
はてなキーワード:収蔵品とは
欧州では仕事9-17時、春1w(イースター)、夏2w、冬2wの海外旅行をして、貯金も貯まる。
ある年の冬、オフシーズンのギリシャに行った。空港からの地下鉄はストライキをしていて、駅員に聞いて乗り換えた。アテネの建物は古く、中心部はあまりきれいではない。
とはいえ、地区によっては瀟洒なアパートやきれいなブティックもある。当時、ギリシャ経済は最悪だったが、丘の上から夜景を眺めると、確かに明かりはG7の国の首都に比べれば控えめだが、それほどでもない。
アテネでは観光客らしくパルテノン神殿(ホテルの屋上からも見える。夜はライトアップされる)やそこらに点在する遺跡、プラカ地区の店やカフェを冷やかして周ったあと、車で時計回りに国土の南三分の二を一周することにした。
コリントスの地峡を渡って(シーサイドの道中、橋の夜景が絵になる)水かきのついた手の形をしたペロポネソス半島に着くと、酒屋で赤ワインを買って宿でバッカスに乾杯した。なお、近所にバーはない。ギリシャ北部で作られる、クシノマヴロという葡萄品種の酒は、中重口で優美でおいしく、瓶熟成も期待できそうな、輸出できる味だが、伊仏のそれと比べて安い。
朝は煮出した濃厚なギリシャコーヒーで目を覚まし、近くの透き通った海で英気を養う。
この半島は、内陸部はオリーブしか生えないような岩と乾燥土の荒れ地で、岩山のてっぺんに砦があったりする。寝坊したので、古代遺跡に着いたらすでに入り口は閉まっていたが、柵を乗り越え中に入って古代競技場の観客席に腰掛けたりはしない。
半島の先端に行ってみたが、住人のいない迷路のような道の村に羊が歩いていた。
スパルタの町は、道路に信号がなく、交差点では左右の車を阿吽の呼吸ですり抜けた。外国人でも通じるらしい。博物館の彫像は、ことごとく首なしか鼻欠けだった。征服に来た古代マケドニア人の仕業らしい。
いくつか小さな町に立ち寄ったが、海に近いのでシーフードがおいしい。
国道は片側一車線だが、路肩を使って二車線になっている。
夜、給油すると、係が、20%の消費税をぼやいていた。「政府が俺らを殺しているんですよ、メリークリスマス」
風が強かったが、フェリーに車を乗せてザキントス島に着いた。イオニア海はきれいな青緑色をしている。ここは、夏場は欧州一円から来たパリピの若者が夜通し遊ぶところだが、冬はクラブも閉まって静かだ。何もないので、カフェバーでビールをゆっくり飲む。
翌日、浜辺に難破船のあるシップレックビーチまで、道を間違えつつ辿り着き、崖の上から眺めた。鮭の切り身のような形の岩壁が突き出し、ここだけ色がひと際鮮やかなエメラルドブルーの海を区切っていて、有名な写真スポットだ。晴天だが風が強く、帰りのフェリーは欠航まちがいない。島を一周して宿に戻る道すがら、レストランで久しぶりに鯛を食べた。
半島に戻ると、橋を渡って、本土西側イオニア地方の丘の上の遺跡を歩いた。この辺りの国道はなにもない丘と低木の生えた乾燥地を抜けていて、車は時速100km以上ですっ飛ばして行く。
実はギリシャ本土は北に行くほど山がちで、スキーリゾートがある。これを知らず、車はノーマルタイヤだった。なにしろ、比喩的な心筋梗塞に襲われ、旅行の前日に思い立って航空券を買ったのだ。
メテオラという、ビルほどの巨大な奇岩が連なっている天辺に修道院が乗っている所に来た。修道院には、ロープウェイで物資を運んでいるらしい。
その後、オリンポス山を見に行ったのだが、雪に煙って見えなかった。バーに入って酒をたのんで話をしたあと、覚えていない。
ギリシャのトイレの水道管は断面が狭いらしいので、トイレットペーパーは流さないでかごに捨てることになっているところが多い。
朝食では、濃厚なギリシャヨーグルトに特産の蜂蜜をかけて食べた。いろいろギリシャ料理があったが、名前は忘れた。
一方通行の路地の片側にはびっしり駐車してあり、しかも一台分の割り当てが短い。慣れずに苦戦していると、「きみ、出るのか入るのか、どっち?」
