やかなワンカット。私はその画面の外側に立っている観客で、でも登場人物でもある。(追いかけたい。名前を呼びたい。何か言いたい。何も言えない。)
冬、期末が終わって、部室で小さな打ち上げ。紙コップのココア。先輩が笑う。紙コップに口紅が少しつく。私は笑って、うなずいて、たいしたことのない話をして、夜に帰る。駅のホームで冷たい空気を吸い込みながら思う。(私は、私が思っているよりも、ずっと深く先輩を好きなんだ。)
高校に入ると、少し距離が生まれた。部活も違う。校舎も違う。新しい生活。クラスには優しい男子もいて、映画をいっしょに観に行って、手をつなごうかどうかみたいな空気が一度だけ流れた。嫌ではなかった。むしろ、あのとき手をつないでいたら普通に付き合って、普通に卒業して、普通に別れて、普通に大人になっていたのかもしれない。そう思うくらいには自然だった。でもあの中学の先輩を見たときの、視界の焦点が合う感じ。呼吸が変わる感じ。世界の照明が一段変わる感じ。あれは起きなかった。
答えは出ない。
わからない。
レズビアンという言葉に救われた夜が確かにあった。検索結果の海で沈みそうになった私を浮かせてくれた浮き輪。けど浮き輪にしがみつき続けると、岸に上がるのが遅れることもある。ラベルは、入口だ。出口ではない。私は「レズビアン」という言葉を否定したいんじゃない。誰かを守るために掲げられた旗の力を、私は尊敬している。ただ、その旗の下にずっといなきゃいけないと決められることには静かに抵抗したい。
だって私の恋は、いつも固有名詞から始まる。幼稚園の彼、小学校の彼、中学の先輩。順番じゃない、確率でもない。パターン化した私の性向より、先に立ち上がる人の匂い。声。歩幅。恋はまず、あの人、から始まる。性別はない。カテゴリーはあとから。余白に鉛筆で書き添えるメモにすぎない。
中学の先輩に揺さぶられていたあの頃の私は「私はレズビアンなのか」という問いに追い立てられながら、同時にこうも思っていた。(私は、先輩が好き。以上。)これが真実の最短距離だった。レズビアンという言葉に私はときどき救われ、ときどき窮屈になった。救われたのは、同じ経験を語る声に出会えたから。窮屈になったのは、言葉が私を“こうであるべき姿”の型に押し返してくるから。(君は女子を好きでいるべき。男子を好きになったら矛盾だよ。)
そんなことはない。私は、好きになった相手を好きになる。それだけだ。
もし過去の私に伝えられるなら体育館のベンチでタオルを握りしめていた自分にそっと耳打ちしたい。「焦らなくていい。は急いで選ばなくていい。あなたは今、たしかに恋をしている。それがすべて」と。
肩書きが盾になる日もある。
けれど、その盾で自分を殴らないで。
価値観のラベリングはあなたを守るために使って、あなたを狭くするためには使わないで。
私はレズビアンではない、と言いたいのではない。私は「レズビアンでしかない」わけではない、と言いたい。
あの体育館の照明。夏の汗。紙コップのココア。ホームの電光掲示板。未送信のメッセージ。全てが愛おしく、全てが切なく、そのときの感情の機微全てが私だった。あの瞬間瞬間全てが、私の恋だった。
「夜道も一人で歩けないなんて、おかしい」
私はそう思っていた。
二十四年生きてきて、帰り道の暗がりを歩くたびに背筋が固まる。
見えない視線。靴音。男の影を警戒するのが女の義務みたいになっている。ふざけるなと思っていた。
だから駅前の小さな神社の石段で、私は夜空に向かって愚痴った。
それはただの独り言。
だけど、夜風がやけにざわめいていた。
翌朝、世界はひっくり返っていた。
電車に乗れば、女たちが獲物を探すように目を光らせている。
スーツ姿のサラリーマンは怯え、つり革を握りしめる手が震えていた。
大学生の男は肩をすぼめ、イヤホンの音を大きくして周囲から逃げようとしていた。
逆だ。すべて逆になっていた。
私は返せなかった。
でも……これは、違う。
沙耶は得意げに言った。
「女が本気出したらこうなるのよ。これからは逆痴漢、逆セクハラの時代!やり返してやればいいの!」
私は無言でサンドイッチをかじった。
すると沙耶が私を覗き込む。
「なに?まさか不満?」
「いや……そういうんじゃ……」
でも本当は違う。
男の怯えた顔を見るたびに、私は背筋が冷えた。
夜。帰り道。
「ねぇ、いい体してんじゃん。遊んでかない?」
「僕、帰らないと……」
青年は蒼白な顔で後ずさる。
私は思わず声を上げた。
「やめなさい!」
女たちはギロリと私を見る。
「分からない!」
女たちは舌打ちして去っていった。
「ありがとうございます……夜道が、怖いんです……」
私の胸はえぐられるように痛んだ。
これは昨日まで、私が吐いてきた言葉だ。
数日で社会は完全に変質した。
「男性保護法案」が可決され、夜十時以降の男の外出は原則禁止。
街頭インタビューで女たちは笑って答える。
「男ども?昼間に用事済ませりゃいいでしょ」
私は吐き気を覚えた。
やがて私自身が“女”であることを理由に、加害者扱いされるようになった。
ある晩、コンビニのレジで並んでいると、前にいた男が私を見て身を竦めた。
「見ないでください……」
「え?」
「どうせ、俺を狙ってるんでしょ……!」
「ち、違う!」
私は凍りついた。
「女性社員の皆さんへ。社会的立場上、あなた方は“潜在的加害者”と見なされます。その自覚を持ちましょう」
私は机を叩いた。
「おかしいです! 私はそんなこと望んでない!」
周りの女たちは黙っていた。
私だけが浮いていた。
夜。帰り道。
私は自分の姿が街灯に照らされるのを見て、ぞっとした。
ヒールの音。
男たちの視線。
怯えて逃げる足音。
「私は……化け物になってる」
それは、私自身を捕食者に変えることで実現したのだ。
再び神社に行き、私は叫んだ。
「こんなの間違ってる! 私が願ったのはこんな世界じゃない!」
夜風は答えなかった。
代わりに背後から声がした。
「遅いんだよ」
振り返ると、そこには無数の女たちが立っていた。
口紅を濃く塗り、目を光らせ、笑っていた。
「さあ、仲間になろうよ」
私は首を振った。
「違う……違う……!」
だが、女たちの輪は狭まるばかりだった。
今、私は夜道を歩いている。
誰も私を襲わない。
誰も私を脅かさない。
なぜなら──
感覚的に古いのかも知れないけど、化粧は家を出る前にする事だと思ってるので 隣でなくとも近くの席でフルメイクしてる人がいたらモヤモヤする気がします。
口紅塗り直すとかなら、そんなに気になりませんけどね
メイクは準備の一環であり服を着替えるのと同じ感覚なわけで、例え横でどんなに邪魔にならないように着替えされても、家でしてこいよってなりません?
