
はてなキーワード:受験勉強とは
「地頭がいいですね」と言われるたびに、どこか引っかかる。
地頭という言葉は、しばしば“努力を見ない称賛”として使われる。
結果だけを切り取って、その背景にある思考の筋トレや経験の積層を無視してしまう。
まるで一瞬の走りを見て、「もともと足が速いんだね」と言うように。
⸻
人の能力差なんて、たいていは小さい。
ではなぜ「地頭がいい」「悪い」と言われるのか。
それは結局、
例えば新しい環境へ向かうための不動産契約の経験を通じて、別の契約書理解への転用ができるようになる。
⸻
人の歩いてきた道を見ずに、結果だけを才能と呼ぶのは、
でも、僕自身や周囲の多くの人はそうではない。
努力して考え、失敗してまた考え、
そうやって“11秒台”まで辿り着いた人たちだ。
⸻
それが極地だ。
そんな人に向かって「もともと足が速い」と言うのは、
⸻
「足が速いね」と言う。
それと同じように、
先取りしたからって、最終的に到達できる地点が遠くなるわけじゃないと思うんだけどな。
話を単純化する。
幼稚園で掛け算までできたとするじゃん。
掛け算は小2だから、年長で掛け算ができたら2年のアドバンテージだ。
じゃあ、そのアドバンテージをずっと保てるのか?保てたところでいいことがあるのか?
まずは、アドバンテージを保てるのか?ということを考える。
学校とは別のところで進めるわけで、とれる勉強時間は学校より短いわけじゃん?
学校で10回20回と反復練習して覚えることを、3回とか5回で覚えないと時間が足りない。
なので、先取り学習できる子は優秀というのはわかる。
でも、優秀ではない子が、先取り学習によって優秀になれる、はないんじゃなかろうか?
次に、アドバンテージを保てると仮定して、それは有利なのか?を考える。
つまり、高校3年生の時点で大学2年生の数学を使いこなせて有利があるのか?大学2年生の英語を使えて有利があるのか?
あるいは、高一で高三までの課程を修了してれば、高二高三の2年間を受験勉強に費やせるので有利なのか?
それも、そんな単純なものとは思えないんだよな。
かつて、衣食住に満ち足りた生活がどんなものなのかをほとんどの人が知らなかった。
かつて、海の向こうにはどんな世界が広がっているのか、ということをほとんどの人が知らなかった。
今、我々は衣食住に満ち足りた生活をしている。
今、我々は海の向こうにどんな世界が広がっているのかを知っている。
否、途方もない退屈だ。
朝起きる。
朝食をとる。
電車に乗る。
職場につく。
パソコンを立ち上げる。
窓口に人が来る。
審査会をする。
通知書を発行する。
帰宅する。
夕食を食べる。
YouTubeを見る。
寝る。
中学時代は数学が得意で、高校一年時の数学1Aもなんとかついていったのだが。
数学を担当していた教師は定年の年齢を過ぎた嘱託の教師だった。
彼の教育方針は、教科書、ノートを閉じさせ、とにかく黒板に集中させるというものだった。
聞き取れないくらいの大声で解説をしながら、汚くて読めない文字で黒板に数式や解説を書いた。
あまりにも量が多く、読み取るのも困難な小さい文字で問題がびっしり書いてあり、裏表100問。
それが1日あたり5枚。
課題を忘れたり、終わっていなかったり、授業中に黒板以外に一瞬でも目線を外した生徒が1人でもいた場合、授業はストップされ残りの授業時間は全て当該生徒への説教で終わる。
そして、分からないところを休み時間に聞こうものならば「俺の授業聞いてなかったのか?おめえはよ!!ああ⁈」と胸ぐらを掴んで恫喝を始める。
私は完全に数学へのやる気を失った。
そして、自分で予習復習しようにも、大量の課題に追われて手がつかない。
回答が合っているか合っていないかは関係なく、丸つけをすることもなかったので、とにかく翌日怒られないために「形だけ仕上げる」ことに放課後の時間が割かれた。
その教師は私たちの学年のみを二年間担当して完全に定年退職した。