この日、神殿を見にデルフォイまで行くつもりだったが、途中、雪が散らつき車を飛ばせず、峠に向かうと夜になり、固く引き締まった雪道に空は吹雪いていた。実は、車屋の親父が調子のいいやつで、タイヤチェーンをトランクに入れてくれたのだが、サイズが合わない。峠で唯一のホテルの前で、明かりを頼りに苦戦していると、主が出てきて、中でコーヒーを飲ませてくれた。結局、諦めてアテネに戻ることにした。途中の高速道路は新雪と融雪が斑なシャーベットになっていて、一台だけ時速60kmで進んだ。アテネに近づくと、辺りは雪の気配さえない。真夜中、アパートホテルの場所を探すのに、手間がかかった。
結論として、今度ギリシャに行く機会があるとすれば、北部の都市テッサロニキを見てみたいが、気温40度になる夏、あるいはたくさんあるうちの島のいくつかのビーチで寝そべって過ごしたいかといえば、よく分からない。もしかすると、クレタ島もいいかもしれない。
非正規学芸員を20年やってきたが、正規の試験が年齢オーバーになって受験できず退職した話「学芸員こそ経験が必要なのになぜ年齢で区切るのか」 -Togetter [トゥギャッター]
https://togetter.com/li/2422212
こちらを見て、思うところがあったので書いてみます。増田自身は現役学芸員ではないですが、かなり近い立場で様子を見ている人間です。また、Togetterを見た限りこの方は歴史博物館系のようですが、私が知っているのは美術系のみなので、多少違うところもあると思います。
正規雇用になりたい学芸員志望の方に言えるのは、日本全国どこで募集が出ていても、それが市町村立でも政令都市立でも都道府県立でも、自分が募集の条件と適合していたら片っ端から受けてください。落ちても落ちても対策をしてめげずに受けてください。細かいことは下に書きますが、これだけです。
学芸員を目指す人でまだ読んでない人はいないと思いますが、こちらの書籍も必読です。
杉本竜(2023)『これから学芸員をめざす人のために』創元社
基本的に現在の公立館の正規学芸員の募集は、ほぼ欠員補充のみです。定年やその他の理由で誰かが辞めて、欠員が出たからその分野を補充する、という形です。個人的には、その学芸員が辞める前に、その人の後継者を採用して専門分野の知識、技術などの伝授、引継ぎを行うべきだと思うのですが、現実としてこうなっています。
そのため、いつどこの博物館でどの分野の募集が出るかはかなり運任せです。自分が大学院で研究していた分野とマッチする募集が出ることなんてまずないと思ってください。そのため、募集要項を見て、ちょっとでも引っかかったら受けてください。例えば、北陸の某県で近世史を担当する学芸員の募集が出ていたとして、自分の専門が幕末期の九州の歴史だったとしても受けてください。引っかかってます。何なら専門が戦国時代の東北史だったとしても、応募していいと思います。アンマッチだったら向こうが落としますし、試験結果次第では僅かでもチャンスはあります。
通常の公務員試験同様の試験を課す自治体もありますが、近年では減少傾向にあると思います。課している自治体も得点配分はかなり小さいです。重要なのは、専門分野の筆記試験です。受験する博物館の収蔵品、近年の特別展(とくにコレクション展)および、これから予定されているコレクション展を調べ、その博物館がどういった特徴を持った博物館なのかを把握し、その周辺知識を中心に勉強してください。あとは専門分野の基本的知識が必要となります。そのあたりは言うまでもないです。
この辺りの勘所が分かって、しっかり準備できるようになると、筆記試験はそこそこ通るようになるはずです。通らないとしたら、そもそも基礎知識が足りないのかもしれません。
正直ここは8割運だと思います。面接官との相性もありますし、そもそも取りたい人物像(年齢、経験、性別、その他)とどのくらいマッチしているかという運もあります。年齢については、40歳まで、としていても、同じくらいの成績なら20代取りたいよねえ、ということもあるだろうし、性別についても、今は大っぴらには言いませんが、同じ成績なら今いる人とのバランスを考えてどっちがいいよねえ、みたいなのはあり得ます。
