
はてなキーワード:受験エリートとは
寄付金で裏口で入れるならいくらでもしたと思うんだけど、成蹊だろ?
留学したってPh.Dどころか修士もMBAも取ってきたでもないし、学校の勉強っていう意味での、頭の出来はよくなかったんだろうなって思う。
あの時代に、寄付金がっぽり出せる家庭の坊ちゃんだったら、早稲田も慶應もよっぽどバカじゃなければ受け入れたと思うよ。
提出物さえ出せば学位でもなんでも授与したと思うよ。
ここまで書くとディスってるみたいだけど、ディスるつもりはないんだ。
でも、名宰相だったろ?
よくやったよ。
答弁で賢いなぁって思ったことはないし、著書だってタイトル以外本人はほとんど書いてないと思う。
この増田を見てツイッターで「教養」について調べてたら見つけた論でも貼ってみる
トデス子'\ @todesking
日本における「教養」とは、受験エリートが自分はただの秀才ではないと差異化するための機能を持っており、よって受験勉強で使うような知識は教養とされないという話が「グロテスクな教養」にあったが、SNSで言われる教養が義務教育レベル知識なのは何を意味するのか。
https://x.com/todesking/status/1827225253606780967?t=vIRwnQDxJoVBDjwjuySeIw&s=19
STarGazer @Brokenanime2
単純に現国を覚えてるだけのツイッタラーが教養の基準を下げて精神的勝利を得ているだけな気がする。自分で学ぶのではなく基準を下げるという画期的なハック方法。
https://x.com/Brokenanime2/status/1827593433789120998?t=3naewEfHgxiP-t-x5idNrQ&s=19
lotushouse @lotushouse
私も常日頃から日本の教養議論が「教養」と「教育」の混同で成り立ってることに疑問わいてる
https://x.com/lotushouse/status/1827505613762711776?t=291XjBhJCuvQyJWAKt3scg&s=19
このあたりの態度をとることの大本はどこかで繋がっている。
同じ言葉が文脈によって褒め言葉にも悪口にもなるということが理解できない。
ひとつの言葉を「武器」に出来ると思うと、その言葉だけをひたすら繰り返す。
その言葉を「武器」だと認識すると、悪い意味で言われていないときでも少しの躊躇いもなく怒る。
例えば、「ユニーク」という言葉を悪口だと何かのきっかけで思い込む。
そうすると、どんなに良い場面で使われても「急にディスられた」と認識する。
気に入らないことや気に入らない相手がいると、場面にそぐわなくても「ユニークだ」「ユニークだ」と連呼して憂さを晴らす。
その意味が他人に伝わらなくても、自分の言葉が間違っているからだとは考えない。
「この言葉を通して伝えたい俺の思いを何故理解しない」とさらに繰り返すだけである。
驚くべきことにこの行動パターンの抑制に後天的な「教育」はあまり役に立っていない。
国立理系の大学を卒業したかなりの受験エリートでこういう人間を、自分はたくさん知っている。
・小さな子供を「若い」と言うことが許せず、「ガキ」と言わなければいけないと固執する。
・「ブス専」を自称したがり、「別に言うほど(その相手が)ブスじゃない」という否定を何故かとても嫌がる。
・「哀れ」という言葉を否定的な意味でのみ使い、どんなに弱い生き物も普通に可哀想がるという発想ができない。
などなど。
ただ言葉を間違えて覚えていると言うのとは違う。
「うる覚え」を「うろ覚え」と訂正されて、「ああ間違った」と思うような改善がそこには存在しない。
「この言葉はこのもの(大抵は不快な何か)に結びつけられていなければならない」という強硬な執着のようなものが存在するのである。
「論理的に議論が出来るかどうか」を見るのに、この思い込みの有無は最低基準でないかと思う。
繰り返すように、経験上これは単なるペーパーテストの成績ではなかなかわからない。
ペーパーテストには全く支障がないどころか、ある意味で向いているような反射神経の結果だからである。