私たちの学年は国立大学、理系大学進学率がガクッと下がり、地元駅弁でさえほとんど合格しなかった。
そして、当該教師が担当しなかった一個下の代から国立大学、理科学部、医学部への進学者数が復活した。
私たちは数学プリントが廃止された高校3年の夏休みから受験勉強に取り組むことができた。
私がSTEMに携われないことが決まった瞬間だった。
STEMは現代社会に唯一残された「未知の世界を探索することができる分野」である。
あの教師にさえ教わらなければ。
https://anond.hatelabo.jp/20250518161804
https://anond.hatelabo.jp/20250706154650
https://anond.hatelabo.jp/20250916020816
で、「未だに人生で努力を知らない」では、数々のポストに食らったのだが、今日はある記事に食らった。
https://blog.tinect.jp/?p=72448
・なすべきことをキチンとやる習慣を身に付ける
習慣、なかでもハビトゥスと呼ばれるような、すっかり身体化してしまった習慣の威力はバカにならない。
なすべきことをキチンとやる習慣のトレーニングは、一般に、子ども時代から始まっている。
宿題や課題をきちんとこなす習慣、予習や復習をする習慣などは、教育期間が終わった後もずっと役立つし、本当は教科書の内容よりも大切な習得目標かもしれない。
そしてこうした習慣は、社会人になる頃には身に付いているよう期待されている。
実際には、なすべきことをキチンとやる習慣が身に付かないまま就学期間を終える人も多い。
たまたま人より勉強が得意で、受験勉強なども真面目にやらず、合格できそうな大学に願書を書いて合格したような人は、せっかくの勉強の得意さが、この習慣の不在によってスポイルされていたりする。
なすべきことをキチンとやる習慣が身に付いていない人は、なすべきことをキチンとやるための行動ポイントがめちゃくちゃ割高になってしまい、一日、一週間、一か月の間にこなせるタスクの総量が著しく少なくなってしまう。
あああああああ!
そうなんだよ!
俺ができないこと全部これなんだよ!
中高時代はテストの直前に丸暗記する方法で良い点取って、そのまま指定校推薦で大学行ったせいで、計画立てて体系的に勉強するスキルが無いまま大学生になってる。
「実家が太いのに、何も成し遂げられてないのが申し訳ないと思う」でもこう書いたんだけど、これなんだよ!
それで、今これで苦しんでるのは、夏休みだ。
就活関係のことや、情報学生としてやるべきプログラミングの鍛錬(?)ができてないのもそうだ。
でも何より、趣味すら満足にできないのが辛い。
大抵、一日が、スマホを触って、昼寝して、またスマホを触るだけで終わる。
例えば、今やってるRPGも、なんとなく進めたら楽しいんだろうなーと思いつつ、結局やれない。
で、寝る前に、「流石にこのままだと何もやってない一日だぞ……」ってなって、慌ててちょっとだけ進める。
って感じで、趣味すら夏休みの宿題をやりたがらない小学生みたいな状態になってる。
それで、結局何もしないまま毎年終わる。やろうと思えば、アニメを何本も見たり、ゲームを何本もクリアしたりできるはずなのに。
周りを見ると、一昨日はイベントに参加して、昨日はアニメに感動して、今日はDJのセトリを考えて……みたいに、沢山行動してる人が居て、本当に落ち込む。
いや、じゃあそれこそ記事に書いてあったように、SNSの使い方を考えるとか、スケジュール管理をするとかすればいいじゃんとなるが、それ自体が続かない。
スマホを別の部屋に置いておく……みたいな手段も、置くことから逃げてしまったし、スケジュール管理も全くスケジュール通りにできなかった。
なんか繰り返しになってしまうが、自分はどうしたら、SNSで見かけるような、沢山のコミュニティを持っていて楽しそうな食事とかをやってる人だったり、すごい成果物を残す人だったり、色んなイベントに参加する行動力のある人になれるんだ?