必ずしも若いと有利とも言い切れず、例えば40代の学芸員が何かの事情で退職し、ある程度経験のある即戦力になる学芸員を探している、というようなケースもあり得ます。なのでこの辺、本当に運と巡り合わせです。そういった意味でも、数を受け続けるしかないのです。
補足として。まあ、この辺、周りを見ていると本当にその人次第だと思います。大学院の専門とかなり違う分野の学芸員になって、しっかり展覧会を企画してしっかりした紀要や論文を書いて研究を進めている人もいれば、仕事は仕事でやって、自分の専門分野についてはそれと別に研究している人もいます。これは学芸員に限った話ではなく、大学の教員もそんな感じですよね。
また、一旦どこかの美術館に正規学芸員として入ったとしても、他の館で募集が出た際に受験することはもちろん可能です。
非正規の学芸員なんて取らないほうがいいのではないか、という話もありますが、これもケースバイケースです。Togetterで纏められている方もおっしゃっていますが、正規雇用の募集用件に実務経験が要求されるケースは今でもあります。非正規雇用は正規雇用に比べて募集が多いので、一旦非正規で就職しつつ、条件に合う募集に応募しまくるのもひとつの手です。というか、基本それしかないと思います。新卒で正規採用合格できるの、よほど幸運なケースです。
また、非正規学芸員については、本職が別にあって、時間が比較的自由になる非正規学芸員をやっている、というケースもあります。本業が作家さんの方とかたまにいます。
Togetterの方の非正規で役職についている、というケースはちょっと私の周りにはないのですが、さすがにそれは是正すべきでは、とは感じます。
※正直ここの「非正規学芸員ついて」の部分、館によって担わされる責任や仕事内容、勤務時間などがあまりに違い過ぎて、10館あったら10館違ってて各人自分が経験した内容しか知らないから誰も何も正確なことは言えない部分なような気がしてきました
その昔はあったという話は聞きますが、今はないんじゃないかなあ、と思います。一方、その博物館で非正規雇用だった学芸員が正規雇用試験を受けた場合、面接までいけば多少有利になるケースは、ないこともないかもしれません。筆記試験がしっかり解けているのが大前提ですが、人柄が分かっている、というのは採用する側も安心なので。逆に言えば、人柄が悪い場合それが採用側にばれている、という話にもなりますが。
現在年齢を制限しているケースだと30歳前後のケース、40歳前後のケースが多い印象があります。前者は比較的新卒採用に近く、若くてじっくり育てられる学芸員が欲しいケース、後者は将来の管理職候補を含めて探しているケースがある印象があります。とはいえ、実情は募集館によって千差万別で、後者でも実際は20代がいいけど、もし30代でめちゃくちゃ優秀な人がいれば……という場合もありますし、30代の学芸員が退職したので、その人と同じくらいの年齢・経験の人が欲しい、というケースもあるでしょう。
年齢制限のない正規職の募集は、数は非常に少ないですが、丹念に探していると稀に出ています。ただ、この場合も同じような試験結果、経歴であれば若い人の方が有利なケースのほうが多いでしょう。聞いた話では、50代くらいに見える方がある募集の筆記試験を受けに来ていらした、というようなケースもあります。素直にすごいと思います。
上では「片っ端から受けろ」と書きましたが、受けても受けても落ち続けるかもしれません。そういったときにどうするか。それでも受け続けるか。諦めて非正規雇用を続けるか。きっぱり学芸員を辞めて別の職種に転職するか。最終的に決めるのは本人です。いずれにしろ、悔いの少ない選択をされることを祈っています。
県立民俗博物館山下知事“保存資料の廃棄も検討”|NHK奈良県のニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/lnews/nara/20240710/2050016463.html
昭和50年代から収蔵基準もなく無計画に寄贈を受け入れ整理もできないまま仮置き場に山積みになっているのを放置して