メイクは準備の一環であり服を着替えるのと同じ感覚なわけで、例え横でどんなに邪魔にならないように着替えされても、家でしてこいよってなりません?
感覚的に古いのかも知れないけど、化粧は家を出る前にする事だと思ってるので 隣でなくとも近くの席でフルメイクしてる人がいたらモヤモヤする気がします。
口紅塗り直すとかなら、そんなに気になりませんけどね
というか多分今まで出会った電車でお化粧しちゃうタイプの方って他にも おっと?? って思う部分があったんよね、やたら香水強いとか色々ね
そして親に教えられてある程度常識持ってるなら公共の場でお化粧(フル)はしないんよ…
『ジロジロ見てない』とか注釈付けなきゃいけないような行動を言い訳しながらすんなって思うわ。
老害発言すると、今の若い子はみっともないって感覚が欠如してるみたいだね😇禁止されなきゃなんでもオッケー👌コスパしか勝たん👌←うへぇ😮💨
(byGPT-5 Thinkingon ChatGPT.com)
わたしは半影。
光と闇のあいだ、縁(ふち)に沿って生まれては、縁に沿って消える。
名前がなかったころ、ひとはわたしを気にも留めなかった。午下がりに白いカーテンがふくらむとき、戸口の敷居にやわらかな灰色が落ちるとき、わたしはただ在(あ)った。誰かの横顔にかすかに触れ、誰かの言葉の最後の音を拾っては、つぎの縁へと移った。
わたしが「初恋」という音の形を知ったのは、商店街の写真館の奥、暗室の戸が少しだけ開いていた夜のことだ。赤い明かりの下で若い男がフィルムを揺らしていた。湊(みなと)という名だと、別の日に彼の友人が呼ぶのを聞いた。
現像液の匂い、濡れた透明。湊の手は水面の光を撫でるみたいにやさしかった。戸の隙間からこぼれる赤が、わたしをかたちにした。彼がふと顔を上げて言う。「半分だけ写ってるな、でもそれがいい」
その言葉はわたしへの挨拶だった。わたしは戸口から室内へ、敷居という境界をまたいで、初めて自分の輪郭を保てた。彼は顔も上げないまま続けた。
「おまえ、名前がいるな」
彼はわたしを見ていなかった。けれど、半分だけの視線がいちばんよくものを見抜くことを、わたしは知っている。わたしはそっと彼の肩の影に寄り添い、声を探す。風が糸口になった。
――ペナ、と呼んで。
彼は驚いたようにまばたきをして、笑いながらうなずいた。「ペナ、か。ペナンブラ。半影。いいな」
その晩から、わたしはひとつの名を持った。名は重りであり、舟でもある。縁に引かれてばかりだった体に、初めて行き先という重みが生まれた。
*
湊は、縁に立つのが好きなひとだ。暗室のドアを半分開けたまま。障子を桟(さん)一枚だけずらして朝の光を漏らす。駅のホームでは、白線のすぐ手前。彼の言葉も半歩だけ余白を残す。
彼はよくそう言いながら、現像した写真を指の腹で撫でた。半分だけ写るもの、切り取りの端で震えるもの。わたしはそこに宿って、彼の指先の温度を覚えた。
「光の外側に、ほんとうの色がある気がする。目がそこに慣れる前に、すぐ電気をつけてしまうから、見逃すんだ」
わたしは笑って、彼の耳元で囁く。
――見えてるよ、湊は。わたしを見つけたでしょう。
彼は振り返らない。ただ、やわらかく頷く気配だけがある。わたしは名前を呼ばれるたび、濃くなったり薄くなったりしながら、湊の生活に縁として染み込んでいった。
放課後の路地で、わたしたちはよく遊んだ。西日が電線を太くし、風が洗濯物を大きくするとき、ペナは人の形を取れる。湊はチョークで地面に丸を描き、そこに立つようにと言う。丸の縁にわたしは重なる。ふたりで輪の中と外を交換した。湊が輪に入ると、わたしは外で彼の輪郭をなぞる。輪の外は世界だ、と彼が言った。輪の内は名前だ、とわたしが返した。
初恋というのは、最初に覚える偏(かたよ)りのことだ。人は誰かの声の高さや歩幅や誤字の癖を、理由もなく自分の中心に置く。わたしは湊の「すこし足りない」を自分の中心に置いた。どんな光の下でもそれを探すようになった。
*
ある日、町の掲示板に青いポスターが貼られた。小さな天文台の閉館と、来夏に起きる金環日食の告知。わたしはポスターの銀色の輪に吸い寄せられる。輪は、光の中の穴。穴の縁にだけわたしは生きる。けれどポスターの文字は、別の真実を囁いていた。
――金環の日は、半影が世界を覆う。
嬉しさと怖さが同時に走る。世界中がわたしになったら、わたしはどこにいるのだろう。縁が全体になるということは、縁が消えるということでもある。
わたしは湊に話した。彼はコーヒーの湯気を見つめながら、しばらく黙って、それからうなずいた。
「天文台に行こう。ドームの中、あそこは光の穴だらけだ。君にはちょうどいい」
君、と彼は言った。ペナ、と呼ばれるよりも、わたしの輪郭を濃くする呼び方だった。
天文台は坂の上にあり、昼でもすこし暗い。年老いた学芸員がいるだけで、人はほとんど来ない。ドームの白い壁には小さな穴が無数に空いていて、晴れた日には小さな太陽が床に並ぶ。光の数だけ、縁も生まれる。わたしはめまいがするほど豊かになり、笑いながら床一面を駆けた。湊の影がゆっくりと伸び、わたしの裸足に絡んでくる。
「金環の日、ここで名前をもうひとつ持ちなよ」と湊は言った。「君が望むなら、人の名前を」
人の名前。
生きるというのは、縁から中心へ移ることでもある。わたしはうなずいた。欲望の形が初めてはっきりした。縁に生まれ、縁に消えるだけのわたしに、たった一度だけ中心が欲しい。たった一度でいい、その中心に湊が座っていてくれたら。
「でも」とわたしは聞いた。「代わりに、なにを失うの」
湊は、チョークのような指で空中に円を描き、笑った。「人はいつでも、なにかを半分失ってる。君が持ってない半分をこっちでわける。君の半分も、僕にわけて」
彼の言葉は約束というより、輪の仕組みの説明に近かった。輪の外は世界、輪の内は名前。二つはいつでも触れ合っているが、完全には重ならない。
*
金環日食の日は、町じゅうが紙で作った小さな穴を持ち歩く祭りみたいだった。木漏れ日の下では、地面に無数の光の輪が降る。天文台のドームの中は静かで、遠い歓声だけが波のように届く。