いや、まずそうやってSNSを見て落ち込むのをやめるべきなのかもしれないが……
なんか瑠璃ちゃん、物語の裏側で発表されないだけで、せっせと凪さん伊万里さんが所属する研究室の報告や論文の共著者になってそうだよな
学力に不安があって凪さんの大学(恐らく国立)に入れるかとか悩む描写があるけど、そ2年生ぐらいに凪さんが今までの研究活動を論文にするように仕向けて、国際論文誌に応募、査読通って掲載されて話題になって調子にのってやらかすまでがセット。
で、やらかしてとほほ状態になって、瀬戸さんとうーうーうなりながら受験勉強やっているところに、最近来ないけどどうした?って凪さんに言われて、受験勉強にきまってんじゃん、とかいって、瑠璃は総合選抜じゃないのか、査読論文があるから受かると思うぞと言われて
ガッコの先生に「総合選抜で受けたいです。そうしたら受験勉強しなくていいと聞きました」とか瑠璃ちゃんが言い出して先生頭を抱えて必死に勉強させるみたいな展開。英語地理科学はできるけど他がからっきしダメみたいな評価で。
安倍晋三の祖父の安倍寛は東京帝国大学法学部、父の安倍晋太郎も東京大学法学部。
代々政治家で金持ちだし、東大一家だから、きっと課金しまくったんだろ。
小学校時代に東大生の家庭教師(平沢勝栄)つけられてたんだし。
あんだけ金持ちだったら、裏金詰みまくれるし、あの時代だったら国公立だって裏口とかあったと思う。
私学だったら選び放題だろ。
1人入学させれば政治家とコネクションを得られるだから、よっぽど成績が悪くなければ一般入試の点数にゲタ履かせてくれると思うんだよな。
よっぽどの馬鹿でなければ、早稲田も慶應もMARCHも選び放題だよ。
岸家に養子に出された実兄(岸信夫)は慶應義塾大学経済学部だからさ。
で、結局エスカレーターの成蹊にしかいけなかったんだから、こいつだけよっぽどだったんだよ。
卒業後に留学ってのも、修士でもMBAでもなく、ただの語学留学で、少しだけ大学の科目聴講生しただけだろ?
言葉が通じなくてホームシックになったというから、語学もダメっぽい。
法学部政治学科卒で製鉄所の工務課なんて電話番しか出来ねーよ。
受験勉強の落ちこぼれ、語学もダメなら、サラリーマンとしてもイマイチ、そんな彼でも、打席に立ち続ければヒーローになれた。
やっぱ、一番は家柄だね。
子宝に恵まれなかったし、最後銃殺されちゃうし、幸せだったかどうかはわかんねーけど。
たぶんだけど、大川隆法総裁んとこみたいに、東大以外大学じゃないみたいな家だったと思うよ。
その時は晋三28歳、良い歳した社会人なのに、親が役員に凸電して辞めさせるってすげーよ。
そんで、秘書官っていう形で首輪つけられて、親が外務大臣を退任と同時に秘書官も退職。
秘書官もしてないわまだ当選もなんも立候補もしてないわの状態で、森永の社長令嬢と婚約。
完全に親のオモチャ。
秘書官を辞めた86年から初当選までの93年までお前なにやってたのよと。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%99%8B%E4%B8%89
RPGを簡単に作れるってのが売りなのにノートでゲームブックごっこする方がまだマシなレベルで手間かかるじゃん未だに?
ちょっと前に話題になった「TRPGのボス戦を全部AIGMとのレスバでやれるゲーム」みたいな「なんか良い感じに実装してくれる感じ」がないよね。
おかしくない?
30年だよ?
当時5歳の子が35歳だよ?
当時18歳の受験生が「ちくしょー全然ゲームが完成しないから受験勉強にとりかかれねー!」となってた時から、50歳で「ちくしょー上司と部下の尻拭いが終わらなくて全然家に帰れね—」となるまでの間、ず~~っと「はいお前らでポチポチフラグ管理してね」でやってたのマジで舐めてない?
進化したのグラだけじゃん?
終わってない?
「ゲームはSFC時代に完成してあとはグラしか変わってない」論者の奴でもこれ見せられたら「いや・・・流石にここまで歩みを止めるのは・・・俺が言ってるのはゲーム性の本質やボリュームのことであって何から何までSFCのままってのは・・・」ってなるよね?
なに?