先延ばししてきたという館側にも問題はあったという反省の弁にはブクマ無しw
関西に限ってみるぜ! 行ったことがある中で、特に印象に残ったところ(あるいは定期的に足を運んでるところ)をリストアップ。増田は今は阪神間在住なので行きやすいところがどうしても多くなる。
京阪神+奈良以外は日頃の行動範囲に入ってないので、だいぶ適当。
https://anond.hatelabo.jp/20240627230737
こちらで神奈川県がまとめられていたので、何か貢献したいと思った。山梨は関東に入れていいのか問題。
個人的な美術の好みでは日本の近代洋画が一番好き。特に未来派と超現実派が好き。
日本随一のミレーを中心としたバルビゾン派のコレクションを誇る。その他にも日本を代表する木版画家の萩原英雄コレクションや、近藤浩一路、野口小蘋、米倉壽仁など、県内関係作家を中心に良い作品を多く持っている。
ミレーはいつ行っても見られるが、その他の特別展、コレクション展には当たり外れがある(ように感じる)ので、事前にホームページを確認して、好みの作品が出ているか確認することをお勧めする。
ノーベル賞受賞者の大村智氏のコレクションを中心とした収蔵品を展示している。
基本的には近代日本洋画が中心で、梅原龍三郎とか三岸節子とかもある。
旧名取春仙美術館。郷土出身の役者絵版画家、名取春仙の作品を中心とした美術館だったのだが、少し前に山梨県美の偉い学芸員だった方が館長に就任し、館名も建物もリニューアルされた。
その後は特別展も含め小規模ながら面白い企画が増えたように思う。国内外の版画を中心とした企画展が比較的多い印象。ミロとかピカソとかも来てた。
アメリカのポップアーティスト、キース・ヘリングの作品を所蔵、常設展示している日本唯一の専門美術館。北杜にある。ポップアート好きなら外せない。
ここを目当てに山梨に来ても後悔しない、という意味で諸手を上げてお勧めできるのはこのあたり。清里とか山中湖の方とか、観光客向けの小さな美術館みたいなのは山梨県はかなり多いんだけど。
あと思いつくところでは笛吹にある笛吹市青楓美術館(津田青楓の作品を中心とした小さな美術館。閉館の噂が出たり消えたりしてるので行くなら早めに行った方がいい)。
都留にあるミュージアム都留(旧増田誠美術館が移転統合して入った。増田誠は油彩画、石版画家。最近は刀剣に力を入れている印象がある)あたりだろうか。
あとは北杜に平山郁夫シルクロード美術館もあるので、好きな方は面白いと思う。
余談の余談だけれど、以前、北杜に清里現代美術館という、ヨーゼフ・ボイスやジョン・ケージ、オノ・ヨーコも参加したフルクサスなんかの作品と資料を大量に集めた、美術館のような研究機関のようなマニアには多分たまらない美術館があったのですが、運営者の方が体調を崩されたのを契機に閉館してしまった。あの資料、まとめてどこかに移されているといいのだけれど。
見終わった後に思ったことは地方の性風俗関連の歴史は消えかかってるなという印象
東京の性風俗すらキャンセルカルチャー好きのメディアによって消えかかってるのに地方の性風俗なんかもっと相手にされないだろう
風俗はもう大阪の新地の性風俗ぐらいしか残っていないぐらい均一化されて地方独自のものはなくなっていく
吉原展で展示されている作品類は春画の影響が単純に強いので海外へ幾らか資料が渡ったのは幸いしていると感じている
もう保管できません…各地の博物館・美術館で収蔵品あふれ返る 新しい置き場所がつくれないなら何か工夫は:東京新聞 TOKYO Web
横須賀で居候していた時にオババから戦前から戦後に掛けて今の船越付近に赤線青線が合って、そこで軍人さん捕まえて幸せになった人もいるから
昔は食い扶持減らしで身売りしてってパターンはまだあったからそんな感じで受け止めている人が居たんだと思った
地方の風俗が戦後ほぼ均一化してしまったので保管しておく必要があるのかと言われればどうだろうと思う
・個人が自分が買った電子書籍を日数をきめて友人・家族に貸し出しすることができる
なお日本はできません。
このシステムの整備や改善やってるのがアメリカ司書だとしたら?