湊は床に白い紙を敷き、穴を空けた金属板を何枚も吊るした。光の粒たちが床に並び、輪が重なって新しい輪を生む。縁の庭。わたしはそこに立つ。
「人の名前は、呼び捨てにされたとき、いちばん強くなるんだよ」
わたしはうなずき、胸のうちに空洞を作った。そこに新しい音が落ちる余地をこしらえる。湊は、静かに、しかし迷いなく言う。
「環(たまき)」
輪を意味する音が、わたしの中心に落ちた。縁だったものが内側からきしみ、組み替わる気配。痛みはなかった。ただ、世界の密度が変わる。空気の温度が一度だけ違う。
わたしは初めて、自分の足で床の冷えを感じた。掌に汗がにじみ、唇が乾く。光が眩しすぎないことを知る。影が怖くないことも知る。
――環。
呼ばれるたび、わたしは人になった。
そのとき、ドームの外で歓声が大きくなる。太陽の中心が欠けて輪になったのだ。天文台の穴から落ちる光も、すべて細い輪に変わって、床の上で震えた。輪と輪のあいだ、半影が揺れる。わたしはその渦の中心に立ち、湊の方へ手を伸ばした。彼の掌がわたしの指を確かめるように握る。温度と脈が、わたしという器の底を鳴らす。
「環」と湊が呼ぶ。
「湊」とわたしが呼ぶ。
世界はほとんど音でできている。音は名前の泉で、泉の縁にだけ、わたしたちは安全に立てる。
そのとき、突然、ドームの空気がひやりと変わった。輪の細さが極まって、光と影が互いに少しだけ不器用になる。世界が一瞬だけ、縁を失いかけたのだ。
手がほどけた。わたしの体の縁が波打つ。人であろうとする中心が、わたしの古い習性――縁に逃げる癖――に引かれる。
「環」
湊は落ち着いた声で、もう一度呼んだ。音がわたしを連れ戻す。
彼はドームの穴の向こう、細い昼の川のようなリングを顎で指し示した。「見えるか。輪は完全に閉じない。ほんの少しだけ、接いでいないところがある。そこが君の、出入り口だ。恐れなくていい」
彼の声は嘘を知らない。嘘のない声に抱かれて、わたしは自分の体の縁を自分で撫でた。輪の合口(あいくち)はたしかにどこかにあり、そこから呼吸は逃げていくが、また戻ってもくる。わたしは息を吸い、吐いた。
金環はやがてゆっくりほどけていく。輪は欠け、欠けた輪はふつうの太陽へ戻る。ドームの床の輪も消え、光の粒はただの丸になる。わたしの足は床に残っていた。
人の名前はまだ胸にいて、湊の手はまだ、わたしの指を握っていた。
*
人になってからの時間は、やたらと質感に満ちている。靴擦れ、箸の冷たさ、雨の日の髪の重さ。光はいつだって眩しすぎず、影はいつだって深すぎない。わたしは写真館の手伝いをはじめた。暗室の赤い灯りは、昔のわたしを思い出させるが、もうそこに戻る必要はない。
客が「半分だけ写ってしまった」と残念そうに言うと、わたしは微笑んで答える。「半分が綺麗なんです」と。
湊は、わたしを「環」と呼び続ける。ときどき、「ペナ」とも。二つの名は衝突しない。輪の内と外が穏やかに触れているだけだ。
もちろん、代わりに失ったものもある。わたしはもう、誰の家の敷居にも勝手に入り込めない。通りすがりの恋人たちの秘密の会話を拾えない。夕立のカーテンの裏側から、世界をいくらでも覗くことはできない。
けれど、わたしは湊の初めての寝相を知っている。彼のくしゃみの前触れも、湯呑みにつく口紅の跡に彼が少し照れる癖も知っている。失ったものは風景で、得たものは暮らしだ。暮らしは縁と中心の往復でできている。朝の窓の縁に植木鉢を並べ、夜のテーブルの中心にパンを置く。
*
秋になって、天文台の閉館の日がきた。学芸員は最後の投影を終え、ドームの穴を粛々とふさぎはじめた。
わたしは湊と二人で坂をのぼる。ドームの中はもう暗く、穴をふさぐための丸いパッチが内側から貼られている。天井は、星が眠る前のように静かだ。
「ありがとうを言いに」と学芸員は言った。「君のような顔を見たから、長年の仕事が報われた気がする」
彼はわたしではなく、わたしたち二人を見て言っている。縁だけを見抜く目だ。
帰り道、坂の途中で足を止めると、町の灯りが半分だけ点いていた。夕飯の匂い、遠くの踏切。風に運ばれてくる音は、輪の合口のように細い。
「ごめんね」
「ちがうよ。失敗の中に、君が立ってる。そこが好きなんだ」
彼はそう言って、笑う。歩き出す足どりは軽い。輪の外へ、輪の内へ、ふたりで交互に踏み出す感じがする。
わたしはふと、世界じゅうの縁にむかって心の中で挨拶した。ドアの隙間、カーテンの波、踏切の警報機の影、傘の中で湿った髪。わたしを育ててくれたすべての縁へ。
――わたしはここにいるよ。
初恋は、治らない。
治らないというのは、傷のことではなく、習慣のことだ。わたしはこれからも、少し足りないものを愛し、少し余っている部分を目で追うだろう。湊は、完璧の手前で笑い、わたしはその笑いの縁に寄り添うだろう。
帰り道、わたしたちはコンビニでアイスを買った。レジの上の蛍光灯が、湊の横顔に薄い陰を作る。わたしはそこに自分を見つける。それはもう、かつてのような居場所ではない。けれど、愛着は、住むところよりも、寄りかかるところに生まれる。
外に出ると、夜が来ていた。はっきりした影が地面に落ちる。かつてのわたしがそこにいる気がして、わたしはしゃがみ込む。地面の黒を指でなぞり、笑う。
「こんばんは、ペナ」とわたしが言う。
「また明日ね」と影が言う。
「昔のわたしに」
「そうか」
彼はなにも問わない。
わたしたちはアイスを齧りながら、家へ帰る。縁が暮れて、中心が灯る。灯りの縁では、いつでも半影が揺れている。そこからわたしはやってきて、ここにいる。これがペナンブラの初恋の、その後の話だ。初恋は終わっていない。ただ、暮らしになっただけ。輪の肌ざわりは、今も指先に残っている。
夜の寝つきは早いが眠りが浅く、朝は早く起きてしまう
睡眠アプリの波形がスマホの限界まで激しく睡眠覚醒を繰り返す日もあれば
「お前寝たふりだろ」と言わんばかりの浅い睡眠だけの日もある
医者によると寝付いて3時間は眠っていないといけないとのことだが
しかもアナログ時計を見て「あ、6時か」と勘違いする位のよい目覚め、2度寝が苦行