自分を保てない奴というのは、「自分」と「他人」の前に、そもそも「今目の前にあるもの」にだけ100%影響されて、経験や知識から判断を安定させるという脳の整理力が低いんだと思う。
だから、今だとツイッターやユーチューブを教科書みたいに信じ込んで、へんてこりんな社会正義を語ったり政治を語ったりするようなことになる。
問題は、これがそもそもちゃんとした教科書を読んでこなかった低学歴に限られた話じゃなく、むしろその場その場で「テストに出る」ことだけを集中して覚えては忘れてきた、ある種の高学歴受験エリートにも見られる(もっと言えば、そういう奴ほどタチが悪いほど拗らせている)症状だということで。
とにかく経営能力が欠如しているという印象です。大学改革関係の記事やツイッターを調べると、「会議が増え、研究時間が削られている」という意見を目にしますが、見ていると仕事の段取りが悪い。
・ミーティングを定刻に始められない。平気で遅刻してくる。こっちはスーツ着用で、定刻の2時間前には現場に乗りこんで待機していたにも関わらず。
・プロジェクターの調子が不調だったのですが、そのプロジェクターを直すことを優先しようとしてくる。これも准教授。事前にプロジェクターの動作確認を済ませておくこと。プロジェクターの不調を理由にミーティングの時間を削らないこと。
・「先行研究を押さえていないのではないか」と指摘したところ、「どの本を読めばいいのか?」と質問してくる。特定の一冊だけをピンポイントで読むのではなく、アマゾンでその学者の名前で検索して、その人の本は全部読んでください。それがプロの仕事です。
・「〇〇さんが言っている批判に似ている」と、まるで既知の問題かのような言い方をされたんですが、批判されたことがあるなら一発で直してください。だらしない。
貴重な血税を毎年東京大学に800億円、学費として渡しているはずなんですが、コスパが悪い。
もともと受験エリートから選抜された集団なので、アンチョコを知ろうとか、できるだけ手抜きをしようと考える癖がついている人たちなんだと思う。
地道に足で稼ぐということをしない。でも本当の教養って、泥臭く手を動かさないと身につかない。
こちらは病人なのに、地元の図書館に通い、本を借りてきて、「ああ、この行に書いてあることは、あの現象と同じことか」と気づいて、そのたびにメモに起こすという地道な作業をしている。めちゃくちゃ負荷がかかる。
当事者研究というのは、プロフェッショナルである職業研究者や対人援助職が、アマチュアである当事者並みに手抜きをしていいということではない。
お給料を頂いて、何か仕事をするということは、職業倫理というのが発生する。その自覚が欠如している。大学改革はもっと積極的に既存人員の首を切っていく必要があると思う。
いや、知らんし、社会の流れに立ち向かいたいなら好きにすればいいと思うが(99.9999%はそのまま濁流に呑まれて終わりだと思うが)。
日本を飛び出して世界でバリバリ活躍してるような連中も基本的に全員お受験エリートだよってことを言ってる。
そもそもお受験でエリートにすらなれないような奴は何やってもダメ、というのが(残酷な)現実なんだよ。
増田が、社会の流れに真っ向から逆らって自分の道を切り開くような、お受験でエリートになることなんかより遥かに難しいことができる子供に育てる、というならいいと思うけど。
お受験エリートだけが固まって何するんだ?何もできなくなってきてるだろ?
だから、公共投資!という話になって国から吸い上げるという事になってきて
だから、公共投資があると、市場が腐敗するから公共投資するな!という声が大きくなってきていて
今回みたいな泥沼でもないかぎり、もはや自民党でも、バラマキは難しくなってきてるぞ。
まだまだ、ばら撒くだろうけど、ばら撒けばばら撒くほど、市場に力がなくなって財政赤字が膨らむんだから、
いずれ、財政破綻するだろ。
で、どうやって、お受験エリートだけが固まって利益を上げていくんだ?
いまはもう、お受験エリートによる既得権益をどうやって、崩壊させるか?という時代だろ。
それをリストラと呼ぶ。
受験は必要だが・・・受験対策『だけ』をした、お受験エリートになったら、リストラされたら一気に転落。