日本の司書は和綴じや和紙による補修というわりと美術品あつかいを司書にやらせてる
絵にしろ彫刻にしろ日本刀だの戦艦にしろ日本で「美術品」「博物館収蔵品」になるってのはすなわち国しか金を出さない死蔵品に棚上げされました、だーれも興味をもってません、という意味なんだよね
じゃあ日本にもいるはずの本来のキュレーターはなにをやってるの
そう、ゲームをつくっているのです
>エイサー祭りだとか阿波踊りを見世物にするイベントとか、サンバカーニバルとか東京だと普通に開催されてるな。
だから、現地でそれが伝統的に行われているという文脈は文化そのものでしょ?
それを東京に持ってきたとたんに見世物とか猿真似とかくだらないものに成り下がっちゃう。
ルーブル美術館や大英博物館、現地に行くのと、収蔵品が東京に来るのを行列して見るのとだと体験全然違うじゃん。前者は文化、後者はイベント、見世物だと思うね。
東京、巨大な見世物小屋としては便利だけど、文化はむしろないよね。
以下雑語りです
https://bunshun.jp/articles/-/45917
一市民として悲憤慷慨を隠し得ない
駅周り30分ぐらい適当に歩いてあとはWikipediaの雑引用、かの文春の記者がやることですか?
だいたい駅の話から市の話に自動的にすり替わってるのおかしいだろ お前がやってること、山手線の内側を"ナゾの激坂地域"とか書いて結局目黒駅周辺の話しかしないのと一緒 わかる?
それに自由民権運動の話するならちゃんと自由民権資料館に行って話聞いて来いよ
※自由民権資料館 鶴川駅から徒歩25分。民権運動をテーマにした資料館はここと高知県の自由民権記念館だけ。和風な造りの本館は、民権志士が残した武芸道場を保護・改装したものだ。
文章を順を追って殴りますが、まずね、境川の話が「都県境」で終わるのがもったいなさすぎるんですが…
後々神奈川ネタ出すなら、かつて武蔵国と相模国の国境線が境川だったってところまでやるべきやろ
あとは
(・中世では現多摩市との境界が武相国境であるような認識があったが、太閤検地の際に完璧に河川が国境線になった)
(・検地以前は境でなかったので高座川と呼ばれていた)
までの情報があった方が良かった
・小田急線はもともと南町田や長津田付近を通る予定だったが、地主がゴネて町田を通った
・「デッキを抜けたら地下」な小田急町田の独特の駅構造は周辺の地形に関係している 境川の流域が狭く、川に沿って坂線がある
・"ただ絹の道があったから"発展したと思うな あれは浜街道(八王子と横浜をつなぐ道)沿道でありながら鎌倉街道沿道なので、東京湾に進む人の流れと相模湾・埼玉から来た人の流れが激突することになり、一躍巨大市場になったんだ 相模湾で捕れた魚を乾かしながら町田まで歩いた商人もいて、駅前に乾物屋が多いことのルーツはここにあるらしい(富沢商店ももともと乾物屋)
・絹の道の由来について語るなら、"ただの道を絹の道にした"鑓水商人の話も欲しいし、どうでもいいですが町田市には槍溝(やりみぞ)という希少苗字が残っています
あと民権運動や水源問題は町田が神奈川になった理由の本質じゃないだろ
多摩川・荒川流域じゃあないんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
町田市以北の多摩地域のほぼ全域は多摩川流域(八王子、青梅、三鷹等)か荒川流域(東村山、清瀬、武蔵野等)に属します ところが町田市が擁する水系は境川・鶴見川の2系で、多摩川水系の河川はほとんど通っていません おかしいだろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!流域ごとに郡や地域を区切るなら町田は横浜市や相模原市の一部になって然るべきだろ