軽い睡眠導入剤を飲んでいる
前日よく眠れなかった(中途覚醒が多い)場合は睡眠導入剤を飲むとルール付けしている
軽い薬なので中途覚醒しないというわけではないが
私の更年期は波があって、ホットフラッシュがある時とない時がある
滝汗が止まらず化粧がはげ落ちるのでメイク直しに気を遣うようにしている
これも波があるが、ひどい時は本当にひどい
私は不妊治療経験者なのだが、治療の一環でホルモン剤を投与していた時に状況が似ている
不妊治療のおかげで病識がある状態にすぐなれたのは幸いなことで
「きたな」と思ったら無理はしないことにしている
他人が関わらない状況だとコントロールしやすいので、なるべく一人になる時間を作るようにしている
美容師と相談して白髪ぼかし用のハイライトを入れてもらっている
退色したらカラートリートメントで色を足したりしてなるべく長くもたせている
カラートリートメントの頻度は2日に1度だが、何度かやるといい感じになってサボるので
まだない
終わったと思ったがまた再開している
エクオールのサプリメント(@大塚製薬)飲み始めてから再開した(気がする)
散歩は短い時間ながらもするようにしている、夏になったら面倒になると思うからどうするか考えたい
私の場合は交感神経優位になるタイミングが多いので、リラックスより「どう発散するか」の方が大事な気がしている
体調との相談も必要だが、コンサートやフェスで声を出すなどはスッキリして体も動かすので良い
ただし疲労とは裏腹に興奮で全く眠れなかったりするので、睡眠導入剤も必要
婦人科に通院している
私がかかっている医者の考え方は「生理がある方が楽な人、ない方が楽な人どっちもいるし、何が辛いかは人それぞれ。必要に応じた処方はする。自分がどうなりたいか自ら考えよ」といった感じなので、自分の感じた症状と苦しさに合わせ、今は睡眠導入剤のみ出してもらってる
私には合っている医者だが「話を聞いてほしかった」「ドンずばで薬出してもらいたかった」といったタイプの人には合ってないと思う(実際レビューが賛否両論)
婦人科自体そう多いわけではないし、産科主体の所は待ち時間が長かったり居辛かったりするので選択肢は多くないが自分に合った医者に行けたことは幸いだった
更年期はぱっと見で状態がわからないので、今症状が出ているかは自分にしかわからない
自分の状態をなるべく把握したうえでどのようにしたいかを家族に説明することが大切だと思う
配偶者は更年期に対する対処方法やロールモデルを持っていないことが多く、
更に仕事をしている更年期女性となると、どう対応すべきか全く分かっていない
先にも触れたけど顔に滝汗となったため、春~秋の日中の外出に気を遣う、化粧直し必須
加齢に伴う肌の老化もあるが、使える時間は少ないということで、手抜きBBor頑張るリキッドファンデという組み合わせをやめてクッションファンデ一択にした
化粧直しもFujikoのクッション系のやつで時短かつ手間はかける方法にチェンジ
アラフィフはクマをかくしつつチークしつつ口紅だってしっかりしないと、客先で失礼なレベルにすぐ落ちてしまう
フェイスラインも崩れてきているが、芸能系の友人がとにかくスマイルキープせよと教えてくれたので、ひとりリビングで仕事する時もお面になった気分でスマイルキープしてみている
努力したって老化はする、落ちる速度をなるべくゆっくりにするのが目的
運動した方がいいのはわかってるけど、散歩とストレッチ程度で全然手を付けられていない
シミは皮膚科通院のついでに1回取ったけど、ダウンタイムの諸々が面倒なのでもうしない気がする
家族が医者から栄養成分によっては経口より皮膚摂取が有効と聞いてきて
全部一気に飲むと流れていく気がするので、朝と夜に分けている
https://x.com/females_db_park/status/1721021880763871699
LGBT界隈で持て囃されていたキラキラトランスジェンダーの本性が暴かれた衝撃の事件。
トランスが女性達に対して今まで何をしてきたか知らない人も増えてきたと思うので、風化してしまわないようにまとめる。
「女の子になりたい」
アラサー男性が口紅に挑戦するエピソードが大反響を呼び、一躍5万超フォロワーの人気エッセイストとなった「いちとせしをり」
LGBT団体の後援で人気作家とのコラボイベントも発表され、作家としての成功が約束された絶頂期…
「自サツするなら強カンでもしちゃえばいいのに」
可憐で健気なポエムからは想像もつかない、いちとせしをりの過去ツイートが明るみになる
芋づる式に裏垢も見つかり、大量の女性への殺意や蔑視、性加害発言…あまりのキャラの違いに騒然となった
言い訳の余地もないほどの女性憎悪にまみれた罵詈雑言の数々。未成年へのナンパや加害発言もあり、大炎上
やがてもちぎ氏が辞退を表明しイベントも中止になる
しかし、イベントの主催者であり、自身もトランスの「アカルク」代表、堀川歩氏は擁護の姿勢をとった
・鬱病や元恋人の女性が亡くなったことで精神的に荒れて女叩きをしていた(?)
・別に女になりたいわけではなかった
本人と話もせず訴訟すると発言した理由を「いちとせさんが自死するかもしれず、これ以上追い込むのをやめてほしくて勝手にツイートした」と説明
改めて謝罪するも時すでに遅し
界隈全体への不信感を決定的に
その後しばらくして別SNSでいちとせらしきアカウントが出会い活動をしている姿が発見される
「心は女性寄り」……
あの時擁護していた関係者たちの「人は変われる」とはなんだったのだろうか。
正体がバレたあとではまったく違う意味になる
女子トイレに尋常でなく執着する男が、トランスというフィルターを通せば美化されて大勢の人の同情を集める
これは非常に危険なことだ
みんな料理をするときは冷蔵庫に野菜や肉をいれるし調味料は調味料棚にしまう。そりゃもちろんときには出しっぱなしのこともあるだろう。自分もズボラであるから片付けるのがめんどくさくなるのはわかる。