改めて自己分析に立ち返っている所で、自分らしさは努力や真面目さ、諦めない姿勢かなと思ったんだけど、結局やりたいことが分からないから何を努力すべきかも分からないという堂々巡りに陥っている気がする
学生時代はテスト勉強、受験勉強、漢検、英検、その他習い事という敷かれたレールがあったから、何を努力すべきか悩むことがなかったんだろうな
あと、自己分析をするために尊敬する人物、キャラクターについて考えたら、あまりにも傾向が偏りすぎている事に気付いて笑ってしまった
ビジュアルで好きになったキャラ以外は真面目な性格か不屈の精神を持っているかのどちらかだった
自分と似てないから好きなのかと思っていたけど、どの作品でも自分がかっこいいと思う精神性の持ち主に惹かれてしまうものなんだね
いろいろなスキャンダラスな問題の根源は、この神格化を総出でやっちゃってることだと思うんだ。他の部活と同じような露出度になってしまっていい。
「一発勝負で終わる最後の夏」「全国大会の開催地が甲子園で固定」などのエッセンスは弱めていいのかなと思います。
弱小校出身の自分としては甲子園への憧れという感覚がよくわからないし、他の部活みたいにもう少し最後の大会が早く終わって受験勉強へ移行できたほうがよかったなあという、個人的な思い出。
少し話は脱線するけど、全国大会を本気で目指す気がない高校生が大人たちの草野球に参加するという選択肢は、もっと選ばれてもいいなあって思ってます。
【改革案】
①公式戦はもう基本的にトーナメントではなくリーグ戦でよくない?
他のスポーツでもリーグ戦を取り入れてるケースもあるし、野球もそれでいいじゃないか。
そもそも、野球の面白さってプロの試合を見てもわかるとおり数試合単位での投手運用とか、そういう一発勝負じゃ楽しめない部分もあるんすよね。
公式戦の試合数は増えるだろうけど、そもそも高校野球は練習試合が多すぎるという問題もあったりするから、トントンになるんじゃないんすかね。
(ただ、問題としては、公式戦を増やすことで審判の負担が増えるということ。ただでさえ審判のなり手がいない時代なんですよ今。)
②大会の流れの改変
・秋大会→春大会→夏大会とあるわけだけど、春大会は夏大会の前哨戦という位置づけを今以上に濃くしよう。
具体的な例に言えば、春大会までに好成績を残したチームは夏はAリーグに進んで全国大会へつながるリーグ戦を戦って、そうではないチームはBリーグに進んで高校最後の野球を楽しむリーグ戦をする、みたいな。
そんでこのAリーグとBリーグは季節ごとに入れ替え戦をやる、的なね。
高校総体みたいに持ち回り開催でよくない?
これは単純に、能力のある選手が沢山の数3年間一度も公式戦に出られないのはもったいなさすぎるという思いから。今は少子化かつ競技人口減の時代なのに。
Yahoo!知恵袋って質問を投稿した人がベストアンサーを選ぶシステムだったと思うけれど、まあ、人間は自分の考えを変えるのは難しいって話じゃないの?
ベストアンサーは結局親は悪くない、子供は気持ちを切り替えるべきって話だが、これほど親の聞きたかった答えはないんじゃない?
質問を読む限り、結果的には親の意図は達成されていると思うんだよな。
子供は勉強せずエスカレーターで高校・大学進学を果たしたかったが、親は勉強を続けてほしかったわけで、勉強を続ける必要がある選択肢を中学受験の時に示した。というか、強要した。
結果、高校受験が必然となり、勉強を続けるという未来が訪れた。子供からは恨まれたが、もくろみは達成された。
まあ、ワイも親だが、子供の意思とは違う選択を強要し、子供の望まない未来を作ってしまったことは、一生背負う十字架なんだと思うけどな。
それについて、自分が間違っていないと思うなら間違っていないと主張するべきだし、間違っていたと思うなら素直に謝ったらいいと思うんだな。
「あのとき娘の望む学校に進学さしてあげていたら‥と考えると娘に申し訳なくて仕方ないです。」なら、そう素直に謝ればいいんじゃないか?