多摩川欲しさに東京府が三多摩を合併したのは事実ですが、併合してもなんもいいことない現町田市の地域1町4村まで神奈川県を追い出されたのは"多摩郡に属していたから"ですよ
②武蔵国である現横浜・川崎両市がなんか都心と分離され、神奈川県の枢軸になってしまった
インターネットは③を一生擦ってるってことにはよ気付け
※解説
①https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12203290882 ヤバイなこの回答者、郡史ガチ勢?これを見るに武蔵府中との結びつきって相当強かったんだな でも鶴川以東には国府の権力が及ばなかったのもなんか不思議ー
②https://togetter.com/li/1285652 とhttps://www.customs.go.jp/yokohama/history/hatten.pdf 神奈川県の成立理由はマジでごちゃごちゃしていて最悪だが、"なんかメッチャ白人(しろんちゅ)がいる嫌な場所"と"俺らの住まい"とをひっぺがしたかったという趣旨
中世のころ、武蔵府中から丘陵の壁を超えて「多摩」の使命を言いつけられたことに始まり→時は流れて近代、なんか横須賀にゲェジンが来たせいで江戸っぽくないところを別県にせざるを得なくなり→水源問題で都心と神奈川が大モメかました挙句過激派活動家が大暴れして「多摩(笑)」一帯が神奈川県を追い出された
もし武蔵国府が調布のあたりにできて鎌倉街道が東にずれていたら、もしペリーが江の島に来航していたら、町田はこんな「仲間外れの市」にはならず、"茅崎県"県央の凡庸な自治体になっていたかもしれないし、はたまた鶴見市や都筑市という巨大な自治体に包摂されていたかもしれないのだ
そしてその世界線でも、ろくでもないライターが「"ナゾの途中駅"本町田駅」とか書いちゃうだろうが、 でもその記事はここの日本ほど多くのpvを稼がず、トレンドにも載らずひっそりと埋もれていくんじゃなかろうか
だから答えるよ
未だに何もわからない
飽きたんだよ
お前らが同じ話ばっかりして肝心な要点を見過ごしてるから不快なんだってば
それにステレオタイプで地域を語るのは地域差別となんも変わらんだろ
(前に町田関連のネタツイを自称リベラルに共感RTされたことがあったけどすごい嫌だった いかなる差別にも屈しないなら町田は東京都って言えよ、民主政治が大好きなら民権運動によって東京都に移管された街に最大限の敬意を払ってくれよと思った)
本当に町田が好きなんだったら、インターネット雑語りをやめて、今日から町田にちゃんと向き合え
ネタで町田を神奈川扱いするならテコンダー朴みたいに歴史的経緯を全部踏まえてやれ 憶測で物事を語るな
あと神奈川県に接する駅といえば町田駅だけじゃなくてつくし野駅も鶴川駅もそうです
にしてもこのブロガァーみてぇーなライタァーは駅前で何を見たんだ?日本初の車いす用バスを見たか?町田街道の向こうに佇む広大な谷戸(注)を見たか?谷底の美術館の収蔵品を調べたか?ジョルナのエレベーターのボタンを押したのか?何もしてない
これをポジティブにとらえると、読者にもっと町田の魅力を探させる余地を与えてくれたってことになる
だからどうか、ここから先はスマホの前のみんなに、町田駅や"町田市"を回ってほしい
限界逆張り地理オタク御用達・源流と坂と県境のテーマパークとして、町田市は今でも多くの廃人を寄せ付けている