だがコトがコード上になると抽象化されるために、肉が肉なのか野菜が野菜なのかわからなくなるのかもしれない。
よくあるクソコードは、トイレに豚肉が置いてあって、しかもパプリカという名前がついているようなことが起きている。
焼きそばを作りたいとしよう。普通に考えたらスーパーに行って野菜と豚肉と麺とソースと塩こしょうを買ってきて作りたいわけだ。
それでまず食材はそもそもあるのかなとキッチンを見に行こうとする。クソコードはまずキッチンが汚い。床にゴミが散らかっているわけだ。使い終わった缶やビンなどが置いてある。なんで誰も捨てないんだよとキレるところから始まる。缶やビンだけならまだしも、謎のドクロや絵画まで置いてあったり、倉庫としても使われている。とにかくめちゃくちゃなのだ。
典型的な言い訳は「忙しかったから」だ。忙しいとかじゃない。わかるよ。捨てるのめんどくさいの。でもキッチン汚いよね。ここでどうやって料理するん?と思うわけ。
それでよくよく確認してみると、実はキッチンで料理していない。リビングに七輪があってそこでご飯を作ることになっていたりする。なんじゃそりゃ。大丈夫か?と思う。
それでリビングに行く。リビングに行くと食材棚みたいなのがある。よく使う食材はこっちで管理しているわけだ。キッチンはもうまともに使えないからここでご飯を作ろうと考えたグループがいたようだ。
ともかく俺は直近で始まるパーティのために急ぎで焼きそばを作らないといけないわけだから、まあいったんキッチンの片付けは諦めて俺もリビングの七輪で焼きそばを作ることにする。
で、食材を探す。野菜は食材棚に普通にあった。常備菜と書かれている。話のわかるやつだ。俺は野菜を手にする。
食材棚には塩こしょうもあり、デカした!と思いながら中を開けると醤油が入っている。
どうも昔は醤油瓶で醤油を管理していたらしいが、誰かが瓶という瓶があったらゴミの日に出すことにしたから、瓶が使えないという。
瓶はガラスだから怪我をして危ないのだ。瓶が落ちているとそれで怪我をしてしまう人が多発したらしい。まあ納得はいかないが、俺は「塩こしょう」に「しょうゆが入っています」とシールを貼ることにした。
「勝手にシールを貼らないでください!」と怒られるが知ったことではない。それは塩こしょうではない。
塩こしょうを探し回っていると、ベランダに塩こしょうが置いてあった。以前ベランダで洗濯をするときに誰かが「服に塩こしょうをかけるとキレイになる」と考えたらしく、そこで塩こしょうを使ったようだ。
意味わからんと思いながら賞味期限を確認する。一応大丈夫そうだ。俺はそれを食材棚にしまうことにする。
豚肉はトイレにあった。これはトイレ掃除のときに見つけた。トイレの水タンクは冷えているからそこで豚肉を管理することにしていたらしい。キッチンが機能していなくて、冷蔵庫の中は何がどうなっているか誰もわかっていないからだ。今ではもう、昔から使われていた家事ロボットだけしか冷蔵庫を使わない。あんなに汚いキッチンだが、なぜかロボットが動く動線だけはしっかり確保されている。
ソースは無いのでスーパーに行って買ってきた。しまうところはないので、しょうがないから俺もトイレの水タンクにジップロックなどで入れて管理しようとする。
開封済みのソースは冷蔵管理だから食材棚に置いておくわけにはいかないのだ。
すると「ジップロックなんてわけのわからないものを使わないで!むずかしい!」と言われる。いやジップロックに入れてないと蓋が開いたときに困るやろと俺は思う。俺は無視してジップロックを使う。
「ジップロックというものがありますよ」と他の人々に宣伝をする。わかっている人たちは「ふうん。覚えとこ」という反応だが、わかっていない人たちはまず袋が何かわかっていないので無関心だ。
それより口紅で一生懸命絵を描いている。その絵を描くとハンバーグが作れると思い込んでいるらしい。
俺が「口紅でハンバーグは作れませんよ」と伝えると、驚いた顔をされる。レシピサイトを教えて俺は立ち去る。今は俺の焼きそば作りの方が重要なのだ。
麺だけはなぜか外注しており定期的に届けられるようになっていたことがわかった。リビングに貼ってあるカレンダーに麺が届く日が書かれていたわけだ。
俺はこのカレンダーを置いた人間を称賛すると、リビングの七輪のところに材料を持っていくことにした。
七輪の近くにはフライパンが置いてある。汚れがこびりついているが、キッチンのシンクがめちゃくちゃなので洗うことは考えられない。
料理器具が定期的に外の川で水洗いすることになっていることだけを確認して、俺もそこで料理することにした。
完成した焼きそばは普通の焼きそばだ。フライパンのせいか多少焦げがついている。このままではパーティに出せないので焦げは一つ一つとる。
ともかく焼きそばができた。俺は次は掃除に取り掛かろうとする。しかし次のパーティがすぐに始まるらしい。部屋の掃除よりもパーティの方が重要だという。
なぜなら部屋の掃除は儲からず、パーティは儲かるのだ。部屋が汚いからまともに料理ができないんですよと言っても、パーティの主催者には伝わらない。
「家の中のことはわからないから。自分はパーティ会場のことしかわからない。掃除して意味あるの?今でも料理は届けられてるじゃん。お客さんも喜んでるんだから」という。
仕方ないので俺はパーティのための料理を準備しながら空いた時間で掃除もする。ゴミはゴミ箱に捨て、料理器具を川まで行って洗いに行く。
そしてキッチンのシンクの片付けなどもする。誰も見向きもしない。ハンバーグ作りのグループは一生懸命紙粘土で何か工作していた。
どうにかこうにかレシピサイトからレシピを印刷して、その紙を手にしたはいいが、それの使い方がわからないので紙といえば紙粘土と思い、紙でハンバーグを作ろうとしたらしい。
俺は「そのレシピに書いてある材料を買ってきて、このフライパンで焼くんですよ」と教える。
レシピの材料については復唱しながら確認する。「ナツメグはわかりますか?ナツメグは知らないですか。むずかしいですもんね」などの会話をする。不毛だ。
なぜこんなことが現実に起きているのか?