まあ、誤ったところで過去の過ちは取り消せないから、「涙を流して怒鳴り散らされ」るのは甘受するしかないだろ。
「割り切って受験勉強に専念」するかどうかは子供次第だろうな。
子供だってそんなこといったってどうしようもないのはわかっているだろうから、怒りを吐き出した後に次善の策をどうするかを一緒に考えるときが来るんじゃないかな。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14134679189
知恵袋民
「娘に『一生恨んで生きていく』と
言われました。
娘は高校受験の真っ只中で毎日塾の講習やテスト対策に追われています。
中学に入るときに、もう失敗はさせたくないという思いから地域でも有名な厳しい大手塾に通わせ、できる限り環境の良いところで学べるよう私も主人も色々考えてやってきました。
ただ今になって周りが必死になって頑張っている中、娘は志望校も見つからず『なんのために勉強しているのかわからない』と最近になってよく言うようになってしまい、『あのとき中学受験で合格してたら‥』と口癖のように言うようになりました。
娘がそういう理由は、実力が届かなかった自分に対しての怒りではなく、
私たち両親に対しての怒りです。
娘が本当に受験したかったのは、大学までエスカレーターで行ける名門校で、娘の偏差値的にも模試の結果からも十分届くラインでした。ただ私たち夫婦は『安心して勉強しなくなるのでは?』という不安で結局私たちが望んでいた私立中学に受験させたんです。
娘の今の成績からは、本当に行きたかった中学の高等部に合格するのはかなり難しいです。
娘は『行けてたかもしれない、もっと楽しかったはずの中学校生活がこんな切羽詰まったものになるなんて思わなかった』『一生恨んで生きていく』など、
毎晩毎晩涙を流して怒鳴り散らされ、
私も主人も後悔してもしきれないという感じです。
あのとき娘の望む学校に進学さしてあげていたら‥と考えると娘に申し訳なくて仕方ないです。
でも今更どうにかなる話でもなく、
娘には割り切って受験勉強に専念してほしいと思う気持ちもあります。
いけていたはずの学校が届かないものとなって、行きたい高校も見つからない‥。どうするのが娘のためで、どうしてあげられるのか、もう分かりません。
どうすることが大切なんでしょうか。
教えてください。
「何を子どもにすまながっているのですか?
そんな態度だからいつまでも過去の事を言われて子どもは成長出来ないんじゃないですか。
両親は子どものためを思ってその中学でないところを勧めたんですよね。
受かっていたらまた違った中学生生活だったかもしれませんが、そろそろビシッと言ってやった方がいいですよ。
今更何を言っても時間は戻せないし、これからの人生のために自分の進路をきちんと探しなさい、一生恨んで生きていくのもいいが、親は一生あなたの面倒は見られないから、
って。
今ここで立ち止まって振り返ってばかりいたら本当に後で後悔します。
正直、あの時の挫折ってずっと胸に刺さったままだわ。
親も頼れないし「働いてお金貯めてから大学行けばいいや」って思ってたんだよな。
でも気づいたら30代になってた。
やっと貯金は1000万円。
仕事終わってから受験勉強するなんて、そんな余裕全然ないし、もう今から大学行くなんて無理だって頭ではわかってる。
しかも、大学のために今のキャリア全部捨てるなんて、どう考えてもリスクでしかない。
このコンプレックスをどうにかしたくてさ、人からは色々言われた。
「仕事で成果を上げれば自信つくよ」とか、「お金を貯めれば気にならなくなるよ」とか。
でも、正直全部ウソだった。
結局、欲しかったのは肩書きでも金でもなく、「大学に行った自分」という経験だったんだよな。
朝のキャンパスを歩く感覚とか、教室で友達と並んで講義受ける空気感とか、部室で夜遅くまで話し込む時間とか。
だから今、いくら金があっても、仕事で評価されても、空っぽなところは埋まらない。
思い出のほとんどが、それに関してのみ。
約四半世紀前のことであるが、暇なのでいろいろ綴っていこうと思う。
「大人(っぽい)」 「制服」 「青春」 「怖い先輩がいる(いそう)」