町田市は本当にすごい 今や小平にも及ぶブルーベリーの産地だし、南町田にはケンタッキー食べ放題店舗があるし、堂之坂公苑は誰も来ないのに水琴窟があるし、玉学には赤瀬川原平の家も残ってるし、白洲次郎の別荘で食べるオムライスはマジでうまいし、つくし野の急坂はどこまでも続くし、小野路宿里山交流館は江戸末期の旅館を改装した建物だから木造で落ち着くし、野津田の山はクソでかいし、相原にはおいしい卵屋(カトウファーム)とアイス屋(東京みるく工房ピュア)があるし、本町田には北条時行の戦った合戦場があるし、リス園の近くに井の頭公園みたいなでかい池があって夏になると隣のちっこい池でメッチャ蓮咲くし、多摩境には都内唯一のストーンサークルがあるし、大泉寺は谷戸の底にすっぽり収まった寺で春になると桜が参道に咲いてめちゃ綺麗だし、恩田川の桜はもっと綺麗で目黒川より混んでないからいい写真撮り放題だし、木曽町の地名の由来は一般通過木曽義仲
とにかく春先にあの戸場谷戸を尾根の上から見渡した時の、菜の花畑や一本立ちの桜や小さな白いトラック、別の尾根が続いている光景は言葉を失うものがあったから、一緒に行こう。
お前は町田を待ってないかもしれないけど、町田はお前をいつまでも待ってるから。
【あとがき】
https://twitter.com/pededeck/status/1246422466135617537 ←これはインターネットで見つけたわかり手
注:谷戸は谷の一種。底が平たい。上から見るとUの字になっている。海進によって土砂が堆積し、このような平底になったようだ。あきる野の横沢入や稲城の上谷戸は有名。
追記 こんなにたくさんの人々のブクマと注目を集めることができて光栄です。卒論も町田のことで書こうと思っていたので、励みになりました。町田地方史研究会のおじちゃんたちに比べたら、自分は町田について本当にニワカで、話せることも少ないけれど、精進しようと思います。
Permalink |記事への反応(13) | 20:34
25日目
302回
今日は西美へ
待機列で並んでいる際に一斉に地震速報が鳴りだしてびっくりしました
いつものように企画展と常設展を回ったのですが、企画展の内容的に常設展を2周したような感じで少し面白かったです
最近の西美はオタクタペストリー的なものに説明文をプリントして天井から吊り下げるのが流行りなのでしょうか
企画展・常設展双方でオタクタペストリー的な説明文がありました
企画展で気になったものとしては、明らかにペルセウスとアンドロメダの構図なのに登場人物が全然知らない人たちな「アンジェリカを救うルッジェーロ」、もさいけどなんかかっこいい「アンティオキアの聖マルガリータ」などがありました
前者は、調べてみると「狂えるオルランド」の中の一場面だそうで、アンジェリカは中国のお姫様、ルッジェーロはイスラムの戦士らしいです
とてもそうは見えんな
狂えるオルランドと言えばドン・キホーテで散々バカにされているタイプの小説という程度の認識しかありませんでしたが、この絵を見ると当時の人気ぶりが伺えます
オルランドはローランのイタリア語読みで、狂えるオルランド自体はローランの歌の前日譚らしいです
常設展を回るのも久々のことでしたが、新規収蔵品の中で、ドミニコ会の象徴でもある白黒の衣装をまとった「聖ドミニクス」がイケメンですてきでした
そういえば「聖母子と三聖人」の聖人のうち二人の衣装も白黒でしたが、あれもドミニコ会となにか関わりがあるのでしょうか
新館では戦争中の疎開で大きく損壊したモネのクソデカ睡蓮が展示されていました
西美の成り立ちと背負った歴史を象徴しているようで、しばらく見入ってしまいました
版画素描展示室では最近まとまったコレクションの寄贈を受けたという写本の展示が行われていました
よく考えたら本物の中世写本を目にするのは初めてかもしれません