全くわからない。
この時期になると東日本大震災の話題が出てくるけど、そしたら東京に住んでた時のことを思い出す。そこで一番印象に残ってることを書く。
2009年頃。そのときは社会人3年目くらいだったとおもう。地方で就職後1年で東京に転勤となった。
東京には知り合いもいないし休みの日は引きこもってニコ動見るくらいの日々。
駄菓子屋さんのウィザードリィ実況とか、目隠しさんのポケモンとか更新楽しみにしてたな。あと高速マリオも冷静におもしろかった。
看護師で40代くらいの女性。好きな歌手の名前からとったというアンジェラ(仮)さん。東京で友達を増やしたいということで連絡あり。
そんなことある?と思いながら喫茶店で会う。美人ではないが身だしなみキレイにされている40代の女性でした。
ちょっと色っぽい展開も期待したけどそんなことにはならなくって、最近あったこととか会話してほんと友達のような会話。
そんな感じで仕事終わりに約束して喫茶店行ったりバーみたいなところ連れて行ってもらったりして遊んでた。
3、4回目くらいから、夢はあるか?とか、起業して夢かなえたいみたいな話になってきた。週末にボードゲームやってる集まりがあるからきてみない?と誘われた。
行ってみると自分と同じような年代の人もいて、10人くらいで金持ち父さん貧乏父さんのラットレース?みたいなボードゲームやった。
そのときは接待的な感じで勝たせてもらったが正直まぁ熱中するようなものではなかった。なんやこの集まりは?と思いながら帰った気がする。
そのうち、金持ちになるための師匠?みたいな人がいるから会ってほしいみたいな誘われ方になってきて、
その師匠とかいう人がポルシェに乗ってるだのなんだの成金トーク聞かされたあたりでいよいよなんかきな臭い感じの雰囲気が出てきた。
俺はアンジェラと楽しくトークしてればそれでよかったんだけど。師匠いらんし、変なボードゲームも大して面白くなかったし。
ラットレースから抜け出そうっていうのはまぁちょっと夢のある話だとは思って聞いてた。不労所得とかね。楽して金欲しいし。
その辺からアンジェラの言うことも、師匠の話もなんか変な方向に向かいだして、今の会社続けてても夢かなえられないよとか、
どんどん洗脳されてって上司に辞める相談しようかとか、親になんて言おうかとか本気で悩んでた。
そうこうしてるうちに起業セミナーがあるから一緒に行こうって誘われて、師匠よりすごい人が講演するから是非しっかりノート取って聞いた方がいいみたいなことを言われたわけ。
こっから怒涛の一日が始まる。
行ってみたら100人くらい入る講義室満員で陽気なおっさんが登場。うまい喋くりでとある会社のサプリメントの紹介を始めた。
面白かったのは、「病気に効く、治る」みたいな言い方ができないから、表情とかジェスチャーを使って「90のよぼよぼのおばあちゃんがこれを飲んだらパアッ(顔芸)」みたいな表現。
うまいこと喋るなぁみたいな。真似できないけど。
そしてここで初めて、この人たちが言う「起業」というのがネットワークビジネスであることを明かされる。
「あーあ、これは完全にアカンやつや」と思ったんだが、でもまぁ誘ってくれたアンジェラに恥かかすのも悪いなと思って、講演終わってから質問タイムに手を挙げてみたり、ノート取ったりしてた。変なところで真面目発揮。
そしてこの流れのままネットワークビジネスを開始する契約に向かうわけです。
今日から起業だ!ビジネスオーナーだ!アンジェラの子となり、稼ぎ、上納するわけです。
もう「俺終わってんな」と思いながら流れ流されて契約までしちゃったんですね。最初だけ必要だからっていってそのサプリ40万円分くらい買った。
とにかく契約したのでなんかスッキリした。契約したら気持ちが解放されるんだよね。
まぁサインのときもクーリングオフすりゃ大丈夫って妙な自信あったし、とにかくその場を終わりにしたかったから契約した。
サインのテーブルで同じようにカモにされてるヤツがいて、そいつもアンジェラと同じくらいのおばはんがついてた。
なんか「私がひっかけた子が契約までしたよ」って目くばせで合図してるのがわかってちょっとポケモンになった気分だった。
で、そのあとアンジェラが「ここに来たらいつもなか卯なの」みたいなこといって連れてってくれた。おごってもらった。
そのとき、ほんとしょうもないことしか覚えてないんだけど、向かい合って座ってて食事の途中、お水のコップを取り間違って、アンジェラの口つけたヤツ飲んじゃってたみたいなのね。
冷静に装ってもテンパってたんだろうな。
食い終わってから、さっき飲んだコップに口紅ついてるやん!って思って。何食ったか覚えてないけどその口紅の跡はめっちゃ記憶に残ってる。
ちょっと気まずかった。
しかもそれで解放されず、そのまま「仲間」のところに行こうって言われて。マクドだったかドトールみたいな喫茶店だったか、十数名の集団に合流した。
自分と同年代くらいの若い人が多かったんだけどそいつらが、どうやって子を増やすか、ひっかけるか、みたいな騙しの手口のような話を臆面もなく語り合ってて。
mixiで友達増やし作戦みたいなことを語ってて。ドン引きですよ。これはアカンなと。
俺はこいつらの作戦にまんまと引っかかったわけだ。以前ボードゲームのときに見かけた人も何人かいた。
こいつらはほんま、そんなオープンスペースで言っていいことなの?って話を大きな声で。多分本人たちからしたら真っ当なビジネスの作戦を立ててるつもりなんだろうな。
だから悪びれがない。これはほんとアカン、気持ち悪い、縁切ろっておもった。これが決定的。
アンジェラはその辺節度あるように見えたよ。そういうことペラペラ言わないから。実行はしてるけど表立って言わない分悪びれ感があると思った。
その集団ではアンジェラもちょっと浮いてた。若い子に交じっておばさんが一人浮いてる感じだった。
俺はアンジェラと仲良くしたかっただけなのにな。アンジェラは子を増やしたかっただけなんだな。悲しいすれ違いっすよ。
とにかくもうここには関わりたくないなってことでアンジェラからの連絡も無視した。
そのあとも有名人も受けたという営業合宿(人格破壊合宿?)みたいなやつを申し込んだから参加してとメールがきたり、
アンジェラの師匠から鬼電きたりしたけど「もう終わり。終わりです。さようなら」ということで徹底的にスルーした。
アンジェラも契約したあとは今まで隠してきた「カモにするぞー」という感じを剥き出しにしてきたのだった。悲しい。
そして後日、レオパレスの部屋の3分の1がサプリメントの段ボールで埋まった。クソ邪魔だしその段ボールは嫌でも目に入ってきて憂鬱な気分にさせる最悪の段ボールだった。
すぐにクーリングオフしたかったけど、なにかの通知が行ってアンジェラや師匠から鬼電きたら嫌だから、期日ギリギリまで寝かせてからクーリングオフした。
自分としてはそういう世界も垣間見ることができて、今となっては面白かったと言える思い出だけど、人におすすめできる話ではないので、引っかかる人がいないことを願う。
まだあの集団は名前を変えて活動してるっぽいので、都会に出てきてさみしい思いをしている人、今の仕事に納得できていない人たちに網を張ってると思う。
その集団の中で成り上がる覚悟と努力をするつもりがない人はカモにされるだけなので、取り込まれないように注意してほしい。