「給食ではなくなる」 「定期テストがある」 「授業に英語が加わる」など。
非常に大きな、そして大切なステップのように感じていた。
私はその地域の8~9割の生徒がそうしていたように、
このS中学校へは「C小学校」と「H小学校」の2校から進学していた。
どのような経緯であったかはよく覚えていないが、私はソフトボール部に入部した。
小学生の頃に母親がママさんバレーのソフトボール版のようなことをしていたため、
他のスポーツに比べて少しだけ身近に感じていたところはあった。
別にスポーツに取り組みたかったわけではないし、他にも運動部はあったのに。
子供会の延長のような感じで、友人と、じゃあ…入る?みたいな、軽いノリだったと思う。
その友人の母親もママさんバレーのソフトボール版のようなことをしており、交流があった。
集まった同学年の女子の「C小学校出身者」と「H小学校出身者」の比率は半々くらい。
出身小学校に関わらず徐々に打ち解け、チームメイトとなっていく。
入部したのは10名くらいであったが(最終的には7名になった)、1名を除き、未経験者だったと思う。
その1名は、小学生の頃に女子でありながら地域の野球チームのようなものに加入しており、
私はグローブもバットも使ったことがなく、ルールやポジションも知らないド素人であったが、
顧問の先生や1学年上の先輩方に丁寧に指導してもらいながら基礎を身につけていった。
先輩方は当時8名であり、先輩方に同学年の経験者のチームメイトを加えた9名がレギュラーであった。
1学年上というだけでこのようにあまりにも違うのかというほど、皆、女子としても、プレイヤーとしてもかっこよかった。
5時頃:起床
6時頃:学校へ到着
6時半~8時頃:朝練
昼休み:昼連
はっきり言って現在の会社員としての就業よりも過酷な生活であった。
週末も練習や練習試合の連続であり、休日にゆっくり休んだ記憶がほとんどない。
中学生の途中で週休2日制が施行されたが、土日のどちらも遠征して練習試合だったこともある。
小学生の頃は太り気味であったが、みるみるうちに瘦せていき、生活習慣も体も運動部に馴染んでいった。
また当時は日焼けや紫外線の対策を碌にしておらず、本格的な夏が来る前には焼けていた。
元来の性格のためか、取り巻く環境が原因かは定かではないが、ものぐさであり、いつ頃からか内心嫌々取り組んでいた。
ただ時間まで何となくやり過ごす日々の繰り返しであり、自分の意志で部活を選択したのに、なんとも情けなかった。
特殊な環境かつ人数もさほど多くなかったため、チームメイト達とは距離が近く、関係性もおおむね良好であった。
数少ない余暇の時間も共に過ごし、よく愚痴をこぼしていたが、私とは違い、皆名プレーヤーだった。
皆と同じように教わっていたはずだが、基礎が身に付く以前からそもそも運動音痴でセンスがなかった。
一時期、伸びたと褒められた時期もあるにはあったが、全体的にパッとしなかった。
私は根性なしのうえスキルもない、だたのポンコツ部員だったのだ。
しかしチームメイトは除け者にせず、一部員として好意的に接してくれていたので感謝している。
顧問の先生(男性)は当時、現在の私と同じくらいの40前くらいだったと記憶している。
とにかく熱血で、良く言えば指導熱心、悪く言えばスポーツ○カのような人だった。
何代か上の世代は市だか県だかのそこそこ上位まで登り詰め、
『S中と言えばソフトボール部』などと言わわたとか言われていないとか。
指導者としてもプレイヤーとしても、その腕前はピカイチであり、
当時、抜群のプレーに皆が魅了されていた。
基本的に昼休み以外の練習に同行しており、非常に勤務時間が長かったと想像されるが、
なぜ顧問というだけで部活動にあれほど時間を割いて打ち込んでいたのか謎である。
やはり熱心だったのだろう。
しかし、そのような熱血顧問にありがち(!?)で、当時ビンタされる機会も少なくなかった。
その痛みは頬のみならず顔全体の感覚がなくなるほどであり、口の中を切ることもあった。
特段、感情的な人ではなかったと思うが、指導として叱責される機会が多く、基本的には畏怖の存在であった。
またどのようなトレーニングを積み重ねてスキルを習得したのか、
大人になった今、問うてみたい気もする。