羊皮紙でも木簡と同じように誤りを訂正するのには小刀で表面を削ったそうで、ヨーロッパでも刀筆の吏という言葉は通用しそうだなと思ったりしました
写本を書いた人々は役人ではありませんが
そういえば常設展にハンマースホイさんがいませんでしたが、まだハマスホイ展で出張中なのでしょうか
Black Lives Matterは大事。
だけど今大規模デモやってコロナの感染拡大につながるリスクは冷静に考えないとヤバイ。
日本でのデモを応援した大坂なおみのツィートへの反応でもそうだけど、大多数は冷静なリスクの指摘なのに、高須克弥のような一部のヤバイ奴だけ取り上げてBlack Lives Matterに反対する奴はレイシストみたいなレッテル貼るのマジで良くない。
銅像倒すのマジで良くない。独裁政権が倒れた時に権威の象徴になってる像を倒すのはわかるよ。ベルギーのレオポルド2世みたいにガチヤバイやつを顕彰するのが今の価値観でヤバイのも理解できる。でも歴史のある像は骨董的価値もある。現在の価値観でヤバイなら、人通りの多いところから撤去して博物館の収蔵品にすれば良い。正義の鉄槌だとばかりに勢いで像を壊すのはタリバンの大仏破壊と何が違うのだろうか?像を破壊するのを放置してたら人を吊すこともためらわなくなるよ。このままリベラルの正義が暴走したらマジで文革になる。リベラルヤバイ。
川上家から寄贈された土蔵が敷地の対角に二つも移設されています。
カマド跡の野外展示はプラスチックのカバーに大量の水滴が付着して
民俗資料館の煙突付きアイロン(炭を入れます)が可愛らしいです。
常設展示はとても綺麗に展示されていて、
酒呑ジュリンナ遺跡のお名前から同族の匂いを感じてしまいました。
はじめてみる形状でしたわ。
でも、わたくしのような淑女はじっくり見てはいけませんわ。
壷の上に四つの壷が寄生した形状で、丸みが連続する様子からは、
同様に豊穣への祈りが込められていたのでしょうか?
江戸時代の豊田市は小規模な大名や旗本などに分割統治されていたそうです。
その中では大きな尾張藩家老の寺部渡辺家(徳川十六将の渡辺守綱が祖)が一万四千石で、
はてなのみなさんは好きそうですけど。
藁や柳、竹という素材から様々な道具を作り出す昔の人の手技には感心しきりです。
最後のあいさつで「裏方の仕事に興味があったので、今回実習させていただいたことはとても嬉しく思いました」と言って帰った
内心「あんたのやっていったことは裏方じゃないよ と毒ついていた
なぜかって?
博物館でいえば、「表」の仕事は展示品の前で来館者に説明をする仕事 「裏方」はバックヤードで収蔵品の手入れをする仕事 という意識なのだということは理解できる
だが、中にいるものの意識としては、来館者の使うトイレのペーパーを購入したり、照明器具の交換の資材買ったり、電気量精算したりする仕事が「裏方」という意識があって
前述の学生の発言は、そのような仕事や従事している人の存在を全く視野に入れていないように思えたから
まずは自分が「便所紙切らさないように買ったり椅子の破れ繕いの依頼する仕事」のこと
今の仕事に関わることが幼いころから大好きで、人事異動でこの仕事に関わることになった時、たまたま同じ職場にいた私の高校時代をよく知る上司に
「その職場は増田にとって天国だろ?」と冷やかされるような場所であること
別の職場にいたときに、やはり同じような職種でいたが、その職場を舞台にしたシミュレーションゲームでは自分の仕事はあってもなくてもいい部品であったこと
そういうのが積もっているのだと思う
なんていうか、あって当たり前だけど存在を黙殺されるような業務分担のところに続けさまに座ると、時々自分の存在意義に疑問が出たり、むしろ自分が存在していいのだろうか?
疲れでもたまってるのかな