サプリはニューウ〇〇ズ。
アンジェラとか師匠が所属するのは、その製品を軸にネットワークビジネスをおこなっていたグループでワン〇ーランドと名乗っていた。
アンジェラは検索しても歌手しか出てこないけど、ニュー〇ェ〇ズとワン〇ーランドで検索したらまぁその後も色々名前変えながら活動してるんだなーと分かった。
気になる人は、アマゾンの書籍検索で出てくる本とか、その著者の情報を追いかけるといいと思いました。
想像だけど「師匠」って呼ばれてる人でも安心してご飯食べられるとこまではいかないんじゃないかな。その更に上の、講演会で顔芸してた人くらいまでいってようやく楽しく仕事しながら稼げるレベルだと思うわ。
それでも可哀そうと思ってしまうのはアンジェラかな。ワン〇ーランドの中で成り上がるにはちょっと弱そうに見えた。
謙虚な感じ?師匠みたいなギラつきが無かったな。最後に会ったのが、若い子の中で浮いてる感じだったので可哀そうな印象で終わってる。
彼女はワン〇ーランドの中で成り上がっただろうか。それとも師匠に搾り取られて搾りかすになってしまったのだろうか。
お母さんと一緒に豪華客船で旅行したいって夢かなえられてたらいいな。
あと、同時期にそういう勧誘が流行ってたんだろうな。東京で友達増やしたいって言ってmixiで誘ってくる人が他に3人くらいいた。
2人は晩飯一緒に食いに行く仲になって、度々ラーメン行ったりしてたんだけど向こうが起業セミナー行ってきたとか話しだしたあたりで向こう側からフェードアウトしてった。
一応こっちももうわかってるよって言って、ネットワークビジネスの話抜きで飯食いに行く友達になろうって言ったんだけど、そういうのは求めてなかったのかもね。
あと1人はずっとニヤニヤして感じ悪い奴だったけど、講演の会場にいたので声かけたら気まずそうにしてフェードアウトした。
喫茶店の時計が三時を指す瞬間、ドアのベルが鳴る。彼が傘を振り子のように揺らしながら入ってくる。白いブラウスの裾がデニムの上で波打つ。今日も女装だ。
「遅れました?」
声は意図的に高めている。喉仏が上下するたび、戦時中の暗号文を解読するような気分になる。彼の本名を知らない。お互いに必要のない情報だ。
コーヒーカップの縁に口紅が付く度、高校時代の書道部顧問・田村先生を思い出す。あの先生も朱墨で半紙に俳句を書いていた。「男女の別は紅葉の踏み分け道」。今ならその意味がわかる気がする。
地下鉄のホームで別れる時、彼は必ず逆向きのエスカレーターを使う。上昇する階段を下りながら手を振る姿は、古いSF映画の逆再生シーンのようだ。この関係が永遠にループするのか、それとも──。
昨夜妻が風呂場で歌っていた童謡が耳に残る。「ずいずいずっころばし」。メロディーに乗せて「倫理倫理ずっころばし」と脳内で変換していた自分に気付く。湯船の水面がゆれる。
新宿御苑のベンチに置き忘れたパラソルが心配だ。あの柄は江戸切子の紋様に似ていた。次回会う時までに雨が降らなければよいが。いや、むしろ降って欲しい。濡れた黒髪が彼の頬に張り付く様を見たいから。
母は高校教師だった。
それが私。
弟と妹も生まれた。
今の私と同じ年齢である。
幼い時、母が私を抱きしめてくれるたびに、私の幸せは母の幸せだと感じていた。
私も高校教師になった。
働きはじめはとにかく忙殺されており、朝6時~夜22時まで働いていた。
一校目では吹奏楽顧問だったので運動部よりも拘束時間が長かった。
何より、自分で働いて得たお金を自分のために好きに使うことができることを楽しんでいた。
母が私を出産した年齢と同じ25歳になっていたことにふと気づいた。
今でもそのときのことははっきりと覚えている。
そのとき鏡にうつった私は、手入れの行き届いた髪の毛、艶のある肌、自分に似合う化粧、洗濯機でガシャガシャとは洗えない質の良い服を着ていた。
そして、変に顔を傾けたり、目を見開いたりと迷走していた大学生時代とは違って、
充実した日々に裏打ちされた良い表情になっていた。
そして母を思った。
同じ歳の母はそれらを全て持っていなかった。
赤ちゃんを産んで育てるというためだけのために全部捨てた。
今の自分にそれができるか?
絶対無理だった。
たった数年の教員人生で、数十年経ってもずっと慕ってくれるような生徒が一人以上いる。
そのことだけで、母がある程度優秀な教員だったのだろうとわかる。
なのに母は、母になるために全部なくした。
一人で楽しく生きていけるだけの能力がありながら、
キャリアを捨て、夫の稼ぎに頼る人生を選ばざるを得なかった母。
何も珍しいことではない。
母の世代はそれが普通だったし、充実した育休制度・時短勤務なんてものは無いに等しかった。
また、父は母より年上で大企業に勤めていたので、給与の差の面でも母が職を辞めるのは必然だったと思う。
それでも、25歳の母は本当に幸せだったんだろうか。
でも、それは本来享受できていた25歳の女性としての幸せの全てではない。
しかも、隣にいる夫はキャリアに傷をつけることなく、ずっと働いて、社会で認められ続けている。
昔の母は、よく図書館で借りた本を読んでいた。
よくビーズ小物を作ったりもしていた。レンタルビデオで映画もみていた。
いつも無地の動きやすそうな服を着ていた。
美容院にいくこともあったが、近所のスーパーに併設されているところで一時間以内で切ってもらうだけだった。
なのに私は母が味わうことができなかったその幸せを手に入れている。
でも、それは週に二日だけ。あとの三日間は今と同じようにフルタイムで働く。
母が私を生むことで得ることができた幸せも、
私は両方手に入れることができるように準備した。
母に悪い気もする。
そして私もきっと、何かの幸せを取りこぼしてこの選択をしている。
25歳だったお母さん。
それは私のせいです。
だから私はあなたが取りこぼした幸せも、手に入れた幸せも、両方つかみ取ります。
あなたにもらった命なので、あなた以上に一生懸命に幸せになりたいと思っています。
お母さん。いつもありがとう。
来月のレストランでのディナー、楽しみだね。
Permalink |記事への反応(27) | 22:42
けち臭いかもしれないが。
物価高のこのご時世&SDGsの観点から、私がやってる節約法を公開したい。
(周りに言うと引かれそうなので)
しかも、種類ごとに使い道が違っていて
・ペットフードの袋
キャットフードのパッケージに印刷された猫の顔を見ると、捨てられず。
アルミ製で丈夫、かつマチがあるので、マチを広げた状態で高さを半分に折り返して使用。
冷蔵庫や引出内の仕分けやゴミ箱替わり、もしくは切り開いてシンク下の汚れ防止シート替わりなどに代用している。
サイズごとに、生ごみ入れ(虫予防に冷凍庫保存するため)、カットした野菜の保存袋、掃除の手袋替わり⋆、お風呂排水溝のゴミとりなどに活用。
どれもそのまま捨てがちだけど、もう一回使う分には十分な厚み。
程よいサイズ感。
水洗いして干したものを保存して、随時使っている。
掃除の手袋や排水溝のごみとりは使い捨て手袋やティッシュを使ってたけど、ゴミのために新品を使うのもなんかな、と思って。
掃除と言っても、洗面台やトイレの拭き掃除なので、ただの袋に手を入れてスポンジを握ってササッと拭くくらいなら問題がない。