●先輩方
先輩方のことは、女子としても、プレイヤーとしてもかっこよかったと表現したが、
部活外の時間に校舎内で顔を合わせた場合、後輩から「こんにちは」等の挨拶をするが、
ほとんどの場合にっこりと朗らかに「こんにちは」と返答されるため、こちらも非常に嬉しい気持ちになった。
同行していた別の部の友人からは「すごく優しそうな先輩だね」等と言われたものだ。
しかし部活の時間になればたいていピリピリしており、部活外の時間のような微笑みは基本的に皆無。
穏やかな時もあれば、感情的に振る舞うことも多く、鬱憤が溜まっていった。
うちの部は、私の2つ上の学年(3年生)が不在だった。
夏頃までは3年生が在籍しているのが一般的であるが、うちの部は2年生が天下。
その日の機嫌次第でぞんざいに扱われることもしばしばあった。
はっきりといじめやしごきのような、直接的に個人を攻撃することはなかったと記憶しているが、
端的に言うと「1年は使えない」と言った感じだ。
空気を読むことが苦手で気も効かない私は、適切な対応がわからず謝罪の連続であった。
表面上は敬うフリをしていたが、内心はうんざりしていた。
「先輩ってどんなことで怒るんですか?」とすっとぼけた質問をして、
「それは聞くことじゃないよ」と呆れられたこともある。
別の部の友人とコンサートに行く約束をしていたが、正直に理由を告げて練習を休みたい旨を伝えると、
先輩達は「コンサートってありえなくない?私も○○のコンサートに行きたかったのに」と陰になっていない陰口を言っていた。
(先輩は別のアーティストを指しており、私が行くコンサートに先輩が落選したためやっかんでいたというわけではない)
聞こえよがしの陰口を察した私は、「すみません…もうコンサートに行きません。練習に出ます。」と申告したが、
「いいよいいよ、行ってきなよ、楽しんできてね」とのたまった。
お言葉に甘えて(?)私は堂々とコンサートに行き全力で楽しんだ。今でもそのコンサートは思い出深い。
ポンコツでありながら無遠慮な図々しさと、聞こえよがしの文句を記憶している執念深さを持ち合わせているのだ。
中には親類の葬儀関連や帰省が理由であってもチクチク言われていたチームメイトもいる。
・先輩が荷物を持っていたら代わりに持つ
・キャッチボールは先輩のグローブを持って相手をしていただくようお願いする
・キャッチボール中に先輩がボール捕れなかったら走って捕りに行く(こちらの暴投が原因)
・先輩は体操着の袖を捲ってもよいが、後輩は不可
・各々の家を把握し、同じ方向の人と下校する
・年賀状を交換する
・部活中、校庭は歩かない
・校庭にボールが落ちていた場合(仕舞い忘れ)、ペナルティで1球につき校庭10周
・整髪剤、制汗剤の利用不可
・全校朝礼の設営準備や後片付け、撤去等を行う
・校舎内の部屋の引っ越しを手伝う
・校舎裏の泥やヘドロを取り除く
一般的な運動部として当然なルールもあったが、当時も今も「?」と感じることもある。
幼少期の他に、この部活で培った様々な経験も、人格形成に大きく影響を与えたと思う。良くも悪くも…
他の部の友人たちは、うちの部ほど過酷ではなかったと想像する。実際は不明だが、おそらく。
先輩と談笑したり遊びに行ってプリクラを撮ったりしている様子は信じらない、うちの部ではありえないと当時思っていた。
部活という特殊な環境で、人間関係を築く上で大切なことを学んだ。
他人に決して心を許してはならない、油断してはならない。
今でもたまに当時の部活の夢を見る。
「高3夏より前から受験勉強に本腰入れる奴とかキッショいカスだから」
こういう方針の県立名門進学校、どの地方(特に九州)にも必ずあるけど戸塚ヨットスクールとか昭和の受験少年院とかと同じノリとしか思えない。
正直、真顔で四当五落とか言ってたクッソ頭悪い世代が優秀とは思えないのよ。
暗記はひたすら書き殴りしたりとか、キチガイじみた奇問まで本番で正解できるよう対策に時間割いてたりとかゴミオブゴミでしょ。
「ほんと全部の競技が単なるレジャーだった。刑務所のソフトボール大会に近い」
伝統進学校出身なのにこう振り返る知り合いがいてかなり衝撃受けたんだけど、もしかして他にもそういう進学校って平気である?