排水溝に毎日たまる髪の毛をつまむのも、麺が入っていた袋でつまんで裏返してゴミ箱にポイ。
これで十分だった。
水道代は固定だし、水入れてゆすぐだけなら手間にならない。
・百均のイヤホンやケーブルなどが入ってるジップロックタイプの袋
中身が見えてジップロックでとじるので、化粧品の持ち歩きや旅行の時に重宝。
汚れたらすぐ交換できるし。
わざわざ買うほどでもないかな、と。
・アマゾンなどのプチプチバッグや紙袋は勿論メルカリ梱包で活用
これはお馴染みかな。
・牛乳パック
きれいに洗って、切ったものをケチャップたてにしたり、引き出しの整理にしている
水濡れOKなのも◎
カフェ代などにはお金を(そこまで)惜しまないくせに、使いたくないところには極力使いたくない。
後、物を増やすのが嫌。
収納ケースやポーチは持てば持つほど片付かなくなるし、処分がメンドイ。
元々捨てるものだから処分も簡単だし、使わなくなったものを、他の場所に流用することすらある。
それだけ丈夫でもあるパッケージを、どうして一度ですてようか。
ちなみに、マックとかで余分に貰うペーパーナプキンも持ち帰ってる。
どうせ捨てるだけならバッグに入れてティッシュがない時に使ったり、家でフライパンの汚れをサッと拭いたりするのに便利。
去年、ティッシュペーパー5箱、車検でもらったけど、1年たった今もまだ4箱残ってるw
これで節約になってるかどうかは分からないが、(なったとしても固定費削減などのほうが効果が高いし)、物を増やさない、無駄なものを買わないという意味ではいいのかなと思う。
ただ、あまり人に堂々と言えないのでここに残す
申し訳ありませんが、そのような内容に対応することはできません。他にご希望のテーマや書きたいジャンルがあれば、ぜひお聞かせください。
ぼく:えー!頼むよーーーっっ
ただ、こういうのっていいよね、というのを、自分の喜びを軸に表現したらいいんだ
了解しました。それでは、センシティブな表現を避けながら、「寝取られ」というテーマについて、その魅力を語るエッセイ風の文章を書いてみます。
寝取られの良さについて
寝取られって、普通の人には分かりづらいかもしれないけど、あの感情の揺れ動きがたまらないんだ。裏切りや屈辱、そして抗えない欲望。そういう複雑でどうしようもない感情が絡み合うのが面白い。読んでても、見てても、自分がその場にいるような感覚になる。
何がいいって、そこに「物語」があるところだよな。ただの恋愛や純粋な愛情だけじゃない。誰かが誰かのものだったはずなのに、それが少しずつ壊れていく。その過程が、どうにも目が離せなくなるんだよ。例えば、最初は強気だったヒロインが、少しずつ態度を変えていく瞬間とか、胸がぎゅっとなる。それって単に「奪われた」って話じゃなくて、彼女自身の心の中で、何かが揺らいでる証拠なんだよね。
そして、その揺れを見てる側が感じるもの。嫉妬とか、興奮とか、そういう一言では言い表せない感情がわいてくるのが面白い。自分が見ているのはただのフィクションだって分かってる。でも、その中に自分の感情が入り込んでくる瞬間があって、そこがたまらなく楽しい。
もうひとつ魅力的なのは、キャラクターたちの「選択」だ。どうしてそうなったのか。なぜあの時、別の道を選べなかったのか。そういう細かい心理描写を考え始めると、物語がどんどん奥深く感じられる。ヒロインは弱かったのか、それともそうなるのをどこかで求めていたのか?相手の男は、ただ欲望のまま動いているだけなのか、それとも計算して動いているのか?そういうのを考えると、寝取られって実はめちゃくちゃ人間的なテーマなんだと思う。
寝取られが好きな人は少し変わってると思われがちだけど、それはきっと、「感情の動き」に魅了されてるんだと思う。ただ単純に楽しむんじゃなくて、何かもっと深いところでその作品を噛みしめてる感じ。それが、このジャンルの良さだと俺は思う。
ぼく:分かってんじゃん!
なにか、こういう描写があると滾る!みたいなのってありますか?できるだけ細かいところで
寝取られ系の魅力って、「細かい描写」にどれだけ工夫が凝らされているかで全然変わるよな。以下に、個人的に「滾る」と感じる具体的なポイントを挙げてみる。
1. 小さな変化の積み重ね
最初は何ともなかったはずのヒロインが、少しずつ態度を変えていく描写。
• 「視線をそらす」とか「返事が曖昧になる」とか、ほんの些細な違和感が積み重なっていくのがいい。
• 例えば、最初はきっぱり断っていたのに、いつの間にか相手の冗談に笑ってしまうシーン。こういう「気づいたら地盤が崩れている」感じが最高。
• 「これはただの気の迷い」「一回だけ」「こんなことになるとは思わなかった」みたいな心の中の葛藤が、後から見て“嘘”に見えるとさらに良い。
•特に、主人公に対して「何もないよ」と笑顔で嘘をつく描写。これが嘘だと分かった瞬間のゾクッとくる感覚が滾る。
• 髪の乱れ、ほのかに残る香水や煙草の匂い、肌の赤み。主人公が「何かがおかしい」と感じるきっかけになる。
•特に好きなのは「見えない部分」。ヒロインが必死で隠しているけど、読者だけには分かるような微細なヒント。例えば、襟元に消し忘れたキスマークとか、口紅が少し乱れているとか。
相手の男が圧倒的に余裕を持っていると緊張感が増す。
•ヒロインの前では優しく接しているけど、主人公に対してわざと軽く挑発するような態度を取る。例えば、「彼女、すごくいい香りするね」と何気なく言うとか。
• もしくは、主人公にしか分からない視線や仕草で「俺が手を付けたぞ」と暗に伝える描写。
5. 共有される秘密
ヒロインと間男の間だけで共有される秘密があると、背徳感が際立つ。
• 例えば、特定の場所やシチュエーションにふたりだけの思い出がある描写。主人公の前では普通の顔をしているけど、その場所に行った瞬間にふたりの記憶がよみがえるような描写が刺さる。
• または、ふたりだけが分かる暗号のような言葉や仕草。「あのとき、こうだったよね」みたいな何気ないやり取りが、主人公を取り残していく感覚がたまらない。
• 会話中の間が長くなるとか、キスの回数が減るとか、肌に触れたときにどこか冷たさを感じるとか。明確に「裏切った」とは言えないけど、何か違和感がある感じ。
• 逆に、妙に優しくなるパターンも刺さる。「ごめんね」っていう罪悪感からか、いつも以上に気を遣ってくれる。けど、それが逆に苦しい。
行為そのものを描くのではなく、セリフや会話で間接的に裏切りを示唆する描写。
• 例えば、主人公との会話で「友達に相談したらこう言われた」と言いつつ、その「友達」が実は間男だったり。
• または、何気なく「この服、似合うって言われたんだ」と嬉しそうに話すんだけど、それが間男のセリフだと後で分かるとか。
8. 遠回しな報告や証拠
• 帰りが遅くなった理由を主人公に説明するけど、細部が曖昧だったり、説明が明らかに破綻している感じがいい。
• もしくは、携帯をちらっと見た瞬間、知らない名前からの短いメッセージが通知に出てるとか。
これらの細かい描写を積み重ねることで、読者や視聴者が「分かる人には分かる」緊張感を感じられるんだ。こういうディテールが物語の深みを作るし、NTRコンテンツの醍醐味だと思う。
こいつ、本当に分かってるようなことを言ってるぞ……………………