俺も全国的に有名な伝統進学校出身(OBは学者や次官や大使や大臣や大企業社長や芸術家だらけ)なんだけど、
「現役合格なんぞ捨ててガチのガチで体育祭に打ち込むべき」という文化で、
それこそ体育祭に消極的で受験勉強やる奴は軽蔑を一身に浴びるくらいの勢いだった。
部活の定期戦とかで交流がある隣県のトップ高もどうやら同じような感だったので、伝統進学校というのはそういう所ばかりなんだと思ってたからびっくりした。
「マウントを取りたい」という願望を満たすための手段でしかなかったオタク趣味に、青春と働き盛りを足した30年を終えてから気づいてしまった。
宇宙世紀の知識とか、神話のキャラ名とか、ネトゲのレートとか、全部人生において贅肉でしかないだろ。
後悔しか残ってない。
マウント合戦に負けた悲しみが俺達の友情をいつも引き裂いてきた。
何も残ってない。
本当に。
今までの興奮の全てが「ヨッシ!これでまた一歩マウントのネタが増えたぞ!」でしかなかったことに気づいてしまったから。
「世のアホ共がなろうアニメでシコシコする間、ダークホースの質アニメを嗜む上流オタクの俺様」という夢を見せて頂きました。
俺の好きだったアニメも!ゲームも!漫画も!全部こういう楽しみ方だったんだよ!
俺が参考にした人生のモデルが、たまたまこのしょーもない「マウンター型オタク」というアーキタイプだっただけだよ!
ガンダムや寄生獣が流行ったのだってさ、「俺はアニメや漫画を子供向けと決めつけず、価値観のアーリーアダプターが集う場所だと見抜いたハイセンス(ニチャッ」って連中が跋扈してた影響だろ結局!
たまたまその時代に流行ってたからってオウムや創価に流れた阿呆や、新しい生き方としてフリーターを選んだ間抜けと何が違うっていうのさ!
よくある馬鹿げた失敗だよ!
在り来りな嘆きだ!
問題は残された俺の人生が、趣味にも醒めきって孤独死まっしぐらで、仕事もロクに出来ず金もないってことだよ!
どうすんだよ!
格ゲーのコマンドなんて練習せずに受験勉強するべきだったんだよ!
2次元のロリババァでシコシコしてないで現実で三十路と付き合ってりゃ良かったんだよ!
ミリタリーの知識なんて詰め込んでないで自衛隊にでも入ってりゃ・・いやこれについては入らなくて正解だわ・・俺の人生の数少ない成功ポイント!
どうすんだよ!
こっからどうすんだよ!
アニメで学生共が夢を追ったり論文を書いたり恋をしたり美味いもの食ったりするの見ても、全部俺の人生にないんですよね。
ドラマで親父共が仕事で成功したり絆を深めたり技術が役に立ったり子供が反抗期迎えたりするけど、俺の人生とは無縁なんですよね。
辛いんだよ。
もうフィクションでさえ。
スラムのガキはミリオネアになり、冴えないハゲデブが本当の恋をして、金だけはある男が新たな趣味を拓く、そんなの現実では起きないからフィクションは楽しいんだよな!
違うな!
現実でもごくたまに起きるからフィクションとして最低限のリアリティが成立するんだよな!
ごくたまに!
畜生!
俺が本当に悔しいのはそっちかもな!
ふう・・・
寝るか。
追記:
綺麗なオチがついたのに蛇足で申し訳ないが、俺に対して「オマエまじでくだらねえな!」とマウント取ってきてるコメントはどの立ち位置からのマウントなんだろうか・・・。
50歩逃げた自分を卑下していたら1000歩先から「だっさwwwww」の叫び声が聞こえたような心持ちだぜ。
Permalink |記事への反応(17) | 20:35
個人的には性衝動みたいな劣情に時間取られるより、目の前に立ちはだかる難問に真っ直ぐに立ち向かっていけば、幸せは必ず付いてくる
真面目だな、オレも真面目だった。
失礼ながら、昔のオレもろともに批判させてもらう。
間違ってる。
専門分野の問題を解くことだけじゃない。
実際に、孤独で家族を持たない男性は、有意に不幸率と自殺率が高い。
アニメが少女マンガ原作と分かって切りすてたガキの頃のオレ、聞いてるか?
そう、日傘はオンナの刺すものだから男らしくないとイキがってた、お前。
お前に言ってるんだよ。
異性を、身近な同じ仲間である人間と思わずに向き合わず背を向ける歪みは、必ず自分自身を侵食する。
運良く完全なる偶然で足を洗えたけれど、もしあのまま「根は優しい」真面目くんを続けていたら、心が折れて腐って、持続不可能になって、行き倒れてたと思う。